源究196

  

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 3431  雑草  7/21  3436  臨機  8/5  3441  相互性  8/19  3446  風まかせ  8/30
 3432  こころ  7/26  3437  後の後 8/9  3442  ねがい事  8/22  3447  盲窓   9/1
 3433  偶然&必然  7/29  3438  どんより感  8/12  3443  当たり前  8/23  3448  空気の入れ替え  9/4
 3434  アーカイブ  7/31  3439  油断  8/14  3444  前向きに  8/24  3449  脚下照顧→  9/6
 3435  現実直視  8/2  3440  15082020  8/17  3445  感覚マヒ  8/27  3450  自覚自戒  9/8
3431:雑草
今年の梅雨は長さと雨量が今までに無い記録だと言う。各地で浸水被害や土砂崩れが起こっている。 地球の何処かでは逆に雨が全く降らず 草木が枯れてしまっているかもしれません。
 これも 急にこうなった訳ではない。徐々に そして確実にすすんできたのです。元に戻すことが 果たしてできるだろうか?
  私は草刈りが日課となった。おかげ様で体の調子が良い、雑草とは大変失礼な話で 正式の植物名があるのだろうが 良く判らない。最近 草の顔ぶれが変わってきたと思う。生存競争が激しくなり環境の変化に上手く適応できた種が残っているようだ。
 草を刈り始めると鳥が集まる。何故だか分かるでしょうか? 土の中にいるミミズや虫を食べるために集まってくるのです。トゲを付けた植物もある。自分が外敵を防ぐ為に進化した。地下足袋を履き土を踏むと足裏の感覚は土との一体感だ。土の暖かさを直に感じる。道具を使う生き物は人間だけ? よくも様々な道具を考え出したものである。それをも人工頭脳やロボットにやらせようとするのだから どうなんでしょうね!長い目で見れば 人間は生来の生きる力を退化させることを急いでいやしないだろうか。
 with(共存)の手本は 動植物だ。雑草なんてと一緒くたにして いい加減にしろよ! ほら 見てごらん!人間様だったら 大変だ!差別や偏見無くならず 好き勝手なことばかり。/////   
 
 ≪楽しいから笑うのではなく 笑うから楽しいのだ≫(We don‘t laugh because we`re happy,we`re happy because we laugh)・・・・・「ウイリアム ジェームズ」

 こころに響く言葉は どこか違いますね。普段気にならなかったことなのに 急に輝きを増すなんてことがありますから。勿論 自分も含めてですが コロナ騒ぎが起こってから 滅入ってしまい悲観的にしか考えられなくなってしまった人も大勢いると思います。
 いまこそ雑草魂・・・ 。踏まれても踏まれても逞しく生きようとする姿、それは 地下にしっかりと根を張るからです。いくらやっても草刈りを見える所だけしかしませんから 散髪することと同じなんです。1週間経てば また草ぼうぼう 早い事はやいこと。
  大雨で 道が崩れて使用できなくなった処が目立ちます。よく見れば雑草が それを防いでいることもあるのです。(発想の転換)


3432:こころ

 止むを得ず ウエブ会議なるものを経験しました。20人ちょっとの会合、勿論 私は始めてです。会議は予定より長引き 3時間ほどかかった・・・いや~ 疲れました!慣れれば苦にならないのでしょうが、私にはどうも難しい・・・・。
混沌として先の見通しが立たない中で 在宅勤務、モバイルワーク、リモートワークなどが流行して これで うまくいくのでしょうか? 働き方が変わるのは仕様がないとしても 抵抗感はありますね。
 こうしている間にも コロナ感染者が全世界で増えています。治療薬やワクチン開発も急ピッチで進められていますが 各国の争奪戦が激化、まだ 実用化できるのは先の事でしょうが 当然日本も投資をして参画していると思います。
 コロナ騒ぎが起こる前に コンピューターウイルスやサイバー攻撃という厄介な問題が先に騒がれました。今も ウイルスは進化を続け イタチごっこ、その経費と労力は増える一方です。何か変でしょう。 それも想定内のことで 経済活動の中に組み込まれている訳ですよ。
 どんなに便利な世の中になろうとも 変わらないことはあるはず、それは ”こころ” だと思うんだ。
   


・・園で生まれた 子猫
    を抱く生前の秀ちゃん
・・
 
 上に立つ者はどのように振舞うべきだろうか! 相手の身になって考えるのが 持ちつ持たれつ with の関係とすれば、”自末得度先度他”『正法眼蔵』に通じる。
一国主義や独裁国家は その真逆のリーダー像、自分達の為になるなら 手段を選ばない。結果は 報復合戦に進む。当然の帰結だ・・・・・。コロナを指南番と考えたらどうでしょう? そこを突かれたのですよ。仮想が現実になってから慌てても仕様がない。隠さずもっと現実を直視せよ!とあまりの無節操さに大いなるものが釘を刺した。仮想は幻影だから 使い方次第では どうにでもなる。便利なようで実は始末が悪い。
 今年の夏は暑くなるそうです。大雨、強風に痛めつけられている国は日本も例外ではない。盛夏に向かって40度を超す暑さの中 エアコンも使えず暮らすことが 果たして豊かな国の目指した姿だったのでしょうか?これも現実に起こっていること。 自由を”なんでもできる”と勘違い 何するにも原資となる財を獲ることが伝家の宝刀とし あまりに偏り過ぎた。その反省がない。
 ☆天下の憂いに先立ちて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ・・・『岳陽楼記』  その”こころの何たるか”をリーダー達は謙虚に学び実践するべしと 1000年前の指南書にあり。

3433:偶然&必然

思ってもいなかった事が起こって慌てるというのは 良く有る話です。何の因果関係もなく 現実に起こっっていることの積み重ねが必然と成り得るのだろうか。アマゾンで単行本『侏儒の言葉』を注文した、芥川龍之介が著した警句集、何故か判らないが 読みたくなった。 最近、先人たちが暗示した伏線や警告を無視し、強引に後付けの理屈や出来すぎの偶然を持ち出し 自分側に良いような話が多過ぎると思いませんか。率直に言って社会の【ご都合主義】化である。
 より深みに入って出口が見出せない危うさに 何が楔(くさび)になるか・・・・と逡巡する。 
 
上記の写真は寺の事務所の壁に貼ってある。園で野良猫(?)が何匹かの子猫を産んでしまい、その中の一匹の猫を抱っこしている秀ちゃんだ。 幼い時に心臓の大手術を行い、その傷跡がお風呂の時に我々スタッフの目に映ってきた。 彼が亡くなり何年も過ぎた。精一杯に生き切った人生だったと思う。本日7月26日は 4年前 津久井やまゆり園の事件が起こった日である。
 そして、日本中がコロナ禍の非常事態の最中にALS患者の安楽死事件が起こった。これらは偶然か必然かではない 常に未解決の儘にされてきた人としての根源に誘う現実なのです。
 
 
 気になっていることを この際 皆さんと語りあいたい。福祉の世界の2極化がより鮮明になっている。一方は経済の流れの後追い組、その目指す先は 事業の多角化と規模拡大、今の政府の考えを反映したとも言えよう。
 もう片方は 頑なに こうでなければならないタイプで 時代錯誤や時代遅れの戯評を受けながらも 踏みとどまろうと必死? 私どもは どちらかというと後者のタイプ? でも世間様の評価は判らない。
 これは 私達の出発点の思いに戻れば必然的な成り行きだと思う、現在地での産声は 昭和7年(1932)に遡る。必要にせがまれ 住職が寺子屋の姿で始まった。紆余曲折  今でも地域に当時のことを覚えているお年寄りがいる。無給の指南番の方々だ。
 だが、この2極化も今後はどうなるか 判らない。世界の情勢は ヘタすれば 福祉に回る元手が枯渇するかもしれない。その最先端にいるのが実は この日本かも知れないのだ。その証拠はあらゆる場で目に留まる。
 ローンを組み、マイホームを建てた。そこまでは良かった。それが 自然災害に見舞われ、一瞬にして無に帰す。復興半ばにして 再び被災・・・・・。
 時と場所を選ばず 地球上全体が 異常気象の影響下に置かれる時代に生きている。政治は どちらに傾いても 責任を取らない。このことも 私達は肝に銘じておかなければ 。。。。。さて偶然か必然か???

3434:アーカイブ

 記録や資料保存の問題が騒がれたのが いつの間にか鳴りを潜めてしまった。記憶が いかに頼りないか痛感します。 時と共に感心が薄れ 忘れ去られていく。デジカル化して保存すれば 後々必要な時に簡単に引き出すことはできる。
国の大事に対しこれを怠った付けは後の時代に必ず問題になるだろう。
 NHKラジオの深夜便を良く聴いている。コロナ問題が起こってから「明日への言葉」のアーカイブ放送が急に増えた。対談形式が多いので 収録が難しいのかもしれない。だが 良い話は いつ聴いても良い。放送中、一時間毎に入る天気予報とニュースは 気象警報とコロナ感染関連が多く こころ穏やかではない。これも 今、視聴者が何を知りたいかで これで良い。
 一方、8000万枚のマスク追加配布、 その決定の経緯と効果を記録・保存しておいて欲しい。既に業者と契約が済んでいるという理由からではいかがなものか 既にマスクが市中に出回っている今 即見直すべきだろう。何を優先するかの判断が安心と不安の分岐となる、 打ち出の小槌(こづち)は いつまでもあるはずが無い! 何かが足りない? それは誰の責任でやるかが不明瞭 この曖昧さが不要な混乱の元となる。
 
 昨日は全国の感染者が1200人を超えた。明らかに第2波の真っ只中、一度緩んだものを再び引き締めるのは 強いリーダーシップを必要とする。特効薬が無いウイルスは人へ容赦なく感染拡大する。。他の国で出来ていることを何故 日本はできないのかという疑問が深まる。PCR検査結果の数が格段に少ないことへのハッキリした説明がない。専門家から様々な意見が出されているのは分かるが どの意見を採用するか! その最終決断の全責任者は明らかだ。総理しかいないだろう。
 国民の不安は、ウイルスの実態が掴めないことと現状の対応体制の分り辛さにあるのではないだろうか。
    ”強引に後付けの理屈や出来過ぎの偶然”を利用するだけ利用する都合主義体質は この状況が長引けば長引くほど拡大し、集中し総力で立ち向かう力を弱めることになる。それが最も怖いのです。

3435:現実直視

 先ず自らを反省しなければなるまい。自分一人ぐらいならという思いが 気が付けば取り返しのつかない状況に陥る。 今 世界中例外なしに起こっている現実がそうだ。 それを自分達の目で直視できるかどうか? 必ず悪魔(?)が横やりを入れてくる。幻影を手土産に次々と誘惑する。
 人間は そもそもいい加減なものなのかも知れません。だからですよ。様々なルール(宗教:哲学:法律・・)を考えた、道を間違えず進めるようにと・・・・・・。慈悲や愛・・・これだって思い通りにならない だって人間勝手なんでしょう。法の解釈一つとっても明らかだ、これにドップリ浸かってしまい、正しい判断ができない。例の『侏儒の言葉』にある警句が暗示した。民主主義をどうのこうのではない、本来の有るべき姿に戻らねばダメだとコロナが痺れを切らした。コロナは指示に忠実に従っただけ。それ以外の何物でもない。
  この騒ぎが収まった時に また 私達は同じ過ちを犯さないという証はない。イロハの話、民主主義はギリシャ都市国家(ポリス)に発し、近代市民革命により一般化した。”一般化”したという事は、”感染拡大”したということと同義語。だから 民主主義=コロナという解釈が成立?屁理屈でしょうか それとも・・・・。
 要は 最大の病巣は我々人間に有り。これが起点であり現実ということになりませんか? 共生って どんなこと? 徳目の仁・義・忠・孝って?
 
 
 ”無始よりこのかた妄想に纏われて衆罪を造る 身口意業 常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す  珍財を慳悋(けんりん)して施を行ぜず・・・・”(密厳院発露懺悔文より)
 覚鑁が本山の腐敗と内紛が一向に絶えないことを憂い一筆のもとにかきあげたという偈文の初めに出てくる。高野山の座主を辞し 根来に移ったのは今から約900年前のことになる。
 昔人が大切にしてきたことを私達は一つ一つ捨ててきたように感じる?断捨離は不要なモノを整理し捨てること、肝心なものまで捨てる事じゃ~ない。その見極めが 曖昧になっていませんか?
 若者が コロナに罹っても自分達は重症にはならないからと夜の街で飲み歩く、これが第二波感染拡大の元凶となる、恰も悪魔の囁きの様、人へ迷惑をかけなければ 何をしても良い?こういった勝手な解釈は それを許してきた社会の責任か。限度無き自由と豊かさへの渇望が 常識の欠如した社会を許した。一定の縛りが無ければ 人間は有頂天になる。この責任は ハッキリ言って大人たちにある。一億総活躍どころか一億総懺悔が先だろう!大人は若者や子供たちに範を示す責任を負う・・・・・それを怠った。 日本が今の窮地から脱し、たて直すために史実上最大の試練と対峙せねばなるまい。国が保身や忖度の烏合の衆と化した状況下で 彼らに期待するのは間違いだったようだ。これが今回の騒動で明らかになったのではないか。
 ☆慳悋(けんりん)=物惜しみをし、欲深いこと。 プライドを捨て 原点にどう戻るかです ・・・・・その責任は 誰にあると思いますか?

3436:臨機

 マイナンバーカードの更新手続きの通知があり、暫くやらずにいたが久しぶりに市役所に行き手続きを行った。このカードは正直 作ってから一度も使用した覚えがない。それが期限がきて更新しろという。何のためのマイナンバーなのか? 市役所の窓口は一階にあり コロナ騒ぎの最中というのに混雑していた。三密?順番が来るまで椅子に座らず 離れて待つ。案内係の方が数人 忙しそうに説明していた。やっと自分の順番が来て、どうしてこんなに混んでいるのか尋ねてみたら、『恐らく マイナンバーカードにポイントがつくようになったからと思います』と担当者が小さな声で説明してくれた。
 世の中が 全てこのようになるのだろうか? 日本人全てが自分の番号を持ち 管理し易く手続きをスムーズにということかもしれない。一枚のカードに多くの機能を持たせると逆に紛失するのが心配になる方も多いのでは?
更新手続きが終わってから 登記所に行く。ここも登録カードで手続き、こちらは何度か使ったことがあるから 迷わないで出来た。 実にスムーズで5分程で用事が済んだ。便利さを獲る為に新たな心配が付随する。もう、この辺で変化スピードを少し遅らせて欲しいものだ。私は今月 いよいよ70才の仲間に入る。中学の同級生が来て、昨日(8/1)が誕生日で 老人会からの誘いが早速あったと話していた。私の誕生日は終戦記念日と同じ日です!これも最近は段々通じなくなったようだ。
 ☆ 歴史を振り返ることは 未来に対する責任・・・・と、そう思います。
 
 気温34度、雨ばかりだった梅雨がやっと明けたと思ったら 猛暑に日本列島がスッポリ覆われた。どうも気候が極端で 体がそれについていかない。高温多湿の中でマスクを付けるのはつらい。自然は手加減してくれそうもない、『苦は楽の種』といったのは105才で身罷った小林ハルさん、生後3カ月で両目を失明し、最後の瞽女(ごぜ)と言われ5才からその瞽女修行に入ったという。映画『瞽女GOZE』が8月8日より出身地の新潟で先行ロードショーが始まる。瞽という字は【めしい】と読む。三味線を持ち旅をしながら各地をまわる。ハルさんが生まれた時代(1900年:明治33年)には高度な医療もなく福祉という言葉も無かった。障害者が自立して生きる先兵となった方である。その映画を作った監督瀧澤正治氏の話をラジオ深夜便で聴いた。
 コロナの影響で映画界は今までには無い損害を被っている。そんな中で私が今一番観たい映画である。 
 これから先 私達はどう生きていけば良いのでしょうか? 環境がどのように変わっても それに適応できる力を持つことが望まれている。
 
 ☆ 夢なき者に 理想なし  理想なき者に 計画なし 計画なき者に 実行なし  実行なき者に 成功なし 故に 夢なき者に 成功なし。(吉田松陰のことば)

3437:後の後

 

・・・・お盆前の一週間・・・・

 上の写真、そっと置かれてあった缶です。 それも お墓の”水屋”に、誰かが置いていったものです。寺の手漕ぎ井戸は 東日本大震災の後、非常時の為と墓参する人達が水を汲めるようにと某篤志家の寄付金を元手にして作られました。
 缶を拾って持ち帰ろうとしたが 何かが入っているのが直ぐに判りました。蓋を開けるとタバコの悪臭がし吸い殻がビッシリと詰め込まれてあったのです。誰かが火を出すと危ないと思い、飲み終わったCoffee缶に丁寧に吸い殻をいれ 置き忘れていったのだろうか。そう考えて 気持ちを落ち着かせようとしました。・・・・・・・・・。でも どう考えてもそうならない。数日前には確かに無かったのです。ひょっとしたら 車で来た方が態々、置いていったのかもしれない。、水屋の柱の目立たない場所にそっと置いていった・・・・・・・。
 今日は35度になる猛暑、日中は不要外出は避けるようにと警報が何度も出ていた。昨夜の内に 朝の6時にお墓掃除をしようと決めた。 丁度一時間ほど作業し 終わりにして顔を洗おうと思った時、その缶が目に留まる。
深井戸の水は猛暑でも常に一定の水温を保っています、タオルを濡らし体を拭くと気持ちが良い。・・・・癪に障った。心底から怒りがこみ上げた❣
 日本人が経済至上主義に現を抜かし、繁栄(?)をエンジョイしている間に 根が腐ったか??先祖を敬い 自らを戒めることを忘れた民族は寄港地を失った大型客船と同じ、使用済みで捨てられる。近頃 そんな風に考えてしまう。
 実はこれには前段があるのです、ポンプを設置した後、合計4回もポンプが壊され(?) 修理をしたのです。業者の方が独り言・・・・≪普通じゃ~ こんな風には壊れないんだけれどな~≫と4回とも修理代を受け取らなかった。その後、数年が経った、 幸いにして壊れてはいない。
後のあと・・・・・今のいまではないことを 良く考えるべきだと思います? 判りますかね~エ。ポンプじゃなく 地球に置き換えたら どうでしょう!飛躍じゃ~ない!  大いなるものは 決して許さないと私は思うのです。
 
 懐疑的?それも大袈裟に! 世を憂う事は 自らを省みることが起句となり 結句は希望、起承転結を今の時代に合わせるには 発想の転換が必要なのかもしれない。 現実に起こっていることを 漢詩の手法で表すには無理がある? 世の中の変化をもっとゆっくりすれば良いのにね~・・・・・。何かに魘(うな)されているようで 心身のバランスを保つことが難しい。それを防ごうとするには無関心になることしか無いのだろうか。
 でも高じれば”無責任”となる。盆前に思う事あり。元々は盂蘭盆経に基づき、苦しんでいる亡者を救うための仏事、迎え火と送り火を焚き、先祖霊を招き、供養する。いま 行われていることで墓参代行やネット供養がある。
 昔からの風習が 時代と共に変わるのは仕方がない。けれど 何か腑に落ちない。四苦の解釈を起承転結で捉えれば、生は起、死は結、その間に老・病がある。
これには どんな意味があるのだろうか? 人の一生は均一ではない。要は成長と共に身に着け、学び、意志により生きていく。(身口意の三密)
 この軸をも変えてしまう現実は 何故起こってしまうのでしょう! 仏教では 妄執にとらわれるため  と説いています。

3438:どんより感

 今のどんより感は いつまで続くのでしょうか? 観光地やレストラン、・・・・・正直 行ってみたい気持ちにならない。今まで出来たことが急にできなくなって不自由という感じではなく 動きたくないとうのがホンネ、地域の小中学校は短縮した夏休みに入った。動きたくて仕様がない子供たち どんな気持ちでいるのだろう?ここにきて感染の動向に変化 島根県は感染者が少ない県だった。それが今朝のニュースをみて驚いた。一気に88名が陽性になった。高校の運動部の寮での集団感染とのことでした。
 規制を緩和すれば感染は拡がる、これは想定内だったのかもしれない。世界の動きと同様に日本も経済活動に重点を置き、人やモノの交流を緩めた。案の定 都市部から地方に感染が拡がってきた。
 先日、政府はワクチンの供給で一億回分を確保したと発表、でも これは いつになるか判らない。様々な憶測が飛び交うなか 各国のワクチン獲得の鬩ぎ合いが益々強まることだろう。
 昨夜は 気温が下がらず 寝苦しい夜だった。早朝 境内の6地蔵の周りを箒で掃いている方に気付いた。今年は施餓鬼を縮小し、塔婆の受け取り日を指定させて頂いた。その初日が本日、役員の有志が 受け渡しの役を買って出てくれた。普段 気付かずにいたことが有り難く感じている。どんより感から スッキリ感への変わり目を見極めたい。
 
 猛暑が影響しているのか7月~8月に悔やみが続きます。葬儀のやり方は明らかに変わりました。75才以上の方が多く、皆さん 先の大戦を経験している。当時の話は戦後生まれにとって 正直ピンと来ない。それも無理からぬこと、遺族の話を聞くと 戦争を生き抜いた人達は 肝が据わっているように感じます。
戦後 不戦を誓った日本。憲法に明記し 再び武器を持たず平和を目指すと宣言した。それがどうだろう? 75年経ち 微妙に風化しつつある。 その最大の理由は 経済への偏重と過去から学ぶ機会をあまり取ってこなかったことが大きいと私は思うのです。偏見でしょうか?広島と長崎の原爆記念日、参加者が年々減少しているとのこと、教育現場でも 戦争の歴史を学ぶ時間が減っている。国民の間で国の主体性や尊厳が充分に議論されず 勝手な解釈が罷り通ってしまったら どうなりますか。
 コロナ禍のあと、どのように変わるだろうか?平和共存を国是とした戦後のニッポン、ここ10数年の間に急速にその有り様が変わってきたように感じます・・・”日和見外交””二股外交”・・・との評判に反論できない感じがします。 これが 今の日本の政治の実態だからですよ。肝心な議論が為されず、先送りしてきた責任は大きい。コマ(独楽)と同じ 軸がしっかりしていないと 上手く回らない。

3439:油断

 油断は怪我の基・・・・全く情けない思いであります。墓地の草刈りを朝の内にしましょうと始めたは良いが 一瞬の油断、約1メートルの土手、それも直角にコンクリートで作った場所で 後ずさりしながらの草刈り、感覚が狂った、足を踏み外し、落ちた・・・・右臀部を強烈にぶっつけてしまいました。お盆の前日に掃除などしているからだ!天罰! 幸か不幸か 一番肉がある場所を強打、直ぐに通院しレントゲンを撮ってもらった。” 何をやったの? 骨は大丈夫!氷で冷やしなさい・・・・””????””そうね~。痛み止めとシップでも出しますか?””はっはい、お願いします”結局は 草刈り中止で一日臀部を冷やしてすごす。情けない!夕方 右側だけボールみたいにパンパンに腫れてきた。
 ああ・・一瞬の出来事、後で考えるとぶっつけた場所が良かったんだわ⁉ ま~骨折などしたら ・・・・と考えると 良かった良かったと自分を慰める。でもな~お盆の棚経どうするか? 変な恰好で勘弁していただくしかない。
 年取って 思うは 己のこだわり! 益々 強く、身の程知らずと揶揄中傷、そうだ~昨日は期待したほど 雨降らず。・・・・求不得苦・・・・頭は打っていない?冴えわたる。
 
 性分なんだわな。そうかも知れない。
 案の定 打撲の跡が紫色、去年は 何度なったか?記憶も朧げ、注意しないといけないな! わかっているが 守れない。
 2日続けて雷雨、夕刻に雨が降る。朝 気のせいか 草木が鮮やか。。。。。。 人間は草木と比べ なんと勝手なものだろう。暑けりゃ~暑い 雨なら 雨ばっか~ 実に勝ってなものなのだ。
 ウイルスワクチンもそうだ。一先にロシアがワクチンを認め 接種を始めるという。リスクは無いと言えば嘘になる。ウイルスが進化し続けているからだ。そうなると どうなるか?何が最善策なのか 判らない。
これも 人間からの希望的???。 
 ・・・創意・工夫・責任・・・限りないチャレンジ それに真心を付けた。 ・・・・(壁に貼った平成25年の努力目標)・・・ 7年経って なにも変わらず。

3440:15082020

70才の誕生日に想う! 大量殺戮の”悪魔の兵器・原子爆弾”が広島と長崎に落とされた。当時のレートで20億ドルという膨大な研究開発費が投入された。”仕方がなかった。戦争を終結させ文明を進化させるために。・・・”米国で研究開発にあたった責任者の弁(『NHKBS1 スペシャル”悪魔の兵器”はこうして誕生した』より)、戦後75年、日米両国は 同盟を組み共に経済を発展させ 所謂 豊かな国を築くことに成功?した。これを文明の進化と呼ぶのであればの話である。今まで 原爆の開発から投下まで 真実を公にされることはなく、 口を堅く閉ざし その事に触れることを日本人の多くが避けてきた。世界の開発に関わった科学者も同じ思いを引きずってきた。案の定、現代の若者にとっては先の戦争は遠い昔の出来事となった。
 番組の中で、開発責任者の孫が登場し、自分の子に≪お祖父ちゃんは 原子爆弾を作ったんだよ≫と言えないと語っている。決して消えることがない当事者のこころの闇、・・・・・。繰り返される過ち、それを防ぐ方法は根拠無き科学の進歩という人間が考え創り出した幻影によって 脆くも崩れ去ろうとしています。
 戦争は人為的なもの 如何様に事実を隠蔽したとしても 探し出すことはできます。その証拠に 米国の原爆開発責任者の末路を知れば判る、戦後、英雄的賞賛を受けたそうだが 後に 何らかの力により 失脚させられたという(前掲番組) ・・・・利用され不要となり捨てられた訳である。 
  今日はコロナ禍の為 自宅での供養を避け寺で新盆供養を行う人をお迎えし”水施餓鬼”を行います。
 
 
 こころの闇も進化続ける・・・・メールを行う人は誰しもが感じていることで”迷惑メール”を発信している者への怒りがある・・・・ 良く考えれば誰もが判ることを さも真実らしく 人の心の隙に侵入。手口は益々エスカレートしています。
今を象徴するこの行為は 法を巧みに潜り抜け、手法を変え、増殖する。関わりたくないならば 此方のアドレスを変えれば良いのかも知れぬが その都度 連絡する手間を考え 躊躇している。
知人にこんな方がおります。迷惑メールが入ると その都度アドレス変更し 通知してくる方だ、自分が被害者だと思っているようだが 現実は自分が加害者になっている。価値の逆転現象! 時や場所をかまわず 瞬時に しかも 痕跡も残さず 動き回る。
 結局 最後は 自分に戻ってくる。まさに円の思想だ! 限られた時間を 無駄に使うという現代病、残念だが その病に効く薬がない。
今年の戦没者慰霊祭代表で挨拶をされた方はご自身が5才の時に父親に赤紙が届いた。不戦の価値だけは 不変であって欲しいと改めて思います。

3441:相互性

 持ちつ持たれつは 人間関係の相互性。悩みを持たない者はない。だからといって ずっと悩み続けることも耐えがたい。自由と個人主義が過度に進むと社会生活のバランスが壊れ易い。矛盾や葛藤が次々生まれ、相互依存がしにくくなるものだ。
 加藤泰三氏と萩本欣一氏のラジオ深夜便のトークは現代人が慣れてしまった制度や仕組みの異常性(?)を気付かせてくれるものでした。例えば 何の為に大学に行くのか?という疑問、73才で大学入学した欣ちゃんは4年通って自主退学。今の大学は卒の肩書を得るための学生ばかりと嘆く。
 それはコロナ禍の後、生活様式がどうなれば良いのか?という問題で様々なことが言われ始めてはいるが具体性がない。不要不急の外出自粛と3密の励行も然り。  何のため 何をどうするかが 全く見えてこない。収束後も 今まで通りのことをすれば良いのだろうか? 不要になったモノの処分さえ 儘ならず。モノがあふれ 更に生産続ける状況は 風評で再び買い占めの為の備蓄か?ここに共通するものを感じる。
  一人ひとりが見極め自分の意志でやるしかないということと公的サービスが担うことのハッキリした境が無く義務を果たさず権利ばかりを主張する不平分子を助長する。方や人間の耐性は弱まるばかりではないか その原因が 天井知らずの利便性やスピード化追求にあるように思えて仕様がない。経済は受給関係によって成り立つ。これイロハ。モノや人の動きが止まって初めて気付く 一時凌ぎの助成金では何も解決しないことを。だからと言って 更に公費支出ができるのか。それらの事をハッキリと国民に示すべきだ。
 反省も無くインフラへの課題な投資を推奨、その思惑通りに資金回収できるでしょうか? 日本が直面する根源的問題は コロナ対策ではない。この非常事態に関わらず選挙優先のPR合戦を加速する?自らこの体質を変えようとする気を全く感じない。 そして一国の利害で決められることで無いといういつもの言い訳を繰り返す気か。責任転嫁そのもの。
 従来の海外依存の在り方を どうするか? 自分の国のことを自分達で考えられないとすればその任にある者はその職を早く辞すべきと思う。ケジメが付けられぬ国の最大の問題は免疫力をどう高めるかというビジョンが示せないこと。 
 貴方たちは 一体何を考え どうしようとしているのか・・・・。公職にある者はこの説明を避けてはならない。
 
 ♪ ねたまぬように あせらぬように・・・時代おくれの男になりたい…♪ この歌が 今の日本にピッタリあうように思う。
 自然と口ずさむ人もいるだろう。もういい加減にしないと 何か大切なものを失っていくように思えて仕様がない。ホンネとタテマエを上手に使うことができても 信頼は得られまい。相互性には 長年培った先人の生き様がある。即席に見様見まねで身に付くものではない。そこを勘違い、成功美談に酔いしれるものは それを失うことに耐えられぬ。 そういうことなのでしょう。
 飾られた世界に長く身をおけば そうなるのも当然かもしれぬ。 GDPの落ち込みが予想を上回る大きさになるとか その世界の自称専門家があたかも出番が来たと得意顔、数字に追われる人生を世界中に広めて それで 幸せですか?

3442:ねがい事

 実際の外気温とは異なる肌感覚は 湿度や風の有無によって違う。寺は蝉の声で夜が明ける。その声にやっと秋の近いことを感じます。連日35度前後の高温は急には下がらず、コロナとあわせ熱中症への注意はもう暫く続けなければならないでしょう。この時期 睡眠不足や暑さのためにイラ立ったり体力が落ちている利用者の皆さん!それでも良く 頑張っていますね。私達は体調には細心の注意を払っていますが・・・・。毎日の通院は 付添うスタッフにとっても大変なストレスです。
 年々 確実に通院回数が増え 入院する方の数も増えています。
私は毎朝 4時ごろに起き出す。日の出時間が段々遅くなり 4時は暗い。そんな時間にもお寺の石仏や本堂に手を合わせている方がいるのです。見かけたことが無い方も少し増えたように感じます。
 何を願っているのでしょうか? 勿論 尋ねたりはしませんが 朝のウヲーキングの途中でお寺に立ち寄っていかれるように思えます。
 生まれ故郷の神社やお寺を思い出しながら 手を合わせているのかもしれません。この平和な時間を無くさないために 私達一人一人は何をすれば良いか?真剣に考えてみましょうよ! 今がその正念場のように感じます。
 
 いつもの事ですが、盆が終わると 古くなった卒塔婆が寺に積まれる。もう字が読めないのもあれば去年あげたものまで 焚き上げるために置いていかれる。卒塔婆の材料が国内で調達するのが難しくなっているとか聴きました。ネットで誰でも買える時代です。国産品と輸入品では値段に差があり、勿論 国産品が高い。
 それから 葬儀の仕方が確実に変化しています。コロナ感染を防ぐために 焼香のみで殆どの方が帰るようになりました。
 オックスフォード大学認定(?)の調査で ≪あと10年でコンピューター化により消える職業702≫が話題になっているそうです。これをどう受け止めるべきでしょうか?好むと好まざると働き方が変わるのです。
  テレワークを奨めるが、人との接触をせずできる職業ってどれだけあるかな~? AI技術開発が天井知らず、自分達の首を絞めるようなことになりませんかね。むしろ 反面教師として時代遅れの人物が見直されたりしてね??? そういえば 時間構わずの電話勧誘が急に増えた気もする。

・・・・『鳥はもう静かに寝入っている。夢も我々より安らかであろう。鳥は現在にのみ生きるものである。しかし 我我人間は過去や未来にも生きなければならぬ。という意味は悔恨や憂慮の苦痛をも嘗めなければならぬ・・・』(前掲『侏儒の言葉』P24より)☆1923年9月1日 関東大震災が起こった時の芥川のコトバ。
 

3443:当たり前

 異常の対義語は通常か平常?  近年、異常気象が突出して目につくのは どうしたものか? 騒ぐだけで行動が伴っていないと思いませんか?”当たり前”という言葉は”だれが考えてもそうであるべき事”(大辞林)。
 その付説に”困っている人を助けるのは当たり前のこと!”があった。言葉に対し、 人間は勝手だな~と思いませんか? 三密(身口意)だってそうですよ。コロナ対策で急に使われ始めた”三密” 全く本来の意味(密教)とは無関係、 斯様に妙な日本語が拡散している。GO TO キャンペインもそうだ。発信側の目立とうという意図が諸に感じてしまう。言葉が乱れ飛び、まるで折り込み広告みたいだ。
 恐らく この状況に違和感を感じた方もいるとは思いますよ。それが”当たり前”になっている。そうなった原因は言わずもがな、浮足立ちで上ばかり見ている。 見てる処が違うから そうなるのですよ。だから 結果に甘いという尾ひれがつく。
 願わくば もっと 自分達の言葉に責任を持ってほしい。いざとなれば知らんぷりが多過ぎますよ。
 昔人は口うるさく謂ったもの!、大人の責任は子供たちに説明納得させること 、それが おかしな状況になって、且つ 軽くなっている。
 ☆ 齋藤 亙(享年49才)さんの遺稿画集が秋号『光明』の表紙になりました。≪亙さん よかったねー・・・・≫
 
 親が子を 子が親を・・・・この支え合う関係は 全ての基本だと思います。 この国は 介護と保育という言葉を使い負担の視点から重要政策として取り上げた。ここまでは 良かったかもしれない。でも いつの間にか 進むべき道を誤ったと私は思っています。何の躊躇(ためら)いもなく福祉を負担と考えるから 問題が経済中心に掏り替わる。公助・自助・共助・・・福祉国家で有るべき為には何かが不足している。その何かが判らなくなって久しいのではないだろうか。制度の隙間を埋めるものは何だったのか?”当たり前だろう!”ということだ。そこが要なのに それを曖昧にし自らの功績に利用しようと考えなかったかどうか。
 人間らしさや優しさ、まごころなどの・・・言葉だけが独歩し、実態との乖離を埋める方法が見つからない・・・・その検証を相手を”疑い”ながら実施しようとした。そして、合法なれば 何をしても良いというビザを乱発 このミスマッチが蔓延った社会は 願いと離れた本末転倒の路を歩むことになる。当たり前だ!
  その証に検証する側への不信が同時に存在するからだ。数字を偏重し、その数字さえも 自分達の都合に合わせ変えようとしなかったか?。そのケジメを自らしなかった。民草は離れていく当たり前だ!
 これで本当に良いのですか?? WATARUの描いた一心に手を合わせ、願う事はさ~て何だろう!
 ☆亙さんの絵には実は5人の仏さんが描かれています。二人の大きな仏さんの脇に3人の小さな仏さんが合掌しています。ご両親にその事を尋ねたのですが。。。。笑って ≪えっ  そうですか?≫と言った。齋藤家は5人家族。 
 

3444:前向きに

 TVに流れる画面がこの半年で随分変わりました。あれっ と一瞬感じる時は ビデオが多い。大きな重しに上から抑えられ 息苦しささえ感じるのは コロナ感染への不安が蔓延しているからです、いま 何が出来るだろう? 千載一隅のチャンスと言ったら不謹慎と叱られるかもしれない。半年で世界中の感染者数が2千3百万人を突破し、いまなお拡大し続けています。
 自暴自棄になるのではなく いまこそ将来どうすれば良いのか議論し、その実現に最大の努力をしなければなるないという教示ではないでしょうか。先ずは 自分からですよ~ね。
  仏教的に言えば 前向きな生き方は どういうことだろう? 自分が僧侶になって 今までやってきたのだから・・・と自分に言い聞かせている。
 六波羅蜜を、布施・持戒「利他」・・忍辱・精進「自利」・・禅定・智慧「解脱」であらわす。(竜樹『宝行王正論』) そして発心→修行→菩提→涅槃への行持、より具体的に仏知見(仏の教え)を聞く=発心、示す=修行、悟る=菩提、入る=涅槃という道程。肝心なことは即心是仏、先ずその思いを起こすことが仏になることだという教え。
 一般に仏教を難解だと言う人は多い、正直 私もその一人です。でも どうして良いのか判らない時に 人間は何かに救いを求めます。それがキリストでもイスラムでも仏教でも良いのです。宗教の願いは本来同じですから、・・・・。他の宗教を排斥し 遠ざけるのは明らかに間違い。そうでなければ争いは決して無くならない。
 これが ”前向き” に生きる第一歩だと思うのです。(ナマグサの結論)。それから問答無用の一国主義など問題外ということに気付くべきなのですね。
 
 人には後ろめたさがあるものです。良心の呵責。 世の中が混乱しているんじゃ~なかろうかね。正邪・善悪の判断が出来ない状況になってしまった・・・。
 何か大きな存在の叱咤の声がする!昔 流行った歌で♪ 『帰ってきたヨッパライ』フォーク・クルセダーズのデビューシングルで不図浮かんだ。・・・オラは 死んじまっただー  天国よいとこ一度はおいで・・・
 ハッキリしているのは半世紀ほど前の唄ということ。
 あの時 何故 この曲が多くの人から受け入れらたのだろう? 死んで再び帰ってくる それもグテングテンに酔っぱらって  世の中を批判・嘲笑的に唄ったものではなく どこかユーモアがあり 共感できた。時代が違うと言えばそうだろう。当時は 高度成長の真っ最中 繁華街には酔って道路に寝込む者も多数見かけ元気があった。その頃の面影は 見事に消えた。 肩組んで歩くヨッパライなど全く見かけない。
50年は長かった??不要なものまで作り続ける。豊かさへの憧れと誤解
 混乱の原因を挙げれば切りがない。それが何もせずとも増殖する。だったら今を借り物の価値観でなく あなた自身の価値観 それを探しだす 良い機会にしましょうよ。オラは生き返っただ~オラは生き返っただ~ニッポン良いとこ一度はおいで ♪ウンニャ ウンニャ   ダンダン  と。

3445:感覚マヒ

 報道の真偽、・・・・・裁くものあれば 裁かれるものあり。この国が選んだ民主主義制度が地殻変動を起こしている。三権分立、法の要である司法のトップを例え一時的でも勤めた者が その根幹である現行法抵触の疑いで逮捕、裁判が始まった。一寸先は闇を当に自分で実証する恥じるべき行為である。司法制度を足元から崩壊させる非常事態だ。これは真相を究明し 国民にハッキリと説明してもらわねばならない。
 一方で度重なる自然災害によって現在も避難生活を続けている人達がいます、 自ら立ち上がり荒れた田畑を元通りにしようと必死に頑張っている、そういった人達が一票を投じ国政に送りだした。それを突出した額の選挙資金(税金)を受け自らの利の為に湯水のごとくバラまいたとしたら、貴方の法廷での主張は 問答無役、公僕として自らの立場を全く理解していないという醜態を晒したことになる。そして 『今は 弁護士に任せ 裁判中ですので 何もいえません』という常套句。もしこの国が民主主義を標榜し 平和を実現したと 言うのであれば 今の状況をどう説明しますか?他人事、責任逃れ・・・・これで国が持てばよい。
 どうした! ニッポン。リーダー達の口にするコトバが どうしても軽く空しく聴こえてしまう。そう思いませんか! 
 ・・・・・盆過ぎて聊か小さくなった蝉の声・・・・ 蝉は 置かれた状況を感じ取り 自らの身の振り方を知っているってことだわ・・・・・な。
 
 
 もう4年が過ぎた。何人かに声をかけ ある会を計画し、北海道や愛知で一泊で話し合った。その時のメンバーと電話で話す。刻刻と変わる今の状況に為す術もなく、忸怩たる気分でいるうちに4年が経った。 電話の声で元気を頂いた、今も自らの信念を頑なに守り続けている人達がいる、その方達に巡り合えたということは 私にとって大きな財産だと思っている。皆さん、万全の体調では無いようだ。だが、それに屈することもなく 今 なにが出来るかを真剣に考え続けている。
 五感する心 常に新鮮であるためには 世の中の動きに対し鋭く視線を向けるから。だからかもしれない、自分が萎えそうになった時 その方達と話をすると身が引き締まる。
  最先端技術の開発の裏、 それを悪用し 良からぬことを考える者が現れる。その代表格はコンピューターウイルス、その攻防は際限なく続くだろう。コロナウイルスも全く同じではないだろうか、ウイルスが進化すれば後追いで対抗措置を考える。これが 文明の進化を齎した云々・・と。だが決して 人間が先を行くことはできまい。
 有史来 この攻防が繰り返されてきた、どちらが先に白旗を挙げるか??? 決着は付けられまい。 
 人間が自然を自由に変えられると思ったとしたら答えはハッキリしている。 禍の源泉は 人間側にある。世界人口(2019)が77億人まで膨れ上がり、2050までに100億人になるという(国連)。現実はその実態を掴むことさえできない、要するに人間自身が人間をどうすることも出来ない、もっと自然に対し謙虚な態度で接するべきなのでしょうが 逆に益々 人間本位になっている。証明その1・・・・止まぬゴミのポイ捨て。 
☆ポイ捨て心理・・・自分一人ぐらい、誰も見ていない、誰かが拾うだろう。 これは現代文明の齎した 罪悪という枠に収まらずあらゆる処に出没する異常な心理。

3446:風まかせ

 
タカは猛禽類、飛翔力が強く するどい爪とくちばしで狙った獲物を捕食する・・・・・。もう1カ月が経つだろうか 稲穂が首を垂れ始めた水田に気になるものを発見、朝から荒々しく飛び回る姿・・・稲の穂を狙って飛んでくる鳥を防ぐために取り付けた。  昨日は36度という猛暑で風もなく、通りすがりに観たのは グッタリと垂れ下がった優に1メートル以上の大きなタカ(?)だった。
 スイカやトウモロコシが終わって梨になり、これからは栗、今年は天候の影響で 農家は四苦八苦。梅雨は記録的長雨だった、太陽が殆ど姿を見せず、その後は連日の酷暑となっている、天気予報の降水確率 その殆どが空振りだった。
 栗は例年になく実は多いが小さく、商品価値は低い。
 世界の気温をみると 日本はインドや東南アジアの気温を上回り。中国や韓国では大雨で水害が多発する。日本近海の海水温度が30度を超えるというから この状況は暫く収まらないかもしれぬ。
 突然、安倍総理が持病の再発により辞職することになった。昨日は そのニュースばかりが流された。そして 案の定 後任総理を誰にするか 永田町界隈は新たな風が吹き始めた。
 逆風か順風か 風に聴かねば判らない。
 人力で自然を管理するのは難しい。そこが決定的な違い。昔人は智慧を出し 上手く自然と共存し、自然の恵みに感謝した。それを独り占めしようとしたならば どうなるか? もう その答えは判っているはずと思いますよ。

 
 あっ 飛んでる! 気温は昨日より高く、日差しが肌に痛く感じる・・・・。だが今日は風が吹いて グッタリとしていたタカが気持ち良く羽を広げ飛んでいる。
 
三無=あせらず・あわてず・あきらめず。異常・平常・無常⇔3つの常、言葉遊びかも?、  思考を柔らかくすることの大事、偏った情報が多過ぎて 何を信じて良いのか判らない。なぜか妙に拘って 自分の立ち位置を探しあぐねていないでしょうか?これも コロナ禍による合併症なのかも知れない。
 こんな時こそ腰を据え しっかりとした組織固めが肝心なのに、どうも真逆の方向に進んでいる。自信は一瞬にして失う?ならば真実を隠さず出せば良い、判断は各自がするもの、それを何故か出し惜しみするから 余計深みに入ってしまう。  そんなに感じます。 ・・・・★風が無ければ 飛べない★・・・・・単純明快にしないと 周知するまでに 何度も変わってしまう。

3447:盲窓(めくらまど)

形だけで実際は光を通さない装飾窓を盲窓というそうです。 建築法や消防法では いくら作っても規制は無い。贅を尽くした建物やイベントを再びお望みか??? どこかで聴いた話だが【歴史が証明する】とかいう話を辿れば どうも負のイメージしか出てこない。それは 自ら発する類の言葉ではないからです。
 平和と豊かさを当たり前と思い育った子供たちが いざ自分達が大人となり現実を知った時、愕然とするか感謝するか 判らんでしょう。
 後の世に歴史を検証する時、遺された文章が改ざんや嘘まみれだったらどうでしょう???勿論 破棄処分されたとすれば問題外だし、 歴史が証明するどころか 歴史の空白が生まれる。国の為と思っているかも知れないがハッキリ言って 自分の為ではないか!そこを 履き違えていないでしょうか?
  貴方たちだけではありません。現実に誰しもが必死に生きている。家族を養い、人並みの生活をおくろうと思うからです。周りがどうのこうの言えば言うだけ、例の”忖度”に思えてしまう。これは由々しき事態である。
 責任の取り方は 人それぞれだろうが 少なくとも 語り継がれる偉人には 共通する生き様があったように思う。他の所為にせず責任をどう果たすかを知っていた。
 最近は レガシーとかエビデンスという外来語が流行る、その解釈も良く判らず使われるものだから 今の日本社会にとって”盲窓”(めくらまど)に丁度良いのかもしれない! 
 
 日本人の劣化を憂い危ぶむ話の基底には、厄介な問題を直視せず できるだけ避けて通る傾向性にあり、方や法の解釈を曲げてまで強引にやり遂げようとすることを賛美(?)する異常性。この両極の無茶苦茶が蔓延ってしまったという。おそらく私の病気かもしれないが これをゴミ捨ての心理で証明できる。市の”ゴミ捨て禁止!”の立て札の脇に 堂々とそれも頻回にゴミが置かれているのだ。日本語が判らない者の仕業か? それとも社会への反発か?
 知られなければ構わないという考えは 国をも滅ぼす。大袈裟か?些細なことだと一蹴して良いものだろうか?ここが分れ目だと思うのです。
  この問題は道徳の範疇と放置され、それが長過ぎた。事の大小に関わらず、いつの間に それを修正する意志も術も失った。要は 子供は何を手本として学び育つのかという教育の基本なのだが、知識偏重の義務教育が終わって いざ社会に出て直面することは どうすれば利益を生むか! その歯車となった自分にその余裕が無い。
 この環境の中で生きていくために 昔は家庭に補完し癒す力があった。
  それだけではない。世態は 不具合な状況になると ”日本は外国と比べ これだけ素晴らしい”という用意された盲窓を引き合いに出す。恰も”使い古しの自画自賛”。結果 どうなったか?検証もされず 問題が先送りされ 今に至ったと思いませんか。 窓を開け もっと新鮮な空気と光を入れなければ 誰だって息苦しくなりますよ。

3448:空気の入れ替え

 無節操な行為は、後々厄介な問題を遺す。人の評価ほど当てにならないものはない。そう思いませんか?それを防ぐために一強独裁を避け、風通しを良くすることでは無かったのか、それを 知ってか知らずか いつの間に苦言を排し、甘言を侍らすことになる・・・。これは上手くいかなかった例の元凶だ。
 ルールが有って無きような事犯がいくつもあったでしょう。 それを曖昧にして 来ましたね。 更に密室での決めごとは いずれ 漏れ伝わることになるのだが一向に止まない。
 それにしたって 戦後 相変わらず 国のトップを決める大事を 国民が直接関われないのは 如何なものか? 時代遅れ? それとも先進国? 総理が変わる。そこを一点に絞り、お手並み拝見と致します。
 この調子では いつなったら新鮮な空気が入るのか?貴方たちが謂う憲法改正をするんだったら 先ず自らの襟を正せ!  何をかいわんやだ! この国がしらけ鳥が飛来する島国と化した夢を  昨夜も みました。
 
 
 民意が乖離し、国の体を為さず・・・・・。保身や自画自賛の坩堝と化した組織に 期待はできまい。 外野でいくら騒いでも何も変わらない。自らが変わろうとしなければ ・・・・。夢かと思えば 現実となっていますね。
 これで 良いとお考えなのか それとも何も考えていない???のか。
 荒療治しかないな・・・・その一弾は 公職選挙法の改正、全ての選挙での投票率80%以上に達しなけば無効とする。まず これに向かって努力する。さすれば 何を自分達が怠ってきたかは 判る。
 次に 議員の数を減らすこと。ハッキリ言って多過ぎます。これだけでも 日本は時代遅れになってしまった。 仕事を必要以上に増やすのは 議員の人数を賄うために増やしたと思ってしまう。本末転倒、結果 複雑難解の決めごとばかり増えている。断捨離を自ら・・・。 これを公言し実践する者が出ない国は 豊かなのですか?居心地ですか?  淀んだ空気をどんなに入れ替えても  息苦しさは変わりません。正夢か逆夢か いずれにしても 夢心地。
 ★ 寺の天水桶に20年以上生きている”金魚”が何匹かいます。猛暑でぬるま湯となって可哀そうと思い冷たい井戸水を入れてやった。そしたら ダメだよ 死んじゃうよ・・・・と金魚愛好家の人から謂われてしまった。 環境に合わせ 金魚は生き延びる方法を自ら見つけ出すというから 凄い。・・・・詣でも ないからな~

3449:脚下照顧→こころ

 ≪坊主憎けりゃ袈裟まで憎い≫ 記憶の深層に刻印されたこのコトバは、常に 何かあると顔を出す。 今も私の核心に居座り 動かない。もう70年経つのだからいいよ!との囁きを数え切れず聴いてきた(自問自答)。そして出逢った仏教の教えが”脚下照顧”でした。他をとやかく言う前に己の足元を見なさい!自省を促す言葉です。実際は今もって真逆の自分と向き合い続けています。
何故 坊さん憎ければ袈裟も憎いのか???? その起源は江戸時代の寺請制度と謂われる。幕府に寺が利用され出先機関の役目を負わされたのが元凶だ。結果 本来の宗教活動が疎かになり、忖度や汚職が蔓延した。それへの反発の民意だ。 今なお 何故 良寛が親しみ愛されているか? 豪奢な伽藍を嫌い粗末な庵に身を寄せ民の中に入って行く。良寛の凄さは、僧侶としての出世街道を忌避し 本来の道を生涯追い求めた姿にある。
 私の父はその良寛が好きだった。そして尚恵学園を陰で支援してくれた人々皆さんにどこか通底するものが あった。
 
  ・・・彼らと共にいなさい。・・・今もその諫言は聴こえる。それが より強くなったように感じています。
 

   "     ”

  心から出たものでなければ心を動かすことはできない。(飛田保一筆)
 昔を懐かしむことは 荒んだ気持ちを癒してくれます。恩師:飛田保一先生は 裁判所で長く調査官を勤め、定年後 尚恵学園に来られて90才を超える年齢まで 我々を支えてくれました(享年 92才)。先生の自宅玄関に飾られた”心”の直筆額、を昨日預かり 寺に飾らせて頂いた。
 会食会や話し合いの席に いつも参加し 多くを語らずいつもニコニコして話を聴いていた。 私達は先生から沢山の教えと安心を頂きました。本当にありがとうございました。
 温故知新・・・・よみがえれ!古き良き時代。 未だ見ぬ先を追い求めることに 現代人(びと)は余りにも感心を持ちすぎていませんか?確と地に足を付け、自分達が今 何をすれば良いのか 一緒に考えてみませんか・・・・・・。

3450:自覚自戒

 自らを弁(わき)え 戒める。
 再三再四、自然の猛威に襲われ、感じるのは 毎年その勢力が強くなり事態が深刻になっていることです。続けざまに巨大な台風の通り道となった沖縄~九州の人達に かける言葉が見つからない。あらゆる手段をこうじて警報をならし避難をすすめた。不安の中で避難所で過ごす気持ちを考えると どうにかしないとまずいと誰もが思っているはず。
 災害復旧工事が一年を通じ行われ、その負担が私達に圧し掛かる。今年は更にコロナ禍が重なり大変な状況になっている。
 ・・・遊戯笑語して徒(いたずら)に年を送り、諂誑詐欺(てんのうさぎ)して空しく日を過ぐ 利養を得んとして自徳を讃じ 名聞を欲して他愚を誹(そし)る。・・・・・この懺悔文(覚鑁)が頻回に私の頭を過る。
 私達は ”自重"することを忘れていないだろうか? 大事を前に隠忍自重するという昔人の教えが 何かに摩り替わってしまい 現実を直視することを避けていると思いませんか!
 ☆法に基づき激甚災害指定を毎年国は 続けていますが 間に合わない。
 
 軒先にクモの巣、窓の桟に小さなカエル、草藪にハチ・・・・・小さき生き物は自然の猛威から、自衛する能力がある。誰かに教わった訳ではなく、”自分の力で自らを守る”のです。彼らにとっては生きていく為に”当たり前”の生き様だ。この能力は、我々人間が今夢中になっている対象とは明らかに異なる。それは 対価を求めず独り占めせず 必要以上の貯め込みもしない 必要な範囲で満足する。自分達が考え創った競争社会で 勝者となることを生きる目標とした人間は 不要不急とは真逆の容態を曝け出す。恐らく こうなってしまうと もう元には戻れまい。何せ 自衛の為といいながら 核武装し その脅威によって 自らの安心平和を獲ようとしているからだ。果たしていつまでこの矛盾を持ち続けられるのでしょうか。
 これは人間の驕りです。とっくの昔に気付きながら それを止めようとしなかった。人知は万能と謂わんばかりに自戒を怠り侵略や略奪を繰り返し、それを正当化して来なかったでしょうか。
 今日から自民党総裁選が始まった、マスコミは なぜか急に攻撃を緩め 今の内閣支持率の急上昇を一斉に報じた。その調査の信憑性は? 国民の意志なのかどうなのか疑えば切りがない。
マスコミが 持論を弁ぜず 顔色伺いするようになったのは 何が原因か?バラエティー番組で 面白おかしく取り上げる、どこも似たような企画で代わり映えしない。 どう思いますか?恐らく この国では 益々”無関心”層が増えるだろう。メデア(視聴率)だけで無く政治(投票率)に対しても同様に、溢れる情報に疑念を持ち、他に責任を負わすことが当たり前となった今、”自分の力で自らを守る”ことを一人一人がこの地球上の小さき生物から学ぶしかないのかもしれません。