源究195

  

 NO  テーマ  月日 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3411  偽と善  6/10  3416  ゴール  6/21  3421  生かされて・・  7/2  3426  地表展望  7/13
 3412  許容範囲  6/14  3417  頭デッカチ?  6/24  3422  遍路  7/4  3427  和を以って・・  7/15
 3413  出処進退  6/16  3418  知らぬが仏  6/26  3423  踏ん張れ!  7/6  3428  芽生え  7/17
 3414  メデイアの役割 6/19  3419  海図 無きに等し?  6/28  3424  最前線  7/8  3429  一条の光  7/19
 3415  常識or非常識  6/20  3420  自粛の意味  6/30  3425  試練  7/10  3430  生きる  ☆

3411:偽と善

 学園のもう一つの家族。みんなが騒いでいた。尋ねると  赤ちゃん猫が4匹、生まれたばかりで 声がする。お母さん猫がずっと付いて乳を飲ませていた。警戒心丸出し、 居場所を何回も変えたのでそう思った。
皆がコロナ騒ぎの自粛生活に疲れ始めたある日の出来事。
 学園裏の栗畑 バロネスを使って草を刈る。膝まで伸びた草の中に お母さん猫がいた。彼女も子育てに疲れたか? 毛づくろいをしながら束の間の休息をとっている。 私と目が合っても逃げなかった。
 私の方が遠慮して、草刈りの場所を離れた処に変えた。
 尚恵学園と二つの寺、草刈りする土地がどれくらいあるのだろう?考えた事は無く、不味いかなと思って調べたら 約30町歩あった。9万坪 バロネスを何台使えば出来るだろう? これも 先人が守り続けてきた土地で個人のものではない、あの戦争の時に寺山に防空壕を掘って避難した。もう75年が経つ 現在もその壕の跡がそのまま残っている。
 偽と善、うわべだけの善行をいくら重ねても意味がない。
尚恵学園の創設期 うまく言えないが 4匹の赤ちゃん猫を育てるお母さんの姿とダブル。うわべだけの親行を重ねてどうなのか? お互いが悩みを語り、それを誰かが聴きながら、少し気持ちを楽にして、冷静に自分を見つめる手助けをと考えた。 古材を安くわけてもらい 自分達で建てた家、そこに 共同生活があったのを思い出す!(今から60年以上前の姿から)
 令和に元号が変わり、既に使わなくなっていた建物を解体し 元の更地に戻すことができました。次は 次の者たちが 話し合って決めれば良い。ただ それだけの事である。
 
 拉致被害者家族連合会の設立者:横田 滋さんが亡くなりました。めぐみさんの救出が実現せず 87年の人生を閉じられました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 葬儀の後、テレビの前で遺族が語ったのは、≪今の政府だけに責任を擦り付ける者は 卑怯だ・・・・≫ マスコミや政治家と具体的に名をあげ、問題解決に今まで何もせず放置した者たちを批判したのでした。 私達はその言葉をどう受け止めるべきか? が問われていると思います。
 情報が乱れ飛び、何を信じて良いのか判らない時代になったのは確かです。
偽善の語源を調べていたら、ギリシャ語(hypokrisis)から来ていると知りました。意味は嫉妬・演技・行動化・臆病者・虚勢、とあり、うわべだけの善行という意味は 漢訳してからのものだと判りました。コトバによってお互いが理解し合うことの難しさは いつの時代にもあります。 その根底にはコロナ禍によって今体験している事と共通するものがあるとも言えます。意図や姿がつかめない相手とどう向き合うか・・・・・です、 現実には、その問題を解決する方向に世界が向かっているのかどうか疑問です。益々 混沌として責任を擦り合うようになっていると思えてなりません。
 皆さん!SNS疲れしていませんか?、メールだってそうですね、 迷惑メールの多さが際立っています。受信拒否機能を使えばと言われても相手は より巧妙になって攻めてきます。
 結局 最後は自己責任ということで  我慢するかメールそのものを止めてしまうか そのどちらかしかないでしょう。こんな事に 世界中が膨大なお金をかけているというのも 実に不可思議で、やるべきことが違います
 ☆ 私達は当たり前のことができる幸せを痛感しました。でも それだっていつ変わるかは判らないのです。(with コロナの時代を生きる)

3412:許容範囲

 許容範囲は広がっている?それとも狭まっているのでしょうか? 欲望を満たすことを進歩と考え 次々と技術の革新をはかってきました。豊かさの実態を明らかにせず、都合の良い数値をもってその根拠とした。この方法に歪(ゆが)みが見え始めている。歪みには二つの意味があり、一つは真っすぐでなく曲がっていること、それは目で見えるものです。もう一つは目で見えない心の中、邪(よこし)まさ・不正を言う。
 ついに両方の歪みに対し一撃を加えたのが 人間ではなく コロナというウイルスでした。このウイルスは 人種・宗教・哲学・国家など人間が創造した全てに対し隔てせず 攻撃してきたのです。その影響は計り知れません。
  パソコンで何かの原因で操作不能となった時 サービスセンターに相談してどう言われますか? 電源を元から抜いて暫くおいて 再度繋いでみてくださいと。それでリセット機能が働き 修正できることが多い。
 今回の問題は 防戦一方で そのリセット方法が判らないことではないですか!
 そこを突かれたのでしょう。そう考えるべきです。
 皆さんも”断捨離”という言葉を聞いたことがあると思います。なんでもヨガの思想からきているという。不要なモノを減らし、生活の調和を取り戻すことと言われています。国の体制で小さな政府や大きな政府の論議も然り、後先考えず 自らの断捨離はしない。この国も いつの間に 頭数ばかりそろえて 何をしているのか判らないものが増え過ぎたと思いません?無駄を承知していながらハッキリ不要だと言う者が出てこない?。。。。このアンバランスが致命傷にならねば良いが、許容の範囲は狭まるばかり?負の遺産ばかりになって 身動きできないことになり匙を投げては・・・これだけは避けねばならぬでしょう。(ex:国債格付け&幸福度の順位、下降の一途)
 
 評価するのは 未だ早い。それも自画自賛では 如何なものか。未だ嘗て経験したことがない惨事というが このことは想定されていたことと思いますね。巷ではポストコロナが言われ始めているようです。 私達は コロナ禍から何を学び、これから先 それをどう具現化していけるのか?今回の対応でWHOへの批判がある それによって何が改善できるのか? 背景に見え隠れする大国の思惑、日本がそこに割って入り調整役を果たすと公言されたそうですが 独り相撲の感は否めない。
 先ず 自らの立ち位置を明らかにすべきと思いますね 今までのどっちつかずの言動からして世界の承認が獲れるかどうか? 
一方 ここに来て全国の知事の中から際立っている方が見えてきた。昔からトップの力量は 決断と行動力となっている。それが県民からの信頼度に由来することも明らかになった。特に有事の際のリーダーシップで、自名を入れた施政方針など誰にも関心が無い、 ここに至って、やたらと専門者会議を持ち出すのも どうかと思う。責任の取り方で潔さが求められるのは史実があかす許容範囲の条件であったはず。
 

3413:出処進退

 コロナ禍により 様々な業種で存続できるかどうかの瀬戸際に立っている。地力を発揮し 踏みとどまって再スタート! 言うは易しで 今の状況は 並大抵の努力ではできない。
この国を支えてきた産業で存続が厳しいものの中に林業があります。先日 山の間伐をお願いしていた方が来られての話、去年の台風によって 山崩れがあり林道が使えず、最近やっと修復工事が終わって作業に入ることになったという事でした。戦争で荒地と化したのは都市だけでなく山も同じ、国は植林を奨励し 用材に適した杉やヒノキを全国に増やした。樹齢70~80年の成木は最も利用価値がある、それが皆伐という効率優先の林業になってしまい、その場所に また植林、これが 今新たな問題になっているという。木材の市場価値が大きく下がった。林業に携わる人の減少や高齢化、山を持っていても採算が取れず、全国の山が管理が出来ない状態になっている。間伐によって木の成長に適した間隔にすることができず、それを行ったとしても日差しが入り雑草が勢いづく、下刈りをする余裕もなく、木が密集し細く長い木が増えた。自然の再生は 強風や大雨に耐える根があればこそ出来る、飛行機から目に留まるのはあちこちに山崩れで地肌が剥き出しとなった姿です。
 ここにも 今の日本が抱える問題が見える。経済優先という言葉の中に忘れてしまった大切なこと。人やモノを育てることを後回しにして 外見や効率化を優先するようになってしまった。 
 戦後復興という日本人総意の目的を果たし、本当は 立ち止まって考証・熟考すべき処、それを怠ったツケが、あらゆる処に蔓延している。その影響は出処進退や法を守ることさえも曖昧にさせている。(負の連鎖)
  ★ 出処進退・・・・・じゃ~ 止めてやる。後は知らない。貰うものは貰って ハイ サイナラ・・・・ これではな~。
     木の成長から何を学ぶか????。仏教でいう知でなく智ということでしょうか。
 
 
 小さな政府は 民間の自由競争を奨め、より安価に支出(税金)を抑えようとする・・・・。しかし、その実態が判らない。 ここにきて元受けから階段式に「中抜き」丸投げされている問題がでてきた。またしても政官財の癒着構造?、大きな国家事業が行われる度に 問題になっている。東京汐留に堂々たる本社ビルを構える、日本最大の広告会社へ国は公費による多くの事業を委託してきた。
 私のような経済に疎い者も 疑問に思うのだから 世の中の動きは闇である。
 企業を育てるといいながら 実は特定の企業に偏りすぎていないか?これをチェックする機関をも育てねば 無法状態と化すのは素人でもわかること。
 木材の話で同じような話を聞いた。今 樹齢200年以上の大木が売れないという、様々な理由があるだろうが、一番は高すぎて手に入らないから、何故高いのか? 手間暇がかかり その費用が 製品に上乗せされる。
 原木を切り出し 製材乾燥にかかる労賃は 高止まり。折角 育った大木を使えない今の状況は もしかしたら 企業にも言えるのではないでしょうか?
 林業の衰退は商品としての 受容と供給のバランスが崩れたこと、それが原因か結果なのか?良く 判らない。この点だけみても事業委託への仕組みと共通するものがある。唯一、ハッキリしている事があります。 山林そのものに木を育てる力が失われてしまうことだ。休耕田も全く同じ、いや 国だって同じですよ。元も子もなくなる。その点、自然には表と裏が無い。凄い事です。

3414:メデアの役割

 メディア(情報媒体)の存在意義が大きく変わるかもしれない。 外国の状況は知らないが、日本のテレビ放送が朝・昼・夜のゴールデンタイム、民放各社は相変わらず同じパターンの番組を流し続けている。固定した出演者、中には各局ハシゴする売れっ子(?)も出てきたが、それとて話す内容はほゞ同じ、視聴者は チャンネルを変えても同じような番組で ウンザリしている。
 ところで報道の自由は守られているのだろうか? 何らかの圧力がかかっているという話もあるが、定かではない。寡黙に徹したほうが 何か良いことでもあるのだろうかと訝しむ。ハッキリしているのは 新聞の講読者数は下降線で新聞離れが止まらない、テレビも同様にスポンサーの減少で苦戦余儀なし。それならばネットへの切り替えはどうなのか?変化のスピードに追い付かないという悲鳴も聞こえてくる。
 私が楽しみにしている番組は『ポツンと一軒家』という民放番組、今のコロナ騒ぎが起こる前から観ている。三密を見事に避けた生活、それも仕方なくではなく その生活を実に楽しんでいるという感じ。頼もしさと時勢に適応した新たな生活を予感する
 その対極に 高層マンション生活? コロナ禍で雲行きは大分変ってきたように思う。大型クルーズ船での感染で 皮肉にも憧れの旅が社会からの孤立というリスクを世に示したからかも知れない。
  昨日偶然観た番組、『グローバル アジェンダ』(NHK World-Japan)は良かった。司会者と四名の出演者が それぞれリモート出演でコロナ禍を議論する。皆さんが医療の専門家で現状の課題とその対策について持論を陳べた。出演者は、シンガポール・アメリカ・イタリア・日本の方達で 観ていて違和感が無く 実に判り易かった。
 情報はスピードと信頼が命(役割)、憩いの時間ならばバラエティー番組で良いだろうが、有事の時には  世界がどうなっているのかという正しい情報を知りたくなるもの。そういったメデイアへの課題にどう応えるかという原点の見極めと挑戦。 ポスト コロナの生き残りには避けて通れまい。
 
 
 福祉事業の在り方(役割)を自問自答し続けてきた50年、長かったのか短かったのか 正直判らない。敢えて言えば目の前にある事にどう向き合っていくべきかだった。達成感や無力感を交互に繰り返し、気が付けば”難渋に堪へずして焦燥した余の事”ということになるのかもしれない。
 福祉の現場に長くいると 視野が狭くなると思うことがあります。特別のことをやっているという思いは無くとも 知らず知らず・・・・・。社福やNPO、株式会社・・・様々な主体が参入し サービスで競う時代を迎えて 大分 時が過ぎた。多角且つ大規模経営を推奨する国の方針に 今もって納得はできない。こだわりか、それとも屁理屈か?
 コロナの時代は 人間にとって 今までの価値観を大きく変えねばならない分岐点と言われます。日本だって例外ではない、寧ろ一番影響を受ける国かもしれません。コロナ対策で言われた三密、生活の3つの基本条件は、衣食住で その備えがこの国は残念ながら国民全てを自前で賄うには十分とは思えない。今までならば どうにか 辻褄を併せ綱渡りで凌ぶこともできた。・・・・が・・・・!
  民主主義体制をとる日本が 今 足元から崩壊の危機に直面している。立法府の本来の有るべき姿と際立った乖離、一強独裁を長年許した弊害により 様々な問題が常態に復してしまった。失った最大のものは”信頼”だろう。当然の帰結で国民の政治離れが加速し。それを正常に戻す方法が見つけられない。
 今こそメデイアの役割が問われる時なのだが 残念だけれど内部から湧き出るような危機意識を感ぜず彷徨っているとしか思えない。 
 

3415:常識or非常識

 問題の先送り、責任転嫁、隠蔽、忖度・・・・居座り・・・・これ全て日本語ですよ。この文字から何を連想しますか? ”あっしには 関わりない”とでも???
 さすがに コロナ問題が起こって そんな能天気なことは言っておれません。身に降りかかった火の粉をどうすれば火傷せず払うことができるか? そこで考えられたのが自粛、何も外出だけではないはず、今までの生活スタイルそのものを変えるというのが真意でしょう、私はそう受け止めます。
 それなくして 根本の解決は遠ざかる一方。肝心なことは ”どのように変えるか?”ですが、邪魔するのが 頭にあげた日本語か
 財政ファイナンス(マネタイゼーション)なる言葉、どうも聞き慣れない。調べてみたら、中央銀行(日銀)がお金をドンドン刷り、その国債を直接引き受ける(購入)こと。なんでも 財政法第5条で特別な事由を除き、極端なインフレ(ハイパーインフレーション)をおこすリスクが大きいので禁止しているというでしょう。 私達は その事をどれだけ理解しているでしょうか?経済や財政の専門家も意見が分かれる処、でも それを実行決断する人達に果たして信頼ができるかどうか?が問題なんです。
 他人事ではなく 一人ひとりが自ら判断しなければなりません。国の財務状況、今時 簿価か時価かなんて議論している国もどうなんでしょう。日本の国債を日銀しか引き受けられないとしたら どうなりますか?これは常識or非常識!
 現状分析。。。いつの間に ルールは軌道を逸しないために作ったはずですが それを自分の利の為に利用する輩が増え過ぎた。由々しきことじゃ~ないですか。
 
 
 人は何故 同じ過ちを繰り返すのでしょうか? 出来心ですか?それとも 確信犯ですか?
 法務大臣を勤めた現職国会議員が逮捕された。前代未聞? 
 そこで 頭に浮かんだこと、私の住んでいる地域も年々新築住宅が建ち 環境が変わっています。雑木林、畑、小川、・・・・・。昔と比べれば随分減りました、増えたのは住宅だけではありません。犬を連れた人たちの散歩ですね、猫と違い日本で犬を飼うには 放し飼いは許されない。まだ ワンちゃん専用のダイエットジムはないのかな? 
 そのワンちゃんが時々悪さ(?)する。気分良さそうに片足上げて・・・・・。それを脇でみていて 持参した袋にちゃんと入れて持ち帰るご主人もいますが良く観ていると、そんな人ばかりじゃ~ありませぬ。知らんプリで行ってしまう人も結構多い。 草刈りをした時に良く判る。証拠は遺っているんだよ。でも どこのワンちゃんが置いていったかまでは 判らない。ワンちゃんは証拠隠滅をしない。
 それが それが 閉会を待ち、俄かに騒ぎ出した永田町。コロナ情報と 交互に流れる緊急ニュース。
  こんな事がまだ行われているとは 俄かに信じられない。日本の法律を何とこころえる?裁くものから裁かれるものへと立場逆転・・・訳が分からず ワンちゃんと比べるのは失礼かもしれぬ。勿論 ワンちゃんにです。最近の世相は責任を曖昧にして立ち去ること。これが常識か非常識かという事だわな。
 

3416:ゴール

 ・・・・学問にゴールはない。・・・
 ゴールは最終の目標点? 人生のゴールは、死ですか? それとも通過点? このような話となると 簡単に説明できませんね。輪廻転生の思想はなんでもインド思想に広く見られる考えで仏教の基本的な概念と言われています。でもそれに類した考えは他の多くの宗教にもあるという。要するに”死んでどこにいくのか?”ということは人間最大の疑問です。それに どう答えるかによって 道が別れるのでしょう!キリスト教にも”煉獄(れんごく)”という考えがありますし、コトバの使い様で死を「逝く」「帰る」としても微妙に変わります。
 宗教とは何か?私はこのように考えることにしています。世の中には自分が未だ経験していない事や合理的に理解したり制御できないことが沢山あります、それに意味と価値を与えてくれる働き(教え)だと思っています。具体的には”祈り””信仰””行”という方便であらわれるのです。 昔から人生は道に良く例えられます。もし、道を誤ったと感じたらどうすれば良いでしょうか?判っている所まで先ずは戻って そこで良く考える。でも現代社会はその行為さえも今までに無いやり方に無理に変えようとしていないでしょうか?便利さやスピードに偏り過ぎた価値観、私達が大切に守ってきたことも人工頭脳(AI)にを代替させようと目論んでいるように感じます。
 人間らしさは どんな事で 変わるのでしょうか?
 偽りの人生をどんなに早く歩いても 真実を掴むことはできないとは考えないですか、此処にあらゆる宗教の原点と重なる大切なものがある。
 私の恩師、糸賀一雄先生は”この子らを世の光に”を社会に説き続けた方です。人間の価値は 隔てなく 誰にも光を当てることができること、この核心が曖昧となった福祉ならば”豊かさと自由”の誤解の上に築かれた城と同じです、いずれ 足元から崩壊していくと思うのです。(福祉=国=世界)
 
 人間らしさって何だろう? 哲学?宗教?倫理? その枠に入りきれない定義。 誰かが言った、理性と感情が相互に補完しあって 生まれるもの・・・・・・。そうですか なるほど。stop! なるほど・・・このコトバを私達は何気なく普段使っています。でも なるほどというコトバにハッとして思考停止になったと告白した人もいます。なるほど=成る程、相手に同意したり、自ら納得した気持ちを表すコトバ。その方は なるほどと言うと相手を無辱していないかと思ったそうです。それは 本当に納得したという自信が持てないという正直さからでしょうか・・・・・
 『人間は真実を見なければならない。真実が人間を見ているから』(チャーチル)
 私の好きなコトバに・・・・裏を見せ 表をみせて 散る紅葉・・・ 良寛の辞世の句があります。
 昨日はお父さんの3回忌、法要が終わってもなかなか帰ろうとしない、Rちゃん。コロナで家の中にずっとお母さんといたから 欲求不満?盛んに訴える。・・・・≪あのね あの・・・和尚さんに聴いてみなさいと言われたの。・・・あのね こっちのマンションに入れるかどうかって・・・・≫
 正直 マンションなどないのですが よくよく聞いてみると グループホームのことだと判りました。・・・判ったわかったから 後でね・・・と答えたあと ハッとしました。 
 

3417:頭デッカチ?

 単純に考えて見ませんか? 今 あらゆる情報が私達の周りに浮遊しています。それは目で見えるものと耳で聞こえるもの、それと体で感じるもの、大きく分ければその三つ、でも その信頼度は目や耳からの情報は先ず疑ってみるべきかと思います。
何故?発信者がより衝撃的なものを弄り、新自由主義の名の下に全てを競争の原理で設えようと思えて仕様がない。  うべなるかな、心の安定をはかろうと思うと情報をロックアウトしなければ できないかもしれません。
 真実を見ようとするもの、それを阻止して攪乱し、自分の望を果たそうとするもの。これって人間だけが持つ本能なのでしょうか?
片隅に小さく載っていた今朝のニュースに驚いた、シベリアで気温38度を記録したというものでした。シベリアに実際に行ったことが無い私は 正直そのニュースを受け止めることはできない。地球上で今 起こっていることは、実際にそういうことだと思います。大切な事でも知らないで見過ごされることが多過ぎる。
  方や偽りの情報を流して足の引っ張り合い。選挙が当にそうだ。 今 この国で起こっていることは 危機レベル1~5としたら、5の最高ランクだと思いますよ、司法トップを勤めた現職の議員が白昼堂々(?)現金を配り、奥さんへ投票を依頼した。これが事実としたら、この夫婦はいずれ情報が漏れ 自分の身にはねかえってくることが判らなかったのか?  そうだとすれば 当然 その任に相応しくない人物を見抜けず選任した者も同罪です。
 苟も民主主義国家たる日本が政権内部の箍を身内に対し、より甘くなった原因は何だろう? ハッキリ言って、国民目線を失ったということに尽きる。だからでしょう、こころを感じない謝罪を繰り返す。これは国民に対する冒涜だと私は思います。
 
 最近 近所で雉(キジ)のツガイを良く見かける。それも一組ではなく何組も、雉で思いだすのは 蔵頭露尻(ぞうとうろび)というコトバ、意味は”頭かくして尻隠さず” 人間の愚かさを嘲けっていう四字熟語です。
 雉は 雄と雌一目瞭然で雄は美しい羽をつけ、雌は茶褐色で控え目な鳥である。その雉は昔から句に読まれ当人は不本意だと思うが・・・雉の草隠れ・・・雉も鳴かずば撃たれまい・・・1947年に国鳥に指定された。美しい姿をしているが その鳴き声は決して美声ではない。どこからあんな声が出せるのかケタタマシイ鳴き声だから 直ぐに雉だと判ってしまう。
 証拠隠滅できない、外見と中身のバランスの悪さは 雉には失礼だが事実そう思う。
 雉は日本特有の鳥と言われるが 世界中にいるのも判っている。何か 雉のことを考えると 不思議と何かとダブってしまう。
 国鳥と国会〇〇、どちらも日本の国が頭文字。バランスの良し悪し判定は常識と非常識の物差しで測ると判りやすい。
 

3418:知らぬが仏

 ・・・・知らぬが仏 ・・・・。知らないでいるほうが 平静な心でいられるという。でも どうしても知りたいという欲求が生まれるものですね。だから・・・知るは煩悩・・・と後に続けることになったようです。まっ いい加減にした方が良いのかもしれませんが、その線引きができない。私は褒められるような読書好きではない、常に枕元に何らかの本を置いてきた。今年 70才 子守唄に丁度良い。そこら中に本を置いて 周りからいつも文句が出て そのクレーム対応に四苦八苦。
我流の乱読と積ん読は嗜好で熟読は見果てぬ夢とする、執着ですかね~
 関東の某県で墓石が大量に壊されたとのニュースが スパコン『富岳』快挙のニュースの後に流れた。一瞬、明治維新・廃仏毀釈の再来か、富岳は 先発機『京』に続く機種で念願の世界のトップの座を射止めた。首がなくなった路傍の石仏にその時代を生きた人々の魂と土の匂いを感じる。今との時間差約150年、京から富岳に主役が変わるのが約10年。日進月歩の世の中は その座を守るは至難の業・・・・・
 今を生きる人々の息づかいや土の匂いに替わってコロナ禍の感染拡大の不安が蔓延する現実・・・・??? どうも頭の整理ができません。仏様のようにすましたお顔でいられるのは いつの日か?・・・煩悩即菩提・・・・にヒントがある気がします。(愚僧の夢は 果てしなく 見るは自由と諦める)
 
 どうも 際どい話が目立ちます。今朝の5時前、携帯から地震を知らせる緊急信号が鳴った。その時間はいつも起きている テレビをかけるとそのニュースだった。千葉沖が震源で津波の心配は無いと判ってホッとした。
 常に万が一という思いを持ちながら私達は生きています。我が家の猫は最近私と一緒に起き出すのが日課、今朝もそうでした。彼は音や揺れに敏感に反応する、揺れの瞬間、どこに行くのか知らないが走り出した。これって動物の本能なのでしょうね。 震度5弱、幸い被害は無かったようだ。昔は 地震が起きれば、どのように伝わっただろうか? 安政の大地震(1854年)は今から約170年前になる。その頃 日本各地で大地震が頻発している。 飢饉が起こり世の中が大混乱、大政奉還され江戸から明治となった。
 知らぬが仏と最近よく耳にするようになったレガシーというコトバに 違和感を感じてしまいます。レガシーの 本来の意味は過去に築かれた精神的・物理的遺跡のこと、それが近年、≪首相としてのレガシーをつくる・・・≫などと使われるものだから後世に業績として遺ることの意味になっている。
 知らぬが仏からは仄々感と安心感を感じるのだけれど レガシーという字には、何かの意図を感じ不安になる。とうとう私の受信機がオカシくなったのかもしれない~?

3419:海図 無きに等し?

 南ア南西端にある喜望峰は1488年に発見、翌年バスコダガマのインド航路の発見にいたる。今から約530年昔の事である。当時と航海術の進歩は比較にならない。GPSで常時 正確な位置を出し、目的地をセットすれば 船が故障しない限り目的地まで導いてくれる。 嘗ての望遠鏡で陸地を捜し天体を観測し風向きを上手く利用して航海するのは 船乗りの腕、その船に乗った者は一心同体、命を預けねばならなかった。
 今更との思いはあるが 国を船に例えて語られる。コロナ嵐によって 世界中が例外なしに 今まで経験しなかったような暴風雨に襲われてしまった。この一大事にあって 当然 船長の存在は大きい。穏やか天気なれば大海原の旅は今も昔も最高の贅沢かもしれない。2月3日に大型豪華客船(ダイヤモンド・プリンセス号)が横浜港に着いた。これがコロナ禍騒ぎの始まりだった。
 果たして”日本丸”は大丈夫だろうか? 嵐が収まる気配もなく 長く閉ざされた状況が続いているために 俄かに隠れていた問題が噴出し始めている。船長の能力と信頼度、それを支える乗組員、一旦結束が狂い始めれば造反や不祥事が表面化し防戦一方となる。乗り合わせた客には真実が知らされず 皆が疑心暗鬼になっている。そして 自分達だけはという自船主義(?)は無力という現実に突き当たった。
 先人から伝わったやっては成らぬルールをも変え、それに異を唱える者がいれば冷遇する。この状況は 当に 海図無きに等しい船旅と思えて仕様がない。 
 
 説明できない理由は何か? 国家秘密かそれとも他に恐れることがあるのか? 腑に落ちないことが多過ぎます。先人達が苦労して築いてきたものを 良いとこ取りして、自分がやったと自画自賛、ここに陰徳を積むという日本人が大切にしてきた生き様は影も形もない、逆に同じイントクでも隠匿が蔓延った。こうやって世を憂いてばかりはいられまい。現実は厳しい。
 EUの動きと日本を含めた東アジアの動きの違いがハッキリしてきた。戦後75年を経過しても 未だ戦争処理が終わっていない。その影響は 様々な未解決問題をより難しくしている。日本が良く比較されるのはEUでのドイツだ。象徴的だったのはベルリンの壁が壊され、その後の変化に今の東アジア圏は遠く及ばない。逆に昔に戻るかの如き関係の悪化? その大きな原因がトップ同士のいがみ合い?連携するという信頼関係がつくれない。
 お互いに相手の誹謗中傷ばかりでは 然もありなん!
 これを 海図無きに等しいと言うのではないでしょうか。今の職を辞すれば済む話ではないのだが 今までの様子からみて、その責任を取る覚悟は期待できそうもない。せめて真実を明らかにして欲しい。誰だって失敗はあるのだから・・・・。
 


3420:自粛の意味

 自粛を段階的に解除して 経済活動をすすめています。案の定 心配していたことは 東京を中心に現実化しています。感染者の数が徐々に増え それも20代~30代の年齢層が目立つ、・・・・・。
 不自由からやっと解放され 街に出て 人との交流が増えた証、恐らく 専門家達は こうなることはある程度想定していたはずです。その専門者会議の形態を変えることが突然発表された、医療だけでなく様々な分野からの専門委員で構成するという。国が奨める”接触通知アプリ”を早速スマホにインストールしようと思ったが どうも上手くできない。原因は私のスマホの容量不足、要は機種が古く 対応できないということで機種交換が必要と。早速 近くのドコモショップに相談、すると予約をしてから来てくださいと言われ、止めることにしました。何せ今ある機能され使えていない私には無用の長物ということだ。
 その時  PCR検査の数が予定した数に達しない今の日本のコロナ対策が浮かんだ。米国では一日の感染者数が4万人を超えたという、勿論陽性検査をした結果でしょうし中国ではPCR検査を一日で370万人実施できる体制を取ったという。(2週間で300万人検査済み)
中国と米国が経済大国ゆえにそれが可能なのかどうか?じゃ~日本はどうなの?ここにも政府のコロナ対策を疑ってしまう理由があると私は思う。それを決めるのが国会で 機能していない。その原因は選挙絡みの問題で実に判り難くなっていることもある。
 選挙で選ばれた者は 選挙民を裏切った行為をすれば 先ず職を辞し 法の裁きを受けるのが筋ではなかったのか。そこをなんと心得ているのか  疑わしきは 罰せず⇔黙して語らずも時と場合がある。 自粛の本来の意味は 自らの責任をどう果たすかですよ。
 ★自粛の『粛』は、ただす・いましめるという意味です。(漢字源:学研)
 
 
 緩和策は個人の責任で対応・・・・その見極めは難しい。特にコロナ感染については 一定のルールが有って無きようなもの、3密がいまどうなったいるでしょうか?
 経済を回すということに切り替わる、果たして 今まで 本当に経済は上手く回っていたのでしょうか? コロナ禍が発生する前から米中国間で貿易不均衡に対して制裁攻防がエスカレート、それは 前兆ではなかったのでしょうか?一部の企業:国や人に富が集中する今の仕組みは改善できたでしょうか?ホンネは改善でなく容認ですか?
 札幌の老舗ホテルが廃業することを発表した。場所は札幌のすすきのに在って評判の良かったホテル、このまま続けて負債倒産で無一文になるより その前に土地を処分し、従業員への退職金に回すことを選択した3代目社長。ホテルのHPを見ると 一枚の社長の挨拶文だけが載っている。
 トップの引き際のこの決断は凄いと思いました、長年共に働いた社員は どんな思いでいるだろうか。利他共生のこころ ここに在りと感じた。その仏教も変わらねばならない。(原点回帰:英訳back to the source) 

3421:生かされて・・

 こころを静めたいとの思いから、現実と対峙するが、身の置き場所を探しあぐねている。棚の奥にあった本を取り出し斜め読み。目に留まったコトバは”本来無一物”と”悟後の修行”、本の題は『十牛図』、処どころに赤線が引いてあり、いつ頃かは思い出せないが 自分が読んだ証だ。禅の悟りにいたる十のプロセスを人間と牛によって説いたものだった。
私達は 皆が疲れているように思います。コロナ禍が口火となったとも言えそうだが 本当は人間が大事にしなければならないことを蔑ろにしてきた当然の帰結で、その渦の中にスッポリと入ってしまい 身動きできない状況に瀕したようだ。本来無一物生かされてというコトバが現代人にとってどううつるか・・・・見性できんものが、まだ悟りを開けんものが妄想ばかりわかしておってどうするか(山田無文:P102)・・・容赦ない老師の言葉は何故か新鮮に感じる。悟後の修行の大事を説くのは 慢心への諫め、何も今に始まったものではない。 要は 着ぶくれの身では 誰だって生きづらくなるのは当たり前 もっと身を軽くしなさいと言われているのです。その事に気付き発想の転換ができるかどうか?私達は皆 試されている。もう一度、生かされていることを感じながら生きるということがどういうことか!考えて見ませんか。
 少し光がみえる気になるが 直ぐ元に戻ってしまう。それを承知の上で、行は生き方、むこうの世界に、真実と偽りの二つがあるわけでは無く、自分の心の持ち方次第で どうにでも変化すると説く。お月さんは泣いてもおらなければ笑ってもおらん・・・・と。川口慧海を師と仰ぎ出家した無文和尚、今の世をどう感じているか 世を去って33年が過ぎた。
 
 
 どのような仕事(生業)でも大変なことは同じですよ・・・・ロシアの教会の修復を長年続けている職人さんが語っていた。(NHKテレビ) 織田信長によって比叡山が焼かれた当時の話を偶然に同じ日に放送された、長い歴史の中で何度か破壊が繰り返され、それを修復しながら今に到ったものは、勿論 必要とする人がいたからです。 モノの使い捨てが増え 人々の生き方にも大きく影響したと思います。モノを大切に使う気持ちが薄くなり捨てられるゴミは地球環境の問題にまでなってしまった。限りある資源を使い果たし、それでも満足せず収奪してまで 獲ようとした。それらの過ちを止めなかった
 宗教は違っても共通するのは それぞれに信仰心があること。私は真言宗の僧侶です、父の生まれた愛知県の家は浄土真宗の門徒、母の実家は曹洞宗。 父は縁があり真言宗の寺に入り住職をしていて結婚した。今の私は宗祖のことを知れば知るほどこうなるのは自然だと思うようになりました。”一隅を照らす”は天台宗の開祖最澄が唱えた教え(生き方)、その根本は法華経にある。真言宗でも同じ経を唱えている。(観音経)仏教そのものは元は同じ。全ての宗教に共通する考えは 一人ひとりの大切な命をどう生きるかということです。当に今、その時期到来と考えるべきだと私は思います、貴方は如何でしょうか?
 
 

3422:遍路

 何を当たり前と思うか?人生を遍路に置き換えて、語られる。遍は”あまねく”という意味、遍路遍照というコトバに使われる。真言と天台、日本を代表する仏教、高野山と比叡山を本山と仰ぎ開祖空海と最澄、二人共に第18次遣唐使で中国に仏教を学ぶために渡った。1200年以上前のことになる。大嵐に遭い お二人が日本に戻ってこれたのは奇跡と言われた。
 一隅を照らすと遍照の言葉から お二人の関係に宿命的な繋がりを感じる。
 明暗と光と影・・・・・対照的。自由と不自由は 心の持ち方次第で変わり得る。当たり前は当たり前でなくなって 初めて気付くこと。その究極は生死の境・・・。
 最低限の荷を担ぎ 編み笠と杖で歩く遍路、誰が考えたのか知らないが、自分を見つめるために丁度良い。一億総活躍・・・・どこかで聞いたような話、それもコロナ禍によって片隅に追いやられたか? むしろ、一億総遍路を奨めたいのでは。これも 出来る人ばかりではない、路を人生と考えれば 誰もが現に行っていることになる。それを心の持ち方次第だと観じることはできるかどうか。邪魔するものが多い。
 障害と老人、突き詰めていけば 必ずどこかで思いが交差する。当たり前にできたことができなくなること、それが判るのは ご自分がそうなって初めて判る。だから”当たり前”って 一体どういうことか ”障り”それとも”with”?よく考えて見ようじゃありませんか・・・・・・。
 
 
 挙国一致は どうも難しい。ズルする人が必ずいるからな・・・・・!これも仏・神のみぞ知る・・でしょうか? 祈願成就・・・・どうしてもそうありたいと願う時 人は神仏を拝んできた。求不得苦(ぐふとっく)は仏教を学ぶ者にとって 入門編で基本の教え。求めても得ることができない苦しみ・・・・私は何か起こるといつも その言葉(愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦  五陰盛苦)が頭に浮かぶ。だが 今回のコロナ騒動は趣が大分違う。 2波~3波は何故起こるか?専門的な理由は判らないけれど、誰も考えて見れば想像つくのでは?、地球は丸く 自転する。その動きと大気は微妙に違う。感染が下火になってもいずれまた感染拡大は起こるはず、この世にウイルスが無くならず現に進化しながらも生き続けるとすれば どうしても防げまい。これが人間の歴史?
 更に 厄介なのは グローバル化の世になって地球が小さくなったこと、それが 感染拡大を加速させている。
 ならば どうする? ワクチンや治療薬の開発を急げ! でも昨今の一国主義の拡大は 人類が試されているとみるべきだ! 経済最優先の考えも 然り。全てを経済に結びつける今の動きは どこかで考えを変えねば それが新たな火種になるリスクを秘めている。進歩と退歩、行きつ戻りつ、
  私達は今後もコロナ以外の様々な攻撃を受けることになるだろう?いや 違う もう受けている。 長年かけ 築いてきた今の有り様を 変えるとなれば 相応の時間と労力が必要になるはずだ。だが それを導く人が出ない。目先の事を 国民投票でどうのこうの言うけれど地球そのものがどうなるか それが問われている。 どうも これから先も見果てぬ夢で在り続けていくのかもしれぬ。遍く あまねく アマネク・・・・。

3423:踏ん張れ!

 現実を直視せよ。米国の一日の感染者数が5万人を超えた。同日 日本は250人の感染者を出した。その内東京が約5割、首都圏を加えると7割強となっています。20代~30代の若い人の感染数が第1波と明らかに違う。米国の人口は日本の2.5倍で約3億3千万人、一日の感染数は200倍、数字だけを見れば大きな差だ。だが、これから先は誰も分からない。一日に5万人の検査結果が出せる国と、今もって検査数が思うように増えない日本、WHOが日本のコロナ対策でこの数で封じ込めているのは奇跡だと評していると。現実は挙国一致どころか ここにきてチグハグ差が目立つ 訝しい。首都東京は連日感染数が増加している、その最中、なんと都知事選を、それも立候補者が前代未聞の多さで実施する。こんな国ありますか?
 中央と地方、有事の際には 当然 政府が軸になって対応するのは原則でしょう。地方分権?
 結局 一人ひとりが踏ん張るしかないのです。これは未来永劫不変の真理、 忘れぬよう確と肝に銘じて置くことをお勧めしたい。
” 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 ”
 
 冷静沈着は 先ずは自分から・・・・・。ネットを通じ連日 臨場感ある動画が配信されてくる。医療や介護等 人の命を預かる現場はどうだろうか?  昨日は九州での大雨被害、孤立し救援を待つ人達を上空から救援する自衛隊員、命を守る人が命がけで必死に任務を続ける。まるで戦争のようだと私の友人(介護事業所の責任者)がメールをくれた。私達は 普段から利用者の皆さんの健康に注意しながら仕事をしている。スタッフに家族が有り、感染させてはならないという不安は増すばかり それに耐えている。 今までに経験したことがない現実と対峙していると思っている。
 ひょっとしたら私達より利用者の皆さんのほうが冷静沈着かも知れません。正直 彼らの普段と変わらない姿に勇気を頂いています。
 

3424:最前線

 九州は常に台風上陸の最前線にあたってしまいます、容赦なく 大雨を各地に降らせ、河川の氾濫、土砂崩れ、暴風により多くの被害を齎す。1週間前に中国で三峡ダムの決壊を危うくするような大雨が降った。その様子がニュースで流れた。事前に警報をならし注意を呼びかけているが、近年はそれを上回る猛威に苦しめられる。
 舗装がすすみ浸透力を無くした地表は 水を集め 堤を遥かに凌ぐ水量に短時間に達する。この間、日本の年間総雨量はどのように変化してきたのだろうか?恐らく地域差はあっても減ってはいないはず、それも特定の地域に降る雨(線状降水帯)は毎年増加している。勿論その対策は行っているだろうが、どうも後手後手の対応で そのたびに被害が出ているのです。
 根本的な解決策ではなく 一時凌ぎの方法では耐えることはできません。日本の河川は人間の血管と同様に動脈硬化をおこし 血流が悪くなった状況なのです。
社会的経済活動と自粛のバランスをどうするか その見極めは?・・ 沈思黙考 ・・ 最近はテレビで東京の夜景が出た瞬間に、体が反応するようになった。明らかに首都東京が動脈硬化を起し、それも末期症状だ。高層化するビルの背比べ、不夜城の如く煌々と灯る夜景を豊かさの証と勘違う、どこか間違っていると思いませんか?
 利権を最優先するような経済政策は 決して人間を幸せにはしない。暴飲暴食と胃薬を併用するような生活にしか 思えません。働き方改革は 何も在宅でやるかどうかじゃない、日本全体でテレワークできる割合は何%? もっと核心をつく論議をしないと 私達は次の世代に何を伝え遺しますか・・・・・。
 
 気が付けば 日本中が 皆 同じ・・・・・言い方を変えれば”怪奇現象”。なんでも在りという理念なき成長(?)を後押し続けた結果、修正不能状態に陥った。余りにも悲観的で問題を矮小化した考えでしょうか?
カントやヘーゲルの難しい話を引き出すことなど本意ではない。私にはできませんから・・・・。それよりも周りに多くの師がいる。 言葉じゃなく文字じゃなくAIでもない人達、見栄や外聞に振り回されることもなく 慢心もなく自然体でいる人達・・・。彼らの表情は本物です
 コロナ騒動にも悠然として いつもと変わりなく過ごしている。現代社会の中で先進国&トップランナーを自任する人達 自分達が創り出したモノ、それも溢れんばかりのモノに押しつぶされながら、止めることはせずそのまま放置してきた。次々に付加価値を見つけ、その対価を獲る事に血眼になり、終には人間同士の殺戮を続けてきた。
 コロナ禍は その現象の一つ、これで目が覚めれば被害は少ない?逆に それを私利私欲に利用しようとする輩が出る。ここに病巣をみる。不安が蔓延し、その不安を一時的に和らげるのは享楽に耽ることという筋道を思い付き それをも換金の対象とした。
 この流れに警鐘を鳴らしたのが糸賀先生が命がけで説いた≪この子らを 世の光に≫だったと私は思っている。”光”が どういうものなのか 先ずは、それを一緒になって 考えることではないでしょうか!

3425:試練

 自然災害は増加の一途、地球上全体に及んでいる、 今 九州はその真っ只中、日本列島を線状に覆った積乱雲は次々に発生し停滞、集中して大雨を降らす。3年前に経験した九州北部豪雨も今回と同じメカニズム、半日に500ミリの大雨は、日本の無数にある大小河川を一気に飲み込む力が有る。被災された人達が壊れた家や道路、農業用ハウスを必死になって復旧しこれからという時に 再び大雨が襲った。散々たる姿に立ち尽くし・・≪これは試練なんでしょうか?どうしてこうなるのか 途方にくれている ・・・≫と語った。
 今回 3年前と違うのは 避難指示が出て避難先に行くことを躊躇する方が多いこと。それはコロナ感染への不安があるからだ。 もし これらの原因が地球温暖化だとしたら、日本が置かれた立場は微妙としか言えない。国の役割、この先どう進めば良いのか?を明確に国民に示す責任があるはずだ。実態は何かに遠慮し 遠回しにしか言えない? ≪この難局に全力で取り組みたい≫という いつものワンパターンの会見を聴くのは実に空しい。最早 先頭にたって変えようとする覚悟と実行力を感じない。
 試練は決して被災された方だけでは無い。ハッキリ言えば この国の政治の姿、政党助成金を含む経費、政治家の数は半分でも多い、もういい加減にしろよ!と言いたい。選挙絡みで収監されている夫婦議員の方も有権者が選んだから・・・ ボーナスを支給!!!どれだけ国民の血税を浪費すればこの人たちは済むのか?理性という冷静な判断力が欠落していると思えて仕様がない。自分が当選さえできれば それで良いのか よく考えるべきだ。
 これらを含め 試練というのであれば 被災された人達に対し余りにも常軌を逸した無慈悲な仕打ちとなりませんか。今 自分の地盤(広島県)で何が起こっているのか これだって知らないとは言えんでしょう。
 
 自己弁護する気は毛頭ない。この状況で 内部からそれを正そうとする動きが見えない事に対する苛立ちである。戦後、民主主義を選択し、多くの国民が新しい時代を築こうと一致団結した。その功あって 復興を果たし今の日本になったのは史実、それを どうしたことか 自分が自分がという自己アピールばかりとなっている。2世3世の議員が全てではないと思うが、先代の地盤を何の苦労もなく引き継ぎ永田町の一等地に専用の事務所を持ち、いつの間に”先生”と呼ばれることになる。この辺からだろうか 道を踏み外したのは。正直いって優遇し過ぎなのです、ホンネとタテマエを使い分け、天井無き利権の攻防、何がどうなっているのか自分で判らなくなっている。ここに国民不在の最大の事由がある。清貧や陰徳は死語と化したか!
 何か問題が起きると知らぬ、存ぜぬ、秘書が行ったことだからと自己弁護。
 政治を志す人、昔ば私財を投じ、国の為に身を捧げた人が尊ばれた。それが いつの間に 全くといって程 消え失せ、逆にそのタイプの人間は ”変わり者”と陰口をされて 仲間外れ。これが 果たして 平和な国の理想の姿なのだろうか?
 試練とは・・・信仰‣決心などの強さを厳しく試すこと(大辞林)・・・・・なそうです。 

3426:地表展望

 蟻の地表からの眺めはどのように見えるのだろうか? 雨が降るのは時節柄仕方がないとして その中で蟻たちはどうしているのだろう 恐らく人間には想像できない方法で自分達の命を守ろうとするに違いない。木に登るのか それとも建物の中に避難するのか  それとも、蟻の巣は 大雨にさえ耐えられる堅固な要塞なのかも知れない。
 床に落とした食べ物(トウモロコシの粒)にまるでマリモのような黒い塊、それが無数の蟻だった。列をなして どこからか集まってくる。言葉や文字はなくて一糸乱れず蟻は互いにどうやって認識し合うのだろう??? 自然界には未知のことばっかりだ。
 私達は科学の万能を信じ、勝者たらんと生きてきた生き物だ。
 ・・・・万能足りて一心足らず・・・・これは あらゆる事に熟達しているけれど心にまことが欠けていることをいった。誠心誠意・・・私利私欲が無く偽りのない気持ち。成るほどな~る程!仏教では”清心”という語を良く使いますが、 どうでしょう?
 相手の為と言っても 私利私欲があれば 一心無しとなる。そりゃ~無理だ、高嶺の華だわな・・・と。
 火力発電技術の輸出で日本の企業は世界に貢献(?)してきた。けれど 二酸化炭素排出規制の中で批判の的となっている。環境大臣が そこに待ったをかけたとか言う話が新聞の片隅に紹介されていた。国がその類の企業への助成金を止めるとか??? 
 自由主義経済の中での暴走は 動き始めてしまうと法律の枠内で止めることが難しい。ODAや様々な民間による援助事業も然り 常に変化している。方や 領収書も必要としない支出を許す○○交付金は不変。表と裏 既に透明度は全く無く闇の中。これに 一斉に寡黙になる業界人(?)はオカシイと思わないようだ???これも地表展望の一コマ。蟻がどう思うか?
 
 ついでだから いま気になること。『接触確認アプリ』を厚労省HPでみると、Q&Aがあり、細かに解説されています。このアプリを導入する理由の説明から インストールの方法へ! だが導入を決定し登録を始めてから今までに どれくらいの方が利用したのだろうか? その実数はどこかに有るのかもしれないが 見つけられなかった。メデアからは 感染者からの登録がたった3名ということやアプリの不具合続出という・・・マイナスの情報ばかり、我々にとって突然湧いてきたような話で、直ぐに近所のスマホショップに行ってインストールの相談したのでした ・・・・店内の客はまばらだったにもかかわらず時間予約してからお願いします・・・・と言われてしまった。ネットで調べると どうも インストールができる機種ではないようで 新しく買わなければできないことが判った。正直 あれから行っていない。何かがオカシイ。そう思ったのです。
  ついでにもう一つ。厚労省のHPの説明を見て、即、判る人は少ないと思った。書かれている内容は 横文字が結構あり その意味が良く判らないこと、インターネットに詳しい人ならば 容易に判るのかもしれないが 最も必要な我々年寄にとって 解説書の意味が理解できない。
 国が税金を使って導入するならば その辺の配慮があってしかるべきだと思ったのです。
 さらに 肝心な疑問は、感染者の登録が3名しかいない(最初の時点)ということ PRの徹底がされていないこともあるでしょうが 一番は 個人情報を本当に守れるのかという不信感だと思うのです。これは いくらPRしても 簡単に変わりません、貴方たちが今までにやってきた様々な前例を簡単にご破算できないって事じゃないのでしょうか! それが国民のホンネと判らない人達が 智慧を出し合っても  ・・・・・。????。
 五感をもって 地表展望せよという蟻からのメッセージ。 

3427:和を以って

 公助・自助を補うは共助、日本人の精神風土はDNAとなって老から若へ受け継がれ、いざという時の原動力となってきたと思います。線状降水帯が停滞し、各地に大雨を齎しています。コロナ感染への対応も考えながら復旧作業を続けている方達に心から敬意を表したい。ボランテイア活動を自ら進んで行う人がいれば 夜の街に繰り出して コロナの罹患率を上昇させている人もいる。自由か規制か 今何を大切にすべきか?私は後一カ月で70才になる。基礎疾患も持っているから重症化するリスクが高いと言われている。外食もパタリとしなくなり、早寝早起き、適度な運動は草刈り、前向き思考、マスク着用・・・・・やれることは自己責任でと思っています。
 それだって 感染しない保証はありません。じゃ~ 何やっても良いのか! それは出来ません。
 今の状況が 果たして元のようになるのでしょうか? 
聖徳太子が17条憲法の第1条に「和を以って貴しとなす」をあげた。和をもっとも大切にしなさいという戒め、そこには お互いが議論しながら 良きものを導き出すという意味があると言われています。
 元の形がどうであったか?はどの時点に戻るかです。聖徳太子は今から1400年前の話です。令和の時代、憲法の改正をはかるというのであれば、和と議論、これが条件になるでしょう!和は専制でなく、一部の人達が考えたものが 独り歩きし、良い方向に向かう確率は 適わぬ夢となり易く 寧ろ危険です。日本人の心の中に ある 和を大切にが 相手選びに選り好みがあってはどうなんでしょう。
 有事には 今まで見えなかったことが明らかになるということだったと思います。(四諦・八正道)
 英訳では・・・・Harmony is to be valued・・・・
 
 一国主義の考え方で和(ハーモニー)は どのように奏でるのでしょうか?不協和音を巧みに操る作曲家もいるかもしれない。 時と場所を弁えないと想定外の悪影響を他に及ぼす。交渉事、相手を褒め、脅し、あらゆる方法を使って自分の利に適うように財を増やす・・・・国際化時代の申し子?ただ、この方法で外交をされては どうなのか?  今 地球全土で自然との共生が望まれている。海川山だけでなく生を受けた万物全てもが自然に入ることを思い出して。それを弁え今までの生活形態を変え いかに自然と調和していくか が今世紀最大のテーマだ。遅すぎた感は否めない。 それが 忠犬〇公よろしく ・・・・長いものに巻かれろではな~ 後の人が困るでしょう。
 赤い手ぬぐい頭に被り、御年80のボランテアおじさん、いま大分県にいるらしい。自分の車に寝泊まりし自炊生活 ”今から行きます”と誰に話すことも無く 気付けば スコップをもって復旧現場、・・・この方の生き方に自分達が忘れていたモノをハッと気付かされた人は多いと思います。自徳を讃じる事も無く 只管 感謝と報恩の実践道、実に判りやすい。
 世の為 人の為には 自分から言ってはダメなんです (不協和音) 赤い手ぬぐいのおじさんは 人生実学から学び身に付けたものなんだろう~な。自然体だものな~!

3428:芽生え

落穂を拾うように 捜せば芽生えを発見できる。あのタスマニアの原生林では現在も森が再生を繰り返している 何億年という悠久の時間 種を繋いできた動植物が共生する。大木が倒れ、自らに苔をはやし、それを栄養分に変え 後に続く植物を育む環境の一部となる。誰から言われたことでもなく 自らの役割を果たしてきた。タスマニアに入る時には 港で靴底の厳重なチェックを受ける。これは 外から入るもののルールだ。
 自然のルールから人間は多くの事を学び、今に至ったことを忘れてはいないはずだ。 
 毎年 記録を更新し続けている自然の猛威は これからも ずっと 更新し続けていくのでしょうか? 激甚災害を 克服出来ると思ったならば その瞬間、間違った道に迷うことになるような気がする。人智をいくら駆使しても 自然相手に勝者には成り得ないからだ。
 その証は 人間は自分たちが作ったルールを簡単に変えてしまうからです。そのことを諦め 慣れてしまうと 核心を見失う。 自然はそれをしない。
  そして 私達は自分たち考え出したルールを言い訳に使い始めた。それを持ち出したり引っ込めたりを繰り返す。
 有りの儘が良いと言うが その有りの儘の姿がどういうことなのか 判らない。まさに 袋小路という状況だ。そのことにやっと気付き始めたという意味で”温和謙譲の芽生え”なのではないでしょうか。
 
 
 今の状況を どう捉えれば良いのでしょう? 世界中が揺らいでいると思います。日本も例外ではない、誰が責任をもってこの難局に対処するか! 政府側の対応で気になることがある。最近の官房長官のコメントで・・・・という話です・・・という表現を何度も聴いた。正直、 自信の無さを感じてしまいました。どこの誰から聴いた話ですか?という疑問がおこる。平時でなく有事に・・・・という話では 国民誰もが不安になりませんか。
 一枚岩でないのか??そんな憶測が増してくる。
 船長が居ないのであれば 船は難破してしまうでしょう。GO TO キャンペーン…相変わらず ネーミングだけが突出しているが  問題は そこじゃない 。
 自粛解除の時に感染防止対策のルールを業界毎に課し、それを周知させると説明した。 それを果たさないでクラスター感染を起した店があるとすれば 休業命令を出すべきではないのか。方や、積極的に感染患者を受け入れた医療機関が その為に 赤字が出て経営が難しくなっているという。そうなった時にどうするのですか!医療従事者への給与をカットするような事態にならぬよう 国は補償すべきではないでしょうか!
 今回は 重症者の数が第1波と比べて違うという説明があった。 ハイそうですかとは言えない? メリハリの無い自粛と緩和は さらなる混乱の温床となりやすい。
 

3429:一条の光

光は閃光花火であってはならない。例え一条であっても 光る先には希望がなければ 瞬(まばた)きと同じだ。
 無限の光が無いことは 誰も知っている。科学の進歩は 自然の動きとは同調しない。人間だけのもつ価値観で 表と裏を上手く使っている間は科学は万能と囃し立て、新たな発想で自分達の思いに適うものを生み出した。それがいつの日か問題を隠し、後を考えず、最初から,処理方法もなく 溢れんばかりのモノづくりを奨め、その内に飽きられて捨ててきた。未来志向も一方通行では片手落ち、今頃気付いたふりしても、時 既に遅い。人間の良心(常識)が落ちる所まで落ちて 大切なものまで失って それを認めない。有る有る有るが無い無い無いといつの間にかなってどこをどうすれば良いのか判らない。
 光は 闇を明るくする。それと生き物にとって欠かせない酸素をつくる(光合成)。これだって 無制限ではないこと位 誰だって知っている。
 光が 照らすのは 不変の大事 耐え忍ぶことと有り難さの道‥‥先哲の教えを出すこともなく 今こそ その明かりで歩く時だと思います。

 危うさ
 
 車で通り過ぎ、目に留まったのは上の写真のゴミだった、某コンビニの袋が破かれ、中のゴミが散らかっていた。その袋には 環境に優しく再生可能と印刷されてあった。コロナ騒ぎも突き詰めれば これとの共通点も見えてくる。この不可解なズレが現代社会を象徴していないだろうか。誰が何がどうのこうのと犯人捜しをしても また新たなズレが生まれるのは避けれまい。
 全てをリセットできて 不要か必要かを判断し選別できれば そのほうがずっと手っ取り早いのだが 人間はそんな単純ではない。寿命があって、その間に人は学び育ち今がある。義務と権利、悪と善・・・などリセットするならば 話は別だが、釈尊が生老病死 4つの苦を挙げた最大の指標がここにあると私は思っている。ここで私達が今できるのは考えているより 先ず ゴミを拾うことではないだろうか! 終わりなく目立たぬことの中に価値を見出し 足元での出来る事から実践することだ。そうすれば 全てをリセットすることより現実的で判りやすいと思うのです。

3430:生きる

 住職になって 一番嫌だったのは 亡くなった人に会わなければならない事でした。坊主が何たることか!とお叱りを受けるでしょう。 偽らざる私の気持ちでした。法臈を重ねるうちに随分変わりました。慣れでしょうか? 
 遺影写真は近親者の方が選び引き伸ばしたものが飾られます。昔は 正装し威儀を正した修整した写真が多かった。これも大分変ったように思います。いつの頃からか  短い時間ですが故人の写真を見ながら話すようになりました。前は弔問客側に向きを変え話をしていました。
 コロナ禍の後は 葬儀の形が随分変わるだろうと言われています。
 どう変わるかは 判りません。ただ 変わらないこともあるでしょう。それは 別れを悼む思いです。身内に取っては 沢山の思い出があるでしょう。
   いずれ自分が逝って再び会えるんだ・・・・・。そう信じるか否かは 勝手です。生老病死は 縦軸の時間ではないと思います。人の記憶の深層にそれが遺ると思う。
 いずれにしても 自分の奥深くにある”楔(くさび)”を抜くことはどうなのでしょうか。生きるということは つまるところ、その楔を自分で確かめることなんだろう・・・・と思いますが如何でしょうか。
 ☆慈悲=抜苦与楽。☆=限りなく深くいつくしむこと。
 
 
 私がゴミに拘るのは 一番判りやすい事と思うからです。夕方 なるべく 近所を歩くようにしています。近頃は嫌らしいでしょう!小さなゴミ袋を持ってですから。30分程歩くと ゴミは袋一杯になるんですよ。
 途中 スレ違う 手を大きく振って歩いている人や道を左右ジグザクに歩く人、ワンちゃんとお話しながらの人と様々です。その人達からすれば 迷惑千万、何か拾いながら歩いている変なオジサンと映っている。。。。目に入らないようです。何せ自己陶酔状態ですからね。
 ゴミを捨てる人の深層心理???? また始まったかでしょう、これ一種の私の病ですから 諦めて下さい。   何かの不満か反発心から ゴミを捨てるんでしょうかねエ~。違うようです。罪悪心も無く、無意識に捨てている感じですよ。 見つけたらペナルテイを課すという法律を作ったら変わるでしょうか?ダメだと思います。見えないように捨てますよ。
 一体 何がそうさせているのでしょう? おそらく 自分だけ捨てても大したことではないという思いから? いや違うな それも無いんだろうね。。。。。
 ☆ 被災地の仮置き場に集められたゴミ(?)、その大部分は 大切に今まで使われていたモノ。