源究193

  

NO  テーマ  月日   NO   テーマ  月日  NO   テーマ   月日   NO  テーマ  月日 
 3371  つもり違い  2/24  3376  乱高下  3/13  3381  正念場 3/26  3386  腰を据えて  4/11
 3372  噂めぐり 2/29  3377  冷静に  3/15  3382  摂理  3/28  3387  ぬくもり  4/13
 3373  鼓動  3/3  3378  いま出来る事  3/17  3383  現実  3/30  3388  希望  4/15
 3374  変容  3/6  3379  現代の弱点  3/19  3384  忍耐  4/3  3389  真・善・美  4/18
 3375  ルーツ 3/10  3380  通過点  3/22  3385  ともに  4/7  3390 無智と横柄  4/20

3371:つもり違い

 2500年前に人は いろんな顔をもつと言った方がおりました。誰も思い当たる節はありますよ。感情の趣くままに振舞って周りから不信を招く人、逆に ホンネを言わず閉じこもる人等々・・・様々です。これって今も昔と何ら変わっていないと思います。
「つもり違い10か条」というものがあります。お寺に貼ってあり、来られた方がそれに気付いて尋ねられたことが何度かあります。最近はスマホで写していく方も見かけました。
 一方向からでなく 反対の方向より考えてみると 普段気が付かなく過ごしてしまうことで ”ちょっと待てよ!”と改めて自分自身を見つめることになるのかもしれません。情報操作やフェイク ニュースという聴き慣れない言葉は情報を発信する側の何らかの意図を感じます。そして”真実が何か”、このことが実に分かり難い世の中になっていませんか。膨大な量の情報の中から実と虚を見極めることは自己責任、ですから 国の内外を問わず、最近の訴訟事案の急増や手続きなどの複雑さが目立ちます。
 いずれ 今回の感染騒ぎについても、船主(イギリス)・運営会社(アメリカ)・寄港地(日本)・・・どこが責任を取るのか問題が問われることでしょう。乗船客の国籍も50ケ国以上のようですから 問題解決は大変な作業になるのは避けられない。問題が落ち着いて、その検証がなされ、これからどのようになるか、モノや人の交流がここまで多くなれば船旅だけの問題ではないのです。地球は丸い、だから世界のどこかで一年を通して起こるのは避けられない。
 仏教の基本の教えは、着過ぎた服を 脱ぎ捨てる生き方だと私は理解しています。残念ながら 時流は真逆の方向に向かって加速しているように思います。世の常として難しい話は門戸を閉ざされ中に入れてもらえない。ですから、ダマされたと思って『つもり違い10か条』なるものを一度覗いていただいては如何でしょう。 
 
 さて、10か条の中で思い当たる節は誰にもありますよ。私は敢えて二つ挙げるとすれば、④浅いつもりで 深いのが欲望、⑩少ないつもりで 多いのが無駄ですね。まさにこれこそが仏教の考えなのです。
 良い塩梅と言いますが、丁度良い状態を見定めるのが難しい。知識偏重で智慧が劣化した現代人(?)には 正解を望むことは所詮無理かもしれない。そこでAIなるものを考えた、これってどうなんだろう?その判断はできない。ならば自然に審判を委ねるしか無いでしょう、「お前たちは〇か×だ!」 実はずっと前から自然は答えを出しています。なんとま~×判定が増えているのが判りますよ。自然の審判ほど公正なものは無い、人間社会では やれ 忖度だ いや違う、 赤だ黒だと目の色変えて これって意味のない時間の浪費=無駄なんだよ。・・・白上げて 赤上げないで 白上げない・・・・こんな風に言うだけ言って 誰も責任は取らない、実にいい加減なものです。怖いのは そのような環境に長くいるとですね 思考力が凝り固まってしまうことです。
 1492年、新大陸を発見したコロンブスが最初にたどり着いた所は現在のバハマ諸島で、コロンブスはそこがインドだと思っていたそうですね(つもり違い)。大航海時代には地球が丸いというのは知っていたようですが確証がない、ですから地球の大きさは実際より大分小さく考えていた節があるとか。グーグルとかAmazonはその頃無かったもんな~。でも この先はわからない。
 
 
 不安と似ていて全く違うのが畏敬の念でしょう、畏敬は心からおそれ敬うこと、不安にはその敬う気持ちは有りません 逆に避けようとする。私達は自然への畏敬の念を持つことを怠り 自分達の利益ばかりを考えてきたんじゃ~ないのかな~。。
 現代社会をより難しくしているのは人間が考えた義務と権利に明確な線引きがなされず その解釈が個々に任され、結果はなんでも有りの状況になっていることに起因する。
 直近での最大の不安材料は新型コロナウイルスの感染拡大でWHOはパンデミックの状態ではないと考えているようです。 モノとヒト、情報のグローバル化社会を推奨し、自国経済が最優先だと謂わんばかりの趨向の中、今回の感染問題が起こった。勿論 これは予め想定できたことだろうが、実体が見えない敵は大雨による河川の氾濫と同じでドンドン押し寄せてくるから防ぐことは困難だ。 世界中を巻き込んだ米中二大国による貿易戦争、その最中に今の騒ぎが起こったのは、もしかして人間の力を超える何か大きな力(業)が働いているようにしか考えられません。
 一連の動きから確実なことは その影響を受けるのは 今回もまた社会的弱者と言われる人たちだろうか?違いますよ 総浚いと言っても良い状況で今後も止むことは無く繰り返されることでしょう。ですから、愚かにも利得絡みで争っている場合じゃなく世界全体で統一した行動をとるしかこの非常事態を切り抜ける方法はない。分らなければ教えてあげねばならず。情けないことにです。
 

3372:噂めぐり

 様々な形で噂が広がる。確たる根拠があるのか無いのかにかかわらず独り歩きが増えました、噂をすれば影がさすとは良く言ったもので自戒を促す教え(?)があった。・・・・が 昔と今は随分変わった。SNSなる便利なものを使えば 瞬くままに噂は広がって、打ち消すにも影が無い。めぐりにもいろいろありまして、遍路や巡礼は信仰と結びつく、一方の噂にはそれが無い、その代わり誹謗中傷や戯評のお土産付き、貰ったところで持ちきれない、お礼と思えばどこの誰かはほっかぶり、これが現実とポスト・モダニズム。いやはや 面倒な時代になりましたよ。時間は巡るものである。
 自己反省として あまりにも愚痴多くなり、敷居ばかりが高くなり 人離れの感がする。これを 堂々巡りと言うものか!この原因に思い当たる節があり、歳相応に体を壊し、仕事を減らしたまでは良かった。少々時間が増えたばっかしに、その分考えることが増えました。すると頭の中は答えの無いことで堂々巡り、冷静に考えて 我が儘なんですよ、ムニャmニャ・・・・そういう事に成りにけり。(自業自得) 
 
 
 近代・高速・加速・合理・グローバル等々に”化”をつける・・・・これにポストを付ければ脱〇〇、良かれと信じやってきたら そこは得体の知れない場所でした、元に戻ろうとしても目印になるものが無い。現代社会の病巣を象徴していないだろうか!
 私の小さな体験談 今から50年前、越後三山から入山し、尾瀬に抜ける稜線をヤブこきした時のことです。背丈以上に伸びたヤブを整備された山道(平ケ岳・巻機山)を登らず 地図上の最短距離を稜線伝いに踏破する、今 考えるとバカなことをやったもんだと思うのだが 当時 GPSなど便利なものなどなく、地図とコンパスのみが頼り、それと 所々につけてある朽ちた赤いテープ。。。。
 自分達の居る場所が判らなくなり、 木に登り 周囲を見回したら、なんと眼下に 尾瀬ケ原が見えたのです。色とりどりの服をきて 遊歩道を楽しそうにハイキングする人たち、『やったー! 』 その時の感動はいままで経験したことが無かった。
その時は下級生を連れての山行、責任も重く 正直焦った。勇んで下り、視界が開けた場所にでると目の前に川幅3メートルほどの清流に出くわした。渡渉できる考えた、リュックを置いて川に入ると思ったより深く、川の流れも速かった。危なく 流される所、メンバーに手を引っ張ってもらい岸にもどれた。
 全員で渡れる場所をさがしたら100メートルほど上流に川幅が狭くなった場所が見つかった。
 
 悔やみが続く、最近は葬儀より通夜の参列者が多くなった。2月に入って 状況が一変したことがある。先日の通夜で参列者の8割以上の人がマスクをつけていた。住職がマスクして読経というのもどうかと思うから 私はしない。
 日本人は 今も大切に保管しているもので香典帳があります。自分の家の葬儀に来てくれた方を調べ、同額の香典をつつむ。この風習も段々減ってきたようだが、頑なにそれを守る人もいる。
 黒服の装いでズラリとマスクした人たちが前を向いてジッとして座っている光景は 正直異様だ。誰かが咳払いでもするものならば 一斉にその方向に顔が向く。終われば さあ~と解散し、忌中払いに寄る人も減った。
 今の状況が長引けば 家族葬が今より増えることだろう。さすれば これだけ増えた葬祭業者は頭を抱えることになる。めぐりめぐって我が身に来るものである。
 

3373:鼓動

 
 2020/3/1
 寂静か鼓動か、解体現場に毎日顔を出さないと落ち着かない。私にとっては葛藤の歩みなのです。小高い雑木山の造成から始めた、ダンプで土をつくば万博造成地に運ぶ、事業の申請と建築を同時進行で進めた。今ならば 不備な書類を突き返されても仕方がないものを 必死に担当者に説明し、どうにか開所期限までに間に合わせたが 結果として更に定員増10名を追加することになり一年延びた。思い出を一杯に詰めた建物も40年が経過し、東日本大震災後の耐震化事業で4年前に他の場所に新築移転した、今まで元の建物が壊せずに4年間置かれていた。難しい解体の許可をどうにかクリアーし2月、5社の入札で業者を決め、解体作業が漸く始まった。
 寂静は煩悩を離れ、苦しみを滅し、真理に達した涅槃の境地と説かれる。一方 鼓動は内にひそむものが活力を得て動き出すことだ。終わりの無い葛藤を支え元気を貰ったのは、あどけない、邪心無き人達の生き様だった。
 いま世界中が感染拡大の不安の中にスッポリと入ってしまったような気がする。テレワークとか一斉休校など・・・感染拡大を防ぐため・・・この方法を否定している訳ではない。寧ろ遅すぎた位だと感じる。でも 世の中には その網でも救えない人たちがいることを忘れないで欲しい。この際、良く考えてみるべきだ。いま起こっていることは全てが他人事ではなく自らの問題なのですから。。。。。。。 
 
 結果には原因がある、個々の問題から地球規模の問題までの相通ずる筋道、これを考えるヒントに密教の観法があると私は思うのです。それは”入我我入(にゅうががにゅう)”、身口意の三つの働きが自分と仏と一体になること、そこから見えてくるものが”共生”&”安心”それと”不安”&”争い”で、深層に存在する相反する要因である。
 例えば大量生産⇔大量消費、今もって それから脱皮できない事由がこの国に蔓延ってしまった。これには 貪欲に合理化や競争を進めてきたことを是とする考えが後押しした。それがどうしようもなくなって初めて気付くのかもしれない?その証拠に豊かさへの渇望は搾取と格差を生んできた。かと言って,やっと手にした豊かさだって今回の騒ぎによって盤石でないことを暴露した。
  辻褄が合わなくなれば、裏面で画策・悪行を営み、一見してそれを判らなくするために どれほどのエネルギーをつかっているだろう?  訝しい事である。
 ☆ 入我我入の要諦は 器に応じた中身を図ること、日本が少子化や高齢化を避けて通れないならば 発想を変えること 過去の栄光にしがみつき 外見をつくろうのでは無く器に合った道を歩むことしかないのです。
  良い恰好し過ぎなんだわな!
 
 贅を尽くした豪奢な建物、福祉現場が その方向に流れてきた。そして東日本大震災が起こり、人が作ったものが 想定以上の自然のエネルギーによって 無惨にも壊された。その復旧も進めてはいるが、元の姿には戻らない。一度散らばった人たちは なかなか戻らない。長い歴史の間に 確と刻まれた自然の傷跡は 何を私達に語っているのでしょう?
 鉄筋コンクリートで作った建物は 壊す時に膨大な費用が掛かる。アスベストやPCB、使い勝手や断熱効果が高いという触れ込みで利用が進んだ、それが 今 どうなっているでしょうか?最たるものは原発の使用済み核燃料、それと増え続ける福島原発での放射能汚染水、当初から処分方法を考えずに進めてきたツケが 日本中に起こるのは 実はこれからだ。
 上掲した入我我入がまさに それなのです。専門者会議は 事が起これば集められ 政策提言する第三者機関。これだって 実態をよく調べないと 筋書き通りで 真っ当な委員が持論を陳べても記録に残されない。こういった信じ難いことが 今もって変えられないのではないでしょうか!
 今回の解体工事は3か月かかる。 もう鉄筋コンクリートの建物は作らない。一番の理由は日本の高温多湿な気候に合わないこと、それと頑丈という割に 後の改修費用がかかり過ぎ、負の遺産となる可能性が大きいからです。
 成人寮の4年越しの移転が作業所と倉庫を新たに建て ほゞ 終わりました。耳を澄ませば 微かな鼓動が聴こえますかねエ~だ。
 

3374:変容

 100年の歴史を辿るとどうなるか?今を起点で未来を考えることも必要だろうが、ここに大きな落とし穴があることに気づかない。人は 思ったほど自重自戒する力は強くない。先哲はそれをお見通し、仏教ではその最大の原因を”欲望”に置いた。いつの間に欲望の解釈をも勝手に塗り替え、知らぬが仏、言い訳をシコタマ用意し自徳を讃じ、自重自戒を 怠った。なんと!それを個性と自由と勘違い、やりたい放題を容認する。これこそが現代の社会に蔓延する病巣(価値の偏重)ではないのか!
 対する自然はどうか??? 言わずもがな、余計なことはせず、無心の儘である。嘗ての日本人は和歌や句に、飾りや奢りを捨て、ひっそりとした枯淡の味わい忘れず、それを”詫び”として閑静な生活を楽しむことを喜びとした、それを育む環境と感性があった。人間社会の変容の大きさに比べ、自然自体は真逆を守ってきた、 いつ頃から その自然を大切にすることよりも自分たちの望むように変えてしまったと思う。そのような人間に対して 自然が怒っている! その間に失ったものが 如何に大きく取り返しのつかないことになっても、認めず 人間中心の進歩や便利さを求め続けているのです。これから先も自然の包容力に甘え、好き勝手に生きる事を続ける気か!NO、許さないという自然からの警鐘だと何故感じないのだろうか。
 更に極端な主張をするものは その人の”驕り”だと思う、それに屯する輩たちは群れをなし、お零れに与かろうとする。これは あたかも 六道輪廻の有様である・・・・・。人生を100年と言ったところで、比較にならぬ、人の上に天を仰ぎ、地獄・餓鬼・畜生・修羅を下におく六道は2500年続く開悟なり。
 
 正直 他国のことは 良く分からない。日本人の深層には 自然に対し畏敬の念があったと思う。生きる上で必要な基軸です。それが 危うくなったと感じるのは 思い過ごしだろうか? 些細な事だ 無視して もっと大切なことに力をいれるべきだ・・・・と 思っている人たちが大多数なのでしょうか。それならば 一体何が大切なことなのでしょうか?
 誤解を恐れず言わせてもらいます。端的な例は、経済第一を掲げる人達に言いたい。ルールを無視し勝手に変えてまで 利得を獲ることが大義となるのだろうか、貴方たちが持続可能な社会を掲げる割には その場凌ぎの感を強くする。今を楽しく生きれれば良い・・・・この言葉も亜流ではないでしょうか? 独創性がなく 模倣でしかない。今を楽しくとは 心身共に健康で 充実した生活を送ることだという事を忘れ、享楽に耽ることだと考えている節がある。
 これは 全くの誤謬、詭弁、でしかない。将来に禍根を残すことに成るでしょう。。
 リーダーたるものは 原因と結果に自ら責任をとる覚悟が不可欠、それが『 これから努力していきます。』という決まり文句しか持たない 残念ながら私には保身としか受け取れない。
 
 心身共に健康 という意味は、単に病気や虚弱でないことを言っているのではない。肉体的・精神的・社会的に調和のとれた良い状態のことです。そして 自分でも充実した生活を送っている実感が持てることなのです。
 元々はその上での個の尊厳だったはず、空海の著作『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』には、約1200年前、恵果より伝授された、曼荼羅思想を判りやすく説いた「十住心論」があります。いつの世にも人間には多様な価値観や心のあり様があり段階的に見定め共通する帰着点が有ることを指摘したのです。
 恐らく 現代社会において最も必要な考え方ではないでしょうか?差別や争いが益々増えている社会は誰にとっても安心できる状況(帰着点)にはなり得ません。共通する帰着点???
 こころの底を知りたいと思う方に是非お勧めしたい本です。空海「秘蔵宝鑰」加藤純隆・加藤精一訳:角川ソフィア文庫
 

3375:ルーツ

 私達の一生はルーツをさぐる旅なのかも知れません。ありとあらゆるものに起源があり、その秘められたものを明らかにしたいとの欲求が 科学の進歩に貢献してきたのは確か ただ冷静に考えると それが どこでどう道を間違えたか!という疑問も増えている。 その原因を確かめる間もなく、現代社会は次から次に手を染めて 傍若無人な様相を呈していないだろうか?運良くその望みを果たせれば 勝ち組と錯覚、本来備えるべき心を見失い 欲得の虜と化しやすい。只管 先を追い続けることが生き残る条件と誤解した?
 今 私達は、その進行を遅らせ 立ち止まって 昔の様に地図とコンパスで自分の居る場所を確認しようと思うでしょうか? 便利さの願望には 限度がありません、AI技術の開発に異を唱えるなどすれば捻くれ者呼ばわりされるに決まっている、だがその流れについていけず 途中棄権するものも増えている、それらを嘲笑うかの如き社会が、更に勢いを増している。まるで悪夢のようではないでしょうか?ハッキリとした必要性が有るか無しか、本来の目的に合った使用ができるのか?など 核心は 常に後付けでは・・・・?
  人間は いずれそうなるであろうことを予測し、哲学や宗教など心の問題を考える領域を大事にしてきたと思っている。それが仏教で言う”智慧”だったはずが、 途中で何故かおかしくなってきた。、源信の母が息子を諫言した言葉はまさにそこだ。・・後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき・・・・幼い我が子を寺に預け”橋”になって多くの人を渡らせて欲しいと願ったのに お前は自分が誰よりも早く渡ろうとしていないかと戒めたのです。
 今から1000年前の平安中期の事であります。ウーム・・・ 声が出ない。
 凄いな~と感心するのは母だけではなく、その息子もです。直ぐに母の意を解し 誠の求道者へと 生き方を変えた。。 
 
 
 情報の信頼度をはかることが難しい。美談の裏で悪評をバラ撒き、意図した混乱にほくそ笑む者どもよ。この判断を誰がする。あたかも保険に保険をかけるかの如し。
 世界中の人々が疑心暗鬼になっていないでしょうか? その発端は 経済力の覇権争い? 大国の力でねじ伏せるかのごとき圧力に防戦いっぽうの弱小国、 今更 後に戻れまい。国家間の問題に留まらず 個人への影響だって真っ先に『弱者』にでるものです。店頭から消えたマスクや消毒液、ネットを通じたデマが発端だとか 法外な値で売られているマスクを国が規制して さて収まるだろうか?
 昨年の後半頃から国会審議の中で急に増えた言葉に”サプライチェーン”があります、経営の成果を高めるための物流システムを指している。それが ウイルス感染拡大という、予期せぬ(?)望まない連鎖、ウイルスの流入をどう食い止めるかという逆の意味にすり替わった。 相手が見えない敵に様々な要因が重なり不安が増している。
 新たなウイルスに対し、対応策が見つけられず 終息の見通しが全くたっていないのは 最早 一国の問題ではなく 人類全てに関わることだという証です
 怨憎会苦は八苦の一、うらみにくむ人(モノ)に会う苦しみ。五蘊盛苦も八苦の一、色・受・�想・行・識への執着からおきる苦しみ。知識は己の努力で増やせるが ,智慧は そうではない。・・・・・・。
 経済の豊かさを 最大の目標に掲げたことに猛省をし 今こそ、やるべきことを明らかにするべきなのです・・・・・。
 
 
 中国の唐の時代、日本との交流は遣唐使という海の交通手段によって行われていた。最澄と空海も同じ時期に仏教を学ぶ為に中国に渡り、帰国後 それぞれが天台と真言の宗祖として礎を築いた。それから1200年の時が流れた。
 私は真言宗の寺の住職として35代目、室町時代に創建された寺に現在住んでいる。寺に残された資料は少なく昔を辿ることは難しい。唯一、当時の面影を探れるのは現在も残るこの地域の字名に仏教に関する言葉が多く使われていること、能化・釈迦・中台・稲荷などである。
 約600年前に現在地に寺を建て、仏教の教えを広めようとした人物(第1世)が存在したということは確かです。寺は代々引き継がれ、私が35人目、ここまでしか分らないが仏教の教えを信仰し、この寺を守る人々が今まで途切れず続いてきたという証なのです。寺の近くに、現在入ることもできない位荒れた竹藪の中に戦時中掘った防空壕が二つ今も残っている。
 万が一、同様の戦争が今起こったり寺を私物化するものがいたら、寺は存続していないだろう。
 ・・・・『如実知自心』・・・大日経にその教えがある、”実の如く自らの心を知る”は 大変なことです。ありのままの自分をどう捉えるか?殆どの人があまり考えずに生きているのが正直なところでしょう。でも これこそが  生を受けた我々の最大の主題であることを説いている。豊かさ&便利さ等々・・・いま盛んに言われていることとは次元をまったく異にする。
 これをもひっ括るめて 人工頭脳に託すとしたら どんなことになるでしょう? 人としての尊厳を自ら放棄したことになるのではないでしょうか。

3376:乱高下

 短期間に様々な事が起こっています。その発端は 新型コロナウイルス感染で、瞬く間に全世界に感染が拡大し、大変な騒ぎとなっています。大型クルーザー船での感染は連日マスコミで報道され、その対応の是非を問う間もなく、今度は新たな客船での感染者騒ぎがアメリカで起こっています。どこの国も出来ることは何でも行うと感染拡大を防ぐための必死の努力をしており、日本では学校の休業や各種イベントの開催自粛など刻一刻と変化している状況です。。
 我々もその影響を少なからず受けており、尚恵学園では職員の勤務変更や遣り繰りを行いながら利用者の安全第一の対応に取り組んでおります。正直、先が全く読めない中で不安はつのるばかり、日本中が異常な事態になっており、いずこもその現実と対峙しています。
 この状況下で 世界同時株安も加わり、一体 地球上で何が起きているのか誰も分からない。
 いま出来ることは 冷静に動くことです。この混乱騒ぎは いずれ必ず終息に向かうと信じ、自分たちが今できることを 周りの人達と協力しながら取り組んでいくことだと思います。
 
 
 日の出1時間前、既に空は薄っすらと明るくなってきた。窓を開け 今日は天気が良いと直ぐに判った。大分春めいてきました、外気温が肌に柔らかく、おそらく10度を超える気温になっている。地球上の慌てふためく今の状況の中で、淡々とした自然の有り様にハッとした。我々が如何に普段の生活で自然からの恩恵に無頓着なのかと感じた。自分たちが自然をも好きなようにできると考えてしまったのであれば、人間が犯した罪は大きい、何億年という時間の中で進化し生きてきた我々生きものは、恩知れずの強かなヤツだと思われているかも知れぬ。度を過ぎた振る舞いに、この辺でコラシメテやらねば癖になる!≪いい加減にしろ≫との鉄拳か?
 職場まで行く間の土手には、四分咲きのピンク色の桜の花が咲いている。その周りには自然に咲いた黄色の菜の花が寄り添い、まるで”桃源郷”のようである。
 こうやって 滅入りがちな気分を癒してくれるのも自然からの贈り物、只管打坐(しかんたざ)、面壁九年・・・・ダルマさんが転んだ・・・・今も言い継がれる言葉には、美辞麗句はなく、自然体だから こころ動かされる。
     風景 

 
 
  3月11日、午後2時46分観音寺の鐘楼の鐘を撞いた。全国の寺院で東日本大震災で亡くなった人達に鎮魂の鐘を撞いています、気が付くといつもお参りに来られる方が 手を合わせていました。
 最近、梵鐘の音を迷惑だと訴える人もいる、この国は 一体どこに向かっていくのでしょう? いずれ今の騒ぎも過去の出来事と忘れ去られていくのかもしれない。”仕方がない”と諦める人 それで良いのでしょうか?
 時間が経てば どうにかなると思っているとしたら、今の状況は明らかに違っているように感じます。
 私達がそのことに気づいて各々が何らかの行動を起こせるかどうか? ・・・いま できることは 何なんでしょう?・・・
 上掲した写真は お寺から数百メートルの場所です。
  ・・・・・が 下の写真は相変わらずゴミのポイ捨ては無くならず。同じ地域の同じ日に写したものです。
 
       ”不法投棄禁止”札の脇に捨てられるゴミ
  中身は 食べ残り弁当や飲み残されたペットボトル。
   

3377:冷静に

 冷静さを保つには 皆さんは どうしますか? 私は”原点回帰”、適当なコトバではないかもしれないが、過去を振り返ることを無意識にやっているんですね。仏教に関すれば、文書化され遺されたもので古い書物は平安時代、約1000年前後のものから増えてくる。原文で読むには 正直 難しい。まず 解説書の類、それと先人の事跡・・・・。それぞれ生きた時代の違いがあるし 複雑怪奇、そこに核心を見出すのは 至難のわざ ????
 意識せずに そうなるのは 溢れる情報で何を信じれば良いのか判らないからです。 だとしても なるようにしか ならない! と 達観できそうもない。
 ・・・・若し 達観する時は世界は罪を持ちながら美である。・・・・・ 西田幾太郎の『善の研究』から  これは 真善美と偽醜悪の関係、世の中と自分との矛盾に対する自問自答。( 行きつくところは四諦・・・苦・集・滅・道)
 
  WHOが新型コロナウイルス感染をパンデミックと認めた、そこに 制御可能な感染と思われるとつけ加えた。おそらく 過去の疫病と闘った経験から 冷静な対応を求めたのでしょう。現実に今起きていることと終息するまでにどのくらい時間がかかるかを予測するのは 非常に難しくなっている。人やモノ、情報の動きがグローバル化しただけに正確に掴むことが容易ではなくなった、中国の武漢市でとった封鎖の方法を、海外と同様にやろうとしても 果たして完璧にできるだろうか?
 ここ 1~2か月という短かな間に世界の眼が コロナ感染に集中し、海外の状況も刻一刻と変化している様をSNSで簡単に知れるようになった。それは殆どが不安を増大させるものばかりとなっている。
 非常事態宣言により それがどう変わるのか。そして 誰かが発信するツイターに即、靡(なぶ)き、一日で2000ドルの株価が乱高下するような状況は 異常としか思えない。

3378:今 できること。

 いま 出来る事は ”祈る”ことかもしれません。身の安全を願い、災いから逃れたい。どうして良いのか判らない時、私たちは 大いなるものに縋(すが)りたくなります。けれど 何故か その気持ちも薄れてきて 祈ることを止めてしまいます。
実は この繰り返しをしている訳です。祈りの形も 大分変りました。今風に言えば 科学的根拠(エビデンス)があるのか否か?でしょうか。でも、世の中に起こっている事象で どれだけ科学的な根拠が解明されているものがあるでしょうか?
 恐らく ほんの一握りの事ぐらいですよ。また、絶対か相対か?の議論にのって確かな答えが出せるでしょうか?現代社会は 他者に頼らず それ自体で自律的に存在することなどあり得ないでしょう?
 イギリスのEU離脱が決まった年に 今回のウイルス感染の問題が起こりました。国により難民受け入れの温度差があり、それでも人道的な立場でEU諸国では沢山の人達を受け入れてきました。それは目に見えることです。ウイルスは目で見えない相手、ビザ無しで自由に行き来できるEUで人やモノの交流を一時的にでも禁止することは難しいと思います。
 日本はどうでしょうか? 残念ながらウイルス感染を水際で食い止めることはできませんでした。クルーズ船の乗客の対応に国内外から賛否の声が上がりましたが、関係者の皆さんの必死な努力があっても、現実にどうすれば良かったかは判らなかった。
 祈りには 只 願うことばかりではなく 自らの行いが伴います。仏教では”八正道”を掲げ、抜苦与楽(慈悲)への道が示されています。そして如実知自心という”こころの底”を知るために 国の内外にかかわらず誰もが、今も昔も 迷いながら生きてきたのですね。
 
 史実として 日本も 数えきれない疫病や災害との闘いを経験してきました。これらを 相手が見えない敵ということで括るとすれば内乱という政治的なもの、代表的なものとして1467年から11年続いた応仁の乱があります。それを境に日本が東西に分かれ戦国の世となっていきます。そして400年後、鎖国から開港に大きく舵を切った明治政府、ご存じのように世界を2分する世界大戦に日本も加わったのです。勝国も敗国も多くの犠牲を払ってきた戦争、壊滅的な敗戦を経験し日本は二度と戦争を起こさないと誓った そして何をしてきたか? 戦後 その議論を子供から大人まで年代を問わず充分行ってきたとは思えない。 
何故だろうか 歴史から学ぶことを私達は疎かにしていないでしょうか? 未来志向もいい加減にしないと 取り返しのつかないアヤマチを繰り返すことになりやしないか? 今からでも 遅くはない。義務教育の中に平和と戦争を学ぶ機会をもっと増やすべきでしょう。それが無ければ 世界に公言した誓いも忘れられてしまいます。
 今 起こっているウイルス感染問題は 現代社会が持っている弱点を如実に表しています。時計を逆戻しすることができないのであれば、今を生きる人達が何ができるかは真剣に考えるべきと思います。悠長に構えている場合ではないでしょう。私達が願っているのは世界が一国によって統治される地球の姿でしょうか! 2大強国の貿易戦争ということが言われ始めた頃、それぞれの国がどちらに付くべきか戦々恐々となり、今も続いています。その結果 様々な問題を引き起こし不透明な世になったのではないでしょうか。両天秤にかけるようなことが次々に起こっている中で 今の見えない敵(疫病)との戦いも無縁では無く 実は人間が作り出したとも言えないでしょうか?損得の計算や NOと言えない国が 仲介の役割は果たせない。これも歴史が証明している真理だと思います。

3379:現代の弱点

 右往左往・右顧左眄・・・不安や迷いが一斉に広がる現代社会の 予期せぬ副産物か?
 5G機能を付けた新製品に買い替えを考える人達、我先にと手に入れたは良いけれど 使いこなせず、宝の持ち腐れ それは 他人と比べて優越感を擽(くすぐ)るけれども 自己嫌悪もついてくる。これを”現代の〇〇”とかいっても 何になる?
 実は〇〇が何なのか?このジレンマは深まるばかり 仏教に自性という言葉があります。本性と同じ意味で 事物を そのものたらしめている本来的な不変の性質。これに対し 竜樹は無自性空を唱え(『中論』)不一不異の縁起をもって論証しようとした。
  その思想を概説するのではありません。無理。要は竜樹は150~250年ごろ インド大乗仏教中観派の祖である、約2000年の時を経て 近代文明は 何一つ 解決されていないこと・・・・。 当時の先哲にとって 今の状況をどう観じるかという興味は。。。より強まるばかり。
 自然の摂理こそが 唯一不変のもので そこに 居候(いそうろう)させて頂く われわれ人間ども。。。。。 コロナウイルスとて 同根で 排除することばかりでなく”共生”していく為には・・・・自らの免疫力を・・・・・云々????
 
 
 私たちは 何かによって思ってもいなかった道に導かれていくのかも知れません。 20代の若い頃、福祉の仕事と僧侶である自分を区別していました。それが今、気付かずに過ごしてきたことが何と多いことかと唖然とする日々を送っています。
 
         Nさんの写真帳
 
 階段の手すり工事をやっていたら 『一緒に お茶 いかがですか』と誘われ作業場に入ると5人の仲間たちが自分たちの好みのお茶を飲んでいた。
 机の上に置かれた写真帳、N子さんがその中から一枚の写真を取って私に見せてくれました。それは何人か一緒に写した写真、写真の上に何枚も重ねて貼ってある紙が気になった。 『でんごんです。Yくんはてんごくに行きました。いつでるのよ でるのよ いないのよ いないのよ・・』(上掲写真)と書かれてあったのです。
 亡くなったYさんの名前の上に 新しく入所されたHさんの名が貼られていた。 長い年月 共に暮らした仲間は お兄ちゃんだったり妹だったり それぞれの思いを大切にして 生きてきた証です。
 彼らは話すのがあまり得意でないからか 小さく折りたたんだ紙に自分の思いを書いたのかもしれません。

3380:通過点

 コロナウイルスは 人間という乗り物に乗って 世界中にウイルスを降ろしていく。通過点では  降りずに通り過ぎてと祈るのみ。何せ 見えない客だから 尚さら始末が悪い。
 世界各国で 同様の混乱が広がっている。昨夜の専門者会議での報告にオーバーシュートなる言葉があった。これは証券用語、 行き過ぎた株価の乱高下を指すそうだ。 コロナ感染拡大が大爆発した状態を言ったもの。
 私達の住む場所を提供してくれる地球に 損得勘定ばかりやっていて礼を失し感謝の意を陳べることも無く 跡を汚しても平気でいる。これが豊かさの置き土産と言ったら仏様が怒るかな 例えば1億2千万人の日本人が 一人一袋のゴミを毎日拾えば どうなるでしょうか? それを公共サービスへ責任転嫁しているように感じてしまう。今の社会の表と裏の実態かもう少し明らかになれば。。。。またしても、九州の某県が原発の数値改ざんをしていたと紙面片隅に報道されました。 これは 不要不急で オーバーシュートとは言わないのですか 昨今の頭を下げた謝罪で一件落着とは くすぶる火種の消し忘れ! この種の問題が何度となく繰り返されると大火事となるやもしれない。公私の見極めが曖昧な時代になりました。
 ★ オーバーシュート(over shoot)という意味には  通り過ぎる目標をはずれてあやまる の意味がある(英和辞典)。
 
 
 彼岸中です。坊さんもいろいろおりまして、堂に籠もって 読経三昧する方もいるでしょう。正直私は そっちじゃなくて道具満載の軽トラックで 大工さん見習みたいなことをやってます。気温上昇で一気に雑草が勢いづく、屈んで草取りは腰にこたえるから丁度良いストレッチ。
 本日で 神宮寺の墓に通じる階段の手すり工事を 防腐剤を塗って完成予定。一緒に手伝ってくれたMさん、ありがとう!
 『到彼岸』 彼岸はパラミター(波羅蜜多)という原語から ”悟り・涅槃”の意味になる。彼岸と此岸 私達の理想の目標(到達点)を彼岸。 そして縦横軸で観じ実践するのが仏教の教えの基調という。
 とすれば、考えようでは 手すりも通過点の一要因、壊れていればケガをする。それを 誰が直すのか??? 
 世の中がオーバーシュート状態だという考えに辿り着く、これが 偽らざる 私の”こだわり”です。
 目標を叶えるために より速く より効果的にと考え過ぎ、その結果、様々な問題が起こっているのでは ないだろうか・・・・と。 オーバーシュートではなく 寧ろオーバーショートshort(短絡した論理)でしょうか。
 そうだとしたら 目標が間違っているのかもしれません。
 
 TVで今の状況を それぞれの専門の立場で話す番組がありました。 出演者のお二人の話は交互に それも間断なく ズバズバ言うもので 心に強く響くものだった。お一人は風貌からはロックバンドのメンバーかなと思うほど でも著名な医師だと後でわかった。その方が『自然共生』ということの大切さを力説していた。全くの同感だった。もう一人の方は『コロナウイルスは今後も地球上からなくならない』と明言した。
 今の不安は、根拠が見いだせないことから 現実にどうすれば良いのか? が分らないことが最大の原因です。ウイルスを 一時的に封じ込めたとしても 何処かで生き続けているとすれば ウイルスが再活性化することを防ぐことが必要だ。そのために 私達が今やらねばならぬ事は・・・自然との共生・・・・だと断言しています。地球環境を守ることを全ての国が一斉に行う。
 一国主義で経済の発展をどんなに自慢しても 今回の事で判ったはずなのだが、 もし世界的な新型コロナウイルス騒ぎは一過性の流行だと言うのであれば・・・・??? そこには 浅からぬ”因縁” を感じるのです。
 

3381:正念場

無常・・・ ものごとは常に同じではないという、今 正念場とするならば この先に何が有るのだろう?重要な局面であると盛んに自粛を奨めてきたはずが、昨日 ある場所で開かれたイベントに多くの人(主催者発表6,500人)が集まった。格闘技のファンは待ち望んだものらしい。会場になったスタジアムにマスクをした県の知事がいた。様子を見に来たのだろうか?テレビの記者に聞かれ≪県に中止の強制力は無い≫と話す、それは国への不満とも取れた。それを 一般の人達はどう感じたでしょうか? 集団発生をあれだけ注意喚起しながら 一方ではこういった事が公然と実施されている。
 何が重要な局面なのか 不安にならざるをえない。上野公園の桜の花見 宴会をする客は さすがに居なかったようだが 多くの人が夜桜を見に集まった。
 マスコミはずっとコロナ一色で番組構成し国営放送では 視聴者に日常での注意すべき対応を定期的に流している。正直 中途半端な対応としか思えない。またしても 判断を専門者会議の決定に委ね、政治判断の責任を曖昧にするのではないだろうか? 言葉では万全を尽くすと言うが やっていることが どうなのか・・・
  日本の常識は 塩梅加減とは違う。仏教の中道と比べるのは筋違い。 どこがどう違うか??? それは 己の都合の良し悪しで情報を開示するのではなく 事実を隠さず明らかにして それとどう対峙するかという”行”が規範となるのです。その上での評価でなければ 次に起こった時の参考にはなりません。
 
 現在の所、日本はどうにか感染の拡大を持ち堪えているという。未だ感染者が出ていない県の数がドンドン減っている。それも時間の問題だ。ここにきて感染が確認された方は海外から帰国した人が増えている。これは 飛行場での入国時に健康チェックがされているので 判るケースが多いという。日本は重症患者の治療を最優先にした。 症状が無い人や重篤でない感染者は外出を控え自宅で療養する、これは医療崩壊を避けるための 判断ということになっているが 他国と比べてPCR検査の総数が少ないのも疑問だ。。
 刻一刻変化する世界の状況に なすすべもなく 情報だけが通り過ぎていく、自分が何ができるかと考えても 限られたことしか浮かばない。
 最初に非常事態宣言をした北海道は今どうなっているだろう? 県知事の判断で 執った対応は 感染爆発を防ぐためでスピーデイだったと評価された。だからといって終息したわけではないから 今も続けていると思われる。
   

3382:摂理

 キリスト教では全ての出来事が神の予見と配慮に従って起こると説く。仏教の縁起説は竜樹によってAD2C頃 広まった(中観思想)。世界中の人々が 突き付けられた現実に対し戦きながら自問自答。VR仮想現実の進化、人工的なものは製作者の意思をどうにでも映像化でき 社会から真偽は問われない。いま 世界中を震撼させているウイルス感染は 映像化どころか 相手は目に見えないのだからどうしようもない。この現実を どうにかしようとするが 相手は次々に形をかえ 生き延び拡大しようとする。
 方や人間たちは明確な根拠が無いと自国の利を優先させ本気になって協力し共生社会を築こうとしなかった。目に見えない敵は 突如 私達の前に出現、その脅威に対し 防戦一方の我々を嘲笑うかのようだ。でも 前兆はあった! それを真面目に取り上げ検討をしてきてだろうか?
 摂理・・・それは万象を支配している理法で 道理に適った法則。 いつの間にか 人間は豊かさという幻影により 沢山の失ったものを見性するのを先送りしてしまった。この誤りを 自ら認め 悔い改めるという理性をも なんと他に責任を負わせることで擦り抜けられると考えた。
 子供たちやこれから生まれてくる赤子に重荷を 負わせることは 果たして 摂理に適っていることなのでしょうか? 
 
 先輩の坊さんに今の状況をどう思いますか? とメールを送る、数分後にメールが返ってきました。
・・・≪インドの友人は言います。神様が怒っている。あまりにも人間が勝手、だから反省し、耐える。私はこの意見に最も共感しています。≫と書いてありました。・・・・
 ヒンズーやイスラムの宗教の違い、それだって 物事が生じたおおもとは変わらない。
友人に今 どうしていますか?とメールした。翌朝4:37分に受信音で目が覚めた。
・・・4日間、熊野古道を歩き昨日 やっと熊野本宮大社に辿り着いた・・・・・山や森の樹木から気を貰った・・と書かれてあった。

 現実と向き合うことは 犯人捜しをすることではない。もし 自然が私達に警鐘を鳴らしているとすれば 今を生きる自分達、それと生きた先人たちにその責任の一端は有るだろう。ただ これから生きていく子供たちにその始末をさせようとするならば 絶対に違う! 反省し、耐えて 行動する。これは 決して自分ひとりではなく 仲間を増やすこと・・・・。
 今の世のスピードや利便・合理の価値観からは 反対の道ばかりが見えてくるように思えて仕様がない。

3383:現実

 刻一刻、私達の目の前に現われる状況は変わっています。これが現実で、避けることはできません。しかし、明らかに以前とは状況が違うことを感じざるを得ません。
 何故、自分が? どうして 私達だけがこうなるの?と現実に当事者となって慌てふためく、目を背けず、立ち向かうこと それが私たちが今、唯一できることではないでしょうか! その覚悟と行動を現代に生きる全ての人々が背負っているのです。
 今まで 先延ばししてきたことは なんだったのか?と振り返れば 誰もが思い当たる節はあるはずです。地球上で起こっている様々な異変、これらは一部の地域や人々と思っていなかったでしょうか? 答えは既に出ている、≪NO≫です。明らかに 地球のあらゆる場所に隔て無く 影響が及んでいる。自分達の勝手な思いで 理想郷を築けると考えた。これも 明らかに≪否≫という誤りを認めなければならない。
 今、日曜日の朝6時を過ぎた時間、ニュースで知った多くの人が 唖然としたに違いない。それは学校や 医療機関・福祉施設での感染者の集団発生のニュース、・・・・・・・。
 直ぐに思った、心配していたことが現実となった。
 私たちは 誰しもが望んで感染するものはいません。病や高齢・障害などを持ち、何らかの助けを必要としている人達を守ろうと必死に努力してきた人達です。それが一瞬のことで世の中から白眼視されて良いのでしょうか?万が一 これが是認されれば どんなに豊かで便利な社会になっても 安心を手に入れることはできまい。 これは生を受けた全てのものの根源だからです。
 一人では 何もできない。いまこそ 共生の意味を噛み締め、互いに助け合っていかなければ ならないのです。誰だって 一人では生きていけないのだから!
 
 悲観論×楽観論、 情報が交錯する、SNSという便利な道具は、その使い方によっては 真逆になるのを 誰もが知っている。 そして それを統御できないということも。
 有事での危機管理が問われる。 日本は世界で最初の大型クルーズ船でのコロナ感染に対峙した国、船主や旅行の企画社ではなく寄港地であったことで向き合わざるを得なくなった。その対応にも様々な意見があったのも事実、感染者を受け入れた日本の医療機関の苦労は あまり報道されず、情報も制限された。これは遠い昔の話ではなく その延長線上に今の現実があるのです。
 外出自粛の要望には拘束力がない。果たして これで良いのだろうか? 
 ならば どうすれば良いだろう! 決断と覚悟。
 人口の多い地域に感染が拡大する。当然のことで 大都市への人口流入を 日本は長い時間をかけ 築いてきたのです。 

3384:忍耐

 耐えて忍ぶこと・・・・それも、先の見通しがたたない中で まさに持久戦となっている。70億超という世界の人々が例外なしに直面している現実。
 何もせず ジッと家の中で過ごすことが 果たして可能かどうか? 期限を定め、そこまでガンバロウ!その思い通りになれば良いが 更に期限を先に延ばす。その間に ワクチンや薬の開発をしようと・・・・。”自粛”要請が果たして 周知され守られているだろうか? 疑わしきは罰せず・・・・要請を聞き入れない人に お願いをして済む話だろうか? 
 非常事態宣言の是非、その人の立場により 考えは微妙に異なりますから・・・と誰かが言っていた。それにしても 決断を先延ばしすればするほど 状況が良くなるというものでは無いはずです。
 中国の今は???。途中で 感染者の公表数に”無症状”な感染者をいれないと法律(?)で定めた。 明確な”無”の判断基準があるのだろうが、・・・・・・。
 足元をよくよく見てみると・・・・・障害福祉の周辺は 様々な変化がありました。時は 一定ではない、障がいのある方々を地域で暮らせる社会を目指し取り組んだ、耐え忍ぶこともあった。それ以上に喜びもあったと思っている。
  やまゆり園事件の犯人植松 聖 判決に対し控訴せず!・・・・・(新聞コロナ記事の片隅に)
 
 仏教に 六波羅蜜という言葉があります。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの行は苦しみから脱し、悟りに通暁する筋道で 一生をかけ 行するというものです。これは 仏教徒に限らず あらゆる宗教の拠り所だと私は思っています。最後の6番目は智慧、知識ではなく、智慧なのです。
 ここが”要”だというのですが どうも この辺の理解が微妙になっている。
 その一つ前の5番目、これが禅定(ぜんじょう)、要するに右往左往せず 落ち着け!と。 物事には段階があるとみる。
 今の状況は そんなことを言っている場合じゃ~ないと一喝されるかもしれません。 千載一遇! 千年に一度めぐりあう程のこと、不安と恐怖の中でじっと耐え忍ぶことしか本当に出来ないのだろうか?
 いつの間に慣れてしまった人間勝手を反省し それを 本気になってどう変えれば良いのか 今 考えなければ いつ できるでしょうか? 
 自分一人ぐらい変わったって 何にもならない!!! と思う方もいるかもしれない。でも そこから始めねば 何も変わらない。
 
 
 逆に 変わることもある。それは 自分ひとりぐらい大丈夫だろうとの思いから 感染拡大する。新型コロナウイルスは 無症状の方もいて感染を”知らず意識しない”場合があるから、厄介だと思う。 だから、罹らないということより、自分が他にうつさないことを考える段階になっている。
様々な情報が流れる 世界の人口の半数39億人が外出制限を受けているというまでに深刻度が増した、知れば不安になるし、知らないとこれも不安となる。
 戦々恐々 心の置き場所が見つからないのは 相当なストレスとなっている、 ・・・・・・。果たして 人間だけが そうなのだろうか?  生物で完璧なものはいない。環境との相互関係は密接です。
朝と夕に旧成人寮の解体現場を見に行くのが日課となった。40年間以上世話になった建物が6台の重機によって ドンドン壊されていく、廃材が大型ダンプで次々に搬出される、それを見ていると 不思議な感覚になります。 業者に尋ねると廃材の9割は再利用されるというので 少し和らいだ。
 その為 解体は分類するのに相当な時間がかかる。コンクリ―トの床には防水・保温の発砲スチロール板が全面に貼ってあり、それを除去しないと再利用できない。
 壊されていく建物を見つめながらあれこれと考える。これからは事業を続ける為の条件が複雑で、その中で継続していくことは大変難しくなるだろう。それも時代と共に変化するのだから 気を緩めることはできまい。
・・・・・創業は易く、守成は難し。・・・・
 それに”挑戦”という言葉を加えたのは 私が25才の頃で、奇しくも 新成人寮建設計画の時、 日本は高度成長期を終え、次なる時代に入る時期だった。 

3385:ともに

 生物と環境の相互作用については、専門家がずっと警鐘を鳴らしてきた問題で 過去のデーターを基にし、今 地球環境がどうなっているのか!を それは、このままでは大変な事態を招くという指摘だったはず、その事に世界が本気で取り組んできたとは言えまい。
 誰だって後の祭りとは思いたくはない。どうにかして 見通しのたたない長いトンネルから出口を見つけたいと思っている。事の発端は 中国だった。それから4か月、世界中にその感染が一気に拡がり、非常事態と化した。連日、感染者の動向をテレビやネットで流され不安ばかりがつのる。昨日は土浦市で広報車を出し スピーカーで外出自粛を呼び掛けていた。丁度 その時にドイツに住むYさんから電話があった。日本を心配する電話だった。チュービンゲン市内は歩いている人は殆どいないと今の異常な状況を話してくれた。ヨーロッパに感染者が出たのは日本より遅かったが 一気に拡大した、日本は最初から重症者の対応を最優先とし医療崩壊しないように、なだらかな感染を目指してきた。それが ここにきて明らかな変化が見えている。海外からは日本の検査数の少なさが指摘され、感染実態への疑問は高まるばかり、一方 最前線の医療現場からは医療従事者の感染が報告され対応の見直しを要求されている。
 私達は マスコミ報道等からしか情報をえることができない。
 多くの人が 今の日本の対応は甘いのではないのかと感じている? 外出自粛の要請ではなく法的に規制することが何故できないのか? 
  感染推移のグラフで他国との比較を示されても 根本的に何も変わるまい。逆に 危機意識が高まらないことの方が心配だ。政府の専門者会議での情報が洩れ聞こえてくる 早く非常事態宣言を出さなければ手遅れになるという意見が増えていると・・・・。
 決断を下すのは 安倍首相、彼はギリギリの所で日本は未だ踏みとどまっているという考えのようだ・・・・・・。そして マスクを2枚 国が全世帯に配ると発表。 唖然とした。
できるならば 専門者会議(諮問委員会)を生中継し 国民全体に今の状況を周知させるべきと考える。
 国家の一大事となれば   大局を見通しての対応、覚悟と決断を有するリーダーシップが望まれる。
 
 いつもだったら 咲き誇るサクラに多くの人々がカメラを向けていた季節。いま 桜の木の下に咲いた小さな花に  愛おしさを覚える。今までは花見に集まった多くの人に すげなく 踏まれていた名も知らない小さな花たち、咲き誇った様子は全くみせず、さり気なく花をつけているのです。
 植物や動物 あらゆる生物達から私達人間は どう見られてきたのでしょうか? かれ等は文句一つ言わず 自分たちの居場所を捜し求めてきたと思います。
 地球の環境を維持し我々人間が生きるために どれだけ植物や動物が貢献してきたか それは 計り知れない。・・・・・けれど 我々は GDPやGNPなる数値を考え、搾取競争をエスカレートさせ 勝者は勝ち鬨をあげ 形振り構わず 自らの欲望を満たすため勝手な行動に没頭した。
 今回の事象は 反省せず 暴走して止まない人間に対し、大いなるもの(宇宙)が懲罰を課しているのだと思うのです。あの勇気あるグレタさんが いまの状況を どう思っているでしょうか?気になります。そして 自分たちは何をしなければならないか ? ともに・・・
 
 
 ・・ 個人か集団・・ 権利か義務 ・・ 自由か規制か等々 プラス 不確実と慣れ 我々は自分達の良いように考えてきたと思うのです、根本から見直さねばならないとダメだ! 、モノやヒトの動きの広がり、グローバルな視点は その弊害よりそれから獲る恩恵を過大に期待してきた。その反動で弊害が拡大に転じた時に 、人力では どうしようもない事態となる。
 
 私たちは 今生きていることを 不思議(有り難い)だと余り感じない。
 環境が急激に変わると進化が起きる・・・・これは『種の起源』を著したダウイーンが今から160年程前に詮じている。ウイルスの進化??科学の進化???突然変異??? そのスピードを減速しようともあまり考えない。
  今の状況が長く続けば 誰もが寡黙となってしまうかもしれません。不安の中無為に時間を過ごすことも苦痛だから この際 大いに反省するために有効に時間を使うことにしましょうよ。

  

3386:腰を据えて

ウイルスは一体どの位の大きさなのか 想像できません、 μm(マイクロメーター)という聴き慣れない大きさの単位、以前はミクロンと呼んでいたものです。ピンとこないので具体的に言うと ウイルス一個をあなた自身として、人間一人は地球と同じぐらいの大きさだと言うのです。もはや異次元の世界、現在その見えない相手と世界中が対峙しているのです。未知の宇宙空間に一人で旅するようなことかも知れません。
 そして 厄介なのは 常にそれが進化し続けているとも言われています。
 緊急事態宣言がやっと昨日7都府県に出されました。ウイルスに県境はありません。対応策で出来ることは全て行うと安倍首相は力説、自粛や休業要請が盛んに言われてますが 私達福祉現場(入所型)は事業を閉じることができません。
  更に一人一人が今までの行動を改め変えねばならないと強調しました。それは 果たして今の騒ぎが終息するまでの期間だけなのでしょうか? そうでは無いはずです。 今まで築いてきた社会の仕組みをも根本から変えないとならなくなるでしょう。果てしの無い”挑戦”は ウイルス対策だけに向けられるのではなく 誰もが知っているように 地球の環境悪化という根本問題に 腰を据えて行動に移すことが最も重要です。 いつまでも人間同士で争いをしている場合ではないのです。国は 人種・宗教、思想の違いを超えて持続可能で共に生きる社会づくりが 唯一の進むべき道だということなのです!
  
 
 第二世界大戦(~1945)後、75年が経ち、世界で今起こっている事は それと同等の国難となるだろうと各国のリーダー達は訴える、その中で日本は国民にどのように説明し、周知しようとしているのだろうか?
 各界からもっと厳格で明確な策を打ち出すべきだとの意見が多く出ている。県や市に対応を任すと言いながら、漏れ聞こえてくるのは 厳しすぎるという見直しの圧力(?) 何を根拠にしているのか 分り辛く末端は何を信じたら良いのか迷っています。身近に起こっていることを一番掴んでいるトップ(首長)の判断に任すはずでは無かったのですか?
  どこでも感染者を出さない、増やさない努力を必死で行っています。もし、 いつの間に感染してしまったとしたらどうしよう?、罹ってしまった人がどこで感染したかは判らないケースが増えています、これは知らないで感染させてしまうというリスクもある。であれば取るべき方法は決まっていませんか!。期間を決め 最大限に出来る手を打つべきではないでしょうか!休業要請に厳しすぎるということを担当大臣から出たという話が真実ならば都道府県はどうすれば良いというのでしょう?いまこそ政治主導で決断すべきと考える。
 私達は自分も感染しているという事で行動するしかないのです。一日一日が非常に長く、恐れや不安から大きなストレスを世界中の誰もが感じている。ワクチンや有効な治療薬ができるまで 耐えること 今言える唯一のことではないでしょうか! 

3387:ぬくもり

 こんな時にこそ 皆で助け合い励ましあって生きることの大切さを感じています。私達は自分の都合の良いように振る舞い過ぎて来たと思いませんか? 今の殺伐とした光景は 一体どうした事でしょう? ウイルスの感染によって  世界中が此処まで大打撃を受けるとは誰が想像したでしょう。
 今この時も感染者の受け入れ治療を必死に行っている医療関係者の皆さん 自粛要請にもかかわらず社会的使命(市民の生活を守る)を果たすために休業できず働いている多くの人達はテレワークや自宅待機が出来ない人達ばかりです。私達福祉現場も特に利用者の方々を24時間受け入れをしている事業所は いまどんな思いで職責を果たそうとしているのか? 世間でその実態を知らない人があまりにも多過ぎます。不要不急の外出を守る人たちも多い中で それをしない人たちが依然として無くならないということに 強い憤りを感じます。
 不足するマスクを自ら作り届けてくれる人、今度 マスクが手に入りそうだから 届けますと態々電話をくれた人、ああああ・・・ 人のぬくもりだ!!!嬉しくなります。
 世の中に好んでウイルス感染する人はいません。万が一感染された人たちを白眼視するようなことがあれば 救われませんね。この延長線上に 私は一国主義という考え方があると思います。ドイツではイタリアやフランスから重症患者をヘリコプターを飛ばし受け入れていると聞きました。
 
 
 ”結(ゆい)”という昔からあった風習が日本から姿を消した。それは必要な時に労働を提供しあって助け合うことです。一部の地方では農繁期などに僅かに行われているそうだが生活様式が変わると同時に段々無くなってきた。
 今回のコロナ騒ぎで 多くの日本人医師が海外で医療業務を担っていることが判りました。皆さんが口を揃えて訴えるのは 今の日本の感染対応のチグハグさです。緊急事態宣言してから実行に移すのに何故こんなに時間がかかるのか?十分な医療体制が本当にあって大丈夫なのか?もっと厳格な対応をしなければ感染拡大は止められない・・・・・と聴けば聴くほど不安になる。これが現実です。
 できない理由を言っている場合じゃ無く、国が一体となり コロナ感染に立ち向かっていかなければ・・・・。
 それには自粛と補償を早急に実行する決断力。誰が責任をもってやるのか 決まり切った話で今更という感は否めません、
 皆で荒んだ気持ちを和らげてくれるものを拾い集めませんか。私達の先祖は どのような国難にあっても 力を合わせ乗り越えてきたのです。

 ”ぬくもり”は 本来 誰もが持って生まれてきたものですよ。『無財の七施』
 ☆ コロナとは別の病気で入院したKさん 緊急手術が成功、人工呼吸器が外され 今は一般病棟に移り リハビリが始まりました。☆病院の皆さんに心より感謝申し上げます。
 

3388:希望

 希望という意味に・・・めったにないことをあって欲しいと願う・・とある。読んで字のごとく、当に 今の私達の心中を表しています。願いは 不安のない世界・・・・。
  皆さんは 夜中に目が覚めると いろんな事が浮かんできて 眠れなくなりませんか? 私は枕元に携帯を置いて寝る習慣になっています。 緊急の電話を受けるためと最近はメモ機能を良く使うようになりました。物忘れが多くなり、忘れないようにメモ書きしておくのです。起きてから考えればいいやと自分に言い聞かせ 目をつぶると いつの間に眠っている。
  昨夜は≪ 四諦 信じ行動する。苦→道≫とメモをした。
  仏教の話になりますが 四諦は原始仏教の経典に多く出てきます。四諦=苦集滅道の4つの真理、お釈迦様の教えの根幹をなし、初転法輪、最初に説法を行った時に説いた。苦・・・この世は迷いで一切が苦であるという真実、集・・・その原因は煩悩・妄執であるという真実。滅・・・苦の原因を滅するには 執着を絶つことだとする真実。そして4番目の道、悟り(安心)に導く具体的な実践(行動・八正道)を説いています。
 いま全世界を覆っている暗影は 仏教の教えからすれば どうすることによって解消できるのでしょうか? 昨夜は そんな事を考えていたら 案の定 ・・・・・。
 【人間は努力する限り 迷うものだ】(ゲーテ)、それなら 努力しなければ良いのだろうか? ゲーテはそんな事は言っていない。この世は”迷い”で全てが苦であるという釈迦・・・・。
  人間は 何かに拘り 安心を得る為に努力しようとするのです。これも、物事は原因と結果の関係で成り立っていると観じる
 大切なのは 、この状況(現実)がいずれは収束するとの”希望”を持って一人ひとりが行動することにつきる。この経験で学んだ事(因)が 必ず 後々の私達を正しい道(果)に導いてくれると信じることしかありません。お二人の言っていることは時代は違っても全く同じことを今の私達に教えていると思います。負けずに希望をもって 頑張りましょう!
 
 善因善果 or 悪因悪果???
 都市の封鎖や自粛要請の違反者を拘束という強硬手段をとらなくても 日本人は、お互いに迷惑をかけないという考えがあるから 大丈夫・・・・云々と歴代3名の防衛大臣経験者が一緒に出演した番組でそんなことを言っていた。(某テレビ)
 正直 観ていて違和感と不安を感じました。 公衆トイレがいつも綺麗で使える国は世界でも珍しいのかもしれません。お寺にある外トイレをみるとちょっと違うのではないかと思うのです。毎日 尚恵のスタッフが外トイレを掃除してくれています。朝と夕は 私がやっています。最初は 正直 封鎖しようと思いました。あまりにも汚す人が多かった。それにめげずに10年続けての 今がある。
 良心を信じて汚さない状態までなるには 相応の時間と諦めずに掃除を続けることが不可欠です。
 いま 感染拡大を防ぐことが最優先 一時の時間も無駄にできないはずです! 
希望を叶えるためには 不自由に耐えること(我慢)も必要です。その線引きが 日本は甘いという外国の評価を もっと真摯に受け止め、スピーデイに実行すべきです。 
 ニューヨーク市長の獅子奮迅の活躍が連日報道されています。彼の凄さは 首尾一貫した態度と行動力にあります、これこそが有事のリーダーの条件です。
 私達大人は いまこそ 子供たちに範を示さなければなりません。それが そうでは無い、どうしても責任転嫁に思えてしまうのは 私だけなのでしょうか・・。

☆ ≪ もしもこの世が喜びばかりなら。人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。 ≫  (ヘレン ケラーのことば)

3389:真・善・美

 私達が慣れ親しんできた価値観が 今回のコロナ禍によって 大きく揺らいでいないでしょうか? 今までは”豊かさ”への価値観を頂点に君臨させ 気が付けば安心や平和への価値観は二の次となった。その証拠はいくらでも挙げられます。 地球の環境を悪化させながら、私達は悲喜交々 刹那的な喜びを追い求めて来なかったでしょうか?・・・・・。
 今 悲観ばかりしていても仕様がないのです。過去を反省し 真剣に これから先をどのようにすれば良いのか考えねばならないでしょう・・・。真善美は人間の理想とする価値観、真は知性で認識力、善は意志で実践力、美は感性で審美力といわれます。世界の急激なグローバル・スピード化によってコロナウイルス感染が 瞬く間に拡大した。現実に国境は有って無きに等しく 水際でウイルス感染を防ぐことに成功した国を知らない。 今回のウイルスに効く薬品がなかなか見つけられない中で、収束の見通しがつかないのです。。これは 仮想ではなく、当に現実なのです。
 今日の偏り過ぎの未来志向は 過去の歴史から学ぶことを軽視して来なかったでしょうか、いま必要なことは 現に事実として起こっていることを直視し、逃げずに闘うことしかないと思います。他国と反発し合うのではなく協力・連携をしながらことに当たることです。
 自分たちが作った手続きに手間取り 実行が遅れるような事があるとすれば トップの責任で決断し行動しなければならないのです。
 必ず 私達はこの緊急事態を乗り越えていけると信じましょう。 黄泉に渡った先人たちが 我々の 一挙手一投足をどこからか見守っているように思えてなりません。
 ☆ 刹那的な喜び→人生100年という、その100年も長い歴史からずれば一瞬のこと、それは史実です。
 
 3つ目の美は、感受能力をいう。様々な外界の刺激に対して人間が反応する自然な欲求。早朝より雨になる、桜の花は一部の種を残し、その殆どの花が散りました。雨に一先に反応するのが 木々の若葉の艶やかな緑。一年をサイクルに誰かに言われた訳ではなく、自然は刻一刻 休まずに変化し続けています。(摂理)
 我々人間が犯した最大の罪は、自然からの恵みを当たり前と考え、感謝し大切にすることを忘れてしまったことではないでしょうか。当たり前では無く 奇跡と思えばもっと大事にしてきたはずです。
 一年365日毎朝 一番のバスに乗り家を出て 奈良の風景を撮り続けている方がいます。その方へのインタビューがNHK深夜便4時で再放送されました。いま こういう時だからこそ、絶望の淵から掴んだ 彼の生き様によって希望を見出す方も多いと思いました。(深夜便アーカイブ版orユーチューブ)
人間の感性は 真偽や善悪を見極める力と 自然との深い関わりの中で体が反応し美醜を感じ取る力があると言います。その力の基底には この世に完璧な人間はいないということ、だから相手を認め 受け入れることを通じて 気付かされるのが全ての始まりだった。
 そのことを なぜか 忘れられてきたのではないでしょうか?
 

3390:無智と横柄

 自然・・・おのずから存在してこの世界を秩序立てているもの。山・川・海やそこに生きる万物。森羅万象。人間を育み恵みを与える一方、災害をもたらし、人間の介入に対し、常に立ちはだかるもの。人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる(大辞林)
  直面する問題は 上記の言葉が全てを表しています。自然との共生であるべきところ対立では全くの逆です。もし それを認めないと言うなら それは無智と横柄さと言うしかありません、森羅万象を自分達の思うようにしようとするなら大きな過ちだ!
 自然の秩序を乱し結果生じた現実。無駄、収奪、人間社会で現に起こっていることです。それを制御できず長い期間 人間勝手を続けてきた。森羅万象中で突出した特権意識は、自惚れと無恥が誘因で何故かそれから離れられない。
 誰だって一人では生きていけない。信頼関係がなければ 、皆が望む”安心””平和”を獲ることはできまい、判り切ったことです。見返り期待の信頼はその本義ではない。
 それで、先立つものは”カネ”となったのか! 知ってか知らずか、お金に纏わることで 持続できる信頼関係が築けた試しはありません。その前提で考え出した仕組みならば いずれ足元から崩壊し、秩序が乱れるのが想定できたはず。
 いま確かな事は 子供たちや生まれてくる赤ん坊に 私達が積み上げてきた負の遺産をそのまま託すことは 絶対にやってはいけない。現状は自然からの諫(いさ)めと思うべきなのです。
 
 自然からの恵みを”当たり前”と考えてしまえば何が起こるか。宇宙の中で 唯一我々人間が生存できる星がこの地球、70億以上の人々が生きることを可能にする自然環境があるからです・・・・。否、あったと言うべきかもしれない。
 193ケ国加盟している国連(2011)は 第二次世界大戦後(1946)に国際連盟の後をつぐ形で発足した。戦争は人為的な争い、失うことはあっても得るものは何もない、その過ちを二度と繰り返さない為に国連の中に様々な専門機関がつくられた。今回のコロナ禍はWHO、連日世界の感染状況を公表し警鐘を鳴らし続けています。しかし WHOの存続意義まで揺らぎ始めている。加入国の思惑が複雑に作用し 不満が出ているのも確かだ。
 組織が自分達の利益のみを主張すれば 乱れます。過去の2度の世界大戦は それが原因でした。その状況は 一変している。見えないウイルスを相手にした戦いだから ・・・・ 虚と実の判断さえ困難にする・・・
 そのコロナ禍に対する我々がとれる対処方法は 三密(密集・密室・密接)回避、手洗いと換気です。そして 世界中の人達が待ち望んでいるのが、治療薬とワクチン、恐れているのは 医療崩壊。大事なのは 一人ひとりの自覚と冷静な行動です。