源究190

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日   NO   テーマ   月日 
 3311  暴力行為  8/19  3316 取捨選択考   9/7  3321 こだわり  9/22  3326 落とし穴   10/8
 3312  世界地図 8/23  3317 季節雑感   9/11  3322 彼岸  9/24  3327 お寺 カフェー   10/12
 3313  都会の表情  8/28  3318 後始末   9/14  3323 責任能力   9/27  3328 無・無・無~   10/15
 3314  なぜ今?  8/30  3319 想定外   9/17  3324 一条の光   10/1  3329 隗はなにか?   10/18
 3315  ギアチェンジ  9/3  3320 記憶   9/20  3325 然れど・・・  10/5  3330 裏と表   ☆

3311:暴力行為

 国内外を問わず、ネットから流れる内容は 益々 先鋭化している。それが嫌なら ワザワザ見なければ良いのだけれど 身近な事件などが起これば気になってしまう。これは 地上波放送の 偏向とワイドショー化への拒否反応?
 あおり運転の容疑者が茨城県県警により全国指名手配され昨日大阪で逮捕された。被害者の車のドライブレコーダーから 容疑者を特定し 逮捕となった。何度も 何度も流されたから その時の異常な状況が全国に知れ渡った。常磐高速道は 私も良く利用している。事件のあった守谷周辺は上下車線とも渋滞が少ないので スピードを出している車が多い。そんな所で車を前寄せされて 止めるとは 追突事故が起きなかったのが不思議な位、殺人行為・暴挙としか言いようがない。容赦なく運転手の顔面を殴った犯人 それをスマホで最初から撮っていた同乗の女性。こんな事が許されるとしたら 平和と安心のニッポンの看板は 即下ろさないとなるまい。
 また メデアの格好の攻撃対象になる事件が起こった。個人情報の保護と権利、罪と処分の中味など 昨今の有り様は ゴチャ混ぜ それだって曖昧にされてきた感は否めない。犯人が乗っていた試乗車(高級外車)は 現在 世界で最高レベルの安全機能を装備した車だった。 
 
 日本の今の状況は 楽観できないと感じます。何がそうさせてしまったのか? 外圧によるものか それとも国内にある不平や不満が鬱積し そのはけ口か? 日本も中米2大国の見通し無き貿易戦争の影響が無いとは言えまい。日本の立ち位置で 両方に良い顔をして果たして 信用が保てれるのか? 社交辞令を真面に信じるようでは いかがなものか。  ホンネとタテマエ それが外交さ!という冷めた考え、二枚舌と思われても仕様が無いような言動。これらは 他人事ですね、、もし不都合が生じれば 謝罪し 責任は取らない。 これで済ませてしまう風潮が民主主義の根幹を揺るがすようになった原因だとも言えよう。長い事 我慢を強いられてきた人々が 一気に爆発しないかと怖れている・・・
 間近に控える世紀のイベントに浮かれている場合じゃないだろう。先人が苦労して蓄えた財を惜しげも無く食いつぶしている。 見なさい!至る処に。”NO”と言えない国家になっている。 それだって 経済力頼みの外交や内政、その末路は明らかだ.。原資が枯渇した時の惨めさを 事もあろうか 自分達ではなく 次の世代に負わせるような事を 何の反省もなく続けて来た。問われれば寡黙になり、同様にマスコミも追随し援護する。これは SNSの急拡大に対しマスメデアが旧態依然の構図から変われない その限界かも知れぬ。。。。。
 世界の目は 日本のこのような実態に向いている。それを知ってか知らずか 外見ばかり気にしている。
 一時の流行語となった”忖度”が 全てに伝染し、何を大事にするかを見失った社会、工業技術の進歩によって作られる安全や満足は幻影か!それだって最初から判っていた、使う人の問題だと言う事を。 国として教え学ぶ機会を どうにかしないとこの国は持たない。
 
 今の自民党は 一強独裁となり、本来の政党としての機能が果たせていない。・・・・・これは 衛星放送で語った元自民党幹事長の弁。 党内での議論が消え 政府にモノ申す者がいない。こうなった原因を二つ上げている。一つは選挙制度、 小選挙区制になり 党の公認をもらう為に 官邸に気に入られるような言動が蔓延った。その帰結が派閥の弱体化。もう一つは 政治家の成り手がいなくなり、資質の低下が止まらない。そんな話を聞かれるとは思ってもいなかったので 妙に新鮮味を感じた。 政治評論家の話ではなくて 党内長老からの苦言だが 残念なのは今は政界を引退している。
 一強独裁の弊害は 自ずと壁ができ 風通しが悪くなることだ。それを他党批判で誤魔化しているとしか思えない。このミスマッチは 政党の末期 内部崩壊の前兆か? 今の永田町は この状況が自民党だけで無く、政界全てに蔓延していることで、その危機感を当事者達から殆ど感じない事、審議を深めることが出来ないから中長期の方向性が出せない。これが偽らざる今の政治だ。
  相変らず出口の見えない低い投票率。こんな状況で 国家としての重要な課題を決められては 堪ったもんじゃない。すると 有権者の責任論が再燃する。
  これをもう 何年続けていますか? 一向に変わらないでしょう。貴方達の責任を認めなさいよ。
  環境が大きな原因だとすれば 今の儘では 違法行為が減る見通しは無いだろう。

3312:世界地図

 世界地図がネットを通じ バーチャル地球儀として観れる時代になった。 縮小・拡大・ 3D・衛星写真・・・・と 明らかに昔とは変わった。このシステムが軍事利用され AI武器により ピンポイントで攻撃する、恐ろしいことになっている。残念だが誰もこの動きを止められないどころか より深刻度を増している。国連の役割も微妙、武器の開発競争も何の前触れもなく 突然に協定を破棄し報復の正当化を主張する。雲行きが怪しくなって 暗躍する武器商人は 多国籍? 敵味方関係なく 売りさばく。 貧富の格差が騒がれ出した頃、ほんの一部の人間が獲る収入で 一国の予算を上回るなど夢物語でした、それが現実になった。 果たして これが真っ当な時代なのだろうか? 人間は 際限無き己の欲望に どうブレーキをかけるのか! その必要性も感ぜず お金になれば なんでもする輩が増えた。
 現実に今 世界で起こっている悲劇の最大の原因は貧富の格差だ。収奪と独占、内戦と外圧、国を捨て難民化する人々の急増、安心を求め 必死に逃げまどう・・・・・・・。
 一方 豊かさに酔いしれ 好き勝手な振る舞いを良しとする者たち、自らの財を外国に移し いざとなれば 国を捨てるなど気にしない。
 この種の人達には今の世界地図がどう映るのか?
 始末が悪いのは 昔とは変化のスピードが全く違う、最早 人間の頭で考えられない事にまで 科学の進化や進歩というコトバで括り、越えてはならない一線をも飛び越した。
 ニッポンはどうか? 少子化や高齢化への対応に苦慮している間に 世界は 全く違った方向に動いている。このギャップは 何故 起こったか。
 ある意味では 武器商人と通底するものがあると思えてしまうのです。”経済の豊かさ”というコトバに眼が眩み、判断能力を失った人達が中枢に居座った為、質実や質素という日本語を忘れ 無駄をも豊かさの証と誤解した。
 謝罪すれば それで済むという感覚は 相手の立場に身を置くことができない人に多く、儀礼的で心を感じない。それが感情のもつれの最大の原因とみる、判らない人がそのポストにいれば その影響は計り知れない。
 
 女優:渡辺美佐子さんが34年間続けてきた 広島・長崎の原爆の惨禍を伝える朗読劇を今夏で閉じることになった。86歳というご自身の年齢もあるのだろうが、出演する人たちは全員が戦争体験者、開催各地の子ども達にも劇に参加をしてもらい、被爆者の手記を読み継いできた。
 渡辺さんが戦争末期 家族と共に東京で過ごし感じた事は 東京では食べ物が獲られないということ、闇米さえ手に入らず 飢えに苦しんだ。今 日本でそんな事を考えられる人の数は少ない。36台の防犯カメラを設置し夜中営業の無人化を試行するコンビニ、売れ残った食べ物を破棄したり、夜中も煌々と灯りがともる大都会、日本人の多くがこれに疑問を感じなくなって久しい。原発は平和利用ならば やむを得ないと 大部分の人が考える。もし、戦争が起これば 最初に狙われるのが原発、それを議論することさえ良しとしない社会の風潮、戦後74年という戦争をせずに済んだ日本が果たして 過去の体験をどう捉えているのかが判らなくなってしまった。 大人たちの責任が大きい。何も知らされず 学ぶ機会もない子供達に何をどうしろと言うのか!
 日本人一人ひとりが 不戦の誓いを自分達の問題として考えないとならない。その最大の責任は 政治を動かす人達にある。法律を定める権限を有する人たちに 曖昧な態度は許されまい。
 更に 国民を含めた 国の在り方を誠実・丁寧に語り合う場を早急に設けるべきです。それを長い間怠ってきたツケは 世界の動きに対応できない最大の国内問題と化している。
 私の友人に障害福祉を平和運動と考えている人が何人もいます。皆 現実と向き合って現場に立つ人達です。 
 ”記憶にない””忖度””平和ボケ””政治の安定””不戦の誓い”・・・・・この意味不明な日本語から貴方は何を感じますか?そして いま 何をすべきと考えますか?
 現実に目を逸らしてもすまされた時代とは 明らかに違うことを 先ずは身近な人と語り合っていくべきですね。 
 
 7~8月の盆の行事が24日でやっと終えることができました。全部で11ケ寺の施餓鬼会に出てきました。 もう何百年と続けられてきた寺の行事ですが 形を変えながらも良く続いていると感心します。餓鬼に施す、難解な仏教と言われる中でも 特別分かり易い行事で、精霊棚には獲れたての野菜で牛や馬を作り、ミソハギの束で清水をかける。一部始終を幼児にも分かり易く話をするお年寄り、そこには先祖を思い大切にするという日本特有の文化を観じます。
現実には 取引外交がここまで来てしまったか やればやり返すが正当化、どちらが先か判らずに 深みにドンドン嵌まっていく。今流行のツイターに書かれた内容で株価が動き、世界は後手後手の対応で振り回されている。この状況は 明らかに異常、少しは制限したらどうかと思うが そうすればヤレ サイバー攻撃と騒ぎ立て争い始る。便利で実に厄介なモノを人間は考え出したものである。
  地球上で疲れを癒す安息の場が どんどん失われていくようです、自国のことで物足りず 他国をも巻き込んで台風の目・・・・その真の狙いは何ですか?
フランスの海沿いのリゾートを会場にG7が開催されている。やる前から危惧されているのは 纏まった決議は出せないという諦め感。今年 大阪で開いたG20、あの時何を議論し総括したか定かでない。
 世界の百数十の国で選ばれた国のトップが集まり 決議しても 約束を反故し守らなければ疑義ばかりが増すでしょう。仲介役を買って出たまでは良かったが 状況が変わり 今度は自分が仲介役を頼む事態になるとは ご本人も想定外だったに違いない。
 ”G”という頭文字  高が一文字 されど・・・・・・! 国連で正式決定されたものではなく 自薦でなかったのか。それだったら 面白くない国もあるでしょう。・・・・世界地図のVR映像とその裏事情。・・・・
 

3313:東京の表情

 親戚の結婚式があり 電車で会場に向かった。スマホで乗り換え案内を調べ 予定どおり余り困らずに目的地、そこは 東京ターワーの直ぐ傍で 日曜日のためか 道路はガラガラ、地下鉄も空いていて 人の流れを気にせず早目に着いた。
 最近 外出を控えていたから 地下鉄駅で階段の上り下りは正直 体に応えた、案の定 誰もいない式場(教会)の中に入れず木陰で休む。前の道路をオープントップの二階建て”はとバス”を多く見かけた。大都会の休日の表情は、官庁街、警備する警察車両と警察官が自棄に目立つ。歩道の人通りは全く無い 異様な風景だった。
 この周辺に数年後に地上330メートルのビルが建つと聞いた。現在 日本一は大阪にあるビルだが 次々にトップの座が入れ替わるようである。あと10年~20年したら現在の貿易センタービルのように 目立たない存在になって300メートルを超すビルに挟まれる街の風景は 相当変わるのだろう。
 高層ビルもいずれ解体する時がきて どのようにするのか 気になる所だが その頃まで 私はいないだろうから 確かめることはできまい。
 帰り 東京駅までタクシーで行って 常磐線で土浦に、昔は上野駅がターミナル駅だった。今は品川まで延長になり 東京駅から特急に乗ったが 全座席が指定になっており 全て満席で 危なく立ち通しの帰路になる所だった。
 
 
 地上と地下 様々な顔がある。多層階となった 交通網と建物は駅が地下通路で繋がり、出口も沢山あって それを確かめないと偉いことになる。いつも思うのは これで非常事態が起こった時に うまく非難できるのだろうか? 出口に人が殺到しパニックになるのは目に見える。そして 停電になれば 昼間でも真っ暗となり 手探りで避難出来るとは考えられない。 大都市の最大の弱点は 非常時への対策の遅れであり、それも 普段通り慣れた人ばかりでないという条件がつく。
 闇雲に建物の高層化や利便性を追求するべきでない。中東の人工都市(ドバイetc)とは違って 日本は狭い国土と言いながら 遊休地は都市部を離れればいくらでも見つかる、どっちを選ぶかを 自己責任の問題として知らんぷりして良いのか?
 巨大地震の起こる確率が高まっている割に その対策への本気度が低いように思えて仕様が無い。
 日本人への見方で 福島原発事故の後 様々な意見があると思うが 確かな事は『喉元過ぎれば熱さを忘れる』 あの経験を どれだけの人々が今も関心を持ち 二度と繰り返さないために 何かを実践しているでしょうか?
 電力会社は 国が新たに定めた許可基準をクリア~するのに必死で 目標は再稼働有るのみといった印象は拭えない。これも 何故か地下鉄の出口と似ていませんか。 有事への想定が 現実的でない。

3314:なぜ今?

 仏教の命題、人間には煩悩があり、それが原因となり悩み苦しむ。人間がその苦から脱するために どうあるべきかを説いている。 先ず、人間が持つ煩悩108をあげ、その中で三毒、貪瞋痴(とんじんち)を最大の煩悩に据えた。貪は貪欲=むさぼり、瞋は瞋恚=いかり 痴は愚痴=おろかさであり、それに人間の五官から生まれる五欲、食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲加え三毒五欲とした。
 なぜ 今 その煩悩を取り上げるか??? それは  世界が急速に大きな渦に巻き込まれ 多くの人々がもがき苦しんでいると危ぶむからである。苦しみは悲しみとなり、怒りとなって争いが始る。原因の如何を問わず 基本は貪欲な心と妬(ねた)む心から起こるとみる。2000年以上前に釈尊が説いたことが そのまま今に生きてくる。 人間は 同じ過ちを何度も繰り返してきた。2000年前と明らかに違うのは 人間そのものというより地球自体の存続が危ないと思われるからなのです。
 極限での人間の理性や自制心には疑問がある。 自由と豊かさを標榜し 手段を選ばず追い求め それに満足することはなく 更に獲ようとする亡者の姿。その渇望は弱まることを見せない。収奪によって得た豊かさをも正当化する。 これは近現代に登場した自由市場経済を盲信し疑わないことによって拡大し続けている病巣だ。 己の膨大な財産を誇り 成功者を演じているが真から満足はできない。こういった工業社会の見せ掛けの豊かさは 精々200年の歴史でしかない。 貧富の格差を生む最大の原因と言われ、それを知りながら止めようとしない。これが実体ではないか!結局 これは一時の幻影でしかないことを 理解しない。
 人間誰しもが持つという 夜叉の心。。。。外面似菩薩 内心如夜叉。。。。 が息を吹き返し 地獄と化す、そんな悪夢をみたのは 盆月が終わってホットした夜だった。
 
 悪夢が現実になるのか。そのうち最も恐れるのが戦争、核兵器の削減どころか その逆の流れを誰も止めれれない。その愚かさは 何がそうさせていると思いますか? ニューズウィーク日本語版で 孫正義氏の『日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう』という記事があった。そこに 数々の数値(世界競争力・平均賃金・相対的貧困率・年金の所得代替率・障害者への公的支出等々・・・)を示し 日本の今の世界での順位をあげている。日本は ことごとく 30位前後と低位置にあることを知り 正直 驚いた。彼は日本が世界でも有数の技術大国であったという『勘違い』に向き合わなければ 日本経済のトンネルを抜けることができないと指摘する。
 ソフトバンクグループを率いて 世界に躍り出た成功者だけに 無碍にはできまい。かつて一度だけGDP世界2位だったことを(惜しげも無く)PRに利用してきた政治家や経済界、さすがに ここまで世界での順位が下がれば 言葉を選ばずにはおれまい。日銀も同類だ、日本の財政状況を公にする時に異常なまでの神経をつかい かえって訳の判らない表現で収めようとしていないか。
 今の不透明感は あらゆる処に蔓延している。外交問題しかり、内政もしかり、 それでも動こうとせず じっとしているのはなぜか。
 このまま行くとは思いたくない。問題に向き合い 勇気をもってその改善に一人ひとりが努力する。これこそが日本人が長年大切に守り続けて来た”信念&文化”だった。それが いま どうなっているか 暗くて長いトンネルは さらに 長くなっているように感じる。これは夢ではありません。実感です。
 
 
 田畑は休耕地となって一年で荒れ果てる。土地の所有者は近所迷惑だと非難され、草が伸びないようにトラクターを使って耕す。勿論 除草剤を使えば それ以上の反発を受ける。斯様に負のスパイラルが現代社会の象徴となってしまったのだろうか。環境破壊・資源の枯渇そして人間のエゴイズムの蔓延、・・・・持続可能な社会の仕組みと言いながら実際に行なっている事は真逆のこと、貧しい国からの搾取や収奪によって 世界の工業国は豊かさを獲た。その成功体験は正しい選択だったのだろうか?むしろ ニセモノ性のシンボル、それに人間が気付くのがあまりにも遅いから自然が牙を剥き出した。アマゾン流域の火災は既にこの半年間だけで8万件を超え 例年の2倍以上起こっているという。熱帯雨林は地球への酸素供給の重要な役目を果たしている。その事を 世界は軽視してきた。日本の状況も変わらない、線状降水帯という耳慣れぬ気象用語が頻繁に使われるようになった。過去の記録をことごとく塗り替え、全国各地に想定超えの被害を齎している。いかに 軍事力や経済力を持っても 自然の猛威に成す術がない。豊かさ症候群で失った最大のモノは”危機感の欠如” 逆に獲たものは”自分さえ”という考え方、これは言い過ぎでしょうか?
未だ 認めようとしない”経済第一主義”の考え方、見なさい それで 日本人は一体何を獲たのでしょうか?真の安心 それとも 幸せですか? 公表される数字のマヤカシ、不都合な事の隠蔽、責任の曖昧さを 見せつけられてきた。これらは 嘗ての日本人が最も忌み嫌った武士道精神ではなかったか!人間は努力する限り迷うものだ・・・・ゲーテのコトバである。
知ってか知らずか マヤカシや隠蔽によって どんなに見せ掛けを良くしようと努力した処で そうは問屋が卸すまい。 

3315:ギアチェンジ

 溢れんばかりのモノに囲まれ 息苦しさを感じることは有りませんか? 今の状況は何が正常なのかさえ判らない。経済偏重の弊害で モノを粗末にしても何も感じないという状況を生んでいる。あげくの果ては、この地球に生を受けた者が犯してはならない禁じ手を使うか否かの瀬戸際、そして目先の豊かさを追い続け 気が付いた時には元に戻れない状況になっても、それを認めない人間の狡さと愚かさが際立つ。その証は日本にだっていくらでもあります。地表をコンクリートで覆ってしまった東京を見れば 判るはず。近年の猛暑は異常、夜中でさえ25℃を超える熱帯夜が連日続く。これは 昼間に熱せられたコンクリートが冷めきれないという大都市のもつ弱点です。それでも 都会に住みたいと考える人は減らない。私が住む土浦は 霞ヶ浦や筑波山に囲まれ、東京と比べ2℃位の温度差があります。都会の利便性を差っ引いても息苦しさは少ない。 コンクリートで覆われない土地があれば有る程、地球が息をしていることを肌で感じられる。しかし 県の魅力度調査はここを評価しない。オカシイよ!まさしく 日本全体が経済病に見事に罹ってしまった。
 夜をエアコン頼りで温度調整しないと寝苦しく眠れない。 消費電力はピークで使い過ぎのブザーが鳴りどおし。一体 この支出をどう見るか、GDPを上げるのに貢献しているとでも???そんなことより、使用済みの核燃料の最終処理さえできずに 燃やし続ける原発からの電気をいつまで使い放題できるのか・・・。
 言うは易く 行なうは難し・・・・判っていますよ。ただ地球環境や人間の体には限度があるでしょう。室温調整をエアコンで行っていれば 我々が本来持っている順応力や自然治癒力は萎えて体に異変がおこってきます。  これでも まだ初期の症状かもしれません。重篤な事態になったら 良否の判断さえできなくなるそうですから。
 政府が発表(?)した防衛費が5兆3千億、過去に無い膨大な金額になるらしい。 その説明で 今時通る積りなのか? この国の借金総額が誰も判らないことも異常だが それに関心が薄い国民もどうなのか???。
 ・・・・無私の日本人 無名の、ふつうの江戸人に宿っていた深い哲学、それは 行く末を心底から憂いた 人間らしい生き様、・・・ 急に何を言う?血迷ったか! 貴方こそが凝り固まった頭、まるで オートマチック車に慣れ過ぎて ギアチェンジが出来なくなった訳でもあるまい。  最近私は 道具満載の中古の軽トラを多く使うようになりました。もちろん マニュアル車です。クーラーが無いので少々暑い以外は気分爽快で満足しています・・・・。
 
 
 グレタ・サンバーグさんの講演をネットでみました。早速 その日本語訳を取り寄せ読んでみました。彼女はスウエーデン人の16歳、8歳の頃に気候変動や地球温暖化のことを初めて耳にして、その時 人間が他の動物と同じなのに地球の気候を変える力があるという事を変だと思ったそうです。そのことをずっと考え続けてきたけれども納得できる答えが見い出せず、11歳の時に病気になりウツ状態になって食べなくなり話さなくなってしまったそうです。診断名はアスペルガー症候群で強迫性障害で選択的無言症だと言われたそうです。
 その病気は基本的に必要だと思う時にしか話さないというもので 今 その必要な時なのです。・・・・・・講演の口火として自らを語った。
 彼女の話す内容は 淡々としたもので それでいて分かり易く、現状を的確に指摘しています。私は正直 胸にグサリと突き刺さるような衝撃を受けました。是非 皆さんにも見ていただきたい。(『グレタ・サンバーグ スピーチ』でネット検索すると沢山出てきます。)
  流暢な英語で話されたもので ・・・・・既存のルールに従っていては 世界を救えないのです。ルールを変えなければならない。すべてを変える必要があります。そして今日始める必要があるのです。・・・・でその講演は終っています。

 仏教は過去に2つの大きな流れに分かれました。所謂 大乗と小乗仏教です。大乗は中国から日本に渡って 今に至った。小乗は 東南アジア(ミャンマーなど)に広まっています。 基本は 我々人間がどう生きるべきか!という共通するテーマを持っています。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧・自利利他・事教二相双修。。。。自分と他人、理想と現実という対象視座を大切にしています。 それが どうでしょうか? 今は極端に偏った考えが罷り通る世の中になってしまったと思いませんか?
 優性思想しかりエゴイズム・格差容認など 真逆の価値観が急拡大し 地球上のいたる所で混乱が生れています。その中にあっても 深刻な混乱が 地球環境破壊であろうと私は思います。それは 今に始まったことではなく 明らかに産業革命が起こった時代(18c)を境にして急速に変わり始めたといわれます。地球誕生から五十数億年という悠久の時間、それを たかが200年という短い間に 人間が深く関わって地球環境を変えてしまったのです。誰一人としてその責任をとらずにです。
 一国の利を 強く主張し デイール外交に興じている時ではないと思いませんか。”NO”といえる人間が どれだけ 手を携え一緒になって 既存のルールを変えられるかが問われていると思いますよ。私達は 目先のことに一喜一憂し 時間とカネを浪費し思考停止の状態になっていることを認めなければなりませんね、貴方は 16歳の女性の勇気ある行動に傍観者でいられるでしょうか? 国の1%のGDPを上げることと 地球の平均気温を1度下げることに どちらを優先させなければならないとお考えでしょうか。
 
 熱帯夜の中で エアコンが家にあるのに 使わずにいて亡くなった人がいました。普段 その方は ”冷房を使うと 体の調子が悪くなる”と語っていたと言います。私が若かった頃 そんな風に言う大人たちが沢山いました。最近の暑さは異常です。そして 防犯の為 夜中、ずっと戸を開けていることは出来ない。そして下手すれば夜中でも外気温のほうが高いということもあります。
 人間だけではなく この国でも 熊やイノシシなどが山から降りて住宅地に出没することが珍しいことでは無くなっています。明らかに 自然環境が変わったのです。『人類は分かれ道にたっている』グレタさんが 丁度一年前 15歳の時に学校を休み たった一人でスウエーデンの国会前でストライキを行った。 マスコミで取り上げられ話題になり、その後 世界各地で彼女は地球の気候変動に関する講演を行なっています。
 私は69歳になります。孫の世代のグレタさんが 勇気をもって行動しているのを知って 恥ずかしくなりました。 
 スウエーデンと日本を比べて見ましょう。人口は1022万人、面積は日本の1,2倍、立憲君主制で一院制をとっています。首都ストックホルムの人口は96万人という。福祉国家として様々な制度が整っており 昔から日本にとっての模範となっている国です。そして 最も学ぶべき点は 国民の多くが”生きていて楽しい”ということを感じているということです。
 そこで産まれたグレタさんです。
 
 仏教は知識より智慧を尊ぶ教えですが、学歴社会が強すぎると様々な弊害が起きます。知識の詰め込みをどんなに行なっても 難しいことがあります。それは”こころ”の問題、生きていく基本になることだからです。
  今の状況は それさえも危うくなっていると考えるべきなのかもしれません。事教不二と言いますが 現実の問題が深刻だからです。それを どうにかしないと地球自体が持たない。天文学者は地球の寿命を後何十億年と言います。
 果たして 現在の私達が住む環境が変わらずに存在しているという保障はあるのでしょうか? その事を 彼女が訴えているのです。
 

3316:取捨選択考

 情報やモノが溢れる今の時代は 私達がその中で何を選択するかという事に尽きるように思いますね。複雑に成りすぎた社会が見失った”本義”(本来あるべきさま)を どう取り戻せば良いか 難しいな。明快な真意&本懐は さ~て どうしたものか?
 文化や自然の違いとは次元を異にした 万国共通の望み”平和・安心”を語ると、雲を摑むような話と思われるかも知れない。 だったら赤子が母親の腕に抱かれ乳を飲み寝つくような安らぎは 夢物語で良いの? 虚栄心や焦燥感は 本義(
共生)とは 遠く離れた存在、昨今は先哲の教えは用を成さず どこかに葬りさられてしまったか?
 様々な文明の利器は 自らが体験を基にして獲た価値(智慧)ではなく 容易に答え(知識)だけを示してくれる。ややもすればVRを現実と見誤り、あたかも それが正しいというばかりに 信じて疑わない。結局 頭の中だけで得た知識やその価値が 自由という後ろ盾によって生き延びているのだと思う。
 自由には 権利と義務の両方があって初めて生きてくる。その基本的な考えが曖昧な儘 今の社会は成り立っているように思えて仕様が無い。
 相手の身になって考える力、自制する力・・・は ドンドン弱まり ”豊かさ・便利さ”という麻薬に翻弄され 正常な思考能力をも失いかけている。
 私は 毎日 その真逆の生き様に遭い、正直 自分が慰め癒されている。彼等はみな生き仏のよう。その証拠に私達が失った”何を大事にするか”ということを確と掴み放さない。見ろよ! 知らなかったで済むんかい! 自分に問いただす日々の中で得た充実感がそれを知らないという人達にどう伝わるかが判らない。
  今は できるだけ 目立たず 裏方の仕事を見つけ 邪魔しない様に 彼らの傍に居よう。
  ”かあちゃん くっと~!”  ” やっくん 死んじゃったの?”  ”あしたの とまりは ○○” ”・・・・・・”  そんな彼等の日々の声(あいさつ)が聴こえる。彼等の言葉は 限りなく尊く 重い。 それは 彼らが生きてきた有りの儘の姿を 少しは 知っているから言いたくなる。 それだけの事なのです。
 
 四諦(苦・集・滅・道)は、迷いと悟りの因果を説いた仏教の基本的な真理です。釈迦が初めて説いた教えである初転法輪、出発点と考えても良いでしょう。人の一生を生老病死と時系列にして 更に説明する。誰にも起こる事だから 判り易い。 実は その時にならなければ考え付かない多くの事があり、その時々に様々な感情が生れている。生を受ければ 必ず死を迎えねばならない、これが真理と知りながら 大半の人は それを自分の事とは考えず 真剣にはとらえない。
 時々は世の中の価値の真偽を疑ってみては どうだろう! 
 50年前になった。私は下級生と二人で南アルプスのテン泊全山縦走を行った。何日かかったか正直忘れた。ハッキリと記憶しているのは 甲斐駒ヶ岳の急峻な登りを30キロを超えるザックを背負い喘ぎながら なんでこんな事になっちゃうんだ? と後悔しながら入山したこと。そして 最終日は光岳の頂上に立ち富士山をみた感激、自然に涙がでた。。。。。
 人の一生を登山に譬える話は何度も聞いた。でも 山が好きか否かとは違う。自分の足で登る人も有れば 見晴の良い処から山を眺めるのが好きな人もいる。正直 私は登山が好きだとは言えまい。あえて言えば好奇心。
 半世紀が流れ 当時と比べ登山も随分変わった? GPSで正確な居場所がわかり、天気図を書く必要もなくなった。
 でも 本質は変わらない。自分と向き合うこと。進むか戻るか 自分で判断。単独行の場合は特にそうだ。70に届く歳になり、それは 当時と何も変わっていない。
 
 四苦は、生老病死で それに愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の4つを加え、四苦八苦。私達がこの世において体験する苦を提示する。苦には、元々二つの意味があった、苦はパーリ語でdukha(ドゥッカ)で、一つは精神や肉体が感じる苦しみ、もう一つが『不完全』という意味を含めて説かれたものです。 
 誰しもが完全では有りえない、顔形が違うように 得手・不得手があり 考え方や受け止め方も違う。これが当たり前と言うのです。 
 世界の動きが どうも変な方向に向かい始めていると感じませんか?キナ臭く、悪口三昧、損した、得した・・・ばっかりとなれば どうなりますか? 貴方は 子供達に『そんな事したら ダメでしょう』と謂ったことはありませんか?そこには 相手が嫌がることは しないという暗黙の了解があり、親が子に対し”躾”の思いがあった。それも 将来 子が困るからという親心。
 他国との交渉は 違うのでしょうか! よく歴史を持ち出す方がいる。それは 過去のどの時点まで遡れば良いのでしょうか?
 行き過ぎた躾は虐待に通じる。そうなってしまう根底には 親自身の幼児体験・学習が影響しているという説があります。
 それは全てでは無いことを言っておかねばなりませんね。
 

3317:季節雑感

 
立秋8月8日、秋分の日は9月23日、季節の節目のズレを感じるようになって 大分なりますね。確実に気温の上昇を感じ、それでも周囲を見渡せば 秋の訪れを見つけることはできる。栗が殻を広げ実が顔を出す。今年の出来栄えはどうかな?
 実がいつもより小粒だという話を良く 耳にする。前半は雨ばかり、梅雨入りの発表と同時に全く雨が降らず 記録的な連日猛暑となった。これが影響しているのだろうか地域の人達の挨拶言葉となっている。
 朝の6時 地元の中学校の運動会の花火があがった。台風15号が関東地方に向かっているという そして 今日の天気予報では32℃の最高気温 となるらしい。熱中症を心配しながら予定通り行われる。
 最近 日本でブームになっているのが 俳句や短歌、五・七・五や五・七・五・七・七体で歌う。季題や切字を考えて形にする。頭の体操?といったら叱れれるかもしれぬ日本の伝統文化。それと 良く見かけるのは カメラで花を撮っている人達、スマホで写し 誰かにメールで送るのか。この地域は 最近は外国人が多く住んでいる、おそらく日本の風景を国にいる家族や知人に送るのだろう。
 季節を感じらるのは 平和があればこそ、自分が台風の目となり 嵐をおこすような人達が 国のトップになるのは どうなんでしょう。欲張ら 荒げ 諦め  三つの『ず』は季語とは なら
 
 
 今回の台風は もし関東地方に上陸すれば今年初めてとなる。8日~9日 暴風雨への細心の注意を喚起する。梨農家は気が気でない。昨日は 近所の梨農家から学園に梨をカゴに10箱も頂いた。思いがけないプレゼントで 全員でいただくことにしました。台風によってダメになる前に収穫してしまう農家の苦肉の策。
 栗農家も同様に 台風が心配だ。栗殻が色づき始め 直に収穫という時に 殻が青い儘 落ちてしまえば元も子もない。 一年で一回の収穫である、どんなに防御策を考えても 自然の猛威には敵わない。
 昔から 自然相手の一次産業は 出来不出来は覚悟の上だった、それでも漁業などは 獲り過ぎによって 魚そのものが減ったというから 他に対応策は有るような気がする。嘗て霞ヶ浦は ワカサギで有名だった。湖畔に浮かぶ帆かけ船は この地域の風物詩だった。それが 年年漁獲量が減って 今は 殆んど獲れなくなった。これは 水質の汚染による処が大きい。それでも いくらか水の透明度が良くなっているらしいが 元には戻らない。
 日本が力を入れた工業化、その裏には 様々な問題があった。 大量生産 大量消費、 合理化と事業の拡大を国策に掲げ遮二無二歩み続けた戦後、日本だけでなく 世界中が 同じような問題をかかえている。 それは 見せ掛けの豊かさだったと結論付けるには まだ 時期早々でしょうか? 
 ハッキリとした人生の設計図もなく、老後どうしようかと思っても 結局は制度によって保障されるのは 一部分 他は自己責任となっている。
 昨日 TVで北欧の特集番組があった。正直 日本の現状とかなりの格差が開いていることを痛感した。なにかと GDPの数字を出したがるニッポンに対し、男性の育児休暇で6か月続け仕事の休みをとったという話だけでもう充分だ。
 ならば代案を出せ!というのであれば 先ず”隗より始めよ”と即答したい。
   
 
 怖れていたことが現実になった。台風15号は進行方向を北東に変えて 千葉県に上陸、その後茨城県を通って 午前9時ごろには 太平洋上に出た。昨夜は 11時ごろから暴風雨となり 雨戸を閉め ジッと通り過ぎるのを待つしかなかった。鳴り止まぬ風の音、横殴りの雨が壁に当たる音が気になって眠れなかった。朝5時ごろ風向きが変わり北西方向からもの凄い風がふきはじめた。千葉市で過去最大の瞬間風速57.5メートルを記録したのが丁度その1時間前だった。寺裏山の杉が今にも折れそうに激しく揺らいだ。明るくなり始めた5時過ぎ道路に落ちた枝をどかし始めたが 突風に身の危険を感じ 早々に家の中に避難した。
 今回の台風は 今までに無いコースを辿った。大体 茨城のあたりでは 台風の勢力が弱まり、被害はあまり出なかったが 今回は千葉に上陸してから 960hPaの勢力は 全く弱まらず 逆に強まった感がした。
 当に大都会東京の災害時の弱さを露呈した。東京電力関係で停電が84万軒に達し、あの高圧線の鉄塔が根元から倒れた。さらに 交通網の大混乱は想定を超え、道路の通行止めや電車が軒並み止まった、道路渋滞や電車を待つ長蛇の列、それも30℃超えという猛暑の中を長時間並ぶ状況は悲惨としか言えない、 今回の台風は様々な課題を私達につきつけた。
 利便性と不自由は表裏を成すことが証明された。都市機能の脆さは深刻だ。 電力や水の確保が出来なくなった時に どうなるか!貴方は 締め切った家の中でエアコンも使えず どうすごすか 考えたことがありますか?エレベーターが動かない、 停電で情報を得る手段がない。 いつの間に私達は そうならないことを信じ疑わないようになってしまった。
  災害対策は 起こった場合の事を考えるのではなく 起こらないようにするには どうするかという根本の問題解決しか防ぐ方法はない。異常気象の最大の原因は地球温暖化 これは 世界が対応しなければならない最大且つ喫緊の課題だと認識すべきなのです。
 

3318:後始末

災害連鎖、いま 日本は自然災害が急激に増え その被害は益々拡大し続けている。後始末が終わらない中に 新たな災害が起こる。今年だけ特別とは言えない。 このままでは この国の在り方を根本から変えないと持たないのでは。 何とも得心できぬ事が起こっている。TVで今回の台風被害の番組をライブ中継している間に何度もテロップに流されたものがある。 新たな内閣人事関連の速報だった。≪なんで 今 このような時に入閣予定者の情報を流すんだ?≫
メデアモラルの麻痺がここまで来たか!閣僚が17人が変わり13人が初めて。これに私は なんの反応もおきない、それがどうした?こうなってしまった原因は どこにあるんだよ!いつまで 同じ事を繰り返しているんだと我慢の限界だ。
 他のチャンネルを回すと千葉県の今の状況を中継していた。知人の施設の場所も停電中の地域に入っていた。直ぐに電話した。≪大変だよ! いま 電話して頼もうかと職員と話あっていたんだよ・・・≫。大きく事業展開している法人の理事長は、≪電気がないというのが 我々にとってどんなに大変なのか判ったよ。職員も必死でやってくれている。水が出ない、情報が入らない、エアコンも使えない。非常食用の水を使ってしのいでいる。あと何日もつか?昨夜は一睡もできなかった。まだ 電気がいつ回復するかサッパリ判んないから不安だ・・・・≫と一方的に今の急場を語った。これが現実である。 入閣者がどうのこうの 今知りたいのは 一体誰?この温度差は受け入れ難い。これを受け流せるか否か。はっきり言って”NO”だ。
 更に
 ≪福島原発の汚染水を海に流すことを考えねば・・云々・・・・・≫ ホントかよ。イヤホンを付けたまま寝る習慣になって、地上波以外の放送だった気がするが フェークか勘違いかは さだかで無い。 永田町界隈からは ≪現状の難しい世界情勢にあって 日本は平和を願う国として仲介役を積極的に果たしていく覚悟である・・・・・云々≫ 何だって?、これもどうかと思う!確かに 本人自らの弁として多くの国民がTVの画像から耳にしたはずである。
 
 新入閣が誰なのか? いつも聴いているラジオ深夜便の番組が、なぜか大臣就任者の挨拶に変更になっていた。直ぐ 私はスイッチを切った。論功行賞の人事といったら無礼か?ハッキリ言って 私は捻くれ者ですよ。否定はしません。恐らく 初入閣の祝賀会をどこかでやっているんだろう?、さすがに その追っかけ中継は控えたようだ。でも今の日本は 本当にズレていると思うね。何が大事か その見極めができないようになってしまった!
  夜が明けて 多少救われる気持ちになった。 4時から『明日への言葉』だ。内容は戦後28年 グアムのジャングル生活から1972年に帰還した横井庄一さんの奥様の話になっていた。 NHKラジオ深夜便の『明日への言葉』は次の世代に語り継がなければならないことだったはず。 今の子ども達が 横井さんの事をどれ程知っているだろう? 現在 NPO法人の運営で横井庄一記念館が名古屋市にあり そこの館長を91歳の奥様が行なっている。それはご自宅の6畳間を展示室にした質素なものらしい。横井さんが人前で話す時は、先ず最初に 人への感謝をのべていたそうです。それから 物を大切に使わないといけない、二度と戦争を起こしてはならないという二点を語り続けたそうです。 
 その横井さんは1997年82歳で亡くなっている。もう戦争の恐怖と闘い 逃げ惑うことが必要ない処から 今の日本の状況をどう観ているだろうか・・・・・・。
 
 
 もう直 92歳になるという奥様が語った言葉が心に残った。≪もう 随分長生きしたから いつ逝っても良いと 身の周りを整理しています。≫ このなにげ無い言葉に、横井庄一さんを夫として選び、共に歩んだ方だから重い。
 日本に帰還した時 当時の斉藤厚生大臣に語ったという≪恥ずかしながら帰って参りましたのは 何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰って参りました。≫ その夫の生涯の夢は 記念館を作り 後の代に戦争の悲惨さを伝えたいということだったそうです。自宅の6畳一間の記念館 それは 当に 物を大切に使わないといけないというご自身が普段から語っていた横井さんらしい。
 膨大な費用をかけて 世界に豊かさを誇るようなイベントを開催しても どうなのでしょうか? 戦後 75年の時間は 残念だが 先人達が命をかけ 守ろうとした大切なものを どこかに置き忘れてしまったと言えないでしょうか?
 それを 時代遅れ ひねくれ者と呼ぶのであれば 今を生きる私達は どこかで道を間違ったと言えます。
 できれば閣僚全員に 名古屋市にある横井庄一記念館に行って貰いたい。そんな思いが沸々と湧き出て参ります。
  後始末=clean up after。・・・・・・【 立つ鳥 跡を濁さず  】

3319:想定外

 PDCA手法の限界・・・・・人間が考え出した生産技術での手法、目標の達成に効率化や適正化をはかるため、繰り返し改善しながら次に繋げるという考え方ですね。 いつの間に日本ではPDCAサイクルがあらゆる分野で使われるようになった。ここに落とし穴があると思いますね。何故でしょうか? 人間そのものが一様ではない。勿論 自然もそうです。”無常”という仏教の基本がここから始まった訳でしょう。
 台風の爪痕が今も残っています。これは 想定外の出来事だったのでしょうか? Pは計画です。果たして計画の元となる実態をどれだけ正確に把握できるのでしょうか? 既に計画の時点で限界があります。人は楽と苦のどちらを選ぶかとなれば 間違いなく楽を選択します。経済の豊かさだって全く同じ、何と比べてどう判断するかですが これだって実は曖昧です。 摂理は自然界を支配している理法です、それを無視した開発や生活スタイルが現実に行われていないでしょうか?
 このままでは この国の在り方を根本から変えないと持たないと謂った意味はそこにあります。千葉県で今 何が起こっているか 昼夜を問わず懸命な復旧作業です。電気は日本の隅々に行き渡り いつでも使えるのを当然との思いがありました。今回も そうです、電気の復旧にこれだけ時間がかかると思ったでしょうか、東電は謝罪会見で復旧見通しの変更をせざる得ないことを何度も繰り返した。
  今回の停電騒ぎは お隣の東京で起こらないとは誰もいえないでしょう。 その備えは十分でしょうか?答えは明らかにNOです。想像してみて下さい 林立する高層住宅、利便性や快適性を売りに盛んに建てられている。
そして 地下を3重に掘り下げ鉄道を敷設した。当に迷路同然です。これで万が一の時 どうなりますか?  現状の対策、安全基準や補償の仕組みで安心でいられますかね。
 いつもの繰り返しになります。日本が議会制民主主義制度をとり始めてから もうどの位になりますか? 基本となる現状の把握ができているでしょうか? 明らかにNO、その最大の根拠は国民がどれだけ参加しているかですよ。数値が好きな人達が多い中で その数字だけはいつも避けている。制度が疲弊し硬直化していませんか! そして内閣改造、憲法改正をと意気込む。おそらく 選挙で民意を掴んだという判断なのかも知れません。・・・・・・が どうして どうして そんなもんじゃ~ないでしょう。
 
 
 ここまで 便利な世の中になっても 最後は隣同志の助け合いが頼りになる。普段から良好な関係を築いてきたか否か、残念ながら日本は都市部ほど人と人の関係が希薄化している。これを”平和ボケ”で一括りするのは無責任極まりなし。
当然 国や地方において今回の事態を検証し 防災計画の見直しが行われることでしょう。 今回 内閣府に総理を本部長とする緊急対策本部が設置されたかどうか 何故かその情報が無い。推測だが あの時 台風状況と新閣僚内定の発表が重なった 今となってはどうしようもないが テレビのテロップを見ながら私は強い違和感をもった。国全体からすれば 被災地域が関東の一部だったからなのか? 電気は国のインフラで最も重要な社会資本、それが 今回の被害の大きさが想定外という事で済む話でしょうか?
 ”二度と同じ過ちを繰り返さないよう 改善に努力して参ります” 何か起これば TVの前で謝罪する常套句。私達は 何度 同じことを見せられてきたでしょうか。
 
 
 ≪あいつは 見方が偏っている!≫≪屁理屈を いつもこねやがって!≫と言われているかも知れない。 これ 自問自答。前項で言葉足らずの点を加えます。
 議会制民主主義が疲弊・硬直化している事由ですが、様々な意見が有ることは知っています。その殆どが学者の皆さんの現状制度の歪みの分析。制度本来の姿と乖離した今のこの国の実態を変えるまでには至らない、どれもこれも国民不在なのですから深刻です。
 もう 何十年と国政選挙の低い投票率、これを どうにか変えようとしていますか? この状態で議席を獲て それで 成り立つ立法府、元々有権者の半数にもならない選挙で選ばれ、尚且つ 政党間の数の違い。現行制度の模範としたイギリス国会が 大混乱、EU離脱の手続きから端を発した今の状況で是非を論じる資格は日本に在るでしょうか?
 だからですよ。日本中に”忖度”なんて言葉が流行ったのは。国の為と言いながら 己の為か 黙して語らず 程良い加減
 正直 そんな愚痴言う暇はない。いま 一事業所で4人の利用者の方が入院しています。それぞれ病態は違うのですが 現場のスタッフは大変です。どうにか 乗り切らないと・・・・・。以上!
 

3320:記憶

 然も言われたり。この言葉の意味は ・・・よくぞ言った、言われるとおり・・・である。日本人の読書離れが益々進んでいるそうです、全国の書店の数は最盛期の何割ぐらいに減っただろうか? 勿論 有ったとしても書店単独になっているものは少ない。理由はいろいろ考えられようが、このまま 無くなってしまうかもしれない。本好きの私には 耐えられない。 
 老いと共に 記憶がぼんやりとなる。それでも 忘れずに思い出に残るものを 誰も持っているんじゃ~ないでしょうか!それを大切にしたい。読書・音楽・スポーツ・園芸等々 人によって趣味の違いはあります。私は好きな作家や音楽を思い出した時に取り出して読んだり聴いたりしている。これは誰に迷惑をかけることもなく出来る至福の喜び  そんな事を最近は良く考え実践するようになりました。
 何かに没頭し 時間が止まったようなことを感じ辛くなっていますね。これって 一体なんなんでしょうね? 日替わりメニューのように周りが変化 インパクトのより強いものを競って相手構わず曝け出し、言いっぱなし 出しっぱなし。だから それに堪えられず、引き籠る人々も増加の一途、その生き辛さは感心しない。やられればやり返す、報復行為も目に余る!
 白か黒、その間のグレーゾンを認めない風潮は 病は環境によるということを我々に突き付けているのです・・・然も言われたり。 最近 私は 良寛和尚の”裏をみせ 表をみせて 散る紅葉”  その生き様に 強く憧れる。
 
 
 漸く 秋の兆しを感じるようになってきました。 気温の較差が前日と10度近くになる日もあり、体調維持には注意しています。世界各地で地球の温暖化問題が取り上げられるようになってきました。もう 遅いかもしれません。何が そうさせているのでしょうか 誰しもが判っているのです。でも明言せず 行動に移さないから 益々地球環境が悪化しても 止めることができないのです。
 記憶を辿ってみれば 何か気付くことがありますよ。 50年前のことは 結構覚えています。それ以前になると 10歳前後の小学生の頃でしょうか、家に帰るとカバンを放り投げ 暗くなるまで近所の友達と遊び耽った、車がある家は殆ど無かった。店だって6時過ぎると殆どが閉まって夜出歩くことなど全く無かった。いや違う 店が無かった。
 あの当時の日本の総消費電力は今とどれ程違っていただろう? 当時は その代り家族団らんがあった。お風呂は 家の外にあり、薪を燃やし湯を沸かした。どこでも薪は貴重な燃料として使われ、今のように荒れた山など無かった。
 あの頃 太っている子供は殆どいなかったし、栄養補充のため 学校でかんゆドロップを貰って食べた。・・・・・・・
 当時 今ほどお金に対し強い執着は無かったと思う。それがどうでしょう、豊かになって 執着が妄執になった。立ち止まることを怠慢と考え、常に 何かを追い求め、奪い合うことに夢中となった。いまが こうだから 将来はどうなるか?
 誰に尋ねても 答えは出てこない。
 こんな時代だからこそ 今どうしても残しておきたい もう一つの歴史を思い出し、それを真剣に語り合っていきたいとは思いませんか!
 
 ものは考えようだと思っている。2年前に健康に不安を覚え、それから病院との付き合いが急に増えました。期せずして病になった、その時は 正直 動揺しました。でも 今は その病と仲良くしていこうと考えるようになり、今まで余り感じなかった人の痛みが少し判ってきたように思います。これも”病得(びょうとく)”でしょうか。こうやって 人間は より深く 生命の神秘さ・尊さに触れ 向き合っていくのですね。
 現在 法人全体で5人の方が入院されています。今までに経験しなかった非常事態です。それだけ高齢化が進んでいるという証かもしれません。一人入院しただけでも右往左往してきましたが 同時に5名(成:4 厚:1)の方が3カ所の病院へ入院したのです。・・・・・・・
 それがなんと 全員が付き添いもなく入院することが出来ています。奇跡です。凄いです。 勿論 受け入れてくれる病院が有るからで当たり前です。でも昔は 入院を拒否されたこともあった。何度となく 私達は頭を下げ、必要ならば付き添いを付けますからとお願いしてきました。その効有ってか 今では周りに協力的な医療機関が増えました。お蔭様です。
 お寺は お盆が終え、ホッとしている間もなく 明日から秋の彼岸に入ります。盆月から一か月が経ち草も伸び放題となり、少しづつ草刈りを行っています。これもリハビリ体操をやっていると思えば 楽しいものです。手伝ってくれる人も増えました、感謝 感謝。

3321:こだわり

 意を決してと言う訳でも無い こうやって拙文を書き連ねているのは私の”こだわり”なんですよ。多分 私達の耳に入ってくる情報はほんの一部だろうと思いながらも 巷では親が子を、子が親を殺めたり、暴力沙汰が多すぎると思いませんか。 どうして日本人がこのようになってしまったのか慚愧に堪えないのです。何かそれには理由があって 知らず知らずにそうなってしまったと考えるべきなのでしょうか 幾つか思い当たる節があります。実は日本人誰もがそれを薄々感じていながら 向き合うことを避けてきたのではないでしょうか? それと、次から次に襲ってくる自然の猛威は尋常ではありません、私達は 過ぎ去るのをジッとして耐えることしかできません。でも どうしたものか 私達はその脅威さえ 直に忘れてしまうのです。
 価値の逆転現象があらゆる処に出てきます。商業地域の時価が上がったというニュース、然も良い情報とばかりに取り上げるメデアに疑問を感じた私が変でしょうか。そりゃ~ 地価が上がって喜ぶ人もいるでしょう、でも 国やメデアが声を揃えて報じることでは無いと私は思うんだな~。その象徴的なものは臨海開発で林立する高層住宅群、今の相場は何億の単位とか? 結構な数を外国の富裕層が投資目的で購入しているらしい。住む積りが元々無い人達が将来の修繕積み立てをやりますかね?不安になって、購入を取りやめた方の話を最近聞いたばかりです。理由は所有していることが負の資産(負債)になるかもしれないと言う事でした。丁度 台風が通り過ぎた後だった。敢えて言わせて頂きますよ!見せ掛けの豪華さを盛んにPRする業者に問いたい、このマンションは電気・水・排水・・・等々 インフラは完璧ですか??? そして 何十年持つか知らないが 解体する時に誰がその費用を出すのですか??? 恐らく その時には今の人達は居なくなっているでしょう
 この国は 地方の過疎化が止まる気配が全くありませんね。 嘗て生業となっていた産業(農業・林業・水産業)は後継者不足と収入減で益々脆弱化している。国策として高速道路を全国に張り巡らし続けていますが 他に方法が考え付かないのでしょうか?目先のことばっかりに 国全体が振り回されているように感じます。 恐らく 明治以後の歩みを、あまりに急ぎ過ぎた歪みではないでしょうか。人工的に整った環境を作っても そこに住む人々が安心や安らぎを得られなければそれは無駄になるでしょう。一体防犯カメラをどれだけつければ良いのですか?
 カメラを付けたって その裏で 何か悪さを考える者が出てくるに違いない。このような負の連鎖を止めるには 一から出直す決断と覚悟が必要です。当人達は一生懸命責任を果たしていると思っているようですが、こころ此処にあらずで 代打&交替が頻繁で 肝心なことは 今もって後回しにしていませんか。フニャフニャ・・・・
 
 価値の逆転は発想の転換か? ”不便益”ということをご存知でしょうか。合理化や便利性、そしてスピードを現代人は何の疑いも持たず求め続けてきたのです。それが どうも変だと気付き始めてきた、プラスチックや使い捨てゴミが社会問題としてやっと騒がれ始めています。不便益の例として ”行きづらいから行ってみたくなる秘湯”というものがありますよ。私達は意識せずとも 最速や効率を良しとする世の中に行き詰まり感があったのです。
こういった価値の逆転現象は 本来人間が持っていた心象に帰ろうとする力が働いていると思えば良いのかもしれない。
 経済でいう付加価値は なにか手を加えることで価値を上げ それによって需要を伸ばして拡大していこうとする考えです。それは何も無かった時代は それでも良かったでしょうが、今のようにモノが溢れかえっている世には逆にマイナスになる。
 人間が必要とする摂取カロリーを考えても どんな時代になろうが それほど変わらないはずです。過食による肥満が現代病となって 騒がれている。痩せる為に様々なことを人間は考えるものです。それも高額なサプリや健康器具への出費・・・・。一方では 飢えに苦しむ人達も増加している。
 結局 現代病の根っ子は体を使わなくて済むようにした結果と環境だと思いませんか。
  人間の欲望は限りないものと仏教は説いています。小欲知足はその当時から変わらない生きる智慧です。それに気付き実践できるか否か? 現代の危機を救う一助になればとの思いがあります。そして これこそが究極のリハビリ 結局 大きくは地球の為、身近には己の為にもなるのではないでしょうか! 勿論 進歩・発展とは別次元。

3322:彼岸

 人間の体を”小宇宙”と観じ浮かぶ言葉は・・・・・奇跡・無限・不可思議・等々、そして人生長く見て100年と言っても振り返れば一瞬のこと、その年齢に達し愕然とする。普段は そんなこととは無縁の生活に追われ、感情の趣くままに生きている。  時には 立ち止まり 己自身を見つめることが必要と言われるが、それが どうも出来難くなっていると思いませんか?
 こころの拠り所を探しあぐね自暴自棄になってしまう。これが実態としたら 此岸で生きている私達は何をどうすれば良いのでしょうね。
 どこの寺にも無縁仏がまつられています。何らかの理由で代が途絶え、仏を守る人がいない。日本では この数がドンドン増えています。宗教によって先祖の供養は異なります。外国のことは正直良く判りません。
 そんな中で私が強烈に感じたのは チベットに行った時、巡礼中の家族との出会いです。必要最小限の生活用具しか持たずに、五体投地をしながら聖地巡礼をしていました。何年かかるか判りません。その時の衝撃を 今も思い出します。
 時間の流れ=過去・現在・未来をどう考えるか、今の日本人には到底理解できないと思いますがどうでしょう。
 必要以上のモノを集めて 尚 満足せず。他の人の持ち物をも欲しがり、あわよくば手に入れよう。決して 日本人の全てでは無いと思いますが 現実に起こっている事を見ればそれを強ち否定はできまい。
 これは深刻だろうと私は思うのです。 今やろうとしていることが大海原に漕ぎ出す羅針盤の壊れた船と考えたら 無謀としか思えない。今は羅針盤がGPSに変わったかもしれない。でも それだって電源が切れれば動かない。絶対では有りえないことを信じて疑わない科学万能盲目症に罹ってしまったのか。
 羅針盤もGPSも組み込まれた機能を充分に発揮出来たとしても それをどう使うか!これは人間が決める事ですがね、巷には相変わらず道徳・倫理・習俗・・・・言葉が独歩しています。 いくらAI技術が進歩しても 自分達の思い通りになりましょうか?
 もし そうなら 貴方は 此の岸で 何をどうしたい???? この答えを先ず聴いてみたい。(彼岸中日の朝)
 
 彼岸は秋と春に中日を定め 前後3日を加え7日間を言います。大乗仏教では 悟りへの修行徳目として中日(なかび)を先祖への感謝に当て、他の6日を六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)に努力せよと伝えています。それじゃ~一週間だけ守れば良いのですか?と当然なりますが、そうでは無くて励み続けるのです。このスマホのご時世に 正直 どうかと思いますが、そうなっていることを御承知いただきたい。一つ一つの意味は ここでは触れません、読んで字の如し。貴方が検索して調べる気になれば簡単にできるでしょう。実は ここが肝心、人工頭脳が進めばどうなるか? 恐ろしい状況が待っている。性善説や性悪説、孟子や荀子が説いた仁義礼智、これは今から2200年前に遡る。当時 中国は戦国時代です。まさに群雄割拠し 国乱れ競争激化の時代でのことでした。
 明らかに当時と比べ私達の住んでいる環境に変化が生まれた。手の平サイズの小世界、そこで得られる情報は入り乱れ、是非・善悪の判断など諦めて 何も感じないか無関心とならざるを得まい。刹那主義や個人主義が世界を圧巻し 益々オカシナ事になっている。
 要するに 効率や利便性は、労せずして実をとることとどこが違うのか、いやはや 参りましたな~!
 ≪証券取引所には意識がない理由≫(『ホモ・デウス 上』ユヴァル・ノア・ハラリ。P134.河出書房新社)・・・第1部ホモ・サピエンスが世界を征服する・・・より。
 読みながら考えたことは人類の進化をネアンデルタール人から現代人という括りで捉えると 今の社会では限度を弁えない人間の驕りや欲望が最終的に人間そのものの存在を危うくしていることに繋がる。我々 凡人は そうなるのはまだまだ先のことと高を括り、誰かが説く根拠なき説に騙される。 それは たまたま自分が被害に合わなかっただけのことで、科学技術の進歩や発展に現を抜かしている間に確実にその環境が進んでいると思わざるをえない。
 ならば どうする??
 結論としては 六波羅蜜の再登場となりましょうか否や。
 
 
 これも自分の視野の狭さからなのだが 目につくこと考えることが なぜか切ないものばかりときた。誰かに言われたような気がする、それってうつ病じゃないの!と、そうかも知れない。だからと言って そこから無理やり出ようとしない、”どれ 一丁 どんなものかトンと観てやろう”と空吹かし。
 イラストレーターの黒田征太郎が「明日への言葉」で語った。御年80歳となり 彼が語ったことは 手塚治の漫画が終戦後の路上に積み上げられていてそれを手にして衝撃を受けた話から始まった。 今取り組んでいる 「18歳のアトム」の動画制作の話、”何故18歳か?” と聞かれ「選挙権が18歳になり 今の18歳の若者には大人としての責任がある。そして・・・・・」 と間が空き その先に徴兵制を観じてしまう黒田の不安、 それは何もせず黙って見過ごしている大人たちへの不満か?その世代の生き残りの一人として彼は自分の描くアトム像によって世間に伝えようとしている。最後に”どんな時代になって欲しいと思いますか?”と問われ「ありがとうと言って死ねたらそれで良いですよ。戦争はそれができないでしょう」、子ども時代に戦争を経験し 焼野原になった地獄絵を見てきた、唯一 記憶に残る戦争を語れる最後の年代の人達だ。
インタビューの中で何度も出てきた言葉、「小賢(こざか)しいかもしれないけれど」という前置きは、 「利口ぶって なまいきかもしれない」という意味であり  彼の人柄が滲み出ていて 温か味を感じた。
 

3323:責任能力

 刑法では 事物の是非・善悪を弁別し、かつ それに従って行動する能力、民法では 不法行為上の責任を判断する能力を責任能力といっている。障害者が他人に加えた被害を責任能力が無いとの決定を受ければ損害賠償が免れる、この問題は未だに無くならず天災による被害とは違って 公的な助成は望めない。 司法の判断により双方が納得できるものとは成り辛く どちらかが泣き寝入りに成りやすい。 問題は複雑で 現場は 重層化した矛盾をどうするか判断に迷っても 回答は出ない、そのリスクを避けるために その恐れあるのヒトをどうしても遠ざけることとなっているのが今の日本の実態ではないだろうか。累犯障害者の数は一向に減らない。本人の問題なのか社会の問題なのか、それとも その家族の問題か???? 
 今年になって 法務省管轄の触法障害者の受け入れ事業をやって欲しいと頼まれ 契約したばかり、 我々の立場は 事が起これば微妙で、必ず事業所としての責任を問われることになる。だから 全国的に受け入れ体制がつくれていない。
 光と影 本来 福祉は影に寄り添うものだった。それが 高齢化対策が大きな問題となって 微妙に変化してきた。福祉の名を使い その裏では なんでも有りの実態があるのではないか?どれを選ぶかは自己責任、先立つものが無ければ選択肢は狭まり 最悪 路頭に迷うことになりかねない。
 
 
 問題は単純ではない。嘗ての福祉事業は損得計算を抜きにした人達が自らの信念によって開拓したものだった。その精神は いまどうなっているだろう? 日本が先進国から学び、取り入れてきた社会保障の仕組み いつしか先哲達が築いた基軸がズレ 採算を最優先とした考えが主流となっていった。こうなることは 想定していたことだったのか、残念だが 今もって 国としてその検証がなされていないと思っている。
 福祉が目指すものは 誰しもが願う安心・幸せな社会であったはず、特定の人達がその恩恵を受けられれば良いというものではない。 サービス提供する側は 当然 社会的責任と効果が問われることになる。
 現状の制度は複雑かつ細分化され過ぎたようだ。そして急増するサービス事業所にチェック機能が追いつかない状況になっている。国はその機能を県や市町村に移譲し責任を課したが 現場の混乱は常態化し市町村の較差は広がるばかりとなっている。
  国全体の問題として 人材確保は 今後劇的に解決できる見通しはない。おそらく 騒がれる高齢化対策は戦後の団塊世代が皆亡くなり 人口が減れば 問題は自然淘汰すると考えているかもしれぬ。だが そんなことではない。それまで 事業自体が存続できるかどうかということだ。だから その後の見通しが全く見えてこない。
 今こそ 原点に戻れ!といっても その原点が何かが判らない。これが 最大の問題だと私は思っている。
 長閑な地域で起こった 悲惨な事件、 防犯カメラからの手がかりが決め手となるのでしょうか、大都市と違い地方ではその方法は取れない。
 
 平気でウソをつく人がいる。それをみて昔と何も変わっていないという人もいるでしょう。 警察には”ウソ探知機”みたいなものがあり 心拍数や発汗の具合から話の真偽を判定すると聴いたことがあります。これも嘘かホントか? 赤ん坊が 腹を減らした時 泣いてそれを知らせる。親は その時、子にミルクを与え 泣き止んで いつの間に寝始める赤子を観て 赤ん坊が泣く理由を察知する。その子も徐々に言葉を獲て ウマ ウマが 食べ物を欲しいことだと親子で解かり合う。
 幼児期は 人間の成長で最も大切な時期、その時の環境がその人の成長に大きく影響すると言われてきた。
 何らかの事由で それができない環境もある。私は 今の仕事に就いてから 何か事が起こると いつも ケース記録を読み返した。 どうして こうなるのかを知るきっかけにしてきた。 これも絶対ではない。
 人は 自らの過去を振り返ることは可能かもしれない。でも 時間を 戻すことはできない。今を生きる為に嘘をつく それが習慣化すれば 嘘かホントか自分自身が判らなくなる。
 谷川俊太郎氏は今年で87歳を迎え約70年の間 詩を作ってきた。「自分は生活の糧を獲るために詩作を続けて来た。詩をつくることが楽しくなったのは6~7年前からだ」と語った。「詩というものは書いた以上他人のもの」とも語る、実に正直な人だとその言葉を聞いて感じた。
 何が大切だと思うかと聞かれ、自分の心が平穏でいられるようにすること、そうすれば自分が自然の一部であることが実感でき、自然や他人に対しても素になって優しく成れると語った。
 理性や自立への問いかけ・・・・ 障害福祉と敢えて言ってしまう私は どこかに まだ 素になれぬ自分を感じるのです。(ある事と向き合いながら)
 

3324:一条の光

 スポーツたけなわ、様々な競技のワールド大会が開催されています。その中でも日本開催のラクビーワールドカップは日本各地で試合が行われ、その期間も1か月以上の長丁場。 何と言ってもラグビー日本チームの活躍が突出している。世界ランク2位のアイルランド戦はラグビーを知らない人にも大きな感動を与えてくれました。ロシアとの初戦は かたさがあった。それに勝利し アイルランドに挑戦、先取点を取られ このまま離されてしまうのか? そう思った人が大半だったかもしれない。でも 結果は見事な逆転勝利、日本チーム31人の中で外国出身者が多いと言う人がいるが 今回のワールドカップ出場国では5番目の多さだった。その参加資格には規定があり、3つの条件を満たせばOK。①日本で誕生、②両親・祖父母の6人の誰かが日本で生れた、③日本在住3年以上だ。2015年南アフリカに日本が勝利したのは「ブライトンの奇跡」と言われ、世界に衝撃を与えた。そして今回は優勝候補のアイルランドに勝利した。各国の評価は奇跡では無く実力だという評価に変わった。
 暗いニュースが多かった日本に一条の光となったことに間違いない。国籍に関係なく 一つの日本を合言葉に 見事に結束力を発揮した結果だった。
 一国主義を強調しすぎる世の中になり、世界の多くの人々が疑問や不安を持つようになっている。その中で 今回の熱戦は 多くの人達に感動を与えてくれました。それと もう一つ 国連で地球温暖化に対し「涙の訴え」をした16歳のグレタさん、彼女は国連で出席した首脳を前に≪あなたたちを許さない≫とハッキリと呵責した。彼女の勇気ある行動に世界中の若者が動き始めている。
 自分の実績を強調する政治家は多い。チームの為 地球の為・・・・に真から行動する政治家が少ないことは 今に始ったことではないが、 それが 際立つご時世なってしまった。
 糸賀先生の言葉、『この子ら世の光』は「この子ら 世の光」ではない。不図 頭を過ぎった。 
 
 どこにだって 探せば 範となる人はいるはず。言行一致、謙虚、誠実、・・・・・。密厳院発露懺悔の文の中に ・・・こころ清ければ仏をみる・・・・・という文言があります。要は 仏がいても 観えないのは 自分側の問題だという自戒の教示だ。
 ジックリ腰を据え、周りを見回せば確かに なにか見えてくるように感じます。
 今年でポケベルのサービスが終了することになった。スマホの登場によって 需要が激減したからだ。ポケベルが登場した時 私は真っ先に購入した。外にいてもベルで知らせてくれ、電話を使って自分の所在と相手の用事を知るとても便利なサービスだった。それが 今 スマホが全て肩代わりしてくれる。海外との交信も簡単にでき買い物もできるご時世になった。何から何までスマホ一台でやってしまう・・・・・? 正直 やり過ぎじゃ~ないの! 私には危険だ。置き忘れが多すぎる! 必ず 良からぬことを考える輩が登場しますね。この被害を防ぐとなれば より複雑な機能となり、万が一の備えとしてホケンに加入?????ってことに。 便利さを手に入れる為に2重3重のお金がかかる仕組みが待っている。
  こんなに便利になってモノが豊かになり 果たして私達は幸せになったでしょうか? いま 寺から半径100メートル以内で3軒の新築工事が行われている。 建前の日 クレーン車一台で家の骨格と屋根が完成した。その速さにビックリ、たった一日でやってしまう。その後は大工さんが一人で作っていく。合理的というのか分業と流れ作業 そしてあっという間に家が建つ。
 逆に 老後の費用に充てるため 住み慣れた家を売る人が増えているそうだ。保険会社の新手の商品か? 借金が返し終わり、子育ても終わって ホットするのも束の間 それを売って老後の生活費に充てる。それは 親が作った家に子供が住むとは限らない世の中になったから。それと 経済の仕組みがそうなってしまったから。
 この流れに逆らうのは至難の業、どうも どうも まさに蟻地獄の様を呈してきたのかもしれません。これも また 私の偏見であれば 良いのでしょうよ。
 
 
 やっと秋の兆しを感じるようになり、ホッとしていたら地元の小学校は早くもインフルエンザで休校騒ぎ。 風邪の季節の到来か? ここ数年 特に目立つのは 激しい気候の変動。昨夏は猛暑だった、日本列島の各地で40℃近くまで上がった気温が連日続いた。今年の夏 施餓鬼助法に伺ったお寺さんで本堂にエアコンをいれた所がいくつかありました。私の寺もそうです。理由は 去年の夏 法事中に体調が悪くなる人が出たという理由だった。そして今年は更にその記録が塗り替えられた。降雨量も同じ。 10月神無月になった、衣替えなのに34℃を西日本で記録した。気象庁が記録を取り始めてからの10月の最高気温だった。
 苦楽を共にして・・・・・というコトバに不協和音を感じている。これって間違った日本語?違いますよ。現実にそんな状況が次々に起こる。 その最大の原因が不安定さ、自然環境も政治も経済も家族さえもが変になり 挙げたら切がありません。苦楽を共にすれば・・・・どうなるの? 次のコトバが浮かばないのは こうした理由からだ。様々な価値観に呑み込まれてしまったようだ。
 徳島の老舗のうどん屋さんが今年いっぱいで店を閉じることになった。こだわりの手作りうどんで県外からもワザワザ食べにくる評判の店、それが何故?? ご主人が語った理由が ①後継者がいない為。②店や設備が老朽化した為。③両親の介護の為。
 一杯350円のこだわり讃岐ウドンは 3つの為で閉店まで残り3カ月。一条の光 瞬く間に 消え去って 記憶も共に 忘れ去る。無常 or 無情 or 無上 古き良き時代 その支えとなった心をも 失うは 忍びない。

3325:然れど

 細やかな抵抗か!今 この国では引き籠りの人が100万人いるという。最近は 40代50代の人が増えているらしい。この数字も恐らく少な目で 実際には その予備軍も含めれば何倍になるやも知れぬ。
某新聞に・・・・寺離れへの危機。本来の役割を模索する寺・・云々に眼が止まった。寺がこころの拠り所であった時代 様々な人との交流があった。地域の人達は勿論 通りすがりの見ず知らずの人も。自戒を込め 昨今のお寺は 葬儀や法事の時にしか用を成さない存在になってしまったのか。嘗ての寺子屋や遊び場の復活・・・と今になって謂っても 既にそれらは専門者にとって替わった。どこの駅前周辺にも学習塾、カルチャーセンターやスポーツジム等々子供から老人までを対象に様々なサービス者が競合している。お株を奪われてしまった?
 寺の役目である葬儀や法事も葬祭業主導と化した。 お年寄りが増え檀務が増加したことに気の緩み 怠慢があったと自省する。
 然れど、今やるべき事はいくらでも有る。そう思った時 私は体調を崩し檀務を人に頼むことになった。後悔しても 後の祭り。唯一 今まで気が付かずにいたことが身近に沢山あることが判った。焦らず徐々に 復活を。
 昨日も檀家さんで態々 墓地代を届けてくれた方がいる。80才になっただろうか杖を持ち 不自由な足を引き摺るようにして・・・・自転車で遠路来てくれたのです。
  年に一度 大分前から振込用紙でお願いしてきたことだった。これは 寺側の都合、慣れがあり 事務的な対応を良しとした。どんな 立派なことを言っても 相手に通じない当方の落ち度と身に沁みている。
 先ず 自分で出来る事は何か? そう考えて浮かんだのは周りの ”草刈り” だった。
 
 入れ替わりに入院する利用者の方が増えてしまった。そして ありがたいことに入院を受け入れてくれる医療機関に先ず感謝しよう。私がこの仕事に就いた頃 神立には入院できる病院が無かった。あの頃どうしていたか記憶が朧げで思い出せない。最近は その医療環境が格段に良くなり、毎日通院にどなたかが行っている。早目に病状が判り、治療ができるようになった。
 GHのMさんが 職場でころび腕を骨折して 夜間当直の付くホームに一時もどっている。殆ど病気をせず 毎日職場に出てきた方だから 今は明らかに手持ち無沙汰、≪どうしたの? 骨折しちゃった?≫と声をかけると≪ウ~ン 会社でころんじゃったー!≫ と照れ笑い。彼は その日痛さを我慢して定時に帰ってきた。 腕が腫れているのをスタッフが気付き通院して骨折が判った。我慢強さには驚く。
 私は調子にのって外回りの仕事を引き受けし過ぎた、正直 足元をみる余裕は無かった。いま茨城国体が行なわれている。それが終われば 直ぐに全国障害者スポーツいばらき大会と続く、良い時期に役目を次の方に交替したと思っている。
 寺で草刈り機を使って作業中、自転車でGHの仲良し2人組みが立ち寄った。≪今度 どこに旅行に行くんだい?≫と尋ねると≪しずおか・・どうぶつえん・・・≫と声が弾んだ。仕事帰りの両名は 実によく働き 仲間と仲良く暮らしている。2人の職場はレンコンセンターと郵便局、長い間勤めている。メンバーだけで旅行会社に行って旅の手続きをしている。一泊4人旅である。
 苦あれば楽あり。 彼らと接していると こんなコトバが不意に浮かんでくるのです。確かに 確かに!!!(清浄無垢心)
 
 然れども 穿った見方をすれば 苦の中味が随分変わったと思いませんか?苦を効率や利便性により取り除こうとし過ぎていませんか 抜苦与楽→慈悲というコトバで仏教は説きますが 余計なものは なるべく斥け、質素倹約に心掛け、あまり飾らず 質朴を旨とせよでしょう。それが どうしたことか やればやる程真逆の方向に進んで行っちゃう?
 地球環境の悪化と同様に大半が我々人間が作り出したことだ、言い逃れはできまい。道に迷えば もと来た場所まで先ず戻れ!これは 山歩きの鉄則。肝心なことは 道迷う人間は 他人事ではなく己自身だということだ。
 まったく 呆れたね~。俄かに騒がれ始めた関西電力の経営実態、今回も内部からの告発があったとか、そしてあの社長の謝罪会見を誰が納得できたでしょうか! 今時 貰ったものを 怖いから返せないから一時保管しておいた。いずれ返そうと自分で持っていた。これで 無罪放免となれば 世の中どうなります?トップ企業のコンプライアンスの実態を世界に曝け出した。原発問題の核心、一端事故を起こせばどうなるか、当事者が それをどう考えているかだ! 豊かさと華やかさの象徴として君臨する電力会社が日本には九カ所あります。ご存知のようにこれらは今時珍しい独占企業です。
 電力供給の屋台骨をおっているという責任・自覚がオカシナことになっている。これも 同様に”曖昧模糊”とした手打ちで終わるのか。そうだとしたら 相当 我々国民は馬鹿にされているとしか・・・・謂えませんヨ。

3326:落とし穴

 松永安左エ門・・・・日本の電力事業インフラの父と言われ、現在の電力供給体制(10電力:沖縄電力を含め)の基礎を築き、その大事として≪需要者目線≫の徹底を基本とした。
 もし その松永が今生きていたら 一連の関電の不祥事に対し 経営陣に対する恫喝どころで治まらず、即 全員が責任を取り退陣を命じただろう、更に 怒りは 今の政治の中枢にまで及ぶのは明らかだ。実は日本の平和や発展が見せ掛けのVRではないのかという懐疑的な事象が国の中枢から起こり始めていると。なぜこうなったかの原因は  恐らく先人達の誡めや労苦を軽視し過ぎたこと、華やかなイベントに浮かれている場合か!と捻くれ心が再燃。東日本大震災の後 日本が世界から どう見られているか?それに関わる企業や政治家の倫理観と想像力の劣化は、呆れるほどで止まる術を知らない。今回だって 需要者目線と言いながら 己の出世願望や保身に関心事が軸ズレした証だと思いませんか。
 落とし穴は ①動物を捕獲するために掘った穴と②人をだましておとしいれるための秘密の計画の二つの意味がある。①は縄文時代からあった 生きるために人間が考え出したもので節度の弁えはあった。問題は②で謀略~策略と限度が無い。
 死人に口なし これは不変の真理だ!死者が抗弁できないのを良い事に 罪を着せる。かつて日本人を支えてきた武士道精神が木端微塵に裂けていく。そして 良心は・・・・善悪を判断して善を命じ悪を退ける知情意の統一的意志・・・・辞書:大辞林より。さらに 理性は・・・・・ああああああ ダメだ~もう 自分で調べてくれ~。
 
 視座を変えれば 現実に起こっていることを違った風に思えるかも知れません。『落穂拾い』ミレーの絵を思い出した。その解説をみると 宗教的(旧約聖書)な啓示と政治的プロパガンダの意味があります。前者は・・・畑の隅まで刈り尽くすのではなく 貧しい者や寄留者のために残しておく・・・・、後者は 社会の格差や差別への訴えというものです。
 敢えて言わせて頂きます。 日本人が 今の環境によって 知らず間に失いかけている”落穂精神”(?)を挙げれば切がない。繁栄の裏付けといわれる豊かさの定義ほどいい加減なものはない。 誰とは言わないが 相も変わらず麻薬の如く 叫び続ける。足元に火がついていることをも厭わず 豊かさ中毒に国全体が罹ってしまたようでもある。
 中毒症状は その原因となっているものを 取り除かなければ回復は望めない。深刻なのは その人自身の事だけで収まらず、家族や社会にまで影響を及ぼし 増殖し続けるからです。
 いい加減に 目を覚まし リセットしないと 目の前の急流か濁流かに 呑み込まれてしまうのでなかろうか ? これが 実は豊かさ中毒の初期に現われる”不安”(現代病)と言われるものなのです。
 VR(仮想現実)やAI(人工頭脳)は 人間の能力を超えた未知の世界、 禁断の果実との見方もある。その源は 人間誰しもが持つ”欲望”だから 取り除くのは難しい。 しかし、重要性の低い、些細な事にこそ 真の価値があると観てはどうか。実は この考えは 釈迦が菩提樹の下で悟ったことなのです。(パンタカより)
 マイトレーヤ弥勒菩薩信仰は、釈迦の入滅後 56億7千万年後に現われる未来仏というもの これは 何を意味しているのでしょう!残された地球の壽命?違いますよね!
 
 
 秋に発生する台風は勢力が強いという。過去のデーターが証明している。台風19号が赤道付近で発生し 拡大しながら 日本に向かって進んでいる、今年日本を襲った台風で最大のものと警鐘をならす。台風の成長には海水の温度が大きく影響することが判っている、その温度が近年は28~30℃という状態で変わらない。それで 益々勢力を強めることになるといわれます。
 エルニーニョとラニーニャは海水温度の異常現象をいうが 確実にそれが変わっています。
 昨日 ノーベル医学賞の発表がありました。医学の進歩は 基礎研究から始まって実際に使えるまでには 相当の年数がかかる。人間の体は60兆億個の細胞で成り立ち、それが毎日150分の1の約4千億個が死んでいるという話があります。
 この細胞異変のメカニズムの解明を懸命に行なっている研究者、まさに異次元に住む人達のように思います。病気すればその治療に様々な薬が使われます。細心の注意を払っても 副作用がどうなのか?
 現代社会の病巣は 様々な問題を孕んでいます。明らかな原因を判っていながら その対応に躊躇するのは、今は未だ大丈夫だという思いからか それとも別に行動を阻むなんらかの理由があるのでしょうか?
 それも自らの事と思うか否か、良く考えてみましょうよ。
 

3327:お寺カフェー?

 ささやかな喜びには 優しさが同居する。ホント? 打ち上げ花火は一瞬の華やかさ ・・・・。人生は祭か? 神輿(みこし)には かつぐ人がいて その草鞋(わらじ)を編む人がいる。この世は 様々、人種も違えば考え方も違う人が集まっている。その様を 最近ダイバーシテイとかいうコトバで言われると知った。この多様性に注目するようになったのは グローバル化の流れから、それにしても 何故 それが騒がれる?・・・今更という思いになるのです。方や ワザワザ柵を作り 人の行き来を閉ざしてしまうような事が許される。 元々から 一様にはなってはいない。そこで 問題は 責任の擦り合いが始る。目の当たりにして人間は 何も進歩していないと思ってしまう。寧ろ 退歩して 優しさや許容力が減り 損得の勘定が強くなる。
 結果 どうなるか! 正直 先の事までは判らないが 確実に深刻な状況に世界が向かっているのは否めまい。
 仏教は 世界宗教の一つ、小欲知足の大事を説く。ささやかな喜びにこそ 本当の幸せがある、と観じることではないだろうか! 現実に私達は 見せかけの豊かさに喜びを求め あらゆる手段を使って 相手から搾取することで満たそうとしていないだろうか!
 猛烈な台風が近づく、最大風速が60メートルを超えるという勢力は 人間が耐えられる限度を超えている。それが まさに現実に起ころうとしている。 
  自然の猛威と 特定の人物によって掻き回される事象の類比など意味が無い。それは 元来が打ち上げ花火 自然に対しての冒涜でしか有りえない・・・・・・だからこそ その見極めが大事となる。

 お寺 カフェー  只 ささやかな 憩いの場となれば それで良い・・・・・。
  
 
 贅を尽くした街並、ちょっと路地に入り見つけたオープンカフェでお茶を飲む。・・・・・・フ~ン。。。。あれから半世紀、遠い昔の話だ、田舎者が東京に出て みるもの全てに魅力を感じ憧れた、今 考えると あれはいったい何だったろうと訝(いぶか)しむ。いまでは全く興味なく、寧ろ 東京を避けて通りたくなる心境の変化、年齢の所為にしたくない。日本を代表する都会”トウキョウ”が 果たして人間の安らぎや癒しとなるのだろうか? 
 世界には 古い町並みと新しく開発された区域をハッキリ区分し 歩いていける処に 築数百年経つという建物や公園が今も大切に残されている町が沢山ある。限られた資源を大切にという教えは 日本の家庭の中にあった。必要なければ電気を消しなさいと何度も親から言われたことを思い出す。
 関電の問題は 実はその辺の生活習慣の変化が事由だと言えまいか!  贅沢をふんだんに使った都市開発、福島原発事故から8年、その時の反省は見事に消えた。同じ日本で未だに復興できない被災地は 今後どのようになるのでしょう? 夜中に煌々と光る電気、それは 日本人の魂の危うさだと言えまいか! 会長と社長の会見で 「辞めれば すむ話か?」と多くの人が思ったに違いない。
 今の日本の真の姿を見せられた思いだ。無理無体がごちゃ混ぜとなり 筋道が通らなくては 今後  何を繁栄の証として目指すのか! その質問に 実のある明確な答えは望めない。

 お寺 カフェー  秋風と蚊取り線香 チグハグさゆえに 思い出す憩いの場となれば それで良い・・・・。本日 開店 but only one day!!!!
 
 
 目前に迫ってくる猛烈な台風19号、進路にあたる人々は不安が高まるばかり、備えは十分か?しかし、想像を超えた自然の猛威は 容赦なく 勢力を弱めることなく 襲ってくる。
全国障害者いばらき大会は、昨日の時点で中止が決まった。数年前から受け入れ準備を行ってきた関係者の方々には お気の毒としかいえない。でも 賢明な決断だと思う。強行実施した場合 何かあれば責任問題となる。確率の問題ではないが それは100%問われることになるからだ。
 今は 周りのことに集中しよう。大勢の人達を預かる我々の仕事は 避けて通れない宿命。
 束の間の ささやかな集い。”お寺 カフェー”  普段着でいつもと違った場所で 目の前で煎れるコーヒーをみんなで飲みました。
   ・・・おもてなし小僧・・・・
      kannonji

 

3328:無・無・無~

 有と無の対立を超えた悟りの世界を絶対無という禅の教えあり、西洋思想の有(存在)の論理に抵抗する。  難しい~よな。だって そう思わない? 現世は真逆の様で溢れている。このギャップは最早 修正不可能、 安住できない。無・無・無~!科学を万能と追い求め どこもかしこも我夢中、この様は有我中、(これ私の造語です? )。自分が自分がで 中味が無いことであります。 
 雑感雑学と言われても否定はしませんが 今 目の前に起ころうとしている事に 正直 策、自然を思い通りにしようとしてきた人間への警鐘だと思いませんか! 瞬間最大風速70メートル、高波15メートル・・・誰が想像できるでしょうか、そして24時間の総降雨量が800ミリ、人間が造り出したダムや堤防が耐えられますか? VRではなく 現実です。
 それなのに懲りずに 今も地下をより深く掘って地下鉄を作り続けている。何の為に?都会の魅力? 便利さと効率を高めるため。
 結局 人間はイザとなれば 昔人に還るしかないのではありませんか。”祈り”と”懺悔”により 大いなるものに許しを請う 無・無・無~
 
 根本の問題解決を先送りして何をかいわんや。自然の猛威に人間の出来る事 ・・・・。何が一体できるでしょう! 台風19号の勢力や予測進路を世界中の気象専門家は注視した。ほゞ一致した見解となる。過去のデーターや気象衛星を駆使し出来る事は現時点では情報でしかない。最早 この地球上から 台風そのものを消し去ることなどできない・・・どうなんですか?思いきって舵を切る決断と覚悟が無ければ 地球の環境は変わるまい。
 海水温度の上昇は海の表面だけでなく より深くまで高くなっているという。台風のメカニズムが解明される中で その対策はどうなのでしょう? 米中の二酸化炭素排出量が抜きんでて、日本は世界で5番目となっている。(中国・アメリカ・インド・ロシア・日本・・・IEA:2016発表) 果たして 日本国民がその実態を知りどう思っているか!
 唐突ですがノマクサマンダバザラダンカン・・・・不動明王の真言。”祈り”と”懺悔” 最後は神(仏)頼み????不動尊信仰は 猛々しい威力を示す怒りの形相、右手に剣、左手に羂索、火焔を背負い、悪魔を下し、畏怖せしめて煩悩を打ち砕く・・・そこに救いを求める。
 宗教と科学は水と油か? 人間の欲や脆さに対し 今できることで何があるだろうか? 争いや責任の擦り合いが益々激しさを増すなかで不安が強まっている。
  台風19号から私達が何を学び それをどう活かしていくの纏まりができるか否か!今世紀 最大かつ最重要課題、黙して語らずではなく できる行動から始めませんか。
*台風で試合中止となったカナダのラクビーチームが釜石に残り復旧ボランテアをしていました。
 
 無・無・無・・・昭和45年(1970)ごろから言われ始めた”三無主義”(無気力・無関心・無責任)は 学生運動が下火になり始めた頃だった。しらけ世代とも言われ、その事にさえ 無反応となり 結局は自分さえ良ければ良いと考える若者が増えた気がする。私は 丁度その頃 成人を迎えた。同時に景気浮揚策が功を奏したのかどうか 経済の右肩上がりの成長期に入る。そして ご存知の如く いまは長期デフレ社会の真っただ中にある。だからかもしれぬ、数字を改ざんまでして 景気回復を訴える。その片棒を担ぐメデアや関係者、そして”忖度”なる妙な言葉までが現われた。
 紫苑(しおん)は秋に咲くキク科の花、花言葉として『遠く離れた人のことに思いを馳せる』意味がある。中国の故事にあり、墓地に紫苑を植えて故人をしのぶ習わしが生れた。
 現代社会の抱えるリスクを挙げれば切が無い。格差や戦争が一向に無くならないのは それを利用し自らの地位を守るという輩が現に存在するからではないだろうか? 人の不幸を利用してまで 自分の思いを満たそうとするのでしょうか。
 今の日本の政治無関心層は 社会の環境によって生まれたと思います。低い投票率を嘆くのではなく逆に利用しようとする・・・・・。ホンネとタテマエを使い分け 巧みに世を渡ることしか眼中にない。
 私達は 先祖の墓前で何を誓うのでしょうか!いまこそ故人をしのぶことの意味を誰もが良く考えることかもしれません。
  日本ラグビーの見事な活躍に多くの人が感動をもらい盛り上がった。その同じ時間に台風は勢力を弱める事なく日本列島の中心 東京の真上を通過した。喜びに沸く熱狂と想像を超える台風への恐怖が同時におこる。
 *三無主義のもう一つの解釈として、≪慌てず・焦らず・諦めず≫の三つの【ず】を 確と受け止め 自らの生き方を考えていこうではありませんか・
 

3329:隗はなにか?

 ≪隗より始めよ≫という故事がありますよね。中国・戦国時代(前403~前221年)の史書に書かれたものですが、その意味を考えてみませんか、 だって そうじゃないですか? 地球温暖化の加速を考えればどうにかしないとならないですよ。本当に目を覚まさなきゃ~!誰が悪いとかなんとか言った処で何が変わりますかね? 後手後手の応急対応が精一杯で 根本の解決にはなりません。じゃ~どうしよう、それを考えるのです、先ず 隗より始めよ!解かり易く言えば 手近なことから まず自分自身が着手せよということでしょう。 いつまでも 他人事・無いものねだりで良い訳ない。そのことを 皆さん良く知っているはずです。
 昨日は 大阪から来た友人を案内してJAXAつくば宇宙センターと近くの筑波山に行ってきました。地元にありながら 最近は行っていないから興味がありました。宇宙ステーションの実物の一部が展示され その中で長期滞在し数々のミッションをこなしている宇宙飛行士、皆さん多国籍ですね。そして 気象衛星の説明を聞いた、二酸化炭素の排出量、日本は減るどころか増えていることが判りました。これは由々しき事態ではないでしょうか 京都議定書で温室効果ガスの排出量の枠組みを策定しました 1997年でしたから22年が経ちました。 あれって一体何だったのでしょうか?メデアはその事にあまり触れません、次にパリ協定(2015)が行われた、日本はどうですか 目標に向かって順調に進んでいますかね。 答えは NO です。
 今朝の気象予報をみて愕然としました。またもや 台風19号と同じ地域で熱帯低気圧が発生したというものです。2重3重の攻撃、酷すぎる。
 情報社会の肥大化は 必ずしも 真実とは一致しない、むしろそれによって核心無き社会がより膨張し続けるのでしょう・・・・核心・・それは何のため 誰の為ということですか?・・・・勿論 そうですね。
 
 
 ≪日本はこのままでは滅びる!≫と今の日本を叱責するのは あのY氏だ。彼は小さな衣料品店を親からひき継ぎ 世界のカジュアル企業にした人物だ。書店に並ぶ「日本は最高」と題する類の書籍をみると気分が悪くなるという。日本人が劣化したという根拠を挙げた。彼は現状において二つの改革を示す。実に 単刀直入だ。一つ目は 財政支出を減らし 公務員を半減すること。2つ目は 衆参両議院を廃止し 単院制にすること。私は同感です。その理由を今更あげる必要もないだろう。政財界、それとマスコミも挙って そう思っていながら自らは躊躇する。 だからY氏の歯にきせぬ自論は新鮮に聞こえた。
 隗はなにか?の隗はその人物と生き様である。あえて改革の重要性を二つに絞ったことにY氏の心中を察することができまいか。日本人の劣化は ハッキリ言って環境(人・モノ・思想・・)によって加速した。そう思いませんか? 真っ先に自称フロントランナー達の言行のチグハグサは先人が築いた信頼関係を壊し、コトバが軽く蜻蛉のごとく いつしか消えて無くなる。更に言い訳や謝罪の連発、これを異常と感ぜず 日本が最高と宣し止まない輩は 何をもってそうさせるのか? もし 少しでも良心の呵責が有るならば 自ら”隗”になれ!と言いたくなる。
 失言を取り下げれば済む話だろうか? それは 貴方のホンネでしょう! 不自由なく育った人間が 生活に汲々とする人達の気持ちが真に理解できますか! 多額の借金をしてマイホームを建て さあ~これからという時に 荒れ狂った自然の猛威にその夢を奪われた。その被災された方々に対し あまりにも無慈悲なコトバは 望まれる”隗”でしょうか???? 人間の劣化は 人の悲しみを解することができないことから始まる、これは昔人の自戒の念である。点々・・・テン!
 
 
 私達は 今が良ければそれで良いのでしょうか? 実は その解釈も一様ではない。少欲知足、大安楽、・・・共生・・ も然り。もっと具体的に より判り易い表現はないのでしょうか? 
≪後の世を渡す橋とぞ思ひしに  世渡る僧となるぞ悲しき  まことの求道者となり給へ!≫、母が我が子を戒めた言葉です。その母とは『往生要集』(10c)を著した源信のお母さんです。時代が違うと言われれば勿論そうでしょう。でも よく読んでみると成る程と頷けることが沢山あります。時代が違っても母と子の関係は今も同じです。世渡る僧vs求道者の意味はそれだけでは判りません。源信はその母のコトバを聞き変わります。そこには打てば響く関係があった。
往生要集の中には地獄の記述が沢山あります。どうすれば 地獄から抜け出せるかを説いているのです。
 現実に目を向けてみましょう。人間の劣化という表現は私は嫌いです。でも どうでしょう。後の世の人達が渡る橋をつくっていると思えば 実は自分が出世街道まっしぐら世渡り上手でいい気になっている。この我が子の様に、母親は察知した訳です。そして 即 我が子に 諫言した。(今昔物語)
 周りを見渡すと どうでしょうか? 仏教では八大地獄を掲げ これでもかこれでもかと地獄絵を描き説いている。
 共生だけをみても そうです。 人と人の共生だけではない。自然との共生を大事としているのです。ですから ”今が良ければそれで良い”とは いっておれない状況に 今まさに直面している。システムでの例を上げると、働き方改革(???)ですが、実施すれば変わることを7つ程挙げています。長時間労働の是正、処遇差の改善、多様な働き方などなど・・・・いかにも模範的な解答です、でもそれを決めた行政府と立法府は どうなっていますでしょうか?
”隗”は自ずと判るはず。(結)

3330:裏と表

民間の調査会社が2009年(?)ぐらいから始めた全国調査というものがあります。今まで 正直 関心もなく無視していました。「全国都道府県魅力度ランキング」というものです。 何の目的で何を根拠にした順位付けかハッキリしない。総務省かどこかの公的機関からの委託を受けた調査だろうかと思っていたが そうでも無さそうだ。・・・が、我慢できなくなったので 一言。
 その会社のHPがありますから 調べようと思えば誰でもできます。2019年度全国魅力度ランキング、茨城県は7年連続で最下位というものでした。
  その調査は 全国約3万人の消費者からのアンケートによるもので その会社(○○総合研究所)は社員10名とのこと(HPより)。住所をグーグルで調べてみましたが そこは居酒屋か何かの店の写真でした。
 茨城県に何か恨みでもあるのかどうかわかりません。でもね~ いま台風被害に遭い 必死になって復旧作業をしている茨城県民に対し後ろから頭を殴るようなことを よくするよな~。
 言論・報道の自由は認めます。でもな~ 情報提供する側にも 時と場合を考慮し 弁えることはありますよ。そう感じました。
 
 縁の下の力持ち・・・・ラクビーで新たな歴史をつくった。チーム一丸となり予選通過を果たした日本がベスト4を目指し、4年前の因縁の南アフリカと対戦する。ブライトンの軌跡と言われながら予選通過できなかった日本は、その悔しさをバネに確実に力をつけてきた。選手たちのコトバに日本人が忘れている大切な魂を感じました。そして全国で応援する人たちに伝播し、勝利した瞬間、歓喜の渦と化した姿には涙が出ました。試合開始前 黙祷を捧げ 試合後、その選手たちが語ったのは、・・・・被災された人達に少しでも元気を届けられたらとの思いがありました・・・というものだった。
 世間には裏と表を巧妙に使い分けし それで儲けようかと画策する輩が増えた気がする???
 縁の下で支え役に徹することを 良しとした時代がありそれを自ら行う人達もいた。それが どう履き違えたか ”豊かさ”や”便利さ”を獲るためと猜疑心や他への迷惑を意に介さない輩が時代の寵児とかと言われ始めた頃から おかしな事が起こるようになった。そう感じている。
 
 
 過去に経験したことが無いような被害を齎した台風がやっと過ぎ去ったと思ったら、なんと 20号・21号と続けて発生し日本に向かっている。国の強さと脆(もろ)さは表裏一体、 天変地異は人間の限度を弁えない所為が原因になることが多いのではないでしょうか。
 それを否定する根拠は如何なる専門家にも持ち得まい。ならば その備えは十分か! それが政治の役割の核とならずして誰がする。
 地球に生きるもの全てが今こそ真剣にむき合わなければならないのは地球環境をどう守るかでしょう。被災地を訪れ 頭をさげ 全力を尽くしますと・・・・言うは易し。じゃ~全力を尽くし どんな結果を生んでいるのか? それに心が動かない。何故だろう! その理由は”表と裏”をどうしても感じてしまうからではないだろうか。
 上に立つ者の宿命として 自らのちょっとした言動により 致命的な評価に至ること。本人が知らない間に着々と、だから 周りに箴言するものをおけと昔の心ある為政者は自戒した。
 でも それではダメだという事を多くの人が今感じ始めている。その役を辞すれば済む話ではないからです・・・・・・・・。
 昨夜行われた南アフリカとのラクビー試合で日本は負けた。でも 多くの人に勇気を与えてくれました。こころよりありがとう!と言いたい。