源究 189

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 NO  テーマ  月日 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3291  文学散歩  6/27  3296  ライフワーク 7/12 3301   課題山積  7/25  3306  正念場  8/6
 3292  発想転換  6/30  3297  ケセラセラ 7/14 3302   どうしました?  7/27  3307  笑顔  8/10
 3293  あなただったら  7/3  3298  国政選挙 7/17 3303   世知辛い世  7/29  3308  謙譲の美  8/13
 3294  人生遍路  7/6  3299  選択肢の実  7/20 3304   鐘の声  7/31  3309  自然と共存  8/16
 3295  受け皿  7/10  3300  悪の温床  7/23 3305  優先順位  8/2  3310  お盆明け  8/19

3291:文学散歩

 三つの『あ』・・・『あわてず、あせらず、あきらめず』は ラジオ深夜便の「絶望明言」で紹介された医師の言葉、突然 病魔に襲われ、まさか自分がという思いをされた方は多い。20歳の時に難病に罹り 13年間療養生活をおくったK・H氏が主人公、聞き役のNHKアナウサーのK・Iさんも同様に脳梗塞で倒れた。そこに番組デレクターのN・Tさんが加わり この番組が作られ、今回本になった。
 3つの『あ』は その本の中で 入院中 担当医師が語った言葉で、その言葉によって どれだけ癒されたか!と振り返る。療養生活はできればしたくない。それがホンネだろう。同病相憐れむといってもそこには 微妙なこころの動きが有る。後悔したって仕様がない。現実に向き合っていくことが唯一の路とあきらめる。
 そもそも この企画はカフカというフランスの作家との出逢いが発端となっている。私は、もう半世紀近くが経つ、卒論のテーマが見つからず 悶々として過ごしていた 昭和40年代後半、学生運動で騒然とした東京は、田舎育ちの私には 居心地の良い環境ではなかった。それで覚えたのが山、今思えばそこは絶好の隠れ家だったかもしれない。・・・絶望したときに、救いとなったのは、明るい言葉ではなく、絶望の言葉でした。・・・・絶望明言「はじめに」に書かれてある。
 積ん読。乱読。私の本読みは 決して良いとは思わない。最近は ネットで容易に欲しい本を買うことができる。逆に書店で手に取って読むことが無くなり 届いた本が予想外の内容でガッカリしたことも何度もある。ただ 昔から文字に残すことは その本人にとっては大変な意味があった。遺訓集や自叙伝は世に沢山出ている。書き手の思いや辿った道を振り返り 文字に残したいという気持ちは 人生を閉じる前の一大事なのでしょう。
 その本の中に第3回放送でのゲーテがあった。ゲーテはドイツの超有名な作家で順風満帆?常に晴のような人生を送った人間に思われている。そのゲーテが自ら記した”絶望”を紹介してあるのも 興味を持つ。
 
 
 電子書籍なるものに 私は抵抗がある。kindle版が最初分からず 危うく 注文しようとしたことがあった。便利さという点では 如何なものか?恐らく 他にメリットがあるのだろうが、・・・・・・。
 戸締りやエアコンを遠隔操作で行うなど 別に珍しくはないようだ。極めつけはスマホ決裁、何もかも手の平サイズの利器によって 処理する世の中になったら どうなるのか恐ろしい。電子マネーというものが 凄い勢いで増えている。現金の代替支払手段で その種類は多種多様、私が唯一使っているのは suicaカード、これは 電車を利用した時に便利だと思った、プリペード式だから 必要な金額を前もって入れておけば もし 紛失や不正使用をされても被害は少ない。今では駅構内ばかりでなく 飲食店やコンビニまで利用の範囲が広がった。これが 仮想通貨までいくと リスク対応が果たしてどうなっているのか大いに疑問、発行企業が万が一倒産した時の取り扱いが未だ一定ルールがないという。
 新しいものに 手を出したがるのは 世の常。勿論、自己責任でやるのであれば 貴方の勝手だが 他の人に無断で使われていても気が付かない。 あれだけ 就職先で人気があった金融機関も 生き残りに四苦八苦、窓口業務を減らし、他の事業で利益確保を画策する。
 そこに 年金や保険業も加わって 何がどうなっているのか皆目わからない状況になった。市場自由主義経済?をとっている日本、業種間の隔てが無くなり、薬局で食料・雑貨を売ったり、店内に100円ショップがある。そして ドラッグストアーの数は乱立状態、あっと言う間に昔からあった街の中の薬屋は姿を消し、道路ができると道脇に直ぐに何店も建ちはじめる。
 前項で触れたゲーテの言葉で私が好きなものは・・・・・『人は 努力する限り 迷うものだ』(ファースト)・・・これを壁に貼ってある。 界隈散歩雑感!

3292:発想転換

 G20大阪サミットが厳重警戒の下で行われている。主だった国のトップが顔を併せ 何を決めるのか? 一対一で直接会談をするので その裏方は大変な状況だと思う。見方を変えれば 20か国の中に入らない国は この会合をどんな思いで見ているか?G20のGとは どんな意味? グループのGで 主要なという意味を含んでいると判った。直近の国連加盟国は196だから 今回集まった国は全体の1割程度、それでいて 世界のGDPの90%と総人口の3分の2を占めている。
 取り決めされたことに拘束力が有るのでしょうか?
 会場になった大阪は 次は万博を控えている。囁かれるお決まりの経済効果? 人が集まるのだから それなりの効果はあるのだろうが 庶民感覚では ????。お祭り騒ぎのあとのことが気になるのでは?
 大国による力の外交が強すぎると どうなるか? 世界の人口の推移を見ると 19C末からの100年間で急増している。100年前は推定で16億人だった世界の人口がこの間に70億人を超えるまで増えた。当然 貧富の格差ができ 様々な問題が生れ、現在はing!
G20の開催最中 フランスではなんと気温45℃を記録する猛暑に見舞われている。自然からの警鐘としか思えない。便利な世の中、豊かな社会を目指すのも いい加減にしないとならない。 いつ頃からか 環境問題が国連の重要テーマとなり 検討が続けれれている。ここに来て その足並みが揃わない。一国主義的な動きが拡大し 軍事力や経済力に世界の目が集まる。選ばれた国のトップが 一堂に会し 決められた事が 簡単に反故されるのでは集まる意味が無い。その確信が議長国としての日本が持てるのか否か! 事前の評判では 日本は敵がないから 仲介者として うまく行くだろうと持ち上げられた? これを 真面に受け取る人はいないだろう。最大の”おもてなし”に対する社交儀礼かもしれないのに 得意満面の姿を見せつけられると 正直背筋が寒くなる。天邪鬼の私だけなら 良いのだけれど・・・・・。
 
 日本中が梅雨の真っただ中にある。週間天気予報は 変化が激しく 水不足で枯れ始めた芝が急に勢いを増した。でも これだけ雨が続くと 芝特有の病気が気になる。自然は豊かさの原点という話をペシャワール会現地代表の中村哲医師が語った。パキスタン・アフガニスタンに入って最前線で平和医療活動を長年実践してきた中村氏の言葉は 現実と平和を実に解かり易く説いた。
 水道から安全な水を飲むことができる日本も嘗て 廃墟の中で食べ物を必死に探し求めた歴史がある。それが 昨今のこの国のあり様を見ているとどうしたって こころ穏やかではいられない。再三 議論されていたはずの 自然を守ることが蔑ろにされ続けている。それと共に人々の心も何かに追われるように余裕がなく、荒んでいるように感じる。
 鐘楼の鐘の音が”騒音”だと感じる人がいることを知った。匿名で電話があり、その内容は正直 思ってもいなかったことでした。尋ねても名前も住所も教えてくれず、自分の仕事が夜勤が多い、昼の12時の時の鐘で眠れないという理由だった。尚恵学園のメンバーでパン作りしている方達が交代で撞いてきた。その音が”迷惑防止条例”にあたると言われた。
 取りあえず 言われた12時の鐘撞きは中止したが、昨日 また電話があった。10時に鐘を撞きましたよね・・・・・と真っ先に言われた。寺に訪れる人が 多分ついでに撞いたと思うと説明したが その後、電話は切れた・・・・。
 境内の周辺は 犬を連れて散歩する人達が毎日のように訪れる。なるべく綺麗にして置こうと思っている それは 此方側の勝手な想いなのかも知れません。
 

3293:あなただったら

 前に 兄弟3人でお金を貯め お父さんの遺骨を永代墓地に納めた話を紹介したことがあります。そのお骨は 当時3人一緒に生活していた養護施設の園長さんから 頼まれたもので 暫くお寺の納骨堂でお預かりしていたものです。毎年 兄弟の誰かが寺を訪れ お父さんの遺骨の前にお酒やタバコをあげて行きました。それぞれが社会人となり お姉さんは結婚し 静岡県で生活しています。時々 手紙が届き近況を知らせてくれました。今日から文月 いつも今頃の盆月前でした。≪三人でお金を貯めて 必ず お父さんのお骨をお墓に埋葬できるようにします。≫と話していた。その約束を果たしたのです。
 人それぞれ。巷には悲惨な事件が絶えたことがない。この国では 親子や兄弟の骨肉の争いなどが増えていないでしょうか? 住職として そのような話を目の当たりにすると どのようにしたら良いのか正直迷います。
 親が苦労して建てた家屋敷を売り払い そのお金で自分達は便利で快適なマンション住まい。それでいて 親の供養は ・・・・・・。 この時期に施餓鬼会の通知を出します。その反応も様々です。
 あなただったら? 先祖の供養 それはお寺から強制されるものと思いますか? もし そうであるならば ハッキリ言ってやらない方が良いと私は思いますよ。供養は 何もお寺から強制されるものではなく、あなた自身の意志で行って初めて意義があるのですからね!ただ 世の中には 他と比較し 愚痴や不満を 親の所為にする・・・なんていう人もいます。これで 心から亡くなった方の菩提を念じることが本当にできるのでしょうか?
 合掌。
 
 
 地方から都会へ 若い人達は故郷を離れ 都会に流れて行く。地方は過疎化が進み 年寄りしか残っていない処が増えている。この様子が 少しは変わったでしょうか? インフラ整備が進み 移動手段も昔に比べれば格段に改善されたはずなのに 空き家が目立つ。 どうするかを考えるのが政治の本来の役割であったでしょう。嘗て起こった列島改造ブームは 閉ざされた雪国育ちの政治家が己の政治生命をかけ取り組んだものだった。その主張は解かり易く 地元の人達の希望を適える政策だった。それが どうだろう、ブルジョワ?政治家が増えすぎたね 彼らに共通するのは主張が判り辛く それも変わり易いという感は否めない。
 実績を自ら誇ることはするが 民意を掴む能力は呆れるほど幼稚。こういった政治家が 一堂に会し議論した処で 期待できる結論は得られまい。これが今の偽らざる実態じゃ~ないの。
 マスコミの劣化も尋常ではないよな~。よりインパクトのある話を どこもかしこも狙い撃ち、その犠牲になった者たちは過激化する追っかけにタジタジ。そこからは 人間不信以外の 何モノも生まれない。こういった社会的イジメが拡大した責任は大きいんじゃないの!。
 いつまで これを続ければ気がすむのよ あんたら? 地域の公民館の前を車で通ったら既に参議院選挙のポスター掲示版が立ててあった。気のせいか目立たない。選挙戦の熱気は 日本ではもうみられない?いつの間に立ち会い演説に人が集まるどころか人影マバラ 選挙日近くでも誰が候補者かわからない。これで ご本人達は どんな気持ちでマイクを握っているのだろう! 高度経済成長後に襲ったバブル崩壊、時を同じくして永田町住人と地元との乖離が進んだ。
 こうした社会現象は 必然的に 自己中心の考えが強まる。昔ならば それでも修正する時間的余裕があった 議論し纏まれば政策に反映することもできた。急激なグローバル化&スピード、それと過剰と思える情報量は 何故か政党分裂を繰り返しその余裕すらなくなった。
 だからです! 与野党挙って問題を先送りするしかないのです。今回のG20で明らかになった世界の構図と重なる。美しい調和を大会テーマに掲げた割に閉会時の総括挨拶は 表面的で何一つ 具体的な方向が示せなかった。

 仏教でいう 今を生きるの真の意味は・・・・自分達が楽しく安心して暮らす・・・という自己満足だけではない。自由と平等には ルールが不可欠、何でも許されれば取集がつかない。これが今の実態で奪い合いが起こる原因にはそのルールの反故がある。口を開けば豊かさ第一と 天上知らずの欲望を突き進むことを正当化、産めよ増やせよと今の経済尺度を使えば 立ち止まる事は許されまい。結果は 取り返しが出来ない程の地球規模の自然環境の破壊が起こった。 この現実とどう向き合うか その想像力と実行力こそが今を生きることへの条件というものだ。
線状降水帯が日本列島に居座る。九州地方に総降水量が1000ミリを超える予報が出ている。地球温暖化と気象変動をまさか関係ないとは言うまい。
 
 夕刻 雑木林にムシカゴをもった親子連れを見かけた。目的はクワガタか兜ムシとり? 私達が住む地域にそんな触れ合いの場を残そうよ。細やかな夢かもしれないが実践している。 虫を育てることで 子供は多くのことを学ぶ。餌をあげ それを喜んで食べるかどうかを真剣な眼差しで見つめ、子ども達は命の大切さを学ぶんだ。
 一向に幼児への虐待事件が減る兆しが見えない。育児放棄や暴力・・・・目を覆いたくなるような悲劇が 今の日本で 毎日のように起こっている。これは 大人の都合だ。それから相も変わらず年間2万人を超す自死者の数、TV画面に流れる電車不通を知らせるテロップに何も感じない世の中が果たしてどうなのか?
 梅雨空の如き暗雲が日常的に重く立ち込めることを 誰が望むだろう!そして不安を助長するようなことが 連鎖的に起こっている。

 相棒のNさんは この時期になるとソワソワし始める。虫カゴを持ち早朝から雑木林に向かう。彼は スタッフの子ども達に採った虫をあげるのを生き甲斐(?)にしている。パン屋で働く Kさんは 天気に関係なく 花壇の花にホースで水巻きするのが仕事と決めている。かつて同僚だったTさんは 今度 職場が変わって そこでのリーダー?に昇格 生き生きと 毎日 雨傘を持って通ってる。雨が降ろうが 晴だろうが構わずに。
 その姿は 巷でいう「自分さえ良ければ」というものとは 何処かが違って微笑がある。  あなただったら どちらを選びますか?
 

3294:人生遍路

 最近の葬儀事情は 通夜を省いたり直葬が増えてきました。この流れは止まらないかもしれない。それで良しと思う人が増えたこと、10人講や結(ゆい)という昔から日本で行われてきた互助機能が代行専門業者にとって変わった。日本人の深層には 先祖を敬い 供養する心があった。それが薄れた(?)誘因として先ず思い浮かぶことは 我々 僧侶の責任が大きいと思っています。私は 宗教の中でも仏教 それも 狭い範囲の事しか解からない。昭和49年(1974)に本山(奈良:長谷寺)に参籠し 僧侶資格を取得、短期間の資格取得制度で今は無くなった。その時は それで良いと思った。あれから、そろそろ45年が経つ。そして古希(70歳)を目の前にして、仏教の辿った道をもう一度歩みたいと考えている。無常感は仏教思想の根幹、それは一切のものは 消滅・変化し常住でないとみて、物事にこだわらない生き方を奨める、何とま~真逆の人生を送ってきたものか。その自省の念は益々強くなる。こだわらないという真意は 今風の「なんでも良い」ということでは無い・・・また 悪癖が顔を出す。
 昨夜 99歳の誕生日に身罷った御婆ちゃんの通夜があった。最近は僧責を無事務められるかどうか気になる。亡くなる数週間前まで自分で歩き食事も介助なくできていた御婆ちゃんだった、遺族が口を揃え とても優しい御婆ちゃんだったと語る。当に健康寿命で大正~昭和~平成~令和の4時代を生きぬいた。通夜が終わり迎えのタクシーに乗る時に背後から引きとめられた。自分が御婆ちゃんの初めての孫ですと言って、スマホで今写したばかりの位牌を見せながら ≪これは どう読むんですか?≫と尋ねられた。彼は、普段から般若心経を唱えているという。世話になった御婆ちゃんと御爺ちゃんを想い これから唱えたいと・・・・・。
 驚きだった。そうか~ このような家族が未だあるんだ~!
 
 四国遍路には順逆に巡る歩き方があります。昔 歩いた時に、遍路装束でない人も多く 見た目では判らないが すれ違った時に 感じることを発見した。それは”挨拶”を交わすことだった。  いま時 すれ違う人と挨拶をする人がどれ位いるだろう? 減ったね~。
 ≪こんにちわ! こんにちわ!・・・≫ 相手構わず 挨拶するKさんは、気のせいか その挨拶の仕方に変化を感じる。相手を見て 声をかけるようになった? 彼がGHでの生活を開始した当初は うるさいくらいに大きな声で誰彼構わず 声をかけていた。もう 早いもので10年を経過する。地域の生活で彼が身に付けた処世術は こんな所に現われた?その代り お昼の時間に 事務所に来て ≪今日の泊まり  ○○さん。明日は △△、その次は・・・≫と大声で話かける。
 ”こんにちわ”には”こんにちわ”の挨拶が欲しい。これ Kさんの願いだ。
私達が出来ることは 身近なことからだ、 それが 当たり前だった頃を知っている者と生まれた時からそれらが消えていた者とは 大きく違う。 挨拶位ならば・・・・・高があいさつ、されど挨拶だ・・・。
 家庭用の簡単なAIロボットが出来ている。声をかければ 設定どおり間違いなく 返事をしてくれる。 これこそ 順逆でしょう。 何でも ロボットにやらせて 自分達は 一体 何をするの? 道端に捨てられたゴミを拾う人が無い事を知ってか知らずか? 依然として  放置されるゴミは 無くならない・・・・・。 区費を払わず そっ~と 暗くなったころ 市のゴミ収集所に捨てる。なんか 得した気にでもなるんでしょうか!
 
 
  歩んだ道を振り返れば 人それぞれ 順逆の人生だったと考える人もいるだろう。無常と無情は全く異なる意味かも知れません、でも どこかで通じ合っている。仏教の無常は”自然”というコトバで括られる。人間が自分達の生活の便宜で作り変えをしていないもの、仏教では本性、本質と捉えている。
 自分が生かされていると感じる瞬間を思い出してみれば 判ることかも知れません。普段は思いってもいなかったこと、実は此処に価値があるという。
 信仰は 仰(あお)ぎ 信じること、特定の宗教や哲学を信じるという意味ではなく、人類全般に言えることとして生かされていると感じる事 それにどう向き合うかと言ったら良いかも知れません。一瞬に忘れてしまうことも有るでしょう。だけれども安心や平和への願いは誰もが持っている。殊更に それを公言するのでは無しに 有りの儘に生きてその実感ができれば、その事が自然との共生に通じると言えまいか。
 恐らく不器用で寡黙で 手際よくできないけれど 何か光るものを持っている人がいたとする。それが 何なのか? 世の中からは 隅に追いやられたとしても 不満を言う訳でもなく 淡々としていられる強さ。
 最早 くい止める事が出来なくなっている 人間同志の争いや略奪の代償としていったい何を手に入れると思ったのでしょう? どこまでいっても 双方が満足できるような”つぐない”にはならぬことを理解しようとしない。 
 遍路や聖地巡礼は 生きる為に最低限の必要なものを持って ある目的のために 歩き続けることなのですよ。
  

3295:受け皿

 
梅雨の真っただ中、蓮田に大きく開く レンコンの葉、芽を出し始めてからの成長は早い。良く見ると どの葉も 雨粒を受けている。
・・・・・『高原の陸地には蓮花は生えない。汚泥の中からこそ蓮花はさく』(維摩経)・・・。
仏教は蓮の解釈で多くの教えを説く。2000年の年月を通し、私達に語りかけている”生きる智慧”です。 決して難しい言い回しでなく 自然体で耳を傾けられる。 世の移り変りの速さは 昔と比べて どうなのでしょうね! 日本の中を見廻して、腑に落ちないことが多すぎる感を持ってしまいます。汚泥の中から見事な花を咲かせるレンコンは 自らは そのような思いは無いのでしょうが・・・・。 一方 高嶺の花というコトバが 今の世相を表わしています。その代表は政治です。有権者はただ見ているばかり、別世界となった永田町の住人達(=高原の陸地)、高額な報酬を獲ても まだ満足せず、更に様々な理屈を付けて 使い放題、ですから 一度その座についてしまった人は その座を死守することばかりに関心が向いて、本来の使命など忘れてしまう。その人物の周りには 利を獲ようとする輩が次から次に生まれる。この姿は 皆が皆そうしているからという彼等特有の理屈によって。
 できもしない公約を掲げ 任期がくれば スタートラインでヨーイ ドン、この繰り返しを許してしまったのは彼らが考えた複雑な制度とチェックすべき人の怠慢。それを皮肉を込めて”高嶺の華”、といっているのを理解できない。
 果たして 蓮花のごとく、汚泥の中から生まれた政治家が今の日本にどれだけいるでしょう! 一様に皆で渡れば怖くないですか? そうね、そうだよね。多数決という印籠を惜しみなく使い、庶民の声は問答無用。正常な機能を果たせない今の仕組みを どうすれば良いのでしょう。
 参議院選挙が始りました。私達も含め 大人たち全てが 蓮の花から 一から学んだほうが良いのでは・・・・・・・。ムニャムニャ。
 
 そうは言っても どうしてよいのか判りません・・・・・。これが多くの人々の本心ではないでしょうか。あわてず・あせらず・あきらめずの三つの「あ」この医師の言葉を思い出します。病と向き合う人の拠り所となっている。
 見方を変えて病を「自分の体」 から 「国」と置き換えてみれば その3つの「あ」で充分なのでしょうか? 沸々と湧く疑問として、憲法の改正を言うのであれば先ず トップを選ぶ制度を変えたらいかがですか? 首相公選論!! 国会議員が選ぶのでなく 直接国民投票で選ぶ。過去に 何度も話題になり消えていった議論です、ハッキリ言って 首相になりたい人が唱え、なってしまうとそれが無くなる。今の遣り方では ”デキレース”でしかありません。なってしまえば 絶大な力を持ち、刃向いできない構図、だからでしょう、例の忖度なんて今まで聞いたこと無い日本語が一世を風靡(?)した。
 この国を根本から変えようとすれば 一先にこの議論をもっと拡大し政治を本来の姿に戻さなければならんはず。ムニャムニャ。
 どうでしょう! 日本は今 国会議員の選挙期間中ですよ。周りを見回しても その気配は全く感じない。これって異常ではないですか?不信感と観るか安定と観るかですが、結局は他人事の”政治ショー”を 金を払ってまで観る気になれない。だから空席目立つのが当たり前、
でも 入場料は払わないけど 訳わからずに支払う金は増えませんか?寡黙で後悔を選ぶか どうかです。
 ☆ 朝日放送の『ポツンと一軒家』という番組が高視聴率で15%越えています。山深い一軒家で 一人で頑張っているお年寄りに 何かを感じる人が多くいるということですね。都会生活を良しとした現代人の多くが 果たしてこれで良いのかと疑いを持ち始めている証拠? 自然の中で 自分のペースを守り 生活する喜びを どこかに置き忘れてきた日本人、その住人の多くが 自分が育てられた場所に愛着をもっている。
 
  寺は お盆の準備を一ケ月前から始めます。前に頼んでおいた今年の塔婆が昨日届く。二代目?の社長がいつも運んできてくれる。最近は塔婆にする材料の確保が難しくなったという話を良く聞かされていた。今回の材料は ドイツ産のモミの木だという。国内産の材料は 手に入らないそうで 今後 今の商売を続けるために 頭を悩ませている・・・・・。
 ドイツ産という事を聴いて 黒い森(シュヴァルツバルト地方)を思い浮かべた。彼の説明に段々熱が入る。それは 明らかにドイツと日本の林業経営の違いだった。なんでも日本の森林関係者が良く視察に訪れるらしいが 一様に日本の林業政策との違いを痛感する。
 ドイツでは近代化された設備、人の手をなるべく減らし機械化が進んでいる工場。そこで働く人は 林業の仕事を生業とし夢や喜びを感じていると、≪あれなら 若者が林業の仕事を続けたくなりますよ。≫
 いまの儘で日本の林業は 将来性が無いと謂った。私も大子の山に行くと それを痛感する。間伐や下刈りなどの管理がされずに放置され ツルが絡みつき 入れない山が急激に増えた。林業経営は時間がかかるもの 用材になるまで70年~80年を要する。その為に 毎年行わなければ成らぬ管理の作業がある。
 日本は緑と水に恵まれた国、果たして この先 どうなるか? 何しろ 開発か荒廃か 両極端で 嘗て 名木を産した山は何故かそこに雑木を植えられ 皆伐の跡地は太陽光パネルに替わっている。
 日本の山は 水源の確保や 地滑り予防の役目を担ったのでは なかったか!
 ☆ ドイツとの違いは 長伐期・非皆伐施業と森林資源の適切な把握で安定供給がなされている。日本は 森林のオーナーが林業からの収入に頼らず 森林組合に管理を委託、この差は 日本の林業を再生することを より困難にしている。
 ★ 今朝のニュースで 東京の隅田川で大量の魚が浮いていたとの報道があった。原因は 酸欠か その対応も曖昧で終止符?。

3296:ライフワーク

 畢生(ひっせい)の仕事=ライフワークは、誰もがホンネでは持っていたいということだろうと思います。 それを 年金問題と摩り替えては論外でしょうが、どこでどうなったかそう思えてしまう。 老後を楽しくノンビリという思いも分かります。じゃ~ お尋ねしますよ。どんな風にしたいですか 具体的にお話し下さいな。・・・・ゴルフ、旅行、写真、読書、それとも・・・・??? じゃ~それを何年すれば 気が済みます? 毎日入れ替わり立ち代わり そうできたとしても 満足できますか?
 いつの頃だったでしょうね、日本人の老後の過ごし方について巷で様々言われましたけど、≪100年安心≫その通りにできましたか?画塀に帰したか でも良く自分の胸に手をあて振り返ってみましょうよ。だってそうでしょう! 幾つになっても私達は 社会と何らかの関係(役割:居場所)を持ち続けたいと望むものです。逆に そうしないと生きていくことに張りが出ない。でもな~ 正直な話、滑った転んだいつまでたっても 結論の出ないことに悩みたいとは思いませんよ。だったら 発想を変えないとダメでしょう!

 外国人から日本を見て興味をそそるもので 100円ショップで売られている様々な便利グッツがあるそうですね、決して高価なものでは無く、発想の意外性とでも言いましょうか?それを探し求める為にワザワザ日本を訪れる人もいるとか。 もう一つついでに 自転車を部屋に置いて使うこと????これに驚いたという話も聴きました。私達が気にせず受け入れてきたものです。 実はこの辺に発想転換へのヒントがあると思います。お金をかけないで 歩けば 健康器具など買う必要はありません。畢生というコトバを初めて聞いた方もいらっしゃるでしょう? 畢生(ひっせい)とは、命の終わるまでの間という意味です。少々小難しくなりますけど、真言密教で両界曼荼羅というものがありますが、金剛界曼荼羅の九会でそのことを示すと言われています。つまり一生を生から死までの間で観じる(生きる)指標とでも言ったら良いのかな~、 本来誰もが持って生れた智慧(仏性)が 何故か隠れてしまっていて迷う原因になっているそうです、それを隠さず飾らず 有りの儘に 出せれば究極の畢生の仕事(生き様)を持ったことになると。 私の身近な話です。利用者の皆さんと触れ合うことで 一番癒されるのは そのものズバリの生き仏の姿からではないだろうか、この歳になり それが 漸く判ってきたと思っていますが ちょっと遅かったでしょうか。
 ムニャムニャ。
 
 
  善悪の判断根拠が曖昧になった。嘘か真実も全く同じです。・・・・善悪の報は影の形に随うが如し・・・・。行為の善悪に応じて、その報いが必ずやってくるという意味。報いは 社会的地位や財産とは無関係、 知識の多少にも影響されず。 これこそが”智慧”というもので仏教が諭す現代的価値ですね。 
 そう言う私自身も 頭での理解しかないと思っています。誰しも身近に それを知らしめるものが有るか否か?ですよ。そして 老後を迎え 散っていく。これは 避けて通れぬ本性かもしれない。 それでお前は良いのですか????と自問する。
 今の偽らざる心境ですね。老境に入るには まだ早い?  細やかなれど 反骨心の類だと思っている。
 東日本大震災・原発事故これは 今世紀最大の事故だ。人間の能力を超えた災害、人災か天災か、その復興は これから先 どれ位かかるか誰も判らない。社会の不条理をあげたら切がない。”ハンセン病家族訴訟”の問題や”拉致問題”は 当事者だけの問題ではなく 国としてどう向き合うかです。 こんな風に考えると 憂鬱になります。そんな社会に何が必要なのでしょうか? 世紀の大祭典(オリンピックや万博)は それを埋め合わせることにならないことを誰もが判っています。 派手なお祭り騒ぎではなく 普段の生活の安心が望まれているのです。 残念ですが この国が向かおうとしている方向が 人々の願いとは次元を異にしているように感じます。
 ・・・・足元見ずに 照らす光は 先ばかり・・・・ 豊かさに 失ったものの 意味不明・・・・ナマグサ拙句。
 

3297:ケセラセラ

ケセラセラって どんな意味?なるようになるさ・・・ということらしい。  疲れた時に 肩の力を抜いて 自然の流れに身を任すというように使われたとか、ま~ 何でも構わないけど そう言われると 全くの図星だわ。
 毎朝 パソコンに向かって厭きもせず たあい無いことを書き連ねてきましたが 少々 疲れました。というのも 私はウインドウズ7を使用しているので サポート期間が残り半年となり その後をどうするか?迷っています。通信速度が速くなり容量も格段に上がった。 それに対応できない機種で動かそうとすれば不具合が生じ、その原因と修正が判らない。最近は ≪スプリプトエラー・・≫表示がやたらと出てきて始末が悪い。私のOA能力では 限界です。こんな事に頭を悩ますなら やらない方が良いと思ってしまうのです。潮時・・年貢の納め時か!
 そこで やおら頭に浮かんだのが”ケセラセラ” Whatever will be, will be・・・・の歌詞だった。この6月から余計な事に煩わされる事もなく 結構ゆったりとした生活???、ヨッシャー これからはと思っていましたよ。それが 私の性分では 思ったようにいかない。トコトン 調べないと気が済まない。見様見真似でも どうにかできたことが患いのもと。できなくなって さ~ どうするか?
 時間よ 止まれ。一週7日、過ぎるのが早い事。何をやったのか 思いだせない。そうだ 今日は 歯医者にいって来るんだった。ケセラセラ。
 
 
 今年の梅雨は 異常だという。こんなに雨が続き 晴れる日が殆ど無い、当然 作物の成長には影響し、収穫は半分程になっている。それでも できるだけ良いと言うのだろうか? 値段は高騰し、果実は本来の甘さが無い。
 日本では世界の動きと逆の現象が起こっている。それは人口減、一方 世界の人口は今後も増え続ける。食糧の自給率は 日本は先進国でも常に最下位(38%)。先端技術やモノづくりで外貨を稼ぎ 食料は輸入に頼る。相変わらずのやり方に 経済界が立ち上がる。この国がとってきた産業構造が将来 どうしようも無くなるという危機感。その対策を目先の選挙に夢中な政治に任せておけないというのがホンネだ。それは 最悪のシナリオで人口の6割の人々の食べ物の確保ができていない対応への甘さと それをあまり問題視しない社会の脆弱性。
 前項で紹介した100円ショップや健康グッヅ、良く見ると その殆どがmade in ○ ○、日本国内では作っていない。それでは 日本が世界から何を必要とされますか? 足元みずに 照らす光は 先ばかり。この類の感覚のズレが 酷いんじゃ~ありませんかね。持続可能と言いながら 一貫性には疑問をもつ。例えばエネルギー政策がそうだろう。
 トップランナーたちは牙城に居座り 物言わぬ家来を侍らせ 外向け外交に現を抜かす。時々 足元に目をやって 長年の懸案事項に断を下す・・・・・・そう 思ったとしたら大間違い。何一つ具体的な内容は示せない、これも選挙の結果で後出しで言うのだろうか?
 もし この国が今の儘で溢れかえるモノに埋め尽くされ身動きできない事態を想定し そこから脱皮させ 一から出直せという 大改革の先頭に自らが立つというのであればだが どうも そこまでの覚悟は望めない・・・・ケセラセラ。

3298:国政選挙

 茨城県の参議院選挙の立候補者は定員2人に対し5人です。最近は期日前投票を必ずする。近くにある公民館ではなく 期日前投票できる場所の指定があって そこで行っている。候補者5人のポスターを全て貼っていない掲示版に気付く。地元の投票所には3人だけしか無かった、何故なんだろう?  全国津々浦々 おそらく同様のことが起こっているのではなかろうか! 長期に続く選挙の閉塞時代、その低調ぶりを如実に示す、TVでの各党代表による 討論?は 一体何をどうしたいのかが良く理解できない。まさに国会中継の延長でしかなかった。これでは ダメだ~。ここまで国政が判り辛くなってしまった原因をも我々選挙民の責任と言うのだろうか。ハッキリいって今の政治家達の責任だと私は思う。自論を簡単に変更するなど珍しくない 貴方達は本当の事を知りたいと思った国民の期待を悉く 裏切ってきたではないでしょうか。自省どころかそれを無視するかの如き目新しい事、派手なパフォーマンスに どうしようもない嫌悪感をもっている国民も多いのではないだろうか?
 ある時期 ブーメラン現象・・・というコトバが囁かれた。ある議員の問題発言に対し 議員辞職勧告は慎重にという仲間内での囁き、それは 明らかに民意ではない 彼等特有の制度を盾にした保身だ、結局 当人は2か月の医師診断によって有給休暇、今は特異なSNSを使い 好き勝手に自論を展開しているように思える。これが言論の自由と平和を掲げるGNP世界?位のニッポンの姿だ。
 この有様を他国からみて 日本は組み易しと思うか それとも これぞ民主主義国家の手本とみるか????? 
 客人が 訪問先をボロクソに言うはずはないでしょう。最大限の褒め言葉を添えて招待に応えるものですよ。これを 其の儘に信じてしまうのも どうかと思う、後で 違うのを判っても 後の祭。心有る 政治家の登場を待つのみ。
  いま この地域は夏祭りの最中、雨の中を 囃子と共に手作りの山車を子供たちが牽いていた。ソーレ ソーレ とんとことん!
 
 これでもか これでもか ・・・・ 連日雨が降りやまぬ。この国だけと思っていたら 世界中が異常気象に襲われている。 一国主義! やれ 貿易不均衡! と争い続けている中で 自然が警報を鳴らし続ける。グローバル化の中で自国の利益のみを守ろうとしたところで 現実にできるのか? 自・他国の区別をどう決めるのか? それさえ曖昧な中で 支持者の意向に添うことができるのか? 
 民意とドンドン離れて行く・・・・・。この様を指を銜え、見ているだけということはできませんよ・・・・。
『不憤不啓  不俳不発・・・・・』(論語) 中国の古典から 学ぶ、人口13億と言われる民を纏めることを 日本人には想像もできまい。10/1の人口、この数だって決して少ないとは思わない。それでも 産めよ増やせよと策を練る。一体 彼らはこの国をどうしたいのか? EUの如く 移民受け入れを積極的に行う覚悟もなく、自分達だけで 未来永劫に国体を維持せんとしたいのか? ならば 問いたい。過去の兵糧攻めに どれだけの犠牲を払ったか! 自分達が食べる食料も賄えず(自給率38%)、それで ここまで経済が回復したとよくも言えたものである。果たして この国は戦後、真剣に国防問題について国民と共に考えてきただろうか?孫子(まごこ)の代まで平和を守り続けて欲しい。これが我々の永遠のホンネだ。
 今の政治はどうしても その議論を避けているように思えてしようがない。
 票数を読むことしか眼中になく その為の策に溺れる核心なき選挙戦。平和や義務、権利・・・これは 貴方達一部の者によって秘密裏に決められるものではない。おそらく 今の儘で何も変えることなく選挙を続けても 投票率は上がるまい。残念だが 国民の多くは自分達が政治に参加しているとの自覚が薄い。
 戦争に負けた日本、その後もずっと引きずっている問題は何か!事実を隠さず国民と 膝を交えた真の議論を なぜ避けるのか。 これなくして 貴方達が掲げた100年安心など 夢物語に過ぎまい。 無責任な自論を陳べ これを言論の自由だと主張する議員、この今の姿勢こそが 最大の政治不信の事由と思うのだ。投票日まで残り5日。
 私達の仲間(尚恵学園)は 投票に行きますよ。
 
 いずれ 皆が投票に参加する時が来るから・・・・と 悠然としていられるような時だろうか! もし そうだとしたら 世界に稀なる民族と思われても仕方ない。 
 
節度を守るということは度を越さない意味である。 極端な行為に走り 世が乱れることを避けるためだ。 多様な価値観が認められる今の世は、勝手に解釈しても お咎めが無い所まできたか?ケジメなく自由!権利! と大手を振っても許される。その行き着く先は ”自分さえ良ければ”という考えになり易い。一昔前までは ハッキリとしたアンチテーゼがあった。それは 戦争の恐怖、幻想ではなく実際に体験された人達の生の声だった。その世代が確実に減って、戦後生まれが大半となり 働き手の中心となっている世代は その子や孫たちに変わりつつある。
 私達が子供の頃、”死の商人”というコトバがあった。陰で兵器を売って金を儲けるモノ達だ。 今は堂々と国と国の間で武器の売買が行われる。人間が考え出した機器は それをどう使うかによってどのようにもなる時代に入った。
 もはや節度を守るというような悠長なことは言っておれない。せめてルールを作り それを守ること位しか できないのである。これだって トップの一存で離脱もできることが世界中に知れ渡った。
 この”紙一重の危機”と向き合って平和を守るしかないという現実。
 日本を覆っている重く暗い雲は、こういった背景に有りながらも 誰を代理者として選ぶかという 対象が見つけられないディレンマだろう。
 正直 我々が一票の権利を行使して出来ることは 一強独裁を阻むこと位で 実に消極的な行為であることは認めよう。それだって”節・度”になればとの 微かな願いをもって・・・・。
   

3299:選択肢の実

 マニフェスト(宣言書)は公約として どれ程の重みと実があるのでしょうか? 聴き比べても 何処がどう違うのか判り辛いのは 私の所為か?枝葉末節の問題とは言わずとも 宣言しても その実行性について検証がなされていなければ 実がない。不言実行とどちらが良いかなど 愚問なのか?
 ここは 今の政治が大いに反省すべき点で そのために政党助成金という高額な国費が使われているのだから 責任と義務は有るはずだ。 さらに最近どうも決め付け的な政策が多い様に思うのは私だけでしょうか。本当にそれしか選択肢がないのか疑ってみるべきでしょう、それを諮問する有識者会議そのものに 委員の選任から会議の方法について 疑心が表面化した。 あの後どうなったのでしょうね 庶民のモヤモヤ感は払拭出来たのでしょうか?
 
 ☆個人主義と利己主義の違いは 判りますか? 日本語は難しい。外来語の場合は尚更です。individualismとegoism、明治開港と共に いろいろなモノを積極的に海外から取り入れた。憲法や諸制度は 戦後で戦勝国のチェックを受け作られた。 この一部を 今回 改正しようとしている訳でしょうが、諸手をあげてまで 賛同できない人達が国民の半数以上いるという現実を どう捉えているのでしょうか?どちらにしたって 改正の内容を充分理解した人は少ないと思うね。だからでしょう 慎重論を唱える人が多いのはね。
 それと 私達も含め この先 どれ位生きるか判らない年齢。その者達が 基本なる法を改正してしまって良いのだろうか?これが正直な思いですよ。ハッキリ言ってそこまで今の政治に信頼感が持てるかどうかです???
 それを判断する材料が今回の選挙だと私は思いますよ。貴方達が言う過半数を取ったかどうかじゃない。実際に選挙に参加した人達の数から判断すべきでしょう。だってそうでしょう! 貴方達は その為にマニフェストで自らの党の意志を示した訳ですから。有言実行を盛んに宣伝したのに投票率が変わり映えしなければ 一からやり直し その位の重みはあると思いますよ。
☆仏教に自利利他という考えがあります、個人主義と利己主義の説明には 小難しい理屈じゃなく 自利利他 これですね。政(まつりごと)との違いは 、そこに節度を持つか否か。信じるか否か。
 
 
 大人たちが理解できないのに 子供達にその責任を負わせるとしたら どう思いますか?
 この国の危うさを感じるのは そう謂った事象が多すぎること、それを 深刻に考えない人達と方や諦めてしまった人達の2曲分化が進んでいる。それはお前の個人の考えだと忌避されるなら 敢えて反論はしない。
  今を最大限に評価したとして じゃ~ これが 本当にこれから先も同様に持続できる保証がありますか? このままでは表と裏の使い分けに長けた人間が重宝され、地道に愚直に生きる人達が片隅に追いやられるような気になります。
 辺見庸の『月』という本が届いた。相模原事件の被害者の目から彼が綴ったかなりの長編、数ページ読んで 正直 難解だと感じた。文章が漢字使用を抑え ひらがなとカタカナが多く使われていることもあるかもしれない。何度も読み返しながら どこで文章が切れるのかを確かめながら・・・・・。
 あくまでもフィクションと謂うが”さとくん”という 登場人物を犯人Tとして敢えて”・・・くん”としている。 読み進みながら何故という疑問がずっと残る。施設の利用者や職員たち登場人物には”・・・・さん”という字をつけている。
 その疑問は本表紙に書かれた文章によって判った。  ・・・「あなた、ひとりですか?」「ひとのこころ、ありますか?」”さとくん”は、なぜ ”かれら”を 殺したのか?”さとくん”とは、いったい、だれなのか・・・?
 NHK-Eテレビ 「こころの時代」放映で 大反響&続々重版!現代社会にはびこる優性思想と人間存在への深いまなざし。実際の障がい者殺傷事件に着想した、大量殺人の静かなる物語。(本表紙)

 テレビ放送では 辺見自身が不治の病の後遺症(病名:原発性マクログロブリン血症)で歩行が覚束ない姿で映った。特に印象に残ったのは ベンチに1人座って不自由な手でペットボトルのフタを廻し、そのフタの中に水を注ぎ、傍に置いたカバンの前に置いた。
そして 語りかける・・・・。カメラが近寄りアップされたカバンを写す。その中に 小さな子犬が入っていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 

3300:悪の温床

 京都で起こった放火事件は 平成後の最大の犠牲者を出した。日本が世界に誇るアニメ制作会社で起こった。一人の人間によって多くの大切な人の命が奪われた。相模原事件で犯行に至った動機を犯人自らが語っている。それをどう捉えて良いのか今もって判らない。そして、 またしても事件が起こった。
 このような事件が起こり易い環境が今の日本には有るのだろうか。この国だけではなく 地球上いたる処に悪(負)の温床が膨張している、テロが一向に減らず、より対応が難しくなっている。 どこにいれば安心かを見い出せない。
 自分達の周辺で起こる 交通事故も その中の一つかもしれぬ。人間の欲を満たす為に作り出された車。それが ちょっとした操作のミスによって引き起こされる。
 犬ぞりを使って一年の半分を北極圏で生活する日本人の話を聴いた。その方は気象観測の仕事を長年続けている。北極は短期間の中で地球温暖化の影響を知るのに最も判り易い場所だという。 先住民族のイヌイットの生活環境が変わって、若者は都会に出て行き 過疎化が急激に進んでいる。かたや電気が通り、生活スタイルが変わった。誰もがスマホを持ち、人が住む場所でのゴミ問題が大きくなっている。(ブータンと重なる)
 地球環境の悪化と利便欲求との関係、蔓延こる優生思想や利己主義、・・・・・。こういった社会環境に多くの人々が息苦しさを感じながらも、その代償を”便利さや豊かさ”に求め続けている。
 残り2日となった選挙戦、様々なキャッチコピーを出し、自らの優位性を訴える。 有権者は冷めた目で眺めている。これも 現代ニッポンを示す如実の姿。
 お前はもっと 希望の持てる話ができないのかい! そんな揶揄嘲弄は幻聴か?  
 現実に起こっていることに向き合わず 綺麗ごとで誤魔化すより真っ当な生き様だと思うのだが ・・・・・・。

 ☆ 綺麗になっている山に捨てるゴミは少ない。問題は ゴミを捨てないか 山を綺麗にするかのどちらか それを誰が行うかです。緘黙を良しとすれば 益々 悪の温床は蔓延ってしまうと思いますが それで 良いのですね。
 
 温床は植物の促成栽培に好都合。堆肥の醗酵熱によって、植物の成長を促す。ぬるま湯は 適度のお湯に浸かり、疲れを癒す効果あり。じゃ~ 悪の温床とか平和のぬるま湯はどうでしょう。良かれと思ったことが 実は そうでは無かった。
 利己のみの思いからは 共生の発想は生まれない。 外交も内政も取引か!  でも それには限度がありませんか!
 国が殻の中に閉じこもる。間違った正義感や正当性を醸成し、ルールを無視した特例行為として実行に移す。
 これをも 許容できる枠内なのでしょうか? 被害者にとれば堪ったもんじゃ~ない。
 その顕著な動きが・・・・一国主義という思想で 強者への憧れから、天上知らずの欲望に向かう。
 もう人智によって 変えられないと諦めてしまっては どうだろう?
 必ず 今私達が出来ることがあると思う。 依然としてゴミの ポイ捨てが無くならない。決められた場所に捨てるという行為がそれ程の労力を要することなのでしょうか?シンガポールの厳格さ、豊かさと上手く共存できている。ゴミ捨てを高がゴミ捨てと見くびることこそ危い。いずれ 人間そのものに対し 同様の発想を生むからだ。
 そればかりかプラスチックゴミの地球環境問題まで拡大した。この被害は 予想できない程になってしまったではないか、福島原発の廃炉を東電が決定したという。それも昨日の新聞紙上で知った。
 事故後、一企業の問題か否か議論があったはず、しかし この議論は 投票当日になっても 話題にあがらず先に送られた。
 

3301:課題山積

選挙結果の分析、あくまでも 個人的且つ素人判断である。私は期日前投票を5日前に行った。その時に 今回の参議院選挙の関心の低さを感じました。前回選挙は54,7%の最終投票率だった。メデアは現時点で確定数値は発表していない。集計が遅れているのかどうか知らない。もしかしたら 数字の低さにその影響を忖度したか?有り得る話だ。だが、 既に情報流出は止められない。時間の問題だ。既に 24年ぶりで戦後2番目の低投票率 48.8%前後になるだろうと予測する。この数字は正しい(?)から 勿論 直ぐに内外に知れ渡ることになりましょう。でも 改ざんやら不正が続いた後だから そんな疑心を持ってしまう。
 解散時の議員数を獲得したと 自らを評価し 美酒を交わすつもりだろうか? 要はこの現実をどう考えるかだ? それが通じない国になってしまったようだ。国政選挙で有権者の過半数が投票しない国が 一体どういうことか? 同じ国体をもつ オーストラリアの直近の国政選挙は90%の高い投票率だったことを 報じない。日本が実質的に代議制民主主義国家としての体をなしていないことを白日の下に晒したことになりませんか。早速 著名なる有識者(?)を選任して原因調査し対応策を練っては如何か!改革 改革が大分 お好きな人達に 言いたい。 先ずは貴方達自身を変えないさいよ・・・・と。
 この選挙にどれだけの国費が使われたか? 洩れてくる話では 議員定数が次の選挙では更に3名増えるとかホントなの?、じゃ~ どうするんだね。議員自ら痛みをと掲げた公約は??? どう説明してくれるのか?この辺が 我々にはどうしようも無い訳です。これで国民投票したって 実質どれだけの正否票がとれますか?
 いつの間に為政者としての大義とケジメが可笑しくなっているんだよ?仏教で 人は自徳を讃ずることで 節度を失うと説く、(懺悔の文の一節)
 本来なればここまで来てしまった 国民(人心)との乖離現象の責任を取り 総辞職に値するのではないか。
 引き際を誤れば どうなるか! こればっかりは 自分で考え 実行するしか 答えは出ませんよ。 
  
 
 ・・・霞おきそふる雲の上人・・・・に成り果てぬとも 世が世だけに ・・・・・。
 数字を気にするばかりに ”何の為・誰の為に”が判らなくなる病が流行る。人心を掴むには 自らを雲上人に置いてはできない。道を誤り、それを箴言する者がいなくなるからだ。
 なんとも遣る瀬無い話になるが、選挙の翌日、ゴールデンタイム番組だけでなく他の時間帯も テレビ各社は挙って 選挙結果よりも吉本興業関連のニュースを取り上げていました。この現象をどう観たらよいものか? 視聴者と有権者はダブる。報道の中味に対する期待度の問題かな~。だって 実を比べたら 一目瞭然でしょう。庶民感情として 繰り返される美辞麗句にいつまでも付き合ってはいられないという思いがあるんだよ。 日本で最大手で芸人6000名を抱えるとも言われる会社のこと、その芸人の皆さんは  自分の努力と能力で生活を守るしかないことを熟知している人達ばかりです。
 あるラジオ深夜番組のコメンテーターがこんな風に言っていた。・・・・2週間 走り回り汗かけばな~ 後の6年間は 安心生活だ~・・・彼もまた無名の時代 路上に立ち、全国を走り回って 今の揺るぎ無い歌手の地位を得た苦労人!だから 単なる揶揄とは言えない力を感じる。
 デイール外交という耳慣れないコトバを聞いた。取引き外交という意味らしい。あらゆる手段を講じて 此方の利になるようにすることだ。・・・・が、国政と会社経営は同じではあるまい。
 会社の経営にはトップの責任が常に問われる。株主に損を与えれば 経営陣の総退陣は避けられない。 じゃ~ 国は どうなんでしょう! ホンネを知りたいという視聴者に分かり易く説明できないとすれば  そうだよな~。
 投票率は 上がらないでしょう。
 ”霞おきそふる雲上人”には・・・・花の色は霞にこめて見えずとも香をだにぬすめ春の山風(古今和歌集)・・・・ を贈ります。
 
 思い通りに モノゴトが進むことなど有りえない。だったら 遮二無二前へ前へ進もうとせず、少し立ち止まって 良く 貴方の周りを見回したらどうですか。 常に不安を感じながら そんな風にしていて どうなの? これは 今の私の偽らざる心境です。
 社会の不条理を文章に書き残したカミュは若くして交通事故を起こし 亡くなった。いま彼が生きていたら ”それ みたことか!””やっと 判ったね”と一笑にふされるかもしれない。
 科学的な方法によらず、人間を主体的にとらえようとして、人間の自由と責任を強調し、悟性によって認識することを疑い、孤独・不安・絶望につきまとわれる。これこそがヨーロッパ中心に起こった”実存哲学”。源をキルケゴールとし、世界的に第二次世界大戦後に拡がった。(理性と感性)
 その延長線上に今 在るとしたら 頷いてしまうことも多い。ただ、想定を遥かに超えた社会の変化に戸惑う人々は 個人主義を標榜し、国家は一国主義に走る。人間が良かれと思い考え出した道具や仕組みが一人歩き始め 静止できない状況になっている。謂った謂わないの駄弁を重ね、本来の役目を果たせないのに温存した結果、制度疲労が深刻度を増し どんなに後を追っても追いつかない。結果、感情の趣く儘、行動に移してしまう。いま手を打たなければ 益々 この傾向は強まることだろう。
 IAEAの天野事務局長が72歳で亡くなった。彼が国連の場で 成し遂げようとしたことは 世界の平和、混迷する北朝鮮やイランとの交渉に走り回った姿を 日本人の多くは良く理解していない。自らの健康を事由に辞任を表明した矢先の訃報となった。心よりご冥福をお祈りいたします。

3302:どうしました?

 築後 50年が経つ旧保母寮の解体が始まりました。50坪ほどの鉄骨ブロック2階建て、おぎゃー献金の助成を受け 建てたものでした。2階には3つの部屋があって 全て埋まっていた時もあった。何度か改築し施設内特殊学級の教室に使ったり、図書室に利用してきたが、もう誰も利用することが無くなり、解体することになったのです。膨大な書類・本をスッタフが整理してくれた。その中に 私の高校時代の卒業アルバムがあった。処分に廻す処を取って置いてくれたので、開いてみたら、どうにか自分を確認する写真が何枚か見つけることができました。最初に見つけたのが創部2年目のサッカー部全員の集合写真、拡大鏡を使って漸く捜し出したのは 髪もふさふさ痩せていた頃のユニフォーム姿の私でした。丁度50年前になる、解体することになった 建物の中で眠っていた訳です。ウ・・・・・ム!走馬灯の如く思い出が浮かんだ。長かったのか 短かったのか 記憶が薄れたからだろう。思い出が甦るのが断片的 半世紀が瞬時のように思える。
 偶然か その日 草刈機を修理しようと買った店に届けにいく、その店内で声かけられた。『なんだい 福ちゃんじゃ~ないか』 中学時代 一緒に野球部だったYだった。同じ市内に今も住んでいるから 数年に一回程度会うこともあった。お決まりの近況報告は健康や友達のことが新鮮にうつった。≪お互い 70に近いんだから 。たまには会おうよ≫と社交辞令 昔の話は よく出来ている。
 やっとこの辺でも梅雨明けの兆し、月末には寺最大の行事が待っている。週間予報では なんと34度になるようだ。施餓鬼の準備もほゞ終わり、毎日 植木屋さんに珈琲を煎れ一緒に飲んでいる。
  
 
 急に夏モードになった。ヤブ蚊が好戦的? 長雨で充分な水分を取った彼等は、元気モリモリ。センサーライトが壊れ、新しいものと交換するのをハシゴに昇ってやり始めたら 上から下から蚊の襲撃に遭った。
 これも 今に始まったことじゃ~ない。我が家の”風物詩”だ。 周りに目をやれば 住宅の建築ラッシュ、こんなに家を造る人がいるのだろうか?  今 新築中の家が??軒、一昔前は 周りは畑ばかり、それが 造成業者が入り、住宅地になった。お蔭で 歩きで行ける場所にコンビニやスーパー、薬店などが次々にできた。出来過ぎじゃ~ないの??
 いつの間に境内でたき火がやり難くなったし、農家は遠慮しながら畑を耕すようになった。
 やってもやっても切が無いのは 草刈、園と寺の周りだけでも 相当な広さになります。機械もいろいろ揃えているが 管理が悪いから いざ 使おうとした時に エンジンがかからない。一番 調子の良かった草刈り機が現在 入院中。 機械には それぞれ癖があり 使う人が何人も替わるのは、ダメ。替わって良いのはコーヒーの産地! さ~て 本日のコーヒーはガテマラかコロンビア???。暑い中、木陰の下で飲むホットコーヒーは 実に美味しいもので ありますよ~。 

3303:世知辛い世

 便利になった割には 暮らしにくくなったと感じている人は多いと思います。”世知辛い世の中”とは良く謂ったもの、特に人との付き合いが難しい、複雑で、打算的で、抜け目なく。 どうして こんな風になってしまったのか? その原因が良く判っていない。打算的というのは 計算高く 損得で考えること、これが一番の理由だという人は結構います。世知を仏教では三智の中の世間智といい世間一般の智慧のこと、他に声聞・縁覚や 仏・菩薩の智の三つに別けています。 
 悩みの原因を無くすことが大事と思うのですが ヤレ GDPの数字がどうのこうのと国挙げて血眼になっている様は 誤った道(智)を歩んでいるような気がして どうも解せない。これって、どこまでエスカレートするのだろうね。
 経済の豊かさを幸せと勘違いしていませんかね~?
 盆月 東京は七月に行います、地方は八月、先祖の墓参りを行います。この風習も様変わりしています。墓参を先に伸ばし、海外旅行なんて話は珍しくも何んともない。もう何年も掃除をしていないようなお墓もあります。
 今日は天気が急変するとのことです。今朝 朝日が眩し程の天気だったのに予報では 曇となっている。 衛星画像では まとまった雨雲が通るので 雨だろうとも。日本の気象情報の確率は相当上がっています、 調べたい地域の画像が一瞬にして出せるのだから驚きです。でも それをどう活用するかは人間次第。どうも時間に追い立てられるようで 余裕がない。
 夏は各地で花火大会が行われるのですが 天気が一番気になる催しです。去年の土浦の花火大会は 途中で中止になってしまいました。強風で危険という判断でした。桟敷作りを一カ月以上かけて行ったのに 残念であったと思います。
人智を超える自然の猛威は益々強まるばかり、その強さによって ランクづけ、警報や避難勧告が 今年も何度となく出されました。”旅は道連れ 世は情け” ここで言う情けは 思いやりという意味なそうです。ハイ。
  
 
 梅雨の季節は 家の中に歓迎されない虫などが増えるように思いませんか? ノミやゴキブリ、ダニ・やぶ蚊や蜘蛛の巣、おそらく 彼らも考えたことでしょう。雨ばっかり降って 屋根下に避難したら 人間様が先に避難していたから 遠慮して 片隅に居ついた訳でしょう。 それなのにホームセンターや薬局に行けば 駆除薬が特設コーナーを設けて売っている。彼らにとってみれば”世知辛い世”だと思いますよ。
 でも 彼らもこんな風に言っているかもしれない。アイツらは 満足するということを知らないヤツだ。自分のモノは自分のモノ、他人のモノも自分のモノ。
 モグラさんが あっちこっち穴掘って困る。当然 その対策は考えて売り出した。 良く考えて見なよ。モグラは穴を掘って何をしていると思います? 彼らは食べるモノを捜している。ミミズや 虫ですね。関心するのは 芝生に穴を掘り、土が山になっている。でも 不思議ですね。芝が枯れるまではいかない。暫くすれば 目障りな穴は埋まって 元に戻っています。弁えているのです。
 これは 共存・共栄のルールをしっかりと守っているとも言えましょう。勿論 人間じゃ~なくて モグラ君がです。
 それを 木の上からみている連中がいる。鳥さん達、彼らはモグラの食べ残したオコボレを頂戴するってことな訳です。
 今度 綺麗なベベを着せられ 人間様のペットになった ワンちゃんや猫どもに その辺のことを尋ねてみようと思います。
 

3304:鐘の声

 平家物語『祇園精舎・冒頭』には・・・・・・祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。・・・・・物語の原本は13cに成立、そこでうたわれる散文は700年の時の隔たりを感じさせず 現代の有り様をも見事に表しています。
 人間の本質は変わらない。絶大なる権力を有し 傍若無人の振舞を 何の反省も無く 行なう者は いつの世にも出て参ります。平家物語の基調には”因果観・無常観”があり、人間の性(さが)や有るべき姿を琵琶の響きに併せ語り歩いた。
鐘の”音”ではなく”声”とした処に 私は叙事詩としての先人から学ぶ大切さを感じるのです。
 恐らく平家物語が創られた時代は 人間の数も今とは全く違います。鐘楼の鐘の音で 時を伝え、その響きを聴くことで 無常という真の理を観じたと思います。いま 世の中は 個の尊厳を当然の法原理として据え、多様な価値観をお互いが認め、その人なりの人生を大切にするという時代です。これは 先の戦争の体験が大きく影響していると言われていますし それに異を唱えるものではないが 利己主義へ傾倒するリスクは大きい。。
 ・・・・・ どうでしょうか?  現在70歳の方達以降に生まれた戦争を知らない人達、私も含め考え方は大きく変わった。時間は流れます。人は自然に加齢と共に体力が衰え、今まで出来た事ができなくなります。それを社会の負担と考えてしまう世の中は 真の個の尊厳は守れませんね。
 格差社会の広がりによって人との関わりで様々な軋轢が生れ 権利や義務を履き違えてしまう人も増えて参ります。
 お知らせ・・・・鐘楼の鐘、6時・12時・18時 一日3回続けて参りましたが、諸般の事情により 18時だけ撞かせて頂くことになりました。
 
 迷惑防止条例というものがあります。ご存知だと思います。その条例の目的は・・・・・公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等を防止し、もって住民生活の平穏を保持すること・・・・で 現在47都道府県全てに定められています。
 親告罪ではないので 被害者による告訴や告発が無くても公訴できる。
 条例や法律は 勿論 目的があって成立します。迷惑防止条例は総称で その行為内容によって更に細かくなっております。最近問題になっている保育所建設の反対や障害者施設の設置申請で、近隣住民の同意書添付を義務化するなどの動きがあります。日本では障害者向け施設が 人里離れた処に多く作られた歴史があり、今でこそ 地域共生などが言われるようになりましたが 私は その事に関して ずっと 疑問を持ち続けて来ました。
 条例とは外れた処で 実は被害者と加害者の逆転現象が起こります。保育所の待機ゼロを実現する為に、その受け入れ態勢がとれるかどうか? 実行に移す為には建物の建設や職員確保の問題が 最大の問題になっていますし、反対によって 待機児が解消できないということも起こります。
 我が子を預けたい、そして仕事につきたい。それは判りますが、そこに 迷惑防止条例が邪魔(?)をする場合も多いのです。ここには”お互い様”という考えはなく、肥大化続ける権利主張(?)、そこに公権の行使ができず、当事者同士がお互い話し合いで解決するしかないというのが実態です。
 鐘楼の鐘の声が 暴力的不良行為等になり住民生活の平穏を阻害することになるという時代が 果たして どうなのか? 今日は 施餓鬼会がある。
 ★ 25日 小惑星が地球とニアミス。このニュースが片隅にありました。直系130メートルの小惑星が 地球に大接近、直前まで天文学者は判らなかった。これも 迷惑な話ですが、地球存亡に繋がること、・・・・・。
 

3305:優先順位

 北極圏のスバルバル諸島でトナカイ約200頭が餓死で発見されたというニュース報道がありました。昨日のネットニュースです。専門家によれば 地球の温暖化の影響だという話です。
これは今に始まったことではない、地球の温暖化問題は 国連において長い間 検討が続けられています。でも その協定から離脱を表明したり、参加しない国もありますから、地球全体として この問題と真剣に向き合う状況にはなっていないと言えます。それどころか 自国本位の考えが最優先され 他国との様々な軋轢が生じている現状。本当に これで良いのですか? 宇宙開発技術の進歩は目まぐるしく、各国が競い合っています。同時に それを軍事利用するのではという懸念も膨らんでいます。もう、待ったが効かない環境問題を自国の経済政策を優先する間に先送りされていないでしょうか。彼等は今が良ければそれで本当に良いと考えているのでしょうが 残念ですね。悲しいですね。
 如何に 自国が繁栄しても それは春の夜の夢のごとしという平家物語700年前と何も変わらない、その考えに同調する人達によって 地球を今以上に危うくしていないでしょうか?
 人間の欲は限りなく、名誉・権力・富に狂うと取り返しの効かない状態に直ぐになってしまいます。それが 個人ならば いざ知らず 国のトップがそうであったら 恐ろしい事態ですよ。自ずと無駄や贅沢というコトバが消えて、常に満たされず。こころの飢餓が常態化、それを満たそうと他から奪い取っても合法だと言うのでは あまりにも・・・・・・。トナカイの死が 何を私達に訴えているのか、その視座を優先順位の決定条件に据えれば ・・・・・。夢物語ですか? 決して悪夢ではありません 現実 ですよ。
 
 茹だるような暑さが 日本全体を覆っています。梅雨が明け 天気が急変した。これは 昔とは明らかに違うな! 体が順応できず、体調を崩される方も増えている。エアコンをかけ室温を下げるが 外気温との差は 拡大の一途、じっと何もせずいれれば良いが そうもいかない。ここは、冷静にと自分に言い聞かせ、あわてず・あせらず・あきらめず。
 因果や無常を復唱し、強引に報恩・感謝と言いたい処だが そうは問屋が卸さない。これが私の 偽らざる心境ですね。どうも モノゴトが多様性を帯びると同時に極端になっていると思うのです。”取引””商売”のルールには 元々あるもので 競争相手に対し質や量やアイデアの優劣を表向きに強調する。シツコクて恐縮だが、此処にこそが経済の最優先策を目論む落とし穴だと確信する。だって、それで気勢をあげては もう下ろすことはできないでしょう。結局 現実を直視せず、意に適ったモノだけを過大かつ巧妙に提示する。これは責任とって今の座を止めれば済む話じゃない。福島原発の廃炉を決めたが その道筋には全く 説得力がない。 外面を良く演じる者は 結局 本性が出て 誰からも信用を失う運命を辿る、これなど先哲の教えをひくまでもない道理です。
 これって どうでも良いことが 実は最悪のシナリオとして 着実に積み上がるのですよ。だって そうでしょう、その証拠は今回の選挙も 無関心層の増加の歯止めにはならなかった。国民に責任を負わせ 貴方達は 真剣にそれを変えようとしなかったではないのか?有権者を無視するような信義無き言動が蔓延り、煽て上手に見事に嵌まり、気が付けば 自分を支える者は誰もいない。
 トップの条件は・・・・潮時を見定め辞去する決断が取れるか否かです。小手先の改革で 何ができたか エアコンで涼を獲るようなもので 根本からの解決にはなりません。その判断ミスによって失ったものは 限りなく後人に禍根を残すことになるのです。
 
 
 夏休み10連休という人もいれば 昼夜問わず 働きづめの人もいます。正直  働き方改革とは無縁?の人達、 この人たちは 自由と責任のどの範疇に入るのでしょうか? 
 暦は8月(葉月)に入りました。一向に秋の気配など感じない。むしろ どこまで気温が上がるのか! 野菜や果物は この好天続きで 成長が一気に早まる。早朝 暑くならない前に収穫、この仕事は 先送りは禁物だから 汗だくで間に合わせ、これでは若い人達には魅力が無い? 決まった休みなどは無縁。こうなったのは何故?突き詰めれば長年続けた外需依存の施策のためと言ったら 暴言か偏見か? 生産拠点を海外に移し、低い人件費でコスト削減、これだっていつまで続くか判らない!一方、昔から天気に左右される一次産業は 毎年酷くなる異常気象で益々不安定、折角 丹精込めつくった作物が収穫できれば良いのだが、没になる量も増えている。今から農業を始めようとした処で この国の田畑は 休耕地が多くなり 土地が痩せて、作れない。
 施策の偏向が結局 経済活動に諸に響いた、行なう前から 判り切った話で やれ付加価値が高いの低いのと本質外の議論に偏り過ぎた。またか!今度は 郵政グループの問題が表面化、嘗ては国営の独占企業、それを郵政民営化の改革で今になって出始めた後遺症? 何十万人いるか知らないが 嘗て国が丸ごと抱えた人件費、それを自ら産みだすこととなり 社員への過酷なノルマが課せられて 抜き差しならぬ状況に陥った、企業体質?って有るのかな。三社のトップの謝罪会見 そう言えば あれを見ていて違和感を持った人も多かった?
 どうも 雲行きは怪しくて、あちこちで 警報が鳴りやまない。

3306:正念場

自分の事は差し置いて、何をかいわんや! その思いがあります。 この暑さで 冷静さが保てない? ブレーキが効かない?
 喜劇王と言われたチャップリンの話を聴いた。彼はヒットラーと生れたのが同じ1889年4月で4日間違うだけイギリスとオーストリア、チャップリンの映画『独裁者』は、時を第二次世界大戦勃発と同じ1940年に 撮影が開始された。激動の時代を通じ何か因縁みたいなものを感じる。笑いの力で反戦を訴えたチャップリン、あれから80年が経つ。 
  世の中が”風雲急を告げる”様相を呈してきたように感じます。同盟国との利害相反、持ちつ持たれつでなく 国と国との対立、利害勘定が激しさを増している。トップがお互い意地をはり合って、嘗ての朋友相手への悪口が止まらない。仲裁者を演じていたと思いきや 逆に仲裁される立場になった。我々庶民には 訳の判らない事が多すぎて 焦燥感が増すばかり困ったものである。
 ある意味では これが今の現実で日本にとっての正念場と言えましょう。漏れ聞こえてくる様々な情報、その真偽を確かめる間もなく、否定するのに必死のように思える。選挙が終わり もうじき夏休み?その任が果たせないと思うのであれば 早々に他の方に変わるべき。勿論、やるべき事が多すぎて 大変な事は判ります。でも、それも覚悟の上だったはずでしょう。
 一貫して 平和を訴えたチャップリンの築いた人脈は 世界中に拡がっており比較になりませんね。誠意なき上辺飾った言葉を並べることより”笑い”の力で平和を訴えたその不朽の生き様は 今の政治家に最も欠けていることかもしれません。無私の大義をかなえる者に弁解無し。チャップリンの生まれ育った環境による処が大きいのかもしれません。貧しさから這い上がってきた強靭な意志と実行力は、親の地盤を受け継いだ人達が真似して出来る代物では無いということに尽きる。
 
 日本人は議論することを 避けるようになった。この現象は あらゆる処に出てきている。偏向報道に嫌気さし、何を信じて良いのか判らないと感じているのは私だけでしょうか? 報道への規制や印象操作がもし許されるならば 公共放送の役目は 時の政府のPR塔にしか成りえない。
 地上波~衛星放送、様々な電波が空間を飛び交う、その情報に 何らかの恣意的な目的があるならば大混乱となる。既に 私達の生活する地球が 人智の及ばない環境になってしまったとも言えないでしょうか。
 立ち止まることを良しとしない社会は 一部の人にとっては都合が良いかもしれぬが 大部分の人にとっては 二番煎じ 訳の判らない事ばかりで 生き辛さを感じているのではないか。”立ち止まる”という意味は、≪何の為・誰の為≫にどうするか!という原点への回帰、未来志向一途の人間が言うような怠けていることではない。日本が長期のデフレから脱することができないと言う。何故 個人消費が伸びないかは 今直ぐに買いたいモノが無いということではないのでしょうか?
 日本国内でのモノが溢れている状況で借金までして何を買い求める必要性が有るでしょうか? 専門家は いろいろ提言する。彼等は言うだけ言って責任は負わない。天文学的(?)な国の借金、一体、これを誰が責任取りますか?誰も説得力のある明言はできない。
 やるだけやって言うだけ言って 後の事はお次の方に頼みますよ、このような社会を明快に”究極の無責任社会”と謂ったらどうだろう。それでも尚 持続可能な社会の構築を目指す云々   何を言いたいのでしょうか?
 だったら ”我慢可能な持続社会の構築を目指す”と謂えば良いでしょう。18歳にまで下げた投票年齢、毎回 投票する若者が減少している。判る気がします。それぞれ言うことが≪誰の為・何の為≫がハッキリしないからですよ。
 一人歩き始めた自由と多様な価値観、これは黄門様の印籠にはなりませぬ。むしろ無政府状況(伏魔殿)になってしまう畏れの方が大きくないのかな~。。ひかえよ ひかえろ~ウ!
 
『 チャップリンとヒットラー』(岩波書店)。。。。 20世紀の世界で「もっとも愛された男」と「もっとも憎まれた男」が、メディアとイメージの世界大戦 その戦場を映画『独裁者』から描いた、武器は≪笑い≫。著者:大野裕之氏。
 目が止まり早速、取り寄せた。案の定、読み始めて直ぐに感じたのは、今 潮流の「先を読み競争に勝ち残れ」という未来志向価値社会に生きる者にとって 別の視座からの 発想転換を手助けする多くの示唆が有ることに気付いた。外交というコトバにディールを付けた「ディール外交」、それは取引感覚(商売)による外交手法だ、相手との距離感を微妙に変えて報復や誹謗中傷、脅し、真逆の煽てを機をみて出し入れする。日本も案の定その渦の中にドップリ浸かり二度と同じ過ちを繰り返さないと誓った先人達のたっての願いを忘れているような言動が目に余る、唯一の国政の場で何故一緒に考えようとしないのか。これでは結論など出せるはずが無く 党利党略バラバラで本末転倒を繰り返している。核抑止力が戦後ずっと言われ続けているが 核廃絶への国連の活動がその力を失いつつある。その中で日本の立場は微妙。そして 協定から大国の離脱宣言があり、それに対し 成す術が無い。
 20世紀を代表するチャップリンとヒットラー2人とは比較できないが、国のトップが入れ替わる度に方針が揺れ動く、戦いを≪笑い≫を武器として果敢に挑んだチャップリン、この先見性と意外性に私達は 目を向けるべきではないか。
 戦後 75年が経つ今、大国の核の傘に甘んじるニッポンは 今後 その国からどのような要求をつきつけられるか 全く読めない。自立国家として最も重要な問題に対し、世界に発信できるような明確なスタンスがとれない。何故か 秘密裏で、遠慮がちに、ご機嫌取りの議論が多すぎないか、結果 国民の大半が平和協定の中味まで理解されていないとは・・・・このようにしか映らないモドカシサを感じている人も実際は多いのではありませんか。
 憲法改正議論に不信感があり、経済最優先の議論からは 真実か否か 懐疑心の払拭ができない。日本の今の現状をどう読むかさえ曖昧ではないのか、変わらないことは借金頼りの政策ばかり、これを  どうにかしなければ 貴方達が掲げた約束は果たせまい。 確かに 戦後は未だ終わっていないのだわな~。
 

3307:笑顔

同盟国の隣国党首同士がいがみあっている。冷静に対処すると言うが 双方ともに顔が引きつっている。派手なパフォーマンスを演じたG20が終わって状況は急変した。お客様をお迎えする側にとって やるべき事とやってはならぬ事・・・・・・。
 冷静さとは感情に左右されない振舞です、感情むき出しでは いかがなものか? 自ら収拾を遠退けている感がしてならない。選ばれた各国の代表を迎えて何を話し合いで決めたのか????。チャップリン的な補佐官がいないんじゃ~ないのかな~。どこかの国みたいに 重要なポスト人事交替を頻繁に繰り返すのもどうかと思うが、全く人事の刷新をしない国もダメだわな~。身内に寛容で 外部に厳しい ことがどういうことなのかが 判らなくなる。 時には一言居士も必要だ。そのタイプの人間がいない。そういう事でしょう。
 
 日本列島、今夏も猛暑が続く。連日 熱中症で病院へ搬送される人が増すばかり、国全体が冷静な判断ができない状況になっているかもしれぬ。私は これから11ケ寺の施餓鬼に助法にいくことになっています。午後2時前後の茹だる様な堂内での法要は耐暑行のようなもの、生暖かい扇風機の風にあたり、余計体温が上昇する。苦あれば楽あり。終わった後の冷水が体に沁み渡る。でも 自分の体調に自信が無ければ そう上手くはいきません。
 ★ なぜか 自宅パソコンのスプリプトエラー表示が消えている。何もしていないはずだが。///自然治癒力?
 
 
 ” まーいいか! 中道路線と紙一重 ”
” 右 左  前 うしろ  ハンドル握って 目的知らず ”
 なにか チグハグ この暑さ 愚痴三昧でなに変わる・・・・。今時 公平無私 など流行らない。いかに 自らの功績をPRするか、どこもかしこも政治家は 選挙に勝つことを第一とし、何をしたいか 誰の為にという道義を第二 第三となりにけり。ああ^^^こうなったのは いつ頃からか。元を正せば 政治家が多すぎる。この国は こんなに沢山 本当に必要なのでしょうか? 自由と平和の勘違い、それを感じない危うさ。これこそが 平和ボケの重篤化・・・・。優遇しすぎた帰結なり
 チャップリンは 第二次世界大戦が始った年に、ハリウッドにて『独裁者』という映画を撮り始めている。強大な武力を持ち破竹の勢いで領土を広げるヒットラーを主役とした!そして 事も有ろうにチャップリン自らが ヒットラー役を演じた。映画の最後の演説は感動ものという。演説の日本語訳が本の最後にありますね。
 ここから 私達は何を感じるかです。命を懸けた 無私&無謀の覚悟と行動力。少なくとも 政治を自らの商売と考える輩には判るまい! 900年前になる、覚鑁が懺悔ノ文で”自徳を讃じる”ことを自戒した真意や源信の母が まことの求道者になれ!と世渡り僧となった我が子源信を戒めた本意が その事とダブる。 論点を絞り 自由と平和の比較ではなく、自由と経済に置き換えれば どうでしょう。
 経済は 天上知らずだから 危うさがある。だから ルールが不可欠、だが 所詮人間が考える規則故に 個と個から国と国、格差拡大を突き進む こうやって軋轢(不和)が生じる道を辿るのだ。自由を否定するのではない、 犯してはならぬ 自然サイクルを狂わしてまで突き進む事にストップをかける これが本来の道であり 緊急の課題では無かったか。 
 
 進化するSNS、老若男女 虜になって無我夢中、ここまでするか?と訝っている最中にもその機能は日進月歩。忘れてならぬ事がある。それは 本来の目的でなく、悪用して 混乱することに喜びを感じる者たちだ。個のレベルならば まだしも 企業や国に発展すれば 最早 誰もどうなるか想定できない。既に そうなってしまったのかもしれない(仮想現実)。
 人間の思考力が手の平サイズのマシーンに占領され、それ無くして生きられない。その自分の姿を 貴方は 想像できますか? これを”超えてはならぬ一線を超えた”というのでは ないのですか???  長年かかって築かれた国と国との友好関係をも容易に反故にする、その原因が 世界の覇権争いに使われる最新の資材に端を発しているという。なんとも 不可解な世になったものである。平和利用か軍事利用か どこで どう見極める。機密主義と自由が同居した社会で 人間の思惑で壊れる危うさはより強まった。
 ”和顔愛語”というコトバを思い出す。文章化したいかなる取り決めよりも 相手の中に確と伝わる不思議さが 和顔愛語にはあると観る。それは その身になって初めて感じることかも知れぬ。モノの豊かさではどうしても解決できない 天が我々人間に下さった掛替え無き贈り物。
 
 

3308:謙譲の美

 謙(へりくだ)る:遜る。相手を敬って一歩さがること。ここで肝心なのは、相手を敬うということですわな。それが 無くては 単なるゴマすり and おべっかとなりましょう。 中には態度を急変する人がおりますが、どのような心境の変化があったのか?
ま~ 今の世は”なんでもあり”でして、それを 多様性とか個の尊厳なんて言っちゃって奨めるようになりました。 この儘では どうなることやら? そこに お金を挿んでしまったから 案の定 訳わからずになってしまったでしょう。どっちが悪いとか直ぐにケンカになる。やれ権利だ義務だは常套句、瞬間湯沸かし器みたいで直ぐに切れる。普通だったらこれでは不味いと思いますから、仕方がねえか~と、自分の思うようになる居場所を見つけます ・・・・・。 そこに上手に スマホとかAI技術が入り込んできたもんで 余計 訳わからずになってしもた。
 皆さん感じてます。もっと分かり易くならないか?とね。それと併せて 良い事は良い。悪い事は悪い。この物差しが訳わからずになってしまったから さ~困った。
 ついでだ。へそ曲がりをちょっと! あの”合理t的配慮”というコトバなんですが、これって 可笑しいよな~。特に福祉の業界でよく言われましたが、私は最初から腑に落ちない。あれを考えた人は偉い人かも知れないが おそらく財源問題から 無駄なく能率的に行なうことを言ったんでしょうが? これこそが 誤りなんだわな。皆さん 子育てを思い返して欲しい。失敗を経験し 学んでいくんじゃないの・・・・合理的であるはずがない。
 この国が なにか変になったのは この辺りからだと私は思っている。じゃ~ アンタは無駄をどんな風に考えているの? と聞きたくなるんじゃないの?それと アンタは相手を敬うということを どのように思っている? 皆が皆 唯我独尊になった?へえ~ 凄いですね。   軸がズレた駒まわし それに気付けば まだマシかもね。
 お盆・・・・皿の上にあるものを分けると書く。(解字) そして 仏教では それに”見返り無し”という字が加わるんです。。見返り望んじゃダメなの?・・・・・さ~困った。
 
 相手を敬うってことが あるからですよ。これなかったら・・・損しちゃうって考えますわな。 人間を 介護度や障害程度で区分した。ここは 明らかにミスでしょう。そもそもの発想の元が損得計算なんだから しゃ~ないわ!障害が有る人やお年寄りの身になって・・・・という気持ちがスッポリ抜けている。
 お金有ればなんでもできるって錯覚しちゃうでしょう。こうなってから慌てても仕様が無い。後の祭りってこと? そうなるとデスネエ~ 良からぬ事を考える。そうならないようにどうにか防ごうとしますから 箍をはめたりヤヤコシイ仕組みを次々に考える。
 ま~ ハッキリ言って こういうことじゃ~ないの。だから見なさい 何が真っ当な事なのか 判らない。ホンネとタテマエ・ 忖度・不正・改ざん・  エ~と それに何だっけ? 真面目(?)に 仕事すれば そうなっちゃうんだから・・・・・。
 TV番組で所ジョウジの『ポツンと一軒家』っていうの 有りますよね。これ視聴率高いんでしょう! 私も良く観ています。。衛星写真で探し当てた一軒家の殆どが お年寄りだけが住んでいる。何か故郷に帰ったようなホットした気になるんですね。
 都会とは真逆な生活、・・・・自然との共生(共存)があり 自給自足の生活・・・・派手さは無いが生活にリズムがあって 心の豊かさを感じます・・・・・。
 
 順風満帆・・・大海原に追い風を受け、順調にすすむ姿・・・。これって 独り善がりでしょう。そんな人生有る訳ないよ。フーム確かに そうかもしれません。だから 人生楽しまなきゃ~損! なんで こんな風になっちゃいますかね。・・・・・・・。

 お盆休みに入り 徐々に仲間達が少なくなってきた。約1週間の帰省期間となっているが 特にそうしなければならないという決まりはない。帰省が長い人 1日だけの人 帰れない人・・・様々。でも 確実に 帰れない人が増えている。
 母親がたった独りで実家に住んでいるKさんの話をしましょう。彼は 数年前 盆休みに帰って あまりの暑さに 実家のエアコンの無い生活に疑問を持った。帰園しての第一声が 手真似で エアコンを実家につけてやりたいと訴えてきたのです。早速 スタッフがその事をお母さんに伝えると≪自分はもう歳だから エアコンはいらない・・・≫という返事だった。それを本人に伝えると 盛んに首を振ってダメだ どうしても エアコンを買ってつけてやりたいと、そのお金は自分が出すと言い張った。
 今年の夏も昨年同様に猛暑日が続いている、夏休みになったが 彼は 断固として実家に帰らないと言っている。こんなことは初めてだ。何かあったんだろうか? スタッフが 耳打ちしてくれた。≪お母さんが娘さんの処に引っ越ししたんです。≫。じゃ~ お姉さんの処に帰れば良いのに!と話したら 本人が強く拒んで帰らないと言っているんですとの事だった。
 これを聞いて私は複雑な気持ちになった。母と息子の離れた生活が長い時間が流れた。彼は小学生だった、その当時特別支援学校は無く、施設内に併設された特殊学級で学んだ。その彼は今 パン工房で毎日元気に仕事をしている。工房周りの庭木に水を撒く仕事を自分の役目と考えている。
 昨日 その彼が園庭で 水撒きしている姿を見かけた。『 家に帰らないの?』と声をかけたら 表情を変えず手真似で帰らないと答えた。無言だった。
 ☆ 雑草が伸びれば ジェスチャーで草刈しろと私に指示をする。ゴミが集まれば 燃やせと指示が飛ぶ。彼は 私のご意見番、水撒き以外に 最近はゴミ集めをやってくれている。

3309:自然と共存

 超大型にまで発達した台風10号は 太平洋上をゆっくりした速度で徐々に日本列島に近づいています。暴風域が日本の国土全体を覆う位に巨大化した台風への備えは十分とは言えない 只管 被害がないことを祈るのみ。 世界中で起こっている自然災害は 年々その深刻度を増している。連日 最高気温が35℃を超えるなかで 夜中までエアコンをつけているが 寝苦しく体調を崩す人が後を絶たない。先の台風で被害が出た処が復旧半ばなのに、そこを容赦なく襲ってくるのだから 深刻である。
 ちょうどこの周辺は果樹収穫前で丹精込め育てた梨やブドウ農家は 台風の影響が気が気であるまい。
 牙をむき出し荒れ狂う自然が この先 どうなるのだろうか  地球規模となった異常気象は このままではどうしようもないことは誰も判っている。自分達さえ良ければという考えが止まらない。どんなにそれを正当化した処で 自然相手には 通じない。 自然の恩恵をも独り占めなど出来る訳が無いのに 何かおかしな時代である。まさか巨大なハリケーンをも高い柵を作れば防げるとは思わないでしょう。
  己の利ばかりを強く主張し過ぎてしまったあの人達にも気付いて欲しい。
 今の社会に問われているのは 人間の傲慢さと飽くなき欲望とにどう節度を付けるかでしょう。 
 
 こうなるであろう事は ある程度予測できたと思う。相手を見下し礼を欠く行為が 国益の大義を傘に、報復し合う世を迎えてしまった。これは 真っ当な姿ではない。止まることを知らず ますます激化する茨の道を進むことになるのだろう。大国米中の貿易戦争と似たようなことが他に伝播しないという保証はない。同盟関係を作り、自分達の利益を守ろうと躍起になる。当然 相手も黙ってはおれず 強く対抗するに決まっている。力で組み伏せるようなことは 後に遺恨が残り、報復争いとなる。これは 世界を二分し戦った史実を引き出すまでもないことです。
 冷静な判断をというが 何をもって冷静だと証明できますか? 
 選挙戦を意識した過度な言動は エスカレートの一途。 自国内にとどまらず 他の国をも巻き込んでしまう。
  地球の悲鳴が聞こえないのか?先延ばしが効かない環境問題への関心は遠のき、軍拡や経済競争ばかりが騒がれる。覇権争いもいい加減にしないと ・・・・・共存共栄というコトバが 空しく響く。一体何を目指しているのか 。
 
 お盆には先祖を迎えるための精霊棚を作る。キュウリやナスを使って牛や馬を作り、蓮の葉の上に野菜を細かく切った食べ物をおく。夏休みは 孫や子が久しぶりに実家で爺ちゃん婆ちゃんと過ごす時である。高速道路の大渋滞から そんな光景が浮かんでくる。
 昔から大切に守られ続いてきたものには 真善美という普遍の価値があった。  自然から頂いた恵みに感謝し、共存の大切さを語り継ぐ責任が私達にはある、そして、幸せを願い、働けることの喜びを実感するのです。 今 その事が 狂い始めているとしか思えない。何故なんだ???市場経済云々ではなく 人間そのもののモラルの欠如だと思う。様々な価値観が有る中で 自由の捉え方がマチマチである、敢えて それを纏める必要も無いと考える人達、じゃ~ 何を貴方は 守りたいと思っていますか? 財産ですか それとも と問いたい!
 日本の家族制度も変わった。家長権などもう 無い。荒れ果てた田畑、先祖代々守り続けられ 家族を養う糧を産んだ先祖伝来の土地だ。いつの間にか日本の食糧自給率は38%まで下がり 先進国中で最低となってしまった。もう いい加減に 国の在り方を見直さないと 大変な事に成る。その危機感は今の国を動かす人達から 私は全く感じられない。
 ハッキリ言って政策の一貫性の無さである。 農家が農業を続けられような法制度になっていないことが問題だ。私が住んでいる地域も 農業を止めざるを得なくなった農家が毎年増え続けている。農業後継者への税制優遇措置は いい加減なもので後継者を育てる仕組みにはなっていない。
 食糧は海外から輸入すれば良いとすれば 自然の恵みに感謝するという思いなど萎えてしまうのも当然だと思いませんか。一向に止まらない都市への人口流入と通底する問題は この国が罹ってしまった経済病?その場凌ぎの対策を いつまで続ければ済むのでしょうね。防災計画だって現実離れしているとしか思えない 楽観主義も節度を弁えないと 。
  

3310:お盆明け

 棚経が終わって あと5ケ寺の施餓鬼会の助法を残すのみとなりました。台風10号が過ぎ去り フェーン現象による猛暑が後暫くは続くという。まだまだ安心するのは早いようだ。
 陸・空の交通機関が台風の影響を受け大混乱、休み明けで 普段の日課に戻れれば良いが 中には足止めをくって 断りの連絡をする人もいるだろう。 不謹慎かも知れないが 今回の台風で 私はまとまった雨を期待していた。今年の梅雨は晴れ間が殆ど無くて 連日雨だっただけに 夏の日差しが戻った時には ああ^^やっと夏が来たと喜んだ。そう思ったのは最初だけ 連日の猛暑となっては いつになったら 雨が降るかと待つ身になった。人間も身勝手なもの、都合の良い様にしか考えない。
 枯れ始った芝生や植木に 夕方水撒きをしたが 焼け石に水だった。日本の四季がおかしなことになっている。南国の沖縄より 本土の方が気温が高い日が多かった。
 最近 7月・8月のお盆行事も5月にしようとする動きもあるやに聞いた。
  気が付けば 蝉の声が聴こえない。蚊が気にならない・・・・小さな生き物は 我々以上に生きる環境に敏感だ。16日 送り盆の日を迎えた。
 
 
 台風一過の猛暑、日本は国の形からフェーン現象というものが起こり易い。湿った風が山にぶつかり 雨を目一杯降らせた後 山越えした風が 南から一気に暑さを運んでくる。自然の周期は 常に変化する。植物や動物が生存できる環境は 有って当たり前と考えたら大間違いで奇跡と捉えるべし。 地球環境を人間が自分達の思うように変えてしまうなん発想は問題外だ。行為そのものが 結果的に環境破壊に通じているとすれば  その罪は 誰が負う?
 全人類 共通の問題を棚上げし 保護主義に走るのは 同罪でしょう!天罰ものですよ それをほっかぶりしてしまう!こういった振舞は 台風と酷似してますね。行き過ぎの自分中心の考えは当に台風の目だ。中心は晴れ間のある無風状態、周辺は時計と逆回りの荒れ狂う渦、という構図と重なる しかし その末路は台風と同じ 時間が経てば 消滅せざる運命を孕んでいる。
 どうも 気が重い話だがこれが現実だ。今日は今年最高の暑さになるという。
 
 
 盆中は 歩くことは止めていた。夕方になっても30℃以上もある外気温、とてもじゃないが 気力が萎えた。 リハビリを兼ねて、毎年お付き合いのあるお寺の施餓鬼には できるだけ出仕するよう努めている。今年は後三ケ寺だけとなり、正直 緊張感も緩み始めてきた。せめて20℃台に下がれば また 歩き始めようと思う。 先ずは金沢に行ってみたいと思っており足腰の鍛錬だ ・・・・・。
 無性に国内の史跡めぐりやお遍路をやりたくなった。施設の仕事も第一線から退き、47年間勤めた現在の職場を3月に一度退職し 再就職。 やるべき事が残っていて 完全にリタイヤできないから 依然として毎日職場に顔を出している。いい加減に区切りを付けないと このままでは 良くない。そう思うと肩の荷は 大分軽く感じるようになった。7~8月 坊さん達と施餓鬼で会うが、急激に世代交代がすすみ 私がどこにいっても年齢では上のほうになってしまった。別に焦りは 感じないが そこで出る話題についていけないのには閉口した。
 いま 水戸出身の筧次郎氏の本 2冊を併読している。その中の一冊は、友人が 態々 コピーをとってくれて いただいたもので 著者は私と年齢が近い所為か共感することが多く ドンドン引き込まれていく。
 齢に応じて 読書の中味が変わるというが いま それを実感している。