源究 189

genkyu

  

 NO  テーマ  月日 NO  テーマ  月日 
 3291  文学散歩  6/27  3296  ライフワーク 7/12
 3292  発想転換  6/30  3297  ケセラセラ 7/14
 3293  あなただったら  7/3  3298  国政選挙 7/17
 3294  人生遍路  7/6  3299  選択肢の実  7/20
 3295  受け皿  7/10  3300  悪の温床  ☆

3291:文学散歩

 三つの『あ』・・・『あわてず、あせらず、あきらめず』は ラジオ深夜便の「絶望明言」で紹介された医師の言葉、突然 病魔に襲われ、まさか自分がという思いをされた方は多い。20歳の時に難病に罹り 13年間療養生活をおくったK・H氏が主人公、聞き役のNHKアナウサーのK・Iさんも同様に脳梗塞で倒れた。そこに番組デレクターのN・Tさんが加わり この番組が作られ、今回本になった。
 3つの『あ』は その本の中で 入院中 担当医師が語った言葉で、その言葉によって どれだけ癒されたか!と振り返る。療養生活はできればしたくない。それがホンネだろう。同病相憐れむといってもそこには 微妙なこころの動きが有る。後悔したって仕様がない。現実に向き合っていくことが唯一の路とあきらめる。
 そもそも この企画はカフカというフランスの作家との出逢いが発端となっている。私は、もう半世紀近くが経つ、卒論のテーマが見つからず 悶々として過ごしていた 昭和40年代後半、学生運動で騒然とした東京は、田舎育ちの私には 居心地の良い環境ではなかった。それで覚えたのが山、今思えばそこは絶好の隠れ家だったかもしれない。・・・絶望したときに、救いとなったのは、明るい言葉ではなく、絶望の言葉でした。・・・・絶望明言「はじめに」に書かれてある。
 積ん読。乱読。私の本読みは 決して良いとは思わない。最近は ネットで容易に欲しい本を買うことができる。逆に書店で手に取って読むことが無くなり 届いた本が予想外の内容でガッカリしたことも何度もある。ただ 昔から文字に残すことは その本人にとっては大変な意味があった。遺訓集や自叙伝は世に沢山出ている。書き手の思いや辿った道を振り返り 文字に残したいという気持ちは 人生を閉じる前の一大事なのでしょう。
 その本の中に第3回放送でのゲーテがあった。ゲーテはドイツの超有名な作家で順風満帆?常に晴のような人生を送った人間に思われている。そのゲーテが自ら記した”絶望”を紹介してあるのも 興味を持つ。
 
 
 電子書籍なるものに 私は抵抗がある。kindle版が最初分からず 危うく 注文しようとしたことがあった。便利さという点では 如何なものか?恐らく 他にメリットがあるのだろうが、・・・・・・。
 戸締りやエアコンを遠隔操作で行うなど 別に珍しくはないようだ。極めつけはスマホ決裁、何もかも手の平サイズの利器によって 処理する世の中になったら どうなるのか恐ろしい。電子マネーというものが 凄い勢いで増えている。現金の代替支払手段で その種類は多種多様、私が唯一使っているのは suicaカード、これは 電車を利用した時に便利だと思った、プリペード式だから 必要な金額を前もって入れておけば もし 紛失や不正使用をされても被害は少ない。今では駅構内ばかりでなく 飲食店やコンビニまで利用の範囲が広がった。これが 仮想通貨までいくと リスク対応が果たしてどうなっているのか大いに疑問、発行企業が万が一倒産した時の取り扱いが未だ一定ルールがないという。
 新しいものに 手を出したがるのは 世の常。勿論、自己責任でやるのであれば 貴方の勝手だが 他の人に無断で使われていても気が付かない。 あれだけ 就職先で人気があった金融機関も 生き残りに四苦八苦、窓口業務を減らし、他の事業で利益確保を画策する。
 そこに 年金や保険業も加わって 何がどうなっているのか皆目わからない状況になった。市場自由主義経済?をとっている日本、業種間の隔てが無くなり、薬局で食料・雑貨を売ったり、店内に100円ショップがある。そして ドラッグストアーの数は乱立状態、あっと言う間に昔からあった街の中の薬屋は姿を消し、道路ができると道脇に直ぐに何店も建ちはじめる。
 前項で触れたゲーテの言葉で私が好きなものは・・・・・『人は 努力する限り 迷うものだ』(ファースト)・・・これを壁に貼ってある。 界隈散歩雑感!

3292:発想転換

 G20大阪サミットが厳重警戒の下で行われている。主だった国のトップが顔を併せ 何を決めるのか? 一対一で直接会談をするので その裏方は大変な状況だと思う。見方を変えれば 20か国の中に入らない国は この会合をどんな思いで見ているか?G20のGとは どんな意味? グループのGで 主要なという意味を含んでいると判った。直近の国連加盟国は196だから 今回集まった国は全体の1割程度、それでいて 世界のGDPの90%と総人口の3分の2を占めている。
 取り決めされたことに拘束力が有るのでしょうか?
 会場になった大阪は 次は万博を控えている。囁かれるお決まりの経済効果? 人が集まるのだから それなりの効果はあるのだろうが 庶民感覚では ????。お祭り騒ぎのあとのことが気になるのでは?
 大国による力の外交が強すぎると どうなるか? 世界の人口の推移を見ると 19C末からの100年間で急増している。100年前は推定で16億人だった世界の人口がこの間に70億人を超えるまで増えた。当然 貧富の格差ができ 様々な問題が生れ、現在はing!
G20の開催最中 フランスではなんと気温45℃を記録する猛暑に見舞われている。自然からの警鐘としか思えない。便利な世の中、豊かな社会を目指すのも いい加減にしないとならない。 いつ頃からか 環境問題が国連の重要テーマとなり 検討が続けれれている。ここに来て その足並みが揃わない。一国主義的な動きが拡大し 軍事力や経済力に世界の目が集まる。選ばれた国のトップが 一堂に会し 決められた事が 簡単に反故されるのでは集まる意味が無い。その確信が議長国としての日本が持てるのか否か! 事前の評判では 日本は敵がないから 仲介者として うまく行くだろうと持ち上げられた? これを 真面に受け取る人はいないだろう。最大の”おもてなし”に対する社交儀礼かもしれないのに 得意満面の姿を見せつけられると 正直背筋が寒くなる。天邪鬼の私だけなら 良いのだけれど・・・・・。
 
 日本中が梅雨の真っただ中にある。週間天気予報は 変化が激しく 水不足で枯れ始めた芝が急に勢いを増した。でも これだけ雨が続くと 芝特有の病気が気になる。自然は豊かさの原点という話をペシャワール会現地代表の中村哲医師が語った。パキスタン・アフガニスタンに入って最前線で平和医療活動を長年実践してきた中村氏の言葉は 現実と平和を実に解かり易く説いた。
 水道から安全な水を飲むことができる日本も嘗て 廃墟の中で食べ物を必死に探し求めた歴史がある。それが 昨今のこの国のあり様を見ているとどうしたって こころ穏やかではいられない。再三 議論されていたはずの 自然を守ることが蔑ろにされ続けている。それと共に人々の心も何かに追われるように余裕がなく、荒んでいるように感じる。
 鐘楼の鐘の音が”騒音”だと感じる人がいることを知った。匿名で電話があり、その内容は正直 思ってもいなかったことでした。尋ねても名前も住所も教えてくれず、自分の仕事が夜勤が多い、昼の12時の時の鐘で眠れないという理由だった。尚恵学園のメンバーでパン作りしている方達が交代で撞いてきた。その音が”迷惑防止条例”にあたると言われた。
 取りあえず 言われた12時の鐘撞きは中止したが、昨日 また電話があった。10時に鐘を撞きましたよね・・・・・と真っ先に言われた。寺に訪れる人が 多分ついでに撞いたと思うと説明したが その後、電話は切れた・・・・。
 境内の周辺は 犬を連れて散歩する人達が毎日のように訪れる。なるべく綺麗にして置こうと思っている それは 此方側の勝手な想いなのかも知れません。
 

3293:あなただったら

 前に 兄弟3人でお金を貯め お父さんの遺骨を永代墓地に納めた話を紹介したことがあります。そのお骨は 当時3人一緒に生活していた養護施設の園長さんから 頼まれたもので 暫くお寺の納骨堂でお預かりしていたものです。毎年 兄弟の誰かが寺を訪れ お父さんの遺骨の前にお酒やタバコをあげて行きました。それぞれが社会人となり お姉さんは結婚し 静岡県で生活しています。時々 手紙が届き近況を知らせてくれました。今日から文月 いつも今頃の盆月前でした。≪三人でお金を貯めて 必ず お父さんのお骨をお墓に埋葬できるようにします。≫と話していた。その約束を果たしたのです。
 人それぞれ。巷には悲惨な事件が絶えたことがない。この国では 親子や兄弟の骨肉の争いなどが増えていないでしょうか? 住職として そのような話を目の当たりにすると どのようにしたら良いのか正直迷います。
 親が苦労して建てた家屋敷を売り払い そのお金で自分達は便利で快適なマンション住まい。それでいて 親の供養は ・・・・・・。 この時期に施餓鬼会の通知を出します。その反応も様々です。
 あなただったら? 先祖の供養 それはお寺から強制されるものと思いますか? もし そうであるならば ハッキリ言ってやらない方が良いと私は思いますよ。供養は 何もお寺から強制されるものではなく、あなた自身の意志で行って初めて意義があるのですからね!ただ 世の中には 他と比較し 愚痴や不満を 親の所為にする・・・なんていう人もいます。これで 心から亡くなった方の菩提を念じることが本当にできるのでしょうか?
 合掌。
 
 
 地方から都会へ 若い人達は故郷を離れ 都会に流れて行く。地方は過疎化が進み 年寄りしか残っていない処が増えている。この様子が 少しは変わったでしょうか? インフラ整備が進み 移動手段も昔に比べれば格段に改善されたはずなのに 空き家が目立つ。 どうするかを考えるのが政治の本来の役割であったでしょう。嘗て起こった列島改造ブームは 閉ざされた雪国育ちの政治家が己の政治生命をかけ取り組んだものだった。その主張は解かり易く 地元の人達の希望を適える政策だった。それが どうだろう、ブルジョワ?政治家が増えすぎたね 彼らに共通するのは主張が判り辛く それも変わり易いという感は否めない。
 実績を自ら誇ることはするが 民意を掴む能力は呆れるほど幼稚。こういった政治家が 一堂に会し議論した処で 期待できる結論は得られまい。これが今の偽らざる実態じゃ~ないの。
 マスコミの劣化も尋常ではないよな~。よりインパクトのある話を どこもかしこも狙い撃ち、その犠牲になった者たちは過激化する追っかけにタジタジ。そこからは 人間不信以外の 何モノも生まれない。こういった社会的イジメが拡大した責任は大きいんじゃないの!。
 いつまで これを続ければ気がすむのよ あんたら? 地域の公民館の前を車で通ったら既に参議院選挙のポスター掲示版が立ててあった。気のせいか目立たない。選挙戦の熱気は 日本ではもうみられない?いつの間に立ち会い演説に人が集まるどころか人影マバラ 選挙日近くでも誰が候補者かわからない。これで ご本人達は どんな気持ちでマイクを握っているのだろう! 高度経済成長後に襲ったバブル崩壊、時を同じくして永田町住人と地元との乖離が進んだ。
 こうした社会現象は 必然的に 自己中心の考えが強まる。昔ならば それでも修正する時間的余裕があった 議論し纏まれば政策に反映することもできた。急激なグローバル化&スピード、それと過剰と思える情報量は 何故か政党分裂を繰り返しその余裕すらなくなった。
 だからです! 与野党挙って問題を先送りするしかないのです。今回のG20で明らかになった世界の構図と重なる。美しい調和を大会テーマに掲げた割に閉会時の総括挨拶は 表面的で何一つ 具体的な方向が示せなかった。

 仏教でいう 今を生きるの真の意味は・・・・自分達が楽しく安心して暮らす・・・という自己満足だけではない。自由と平等には ルールが不可欠、何でも許されれば取集がつかない。これが今の実態で奪い合いが起こる原因にはそのルールの反故がある。口を開けば豊かさ第一と 天上知らずの欲望を突き進むことを正当化、産めよ増やせよと今の経済尺度を使えば 立ち止まる事は許されまい。結果は 取り返しが出来ない程の地球規模の自然環境の破壊が起こった。 この現実とどう向き合うか その想像力と実行力こそが今を生きることへの条件というものだ。
線状降水帯が日本列島に居座る。九州地方に総降水量が1000ミリを超える予報が出ている。地球温暖化と気象変動をまさか関係ないとは言うまい。
 
 夕刻 雑木林にムシカゴをもった親子連れを見かけた。目的はクワガタか兜ムシとり? 私達が住む地域にそんな触れ合いの場を残そうよ。細やかな夢かもしれないが実践している。 虫を育てることで 子供は多くのことを学ぶ。餌をあげ それを喜んで食べるかどうかを真剣な眼差しで見つめ、子ども達は命の大切さを学ぶんだ。
 一向に幼児への虐待事件が減る兆しが見えない。育児放棄や暴力・・・・目を覆いたくなるような悲劇が 今の日本で 毎日のように起こっている。これは 大人の都合だ。それから相も変わらず年間2万人を超す自死者の数、TV画面に流れる電車不通を知らせるテロップに何も感じない世の中が果たしてどうなのか?
 梅雨空の如き暗雲が日常的に重く立ち込めることを 誰が望むだろう!そして不安を助長するようなことが 連鎖的に起こっている。

 相棒のNさんは この時期になるとソワソワし始める。虫カゴを持ち早朝から雑木林に向かう。彼は スタッフの子ども達に採った虫をあげるのを生き甲斐(?)にしている。パン屋で働く Kさんは 天気に関係なく 花壇の花にホースで水巻きするのが仕事と決めている。かつて同僚だったTさんは 今度 職場が変わって そこでのリーダー?に昇格 生き生きと 毎日 雨傘を持って通ってる。雨が降ろうが 晴だろうが構わずに。
 その姿は 巷でいう「自分さえ良ければ」というものとは 何処かが違って微笑がある。  あなただったら どちらを選びますか?
 

3294:人生遍路

 最近の葬儀事情は 通夜を省いたり直葬が増えてきました。この流れは止まらないかもしれない。それで良しと思う人が増えたこと、10人講や結(ゆい)という昔から日本で行われてきた互助機能が代行専門業者にとって変わった。日本人の深層には 先祖を敬い 供養する心があった。それが薄れた(?)誘因として先ず思い浮かぶことは 我々 僧侶の責任が大きいと思っています。私は 宗教の中でも仏教 それも 狭い範囲の事しか解からない。昭和49年(1974)に本山(奈良:長谷寺)に参籠し 僧侶資格を取得、短期間の資格取得制度で今は無くなった。その時は それで良いと思った。あれから、そろそろ45年が経つ。そして古希(70歳)を目の前にして、仏教の辿った道をもう一度歩みたいと考えている。無常感は仏教思想の根幹、それは一切のものは 消滅・変化し常住でないとみて、物事にこだわらない生き方を奨める、何とま~真逆の人生を送ってきたものか。その自省の念は益々強くなる。こだわらないという真意は 今風の「なんでも良い」ということでは無い・・・また 悪癖が顔を出す。
 昨夜 99歳の誕生日に身罷った御婆ちゃんの通夜があった。最近は僧責を無事務められるかどうか気になる。亡くなる数週間前まで自分で歩き食事も介助なくできていた御婆ちゃんだった、遺族が口を揃え とても優しい御婆ちゃんだったと語る。当に健康寿命で大正~昭和~平成~令和の4時代を生きぬいた。通夜が終わり迎えのタクシーに乗る時に背後から引きとめられた。自分が御婆ちゃんの初めての孫ですと言って、スマホで今写したばかりの位牌を見せながら ≪これは どう読むんですか?≫と尋ねられた。彼は、普段から般若心経を唱えているという。世話になった御婆ちゃんと御爺ちゃんを想い これから唱えたいと・・・・・。
 驚きだった。そうか~ このような家族が未だあるんだ~!
 
 四国遍路には順逆に巡る歩き方があります。昔 歩いた時に、遍路装束でない人も多く 見た目では判らないが すれ違った時に 感じることを発見した。それは”挨拶”を交わすことだった。  いま時 すれ違う人と挨拶をする人がどれ位いるだろう? 減ったね~。
 ≪こんにちわ! こんにちわ!・・・≫ 相手構わず 挨拶するKさんは、気のせいか その挨拶の仕方に変化を感じる。相手を見て 声をかけるようになった? 彼がGHでの生活を開始した当初は うるさいくらいに大きな声で誰彼構わず 声をかけていた。もう 早いもので10年を経過する。地域の生活で彼が身に付けた処世術は こんな所に現われた?その代り お昼の時間に 事務所に来て ≪今日の泊まり  ○○さん。明日は △△、その次は・・・≫と大声で話かける。
 ”こんにちわ”には”こんにちわ”の挨拶が欲しい。これ Kさんの願いだ。
私達が出来ることは 身近なことからだ、 それが 当たり前だった頃を知っている者と生まれた時からそれらが消えていた者とは 大きく違う。 挨拶位ならば・・・・・高があいさつ、されど挨拶だ・・・。
 家庭用の簡単なAIロボットが出来ている。声をかければ 設定どおり間違いなく 返事をしてくれる。 これこそ 順逆でしょう。 何でも ロボットにやらせて 自分達は 一体 何をするの? 道端に捨てられたゴミを拾う人が無い事を知ってか知らずか? 依然として  放置されるゴミは 無くならない・・・・・。 区費を払わず そっ~と 暗くなったころ 市のゴミ収集所に捨てる。なんか 得した気にでもなるんでしょうか!
 
 
  歩んだ道を振り返れば 人それぞれ 順逆の人生だったと考える人もいるだろう。無常と無情は全く異なる意味かも知れません、でも どこかで通じ合っている。仏教の無常は”自然”というコトバで括られる。人間が自分達の生活の便宜で作り変えをしていないもの、仏教では本性、本質と捉えている。
 自分が生かされていると感じる瞬間を思い出してみれば 判ることかも知れません。普段は思いってもいなかったこと、実は此処に価値があるという。
 信仰は 仰(あお)ぎ 信じること、特定の宗教や哲学を信じるという意味ではなく、人類全般に言えることとして生かされていると感じる事 それにどう向き合うかと言ったら良いかも知れません。一瞬に忘れてしまうことも有るでしょう。だけれども安心や平和への願いは誰もが持っている。殊更に それを公言するのでは無しに 有りの儘に生きてその実感ができれば、その事が自然との共生に通じると言えまいか。
 恐らく不器用で寡黙で 手際よくできないけれど 何か光るものを持っている人がいたとする。それが 何なのか? 世の中からは 隅に追いやられたとしても 不満を言う訳でもなく 淡々としていられる強さ。
 最早 くい止める事が出来なくなっている 人間同志の争いや略奪の代償としていったい何を手に入れると思ったのでしょう? どこまでいっても 双方が満足できるような”つぐない”にはならぬことを理解しようとしない。 
 遍路や聖地巡礼は 生きる為に最低限の必要なものを持って ある目的のために 歩き続けることなのですよ。
  

3295:受け皿

 
梅雨の真っただ中、蓮田に大きく開く レンコンの葉、芽を出し始めてからの成長は早い。良く見ると どの葉も 雨粒を受けている。
・・・・・『高原の陸地には蓮花は生えない。汚泥の中からこそ蓮花はさく』(維摩経)・・・。
仏教は蓮の解釈で多くの教えを説く。2000年の年月を通し、私達に語りかけている”生きる智慧”です。 決して難しい言い回しでなく 自然体で耳を傾けられる。 世の移り変りの速さは 昔と比べて どうなのでしょうね! 日本の中を見廻して、腑に落ちないことが多すぎる感を持ってしまいます。汚泥の中から見事な花を咲かせるレンコンは 自らは そのような思いは無いのでしょうが・・・・。 一方 高嶺の花というコトバが 今の世相を表わしています。その代表は政治です。有権者はただ見ているばかり、別世界となった永田町の住人達(=高原の陸地)、高額な報酬を獲ても まだ満足せず、更に様々な理屈を付けて 使い放題、ですから 一度その座についてしまった人は その座を死守することばかりに関心が向いて、本来の使命など忘れてしまう。その人物の周りには 利を獲ようとする輩が次から次に生まれる。この姿は 皆が皆そうしているからという彼等特有の理屈によって。
 できもしない公約を掲げ 任期がくれば スタートラインでヨーイ ドン、この繰り返しを許してしまったのは彼らが考えた複雑な制度とチェックすべき人の怠慢。それを皮肉を込めて”高嶺の華”、といっているのを理解できない。
 果たして 蓮花のごとく、汚泥の中から生まれた政治家が今の日本にどれだけいるでしょう! 一様に皆で渡れば怖くないですか? そうね、そうだよね。多数決という印籠を惜しみなく使い、庶民の声は問答無用。正常な機能を果たせない今の仕組みを どうすれば良いのでしょう。
 参議院選挙が始りました。私達も含め 大人たち全てが 蓮の花から 一から学んだほうが良いのでは・・・・・・・。ムニャムニャ。
 
 そうは言っても どうしてよいのか判りません・・・・・。これが多くの人々の本心ではないでしょうか。あわてず・あせらず・あきらめずの三つの「あ」この医師の言葉を思い出します。病と向き合う人の拠り所となっている。
 見方を変えて病を「自分の体」 から 「国」と置き換えてみれば その3つの「あ」で充分なのでしょうか? 沸々と湧く疑問として、憲法の改正を言うのであれば先ず トップを選ぶ制度を変えたらいかがですか? 首相公選論!! 国会議員が選ぶのでなく 直接国民投票で選ぶ。過去に 何度も話題になり消えていった議論です、ハッキリ言って 首相になりたい人が唱え、なってしまうとそれが無くなる。今の遣り方では ”デキレース”でしかありません。なってしまえば 絶大な力を持ち、刃向いできない構図、だからでしょう、例の忖度なんて今まで聞いたこと無い日本語が一世を風靡(?)した。
 この国を根本から変えようとすれば 一先にこの議論をもっと拡大し政治を本来の姿に戻さなければならんはず。ムニャムニャ。
 どうでしょう! 日本は今 国会議員の選挙期間中ですよ。周りを見回しても その気配は全く感じない。これって異常ではないですか?不信感と観るか安定と観るかですが、結局は他人事の”政治ショー”を 金を払ってまで観る気になれない。だから空席目立つのが当たり前、
でも 入場料は払わないけど 訳わからずに支払う金は増えませんか?寡黙で後悔を選ぶか どうかです。
 ☆ 朝日放送の『ポツンと一軒家』という番組が高視聴率で15%越えています。山深い一軒家で 一人で頑張っているお年寄りに 何かを感じる人が多くいるということですね。都会生活を良しとした現代人の多くが 果たしてこれで良いのかと疑いを持ち始めている証拠? 自然の中で 自分のペースを守り 生活する喜びを どこかに置き忘れてきた日本人、その住人の多くが 自分が育てられた場所に愛着をもっている。
 
  寺は お盆の準備を一ケ月前から始めます。前に頼んでおいた今年の塔婆が昨日届く。二代目?の社長がいつも運んできてくれる。最近は塔婆にする材料の確保が難しくなったという話を良く聞かされていた。今回の材料は ドイツ産のモミの木だという。国内産の材料は 手に入らないそうで 今後 今の商売を続けるために 頭を悩ませている・・・・・。
 ドイツ産という事を聴いて 黒い森(シュヴァルツバルト地方)を思い浮かべた。彼の説明に段々熱が入る。それは 明らかにドイツと日本の林業経営の違いだった。なんでも日本の森林関係者が良く視察に訪れるらしいが 一様に日本の林業政策との違いを痛感する。
 ドイツでは近代化された設備、人の手をなるべく減らし機械化が進んでいる工場。そこで働く人は 林業の仕事を生業とし夢や喜びを感じていると、≪あれなら 若者が林業の仕事を続けたくなりますよ。≫
 いまの儘で日本の林業は 将来性が無いと謂った。私も大子の山に行くと それを痛感する。間伐や下刈りなどの管理がされずに放置され ツルが絡みつき 入れない山が急激に増えた。林業経営は時間がかかるもの 用材になるまで70年~80年を要する。その為に 毎年行わなければ成らぬ管理の作業がある。
 日本は緑と水に恵まれた国、果たして この先 どうなるか? 何しろ 開発か荒廃か 両極端で 嘗て 名木を産した山は何故かそこに雑木を植えられ 皆伐の跡地は太陽光パネルに替わっている。
 日本の山は 水源の確保や 地滑り予防の役目を担ったのでは なかったか!
 ☆ ドイツとの違いは 長伐期・非皆伐施業と森林資源の適切な把握で安定供給がなされている。日本は 森林のオーナーが林業からの収入に頼らず 森林組合に管理を委託、この差は 日本の林業を再生することを より困難にしている。
 ★ 今朝のニュースで 東京の隅田川で大量の魚が浮いていたとの報道があった。原因は 酸欠か その対応も曖昧で終止符?。

3296:ライフワーク

 畢生(ひっせい)の仕事=ライフワークは、誰もがホンネでは持っていたいということだろうと思います。 それを 年金問題と摩り替えては論外でしょうが、どこでどうなったかそう思えてしまう。 老後を楽しくノンビリという思いも分かります。じゃ~ お尋ねしますよ。どんな風にしたいですか 具体的にお話し下さいな。・・・・ゴルフ、旅行、写真、読書、それとも・・・・??? じゃ~それを何年すれば 気が済みます? 毎日入れ替わり立ち代わり そうできたとしても 満足できますか?
 いつの頃だったでしょうね、日本人の老後の過ごし方について巷で様々言われましたけど、≪100年安心≫その通りにできましたか?画塀に帰したか でも良く自分の胸に手をあて振り返ってみましょうよ。だってそうでしょう! 幾つになっても私達は 社会と何らかの関係(役割:居場所)を持ち続けたいと望むものです。逆に そうしないと生きていくことに張りが出ない。でもな~ 正直な話、滑った転んだいつまでたっても 結論の出ないことに悩みたいとは思いませんよ。だったら 発想を変えないとダメでしょう!

 外国人から日本を見て興味をそそるもので 100円ショップで売られている様々な便利グッツがあるそうですね、決して高価なものでは無く、発想の意外性とでも言いましょうか?それを探し求める為にワザワザ日本を訪れる人もいるとか。 もう一つついでに 自転車を部屋に置いて使うこと????これに驚いたという話も聴きました。私達が気にせず受け入れてきたものです。 実はこの辺に発想転換へのヒントがあると思います。お金をかけないで 歩けば 健康器具など買う必要はありません。畢生というコトバを初めて聞いた方もいらっしゃるでしょう? 畢生(ひっせい)とは、命の終わるまでの間という意味です。少々小難しくなりますけど、真言密教で両界曼荼羅というものがありますが、金剛界曼荼羅の九会でそのことを示すと言われています。つまり一生を生から死までの間で観じる(生きる)指標とでも言ったら良いのかな~、 本来誰もが持って生れた智慧(仏性)が 何故か隠れてしまっていて迷う原因になっているそうです、それを隠さず飾らず 有りの儘に 出せれば究極の畢生の仕事(生き様)を持ったことになると。 私の身近な話です。利用者の皆さんと触れ合うことで 一番癒されるのは そのものズバリの生き仏の姿からではないだろうか、この歳になり それが 漸く判ってきたと思っていますが ちょっと遅かったでしょうか。
 ムニャムニャ。
 
 
  善悪の判断根拠が曖昧になった。嘘か真実も全く同じです。・・・・善悪の報は影の形に随うが如し・・・・。行為の善悪に応じて、その報いが必ずやってくるという意味。報いは 社会的地位や財産とは無関係、 知識の多少にも影響されず。 これこそが”智慧”というもので仏教が諭す現代的価値ですね。 
 そう言う私自身も 頭での理解しかないと思っています。誰しも身近に それを知らしめるものが有るか否か?ですよ。そして 老後を迎え 散っていく。これは 避けて通れぬ本性かもしれない。 それでお前は良いのですか????と自問する。
 今の偽らざる心境ですね。老境に入るには まだ早い?  細やかなれど 反骨心の類だと思っている。
 東日本大震災・原発事故これは 今世紀最大の事故だ。人間の能力を超えた災害、人災か天災か、その復興は これから先 どれ位かかるか誰も判らない。社会の不条理をあげたら切がない。”ハンセン病家族訴訟”の問題や”拉致問題”は 当事者だけの問題ではなく 国としてどう向き合うかです。 こんな風に考えると 憂鬱になります。そんな社会に何が必要なのでしょうか? 世紀の大祭典(オリンピックや万博)は それを埋め合わせることにならないことを誰もが判っています。 派手なお祭り騒ぎではなく 普段の生活の安心が望まれているのです。 残念ですが この国が向かおうとしている方向が 人々の願いとは次元を異にしているように感じます。
 ・・・・足元見ずに 照らす光は 先ばかり・・・・ 豊かさに 失ったものの 意味不明・・・・ナマグサ拙句。
 

3297:ケセラセラ

ケセラセラって どんな意味?なるようになるさ・・・ということらしい。  疲れた時に 肩の力を抜いて 自然の流れに身を任すというように使われたとか、ま~ 何でも構わないけど そう言われると 全くの図星だわ。
 毎朝 パソコンに向かって厭きもせず たあい無いことを書き連ねてきましたが 少々 疲れました。というのも 私はウインドウズ7を使用しているので サポート期間が残り半年となり その後をどうするか?迷っています。通信速度が速くなり容量も格段に上がった。 それに対応できない機種で動かそうとすれば不具合が生じ、その原因と修正が判らない。最近は ≪スプリプトエラー・・≫表示がやたらと出てきて始末が悪い。私のOA能力では 限界です。こんな事に頭を悩ますなら やらない方が良いと思ってしまうのです。潮時・・年貢の納め時か!
 そこで やおら頭に浮かんだのが”ケセラセラ” Whatever will be, will be・・・・の歌詞だった。この6月から余計な事に煩わされる事もなく 結構ゆったりとした生活???、ヨッシャー これからはと思っていましたよ。それが 私の性分では 思ったようにいかない。トコトン 調べないと気が済まない。見様見真似でも どうにかできたことが患いのもと。できなくなって さ~ どうするか?
 時間よ 止まれ。一週7日、過ぎるのが早い事。何をやったのか 思いだせない。そうだ 今日は 歯医者にいって来るんだった。ケセラセラ。
 
 
 今年の梅雨は 異常だという。こんなに雨が続き 晴れる日が殆ど無い、当然 作物の成長には影響し、収穫は半分程になっている。それでも できるだけ良いと言うのだろうか? 値段は高騰し、果実は本来の甘さが無い。
 日本では世界の動きと逆の現象が起こっている。それは人口減、一方 世界の人口は今後も増え続ける。食糧の自給率は 日本は先進国でも常に最下位(38%)。先端技術やモノづくりで外貨を稼ぎ 食料は輸入に頼る。相変わらずのやり方に 経済界が立ち上がる。この国がとってきた産業構造が将来 どうしようも無くなるという危機感。その対策を目先の選挙に夢中な政治に任せておけないというのがホンネだ。それは 最悪のシナリオで人口の6割の人々の食べ物の確保ができていない対応への甘さと それをあまり問題視しない社会の脆弱性。
 前項で紹介した100円ショップや健康グッヅ、良く見ると その殆どがmade in ○ ○、日本国内では作っていない。それでは 日本が世界から何を必要とされますか? 足元みずに 照らす光は 先ばかり。この類の感覚のズレが 酷いんじゃ~ありませんかね。持続可能と言いながら 一貫性には疑問をもつ。例えばエネルギー政策がそうだろう。
 トップランナーたちは牙城に居座り 物言わぬ家来を侍らせ 外向け外交に現を抜かす。時々 足元に目をやって 長年の懸案事項に断を下す・・・・・・そう 思ったとしたら大間違い。何一つ具体的な内容は示せない、これも選挙の結果で後出しで言うのだろうか?
 もし この国が今の儘で溢れかえるモノに埋め尽くされ身動きできない事態を想定し そこから脱皮させ 一から出直せという 大改革の先頭に自らが立つというのであればだが どうも そこまでの覚悟は望めない・・・・ケセラセラ。

3298:国政選挙

 茨城県の参議院選挙の立候補者は定員2人に対し5人です。最近は期日前投票を必ずする。近くにある公民館ではなく 期日前投票できる場所の指定があって そこで行っている。候補者5人のポスターを全て貼っていない掲示版に気付く。地元の投票所には3人だけしか無かった、何故なんだろう?  全国津々浦々 おそらく同様のことが起こっているのではなかろうか! 長期に続く選挙の閉塞時代、その低調ぶりを如実に示す、TVでの各党代表による 討論?は 一体何をどうしたいのかが良く理解できない。まさに国会中継の延長でしかなかった。これでは ダメだ~。ここまで国政が判り辛くなってしまった原因をも我々選挙民の責任と言うのだろうか。ハッキリいって今の政治家達の責任だと私は思う。自論を簡単に変更するなど珍しくない 貴方達は本当の事を知りたいと思った国民の期待を悉く 裏切ってきたではないでしょうか。自省どころかそれを無視するかの如き目新しい事、派手なパフォーマンスに どうしようもない嫌悪感をもっている国民も多いのではないだろうか?
 ある時期 ブーメラン現象・・・というコトバが囁かれた。ある議員の問題発言に対し 議員辞職勧告は慎重にという仲間内での囁き、それは 明らかに民意ではない 彼等特有の制度を盾にした保身だ、結局 当人は2か月の医師診断によって有給休暇、今は特異なSNSを使い 好き勝手に自論を展開しているように思える。これが言論の自由と平和を掲げるGNP世界?位のニッポンの姿だ。
 この有様を他国からみて 日本は組み易しと思うか それとも これぞ民主主義国家の手本とみるか????? 
 客人が 訪問先をボロクソに言うはずはないでしょう。最大限の褒め言葉を添えて招待に応えるものですよ。これを 其の儘に信じてしまうのも どうかと思う、後で 違うのを判っても 後の祭。心有る 政治家の登場を待つのみ。
  いま この地域は夏祭りの最中、雨の中を 囃子と共に手作りの山車を子供たちが牽いていた。ソーレ ソーレ とんとことん!
 
 これでもか これでもか ・・・・ 連日雨が降りやまぬ。この国だけと思っていたら 世界中が異常気象に襲われている。 一国主義! やれ 貿易不均衡! と争い続けている中で 自然が警報を鳴らし続ける。グローバル化の中で自国の利益のみを守ろうとしたところで 現実にできるのか? 自・他国の区別をどう決めるのか? それさえ曖昧な中で 支持者の意向に添うことができるのか? 
 民意とドンドン離れて行く・・・・・。この様を指を銜え、見ているだけということはできませんよ・・・・。
『不憤不啓  不俳不発・・・・・』(論語) 中国の古典から 学ぶ、人口13億と言われる民を纏めることを 日本人には想像もできまい。10/1の人口、この数だって決して少ないとは思わない。それでも 産めよ増やせよと策を練る。一体 彼らはこの国をどうしたいのか? EUの如く 移民受け入れを積極的に行う覚悟もなく、自分達だけで 未来永劫に国体を維持せんとしたいのか? ならば 問いたい。過去の兵糧攻めに どれだけの犠牲を払ったか! 自分達が食べる食料も賄えず(自給率38%)、それで ここまで経済が回復したとよくも言えたものである。果たして この国は戦後、真剣に国防問題について国民と共に考えてきただろうか?孫子(まごこ)の代まで平和を守り続けて欲しい。これが我々の永遠のホンネだ。
 今の政治はどうしても その議論を避けているように思えてしようがない。
 票数を読むことしか眼中になく その為の策に溺れる核心なき選挙戦。平和や義務、権利・・・これは 貴方達一部の者によって秘密裏に決められるものではない。おそらく 今の儘で何も変えることなく選挙を続けても 投票率は上がるまい。残念だが 国民の多くは自分達が政治に参加しているとの自覚が薄い。
 戦争に負けた日本、その後もずっと引きずっている問題は何か!事実を隠さず国民と 膝を交えた真の議論を なぜ避けるのか。 これなくして 貴方達が掲げた100年安心など 夢物語に過ぎまい。 無責任な自論を陳べ これを言論の自由だと主張する議員、この今の姿勢こそが 最大の政治不信の事由と思うのだ。投票日まで残り5日。
 私達の仲間(尚恵学園)は 投票に行きますよ。
 
 いずれ 皆が投票に参加する時が来るから・・・・と 悠然としていられるような時だろうか! もし そうだとしたら 世界に稀なる民族と思われても仕方ない。 
 
節度を守るということは度を越さない意味である。 極端な行為に走り 世が乱れることを避けるためだ。 多様な価値観が認められる今の世は、勝手に解釈しても お咎めが無い所まできたか?ケジメなく自由!権利! と大手を振っても許される。その行き着く先は ”自分さえ良ければ”という考えになり易い。一昔前までは ハッキリとしたアンチテーゼがあった。それは 戦争の恐怖、幻想ではなく実際に体験された人達の生の声だった。その世代が確実に減って、戦後生まれが大半となり 働き手の中心となっている世代は その子や孫たちに変わりつつある。
 私達が子供の頃、”死の商人”というコトバがあった。陰で兵器を売って金を儲けるモノ達だ。 今は堂々と国と国の間で武器の売買が行われる。人間が考え出した機器は それをどう使うかによってどのようにもなる時代に入った。
 もはや節度を守るというような悠長なことは言っておれない。せめてルールを作り それを守ること位しか できないのである。これだって トップの一存で離脱もできることが世界中に知れ渡った。
 この”紙一重の危機”と向き合って平和を守るしかないという現実。
 日本を覆っている重く暗い雲は、こういった背景に有りながらも 誰を代理者として選ぶかという 対象が見つけられないディレンマだろう。
 正直 我々が一票の権利を行使して出来ることは 一強独裁を阻むこと位で 実に消極的な行為であることは認めよう。それだって”節・度”になればとの 微かな願いをもって・・・・。
   

3299:選択肢の実

 マニフェスト(宣言書)は公約として どれ程の重みと実があるのでしょうか? 聴き比べても 何処がどう違うのか判り辛いのは 私の所為か?枝葉末節の問題とは言わずとも 宣言しても その実行性について検証がなされていなければ 実がない。不言実行とどちらが良いかなど 愚問なのか?
 ここは 今の政治が大いに反省すべき点で そのために政党助成金という高額な国費が使われているのだから 責任と義務は有るはずだ。 さらに最近どうも決め付け的な政策が多い様に思うのは私だけでしょうか。本当にそれしか選択肢がないのか疑ってみるべきでしょう、それを諮問する有識者会議そのものに 委員の選任から会議の方法について 疑心が表面化した。 あの後どうなったのでしょうね 庶民のモヤモヤ感は払拭出来たのでしょうか?
 
 ☆個人主義と利己主義の違いは 判りますか? 日本語は難しい。外来語の場合は尚更です。individualismとegoism、明治開港と共に いろいろなモノを積極的に海外から取り入れた。憲法や諸制度は 戦後で戦勝国のチェックを受け作られた。 この一部を 今回 改正しようとしている訳でしょうが、諸手をあげてまで 賛同できない人達が国民の半数以上いるという現実を どう捉えているのでしょうか?どちらにしたって 改正の内容を充分理解した人は少ないと思うね。だからでしょう 慎重論を唱える人が多いのはね。
 それと 私達も含め この先 どれ位生きるか判らない年齢。その者達が 基本なる法を改正してしまって良いのだろうか?これが正直な思いですよ。ハッキリ言ってそこまで今の政治に信頼感が持てるかどうかです???
 それを判断する材料が今回の選挙だと私は思いますよ。貴方達が言う過半数を取ったかどうかじゃない。実際に選挙に参加した人達の数から判断すべきでしょう。だってそうでしょう! 貴方達は その為にマニフェストで自らの党の意志を示した訳ですから。有言実行を盛んに宣伝したのに投票率が変わり映えしなければ 一からやり直し その位の重みはあると思いますよ。
☆仏教に自利利他という考えがあります、個人主義と利己主義の説明には 小難しい理屈じゃなく 自利利他 これですね。政(まつりごと)との違いは 、そこに節度を持つか否か。信じるか否か。
 
 
 大人たちが理解できないのに 子供達にその責任を負わせるとしたら どう思いますか?
 この国の危うさを感じるのは そう謂った事象が多すぎること、それを 深刻に考えない人達と方や諦めてしまった人達の2曲分化が進んでいる。それはお前の個人の考えだと忌避されるなら 敢えて反論はしない。
  今を最大限に評価したとして じゃ~ これが 本当にこれから先も同様に持続できる保証がありますか? このままでは表と裏の使い分けに長けた人間が重宝され、地道に愚直に生きる人達が片隅に追いやられるような気になります。
 辺見庸の『月』という本が届いた。相模原事件の被害者の目から彼が綴ったかなりの長編、数ページ読んで 正直 難解だと感じた。文章が漢字使用を抑え ひらがなとカタカナが多く使われていることもあるかもしれない。何度も読み返しながら どこで文章が切れるのかを確かめながら・・・・・。
 あくまでもフィクションと謂うが”さとくん”という 登場人物を犯人Tとして敢えて”・・・くん”としている。 読み進みながら何故という疑問がずっと残る。施設の利用者や職員たち登場人物には”・・・・さん”という字をつけている。
 その疑問は本表紙に書かれた文章によって判った。  ・・・「あなた、ひとりですか?」「ひとのこころ、ありますか?」”さとくん”は、なぜ ”かれら”を 殺したのか?”さとくん”とは、いったい、だれなのか・・・?
 NHK-Eテレビ 「こころの時代」放映で 大反響&続々重版!現代社会にはびこる優性思想と人間存在への深いまなざし。実際の障がい者殺傷事件に着想した、大量殺人の静かなる物語。(本表紙)

 テレビ放送では 辺見自身が不治の病の後遺症(病名:原発性マクログロブリン血症)で歩行が覚束ない姿で映った。特に印象に残ったのは ベンチに1人座って不自由な手でペットボトルのフタを廻し、そのフタの中に水を注ぎ、傍に置いたカバンの前に置いた。
そして 語りかける・・・・。カメラが近寄りアップされたカバンを写す。その中に 小さな子犬が入っていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 

3300:悪の温床

 京都で起こった放火事件は 平成後の最大の犠牲者を出した。日本が世界に誇るアニメ制作会社で起こった。一人の人間によって多くの大切な人の命が奪われた。相模原事件で犯行に至った動機を犯人自らが語っている。それをどう捉えて良いのか今もって判らない。そして、 またしても事件が起こった。
 このような事件が起こり易い環境が今の日本には有るのだろうか。この国だけではなく 地球上いたる処に悪(負)の温床が膨張している、テロが一向に減らず、より対応が難しくなっている。 どこにいれば安心かを見い出せない。
 自分達の周辺で起こる 交通事故も その中の一つかもしれぬ。人間の欲を満たす為に作り出された車。それが ちょっとした操作のミスによって引き起こされる。
 犬ぞりを使って一年の半分を北極圏で生活する日本人の話を聴いた。その方は気象観測の仕事を長年続けている。北極は短期間の中で地球温暖化の影響を知るのに最も判り易い場所だという。 先住民族のイヌイットの生活環境が変わって、若者は都会に出て行き 過疎化が急激に進んでいる。かたや電気が通り、生活スタイルが変わった。誰もがスマホを持ち、人が住む場所でのゴミ問題が大きくなっている。(ブータンと重なる)
 地球環境の悪化と利便欲求との関係、蔓延こる優生思想や利己主義、・・・・・。こういった社会環境に多くの人々が息苦しさを感じながらも、その代償を”便利さや豊かさ”に求め続けている。
 残り2日となった選挙戦、様々なキャッチコピーを出し、自らの優位性を訴える。 有権者は冷めた目で眺めている。これも 現代ニッポンを示す如実の姿。
 お前はもっと 希望の持てる話ができないのかい! そんな揶揄嘲弄は幻聴か?  
 現実に起こっていることに向き合わず 綺麗ごとで誤魔化すより真っ当な生き様だと思うのだが ・・・・・・。

 ☆ 綺麗になっている山に捨てるゴミは少ない。問題は ゴミを捨てないか 山を綺麗にするかのどちらか それを誰が行うかです。緘黙を良しとすれば 益々 悪の温床は蔓延ってしまうと思いますが それで 良いのですね。
 
 温床は植物の促成栽培に好都合。堆肥の醗酵熱によって、植物の成長を促す。ぬるま湯は 適度のお湯に浸かり、疲れを癒す効果あり。じゃ~ 悪の温床とか平和のぬるま湯はどうでしょう。良かれと思ったことが 実は そうでは無かった。
 利己のみの思いからは 再生の発想は生まれない。変化より今の儘を選択するからです。  でも それだって限度がありませんか!
 国が殻の中に閉じこもる。間違った正義感や正当性を醸成し、それをルールを無視した特例行為として実行に移す。
 これをも 許容できる範囲なのでしょうか? 被害にあった方はたまったもんじゃ~ないはずです。
 その最大のもので・・・・一国主義という思想は 強者への憧れ、それも天上知らずの欲望に向かう。
 人智によって 変えられないと諦めてしまっては どうだろう?周りを見廻し 依然としてゴミの ポイ捨てが無くならない。決められた場所に捨てるという行為がそれ程の労力を要することなのでしょうか?
 積り積もって、プラスチックゴミの地球環境問題まで拡大した。福島原発の廃炉を東電が決定したという。それも昨日の新聞紙上で知った。
 事故後、一企業の問題か否か議論があったはず、しかし この議論は 投票当日になっても 話題にあがらず先に送られた。