源究188

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NO  テーマ  月日   NO  テーマ  月日 
 3271  一週間  4/18  3276 工夫に落つ  5/17
 3272 令和の時代   5/1  3277 一人相撲  5/19
 3273 朗笑康岳居士   5/7  3278 環境と生き物   5/24
 3274 多元主義への?   5/10  3279 数の正当性   ☆
 3275 見極め   5/13      

3271:一週間

諺に≪人は病の器≫というものがあります。それは・・・人はいつなんどきどんな病気にかかるか判らないという意味です。丁度、一週間 入院することとなり 本日 無時帰還しました。時間が経つのが早いというのが最近の口癖でした。それが1週間168時間が長いのなんのって また1時間がこんなに長いものかと痛感しました。
 これだって 誰の所為にすることもできない、自分の不摂生 からで因果応報、私の場合 循環器系の病で 体の核心、心臓の不調、実はこれも 偶然に判ったのでした。それから 検査 治療の為の入退院を繰り返す。そうなってから まだ 1年が経っていない。
 今回もそうだった。過信が災いとなったと思っています。身の程知らずで 調子に乗って、毎日竹林の掃除やら杉丸太の皮むきと連日働きづめと無理をした、体が悲鳴をあげていたのかもしれない 11日の早朝 それが一気に出た。通院、その日の内に手術、狭窄している血管への治療、CCUに2晩、一般病棟に5泊、そして本日昼前に退院の許可が出て病院から解放されました。
 168時間の不自由(?)、その苦しみは 正直 体験して 初めて判った。 人は環境によって諸に影響を受けることを思い知らされた一週間だった。体調には波があり、今日良かったから明日も大丈夫とはいかない。一喜一憂しながら 結局は自分のいたらなさに還る。
 見方を変えれば不自由な生活の中にも 今まで経験しなかったような 新たな発見は幾つもあった、一番は人の本当の優しさがどう言う事かということ。
 もう この年齢になって病を隠し立てしても仕様が無い 一病息災ということもあるからオープンでいこう! ただ 今後は あまり周囲に心配をかけないようにするのが 大事かと。
 未だ 頭の中が覚醒しきれていません。また 独言を懲りもせず 続けようかと思いますが これも 辞めたらと言われれば ちょと 考えねばなるまい。 天の声に 傾聴 敬聴!

3272:令和の時代

 5月1日、新しい元号(令和)になりました。TVでは 天皇御即位に関連する番組が一日中流され 日本中が先(平成)の天皇皇后両陛下への尊敬と感謝の気持ちを共有し 期待を持って新たな天皇を迎えました。
 元号 ”令和”の意味は  戦争の無い 平和な日本を願ってつけられたとの事。 その新しい時代に期待を持って見守り 我々大人たちの避けられない次世代への責任だと強く感じます。
 大変な責任ある御立場で両陛下のご健康を日本国民全てが願う、そして ご活躍をご期待申し上げます。
 
  大分昔の話になりますが つくば市で開催された第16回アジア知的障害者大会で尚恵学園のベル演奏を両陛下の前で行ったことがあり、今回某新聞社よりその時の様子を聴きたいと連絡がありました。つくば国際会議場の大ホールのステージで両陛下の目の前で緊張しながら演奏したメンバー達は現在も元気に過ごされています。そして、皆さんで この度の天皇皇后両陛下のご即位を 心より喜んでいます。
 
 
 ”同病相憐 同憂相救”という言葉がありますが自分が その立場になって 初めて判ることだと思います。考えて見ますと 私は社会人となってから 障害施設で働いた経験しかなく 正直 他と比べることは出来ないのですが それで良かったのかな~と今 つくづく感じています。そして 僧侶との二束の草鞋を履き続けて来ました。振り返ると 周りの状況は随分変わったと思います。父が始めた頃と比べ スタッフの数は10倍、利用される人たちも随分多くなった。当然 次々に起こる出来事への対応で毎日が過ぎて行く、そこで判ったのが 一人では何もできないことです。 それと良かれと思っていたことが 本当にそれで良かったのかという検証の難しさです。ただ世の中は大分変わりました。 この先 この国が どのようになっていくのか誰も判らない。
 だから現実を直視し それに向き合っていくことが 唯一の道だろうと思います。 大切な事は 時代がどのように変わろうが 変わってはいけない事が有るという事です、この核心を見失いたくないとの思いがより強まった気がしています。
 10日間の連休に日本が入り、旅行や趣味の時間を楽しむ人がいれば 仕事があって 連休とは関係のない人もいます。ただ その代休が保障されていることは 私達の仕事が決して世間が言うような3Kやブラックではないと言う証だろうと思うし 持ちつ持たれつの関係の大事でしょう。
 私は 今 静養を兼ね、友人から読む様に奨められた『無私の日本人』(磯田道史著)と献本された『フィロミナの詩がきこえる』(中澤健・中澤和代著)を連休後半に 読もうと思います・・・・・・。
 
 
 早朝の3時半 枕元の携帯が鳴った。入院中のOさんの血圧が下がり厳しい状況だと病院から連絡が入り、今から病院に行ってきますとのスタッフからの電話だった。その1時間後、Oさんが息を引き取った事が知らされた。
 8時、病院から園にOさんは戻った。神宮寺客殿に寝かされ、彼の長い長い闘病生活が終わったのだ。安らかな寝顔、そして走馬灯の如く 彼との思い出が浮かぶ。枕元で経を唱えようとしても声が出なかった。4歳の時にOさんは尚恵学園に来た。持ち前の明るさや剽軽さは今年54歳になるまで決して失うことは無かった。
 命の尊さは 誰にも保障されるべきです。福祉の現場は 日々 その営みの繰り返し、彼は 2日後、仲間達とお別れ会を行い 幼い頃 良く遊んでくれた町田さんの眠る 尚恵学園の墓地に埋葬される。合掌!

3273:朗笑康岳居士

 Oさん。貴方は2週間程前、床屋さんが園に来て散髪してもらうため 病院から一時戻ってきました。その時私は病院の中、後でその時の様子を聞かされました。” 多分 みんなとお別れに来たんだよね”と誰かが話していた。”だって 手振りで自分は戻って来たんじゃない。また病院へ戻るんだと言っていたもの・・・・・” 肝臓の病気が判ったのが今から20年も前だったと思う、それから 彼の病気との闘いが始まった。数年前からお腹が異常に膨らんだ。自分のお腹を見せて大好きな先生の子どもだと 得意そうに言っていた。主治医からは常に病状の説明は受けていた。根本治療は難しいから どうしますか?その返答に迷う。彼は 天涯孤独だと思っていたのが 妹さんがいるのが判った。連絡すると直ぐに妹さんとの面会が実現できた。その時の彼の表情を今も覚えている。
 私は福祉という言葉が今の儘だと この国から消えて行くように感じています。サービスをお金で買うという制度となり、一人の人間を介護度や障害程度でランク付け、報酬は 自ずとその程度によって決められる。更に 他業種と全く同じ仕組みで大規模化して効率化をはかることを良しとした。これは終身の安心とは 程遠く、経営と運営の狭間での矛盾の拡大、それを 最早、修正することはできまい。果たして これが盛んに国がPRする”一億総活躍”ということになるのだろうか?
 行き過ぎた個人主義や経済第一主義に打つ手なし。Oさん 貴方は4歳の誕生日を過ぎて 尚恵学園に入所した。当時の写真を見ると 貴方はいつも職員の傍にいました。養護学校義務設置の前で園内の特殊学級で学び その後 和紙班で作業を続けて今に至る。尚恵学園でGHが出来始めた頃、私たちは貴方の気持ちを尋ねた。貴方はGHに行きたいとは最後まで言わなかった。その代り、忘年会や新年会では いつも 盛り上げ役を引き受けてくれた。壇上に上がり≪いいか!やるぞー!エイエイオー≫はいつもの宴会閉めの言葉でした。・・・・続く・・・・
 
 今こうやって おぼろげな記憶を辿り 貴方と過ごした時間に思いを馳せる。自然と涙が出て 字がぼやけてきます。世間では人生100年時代と どこか誇ったような挙動に私は違和感をもつ。彼等の生き様をずっと見てきた ハンデイをものともせず懸命に生きている姿は 決して大袈裟に誇ったり、嘘で飾ったものではなく有りの儘で 表裏がない。真似ようとしても とてもできないこと、それをごく自然体で、 私達は何度も何度も彼等から見せられてきました。
 自由や尊厳、平和や共生、 こういった言葉が溢れかえる今 逆に人は何を信じて良いのか判らず、彷徨っていると思えて仕様が無い。刹那主義や自虐的考えに自分を追い込み、真の個の尊厳とは何か?平和とは?ということに無関心になっている。 戦後日本人が失ったもの&先延ばししてきた事で最大のものが 実はここにあると私は思います。
 本当にそれで良いのですか? 皆が皆 口を閉ざし、真剣に議論することを避けているようにさえ感じます。
中澤夫妻の書かれた本『フィロミナの詩がきこえる』(ぶどう舎)を読み、何カ所かに赤線を引いた。そこには・・・・障害福祉実践は平和運動だ・・・・(P180~)と書かれてある。

「抜粋」・・世に唯ひとつの平和への道は、障害福祉実践だと私は思っている。つまり、「福祉}だ。福祉とは。困っている人や弱い人を守ることだ。より弱いいのちであれば、よりつよく守らなければならない。そこには損得はなく、基本的にはお金のやりとりもない。困っている事実や消え入りそうという状況に相応しい優しさが必用になる。そのいのちに消えてもらっては困るというひたむきさと言っても良い。ただ生き延びれば良いのではなく、よく生きる、持ち味を発揮して生きることに大きな意味がある。・・・・・。
 
 
 上記で太字にした箇所は 強く共感する言葉だからです。朗笑康岳居士・・・・仏教は授戒名で その人の生き様を表わす。朗らかに笑う。皆で選んだ遺影も そうだった。
 輪廻転生 こんな話が交わされた。≪今度生まれてくる時には もっともっと幸せにね・・・≫ 仏教は 歴史の中で 様々な変遷を繰り返した。また、こんな話が交わされる。≪Oさん 向こうに行ったら 一緒に過ごした仲間達が待っているからね≫。
 花入れが終わって棺の蓋を閉める時、≪ダメ ダメだ。閉めないで≫と叫んだTさん。最近は痴呆が進み歩くのも困難になった彼が正気に戻った。棺を車に乗せる時、大声をあげ 泣いたNさん。園を出る際に、『エイエイオー』と皆で叫んで見送った。
 一人ひとりがその人らしい方法で 仲間の死を悼む。ここにこそ 我々の営みの大きな意味があると思います。
 

3274:多元主義への早鐘

 民族・宗教・・・・外交、一つの原理でそれ以外は受け入れないという考え方は危険、方や 多元主義への価値が見直され、SNSやAI技術の開発進歩と共に、その勢いを増している。良く考えてみると それは人間の能力への過信ではないかとも言える。困ったことに人間の自制力や判断力は 寿命がどんなに延びようが然程変わりはない。幼児が欲しいものを地団駄踏んでせがむように形振り構わず己の意志を通そうとするように。
 日本語の 有言実行という言葉に一言、これは言ったことを実行する意味だが確かに過去には傑出した人物で その名に相応しい人物がいた。今は そうでない人間がそこだけ真似ている。 どうなってしまっているのか ドサクサ紛れに強引に強行突破?を力と誤解、それに トップリーダーで公言した事を簡単に変えても己の正当性を恥じる事もなく 堂々と言ってのける者あり。その辺りを衝かれれば 知らぬ存ぜぬと言い訳並べ 他人の所為。結局 器が小さいというのか己の為に汗をかくだけと思われても仕方あるまい。斯様な人物をメデア(本来、早鐘の役目)が挙って持ち上げたりするから 最早つける薬が無くなった。
 多元主義を穿った見方をすれば 日和見主義に通じる、二股どころか何股もかけ、シャアシャアできるのが理解できない。その類の人間は相手を どう考えるか! だからだろう 心から信じ合えるものが周りにいない事を認めようとしない。
  トップリーダーの責任の一つに いつの世でも自分の在任期間に良き後継者を育てることがある。いつまでも 自らがその地位に止まることではなく、いずれは禅譲( 引き際)する時に その人となりが見えてくる。
 戦争を二度と繰り返さないという誓を守る。これこそが 窮境の日本人の願いであり それが出来て初めて国民に寄り添うということになるのだと私は思う。
 
 ポピュリズムの解釈には、二通りあると言います。肯定的な意味では人民の意志を最大限に尊重し、大衆主義・人民主義と言われる。逆に否定的な意味では 衆愚政治や大衆迎合主義。何故このような真逆の解釈があるのでしょうか?
 恐らく 歴史から検証し 最悪の事態(戦争)に至った事由により判ぜられたこと、それも絶対ではなく 流れである。それでは 流れを止めるクサビはどうなのか? 核兵器が戦争の抑止力となるか? 核兵器禁止条約に日本が不参加なのは、アメリカの核の傘という日本の安全保障を脅かすことになるとの判断、現実に世界の流れは 新たに核開発する国と既に保有している国との現実をどうするか その実効性が問われている。
 要は 国の安全という重要な問題の議論が秘密裏に行われてきたのがこの国の実態です。時々の政治判断に任せるか否か。ここに至って私達に疑問を抱かせるような言動が政治家に多すぎた。箍が緩み 政治への信頼度は 実際に公表される数字そのものへの不信となっている。日本の政治形体は戦後一貫して民主主義を続けてきました。その間 世界の潮流は大きく変わり、大国と小国の格差や富裕層と貧困層の2極化の拡大がある。科学技術の進歩は一時の停滞も許されず 地球上でのグローバル化を止めることはできなくなった。
 国と国の軋轢は 嘗ての思想や政治形体というより 現実的な経済活動から問題が派生する時代になっている。人間の飽くなき豊かさへの追求は環境破壊という代償を払っても済まない。このままでは この地球がもたないという警鐘が鳴り止まない。
 総じて 均衡あるバランスが崩れ、その原因となる問題を見極める機能が働き難い時代となった。
 

3275:見極め

最近  情報の信憑性を見極めるのは益々難しくなっています。大国の大統領のツイターによって 株価が乱高下、こんな有様を10年前に誰が想像できたでしょうか?溢れかえっている情報は 、SNSというインターネットを使った便利(?)な交流手段で地球上どこにいても交信が可能となった。それに関連する犯罪も急増、 目の前の出来事が現実か仮想かさえ判らない。忌々しき異常事態と嘆いてみても 無視され置いてきぼりにされるのが落ちだ。
 どこまでこの風潮は続くのだろう? 国の形は 今までのようにはいかないだろう! EU統合、これも画期的な出来事だった。共通の貨幣をつくり 人の往来も自由にした。その目的は平和と共存・共栄、経済大国との有利な競争を可能にするためで28ケ国が加盟し統合を行ったわけである。元々の国の存在を認める二重構造は国間の格差を埋めるまでには未だ至っていない。 勿論 伝統文化や自然は簡単に統合することはできない。両立させるため どこで線引きするか その判断が難しい。アフリカ移民の受け入れについても 多民族国家が今に始まったわけではないヨーロッパで 余りにも急激に移民が増えたことの問題が表面化している。
 一方で日本の実状は どうか? 正直 焦点が定まらず 次々に起こる問題に、その場凌ぎの対処を繰り返しているとしか思えない。日本の近代化は 明治から始まった。進んだ西欧の制度を取り入れ 誠実&勤勉という日本人特有の国民性をエネルギーに発展してきたわけで その間、2回の世界大戦に巻き込まれ 壊滅的打撃を経験した。いま 問題にされているのは 教育の在り方、なぜか 義務教育の中で戦争の体験を教え一緒に考える場が他国と比べ少ないと感じる。 制度の見直しや無償化など 外堀を埋めることに熱心だが 核心になる教育の中味については 今もって曖昧さを温存している。
 この責任はハッキリ言って我々大人達にある。特に この国の政治に携わる人たちの責任は大きい。 その政治自体が おかしな状況となっていないでしょうか? 三権分立の原則が崩れ その不安を払拭できないのは 何故か? タテマエを気にした議論が多すぎること、それに 物言わぬ人間が増えすぎたことではないでしょうか。
 
 教育の課題には大分けして 家庭教育~学校教育~社会教育というものがある。その枢軸には 時代がどう変わろうと人間教育、どういった人間に育って欲しいか!にある。 教育現場から現状への是正要望が出始めていると知る。中高一貫教育という試みで 急に学力が向上し 県内トップクラスの進学校になった成功事例、すると どこもかしこも それを真似ようとする。義務教育が予備校化して 闇雲に偏差値を上げることが主なる目的になる。これに現場の危機感が出る。公立校がこうなってしまっては私学は死活問題、少子化の中で生徒募集が更に厳しくなる。ドイツはヨーロッパでも教育に対し 国が明確な方針を持って行われていると言われます。大学の授業料の無料化を初め 現行の日本と比べ 数段先を進んでいるように思う。恐らく ドイツが過去の経験をどう活かすかという捉え方が日本とは違うことの証かもしれません。
 ドイツは税の割合が日本とは違うかもしれぬ。でも 厳密に計算すれば 日本での公的な負担割合は 消費税8%→10%の議論云々以上に負担が重い事が判るだろう。これは 税率だけの問題ではなく 医療費や教育費 保険料など全ての支出の精査が不可欠、安心と安定、無駄の排除、・・・・・一部の成功事例だけを並べここまでやっているという手法は因循姑息と言えまいか
 我々は生活自衛のため 支出を押さえ 将来への蓄えをしなければならないと考えなければならない。これが問題だともっと消費に廻せという。もしかして国の借金を 個人の貯えで代替わりしようとしているのではないでしょうね。おかしい~んじゃないの ? 不信感の病巣はここにあると思わない?
 常識が非常識になっていないだろうか。 さだまさしが唄う 風に立つライオンでの どこかで 道を誤った♪という真意だと思う。
 
 
 いい加減や塩梅をつかむことが難しい。過剰や無駄から モノの価値や大切にあつかうことを忘れる。それが当たり前になると 更にエスカレートして、その上の刺激を求めようとする。神道の中今や仏教の中道の教えは 恐らく 人間の本性を前提条件にしたもの、その視座がないと 何の為 誰の為という根本を見失うという教え(智慧)だと私は思っています。米中両大国の攻防は 妥協点が見いだせない。その状況に世界中が振り回され静観している。覇権争いは当事国だけの問題ではない。ある時期 日本は国策として人件費の安い外国に工場を移した。原発や新交通網技術の輸出を推進したが 結果は思うように進まない 企業は 生き残りの為に 法人税の易い国へ本社を移す準備、それを察知した政府は 法人税の減税策を打ち出した。そうこうしている中に 肝心の働き手がいなくなるという現実に直面。この齟齬は 予測できたことだが 少子化や高齢化ということを理由にあげ 自らの力不足を認めない。
 認められないのかも知れない。誰がやっても変わらないという国民の諦め感が蔓延することを覚悟の上で。この状況判断はどうも間違っているようだ。 
 

3276:工夫に落つ。

 
 上のスナップは 観音寺の境内の新設のベンチ、器用な職員が作った。アイデアは不器用な私、偶然に杉を伐採した地域の方から無料で頂戴した。最初は勿体ない! 出来栄え満足。試作品を何度もつくり、結局 最も単純な形になった。周りの環境が急に変わった。住宅がドンドン建つ。最近まで犬の絶好の散歩コースだった裏道は 朝晩の混雑時の迂回路と化した。境内の鐘楼周辺には 芝(?)庭の絶好の遊び場、地域のボーイスカウトの集会場所に提供、その一角にベンチを備える。
 憩いの場所、秋の紅葉、イチョウ落葉の黄色の絨毯、四季折々に花が咲く 前から描いた場に少しずつ近づいた。
今は 然程 騒がれなくなった”地域貢献” 花火をあげ 派手なことより 目立たず さりげないことを選ぶ。その一つが 環境整備、花を植え、カブトムシやクワガタとり、暑さよけの木陰をつくり 今回ベンチを増やす・・・・・・。
 地域と共に歩む! 現実は そう簡単では無い。失敗を何度も繰り返し 今に至った。でも 判ってくれる人も徐々に増え、一緒になって環境整備、夢はどこにでもある。要は”工夫に落つ。” 自らの頭で考えること。
 ベンチは何も語らぬが 有ると無いの違いは いずれ 判る時も来るかもしれません。(取りあえず 他に10カ所位設置予定)
 
 この国から昆虫や虫が減っている。確かに赤とんぼやミツバチ、メダカやドジョウ、童謡で唄われた生き物がどこに行ってしまったのだろうか。養蜂家の船橋さんが語る地球環境問題は、分かり易く 説得力があった。(ラジオ深夜便放送)地元霞ヶ浦の水質汚染が過去の最悪の状態から大分良くなったとはいえ 私が子供の頃 泳げた水の透明度には戻らない。白魚やワカサギ 土浦の名産品は細々と続けられているが 最盛期の1/10以下(?)となる。外来種のブラックバスやブルーギルが急激に増え、昔からの生態系はあっという間に変わった。自然環境を本気になって守る取り組が薄れ、やれスマホだAIだと最先端の技術を競い合う。どうですか 現在のスマホ機能をどれだけ活用できていますか?これ以上の必要性は感じない。 それなのに 新機種開発で遅れをとっては大変だと騒いでいる。これをミツバチがみたらなんと思うかだ。 世界広しと謂えど ”虫の声”をノイズと聴かず 詩に詠み潤いを感じる民族は日本人ぐらいだと船橋氏が語った。
 小動物が生き辛くなった環境は人間に良い筈がない。連日 想定外のドタバタ騒ぎ、北方領土へのビザなし慰問団で 心無い政治家の発言が問題となった。戦争を知らない世代とはいえ あまりにも非常識な言動に言葉を失う。あれで国会議員が勤まるのか????
 怖いね 恐ろしいね。高学歴? 元高級官僚? 除名されても無所属で議員は辞めないという。
 平和で不自由の無い社会で育った世代、全てとは言わないが 自己本位に成りやすい、仏教でいう身口意の三業が離散して 己を見い出せない人間だ。これと 社会を含めた自然環境の悪化と無関係ではなく 合併症状の一つ。謝罪すれば済む話でないことを学ぶ環境では無かったか!
 
 
 ”清濁 併せ飲む”とは 度量が大きいという意味もある。今回の問題発言は この国が経済の豊かさを第一に掲げ 走り続けたことと無関係ではない。豊かさの前に人としてあるべき姿が問われず、優秀だと周りが持ち上げ 本人がその気になってしまった標本だ。そして 今回の事態を招いた事を自ら清算する術を知らない。頭隠して尻隠さず。バランスの悪さを諸に露出、そして自ら語った弁明は 謝罪一言、それと残りの政策を無党派で行います。いったい何を考えているのか 議員一人にどれだけの税金が使われているか その計算など彼には簡単にできるはず、それをしない!何かが 彼を邪魔をしている。プライド それとも 偏差値???
 プライドで世が納まった試なし。
  

3277:一人相撲

 謝罪会見の異様な雰囲気、問題発言を指摘され 謝罪の弁にこころを感じない、党の除名処分を虚心坦懐に受け止めると自らのツイターに書いた。その言葉の使い方に 彼の本心と動揺をみた。”虚心坦懐”とは”心に何のわだかまりもなく、さっぱりして平らなこころ”の意味のはず、この場に及んで血迷ったか?
 一夜明け このニュースが一斉に流れた。こんなことなら謝罪会見などしなかった方が良かった。そこには元島民の人達の気持ちを逆撫でするような言動、言えば言うほどズレてくる。一人芝居や一人相撲という言葉が浮かぶ。議員は辞めず無所属で残った政策実現に邁進すると辞職を否定する、 正直 もう良いよ。
 時間が経つほどに 彼の発した言葉の影響が大きくなっている。言論の自由を振り翳すには 自らの立場認識が狂っていると思える。
 与党の自民党が『失言防止マニュアル』を作り 配った。失言が一向に減らずドミノ現象、顰蹙を買っているから苦肉の策でというのは判るが 外交での問題発言は個人の責任で済む話では無い。無知というより無謀だ!ここに議員バッジの魔境がのぞく、周りが持ち上げ優遇するから その気になって舞い上がる。根本的に現行の政治仕組みの問題だ。
 失言予防マニュアルと聴いて 日本人の多くが今の政治のレベルの低さを痛感しただろう。一人の国会議員に年間7,500万かけているという噂。この額が多いか少ないか これ以外に政党助成金やら なんやら 有るだろう。この国に そんな贅沢をする余裕が有るのでしょうか!数を減らせば 少しは良くなるか?
 隣国の政治をどうのこうの言う前に 自らの襟を正す。政界の倫理&自浄力をランク付けしたら 当然、日本は幸福度の順位より上にはならんでしょう。
 因みに世界幸福度ランキング 2019年版によれば 前年に比べ4つ下がり58位だった。
 
 五月も半ばを過ぎ、水田や蓮田、あっという間に田植えが終わり、種蓮も植えられた。米作りは機械化が進み、昔のような家族総出による田植え作業は消え、精々2人位の人数で終えてしまう。 水の管理は苗が根付くまで朝晩続く。農業法人による大規模農業化は 米作りはまだまだ、おそらく 大型機械を使って行う環境が揃わないからだ。それと 最近目立つのは果樹の栽培農家が減っていること、住宅が建ち消毒散布の規制や人出確保が難しいからと聞いた。国は障害者支援の分野にも農福連携事業を推進、2省(厚労省・農林水産省)連携で社会参加を促進するwin-winの取り組みが行われている。
 しかし、これも利用されている人達の能力によって出来る処とそうでない処にハッキリしている。上手く行っている所は ほんの一部でしかないのが実態ではないでしょうか。
 尚恵学園でも 正直見よう見まねで農作業を行っている。一応必用な機械類は揃えているが、作ったものを市場に出すまでには至らず、法人内で消費するのが実態です。それでも今年は玉ねぎが上手にできた。新たに 竹を利用した作業、まだ試行段階で どうなるか判らないが 荒れ果てた竹林をみて 職員が考えた。材料になる竹は無尽蔵? 利用しないことはない。
 地域貢献とか社会参加、言葉と実態が乖離して 後付けものが多すぎる。そんなことより 日常の生活にどう活かされるか この辺の視点がものをいうのだろうが 。
  その傍らでカメラをもって散歩する人が 増えたように感じます。 
 
 
 ここに来て 衆参同時選挙の話題が出始めている。彼らは一体 自分達の選挙をどう考えているのだろう。 選挙費用の負担は驚くような金がかかる。それも 殆どが税金で賄われる。彼等には 痛くも痒くもない。関心事は ハッキリ言って自分の当落だけ。あからさまに 反省もなく、よくもま~できますよ。この国のメデアにも大いにその責任がある。バラエテイ番組がお盛んで政治を面白オカシク 取り上げるから 核心がボヤケテしまう。言論の自由を翳すならば あのような謝罪などせず 他にやるべき事があるはずだ。
 オーストラリアは 選挙の投票率が常に90%を超えている。常に50%に達しない低投票率の日本とどうしてこんなに差があるのか? 選挙制度に決定的な違いをみる。オーストラリアでは正当な理由なく投票しなかったものに罰金が課せられている。考えれば当然のこと 権利を叫ぶなら義務を果たせこれが国家の明確な意志である。
国土は日本の20倍もあり、人口は2400万人で日本の5分の1、日本は前回の選挙から投票権を18歳に下げた。それで 投票率は上がりましたか?政治への無関心層がここまで増えた原因は どこにある? 衆参同時選挙の動きがちらつく、だったら実施する明確な理由は何ですか?いつだってそうだ。論点がボヤケ霧がかった中で代表を選ぶ、結果は明らか無関心層の増加と諦め感の醸成。衆議院の解散は総理の専権事項、これを変えようとする気は無いようだ
現状の制度が果たして世界の時流とどうなのか?伝家の宝刀を温存する理由さえ 判らない有権者。
 ハッキリ言える事は 有権者の半分も選挙に参加しない現状をどう打開できるかでしょう! これを真剣に考える意志を感じない。それでいて 彼等は自らを讃ずることは厭わない。この辺が おかしな考え(失言)が蔓延る原因と考えます。
失言を謝罪すれば許されるという風潮は 益々酷くなる。誰が付けたか それをブーメランに譬えてしまうお粗末さ。
選挙制度を変えるなら 先ず有権者の8割(?)以上が投票しなかった選挙は無効にするという条項と正当な理由なく投票しなかった者への罰則、これを是非入れるべきだ。そうすれば 当事者の真剣さが変わる、それと出馬を辞退する者が増え議員数は減るんじゃないでしょうか。要は 何をもって日本が先進国(?)の名に相応しい国へと脱皮できるかでしょう。今の儘で 憲法を改正するなど 暴挙と思うのです。
 * 現制度の問題は 意志を反映すると言いながら、誰の為 なんの為かの根拠がはっきりしないこと。

3278:環境と生き物

 気象変動が年々激しくなっています。記録を取り始めてから新しく塗り替えられた雨量や強風、今回の屋久島を襲った低気圧は明らかに従来のパターンとは違い日本列島を南北真っ直ぐになって横断した。屋久島は元々雨の多い場所だが、今回は50年に一度という猛烈な雨が短時間に降った。今は気象衛星により雨雲の動きをリアルタイムで知ることができる。その備えをする時間的余裕はあるかもしれないが 想定以上の暴風雨となれば成す術がない。
 その逆で異常乾燥、年間降水量の数パーセントしか降らず 渇水で死活問題になっている場所も多い。
 国連で地球の温暖化に警鐘を鳴らしているが、足並みは中々揃わす 対応に苦慮している。  何故なのでしょうか? 人間の欲望は果てしない、これが実態です。
昨日は茨城県も 猛烈な雨になり 久しぶりに園の脇を流れる水路が氾濫した。自前の『通行禁止』の看板を道路に出し注意を喚起した。1週間前に田植えが終わったばかりの水田は完全に冠水した。
  地球上生物で我が物顔な人間は 相も変わらず 自分達の利の為に相手を脅したり騙したりを止めようとしない。経済ファーストを掲げる日本、風が味方に付いたか?大方の予想に反し日本の1-3月期のGDPが2.1%上がった。しかし、景気動向指数はマイナス、この数値に経済評論家は判ったようで判らない説明をする。ホンネは 暗雲依然として立ち込めてることを否定できない。ならば最初から不透明と言えば良いだろう
 景気指標に関するものは 様々あるでしょうし、良い数値だけを選びこうだと断定するのも覚悟を要する。これは地球環境と同じ?じゃないか。地球環境は 放置すれば益々悪くなる。ただ 環境は嘘をつかない。人間は己の能力を過信し限度を弁えず自分達の欲望を満たそうとする。此処が根本的に違う。自分を正当化しようとすればするほど欺瞞が満ちる。 六道輪廻で第一の”天”の下に”人”を位置する高位は最早 返上せねばなるまい。
 
 ”山川草木 悉有仏性!” 涅槃経の一節を道元が読み替えたという。早朝ラジオ番組で真珠まりこさん(絵本作家)が出演 とても分かり易く 自然体で話される中にハットして急いでメモを取った。100万部を世に出した『もったいないばあさん』シリーズの作者である。もったいないとケチの違いや本当の宝など ご自身の言葉で語る中に真意を感じた。
 生命を第一にすれば 相手を尊敬できる。 人のものを奪うのではなく 自分の中で大切にするものが本当の宝。いのちの大切さは小さい時に愛されて育つことが重要。・・・・・。日本を覆っている暗雲の源はお互い(隣人)が信頼しあえなくなっていることにある。 おそらく、アカラサマニ 何の反省もなく『経済第一主義』を唱える者たちの責任は大きい・・・これはあくまで 私個人の感想として 共感したことです。そして 山川草木 悉く仏性有りの仏教の教えに通ずる。仏性は人間だけでなく自然を含む山・川・草・木全てに存在するとみる。新刊本は『かわをゆく』という作品で ガンジス川を水源から旅する話だという。川の赤ちゃん(源流)と一緒に旅をするという発想は 自らの生活体験(子育て)から得た作風とおもう。
 今の日本をどうみるかという問いに私達はどのように答えれば良いのでしょうか?不満や愚痴を並べる事だけでは 何も変わらない。ユニセフに毎月献金する人たちもいるでしょう。その人達は 決してそのことを他言しない。自らの意志で 行なうことだから・・・・。私が危惧していることは 経済第一主義の考えの先には 較差を是認し 相手を敬うのではなく相手から奪って腹を満たそうとする思いが働き 最後は 自慢話で終わる。それでいて本当の幸せが何かという確信が持てない。私はそうなることを怖れる。
  この日本を愛するのであれば 現実と向き合い、未来志向もホドホドに自らの足で旅すること その第一歩を踏み出すことは 今すぐにでも出来るのではないでしょうか!!!!!”もったいない”の言葉に耳を傾けるのも その一つかと思っています。
 
 「もったいない」と「ケチ」の違い。相手やモノに対し敬うこころが有るか無いかである。日本の社会保障制度の歪(ひずみ)があるとすればそれはどう言ったことだろうか? 相手に対しリスペクトの思いが薄いと感じることが多々あります。なぜ尊敬という日本語でなくリスペクトを嫌みっぽく使ったか、それは 制度そのものが 日本人が本来持っていたはずのお互い様というこころが 制度に活かされず、他法と同様に仕組みだけを外国から模倣?)し作ったからでしょうね 近現代史を概観すれば 戦後の廃墟から国挙げての復興自立への歩みだった、その事が理解できる世代が去り、制度だけが今に遺っている。社会保障は端的に言って「安心・幸せ」です。これは 万国共通、ただ それを獲るための方法で道を誤ったと思います。財源問題から発し、経済ファーストの考えを基軸とした。それが福祉のこころを180度変えてしまった。人の問題をも制度(金)で解決できるという短絡的な発想による当然の帰結と考えます。次々に起こる様々な問題に対し手を拱いている。福祉の現場だけではありません、地域や家庭で起こっている悲惨な事件、その根っ子は 実は全て通じているのです。最悪の現実は日本の自殺者の数 男性の40代以上がもっとも多いという。本来 経済第一を具現化するために不可欠な年代であるはず、それが安全安心を偽装し上塗りしてきた事が判明、自らの意志というより 他からの圧力で?嘗ての 日本人の真面目で優秀な像が崩壊している。それが 先進国で最も自殺者が多い国と化した大きな原因だと私は思います。
 これは 最早 隠し切れなくなった現実です。
 心無い国の代表者が放った言動が どういった影響を及ぼすか言論の自由と立場に与えられた特権を振り翳す、これが許される社会が果たして正常かいなか??? この国の最高学府たる教育の場で感けてきたツケは個人の問題ではなく 国体への大きな問題に発展している。残念だが 今回もその幕引きを個人の資質の問題で片付けてしまうのでしょうか。これを 制度の歪と言わず何というのですか・・・・・・・
 ★ 『日本人の誇り』藤原正彦著:文春新書・・・・・・はじめに書かれている文章(P4)。著者の奥様の励まし。・・・・「大丈夫、あなたの見識や人格が高いとは 誰一人思っていませんから」を謹呈したい。
 

3279:数の正当性

イギリスがEUからの離脱を決めてから 国内を二分する議論が未だ続いている。6月7日にメイ首相が辞任を表明し、先が混沌として予断を許さない。日本はイギリスと同様に島国、イギリスは嘗ては最強の海軍力をもって世界を叉にかけ大英帝国を築いた。 方や 日本は鎖国をもって 海外との交流を閉ざし、独自の国体づくりに専念してきた。その両国の共通点は 政体が似ていること。共に立憲君主制をとり 議会制民主主義、それと地政学的に類似点も多い。なによりも 江戸から明治に変わる時に日本はイギリスから多くのことを学び取り入れた。
 国民性に関してはイギリスは個人主義、日本はどちらかと言えば集団主義という違いがある。それが今、国会の中味の違いは歴然としている、否、そうなってしまったという言うべきかも知れない。日本の国会での審議の中味 特に酷いのは、議員の資質問題、失言や暴言、直接国政に関すること以外の問題が多すぎ揚げ足とりで緊張感が無い。これは 与野党に関係なく国会全体の問題で 成す術なく 常態化していると思っている。
 マスコミ報道の是非もあると言っても 私はモラルの欠落(ズレ)が異常と感じる。ここまで やるのか?という疑心暗鬼、それと狼疾役者の劇場化。
 国賓を迎え いつになく落ち着かない永田町、職務外のプライベートの事だからというのかも知れぬ。正直腑に落ちないのは この時期に ゴルフを一緒に行い 親交を深める発想だ。解決が見えない東アジアの問題、更に中東問題の再燃、課題山積の今、おそらく世界から一挙手一投足が注目されているはずのお二人が蜜月の関係を 今更誇ったかの如く世界に披露するまでもないと思うのだが。
 日本人が昔から大切にしてきた 謙譲の美徳や言行一致、それと 自粛自戒という教え(人倫のみち)を どう考えているのだろうか?周りの者が 諫言立てすることもなく 箴言など 外交には不必要ということなのでしょうか・・・・・・聴く耳持たずなれば ? 数の正当性or傲りが目立つ昨今、我々は どうすれば良いのでしょうか?
 
 相撲界で平幕優勝した浅乃山 三役経験なく優勝したのは58年ぶりの快挙なそうです。入幕11場所目で25歳。順調に出世し 横綱まで登って欲しい。スポーツ界の若手の活躍が目立つ、暗いニュースばかりの今 明るい話題を提供してくれる。
 ただ 勝負の世界は下剋上、怪我によって 途中で断念せざるを得なくなることも起こり得る。相撲界は 今日 昔の伝統を守り続けている実力社会、上に登る程 驕ることなく 切磋琢磨 精進することを範とする。
 弟子入りし 下働きから稽古を重ね、そこから這い上がってくるものの底力は逆境時にものをいう、これと対照的なのは 大分シツコイようだが 政治の世界。別に 政治にだけモノ申したい訳ではないが、余りにも無駄が多すぎるから 腹が立つ。運良く バッジを掴めば 即 偉くなったと勘違う。なんで 辞めないの、忠告する人もいないのか?彼はネット上で盛んに持論を主張していたはず、それが 19日でピタリ止まった。最後の呟きには堂々と公の場で説明するとまで書かれてある。消し忘れたか? 運営理事会からの出席を求められたら 診断書を添えて2か月の療養に入ると断った。 彼の閻魔帳には 謙譲や言行一致の言葉は無いのだろうか。勿論 反省もしているのだろうが 経験が浅いからこそ 身に着けて欲しい倫理である。自業自得という言葉は 成功体験しかない人間には どのように響くのだろうか・・・・。