源究187

  

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 3251  乱高下  2/9
 3252  頑固or律儀  2/13
 3253  夢が目を覚ます  ☆

   おお 寒ウ~

おいでやす

2/10/am6:00


3251:乱高下

 暮れから殆ど雨が降らなかったが2月に入って周期的な寒気団に見舞われている。早朝 外を見ると薄らと雪化粧、本日 昼頃をピークに大雪になる予想、雪に不慣れな関東平野部は交通網が大混乱するかもしれない。茨城県が最高気温が0度というのは今冬一番の冷え込みである。一日の気温差が20℃になるのも何度か経験した。春一番がどうなったか、立春が過ぎ 春の訪れを日本列島何処も待ち望んでいる。
 乱高下はお天気だけではない。今更 言うまでもないのだが 不安を煽る事件や憤慨に堪えない事象が多すぎます。平常心を保とうとしても 足を掬われ 立っていることも儘ならない。こういった事も慣れてしまうのでしょうか?
 私の拘りは益々強くなる。何もない日には 軽トラックに道具満載にして職場に向かう。暫く放置しておいた竹林に挑戦だ。平坦な場所は作業も捗(はかど)った。友人にユンボで大きな穴を掘ってもらい、そこで木の枝や竹を燃やした。あっという間に終わった。それでも1週間はかかったかもしれない。次に土手の竹山に相棒と一緒に挑戦し始めた、枯れた竹が縦横に倒れ、それを除去するのが大変、足元が覚束ない傾斜地での作業。数度転げ落ちた。幸い怪我はなかった。
 畔の草刈り、田お越し、それと蓮田に顔見知りの農家の人がチラホラ仕事をしている。昨日は大型トラックがぬかるみに入って二進も三進もできなくなり、作業中の農家の人に応援を頼んだ。4駆の軽トラック威力に脱帽、その時 相棒が・・・・≪だから いったっぺ~。手で運んだほうが良いよって≫ 独り言だった。
 
 ユーチューブで日本の歌を開くと森山直太郎の『さくら』宮城県の某女子校コーラス部との合唱だった。自然と涙が出た。春に咲く”さくら”を待つ人たち 日本を襲った数々の災害にめげず、いまこの時も懸命に生きている人達がいることを改めて考えた。自然の厳しさと美しさを両方知っている日本人が情緒を大事にするのは こういった理由があるからだ。厳しさは緩んだ気持ちを引き締め、美しさは荒んだ気持ちを慰める。日本が今抱えている課題を試練と考えれば良いのだろうか。他国の事をトヤカク言う前に日本の歴史に目を向けたほうが良いと私は思っている。今は数字に振り回されている。ヤレ 順位が上がった下がったとか  そして 気が付けば 自分達がその数字の奴隷となっている。 大部分の真面目に仕事をする人達が 何の為 誰の為か判らず 事が起これば その責任を取らされる。恐らく 自然は そんな今の日本人を憐れみ悲しんでいるはずです。
 いつの間に夏川りみの『』になった ・・・・泣きなさい 笑いなさい いつの日かいつの日にか花を咲かそうよ♪・・・・
 そして次は さだまさしの『風に立つライオン』・・・・・ やはり 僕たちの国は、残念だけれど 何か大切な処で 道を間違えたようですね・・・僕はよどみない生命を生きたい・・・と歌い上げる

 AI技術の最大の壁は 人間の感情をどう扱うかということだと思う。未知の世界に踏み込むことに 何の躊躇もなく 寧ろ 勝ち誇るかの如き振舞は 人生100年の計ぐらいの短期間のことではないはずだ。これは人類の歴史始まった時からの永遠の課題なはずで 脇に置き 他の事に夢中になる。 それは それだけの価値が本当にあるのだろうか?、
 ☆棚卸の時期はいつだったか?”三本の矢”はそろそろ倉庫にしまって 上の”3つの歌”をみなさん一緒に歌いませんか。

3252:頑固or律儀

 頑なさと律儀への評価は今日 大分変わったように思います? ・・・・教以人倫 父子有 君臣有 夫婦有 長幼有 朋友有「孟子」・・・・ 古来から人倫の道として人と人との秩序、守るべき道を軽んじれば国は亡びるとの教え。
 親・義・別・序・信  漢字一文字一文字に込められた意味を人は噛みしめながら生きるよう諭した。今 盛んにはやがねが鳴る、大人が子供達の範とならず 浮かれ血迷ったように 自己の満足を追い求める。それを自由と誤解し豊かさとか平和という”怪し火”で路を照らして 果たして道を迷わず目的地に辿り着けるのだろうか?民信無くば立たず 座右の銘にあげる政治家は多い。実態は 言葉が軽く欺瞞に満ちた言動が溢れている 
 『メリー・ポピンズリターンズ』(吹替版)の映画を観た。半世紀前(1964年)にジュリーアンドリュースが主演のミュージカル映画、今回はそのリターンズで続編となる。今回ポピンズを演じたのがエミリー・ブラントで前編とは違った役柄を演じていた。
 映画の大筋は 一年前に妻を亡くした銀行家マイケル、長年住み慣れた家を借金の抵当に取られそうになる。そこにポピンズが傘を持った例の姿で空から降りてくる。次々に身に降りかかる災いに家族の絆が壊れそうになるのを 救世主ポピンズの魔力で救っていく。結末は 欲得に塗(まみ)れた銀行頭取が 最後は信用も財産も全て失い、一方 家族の絆(愛)を守り通したマイケル一家は自宅を取戻し 以前の生活に戻れるというもの・・・・・ 
 初編は1910年の大恐慌時代が舞台、その時の厳格で気難しい銀行家バンクスの子供が今回のマイケルというシナリオである。
 
 久しぶりの雪景色とは対照的に 政治に対する失望は もうどうしようもない状態になっている。ハッキリ言って国会が劇場化してしまった。前もって配役が決められシナリオに忠実に上手く演じられたものが評価される。私たちの国の民主主義の根本が揺らぎだしたのはいつ頃からだったでしょうか?
 質問する側も それに答える側も 演目を次々に変え観客の疎らな劇場で それも変わり映え無い顔触れでロードショーを演じているようだ。こんなデーターがある。先進国で2世・3世議員は日本が断トツに多いという。主役を変えても 何も変わらない。この諦め感で 息苦しさを感じてしまうのは私だけでしょうか?
 おいで!おいでよ そっちより こっちのほうが良いよ。この呼びかけに応じてしまう軽さ。ここに頑なさと律儀、それを守る信義と覚悟は感じない。多分 例の不正問題も曖昧なまま 誰かに責任を負わせ幕を閉じるつもりなのだろう。
 ” 二度と同じ問題を起こさないよう 正常な組織の立て直しに専念し職責を果たします ” 日本語では 三度目はレッドカード 即退場と思うが どうも あそこの劇場だけは違うようだ???? ルールが有って無いような別世界、いずれ相手にされなくなると思うが どうも御育ちが良く煽てに乗り易い人達なのかも知れません。幸か不幸か  明日から2日間 私が住職する寺に税務署が入る。改めては何も用意せず 有りの儘をみてもらうだけ その覚悟はいつも出来ている。
 
 後ろめたさを感じるのは 姑息なやり方や自分を偽るからでしょうね。それが無ければ怖いものはない。後ろめたさを隠そうとすれば 更に偽り続けねば 気が付けば 自分を失って後のまつり。良寛さんだったか誰だったか?あの生き様が未来へのヒント。
 因循姑息・・・その場の一時凌ぎは 戯れだ。
 寒風の中で竹林と悪戦苦闘、竹用のチェンソーを買って 目指すは 京都東山? 目標は高く持て!今まで支えてくれた多くの人達に心より感謝 それに報いるのに何が出来ると考え、出た結論は 環境整備、先ずは足元からと ・・・・・。
 荒れた場所にはゴミを捨てる。綺麗にしたら ゴミが減った。どんな人にも後ろめたさはあるだろう。思いがけず病気になり考えた。病は誰の所為でもない ただ 向き合うのは自分 因循姑息は有りえない。それからは寺周辺を両手にステッキを持ち徘徊が始った。お蔭でワンちゃん同行の知り合いも増えた。
 そこで思った。有効な時間の使い方? スマホ内臓の歩数計、同じ1万歩なれば山掃除で切った枝を運ぶ歩数も同じ。更に判ったことは汗をかき達成感は何にも替え難いとい事だった。単純様相 三段論法でそこに帰結した。
 幸い 周辺には利用せず手つかずの土地が沢山ある。そして浮かんだ構想は 遊歩道 四季折々の花を咲かせ 自然を肌で感じる。途中にベンチを置き 茶屋も作ってしまえ。原資が無ければ何もできないと形振り構わず何処もかしこも金かねカネ もういい加減にしませんか! 使っていないものの再利用、他は手作りでいいね どうにかできるかも。 
 そう思った途端 夢が目を覚まし イライラが減って 気持ちが晴れてきた。

3253:夢が目を覚ます。

 良かれと思って考えた事が 待てよ! こんなはずじゃ~無かったと そんな体験がありませんか? そこで元に戻れば良いのに 何故か それが出来ない。 もっとのんびりゆっくり歩こうよ! 産めよ増やせよは 戦後 焼野原となった国土を目の当たりにした日本人が立ち上がるエネルギーだった。いま豊かさは曲者だと言えば爪弾きにあう、でも 良く考えてみなよ。首を傾げたくなることってありませんか。豊かさを獲たら満足どころか空虚感が残った。節分の後売れずに破棄された恵方蒔きが10億円という。これって変だと思いませんか?
 日本人が忘れたもので何が浮かびますか。塩梅加減の判断力ではないだろうかね。イケイケドンドン・・・日本全体がこの症候群にスッポリ浸かってしまった。深刻なのは そうなった病態の原因が判らないこと。良かれと思ってやってきた事が果たしてどうだったのか 間違いを感じても修正できない。例えば食べ物を感謝して頂きなさい!「いただきます」これができない。 節分という意味だって分からず なんとなく それとなく・・・・ 福は内 鬼は外・・・。
夢が目を覚ます。日本語としてオカシイですか???? なんとなく それとなく。 
 
 夢・・・・なんでも有り社会だから 将来実現したい願いが逆に持ちにくいってことになっている。流れに掉さす。本来の意味は棹を使い流れを下るように、大勢のままに進むことだった。大勢は 世の成り行きです。それを正確にどう掴むかが 怪しくなっているから。
 世界の趨勢をどう見るか、実は日本人が一番苦手とするものかもしれないね。島国ニッポン! グルーバル化がどんどん進む世界の中で どう棹をさして 進んでいけば良いのか。その舵取りは 過去には無かったから手探りしかない。
 そこで数々出されるデーターへの信頼度に問題が起こった。
 昨日 葬儀がありました。奥様を亡くされ 喪主はそのご主人で 90才になる。故人は50代で病気が判り その後の30年は闘病の車イス生活だったと聞いた。戦争中 住んでいた日立市で 艦砲射撃にあって必死に橋下に逃げて命拾いした。その奥様が長年使っていた車イスに寄りかかるようにして喪主のご主人が弔問客に頭を下げていた。火葬棟に向かう時 位牌をその車イスにのせ ゆっくり押しながら向かった。参列者に気丈に振る舞う姿が 印象に残った。
 夫妻には3歳で事故で亡くなった長男がいた。荼毘を終えてから 真っ直ぐその墓に埋葬された。
 
 
 昔を懐かしむ事は イケナイ事でしょうか? 過去現在未来 何が大事かを考えると どうしても 人間の生き様が問題となってきますよね。私がもし僧侶になっていなければ 多分 人の最後(死)にそれほどの関心は無いと思います。それで済みますから。
 昨日は ご主人を早く亡くされ その後丁度60年もの長い間一人で子供さんを育てたおばあさんの49日忌がご自宅でありました。二人の男の子の曾孫が読経始めると今まで大騒ぎしていたのを止め神妙に座っていた。
 この家庭では 今の日本で失われたものが 日常の生活の中で守られてきていると思いました。
 子供の躾を考えても どうですか? 国は虐待防止法を急いで改正するという話です。私は 今更 騒いでも遅いと思っています。だって そうじゃないでしょうか? 何処の誰がその検討をするというのでしょう。自分達のことは扨置き 何をどう変えるのかですよね。
 日本の法律で 一番の欠陥条項は 権限を有する人達が法の網をうまく潜れるという事ではないでしょうか。この為の改正なのかどうか 益々良く判らない国となってしまいました。