源究184

  

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 3191 時雨心地  8/15   3196 SNSの文化  8/30  3201 あや取り   9/14  3206 福井大会結団式   9/29
 3192 雑草の気持ち  8/19  3197 誤訳  9/1   3202 前向き志向   9/19  3207 日々新たに   10/2
 3193 保守主義の台頭  8/22  3198 中道  9/4   3203 慈愛   9/22  3208 協働   10/5
 3194 旱天慈雨  8/25  3199 備え有れば・・  9/9  3204 ど根性   9/23  3209 生きる死者  10/8
 3195 仄々と  8/29  3200 生命の尊さ   9/12  3205 秋彼岸   9/26  3210 足元を見て   ☆

3191:時雨心地
陰暦10月頃 降ったり止んだりする雨を時雨(しぐれ)。時待ちてふりし 時雨の雨止みぬ。(万葉集)。雨を涙に例えて 和歌で恋心を詠った、・・・・時雨心地は我のみぞする。(拾遺和歌集)
 時雨という言葉、今此の時 日本人が大切にしてきたものを蘇らせる。 季節を陰暦で表わしたり 日本画で使われる”暈(ぼか)し”は隈取り筆という特殊な筆を使い遠近・高低・凸凹を表現する技である、和歌に詠まれた情感(魂)は実に多彩な形で長歌・短歌・旋頭歌・返歌とあり、詠み手の心中を覗う妙味は 現代の日本では 影が薄くなりました。
 97歳で逝った親の話を伺った時、私は まだ このような家族があるのかという想いになりました。大正11年生まれ 兵隊で召集され大陸で 終戦を迎え、大変な思いをして帰国、その後開拓で入植した。朝から暗くなるまで夫婦で働いて子供を育てた。質素な生活を旨とし 決して贅沢はしなかったという。当時 10代前半だった長男が弟や妹の食事を作り 、暗くなって帰ってくる両親を待ち その後の僅かな時間が唯一の団欒の場だったという。視力の障害があった父の手助けとなり 梨や桃の色づき加減を子供達が教え収穫, そんな共働の農業を生涯続けてきた、晩年 介護サービスを強く拒否した父をそれぞれが家庭を持った子供達が交代で看護し97歳の天寿を全うした。息を引き取る数日前に長男夫婦に”世話になった。ありがとう”と感謝の気持ちを伝え 旅立っていったという。
 喪主の長男が大学(工学部)を卒業した後、他に就職せず親父の仕事(自動車板金業)を継ぐと言い 今 一緒に仕事をしていますと語った。その時の喪主の顔が今も忘れられない。家を守るということの核心をみる思いでした。
またしても某医大の入試の信じられない不正が明らかになった。これは 今に始まった事でなく教育現場のほんの一部なのかもしれない。過去の日本が国策として外地に資源を求め、只管に領地を広げた結果、どういう結末を迎えたか! 歴史が語る。今日の政治・経済・官僚のリーダー達がその戦争を体験しなかった世代となった。本来 悲惨な戦争を知る者たちが 教え伝えねばならなかった大事を怠ってきた。その責任の重さは 経済の豊かさという物差しでは測り知れぬことだと言う事を認めない。世界に誇る大企業ですら不正を犯した。そして海外から払え切れぬペナルテイを課せられ落城した。その実態を明らかにするどころか 押し隠そうとするマスコミや国、何故に 此処まで日本人が信義無き民となってしまったのか。これは 総理を誰にするかの以前の問題である。自らの誤りを隠蔽するのではなく 懺悔し 襟を正す。これが武士道、日本人の魂でなかったか!何不自由ない生活とそれを支える取り巻きによって脆くも骨なしとなった。 本来 子の親としての使命は 他の責任にすることでは無くそれを教え諭すことであったと私は思う!それが有ればこそ 子供達は自らの判断で事を処する術を学ぶ。
 盆明けの16日 享年97歳の生涯を一人の農夫として地域の中に生き 3人の子供と孫達との生活に喜び感じ 感謝して黄泉に逝った方の葬儀を頼まれた。時雨心地は その人の生き様から 沸々と湧き出るもの。そう思います。
  新盆の家にだけ棚経に訪れる。公と個の有り方が問われ続けている。死は究極の個の問題、 そして生きた証は 本人自身が人生をどう捉えるかである。普段会う機会がない親戚や兄弟が盆に集まり 先祖の霊を迎え 一時を一緒に過ごし 故人を偲び 自分自身の死と向き合う。
  現代が抱える悩みとは次元を異にしてるかも知れません。AI技術がどんなに進もうが 自らの人生を思うようになどできません(有り難し)。誰しも身罷る時が来れば それに応じることしかない。要は 自分が生かされているということを自認できるか否か!
 保守主義や傀儡政権、テロ、侵略、犯罪・・・・・・・人間は懲りもせずに有史以来 繰り返している。
 ・・・・大空は曇らざりけり神無月 時雨心地は我のみぞする・・・・・ 涙のでそうな気持を例えた時雨心地は春夏秋冬の自然界の有りの儘の姿です。人為的に成し得たことが 真に人間の為になっているか 思いを馳せれば 如何に人間の考えることが 放漫で自分本位かを知るだろう。平和利用としながら 殺戮に利用する核開発にどう正統性を見い出すか!後始末さえ容易ではないことを先送りし 今を遊興に浪費する。
 全世界が気象変動に振り回されています。日本だけかと思ったら そんなことはない。地球規模で起こっている。 いずれどこにいても巡ってくる宿運である。 
 もはや この国でも四季の移り変わりを 詠み楽しむ興などは望めなくなるかもしれません。その根底には 人間の欲がもたらした結果と思うべきではないでしょうか? 日本が この先 どこに向かって進むべきか この議論を深めることは 国を牽引する人たちに望んでも無理なのでしょうか。そうだとしたら 我々一人ひとりが 立ち上がらないと  同じ過ちを繰り返すことになりかねない。 ★ 8時から新盆廻りをスタートする。
 『ありがとう』と墓石の正面に掘られた墓がある。
 Tさんは昨年亡くなった。小さな体で言葉は無かったが 自分の意志を体全体を使って表現した。病気が判って大手術を行い 暫く元気だったが 再発し 入退院を繰り返してきた。 昨年 尚恵の仲間達で園で看取った(看取り記録)。スタッフが夜、添い寝し 毎日 仲間が寝床に会いにきた。Tさんは両親が亡くなってから、兄弟と外出したりすることを喜んでいました。
  お墓に埋葬したという知らせを受けて墓参り行ったスタッフから報告を受けた。ありがとうの題字は お墓を造った弟さんの両親とお姉さんへの思いが込められていると聞いた。今でもTさんとの思い出はスナップ写真からうかがい知ることはできるが 日常の生活の中で不図Tさんの事を思い出すことがある。家族にとって彼女の存在はどうだったのか それと 一緒に生活をしてきた学園の仲間達は 彼女の死をどう受け止めているだろうか?
  障害を持って生れた兄弟に 家族はどう向き合えばよいのか 戸惑いがあったに違いありません。両親と一緒の墓地に眠ることが やっとできるお姉さんに贈る言葉が『ありがとう』だった。私はこの仕事の重みを感ぜずにはおれません。
 自らの人生を思うようにはできないとすれば 遺された者にとって逝った人の存在が どうであったか????
 こればかりは 判らない。人間一人ひとりが違うように・・・・・。
 ただ 確信できることは  必ず 自分が困難に陥った時に 迷いや苦しさを慰め 困難に向き合う勇気を貰えると私は思っています。 
 盆中感⇒ ありがとう & 有り難し  その言葉に秘められること それを発する人 聞く人 それぞれが感じれば良い。ひかえめで素直な気持ち。
     左の墓誌に
 両親とTさんの名が記された。

 

3192:雑草の気持ち

 たくましい生命力は 雑草に例えられる。細長い国土の日本は北と南では 気象条件が大きく異なる。でも 近年の夏の暑さは 2000㌔の距離の差を感じさせない。どこもかしこも30℃を軽く超え、中には40℃という想像を超える高温に見舞われる。
 いつもならば 周辺の果樹農家は一年で最も忙しい時期である、国道沿いには 直売所を開いて店売りも行う。 一年の収入の大半をこの限られた時期に稼ぐ。今年は雨が少なかった為に実が小さく 水分が少ないというが 甘味は充分にあるという。
中には スプリンクラー設備で常時水を撒いている農家もあるが 大半の農家は自然の雨に頼っている。
 今朝 暑くなる前にと思い トラックにバロネスを積み 雑草が腰の高さまでしげる空き地の草刈りを行った。1週間たてば また草丈が伸びてしまうこの時期は マメに草刈りをしないと 伸び過ぎて 機械では 上手く刈れない。
 雑草のたくましさ、根っ子をしっかりと土に張っている。上だけを刈っても直ぐに伸びてしまう。少なくとも3~4回は草刈を毎年行っている。
バロネスはエンジンで大きな刃を廻し 自走しながら一定の幅を刈っていく。注意しないと石や根っ子があり 危ない。園には一台しかないので この時期はフルに稼働している。便利なモノは 使い方次第で大変なことになる、慎重に!
 16日 送り盆、最近は15日の夜に行う家も少なくない。昨夜は大分遅くまで 寺の駐車場には車が停まっていた。
 今朝 心地良い風が吹いている。一時のムッとするような風と違い秋の訪れが近いことを感じさせてくれる。・・・盆明け雑感・・・
 何もかも記録ずくめ今年・・・毎日 台風が発生しているという。冬は西高東低 夏は南高北低と日本周辺の特徴的な気圧配置が どうもそうではなくなった。海水温度が上昇し それが 影響しているらしい。それに伴って前線の動きが複雑で 特定の地域に停滞し 大雨を降らす。ピンポイントの集中豪雨は 日本の河川の想定を超える。
 私が施餓鬼助法のお付き合いをしているお寺は11軒、そこでの話題は猛暑のことが多くなった。そして 本堂にエアコンを設置した寺が増えている。確かに 風もなく 戸を開けっぱなしで扇風機をまわしても 長時間 法要に参加するのは厳しい。私の寺も いつの間に 堂内より外の木陰にいる方が増えてきた。 昔は エアコンの音がうるさいからと躊躇していたお寺が多かった。今の大型エアコンは省エネで静かになってそんな心配はいらない。午後2時 最も暑い時間帯に行う行事、来年はエアコンをまわし 快適な堂内で施餓鬼をと 設計士に相談した。ただ 今度は外にいる方が皆さん 堂内に入ると 全員が入り切れるかどうか 次から次に 課題は生まれるものである。・・・盆中雑感エトセトラ・・・ 
 
 食虫植物が通販で売っている。彼等(?)は捕まえた虫を食べ それを栄養源にして生き延びていると思ってますか? 勿論それだけでは無理、植物には光合成なる能力があって 光エネルギーを利用して 炭水化物を作り それが栄養源となっているのです。植物の進化は 長い時間をかけ 環境にあった姿に徐々に変わったもの、人間も植物から学ぶ点は大いにあるはずなのに便利なモノを考え出し それによってより快適に生きようと考える。(現代の誤算)
 植物と人間の根本的に違うことは 結果がどうなるかの検証 人間が考え出したモノには思いもよらぬ副産物 環境汚染や資源の枯渇という深刻な問題が起こっている。これは 今に始まったことではなく 様々な警鐘がならされてきたはずです。いい加減にしないと ・・・・・。
 再生可能エネルギーというが 残念だがエネルギーを使った後の心配までは手がまわらない。水と光と空気 この三要素は宇宙で地球のみに付与された天の恵み、地球上で急増する人口 その負担が重く圧し掛かる。繁栄と飢餓は結果である。そこに至る原因の真偽を確かめ可否を決めるのは、政治・経済・軍事の3つの力だ。しかし そのこと自体が赤信号。人間が愚かなのだろう。結果を考えず 我先にとばかりに核兵器を持った。依然として 核保有を望む国が後をたたない。我が国の立場は微妙、持たないが廃止には同意できない。当に一寸先は闇という状況の中で 相変わらず株の上下やGDPという人間が考え出した尺度に一喜一憂する。海外援助NGOを宣伝するのもいい加減にしないと・・・・・・。その裏で何が行われているか?  政治利用や武器商人達の暗躍、これら多くの矛盾が 人間の自制能力をおかしなものにしている。
 雑草の気持ち・・・・彼等(?)は環境に合わせ成長する。人間は その雑草を不要なものとして排除ししてきた。ちゃんとした名もある植物である。
 私達は 様々な決まり事を考え 自然を壊してまで 工場を誘致したり宅地開発を続けている。 雑草は黙して語らず。しかも 自画自讃することもなく水の浄化や酸素の供給に寄与し続けている。この差も実は結果なのである。

3193:保守主義の台頭

 限度を弁えないと取り返しのつかないことになりますよ。そのように謂ってはおれない状況が周辺に起こっています。人間は保守主義に満ち足りず 結局 人間同士で財産や生命を奪い合う。どのような正当な理由があろうとも 利益相反は避けられない。損得勘定をルールで押し通すとすれば 軋轢が生じる。当たり前のことです。
 日本人は 肝心なことに対して 寡黙になったと思います。周りの様子を伺い どちらに付けば良いかばかりに関心があって、貴方自身の立場が微妙になっていませんか?
 軽自動車に生活の必要なものを乗せ どこにでも出向いていく尾畠さん、78歳の年齢とは思えない いつの間にスーパーボランテアという肩書までついた。『今まで 多くの人に世話になったので これからは自分の出来る事でお返しをしたい・・・・」この生き方に 多くの人が感動した。別府市で鮮魚店をしていた尾畠さんが65歳で店を閉めて選んだ道。日本人の深層にある”こころ”、≪世の為 人の為・・≫、行方不明になった2歳の子を発見し一躍有名になった尾畠さん。誰から頼まれた訳ではなく 自らの意志で捜索に加わったという。
 私達は 忘れていたことに何かの切っ掛けで気付かされた時に感動を覚え、自分を反省する 。 爽やかで実に健康的な尾畠さんは 日本人が何を信じて良いのか判らなくなってしまった時に 突如現れた。
 決して自らを飾ったり誇ることもなく、さりげなく それでいて一生懸命に生きている、そんな人に出会うと感動し救われた気持ちになるものです。
 何も 地位や財産や頭の良し悪しでなく できることが沢山あることと人として何が大切かを教えてくれた。カネ・金・銭・・・・いつの間にドップリと浸かってしまった人達がどう感じたか!
 本来の保守主義は 伝統・歴史・慣習・社会組織を守ろうとする考え方で 良き伝統や先人達の行跡まで否定することではありません。問題は≪世の為、人の為≫と言う中味と生き様にある。尾畠さんは 実に判り易くその事を私達に教え示してくれている。
 密室の議論や己の利を獲る戦略をいくらやっても 人の気持ちは変わることはない。信頼も然り、焦れば焦る程にボロ隠しが逆に内実を明らかにする。
 この現実に対し怒りを通り越して諦めてしまうのでしょうか。戦後73年が経ち 憲法改正の議論が当に暗礁に乗り上げた? 否 そこまで行っていない。 議会制民主主義自体そのものが時代に合わず 益々国民の政治に対する関心度が下がり その実態を恥ずかしく思わないのでしょうか。寧ろ それを利用していると思ってしまう。
・・・・≪『社会契約論』でイギリスを例に取り「人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるや否や、人民は奴隷となり、無に帰してしまう。その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているかを見れば、自由を失うのも当然である」(ジャンジャック・ルソー)・・・・
 日本は根幹である 政治の仕組みが果たして どうなのでしょうね。 議会制民主主義は民意を選挙によって代表者を選出し 間接的に政治に参加する形です。それは託す代表者への信頼が条件となります。この制度の短所は、民意の反映の精度で、公約に対しその人や政党が守り努力をしどうなったか、今のルールは次の選挙に信任するか否かというタイムラグは避けられない。当選すれば それを守ることが最優先となり 離合集散を繰り返す。小選挙区制度で二大政党を目指すというが 未だその実現を見ない。何よりも見過ごせない事は他に任せる人がいないからというホンネ、 このジレンマを 変えることが出来ないことにある。それを出来にくくしている制度に手を付けない。
 ルソーは 真の民意を反映するには 直接民主制しかないと言った。なんと250年前の主張である。 国民が国のトップを選ぶにも直接選べない今の制度は何もない平和(?)な時である。 制度の是非を検討する専門者会議もそれを変えようとする覚悟は見られない。NHKに二チャンネルある、その一方を常時国会審議を 中継する位の事はするべきと思う。情報化の時代で 地上波放送で 流れてくる情報に信頼度が薄いことが問題なのである。その事が 日本の至る処に不信と隠蔽ムードを蔓延させた。民主主義国家として三権が相互牽制できない実態があるのではないか、権力がある所に集中しすぎたとなれば ≪世の為 人の為≫そのものがおかしくなる。この判断ができずして 国の根幹である憲法を改正するというのは・・・・・・。
 中等教育で”公民”という科目がある。教科書で教えることと実態との乖離をどう説明するのか 学校教育の現場も辛い立場にあるのかもしれぬ。
  
 情報化時代になって 知らない事は自己責任?
 リスクマネージメントが盛んに謂われる。結論は リスクをなるべく分散することになっている。国と地方の関係で 権限の委譲は 穿った見方をすれば 責任の取り方の線引きでそれを形にしたもの、ただ 執行者は予算が付かなければ実際に動けない。その金の金庫番までは譲らない。
 不正は 何故起こるか! 制度の隙間をどう潜り抜けるか!
 知らない事と理解できない事の違い。複雑になり過ぎた仕組みをどう説明するか それぞれの現場は汲々としている それでいて”働き方改革”とは これ如何に! この矛盾(ズレ)をどう読むか? 
 昨日 またしてもスポーツ界の問題が表面化した。ジャカルタで開催中のアジア大会 ある競技の代表チームの選手4名がユニホームの返還命令を受け強制帰国させられた。一年後に東京で何が開催されるのでしょうか! またしても 責任の取り方が問われている。公金によって派遣されているという自覚の欠如が相当進んでいる証拠・・・・・。
 言いたくはないが 日本の上空に立ち込める暗雲 公金の使い方一つにしてもだ そのルールを強引に変えてしまう 今の権力者に端を発していると考えるのは 根拠無き誹謗中傷なのでしょうか!
 これらは個人の問題ではない。複雑に入り組んだ構図が問題です。それを考え出した人達が 何故 その仕組みを作ったか その検証がスッポリ抜け落ちてきた。だから 病巣を外科手術で切除した位では手におえない状況に今ある。
 ☆ 混乱を誰の責任で収拾させるか この人選は ”経済”という印籠ではもう納得できまい。それは 較差がここまで拡大した社会で 反省無く 遮二無二走り続けることは ”自殺行為”にあたるということを勇気をもって唱えていくリーダーの登場が不可欠ですよ。(≪中学生(14歳)がイライラして 誰でもかまわず人を殺したかった≫と水知らずの人をナイフで襲った≫この深層にある 歪んだ人間不信をどれだけ多くの人たちが真剣に向き合えるか ?))

3194:旱天慈雨

 猛暑と雨不足 日本列島は 北から南まで山が連なる。冬は日本海側に大雪を齎し 太平洋側には乾燥した寒気、逆に夏 湿った南東の風を山が遮って 山間部に大雨を齎す。前もって気象の変動が予測でき 作付けや収穫を行ってきた。二日前 鹿島市に用事があり出掛けた。 道端の水田では もう稲刈りが始まっていた。例年より大分早いような気もする。
 三寒四温や旱天慈雨 自然の営みを表す四字熟語は調べると実に面白い。自然との共生を生活の要とした先人達の智慧は 人間の許容力を育み控え目を美徳とした。祖先や自然を崇めることで道を誤ることは無かった。しかし欲が絡み 損得勘定の坩堝と化した今日、種々入り混じり 核心が見えなくなった。
 昨日 一カ月ぶりに水戸での会議に出席した。統計数字をあげ 実態を纏めた報告書、何の為なのかと 結果に対しての検証が抜けている。3年毎に行われる見直し、年度比較、今の日本の実態を垣間見る。
 端的に謂って 国~地方へ政策の周知が不十分、そのうち また変わる。諦めに近いムードが全体を覆う。
 一例を挙げましょう。法律で障害者の雇用の義務を定めた。一定規模の事業所や官庁に障害者を雇用しなければならない。なんと 国の4つの省庁において 雇用実態数の水増しが有る事が判った。その釈明は 法律の中味の解釈に誤解があった為で決して意図的ではないという。
 もし これが事実ならば 我々現場が必死になり 取り組んできたことを アンタ達はどう説明するのか 執行機関の要である国の行政庁に制度の解釈に誤解があったとの釈明。それで 済ませるの?
 ついでだ もぅ一つ 入所施設の定員の削減に関しても不満あり。 国は数値目標を定めて入所の定員を毎年?%減らすようにと決めた。果たして これを真面目に取り組んでいる事業所が全国でどれだけありますか?尚恵学園は60⇒50⇒40に定員を削減し地域移行を行ってきた。
 取り決めを実現できなくても何のお咎めも無く そんな決まりが有ったのかと逆に尋ねられる始末。
 これは 縦割り行政の弊害などと別次元。箍が緩んだ証拠。付け加えておきますが 今回新聞報道で水増しを指摘された省庁の一つに財務省があった。ああああああ・・・・・・・ダメだこりゃ~。
 自分のことは 棚に上げ♪ 弱い者を虐めて絞りとる。 究極のイジメである。これを 佛教では末法の世という。平成の今 虐待防止法第?章   そんな条文 有ります????
 ★ 国乱れて 忠臣現る  ★ 忠臣は二君に事(つか)えず       地下鉄 霞が関と永田町の駅名の脇に 左記看板を付けましょう運動。
 ああ・・・悲しいね 空しいよ。どうしたの なぜ??
 ・・・・幸福の追求は人間の営みの核心をなすものです。自然との調和の中で、恐怖や欠乏のない幸福で充実した生活を送ることは、全世界の人々の望みです。・・・・・3月20日は国連が定める『世界幸福デー』で国連事務総長のメッセージ冒頭の日本語訳です。
国連は世界幸福度ランキングを毎年発表している。全部で155か国 GNPや政治・経済・社会保障などを総合して評価し順位を決め公表している。2017年度のランキング、日本は前年より2つ上がって51位。これは主要7ケ国いわゆる先進国の中で断トツのビリ、因みに一位はノルウエー、2位デンマーク。3位アイスランド、4位スイスとなっている。この順位を決めているのは”国連”ですよ。国連。
 ウ~む。声が出ない。怒りを通り越して無念だ。それに反して、言っている事 やっている事が相当ズレていませんか!この現実を 国を動かしているリーダー達が自覚しているか! これが貴方が仰る誠実な責任ある行動ですか! 不信感の根源は 実はここに在ると謂えます。都合の悪い情報を隠し 自分達の都合の良い情報は様々な方法を駆使してPRする、これを国民目線だと言えますか!言えないでしょう。じゃ~何というか 教えましょう。・・・自分の為ですよ。・・・・。挙って 烏合の衆化しているのがその確たる証拠。
 自画自賛は お得意でも 国連はプラス評価はしない。見なさい! 巷に溢れる事件や不祥事、その中で仄々と皆が手を叩いて喜べるようなニュース探しは実に難しい!甲子園での熱闘 秋田代表の球児達の活躍に多くの人が拍手を送った。その後に流されたニュースがその感動を掻き消すような悲惨な事件でしょう。これで 安心して下さいというのは オカシイよ。それを変だと感じない。誰も口を閉ざして 他人事。
 事務総長のメッセージにある、恐怖や欠乏のない幸福で充実した生活・・・・この点に関して 国会の先生方に 真剣に向き合って欲しい。貴方達が考えている幸福感と どこが どう違うか 一から学び直して欲しい。そして 責任を取るという事が どう言う事か
  五十而知天命・・・・・歴史より学びなさい。
 ジャカルタで起こした不祥事で選手団から外された若者を弁護するつもりは全くないが 桁違いの公金を使い その使途もハッキリしないで良いと決めた貴方達も 同様に選ばれた人です これが正当だというのだから 説得力は無いね。先ず隗より始めよ・・・これって中国の戦国時代の故事ですよね。そうそう これにはモノ事は まず言い出した者が着手すべきであるという意味もあるんだわな。だからでしょう!寡黙が一番 箴言など とんでもないって事 呆れるほど良く勉強してますよ~。
 秀才と愚徳を比べたら 結果は明白、・・・・・が 日本人の深層にある信義則は その物差しでは測れない。できれば 私は愚徳で生を全うしたい。
 
 処世術には様々なものがありますね。臨機応変は杓子定規の対義語? 機に臨み変に応じて適宜な手段を施す。ま~良いでしょう。それが出来れば。でも 二枚舌にならぬよう細心の注意を。
 佛教で良く使われる同じ類の言葉として、対機説法や応病与薬がありますね。 共に”機”の捉え方が肝心なのですが 何をもって機とするかですよ。 開放と閉鎖・・・・・ありのままを隠し立てしないのが開放でしょう。  仲間うちや自分の内部に閉じこもり 他を寄せ付けない事が閉鎖です。 
 大義親を滅す・・・・大きな道義のために私情を捨てること。(左伝) これは主君の取るべき大事という。 お友達はさて 国の大事か否か??? ま~今日は止めておきましょう。
 尾畠さんに任せます。   
台風情報は随分進んだ。GPSを利用して指定された場所の雨雲の動きをリアルタイムで見ることができる。それと土砂災害や河川の氾濫の警戒レベルを色別で表わす。日本中の河川は蜘蛛の巣のようになっている。あんなにあるんだろうか? 常時 計測される数値を分析し情報を流す。 建築基準法や河川法 で 災害を想定した基準ができている。それでも 現実は 防げない。唯一できるのは 指定された避難場所に避難すること。
 近年 自然災害も過去のデーターを超えることが頻繁に起こっている。最大のものは東日本大震災で現実化した。そして原発事故、元の状態に戻せる確証はない。  
 安心と不安、不信と合意 どの辺りで歩み寄り、この国がどうなって欲しいのか 国民の総意を測る方法を 残念なことだが 掴めていない。

3195:仄々と

 仄々(ほのぼの)とは ほんのりと心温まる様をいう。日本人が観光で訪れるハワイ、最大級のハリケーンが襲ってくるらしい 今年 火山噴火で大騒ぎになったハワイ島は今どうなった? 常夏の島 海岸で戯れる親子 海辺を夕涼みしながら散歩 満天の星を眺め 休暇を楽しむ。 そんなハワイへのイメージが一瞬にして消える。旱魃と豪雨 地球上のどこにでも起こっている。
 今年の施餓鬼が昨日で全て終えた(11ケ寺)。台風の影響で風が強く 本堂内は茹だる様な暑さは避けることができた。19号台風と20号が連なって北海道を直撃 大雨を降らす。9月、これからが台風のシーズン 日本近海の海水温度が高く、上昇気流が起こり易くなっている。
 いつになれば 仄々とした季節を迎えられるのだろうか?
 心が荒み 細やかさがなくなる。これでもかこれでもかと謂うばかりに 苦しめ痛みつける。これは今年だけなのだろうか? 3年併記の日誌を読み返す。昨年も気温は35℃で猛暑と記してあった。確実に日本が亜熱帯化どころか熱帯化している。嘗ての温暖な気象で 清流の川で釣り糸をたれた そんな姿は望めない?
 昨日の夜 寺の役員で団参の打ち合わせを行った。久しぶりに本山(奈良・長谷寺)と高野山に参拝に行こうということになった。今回の台風で熊野川が決壊した。紀伊半島は大雨で被害があったばかり、高野の山々の 秋の気配(静けさ)はどうだろう?
 まだ先のことだから 台風の心配はせずとも良いかも知れぬ。
 ≪願一共生≫ 今 パソコンを打っている。目の前に貼ってある”願一共生”の四文字は尚恵学園法人設立の際に掲げた願い事、62年前である。共生は人と人もあるが 人と自然があって初めて成し得ることを 改めて痛感している。
  
 県西の古河市で38.6度の高温だった。夕方 俄に北の空が暗くなり 稲光がする。雷雨・大雨警報、雲が西⇒東に流れる 久しぶりに神立も雨になるか? 日課となった芝生への散水も止め 雨を待ったが 一向に雨が落ちてこなかった。そして雷雲は通り過ぎていった。
 乾燥した台地、この時期綺麗な花を咲かせている庭の植物は花の重さに身を屈め 必死に耐えている。この状況がいつまで続くのか。市の水道も明らかに温め 霞ヶ浦からの取水だから 頷ける。
  先日 天空5000メートルのヒマラヤ街道の番組があり 夢中でみた。青蔵公路は青海省の省都 西寧市からチベットのラサまで 陸路で繋がる。もう 大分前になった。大正大の青海省調査団に入れてもらい 旅行した。あの時の感動は今も忘れない。三蔵法師の足跡、1900年代になり 河口慧海、綿々として仏教原点への探求は続いてきた。そして 現代 五体投地しながら ラサを目指し そのあとインドまでが最終目的地 たった一人で公路をいく若者の姿、≪いつ 終わるのか?≫という質問に10年と答えた。
≪なぜ 続けるのですか?≫との問いに≪救われたいから≫と躊躇なく答えた。
 何不自由なく 生活が出来たとしても 人間は満足を得るだろうか? 今 ラサまでの鉄道も出来た。もっと早く行きたいなら空路もある。それを 五体投地しながら歩きで向かう、西寧市のタール寺は起点となるチベット仏教の聖地、今は 観光地化し 修行している傍らでスマホでカメラにおさめる観光客で賑わう。
  ある方の49日法要が寺でありました。突然の事故で大黒柱のお父さんを失った家族は 茹だる様な暑さの堂内での読経中 静かに新しくなった位牌を見つめていました。障害がある娘さんをご両親で育ててきた。生前 自分は桜の木の下に散骨して欲しいと語っていたという。判らないことばかりでこれからの事をいろいろ尋ねられた。そして 娘さんが手を挙げ ≪聞いても良いですか?≫と私に尋ねてきました。正直 話される内容がよく掴めなかった。傍でお母さんとお姉さんが 私に通訳(?)してくれた。
 お父さんが亡くなり、弔問に来られる方に≪お父さんは お骨になりました。≫と話ていると知った。
 そして この子が居たから 賑やかな葬儀を行うことが出来ましたと語る。
 ≪救われる≫という事は 人が生きていく為の何らかの支えを獲る事です。 それが何なのかは人それぞれということで良いのではないだろうか!
 
 判り易いようで判り辛い。便利なようで便利でない。 そんな事が多いと思いませんか。 空海が唐に渡り 西安の青龍寺で恵果(真言宗付法八祖の第7)から密教の後継者として金剛界・胎蔵界の聖法を伝授され、日本に帰国して嵯峨天皇より高野山を816年に賜り鎮護国家のための根本道場とした。それから1200年の歳月が過ぎている。
 観音寺と神宮寺は いずれも創建が15世紀(1460年)、時代背景としては1392年の南北朝の合一により京都に幕府が起かれ 室町時代である。その後 応仁の乱(1467~77)が起こって戦国の世と化した、当に2カ寺はそのころ建てられた。室町時代は15代将軍義昭までの約180年続く。そして織田信長の登場となる。江戸~明治~大正~昭和~平成と変わる 来年には新たな元号になるが 平和の中で元号が変わるのは珍しい。
 歴史は繰り返すと言われるが 現代は過去に誰もが経験したことがない様々な難題を抱えている。その一番は 人間の成長の速さに比して あまりにも変化が早いということ、軸足が定まらない内に前のめりで進むことが多過ぎる。stop the best! いま立ち止まって考えることが無いと 変化のスピードに適応できず 苦しむ人達が増える。この状況に正面から向き合わずして 不適応の人達への 差別虐待の言動が止まらないだろう。いや 違うな! 適応できていると思っている人自体が 危ない。
 鎮護国家はいつの時代にも最重要な課題であった。世の乱れを 防ぐ最善の方法は 何か? どうも 最近は焦点が定まらない議論が多すぎる。
 これは 当に 良かれと信じ やってきたことの 反省がなされずに来たことが最大の原因! 便利さ・多様化、&マニュアル化した世の中で 自ら考え 行動するという能力の劣化が一番進むという。判り切った事ですよ、

3196:SNSの文化

 私のようなアナログ人間がインターネットに興味を魅かれる、その土壌は 半世紀前に遡る。ノートに想いを書き綴ったのは10代の中頃、多分 嫌だったことなどを文字にして 自分を慰めていた。正直に白状すれば 中学時代 歴史の授業になると冷や汗が出て極度の緊張状態に陥った。その原因となるキイワードが≪廃仏毀釈≫、それまでに 自分が寺に生まれ 兄弟の中で私一人が男だったこと、戸籍上は次男で 兄は私が生れる前に事故で亡くなった。
 昭和25年生まれ、戦後団塊の世代の終わりに当る、もし5年早く生まていれば戦争で空爆か艦砲射撃で命を落としていたかもしれない。

 それから 私の”呟き人生”が始まった。SNSとは・・・Web上で社会的ネットワークを構築可能にするサービスで情報の発信・共有・拡散、人と人をつなぎコミュニケーションを楽しむために広がった。このような時代になるなど思ってもいなかった。手書きでガリ版印刷、”寺だより”を作って檀家に手渡しで配った。それは20代前半、その後 亜鉛凸版印刷に替わり、ワープロ、・・・ブログ、全て独学で正式に教わったことがない。
 SNSの進展には目を見張る。際限無き拡大・・・ それは現代を象徴する文化となり 老若男女 世界中のどこにいても触れずにおれない時代となった。当然 内包する様々なリスクと向き合わねばならず、実際は追いかけっこ、これが益々高じて 社会問題と化している。
今の歳(68)まで 私の深層心理に大きく影響を与えている事は 格好つけて言うと”社会の矛盾への細やかなる抵抗”、表面的には人の好い人間を演じているが、内心は忸怩たる思いをずっと持ち続けてきた。
 そして 宿命的な出逢いを経験する。 それが 知的に障害を持った人たちとの関わりである。この方たちはなんと凄い人達なのだろうか、己の宿命を受け入れ 誰彼構わず不平不満を叫ぶこともなく 笑顔を絶やさず 家族を愛し続けている。その一例を挙げさせて頂けばSNSなど便利なものに振り回されることもなく Sさんは枕元にノートと色鉛筆を置き 好きな時に描いている。
 彼が描く人物は 顔形が皆 同じのように見えるけれど 鋭い観察力によって 相手の特徴を見事に掴んでいる。これが 彼自身の生きる支えになっているように私は思っている。 
  お盆が終わり 寺は落ち着きを取り戻してきた。久しぶりに纏まった雨が降り、勢いづいた草木はみるみる背丈を伸ばす。草刈機で頭だけを刈っただけだから仕様が無い。既にNさんは 園の栗畑での栗拾いモードに切り替えた。この暑さと水不足で例年に比べ小粒だが 段ボール箱が一杯になる程 沢山拾ってきた。
 栗は少雨に反応し、早目に色づき実を落とす。これは 自らを守るためだと聞いた。Nさんは動物的(?)感覚が優れている。相手が何を望んでいるか察知し 着々とその準備をして その時が来るのを待つ。クワガタやカブトムシを朝早くから探し歩き、虫篭に集め 小さな子供がいる人にあげるのが楽しみ。それも終わった。 今度は栗拾い。これが彼の実学である。(其味無窮、皆実学也)☆SさんもNさんも空理・空論ではない。実際に役立つ実学を身に付けている。彼らが生きるために得とくした”倫理規範”だ。 
 今の世の中は 何を信じれば良いのか判り辛い。この状況は”無窮”当に際限がないとみる。空理・空論で論戦した処で 何が変わるでしょうか? 官庁で働く障害者の実数の水増しが判り、その言い訳が 見事に本質が抜けている。ハッキリ言って保身だ、だから見なさい誰も責任を感じない。彼等は働く障害者が見つからないと何故正直に言わないのだろうか? これが今のこの国の実態と観た。
 実理の学を学ばず 耳学を多く入れ過ぎた結果 核心が暈けたということになるのだろう。
 ローマ法王の「死の文化」撲滅宣言を知り 驚いた。その中で謂われた「死」と 真逆の現実 に どう向き合うか! これは 現代人が避けて通れない問題だと思います。
 

3197:誤訳

 mistranslation(誤訳)・・・・・外交でお互いの言語の訳し方で微妙な違いが生れます。パールハーバー(真珠湾)は 戦後 日米の外交文書では”禁句”、両国にとり捉え方が微妙で あまり触れたくない歴史への警戒感がある。漢字・平仮名・カタカナと複雑な日本語の正しい使い方は 一進一退 部厚い辞書を調べることも減り それに代わって電子辞書やスマホを利用する人が増えた。
 責任・実行⇔正直・公正・・・・・・自民党内での総裁選、二人が立候補し そこで用意された公約標語(?)。1年を振り返ると 言葉の綾が如何なく蠢いて、ああ言えばこう言うの議論が多過ぎた。同じ国民が 同じ言語を使い どうして ここまでヤヤコシイ事になるのか!
 言行一致は公人の最も大切な規範である、それが記者席で深々と頭を下げる”謝罪会見”の異常なまでの多さ、内外にその画面が流された年でもあります。 これは 近年の異常気象と重なり、日本人の心を大きく蝕んだ。そして 確実に大きくなった病巣は不信感を助長しルール無視・という末法の世さながらの様態を曝け出す。
 ならば 一つの流行語を挙げましょう! それは”レガシー”、最初 私が10年前に乗っていたスバルの車の名前で 一体どんな意味かと思ったが 別に調べる気持ちにはならなかった。それが やたらと今になって使われる。
 ・・・首相としてのレガシーを作る・・・・・最近、何かの席で使われたもので 記憶にひっかかっていた。なんでも 後世に業績として評価されることを期待した意味らしい。レガシーは”精神的・物理的遺産”が本来の意味。 選挙する前からレガシーを語るのは間違いじゃ~ないの?
 これには正直 違和感を禁じ得ない。選挙権を18歳まで下げました。超高齢化が進んでいます。この日本の首相を決める選挙向け公約で 何故 外来語を使うのですか??????と問いたい。
 もっと判り易い 表現がなぜ浮かばない。
 mistranslationを期待する意図は勿論無いでしょうが 国民目線という意味は そういう事を言うのではないでしょうか! 
 * ≪ここだけの話 レガシー B4 この安定感は抜群だったねエ~ 身震いしますよ≫ *
 ゆっくり 単純に 喜び 楽しみ・・・・・こんな言葉が 消えてしまうんじゃ~ないの。それに代わり 利便性 効率 スピード 多様化・・・・・立ち止まることも無く。
 このような世相を反映した仕組みを 誰が作ったか? 勿論 我々 人間が考え 良しとした。
 ・・・・ドジで元気なフツーの女のコ「ちびまる子ちゃん」、子どもが読んでいるものを大人が拝借し読んで「あ、そう言えば そんなことがあった」と昔を思い出す、いつの間に購読者がドンドン増えた。さくらももこ 漫画の主人公のまる子ちゃんと同姓同名の作者:さくらももこさんが53歳の若さで亡くなった。・・・・・・。
  何故 彼女の作品がここまで多くの読者のこころを掴んだのでしょうか? 多分 どこにでもいるような『フツーの子』を主人公として 見栄や結果とは無縁で有りの儘の生き様に仄々とした安心感を感じたのかもしれません。ノルマを課し やっと達成できたかと思ったら 次なる目標が待っている、現代人の多くがこの生活に息苦しさを感じている。
 私自身もそうですね。田圃の中を流れる小さな小川に綺麗な水が流れていて 良くみるとメダカやザリガニが泳いでいる。夢中になって眺めていた。ああ・・そう言えば そんなことがあったな~。
 記憶を辿ると 最近のことより 子供時代の事のほうが鮮明に蘇ってくる。 これが 普通のことなんですね。 それじゃ~気が付いた時は もう遅いのでしょうか? そうとは 思わない。子どもは 与えられた遊具より その辺にあるものを遊び道具にして無邪気に遊ぶ。
  その遊びを通じて自分達で考え 工夫することを自然と学んでいく。成長は待つことが肝心というのはそのことです。
 自然をあまりにも人間が自分達の都合でこねくり回し過ぎている。 
 普通⇔特別⇔専門 この一般的な傾向に”釣合”を見出すことの重要性とでも言いましょうかネエ! 私の性分です。 どうしても 難しくむずかしく考えてしまう。 68歳になっても一向に変わらない。 
 茨城は何故 雨が降らないのだろう? 北関東で群馬と栃木は 南風によって運ばれてくる湿った空気が山にぶつかり 上昇気流となって大雨を降らす。茨城は2県と比べ平坦な土地 風を遮る山が無い。昨日4時頃 急に空が暗くなり あっという間に大雨になった。これは 前線の南下に伴っての雨、水道水で撒いた水は 表面だけ濡らす、直ぐに乾いて 草木が悲鳴を挙げている。その証拠に 特産の梨や栗 それと米は 平年と比べ粒が小さい。
 しばらく 雨模様の天気が続くという。
 その後に秋がやってくる? 
 ”権威と権力””歴史が蒸発してしまう!”NHK深夜便 久しぶりに聴きながらメモをとった。それは白井聡と保坂正康の対談、年齢差40というお二人の話は 近代150年の時間の経過を判り易く自論を交え語ったものだった。来年に元号が変わる。今上天皇が国民向けに語った平成の30年間、在位期間ずっと考えておられたことの核心を 二人の対談から伺い知る事ができた。
 対談の中で 気になった言葉 平家物語、南北朝時代・・・・現代人の多くがこの国の歴史で節目でおこった権力闘争に関心が薄く  国体とは何か!を 自らの事として一緒に考えていこうとしない。連続2日間の対談「平成最後の夏に」の結論だったと思う。
 それは 戦後73年で廃墟から繁栄に至る歩みを通して 我々が今 どのような事に生きがいを持ち、その為に大切な事はなんなのか?を もっともっと胸襟を開きホンネで話し合う必要はないのだろうか! 将来の姿を描くには 政治に任せても無理、我々自身が歴史から学ばなければ道を誤る。
 ”権威と権力” という問題一つにしても 国民が充分に議論し そこで得た結論を納得しているとは到底思えない。そのキイワードは”あきらめ”と”あらがう”で どちらを選択するか、我々自身の勇気と覚悟が試されている。
 

3198:中道

 断・常、や有・無の二辺を離れ、不偏にて中正なる道を中道という。(往生要集:源信 985年)
 濁りはてた末の世の目となり足となり その教えを守ることで成仏できると説いた源信は早くに父を亡くし、母によって育てられ9歳で比叡山に入り仏弟子となる。名誉や栄達を望まず 只管 祈ることを旨とした。 
 私は 寺に住まわせてもらっている事に 正直 複雑な思いを持っています。今日 在るのも 先人達の尊い行劫をもとに 信仰が生まれ お寺が守られ続いてきたのである。その歴史から学び 今に活かすことは 無限にあると思いますが 己を顧みると 羞恥の念にかられます。末法の世とは 豊かさや便利さを示す数値では決して測れない。往生の要とした教えの根底にあるものは 私達が良しとしたものが 実は悪の事由になっていないかと常に省みることの大切さ。自分の立場や地位に拘り それを失うことへの不安から 様々な間違いを犯す。実は このことを 忘れてしまった。何故 源信が中道を唱えたか そこには母親の存在を感じます。僧侶としての実績が認められ 63才の時に権小僧都の位を得たが1年で辞退している。これは 母親の諫言に従ったという。既に 母親は亡くなっていただろうが 源信の記憶にハッキリと残っていた。
 宗教と福祉   私の前にはだかる大きな壁である。仏教以外は 良く判らない。その仏教も 入口の処で立ちつくす。 本義なる成仏そのものの解釈も微妙に違う。小乗と大乗に大別するが、それを体系的に理解することも至難の業である。
  一方 福祉の本義は 人間の安心・幸せをどうすれば実現できるか!その理念と体制づくり、個の尊厳を守ることを主眼としても理念と実態の齟齬が生れる。弾力性ある支援や標準化をはかるマニュアル化には それ自体に矛盾を含む。
 これは いつの世にも 問われ続けてきたことであるが、昨今の動きは 効率化と経済性に偏り過ぎていると思わざるを得ない。

 ☆ 源信の母の和歌・・・・・・・・『 後の世を渡す橋とぞ思ひしに、世渡る僧となるぞ悲しき、まことの求道者となり給へ 』
 
世渡る僧とは 例えれば高位高官になることを目途に励む僧、権力者に気に入られ あわよくば自分が・・・・・。この姿をまことの求道者とみず母は幼き我が子を 誡めた。 世間には 様々な誘惑があり それを受け入れてしまうことも有るかも知れぬ。しかし、気付き決断を下すのは 己自身、いつの時代にあっても変わらない。
 源信が生きた1000年前と 何ら変わらないことは 止まる事のない欲望・・・不足を感じてこれを満たそうと望む心だ。今日 少欲知足を旨とすることは いかに難しいことか ここまでモノが溢れる世の中になっても 尚 物足らず ルールを無視した陰謀・略奪が後を絶たない。それだけではない。時間をかけ育んできた互いの信頼をも 簡単に反故する。自らを正当化することに長じ 益々 傲慢無礼な振る舞い。 これを是とするか非とするか、母が和歌に詠った我が子を厳しく諭すのは 家族愛の根源に置かれた事であった。
 現実に 生き辛さを感じながら 毎日を精一杯生きようとしている方も沢山いる。 
 
 仄々さや大らかさは どのようにすれば生れるのでしょうか? 性分は如何ともし難しと諦めてしまうのではなく その人の良い点に目を向けよ! 世界中 皆が皆 同じような性格の人間で溢れてしまったら どうなるか? 恐ろしいことになりかねない。
 2件続けてのお悔みがあった。 96歳と95歳のご高齢の方でした。喪主が私と同じような歳で 孫や曾孫まで入れるとどちらも 賑やかで 読経中 子供さんの声がずっと聞こえていました。”沢山の思い出ありがとう”の添え書き、”亡くなる2日前 本当に世話になった ありがとう”とハッキリした声で言われたという喪主の挨拶、いずれも 戦争を体験した方で 子や孫に二度と戦争をしてはならないと話をしていたという。自分達が生き延びたことを 一生懸命生きることで報いようとしてきた人生だった。
 究極の生き辛さである戦争を 日本人は過去に 何度となく経験してきました。どうなんでしょう! この先 この国は 不戦の誓いを守り続けることができるのでしょうか!
 永世中立国のスイス、ヨーロッパアルプスが国土の大半を占め 精密機械や牧畜 そして観光によって安定した国家を守り続けています。日本と比べることは 難しいかもしれません。人口も国土の広さも違います。スイスにはドイツ語・フランス語・英語を流暢に話せる人が多いのには驚きです。それは 人種の違う人達との一緒の生活があればこそ、言葉により相手を理解することは そう簡単に身に付かない。
 中立と中道には 通底するものがあります。日本人は 過去の過ちを どのように伝え、そうならぬよう努力して来たかということが問われている。もともと資源の少ない日本が経済の豊かさを獲る為に貿易によって外貨を稼いできた訳です。
 相手国と軋轢が生じたとすれば 何か原因がある。 対外政策で肝心なのは 国内事情、もし不安定であったら どうなりますか!勿論 経済の数値だけじゃない。損得勘定最優先・・・・
 二枚舌・・・本心から出た謝罪ではなければ 相手の心象は更に悪くなる。なんだか しらねえ~が やたら あちらこちらでその種の謝罪会見が多くありませんか・・・・・・。嘘を隠すために 更に嘘をいう。これで上手く行く筈はない。
   

3199:備え有れば・・・

 備え有れば 患いは無くて済むのでしょうか?
 『患』という字は、「串」という数珠つなぎに貫通する意味があります。そして『患』は串に心を加えた字、数珠つなぎのように気になる事が繋がっている意味である。そうならない様にと備えをしなさいという格言なり。
 人間の体の細胞の数? 60兆個と謂われ毎日4千億個もの細胞が死に、また新たな細胞が生れると聴いた。数か月で人体の大部分の細胞が更新されるらしい、これは 国会図書館が運営するレファレンス協同データーベースから検索したものです。数字の単位で”兆”という概念は現実には判り辛い数だ。 物凄い数の細胞によって人間の体は成り立っており 生き死にを繰り返していることは判る。生老病死の理解は人によって違う。人の営みは 永遠に解き明かされない力学によって動いている。
 疾患は 体調の異変、医学の進歩は 果たしてそのメカニズムの解明ができるのでしょうか? 備え有れば・・・・。これも 予想を超えた事態に対しては効き目なし。
 自然との共存は地球上に生きる全てのものにとって大前提、これを蔑ろにしていませんか?今年の台風の発生数は異常だと聞いた。瞬間最大風速が50メートルを記録した台風21号は 四国に上陸後 大暴れして 時速85キロという猛スピードで遠ざかっている。
  様々なインフラ整備がなされているが 私達は それすらも 自然の猛威の前では一瞬にして破壊される姿を嫌という程 見せつけられ、現実に起こった事に茫然自失し 成されるまま逃げ惑うことしかできないことを何度も経験している。明らかに 地球温暖化が進んでいる中で 日本の梅雨も大分変った。気象変動のメカニズム これも原因があって必然的に今に至ったこと。これを認めようとしない一部の者達へ NOと謂えないモドカシサ。
 人間の智慧は その使い方次第で善にも悪にもなる。先人達の葛藤も当にそこにあった。

3200:生命の尊さ

 

茨城 ドクターヘリ ”ひばり

 ドクターヘリ ひばり が今日は2度飛来しました。私が入院しているK病院の9階のラウンジからヘリポートが良く見える、館内に”ひばり飛来”のアナウスが流れると一斉にその受け入れ準備に動く。
 私は この歳まで入院をしたことが無かった。あちこち痛いとか痒いとかうるさくて 大分周りに迷惑をかけては来たが 心底そんな風に感じてはいなかったかも知れない・・・・7月に一回目の治療で入院、今回はその時とはまた違った緊張感が有った。 それを言ってもどうにもならない。 精一杯の素振りだったことは 退院した今だから 正直に言える。カテーテル施術は局部麻酔で行われる。だから手術室の医師たちの話す言葉や動きは手に取る様に良く判った。4時間動かず我慢することは長かった! 冠動脈の中をワイヤーが動き回る。”ハ~イ そこで息を止めて”必死になって指示に従うのも 辛かった。なんで過ぎて行く時間がゆったりしているのか? いつになったら終わるのか? 最後まで そればかりを考えた ・・・・
 正直「もう 良いです。これで帰ります」と立ち上がりたい気持ちに何度もなった。手術の前に決めていたことがある。 そうなった時には経(念仏三昧)を唱えようということでした。そして祈った。 何度もなんども普段読んでいる経を読んだ・・・・・。
 そして ≪これで 終りにします≫というチームリーダーの声を聞いた時 緊張が遠のいた。
 これ以上 クドクド言うのも止しましょう。病と向き合うとか闘うと言われるが 本当は我が身に起こった時でなければ 所詮 他人事。 それに同じ病で入院されている方と直ぐに打ち解けることも経験した。
 、確信できたことがあります。それは”生命の尊さ” です。 この世に 生を受けたもの全ての命の尊さです。 また こうして今生きていること自体が奇跡だということを知った、・・・・・。 この想いがあって初めて周りへの感謝の気持ちになる、そして、その恩にどう応えて行くかを自分で考えるようになるのです。  この事は 宗教的な意味での”いのり”ではなく、生を受けた者の核心の”いのり”だと 思った。
 上記写真は昨日 点滴が外され病院内を自由に歩けるようになって 病室から写したドクターヘリである。交通事故に遭った人や重篤な患者を大きな病院へ緊急搬送し生命を救う 最前線の医療現場なのです。
 私が世話になった医師が・・・・医療従事者はブラックな職業ですよ。でも自分が医師になったのは 病気が治り 元気に退院していく人達の姿を見たいからで 仕事が厳しいなんて考えていない・・・・・・
 この言葉が今も 私の頭から離れない。 自分が選んだ仕事に 責任と生き甲斐を感じるような生涯の生業、 権利の主張や己の利益を最優先する昨今の風潮に黙として闘っている姿は実に新鮮に映った。大変お世話になりました。 
 広大な病院の駐車場は月曜日は特に満車状態、近隣のみでなく 遠隔地から通院してくる人達で受付の前に列ができる。夜中の一時 シフト勤務が終えて 「今から帰ります。お大事に」と声を掛けてくれた看護士さんはまだ看護士になりたて、呼び出しベルを押すと走り寄って来てくれた。「何かありましたか ?」「悪いな~ 何度も呼んで」「いや、構いません。どんなことでも結構ですから 呼んで下さい」・・・・・・・入院中。看護スタッフとの会話で癒された。「住田さんは お坊さんなんですか?」「そうだよ。ナマグサだけれどね」「大変でしょう いつ用事ができるか判らないから」「皆さんのほうが大変だよ。良く やってるよ。凄い」・・・・・・「あれっ 8月15日誕生日なんですか。私の父と同じです。」・・・・・
 たわい無いお喋りに 救われる。
 巷では 様々な事件や問題が起こっている。入院ベット総数が1000室に近い県内有数の大きな病院だから 悲喜交々な出来事が日常的に起こっている。「住田さんは なんでそんな風に落ち着いていられるんですか?」と尋ねられた。「どうすれば そのようになれるのか 教えて下さい」「何で?」「私ね 看護師の仕事していると どうしても自分が強くなってしまって嫌なんです。。。」
 そう尋ねられ 直ぐに答えられなかった。何を隠そう 自分自身の葛藤も全く 同じだからだ。
 「そうか~ そうなんだ。」と呟いて部屋から出て行った。
  社会全体が 不確かなことに翻弄されている。
  東京のど真中 永田町 政治は実質総理の選挙戦に入った。
 生活の質(クオリテイ・オブ・ライフ)が盛んに謂われていますが、その評価要素の中でも心身の健康が根幹となりますね。どんなに食べ物や運動に普段から注意し体調維持を心がけていても 思い通りにならないことが起こる。これが現実です。
 そこで 万が一 問題が生じた時に さて どうするか?が肝心なわけですよ。 心の持ち方や生活習慣の見直し等々、100年前ならば人生高々40~50年だった日本人が 今では平均寿命で世界のトップクラス90歳にならんとしています。2回の入院は 同じ病棟でそれぞれ4泊5日でしたが、様々な発見がありました。今まで 入院している方の見舞いや付添をしたことは幾度となく有りましたが、今回は全く違った。
 それは 一寸先は誰も判らない事を突き付けられたという事でした。生かされているという確信。自分の力ではどうにもならないという現実。 そこから逃げようとしても何も解決しないということ。 そこで考えたのは、開き直りと前向き志向でした。
 大病院の1日の流れは 決められたルール通りに動いて行きます。入退院は機械的に流れます、受付→説明→病棟→説明→検査→治療→検査→退院。入院日数や退院が病気が改善できてか否かに違いが有ります。1本の道を皆さんそれぞれが最初は歩み始めます。そして道が途中で二俣に別れていてそのどちらに進むか。身体的な痛みや苦痛に合わせ 不安や喜びという心理的葛藤。
 恐らく 自ら経験された方は良くお判りだと思います。私は 僧侶と福祉の仕事に関わり大分長くなりますが、正直 相手の気持ちを理解しようとしても限界を感じてきました。己の宿命から何度も逃げようとしてきたことも事実です。この現実から抜け出せる方法を模索した。結局は 何も解決策を見出すに至らないことが判ったのです。
 今回の体験で強烈に心動かされたことがありました。まだ2歳ぐらいの男の子がベットの上で私と同じ手術室に向かう姿でした。瞬間 私は会った事もない実の兄 尚一の存在が浮かんだ。自分と同じDNAを両親から受け継いだ兄の存在でした。これこそが 私の”原点”だったのです。
 開き直りと現実を受け入れ前向き志向でいこうと決心できたのです。 

3201:あや取り

 正義か悪か!判定を下す側とされる側! TVや紙上で一斉に取り上げるインパクトのある話題、日替わりメニューの如く 出るわ出るわ。溢れる情報にスピードと信憑性を競うメデア、その殆どがLiveの画面を付ける。
 果たして このまま情報化が進む時代に人間の判断能力は耐えることができるでしょうか? 恐らく 特別の人以外にはNOだろう。予め そうなることを想定し そうならないような仕組みや方法を考えたかも知れぬ。加速・肥大化が 手の施しようがなくなれば 引き籠りや無関心が自己防衛?
 それがどうしたと言わんばかりの連中は その状況をも経済活動に利用しようと目論む。一時の繁栄は永続きせず一瞬にして無に帰する。その原因が人間一人ひとりの瑕疵にある訳では無く、社会の病巣として増長している現実は無視できまい。
あや取りゲーム、一本の糸を輪にして遊ぶ、昔 何も無かった時代に流行った遊びを思い出す。糸掛とか取り上げとも謂った。久しぶりに保育園に行った。迎えを待つ園児たちがグランドに出て遊んでいた。その風景は 昔と変わらない、追いかけっこや砂遊び、・・・・・。この子たちが成長する環境をもしかして我々大人たちが潰してきてはいないだろうか?
 じゃ~ どうする? ・・・・「俺だったら こうする」という答えが直ぐに浮かばない歯痒さ。
 日本全体が頻発する災害に翻弄されている。どこをどうすれば防げるか?人間が考えた範疇を遥かに超えた。只管 通り過ぎてくれるのを待つしかない。
 仏教は”諸行無常”を説く。形として見えるものは 常に変化して一定ではない。更に 四苦八苦 を説き 苦から脱し安楽を獲る方法を示してきた。でも宗教の在るべき姿がイマイチ判り辛くなった。”綾”には 縦横斜めに交差した糸の入り組んだ模様の意味が有る。言い方を変えれば誰しもが長所短所を持っている。それを認め補い合う社会が望まれていると思う。今が 悲しく苦しくとも いずれそれが薄らいでいくと信じよう。その為の 前向き志向といっている。その具体的な生き方として仏教では””という語によって説明しているのだが、そこには相反する意識で”諦めて&諦めない”という二面性も併記し説いている。
 諦観は明らかに真理を観じること、目の前におこる現象の真理は何かを明らかにすることをいう。価値観の多様化は 長短併せもつ。私利私欲~公理・功利~結束・破綻~・・・・・。次々に浮かぶ斯様な文字がどこかで繋がって、解釈そのものも進化する。個人主義と利己主義の推移。自利利他は仏教の教えの基軸、密教の行法に三密加持というものがあるが、自行と他行により違いがある。
 今度の日曜日 神宮寺の本堂に安置したSさんの遺骨を尚恵学園の墓地に埋葬する。彼の闘病で見せた生き様は 壮絶でした。しかも Sさんの最後まで支えていたのは ”働く喜び”だった。 見るからに痛そうな膨れ上がった足を引き摺りながらも作業所の送迎車に乗って通った。活動できるのも一日が半日となり 治療や入院で休むことも増えてきた。そんなある日≪福祉さん お早う!≫と 大声で挨拶された。≪体 大丈夫?≫と尋ねると≪すこし 痛い・・・≫と珍しく弱音をはいた。病院が替わり、1週間も経たずに亡くなった。
 人の最後は その人の人生が凝縮して見える。本堂に飾られた遺影と遺骨の前には いつの間にか彼が好きだった飲み物や食べ物が増えた。そして 使わなくなったピンク色の携帯でんわ。
  *尚恵学園の墓地に埋葬することを決めたのは 3人兄弟の弟さんでした。・・・・ご冥福を心よりお祈りいたします・・・・
 

3202:前向き志向

 前向き(プラス)志向の字を”思考”か”志向”の どちらが正解かという質問に対しネット上で幾つかのコメントがありました。・・・・・本当の「positive thinking」とは、マイナス面も含めて客観的に認識した上で、集団や個人のあり方をより望ましいものに導いていくための態度というか「生きる技術」として考える・・・・・・・、 因みに、この回答者は普段から”志向”という字を使っているとのことでした。正直 私は そこまで考えて使っている訳ではないので、そう謂われればそうだな~位に受け取っています。元来がいい加減な人間なので仕方がない。 ただ 気になり始めるとトコトン調べてみようとする一面がある。これも前向き志向、生きる技術ですかね。
 ついでだから 加減だってそうですよ。いい塩梅と同じかどうか? 数の計算で”加減乗除”いう四則演算、これを考えた人って凄いと思ったり支離滅裂。数の概念は縄文時代にもあったのかどうか?狩猟や木の実採取を生活の糧にしてきた時代、食べ物を人数に分け与える時に。。ひーふーみーって数えたのかね。それとも奪い合う争いは無かったのだろうか?
 何しろ 寺の周りは 縄文時代の住居跡で食糧庫に使っていたことが今回の発掘調査で判明、保存食をどれくらい備蓄していたのか移動か定住か興味は尽きません。
 当時 生活習慣病なんてあったのかな~。毎日 歩いたほうが良いよと誰かに謂われ そうですかと答えたり?????縄文時代だけで1万年続いたそうですよ。そう考えれば西暦2018年 まだ5分の一の歴史しか経ていないってことです。
 だから判ったような事を言うのは禁物ですね。状況は常に変わるんだから、マイナスがプラスになったり、プラスがマイナスになる。これが真理なんだわ。だったら、悩んでいるとかどうとか謂わんで ジイーっと”ガマン”かもね。
時の人となった大阪まなみさんが語った、「patience」(我慢)。我慢で勝ち取った賞金が4億数千万円?弱冠20歳のワカモノですよ。これぞ前向き志向の見本だった。優勝を決めた後 場内はブーイングの嵐、負けたセリーヌ選手がブーイングを止め勝利者を称えて欲しい!とマイクをとった。試合中 審判に涙を浮かべ猛烈に抗議した。その王者セリーヌが試合後 勝者を称える。 これぞ スポーツマンシップ、正々堂々と公明に勝負する。実力の世界はこうでなければならんでしょう。
 
 全ての事に通じることで、活動に堪え得る精神力=気力は元気の元、病は気から、確かにそうだ。一度の人生 うな垂れて生きるより、から元気でも良いから気力充実した生きざまが良い。周囲への影響も多々あるでしょうし、勿論 ご本人だって後悔する。
 今年7月、81才で亡くなった桂歌丸さんの高座は酸素ボンベを付けての壮絶なものでした。落語芸術協会会長として その責任を最後までやり遂げた姿は多くの人達の胸に今も残っている。本名は 椎名 巌(いわお)、名が示す通り、芸に厳しく人に優しい落語家だった。
 一芸の士・・・一芸にすぐれた人をいう。口八丁・手八丁な人間より不器用であっても 一つのことに全力を尽くす人に私は憧れる。そう謂った人をどれだけ友にできるか ”邂逅(かいこう)”という難解な字の意味は めぐりあうこと。
 そう考えると人生捨てたもんじゃ~ないよ。勿論 老いも若きもですが 今にそんな人と出逢えるかも知れぬし もう出逢っているのかもしれない。
 生きる羅針盤として 何らかの支えは必要でしょうね。宗教でも哲学でも構わない。あなた自身の道しるべだもの。どうして?なんで?????思うようにいかないことに心穏やかならず。これって 貴方だけでない、人間全てに言えること、
 (仏)『求不得苦』は 八苦の一つ。初期仏教では、パーリ語で苦はドウッカ(dukka)、日本語の意味として「苦しい」と「不満」の意味があるという。
 要は 貴方独りじゃ~ない。皆が同じ苦をもって生きているんだよ。 
  ☆ 本日、「夢源一範居士」「慈笑呑好居士」・・・・Mさん兄弟の眠る 法人墓地にSさんを仲間達と一緒に納骨します。
 
 昨日は 本堂において Sさんのお別れ会を行いました。世話人さんも皆さんが来てくれた。GHで生活している方達も殆どが参加し、一緒に納骨まで行いました。
 細やかな清宴は寺の客殿でSさんの好物、コーラとお菓子を皆で食べながら思い出を語った。44年 彼は精一杯生きてきた事をお別れ会に集まった50名程の人達は皆 知っている。

 尚恵学園の在り方検討の議論もいよいよ佳境に入った、ほぼ2年に渡り時間をかけ 何度も話し合いを続けてきました。途中 地域の人達にも入ってもらったり 専門家も検討メンバーに加わった。正直 行きつ戻りつの感もあるが、その時々の自分達の考えを出しながら方向を探った。急速に宅地化が進む中で 現在の環境を守ることは難しいかもしれぬ。水田・蓮田に囲まれた里山にいつの間に散歩コースが何本もでき、小グループに分かれた散歩が日課の中に必ず入った。サクラや藤の花、 今は稲刈りが終わり レンコンの葉が大きく広がり よくみるとカエルやバッタが元気よく飛び回る。梨が終わり 栗拾いに移る。もうじき木々の葉が色づき 紅葉の季節となる・・・・・これは”桃源郷”といえまいか! 
 地域の人の協力が得られ隣接道路の拡幅にも見通しがついた。歩んできた60年が長いか短いかは判らない。でも 地域の人々に支えられながら今に至ったことに間違いはない。 これから先 迷った時、困った時もあるだろう! そんな時 自分達だけで処理しようとせず オープンに皆さんの智慧を借りましょう! そうすれば 必ずや 解決の道がみつかるから。
 法制度の変更が目まぐるしい今 生き残りと称して 様々な誘惑が目白押し じっくり取り組むことが実に難しい時代となりました。これは 本質の議論ではなく 枝葉のこと、外見や見栄に振り回され 肝心なことを見失う危険が同居する。

3203:慈愛

 慈愛という言葉の意味は 大切に愛すること。 
 可愛い子には旅をさせろとか獅子の子落としという諺は親の慈愛をいったものだった。今その考えは微妙。ご存知のごとく パワハラとかセクハラ、親子虐待やら家庭内暴力とやたらと騒がれています。 明治近代化から150年の移り変り、どうなりましたか? 150年を前後期二つに分けてその節目を1945年(昭和20年)の戦争終結とした、日本の変化のスピードは世界の歴史で類の無い早さだと謂われてます。長く続いた鎖国の江戸時代から開国し外国交流を奨め近代化を目指した先人達。前半(明治~昭和20年)は 列強国と資源争奪争いが生じ戦争へ突入、そして敗戦。国を二つに分断されることは無かったが徹底的に破壊された。しかし、その廃墟から這い上がって≪復興と繁栄≫を成し得た。まさに 名実相伴った再生の時代の変遷。
 だが 今後の事は 誰も判らない、此処に来て 各国入り乱れ盛んに首脳外交を行っているが キナ臭ささは常にある。
 150年を振り返ると大体そんなことになりましょうか。あまり表には出ないがその過程で日本は様々な代償を払ってきた。 不満や愚痴を言い合っている間は まだ良いのかもしれません。誰もがモノ謂わぬようになったら 実に怖い。 報復やら論功行賞人事があからさまに行われているから始末が悪い。あわよくば甘い汁をと画策する輩。ゴマすり 忖度が出世の道?こうなると”慈愛”などは死語と化し、誰を信じたら良いか判らない。
 末法の世さながらに 片手に算盤隠し持ち、我利我利の修羅場と化してはいませんか。”慈愛”と”慈悲”日本語の難しさ、それは慈悲の理解、いつくしみあわれむ心、大乗の教えで智慧と並べて重視する。慈は与楽、悲を抜苦、仏が衆生に対し示す仏のこころだ。
  度重なる自然の猛威に晒され 築いた自宅が全壊し、茫然自失の中から 一から出直すしかありませんと奮起する。この人たちの凄さは 驚きに値する。
 今回もまた全国から集まるボランテアの人達は 純粋な気持ちで参加する。この気持ち(慈悲心)があればこそ。 地方創生を掲げるのに誰も反対しない。長年続いたデノミ脱却も良いだろう。・・・・・・が 社会の大多数は庶民で ぬくぬくと算盤勘定している一部の選ばれし者達の横柄で高慢な態度、この二極化拡大は150年の総括として 最大の代償・危機と言えないでしょうか! 頭下げ謝罪すれば責任取らずで済んでしまう変てこな 社会ルールの蔓延、 これは外科的対症療法では根本治癒は望めまい。
 古いことは悪で新しいことは善という考えがあるとしたら 大変な事になりますね。だってそうでしょう、日進月歩の技術革新を 人間の能力で事の善悪判断が可能でしょうか?近代化を推し進める過程で生れた隠れた副産物、中には好ましからぬモノだってありますよ。その見極めができますか?解決を見ないで取り残され続ける負の遺産、自然の自浄能力にも限界あり、判っていながら 黙認してきたツケ、人間の脆さ&狡さ、人生100年と言うけれど 自分がいなくなった後は 野となれ山となれですか?福島原発廃炉が決まったけれど放射能汚染水の一時保管のタンクの数、・・・・技術革新で出来るのでしょうか????
 難しいと誰しもが思っているのに 何をどうすれば判らない。経済最優先策を全面にだし 一向に方向転換しようとしない。メデアも経済界も挙って応援の旗を降る。この流れにいつしか 潮目が変わるのでしょうか?待っているだけでは 何も変わらない。
 枝葉末節な問題ばかりを議論し 時間を浪費していませんか?
 福祉を考えると その国々の違いが見えてくる。150年の近代化の中で 福祉の制度仕組みを日本は先進国の欧米から多くを学んだ。いま その岐路に立っています。それは 国民一人ひとりが幸福と感じているのかいないのか国連の調査により明らかになっている。これを 報じようとしない。 天皇のお言葉がありました。戦後連合国の指示に従がざるを得なかった日本は粉骨砕身の努力により復興を果たした。その先人達の功績を戦後生まれの二世三世の議員が憲法改正を急ぐ、ならば 改正議論にどれだけの国民が関心を持ち理解しているだろうか? 明治以降、この国の在り方で 名実共に自立しているか否か充分な検証がなされ 国民的な同意が得られているかどうか?疑問が大きい。 時期早々! 急いては事を仕損じると思っています。
 今の日本の国家体制の最大の問題は、代表制民主主義を掲げるにしては その実態が国民の過半数も参加していないという現実。この状態を長年続け一向に改善しない。 国の将来を決める重要案件を 一部の政党によって決めてしまって良いものか、手続きの合法性のお墨付きをお決まりの御用学者を集め 理論武装する。これが過去の軍国主義の反省から学んだ民主主義ニッポンというのだろうか。
 阿見町にある予科練記念館を訪れると 戦地に向かう若き学徒の両親に書いた手紙が展示されている。
 
 150年の年月は 見た目の繁栄と便利な社会を築いたかもしれません。この国が選んだ道は 優秀なモノを作り それを輸出することで外貨を稼ぐことだった。この先もその手法を続けることができるでしょうか? 今までは人件費を抑えるために海外に生産拠点を移し、made in Japanの称号を付け堂々と貿易立国で成功を収めたのでしょう。
 その雲行きは怪しい。貿易戦争と謂ってはいるが 勝者である日本への影響は計り知れないと思う。
果たして 外交力によって その被害を最小限に止めることができるのかどうか? 一方 内需拡大を目論む内閣と日銀、世紀の大祭典 東京オリンピックを境にして どうなるか。素人考えであるけれど 周りを見ればすぐわかる。ちょっと前ならば町に数件しか無かった薬局、クリーニング店、精米店、理髪店、。。。歯科医院、・・・・・急速に乱立し、結果は店じまいが目立つ。
 競争社会は提供するモノやサービスの良し悪しで生き残る仕組み、このルールが 全ての業種に行き渡る。方や 一次産業なる農業、漁業、林業の衰退は止まることをしらない。その決定打は後継者が育たないこと、国の優先施策から外れたのかどうか知らないが、中途半端。
 自然に働きかける産業を軽視すれば 自然環境は悪化するに決まっている。おそらく 働き方改革法には その辺の事情は加味されていないのかもしれない?
 今日 自民党総裁が決まる。私は自民党員ではない どこにも属さないから政党の党首選に参加権はない。実質 国の首相を選ぶ選挙戦 所属国会議員と全国の党員で選ぶというが どうですか、米国と同様のルールを採用しているが あの盛り上がりは 日本では何故起こらない。
 勿論 有権者の責任もあるでしょうし 制度がこの国に合わないということも有るかも知れぬ。しかし ハッキリ言って 政治に携わる人間にその大半の責任をみてしまう。親と子の慈愛、自国への慈愛、これ無くして層流みだれ乱流と化す

3204:ど根性

今場所の 相撲(国技館)で背水の陣で臨む横綱:稀勢の里、後3日残し勝ち越しを決めた。大関高安は白星が一つ多い。共に茨城出身である。大関と横綱を牛久市と隣の土浦市から輩出、県内は 相撲で熱狂した。稀勢の里は怪我で苦しみ連続9場所を休場し、大関まで登り詰めた高安も勝ち星が伸びず、このまま終わってしまうのかと多くのファンが心配した。
 プロ・アマ問わず日本のスポーツ界は様々な問題が表面化し、メデアの話題に上らない日が無い位、注目をあびた。
  新旧交代はいずれ訪れる。今朝のラジオ深夜便に登場したのは 日清食品の創業者 安藤百福氏、カップラーメンを考案し 大企業に育てた、その生き様を百福記念館の館長がラジオで語った。百福氏は96才まで現役で働いた。アイデアマンでセッカチ、1910年台湾で生まれ、その後日本に帰化した。
 「私が即席めんの開発に辿り着くには、それまでの48年間の人生は必要だった。」と語ったという。幼児期に両親を亡くし、祖父に育てられた、当に波乱万丈の人生を歩んだ。
 人に語れぬ事を持つ方は大勢います。その人生をプラスに捉え、活かせる人はザラにはいません。 こんな話を聞いたことがある。大英帝国イギリスの貴族は自分が築いた富を公共の為に喜んで費やすという。
 もう45年前になる。スコットランドに独り旅したことがある。ロンドンから鉄道に乗り、車窓から長閑な田園風景をみながら、歴史を感じさせる街並みとゆったりとした時間をトコトン楽しんだ。記憶にハッキリと残るのはエジンバラ旧市街の高台にあるエジンバラ城、今も定刻に衛兵交替が行われバグパイプとドラムの演奏が見られるとのこと。
 イギリスはかつて世界の7つの海を制し、強大な勢力を誇った。多くの領地を海外に持ち、古くから交易を重視し大英帝国をきずいた。その史実と比べれば日本の開港は明治から150年しか経っていない。
 ユーロ圏からの離脱を議会で決め、独自の路線を歩もうとする。この是非は時間が経たなければ判らない。けれど 同じ小さな島国のイギリスと日本の違いは一目瞭然、国家としての主体性の有無、NOと謂える強靭さ、その辺の期待を今の政治に望むのは お角違いなのでしょうか?
 ☆ 一向に 盛り上がらぬ党首選 国民多数が蚊帳の外・・・・・この現実認めぬ 度量無さ。(字余り拙句)
 
 キリスト教に至福千年説というものがあると知りました。仏教にも弥勒信仰があり、長い間には人々を苦しめる様々な出来事が起こると予言する。そこに信仰と”祈り”を生きる道標とする教えが説かれた。末法思想や終末論で説かれるのは、”究極の安心”、人生をどう全うできたか、その答えを見つけるのは一人ひとりの大事なり。幸いかな、己の拠り所探しは 生涯続くのです。貴方も 今までに何か大いなるものに救われたという体験があると思います、仏教では、この世に生を受けたこと自体を”大事”とみる。
 私達が目指す”共生”は現実に則したもの。 人間は一人では生きられぬという”しゅくみょう”から始った。赤子の成長を思えば判るのだが 自分の力で今があると勘違う。この愚かさは常につきまとい離れない。
 経済の繁栄を最優先とした国策にいつまでもどこまでもNOと謂えぬ国民はどうなのでしょう?我々が総花的施策に甘んじている間に 確実に蝕まれてきた自然との共生、現実に直面している問題は 国家予算の中に占める国民医療費が43兆円という異常さだ。無策と謂えば言い過ぎか 自分だって医療の恩恵を受けているクセにとの囁き。年収170億円と謂われる大国の大統領と蜜月の関係だと言わんばかりの党首に 私は危うさを禁じ得ない。後3年続投が決まった。 果たして彼の常套句、 国民全ての幸福を考え誠実な説明をしていくとの約束を信じてよいものか!
 生まれた時から何不自由のない生活にドップリと浸かってしまった人間は そうでない人の願いや喜びを理解しようとしても  真の理解者とは成り得ないかも知れません。
 私が政治家の気骨で思い出すのは田中角栄という越後選出の総理だ。彼を支えた7人の奉行の存在は大きかった。彼等は上に阿ることもなく 堂々と諫言した。今 そこが明らかに変わった・・・・・・。平身低頭する相手が逆です。どこで どう間違ったのか~。 
 友人からメールがあった。ご主人の闘病生活の近況の知らせだ。安静第一という入院の形が今はなるべく早く動くことが奨められる。胃の全摘手術を行った後 1日だけICUに 2日目から歩行訓練をさせられたと書いてあった。
 私も 少しは勉強しました。人間の体の不思議さ、異物が入ると体が反応し 何らかの数値が変化する、それによって診断する、体への負担を少なくし より効果的な治療を目指す最新医療、リハビリの基本は 使わなくなった機能は直ぐに衰えるということ、体を動かすリスク以上に その事が大事と診るから なるべく早く普段の動きに戻しながら治療する。
  高齢になって体に不具合が生じ 支援を必要とする人が増えるのは 考えようでは 自分の体への過保護と謂えないか?・・・・・。身口意の働きは 単独では有りえない 相互に影響し合っている。衰えを補完する機能は生来授かったモノで 自分自身の体の中にあるのです。
 健康寿命より平均寿命を重視する愚行をいち早く気付いた人達がより増えることで 高齢化問題の問題という字が消えるかもしれない。
 最近、齢90才を超えた方の悔みには 紅白の手拭いがお返しに入ることが多い。昔なれば 葬列に笛や太鼓が加わって見送った。今はその時使った葬具は 旧本堂の奥深く しまわれている。

3205:秋彼岸

 


 猛暑の今夏は秋の彼岸を境にして遠のいていく、気が付けばいつもの場所に真っ赤で幾何学的形の曼珠沙華が咲いている。気のせいか 例年になく その数は少ないように感じた。
 ご存知の方もいるだろうが 彼岸花は一本の茎に花を付ける。葉や枝・節を付けない。何故か開花が終わってから細い葉を出す、天上の花と謂われ 異名を多く持つ。秋の季語で花言葉としては「情熱」「再会」「転生」などの意味をもち、古くから多くの詠み人に愛された。
 畦道や土手に突然現れて 群れ成して色鮮やかな花を咲かせ 余計なものは何も身に付けない。パッと咲いて 散っていく、人の一生と重ねれば 見事な生き様ではなかろうか!ただし、有毒植物に属し 誤って食すれば下痢・嘔吐 最悪の場合死に至るというからご用心。 
 さて 未来を予測することは 叡智を集めれば可能なのだろうか? 無理でしょう? 兜率天に住する弥勒菩薩は釈迦の次に仏になると言われてる。それが釈迦の入滅後 56億7千万年後にこの世に下生し、衆生を済度するという。
 これを聴いて 皆さんは どう感じますか? 信じられない? 地球誕生の歴史が46億年前と謂われますが その途方もない時間差をどう考えるべきでしょう。不可思議ですね 人間の理解能力では 考え付かない事になりますよ。
 そこなんですよね。科学万能を心から信じている人はいませんし、人生百年の時代と謂われたって 精々百年です、もっと長く生きたいと望む方は大勢いますが それじゃ~150年も200年にも寿命が伸びると思いますか? いや~ そこまでは 考えない。
いい加減にゆっくりしたいと。
 カリスマ経営者とか一攫千金を夢見ることは自由です。どうぞ ご勝手に。人間の欲望は際限が無い。世の中 その誘惑で一杯でしょう。要は それで 貴方は満足ですか? 安心 幸せですか?と・・・・・・・。
 彼岸は 『波羅密』の意訳で至彼岸(とうひがん)からきている。
  
 寺の石敷の歩道、去年は一年かけ芝の手入れを行った所為か 雑草もなく 緑の絨毯のように とても気持ちが良くなった。『お礼肥』ということも教わった。
 石畳がいつの間にか芝生に隠れるまでになってしまい、凸凹ができて 歩きづらくなっていた。昨日 その芝を剥がす作業を行った。雨も降らず 少々蒸し暑さを感じながら 2時間ほどで修了。一時の40℃近い高温でなくて 水分補給も以前ほどせずに順調に作業できた。・・・・・が 閉口したのは 蚊の猛攻、防護網付きの帽子を被って、長袖 手袋、と蚊対策は準備万端と思ったが 敵もさるもの 隙間から入ってきて あちこち刺された。
 石と石の間に芝は根を巧妙にはわせ、また 直ぐに 勢い増すに違いない。
 蚊や植物は環境の変化に上手く順応し、その生命力は凄い。それに比べ 我々人間どもは 贅沢で自分勝手と謂われても仕様がない。国連で開催中の各国の代表者会議、話題の中心は米中貿易戦争か! 裏では 秘密の交渉が盛んに行なわれているのだろう。
 できれば 名も知れぬ草木や小さな生き物が 精一杯 生きようとしている姿から 私達が忘れかけている何かを一緒に考えることも 大切だろうよね。それは無理なのでしょうか?現実から何を学ぶか・・・・・・。明日は彼岸明け 予報では雨模様。乾燥が続くと草木は朝露から水分をとり、負担を減らすために葉を早目に落とす。
 貴乃花の引退記者会見が行われた。急遽開催が知らされたにも関わらず 多くの報道関係者が集まった。終始 弟子の将来を心配し、苦渋の判断をしたと語った。表情からは協会に対しての反感は見せず 諦めスッキリした感じでの会見となったように思われた。大横綱を祖父に持ち、父親も大関、相撲一家でそれも若貴兄弟で横綱になり、相撲人気に多大な貢献をした二人は 何故か 協会に残らなかった。
 最後は孤軍奮闘となり 華やかな相撲人生を閉じるには無念であったと思われます。
 連休明けの今日は 施術後の初めての通院日、広大な駐車場は満杯に近く大混雑、検査の結果は 順調とのこと 今後は定期的な通院と投薬で様子を見て行くことになりました。
 

3206:福井大会結団式

 県庁において 全国障害者スポーツ大会(福井県)の茨城県選手団の結団式に出席しました。いつもと違い県庁2階のオープンスペースで行われました。今回の選手団総勢92名は 茨城大会の前年ということでいつもより選手が多く選ばれていた。福井の前は愛媛大会だった。 私は選手団で参加したのですが開会式当日はあいにく凄い雨、それでも強行されました。
 あと370日程で茨城国体・障害者スポーツ大会になり、その翌年が東京オリンピック、パラリンピックと大きなスポーツイベントが目白押しにあります。世の中 SNSがどんどん進み瞬時に様々なニュースが入ってくる、善悪入り乱れての情報量は 最早人間の処理能力を超えている。スピードや利便さを獲得したは良いけれど、もう後戻りできないでしょう。
 昨日は、結団式の後、我々が主催している研修会場に激励に立ち寄った。今回の受講者は250名 大会議室で丸一日の資格取得研修が行われていた。 
 教材は厚労省のHPより各自でプリントアウトして持参する。その量は パワーポイントで92ページ、メガネをかけても読めないような小さな字で書かれ、研修が終わって修了書を貰えば資格認定がされる、これを全国一斉に今行っている茨城版。来年は 何故かその研修内容が変更になるという。先の見通しがないと不安になるのは当然です。心身に様々な支障をきたす人は増加の一途。 周りの変化が激しすぎることも原因だろうね。
 そうそう最近、家で使っているパソコンの具合が悪く、PCデポに持っていく。スタッフが親切に対応してくれる。 直ぐに原因が判った。診断は故障では無かった。最新のウイルスソフトの効き過ぎ、 メールの受信を拒んでいるのだ。ウイルス対策は追いかけっこ、でも肝心のメールが使えなくては意味がない。ウイルスソフトをOFFにすればメールが使えることだと なんとま~笑えるような泣けるようなお話ではありませんか?
現代人は文明の利器の奴隷と化したか!そんなに便利にならなくても良いから もう少し ゆったり・のんびりと生きられないのでしょうかね~。
実話一例)
 某所の運動会、最後のリレー競争、トップを独走、最終ランナーにバトンタッチ、ここで誰も想定していなかった事がおこった。彼はゴールと反対方向に走り出した・・・・・・・ 一味違う 笑えるような泣けるような話。ホットするよね。これで良いんじゃない。ガンバレがんばれ。
 
 人は一方に偏り過ぎると不具合が生れる。 仏教の教えの核心は そこにあると私は思うのです(中道)。 いつものクセで恐縮ですが 最近の世界の動向(大きく出た?)は 明らかにバランスが崩れ始めていると感じるのです。国連でのやり取りを見る限り、どうもアメリカ中心の流れに反発する国と追従する国にハッキリと分かれるように感じます。日本がどちらに付くか????決まっている??
 国の代表が集まって話し合う、その代表もトップではなく大臣が出る国もある。その辺の取り決めは残念だが判らない。核心の人物のツイターに世界中が翻弄されている。これも 実に危なっかしい。ツイターなど 何ものかが侵入し 書き換えてしまうことも有り得るだろうに。サイバー攻撃やウイルス攻撃・・・・。
 またしても 日本列島を縦断する形で大型台風が襲ってくるようです。過去のデーターでは予測できない台風の動きに 只管 被害を最小限にと祈ることしかできない。何か世界の動きと自然界の暴走がダブる。
 仮設住宅に今もって生活している多くの人達 福島原発事故から7年以上も長期に仮住まいしている方達、その後の熊本や関西、そして北海道などの被災地、自衛隊などの皆さんが必死に復旧作業をされて 徐々に元の生活に戻る人たちも出てきた最中、巨大化した台風がこれでもかこれでもかと襲ってくるように思えて仕様がない。
 ”不安”と隣り合わせの中での”繁栄”、どうも頭の整理ができません。多くの人達が私と同じ思いをもっているのではないでしょうか?その事態に黙っておれず 様々な警鐘を発する人も増えてきた。
 老舗の某出版会社、特集号の中味に批判殺到、結局休刊することになった。出版業界は生き残りに必死、読者離れが止まらない中で他社にないインパクトある記事、真実の報道という担保をはずしてまで実績を上がようとしていないだろうか?
 これもまた”アワヨクバ”の類なのかもしれぬ。
 バランスの維持、貧富の格差、これが一向に改善をみない中で世界の人口は増え続ける。方や 日本が直面している問題は その真逆の現実、これも バランスの問題なのでしょうね。
  

3207:日々新たに

・・・・苟に日に新たに、日々に新たに 又た日に新たなり・・・・・四書五経。昨日より今日、今日よりも明日、日々よりよくなることを自分の行いによってなしとげようとする、人材の育成の場で 何度か耳にした言葉です。
 中国古典(儒教)の根幹をなすもので 特に封建時代に広まったと言います。
 今の時代と比べることはできませんが 人間の内面はさして変わりはないと思います。 いつだって何か大切なものを何処かに置き忘れてきたような気持ちになりませんか?
 変化の激しい時代 落ち着いて考えることも儘ならず 目先の事に右往左往。ヒョンなことで そんな自分に気付き立ち止まる。現代人の多くの人がそんな風に生きている。私は僧侶となり40年以上を経過しました。誰もが感じているように 私自身もあっという間にこの年齢になったように思っている。日々新たなりを どのように考えれば良いでしょう?己自身は簡単に変えられず 誰に謂う事も出来ないで悩んでいる人は多い。寧ろ 増えていないでしょうか。競争に勝つことを最優先にすれば 手段を選ばず自制することを蔑ろにしてしまうかもしれません。
 誤りを認め 引き返すことが どうでしょうね。もちろん個の尊厳は大切です。でも 無制限の筈はありませんね。その判断基準が曖昧になっているんじゃ~ないのかな~!。無暗に新しいものに飛び付くことが 果たしてどうなのか?
 その時は良しと思っても 飽きられ捨てられる。何故 こんな風になるのでしょうね。その事に慣れてしまうと 世間の出来事に疎くなり、俺には関係ないと思う人が増える。仏教の教えに”利他行”というものがあります。今風に謂うとボランテア活動もその類に入ると思いますが純粋に自分の意志で必要としている方の手助けをする。
 これは単なる行為ではない。その人の”思い”が大切だと私は思います。僧侶と施設の仕事をずっと続けてきて、最近の周りの変化に正直尻込みすることがあります。このまま進んでいくとどうなるのだろう?と考えない日は無い。 
☆那須方面に旅行に出かけたグループが無事帰ってきました。ああ・・・疲れた!そう言いながらメンバーとスタッフが手を繋いで帰ってきた。
 台風24号が強い勢力を保ちながら またしても日本列島を縦断していきそうです。様々な警報が出されている。 そんな時にインドネシアで起こったM7.5の大地震の速報、被害の実態が判らないとのこと。容赦なく 次なる台風が勢力を強めながら被災地に向かっています。 台風は年間を通して発生時期が大体決まっている。地震は全く違う、いつ どこで 起こるか人間の力ではどうしようもない。
 自然がよりよくなるという希望は可能でしょうか?もし それができるのであれば 何を今 行なえば良いのでしょう? 経済を豊かにして そのお金でより高い防波堤を築くことでしょうか?
 縄文人が生活の場を高台に作った。生活の為の水、おそらく雨水を貯めるか 水源まで水を汲みにいったと思われる。いま 私が住んでいる地域一帯が 縄文時代の住居跡、推定で5500年前の時代・・・・・・。現在の日本の公共上下水道の普及率はどれ位なのでしょうか。水質の問題と処理能力、”治山治水”の課題と効力、それと開発とをどうバランスを保つかなど・・・・・・。一国で出来る事と出来ない事、
 視点を変えよう。
 高齢者問題をどう考えるべきか。痴呆や寝たきりへの対応をもし家族が行うとなれば 仕事をやめ 誰かが常時付き添うしかない。それを防ぐ為に様々な介護システムを考え作ってきた訳です。日本は少なくても2025年まで右肩上がりが続くという予測。一人の老人を支えるのにどれだけの費用と人手が必要か?制度があって 建物もできた。これで 取りあえず当面する課題に目鼻がついた?????NOですよ。そうならない。支え手を集めきれない。国民医療費総額が40兆円を4年連続で超えた。保育や障害者に対する問題は 全く同じな訳です。
 自己負担を増やすか否か。その判断を先延ばししている間に事態はより深刻度を増す。今更、政治判断は様子伺いではならない。国の根幹となる一大事である。
 我が田に水を引くつもりはありませんが、福祉の現場は今どうなっていると思いますか? 人々の関心は それを必要としているか否かで決まる。ホンネを言えば 22歳でこの道に入ってから半世紀一貫しているのは 個の尊厳をどう考えるかです。 結論は出ない。だってそうでしょう、ご本人を中心に考えよう!これを否定するつもりは毛頭ありません。でも 一人では何もできない。スタッフや家族の協力や地域の支えがあって 初めて歩を進めることができるのです。
  ”権利”と”責任”がなぜかボヤケテしまった。地方創生、働き方改革、・・・・・・・異論はありませんよ。どうぞやってください。でもね~ 貴方達は どこを見ているのか?これが どうも判らない。
  ☆ 日々新たにと 日めくり満足がお盛んで 誰の目で、 善いかな良いかな好いかなと(ナマグサ独言)
 
 ちょっと気になりメモした言葉・・・・・思い込みを捨て 思い付きを拾う・・・・
 ノーベル生理医学賞を本庶佑氏が受賞することが決まった。今までの日本人のノーベル賞の受賞者の数は26人とのこと、おめでとうございます。
医学生理学賞はノーベル賞の中でも決定まで長い時間がかかるという。膨大なデーターの分析や薬物の効果などを見極めるためにとてつもない時間と労力がいる。何せ 人間の体は60兆個の細胞数で出来ていてそれを並べると地球15周の長さになるとか?もはや異次元の世界である。
 ですから 人間関係で好き嫌いが生れくっ付いたり離れたりするなど 至極当然のことと言えまいか。無常・・・無我・・・(諸行無常 諸法無我 )  梵我一如を説くウパニシャド哲学など・・・それは輪廻の超越への道標と教わった。
 科学がいかに進歩しても 60兆個の細胞からなる個の人間を理解し安心立命させることはどうでしょう。それが宗教の使命?そんな事を考えた。誰を入閣させるかに関心がむく永田町 その候補にあがった人は特にここ数日間はこころ穏やかではないかもしれません。
 思い込みを捨て 思い付きを拾う・・・・ある方の座右の銘?らしいですよ。朝から裏山の折れた杉の枝を集めるのに苦労した。真夜中に家が揺れるような暴風で 眠れない夜を過ごした。起きて直ぐ境内の状況を見て立ち尽くす。旧本堂の瓦が落ち私の愛車プリウスが・・・・・あああ。、一人では動かせない太い枝があちこちに落ちていた。取りあえず通行の邪魔になる枝だけはどかしておこうと始めたら 見知らぬ方が通りすがりに 尚恵学園の木が道をふさいで通れないと教えてくれた。急いで行ってみると太い山桜の木が根元から折れて道路をふさいでいた。軽トラにチェーンソーを載せ枝切り開始、だが 一人ではどうしようもない。運良く早出の職員が車で通りすがったので 手伝ってもらい、どうにか通れるだけのスペースだけは確保した。
 一瞬の油断だった 枝が右目にあたり負傷。自業自得! 7時近くには応援スタッフが来てくれてバトンタッチ、昼頃には すっかり綺麗になっていた。何とも忙しない一日となった。台風一過の好天で気温は32度を超えていた。
 

3208:協働etc

 一人ではどうしようもないことがある。否、全てがそうだと思ったほうが良いのかもしれません。本庶先生の奥様同伴の記者会見、医学を学び臨床医にはならず 基礎医学研究の道一筋を歩んだ。今回のノーベル賞の受賞決定、長年の苦労が報われた。正直 私は先生の事を知らなかった。後で医学界ではカリスマ的存在だったことが判った、”人間は自分で病気を治す力が有る。医者が変なことをしなければ・・・” 免疫学の権威、ガン治療の新たな発見者の生の声である。 従来の治療法では治癒困難な患者に効果が期待されている。何でも 人間の体にある免疫力をブロックするタンパク質を取り除くものを発見したという。病巣を取り除いたり 放射線で抑えたり 抗がん剤治療とは違う新たな治療法 人間そのものが持っている治癒能力に目を向けた。
 疑問があれば トコトン追求する先生の発見があって生きる望みを獲た多くの人々がいる。何故か?”原点回帰””協働”という言葉が浮かんだ。
 台風25号の動きが気になる。大型で24号より強烈な勢力を持ちながら北上する。TV・ラジオで厳重な備えを訴える。誰しも、できれば直撃を避けてくれと祈る。人間の免疫力という基礎研究によって従来とは全く違った治療法が発見された事と 自然環境と上手く付き合っていくことには どこか通底するものがあるように感じた。
 目の前の出来事に翻弄されてばかりいる? 老化と共に 明らかに免疫力が減少した。 今回 思いもよらず(?)入閣が決まった方が 何を着ていくか衣装探しをやっている様を映した。台風への備えを強調したすぐ後である。 聴く処によれば 党内に入閣候補者が自薦も含め70人ほどいるという。ホント? おかしい~よな! 何を考えているんだろう。
 900ヘクトパスカルまで成長した台風が避けて通り過ぎて欲しい 永田町もシッカリしてくれよ  共に現代の矛盾律である。次々に発生する台風を人間の力ではどうしようもない。気象学も衛星を使ったり様々な観測データーを集め 予報の精度は格段に進んだ。しかし、根本の解決策がない中で 台風の勢力は 確実に強烈になっている。 
 共同なる言葉で浮かぶのは共同体、村落共同体などと使われる。地域性や血縁あるいは感情的な繋がりを基盤にして、相互扶助や相互規制が働く。その姿は今の日本からドンドン消えていく。歴史観や文化がどう絡み、これからの日本を考える上での礎となるだろうか! 憲法改正の動きが加速される中で 国民一人ひとりの意識に自分達の事という思いが薄い。私は法律が決まっていく過程に疑問を持っている、国民が選んだ人たちが歴史の真実から何を学んだか!戦争の悲劇を二度と繰り返さぬという覚悟を感じない。ホンネを言う勇気の欠如、徒党を組み多数決のルールを巧妙に使い分け、都合が悪くなると民主主義を前面に持ち出し 強引に裁決してきた。それと同じ手法を今回も使おうとするのだろうか?選ばれし人達が果たしてその責任の重さを充分に認識しているのかどうか どうしても私は否定的に考えてしまう。
 先月 猛暑の中で 忠魂碑の開眼式を頼まれた。墓には四度の召集を受け外地で戦い ニューギニアの奥地で37歳で戦死した父親の生きた証が記されてあった。国に忠義を尽くし死んでいった多くの人達の魂は 大黒柱を失った残された家族にとっては 他言できぬ重圧となって今もって続いている。帰り際に喪主が語った言葉が深く頭の中に残った。・・・・「 親父に最後に会ったのは自分が三歳の時だったから 何もわからないだよね」・・・・・。
 私は昭和25年8月15日に生まれた。終戦記念日である。丁度生まれる5年前が戦争が終わった日である。
 明らかに戦争を知らない世代が増えた。沖縄県で知事選があって 8月8日に死去した前翁長雄志知事の路線を継承した候補者が当選した。前知事は病気をおして痩せ細った姿で眼光鋭く 最後まで国と真正面から闘った、彼の生き様こそ本当の政治家と多くの人が思ったに違いない。
 何故か選挙の結果をあまり大きく報じないマスコミ、何かを怖れているのかどうかは知らない。そんな中で自民党の「勝利の方程式」が崩壊したという記事を書いたのは琉球新報、有権者の怒りと苦悩が勝ち取った知事の席だった。
 果たして 1億2千万の日本人の中で 先の戦争はまだ終わらず今も続いていると感じている人達が どれ位いるだろうか?
 戦争の犠牲になった人の命の重さを軽くみているとしか思えない実態。ここに今のこの国の真の危うさがあると私は思います。
 
 ついでに共働なる言葉、これは生物群集における相互関係(作用)。大別すれば共生的・敵対的・中立的になる。例えば 植物が動物の住処となる関係や捕食者と被食者の関係をいう。
 私達は競争社会の生き辛さの中で必死に生きている?今の状況は 簡単には変えられない。そうだ、持続可能な社会の実現が謂われ始めた切っ掛けは二酸化炭素の増加による地球温暖化、その対策に一貫性がなく グズグズしている間に地球の環境は 相当悪化した。太陽光発電はどうなったでしょうか。日本の電力供給は地域別に分かれたメガ電力会社の特権を抜きに考えられない。 今もって電力の自由化が国全体に浸透しない事由がここにある。
 茨城県には日本最初に出来た東海村原発がある。
 原発の再稼働、それと 沖縄の辺野古への米軍基地移転、この二つの問題はある点で共通する。国としてどうするかの議論が何故か見え難い。その最大の原因は 核心を避ける政治姿勢にあると言えまいか。 
 地域創生や地方の自主性 単なる言葉の羅列ではなく 真に住民に向き合う姿勢に誠実さが見えない。
 ★きょうどうという字で協働と共同と共働の3つを並べてみました。日本語の不思議さを感じます。耳から入る情報と目から入る情報、人間は70%以上の情報を目から得ているという。私は障害問題と長く向き合ってきましたが生来の障害と中途でなった方では違うということを知りました。それはご本人の経験から来ていると謂われます。 共通することは誰も障害を持って生れたいと思った人はいない事。
私達の宿命として 死は避けられない。 老いを迎え それと どのように向き合って生きるか  果たせぬ夢を次の世代に託したい。 この世に生を受けた者として 為すべきことがある。その思いが沸々と・・・・・・。

3209:生きる死者
災害と仏教

郵送されてきた本の題名は『生きる死者』災害と仏教だった。そして 本の著者を見て 驚いた。著者:白石凌海氏(インド哲学・仏教学)は、真言宗豊山派・総合研究院現代教化研究所に所属し 文筆のみならず様々な活動を為されている。
 氏が友人の案内で尚恵学園に来られた時に 園内を案内すると 様々な質問を受けたことを思い出した。ご本人は 榛名山麓の寺に住し 実にユニークな生活をされている、氏の口癖は≪貧乏 暇あり≫、その話を伺い是非とも訪れてみたいと考え、伺ったことがあった。
 あれから大分年月が過ぎていた。月末に布教師会の講師ということで茨城に来られることが判った。
 あとがきの中で東日本大震災は 筆者の根底をえぐった。これまでのきずな・関係性が危機にさらされ、学んできた仏教(学)がどこまで有効なのか、試される。それが再生されることがあるのか疑わしい・・・・・・と書いてあった。
 ・・・・・「きみの息子が火に巻かれたとしたらどうだろう? きみは息子を助け出すだろう!・・・・・もし障害があれば、贅沢な肩の一押しのためにきみの肩を売ろうとするだろう! きみという人間はきみの行為自体のなかに宿っている。
きみの行為こそがきみなのだ。・・・・・きみという人間の意味内容は、まばゆいばかりに輝き出している。それはきみの義務であり、きみの憎悪であり、きみの愛であり、きみの忠実さであり、きみの発明だ。
・・・・・・人間関係の結び目にほかならない。人間にとって重要なのは、そういう関係だけだ(山崎康一郎訳「サン=テクジュベリ『戦う操縦士』)メルロ=ポンテイ引用)
私はこの引用箇所を読み 衝撃を受けました。サン=テクジュベリは代表作「星の王子さま」で知られたフランスの作家、・・・機上で思索し、地上で書いた・・・と謂われ、現役のパイロット。戦時中、高射砲の銃弾の中、操縦席から人間が苦労して築いた街並や文化遺産が無惨にも破壊された姿をみて 人間にとって何が大切かを探求し続けた。
 同時に道元の教えにある『自未得度先度他』、今日の日本は その真逆の様相を呈していないだろうか。己の利益を最優先する社会が正当化され その欲望が天上無しで、自分達で考え出した決まりをも簡単に変えてしまうとしたら 人々は何を拠りどころとすれば良いのか 見つけることは難しい。
 『人間というのはさまざまな結束点にすぎない。人間にとって絆だけが重要なのだ』(メルロ=ポンテイン)
 これでもかこれでもかと襲い掛かる、最大級の台風24号と25号は共に日本列島を縦断するコースを通った。跡形もなく破壊され復旧を断念せざるを得ないような爪痕を各地に残した。これは自然災害ではなく人為災害と観る人も多い、その最中に、この国を牽引していると自認し憚らない人達は、やれ大臣だ、外交だと浮き足だっている。自分達に向けられた国民の不信に対して他人事 再入閣するとは言葉がない。ここまで 劣化して尚も。。。悍ましさを感じる。
 前掲する”人間関係の結び目”を仏教ではどう解釈するか?”縁起”と捉えてはどうだろうという。縁起は因縁生起の意、一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因や条件が寄り集まって成立していると観る。
 確かに仏教の解釈からすれば 駄目だと断定することは不味いのだろう。 ただ その人の置かれた社会的な立場(身分)によっては 異なって当然。公人か私人か 公人であれば当然 責任は避けられない。責任が取れないと思えば 私は辞退すべきだと考える。
 その判断は まさに因縁生起、
 様々な宗教がある。その現代的意義は何か! 救いを求める人がいたなら それに応える。これが宗教の存在価値、無財の七施これは 間を置かず即できる。
 ・・・・もし障害があれば 贅沢な肩の一押しのためにきみの肩を売ろうとするだろう!の意味は 難解である。・・・・きみという人間はきみの行為自体のなかに宿っている・・・それが義務であり憎悪であり愛であり忠実さだという。
  ”贅沢な肩”この一点が気になって仕様がない。アマゾンで『戦う操縦士』の注文をしてしまった。

 日本の進むべき方向を探るのに 直面している基地移転の問題と原発再稼働の是非は避けて通れない。 それへの核心の議論は いつも避けてきましたよね。貴方達にとって不利な議論と重要な議論の色分けが どうみても住民目線とは言えない。
 堂々と何故国民の前で政策議論をしないのか? いつだってそうだ曖昧な表現に終始し 我々が何を信じて良いのか その選択肢を有権者から奪ってきたツケは より大きくなって負の遺産として 次世代に遺すのでしょうか! 海外から見れば、それを許してきた日本国民の責任だという事になりますね。もしも この国が民主主義国家を標榜するのであれば 今回の沖縄県知事選挙の結果で どのように国が関わるかを注視しなければなるまい。
 NHKのBSで辻井伸行さんのヨーロッパ演奏特集番組があった。アイスランド交響楽団 指揮者アシュケナージと一緒にアイスランドで超満員の会場で演奏会が行われた。アシュケナージは父がユダヤ系、母が非ユダヤ系のロシア人、現在はアイスランドの国籍を取ってスイスに住んでいる。 辻井さんはご承知のごとく全盲のピアニスト、東日本大震災の後、被災された人達を思い涙を流しながら演奏したことで 海外の多くの人達に感動を与える。
 日本を愛する一人として 私は今の状況をどうにか変えて欲しいと思っています。
 国連の幸福度ランキングで常に上位を占めるのが北欧、これは何故でしょうか? 2018年でアイスランドは4位という地位を得ている。ゆっくりとした時の流れ、それと自然との共生を大切とした、全ての電力は地熱発電で賄われている。一方 GDP3位を公言する日本は 幸福度では54位 先進国でもっとも低い。これは評価基準が間違っていると言うのだろうか? そうだとしたら 世界の笑いものになるはずだ。
 幸福度は 個人に目を向けた評価基準、GDPはご存知の如く 国家の経済の総体、そこに住む国民の一人ひとりの意志を反映し どう活かされているかでは無い。
 日本がこの先 どの方向を目指すのか! より具体的に我々に判り易い公約を提示すべきで その検証は都合の良い数字の羅列ではなく真に公平公正な評価機関に託すべきなのである。だが事が起こると 第三者委員会が必ず登場してくるが そのメンバー選択を素直に信じられないというのでは実に困ったものである。
 ★へそ曲がり 何をホザイテも 所詮 曲がりもの(自己評価で~す)
 

3210:足元を見て

 しっかりと地に足をつけ 生きられたらと思うが、どうも足元がぐらついて 覚束ない。身罷る時が人生定年、ぴんコロリンを目指し、希望をもって日々是好日と・・・・・・。
 ここ数カ月は意識して外には出ず 施設と寺にいることを心掛けた。やることはいくらでも有る。毎日、つなぎ服を着て 環境整備、一日に2回着替えることもあり、知人から教えてもらい1年間芝と格闘、今の時期何をすれば良いかを電話で尋ね、指示に従った。結果は 思った以上の成果が見えている。今までは雑草に負けてしまった芝が 勢いを取り戻し 自然に雑草が減ってきた。青々とした芝庭、そこで遊ぶメンバー達、すると 今まで関心も無かった芝に愛着を感じ始めた。散歩で毎日利用する道路、ゴミや草を皆が取り始め 周りの環境が確実に良くなった。綺麗になってきたら 次に 草花を道端に植えるようになり、四季折々の花が咲く。
  市のゴミ収拾所、カラスが散らかすのは依然として無くならないが 誰かがネットを被せ、掃除して綺麗になってきた。この相乗効果は芝にもゴミにも起こることが判った。これだって止めずに続けることが肝心で やたらと効率化とスピードが関心事となってしまったどこかの国と次元を異にする。 スペインの港町、町全体が白壁、壁には色とりどりの花が咲き、地中海の青と絶妙なコントラスト・・・・・。夕涼みにお年寄りが外に出て寛ろぎ安らぐ姿がある・・・・白壁は自分達で塗るそうな。聴いた話だが、市が植木鉢を無料で配布しているとか・・・・。EUでギリシャとスペインが経済的にお荷物といわれるが しっかりと昔風の生活が守られていると思います。派手で大掛かりな事業より 日頃の身近な活動にこそ価値がある。住む環境の良し悪しは 住民の手がどれだけ入っているかで決まるのだ。膨大な予算をかけ 整備した環境はそれを維持するのにそれ以上のお金がかかる。資金がショートして  無惨な姿を晒すことになりかねない。
 私は高層住宅が林立する大都市に興味は無い。利便性を取ったら何が残ります?その理由は高所恐怖症(?)で下から上を眺めるだけで生きた心地しないからだけではない。30階~50階に住む方には失礼だが 足元が見えない住環境は 真の安心が無いと思う。
 有事に避難するにも 電気が停まれば どうでしょう?現に北海道で経験したではないか!
 様々な警鐘は、現実の日本の内政&外交 全てに言えることで止むこと無し。今もって盲目的な経済崇拝者達よ! しっかりと貴方の周りを見廻して いま何をすることが必要かを見極めるべきでしょう。貴方自身が 所詮は 高嶺の花と諦めて、偽善と私欲、仮想現実と被害者意識・・・・の虜だったら 話は別ですけどね。
 常識で考えても 海外と比べ幸福度が50位前後をウロウロしていながら 経済大国3位と大言壮語 これを恥ずかしと思わない感覚は 誠実さと謙虚さを見失った今の日本の7不思議!さも在りなん。
  このままだと 万が一 戦争になっても 経済第一のお題目を唱え続けることになりかねない。93才のマハテイール・ビン・モハマドがマレーシア首相に返り咲き、私は不戦を誓った日本を目標にしてきた。 今 それがおかしな事になっていないか!
 
 ”阿る(おもねる)”という言葉があります。機嫌をとり相手の気に入るようにすること、諂う(へつらう)と同じ意味。媚(こ)びるとなると 少々なまめかしくなります。
どうでも良い事なのですが これは 時と場合によっては そうも言ってられない。立場によっては 責任が問われますから 語った一語一語が甚大です。 謂った謂わない、知らぬ存ぜぬとなればこれは信用問題になる。対応次第では後々の障りになりかねない。
 問題が山積し どれもが中途半端となるとどうなんでしょう!困りますね。
 足元を見るという事は 近視眼的という事ではありません、寧ろ大局の見通しをもって対処すること。方針の変更も然り、時代を読み どう流れに乗るか???これって ホントかいな! 過去に囚われ 死守しようとする。これを批判する方がいますが、果たしてそうでしょうか?じゃ~ 何でも新しいことをやれば良いのか?この辺の判断は”臨機応変・応病与薬”ですよ。確かに 時代の寵児ともてはやされ 事業に成功した方も中にはおりますね。有頂天ってことかな!
 私は そんな人に巡り合ったことはありませんから 関心も湧かない。それより 只管打座、只管に座りつづける人に魅力を感じます。それには 外からの余計な情報を遮断する必要がありましょう。
 謂っておきますが 24時間365日座っていることじゃ~ありません。ま~敢えて言えば”反日和見主義”とでも言いましょうか?世間には二俣・三股をかけて 平気の平左な人がいるでしょう、これを世渡り上手と誤解している。
 怖いのは あまり そのことに長じると 自分を見失う恐れがあるということ。これでは 元も子も無くなります。気が付けば 蛻(もぬけ)の殻で愕然、実力も無いのに有ると勘違うからですよ。
  そういう人に限って、阿る人を寵愛し 自慢する、良くある話です。くわばらくわばら。只今の時間 Am5:06分。早朝は好戦的に成りやすい。く・わ・ば・ら。
  
 商売の激戦地区、これは規制緩和と銀行のカネ余りの影響?????でしょう。内需の拡大と謂われても 新たに買い換えなくとも用が足り、更に資源の有効活用と謂われたら そりゃ~物を大切に使いますよ。経済が上向きだと謂われますが、今朝のニュースでニューヨークダウが前日比で830ドル下がった。これは史上3番目の下落という。投資家からすれば それをチャンスに考えるというけれど 素人が手を出せば 大変だ。でもな~ 低金利がここまで長期化すれば 中には株に手を出す人も出るかもしれない。リスク分散で 外貨預金を奨められ、その気になってどうでしょう。
 でもな~ 結局は欲ばりな訳、判っている筈ですよ。それより 災害被災地の惨状がどうなっているでしょうか。先祖代々 住み慣れた土地を離れ 一から出直すとなれば 計り知れぬ苦労がまっている。これが現実です。
 便利さによって得たことも沢山あります。でも それと同じぐらい失ったものがある筈です。経団連が学生の就職活動の制限をやめると決めたら 経産大臣がそれに異を唱えたとか。それより 人がいるかどうかが肝心でしょう。企業努力で良き人材を確保、企業の将来性や働き手にとっての魅力度競争 天上無しでエスカレートしています。国全体のことを考えれば 確実に2極化が拡大し 結局 皆さんが目指すGDPとやらにマイナスの影響が出るのでは あくまでも素人考えでしょうが。
3期目就任早々 IMFやミャンマーの代表と対談した、いずれも女性で、日本の支援に感謝するとコメント。 昨日 トランプ政権を最初から支えてきた米国の国連大使が年内に辞任すると発表、この3人はいずれも優秀なる女性、安倍さんがどう感じたか。自ら3期目に挑戦、予定通り総理の席を獲て内閣人事、選んだ女性の大臣はたった一人。これをどう説明されますか?
 外交に力を注ぎ 在任中海外に出かけた回数は歴代首相で断トツ、そこで世界の女性の活躍を見てきたはずだ。 やれば出来る事なのに何故かご自分の内閣では そうしなかった。