源究167

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No テーマ 月日 No  テーマ  月日  No  テーマ  月日  No  テーマ  月日 
 2851 喜び   10/6  2856 尚恵祭  10/19   2861 一言   11/6  2866 響け   11/18 
 2852 連携して   10/9  2857 懇話会  10/24   2862 役員会   11/8  2867 つぶやき  11/20 
 2853 地域福祉   10/12  2858 グルグル回らない寿司  10/27  2863 冬に向かう   11/12  2868 同床異夢  11/23 
 2854 引っ越し   10/15  2859 霜月  11/1   2864 正義感   11/13  2869 判断力と決断力  11/27
 2855  煽   10/16  2860 お互いっこだっぺー  11/4  2865 イバラッパー   11/16  2870 鐘の音   11/29

 被災現況報告 常総市より 「NPO コモンズ」 ”支援の輪を広げましょう!”
    ☆法人で常総市の災害ボランテアとして週5日送ることにしました。(10月15日~) 
    ☆心身協から災害VS派遣、54施設から職員の派遣協力(10月28日現在)を得て、支援をスタートします。ご協力を心より感謝します。(10月31日

 
 心身協の支援VS(11/4)

2851:喜び

 ノーベル医学生理学賞を北里大学特別栄誉教授の大村智さんが受賞したニュースが大きく報道された。日本人で23人目という。医薬業界では有名な方なようですが、今まで受賞された方とはどこか違う、派手さはなく、只管研究を続けてきたというタイプ、有名大学ではなく地方大学出身でご本人の話では若い頃から勉強はあまり好きでは無かったという。大村さんが発見した抗生物質で10億人の生命を救ったそうだ。
 年齢が80歳ということもあり、まさに”一意専心”の人生道、今回の受賞は若い人達に希望と夢を与える今年のトップニュース。世間を騒がす不穏なニュースは山ほどある中で、実に判り易く、苦労が報われるという先人の教えを見事に実証してくれた。受賞を日本国民全員が心より喜んでいます。
 2008年にノーベル物理学賞を受賞された益川敏英さんの「科学者は戦争で何をしたか?」(集英社新書)という本を丁度読んでいる。・・・「科学の中立性が危うくなり、研究内容も市場原理に左右され、軍事利用も活発化しています。昨今の○○の動きを見ていると、危機感は募るばかりです。・・・」(本文より) 新発見が悪用されれば大変なことになりますし、それは表にならない所で密かに進んでいる。今回の大野さんの研究は、どちらかというと発展途上国などで蔓延する寄生虫による感染への特効薬に繋がったもの、WHOも医療支援で今まで10億人分の薬を配布した。アフガンで国境なき医療団の施設が誤爆によって大きな被害を出したというニュースとほぼ同じ時期に大野さんの受賞発表がなされた。
 災害は予期しない時と場所で起こる。今回、常総市という30キロと離れていない町で起こった水害が果たして想定できたことなのかどうか?未然に防ぐことと残念だが起こってしまってからできることもあると思うのです。自然災害と人為的な災害を見分けることは簡単ではない。近年の異常気象は、恐らく人間の為した欲望によるところが大きいと思う。方や慢心を排除し自らに課した課題を目立たず只管に取り組んでいる人がまだ沢山いると信じます。
今回の大野さんの受賞をそのような視点から受け止めていくべきだと思います。

2852:連携して

 常総市の最近の状況に関して、地元で復興支援を行っているNPOコモンズの横田さんから詳しい報告がありました。皆さんにも知って頂きたくHP上で紹介します。(上記)
 恐らく復旧には相当な日数がかかるものと思います。今までにいろんな方からご心配の連絡を頂き、ありがとうございました。常総市は関東平野のほぼ真ん中に位置し、鬼怒川と小貝川という一級河川に挟まれた穀倉地帯です。二つの川は普段は流れも緩やかで土手の広さに比べ川はそれ程広くないのですが、今回の大雨は栃木の山間部に降った600ミリを超える雨が鬼怒川に集中したために堤防の限界を越えてしまった。全国にリアルタイムで救助の様子がテレビ生中継された為に画面に釘付けになった方が大勢いたものと思います。自然災害の恐ろしさを実感しました。東日本大震災の復興が未だ終わらないうちにこの仕打ちは一体誰に不満をぶつけたら良いのでしょうか?
 茨城県民は私が思うに、怒りっぽいのにいざとなれば忍耐強く、復興に向けて気持ちの切り替えを上手くできる県民性だと思います。
 先の東日本大震災の時もそうでした。他県の方から何かお手伝いすることがありますか?と聞かれても「自分の所は大丈夫ですから東北の被災地に支援してください」と話していた人を大勢知っています。それと支援を行ってもそれを自ら誇らない県民性も感じます。
 被災地の現況を知れば、何らかの支援を必要としている方は今後増えるだろうし、それも長期戦になるものと思います。我々の仲間が具体的に行っている例ですが、避難者に対し施設の車を廻し入浴サービスを行ったり、視力障害の有るご夫婦に園内の住宅を提供したり、自家発電機やトラックを提供したり・・・・等。確実に支援の輪が広がっています。
 ただ、支援を必要とする方と提供する人との調整を行うのは難しい。当初、ボランテアを募集したところ予想外に多くの方が集まり、混乱したと聞いています。現在、被災地の常総市を始め茨城県も災害対策本部を設け、懸命に復興を進めております。皆さんが疲労困憊で誰かが替わりその間休んで頂くことを考えないと倒れそうです。
 このような時にこそ連携して困っている方達に手を差し伸べるのはいかがでしょうか。
 聞くところによれば、緊急性の高かった支援は大分進んでボランテアなどを縮小する話が出ているとのことです。昨日、現地を訪問し伺った話では住む場所を失った方達や災害弱者と言われる老人や障害者の方達に新たな問題がでていると伺いました。
 
  支援の輪は萎んだり膨らんだり、時間と共に変化し、徐々に元の状態に戻りつつも何十年と長い年月をこの地に住んで築いたものが一瞬に失った心の傷は、結局一人ひとりが自ら慰め癒していくことしかない。
 でも、それさえ出来ない人達がいます。・・・・≪これから沢山の福祉ニーズが表面化してくると思います・・・≫というメールを頂戴した。
 ★ 東日本大震災のあと♪「花は咲く」というNHK復興支援ソングが出来た。あれから4年半が経ち、山形の影法師という4人のフォークグループが♪「花は咲けども」という answer song を作り、ユーチューブで静かに少しづつ広がりを見せています。
   英語バージョン 『 Even though the Flowers Bloom 』

2853:地域福祉

 「茨城県障害者権利条例」の一部として障害者差別相談室が水戸にある手をつなぐ育成会の中に今年の4月1日からスタートしている。現在3名の相談員の方が来所や電話による相談に対応している。昨日、つくば市のイーアスホールにおいて、「茨城に障害のある人の権利条例をつくる会」の研修があり、参加しました。全国で最初に権利条例を作った千葉県の高梨代表の講演を聴いた。現在、障害者の差別解消に関する法制度は、虐待防止法、差別解消法、それと国連の批准を前倒しで県が条例をつくった所もある。茨城県はその中の一つで全国で8番目。今抱えている課題として、法律や条例ごとに別々に相談窓口や事務処理があり、利用したい時に判りにくいという不満がある。それと虐待と差別の区別がつきにくいケースも出ている。窓口の統合など利用する側に立った仕組みにしないとなるまい。
 福祉というものは、先ず課題有りきで今日の状態になったと言えましょう。ご承知のように制度の改正も常に行われている。・・・・が、それが周知できていない。いま検討されているマイナンバー制度、社会保障や税手続きが簡素化されるというが今後どうなるのか?
この国はこれから先益々複雑になっていくのではないだろうか。つくば市での研修に昔からの知人が参加していた。彼は市会議員を長年つとめ福祉や教育に熱心に取り組んでいる。
 「ダメだ。ここに教育関係者が全く参加していない。教育だよ教育。小さい時から先生が福祉を教え、体験させないと無理だね!」と言い放って帰って行った。この国の課題は誰もが判っているんだよ。それを自らがどうするかという壁を越えられない。何故でしょうね?他人任せ? 何不自由なく、便利で安全な環境に育った人間は、言葉だけでその責任と行動が曖昧となる。豊かさへの偏執と誤解がある。
 様々なメッセージが送られる、原発事故、地震、津波、竜巻、水害、山火事、大気汚染、・・・・挙げれば切が無い。そしてテロの拡大は深刻、自然災害と同時進行ですすむキナ臭い動き。情報の隠蔽やおのれの利害を意図した攻防など。
 さてと地域福祉とは? 何か異次元のテーマに取れてしまう。本来、人間が生きて行くために必要な条件は、それほど大差はないのではないでしょうか。衣食住にしたって摂取カロリー、寒さを凌げる住居しかり、限度を弁えないと不具合が生じ、それが苦しみの元になる。どんなに長生きを望んでも150年や200年を生きることはできません。人は孫や子に何かを託し、自らは老いて消えていく。その”何か”がなんなのか?良く見ていると将来を担保にした議論が多すぎます。負の遺産をどれだけ残せば気が済むの? 彼らはそれを負の遺産だとは感じない。ここが根本的に間違っている。身近に困っている人を見かけたら貴方は手を差し伸べようとしますか?
 知らぬ振り? それとも誰かの所為にする?これは”福祉”の原点で制度や仕組み以前の条件であったはずですね。
  厚生園の改修工事、先日入札を行い、請負業者が決まりました。その間、旧成人寮に全員が引っ越しをすることになった。新棟に移って半年使っていなかった設備は、あっという間に使用が出来ない状態になっていた。大掃除を毎日行ってどうにか2日後に引っ越しをすることになった。利用者の中に目が不自由な人や車イスの方もおり、2か月間の生活がどうなるか心配しています。
 2か月という期間でこれだから、被災地で避難生活をされている方達は毎日不自由を感じながらいつになれば元の生活に戻れるか気を揉んでいるはずです。ストレスも多く、体調も良くない人も出ている。
 その方達へのニーズ調査がやっと始まる。我々としても何ができるか現地と毎日連絡を取り合っている。
★ 「出る杭は打たれる」・・・さしでて振る舞えば他から制裁される。時代が変わっても人間の感情ってもんは同じだわな~。

2854:引っ越し

 秋晴れの好天で気分爽やかとはいきません。なんとも困ったものです。虫眼鏡で捜し物をするような、視力も落ちたからでしょう、思考力も低下し何を捜していたのか忘れる始末、認知症?。昨日はあっちこっちいろんな事がありました。
 県の全国障害者スポーツ大会、和歌山大会への選手団の結団式、今回は激励の挨拶をさせていただいた、カラフルな茨城県のユニフォームを着た選手団は総勢60名強。選手の皆さん全てが目が輝いていた。
 園に戻り、寮の引っ越し状況を見に行った。最初どうなるかと心配、夕方には、どうにか落ち着き、自分の部屋が判る人達ばかりでないから、そんな人たちは廊下をウロウロ、恐らく疲れてしまったのだろう玄関先に座りこんでしまった方もいた。今日から2か月の予定で集団で寮を移動した、その第1日目、改修工事が終え早く綺麗になった寮に戻りたい。午前中に県立医療大学の体育館でトリムバレーが行われ、その開会式に出席した。そして、常総市の被災支援の件で、何人かと連絡調整、携帯の電池キレ、久しぶりに長電話が多かった。
 ”ガンバレ”という声掛けは微妙、相手がストレスになるらしい。これだけ自分は頑張っているのに更にガンバレとは?自制心とは感情のセルコントロール、恐らく何かと比較している。自らの過去?誰かとの?
 アッそうでした。昨日は知人が出している書展に立ち寄った、偶然にも去年世話になった元村長さんと会場でお会いして3人で歓談、書展の案内ハガキを頂いたからか、一番爽やかな顔をしていた方は一枚300円する書用の紙に30枚書いて練習し、その中の1枚を出展したという当人だった。同じ障害福祉の仕事をしてきた仲だから、お互い気心は知っている。定年後、頼まれて施設長を10年勤め、後任者と交代し、今は自由気儘(?)な日々を送っているとか、現職当時は家を出る時には車中で軍艦マーチをかけて通勤していたという。その真意は如何なものか?24時間10年ずっと緊張状態だったと話すその顔は前とはハッキリ変わっていた。
 合縁奇縁、悲喜こもごも・・・・・生きた証、それは振り返れば為せる技、一所懸命に自分の花を咲かせれば例え一夜にして華が散ったとしても本望だ。
 人それぞれには色がある。もし、単一色で世の中が染まったとしたら尋常ではない。様々な意見があり、相手を認め合う関係が”共生”、我が法人の設立来からの目標です。
 
 

2855:煽(せん)

 名だたる企業の不祥事が表に出てきた。ドイツの世界的な自動車メーカー、日本の不動産業界て名の知れた大企業の建築法違反、更に建築用免震ゴムメーカーのデーター改ざん・・・・等々、信用を根本から揺るがすような事件が立て続けに起こった。その謝罪の内容は、元受の責任を下請けに擦り付けたようなものばかり、そうそう、忘れもしない世界的な企業が粉飾決算で叩かれました。
 恐らく、競争、競争の今日の状況から、これ位は許されると思った誰かが発した火種が燃え広がって消すに消せない状況に至ったものと思う。企業モラルは業績と一体であるべきなのに、いつの間にズレてきた。
 株価の上下に一喜一憂して、これを政策の是非と併せ論ずる輩も情けない。メデアも挙って報道するが、その裏の実態が暴かれると黙り込む。”煽動”の”煽”は「あおる」&「そそのかす」という意味。火偏に扇という字は、火に油を注ぐに通じる。超大型台風の暴風に匹敵しよう。
 大企業には官界からの天下りが常態化、企業責任を個人が辞めることで良しと勘違う、企業は吸収合併によって規模拡大、子会社の不祥事を親会社が全面的に負う仕組みがこの国は未成熟。これも経営のリスク対策? 今回の問題がどんな道筋で進むか静観したい。
 足元に目をやろう! 福祉・医療・介護・・・の業界も正しくこれと同じルールで規模拡大、多角経営を推奨する。持続可能な社会を叫ぶ割には、今のお年寄りはあと何年かたてば皆さん身罷ってこの世を去る運命。需給バランスが逆転しその時にお客の取り合いが必ず出るだろう、それをサービス向上と結びつけ、お馴染みの競争原理が顔を出す。福祉は本来、資本主義に馴染まない。例えばこんな風に感じませんか? その種の経営者が高級外車を乗り回し、得意になっている場に遭遇した時、私だけだろうか、貧血に似た症状、脱力感が襲ってくる。
 このままでは良くないと感じている希なる人達が、小樽に集まり、夜を徹して話し合おうという。私も恐る恐るそこに参加する。”我田引水”と評されても構わない。”我が田に水を引く”の本来の意味は自分の利益になる得手勝手な行為を風刺したもの。昔は水争いなどが止まなかったが今は違う。
 耕作放棄した田は、1年で荒れ果て、隣の田に雑草が侵入し偉い迷惑になっている。水を争うどころか、干からびた水田に水を引こうとしない時代になった。
 これで良しとした農業政策、今以上に日本の食料自給率は下がるはず、反対を宥める為か補助金を乱発し、働く意欲を損ねても、これで良しとした。
 福祉・・・・規模拡大多角経営は合理的な事業展開だと推奨、これで良しとした。本当にそうだろうか?”こころ”云々と言えば、前近代的経営と揶揄され孤立する。これで良しとした。
 そこに猛然と反旗を翻す。もしも飼い慣らされ、不便を受け入れない人ばかりになれば、いざ自分が困った時に慌てても時既に遅しと言えまいか。”煽”という字が私に語りかけることを文字にするにはどうしても字余り(?)となる。
 
  現在、一寮舎の改修工事中(工期2か月)、利用者さんもスタッフも慣れない場所(旧成人寮)で四苦八苦、一方、工事現場はハズリのけたたましい音が鳴り響く。ご承知のように取り壊すにはべらぼうな金が掛かり、始まったら次々に直したい所が目立った。
 土浦協同病院に今二人入院している。様子を見に行く。受付の所でウロウロしていると二人の方より声をかけられた。「あれっ ・・・」と気まずい思いと「どうしたの?」という相手を気遣う思いが交錯。
 毎日面会に来ているお母さんと病室で話をした。「○がお世話になってもう40年以上だもんね。なんと言ってよいかわからないよ。」 ○さんがいたから自分で車の免許を取った。そして、毎日40キロ道のりを娘の面会に通って来る。

2856:尚恵祭

尚恵祭が恵まれた天気の下で開催されました。旧成人寮が気のせいか喜んでいるように私には思えた。今年は例年になく、動きが激しい。4月から新築なった寮に全員が移り、旧成人寮は蛻の殻となった。4月から法人で一番広い駐車場に停める車の数が急に減って、なんとなく寂しく感じた。8月に敷地内の自活寮をGHに変更し再開、10月から厚生園の改修工事が始まり、2か月間の予定で全員が此方に引っ越しをした。
 まだ慣れない生活の中でメンバーさんやスタッフが手作りの祭りを行った。新たな出し物があって皆さん大喜び、それと3つの学校からのボランテアの若者たち、地元湖北高校の吹奏楽の演奏、屋外の行事で雨の心配をせず実施できることの素晴らしさを久しぶりに味わった。
 親たちが随分歳をとった。足腰がまがり、歩くことが儘ならぬ方が目立った。私は、特別の思いがある。昭和52年、私が27歳の時に小高い雑木山を平地にして、成人寮の建築を法人が決意した。初めて任された大きな仕事、途中、想定していなかったことが次々に起こり、夢中で対応、2年後にやっと完成し、尚恵学園が2つの施設になった。職員の数も倍になり、100メートル程しか離れていないのに、連携の難しを経験、2年前にできた通勤寮には地域で働く人たちが利用した。その後、毎年のようにGHを作り、デイサービスセンターも併設した。
 今年就職したスタッフが祭の最後にステージに上がり、自己紹介を行う。8名だった。
 懐かしい旧職員も参加してくれた。学園を利用されていて亡くなった方のお母さんも手伝いに来てくれた。
 多くの人達に支えられて今があることを実感した。・・・・・・が、それは目に見えるもの、確実に家族の面会がない方も増えた。彼らの心中を想うと複雑だ。ベテランのスタッフは弁えていて、彼らへの気配りを怠らない。
 それと、今、入院している仲間が4名、必死に病と闘っている。
  あるご父兄が「今度は老人施設が必要ですね」と話しかけてきた。ハッキリと尚恵はやりませんと答えた。確かに車イスのメンバーが増えている。70歳を超えた人もいる。当然、親がいない人も・・・・
 この先日本の社会保障はどうなるか判らない。昨日、ドイツの横井さんから電話があり、久しぶりに話す。「ドイツは今、大変だよ。難民が100万人、メルケル首相は受け入れると言っている。これは彼女の哲学なんだけれど、同じ政党の議員でも反対する人がいるんだ・・・・・・」
 戦後70年、日本では記念行事が目白押し、その中で「二度と悲惨な戦争は起こさない」と約束する政府、しかし、多くの国民は、それとは真逆の流れを感じているのではなかろうか?もし戦争が起これば、尚恵学園の60年の歩みなど一瞬に消え去る。何故、同じ敗戦国であるドイツと日本がここまで戦後の歩みで違うのだろうか、これに対し、明確な回答は示せていないでしょう。それに国民全体が国の有り方に関して充分な議論をしてきたか?
 寝る子を起こすようだなどと心配せず、隠し立てすることなく語り合う場を設ける責任が政治にはあるはずだ。
 今も避難生活を続けている多くの方達を想うといつまでも祭り気分ではいられまい。
 何が平和か?と問われ、先ず最初に浮かぶのが子供たちの笑顔ですよね。なんとはなしに観るテレビの画面、そこには砲火の下を逃げ惑う人達、正直、一瞬目を背けます。
 私たちができること、必ずあると思います。それには”アキラメナイ”ということが大切です。
 
  午後から事務局長と一緒に常総市の災害ボランテアセンターを訪れる。一時期より出入りする人の数は減ったと聞いたが、それでもいろいろな人が動き回っている。担当の方と話している間にも電話や呼び出しが引っ切り無し、この状態を40日以上続けてきたかと思うと言葉が出ない。中には体調を崩し、職場を離れる人達も出てきたと聞く。外部支援(大阪・静岡・石巻など)の人たちが帰っていき、さて残された人だけでどれだけ要望に応えられるか?
 地元に帰っていく支援ボランテアの方もその辺が気になっている。我々心身協に支援要請が届く。さて、これからが我々の力量が試される。

2857:懇話会

     

2015・10・22(小樽)

 小樽の浅里温泉で行った懇話会、参加人数20名の限定で1泊、好天に恵まれ、紅葉は既に終わりかけていたが予定した全員が集合し夜遅くまで語り合った。後日、その報告をさせて頂こうと考えているが、正直、テーマはあって無き様なもの?中には物足りないと感じた方もいたかも知れない。でも、どうでしょうか?私たちは一方通行の話を聞く研修には慣れているが、自らの考えを述べ合う集りとなると腰が引けるものです。そこを敢えて狙い撃ちした事務当局、これを機に毎年1回、場所を変え開催しようとなったのだが、次回は愛知県に決まり、その後が茨城ということになった。
 あと2年後ならこの業界もどうなっているか判らない。しかし、明日の福祉を考えるというテーマは未来永劫に続くはず、そこを見据え自分たちが現状をどう思い、それにどう対応するかという基本課題は変わらない。要は綺麗ごとや格好つけ&自慢話の発表会ではなく、ホンネで語るという条件付き。誰だって思うように事が進まないと感じているのだから・・・・・
 丹前浴衣で車座で話すとなれば、当然人数は限られる。毎回ゲスト(?)を迎え、会場は街より離れた自然豊かな地を選ぶ。茨城開催となれば”大洗”が直ぐ浮かぶ。島国を体感し、豊かさ(?)の象徴である東海村原発が直ぐ傍にある。何せ今では数多くなった原発の最初にできたものである(1956年)。
 政府は”一億総活躍国民会議”を今回の組閣で新しく設置した。その担当大臣の話を今朝のBSテレビで聞いた、いくつもの省庁を束ねるような中味で私には正直判りにくいものだった。 なんとなく 否 確かに 今の政治家さん達は複雑に複雑にすることがお好きなようで、どうなんでしょうか、一つの省庁を新たに作るだけで相当な経費がかかるのでは?????
 兎角、日本人はアイツは右だとか左だとか区別するのがお好きなようで、それなら「アンタはどっちなんだい?」と逆に聞きたくなる。それよりも本当の右や左がいますかね。
 この曖昧さが許された時代、それと便利さを誰しもが望んだ時代、これは確実に変わっている。続発するテロや異常気象、収まる兆しなど無く寧ろ毎年酷くなる。しかし残念だが、それに気づいていない人達が実に多いのも事実でしょう。
 思いを共有する連中がその土地土地にお邪魔して政治色ゼロ、宗教問わずで集まって語り合おうという主旨。それって企画者の自己満足?過信?なんでこの忙しい時に暇人?それより今回だけで消えてしまうか否かも判らない。でも、何もしないで良いのかな・・・これは福祉だけの狭い問題では無いと思うから、私は今回のお誘いに喜んで参加した。贔屓目にみて結果は60~70点。課題が残るから逆に良いのです。
  1日たって思ったこと。日本語で言う「福祉」という言葉はヨーロッパやボルネオには無いという。日本だけじゃないかな、殊更に福祉福祉と騒ぎ立て、ああだこうだと言う国は? 何故なら福祉=幸福となれば、言うまでもなく、当たり前のことだから。それと外国からみて今のこの国はどうみられているのだろう?
 welfareのfareはfairと同音で「行く」が原義、「乗り物」とか「料金」という意味がある。先人がwelfareを福祉と訳し、その意味に人間存在の根本価値を据えた・・・・・。福祉を声高に叫ぶ度合い、高ければ高いほどその国がwellでは無いという逆定理ではないか。
 仏教では、三毒(欲・恚・愚)、それに対し三善根(施・慈・慧)をもって、苦しみからの解脱を説く。今の福祉実態で損得勘定が見え隠れ、慈しみや優しさより流れ作業で良しとしたら  どんな御託を並べても結果は見えてくる。
  智慧を働かすとは、意気地とその覚悟が条件、”不立文字” つまりは文字や言説をもって伝えられない。以心伝心と同じ禅の教えに帰着する。
 ★ 福祉という言葉が消える?・・・・うーむ。霜月を前にして 寂寥感に苛むる。ど根性ガエルよ!目を覚ませ。 

2858:グルグル回らない寿司

 「グルグル回らない寿司食べた!」という。GHの3人組が自分たちで旅行を計画、行き先は金沢、開業間もない北陸新幹線に乗るという。勇んで出発、随時、携帯で報告してくるので余り心配はしていない。3人道中は何となく想像できる。宿も見学先も3人で話し合って決めた。いつもはグルグル回る寿司屋に行っていたのだろうが、今回は回らない寿司。ホホーン やるな!恐らくリーダー格のKさんの提案?
 彼らは良く働き良く食べる。職場でもうるさい位に良く喋る。休みには近くの畑で野菜を作り、作物が出来たら持っていくよといつも言うけれど、今だに届いた試なし。通勤寮からGHに移った彼らだが、ある意味では優等生、時として寂しい顔もするけれど、そんな時は決まって家族との関係だ。こればかりはなんとも仕様がない。親を想い家族を想う。
 さてと、此方の方は、やけにグルグル目が回る。忘れっぽくなっているのは年の所為、それにしたってそのスピードの早いこと。どうにか進行を食い止めようと数独なる頭の体操に夢中になってはいるが、その効果は然程なし。
 日替わりメニューの如き生活に、一体何をやっているのだろうと自分を責めるのだが、ここで忘れっぽさが吉となる。
 ものの本によれば失敗・批判・苦情・・・等々、これこそが宝物? 確かに一部は活力源になっているような気もするが、再生可能なエネルギーには程遠い。
 なせば成る 成らぬは 秋の新芽かな。
  秋は絶好の旅行シーズン、スタッフとマンツーマンの旅あり、宴会旅行あり、ハイキング旅行あり・・・・。尚恵学園の様子が変化し始めている。これは私だけの実感?
 正直、切なくなることも多い災害VSを心身協がスタート、9月10日台風18号の豪雨が齎した鬼怒川決壊、あれから50日が過ぎました。声掛けをしたら県内の会員施設57カ所(10・28日現在)から職員の派遣協力を得ました。
  現地と調整しながら、どんな小さなことでも良いと思う支援の輪を広げたい。協力していただいた会員の皆様に心から感謝しています。派遣したくとも出来ない施設も必ずあります、その方達には、また違った形でのご協力を
  お願いするかもしれません。(事務局)

2859:霜月

  差し出がましい事はしたくありませんが、頼まれるとNOと言えない自分がある。いつもそれで悔やむのだけれども持って生まれた性分で止められない。もうこれで行くしかねーえや。10月15日より常総市での災害支援に職員を派遣しています。その報告がPC上で誰も確認できるようにした。我関せずにならぬようにとの配慮、要点だけの報告だが、そこから見えてくる現場の状況が想像できます。移動サービスのグループに入り、9時から4時までの時間張り付いている。幼稚園に毎日送迎している子には障害(自閉症)があって、母親にも同乗してもらっている。2日前の報告にお母さんが相当疲れている様子に思えるというものがあった。被災後、2か月にならんとする。生活環境が一変し、家族は混乱した日々を過ごしているのだろう。今月の中旬には、災害対策の体制を変更するという話を聞いた。規模を縮小し、市に一本化するという。今までに災害支援ボランテア延3万人以上の協力を得て、4500件以上の様々なニーズに対応、初期の目的はほぼ達成したという判断のようです。(10・25現在)
 それは喜ぶべき事、被災された人達の気持ちを想えば一日も早く元の生活に戻りたいわけです。しかし、まだまだ手が届いていない事ってあるんじゃないのかな~。
 少し横道へ、2日前、つくば市であった坊さん達の研修に参加、その時の講演は福島県南相馬市の住職で、東日本大震災から4年半が経った今の状況とこれからの見通しについて話を聴く。私の住む土浦と南相馬市はJR常磐線と常磐高速道で約200キロという距離である。常総市との比較は出来ないが、現在も復旧が思うようでなく、特に福島県は原発事故による立ち入り禁止地域が今も存在する。人通りが全く無くなった街、今、工事用のダンプ(1日2000台?)が引っ切り無しに行き交い大渋滞だという。2軒あるコンビニは復旧作業にあたる人達で連日一杯だと。これが4年半経過した被災地の実態・・・・・。
 私は昨今の『支援』という言葉がオカシナものになっていると感じている。例えば社会保障審議会では、テーマごとの委員会があって、有識者や関係者がそれぞれの委員会に集められ検討がされ膨大な資料が出される。一方、福祉の支援を必要とする人達に対し、この国の実態に私はどうしても陰をみる。それは、目の前に助けを必要とする人がいるのに、面倒な手続きや取り決めがあって、すぐ利用できない。いつの頃からこうなってしまったのですかね~?
 決め事が多すぎて制度に縛られ身動きが取れなくなったと思うのです。個人情報保護や賠償問題、労働基準法やら差別禁止法、建築基準法や環境問題・・・・もう、あげたら切がありません。それらが微妙に絡み合っている。
 だから支援を必要とする人達に手を出せない&出さない状況が歴然として存在する。
 本筋に戻り、今回の常総市への災害支援に関して、判り易く茨城弁で言えば”お互いっこだっぺー”、いつ自分たちが助けを借りることになるか判らない。無理をすることはない、出来ることで・・・・・。という事なんですよね。
 第1日目の11月2日、生憎の雨、泥カキはできない。事務局より今日の活動は中止という連絡が入った。

2860:お互いこだっぺー

 朝一番の電話、「担当職員の○さんに伝えてくれれば良いです。△が理由は判らないけど今朝出勤していない。連絡を頼みます。」という職場からの電話。△がGHの■さんだと判った。
 後でスタッフから聞いのだが、彼は今までにも何度か無断欠勤をしている。理由が自分では言えない、休んだ日はパチンコなどをやって過ごすようだ。職場で何かが有ったのかホームの中か・・・・・・・。彼らが地域で生活するにはどうなんだろう?住み易い??  
■さんは、無断で職場を休むことはいけない事だと理解している、その理由を誰かに言えないことのほうが問題だ。頭ごなしに注意したとすればどうなるか?恐らくGHから出て行ってしまう。
”お互いっこだっぺー”&”俺だって同じだー”という類の言葉は■さんにはあまり掛けられて来なかったんじゃないだろうか。恐らく彼は今までに多くの失敗を経験している。だから”また、言われた”と直感的に感じてしまい心に止めない。
 「受容」相手の有りの儘を受け入れる。それが関係をきづく入口だと教わった。(仏教でいう「無我」とどこかで通じる。)  誰も「受容」が一番苦手だと判っている。
 昨日の法事、顔見知りの方達だった。平成5年に亡くなったお父さんの23回忌、私の父と同じ年に亡くなった。終って帰る時に、娘さんが「死ぬまで元気が一番」と言った。参列者皆さんが笑った。「ご面倒おかけします。」とご主人に頭を下げられた。そこで また笑った。
 「死ぬまで元気」には、いろんな意味がある。面倒をかけたくないという気持ちとまだやりたいことがあるから・・・・・等々、70歳を過ぎてもいろんな活動を積極的に行っている娘さん(?)の生き様。
 物も言い様だ、相手の短所を長所と思えば角が立たない。不満を言う場合、必ず「自分は」という価値の判断があって、不平や不満として相手を見てしまいます。その隙間が本当は”お互いこだっぺー”という茨城弁には含まれる。
 争いや報復が当然と考える昨今の風潮、一歩間違えば地獄と化す。
★『地獄の沙汰も金次第』は英訳で Money  is  the  best  lawyer  ・・・・資本主義経済(?)のすきま風!。昨日8時、常総市の災害ボランテアセンターは、既にVS受け容れ準備中の多くの人達が動き回っていた。
 その姿を見て思った。Money is  one  lawyer   この風をどうにか 永田町に向けて吹かしたい。(赤・白など関係ない。お互いっこだっぺー)
 *ドイツでは大学授業料は無料、医療費も無料、積極的な難民の受け入れ・・・など国家としての目的がハッキリしている。住み易さと老後への安心の尺度さえ不明瞭な国とは偉く違います。グループホームの制度そのものも
仕組みを真似るだけでは、主役が利用する人たちなのか支援する側なのか曖昧になりますね。

2861;一言

 名言・格言いろいろあるが、何気ない一言(ひとこと)の中にその人のホンネがあるものです。日本語は他の言語に比して、実に多種多様ときている。これが良い時とそうでない時がある。私の身近な例で言えば、海外からの働き手を受け入れるという場合には言葉が障りになることが多い。福祉や医療現場でなかなか外国からの働き手の受け入れが伸びないのは、問題がそこにある。
 
 こんな話を聞いたことがある。知的に障がいを持つ人達が何かの海外イベントに参加、現地の障がいがある人達との交流の場で付き添いの方より当人同士が意気投合し、直ぐに仲良くなったという。
 TPPや安全保障の交渉は、利害が複雑に絡むから難しい。会見席での各国の代表者の表情から、裏と表が見え隠れ。ああ・・・・嫌だ。
 そんな時、一言「ダメだった」とだけ言う人は皆無、近頃流行りだした期限を設け、継続審議となりましたという意味は、どうにでも受け取れるし、知らない間に決まってしまっても判らない。
 無関心でいるか、自ら行動に移すかは人それぞれ。これだって今の日本の偽りのない実態でしょうね。平和? そうでは無く、どこかがオカシイと誰もが感じている。昨日ロシア航空機の墜落のニュースを聞いた時、大変な時代を迎えたと思った。真相究明を待つべきだが、果たしてそれで何らかの解決策が見つかるだろうか?何かより難しくなる思えてしまいます。
 惨事が起こった時、被害にあった人やその家族の怒りや悲しみが必ず生まれる、これは国や政治とは関係なく、万国共通の人間としての感情です。本来、宗教が道を誤らないように果たしてきた役割は大きいのだが、逆に宗教が利用されてしまう。
 人為的か否か、自然異変によるか否か・・・・・。
 多くの言葉はいらない。今の流れのスピードを遅らせるブレーキ役が必要だ。誤解を恐れず言うと、知識は要らない。智慧を学べ!生きる喜び、相手と上手く付き合える術、相手を受け入れる心、無功徳・・・これらは知識では語れない。
 その真逆の姿で、笑顔や綺麗ごとを言う輩が背面にニョキリと立っている。背後霊??気味が悪い。
・・・・この子ら(障がいがある子供たち)を 世の光に・・・・(糸賀一雄) この先人のことばが今ほど大きく観える時を私は経験しなかった。
 
5時を過ぎると周りが急に暗くなる。大きなリュックを背負ってトボトボと前を歩くFさんの姿を発見、私も病院の見舞いからの帰り道、彼の後を付いていくと、私に気付いた様子。振り向くと「ぶくし~か?なんだよ。歩ってんの?」と大声を出す。「そうそう、たまにね。歩くんだよ。リュックに何入れてんだい?」「着替え」「ああ・・石屋さんだもんな、良く頑張ってるよ エライ」「お正月 おウチに帰んの」「お母さん一人だもんな」「ウン」・・・・こんな遣り取りがあった。
 すると私の首に強く手を廻し、力一杯締め上げる。「コリャー ぶくし お墓作れ!」と石材店の営業を開始した。「もう 作ってあるよ」「なんだ。作ってあんの」   彼は忘れている。10年以上前になるだろう彼が勤める石屋さんに頼んで墓石を作ったことを・・・・・・・・・・・・
 彼とは40年以上の付き合い、恐らく一番長く続いている彼の職場(Y石材)、仕事で鍛えた体は刃がねの様、児童⇒成人⇒通勤寮⇒GH そして一般就労。紆余曲折有ったけれど 彼のガンバリが道筋として今ハッキリと思い起こせます。

2862:役員会

 定例の役員会が午後からあった。皆さんお忙しいのに多数出席して頂き感謝で一杯。用意した議案は3点、定款や規定の一部変更の承認と改修工事の入札結果の報告で特に質問も無く、無事終わった。それでお開きとはならない。どなたが口火を切ったのか定かでは無いが、出るわ出るわ様々な意見、現状の良し悪しは勿論、これから先どうするか?議長などお構いなしで話が続く。時計をみると2時間が経とうとしていた。
 役員さんにはいろんな方がいて、話題が偏らず、自画自賛になるから多少は遠慮はあるようだが、私もいくつかのこの種の席に顔を出し見比べてしまうのだが尚恵学園の役員会は一種独特なものがある。
 いろんな話が出た中で一つだけご紹介します。
 恐らく20年~30年以上昔のことだと思うのだが、児童相談所に勤務されていた頃の話、   ・・・・近所の方が見るに見かねて多動で大変な子供さんを一時預かってあげていたら、その子が溝に落ち不幸にも亡くなった。その後、裁判になって預かってくれた方が有罪になったという。その時、もうこの国では親切心から手を貸す人はいなくなると直感したという。・・・・・。
 ・・・閑話休題・・・・
≪個人がそれぞれ自由に自分の利益を追求し幸福を追求するのが近代社会というわけで、そのためには、個人の多様な幸福追求をできるだけ平等な権利として保証する。。。。これが現代のもっとも「標準的」な価値観「リベラリズム」・・・。(P15)
≪「自由」は決して無制限・無条件なものではなく、いくら『人間宣言』に人は生まれながらの普遍的な権利を持つと謳われていても、「権利」には常に義務がついてまわる・・・。(P17)(「反・幸福論」佐伯啓思箸)
 日本では個の尊厳(権利)を叫ぶ割に義務の軽視が増幅しているように思える。万が一不測の事態が起こった時、知らぬ顔をする人間ばかりになったとしたら、結局「幸福」とは縁遠い社会になるかもしれません。断定はできないが、このまま進むと確実にそうなってしまうのではなかろうか。
 ついでに横道へ・・・・昨日全く知らない会社から私に電話があった。ホームページ作成の会社なそうで、「お宅のHPをもっと見やすくしませんか」という。「余計なお世話だ。こちとらには”拘り”がある」と言ってやった。
 今は情報をスマホで得る方が増えているので、アナログみたいなお宅のHPをアクセスしやすいようにしたらどうですか?という提案だった。正直ムカついた。
 皆が皆、スマホに釘付けになって、いまどんな問題が起こっているか?知らないのか。便利さ・豊かさ・を追い求めるのは個人の自由だが、世の中にはそれとは全く無関係な人達が沢山いることを彼らは知らない。常総市で今 現に起こっていること、独居老人の家が市内だけで600軒以上あると言う。決壊後しばらくの間、電気が使えなくなり、世界に誇る(?)日本の通信網が大混乱、それでどうなったか?世の中に市場競争が激化、次々に出す新商品を売り歩く人達、これも生活の糧を得る手段ですね?否定はしませんが、ちょっとやり過ぎじゃーありませんか。
 どんな便利な道具でもサイバー攻撃に会えば元も子もない。 最も強烈な攻撃は人為的なものでは無く、自然からの攻撃だと考えないようだ。商品開発で地球環境の悪化そのものの原因は人間のエゴ(欲)から生まれているという事実も認めねばならない訳ですよ。
 こんな具合で役員会が時間超過してしまった。お忙しい処 誠に ありがとうございました。閉会  
   昨日今日と茨城に纏まった雨が降っている。常総市から災害VSの活動中止の連絡が入り、派遣当番になっている施設に連絡をした。
 できない理由を次々に思い浮かべ、良しこれで行こうとその場から離れるか否か、自らのこころの内が試される。正直な話、遠慮しながら仲間に協力を要請し、見切り発車で始まった今回の活動、どうも気になって仕方がない事例に遭遇する。表玄関より堂々と入ることはどうなんだ?個人情報保護法に抵触? 良き有らねばと思って作られた制度や法律が邪魔をし、タイムリーな支援を逃すことも現実に起こっている。変化するニーズにどんなアンテナを張り巡らしても架からない事もあると思う。

2863:冬に向かう

 久しぶりに大宮駅に降りた。2日間の研修に参加するため、茨城で2年前に実施した時に多くの方達にお世話になった。そのお礼返しというのが正直な思い。昔を知っているから、尚更かもしれぬが、普通電車で上野から30分の大宮は、東京と何ら変わりなし。昔、唯一聳えていたソニックセンターのビルは周囲にドンドン建物が建って、目印にならず、研修会場に辿り付くまでに苦労した。
 定番の研修は、開催県の準備の苦労を知っているだけに、中身より裏方の動きが気になった。夜は茨城のメンバー達、それと紛れ込んだ(?)群馬の連中と合わせ15~6名と居酒屋での情報交換、その中に今回は20代の支援スタッフが加わった。
 埼玉は若手の人達が研修を企画したという話を聞き、成る程なーと感心、季節は確実に冬に向かうから、厚手のコートを持参したが、夜の気温も想ったほど下がらず、一度も羽織ることなくカバンの中。
 研修の中味については、各県の想いを感じればそれで良し。それより、ちょっと気になったことを紹介します。
 翌日、昼ごろの電車に乗ろうと駅に行くと、早朝に大宮駅構内で起こった人身事故の影響がまだ残っていた。時間調整中の電車に乗って暫く待つことにしたが、そこで見た光景が異様、殆どの乗客が携帯と睨めっこ、隣の方と話す様子は皆無、一体何を見ているのか判らないが、事故の事には全く無関心、・・・・・・この状況が毎日、日本のどこかで繰り返し起こっていると考えたら、恐ろしくなった。
 高崎線で起こった事故の影響が6時間たった常磐線のダイヤにもまだ残っていた。これが現代の日本の大都市周辺で起こっている有様なのだろうか。
 早目に失礼して帰ってきた理由は、今、入院中の利用者さんへ主治医から話があるということで家族と一緒に病院へ行くため、今、現在法人全体で入院されている方は4名いる。2名は近日中に退院する予定だが、快復したからという理由ではないから複雑だ。主治医の先生は、園の事を良くご存知の方だから、この先の事を心配して、家族に話をしてくれた。
 そうそう、携帯の話、そういう自分もガラケーだが、必需品となっている。外出中などお構いなしに電話が入る。相手は様々だが、必ず法事の予約電話があって、いつもこれで失敗をしている。何せ2か月先の話など、約束してもどうなるか正直判らないのだが。
 携帯の電池が切れかけているのを知り、近くのコンビニに充電器を買いに入ったが、全てスマホ対応で私の機種に合う充電器は置いていなかった、ホテルのフロントで尋ねたらそれ用の充電器が用意されてあり、ホッとした。
 昔は、PCを持ち歩いていたが、そこまですることも無いと言われ、止めにした。
 結局、疑問を感じながら文明の利器に縋ってしまう自分がいる。
 程ほどに付き合っていこうとは思うのだけれど、諦めと焦燥感が付きまとって離れない。
 冬に向かう、一先に体感するのは北国の住人、最低気温が0度以下になりましたというメールが札幌から入っていた。新聞記事によれば北海道の超有名なリゾートスキー場が上海企業に買収されたという。こころ穏やかでない日本人も少なからずいると思うが、これは世界でも希な国、日本に長く住む自分たちだから感じること。四季折々の自然を俳句や祭りを通し親しんできた心の余裕と日本の文化が崩れかけている。
 地域創生という言葉だけが独り歩きするようでは、この先100年200年後のこの国がどうなっているか・・・・・。
 私自身の偽らざる今の心境である。
   ”6人部屋の病室で、点滴が唯一の命綱で横になる 何も語らぬ娘を 母は無言で見つめる。走馬灯の如く40年の歳月が過ぎた。それを昨日のように想うのは 傍で見る我々だけでしょうか・・・・”
 目を背け、避ければできる時代になって 何か大切なことを 忘れている  豊かさという言葉に私たちは いつの間に疑いを持たなくなった。 それは 我々が生きている現代が最大の危機ではなく、 この先のこの国の有り方に対しての警鐘です。 

2864:正義感

 余程、注意していないと誤った情報で取り返しのつかないことに手を貸すことに成りかねない。最低限の情報を得れば良しとする人もいるが、自分にはそれができません。今朝の「明日への言葉」(NHKラジオ)の再放送を聴いた。最後の帰還兵になったお父さんの事を6年間かけて1冊の本にした深谷敏雄さん、上海生まれで上海育ち、日本語が殆ど判らず、ひとり娘さんの助けを借りて父親の名誉のために文章に残す決心をした。それが本になって今読者から大きな反響を呼んでいる。”戦争を二度としてはならぬ”という意味を今の日本人はどれだけ自らの事として真剣に考えているだろうか? 私は久しぶりに聴く深夜便で無性に涙が出て止まらなくなった。
 
 出筆を傍で支え続けた娘さんは、現在は東京の大学で言語聴覚士を学んでいる。お母さんを3歳の時に亡くされ、その後日本語が不自由なお父さんと二人っきりの生活を広島でおくってきた。父親と上手く言葉が通じないこともあって何度も涙をながしたことがあったそうだ。その体験があって将来の仕事に言語聴覚士を選ぶ動機になっていると自らを回想した。
 高齢化や少子化を取り上げる割に チグハグサが目立ちませんか。例えば、日本には社会福祉士や介護福祉士という国家資格があるが、実際に資格を取って今、その関係の仕事に就いている人は実に少ない。寧ろ医療系の資格取得を希望する人たちは増え続け、地方の大学や専門学校は軒並み学科変更をしている。その実態を国は本気になって検証しそれへの対策を行ってきただろうか?寧ろそれを推奨しているようにさえ感じている。何か不具合が出れば、直ぐに目先を変えて、新たな仕組みや制度を作ってきた。その上塗りの政策にとうとう行き詰った状況、基礎固めを蔑ろにして、次々に上物を建てるから、後々困った事態を招く。
 この一貫性の無さは、至る所に出ており、最早、本来の姿に戻すのは不可能に近い。
 本の校正に協力した娘さんは、祖父と父親の辛い体験を身近で見て育った。戦後70年を経てもなお、戦争の悲劇を引き摺って生きている人達が沢山いるという。日本のメデアは何故か、その種の報道を控えているように私は思うのです。
 不自由さを感ぜず、大人たちに守られ過ぎて育った人間は、恐らく生涯の職業を自らの意志で決めることが難しいのではないのか。取りあえずという考えで仕事につくものだから、ちょっとでも嫌なことがあれば辞めてしまう。至極当然な結果である。そうじゃないだろう!と言ったところで、言う人自身がそうなのだから説得力は生まれない。犬の遠吠えのほうがマシな位だ。
 第2次世界大戦で諜報員として中国に送られ敗戦後さらに13年間その職に就いていたという。その後捕らえられ、そこで凄まじい体験をした祖父は、どのような拷問を受けても守り通したことがあるという。何故、そこまでして口を閉ざし続けたのか?息子さんがラジオで涙を必死に堪えながら語気鋭く語ったのは”祖国日本への忠誠心”でした。 そのことで家族や周囲の人達にまで辛い体験をさせたお父さんの無念。出版に際して父親の言いたいことを日本語に直すのを手伝った娘さんが冷静に語った言葉、それは”正義感”という言葉だった。
 
  昨日は県民の日、茨城県表彰式に出席、各界で功績のあった方々が受賞された。受賞者を代表して直木賞を受けたD氏がお礼の挨拶を行った。このような席でのお決まりの話ではなく、ご自身の言葉で爽やかにお礼を述べた。さすが見事と思った。
 その話の中で心に残る言葉があった。自分が心がけていることは二つ、その一つはこのような晴れの席に出る事もなく、真面目に目立たず自らの役割を果たしている人達に目を向けること・・・云々。
 仏教に「同悲・同苦のこころ」という教えがある。優しさ&爽やかさ、そして慈しみ。。。。国の在り方で土台として置かれなければならぬこと、それはどのような法律や制度を作っても成し得ない”人と人のつなぎ”というものだと私は思いますよ。
 
 「同悲・同苦」という意味は、共感(共生)に通じると思う。それは相手があってのことで、重要な事はその時の自分がどうなのか、単に憐れんだり、悲しんだりすることではなく、相手と自分の隔たりを無くす、もっと判り易く言えば、自分より上に相手を置く位が良いという。・・・・・イジメや虐待がどうして無くならないか?身近な事に目を向けてもそう、昨日パリで起こった悲劇、それは遠く他所の国の出来事なのでしょうか・・・・・。

2865:イバラッパー 

 

 ユーチューブでケッタイな唄が流れている。・・・イバラッパー『茨城最下位もう1回ver2』・・・・
 軽快なラップ調で唄うのは誰か? 背景には大洗らしき海、筑波山 つくば学園都市・・・親子が背を向け映っている。最初聴いたとき、?????なんだーこりゃー????? 画面に顔を近づけ歌詞を読む。恐らく茨城生まれの人でなければ意味不明、何を言っているのか判らない。茨城弁を、実に見事に並べ、そこで言っていることは図星! 茨城県が全国魅力度順位で3年連続最下位・・・・この不名誉(?)をコミカルにそれでいて真理を巧みに突いている。一度聴いて欲しい。
 笑いと元気を貰いますよ。でも茨城弁の通訳が必要かもしれない。
 ♪  。。。しゃーねんだ ・・ かまねんだ・・チクだっぺよ・・  見せかけの最下位 何回も繰り返そう 誇ろう 堂々と この郷土 本当の価値 分かち合いたい・・・・♪ 

大好き”いばらき”でキャンペーンを行っている。HPではibaraking.com から入ることもできるが、グーグル検索でイバラッパー『最下位・・・』でも可能です。
 
 昨日の法事に猫が参列した。彼は数週間前から突如現れ、寺と施設を言ったりきたり、お蔭で我が家の猫(ミイ)は精神的に不安定、外に出ようか出まいか耳を一杯にそばたて客猫の動きを注視する。その客猫は大胆な行動に移る、読経中の私の周りを動き回り、終いには賽銭箱の上に寝てしまう。・・・遺族が何やら妙な動き、振り向いて確認もできないから気配だけ。経を終え、体の向きを変えて分かった。皆さんで食べようと思って持参した「大判焼き」を彼が食べてしまった。
 反省まったく無し、賽銭箱の上で何度も足を踏み外し、それでもどこうとしない。肝ったまが座った猫だ。迷子で住みついた割には堂々と悪びれず、・・・・・。
 喪主の息子さんがニコニコして話された。「ウチのオヤジは猫好きでした。オヤジが呼んだのかもしれません」更に別の方からは、この猫がお墓まで案内してくれたと感謝され、私は何を話すはずだったか思い出せず、猫の話をして1周忌を無事終えた。・・・・そんなこと言ったてよ おめえダメだっぺ 坊さまやってるっつーのに  そうおもわねげー うだっぺーよーな。修行が足んねーんだー。(客猫ツイター)
 
 知らぬが仏  知っていれば腹が立つことでも、知らなければ怒ることも無く、仏のように穏やかでいられる。 ことわざには裏に別の意味をもつことが多い。つまり、実態をしらず、のほほんとしている人を嘲笑うこと。 目の前の現象&実態とどう向き合うか! 一方に偏した情報を鵜呑みにすれば、判断を誤る。人間以外の生物、植物や空気、水・・・は、正直だ。それらは人間が生きるためには不可欠なもの。それを悉く、反故にしてしまうのが、人間かも知れません。ここでK先生からのメッセージ・・・・・現代文明のアンチテーゼとして「縄文時代は、農耕文化でないのに、1万年に渡る持続的社会を実現した。」ことが今、見直されている・・・・・。確かに!今年は西暦で2015年。

2866:響け!

昨日、 第65回茨城県福祉大会が地元・土浦市民会館で開催されました。久しぶりに私はこの種の大会に出て”感動”を頂きました。高校生の時に棒高跳びの事故で車イス生活になってしまった濱宮さんの講演、感動しました。障害にめげず、それを乗り越えようとしている濱宮さんの姿に、多くの人が涙を流した。”親の後(うしろ)姿は、子供にとって何にも替え難い親からの贈り物”・・・・・大勢の方が頷いていました。
 その後のアトラクションは、県立土浦第二高等学校コーラス部の唄、関東大会の常連校だけに、実に素晴らしいハーモニーと演出、昔から変わらぬセーラー服の女生徒に混じり、男性部員、私も同じ市内の高校に昔通ったものだから、若き日への郷愁に誘われる。今年は尚恵学園のスタッフ六名が表彰されました。皆が支えてくれるから、今が在る。感謝一杯です。
 さて人は過去の思い出だけで生きられるでしょうか? 道を誤らない為の支えになることはあります。皆さん思い浮かぶのは苦しかったことや悲しんだことが多いかもしれません。何故なんだろう?。
 仏教の『苦』という言葉はサンスクリット語のduhkha(ドウクハ)という原語から訳したそうで、「思うようにならぬこと」という意味があります。それと『悲』は原語karana(カルナ)です。日本語では本来の意味とは違って取られる場合があり、「苦しみを除いてあげたいと思う愛のこころ」という意味に訳します。
 私は仏教の言葉の中で、どうしても気になってしまうのが、「苦」と「悲」という二語です。全てがこの言葉で説明ができるのではないだろうかとさえ思うのです。思うようにいかなくて、苦しんで、それを除く慈しみのこころ。膨大な仏教経典の根底に流れる共通する教え。
 現代を評して様々なことが言われます。どれもこれも判り辛いというのが正直なところです。
 G20とかTPP、どこの国が参加して、何を話し合っているのか、正確に言える人は、殆どいない。一部の国が集まり、世界をどうにかしようと考えたとすれば、それは違いますよね。
 テレビを見ていて疑問に感じることがあります。ユニセフからの支援のお願い、この地球上で病に苦しむ子供たちへの募金の広報が最近多く見かけます。郵便振替で送金しました。テレビ画面でその後に、株価の不正操縦で逮捕・・・・云々のニュースが流される。一方は数百円でワクチンや栄養剤が支援できますというものでした。その後のニューズは株価つり上げで一瞬にして数十億円の利益を得たという、この事をどう理解すれば良いのですか。
  公共の電波は、子供たちも観ている訳ですし、その辺の配慮が欠如してしまったと私は感じています。
 もし、視聴者が混乱せずに受け取れるとすれば構わない。私だけの思い過ごしで済むわけです。現実は全く違うでしょう。 
 
 杯中蛇影(はいちゅうのだえい)かも知れず、・・・・・・。
 雨降って地固まるというたとえが今通じますか? 舗装された道路を一気に流れる雨水、限界を超えた川、山裾を切り開き造成された住宅地、容赦なく降り注ぐ雨は、局地的に短時間に大量に・・・・・・
雨を自然の恵みとして農家の人たちは待ち望んだ時代、いま耕作放棄された田畑は、あっという間に北アメリカ原産のセイタカアワダチソウの群生地と化した。
 国は世界で断トツの借金を抱え、農業や畜産従事者を補助金でつなぎ止めようとしていませんか? 果たして返す見込みがない借金を国内の預金総額の範囲内だから大丈夫という理屈で本当に信じて良いのですか?
地方都市の全てに空き地が目立ち、駐車場ばかりが増えている。そこに停まる車はなく、控えめな看板だけが目に留まる。
 少欲知足(しょうよくちそく)
 欲=苦という教えは、恐らく仏教だけではないでしょうか?1本の線香に幸せを願い、自らを省みる。(11/19)
 

2867:つぶやき 

 
吾輩は ネコ、名を名乗るほどではありません。なぜか知らないが観音寺に縁があり、一宿一飯の身となりました。
 もう3週間になるかなー? 結構、出される食事が美味しくて、いつの間にか居座った次第っす。見ればお腹が膨らんで、住職はどうも困り顔、何せ寺には先輩猫がいる。聞けば、やっぱりな~産まれたばっかりの時に玄関先に置かれていたそうな。
 私は、写真をパチパチ撮られ、何でも迷子の猫ちゃん公開チラシを作って配るとか、余計なことをしなさんな・・・・ブツブツ。 そこに明らかに太めのおばさんが「このネコちゃんお腹が大きいんじゃない?赤ちゃんいるかもよ。」そんな話になっちゃった。「なんだって・・・そりゃーチクだっぺー! オスだって言ったろうよ」 住職さ・・・・ん! 頭抱えなさんなよ。「ああ・・・・どうしよう どうしよう。何匹産まれっかな?・・・・」そして本日動物病院へ通院とあいなった。「せんせい オスですかメスですか?」「ウーム 微妙???いやー間違いなくオスですね」
 なんとも そっそかしい連中だこと。 しみじみ見れば これがそうかな・・・・・ヒャー 小さいの(笑)?と皆でジロジロ見やがる。≪コラー  住職!セクハラだ!差別だ!訴えてやっかんな。≫
 仕方がないから、もうしばらく 居てやることにします。住職よ、本当にアンタは世話やける。誰かが見てなきゃー なにしでかすか分かんねーす。
  ☆ 仮称「チビ」として呼ぶことにしました。観音寺 小住。
  
 
 ・・・言葉の重み・・・
 「チビ」は どんな思いでいるのでしょうか? 彼は人間の言葉を話さない。けれども 周りの状況に常に関心をもち、どうすれば生きていけるかを本能的に察知する。こんな事をしたら争いが起こるとか相手に迷惑をかけるということを生きることで身につけた。
 「人間」は ややもすれば 慢心・・おごりたかぶり・・、臍を噛み諫言を良しとせず、己の言葉に酔い、相手を想うこころを失ってきたのかもしれない。私は 重い障害を持つ人達との関わりが長くなった。当たり前の事が人の支え無くして出来ない人達。それを人間は”障害者”と呼んだ。あたかも自分には障害が無いと言わんばかりに。
 吾日三省吾身、為人謀不忠乎・・・・・・
 幸いにして 今も彼らから 多くのことを学んでいる。 そして 20代で出逢った言葉 それは「 この子らを 世の光に 」 糸賀一雄先生の言葉だった。先生は 54歳で亡くなり それから半世紀が過ぎようとしている。
教育とは 「ある人間を望ましい状況にさせるための 働き」と考えれば、自ずと教育に携わる人の”たしなみ”が見えてくる。
  
 ・・・たしなみ・・・
「チビ」だったら どう思うだろう? 彼は 昨夜は戻って来なかった。ふらりとまた帰ってくるか二度と帰らぬかもしれぬ。
 たしなみという言葉には好みの他に、覚悟つつしみと言う意味をもつ。教育とは 教え育てること、その根底にあるものは、相手から学ぶことだと教わった。知識とは違い”智慧”&”感性”は、相手と向き合い、相手を判ろうとする行為によって身に付くものだとも。感受性を高め、自らの思惟を豊かにしようとする行為そのものが教育者だと思います。⇔独善主義。
  

2868:同床異夢

 旅に譬えてみましょうか?目的地は同じでも、そこにどうやって行くか、誰と何人ぐらいで、日数は・・・等々。旅は良く人生に譬えられ、旅は道連れ世は情けと言われます。
 目的地に陸路で行くとなればその距離にもよるでしょうが車でなく鉄道を利用したほうが安心なこともあるだろう、その鉄道だっていろいろでJR か私鉄、国内ならば新幹線か在来線という選択肢もあるでしょう。それを自分で選ぶわけですが、新幹線の線路に在来線の電車を通すとなれば、不可能だと分かるはず。脱線事故になって、本来の旅行の目的が果たせない
 最近起こっている恐ろしい事件を考えていたら、何故かこのような事(妄想)が頭に浮かんできたのです。
人間の望みは大きくは変わらない。人種や宗教が違っても誰しもが願うことは”しあわせ”だと思いますよ。
 身近な例として、福祉事業の有り様一つにしても千差万別、経営や運営方法がそれぞれ違います。共通している事は、独りでは何もできないという事だけ。多くの人の手を借りて初めて思いを形にすることができるのです。
 国は様々な仕組みや規定を示し、それらの整備を事業者としての責任義務とし課した。利用者の支援区分、一人の人間を障害の程度に応じ6ランクに分け数値化、さらに支援者へのキャリアパスの導入、これを加算補助の受給条件とした。耳慣れない横文字を用いているがなんてことはない人事労務用語で職員の確保と定着を図る目的で「やる気と誇り」をもって働く職場づくりを目指せというものです。言うは易しという事で、実際の難しさは、現場を知ったものでなければできません。今、総務や人事課を置いている社会福祉法人の数は恐らく日本全体で1パーセント?に満たないと思う。組織の脆弱さは管理者自らが入浴介助をしたり夜勤の代替えまで行ってどうにか業務が回っていることで分かるはず。どんな物差しや手法を用意したとしても、そのルール通りにはできません。精々、作っては見たが・・・・ じゃーどうなんだという検証がされるわけでも無く、いつの間に自然消滅し、その効果の程は確信できない。
 手を替え品を替えやってみても、いざ気が付いてみたら、周りに誰もいないという実に恐ろしい状況が起こっている。その前に行う事があるはずなのにそこはスッポリ抜け落ちていたりする。恐れずに言って監査用の備えでしかなく実効性は端から信じていないのです。そんな実態を私はいくつもみてきた。「人の生命やかけがいのない生活を、数量化し、モノ化し、消費するような施策が・・・・・何の検証も、反省もなく進められている・・」との警鐘を制度を作る人も利用者やその家族も支援者もどう捉えるか!真面目で几帳面であれば有るほど独り善がりとなり職場が冷え込み離職者が後を絶たないという想定外の状況に直面し、疑心暗鬼の坩堝と化す。いい塩梅というサジ加減は本当は人間の繋がりで最も重要なことなのに、何故かそれを言う人は少なくなった。人事考課一つにしても相手を評価する立場にある人間はその相手以上に実は働いていなければできないこと、評価する側も実は評価されているという事に気付くべきなのです。
同床異夢とは、ある意味では現代を象徴する言葉だと私は思います。
  夢(⇔)・・・・・子が親の元を巣立っていく時、寂しさや期待が入り混じる中で励ましや見守りの願いが生まれ、そして感謝&報恩へ。こうあれば人生悔いは無し。
 入所施設で43年勤め、現在もing、私にとって”道標”となってきたものは、2歳の時に入所されたご兄妹です。今も元気で過ごされているのですが、顔を合わせると言葉より、何かを訴える視線を感じます。それが何なのか? 消すことができない刻印。異床同夢。正直、その視線から避けようとする自分を認めざるをえません。
 もし、この国が財政的な理由から、彼らの”しあわせ”を片隅に追いやるようなことになれば・・・・・・。その時点で この国の歴史の中に取り返しのつかない汚点を残すことになります。
 ???? 「豊かさの中の貧困」。それは格差社会の拡大と無縁ではないと思う。巷ではウイルスの侵入を防ぐことと全く同じ攻防が繰り返され、不安が不満と化し、世を儚む人達が増えている。
 異床異夢(↓)・・・・・友人に大病を患い、会うたびに「自分には時間がない」という。口癖のようでいつも変わらずに、それでいて次から次に事業を拡大した。
  私の恩人に92歳で亡くなった方がいる。愛恵院壽徳保道清居士。墓石の正面は、生前自ら墨で書いた○(一輪)だけ、それ以外は何も無い。
  このお二人はお互いに面識は無く、私の記憶の中で生きている。

2869:判断力と決断力

 貴方は 迷った時に何をよりどころに判断しますか?と聞かれて即答できる方はそんなにいないと思う。決断するまでに紆余曲折を経てありったけの気力を振り絞る。そこまでは道半ば、次に行動力が問われる。判断~決断~行動、いつも行く書店の棚にはその類の専門コーナーがあり、例外なく、数人の人が立ち読みしている。
 仕事が順調だったり、プライベートなこと家族や友人との関係に問題のない人は、素通りして本を手に取ることもない。
 昨日、手をつなぐ親の会の役員会に出席、そこで当然のことだが、例の教育委員の方の話になった。私は親の立場ではなく事業所の立場で育成会に関わっている。虐待や差別の論議では、いつも事業所側は”被告席(?)”に立たされる。これは恐らく私の被害妄想だと思っています。変だと思うのは教育関係者から先の発言に対し、何らかの行動があって当然と考えるのだが、殆ど耳にしない。育成会は障害者(知的)の親の立場、当事者(本人)とはまた違った思いを秘めている。
 30人ほど集まった会議、県内全域からの支部会長の皆さん、「自分は今回の事をプラスに考えようと思った。」と述べられた方がいた。障害者の権利条例を茨城は全国に先駆け(8番目)て今年4月に県議会全員一致の賛成を得てスタートした。そのほぼ同時期に選任された方の発言だから、なんと言って良いのか判断に迷う。
 また他の出席者からは、「この発言は今の日本の一般の人達の考え、障害者に対する理解がこの程度だということを自分たちは確と受け止めねばならない・・・」という意見も出された。
 常総市のNPO活動の人たちと話をした時に、石巻から応援に来ているNPOの方が呟いた。「あれだけ訴えてきたのに、障害者がいつも取り残される、震災から4年以上たっているのに何にも変わっていない・・・」 その言葉は胸にグサリと刺さった。
 日本は民主主義を選択し、戦後の復興を成し遂げた。言うまでもなく数の論理が優先するルール、・・・・・が、少数派の人たちの声が届かない。多数決の是非が少しづつ話題に上がってきた中で 実態は極端な事例をあげ、何が問題なのかを曖昧にするような議論が多すぎないか?専門委員会一つ取ってみても委員の選任方法や議論の中味が不透明、意図した偏りを感じる。
 少人数の委員会の席で反対意見を述べる(決断)のは恐らく相当の勇気が必要でしょう、それが公開の席ならば尚更です。その意味では、今回の教育委員の発言は、是非を抜きにすれば、希なる出来事。マスコミが同席し、障害問題という微妙な話題に対しての発言である。
 ただ、彼女がいち早く委員辞任を願い出たこと、それには割り切れぬ思いを持っている。何故、あの後、公の場で自らの発言の趣旨を説明をしなかったのか、謝罪コメントという形で発表、顔が見えない終息をどう理解すれば良いのか? 
 親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ち、それは当事者ですら判らないことがある。我々 障害福祉に関わる人間が 常に迷うことはこの辺にあると思っています。
 
  忘年会・・・法人内4事業所の先陣を切り、私が関わる施設の忘年会&歓迎会を行った。神立には、最近居酒屋が大分増えて、客の争奪(?)が年末に向けエスカレート。果たして福祉も同じ状況にこの先なるのか否か?
 今月東京株式市場第1部に上場した日本郵政関連の3部門、民業圧迫の懸念があって、同じ土俵で競争させることとなる。連結で従業員数22万人を超す。主要株主は国、その保有割合は、なんと89%。
 確かに 窓口の対応は依然と比べ、良くなったが、まだまだ改善の余地は多いと聞く。
  工場団地を持つ神立には土浦市内で一番外国人が住んでいる。神立にある郵便局は常に外国の人が大勢利用し、交流の場になっている。マイナンバー制度が始まれば、その辺がどんな取扱いになるのでしょう。事務の簡素化という触れ込みだが、果たしてそう上手くいくだろうか?

2870:鐘の音

 朝の6時、いつものように鐘楼の鐘が鳴りました。朝6時、昼の12時、夜の6時、1日3回それぞれ住職に替わって鐘つきを希望する方がいて時をつげる。
 以前、夕方の5時に撞いてくれていたTさんが85歳で亡くなり、昨日その葬儀を行いました。穏やかな旅立ちだったと遺族から話を伺い、ホットするような思いに成りました。今年もあとわずかで師走(12月)になります。一年があっと言う間に過ぎて行く。まだ今年を振り返るには早い気もしますが、いろんな出来事がありました。新たな出会いや別れ、悲しみや喜び、この年齢になるとその時々の思い出は私にとってはかけがいの無い”宝”となっています。 万物は常に変化し少しの間もとどまらないという事を体感する日々を送らせて頂いた。
 私の熱しやすい性分は、歳を重ねても一向に改まることもなく、周りの人たちに不快な思いをさせてしまったと反省しています。
 『願一共生』 壁に張り出した紙片の書いた日付をみて平成二〇年・・・・・。七年が過ぎた。その願文がドンドン離れて遠くに行くような 焦り を感じます。・・・・むげに情けなかりけるものかなとぞ皆人慚愧しける・・・・・
 元気を出せ!とは言うは易い。不安を一方では煽りながら、ここ一番の日本の役割は資金援助とばかりに乱発????  これが本来の姿なのでしょうか??片棒を担ぐとは、昔 駕籠を担ぐ手の前後のどちらかを自ら担ぐこと、駕籠に乗る人 担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。 当時の乗り賃が今の貨幣価値でどの位の額になるかは知らないが、揺られて乗るよりは 自分の足で歩いたほうがずっと楽のように感じます。外交や防衛の議論は こちらが望むようには決して進まない。赤裸々に仮想敵国を名指しで公言する、それでいながら、あわよくば仲直りという筋書きは如何なものか!寧ろ 頼りにしていた相手から、身包みはがされ放り出されるかもしれません。
 情緒や風情を感じながら 旅をすることなど、この先、できるのでしょうか。日本は これから 大きなイベントを控えている。外国から多くの要人を迎え、その警備にあたるのは大変だ。世界の状況は、刻刻変化する。
 つい最近、ロシア軍機をトルコが領空侵犯したとして撃墜、その報復が続いて起こっている。どちらが敵か味方か判らない。その猛火の中を一般市民の方達が逃げ惑っている。
 軍拡と平和外交、この一見して矛盾する課題を 説得力を持って判り易く説明できる人がいるでしょうか? 
 日本の危うさは、先ず政治の昨今のあり方に私は感じます。一党独裁に近く、中身までは正直判らないが政党内に反対意見が有るのかどうか。彼らが考えるよりインパクトのある施策を次々に掲げる、期待より不安を感じてしまうのは私だけではあるまい。持続可能? それとも 貴方たちが目指すのは何か他にあるのですか? 
  外堀から徐々に埋め、時期を見て解散選挙、このカラクリを知る人は殆どいない。疑えば切が無いことは承知しているが 替わる選択肢がない。これを閉塞社会というのではないですか?万に一つ、最後の切り札として借金は返さなくても良いという法律改正をお考えでしたら、片棒を担ぐどころか世界から日本は相手にされなくなりますね。その辺の議論はあって当然だと考えるが全く聞こえないのはおかしい。
 歳末ジャンボの宝くじ、毎年買っているが当たった試なし。株価の上昇に一喜一憂する人は、株を持っている人達ですよ。それが、ここにきて株価不正操作で捜索を受けたとかいう方、どこかで見たことがあると思っていたら、思い出した。
 踊らされ それで良いならば 構わない。貴方の選んだ道だもの・・・・・・ね。
   
  良く観れば 誰だって ヒーフーミィと良い所はありましょうが、それにプラスかマイナスを付けたら、趣きは変わります。恐らくプラスを自ら加える方は、自尊心(プライド)がお高い方、逆にマイナスをつける方は、控えめでへりくだり相手に譲ることが出来る人。でも謙譲の美徳など死語になったか?
 それと我が儘とは、チト違う・・・一筋縄ではいかない者。海千山千のくせものを強か者と言った。結局、観る人により、どうにでもなってしまうのが常、それを弁えないと自らを見誤って偉い失敗をおこすことに。
斯様に人間は他の生き物とは違い、自分自身のこともよく判らずにという図々しさを持っている。だからでしょうね。2人3人集まれば障りが生まれ、疎通を欠くのは当たり前。
 その解決策に最も有効で平等にあるものは、なんでしょう。・・・・”時間”でしょうか・・・・・。
 より速く 便利にということの裏で その緩衝材である時間が必要以上に不当扱いを受けている。現代病の主因。


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