源究166

Back   Top

 NO テーマ  月日  NO  テーマ   月日   NO  テーマ  月日   NO  テーマ  月日 
 2831 破顔一笑  8/11   2836 当事者の声  8/26   2841 慌てるな!  9/12  2846  エネルギー  9/26 
 2832 平和への願い  8/12   2837 生活のリズム  8/29   2842 一意専心  9/14   2847 陽だまり  9/29 
 2833 知識&智慧  8/16   2838 秋雨前線  9/1   2843 休息  9/18   2848 神無月  10/1 
 2834 諸行無常  8/19   2839 立ち位置  9/4   2844 兆し  9/21   2849 土浦の花火  10/3 
 2835 雑草の如く  8/23   2840 胸騒ぎ  9/11   2845 伝灯と不易流行  9/22   2850 被災支援  10/5 

2831:破顔一笑

苦み走った好い男なんて、昔の銀幕のスターにはいましたが同じ字を使い”苦渋に満ちた顔”となれば、できれば遠慮したいものである。そうですね・・・破顔一笑・・顔をほころばせにっこり笑うなんて事がここんとこ大分ご無沙汰してしまった。なにもああまでして作り笑いしなくても・・・・と言いたくなる場面は増えたように感じてます。
 何故なんだろう?思い当たる節はいくつかあります。
 檀家さんから20枚を超える量のCDが届いた。先日、その方のお父さんが亡くなり、その時に自分は今、ある方の講演テープを夢中で聴いていると話されたのを覚えている。長い間、長距離トラックの運転の仕事をやっている。
 ドライバーを職業としている方も大勢いる中でも長距離運転は一回出ると帰って来るまでに3日~4日かかり、走行距離は1日に1000キロを超すなんて珍しくはないそうだ。安全運転を心がけながら、ラジオや音楽を聴いているドライバーも多い、その中で坊さんのCDを聴いているという方はあまりいないと思うのだが、この方は前は寂聴さんに夢中だった。
 誰しも思うようにならなくて悩み苦しむ時はあります。そんな時、自暴自棄にならず、何かに縋(すが)って自らを律することができる人とそうでない人では大きく違います。
 昨日、車の中で貸してくれたCDを聞いた。それは青山俊薫さんの「親の生きる姿勢」というものだった。
 川内原発の再稼働が決まり・・・・安倍政権は「稼働するかどうかは事業者の判断」(菅官房長)として、再稼働判断とは距離を置く姿勢をみせている。・・・・と言う記事が目に留まる≪8月11日朝日朝刊。≫
 さて、この判断がどうなのか、「政府の姿勢」として大きな疑問を私は感じます。
 いみじくも青山尼のお話にあった、「子にとって最大の財産は親が何を願いどう生きたかであります。その生きる姿勢から子供は自らを律する術を学ぶものです。」という内容の話であった。際限無しに豊かさを求め、その欲に取りつかれ、親子関係も微妙になり、やっと今になって教育者を始め、何が大切かを見直そうとする機運が出てきた矢先、今回の新たな問題、事業者の判断に稼働するか否かを任せるという姿勢が本当ならば、未だ福島原発事故の処理の見通しが全く立たない中で 言葉を失う。これは致命的ではないだろうか!使用済み核燃料の処理すら目鼻が立たない中で綱渡りに似た応急対応を繰り返す。あんたら(電力会社)が再稼働を決めたのだから事故発生の責任と補償はあんたらがしなさいと言っているように受け取れる。日本が氷河崩壊のごとく崩れおち、一方では立憲国家&自由主義を誇る割には、その土台の脆さを露呈した。今回の再稼働は既定方針に沿ったものだと言うが国としての責任を曖昧にしたと言われても仕様がない。想定議論がお得意の割には、都合の悪いことは避けているように受け取れます、現に目の前に起こった事実を眩ますようなことだけは断じてして欲しくは無い・・・・・安保法制の議論も然り、国民として不安を感じる理由の最大のものは国が責任をどう考え、その責任をどこまで果たすかという事が判り辛くなっていることにある。 貴方たちは何を恐れているのですか?と聞きたい。支持率???ですか。
  

2832:平和への願い

 「あなたが生まれた時、あなたは泣いていて周りの人たちは笑っていたでしょう。だから、いつかあなたが死ぬ時、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。そんな人生をおくりなさい。」
 (ネイテイブ・アメリカンの言葉)
 ”平和”という言葉の解釈は、人によって微妙に異なることを感じます。その言葉の対局にあるものは”戦争”、何故人はそれを知りながら、繰り返してしまうのか? 先の戦争の生き証人が歳をとり、その体験を語る人が確実に減っています。戦争の思い出は、できれば思い起こしたくないというのが正直な気持ちだと思いますが、ここにきて語らずしておれない人たちが自らの言葉で語り始めたことにもっと耳を傾けなければならない。足元を見ず、上を先をと競って生きてきた人を大勢知っている。その人達は、自らの死を受け入れる時、果たして笑っていられるだろうか。近年の世の中の変化のスピードは異常だと思います。なぜそんなに結論を急ぎ遮二無二何かを求めようとするのか?私の生きてきた場所は、極めて狭い世界です。田舎の寺の住職、正直、自ら進んで住職になった訳ではありません。そのことを今更語るのもどうかと思うから、最近は話さない。それと尚恵学園での利用者さん達との触れ合いだけ、だから、国を動かしている仕組みや外交のことになると全くの素人である。
 そんな動きとは次元を異にした人達との生活、いま思うのは、この人たちは亡くなる時に笑っていられるだろうか?ということです。過去の戦争に至った原因を資源争奪と言う歴史家がいます。国の繁栄を自国だけでは賄えず、力で他の国から獲ようとした。
 尚恵学園は取るに足りない小さな集団(社会)です。でも、彼らの生き様から実に多くの気付きを頂いています。先日、昼間だけを利用されているQさんが私に何かを盛んに訴えてきたが上手く理解できなかった。するとズボンのポケットから100円を取り出して見せた。良く見るとセロテープで落とさないように付けてあった。同居する義理のお姉さんが毎朝、100円玉をジュースを買うために持たせていると聞いた。彼は決して他の人のお金を取ってまで自販機からジュースを飲もうとはしない。
Hさんは今年になって2度目の手術をして今入院している、彼女は病院の中でいつも笑顔を絶やさず看護師さんたちからとても可愛がられている。彼女の人生を知れば誰もハッと気付くこと、それは健康の大切さである。それが適わずとも周りの人たちに笑顔を振りまくことができる凄さ、あなたがもしそうであったらHさんみたいにできますか?と問いたい。
 小さな社会故にそのことを取り立てて言う事もないから他に知られることもない、只管に自らの生を全うする姿だけがあり、これは、この国の平均寿命が男女とも世界のトップクラスという表の顔の陰にあるものです。どのような理由があろうと戦争の悲劇を二度と繰り返してはならず、次の世代に語り継ぐべき最大の責任と義務がそこにある。 その願いを誰しもが共有できたとき、求め続けて来た豊かさとは一体どういうものかを知るためのスタートラインにやっと立てたということではあるまいか。
 経済最優先の考えは、平和という目的を果たす為の一つの条件とはなるが、それ以上でもそれ以下でもないということである。

2833:知識&智慧

 8月15日は終戦記念日である。個人的には私の誕生日がこの日で65歳になった。全国各地で終戦記念の式典が行われ、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として不戦を誓った。
 私はお寺に生まれ、抹香臭いこと甚だしく、どうしても最後は其処に話が言ってしまうのはお許しを頂きたい。小さい時から誕生日は祝ってよいものかどうか、迷いはありましたね。
仏教の解釈に関して少々。知識と智慧ということをどう理解するか?昨今は明らかに知識偏重の教育である。それを全面的に否定するつもりはないが何カ国語が流暢に話せたり計算が正確且つ迅速だとか、物知りということを競って自己満足している。それらの能力がいかに優秀であっても知識は単なる道具でしかないと仏教は考える。つまり、道具はそれを使う人によって悪くも良くもなると捉え、それに替わるものとして智慧の大切さを説く、智慧とは生きるためにどうあるかを考え実行する力とみる。
 智慧力は数字で表わすことはできない。学力の偏差値や学校のランク付けに疑問を感じる人はいないわけでは無いでしょうが更に問題を複雑にした現象が目に余る。老若男女を問わずスマホやネットにどれだけの時間をかけているか、この影響が思いもかけない所に出始めた。
 法律の解釈の問題、これらは智慧とは次元を異にする。。防衛問題は情報をいくら積み上げても根本解決はできません。知識は所詮自分(自国)中心で相手を理解するという配慮が無い、平和は万国共通の願いです、世界中で今日に至るまで戦争が無かった試は無い。平和を願う人達が何故相手を殺害までして戦うのか?仏教説話の中に、同じ事を4人集まれば考えることは違うという話があります。最近の例で異常気象について、北海道は暖冬によって玉ねぎの収穫が悪かった。九州の玉ねぎの産地は、今年は例年より高値で売れると考える。暖冬を想定し、エアコンの増産がはかられる一方で冬のスキー客の減少を心配する・・・・などなど例をあげたら切が無い。
 15日は地域によっては早目の送り火を行う。夜8時を過ぎたと頃、玄関のチャイムが鳴った。本堂にお骨を預けている方がこの時間でもやってくる。先祖に対し感謝しその恩に報いるためにどう生きたら良いのか?これがまさに仏教の説く”智慧”にあたると思います。
 宗教は自らの非を気付くためにあるという。それは体面や体裁とは全く無縁の話。戦後70年がたち首相談話が今朝の新聞に載っていた。戦争の責任と謝罪、それと未来に向けた誓い(ビジョン)を語ったという。閣議決定し有識者の意見を取り入れた。 果たして、その真意をどれだけの人たちが理解しただろう? 先の戦争に関して同じ敗戦国であるドイツの対応と明らかに違う。何がどう違うのか?端的に言って 判り易いか否かが違う。一番重要なことは相手に真意(誠意)が通じるか否かでしょう。これは日頃の言動が大きく影響するという事は無視できない。
 ネット上で談話への賛否の意見を知ることができる。評価する人たちの意見に”御意”という2文字だけを記したものがあった。それを見た時、正直この国の未来を危ぶむ。310万にのぼる戦没者の慰霊を前にして、”御意(ぎょい)”という言葉で片付けるという感覚、この軽さは一体どこから来るのか?これを知識=関心(?)さえ薄らいだと考えてしまうのはこちらの読み違いなのでしょうか?
 御意とは”仰せの通り”という意味ですよね。
 
 "智慧”とは?
 仏教では実践(どういきるか!)を6つの項目をあげて説いています。六波羅密(ろくはらみつ)と言い、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧となります。智慧はその6番目、①布施・持戒を≪利他≫、②忍辱・精進を≪自利≫、③禅定・智慧を≪解脱≫という3つのカテゴリーに分けて竜樹は解説しています。智慧を般若(プラジュニャー)と言い諸法に通達することを”智”とし断惑証理するのを”慧”とした。
 ちょっと難しかったですね。知識を道具でしかないという根拠を説明したいために遠回りしましたが、要するに良くも悪くもそれを使う人によってどうにでもなってしまう。まさに法の解釈の議論をいくら行ってもですね、断惑証理する智慧が無ければ、道を踏み誤るという危険があるとみて当然な訳ですよ。
 判り易く言うと地図や磁石を持たず山に入るがごとき、地図や磁石を憲法と考えることはできないのですか。万が一頂上に達することができたとしても下山する時に雷にあうとか落石という予期しないことが起こるこれが自然の摂理、見なさい川内原発の再稼働と時を同じくして桜島の火山が怒っています。これを我々に対する警鐘とするかいなか、問題だわな!
 ”ドイツの対応”から学ぶ。
 日本と比較しドイツの歴史認識の違いは、明らかである。戦後自国が東西に分割占領され、冷戦時代を経てやっと統合がなされたドイツ(1990年10月3日)と無条件降伏を受け入れた日本は国を二分されることは免れ、70年経過した。今世界の情勢が変わったという理由をもって、憲法の解釈を変えようとしています。ドイツは今も徹底してナチドイツの犯した罪(?)を反省し謝罪を続けていると聞いた。大人が子供たちに伝え残すこと、それは戦争の勝敗に関わらずその責任を問い続け将来に渡って負う宿命であると私は考える。戦争責任の時効の有無、仏教解釈では、自らが犯した罪に対し、自らがその責任を償う期限を定めることは理に合わない。二度と戦争を起こさない為に憲法の解釈を強引に行う、大国の核の傘のもとで運命を共にし、より密なる関係を築くことが戦争への抑止力となるという。今回の首相談話で私が一番気になったことは、若者に謝罪を続けさせていくことを早く止めたいと受け取れる節の文言である。それならば問いたい。日本は戦後、心から謝罪を世界に向け発信してきたのだろうか? 教育の場でそれを伝え、子供たちに戦争の恐ろしさを教え続けてきただろうか?
 国会審議にいくら時間をかけても肝心な事を言わず、オブラートに包んだ議論。それと選挙できる年齢を18歳に下げた。形を繕うことは容易い、・・・が・・・若者が誰に1票を投じたら良いのか判断するに充分な情報があるならば良い。

2834:諸行無常

諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽 」は涅槃経の中にあり三法印の一つ。「諸行無常」をこの世のはかなさを述べたものと解釈されがちであるが本来の意味は、この世にある全てのものは姿も本質も常に流動変化するということを言っている。凡夫は常住なもので変わらないと観るから苦が生じる。≪仏教の基本的立場≫
松下幸之助さんはその諸行無常を生成発展(日に新た)と考えていたという。丁稚奉公しながら築いた世界的な企業、実家の没落というどん底からスタートしただけに一言一句に説得力がある。今が苦しくとも必ず節目が変わると信じ、そこまで辛抱できるか否か。苦を共にした社員を大切にする松下電器の社風の原点はこのあたりにあるはずだ。
 可能性を信じ前向きに事業に専念する、言うは容易い。誰だって苦労はできればしたくない。”寂滅為楽”というのは有為の苦に対し寂滅を楽といっているだけのこと。
有為とは因縁によってこの世に生じた一切の現象。出会いや別れもその一つ。
 寂滅とは涅槃寂静で煩悩を離れた静かな境地。
仏教は奥が深い、上から下を見れば見下すとなり、下から上を見れば際限なし。心の安定をはかる為に様々な障りが邪魔をする。それは他と見比べるからだけでなく、自分自身の中で過去の良き思いが原因になることもある。
 もがき苦しむ今を早く抜け出したいと思うのは当然、どうすればそれができるか? 仏教の基本がそこにある。世界には多くの宗教があるが、目指す所は大差がないとみる。
 凡夫なる故に 遠回り なにも 急いで行くこともなし 諦めず 悩みながらも 自分の足で・・・
 
 お互い様”や”おかげ様”という言葉を皆さんでもう一度考えて見ませんか。”自分は”とか”自分が”と考える事ばかりになった感じがしています。無いモノねだりや他人の持ち物を欲しがる。
 世の中がルールがあって無き様な・・・・。社会福祉法人の有り方が問われ久しい、報告書が出され、社会への貢献度を増せと言う。?????何これ?社福はもともと社会貢献を目的に設立されたものでは無かったのですか?この話が出てきた時、なんとも割り切れぬ思いになった。「そんなの決まっている。自分たちの本来の仕事でやれば良い」と相手にしなかった。
 それがどうでしょう。いま日本の福祉事業所の抱える悩みは深刻。それは要望に応えたくとも体制が組めないという点。どこもかしこも満足な人材確保ができない。この理由はいくつかありましょう。日本全体で働く人が減ったこと。同種の事業者数が急増したこと、それに加え賃金や仕事の大変さを殊更に取り上げる周囲。
 いずれこの泥沼から抜け出さる時が来るだろうか?昨日、恒例の1泊2日の施設長会議、その話で宴会に花が咲く。
 尚恵学園はどうなの? ウーム。未だ経験が無かった程のベビーラッシュです。その家族にとっては大歓迎なことは間違いない。少子化対策が遅々として進まない日本でこれぞ社会貢献だと言えまいか?この国の福祉現場で子を産み仕事を長く続けることができるか否か。この評価が極めて低い。
 お互い様やおかげ様という言葉がここで生きてくる。許し合える働く環境が大切です。昨日、スウエーデンに視察に行っている友達からメールが入った。訪れた自閉症の方のGHは5名が利用、夜勤者と当直者が2名つく。そこの運営母体は株式会社で100以上のGHを持っている。職員数はなんと8500人だという。日本は福祉の分業化を推し奨めてきたツケがここにきて出ている。私は言いたい!「障害・児童・保育・介護・精神」の区分け無用(行政の縦割り)、種別福祉ではなく人間福祉を今こそこの国は始めるべきだ。目先の改革などいくらやっても慢心や事業者の自己満足を醸成するばかり、利用される人たちへの視点が曖昧、果たして根本的な国の形を変えることができますかどうか・・・・・。生成発展日々新たなり、この発想を我々福祉関係者が学ぶべきだと思うのだが。

2835:雑草の如く

 こんな話を聞いた。坊さんの修行の中に加行(けぎょう)というものがあります。一カ月前後の期間をかけ、行をする。その中で水を飲ませて貰えないという苦情が出た。良く調べると道場では水道からいつでも飲めるようになっている。それなのに何故?本人に尋ねると「自分はペットボトルからしか水は飲まない」と言ったという。
 ああ・・・ここまで来ているのか!と唖然としました。”雑草魂”というものをご存知でしょうか?今年の夏は35度を超える暑さが一カ月も続いた。最近になりやっと秋の気配を感じるようになりました。でも雨が無く、草花や木々が可哀そう。朝晩水を掛けましたが気休めでしか無く、3メートルを超す木の葉が黄色くなり始めた。盆が過ぎた頃から一転して雨が多くなり、草木が元気を取り戻した。昨日は急に伸び始めた雑草と格闘、偉い汗をかきました。
 一方、頂いた鉢植えの花、水を掛け過ぎたのかどうか?沢山ついた蕾が一晩で全てが落ちた。
 心の病や人付き合いが出来ない人が実に目立つ世の中になっている。あまりにも便利に成り過ぎ、自分で工夫する必要がない。それと気になるのが義務と権利のアンバランス。良かれと思った事が結果として様々な問題の原因となる。
回り回って自分に跳ね返る。便利さは豊かさとある面ではダブる。汗を掻く労働を避けて自らの世界に閉じこもる。それから簡単に仕事を変えてしまう。
 これらの現象を国の責任とは言いたくないが、情報が偏り、正直、雑草の如き強さを感じない。それどころか”なんでもあり”の状況になっていませんか。2世3世の議員が増えすぎて、選挙地盤を自ら走り回って作った議員さんがどれだけいるだろう。だから公言したことをいとも簡単に訂正しても何とも感じない。有権者を小馬鹿にした言動、これは政治家として致命傷だということが判らない。温室の中で温度管理され自動的に水を与えられ世に出された鉢植えの花の如く、≪ああ・・綺麗!≫と喜ばれるのはホンの一瞬、花が散ればベランダの外に置かれ、いつの間にか枯れてしまう。
 雑草は自ら生きるために深く根を張り、渇水期にはジッと耐え、時を見て花を咲かすのだ。そして、次の年にも花を咲かせることを当然の如く続けている。雑草は言い訳をせず自らを誇らない。
☆ 昨夜、園から携帯に電話が入る、≪大発作を起こし意識が戻らないので救急車を呼びました。≫直ぐに駆けつけると本人は意識が戻り、フラフラしていた。3人の消防隊員の方が実に手際よく対応してくれて、病院に搬送するまでには成らずに済んだ。私は本人の実家に☎をかけ、状況を説明した。様子を見に行きましょうかという一言も無かった。
 いま、病院では家族でなければ処置の決定はしない。家族が書類に印鑑を押し、承諾が不可欠条件だ。おそらく医療トラブルが増えているから、こうなったものと思う。我々事業所の立場は実に微妙、放置できないし、権限も無く、その方だけに対応するだけの余裕など、全国津々浦々どこの事業所にもない。ギリギリの体制で運営している実態がある。
 週末ということもあり、寮内を一巡するとショートステイの方が何人もいた。
 その中で職員は汗を掻きながら走り回っている。
 この国は、便利さを謳歌する中で、何か大切なことを忘れてしまった。それが何か?ご自分で考えてはいかがですか。
名も知られず 時が来れば芽を出し、雨水を受けて成長する雑草   梨農家の方が教えてくれた。雑草に付く夜露が 梨の成長にはとても大切だと・・・・・・。
      雑草と言われながらも わかる方は良く見ていて その役割を果たしている。そんな世の中になれば  慢心は消え 悲劇が減るかもしれません。 それを”雑草魂”と呼びたい。
 

2836:当事者の声

「たべたい たべたーい・・・・」と大声をたてるSさん、日々繰り返している。食堂でみんなと一緒に食べれない。強い拘りがあって、彼女はその事が一番の理由で私の寮で引き受けた。異動した4月は気勢をそがれたかの如く静かに過ごした。それでもトイレに引き籠り、入浴の際に大声を張り上げることはあった。それは部分的で夜は静かに寝た。それが寮が変わって少々慣れが出てきたころ、声の大きさが徐々に大きくなり始めた。
 恐らく、世間の大半の人たちは知らないと思う。レスパイトを利用される方でパニックを起こす方が結構います。それも小学生ぐらいの年齢の子供たち、好きなことをしている時は静かにしているが、原因が不明で突如大声を出し、走り回る。Sさんに負けず劣らずの大きな声、年齢はまだ10歳になっていない。お母さんが必死に我が子を家でみている。アパートを何回か変わったとか、近所の目を気にしながらの生活は大変です。母親にとってもレスパイトが必要だということで市にお願いして土浦市は県内ではいち早く制度化してくれた。法律が変わり止めてしまった自治体も多い中で土浦市は今も続けてくれている。
 Sさんへの対応で『なぜ?どうしてそこまでするの?』と職員間で何度話し合ったことか、環境や接し方を変え、今も試行錯誤である。でも決定打は見つからない。
 今朝のNHK深夜便の明日への言葉で東大小児科の準教授の熊谷晋一郎さんの・・・・『誰もが生きて行ける社会を目指して』・・・・という放送があった。熊谷さんは生後3日目に高熱を出し、その後遺症で脳性小児マヒとなり今に至った。私は正直熊谷氏を今朝の放送を聴いて初めて知った。グーグルで調べたら、各地で講演もされ、本も書かれている。早速、アマゾンで2冊注文。これも私の”拘り”の一つ。(余計な話です。)
 是非とも明日の早朝4時6分からのNHKラジオの明日への言葉を聴いてほしいと思う。今朝の続きの話が聴かれます。
 熊谷さんのお母さんが一時も離れず息子さんの傍に付きそい介助をしてきた話、リハビリの時その母親の腕に噛みついたり顎に頭突きするチャンスをいつもねらっていたと話す。「母親が死んだら自分は生きて行けない」と怖くて毎晩泣いた。両親が東京で一人暮らしをすると言う息子をどう思ったか・・・など。自らの体験を赤裸々に話されることにショックを受けた。それは、まさに当事者の声だった。果たして我々はその言葉に向き合っているだろうか? これもいつもの私の”拘り”(余計な話) どうも、他と比べ、いかに目立つことをしていくかという上辺の事ばかりに関心を示す業界になったとは思いたくはない???自らを誇って何になる。
 2年前に私は茨城県が障害者の権利条例をつくる時に加わった。当事者の皆さんの熱心な意見交換の場にいて、何も言えない自分を感じた。先月行われた肢体不自由児者を守る会の関東大会(水戸市)で時間がいくらあっても足りない活発な意見。その記憶が蘇る。
 今の日本は、どうも何を決めるにしても当事者の声が入り難いように感じます。少数派の意見にこそ、真実があり、それを無視するような手法は結局、長続きせず、また改正することになります。
 熊谷さんが最後にお話しされたことで、「世間は満更でもないことをひとり生活をして初めて知りました。食事は2日位何も食べなくても良い、風呂は10日に1回でも構わない。外出も出来なくても我慢はできます。でもトイレだけは待ったがきかない。誰かに世話にならないと。一人で生きて行ける条件を4つに分類し何が一番かを考えた。その中でトイレ。後始末を他人にお願いすること・・・・」
 地域に出て一人生活をされる方が徐々に出てきました。でもそれだけではない。
 ★ 補足させて頂きます、Sさんが食事を前にして大声で「食べたい」を繰り返し、食べ始めるのに、ひどい時は1時間以上かかる。これは尚恵学園が関わる前から行われてきた。入浴後着替えるのに半日かかることもあります。これも同じく今に始まったことではありません。 
 熊谷さんの2回目の放送を夢中でメモ書き、自らの体験を元に語る新たな障害観、随所に出てくる判り易く説得力をもつ話にハットした。現場は手本があるのではなくTaskがある。手薄な中で助け合う&工夫で仕事をこなす。完璧な人間はなく、それぞれにクセがある。クセを認め補うのがチームワーク、そこから従来の規範の組み換えが起こる。障害は個人の中にあるのではなく体の外に障害がある。障害自立は、その人が依存先を増やすプロセス。依存先(コマ)の数が多いのが健常者。障害には見えやすい障害と見えにくい障害(発達障害・依存症など)があり、他人に対し言語化ができる障害が見えやすい。障害の中で序列化ができるのが心配。障害の定義は、外から見た定義だけではなく内側(当事者)からの定義があって初めて整理ができ社会との共有が生まれる。症状はすでに解決である。誰かと問題をシェアーすることが希望に繋がる。感覚飽和・グルグル思考。
 いかがでしたか?一人でも良いです。騙されたと思ってラジオを聴いて下さった方。人生はその人の生きた年数ではないことを痛感しました。38歳という熊谷氏、彼のこれからの活躍を心より期待し、我が身に置き換え考えて参ります。
  誰しも経験したこと、忙しいと思う時、何かミスが起こりますね。思うようにならない時、イライラしますね。 良く考えてみると、その原因は自分側にある場合が多くありませんか。それも日替わりメニューのように。

2837:生活のリズム

 規則的な生活リズムってあるのでしょうか?それが狂うと障りが生じ、体調に異変が起こる。
 しかし、これもまた、おかしなものでしょう。だって規則的な生活など私は有りえないと思う。これだけ目まぐるしく変化する世の中にあって自分だけ平然としてなんかおれんでしょう。24時間休み無く活動する都会、これを疑問と感ぜず受け入れて久しい。隙間なく設置された防犯カメラ、事件の解決に大きく寄与している。今がこうなのだから、恐らく10年後はどうなっていることか?カメラを身につけて生活するようになるのではないだろうか。
 スピードと品数の多さの競争に撤退を余儀なくされた商店も多く、結局は大手が生き残り、個人経営の店は街角から見事に消えた。そのような生活の中でさえ人それぞれが自らのリズムを必死に守ろうとしています。私はよく大衆浴場(?)にいく。要はいくつものお風呂があって休息もできる街の中の風呂、つくばと水戸に探し出し利用している。知った人と出逢わない気楽さと体調に合わせ選べる風呂がよい。
 贅沢?そうかもしれませんね。でも落ち着くのは確かです。それと毎晩日記をつけている。今日有ったことを思い出しメモ書きする。これをもう半世紀は続けている。後で読み返すのに便利な3年併記ものを使っている。
 2年前と比べ、時間の経つスピードが毎年早まっている。
 齢を重ねるごとに、前には出来たことが確実にできなくなってしまったことや趣味や嗜好の変化が分かります。
 ・・・・が、同時に尚恵学園の仲間たちのことを考える。入所期間が長くなった方が多い。これは歴史が古い施設ほど顕著になっていると思う。彼らがどう生活のリズムを保てるかと考えると正直思考停止になってしまう。
 私がこの仕事に就いた頃(1970年代)は如何に日課に合わせられるかを議論したと覚えている。それがどうでしょう?入所型は決まり切った日課、限られた生活空間と言われマイナスイメージ。
 生活の質や喜びとは真逆の実態とは、この意見に対し強い憤りを感じますね!どうしてこうなったのか正直よく判らない。実際に貴方もその中に身を置いてみたら良い。
 昔と比べ様々な決め事(法制度・条例など)が増えたこと。その一つさえ理解することができないのに次々に出てくる。障害福祉だけをとってもここ10年の変化は50年に匹敵するボリュームではなかろうか?
 文言では個の尊厳とか自由、豊かさ、権利、予防、などが散りばめられ、正直、緩みというのか休息地がどんどん減って、結果として自由を束縛している社会になっていないでしょうか?現実に仕組みが複雑に成り過ぎ判り辛いという意見が多くなった。
 だから何が原点なのか曖昧な答えしか返ってこない、何のための決め事なのかさえ分からずに議論し制度を作り続けた。それがパターン化してしまった時代に生きているという実感ですかね。
  さ。。草刈やるか! 以前として雨が降りやまない。このチグハグサは、如何ともし難し。
 
  安保法制の問題がおかしな方向から崩ずれ始めているような感じがします。この時期に野党の分裂が内部から起こるようでは、如何なものか?歴史に汚点を残すのではないかと危惧する人たちは大勢います。それも現状では、情報が少ない中での議論ですから結束の強さはどうなのでしょう。
 身の安全を守る為に銃の保持を認めるか否か。これは他国の事と思っていたことがそうじゃなさそうだという気運を感じます。銃と防犯カメラの対比とは違うのでしょうが、いくらカメラを設置しても犯罪や事件はなくならない。ならば銃の保持を日本も許すのかとなれば、その議論はないでしょう。グレーゾーンの問題がありました。白黒をハッキリすることを求め過ぎる社会は決して良いとは思えません。寧ろグレーな立場こそ重要かと思う。中立とか中道という立つ位置を日本が取る道は最早残されていないのでしょうか?戦争を体験した方達の悲痛な叫びは、そのことを言っているように私は思います。
 雨降って嘆くより、雨具をつけ草刈りをする覚悟と行動、これは、自然を相手に人間がいかに共存するかという考えに近い。なんでも業者に頼めば良いと考える人間ばかりになれば、いくら国がお札を印刷しても不足する。判りきった話でしょうが。≪新国立競技場建設やエンブレムの問題が語っていること≫
 

2838:秋雨前線

 今年の夏は格別暑かった。盆明け頃より、台風が続けざまに襲来し、各地に多大な被害をもたらした、その後は秋雨前線が日本列島の真上に居座り,涼気とみに加わって、今年あれだけ猛威を振るった太陽がパタリと姿を消した。
 いま地球規模で起こっている自然災害は、明らかに我々人間の横暴さ(収奪と争い)に対する警鐘と受け止めるべきでしょう。経済大国ベスト3、アメリカ・中国そして日本は、果たしてその地位に相応しい振る舞いをこの地球上で行っているだろうか?疑問を持ちながらも、具体的な対応はできず、問題の先送りとそれぞれの国の抱える事情に日々翻弄されている。正直、私はこの国の事さえ充分に判っているわけでは無い。寧ろ知らないことが多すぎます。何故、政治が紆余曲折、彷徨い歩くのか判らない、明らかに政治家のエゴである。離合集散は今に始まることではない、しかし、小粒になった政治家が永田町界隈を闊歩し、いかにもご立派なことは言うけれど実際は何を考え本当にその責任を自ら取る覚悟があるのだろうかと思ってしまいます。
 今、枕元に置いた2冊の本、熊谷晋一郎・綾屋紗月の共著「つながりの作法」と「リハビリの夜」、読み始めて感じたのは、当事者の思いをどれだけ理解し、自分が立ちまわってきただろうか?ということです。所詮、一人の人間ができることには限界がある。一人という字だけでも「孤」と「個」の意味があり個の尊厳と言いながら、気付くと「孤」の尊厳ではないのか?
 世の中の変化が目まぐるしく、その事さえも確かめる余裕もなく、時を浪費してきたと大いに反省している。
 ある企画を今、何人かで行っている。予告できる段階になり、その集いの趣意文を紹介しよう。
 邂逅という言葉があるが、65年も生きてくれば出会いも別れも経験します。その過程で意気投合、世の中への危機感というのか、愚痴?のレベルかもしれないが、ここに至り札幌と頻繁に連絡を取り合っています。
 国会周辺で大勢集まった人達の願い、それを傍観している人達、その中に自分を置き、何をほざくかと言われても構わない。私は学生時代、昭和44年は安保闘争の真っ最中、その時もアウトサイダーでした。あれから半世紀が経つ。そして、今感じていることは、人は誰もが平和を望む、平和にはこれで良いという頂点はない。望み続けることでしか、それに近づくことは有りえない。だとしたら我々は自らの立つ位置で平和行動をするべきではないだろうか?
 遅まきながらそれに気づいた。その思いの原点は相手の立場になって考え行動することだ。
 福祉という字には、それら全ての願いが含まれていると信じている。
 秋雨前線を鬱陶しいと思うか、今年の夏にあれだけ雨を望んだではないか、だから地表に潤いをもたらす雨に感謝し、その喜びを共有しよう。この論理でしか共生社会を築く道はあるまい。
 新企画の予告です。今日から長月が始まりました。
   雨から受ける恵みを考えれば判ると思います。無制限に貯水することはできません。人の営みは、長い歴史の中で智慧を働かせ作物や土地の改良を続けてきた。それは必要以上のものを貯め込むことでは無くて、余れば御裾分けし、共助のこころを育んだ。
 経済優先という思いの中でややもすれば利益独占に走り、格差の拡大というジレンマにぶち当たる。今の日本で新たな需要が伸びない。その原因が何か?思い当たる節は身近に沢山あります。無駄を省かず収奪を繰り返せば、どうなるか? 私から見れば 先ず議員の多さをどうにかして欲しいという事でしょうか!それとメデア等にバイアスが懸ればどうなるか・・・・云々。長雨を憂うるより、そのことの方が余程鬱陶しい。
 ★ 道路わきの雑草が伸び、前から気になっていた。小雨だったので草刈り機で刈り始めたら、ウルシの木! 瞬間”しまった!”と思ったが 後の祭り。

2839:立ち位置

満足できますか? という問いを自らになされてはいかがでしょうか? 空腹をどうすれば凌げるかというギリギリの状況が今の日本に果たしてあるでしょうか?難民が30万人を超えるというドイツは、EUの中で最も成功を収めた国、そのドイツに海路と陸路から体一つで母国を捨て避難する人たちが押し寄せる。一方、日本はどうか? 昨日のテレビニュースは中国での抗日戦勝記念パレード一色だった。日本とドイツの違い、両国とも先の大戦から70年を経過、経済の復興を成し遂げ、隣国といかにうまく付き合うかを模索している。だが、その中味は大きく異なる。
 もし、いま日本に難民を数十万人受け入れるとしたらどうなるか?という想定はあるだろうか。 先の戦争を今も引きずるのはどちらの国でしょう。中国から多くの観光客(?)を受け入れ喜んでいる。その実態はと目を向ければ日本製品の買い物に使う金額が凄いそうだ、それはある意味ではプラスの経済効果で思わぬ副産物。でも、一方ではエスカレートした抗日戦勝記念の軍事パレードを私たちはどのように受け止めれば良いのでしょう。
 ネットの片隅に出ていた村山元首相が式典に参加するために北京に行っていたが体調を崩されて入院したという記事。
 つい最近の国会審議では想定敵国として隣国を名指しで行っている。あの時私は”箍が緩んだ”と直感。相手国はそれをどう受け止めているか!国営放送NHKで全国放送された国会中継の中味である、・・・・・・。少なくとも先の戦争を体験した人間は限度を弁えている。それが残念だが戦後世代にはそれが無い。そのことが恐ろしい。抗日運動が再燃している状況と無関係ではあるまい。
 日本の立ち位置は、その時々の政府の判断で決めると言う。だが世の中には変わるべきことと変わってはならないことがある。何か問題が起これば帰責を曖昧にし擦り合いとなっている。”箍(たが)”とは竹を割りたがねた輪で桶を堅く固めるのに使うもの。箍を緩めるとは緊張が緩んだ状態、周囲環境が厳しさが増していると言う割に貴方たちが取っている言動は箍のたるんだ有様では???昔、身銭を切って政治家を志した人達、確たる信念があった。 それが見事に消えようとしている。親の地盤を上手く利用する輩はごまんといる中で、多数党に身を置き自らの利を最優先するような人間が政治をするようになったとすれば、この国の将来は危い。
 彼らは常套句で批判ばかりせず対案を示せと言うが、日本の立ち位置は、誰がなんと言おうが”憲法”で、他にありますか?貴方たちが憲法に替わってその判断が出来るとすれば、明らかに間違っている。貴方たちに寄せる国民の信頼の中味が明らかに違う。自らを過信するのもいい加減にしないと取り返しの効かない過ちを犯す。不思議なことに党内の全員が黙して語ろうとしない。。
  外交には2種類あって、一つは”武器”、もう一つは”誘惑”である。日本がこれから先、道を誤るとすれば、武器以上に刺激的で美味しそうな”誘惑”のほうが数段危険だと私は思っている。
 何不自由なく育った人たちに、そのサジ加減を見抜く能力は期待できない。組織は大小に関わらず”諫言”する人が必要不可欠、諂(へつら)うものばかりを周りに侍らせば内部から腐り始める。
 ★ 平和外交を叫ぶのならば、今の日本がやるべき事は他にあるのでは? インドネシアが高速鉄道の建設計画を撤回した。表向きは140キロ程(全線)の距離を時速300キロを超す鉄道を走らせることの是非が根拠。説明する政府責任者が300キロの速度に達するまでに停まる駅があってブレーキをかけなければ行き過ぎてしまうと苦笑した。日中の受注競争激化のなか両国との友好関係への影響に配慮したというのが本当の理由かも知れぬ、私はトップの勇断だと評価する。日本がここまで発展できたことは先進技術の開発に負う所は大きい。 トップは止める決断が最も難しい。名を取るか実を取るか、                ・・・覆水盆に返らず・・・
 ☆ ドイツから学ぶ。 難民受け入れをいち早く決めたのは、先の戦争でユダヤ人難民を他国がすすんで受けてくれたことへの感謝があると聞いた。どこかの国が、いつまで謝罪を続けるのだと公言し未来へのビジョンを掲げることを混同しているのとは偉い違い。自国平和を思わぬ国はあるまい。それと過去の過ちを忘れず子や孫に伝え続けることは決して恥ずかしいことではなく、無謀な行動の抑止になる。寧ろそれは大人としての責任ではないのでしょうか。

2840:胸騒ぎ 

 大雨特別警報が栃木に続いて茨城に発令された。私は夜半から強まる雨音に胸騒ぎ、ラジオのイヤフォンを付けて寝るのは普段と変わらない。どうも気になって寝ておれず、起きだして施設に向かった。いつも冠水し溢れる水路は案の定、既に限界まで水位が上昇していた、流れる勢いがいつもと違う。道路に通行禁止の案内版をたて、職員に電話で指示をした。
 そして、午前中、対応に奔走し、やっと雨が小止みになる頃、テレビで鬼怒川の堤壊を知った。LIVE放送でヘリでの救出、ドンドン水が住宅地に押し寄せ、家や木々をあっという間に薙ぎ倒す光景に目が離せなかった。
 今回の大雨は50年に一回という異常な事態、記者会見席で警戒を促す気象庁職員の声もいつになく上ずったものだった。今回、茨城に起こった大惨事は、後々検証がされ、その対策が講じられるものと思う。被災地の常総市では20名を超える行方不明者が出ている。避難指示が出た総数は数十万人に上り、千人以上の人たちの避難場所が孤立する事態となっている。
 天気予報で雨雲の動きを見て、南北一直線に伸びる雨雲が動かず、長時間居座り、それが局所的な大雨の原因だという。栃木県で降った大量の雨(降水量600ミリ以上)が一気に主要河川(鬼怒川)に集中し、茨城の県西から県南で堤防の限界を超え決壊した。河川の管理は国土交通省、複数の県にまたがる一級河川の場合、単独の県で対応することはできない。まだ、ハッキリしないが少なくとも7000世帯を超える家が被害を受けた。
 今回、多くの人たちから安否を気遣う電話を頂戴した。正直、私自身、何をどうしたらよいのか夢中だった。今回思ったことは、職員が集まれないということ、道路が大渋滞し、動かない。それでも、殆どの職員は通行できる道を捜しながら集まってくれた。支援したくとも職員がいなければ何もできない。それと、給食の委託先のメフォスの皆さんには感謝している。道路が寸断し通行できない中を各寮への配食をいつもの如くやって頂けた。
 それと限られたスタッフで利用者の方々の安全確保に尽力してくれたことに感謝以外の言葉はない。ありがとうございました!
 今回の大雨で甚大な被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げます。復旧には多大なご苦労があると思いますがいち早くこの苦難を克服されますよう祈っております。(住田)
 
 ★『線状降水帯』という帯状の雨雲が長時間動かないで居座ったために大雨をもたらした。その後東北地方に雨雲がズレて宮城県内に大雨被害を及ぼした。
 茨城は自然災害を受けることは少なく台風は通過する頃は勢力を弱め、大きな被害を受けずに済んだ。今回は、決して油断をしたということではない。ただ、真夜中の出来事であったことが、避難指示が徹底できなかったということに繋がった。地震は多発地帯であるため、それへの対策は進んでいるが、関東平野のど真ん中で平坦なために、今回のような大雨には、弱い一面を露呈したと言えます。

2841:慌てるな!

慌てるな!足を地につけ踏ん張れ!
 70歳を越した知り合いで、いずれ劣らぬツワモノ共が憂いている。以前には決して弱音を吐かなかった。それが揃って元気を失いかけている。どうしたんだ?何があったんだ?尋ねるのも気が引け、遠回しに様子を伺っている。気分は伝搬するもので、私もオカシクなってきた。
 先人たちが苦労して築いてきたものがいとも簡単に崩れ落ちるような気がしてならない。価値観の地殻変動、何を良しとして伝え残していくべきか迷う。不確実性な時代などと論評し講演料を稼ぐ輩は無責任いや犯罪者だ。実務家が減って評論家が増えすぎた。見なさい!不安を煽り、その解決方法を自信満々売り歩く、 言いっぱなしで責任取らず、その際たる事件は先日明るみに出た某法科大学院教授の信じられない失態(?)、法律を教える身でありながら法を犯すとは・・・・・。
 自責回避行動というものをご存知でしょうか?自らの責任を回避するための行為と心の動き、葛藤があり、それに全精力を使い周りが読めず体も心も浮遊しつづけてしまう状況だ。
 今ならばまだ間に合う。目的が持てず生きる事への確信がもてない人が増えている。平和を叫びながら陰で搾取や収奪の機会を狙う。私自身の身近な例をあげれば、福祉を金で買うような施策を認めた時点で道を間違った。何でもありで秩序無く、先が読めなくなったと思うのです。蛇行した河川が洪水に弱いという定説を弁えず、道路を舗装し、木々を切り倒して住宅地を広げ便利さを求めたことと妙に重なる。その結果、土地の保水力が落ち、想定を超える甚大な災害を引き起こす。
 急がず慌てず、智慧を出し合い、今こそ真剣な議論をしませんか。それがなんと言うのだろうか、政府は十分な時間を審議にかけたと言う割に我々国民にはどうも理解が深まらない。全てに言える事、・・・・・慌てるな!・・・
 ☆『散りぬべき時知りてこそ 世の中の花も 人も人なれ』(細川ガルシア夫人)
 国連が言うODAの目安はGDPに対し、0.7%を援助すること、日本は今、横ばいで嘗て世界1を誇ったが世界5位に甘んじている。その総額は0.2%。日本を課題先進国と言った方がいます。それは超少子高齢化を世界に先駆けて迎えるからだという。日本人の持つ自制心は世界の見本だとも。良かれと思い医療や介護に取り組んだ。その結果、長寿で世界のトップの座にいる。このことを社会問題と評し、慌てている。忘れてしまったことや気付かないことがありませんか?今朝の新聞に堤防決壊で避難している家に盗みに入られたという記事を見た。地獄絵さながらの光景が浮かぶ。反面、地元高校球児が一生懸命避難所でボランテア活動をしている。その一人が「日頃私たちを応援してくれる人達に自分達で出来る事でお返ししたい。」と語る。

2842:一意専心

 堤壊後の被災地の状況が徐々に明らかになってきた。常総市は前回の市町村合併(2006年)で旧水海道市と旧石下町が一緒になり、今の姿になった。人口は6万強、東に小貝川、市の中心部を鬼怒川が流れる日本第2位の利根川水系の支流だが大河である。今回は市の上流部の旧石下町辺りの堤防が決壊し、現在も市役所のある中心部は水を被り、役所機能が麻痺している。福祉施設関係の情報は早かった。特老が一時孤立する事態になったが、昨日、入所されている人たち全員が他の施設に移動した。停電と断水、それと通信手段がない状況で大勢のお年寄りを介護することはできない。我々の障害関係の施設も3法人が市内にあり、確認した所、直接の被害はなかった。ただ、職員の家が床上浸水し、その対応で苦慮していると聞いている。
 まだまだ元の状態に戻るには時間がかかる。土浦上空を被災地に向かうヘリが行き交っている。今日、私は午前中に会員施設に訪問する予定を立てた。電話では、なにか我々にできることがあれば遠慮なく言って欲しいと伝えてある。
 まだ家に戻れず避難生活をされている人たちが大勢いる。その留守宅を狙って空き巣が横行していると聞いた。ひとの災いをなんと思っているのか!
 そして、東京での震度5弱の地震が起こった、震源地が丁度オリンピック開催で新たに開発区域に指定された場所。背筋が一瞬寒くなった。災害に弱い大都市の一面をみた。
 聞き飽きた感もするが、現代はグローバル化、言う間でもなく”地球規模の”という意味、これに対し、今週強行採決しようとしている法改正の永田町界隈での論理は、熟しない果物を今が食べ時と急いで口にしようとするもの。
たら腹食べて下痢でもしないのか心配だ。(例えが不謹慎だとは思っています。)
 端的に言って、グローバル化を陰で操作する”情報戦略”のほうが曲者だ。都合の悪い情報は隠蔽し、自らを安全な場所に置き、何かに取りつかれたような言動が多すぎる。私はある政党の事だけをいっているのではありません。政治:官僚:我々一般市民・・・それぞれが責任の一端を持つと思っている。褒め殺しという言葉があるが、利用されるだけ利用され、使えなくなったら”ハイ それまでよ”ってことになりかねない。
 介護や少子化という流行言葉に左右されることもなく、只管、人として当然のことをしていると思っている人たちがいる。不思議なものでそのような人は決して表に出ようとしない。それは何故だか貴方は判りますか?
 ”一意専心”これは、今の時代、忘れかけてしまった人のほうが多い。人と違ったことを言って得意になる輩、ああ言えばこう言うと言葉を巧みに使い分ける輩、ルールとして謝罪さえすれば許されると勘違いした輩。こういった全ての事を御見通しの”掟”それをこの国は憲法という形で今まで大切に守ってきたのではないのですか?
 
 ★ 見舞いに伺った3法人、いずれも施設長が待っていた。これも普段の付き合いがあるからか?困った時はお互い様、そう私は親に教わって育った。案の定、常総市内は大混乱、狭い道に水に浸かった家具や衣類が持ち出され通行もままならない。道には警察が立って交通整理、自衛隊や消防の車が目立つ。そんな中、災害ボランテアの若者が一心に後片付けの手伝いをしていた。
 私の車のナビは×印ばかりで目的地になかなか行けない。もう暫く落ち着くまでは時間がかかるだろう。
 車中で知った阿蘇山噴火のニューズ、御嶽山噴火で尊い生命を失った記憶もハッキリと残る中、今度は九州の山が怒っている(?)。日本中、北から南まで、一気に火山が活動を開始した。同じNHKラジオから流れてきた国会中継、「アンタラ 何を討議してる!」私の体が爆発しそう。科学万能&経済最優先、この旗印を誰も下ろそうとしない。自分たちだけの幸福を追求する国は、常に相手が味方なのか敵なのか気になってしようがない。
 表裏~ホンネたてまえ~  議員さんへ!貴方たちに掛けている税金の額、それをどう思っている?これでも少ないと 政党助成金目当てに枝分かれ、主義主張に大差なく、この国が有事にあることをどう考えます?
 なんだか知らないが、私には優先順位が逆じゃないかと思えて仕方がない。綺麗なべべ着て、高級車を乗り回せばそりゃーいくら有っても足らんでしょう。議員全員が公共交通しか乗ってはならないと閣議決定したら良い。そうすれば庶民が何を望んでいるか少しは判るかもしれない。シツコイようだが、これは特定の政党を言っているのではありません。先に立つ人の感性です。
  ああ 夜が明けた朝6時の鐘の音。一意専心 しあわせを・・・・・・。
 
 ☆ 茨城県選出の某議員は、3回落選の後、12回連続で国会議員を務めた。大臣に就任するまでの間、常磐線で国会に通った。今でも語り種(ぐさ)になっています。
 今日の議員の皆さんへの不信は、その辺にあるように私は思う。胸にバッジを輝かせ、先生せんせいと言われればズレがどうしても生じます。自らを律し修正しようとする努力が今の議員さんには足りないと思うのです。
 この度の鬼怒川堤防決壊で捜索中の15名の行方不明の方達、全員の無事が判明。 

2843:休息

 今日明日と纏まった雨が降るという。休園していた事業所の施設長さんから電話でようやく明日から受け入れを開始できるようになりましたという電話を頂戴した。道路が至る所で通行止めになっているために渋滞がひどく、送迎時間の予定がたたない。それと職員の自宅が被災したために出勤できない人がいるという理由だった。
 まだ、決壊箇所の復旧が終わっていない中で、今回の雨でまた水嵩が増えれば危ない。
3000人近い方が未だ避難所生活をされているという。丁度1週間が経つから、相当お疲れだと思う。
 どうしても気になってしようがないのは、安保法制関連の動きだ。正直、何もできない自分が情けなく、この議論が俄かに取り上げられるようになって、何故もっと早く何らかの行動がとれなかったのかと悔やむ。
 
 こうしている間にも世界では様々な出来事が起こっています。ヨーロッパでは難民の流入を防ぐために国境での警備が強化されているという。日本では殆どその話が出ない。ユーチューブで公聴会の内容を聞いた与野党双方の公述人の意見は、かなり際どいものだった。恐らく何の柵もないからだと思うが、その内容で耳を疑いたくなるようなものもあった。「国会法51条1項で公聴会を義務づけ」
 世の中が複雑になりすぎ、正直何を信じてよいのか自信がない。知人に新聞もテレビもパソコンも一切の情報手段を断った方がいる。その方とは時々電話で話すぐらいだが、肩肘はらず声がいつも澄んでいる。自らを仙人と称し隠遁生活という割には自分に課したテーマを追い求めているからさすが、そして、毎回私に「体を大切にしてよ、無理しなさんな!」と声を掛けてくれる。
 哲学や宗教?を語る時は、私は一方的に聞く側になってしまう。
 まさに真逆の人生を歩んでいる。
 
  
☆ 昨夜、職員から携帯が入った。GHで生活されている方(S)の健康状態について、今日通院した結果と今後どうしたら良いかの相談を受けた。天涯孤独で相談できる身内がいない。そのような方が増えている。
 自分のおかれた場所で咲けば良い・・・・・?何かで読んだ気がします。病院で全ての検査を拒否し続けるSさんは自ら置かれた場所をどう受け留めているのだろうか?処置ができず、園に戻り自室で横になっていた。本人の意志を無視はできない。我々と関わって大分年数が経った。
 豊かさや便利さとは全く関係のない世界に生きている人達の声は、変化が激しい制度や仕組みの中で一層聞こえ辛くなっている。彼の愛用の自転車がGHから寮に戻され傍に停めてある。。。。この現実をあの人たちに知って貰いたい。9/18 
山は 春は 秋は ・・・・心は。。。愛は死にますか「♪防人の詩さだまさし
今朝の明日への言葉で『現代の地獄絵』を描いた画家中島潔氏が語った。いろんな事が起こる現代、自分が母親から言われたことを思い出す。「嘘をついたら舌を抜かれるから」子供心に今もハッキリ覚えている。弱きものを騙し虐めるものは八大地獄の最下位に落ちると 。 中島氏とさだまさしが『雨宿り』で繋がることを偶然にも知りました。

2844:兆し

 人は時の移り変わりの中で、何を得て何を失っていくものかと考えました。昨日は久しぶりに日差しが眩く、暑さが戻ってきました。
 最近になって、マスコミからコメントを求められツイツイ本音を述べたものだろう、自民党元議員の大物達(?)が、現政権のやり方に苦言を呈している。原発再稼働や安保改正など、現職当時は聞かれなかった言葉だった。それと解釈改憲というあまり聞きなれない文言が自棄に目立つ。以外なのは”自然権”なるものも突如質問に出てきたり、正直、言葉遊びの感が否めない。それじゃー どうなるんだい?と逆に聞きたくなる。堂々巡り&尻切れ蜻蛉の議論は虚しい。多くの審議時間をかけたと言うが本当にそうなのか?
 解釈改憲ということは微妙だ。今後政権が変われば、また解釈が変わることは有り得るという。憲法の解釈が安定しないとなると、外国からみてどうなのか?あのドタバタ騒ぎの中で課題を残したまま強行採決された。その後どんな動きが出ただろう。女性議員への暴力沙汰など場外乱闘に話題が切り替わる、議事録にどう書かれているのか判らない。採決。
 唯一、何らかの変化の兆しを読み取れるとしたら、永田町の内部からでなく、それは老若男女を問わず国民の政治に対する関心の変化、今後の日本の有り方が問われた重要法案の審議、確実に関心が上向いている。次の選挙がいつ行われるのかこれもまた不明なのだが今までみたいなことは無いはず。立憲主義や民主国家を標榜していた割にその真逆の実態を見せつけられた国民がどう判断するかだ。選挙区制度や議員定数を自らの党に有利にという因循姑息なやり方はもう使えまい。今の自民党に言いたい。派閥があって無き様な実態を見た、それは次の選挙に推薦を得られないということからでしょうか?黙して語らずの皆さんが心から納得しているようには私には思えなかった。
 野党に言いたい。もし、政権与党にご自身が鞍替えしようという思いが少しでもあるとしたら、バッジは外しなさい。有権者はそこまで御人好しではない。自らの立ち位置を持てない人間は、どのような美辞麗句を並べても所詮は、その身の丈以上のことは望めない。
 少なくとも街頭に出て反対を叫んだ人たちの願いは、今の国会議員全員に対する不満の爆発でしょう。
 自国の政治に関心がない人が半数を超える国は危うい。今回の一連の騒動の中で唯一評価されることは、国民側に変化の兆しを感じたこと。そのウネリがパタリと止んでしまうか否か、私はその事への不安はあまり持っていない。
 ★ 政権側に伺いたい。今回の採決で”解釈改憲”という形を取ったことは、どうなんですか?もしやる気なら法改正まで強行にできたのではないですかね。貴方たちの数を持ってさえいれば。総理が事前に米国議会で演説されたそうですが、解釈改憲という日本語を英訳ではどう説明されるのでしょうか。
 ☆ 自衛隊元幹部の弁・・・・・国会で敵国を想定した議論を公共電波実況中継の中でやっている国は世界中どこを探してもない。そりゃーそうでしょう。最高の軍事機密ですからね。
 このチグハグサを誰も説明しない、一番冷静なのは有権者だということです。
   どうしても言わずにいられず 駄弁を弄してしまいました。
 

2845:伝灯&不易流行

 園の家族会の役員会があった。出席率はすこぶる良かった。今日は言おうと決めていたことがありました。家庭帰省できない方が増えているということを伝えたかった。出席された役員の皆さんは、面会は必ずといって良いほどにある。家族を待つメンバー達の悲喜こもごもな姿を見てきた私には、それを伝える責任がある。今時、面会が無ければ利用を拒否する事業所はないかもしれない。そんな事をすればマスコミに何を書かれるか判らない。
 仏教には『伝灯』、法脈(教え)を次に伝え続けるというコトバがあります。≪教え≫とは何か?宗教により多少の違いはありましょう。だが、世の中には『不易流行(ふえきりゅうこう)』 変わって良い事と変わってはならぬ事があります。
 近頃、私が気になるのは負の連鎖なる状況が至るところで出てきたこと。目先の価値観に囚われてあまりにも短絡的な実用性ばかりを求め過ぎないか。一方「不易」とは、不変の真理で変わってはならぬ事。
 どうも有識者に対し、今日の評価はマイナスのイメージがある。御用学者なる揶揄嘲弄しかり。それは流行(反不易)の知識を自らの利のために小出しする人達という意味もある(同調欲求)、残念だが今の日本の立法府は、制度疲労を起こしています。仕組みだけが残り、本来の機能を果たしていません。直近の例で公聴会ひとつとってみても中味は形骸化したものとなり、そこで出された意見をどうするかという肝心なことがスッポリ抜け落ちた。
  本当に耳目を属する気がないのです。これではな・・!と思いませんか。もういい加減にして知識ではなしに智慧の重要性を見直してはいかがでしょう。
 画家の中島潔氏が地獄絵を描いて京都の寺に奉納する。その中の一枚(阿鼻地獄)に女性を抱きかかえたお地蔵さんを描いている。子供の頃、母親から地獄の話を聞いて恐ろしくなった体験を元に構想を練ったという。恐らく若くして亡くなったお母さんへの思慕の情を描いた。地蔵菩薩は、死後の(地獄から)救済を願い冥界の教主となった菩薩である。幼児を抱きかかえるお地蔵さんの優しさ、救いに画家が賭けたものは何か!
 誰しも後ろめたいことはあります。でも、それが自分だけでなく国の将来を左右するような一大事ならば、話は違う。
★日本のマスコミ報道が2極化している中で、今回の参議院の採決で説明が充分であったか否かの調査では、全紙が7割~8割以上の人達が説明不足と感じているとの結果だった。これは終わりではなく変革の始まりのような気がします。今まで政治に無関心だった人たち、自分たちが何ができるかを考え始めた。周囲環境の危うさを声高に叫ぶより、希望を語ることができないのでしょうか?私は諦めない。学者や政治家のなかに良識を持つものが必ずいるはずだと信じます。

    教えるとは 希望を語ること
               学ぶとは 誠実を胸にきざむこと   … ルイ・アラゴン
 
 彼岸中日
 いずれ彼の岸に渡るなら せめて 此岸で 思いの一つでも 刻みたいと思います。65歳まで命を頂き、これより先 どれだけ生きられるか判らないけれど 逝くときに微笑でお世話になった方々に感謝の言葉を添え、大いなる”宇宙”に旅立つ。これが私の”夢”です。
☆ Sさんが今日病院で検査を行う。スタッフが代わる代わる説得した。それが彼に通じたのか、やっと検査を受けることに同意した。体に変調を覚え、彼が頼りにしたのは元いた寮でした。
  彼が寮に戻ってきてから、気のせいかメンバー達が彼を気遣う様子を感じた。(9/24)

2846:エネルギー

 昨夜、ある会合が水戸であって帰宅が遅くなる。様々な業種の方達が集まり、情報交換の良い機会となりました。私の場合は寺と福祉施設という限られた中での付き合いだけなのでどうしても内内の話題が多くなり、新たに何かを感じるということにはなり難い。
 県国際課主催の集まりだったこともあって、出席したはよいが自分の居場所を見つけるのに最初は戸惑いました。徐々に雰囲気に慣れ同じテーブルの人達との話は多岐にわたり面白かった。途中で県の魅力度のことが話題になった。茨城は常に最後尾の位置を占めている。法人経営でコメ作りを大規模に行っている方との話、魅力度の基準は東京の人たちからみた基準だから、どうしたって北関東3県は低くなるのは仕様が無い。”茨城は豊かだ”ということを敢えてPRせずとも充分やっていける。確かに茨城は農業大国で農業生産では全国トップクラスを堅持、都市圏にありながら肥沃で広大な耕地があるからだ。日本の食料自給率が他の先進国と比べ特に低い、何かあったら一溜りもない。アメリカやフランスが安定しているのは当にそこである。これからは食糧を供給できる県が最先端になると力説。頷くだけであった。
 ここにきてその考えがより現実味を帯びてきたのは確かである。
 安全な食の需要は、うなぎ上り。
昨日は大子の山に入った。県林務課からの要請で代替えで30年前に寺が求めた森林(槙野地)の境界立ち会い、軽装で行ったのが間違い、平地とは段違いで道なき藪をかき分けながら山頂を目指し、途中何度も休憩しながらどうにか境界杭を打つことができた。植林後60~70年を経過した杉やヒノキが見事に育った山は、御多分にもれず下刈りせずにいたので荒れていた。中には全く草が生えていない場所もあり、案内の方に尋ねると間伐せず木が混んでいるから日差しが入らず草が生えないと教わる。
 昔から木の売買は立木の状態で値段を決めるという。抱えきれない太さのものより柱が1本取れるような木に値が高くつく。木材の価値も30年で大きく変わった。最近は自然エネルギーで木を燃料にして電気を作るバイオマス発電が増えつつあって、チップにして燃料にするためのほうが材木としての資材価値より高くなっているとも知った。これは国からの助成金が付いているからなそうだ。
 昔、間伐をするときにトロッコを通す道が必要だったが、搬出には便利な道具があって昔と比べて簡単にできるという。
 木が混み過ぎていると風が抜けず強風で根こそぎ倒れるという。森林は水源環境保全には重要である。定期的に伐採しその後、県が植林する県行林というものをどこの県も管理している エネルギーは人間が生存していくためには不可欠なもの、いま電気は当たり前として使われ、食料もスーパーに行けば何でも揃う時代になった。それが災害などで途絶えるとパニックになる。昨日久しぶりに山中を4人で歩き回ったが30年前に案内してくれた同じ方が今回も案内してくれた。それは私が30代前半の時の話。「 住職さん覚えていますか?30年前はあそこまで登ったんですよ。あの頃、施設をここに造れば良いな・・・」と話していたと言う。記憶がスッポリ抜け落ちてしまった。
 ウー 最早、そのエネルギーは枯渇寸前となりにけり、夢物語もいい加減にしろと山神さまの声が聞こえたようにも・・・・・・
 原発の是非を対立ではなく、国民同士で一緒に考えること、そこに智慧を出し合うことにエネルギーをもっと使っては如何なものか!問題の先送りでは何も解決しない。
  山形県の星さんと佐賀県の山下さんの農業に掛ける苦闘を取り上げた番組がNHKアーカイブスで再放送された。20数年前の特別番組『日本の”食”を考える。』
 山下さんは1ヘクタールに38枚の棚田でコメ作り、それと傾斜地を使ったミカン栽培、星さんは有機肥料だけの稲作とリンゴ。お二人の農業に掛ける思いと苦労が手に取るように判った。そして今やっと、後継者の見通しが付くようになった。お二人とも80歳という年齢になり自らの人生を振り返る。何度挫けそうになったことか!佐賀と山形、遠く離れた地でお互いが励まし合いながら書き連ねた往復書簡、農業に掛けたエネルギー、この思いと実践を今を生きる人達に学び取って貰いたい。
  様々な理由から今の世の中を生きづらく思っている人達、自らは一緒に過ごしたいと思うのに弾かれてしまう人達・・・・・共に生きる共に働く・・・・食作りの原点は、協力し助け合う関わりの中に受け継がれてきた。 その根本がグラついてしまったのだから、経済最優先というお題目をいくら唱えても、この確たる根拠をどう説明するか?

2847:陽だまり

 
 秋分の日から1週間、秋の日差しを受け、木々や草たちが弾んでいる。既に葉を落とし冬の準備も進む中、我が尚恵学園のメンバー達、日差しよけの帽子を被り、勇んで歩き始めたまでは良かったが、徐々に前と後ろの差が開き、とうとう農家の塀を借用して小休止。偶然車で通りかかり見た姿、透かさずカメラを向けると、Vサイン。「アラヤシキの住人たち」を髣髴する美女3名の瞬時のワンショット。
  旅行シーズン到来、今月、旅行2本、一組は2泊3日で大阪へ出発、もう一組は1泊で東京デズニーランド、天気も良さそうだし思い出に残る旅になりましょう!
 なんでも10月には、グアム旅行も企画しているそうで、いやはや 私も連れていって欲しいものです。  
 我が家の住人(?)住猫(○)ミイは忘れた頃、侵入者とケタタマシイ声を張り上げ奮い立つ 縄張りを守っている。その都度、どこかを引っかかれ、怪我をするのだが、それでも止めようとしない。これはもう本能でどうしようもない。
 夜中に何度も外に出て、何かをしている様子、こちらは彼の声で戸を開けてやるしかない。正直、面倒だな・・・・!と思っていた。それが日中は日向ぼっこしながら居眠りばかり。そうか夜廻りをしてくれているんだと思うと
丸まって寝ている姿が愛おしくなる。

2848:神無月

本堂の障子紙を張り替えた。とは言っても2枚だけ。まだ穴があいていないものまで新しくするか躊躇する。張り終えてみると明らかに色が違い、どうせならと一気にやれば良いのだが、いつもそこまでで終わってしまう。
 尚恵学園での実習は宿泊場所は寺の客殿、女性1人の時はさすがに妙な顔をするからメンバー達と一緒の寮を使てもらう。学生には良い思い出になると私は思うのだが当人はどうだろう?
 今年も多くの実習生が利用した。その中に障子の紙をなんかの拍子で破いてしまった方がいた。その方は大学に電話して、担当の先生に相談したようだ。後日、先生から弁償しましょうかという電話を頂いた。もちろん「いいよ良いよ。」と答えた。人それぞれ、実習が終わり掃除もロクにせず 早く帰ろうとする方も中にはいます。
 私はなるべく彼らに声を掛ける。恐らく妙なオジサンという風にしか思われていないのだろうが、「ごくろうさん。良く頑張ったね」すると満面の笑顔で全員から「ありがとうございました!」と返事が返ってくる。此処だ!ここですよ。
 自分自身を振り返れば 全く同じ、いつの間にこうやって歳を重ねて今があるんだから。
 実習期間は正直、もっと長くても良いと思う。できれば半年とか1年?福祉は持ちつ持たれつ、お互い様。簡単に言えばこんなことなのよ。それを横文字を入れたりして面倒なことを言うから、本来の意味がズレてくる。
 いま可笑しな状況が蔓延している。極端な例をあげれば、人を殺めるなどの事件が後をたたない。お互い様の福祉を担う人がどうすれば育つか、今のままでは先細になると思うのだ。経済最優先の政策にケチをつけるわけではない。卵が先かニワトリが先かの例えを思い出せば判るとおもう。
 今日から神無月(10月)、その語源は諸説あるそうで、「神の月」という説が主流とか、10月には出雲大社に万の神が集合する。縁結びや地震を鎮める神がいる。
 日本が神の国という割には、どうもオカシナことが目立つ世の中になった。地域創生も良いでしょう、何か新しい光が射せばです。でも、どうですか新しいものばかり求め過ぎていませんか。「温故知新」という言葉もありますし、この辺でどうでしょう、そうそう日本の紀元はいつか判ります?日本書紀に記された神武天皇即位の年、それは西暦では紀元前660年。今年西暦2015年は皇紀2675年です。
 文科省に一言、学生の卒業条件に長期実習制度を導入しては如何でしょう、社会人としての現場経験をしていただく、これなくして消えかけている一般常識は勿論、人の命の大切さを学ぶ機会はありませんね。言葉じゃないんだから。この国が今抱える根本にかかわる問題に対する未来ビジョンではないですか、1年位良いじゃない、そうすれば一気に変わるね、なにもかもが。
 神無月 神がいない月と勘違い 本来 神在月であるならば 全て御見通しとなりにける。
 
   日が替わる頃から風雨が強まった。台風並みに成長した低気圧が北海道周辺にあって、その影響で各地に注意報が出た。未だ復興が終っていない常総市は仮の堤防で大丈夫なのか?
 昨日の午後、協同病院の救急外来にSさんが通院、その時考えた。待つ時間に救急車で搬送されてくる方が3名、赤ちゃんからお年寄りまで、その対応は凄まじく戦場の様、医師と看護師が休み無く動き回っている。ここは地域基幹病院だから24時間体制、かなり遠方からも患者が集まる。数時間待たされるのは覚悟の上、一様に診察が終えると表情も和らいでお礼を言って帰っていく。
 この状況の中で 変わらないことって何か?普段、どうも浮足立って筋違いのことに齷齪しているのではなかろうか。そんなに欲張らず、健康であるがままに生きていけたら、また違う目で周りが見えるようになると思う。
 

2849:土浦の花火

 


 今晩(3日)は土浦の花火があります。市制施行75年にあたる今年は、例年になく豪華な打ち上げがあるという。昨年から桟敷でみる。市長さんも市役所を駅前に移し、いつになく力が入る。「日本1住みやすい街づくり」を目標に頑張っている。私より何歳先輩だが、いつもニコニコ元気だ。気さくな人柄は多くの支援者があり市政運営を身近に感じさせる。土浦の花火は長岡・大曲など日本三大花火の一つ、そうは言っても天気に左右されるから終わってみないと判らない。今回は爆弾低気圧が通り過ぎ、100%晴れという保証付き、全国より花火師が集まり腕を競う、結果次第では次年の営業を大きく左右するというから熱の入れようも違う。
 この歳になり、郷土”つちうら”の良さを再認識する。そこに住む人達は、人情味があって自らをPRするのは苦手、そこが好きだ。日本一のサイクリングロード(筑波山~霞ヶ浦一周)の整備、泳げる霞ケ浦、レンコン日本一、・・・・ 別に認められなくても構わない。自然との共生、これぞ地球規模の究極&先進テーマです。
 秋の夜空に さく花火 潔く 我が人生に 瓜3つ   
 
 感動しました。
 土浦駅前の駐車場に車を止め桟敷まで歩いた。時間は4時半ごろだった。それが桜川土手の道は凄い人で歩けない。汗びっしょりになって優に1時間かかった。7時の予定時間にあげられた土浦市政75年記念の打ち上げ花火は凄かった。恐らく見に来ていた人全員が満足したと思う。
 街の中心を走る高架道はピストン運転するバスに限定、普段あまり使わない道がこの日ばかりはと大活躍、帰りのバスの中から見た土浦の夜景は、大きく変わった。マンションが沢山たって、昼間の光景とはまた違った雰囲気がある。(PM10時)

2850:被災支援

 常総市のNPOの横田さんからの被災地の現状報告を友人がメールで送ってくれました。自宅に戻れず避難生活をされている方達や仮置き場に積み上げられたゴミの山、住む場所の応急修理さえままならず、先の見通しがなかなか立たない中で耐えている多くの人達、支援者の輪も徐々に広がりを見せているということですが、混乱もあるようです。
 茨城は先の東日本大震災でも県の北部を中心に大きな影響を受けました。そして、今度は常総市や坂東市という県の西部が鬼怒川の堤壊で多大な被害を受けてしまいました。復旧にあたる職人さんの確保が難しく、思うように進んでいない現状です。その中で若い人達が必死にボランテア活動をされているという報告も受けました。
 県社協が一先に災害ボランテア受け入れの現地本部を立ち上げ、その対応を行政やNPOと一緒に行っていますが、支援を必要としている人達に充分な対応が出来ているとは言えません。恐らく被災され自宅に住めなくなった人たちは、また同じ場所に家を建てるべきかどうか悩んでいることと思います。
 災害発生から3週間が過ぎ、避難生活が長引く人達への支援も新たな課題が出ています。やっと被災証明の発行が始まったそうですが、その助成金の額は正直微々たる金額で足りませんし、水害のため保険もおりないと聞きました。
 我々が協力できるとすれば何ができるでしょうか? まず、現地の情報を知ること。困っていることや協力できることを各自が考え、それに応える態勢をつくること。常総市は市役所が水を被り、一時機能麻痺してしまい大混乱でした。今は仮庁舎ですが、元の状態に戻りつつあると伺っています。
 「被災者サポート会議」なる組織も立ち上がっているそうで、全国の支援者も協力してくれています。同じ茨城の県民で私たちが出来ることは必ずあると思います。
 


トップ