源究165

Back  Top

No  テーマ  月日  No  テーマ  月日  No   テーマ  月日   No    テーマ  月日
 2811 美辞麗句   6/25  2816 お疲れ様  7/9   2821 一期一会  7/21   2826 へこたれぬ  8/1 
 2812 先輩のこえ  6/28  2817 伝えたいこと  7/10   2822 経験  7/24   2827 ???  8/3 
 2813 梅雨空   7/1  2818 茨城 再発見  7/12   2823 眼鏡違い  7/27   2828 良いんだよ  8/5 
 2814 喜怒哀楽   7/4  2819 願いごと 7/16   2824 難しさ  7/28   2829 平和を望む  8/6 
 2815 ギリシャ   7/6  2820 バランスシート  7/17   2825 施餓鬼  7/30   2830 盆中雑感  8/8 

2811:美辞麗句

 私の性分というのでしょうか、あんな風に言わなければ良かったと後で悔やむ。寅年生まれの獅子座ときているからと自分で納得して落とし処としています。
 少々腹の虫の居所がおかしいのは、いま見えない”相手”と闘かっているのがその原因。世界中が震撼した東日本大震災から4年が経過して何が変わった?まだ先が全く見えないで避難生活を余儀なくされている方達が大勢いる。昨年、寺に寄せられた浄財をもとに手漕ぎ井戸を作った。半年が経って、まだハッキリした原因が判らないのだが、4度ポンプが壊れ使用不能となった。壊された?業者の方に言わせると壊れる筈がないという。数か所のボルトを何かで故意に緩めなければ外せないという。ポンプの構造的(深井戸対応)な問題なのか否か、製造元に問い合わせてくれたが、そのような事例は今までにないという。
 もし、これが誰かのイタズラだとしたら、考えれば考えるほど腹の虫が騒ぎ始める。もし、そうだとしたら、天罰・仏罰・・・・ウウ・・・う。地震が起こった時、茨城は震度6弱~5強という私自身初めて経験する凄い揺れだった。尚恵学園は地下水と市の水道を併用しているが、停電になればどうしようもない。地域も同じ、飲料水の確保ができなくなり、暫くの間、給水車が来るのを並んで待った。その体験から、手漕ぎの井戸がお寺にあっても良いだろうとの提案があって実現した。
 それが完成後半年間で4回も壊れ、使用不可、・・・・・。
私の性分です。防犯カメラを設置、ソーラー式センサーも昨日自分でつけた。周囲を綺麗にしておけばと、草刈をした。暗くなってから、センサーが作動するかどうか確認し、OK!
 これで また壊れるようであれば、俺はテントを張って番をする。
 それでもダメだったら、フェンスで囲んで誰も入れなくして・・・・・・・
 こんな事を次々に思い浮かぶ自分にハットした。最初から井戸など作らなければ良かったんじゃないかと。不信の原因を自ら作って悔やんでどうなるの?    美辞麗句とは広辞苑によれば≪巧みにうわべを美しく飾った文句。暗に内容や誠意のないこと。≫とあった。なるほど!
 
 
 うわべをどのように飾り化けてみた処で 素は何も変わらず。恐ろしいのは、内側から腐り始め、気付いた時にはもう間に合わず。⇒ よく ある話!
 不動明王の恐ろしい形相、あれってどうしてと思うでしょう? 自分自身を写す”鏡”、⇒ ”清濁併せ飲む”とか言うけれど、これも元を正せばどこかで通じていると思いますね。
 願わくば この功徳をもって 遍く一切におよぼし 我等と衆生と皆共に・・・・・・・

2812:先輩のこえ

 方言の味というのでしょうか、今朝のNHK深夜便で船村徹さんと五木寛之さんの絶妙なトークを聴いて思った。船村さんは昭和~平成と数えきれないヒット曲(5000曲)を世に出した作曲家界の大御所。明らかに標準語とは言えないが何か親しみを感じる語り口、栃木県の塩谷生まれというから納得、栃木は茨城と隣同志、県北部に行けば、言葉の境界線は全くない。朴訥とした言葉の音韻(ナマリ)は、味わいがあって、私にはそれだけで十分な説得力を感じる。
 「イントロでガマグチをひらかせ、曲が終わってレコードを買わせろと教わった。」との駆け出しの頃の苦労話は、船村氏の手がけた曲を聴けば頷ける。イントロは聴く者にとっての心の準備、作詞家が描く詩の世界に曲を付け引き込んでいく。
 閑話休題、♪ 仰げば尊し 我が師の恩・・・・♪や  「きけわだつみのこえ」の若い学徒兵の遺書、いまこそ日本の教育の現場でその思いを教え伝えるべきではないだろうか?失敗にも様々ある、その中で二度と繰り返してはならぬもの、それは間違いなく戦争です。
 昨日、ある集まりがあった。9名だったが、話が盛り上がって時間が経つのも忘れた。今をどう感じているか?その話題になった時に、どうも平行線で段々険悪(?)なムードになり、「ちょっと 間に入ってください」と頼まれ、私はその中に割り込んだ。結局、自分が入り余計険悪さが増した。
 議論をせずにおれない。でも、どこか噛みあわない。「戦争を体験したか否か」我々60代以下の人間は戦後生まれ、80歳以上の人達は、艦砲射撃や空襲によって真っ赤に染まる空をハッキリと覚えている。この違いは決定的、先輩たちにはかなわないですよと言うと自然と声が和らいできて、先輩たちの目が潤んできたのを感じた。
 変わるべきことと変わってはならぬこと、この境界が判らなくなった時代は不幸の前兆だ。
 だからといって傍観していて良いはずはないと思う。
 どこから飛んでくるか判らない砲弾の下を逃げ回った幼い時の体験は、言葉では言い尽くせないという。日本は超高齢化社会に着実に向かっている。介護問題をあまりにも大きく騒ぎすぎることは、何か私は人として本来の姿ではないと思ってしまう。これは福祉の産業化を承認する政策誘導?ではないか。
 この国の危うさは、個の尊厳を一方通行でしか解せず、その事へ何の疑問も感ぜず自分たちの人生を謳歌する者達!それに対し物言えない大人たちの不甲斐なさだと思う。お年寄りを社会の御荷物と考える国は、先進国などと言う資格はなく、その国民の慢心と度量の無さでしかない。
 結局、今は自分では汗をかかず、大変だと大合唱。その考えからは弱きものがいずれ次の餌食になるに決まっています。そうじゃないでしょう。老人の方々から学ぶことが沢山あるはずだし、手を差し伸べることはできるはず。そのボタンの掛け違いを何故国のリーダーが気づかないのか残念です。自らは安全な場に身を置き、上から目線でどうにかしようと考えても上手くいくはずはない。
 宴会の後、私は議論好き先輩の定宿に一緒に泊まることになった。寝させてもらえないかと覚悟したが、先輩はいつの間にか鼾をかいて寝てしまった。今時珍しく2600円で泊まれるユースホステルで9時が門限と後で判った。



2813:梅雨空

 7月に入り、関東地方は梅雨の真っ最中、傘なしでは外出できない。最近の気象は昔と比べれば大分変ってきました。特に地下(火山)活動が例年になく活発で噴火への警戒と合わせ、局地的な豪雨などによる2次災害が国内のどこで起こっても不思議でない。それと世界中で毎日のように起こるテロ騒ぎや感染症問題、地球も人間も何かがおかしな方向に進んでいると思ってしまいます。
 私は例年この時期からお盆の準備に入ります。集中してできないので少しずつですが、毎日行っています。
 先日、東京で全国施設長会議がありました。会場はいつもと同じ有楽町の国際フォーラム、行政説明や分科会が2日間にわたってありました。夜、恵比寿のテラスガーデンにて茨城だけの情報交換会があり参加しました。
 皆さん、日頃職場内で愚痴(?)も言えず、忙しくしている人達、時間が経つにつれ、話が盛り上がり、2時間ばかりの時間でしたが、お互いの情報交換ができたようでした。私は翌日は10時までに県庁にいく用事があって、宿を7時前に出ました。上野から水戸まで約1時間20分、実に便利になったものです。その時間の特急は平日ということもあってのことか満席でした。
 4年後(2019)に茨城国体が開催が決まって、その準備委員会がありました。このイベントは県庁は勿論、県民総動員での準備が必要と判りました。東京オリンピックの丁度一年前の開催になります。そちらは新国立競技場だけの建設費用が2500億円以上、なんとも凄いイベント、比較はできませんが既に始まっているインフラ整備などが東京に集中で地方で請け負う業者が見つからないという状況も必ず出てくると思う。建設費の高騰などの影響もあって、落ち着くまでは大変です。
 振り返れば、良い時期に生きてきたという思いを強くしています。これから先は大変だろうと思う。働き手の確保や必要な財源がどうなるかなど心配したら切がない。そのような中で、只管自らの役割を果たそうとしている人たちを大勢知っています。
 善くもまあ 皆さん 頑張っておられること。元気をいただく。
 老いを感ぜず、いつまでも現役で居られる人に共通することがあるように思いますね。いつ頃からだったのか、定年制度ができて、仕事を離れる人が大勢出てきました。私は勿体ないと感じる。生涯働けとは言わないが、少なくとも元気な人は何らかの仕事を持つべきだと考えます。
 アメリカにはスーパーセレブという人達が全体の1%位いるそうですが、雲の上の話、それを目指せなんて言っても夢のまた夢。それよりも、自分たちができることが必ずあるはず、それを見つけ生涯現役で過ごすことの喜びを知る。老後の問題をマイナス発想するのではなく、前向きに考え実践する時代がやっと来たと考えるべきではないでしょうか!
 梅雨空で時折降ってくる雨に畑の作物は急に元気になって成長します。この自然の営みに目を向けては如何なものでしょう。
 
  新幹線の中で起こった事件は、一気に世界中に広まったそうです。日本が世界に誇る技術のシンボル的存在であった新幹線、過去には死亡者を出していないと聞いた。それが、今回の出来事は、その隙を狙ったもの、果たしてこのことは想定できなかったのでしょうか。安全で緻密で正確な運行システム、・・・・・・。今後、駅の改札口に航空機と同じチェック機能を設けるのだろうか?
 時速500キロというスピードを持つ新幹線の試験運行が進む。この国の未来は、どんどん変わっていくのは疑いなし。果たして人間の能力がその変化に適応できていくのだろうか? 最近、話題にあがる適応障害という心の問題は、世の中の動きと無関係とは思えない。もっとゆっくり歩むほうが、良いよね。
 あの事件と同じ日、山手線でこんな場面に遭遇。若いサラリーマン(?)らしき人が、座りながら膝の上にパソコンを広げ画面を見ながら、手ではスマホで何かを打っていた。同日、それも同じJRの中でこの国の今の縮図を見た思いがしたのでした。
 
2814:喜怒哀楽

 人間感情は多種多様です。私は喜怒哀楽を表に出さないタイプではないと自覚しています。周りに迷惑だからもう少し感情を出すのを自重したほうが良いと思っています。若い頃、私は熱しやすく冷めやすいと言われたりしましたが、その時褒められているんだと勘違いして、叱られた。昨日はNHKで国会中継がありました。相も変わらずだと感じた次第です。議論している内容は大変重要なことで、国の防衛をどうするかという内容でした。委員会に出ている議員さんのお顔を拝見して、随分若いな・・・!と一見して感じました。そこに何人いたのか知りませんが、恐らく99%は戦後生まれの人のように思えた。
 これではな?と直感、例えばという前置きの後、想定する敵国の実名をあげ、どうのこうのと議論し、その途中でヤジを飛ばす、そして質問する側も答える側も出席議員からも、笑え声が出た。LIVEで流されているのを、あの方たちはよもや忘れているのではないのかと思いました。それより気になったのは、敵国と言われた国の人達があの中継を見ていてどう感じたか? 中にはカメラを意識しながら、場内の受け(笑い)を期待するような遣り取りがありました。その時はバラエテイ番組に麻痺してしまった現代人の危うさを感じた。相手がどう感じるかという配慮の無さと自分が主人公との錯覚でしょうね。
 諫言という言葉は最近あまり聞きません。目上の人の非を諌めること。果たして、今の政治にそれを期待しても無駄なのか?先生たちが出来ないなら我々有権者がしなければならんでしょう。
喜怒哀楽・・・私は喜んで楽しんでいる人より、怒って哀しんでいる人に寄り添うように教わった。それが出来ているとは思ってはいない、しかし常に心している。力不足で自分自身が落ち込んでしまうことも良くありますよ。そんな時にこそ笑っている人と会うと気持ちが程よく調和し、我に返る。これは坊さんを職業として選んだからかも知れない。特殊な事情?例えば通夜の席で坊さんがニヤニヤしていたらどうですか!お寺に今時住んでおれませんよ。
 そう思っています。これって国内法ではなく、・・・うーむ ・・・自内法(じないほう)とでも言っておきますか。自らに課した掟と言うか、常識ですかね。
 昨日はギリシャがEU離脱かどうかという事を何度も報道されていた。近日中に2者択一Yes か Noで国民投票をするという。方や日本では国会の会期延長をして、与野党で充分論議するという。でも、その内容をどう国民に知らしめるかという肝心要がスッポリ抜けているように思えるのです。憲法改正の是非で国民判断を得るべきだと私は思うのです。衆参同時解散、憲法改正にイエスかノーかでやれば良い。それだけ重要なことだと思います。戦後生まれたものが大半で、これからこの国を支える子供たちへの我々の責任が問われていると思います。
  60歳で逝った父親のお墓を3年間必死に働いて作られた息子さん。生前お父さんが大好きだった横浜の近く保土ヶ谷に墓地が完成し、実家のお墓に仮に埋葬していた遺骨を移す。葬儀から4年になる。
 息子さんに「仕事は何をしているの?」と尋ねると、「調理関係です」とハッキリ答えた。そうだ、お父さんも調理師として横浜で長く働いていたのを思い出した。
 お父さんと私は小・中学校と同級、真面目でとても誠実な人だった。供養が終わって息子さんが深々と私に頭を下げられ、父親の遺骨を持って横浜に帰っていった。・・・・・・・・・
2815:ギリシャ

 1100万人のギリシャ国民がどちらを選択するかEU加盟国は勿論、世界中の人々が強い関心をもってみつめている。私は歴史の教科書に出てくる古代遺跡やオリンピック開催の国という知識ぐらいしか無いのが正直なところ、最近は国の抱える膨大な借金に国内外から様々な要求があって国を2分するような緊迫した状況にある。どちらを選択しても大変だろうなと思う位だが、日本だって同じような問題を持っている。財政状況の改善は、某企業が収益を上げ黒字になっていれば済む問題ではなく、当然のこととして国の収支バランスが問われる。景気が改善していると盛んに報道されるが、果たしてその実感があるのかどうか?
 報道威圧発言の問題は、一部議員の言動と片付けてしまうのは如何なものか?なぜなら、我々が確かな情報を得る術は、決して多くはない。それが万が一、何らかの意図をもってなされているという疑いがあれば、この国は根底から崩れる危うさをもつ。
 日本は益々深刻な問題として働き手の確保があります。様々な方法で求人活動を行ってはいるが、絶対数が少ないのだから難しい。スケールメリットや処遇の改善等・・いろんな事を言われるがそれも決定打にはなりえない。寧ろ、規模の拡大は、それだけリスクが増すということになりその覚悟がないとやっていけまい。(☆・・あのマイクロソフト社が社員7800人を解雇するということの意味?)
 ギリシャは輸入総額が輸出の3倍という元々赤字体質を持っており、その穴埋めを観光や海運業によって行ってきたという。・・・・・が問題は、そこに止まらない。それは海外への移住者の急増で事業に成功している人たちがギリシャを離れてしまうということ更には地理的な特異性、周囲は実に複雑で微妙な力関係が常に存在する。
 今日は女子サッカーワールドカップの決勝戦、どうしても、なでしこジャパンに優勝してもらいたい。相手はアメリカ、2回続けての決勝戦同一カード、体力では劣る日本人がここまで勝ち上がる凄さ、これは単なるスポーツに限ったことでは無く、この国の将来に大きな活力と勇気を与えることは疑いない。ニッポン がんばれ!
  5:2で準優勝に終わった。4年前の奇跡は起こらなかったが凄いの一言です。確実に世界のトップクラスにあることを証明した。試合の結果はともかく、多くの感動を私たちがもらったことに間違いない。
 体力的には比較にならない日本チームが武器にしたものは組織力、スポーツは身体能力の差で勝敗が決まるとは限らない。ギリシャの国民投票の結果は予想に反し、大差でNOを突き付けた。
 既に水面下では、駆け引きが始まっている。ギリシャの武器はなんだろう?EUのお荷物というレッテルを貼られ、世界中に晒しものにさせられた屈辱は、ギリシャ国民のプライドを大いに刺激した。これはどうにかなると曖昧にすませてしまうどこかの国とは偉い違いだと思った。
2816:お疲れ様

 家に戻り今CDから流れてくるクロードチアリの『オリーブの首飾り』を聴いています。軽やかなリズム、弦を爪弾くタッチの良さはいつ聴いても私の気持ちを和ませる。音楽の素晴らしさは奏でる人と聴く人とのマッチング、上野経由で電車を乗り継ぐ煩わしさは、肩に背負ったバッグの重さを妙に重くした。お疲れ様と自分にそう言って  さあー施餓鬼の準備を始めるか!
 群馬からの客人を施設案内し、今別れた処、相も変わらず喧騒の現実は雨模様の悪天候によって溢れんばかりのエネルギーを発散できない方々がイツになく騒がしく思えた。終わりなき日々の実践が多くの方達の支えで成り立っていること、そのことを忘れてはこの働きの継続はできない、際限のない取り組みは人の命の何たるかを自問し続けることなのです。
 やっと天気予報で梅雨明けの近い事を知り、屋外で思いきっり羽ばたけ!
 群馬大会は参加者が800名を超えた。恐らくO会長のお人柄で成し得たものと思います。飾らず力まず、私にとっては反面教師的存在で昨年行った茨城大会のお礼にと何があっても参加しようと考えた。2日目は客人があることと予定した仕事があってまたもや宿の朝食には有り付けず電車の中でコンビニで買ったおにぎり一つで帰路についた。
 上野から新幹線で40分足らず、本数も多く実に便利な高崎は富岡製紙工場が世界遺産に認定され多くの観光客も訪れると伺った。それに比べ、同じ北関東に属する我が茨城は県民性というのでしょうか、奢らずいい加減でノーテンキ、実に人間味ある人が多いと思う。他人がどう言おうが私は堪らなく好きだ。・・・2015/7/9・・・・ 
  福祉の業界が蠢いているように感じます。「いやいや福祉だけでは無いよ」と昨夜の交流会、立食での宴であったが、交わされる話題は明らかに変わった。世間の目を意識し、自らの足元を見ないと大変な事態になるという思いが根底にあるからかもしれない。若い頃、研修に参加すると夜遅くまで利用者の処遇について熱く語り合う塊りができた。それが無くなった。私は住職をしていて宗教の世界は福祉より一歩先を進んでいるといつも思う。石屋さんの話、「今はお墓整理(取り壊し)の仕事が造るより多くて・・」老人が増えたのは確かだが、先祖の墓を守る人がいない。これが凄いスピードで進むニッポン。お疲れ様&ありがとう。この言葉の意味を教え伝える国は亡びないと聞いた。 防衛や治安を守る職業は、今後ますます難しくなるはず。その人達にこそ安らぐ場所がないと自分自身がおかしくなってしまう。

2817:伝えたいこと

 ” 僕は魚が本当は好きなんですよ。いま、この本を見ながらフクロウを描いているんです”と鳥図鑑を立てかけ、絵を描いていた手を止め私に説明してくれた。自然生クラブの絵画展が今つくば美術館で開催されている。もうどの位年月が経っただろうか? 尚恵学園の絵画教室に通っていたお二人の展示会も同じ会場で行った。ズラリと並ぶ作品の数々、順路に沿って見始めたら、そのお二人の遺作が最初に飾られてあった。家族から私が頂いた画集に載っている大作である。昨日は夜6時のNHK茨城で放送されていた。会場で5人ほどのメンバーが絵の実演を行っている。声を掛けると皆さん自信をもって答えてくれた。昨日、突然訪れてくれたSさんも関心があるようで、尚恵学園の事務所に張ってあった展覧会の案内パンフをみて、見に行ったと電話を頂戴した。
 ペルーナスカの地上絵が日本の調査団により、新たに発見されたというニュースを聞いた。絵には後の時代の人達へのメッセージが含まれる。
 私たちは今の仕事に心底から満足している訳ではありません。ホンネを言えば切がない。でも、私たちの目の前にいる人達はそれを口にせず、一生懸命に生きようとしている。自分を抑えながら迷いながら。それでも明るく生きようとしている。
 口にしないが彼らが”伝えたいこと”が必ずあると思うのです。それが何か。たった一枚の絵から想像するのは難しい。絵をみて然も判ったかのように解説する人に出会うと無性に腹が立つ。彼らの生きざまを知らず何を言うか!
 彼らは皆、毎日絵だけを描いて暮らしているのではない。夏の灼熱の太陽の下で真っ黒になって畑作業をし、出来た作物を街に売りに行く、メンバー達の共同生活、相性の良い人とそうでない人、その日々の生活があればこそ、絵筆を握って表現する絵が生きてくる。私はそのように彼らの描く作品を観ています。
 どんな人であっても好きなことに熱中している時は幸せを感じます。それを周囲の人達がどうのこうの言うのは間違い、反社会的な行為は許されないことと思います、でも彼らは被害者にこそなれ、自らは望んで害を加えようとはしない。その彼らと向かい合って支援する人たちも同じである。
 世の中には自らは手を汚さず、良いとこ取りをする輩がごまんといる。そんな人に限って、自分で本当に何を伝えたいのか判らないんだと思ってしまう。口先でどのような御託を並べても相手に響かないし心を通じ合う事はできない。
 日本人の真面目さ勤勉さは世界に誇れるものかもしれぬ。しかし、自らの考えをハッキリ言わないことは、逆に責任逃れだと思われても仕方がない。
 今日、尚恵学園の絵画教室のメンバーが12日まで開催している展覧会を見学に行くそうだ。
  糸賀さんの画集出版パーテイの起案書に40名の出席者が書かれてあった。OBスタッフの名前を見て懐かしく、彼女の一生懸命さが、文句なしに祝う会に参加したいと皆さんが思ったに違いない。つくばカピオの隣の喫茶店で7月24日昼食を兼ねて行うこととなった。
 家族ではお兄さんが出席することになっている。

2818:茨城 再発見

空撮で見ると自分たちが住んでいる地域がいつもと違って見えます。日本は大陸から離れた島群の総合体、生まれ育って慣れ親しんだ郷土の広さや豊かさを実感せず、そこに暮らすことを当たり前と考える。あと数日(14日)で冥王星への無人探査機が画像を地球に送ってくる。太陽からどのくらい離れた距離にあるのだろう?ちょっと調べてみた。天文単位でAUというものが あるのですが太陽と地球の距離を1と考えるもの、それによれば軌道最短で29.6AUという。冥王星は肉眼では見えません。 もし、冥王星からこの地球をみたらどう写るだろう?この地球は、宇宙で唯一の生物が生きられる天体、・・・・・ ”平和”と簡単に言うけれど、それがどういう意味なのですか?国の平和、国民の幸せ?? 
 昨日、肢体不自由児者父母の会連合会の関東ブロック茨城大会が水戸の県立文化センターで開催され参加しました。400名の参加者だった。それが多いのか少ないのか判らないが、分科会に出てショックを受けた。
『医療的ケアが必要な重度障害児者が地域社会で生きていくために』三名の方が提案した、正直事業者団体の研究大会とは大きく違っていました。一言では言えませんが、次々に出される参加者からの意見や質問、障がい当事者の方も必死に訴えた、その迫力が凄かった、・・・・三時間という分科会であったが、私にとっては衝撃となりました。
 日本の福祉はこれからどう進むのかという日頃の思いが吹っ飛んだ。在宅で常時医療ケアを必要とする我が子を必死に守っている父母達にその余裕などない、重心の方が義務教育を受けるのに家族同伴という条件があって可能となることを知った。参加された方の中には連れ合いを亡くされた方もいたようです。GHを作り我が子を家から出された母親の意見、その仲間の会員も来ていて、一緒に活動されていることが直ぐに判った。娘さんが利用されているGHは三人入居している日には二人の夜勤者を付ける・・・・・夜間スタッフがつかないGHも多い中で偉い違いだ。
 この家族にとって”幸せ”とは一体どういうことなのか?
 それぞれの生き様があります。思うようにならぬことに悩み、自暴自棄になる人もいます。そんな中でも四六時中看護者がいなければ生きて行けない人達への手立てはまだま充分ではない。
 会場で印象的な光景を見かけた。後から入室された若いお父さん(?)は車イスのお子さんと一緒だった。息づかいからみて重い呼吸障害をお持ちのお子さんだというのは直ぐに判った、父親はその子の傍を一時も離れず、話に熱心に耳を傾けていました。
 慣れが恐ろしい。入所施設を長年続けてきた私はある思いを持っています。家族の人達が、ご自分のお子さんをどうしたいのか?施設に任せっきりでそれで良いのですか?この研修会でショックを受けたのは実はこの事でした。我が子を必死になって自宅で看ている家族を思うとなんとも割り切れぬ思いである。
 我が子に申し訳ないという事を語る方は大勢います。施設に感謝しているとも・・・それで良いのですか?意思決定支援・・・云々???
 当事者が諦めたら結果は見えている。制度が出来れば我先に利用したいと思うのは当然です。でも、肝心なのは、それに応えていく支援者が集まらない。
 そこにこの国の社会保障制度以前の大きな問題がある。マスコミに言いたいことは山ほどあります。虐待や不祥事の報道・・・・それは見せしめではないですよね!報道の自由は大切なことは承知しています。でも、貴方たちの報道の影響がどう出ているかの追跡は全くない。
 処遇が難しい人達が今まで以上に利用できなくなるということが判らない?、これは地球を遠くの天体から眺めるという視点とダブる。一方通行なのです。育てようという考えは無いようだ。
 ついでにもう一言、メデアを通じ、全国都道府県の順位付けがやたら流行、これって本当にそうなの?その根拠は確か?仏教では、自らを誇ることを戒める。慢心に通じるからです。地域力というものは、当たり前のことを殊更宣伝せずともそこに存在しているということではないでしょうか。順位40何番目・・・それこそが宇宙から頂いた勲章です。そう思わないのかな・・・?
 
  久しぶりに田中真紀子さんがテレビに出ていた。自民党⇒無所属⇒民主党と変わった。父親の存在が絶大で、彼女の一挙一動が目立った。角福時代と言われた昔を懐かしんだ。父は中国、福田総理は台湾を支持した。同じ政党内で意見の異なる人たちがいて許された時代、今、その姿が消えている、それがオカシイと語る。恐らく議員の多くが、地元と永田町の狭間で悩むことだろう。政界を引退した自由の身であるからこそか、今こそ女史の存在が見直されて然るべきと思う。   ≪その狭間は唇ばかり働くは念仏なめりと見ゆ≫ 宇治拾遺物語 11

2819:願いごと

 台風11号の影響で早朝よりかなり強い雨が降っています。台風の進路にあたる地域の人々は心配で眠れないだろう。丹精込めて作った野菜や果物の収穫時期に台風の被害にあって苦労が水の泡になったというような話は良く聞きます。
願う事は、極力影響が少なくて通り過ぎてくれますようにと。自然災害は残念ながら完全に防ぐことはできず繰り返されます。最新の観測技術をもってしても、予想はできても防ぐことはできない。自然との共存と言えば聞こえは良いが、どうも人間はそれと裏腹なことを凝りもせず行ってきた。
 私は新聞から情報を得るより今はネットで見ることが増えた。主要メデアのネット情報は毎日見ている。NHKが国会審議の中継をしなかったという某メデアの言い分は、意図的なものか否か判らないが、何かがおかしな方向に進んでいるような疑義さえ感じてしまう。
 委員長特権で決を取る場面は、不満を書きなぐった紙をテレビカメラに向かってアピールする姿、相も変わらない光景だった。このことで視聴者にどう伝わったか?永田町と国民のギャップは最早修正できない所にまで来てしまったと私は感じた。
 『捲土重来』(けんどちょうらい)一度力を失ったものが再び力を得て再起することをいう。近頃の国会中継を見ていて思う事は、政党の数が多すぎないかということ、果たしてそれぞれの政党が立党の条件(政策など)を供えてそれを充分国民が理解しているのかどうか聊か疑問だ。分党を繰り返す中で昔の所属していた党に反旗を振るなんてことが珍しくない、それだけでもう不信感が起こり、茶番劇 or パフォーマンスだと感じる方も多いのではないですかね。
 それが今、この国の将来にとって黙認出来ない重要案件が審議されているのだから、正直、我々としてはどうしたら良いのか。今の状態を危機感もって見届けようとする関心派がどの程度いるのか、世界の目はそこに向けられていると思う。
 「思想と無思想の間」という本で丸谷が伝えたかったこと、それは当に現代の病の部分の増殖、それと地球規模の様々な問題に対しての無力観、最早、安保という文字で括ることができない防衛問題は国と国との単純な争いではない別なる複雑な条件が絡んで起こっている現実に対処できない。いま何が大切かと言えば、強引に事を決することでは無いと思う。冷静沈着に自らを律し、人々に丁寧に説明し、説得力を持つトップリーダーの存在なくして、どのような改革も砂上の楼閣でしかありえないと私は強く感じてしまう。ご自身の声で、万が一、急ぐ理由が巷で言われる米国議会での約束の行使ということならば説明して然るべきと考える。

2820:バランスシート

 財務状況を知るにはバランスシート(貸借対照表)を見るのが一番、国・都道府県や企業、財布の中味の多少に関わらず負債や資産の現況がそれで判る。しかし、巧妙な手口で粉飾を行ったとしたら、正直、財務諸表だけで見破ることは困難、単年度だけでなく、長期にわたって繰り返し粉飾がなされいたら、・・・・?今問題になっている某大企業の会計処理、経営陣の責任は勿論、企業としての存続がどうなのか? 
私は水戸に行けば時間調整の意味もあって、県庁近くの本屋を良く覗く。今ではネットで好きな本を購入する人が増えた。注文して翌日手元に届くのだから、態々本屋に行くことも無いかも知れぬ。最近本棚にズラリと並ぶのは、経済や防衛の類、表題だけみると真逆のタイトルもある、それも如何に読者を引き込むかという極端(ショッキング)なものが目立つ。
 恐らく私は本を良く読むほうだと思う。常に手元に何らかの本を置いておかないと落ち着かない。ただ、視力が落ちた頃から根気も無くなり長編ものはすっかりご無沙汰となっている。
 誠にヘンテコリンなものは、新国立競技場の建築費の問題。予定した倍の金額とは一体誰がその責任なのか?曖昧模糊とした中で奇抜なデザインだけが独り歩き、2500億円を一つの建物にかけるというのは、国のバランスシートからして常識の範囲なのでしょうか?一方で多額の借金をしながら、この杜撰さは その説明をどうする? 今更変更するには時間が無いとか、なんだか知らないけれど昨日の永田町のドタバタでも60日間ルールがどうのこうの・・・・と、これも歪んだ攻防ではないか?我々庶民には情報を得る手段は有るようでない。結局、結果だけを知らされ、手続き踏んで決まったのだから従えと言わんばかり。これは、この国の明らかなる今の実態です。我先に美味いご馳走に有りつきたい、その攻防が一定のルール上で行われれば仕方がないでしょうがその綻びが至るところで見え始めている。
 世の中を動かしている道理は人智の及ばぬ所と昔から決まっている。認められたいという欲求が強くなりすぎると実態が判らなくなって判断を間違う。ゴマすりばかりを周りに侍らし、お友達ごっこで良い気分ってことになりかねまい。
 世の中には”脅し”と”褒め殺し”というものがあるようで、当の仕掛け人が気付かぬうちにその犠牲になるってことが多々あります。結局、最後は自分にかえってくる。
 時の政権の判断で憲法の解釈をどうのこうのできるとしたら・・・・・、この国ではどうなりますか。そう思いませんかね。一体どれだけの人が選挙に自らの一票を投じています?結局、道を踏み外さぬようにしているものが”憲法”だと思うのですが間違いでしょうか。集団的とか個別的とか合憲だいや違憲だ・・・それぞれのエキスパート(?)が好き勝手に持論を述べますが、その前に貴方たちはどうその責任を負うお積りなのかと私は問いたい。
 それだけの覚悟を見せてから公言しなさい。
 国としての一大事を決めるのに党内に造反者(反対)が出ないということもいかがなものか?これもまた国民一人ひとりの責任だと言えば済む話ではないと考えます。
 私はある提案をしたい。いま、歴代の総理経験者が何人おられるのか判りません、中にはバッジを外された方もおいででしょうから。その方達全員にテレビの前に登場していただき自らの言葉で議論をして欲しい。
 そんなの意味ないと言われるでしょうが、そうでもしないと腹の虫がどうにも収まらないのです。他に有れば伏して教えを請いたいと思っております。
 ★ もう言いたくなっちゃうんだな!なんと申せば良いのでありましょうや、「オリンピックのメイン会場のドタバタ、これはマズイと感じたか、ゼロベースで見直す。」そうであります。漏れ聞くところによれば、一方で建築費の増加分をどうやって集めれば可能かと智慧を絞っていたとか、それがどうしたことか、昨日総理自ら会見発表、根本的に見直すと公言した。
 我々国民は手玉にとられて茫然自失・・・・ この国の最大の危機は バランス感覚の欠如でしょうか。常識があって無き様なものとなりにけり。

2821:一期一会

 昨日は短期入所を利用されている方が怪我をしてしまい、緊急に手術を行い帰宅が遅くなった。命を預かる仕事の重さを痛感する。
限られた職員の数で皆が皆、精一杯の働きをしてくれている。休みなく続く日々の業務、臨時休業というOFFの日は皆無、設備の改修すら儘ならず、・・・・。現在、法人全体では毎晩9名の夜勤者でまわす業務は、どれだけ多くの支援者を据えても常に不足感は拭えない。日中の活動もしかり、そして、朝と夜の時間帯がどうしても手薄になる為に断続勤務が始まった。方や利用を希望される方はいつ入れるか確約が取れない為に痺れを切らし、複数の事業所に登録している。
 これが我々の仕事の実態である。一人では何もできないこと、あえて言われなくても承知していることなのに、その手立ては遅々として進まない。確かにこの国の素晴らしさはあると思うし、理解者も決して少なくはない。
 ただ、このまま進んだとしたら、どうなるか? 結果は見えている。
 2日前、一枚のハガキを持って私にそれを得意げに見せに来たOさん、天涯孤独と誰もが思っていた。その彼に突然(?)妹さんがいるのが判った。その妹さんが面会に見えるという内容のハガキ、大切に持っていたOさんだ。今まで何度も大病を患い、その都度、持ち前のガンバリで乗り越え、仲間の引き立て役を買ってでる。この凄さは言葉で言い尽くせない。
 一期一会・・・・今朝のNHK深夜便でS先輩が取り上げた4時からの明日への言葉に出演したチェリスト吉川よしひろ氏、苦労を苦労と感じさせない力を感じた。福祉や教育、介護とそれぞれの立場からの提言や取り組みが紹介されることを否定はしない。でも、本来、人として何をどう生きるか?という人生の命題は、それぞれ関係者の専売特許では決してない。この国は外国から制度や技術を学ぶことは実にうまい。しかし、いま問われている事は、そんなことでは無く、人として何を大切にしていきるべきかという”こころ”の問題だと思う。
 貴方は 誰のどんな言葉を大切にしていますか???? そして、いま それが どうなっていますか・・・・???  年重ねはあっという間に積み上がる、 後悔しても 諦めても それは あなた自身のことです。
 平和という問題が国政という場で語られています。でも、これは一人ひとりの問題ですよ。
 

2822:経験

人は直接体験しなかったことにぶち当たると怯んだり、逆に自らを豊かにしようとより深く関わっていくという場合もあるようです。振り返ると誰しも数えきれない体験をされていますが、それを思い起こすことは普段はなかなかしないものです。経験とは『人間が外界との相互作用の過程で意識化し自分のものとする。人間のあらゆる個人的・社会的実践を含むが、人間が外界を変革するとともに自己自身を変化させる活動が基本的なもの』と言われます。
  誰だってこうできれば良いと思う希望はあります、でもそれを明言できる方は少ないように感じます。
一般的に思うようにならぬことが多いと途中で投げ出し止めてしまう、これを何度も繰り返すとどうしてもマイナス思考になってしまい、前に一歩足を踏み出すことを避け、自分の中に閉じこもってしまう。
実は時間は一時たりとも止まってはいないので少し時間が経てば、必ずその時の思いは変化してきます。
 久しぶりに寮に泊まった。それは怪我した方が手術後の包帯を取ってしまうだろうと恐れたからで急だったので手配が付かず私が泊まった。聞いてはいたが、拘りがとても強い方、ベットの脇に私の布団を敷き、さて一緒に寝ようと思った。すると何を思ったか、急に立ち上がり部屋から外に・・・・いや、違う。。。足を使い抜いたスリッパの向きを直す動作、何かの儀式?みたいに何十回とその動作を繰り返し、見事にスリッパの向きを変えたのです。そしたら満足してベットに横になった。その後は省略します。
 次に隣の部屋のSさんが儀式(拘り)を開始、パジャマに着替えたまではグッド、その後が・・・ズボンを下さい・・・水を下さい・・・・延々と続く儀式はなんと深夜2時に始まり終わったのが4時を回っていた。
 夜勤スタッフに脱帽、よくも怒らず小さな声で宥めながら対応している。拘り・・・・何も知らない人からすれば想像すらできない世界かもしれない。これを毎日繰り返す本人も眠かろう辛かろう。
 日勤者が来てから水戸での会合があってそちらに向かった。いつものように常磐道を運転しながら向かった。ボーとしてしまって会議中、思考停止、説明を受けたが、その大半は頭に残らなかった。
 この国は、未だいずれの国も経験しない超高齢化社会へ向かう。それがどうでしょうか、その対策として具体的な手立てをしてきましたか?福祉現場の介護や支援職を3Kと呼ぶ国を私は知りません。自らに降りかかって初めて実感するのでは遅すぎる。
 ついでに言わせてもらえば、障がい者問題を、この国ほど他人事として考える国を私は知らない。
 2500億円の競技場をひょっとしたら建てたかもしれない国を私は知らない。その金額は一万円札を重ねたら厚みが2.5キロになるそうだ。建物が出来てその後毎年維持するのに数十億の金をかけるという国を私は知らない。
 その責任を誰も取らない国を私は知らない。 これを日本人が長年の経験を通し得た生きる智慧だとしたら、この訴えを”儀式”として、飽きもせず凝りもせず 続けていくかも知れません。
 明和電機の土佐さんが言っていた。彼の会社経営のコンセプトは「成長」ではなしに「変化」だと、何を変え何を止めるかの決断、このことに疑問さえ感じなくなったとすれば、・・・・・・今問題になっている総合電機メーカーの犯した同じ過ちを他でも繰り返さないという保証はない。右肩上がりの成長を永久にできると思うことが、過去の人間の経験の中であったかどうか、言う間でもない、”NO”である。  
  個人個人を見れば、どこか良い処があるはずだよな。アンタだってそうだよ。自信なくすこと無いよ。それより怖いのは自信満々で良い子ぶりの風情。それと何というのかな・・・。安請け合いして、後で後悔するタイプもダメだわな。
 その点、彼らは飾り気が無く、素のまま、無駄を削ぎ落とし生一本なんだ。彼らは言い訳しない。  

2823:眼鏡違い

 約束を反故にすれば、信頼を失う。これは子供でも理解できます。ですからね、あまり良い恰好しないほうが良い。形勢逆転となり、必死に元に戻そうと足掻けば足掻くほど深みにはまる。
良い評判とそうでない評判、あっという間に広がって止めようがないのは悪い方の評判、それ見たことかと風向きが変わって次々に不満が噴出し、抑えが効かなくなるものです。その流れが一端できてしまうと、今まで良かった事も負のスパイラルに引っ張られて修正不可能。
 広言憚らぬの結末は昔から良いことなど無いというのが常識です。控えめに慎重にという教えは、権力持てば持つほど重要なことだったはず。だから為政者たる人には、そこを誤らぬように常に諫言する人を持つべきだと、これも常識だった。
眼鏡に適うとは真逆の眼鏡違いでは、始末に大きな差となります。
 このことは、誰にでも言える事です。さて、今日から参議院の審議が始まる。『良識の府』『再考の府』参議院の本来の使命として果たして国民の負託にどれだけ応えるかが問題です。某議員が言った「何もせず平和が維持できると考えるのは間違いだ」と・・・。本当に貴方はそう思っているのですか?と逆に問いたい。戦後どれだけ多くの国民が平和を願い、努力してきたことか!それをことごとく潰してきた張本人は一体どなたですか?
 貴方たちは責任を取るということを、どう考えますか?例の国立競技場建設のドタバタ騒ぎ、誰一人自ら職を辞する者は出ない。自分の金だったならばそれはそれは大変でしょうよ。それが公の金となると大盤振る舞い。ご自分のお金をどう使おうが勝手ですよ。でも公金は責任がありますでしょう。そう教わらなかったの?
 政権の支持率の動向を大分気にされているようですが、ここにきて無関心層の変化を感じませんかね。彼らが今の動きをどう感じるか?これで一気に政変がおこるかもしれません。何せ、某新聞が初めてでしょう、現政権に対する不支持が支持を上回ったと自社の調査結果を公表したなんて、これは尋常じゃない。マスコミも良識があると信じたいですね。
 日本を愛すればこそ、孫子の時代に取り返しのつかない選択をしてはならぬという思いは、間違いなく庶民感情です。いまこそ智慧を出す時ですね。そう思います。「良識」「再考」する決断と勇気は、重く尊いものです。平和の為という言葉の裏に一体何が存在するのか?これを明らかにする責任は為政者誰にも課せられている。党利党略を考える前に国民の代表であるという貴方たちの原点に返るべきなのではないだろうか?
 実は無関心層の人達こそ、それぞれの動きをじっと見ているものです。メガネ違いせぬように。
 

2824:難しさ

 ジッとしているだけでも汗が出て仕様が無い。35度Cを超える気温は人間ばかりでなく草木まで萎れさせ、只管暑さに耐えている。それでも木陰に入れば直射する日差しから逃げられるから少し楽になる。いつまでこの異常な高温が続くのか、それでいて局地的な豪雨は突然襲ってきて、何とも困ったことである。この地球上にどれだけの人間が住むことができるのか、ドイツでの難民受け入れのニュースをみた。シリアからの難民が仮設テントで生活をしている。日本は今どのくらいの難民を受け入れているのか判らない。平和を求め、祖国を捨てる人達は減ることがなく増え続けている。一方宇宙開発でソユーズが打ち上げられ、日本人の油井さんとアメリカとロシアの宇宙飛行士が宇宙ステーションに入った。宇宙開発には膨大な費用が掛かり、宇宙船打ち上げを断念する国も多い。紛争が一向に減らないこの地球上の様子を遠い宇宙の彼方から眺めたらどうなのだろうか?
 当事者は遮二無二強行突破しようと画策する。正直、政治にはあまり関心がなかったが、ここに至ってはそんな事は言っておれず、国会中継がある時は極力テレビで見るようにしている。憲法解釈の議論を盛んに行っているが、どうしても違和感を持ってしまう。恐らくそれはあの人たちを信じるか否かでどうしても懐疑的に見てしまうからかも知れない。「・・・・しません」「・・・・・どうすれば良いのか対案を示しなさい」という遣り取りが気になる。日本だけが思うようになるはずがない、それを断定的に言うことはどうなのだろう? 想定する敵国をあげながら、日本の周囲環境が昔と比べ大きく変わったと・・・・・。貴方が言う”昔”とはいつのどの時代を言っているのですか?貴方はこれから何年政治家を続けるつもりですか?あなた自身のお子さんや家族がそれを望んでいることなのですか? そんな疑問が次々に浮かんできた。
 面子や意地で仰っているとは思いたくないが、そう私には取れてしまう。
 今の日本の怖さは、ホンネとタテマエが混在、本人でさえ、それがどうなのか判断できないのに無理に枠に収めようとしていると私は思いますね。昨日の国会審議でこんな遣り取りがあった。「日本に徴兵制を導入しようと考えているのか?」という質問に対し、「それはありません。今でも自衛隊員を希望する人の数は多く、部門によっては数十倍の競争率です。」と答えた。そして、ドイツやフランスも徴兵制度を止めたが、自国に軍隊を持っているではないかという。これが国民に判りやすい丁寧で誠意ある説明だと考えてのことなのだろうか?不安を煽り、平和を目指すと言いながら、自らは安全な場所に身を置き、誰かにやらせるという議論にどうしても思えてしまう。それより現在の自衛隊員の数で有事の際足りると思っているのだろうか?
 私たちが今何ができるか? 自らの責任として考え行動する時なのではないでしょうか。
 最近、ある方からメールを頂き、知り合いのお子さんがGHでの生活が続けられなくなり、今、病院の個室に入院させられており、早く退院させたいのでどこかに彼を受け入れてくれる所が無いかと相談を受けた。物を壊したり、他に暴力を加えるようになって、利用していたGHを出されたそうである。知人はその方を小さい時から良く知っているそうで、決してそんな子では無かったという。環境不適応から問題行動が出てしまったのだと書いてあった。
 私の身近にも同様の例がある。何かのきっかけでその方の状態が変わり、破壊行為や攻撃的な行動がエスカレートしてしまいどうすることも出来ない。その方自身の事を考えれば、他の対応策もあるのだろうが、現実には集団の中で個別的な支援をすることに限界を感じている。
 個々の問題であっても、そこには相手があるということを無視はできない。一方的な対応では根本的な解決に結びつかない。
 

 7月24日つくば市にて

画集出版パーテイ
       ありがとうございました


糸賀正子より。
         

2825:施餓鬼

 30日と31日は施餓鬼会です。恒例のお寺の行事、準備は1か月前から始め、いよいよ本番、どうしても間際にならないと気持ちが入らず、今朝になって何がどうしたあれはやったかと自問自答。
毎年同じなのですが、この時期、施設でいつも何かが起こる。夏本番で茹だるような暑さ、体調を崩す方や怪我をする方が多くなり、その対応で苦労する。それと学校が夏休みに入り、SSなどの希望者が連日引っ切り無しに出入りする。中には初めて利用する方もいて、普段の様子が判らないから気を使う。それでもスタッフが良くやってくれるので私は坊さんやっていられるのです。
 昨日は県内の施設が地震を想定した一斉の訓練を行った。今年はその2回目、前回の反省を踏まえ、県も我々も事前に準備をして行った為、結果は97%の協力施設があって大成功、あくまでも訓練だから、実際にはどうなることか判らない。それでもFAXとメールを使った今回の訓練は、一応の成果を得て終了できた。(事務局の報告より)
 ハプニングにどう対処するか、反省点もいくつかあるそうだから次回にそれを参考にすれば良い。
上掲の写真は、糸賀正子さんの画集出版のお祝い会、会費制で45名の参加、つくば市ベルガ(喫茶店)を貸し切って行った。元職員が久しぶりに集まって糸賀さんと一緒に撮ったその時の写真です、30年以上前に尚恵学園で一緒に働いた仲間、声掛けしたら皆さんが集まってくれました。遠くは栃木県から駆けつけてくれました。
 私たちの仕事は実は部分的だと思うのです。完璧な人は誰一人いないし、それぞれが違った考えを持つ。今までに失敗も数限りなく経験し、自分達では看きれないと断った方もいます。それと感情的なトラブルもありました。
 そんな中、ホッとする瞬間があるのです。今は現場を離れ、夜勤を私はしません、昔は夜勤ではなく、宿直、その拘束時間は今とは雲泥の差、それでも仕事を終えてホッとする瞬間がたまらなく好きだった。
 多くを望まず、偉ぶらず、ひたすらに生きれたらどんなにか良いだろう。”施餓鬼”という行事がこの日本で長く続く一番の理由がそんな所にあるのかもしれませんよ。自らに関係の無い霊を供養する。
 あまり難しく考えず・・・・・・自分たちの安心や平和を法制化することで本当に保障できるのでしょうか??? 周囲環境が昔と大きく変わったという説明を何回も聴いた。何かこじ付けに思えてしまうのは私が間違っているのでしょうか? 自国の平和を望まぬ人はいません。敵と見なされる相手国も然り、皆が皆、安心と平和を望んでいる。
 それを殊更に恣意的に・・・・どれだけ完璧な仕組みができるのでしょう?”三界万霊”施餓鬼棚の正面に飾った大きな位牌、その下に集まる精霊たちが怪訝な様子でその動きを見つめてる。 
 回向(えこう)大菩提(だいぼだい) 至心(ししん)回向(かいきょう)

2826:へこたれぬ

 これしきのことでへこたれぬとはいってみたものの・・・ドドッときて座りこんでしまった。葉月に入り、週間天気予報では関東地方は、これからも猛暑日が続くと。葉月とは良く言ったもの、草木は益々その葉の色を濃くし、日差しを真正面から受けて、それを栄養分として根に送り込む。境内は蝉の忙忙しく鳴く声に包まれ、一大行事が無事終わったことを知らしめる。今年は例年に無く、新盆供養の数が多く、二ケ寺とも大勢の方が来てくれた。
 これからが八月のお盆を迎えるのに、施餓鬼が終わるともうお盆も終わったように感じてしまう。ここ数日でメタボ気味の体重も少しは落ちたかも、何せ一日に三回着替えることを繰り返した。
 四日には尚恵学園の盆踊り、それが終わると夏帰省というお決まりの日程で、利用者の皆さんもいつになく落ち着かない。そんな中、昨日はこんな話がありました。Kさんが実家に一人でいるお母さんにエアコンを買ってあげると新聞の広告を示して言う。自分が帰った時に暑いというのが理由かお母さんへの思い遣りか??午後にスタッフと一緒に実家のある電気屋さんに行き、エアコンの設置を頼んできたと思う。彼は”まんだらパン”で働いている、そして毎日欠かすことが無く、近くのコンビニにスポーツ新聞を買いに出かけている。
 一つ気になることは、いつも迎えにお母さんと一緒に来てくれるお姉さんが体調を崩し、今回は迎えが難しいという。スタッフが送り届けることになると思うが、お母さんへの心配りは老いて益々強まった。
世間では、休みを利用して避暑旅行なんて羨ましい話が聞こえてくるが、それが全てでは決してない。汗水流しながら頑張っている人もこの時期大勢いる。
 さて皆さん!遺骨の宅急便という新手の商売をご存知でしょうか? お寺に宅急便で遺骨が届く時代にとうとうなったのか? 昔、コインロッカーにしまってある遺骨が問題になった事を思いだす。都会で墓地を求めることが難しくなり、地方にお墓を持つ人が増えた。だが、年老いてお墓参りに行くことができない方に代理墓参というサービスができた。
 なんでも商売にしてしまうこの国は、これが果たしてどうなのか。
 いろいろ考えることはありますが、へこたれず、葉月も乗り超えて参ります。
 山懐に囲まれた鄙びた温泉宿、清流の音を聞きながら、露天風呂・・・・・・。 ムニャムニャ   夢でも良いから そうありたいと思いまして・・・ 日頃の生臭が 災いなれど ひたすら頭を下げて 許し請う。
 

2827:???

 盆月である。≪夏やすみになったら厚生園に帰るの・・・・・≫ と語ったMさん。 その話を聞いた時、私は衝撃を受けました。
 もう40年以上尚恵学園での生活を続け、今年、新しくなった成人寮に寮がかわった。彼女はガンバリ屋さん、弱音を吐くことをしない。だが、こころ許せる職員の前では涙を流すこともあると聴く。私は彼女の若い時分を良く知っている。休みには必ず迎えがあって、不自由な体を弾むようにして実家に帰っていた。専業農家の両親は、恐らく休み無く働き通した人である。父親は先に亡くなり、今、母親は寝たきりの状態になったと聞いた。数年前から彼女は帰省する仲間を見送る立場に自分がなった。そして・・・・・
休みになったら厚生園に帰るのと語る。その心中を思うに私たちの今の仕事の重さを感じます。
”一筋に道を求める”仏教伝道協会から送られたきた小冊子の巻頭文にあった。
  私達僧侶はそう有りたいと思うが中々できない。
 猛暑の中を毎日墓参りする人を知っている。若くして亡くなった奥さんが眠る墓の前に額づき一心に手を合わせている。
  徒然も心細きままに思ひ嘆きけるを・・・・・・〈源氏物語〉 
 
  ”愛着障害” この言葉を最近良く見かけます。幼児期に長期にわたってネグレクトや虐待を受け、その後成長するにつれて様々な問題を起こす原因になると言われる。親子関係の大切さ、特に幼い時の体験は、その人自身の深層に根深く残り、何かのきっかけ(ストレスなど)で突然現われる。それが発達障害とか統合失調症など他の障がいと明確に区別するのは難しい。
 個人的な事になりますが父は晩年私によく話してくれた。自分は育ての母親に救われたと。実母を知らずに育った父は、その事を決して他言はしなかった。しかし常に頭から離れなかったと思う。尚恵学園の出発は”里子”であり、良く話していたのは、「どんなに頑張っても、親にはなれないしかなわない。」ということだった。

2828:良いんだよ

 ・・・みみ 見てください・・・ Sさんが笑ってる・・・・スタッフの声に振り返る。
 昨夜の盆踊りで私は初めて笑っているSさんを見た。4月に寮移動してから4ケ月が過ぎ、最初は大人しく食事やトイレに拘りがある以外は予想外(?)に静かだと誰しもが思っていた。しかし、徐々に本領を発揮しはじめ、けたたましい声を張り上げている。ああ・・これではな、新寮では無理だ!と納得。彼女との取り組みが始まった。専門家に相談、そのアドバイスを受けて基礎データーを取る。いつどのような行動を取るのかということを数値化しようと試みた。
 一向に収まらないパターン化した行動、奇声や拘りは予測はできるが、止める事はできない。それと私は彼女の笑顔を見たことがない。
・・・・・
 例年行う盆踊り、参加者が徐々に増えている。正直、地域の方の参加はどうなのか? あまり気にしていない。それよりも自由に有りの儘に彼らが楽しむことを優先にする。石岡からいつも来てくれるお囃子連の出番になったら、Sさんが急に立ち上がってヒヨットコの踊りに合わせ踊り始めた。体をリズミカルに動かし、表情も今までにあまり見たことがない緊張の取れた笑顔、その後、櫓の脇に行って大太鼓を打ち始めた。
 いいんだよ Sさん  良いんだって・・・ そんな声を掛けたくなった。彼女の背負った荷の重さ、誰も替わってあげることはできない。始めて見せたあの笑顔、素直に喜べぬ私は 恥ずかしながら涙が出てきた。
 ★ 私たちの実践は決して他に誇るようなことではありません。むしろ彼らから学ぶことのほうが多い。ただ、全ての利用を希望する人を受け入れることなどできません。その一つが他人に危害を加える人、それも明らかに意識して裏をかいて行う巧妙なケース、正直お手上げです。何故、そのような行動をするのか?を考える間も与えられず、四六時中、安全確保に気配りするには、限界があることを認めねばなりません。
 そのような方達を受け入れる場の確保がいま早急に望まれています。これは日本全体の共通する問題ではないですか。

2829:平和を望む

 本日6日は広島、そして9日は長崎に原爆が投下された。今年で70回目となる平和の式典に海外から100か国を超える参加者を迎え平和への誓いを宣べた。時を同じくし、国会では安全保障関連法案に関する審議が行われている。そこで想定される敵国の代表がこの式典に参加していたとすれば、どのような気持ちでいただろう?何故、今この時期にそれも理由が明らかでないにも関わらず急ぐのか、私には判らない。周囲環境が大きく変わったとその根拠となる事例を挙げ、憲法の解釈を変更するという。国際法と国内法を取り上げて説明するが、聞けば聞く程正直意味不明となるのは私だけだろうか?
 そして、直近の審議の遣り取りで気になることは、想定敵国の実名を挙げながら、事の緊急性を強調し理解を得ようとする。だが肝心なことになればこれ以上は機密事項だから言えないという。 これで素直に納得できるはずはなく、より不安が増すことになりませんか。貴方たちが国民からそれだけの信頼を得ていると考えているのだろうか????
 また、高校の新科目として「公共」と「歴史総合」を加える検討がされているらしい。対外的には”絆”とか”おもてなし”を叫ぶ割に、巷では真逆の事件が増えていませんか?
それと次元は同じ、足元を見ずに上ばかりを見ている。先人達の教訓を今こそ我々は思い起こすべきではないだろうか。
 保育所の待機者ゼロを掲げ、事業者への規制の緩和や幼稚園との統合をはかった。しかし、現実にはそれが上手く機能していない。それよりも保育所を新築する際に子供の声がうるさいからという理由で住民の反対運動がおこったという。これは特異な例だと思いたいが、障害者の施設建設となれば、明らかに難しい状況になっていることは否定できまい。それでいて地域に戻せと入所施設を蔑視するかの如く裏腹な言行に、私は疑問と苛立ちを感じる。
 いつ頃からこの国は「臭いモノに蓋をしろ!」という屁理屈が通るようになってしまったのか?それで”平和と安心”を声高に永田町周辺で語られるのは私には納得できません。ハッキリ言って 東南シナ海の環境変化をあげる前に永田町周辺環境の変化に目を向けるべきではないだろうか。勘違いも甚だしい特権意識と責任をはき違えた実態はこの国の最大のリスクであろうと私は思う。
 相手の身になって考えると言いながら、自らの利もきちんと貰うという理屈(尾ひれ)がつく。ここに、風に立つライオン(♪)の・・・・この国はどこかで道を誤ってしまったようですね・・・・という歌詞が現実味を帯びてくる。

 それから素朴な疑問を一言   国会答弁で後ろから何やら説明を受けているのが私にはどうも気になってしようがない。黒子にしては目立つし何を話しているのか視聴者には聞こえない。 あれって後々 問題になりません???発言撤回謝罪すればそれで済むというルールなんでしょうか。 いや ちょっと気になるものですから余計な話でしょうが。
 盆月で施餓鬼棚に飾る「三界万霊」の大位牌が霞んでみえるようでは 世も末なのかも知れません。
  僧侶という仕事柄でしょうか、私は家族の方達の涙を数えきれぬ程身近で見てきました。相手を知る術は、言葉では無く、その人の生きる姿からという仏教の考え方。
 警察操作で『歩容認証』というものがあるそうです。防犯カメラ等で歩く姿からその人の特徴を分析し人物を確定するというもの、そこに言葉は介入しない。外見をどう繕うが その人らしさはどこかに出るものです。
 貴方の語ったその一言が  どれだけの重さと責任が有るのかと常に省みることを望みます・・・・・。もし、この世に失言を撤回し事がそれで済むとなれば、何を信じて良いのかと思いますよね。外交も同じと考えてはいないでしょうが・・・・・。軽率なる約束は、その人自身だけを縛るものではなく、国の体面を汚すことにだってなりましょう。

2830:盆中雑感

 まさに盛夏の候、いつ頃になれば連日の猛暑が終息し、季節を楽しむ時が訪れるのか、38度という外気温は体温ならば高熱時に匹敵、解熱剤を飲み安静にしなければならぬ。寺の天水桶の水はぬるま湯となって、長年ここで生きてきた金魚も可哀相、井戸水を上から流し込んでどうにか水温を下げたがどうだろう?
 中東やアフリカからの難民はギリシャやイタリアに押しかけているとか、いま戦闘が最も激しいシリアは日中の気温が50度を超えると聞いた。その中で逃げ惑う人達を思うと日本という国は別天地に見えてしまう。衛星写真を見るとこげ茶色の中東やアフリカと比べ日本は緑一色、この自然の恵みに感謝しなければバチがあたる。
 盆中に行われる施餓鬼は全てで13ケ寺あって、今日で5か所の寺が終えた。「三界万霊」の三界とは、無色界・色界・欲界の3つを言う。一切衆生が生死輪廻をする全ての世界をいう。六道の迷いを繰り返すことからの脱皮が仏教の言う解脱の世界、我々凡夫は目先の欲得に振り回され自分を見失い、懺悔・後悔を繰り返す。
 安全保障一つとってみても様々な意見があり、国内意見を纏めることも至難の業。宇宙の彼方よりこの様を見ていたらそれがどう映るか?そして、平和を叫びながら武器を売るというあべこべをどう理解すれば良いのだろう。・・・・「心と裏腹な世辞を言う」という物言いがあるが・・・・もしそうだとしたら今行われている事は茶番劇ではないのか。  もし、この国のリダー達(?)に驕りなるものが蔓延してしまったとしたら、世界の笑いものだし、褒め言葉と脅しにあって利用されるだけ利用され、また同じ過ちを犯すことになりかねまい。経済最優先の政策をこれ以上続けてその後に何が残るか? もういい加減にそのことに気づき、足元に目を向け将来を託す子供たちと共に、ゆっくりとした歩みで良いから先を生きることを考える時だと私は思う。
 今のまま進んでいくと、強き者だけが生き延び、弱きものは、国の負担ということになって片隅に追いやられてしまうか、あるいは”こころ”の病に苦しむ人が増えて、共生社会を築くなど夢物語と化すことになりやしないだろうか・・・・。 
 ☆ 記録的な猛暑の中、木陰にて小さな花を見つけた。おそらく夜露が落ちて、その水分によって精一杯の花を咲かせているに違いない。世の中には、このように目立たずに生きている人がいます。贅沢に憧れる訳ではなく、何気ない人とのふれあいに喜びを感じ、素敵な笑顔をした人達・・・・私は そのような人達と一緒にいられる幸せを求めていきたい ☆
 


トップ