源究164

BACK  TOP  

 NO テーマ  月日   NO テーマ   月日  NO  テーマ   月日  NO  テーマ   月日 
 2791 皐月  5/1   2796 励まし  5/19  2801  初夏の頃  6/2  2806  天邪鬼表六  6/15 
 2792 お節介じゃなく  5/4   2797 身をまかせ♪  5/24  2802  大雪山  6/6  2807 語りかけること・・  6/17 
 2793 流れに掉さす  5/7   2798 平和  5/26  2803  今だから  6/8  2808  研修  6/19 
 2794 から元気  5/12   2799 続・平和  5/27  2804  障がい文化  6/10  2809  続けること  6/21 
 2795 憂国の徒  5/16   2800 正子さん   5/31  2805  お願いです。  6/13  2810  この国が学ぶこと  6/24 

2791:皐月(さつき)

 薫風緑樹をわたる好時節、皆々様には如何お過ごしのことでありましょうや。小生、少々胃もたれを感じ、飲食に注意をしておりますが、性分というものは如何ともし難く、誘われるとどこにでも参上仕り候ゆえに、一向に改まらず、内心忸怩たる思いを致しております。早や皐月となり、周囲は多少落ち着きを見せ始めましたが、安心は禁物、新たなる障りが生じ、頭を痛めておりまする。これもまた 宿業かと。久しくご無沙汰申し上げ、気にかかることでありますれば、いずれ頃合いを見定め、挨拶に参る所存にて、いま暫くお待ち頂きたく伏してお願い申し上げます。・・・・・・・・・。何か変だな???飲み過ぎたか。
 昨夜は水戸で会合があり、久しぶりに電車で向かいました。神立から40分ほどで着きますから、体は楽で車窓から眺める景色も随分様変わり、田には水が引かれ、連休の間に田植えをする。長閑で平和な佇まいを感じます。
 宴もたけなわになった頃、思いがけない客が加わり、気が付けば10時を回ってしまった。電車にて帰ることにして駅まで向かうと、改札周辺が人で混雑、なんと常磐線で事故があって電車が止まっていた。駅員に尋ねたが復旧の見通しは判らない。さて困ったとウロウロ、するとテロップに上り電車の案内が出た。丁度3時間ほどストップしていたようで、宴が伸びたのが幸いした。
 ハプニングは予期していないから正直慌てます。でも日本人は凄いと思った。皆さん愚痴も言わず電車が動くのを待ち、それぞれが帰路に向かった。
私は今年の連休は特別の計画は無し。法事が数件入っている以外はないはず。去年は連休前半は長谷寺に出仕、ボタン期の布教で4日間本山にいた。今年は遠慮させていただく。なにせ、施設の方はこの時期が最も忙しい。ショートステイやレスパイと普段利用されていないかたがやってくる。職員の勤務の調整も現場は苦労して作るが予定通りにいかないのは常のごとし。
 草刈でもやろうと考えてはいるが、この時期、直ぐに草が伸びてしまい。間に合わない。適度な運動と思いながらやらないと務まらず。
 連休中は恐らく観光地は人でごった返ししているだろうし、もともと外出はするつもりはないので、これからどう過ごすか決めようかと思っています。
 なんとも、たった今電話があって、GHの方が急に入院することになった。気温の変動が激しいためか体調を崩す方が増えている。
 
 大型連休・・・風の噂では、16連休という会社があるそうで、なんとも羨ましい限り。ちょっと待ってください! その理由を聞けば、仕事がないという。ウーム、これは喜べる話ではありませんね。もしも マスコミがこの実態を報じたとしたらどうなんでしょう ・・・ 雰囲気的に 都合の悪いことは書けないんじゃないですかね。今 国内が二極化していません? 浮かれた人達と憂いている人達とにです。この先 不安だな。
 便利な世の中になって 振り返ると それが良かったのか 悪かったのか判らなくなっていませんでしょうか。自ら考え行動するという力は弱ったと私は思いますね。 痴呆症・・・これだって 作られた病名ではないですか? 昔からありましたよね。そもそも人間の脳には許容量というものもあるんでないでしょうか?年寄が昔話を良くする。これって今に始まったことじゃないです。むしろ普通なんでしょう。便利と不便 世間に対するこのサジ加減が処方箋。
 お父さんは 元気に年老いて 元気に死んで下さい と言ったお母さん。これって励ましそれとも????
 

2792:お節介じゃなく

 拘泥(こうでい)という字は難しい、小さな事に執着し融通効かなくなるという意味です。最近は性格とか気質ということで片付けることができない深刻で病的なこだわり、これは傍でみていて気の毒になるんですね。ご本人はもう必死ですから、周りなんか気にせず”ひたすら”自分の世界に没入。でも、大なり小なり誰しもがこうなる可能性はありますね。私もそうです。ずっとスマホと睨めっこしている人が自棄に目について仕様がない。私は持たないことに決めている。
 もう40年以上前になるのだけれど、国立の秩父学園で私が経験した記憶が今になってハッキリ再現できるんです。それは S さん とN さんを受け入れて漸く1ケ月が経ち 少し自分自身が冷静になり始めたからだと思っている。
 彼女たちが発する声に、私の過去の記憶へフラッシュ・バック、どうにかしないとと言う思いが頭の中を駆け巡る。間違いなく、スタッフたちの反応は「どうしたの?急に理事長がNさんと手を組んで・・・・」 判っていますって。 Nさんご本人は恐らく迷惑に思っているに違いない。昨日も。その前も。散歩を一緒に始めたり、プレイルームに行って、ピアノを弾き始めたりして、一体何なの???私だって20代の頃は、ギターやピアノで一緒に遊んだ。 楽しくてしようが無かった。
 根拠はありますよ、実はねNさんは音楽を好む、それを知ったからなんです。学園に入った頃、彼女はテープで音楽を聴いて過ごしていた。なんとそれがクラッシック音楽。これには参った。童謡やフォークソングなら、なんとか判るが、ショパンやシューベルトでは、・・・ ピポピポ。
私はオボロゲと言われても、自分の歩んだ道を辿ることができます。・・・が、彼女たちは それを言葉や文字で上手く表わすことができません。もし、彼女たちの発する”意味不明な声”がそうだったとしたら、でしょう!もうジッとしてなんかいられない。
 思い返すと秩父学園での1年間の経験はショックでしたね、全国から集まった120名ほどの子供達、その中で20名は”治療棟”という特別の場所で生活していた。
 当時の妹尾園長が私をその寮で受け入れてくれたのでした。懐かしい思い出、私の原点はここにあります。
 目を逸らさずに向き合うことの大切さをそこで教わった。実際は失敗の連続でした。何故なんだ?どうして自分を傷つける?と問い続けたあの頃、・・・・・・。
 それでも僅かにこころが通じ合ったという経験が支えで、続けていけたのです。
 制度や仕組みでは、到底解決できないことが多い。
 リスク・アンガー・ストレスの言葉がやたらと目立つ近頃、これは今の時代を見事に表わしている社会現象と言えます。私はこうあればああなるという評論家には絶対に成り下がりたくない。判っていれば誰だってそうします。それが難しい現実に対峙し、ささやかな喜びで充分だと考えるか否かは個人の判断。
 そう思いますね、そこじゃないでしょうか! お節介じゃなく、自分がこの仕事を選んだ本当の理由は・・・・・・・・。悩むことが必ず次に踏み出す力になり得る、そう信じながらですよ。
 
 千葉県で葬儀があり、1泊で行ってきました。96歳になったばかり、ご自宅で突然具合が悪くなって息を引き取ったそうです。通夜の清宴でいろんなエピソードを伺った。「いろいろあったけれど 大往生でした。」ご親戚の方のこの言葉に尽きる。私たちが話をしている時に小さな子供さんが涙を浮かべお父さんにすり寄ってきた。どうしたの?と私が話しかけると、その子のお母さんが「おばあちゃん いつ もどってくるの?」と聞くんです。4歳になるひ孫さんだと判った。

2793:流れに掉さす

 言語を通じての理解を私たちはどこまでできるででょうか?世界中に一体どれくらいの数の言語があるのか判りませんが、恐らく母国語として認められているものだけでも相当な数になるでしょう。(フィリピンでは母語が172あると言います)
≪流れに掉さす≫と言うと皆さんはどんな意味に捉えますか?時流に逆らう意に用いることが多いのではないですか。本来の意味は、そうではなく、棹を使って流れを下るように、大勢のままにいくこと、つまり順調に進んでいることを言うものです。言葉はコミュニケーションをはかるには大切な媒体ですが、時代や場所によって微妙に異なる。また、言語の機能に何らかの障りがあって、上手くいかない人もいます。手話や文字によって代替えが可能な人はいますが、障害が重い方の場合は簡単にそれに替わる手段が見つからない。でも、これが基本になります。
 私は坊さんという職業柄でしょうが、葬儀や法事の時に言葉の難しさを沢山経験しました。法話・・・・大体の方は、早く終わって欲しいと思っています。言わずとも表情でわかりますから。正直いって話をしてもしなくても構わないのです、だってお経そのものがそうですから、それで充分なはず。
 昔から伝達の手段として、いろいろ人間は考えた。狼煙(のろし)もその一つ。煙の出し方でいくつもの意味を持たせると聞いた。それが今はどうでしょう?携帯や電子版(テロップ)、目移りするというよりも最早気にならない。気になるとすれば電池切れ、技術の進歩に正直付いていけないのが人間様となっている。新幹線のスピードが時速500キロ超えとか、どこまで早くすれば気が済むのか。文明と文化の違いが不明瞭になった時代とも言えます。
 よく見かけるのは、犬と散歩している人たち、良く見ていると犬と会話?をしています。幼児語というのか犬語というのか、赤ちゃん相手に話すように。恐らくご主人様は満足してるんでしょうがワンちゃんのほうは知りませんよ。
 投げたボールを咥え、勇んで戻ってくる、それを何度も繰り返す。至福の時間?
 いずれにしても 断定はできません。人それぞれで良いんでしょう。なんでも構わない。・・・・・?なんでも良いとなると人間は不安になります。それを”有りの儘で良い”と言い変えると随分気が楽になります。
  これ以上続けると ことば遊びになります。
 
 
 昨日、相棒と一緒に寮前の芝の草取りをした。そばで私達をイスに座って見ていたAさん、時々壁を叩いて 何かを訴えていた(?)。アアアッツ・・・! 相棒の声。
 Aさんがやおら立ち上がり 集めた草に向かってオシッコ(放尿)、その時の顔、、、あれは明らかに笑顔だった。  ララララ~ン♪

2794:から元気

 笑顔・笑い声・・・・大切ですね。いまどこが一番賑わっているか、昨日1日を振り返り思い出してみます。定期通院で9時の予約、もう10年以上通い続けている。この地域では人気のある総合病院だからと思うのですが、いつだって人でごった返し、緊急手術が無くても予約の時間よりかなり遅れて外来診察が始まることは珍しくない。でも私は最初から主治医の先生は変わりなし、この病院では珍しいと伺った。
 混雑するのは、先ず通勤時間帯の道路、いつもの3倍は時間がかかる。セッカチな人は蓮田の中の道を近道に利用、でも出口で混むから結局時間短縮にはなりません。それでも 変わらない。次に混雑するのは病院、通院日が月曜なので特に混むのかもしれないが、予約時間の大分前から待合室にいる方が殆どである、そして次に院内にある薬局もまた待つ人で大繁盛。
 混みあう中で垣間見た人間模様、ひょっとしたら皆さん元気なのかと思ってしまう。「やー 久しぶり。随分会わなかったからどこか体でも悪かった?」????
 「月曜日が内科、水曜日がリハビリ、木と金はデイサービス、土曜日だけかなゆっくりできるのは・・・・・」????
 そのような会話が至る場所で聞こえてくる。それも皆さん一様に笑顔で声に張りがある、  病院はなんの為に来るんだったか?  3か月に一度、この病院に来てその辺の事情が判らなくなる。私は、自己診断で言えば『から元気症候群』、主治医にいくら言っても真面目に取り上げてはくれません。「それはウチの科ではないですね」と言われないだけまだ救われる。
 ・・・・・・アッ! 朝の6時、たった今鐘楼の鐘が1つなった。暫く休んでいたので具合でも悪いのか気にしていたが、「良かった」 また撞きに来てくれた。・・・・・
 困った顔をしていると自然に人が遠ざかる。ですから、病院では皆さん あまり元気にしないほうが良いかも、から元気でも ダメ。 
 
 誰かから元気をもらったり、心にグサリとささった経験は誰だって持っているでしょう。もちろん仏様やキリストさま・・・となると もうその上はありません。そうじゃなくて私が言いたいのはですね。もっと身近な人とか現に生きている人にです。・・・♪ どこまで続く ぬかるみぞ  三日二夜を食もなく 雨降りしぶく鉄兜 雨降りしぶく鉄兜・・・♪ 若いころ良く口ずさんだこの軍歌に励まされたというのは、今年91歳になった作家佐藤愛子さんの話。戦争を挟んで波乱万丈の人生を送り、彼女が残した膨大な数の著作は、どこかユーモアがあり衝撃的。何かの番組で今の心境を尋ねられ「この世を生きることを修行だと考えている」と笑った。そして、「ああ面白かったと言って死にたい」(2012)は卒寿を迎える1年前に出版された箴言集。
 戦争を知らないで育った人たちが多い世の中になっても、嘆き苦しんでいる人は一向に減る気配はない。我が人生を振り返る時、ああおもしろかったと言えれば、それはもう、、、何も言う事はありません。

2795:憂国の徒

 昨日3人から同じような内容の電話を受けました。偶然というのではない。何故ならその内容は予期しないことではなく、起こり得る事だからです。政府内で考えの違いが見えてきた。財政健全化の目標を達成するためには、財務省が8兆円近い歳出削減が必要だという動き、要は成長頼みの政策に対する省庁間での微妙な温度差、恐らくこれは第1段階のマスコミ発表、無いものねだりを続けてきたツケが最早どうしようもない状況になって消費税アップ等の次なる手に向かってお蔵入りしてある情報を小出しに報じてきたと思えてしまう。年間にそれだけの歳出カットで今の借金が本当に返せるのでしょうか。
 それを私達庶民はどう受け止めたら良いでしょう?課題ばかり示されて、具体的な対策は霧がかったもの、また実態を示す数値は、判り辛く、心から信じるわけにも参りません。安倍さんの国会演説を聞いて、気になった節がある。先の選挙で我々は国民から承認されたのだから、粛々と憲法改正を・・・・云々という話。果たして、国民の何割の方が諸手を挙げて賛成したのでしょうか?昨日の某新聞に元自民党長老2人よる現政権への批判記事がありました。正直、遅すぎたという感は否めない。
 我々は今後の国会の動きを注視していかなければ、必ず後悔します。ロシアの戦勝記念日にドイツのメルケル首相がプーチン大統領と会っている。その時、日本の首相は先のアメリカでの実績を誇らしげ(?)に演説・・・・。

 待ってください、昨日の電話はそれとは全く無関係(?) 福祉現場を預かる責任者は、今をどう乗り切るかもがいている。誰にその不満をぶっつけたらよいか判らず、お互い同じ立場の者同士で慰め合っているのです。憂国の徒が何を言っても無視される時代、いずれ自分にも降りかかる災難とは考えず、事業拡大路線をまっしぐら。今に見ていろと何度も忠告、
 規模縮小を描いても、今お預かりしている人をどうするか、これを考え始めると、もう視界不良で通行禁止、立ち尽くすのみ。是非論を別にして、入所利用されている方の6割強がなんと30年以上利用され中には半世紀になる方もいる。
 これが偽らざる実態であります。
 戦後70年、日本は他国から攻撃されたこともなく、只管自国の経済繁栄に邁進、そして、見事にその栄冠を勝ち得たかもしれません。他国から見ればそれは羨まれ、妬まれること。その自覚が日本人に有るのか有ったのか。この分析も時の政権に対し恐る恐るで真実を言い当てた専門家を未だ私は知りません。
 オブラートに包んだような、常に温度管理衛生管理の行き届いた そんな陳列棚に並べられ、品定めを受けてきた日本、それでは満足せず、平和を唱えながらもそれとは真逆のことをして正当化して来なかったか?
 この議論がもっと公開の場で成されることを願って本日はこれにて終了することに致します。本日2件の悔やみがあり。そして生憎の雨となりました。
 
 
 日曜に恒例の家族総会があった。気のせいか、今年は参加者が例年に無く多かったように感じた。後で判ったのだが、親が年老いて子供さんやお孫さんが一緒に付いて面会に来ているからで、残念だが来ない人は同じだった。福祉の現場でさえ斯様な差がある。いつも思うことだが、面会の無いメンバー達に合わす顔がない。その事を正直に多少語気を強く訴えてきた。でも、その場にいない方には通じない。腰が曲がり杖を支えにしながらいつも会いに来るお母さん、中には90歳になるという方も娘さんの車で「今日は来れねーかと思ったんだけどよ」と話ながら深々と頭を下げられた。

2796:励まし

   ★・・・・無理は禁物 ほどほどに 全部円く収まる道っていうのは無いと思わないとやっていけないように思います。ただ、何かひとつ風穴というか、光をみつけたいですよね。・・・・≪今朝、入ってきたNさんからのメールより≫
 昨日は電話で失礼とは思ったが、何人かの仲間の所に電話をしました。新年度が始まり、いずこも大体同じでした。20日に施設協会の役員会があり、参加しない施設長の意見を聴くつもりでしたが結果的には私の方が多く話してしまった。
恐らく、お互いが判っている。話したところで何の解決にもならず、結局は自らの事は自らが行うしか方法はないということを。
 
 何にでも言える事でしょうが何かホットするような、救われたような話。一人でしまっておくには勿体ないような話。
寮が変わったOさん、久しぶりに元いた寮に来られ、職員室に入ってきて、こちらが良いと訴え動かない。彼は以前も同じような出来事があった。GHにて生活して貰いたいと体験入寮した時、一人で元の寮に戻ってきてしまった。その時もそうだった。我々が余計な事をしてしまったのか?随分話し合いをしたつもりだったが、また同じことが起こった???良かれと思ってそうしたものであり、寮が変わる事を知った時、不安もあったがスタッフの提案は正直嬉しかった。
 このOさんの行動は、一瞬だがこの仕事を続けてきて救われたと思う時です。苦労に一条の光が射したと思う瞬間。後から考えると、ああしないでこうすれば良かったと反省はするがメンバー達との心が通じた感動の出来事なのです。
 これから先、どうなるかは誰も判らないがOさんの希望に適うようしたいと思う。難しいのは、その逆もある。移った時あれだけ嫌がっていたのに、今 新しい寮での生活に慣れ落ち着いているKさんやTさん。昨日、会いにいったら笑顔で返してくれた。
 悲喜こもごも 笑ったり 泣いたり 怒ったり 拗ねたり この仕事は 毎日がこの連続です。

 ★・・・命が弱い人たち、激しい行動上の問題を抱えた人たち、どちらかといえば障害は軽くて社会的問題を持つ人たち、そこに家庭(家族)の問題が加わったり、人間関係の希薄が当たり前という時代が背負う問題が重なったり、スタッフサイドの問題が絡んだりと、悩みは絶えませんが、ここはこの仕事の宿命と思うしかないですね。・・・・≪Nさんが送ってきたメール(最初の書きだし)に書かれてあったもの・・・≫ 
 これを励ましのメッセージと受け止めます。
 

2797:身をまかせ♪

 ・・・時の流れに身をまかせ♪・・・・・昨日法人の役員会があって、無事?終わり、知らずに口ずさんでしまった唄でした。この時期はいつも役員会のハシゴ、なんでこんなになっちゃったのか?頼まれれば断れない性分とだけでは済まされまい。
 1986年テレサテンが唄って大ヒット、この歌の英語名は「I only care about you」、そして中国名は「我只在乎你」と知った。日本語にすれば ・・・貴方だけをひたすらに・・・とでも言うのだろう。なんだいなんだいそんな余裕ができたのか?いやいや そんなことはありません。
 今日は日曜日で今から笠松に向かう。ゆうあいスポーツ大会に出るために。時の流れというのは、振り返れば感じられること、昔、常磐道がまだ一部開通の頃、ひたすら6号国道を北上、記憶は曖昧になったが、恐らく3時間近くかかったはず。県立笠松運動公園は神立からだと それだけ遠かった。今は1時間で行ける。世の中が便利になったのは、直ぐに慣れてしまう。それとは反対に今までできたことが何かの理由で出来なくなれば、今は苦情が殺到する。世知辛い世になったと思いませんか。
 昨日の我が法人の役員会、全員が意見を述べた。議長が途中でストップしないと話が止まらない。日頃の鬱憤をこの場で吐き出そうと思ったのか、今の日本はおかしい・・・介護も保育も障がいも幼稚園もこれは”ブラック企業だ!”と言う意見も出る始末。穏やかでない。役員にはそれぞれの業種(保育・介護・幼稚園・障がいなど)で活躍する仲間がなってくれている。だからと思いますよ。
 ・・・・・・か、「異議なし」で何の議論もなされずに閉じる会議よりはずっと良い、これだって お馴染みの2極化現象が見え隠れ。先人は、形振り構わず、思う所を言い、ケンカ(?)をしながら筋を通した。その熱意と行動力が確かに薄れた。
 我只在福祉  か 我只在金   さーて どっちだ。   ♪ 約束なんかいらないけれど 思い出だけじゃ いきていけない  ♪というテレサテンが唄う、今は亡き人となったが私には憧れの人だった。
 
 同じ事でも人によりその受け止め方が違います。この世で全て思うようになることなどありません。感情の微妙なズレがうまれ 自らを省みて 変えようとする人あれば そこより遠ざかる人もある”ブラック企業”という発言をされた方は、かつての良き時代と大きく様変わりした実態に対し、現場で働く人達のことを代弁したもので決してこの仕事自体を否定したものではないという事です。誤解の無いように。
 保育園と幼稚園の一本化を目指した改革は、単純化したどころか内閣府まで参入し、縦割り行政の負の部分が目立つだけ、何のための改革だったのか、その辺の整理をしてから世に問うてもらいたい。規制緩和策は歯止めが利かなくなり、暴走を止めるどころか大混乱をきたすという悪い見本。
 

2798:平和

 こんな事がありました。
 障がい者スポーツ大会、今年で17回目、私は毎回参加してきました。最初は実行委員で前日より泊まり込んで準備した若かった頃。今は忘れたけれど県の建物で雑魚寝をした。今はテントからの観戦となりました。赤青黄白の4つの組に出身地域ごとに組み分けされ、競技の中で順位を決めて最後に発表する。最後を飾る各組対抗リレーは16名が選ばれグランドを1/4づつ走る。尚恵学園が赤組、リレーのメンバーは誰もいなかった?恐らく年齢が高くなって走れる人がいなくなったからだと思う。それでも赤組をどこかで応援している。今年はもしかしたら優勝か?点数ではトップ、リレーで一位になれば念願の優勝。15人まで走り終え、断トツのトップを走っていた。最終ランナー・・・体は小さいが一生懸命ゴールに向かって走ってる。そのワキをあっという間に追い抜いていった白組の選手。ああああ・・・。それでも 抜かれた選手は必死に最後まで走り通した。その姿を観客も選手も一緒に応援したのです。
 結果は2位、赤組は今年も優勝を逃しました。良いんだ これで良いんだ。皆さんの気持ちは一緒、そんな爽やかな気持ちになった後、歌のお姉さんにマイクが渡された。
 人それぞれ、走るのが得意な人、笑顔が素敵な人、友達を大切にする人、・・・・・・その逆の人もいますよ。それが自然でしょう。それが真実ですよね。そう思いませんか。
 この国は、これから先 どのように進んでいくのでしょう? 私は気になります。スポーツ大会での感動を思い起こしながら ふとそんな事を考えました。競争ならば一番にならねばと考えて恐らく一番走るのが得意な方を選手に選びます。そしてビリじゃなくて一番を目指すはず。これと同じようにもし日本がこれから先進んでいったとしたら、競争には勝つかもしれません。でも他の国と真の友好関係を築くことはできないと思いますがどうでしょう。ODAや様々な方法での援助や支援はできるかもしれません。でもそれはほんの一部、決して公言し誇るべきことでは無いと私は思います。
 平和・・・・このことを望まぬ人はいない。 強い者同士で手を組み、自分たちの安全だけを獲ようとする思いは、どうなんでしょうね。必ずそれと反対の国が手を組んで対抗します。先の世界大戦から70年が経ちました。あの戦争で一番多くの犠牲者を出した国は旧ソ連、その数はなんと2700万人という、国の人口割合から最も犠牲者を多く出した国はポーランド、なんと5人に一人が戦争の犠牲者となった。
 多くの若者が果たしてこの国の今の在り様をどう感じているか? それよりも、我々戦争を体験しなかった大人たちが先ず、真剣に考え行動に移すこと、この責任を果たすか否かが世界中の人達から問われているように思えます。

2799:続:平和

 私は日本人のもつ真面目さや緻密さ、それに優しさは世界に誇るものと思います。それがいつごろか疑問を感じるようになってしまいました。「あれっ? まてよ。オカシイな!」と思う理由がいくつか有ります。私だけなら構いませんが、そのように感じている方が増えているようにさえ思うのです。
 豊かさ=平和=幸せという構図に赤信号、何故なのでしょうか。その一つの要因として、ここまでグローバル化が進んだ世界の有り様にあると思います。昔良く耳にした”企業戦士”眠る暇もなく、家族をかえりみることもせず、只管ガンバリ通した人達、その方達が果たした会社への貢献は多大なものがありますね。そして日本のGDPを押し上げた。このことを否定するつもりはありません。
 人間には”認められたい”という欲求があります。これは本能ですから、如何ともしがたい。少し前までは、父親が仕事で疲れて帰宅すると温かな夕飯が待っていた、「ただいま」「お疲れ様」この何気ない会話がどれほど慰めになったことか。”家族”の有り様に変化し始めた頃、それでもこの国は経済成長を唯一の選択肢と止めなかった、もっともっと頑張れ!と尻を叩き、働くことを奨励した。この先に誰もが幸せがあると信じ、だが、その結果、ご承知の如く、・・・・・・。嘗ては街には夜遅くまで飲み歩くサラリーマンの姿を良く見かけたが今はない。
 新たに起こっている問題を、豊かさ=平和という構図によってもたらされたと断言することは極論か。でも、取り返しがつかない事態に向かっているように思えて仕様が無い。国と国の紛争にまで発展する危うさ。いまどき一国の繁栄が自国内の努力で成しうることは有りえない。豊かさ=平和⇒搾取⇒紛争。何故中東で紛争が絶えないのかを考えれば誰でもわかること。繁栄をもたらした地下資源がその地域で発見されたことが最大の理由なはず。
 この国の危うさは、先ず一番は「自分さえ良ければ」という考えが蔓延ったこと、臭いモノに蓋をしろ、日光の三猿ではない。人間関係の希薄さを片方では認め、自分を正当化する。
 この影響を一番受けるのが、社会的弱者。そして、その方達を支える人が増えない現実、これを見過ごす社会は、結果として自らの墓穴を掘るということに気付かない。
 そこにこそ、この国の将来への危うさ(病巣)があるのではないでしょうか?
 自らの襟を正せ!制度の無かった時代、先人たちは何を望み、体をはって訴え続けたか 考えましょうよ。制度を悪用とまでは言わないが、うまい汁をえようとする輩が増えたように、一寸先は読めない時代に今私たちは生きている。
 
 
 尻に火がついて 慌てるのは、感心しない。それが判っていても できないものである。昨日は施設協議会の総会がありました。もう一期だけ 今の役目を続けることになってしまった。正直、「もう 全部やめたー!」と言いたいところですが、・・・・・
 本屋を覗くと自然と旅のガイドブックの所に行ってしまう。夜空に満天の星・・オーロラ・・南海の孤島・・・   いやー参ったな。 ああでもない こうでもない 言った言わない。滑ったころんだ。
  ・・・・過去を誇る人は 既に その役目を果たした事を自ら証し、出来ないことを さもできると公言する人は それ以上それ以下でもない・・・

2800:正子さん

 正子さん 画集完成 おめでとうございます。
 貴方は 9歳の時に尚恵学園に来られました。とてもガンバリ屋で何事も一生懸命に取り組む姿は、私達に沢山の勇気を下さいました。どのような言葉より、貴方の直向きに頑張っている姿が私には嬉しかった。最近は歩くことも不自由になり、車イスによって生活をされています。4月に寮の移動があって不安だったと思いますがどうですか?新しい寮に慣れましたか、この度、安部田先生より正子さんの画集を作りたいと相談を受け、真っ先に賛成しました。絵画教室に休まず通い、その中であなたが描いた膨大な数の絵、小泉先生や浅野さんありがとう、それと一緒に経室に通う仲間たちに感謝。尚恵学園では貴方の画集が3冊目になります。先の2冊、斉藤さん、大八木さんの絵は、ご本人が亡くなって遺作集となりました。
 どうか正子さん、これからもいつまでも元気で大好きな絵をもっと沢山描いてください。
 今回画集の制作にご協力いただいた方々の寄せ書きを紹介します。
 ☆ 障がいがあり、中々自身の気持ちを表現が困難な中、絵という心地よい表現場所を得られたことによって、正子さんの生活も変わってきました・・・・(藤枝)
 ☆ 彼女の半生は悩むこと苦しいことの多いものであったと察しますが、それにもかかわらず、正子さんの絵はいつも明るさに満ちあふれていて、その不思議さに打たれます。・・・・(安部田)
 ☆ 絵は競争ではないのだから、早くゴールに到達する意味などない・・・・(小泉)
 ☆ 正子さんは、楽しそうに、幸せそうに、いつもひたすら絵を描いています・・・・(浅野)
 私たちの日々は、ハプニングの連続、これはみんなが一生懸命生きている証拠、世の中がどう変わろうと彼らの生きる姿は決して変わらないと思います。
 ここに、感謝を込め、正子さんの描いた絵の一部を皆さんにご紹介します。(福祉)
糸賀 正子さん 画集完成

2801:初夏の頃

 急に日差しが強まり、日中の気温も30度と初夏というよりも真夏を感じます。水無月(6月)は、田植えも一段落、朝夕稲の成育具合を見回る農家の人の表情もどこか余裕があって、畦道で数人集まり立ち話をする姿をみかける。私がもっとも好きな季節となりました。
 でも、そんな事を言っている場合じゃないという思いを強くしています。昨日の衆議院の中継をテレビでみていて、正直、何がどうなっているのかさっぱり判らない。圧倒的な議席数をバックに政府は、早急に憲法改正を実現したいとしています。自衛隊の武力行使を認める新三要件、「日本の存立が脅かされ国民が危機にさらされる明白な事態」・・・・この議論を聞いていて、正直良く理解できませんでした。
 これは、恐らく日本人の多くが感じていることだろうと思います。不戦を誓い、武器を用いなかった日本が、今後明らかに違う道を歩む? その不安を払拭するには、相当な時間をかける必要を感じます。戦後の教育を受け育った人たちが急に持ち上がった憲法改正の話、正直、どこかよその国の話と勘違いしている人が多いのではないでしょうか。
 日本列島は先日起きた太平洋プレート深部での地震、あの揺れは3.11を思い出す長い揺れでした。その時東京で沢山のエレベーターが動かなくなったニュースがあった。それから口永良部島での火山噴火、レベル5は全島避難という異常事態、時を同じくして起こる自然の脅威に憲法改正という人為的な動きが重なり、誰しもが”不安”を抱いているように思います。一方では、株価が2万5千円を超えたとか、これは20数年ぶりの株高だと浮かれている。
 私はこのことの方が「日本の存立」が脅かされる事態だと思ってしまいます。
 ドイツのYさんが、いつも話してくれるのは、ドイツは先の戦争責任を関係国へ今も謝罪を続けている、そして教育の中で子供たちに丁寧に説明し、二度と同じ過ちを犯さないように一緒に語らう場を作っているという。
 日本は、その意味でどうなんでしょう? 隣国との関係修正をやっていると言いながら、現に進めていることの正当性?
  テレビ画面からしか知ることができない国民、それだってほんの一部の人達ですね。質問をする人の後ろで時々ヤジを飛ばしたり、笑い顔を見せる議員、恐らく彼らは皆、戦争を知らずに育った世代だろう。
 彼らに本当に任せていて良いのだろうかと考えてしまいます。
 私は障害がある人たちとの毎日の生活に追われ、国政での重要審議を見守る余裕が正直ありません。こんな自分が、何もわからず批判めいたことを言うのは間違っているかもしれません。
 自らの意見を言葉で示すことができない人達、彼らが今の動きを一体どう思っているのか、その視点でこれからも見つめて参ります。

2802:大雪山

 45年ぶりに大雪山の麓を訪れた。旭岳温泉は旭川からバス(旭川空港経由)で約1時間半で着く。途中、停車しながらだからで、まっすぐ行けば1時間もかからない事を後で知る。行き止まりが旭岳ロープウエー乗り場、折角来たのだから乗る。気温4度、雨とガスで視界は10メートル、残雪が多く、片道1キロほどの散策コースも危険を感じ途中で止めにした。それから翌日、旭川に戻ってレンタカーで十勝岳麓の白金温泉、、青い池の駐車場で車に雪を載せた方とお喋り、なんと十勝岳温泉は昨夜は雪だったと聞く。蝦夷地という言葉がその時頭に浮かんだ。北海道はスウエーデンと粗同じ面積、道南と道北では気象が全く違う。夏の格好で行ったものだから、急遽売店でヤッケを買った。
 思い起こせば、二十歳の頃、30キロの重さのキスリングを背負い、大雪山を縦走した。オボロゲな記憶でどこから入山したのか定かでは無い。それでも旭岳~十勝岳のコースだった事は確か。途中、トムラウシやオプタテシケ、美瑛岳を歩いた。
 今回、ある方に会う為に旭川に来ることになった。2日の午後新千歳に着き、そのまま特急カムイに乗って直接旭川に約2時間ちょっとで着いた、予定では3日に会える約束だったが、1日早く会うことになったため、十勝まで足を延ばすことができたのだ。ここまで来た甲斐があった。夜、5人で食事をしながらいろんな話を伺うことができ本当に良かった。私が最初に今の仕事についたのが昭和48年(1973年)、一年だけお世話になった国立の施設、O先生はそこで園長をされた方、いま、旭川で重症心身の施設を運営されている法人の理事長である。訪問した時、驚いたのは、実に綺麗に管理されている園内を見た。庭は職員が全て行うと伺ったが見事、職員数も400人程いらっしゃる重症心身障害施設(病院)では全国でトップの規模を誇る。80歳のお歳には見えず、抜群の記憶力と熱っぽく語る姿に圧倒され、ひたすら聴くだけの私だったが、札幌より同行してくれたK寮長との二人の会話は正直録音して皆さんに聞いてもらいたいものだった。
 何度か北海道に来ているが道北の旭川は45年ぶりの2回目、碁盤の目のようになった道路は・・通り・・条という表示で判りやすく、駅前も開発が進み見違えるほど立派になり、ホテルの数も増えていた。目立ったのは外国人旅行者の多さ、中国や韓国から来る人が多い。それと気が付いたのは、病院や福祉事業所の多さだった。後で判ったことだが、北海道は札幌や旭川に人が集まり、地方には病院も無いと伺った。北海道第2の都市、旭川も同じ医療や福祉が都市に集中する昨今の日本の特徴をみる思いがした。
 北海道人の気質は、おおらかさ&大雑把だと言うO先生の話、広大な面積、なにせ人と車が少ない。自然の厳しさは内地に暮らす人には想像できまい。四季折々の動植物の変化は雑踏に暮らす人達には別世界、大袈裟ではなく人生観を変える力がある。
 幸い茨城からは北海道は実に便利となり、直行便があって1時間20分で行ける。
 我々の仕事は本来地道なもの、利用される方がいて、成り立つことを忘れてはいけない。それが、長年続けてくると気付かず時に横柄になったり、慢心が出やすいものだ。
 旅先でまた事業所内での虐待問題(山口県下関)がニュースに流れた。直接その現場を誰かが録画し、マスコミに投稿したものだった。
 その法人の理事長が謝罪のコメントをしていた。一瞬、頭の中が真っ白になった。
  大雪の雪の白さならまだしも、・・・・・・。貴重な時間が持てました。ありがとうございました。
 
 
 Sさんから下関で起こった虐待事件の詳しい情報を受け取った。ユーチューブに流れるニュースの内容は、明らかに内部からの告発である。今は凄いスピードで情報が伝わる。それも、動画だから問答無用。
 私は早速、コピーを取り、スタッフ全員に回覧することにした。
 今後、行政や福祉、医療、教育に対し、厳しい目が向けられ続けるだろう。それは紛れも無く、納税者への説明責任ということ。我々の本来の使命がボヤケています。ねがい・こころが蔑ろになり、そのチェックができない時代は不幸だ。嘆き悲しんでいる人達にどう手を差し伸べるべきか、この国は、そのことを真剣に考えるべきで最早崖っぷちに立たされている。

2803:今だから

 笑顔・・・・??? この言葉の前に”本当の”という字を付けてみませんか?本当の笑顔、どうでしょうか? 一瞬身構えませんかね。つまり、今笑ったのは、作り笑い?って自分に問うてみたら。誰も人生を振り返る時が必ず参ります。それは自ら老境に入ったと感じ認める時、あるいは苦しくて早くここから抜け出したいと足掻く時など様々です。あの人はいつも笑顔で良いなー!と言われる人をたまに見かけますが、そんな方に限って、恐らく・・・・・・。
 まあ 良いでしょう。これ以上穿鑿して何になる。
 身近な話を致します。新年度になって2か月がどうにか過ぎました。Nさんが元の寮に戻った。彼女の存在は、私たちにいろんな事を気付かさせてくれました。起きると同時に始まった”声だし”、その日によって違う起きる時間、早い時は朝の4時から始まった。結局、生活を共にしていた人達への影響が重なって、2か月という短い期間だったけれど、様々なことが出たり消えたり。本人にとってはどうなのか?なぜ?どうすれば良い?・・・・・・。
 いろんな方に相談した。結局は長年の生活から身につけたことを、そう簡単には変えられまいという事で受け入れるしか無い。
 Nさんが戻って、今、どうなったか? なんと、静かだったOさん、Aさんが変わった。きっと、自分たちの出番を今か今かと待っていた節がある。
 先日、旭川で盛り上がった話で私が強く心に刻まれたこと、それは、お二人の先輩の”生き様”、冷静+慟哭 冷静=思い&ねがい。慟哭=怒り。要は世を儚み憂うことは誰にもできる。そこで自分は何をするか!何をしてきたか!一生を障がいのある人達との心の交流(本当の笑顔)に捧げる決心、時には誤解を恐れず、声を張り上げ間違いを指弾、時には細やかな触れ合いに周りを構わず涙する。この迫力は、一体どこから生まれたのか?
 話を伺っていて思ったことがあった。最後は共感できる思いと行動力だと確信した。私の65歳という年齢は、通過点、仕事を辞して、お前は何をする。そのように自らに問うて、できた試はない。
 その通過点を踏めずに旅立った多くの知人や友に合わす顔がない。
 この国が危ないと思う一つに私はここにみる。それは数によって評価する仕組み、一番判りやすい例は選挙、相手より1票でも負ければ地獄(?)をみる。多くの友人を持つと言う方もいるが、その中で本当の”とも”をどれだけ貴方は持っている?その視座を曖昧にして、数合わせに夢中になる世相へ、様々な警鐘がなっているのを気付かない。今だから間に合う、今でしかできない事、それは必ず有ると信じていきましょうよ。
 
 
 大は小を兼ねない・・・・と思う事があります。スケールメリットとか言って、大きければそれなりの利点があり、事を運ぶのに小よりは何かと便利だと。 日本人が普段使う言葉に、”いい塩梅”というものがありますね。
 それじゃーいい塩梅(加減)って、どういう事よ?OJTとかTWI 、MTPと今盛んに参加費が高額な研修が行われていますが、意図的に計画性をもち継続することがその要諦だという。そうですか、そうですね。殊更に強調しなくても、ものごとってそんな事なんでしょう。
 生業というものは、所詮、思うようにはいかないことが多い。先ず、そこを良く掴んだ上で耳を傾けることが肝要かと。関東地方も梅雨入りしました。先程、茨城県南部を震源とした地震があった。備えあれば患いなしと昔の方がおっしゃった。でも、地震を無くす事はいかなる叡智を集めても、無理でしょうし、予測はできない。人智の限界、否、人間様が何でもできると勘違いした結果、どんなことが繰り返されているか?大は小を兼ねない。これ真理。

2804:障がい文化

 障害問題という発想は止めにしないと不味い。ならば どう言えば良いのか?そうだな・・・”文化”かな!(日本語の「文化」は坪内逍遥によるとされている。)
  広く知られている文化は、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含む複合された総体というエドワード・タイラーの定義。時代はそう言われた19世紀と大きく変わった。地球規模で起こっている環境破壊、国と国の争い、非人間的は犯罪など、次から次に新たなことが出てきて、それをどうするかという緊急の課題に直面している。文化を語る時、一体誰のための文化なのかがいつでも問題にされてきた。
 身近な例でいえば、障がい問題という発想にそれがピッタリとあてはまる訳です。現実には、個々の問題もこの地球がもたなくなれば全て水の泡となる。日本がいまどうなっているのか?その答えをはっきり言える人はいない。何故かといえば様々な理由があります。障がい者への偏見や無理解は過去も現在もあり、それと同時並行で自らの幸福を望む価値観に異を唱える人はいない。それが相容れない矛盾と片付けてしまって済む話ではない。
 本来の個人主義や自由主義には、相手を認め合うという条件がつく、それがスッポリ抜け落ちた実態をどう変えるか、・・・・・。
 昨夜、私の事業所内である打ち合わせを行った。他の事業所が設備が良くなったら、こちらの寮の不備が目立ってしようがない。それをどうするかという検討をした。
 その時思った事は、あの人がいなければ壁を壊すこともない、奇声(?)も無くなって他の方が静かに過ごせる・・・・。正直に言えば。家にもどりそのことを考え始めたら眠れなくなってしまった。≪誰のための・・・・≫という視点と本来の使命が重なって整理がつかず紙に書きなぐる、どうやっても良い案が浮かばない。
 いつの間にラジオで『明日への言葉』を聞いていた。夜が明けた。今朝の放送の内容は「ソロバンの新たな可能性をもとめて」という話で、その中でソロバン文化という言葉があった。ハットした。アナログとデジタル。便利さと不便。問題と考えると何も解決ができない。文化・・・ぶんか・・・
 言い訳はしたくないが、周囲の目を気にせざるを得ない自分がいます。そのことを今年はずっと考えている。有りの儘を認める事に程遠い現実、人は無責任なことを言う。アイツは右が左かと、言う奴には言わせておけば良い。問題と考えると好戦的になる自分をモロに感じます。だから”文化”と置き換えて。
 障がい文化を自由に語り合える企画をある人たちと練り始めています。
 その集まりに私が声を掛けたい人の名前を何人か挙げてみた。すると不思議なことに、皆さんが何らかの”障り”をもっていることに気が付いた。視力が衰え、外出が不自由な人。狭窄症の手術を受けたばかりの人、・・・・・・結局、程度の差はあれ此岸には誰一人として障りを持たない人はいないということなんですよ。
 
 
 昨日、水戸である会合に出席しました。来年4月にスタートする「障害者差別解消法」、これに対し県独自に制定した権利条例との絡みを今後どのようにしていくかという事を話し合いました。法律の中で言われる『障害者への合理的配慮』、国や地方公共団体へは法的義務、民間事業者へは努力義務??? 正直違和感を持ちます。だってそうじゃないですか?障がい(困っている人)を持っている人がいたら、貴方ができることをしなさい・・・という教えは今はないのでしょうか?何か腑に落ちない。
 これって、いま国会で審議されている憲法解釈の議論と同じような気がします。知らなかったでは済まされず、だからといって制度や法律でどのようにしばっても抜け道を探し出す方はおりますよ。もっと悪いのは、法律を作ってそれでお終いってことなんだと思います。

2805:お願いです。

 下関市で起こった福祉事業所内での利用者の方への虐待事件、ああ・・また起こってしまったのか! 動画によって流された情報は様々な所にその波紋が広がっています。それもあっという間に。どのような理由があろうと許されることではない。この種の報道に接し、私はいつも怒りとはまた違った意味の衝撃を受けます。上手く言えないのですが同じ障害者支援に関わる自分達への警告と考えています。他人ごとではない。
 なぜ今になってメデアが挙って取り上げるようになったのだろう?彼らは本当の実態をどこまで判っているのか??? ハッキリ言って今の日本の福祉の現場は多くの問題を抱えています。それへの対策が充分ではなく、同じ過ちを繰り返す。昨日、ある方と電話で話をしました。ある県であった今日の出来事、母親が障がいを持つ我が子を殺め、自分も死のうとした。母親は一命を取り止めたそうですが、・・・・。障がいが重く、集団生活が困難なその子は、どこでも受け入れてもらえず、将来を悲観した母親が一緒に死のうとしたそうです。
 まだ、その事件は公にはなっていないようですが、でも、そのような悲しい事件は今の日本には虐待事件以上にあるのではないかと私は思っています。利用を断ったという経験はどこの事業所でもあるはずです。その理由は一様ではない。この解決策として、制度や仕組みをどのように変えても私は無くならないと思っています。一時、入所施設(24時間365日)への世間の目は厳しいものがあった。施設から出て地域での生活(グループホームなど)を奨励、そこまでは良かった。しかし、この国では地域で障がいのある方が生活をするには多くの壁があります。人々の障がいに対する偏見や自ら進んでその仕事に携わろうとする人が増えないどころか減っている・・・・などなど。
 何か問題が起これば、公に知らしめる。この事で一体何が変わるでしょうか? ”見せしめ”と言えば言い過ぎでしょうか。その影響は計り知れない、この国の将来を危うくするほどの問題に発展すると思っています。介護の問題を国もメデアも挙って取り上げています。それは当然なこと、否定はしません。だって自分の事だからですね。でも福祉という言葉の持つ意味は、老人だけ子供だけ????とは 違うでしょう、今まで障がいを持っている人達の声を世間は真剣に耳を傾けてきたでしょうか???
 ”障がい”という字をどうすべきかある時期、よく議論をしましたね。それも障がい者への理解を深めるには一つの方法であったかもしれない。
 私達は今年60年目を迎えます。記念式典をという声もありました。でも私は理事長としてその気持ちにはどうしてもなれなかった。何を祝うのか!という自らにいくら問うても納得できる答えが見つからなかった。それは、私共を利用したいと言う人達でそれが適わなかった人、それと30年~40年、共に生活をしている利用者の皆さんの思い”願い”が頭にあるからです。
 今更いう事ではないと思いますが、公共の電波という特権を有する方々にお願いがあります。事件が起こった時、その背景に何があるか、また、その後、関係者(事業者)がどうなったのかまで責任をもって貴方たちは報道するべきだと私は思う。そうでなければ、関係者はいつになっても救われず、誰もが今以上に他人事としてしか考えない国になってしまうように思えて仕様がない。
 ”おもてなし””絆”  それも良いでしょうよ、地方創生?それだって誰が異を唱えますか!でもちょっと視座を変えるだけで見え方がこんなに違うのかと気が付くことが必ず有ります。それが本来のマスコミの使命だと私は考える。
いかがでしょうか?
 
 
 午前中の法事を終えてから市ヶ谷で午後の会合に出席するために東京に向かった。秋葉原で総武線に乗り換える。土曜日だったからか、電車に乗っている客層が別人?若い人達のファッションがアニメに出てくるような姿、
・・・・平和だな・・・!! 東京という大都市、昼夜人が途絶えることがない。正直目のやり場に困った。2時間前に本堂で経を読んだ。この激変は、30度を超えるような暑さと気怠さが混じりあいファンタジー映画を観る思いだった。
 現実に今起こっていることと幻想が混在し、一種の白日夢の世界を上演、これを閉じるには相当の覚悟が必要だ。 

2806:天邪鬼表六

・・・・自身を『 天邪鬼表六』と号し、「和して同ぜず」の信念を貫いてきた。根回しは大嫌いで、反骨精神と気概が見受けられた。反面、ユーモアを忘れずに、「何事にも無駄はないよ」で少々の失敗は気にとめない・・・・・
 昨日の午後、ある大先輩の受勲祝いに出席して、配られた略歴の表紙に自宅ハウスで見事に育ったバナナを誇らしげに往年の先生の姿、その下に遠慮気味に添え書きされてあった。
 今も元気に83年の人生を歩んでいる、恐らく言いたいことは山ほどあるに違いない。先生との思い出を思い起こした。「おめーな。オヤジには随分世話になったな」いつもそれだけポツリという。正直、その後に続く言葉を期待しても何もでない。それは「おまえな!いい気になるんじゃーねーよ。まだまだだな」と言っていることは良く判っている。
 時を同じく、昨日の紙面に「皆がみなヒラメみたいに目が上を向いている」と今の政治家を訝るK氏、政界に長く君臨し総理にはならなかったが、存在感があった方だと私は見ている。ヒラメか? 上手い事を言う。ゴマすりという輩はいつの世にもいた。太鼓持ちとか自らの利にばかり関心があって、簡単に身の振り方を変えるタイプへの叱咤とみた。
 これも日本の危うさへの順位では上位にはいる。それと対局にある”無関心層”の急増、自分さえ良ければそれでよし。この価値観はどうしてここまで増殖してしまったのか?
 恐らく経済最優先の政策とどこかでリンクすると思う。豊かさ・・・幸福・・・正直、言葉の一人歩きではないだろうか? それじゃ、貴方はどう幸福に生きたいのと尋ねれば、多くの人が曖昧で特にこれだという事は無いように感じている。
  
 
 タクシーの運転手さんとの雑話。私は通夜等でタクシーに乗る位だが、この15分が実に貴重な時間となっている。もしかして神立の坊さんは話好きという事になっているのか?実に様々な話が出ます。昨日は、スマホの話から始まった、自分はスマホは使わない。運ちゃんもそうだと言った。それはどうかな?何しろ運転席にはズラリと新鋭機器が並んでる。マイクから何かのセンサー、それと前後を写すカメラにナビ、聴き放題の音楽、映画までそろってるそうだ。彼は言う、全て商売道具、待ち時間も車から離れることができないから。電話一本で住所を捜すには最新のナビが必需品。政治の動き、株価・紛争・韓国での感染症・・・など、多分待機時間に入手した情報か。短時間に実に多彩な情報を私は知った。
 仕事柄、いろんな場面に遭遇したに違いない。別れる時、「最近、おかしいよ」と運ちゃん、「うだな」と私が答えて車を降りる。たったこれだけのことです。
 いま景気が前より良くなったかという質問に良くなったと答えた人の割合? なんと7%だったと。(これ私からの情報)

2807:語りかけること・・

 悔やみが続いた。いずれもその日は東京に用事があって、土浦駅の駐車場の車の中で法衣に着替える。防犯カメラにどう写ったか?前回は白足袋を忘れ、今回は時間を間違え早すぎた。いつもヘマを繰り返す。また、お叱りを受けることになるかもしれません。
 斎場は2回とも偶然同じ、司会者も同じだった。「続けて大変です、・・」と言われたが、なんと答えて良いか判らなかった。
 いつも感じる。ご遺族から故人の生き様を伺い、なんと語りかけて良いのか判らなくなります。通夜の席で話をさせて頂く、偶然かもしれないが、2つとも奥さんに先立たれ、ご主人が喪主だった。そのお二人はどちらも障がいを持っていて、最初のご主人は大分前に脳梗塞で倒れ、車イス生活、もう一人の方は週3回の透析治療を受けていた。通夜に間に合うようにと時間を変更して今日も透析をしてきたと伺った。
 逝く人にとって、後に残していく家族のことが一番心配なものです。遺族は徐々に現実を受け入れて、これから先の自らの生活をどうするかを考えます。
  
 
  決算関連の会議が一段落しました。その後、休む暇(?)もない位で今年度関係の話し合いがもたれています。なんとも落ち着きません。
 「嫌だね、俺には関係ねーよ」といつの間に姿を眩ます、天邪鬼表六さま、私は貴方に憧れます。
前歯が折れた?欠けた?舌に触ってどうも気になって仕様がない。そこでいつもの歯医者さんに電話、4時ならばOK、
 「あああ。。。これね。老人になると皆さんこうなる」「ムッ・・・・」 「しゃーないな。入歯にするか」「ギク・・」   なんだい&なんだい!俺と一つしか歳が違わないクセに。
 語りかけること・・ そうそう、これも、語り合うことに繋がっている。 昨日、党首討論が国会であったことを7時のニュースで知りました。何でそんなに急ぐのですか?教えてくれません?
 ♪・・・ずいずいずっころばし ごまみそずい・・・・♪

2808:研修

     
 6月18日に法人内研修を開催しました。ボルネオから一時帰国されている中澤健ご夫妻にご講演をお願いし、やっと実現できました。中澤さんとは私が23歳の時、秩父学園にお世話になった時に知り合いましたから、早いもので42年が経ちました。奥様は徳島で知的障がいの方々、特に通勤寮でのご活躍は目を見張るものがありました。当時、尚恵学園でも通勤寮があり、地域での一般就労を必死になってやってきましたが、思うようにはいかず頭を痛めていました。ご承知のように国は制度を変えて通勤寮ではなく、GHでの生活に切り替えることにしたのです。当時、不安と期待が入り混じった中で私達もGHを地域につくり4人位の方達の生活を始めたのです。時間はあっという間に過ぎていきました。そして、日本中に沢山のGHが出来たのです。
 現在は9か所のホームに別れて1ホーム3~4人の世話人の皆さんのお手伝いをお願いして行われております。今回、無理をお願いしてご夫妻にお越しいただいたのは、厚労省の専門官時代にGH制度を作られた中澤さんと通勤寮で斬新な取り組みを熱心にされていた和代さんから、障がい福祉への想いを自由に語って頂きたかったわけです。本当は全員のスタッフに研修に参加して貰いたかった。でもそれは我々の事業所では無理なこと、参加したスタッフがそこで感じたことを口伝えで広がれば良いと思ったのです。
 モチベーションとチームワーク、この二つを掲げ、ボルネオのサワラクで実践されている写真とお話を通じてスタッフが何を感じたか?長く続けて行くとどうしてもマンネリ化し、そこにクリエテブ(創造)を加えたと話された。
 私の反省として、尚恵学園の歴史を語る時、いつも頭に浮かぶことがあります。今はどうなのか?これから先何をどうしたいのか?問い続けるだけで実践がついていけない、確実に老化に向かっている利用者の皆さんに対し申し訳ないという気持ちで一杯になります。昨日も緊急の手術をすることになった方や地域生活を始めた人のトラブル対応で研修には出られなかったスタッフが何人もでました。
 私が特に印象に残った言葉は、”障がい福祉”は一生の付き合いになるということ、傍にいつも一緒にいることはできない事ですが、こころで繋がっている関係をどう築くか!という言葉でした。 それとご本人たちの生の意見の紹介がありました。”よい支援しえん”ということはどんなものか?(上記右側写真)これは今年になって徳島で開催された集まりで本人たちが発表された内容とダブります。
 そのまた逆もあります。つまり”わるい支援しえん”とはどんなことなのか、必ず思い当たることがあります。
 この仕事に魅力を感じ、利用者の方達との触れ合いを大切にすれば、必ずお互いが良い笑顔になれる・・・・・・。
 制度や仕組みを考える前に、本当はもっとやるべきことがあるという事をお話になられたご夫妻に心から敬意を表したいと思い、ここに紹介させていただきました。≪ ボルネオに行きたいと思う人を募る。≫
 
             あかん支援しえん
◎ しえん者がかってにうごく支援。本人をまたない支援。
◎ 本人の声を聞かない支援。支援者の意見をおしつける。
◎ 頭からきめつける支援。
◎ きてほしい時にこない、こんでいい時にくる支援。
◎ ほったらかしの支援。
◎ ほうほうする支援。やさしすぎる支援(みんなつけあがる)
◎ きつすぎる 支援も あかん
            ★「徳島ともの会 本人たちの意見」より。

2809:続けること

 福祉の原点は、平和を問い続け、実践すること,言ってみれば地道な平和運動です。その時々の政治や思想に左右されるものではなく、本来人間に与えられた責務と権利だと私は思っている。この国が道を踏み外したと言う事は容易い。それで何が変わる?いま、この時期になっても自らの意思を示せない人がどれほどいるのだろう?低迷する選挙の投票率だけを指しているのではない。選挙は、相手があって自らの思いを託すもの、その相手が何を考え、何を実行するのかが曖昧模糊としていては、誰に投票するか判らないことになります。根本の問題は其処にあると私は思っている。
 世を儚み憂うることは自由だ。まさかそこまでこの国は規制はしまい。
 福祉の揺らぎは、経済原理が優先し始めた頃から始まると思っています。このまま進めば、この国に福祉という言葉は消滅するとまで言い切る人が増えている。これは、国の平和そのものの危機につながる。仏教は三界万霊に対し絶対なる帰命を基とする。三界は一国の民だけを指すのではなく、世界中の人々が対象である。それを否定するものはない。しかし、今行われていることは、この国を危険に陥れる敵を想定した議論ばかりではないか。結果はどうなるか?そこを明確に国民に示せず、何か不安を煽ることで誘動しているように思えて仕様がない。
 戦後、日本は世界に希なる平和を長く続けてきた国である。この国の歴史をみれば、江戸時代を除き、国内での争いが絶えたことはなかった。それが先の大戦の敗戦後に何故可能だったか? 私は、戦争の悲惨さを体験し知る人がいたことと先人達の国の存続をはかる智慧だと思う。その微妙な差が憲法解釈に大きな影響を及ぼしている。
 戦争を体験したことが無い人間がいかなる理屈をのべても上辺だけで説得力に欠けます。政府は国会の会期延長を決めたようだが、恐らく、国民に周知し、賛同を得ることなどできないと私は思っている。どうしても党内が一枚岩だとは思えない。
 原発の再稼働の動きも、全く同じ展開だ。今の豊かさを享受するために、将来へ負の遺産を残す。そしてその選択を国民に委ねると言いながら貴方たちは都合の悪い情報を出し惜しみしてきませんでしたか?大いなるものは、御見通しです。
これが私の僧侶としての立場である。福祉の原点は、平和を守り続けること。それを阻害するものは何かを見極める目を持つことが大切だと思っている。
  衆生無辺誓願度  煩悩無尽誓願断  法門無量誓願学  仏道無上誓願成   ・・・・・四弘誓願・・・・
 
 家族会の朝、寮の中がなんともザワザワしていてた。一人が大声を立てれば、それに反応しあちらこちらが騒然となった。何が原因か判らないが、恐らく利用者の方達にとって家族の面会は待ちに待ったことなのだ。
 少し落ち着きを見せたのは、コーヒータイムを常の如くとったあと。しかし、彼らの表情はいつもと確実に違った。それは言う迄もなく面会が有る方と無い方の違い。これは、我々にはどうしようもない事なのです。
 スタッフに脱帽、皆さんに幸あれ。

2810:この国が学ぶこと

 経済の原則を”最小の費用で最大の効果をあげること”、これは経済学の初歩で学ぶことです。今では数えきれない理論がありますが、この原則を抜きに成り立たない。
 日本を取り巻く環境は、諸説あって、国防や経済を殊更に取り上げ論ずることはいかなるものか! 本当に最少の費用で最大の効果をあげる仕組み、そんなものが有るのでしょうか?有ったとしても、長続きはしないでしょう。だって真似されますよ。終わりなき戦い、そこに価値を置いて遮二無二やっていきますよ。だが、この反省がされない。一度立ち止まって考えませんか。 
 アジアが世界の注目の的となった。それぞれ国の目論見で攻防が激しくなり乗り遅れないように必死だ。東南アジアで豊かさの象徴として君臨し続けた香港やシンガポール、そこから一歩踏み出せば、昔からの風習や生活が今も残っている。
 便利さという一面だけを見れば、大都市の優位は変わらない。でも、それは表向きなことで、見えない所では多くの問題を持っている。
 この国が今、大きな節目にある。それは、国の最高法規である根本法を改正するという動き、あらゆる手段を駆使し、今の政府はやり遂げたいようだ。そして、まだ充分国民に周知されていないと判断し、国会の延長を決めた。今後何をどうするのでしょう。ここまで便利になった日本で、国会審議の中味を知る術は限られています、週に1回ほどの国会中継と新聞からの情報しかない。先生たちが地元に戻り、有権者に説明するかと思えば、そうでもない。
 時折、流れる国営放送のTV中継、これだけ重要な審議をしているはずなのに、出席議員がニヤニヤしたりヤジを飛ばしては失笑を買うとは。この人たちに本当にこの国の将来を任せて良いのか?と私は思っています。最近、参政権の年齢を18歳に下げた。
 この世代がまさにこれからのこの国を支えて行く人たちで、果たして、どう判断できるのだろうか?
  今の義務教育の中で、戦争や原発事故の実態をどこまで学生に教えているのだろうか?
 また国の豊かさをどう説明しているのでしょう。高齢化や少子化への国としての対応や具体的な対策の進み具合、更には、それを誰が行うべきかを。
 ある面では日本が後戻りできない所まで来てしまった事もあるでしょう。その確かな実態を知らしめる教育の現場が果たして有るのかどうか。

 最初にあげた経済原則を”最小の労力で最大の幸せ”をえると読み替えたらどうなのか?まず、この国は持たなくなるでしょう。お札をいくら印刷しても足りません。返す努力が抜けているのですから、違いますか!
ここにきてまた持ち上がってきた3Kと言われる職業差別。明らかに偏見と蔑視です。
 いずれ誰しもが齢を取り、出来たことができなくなる。その時、誰もが自己責任としてその不自由さを受け入れるだけの覚悟があれば良いだろう。
そんな事を考えると、この国が学ぶことは何か? いまとは別のことのように思えてしまう。
 

Top