究163

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NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日  NO   テーマ  月日 
2771  立場  3/20  2776 26年度総括  3/30  2781  こちら側の・・  4/8   2786 マラソン  4/20 
2772 自己管理  3/23  2777 27年度の価値  4/1 2782  叱咤激励  4/10   2787 人気商売  4/22 
2773 きっかけ  3/25 2778 スイッチ on   4/2 2783  スローグッパイ  4/13   2788 肝心要  4/23 
2774 陰陽の燮理  3/26  2779  あんしん   4/3 2784  笑った・・・!  4/15   2789 智に働けば・・  4/27 
2775 器・・それぞれ  3/28  2780  しあわせ?   4/6 2785  願い  4/17   2790 希望的観測  4/30 

2771:立場

  臨機応変や応病与薬という言葉は、変化に応じて適宜な手段を取ると言うことで、自らの考えをも変え有利な方にすり寄る日和見主義とは違う。終始一貫、私はこれで参りますと頑なに自分の考えを曲げない人間も少なくなったがそのような方に私は魅力を感じますね。気が付けば前に語ったことと真逆のことを言って指弾され、その言い訳に必死になる方は多い。それよりいただけないのは、気付かず当然とすましている人間でしょう。
 今風に言えばグローバル社会になったのだから自国だけの利害だけでは物事はすまないと。グローバルってどんな意味?モノの本によれば、「世界的な・地球規模の」と解釈することになるそうで、より損得による交渉事が増えるはず。別に私は支持する政党はないが、極、庶民感覚で今の国会の動きを見つめている。何故こんな時に笑え声が出るのかと腹が立つ事があります。恐らく、議員の皆さんの頭がデジタル化(?)してしまい、何かの刺激で涙が笑いに切り替わるのかもしれない。斯様に誤解を生むような言動が無意識に発せられるのに、重要な外交交渉で通訳を介し此方側の真意を上手く理解してもらえるのでしょうか。
一国の最高法規と言われる憲法を時の政権の思惑で変更することは如何なものだろう。国民投票によってとは言っても、国民一人ひとりに丁寧で判りやすく説明した訳ではなく、充分理解されたとは思えません、あまりにも性急に事を進め過ぎていませんか?急ぐ理由さえ示されない。
 国会というのは紛れも無く国権の最高機関で唯一の立法機関であるわけですよ。主権者は誰かと言えば、これは疑いなく国民であります。でも、議論が見えてこないというのが実態です。もっと開かれた国会にしてどのような議論があったのかオープンにすれば良いのではないですか?皆さん、そう思っていますし選ばれた貴方たちの当然の義務ですよ。
 野党に対しても言いたいことは山ほどあります。予算委員会で何が今重要なことなのか理解に苦しみます。NHKの全国放送という千載一遇のチャンスに限られた時間内での質疑、政治とカネ、国営放送のトップとの感情的な遣り取りなど週刊誌の記事になるようなことは追求しやすいテーマかもしれません。如何なものでしょう。貴方たちからは、この国をどうしたいのかという具体的な発信をあまり感じない。だってそうじゃないですか?追求する側が追求される立場になることだってあるのではないでしょうか。献金問題など、まさにそうだと思う。
 視聴者に失望をもたらせ自らの墓穴を掘るようなことを相も変わらず続けているとしか思えない。
 国会中継の間に人身事故で電車がストップしているテロップ、その間、私用のゴルフでハイヤー代がどうのこうのという遣り取りが流れる、これって滅茶苦茶じゃない?平和ボケと言わずして何という。
 金属疲労で部品交換の時期がとっくに来ているのにそれを騙し騙し使っているようなもの。その後、日本のトップメーカーの耐震ゴムの問題が流れた。どうしたニッポン!しっかりせい。
 
 今 私たちが一番大切なことは、自らの慢心を省み プライドを捨て他(自然)から学ぶ謙虚さ それと誰しもに与えられた立場(置かれた場所)と向き合い 先ず自分で出来ることから始める。これしか無いんじゃないでしょうか。 

2772:自己管理

 ” あれ・・幾つになんのよ?”幾つだと思う?””70・・かな””もう コーヒー おばちゃんの所で絶対飲まねーかんな””何よ 私の歳だ・・・・えへへへへ”
 いつも利用するコーヒー店のおば様、どうも最近つれない素振り、暫く行かないからだわな。エレベーターの鏡を見た。なるほど疲れているんだわな。そう思われても仕方がねーか。仕事柄 あまりニコニコしていてもマズイ時がある。これが少々狂ってきた感はしていた。通夜の席で笑う訳にもいかず、長年 坊さんをやってきた職業病(?)だと思っていますが、最近は涙腺が緩み、感極まってお経が読めないなんてことがあるのです。
 私より若い人が逝ったお別れの席など、言葉に気を付けていますが、どうも 難しい。彼岸の中日も無事終わり、これからは静かな境内になると思っています。今年はいつになく落ち着きませんでした。建物は完成し引き渡しも済んだ寮、引っ越しまで残り1週間を切った。考えれば考えるほど不安が増す、長く現場を離れている為だろうが、妙に気になって仕方がない。あれはどうなった?ここは大丈夫?・・・・等々。
 二日間、新採職員の内部研修、全て現場が企画、担当者を決め、一人30分の予定ビッシリの研修はお疲れ様、今年は8名の新採を迎えた。職場に慣れ、早く戦力になって欲しい。他にパートでお願いする方も増え、全体の職員数は大分多くなった。それだけに新たな苦労も増えている。
 ただ、良い事なのかどうなのか、増えれば増えたで職員不足感は無くならず、寧ろよりその思いが強くなる。これは、分業化がすすむからで、現場はどうしても今までできたことができなくなれば手不足と思ってしまう。
 このバランスの管理が大変だ。
 いずれにしても 健康管理が最重要、こればかりは一人ひとりの責任で行う他に方法はない。やたら最近は横文字が増え、辞書の手を借りないと判らない。コンセンサス、コンプライアンス、コンセプト、なんだいこれ?日本語を使えと言いたくなるが、時代が変わったと考えるべきなのだろうね。
 でも、尚恵学園を利用される方はどうだろう?
 確実に近づく認知症への備え、貴方は十分ですか。これが突如として起こるとしたら、いずれこの国は、人口の半数が認知症ということになるかもしれない。その時、ヒョッとしたら 今起きている様々な事件が半減するかもわからない。
 

2773:きっかけ

 V字回復ということがあるとすれば、その条件とは何があるだろうか?
 某法人の変化、今までは全てが事勿れ主義(?)であった経営陣があることがきっかけで変化する。ひたすら無事にという消極的なやり方が何らかの事件が起こり、必死にそのもみ消しを行った。しかし、相手はとっくにその事は承知のうえ、言い逃れできない行動に移す。あわてたのはそこまでは想定していなかった当事者・・・・・。
 何かの”きっかけ”で変わるチャンスは、猛省と反骨心(闘志)があって可能となるもので、どのような指南書を引いてきても通り一遍の事は書かれているが、現実に起こっている状況に上手く適合できない。要は関係者がその問題とどう向き合うかで、最終的にはそこに関わる人間の問題。
 変化の兆しは、組織の決定機関(理事会)の在り様で大体判る。何も意見が出ないような会は、恐らく今の時代、現状維持もできず、没落の一途を辿る運命しかないと考える。これを、事業所の体質?とだけは言えまい。
 私は先ず理事者の責任だと思っている。何か疑問があれば確かめる。おかしなことがあれば指摘する。隠蔽と事勿れで良しとする人とそうでない人の構成バランス?否、前者のタイプは早くお引き取り願うことが肝心。決して日本人の美徳ではないのだが、細かい事は言わないでシャンシャン シャンタイプは今時いらない。
 人は安住の場を求め彷徨うもの、これは人類の有史以来から変化なし。相手がいることを忘れてしまうと不都合が生まれます。冬眠中のクマではないが、春になり穴から出て周りが一変したのに大慌てではいただけない。
 正直、福祉の業界はその傾向が無かったとは言えまい。変化の兆しは、大分前からあったはず、それを知らなかったとは言わせない。何事も同じだが、先を見通す力は経営者に必須の条件。
 何かに変えようとする国の動き、全ての政策にありますね。その攻防は十分ではないが国会審議から伺えます。社福の在り方検討会の報告書を良く読んでみると、特に驚くようなことはなく、全てが想定内の事です。それを今まで先送りしてきただけで、ここにきてどうにも財政負担が堪えきれなくなって期限を決め改正することになった。
 果たして今の日本で大きな変化を期待できるかといえば、その可能性は少ない。何せ史上最悪の借金財政の中で国が動いている。
 国を一つの事業体と考えれば、既に事業を継続するのではなく、廃業処理に突入したと言えまいか。それを株価やインフレ率という数字で曖昧にさせてしまう。
 何を変化のきっかけにするか?それを掴むのは、恐らく知識や能力ではなく、動物的な感覚かもしれない。

2774:陰陽の燮理(しょうり)

前項で触れたことの続き
 易学で陰陽を説く、それはこの世に存在する全てのものが陰と陽の2種類の気の消長によって成り立つと言うのだが、難しい・・・。燮理という字、これまたあまりお目にかからない。字引きからの請け売り、陰陽を燮理するというのは、2種の異なった気を和らげ治めることとある。人間以外の生きモノならば、恐らくそんな難しい理屈を捏ね回すこともなく、程よく整っているのだろう。
 ここでちょっと横道へ。スーパーに並ぶヨーグルトの種類、その多さには目移りする。聞いた話、同じものばかり食べていると効用がなくなり、寧ろ菌の悪戯を招くとか、だから種類を変えて食べなさいと。この説には少々 下心を感じてしまうが、恐らく当を得たものだと私は思うのだ。
 昨夜も目が覚めて虚ろにラジオをかけたら、NHKに対する国会審議が流れていた。最近話題にのぼったトップへの疑義、NHKには経営委員なる人が13人いて、そこで会長の人事などを決めることを知った。同じ国営放送のイギリスのBBCと比べ、その仕組みが大分違っていることが判った。この部分だけを聴いていると今時、そんな事が許されるのかと思ってしまう。
 日本は戦後欧米から制度や法律を学び真似たものが多い、焼野原から見事に復興を成し得たことは奇跡とも言えましょう、でも多くの皆さんが絶対にアメリカのようにはなり得ないと判っている。政治に関して二大政党なんて問題外、その全く逆の実態がきわだって目につく。政党助成金があることがその一因かも知れぬが本気になって変えようとしない。先の民主党政権が短命に終わったことで見えてきたことがある。それは政権が交代しても官僚組織は変わらないという”もどかしさ”。政管癒着と一概に言えぬ事情は、内輪の問題として勝ち負けを決する水面下での熾烈な争いが歴然と存在する。これが国だけでなく地方まで同じ流れが固定してしまった。我々庶民は戸惑いこそするがどうすることもできない。その端的な証が低調な投票率となる。沖縄の辺野古移転の問題は、国政と地方政治の今後を見るうえの分岐点(試金石)だと考える。地方創生を旗揚げし、特区認定も盛んだが肝心要の議論は今まで先送りされてきた。ここに至って高飛車で横暴な言動が気になる、寝る子を起こすようなことを何故するかと党内で反主流派と主流派の議論が有るのか無いのか?・・・・万が一、黙して語らず、長いモノに巻かれろ!ということならば、問題は深刻だ。
 最近は(1970年代)嘗てのように若者がヘルメットを被りジグザクデモする”元気”もなく、スマホなる玩具を与えられて議論を避け自分の世界に閉じこもる。
 どうして私はこうなっちゃうの★
 負のスパイラル? チクショウ 腹の虫が また騒ぐ。
 
 小休止・・・ ”希望”があるとすれば、これから生きて行く若者達、貴方たちはこの国をどうしたい?と問い続け、失敗を恐れず挑戦しなよ!と大人達は将来を託したいのだ。残念だが60歳を超えた我々には、10年先20年先を思い描く力は極めて弱い。
いま甲子園での全国高校野球を観ていて思う事、昔に比べ負けたチームの選手が悔し涙を流す姿をあまり見なくなった。ちょっと不思議な気がするが、恐らく地区代表として甲子園に出られたということで目的を達成したということなのかもしれない。あるいは頂点を目指すという、その頂点の魅力が逆に曖昧になったということなのかも知れません。不自由さを昔ほどは感ぜずに育つ環境は、疑いなく戦後の日本が努力によって勝ち得た「豊かさ」(?)。
 ・・・・・が、自分達だけでなく、相手があってのこと。
 グルーバルな時代、これは日本だけが勝ち組になることが許されないという事ですから、新たな価値観と発想が大切なんですよ。

2775: 器・・・それぞれ

 その器にあらず・・・・・自分自身をそう言って笑いながら誘いを断る。私のオヤジがそうだった。
 正直、私はその域に達していない自分を感じているが、必要以上に自虐的に振る舞うのもいかがなものか? こんな事を考えたりして、ところ構わず歩き気持ちを落ち着けている。
 今日は、法人の役員会がある。新しくなった建物のお披露目と合わせ、まだ設備が整っていない事務室で行う予定。何人かの人から竣工式はいつするのか問い合わせがあった。「うちは やりません。」すると怪訝そうな顔をされる方もいた。少しだけ私の思いを語れば、「利用したくともできない人がいるのに」 これが一つの理由。まっいろんな事を言う人はいますし、今までに竣工式に私は何度出たか判らない。来賓の祝辞、順番を気にしたり、リボンの色で区別したり・・・・挨拶を聞いている側になれば、正直同じような内容の話を聞いても耳に入らず・・・・・・。いつも違和感をもっていた。これも一つの理由。
 それと 今時、世間の人達がなんと思うかである。調子にのって俺たちの税金だろう。これが偽らざるホンネではありませんか。
 感謝の気持ちは言い足りないほどあります。設計管理や建築に携わった人達。それと私共新参者を受け入れてくれた地域の人達や心配してくれた行政の方達・・・等々、職員には、その人達への恩に報いるには、本来の我々の役目を果たすことで返せと言っている。当然、自らも肝にしかと銘じている。
”器”の話をちょっとだけ。器量という意味ですが、器に入る量は最初から決まっていて、オーバーすれば外に毀れ粗相となります、それを弁え自分で上手く量をコントロールするのは難しい。それと右か左か、白か黒かなど面倒なこと、それなら最初から手を出さないほうが余計な気苦労せずに済みますね。
 引っ越しを3日後に控え、某職員が初代理事長の銅像は持っていかないのか!バチがあたるぞ・・・・と。利用者の皆さんが、引っ越した後に銅像だけがポツンと残すのは可哀相だということなのだ。それを聞いて、私は実に嬉しくなった。
 今は理事長の顔を知らない職員が半分以上、でも30年以上尚恵を支えてくれたスタッフが何人もいる。この人達になんとお礼を述べればよいのか、その事が最も大切だと思っているのです。
 私の性分で時々我慢の限界を超えてしまう、そのような時に周りの人に不愉快な思いをさせてしまったと後で気付き自分の至らなさを悔いるのみ。
 自虐史観(じぎゃくしかん)・・・・過去の歴史観で負の部分をことさらに強調、正の部分を過小評価し今を貶める歴史観。これは太平洋戦争後に起こった両極の思想。
 それとは次元を異にするが、2代目としては創設者の偉業をどう繋げるかということが自分の使命と捉え遮二無二生きてきた。いずれ私も身罷る時もくるだろう、その時に余計な心配をさせたくないので、目立たず、されどひたすらに  を座右の銘とさせていただいた。悪しからず そして ありがとう。
 
 役員会の前に建物内を見てもらう。なんと1時間を超えてしまった。用意した5つの議案の説明をはしょり(?)ながら要点だけはと執拗に。その後意見をもらう。いやーいつものことながら、意見が彼方此方から出て収集つかず、議長の役を忘れ、一緒になって話に加わった。手前味噌になるが、尚恵の役員会議のいつものパターン、随所に出てくる貴重な話、これがあるから今が有る。確信した。これからも是非とも忌憚なきご意見を頂戴したい。
 

2776:26年度総括

 No:2590(源究153)から数えると186本が26年度内に呟いたもの、読み返すと一年経って何も変わらないことを懲りもせず連ねてきたものです、穴を掘って隠れたい。
 決して意図したものではないのだが、負の部分を強調しすぎたかなーという反省はある。心がけているのは、必ずその裏には目立たないが真面目且つひたすらに生きている人がいると信じているからできたこと。これは、知的にハンデイを持つと言われる人たちからのメッセージで私にはこれ無くして一歩も踏み出せない。恐らく私と同じような思いを持っている人も沢山いると思っています。
 総括とは言えないが、制度や仕組みは常に・・・ing、それがどのように変わろうともこの人たちが何を望み、どうあって欲しいのかということを追い求める覚悟さえあれば、改正など然程大きな問題ではない。
 そして、迷った時に創設の原点に立ち返ることがあれば、道を踏み誤ることもない。”共生”という揺るぎない願い(理想)を形にすることは、如何に難しいかを痛感します。敢えて愚痴を零せば、懺悔の気持ちを持ちながら、己の徳を誇るような振る舞いに対し、黙っていられない自分がより強まってしまった。
 福祉産業という新語は、この国に福祉という言葉が消滅しかけていることを示す。どこで道を間違ったのかと過去を探れば、それは人間の福祉(幸せ)をもお金で売り買いできると錯覚してしまったことだ。
 理想と現実の乖離が目に余る。それでいて何の声もあがらない今の在り様は、共生と格差と言うもとより相容れない矛盾に対し最早、戦闘意欲を放棄したことになりませんか。
 以上が私の26年度を振り返っての総括です。
 余計なことかもしれないが正の部分の評価は仏教で特に慎重にという教えがある。過大評価すれば慢心となり、それが無明となって道を誤ることに。個人の生き方としては、むしろ自らの徳は隠せと教える。恐らくは今の教育現場で然様な教えを説く場はないのだろうが、もともとは家庭がその役割を果たしてきたものである。
 先の戦争で尊い命を落とされた父親の恩に報いようと一心に生きてきた方達(遺児)を何人か知っています。親と子。家族とは。そして本来の幸せとは何か、世界有数の経済の繁栄を勝ち得たこの国で、その事を自らの生きざまで示せるトップ人材が果たしているのでしょうか・・・・・
  
 
 いつの頃からか、他人にどう見られようが気にならなくなった。今更、自分を変えようと思っても上手くはいかない。それならば、という開き直りが半分と誰かが認めてくれているという安心感、その誰かがは実在の人間でなく既に冥土に移った人たち、仏の仲間入りをして高見の見物と決めこんだ先人達である。
 この世に不幸が無くならないとなれば、誰かができることで手を差し伸べるはず。いま直ぐにはできない人もいるだろう。そんな人にも出来ることは必ずある。それは”NO””YES”という自らの意志表示を果たすこと。(4月に選挙がある)

2777:27年度の価値

 平成27年4月1日・・・・この日がどんな意味があるか、後々そのことを思い起こす時が来るはずです。尚恵学園が産声を上げたのが昭和31年(1956年)土浦市神立町1791番地、神宮寺の境内の住職名義の畑(現在あじさい)を基本財産として茨城県知事の許可を受けた。当時の申請書の写しが手元に残る。それは理事長が手書きで書いたもので枚数が13枚、その後、社会福祉法人の認可を取って知的に障がいのある児童の入所施設を始めた。平成27年(2015年)は60年目にあたる。本来ならば新築なった成人寮の竣工と60周年の記念式典を行うべきかと悩んだ。今までの歩みを後に続く人達に残し伝えることは私の責任だと思っているが、式典という華やかな催しを行う気持ちにはどうしてもなれなかった。昭和31年申請した書類に設立代表(住田綾子の履歴書)の家族が書いてある。そこに私は次男5歳と記してある。今年私は65歳で年金受給の歳となる。
 私が住む寺(観音寺)の本堂には、創設者夫婦の遺影の前に亡くなった利用者さんの写真が飾ってある。その数も自然と増え、毎朝その前で経を読むのが日課となった。すると一人ひとりの思い出が浮かんできて、上手く言葉で言い表せない。続けてきて、今感じているのは、この人たちが見ているから頑張れると思っている。
 彼らが過ごした時代を知っているからかもしれない、”奢っちゃ駄目”と言われているようにいつも思うのです。
 27年度の価値(意味)は、そうした過去と新たなスタートをどう結び付けるかという尚恵学園への命題だと考えています。どのような立派な事業計画を作っても、実際に形に表せなければ意味はない。どんなに素晴らしい設備になっても、そこで生活する人が本当に安心して暮らせねば。
 寮の引っ越しは完全に終わらず新年度を迎えた。春の帰省中に一気に引っ越そうという目論見も今は園に残る人が半数を超え、思うように作業ができなかった。
 昭和30年代、遠足や運動会の前日には家族が園に泊まって職員と一緒に準備をしてくれ、メンバー・家族・職員同志の和気あいあいとした雰囲気を思い出す。今それは残念だが無い。寧ろ園庭で私が草取りをしていると帰省できないメンバー達が近くに寄ってきて、目で訴えてくる。「どうして迎えに来ないの?」
 社会保障の手立ては昔と比べれば格段の差、それでどうなった? 国は示したではないか!施設から出て地域生活、できる人達は順次地域に移りました。もしそれをやれと言うのであれば一人に24時間介助者を付ける覚悟がなければ不可能です。そこまでこの国は保証するとは、どうしても思えない。
 ならば、どうする?この自問自答は、これから先も続くのは確実です。
 本日、新採用者8名への辞令伝達、その後 理事長が話すような予定が組まれている。
 

2778:スイッチon

 悲喜交々・・去る人来る人 27年度がスタートしました。法人の歓送迎会を土浦の会場で実施、主催は従事者互助会で全部で77名出席、これは過去最多だと聞いた。勤務中のスタッフもおり、パートの方も大勢になったので、総勢では120名を超す。飲めない酒を調子に乗って飲んだからフラフラ、このまま逝ってしまうのかと思ったが、後の祭りときたもんだ。私はどういう訳かお酒が入ると多弁になる。相手がどう思うかなど眼中になくなって、恐らく今晩だって気分を害した人もいただろう。
 判っているなら飲まなきゃ良いのに。変な男気があって、ダメなんだわ。
 遅れて参加した職員に引っ越ししてどうだった?と尋ねたら、「○さんがテレビを倒しました」「△さんは、食事を拒んでストライキ」・・・・あああああ 始まった~。相手も辛抱、こっちも我慢。
 9時前にお開き、途中コンビニでグレープフルーツジュースを3本買って一気に飲んだ。私にはどういう訳か悪酔い覚ましに効くのです。目が冴えて眠気ゼロ、テレビをかけると丁度、NHKBSでダウン症で書家の方の番組『お母さま
 しあわせ?』をやっていた。1時間ぐらい、頭がフラフラして、涙が止まらない。
 早速、NHKに勤める先輩にこの番組のビデオが手に入らないかメールを送る。全職員に観てもらいたくなった。難しい話をいくらやってもダメ、それに代わるものを前から探していたのです。これだ!ピッタンコ。
 久しぶりに雨が降る。乾燥し、新たに植えた木が可哀そう。ホースで水巻をやるには広すぎて、このまま雨が降らないと枯れてしまうと心配だった。それが、菜種梅雨?週間気象情報で雨マーク、良っしゃ!
 なぜかここ一週間は気合ばかりが入ってハイテンション、それを察知したか否か、我が家のミイちゃんは近寄らず。
 スイッチはonばかりではいけません、コマ目に消しましょう。悲喜交々  有言実行  率先垂範 不老不死  炊事洗濯????  ウ・・・ム。。。あと無いか
 

2779:あんしん

 知らないことの是非って何でしょうね。夕べあのケニアの大学で70人の人達が銃の犠牲になったというニュースが流れた。今こうしてパソコンからのさだまさしが唄う『風に立つライオン』を聴いている。ケニアに医療活動で渡った若き医師のことを謳った曲。キリマンジャロと広大なサバンナ、そこで自然と共存しながら暮らしている多くの人々、私はアフリカは知らないけれど、今の日本で忘れてしまった何か大切なことが今でもあるように思えてしようがない。そのケニアで起こった今回の事件、何故なんだ? 中東地域から広がり続けている人間同志の殺し合い、最早、誰も止めることができない泥沼と化している。
 人道支援と言っても相手から手放しで受け入れてもらえる事ばかりでは無い。ひとつ間違えれば、相手にとって憎しみとなりうることもあり得る。安全(?)な日本にいて、何が原因で殺戮(テロ)が止まないのか判らないと思うのです。
 だって、そうでしょう。嘗ての日本だって知らないうちにドンドン戦争の深みに嵌っていった訳です。
 子供の時から何不自由なく生活してきた人が知らないことがある。そして、その人が声高に自らの正当性を訴えても心動かない人が必ずいます。一方、余儀ない不自由な生活を送らねばならない人が、そこから抜け出そうとしても出来ない人もいます。
 昨日、寺で葬儀がありました。80歳の方でした。永代供養を頼まれ、4人の位牌を預かった。古くなった位牌はその方のお母さん、享年31歳、昭和21年に満州で亡くなったそうです。大陸の奥地に渡った家族、日本が敗戦濃厚となり、家族は身一つで日本に帰ろうとしたそうですが、病弱であったお母さんは現地で生き途絶え、已む無くそこに埋葬された。父親は当時10歳のその方の手を引き、どうにか日本に戻れたそうです。
 その後天涯孤独となり、お母さんの実家のある神立に預けられたのでした。私は、その方との面識はありません、親戚の方から伺った話です。
 その頃、私の父との出会いがあり、世話になったとご本人が話していたと聞いた。その後、神奈川で10人以上の人を使うまでになっていたとも伺った。川崎の斎場で荼毘にしてからお骨を寺に持ってこられた。骨壺に収める時に入りきれないほどの骨があったと聞いた。瞬時に思ったことがあった。病弱で家族一緒に日本の土を踏むことができなかったお母さんが我が子を健康に生み育てたから・・・(感謝)180センチを超える大きな人だったそうです。
 安心は次のものに感謝をもって託すこと、独り占めできないと判っていても、それが難しい。
”あんしん”  前項のNHK放送の「お母さま しあわせ?」は実在する方をドラマ化したものです。あの場面で誰もが涙を流したと思う。そして同時に生きる勇気をもらった。再放送があれば、多くの人にみてもらいたい。

2780:しあわせ?

 ”しあわせでした”・・・・という言葉を呟きながら人は逝きたいと思う。「あなたの 子として生まれ」「あなたという子の親として」「あなたと出会って・・・・・・・」
 もし、こんな社会が築けたら、これこそがユートピアでしょうね、そして、安心は遺していくものに”感謝”をもって託すことから生まれる、私は2足の草鞋を何度ぬぎたくなったことか、そんな時に何故かハッと気付かされる人との出逢いが必ずあった。
 法律や制度は、悪用すれば本来のねらいとは大きくかけ離れたものとなります。ハッキリ言って高齢化に”超”という冠をつけ、問題視する国は未だ成熟できていない国である。制度が改正され、介護度により利用を制限する。介護度4以上なければ特養は利用できないと決めた・・・・・。ならば、おねだりして介護を重くしてもらおうと考える人も出るでしょう。全国津々浦々に介護度認定審査会が作られています。私も昔、その委員をやったことがあった。書面上で人の実態が判断できるのか?大きな疑問でした。そもそもこの国には、お年寄りをどうとらえるかという視座がないと思う。高齢化=負担という発想から作られた仕組みでは、根本の解決がうまれません。
 社会保障を充実するには国の経済力が必要との決まり文句、それに代わる案がなかなか出てこない。どうしても解決できない矛盾にぶち当たる。それは格差です、豊かさや能力を数値化する社会の仕組みにどうしても馴染めないものがある。それが情・・・心の動き・・・と言われるもの。幸福度はどんな尺度をもってしても計れまい。 世の中に”苦”というものを体験しない人はいない。それを誇張し、これだけ自分は頑張ったから今こうしているのができると言う方はいます。
 ”苦”が当たり前と思えば、それを取り立てて言う事もないのにと私は想う。それと”老”これも苦と同じ、多くの人が体験する事。
 人は四苦八苦しながら、喜びや悲しみを誰かと共に感じ、慰め勇気をいただいて生きて行くもの。そこに”思いやり”や”助け合い”の心が育つ。・・・・・・・。
  
 
 日曜日の朝、職場に行くと気になる声が下から聞こえ、覗いてみた。寮が変わったTさんの声だった、これが噂の声か。休みなく発する声「ウヲー ウヲー・・・」は、気にならないと言ったら嘘になる。傍についていたら、時々手を挙げ元の寮を指して訴えている(?)ように感じた。どうにか朝食をすませソファーに一緒に座っていると、Uさんが脇に座り「みんな引っ越したから誰もいないんだよ。仕方がないでしょう」とTさんを説得している。その傍で○さんは「尚恵学園の○です。よろしくおねがいしまーす!」と繰り返していた。
 昨日、一時帰省して帰ってきたばっかりのTさんの寮が変わったばかりでした。
 仕方がない&思い通りにいかないよなー。彼女の心の中を覗いて観たい気になったが、ガードが固く難しい。
 
 月曜日の夕方、厚生園から成人寮に移る方で7名のうち2名が引っ越していった。もう一人のYさんは体調が悪く、もうしばらくこちらで過ごすことに。今まで使っていた駐車場には車が急に減った。夕方、様子を見に新しい施設に行ってみたら駐車場は車で一杯。何か複雑な気持ちになりました。今回を機にスタッフの異動も行った。
 障がい福祉の難しさは、一人ひとりの特性があり、それが際立っていること。尚恵学園の最高齢者は70歳を超えている。昔なんでも自分で出来た方が、今は車イス、そうかと思えば力がはち切れそうな方が利用する。東京の喧騒とは違った独特の世界、それぞれ自分の気に入った場所があり、そこで自らの気持ちを落ち着ける。声を出すことも、服を脱ぎ棄てるのも、動き回るのも・・・そのように考えて私は今まで付き合ってきた。これからも そうでありたい。

2781:こちら側の・・・・

 菜種梅雨は春の季語、植物が芽吹くために必要な水分を獲るためには欠かせない天からの恵み。低気圧前線が関東の南側を通過するので北からの寒気で一気に冬に逆戻りとなった。最近の気象の変化は、体調を狂わせ、気分まで滅入らせてしまいます。
 年度切り替えの人事異動で関係者への挨拶周りで忙しい時期、私みたいに全く動かないのは良いのか悪いのか?だが周囲は目まぐるしく動き、毎日がハプニングの連続です。立ち止まってなどいられません、即行動に移す。これが習慣化して、逆に何もない時に体の置き場所に困る時もある。
 
 慣れは思考を麻痺させる。今の尚恵学園現場の状況をみると、変化は人間を動かすと思った。自分の反省として、現場になるべく顔を出そうと思っている。すると今まで見えなかったものがやたら目につく。何故?
スタッフの忙しく動いている様子を見れば、止むを得ないと納得できる。自分がそのカバーをできないもどかしさ。
 利用者の家族との関係も忙しさを理由に大分手を抜いてきた。その影響が出ている。昨日は某家族の方に来ていただき、今後の話し合いをした。恐らく「引き取ってもらいたい」と言われると相手は思っていたようだ。それは全くないと伝えると急に饒舌になって、今までの苦労話を一気に話してくれた。
 緊急に病院にかかる時に困るのは家族でないと説明や処置をしてくれない。これはいつごろからこうなったのか。恐らく国のお達しで全国医療機関に周知徹底がはかられたのだろう。救急車で病院に搬送したのは良いが、家族との連絡が取れないケースが増えている。今年になってから、既に3回救急車のお世話になった。

  今では複数の保険に加入するなど珍しくない時代、このまますすむと、どこからも受け入れを断られる人が増えるのではなかろうか。今もって診療拒否や入院お断りがあるという実態は、一向に無くなりません。
 本日は4月8日で灌仏会(花祭り)、関東地方は季節外れの雪となりました。自然は人間の自由になりません。勿論、人間同志だって 思い通りにいくことってない。イラ立つのがお嫌いならば、こちら側を少し変えてみたらどうだろう。本日お生まれのお釈迦様がそう仰った。  じゃーどう変える? それは貴方がお考えになって下さいな。

2782:叱咤激励

 『なにを グズグズ言ってるんだい! やるしきゃー あんめー』
 図星だわな。参った1本。友人からの叱咤激励(?)に感謝。昔ならば、・・・うるせい こちとらのことも 知らねーくせに ホッといてくれ・・・・と憎まれ口を言ったはず。それができなかった。
 坊さんだって人間だ。悩みはありますよ。湿気を十分含んだ土壌に、気付けば一斉に草が背丈を伸ばしています。いよいよ私の出番、軽トラックに乗り込んで、ところ構わず草刈開始。周りの畑を見回せば、一番管理が行き届いているのは、小分けにした?坪菜園、鍬をいれた跡も一目瞭然、種を撒き終えた。一方、プロの畑は、見事に栗の木が植えられ、その下をトラクターが草を踏む。周辺に住宅ができ始めた頃から、農業で生計を立てる人はいなくなった。冬の寒風に土埃が近所迷惑と気兼ねしながら畑を守る。これからは草がほこりを防いでくれるので好都合。これがこの国の農業再生の実態なのでしょうか。友人で先祖から受け継いだ農地で頑張っているのは2人だけ、一人はレンコン、もう一人は果樹栽培(梨)。
 彼らに言わせれば、売れる土地なら良いよ。でもな・・田んぼじゃ買ってもくれねーし。やるしきゃーあんめー・・・・。

 話を変えます。私がグズグズしている訳。今は使わなくなった建物を解体するのに、驚くような費用がかかると知った。それが下がる見通しはないという。その理由は捨てる場所、キュービクルって知ってますよね。電気代が安くなると言われ今5か所に設置、その一つを止めたいが捨てる場所がない。聞いた話だが北海道に一か所だけ受け入れる場所があるという。
 東京はこれから建築ラッシュ、更地に立てるのではないから、今ある建物を解体しその場所に建てるはず、その費用は凄い額と思う。ただ、そんな甘いことは言っていられまい。捨てる場所が無いのです。
再生可能・・・・どこかで聞いた話・・・・すると捨てる以上の費用がかかる。そんな仕組みに気が付いた。
 そして、原発問題、使用済み核燃料問題はどうなった? 私は難しい問題だと思いますよ。国内で受け入れる所が出てきますかね。
それより、毎度同じことで恐縮ですが、見ましたか?国会審議(参議院)答弁する側、質問する側、真剣みに欠けるんじゃないだろうか。どうなんでしょう私が天邪鬼なのかなー。
 知人が宮城県で同じ施設をやっていて、4年前の津波で新築したばかりの施設が跡形もなくなった。これも今回の竣工祝いを控えた一つの理由。そしたら”何を 片意地はって”という話が漏れ聞こえた。
 私には できませんよ 言っておきますが。
 朝、Tさんの顔を眺めてから どうしたら良いか 考えることとしましょう。妙案はありません。可能性はある。本人がなんかの切っ掛けで変わるか、周りが有りのままを受け入れるか!!!
 ★ 「茨城は 大丈夫? イルカが海岸線に沢山あがって」 遠くに住む方から電話を頂戴した。4年前にも同じような出来事があった。その時が震災の前だったか後だったか。今回、浜に打ち上げられたイルカの数は150頭もいた。可哀相だからとイルカに水をかける市民。何か不吉な事が起こる予感、専門家によると最近の低温が敏感なイルカになんらかの影響をもたらしたのかもしれないとコメントしていた。
 近年の異常気象、春先の今の時期は気温の変動は昔からあったがそれとは違うように感じます。
 一方では、株価が2万円を超えたと浮かれている。金への執着は止まることを知らず。一方では浮かれ、益々自分さえという思いが膨張する。また一方では憂かれ、自暴自棄な言動が目立つ。恐らくイルカが発する信号を真剣に受け止めようとする人は少ない。国全体が浮かれ、足元で何が起きているかというアンテナは既に機能停止となっている。
  TさんやSさんが発する声(?)がもしそのことを伝えようとしているとしたら、・・・・・私の受信機も相当古くなった。
 

2783:スローグッパイ

 スローグッパイ(ゆるやかな別離)・・・・元レーガン大統領のナンシー夫人がアルツハイマーに罹った時にご自身が語った言葉と言われている。
より良き別れのに向けてお互いが準備する時間が残されているという考えが”認知症”介護の要、今は痴呆症という言葉は使われない。言葉の問題は障害(がい)福祉と比べ、歴史は浅い。日本語は注意しないと語る側と受け取る側に誤解が生まれます。短歌や俳句を嗜む人は、言葉の持つ力を自らの想いをのせ引き出すのが上手い。
『老人の福祉が商売になる社会で老いたくはない』 四国に住む内藤さんが認知症になった奥様をひとりで介護し、看取った経験を歌にした、そのことをNHKラジオ(Am:4~)・・ 明日へのことば ・・で松井久子さん(映画監督)とS先輩の放送から知った。
 いずれ誰しもが迎える別れをお互いがより良きものにしたいと思うでしょう、それが出来ずに現実に起こってしまってから悔やむ人もいます。より良きものとは、一言では言えないけれど、介護を負担と思うのではなしに”生きがい”となれば、凄いと言えますね。一人で誰に相談することもできず、疲れ苦しんで共倒れしない為に必要な支援は必ずあります、それは全てを任せっきりということではない。お互いがゆっくり考える”とき”を持つことで、感謝や思い遣りの気持ちが自然にうまれてくるようです。
 最近、私が気になっていること、去年、全国手をつなぐ育成会が会員が減って社会福祉法人を解散した。障害者が減ったというのであれば頷けます。そうでないことは確か、寧ろ障害の種別ごとの分類が進み、それぞれが独自に動いている。連携があるようで無い。
 『福祉が商売になる』というのは、国がそのように誘導したと私は思っています。そう言うと必ず反発がありますが、そんな人に限って自らは足を踏み入れず外からモノを言う。それに、より深刻なのは、家族でさえも同様に考え諦めている人が増えていること。
 福祉の商売を加担すると言えば言い過ぎかもしれません。だったら、貴方のお子さんがいつでも待っているのに・・・それに 貴方は出来ない言い訳が先に出ていませんか?
 福祉には、共助が条件で、包み隠さず、語り合える関係が制度以前にあるべきです。
 そうでないと、リスクが高いものに手を差し伸べようとする人が今以上に減ると思っている。そのことを私は言いたい。福祉をオブラートに包むような社会は決して良くありません。
 スローグッパイ ・・・・ ゆるやかに そして 産まれてきて良かったとお互いが 心から言えて 許し合えるような    そんな時間が残されているのでなければ 今以上にこの国の将来は危ういものとなるように思えて仕様が無い。

 少子化と高齢化 経済的豊かさの論議に隠れ  日本が戦争に向かっているような危うさを お互いが自分たちのこととして語り合える国 それが 今一番必要だと私は思います。 
 
 Sさんは日曜日が仕事休み、いつも近くの会社に自転車で通勤。屈みこんで何かをやっている。タケノコの皮をむいていた。「これどうしたの?」と尋ねると誰かが折っておいたのを拾ってきた。タケノコを食べたいから作ってもらう・・・それは根の部分が殆どなく、途中で折れたものだったから皮をむけばドンドン小さくなり食べる部分が無くなった。「お寺のタケノコを掘っていいよ」と私が話すと、どこがお寺の竹藪かとたずねる。それを恐らくどこかで聞いていたと思われるMさんが、私が車で通りすぎようとしたら、他の家のタケノコを掘って得意満面。『うっ  ここじゃねーよ。怒られちゃう。ストップ ストップ』「大丈夫、去年から話をして判っているから  ホレ 掘る道具も貸してくれたっぺーよ」
 後で その家の方に誤りにいくと、「ああ M君ですね。さっき掘って届けてくれましたよ」 聞くと掘ってあげるから 少し貰いたいということのようでした。スロー ライフ スロー グッパイ 脱帽・・・・参りました。

2784:笑った・・・!

 Nさんが 笑った・・・  午前中 寮内の掃除 新聞紙を細切れにしたものを水に濡らし、皆で床を掃除。これはいつもの日課でようやく平成27年度が動き始めた証。新しくなった寮もあるが、古くなった寮もある。そこは他人には見せたくない現実、壁はたった一人の方のために穴が至るところにあいている。途中応急に修理した跡はみれるが、どうも格好の良いものとは言えません。今日、設計士に来てもらい、改修工事の打ち合わせを行う。トイレや風呂、それと壁や建具、おそらく工事期間も数か月はかかるかもしれない。そうなると現在利用されている方達の居場所をどうするか?これが大問題。
 何だか知れないが、常にどこかの工事をしているように思えて仕様が無い。有難いことには、職員達が工夫して我慢して使用してくれているから、どうにかもっている。
 ま・・・・ いつまでも夢心地ではいられない。現実と向き合っていかねば。
 そんな時だ。掃除中に覗きに行ったら、Nさんが寄ってきた。手を差し伸べたら私の手を握り返し、ニコニコしながら大声で笑った。勝手な解釈をすれば、私に初めて笑顔を見せた瞬間。彼女はどうみても掃除をしているようには思えなかったけれど仲間の中に加わって歩き回っていた。
 だから どうなんだよ?と言われても構わない。私たちの仕事は、この瞬間が支え、メンバー達の笑顔や一生懸命さ、そこに言葉はいらない。一人ひとり、実に 見事に 個性的・・・・彼れがどうして一緒に生活できるのか?
 不思議なんですね。凄いんですね。 これぞ醍醐味、彼ら一人一人の包容力・・懐の深さ・・と言えまいか。
 あの日 あの時 こんな事があった。その記憶もオボロゲながら、私にとっては”たから”。 その反面も忘れまい。涙・悔しさ・悲しみ・・も沢山経験した。
 茨城県では全国では早く障害者の権利条約を作った。私も準備会に参加したが、障害種別に関係なく、当事者が集まって何度も話し合いが持たれ、県議会全員一致で採択され、今年4月1日から開始した。
 もし障害が有ることで何らかの差別や不都合、生き辛さがあってはならぬ。国連の障害者権利条約の批准の前に県単独でスタートした。
 恐らく、我々事業所への手厳しい意見や要望も出されることが想像できる。つつみ隠さず有りの儘を見てもらい、どうすればそれが良い方向に向かえるかを一緒に考えていきたいと思う。

2785:願い

 朝の7時、玄関先に座っているDさんの姿を見つけた。明らかに何かを思い悩んでいるように思える。30分以上が経っただろうか、まだ同じ場所に座っていた。気になり、傍に近づいて話かけてみた。彼は少し頭をあげ、目で私の顔を見て、また下を向いてしまった。
 そして、いつもと違う行動を取った。Dさんが片腕を私の肩に伸せてジッと動かない。「・・・・・・・・」 暫く そのままの格好でいた。「どうしたの?」「・・・・・」「何かあったの?」「・・・・・」「嫌なことがあるの?」「・・・・・」
 どう話しかけても一言も言わない。ただ肩にかけた片方の手から尋ねるごとに重みを感じた。
 私をジッと見つめる彼の目が潤んでいる。一瞬彼の入所した当時の事が頭に浮かんだ。4歳だった。妹さんとは1つ違い。兄妹二人揃っての園生活のスタートの日をハッキリと憶えている私は、ずっとこの重さを感じながら、今日まで来た。今そんな風に彼に言ったら、彼はもう一方の手で私の顔を思いっきり叩いたかもしれない。私は彼の顔を正直真正面から見ることを避けてきた事を認めなければなりません。一番それを知っているのがDさん。
 やっと、肩に掛けていた手が軽くなったのを感じた時、それとなく話しかけてみた。すると周りを気にするようにゆっくりと「ウン」と頷いた。「何か 言いたいことがあるんだね」、少し間を置き、今度はもっと大きく頷いた。
 想像できることを幾つか言ってみると、全てに彼は頷いた。唯一、彼が首を振ったのは「友達の中に嫌な人がいるの?」と尋ねた時だけ否定した。
 入所から40年以上が経っている。そう思った時、正直私は大変な責任の重さを感じたのです。堰が崩れたように一気に彼の願い事が流れるのを感じたのです。
 人は様々な願い事を持っている。Dさんの願いは、無謀で欲張ったものではない、極々細やかな願い事、それすら自分が彼に応えられなかったという自責の念。
 彼とまた話をしようと約束して離れた。
 確かなこと、それは現に生活を共にしている仲間たちは、本能的(?)宿命的(?)にお互いを許し合える何かを持っている。それが私たちには気になってどうしようもない彼らの奇声や尋常ではない行動(?)を彼ら自身は受け入れている証だと言えまいか。多分それは一緒に生活しているから感じ合えるもの・・・・・。
 これこそが源だと判っていても できなかった私に無言で彼が伝え続けていること。
  
☆ 障がい福祉をどう考えたら良いのか。言葉では上手く言いきれないものがあります。敢えて例えればマラソンかな・・・?誰だって全力疾走では続かない。疲れたら休んでも良いよ。水分補給も大切、寒風の中を走るより、暑さの中を走ることのほうが体へのダメージは強い。他の人が休んでいればホットするけれど、休まず今だ!とばかりに走り続ける人もいる。
 今日、お腹が出たメンバーばかり(尚恵部屋)が温水プールに出かけた。午後、同じスポーツジムにエアロビに行ったグループもあり。それから 絵画教室もあった、成人寮に引っ越しした Iさんがこちらに来てA先生と楽しそうに話していた。
 あれだけ涙を流し嫌がった彼女が遊びに来てよと皆に言って廻っていると知った。
 人生 まんだら  こちらが想定した通りに行くことって10のうち1つも無いんですよね。

2786:マラソン

 かすみがうらマラソンが大勢の参加者を迎え行われました。今年もスタッフが何人か走った。私は正直自分が走れなくなって関心が薄れ、どうでも良いやと思っている。スローランニングというのが最近流行っていると聞いた。無理なくゆっくり走ろうというもの、これが歩くより2倍のエネルギー消化があるという。確かに歩きながら短い距離をゆっくり走っただけでも心拍数の変化を感じます。
 私の場合は、それだってどっちでも構わない。今は畦道に名も知らない小さな花が咲く、それを見つけ立ち止まって見ることと低空で飛ぶ飛行機を眺めるのが楽しみになった。5月連休前のお決まりの景色。田に水を入れ、畔の草を刈る農家の人達、見かける人は皆顔なじみ。声をかけると暫し作業の手を止め言葉を交わす。中には後継者がいなくて、80歳近くなっても腰を曲げながら作業をしている方もいる。時々見かける若い人は子供さんかお婿さんが休日だけ手伝いをしている。 
 平和を感じるひと時です。
 マラソンのコースが目の前になった成人寮、走る職員を沿道から応援(?)もするそうだが、裏方で参加している部門もある。早朝にまんだらのパンをスタート会場の福祉の店に配達した。
 珍しい方からのメールを確認、大阪の彼は今日腰の手術をすると書いてあった。その中に共通の友人のことも添え書き、その友達は視力が落ちてメールは止めたと知った。早速、二人に携帯からメールを送ると直ぐに返事が返ってきた。
 自分の病と上手く付き合っていきますよと偶然にも同じことが書かれてあった。もう何十年も逢っていないが、若い時に一緒に山登りをした共通の思い出が仲立ち、正直私が山を思い出すのは、昔登った山がテレビに出てくる時ぐらいとなった。
  軽トラックに乗せたままの草刈り機、先日、私のミスで壊してしまった。これからという時にこれだ! 仕方がないので昨日、新しいものを買った、・・・・・。普段手入れなどせず、使った儘にしておいて、いざやるかと言う時にエンジンがかからない。そこが素人とプロの違い。プロは毎年、農閑期に機械の手入れに相当な費用をかけている。次のシーズンに使えるようにするためだ。
 便利な世の中になればなるほど普段のチェックと準備が必要だ。これは何にでも当てはまることなのでしょう。
 今年私は65歳、出来れば若い時に戻りたい。明らかにマラソンで言えば、ゴールを見据えて自分の体力と相談する段階にきた。トボトボ歩いているか、それともギブアップ宣言し迎えの車を待っているか。
 できることなら、トボトボでも良いから自らの足で歩いていたいものである。
  
 ☆ 二人だけのお通夜・・・住職になった頃、周りに家が増え、お墓を造成した。初めの頃に求めた方は30年以上が経っている。その間、殆ど顔を見たことが無い方もいる。是非は別として、亡くなって初めてその方を朧げに思い出す。事情があって一人だけ埋葬される墓を20年前に自分で造った方、遺影を見たら何度か見かけた人だった。通夜席で二人だけの遺族に「お母さんは 何度も自転車でお墓掃除に来ていましたよ」と言ったら気丈そうな娘さんが急に大粒の涙を流し、「そうでしたか」と一言だけ呟いた。

2787:人気商売

 長寿バラエテイ番組”笑点”は初回が1966年だと言うから、50年続いている。一代目の司会者が立川談志で今の桂歌丸さんは五代目司会という。お笑いの世界は新陳代謝(?)が激しい、例の”一発屋”という人達は、人気を得た後が大変、あれだけ頻回に登場していたのにパタリと表に出なくなる。
 近年少なくなった師匠と弟子の関係を今でも大切にしている希なる業界だが、その中での競争は我々には想像できないものがあると思う。昨日の茨城新聞の一面にあった記事、新卒者で三年以内に仕事を辞める人が3~4割いるという。これは某一地方の問題だとは思えない。茨城は全国一の進出工場の多い県、働く場所が無いというのであれば、他県の実態は推して知るべし。退職を決める一番の理由が、そこで長く働いてもキャリアを積む可能性が見い出せないという事らしい。
 キャリアって何なの?と逆に質問したいところだが、若い人達の意識が実際にそうなのだったら仕様が無い。埼玉に四年制で『ものつくりの大学』がある。聞いた話だが、そこの三割以上が途中で断念(退学)するという。この国ほど様々な学ぶ機会が用意されている国は無いと思う。しかし、そこで学ぼうとする人たちの意識が伴わない。なんとも贅沢な話だとは思うが、もしこれが”豊かさ”への対価であるとしたら、今後の軌道修正は相当難しいのではあるまいか。
 ・・・故郷に錦を飾る・・・・立身出世をして生まれ故郷に帰るなんて話をしても、おそらくは相手にされないと思う。最近のトレンドでは、故郷は捨て、海外で過ごしたいが一番か。
 地方創生を叫ぶ割には、若者の大都市志向は薄れたでしょうか?時あたかも全国統一選挙のまっ最中、時々市議選の選挙カーがマイクで拡声した音を鳴らしながら通り過ぎる。全国で無投票で当選という状況が増えている。ならば議員の定数を減らせばと私なら考える。夜回りまでして相手陣営を牽制した時代は過去のこと、ひっそりとした選挙事務所にアルバイトの方がチラホラ見かけるのが実態です。
 これじゃなー・・・どうなんだろう? 
 昨日、葬儀あり、時間があって斎場の方とお喋りしていて、驚いた事が一つ。それは超有名な量販店がネットで葬儀を受け付けているのを知っているかと聞かれた。坊さんを登録制にして、紹介しているというのは知っていたが、
葬儀費用をランク付け、墓地がなければそれも面倒みると言う。一先に反応したのは、葬儀屋さん、土浦は誰がみても斎場の乱立で悔やみの新聞広告は出せないというのが常識、一方、我々寺院は、イマイチ反応が遅いとか・・・・。
 いろいろ考えるていくと、全てが自分自身に跳ね返ってくるもんです。そうですね、周りの事など構わず、自分よ しっかりせい!!!っていう結論になるようです。悪しからず。
 

2788:肝心要

 紙上に掲載されていた最近の有効求人倍率、1.7?(パートを含めた数字)を超えたという。早速、茨城県の状況が気になり、厚労省のホームページを覗く。26年12月時点の県内13か所の職業安定所の統計が出ていた。全国平均で求人倍率は22位、最低賃金は16位という。東京が何と言っても断トツでその格差は拡大している。茨城県内を見ただけでも相当な格差が見られた。13か所管内で私が住む土浦安定所は断トツに高い。(12月現在求人倍率1.86)求人数も最多でこの状態は定着している。(地域格差は広がる一方で県内でも0.5%台の所もあります。)
 要は、良く調べないと掴めない。一方では前項No:2787の如く、3年以内に約4割の新卒者が離職しているという現実は無視できまい。職探しに苦労しないからそうなのか、それとも他に理由が?これまた実態を掴むには、通り一遍の統計調査だけでは知り得ない。
 私的には、ハッキリ言って働く側と事業所側の双方に我慢(忍)が無くなっているという事になると思います。それと育ってきた環境、兄弟が多かった時代と比べれば差が著しい。それに加えて教育、教える側と教わる側の逆転現象、&、外野の騒ぎ過ぎ。
・・・・教以人倫 父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信・・・・要するに、人としての道が問われる前に権利の主張が過ぎるから負のスパイラルが起きるんですよ。孟子?なんて 古いと一蹴されても構わない。屁の河童。
 世の中に ご立派な御託を並べ得意になって平然としているように見せている輩がウッジョウジョ、内心は穏やかでない、それが化けの皮を剥がれ、雲隠れってことになります。
  中正な立場に慣れない自分を感じながら、悶々とした生活を送ることは体に応える。ならば、ハイ さいなら  と行きたい所だが そうは問屋が卸さない。
 今更 オカシイのだが”福祉”という言葉を調べてみた。自分の名前を調べるのも妙だが、新たな発見(?)をした。『福祉とは、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を指す』(Wikipedia)とあった。
 何か感じません? 「最低限の」という文字、今それがどうなっているか? これは貧民救済の発想が残ったものではありませんから誤解を恐れず言います。公的に援助するのは ほどほどにして、家族や地域が手を差し伸べて、それでも不足する所を公助によって補いましょうと考えるべきなのである。つまり、その人だけの自立という事は有りえず周りも一緒に自立する。いまこの国の家族の機能がおかしな方向に進んでいますから理屈に合わない事を後付けするしかない。
 それと同時進行で福祉サービスの競争がエスカレート、なんでもかんでも必要なサービスは私共にお任せという売り文句、でもお金が無ければ良いサービスはお預けとされかねません、誇大広告というのかどうか知らないが事業者が挙って自らを誇るもんだから、おかしなものになってしまいます。このままいきますと、国も地方自治体も一緒に財政破綻するしか先はない。働くという意欲を減退させるような政策を福祉国家と勘違いする先生たちが増えすぎた。
 本来の考えに立ち返るべきだと私は思う。共助&共生。元気なお年寄りの働く場を!子は親の手助けを!兄姉は弟妹の範となれ!これなくして”感謝”という文字が日本語から消えますね。
さらに言わせてもらいますが大変重要な事、実態をチェックする精度を高めねばならぬわな。 数字や文言を追う事はできるが、実態を読む能力が減ったんじゃないの。
 
 ☆
 お寺の駐車場にサイフと食べたゴミ??? 瞬間、車内荒らし!と思ってしまった。即、110番、暫く待つと警察官の方2人が来られ、状況を説明した。「住職さんですか?ご自分で草刈もするんですね。施設もあるのに大変だ・・・・」「いや~これ 私の趣味ですから」  そんな雑談を交わしながら写真を撮ったり周りを調べたり、実に要領が良い。 サイフにはお金が入っており、免許証もあった。恐らく落としたものだろうという事になって調書にサインをさせられ帰っていかれた。
 私の住む町は20人に一人が外国籍だと教わった。会社に勤め、ある時期が来れば祖国に帰る人たち、町にある郵便局も韓国語・中国語・ポルトガル語、そして日本語の案内表示がある。小さな国際都市?
 住む環境は変化するが、変わらないものが必ずあります。その価値をもう一度見直す時に来ていると思います。
 
    なにごとも 義務と思うと 気が重く   自ら すすんで やるが 楽なり    ≪ エッヘン ≫
          ”生きる”を 義務と思えば どうなるか? それよりも すすんで 望めば 陽が射すことも・・・・・云々 
      ☆ 昨日、I さんとお喋り。「おとうさん 死んじゃった」「・・・・」「おかあさん おばあーちゃん おじいちゃん」 指を4本たて 手を合わせた。
        「おにいちゃんは?」と尋ねると「おしごと!」と声を大きくした。その後、暫く二人でお話。  ○○ △△ ☆☆ ・・・・・・出てくる出てくる 良くもこんなに・・・
        ハッキリと覚えているんですね。 一瞬血の気が引く思いをしました。なんと 全員が既に亡くなった仲間の名だった。≪共に生きてこそ≫

2789:智に働けば・・

 ・・・・智に働けば角が立つ  情に掉させば流される・・・・『草枕』
 理屈を言う方は嫌われます、だからと言ってあまり温情主義になっては流されてしまう。漱石は斯様に世の中を住み憎いと表した。100年が経っても何も変わらない。戦後70年が経ち、総理がアメリカの両議院で演説するという、果たして何を語るのか、日本語は、漱石が語るように真意を相手に伝えることの難しさが付きまとう。恐らく総理が選りすぐった叡智をしぼり,草稿を重ねたものでしょうから。いずれにしても日本の立つ位置は微妙、私は恐らくどのような美文を尽くしたものであっても、相手の心に通じるものは、別にあるような気がしてなりません。
 ネパールで大きな地震が起こった。地球の歴史を少しでも齧ればお判りだと思うのだが、ヒマラヤ山脈の造山の歴史、まさにプレート同志がぶつかり合って地殻変動を繰り返してきた場所、日本は周囲を海に囲まれているが地形学的には全く同じメカニズム。私はネパールに行ったことがある。カトマンズの印象は色で例えたら茶色、レンガ造りの家が所狭しと建っていて複雑な路地に人々が屯して生きている。過去に何度となく大地震に襲われたにしては建物自体の耐震力は弱い。記憶はオボロゲだが、親父を連れてカトマンズに行った時のことを思い出している。大使館で紹介された障害者の施設を二人で訪れた、私の拙い英語で予約も無しに訪問した。その時に丁寧に対応してくれた職員のプラダンさん、彼はご自宅まで私達を招いてくれお茶をご馳走になった。その時、親父は突然言い出したことがあった。「If you don't mind, we will invite you for our guest」 私の通訳が可笑しかったかどうか定かでないが、笑顔と手真似で二人で彼を必死に説得したと記憶する。それが通じたのか、翌年、プラダンさんは単身、尚恵学園を訪れ、いろんな場所に案内した。
 彼は40代という若さで亡くなった。彼の家を今でも覚えている。2階づくり、一部屋をヤクの毛で折ったカーテンで仕切った簡単な家だった。その後何度か手紙の遣り取りをした。彼は出世し、最後は所長になったと聞いている。
 ネパールはその後、政治的に不安定な時期があって、外からの侵略に怯えながら今に至ったと理解する。世界1高いエベレストを誇りにし自然と共に生き続けるネパールの人達は必ずこの惨事から立ち直ってくるはずです。
 
 公式な海外訪問にはプロの通訳が双方に必ず付く、その遣り取りは、儀式的なもので、裏方で既に出来上がったものが公式発表されると伺った。
 マスコミは今回の訪問で総理が何を言うか世界が注目していると語る。私は 本当にそうだろうかと考えてしまう。アメリカは大統領制、議員の中だけでの選挙で選ばれたわけではなく、直接国民投票によって選ばれる。日本の制度とは根本的にここが違う。
 それは端的に言って、国民の意志を直接に代表しているとは言い難いこと。日本の議会制民主主義が2大政党になりえない一番の理由は総理を直接国民が選べないという仕組みにあると私は思う。この度の統一選挙は無投票当選と低い投票率がより鮮明になったこと。政治への無関心? いや、国民の声が届かないもどかしさか?
  急遽、日本もネパールに救援隊を送った。この政府の判断に、日本国民で反対する人は誰もいない。
   
 上野駅
 常磐線の東京乗り入れ後初めて東京に出た、目的地は浜松町、新橋で一度は乗り換えねばならず、それならば慣れた上野駅が良い。ホームはいつもの混雑はなかった。それと店、いつもなら買い物客でゴッタ返ししているのに、店員の方の呼び込みのほうが目立った。常磐線のホームがいつもとは変わったので、暫く迷う。
 ♪ 上野駅の夜行列車・・・・♪ は昔のはなし?終着駅が通過駅となり、人の流れが変わった。浜松町界隈の御昼どき、東京への一極集中を実感した。若い人が目立つ。この時間帯に地方都市は???
 ネパールも同じカトマンズの人口が急増、若者が故郷を捨て都会に流れる。そして 地震が起こった。

2790:希望的観測

 こうだったら良いのにな~!と思う、これがいつか実現するとなれば誰だってそうするわな。
 それが 単純でないから厄介、だってそうでしょう。毎日変化するしそれぞれ違う、万が一、それが出来たとしても必ず次なる望みが湧いてくる。こんな事を言った方がいます。自分はずっと引き籠りの生活をしてきた。何かのきっかけで「おもしろ日誌」を書き始めたそうです。1年ぐらい続けていたら、少しずつ変わってきたそうです。どのように変わったか?最初は”彼”とか”あなた”という人称で書いていた日誌がいつの間にか”私”という言葉に変わったというのです。ずっと”おもしろい事”は自分には関係ない他人事としてしか受け止められなかったからだそうです。
 羨むという事も同じでしょうか。ああなれば良いという望みはあるけれど、自分にはできないと諦めている。
 「おもしろ日誌」に、最初の頃は何も浮かばず、書けなかったそうですが、それでも何かを書くことにしたそうで、続けていてそれを読み返すなかで夢と思っていたことが現実に近づいてきたと実感。そしていつの間にか”私は”という書き出しで書けるようになったという。
 この話を聞いて思った。世の中に溢れる言葉、例えば「絆」とか「おもてなし」、「平和」「豊かさ」「協力」「助け合い」「支援」・・・・・・。私たちは日頃、この意味を深く考えることなど無く、素通りしていくだけです。
 原点回帰・・・・・これも同じです。意味の捉え方は十人十色。
 原点回帰を私はこのように考えるようにしています。昔の良き思いに触れ、今を省みる。例えば”制度”という言葉に騙されてはいけない。しくみやきまりはある意味基準でしかなく、それに満足できるか否かとは違います。
  
・・・・本日が良い日でありますように。 太陽が昇り、昨日までとはうって変わったような春めいた絶好の天気。 尚恵学園の一日が始まった。いつものように朝(Am:5h)早く、Nさんの大声で始まった。 着替え、洗面、食事の準備、この時間帯は忙しい。なにしろ一人ひとり違った動きをする。猫の手も借りたい・・・・・。日勤のスタッフとの交代。そして午前の活動。昼食をとり午後の活動。入浴、夕食、就寝・・・・・・。
 この繰り返しがあればこそ、今がある。これ自体を否定する人もいないわけでは有りません。
  当たり前とみるか素晴らしいとみるか、それは皆、後付けされたことで、その中で一つでも欠けたら 今の姿は無いかもしれない、細やかな願い事、素通りしてもさして気にならぬ出来事。これが本当は大切なのに誰もそう思わない。
 それならば、他にあなたは自分ならこうすると思っておいでになる。ふふーん!やってみたら良いでしょう。
 No:2788で触れた I さんの独り言。彼女の思い出の中に残っている人との記憶は、過去の良き思いを共有した仲間との彼女だけが持ち得る細やかな願い事。


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