源究 162

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 2751 鐘の音  2/3   2756 強かさ  2/14   2761 墨絵  2/23   2766 気付かないこと  3/8 
 2752 待つ大切さ  2/5   2757 追悼の文  2/15   2762 今をひたすらに  2/24   2767 気付いていて  3/10 
 2753 ワークライフバランス 2/8  2758 二足歩行  2/18   2763 多くを望まず  2/27   2768 素人経済学 3/15 
 2754 先に生まれし者  2/10   2759 流れ  2/20   2764 弥生  3/2   2769 無財の七施  3/17 
 2755 徳島にて  2/13   2760 浮かれ気分  2/22   2765 確定申告  3/6   2770 お彼岸  3/19 

2751:鐘の音

 朝6時、久しぶりに鐘楼の鐘が鳴った。正月三箇日の後、暫く撞かれなかった。体調でも悪くしたのだろうか?確かめる術もなく、気になっていたのだが、今朝6時例のごとく一回だけの鐘楼の鐘がなった。
 2月に入ってから、就職希望の問い合わせが急に増えたと報告を受ける。例年3月に切り替わる人たちが職探しをする時期だと聞いていたが、体験実習を条件に入れているので、果たして問い合わせされた方で何人が実習を行うかは判らない。尚恵学園の再スタートとの触れ込みは決して大袈裟ではなく、その覚悟で臨まねば、これからはできないと私は思っている。
 忘年会と新年会で利用されている方達全員が参加できたのは法人始まって以来初めてのこと、1対1で対応しなければならない人もいる中で3時間の宴を行うのは、相当な気配りが必要、それを見事にこなしたスタッフに脱帽、それと利用者の皆さんの千変万化の表情を間近で見ていて、この仕事の重さを感じました。決して片手間ではできないということを痛感する。
 福祉の仕事が3Kに入ると誰が決めた。無性に腹が立つ。それを許す国がもし今の日本であったならば、世界中の笑いものにされるに違いない。貴方らは、なんのために豊かさを求めるのか!どうなることが良いのか実は示せない。そりゃーそうでしょう。贅沢三昧の生活に何の疑問も感ぜずいるのではないですか。GDPでもGNPでも構わない。
 数字の微妙な変動に一喜一憂する国は、軸がないという事でしょう。この国の形を示せない。そうじゃないですか!
 昨日、参議院国会中継を車を運転しながらラジオで聞いていた。何か上辺だけの議論としか思えない。質問する側も答える側も迫力を感じなかった。これではなダメだな・・・今年も期待はできないと思った。
  今年、誓ったのは自らの足元を固めようということ、自分の頭の上を飛ぶハエを追えない者が何を言ってもだめ、それを確信したのは、昨年2度(厚生園と観音寺)の落雷をうけた私への警鐘だ。あの音は、いま思い出しても凄かった。人的な被害がなかったことがせめてもの救いだった。
  いま、日本では避雷針や防災設備の設置が進んだ。しかし、それで安心してしまい。いざという時にそれが使えない。巷には必要と思って作ったものが無用の長物となり、壊すに壊せずそのまま残っている。次から次に考え出した法律や条例も然り、作ってしまえば終わったと勘違い、緊急時にどうそれを活用するかまでは頭が廻らない。
 これを一般的には”ムダ”というんじゃないだろうか。
 

2752:待つ大切さ

 昨日、中高生の前で話を頼まれ、1時間ほどの話をさせていただきました。世話になった校長先生からの依頼でしたので断れず、正直あまり気が進まなかったのですが約束だけは果たしてきました。途中居眠りを始める生徒もあり、先生が態々起こし回るようになり、私は気になったので、どうぞ眠らせてやって下さいと起こすのをやめるようにお願いした。
 多分私だって居眠りをしただろうとその時思った。だってそうですよね。なんで自分たちが名も知らない人の話を聴かなければならないんだと思いますから。また、研修などで居眠りするほど至福の時はありませんよ。
私なんかいつでも眠くなる。
 それで、用意してきた話は辞めにして、本気になって学生に語りかけた。
 恐らく、最初に私の気が進まないという”隙”を彼らは感じ取ったのだと思う。それに途中で用意したCD(”風”ミュージックベル)を流したものだから余計眠気を誘った、・・・・・・。
 話が終わり、控室で校長先生と話をした。「悪でどうしようもない子が将来伸びる可能性があるんですよ。だから、教師は一対一でじっくり時間をかけ付き合うことが一番大切なんです」 待つ時間の重要性を話された。
 性急にことを進めようとすれば、反発がうまれ、そのはけ口を何かに求めようとする、私の経験からも頷ける。これって教育の原点だわな。それが、塾通いがお盛んで寝る間もない生活、だから子供たちは授業中に寝る習慣をつけてしまう。ああ・・可哀相!
  幸い会場で携帯を使う学生はいなかったが、今では学級崩壊など珍しくはなく、今の先生たちは大変だ。
 文科省は、いろいろと教育改革をすすめてくるそうで小中一貫教育などもその一つ。これは考えようでは生徒の抱え囲みと取れまいか。医療制度改革も全く同じ、入院期間を制限され介護事業を併設する病院が増えた。それを是として規模拡大をすすめた医療機関で膨れ上がった負債に動きが取れないところも増えている。これだって患者の抱え囲みですよ。結局、それにかかる経費は減るどころか逆に増え、同時に仕組みが硬直・複雑化し患者さんが戸惑っている。究極的には生命をどう考えるか?ですね。
 教育・医療・介護・福祉・・・・・日本はどうしてこうなるのでしょうね。それとお決まりの規制緩和、競合させてサービスの向上と効率性を目指すためという触れ込みは立派。これだって最初から結果は見えている。社会保障にかかる総経費は減るどころか、逆に増加の一途。なぜか??チェックが間に合わないのです。もっとも、あの手でくるならこうしますと教える業者はビジネスチャンスとばかりに元気です。根っ子の部分では何故か繋がっている、目くらましにあい、踊らされ右往左往しているのは現場。
 自由と平等、貧富の格差、権利と義務、などあげたら切がないテーマ、私はこんな風に思う。結果をあまりにも性急に出したがることの弊害、むしろ待つ時間に価値を見出し、それを楽しむこころの余裕が今一番必要とされているのではないだろうか。ペンキの上塗りで誤魔化すのはいい加減に止めにして根本から作り変えるほうが良い。その決断と覚悟が果たして有るか無か!
 知的障害の方達とのふれあいは”待つ大切さ”、これだけは間違いない。ゆっくりゆっくり・・・・・・。国に言いたい。社福の見直し検討(平成26年8月27日~)がされ、その報告が出されるようです。特に大きな変化は感じないのですが、法人の大規模化という裏の狙いは気になりますね。全く逆のことを貴方たちはやろうとしていませんか、一人の人間を大規模化した法人の中で完結させ、なにが良いのでしょう。ゆりかごから墓場まで・・・・とは耳触りは良いかもしれないが、その手法は福祉には馴染まない。それぞれの地域の特性にあった支える仕組みを根付かせて初めて可能となるのではありませんか。私はどうしても1900年代の旧ソ連でのコルホーズ(集団農場)を思い出す。福祉は一対一の関係で本人の意思をどう反映・実現するか、これは永久に変わらないものと思います。
 
  障害のある子供さんの親と話すことが良くあります。40年前と変わらない思い、それはこの子を置いて自分達が先に死ぬことはできないということ。私はこの仕事に初めて付いた時、その話題になると黙っているしかできなかった。
 いま、それがどうなったでしょうか?親たちの気持ちは同じ、寧ろその思いを語り合える仲間が昔より減っているのではないかとさえ思うのです。
  育成会活動の現状、福祉に関わる人たち、行政や政治に関わる人たち、ホンネで言い合える関係ではなく、綺麗ごと、事務的、我先にという言動が気になって仕様がない。それから限られた情報でしか判断ができないことが増えた。この子らのためと言う割にその心を感じない。上辺だけを作ろうとすれば、いずれメッキが剥がれ落ち、その人自身が後悔することになるだろう。私は先輩から”有りの儘に生きる人達”が知的に障がいを持った人たちだよと教えられ、この歳になり、やっとその意味が分かりかけてきました。与えられた時間の長短を思い悩むより、今を生きる。これだってあの人たちの生き様、改めて糸賀先生が語り続けた『この子らを世の光に』を考えてみたいと思っている。

2753:ワークライフバランス

 近年の労働政策の中でワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)という言葉が良く使われます。これは労働時間や非正規労働などの働く環境の問題の改善をはかり、誰しもがやりがいや充実感を持ちながら働き、自らの仕事上の責任を果たし、そして家庭や地域において子育て期や中高年期のそれぞれの段階で多様な生き方が選択・実現できることを目指すことです。
 世界中どこを見回しても様々な問題があり、その一例で貧富の格差拡大が原因となり、人々の不平不満がつもって、国や民族同士の争いに発展する。これは昔からあったものかもしれません、果たしてこの地球上に理想郷が存在するのかどうか。まだ見ぬ世界に望みを託し、人間は絶対なる神や仏を崇め、それに帰依することで自らの心のバランスを保とうとしてきたのです。
 あのアメリカでさえ、男性の89%、女性の87%の労働者がワークライフバランスの実現は不可能と回答しているとのこと。「Work-Life Balance Mastery & MOtivation Mastermind社調査)。
アメリカは多民族国家、それと賃金の較差が日本とは比にならぬ大きさだから当然頷けます。
 日本人は真面目で働き過ぎという調査報告もあり、有給休暇の取得を奨める時代流れである。でも、実態は職場で有給を取らずに働く人と当然だから休みを取る人との感情的なミスマッチもあることも事実である、
介護や医療現場の労働環境は、他業種と比べ厳しいという評判がいつの間にか定着、その所為かサービスの必要性を感じながらも自分は関わらずにいたいと考える人が増えている。そうではありませんか!
 現実に今この国で起こっている状況は、どうなんでしょうね。以前ならば考えもしなかった大企業同士の合併が急増、新しい企業名を見ただけでは何の会社か判らなくなってしまった。これも海外企業との競争に勝つために国が推奨している政策の一部。資本を増強し、体力をつけてから勝負に出る。
 ならば人間福祉はどうなる?働きたくともできない人も大勢います。その原因は様々あるが、それを本気になって突き詰め改善に取り組もうとする活力(?)を感じない。負の連鎖というのでしょうか、よく判らない。
 仕事と生活の調和・・・・これは仏教で説かれる、自利利他、少欲知足などに良く現われた生き方と言えようが、どうも、その辺りのことがスッポリ抜けてしまって結果だけを我武者羅に追い求める世相を危ぶむ。
  ☆ 福祉の仕事をしたいと言う人はいます。・・・・・が福祉や医療の職場でさえも、人を差別する現実があるということを 私達一人ひとりがどのように考え、共生社会を築く道筋を定め将来に望みをつなげるか!!!!!大きな課題ですが、今ならばまだ時間があるように思います。
 

2754:先に生まれし者

 ・・・・・・先に生まれし者よ。何を残すかでは無く 何を残したかである・・・・・・・
 今日から3日間、徳島に行くことになった。以前から話があった人達と会うために。皆さんは私と1周り歳の差があり、共通するのは、今も現役で熱く燃えるものを持ちながら実際にそれを形にしている方達。理想と現実は、所詮頭の中だけという人が多いなか私が知りうるそれとはまったく違う数少ない人達だ。忙しい方達なので、限られた時間での語らいだから、恐らく結論は出ないと思うが、何らかのヒントを頂けるものと期待している。それに元気を頂くことは間違いない。今回、声をかけてもらっただけでも既に勇気が出てきたように思う
 ついでにという訳ではないのだが、四国88か所の1番札所をお参りしてくるつもりだ。八十八寺あるその第一、自分は今年65歳になるから、ギアチェンジ。不完全燃焼で途中インストを起こすかもしれぬ。
 お恥ずかし話だが、思い悩まぬ日はない。それが、常に”何をどうする?”と問うばかりで実際に行動に移せず足踏みしている自分を冷静に見ているもう一人の自分を感じている。
 確実に歳を重ね、振り返れば様々な思いが沸々と湧いてくる。
 これから先を考えるから誰しも不安になるのだろうが、苦労や挫折を体験せず、達観したように振る舞うより余程良い。世の常として、楽な方に楽な方に向かってしまうことが多いのだが、それは多分、己の経験が浅いからだと言えよう。
 先人の武勇伝を聴き、身震いすることもあるが、いざ自分はと思うとしっかりとできない言い訳とガードを固めてしまう。
 早朝の電車に乗る時間となりました。一端閉じます。
 

2755:徳島にて

 10日~12日の3日間はハプニングの連続、それはそれは大変貴重な体験をしました。徳島友の会の皆さん(35名)が企画したACE地方会in徳島、今までに無い素晴らしい企画に感動。彼らは一人ひとりの役割を決め、司会から発表、それと弁当の手配全て自分達で企画したと伺い、最初はどんなものかという興味半分で参加したのでした。笑いあり涙あり、随所におもてなしの気配り、さすが四国遍路88か所の阿波の国、(発心)に相応しいものでした。
 そこで私が気付かされたことは数限りなし、後ほど整理して報告したい。
 告白することがあります。それは私自身がこんなにも物忘れが酷いのかと落ち込んだこと。中澤ご夫妻と加藤さんと私の4人で昼食を共にした、早めに帰る私に合わせてくれたのは嬉しかった。駅前のSOGOで食事が終わりお別れの挨拶をして帰ろうとすると、財布をいれたバックが腰についておらず、周りをさがす、3人も一緒に探してくれた。でも見つからず、飛行機のチケットは別のリュックに入れておいたから大丈夫、・・・・しかし、金がない。あわてました。でも親切な人が多い徳島、結局ラーメン屋さんに置き忘れたのを取っておいてくれたから、無事に戻った。中澤さんが『終わりよければ 全てよし』と独り言。加藤さんは遍路の1番に向かい、中澤さん達は奥様の実家に向かった。
 これで終わらない。急用が入り予定の便でなく一つ早い便に変更したまでは良かった。羽田からの快速モノレール(18分に短縮)にのり、浜松町、改札を出た時に、「アレッ リュックを背負っていない」急いで駅長室へ、なんと乗って来たモノレールは折り返して既に出発した後、駅員にどこに置いたのかどんなものを忘れたか聞かれ、「あと20分ほどで分かると思いますから連絡先を教えて下さい」と言われ、暫くホームで待った。丁度帰宅時間帯だった。引っ切り無しに到着するモノレール、観察していると約2分でピストン運行している。なんとも驚いた。しばらくすると私の携帯に電話、見つかりましたので後30分後に駅長室に来て下さいと連絡が入った。
 結局1便早目に変えたのに殆ど変らない8時に神立に到着。
 ハプニング連続、終わりよければ全てよし。
 「何を言う。甘いよ」と天の声、家に帰ると電話が入り、今度は施設で今日あったことを報告され、ああああああ・・・・・参った!

 ・・・・雨ニモ 負ケズ 風ニモ負ケズ・・・・・徳島で頂戴した資料にこんな事が書かれていた。、本当に元気を頂けた3日間でございました。

2756:強かさ

 
 徳島友の会の皆さん(上スナップ)が交流会の終わりに勢ぞろい、お礼の言葉の前、マレーシアのイバン族の踊り”ぽちょぽちょダンス”を披露し、参加者全員で一緒に踊って第1セッションを締めくくりました。
 今回の交流会は昨年開催するはずでした。それが四国を超大型台風が直撃、やむなく中止となった。(私は同じ日に、茨城で関東大会を開催している最中で参加はできませんでした。)そして年があけ、2月にもう一度準備し、今回開催に漕ぎ着けたのでした。会員の皆さんは地域での生活を実践、中には結婚された方、奈良や東京に移り住んだ方もおり、今回の交流会で再会を喜ぶ輪があちこちで見られた。2つに別れたシンポジュームでは、自分達の意見を率直に発言し、参加者へのインタビューも随所にあって、時間が経つにつれて会場内が熱気に溢れ、中には感極まり泣きながら自らの体験を語る方もあり参加者全員の涙を誘った。すると、会場から”大丈夫 ガンバレ!”との激励の声があがる。100名ほどの集いではあったが全員が一体感をもち、集中した素晴らしい内容になりました。私は門外漢という感じもありましたが、彼らの強かさにいつの間にか力を頂いていたように思います。
 その後、メンバーが働く徳島市内のカフェーに場所を移し、飲み物とケーキでの交流会に参加しました。私の脇に居られた車イスの方の支援者からいろいろ話を伺うことができた。彼らは広島県の呉市から車で3時間かけ参加したそうでNPO法人の支援事業所の人達でした。驚いたのは24時間在宅介護サービスを受けておられる方で付き添いの方2名とご本人の3名で参加したのです。伺った話によれば毎日3名の支援者が交代で在宅での一人生活を支えているということでした。NPO法人が急激に増え、各地で様々な事業展開がなされていることは知っていますが、なんとそこの事業所では50名近いスタッフで様々な事業を行っていることが判りました。
 今回、確信したことは、支援を必要とされている方達は大勢います。一方支援をする人たちが増えない。これが今の日本の医療や介護・福祉の現状です。その根本の原因は何か???
 一夜明け、昨日は県の医療審議会の定例会に出席、やはり福祉と同じく様々な制度改正や見直しが急速に進んでいる報告を聞き、何か割り切れぬ思いになりました。県人口に対して医師の数では茨城は全国46番目ということらしい。医療を必要とする人たちの数は人口に比例するのでしょうが、私の知り合いで薬はなるべく飲まない主義の方が何人もいます。
 数字から想像できることが本当に実態を反映しているのか否か?これは日本国内だけを取り上げても仕方がない。様々な制度が国によりあって、アメリカなどでは盲腸の手術を受けるとしたら、大変な費用がかかると言われています。ならば日本ではどうか?徳島で中澤ご夫妻から報告があったボルネオの奥地ではどうなっている?等々、グローバル化した現代社会では、単に一部分を取り上げてどうのこうの言ったところで根本解決にはならないと思います。
 果たして人間が今後何年この地球上で生きることが可能か?今の生活を謳歌すればそれで良しという風潮があるなかで毎日の食事を得ることさえできない人たちが沢山いる。人道支援という言葉に対する理解だけでも言葉や文化の違いにより差が生じますし、また、語るその人の過去の言動によっても、うまく相手には通じないという事が起こります。
 慎重に事に当たらないと誤解が生じ、それが元で取り返しのつかない事態を招きかねない。そんな時代に私達は今生きているのだと思う。
 徳島で知り合った人から勧められた『資本主義の終焉・・』水野和夫著を浜松町の本屋で買い求めた。家に帰り布団に入り、読み始めると、なんと同じ本が本棚にあった。
      彷徨う中に安住の場は見つけ難し。
 

2757:追悼の文

 ある方の葬儀に参列して。

・・・・私と同じ歳の貴方が壮絶な生き方を選び、夢半ばにして64歳で亡くなった。その知らせは朝徳島の宿で、息子さんからの電話で知りました。Wさんが死んだ。一瞬何が起こったのか信じられなかった。それは電話から聞こえてくる声が貴方と全く同じ声だったから、不謹慎だが冗談を言われているような感じさえしました。
 貴方は福島県で6人兄弟で生まれ、東京で新聞配達をしながら大学を卒業、縁あって茨城県の社会福祉事業団に就職し、利用者さんとの触れ合いを大切に現場一筋で頑張ってきた。同僚の奥様との間に1男2女のお子さんに恵まれ、持ち前の正義感と行動の速さそれに何事も一生懸命に取り組む貴方の存在は職場のみならず私ども部外者にも知られていた。それが55歳の頃でしょうか、突然退職、今度自分でグループホームを始めると聞かされた時は正直驚きました。何故安定した今の職場を辞め、そのように決断したのか? 私は貴方の生き様をある出来事で思い起こすことができる。それは尚恵学園を利用されている方が外部の方から暴力を受け、土浦の家庭裁判所で裁判を行った時、貴方は傍聴席に座っていました。その時の「こんな事は許してはいけませんよ」と私に声を掛けてくれたことを良く覚えている。
 生まれ育った土地ではない笠間市でGHを始めるご苦労は大変だったと思う。貴方とは何度か話す機会がありましたが、決して弱音は吐かず、強い使命感を武器に世の不条理と闘い続けた生涯だったと思います。
こんな事も思い出します。ある時「障害者の人達が何故罪を犯し、刑務所に何度も入ることって判りますか?」「彼らは皆何かに飢えているんですね。安心して生活する場が無いからですよ」「でもね。家族が犠牲になって父親として申し訳ないと思うんですよ」
 夜も昼もなく、電話が入ると大阪まで一人で出向いて利用者を連れて帰っていたと伺った。人一倍地元への気配りをしても決して喜ばれる新入者達ではない。そのことは事業を始める時から覚悟していたと思う。我々社会福祉法人の事業所でも受け入れが難しい方を貴方に依頼した所は結構あると思います。それを本末転倒していると言えない事情をどこも持っている。
 貴方はそのことを決して他に不満を漏らさず、自慢もしない。我々が貴方の生き様から学ぶことは沢山あります。
 貴方は2年前に利用者の人達と街の公園の掃除を行っている時に倒れ、不治の病を知らされたと聞いた。入退院を繰り返しながらも、生きる執念を持ち続け、自らの病とそれから障害者への世の偏見と闘い続けてきたのです。
 最後は自宅で家族の見守る中で静かに息を引き取ったと聞いた。
 最後の花入れの時に「オヤジよ。悪かったな心配かけて、みんなで力を合わせやっていくからゆっくり休んでくれ」と後を継ぐ長男が皆が聞こえる声で語りかけた。

 逝く人の 想いを胸に 涙し誓う  誰しもいつしか別れを経験する。 齢の所為にはしたくはないが、より一層涙腺が緩み フリを装うことが難しい。元気なフリを貴方はいつも演じていたように思うのです。ありがとう!
  ご冥福を心より祈って。
 

2758:二足歩行

 歩けることがどんなにか素晴らしいことか、私たちはそれを当たり前と考える。そうじゃないといくら言っても心底から理解する人は案外少ないと思っている。不慮の事故や病気で歩けなくなった時に実感する。
 障害者福祉は、ここがスタート、何不自由もなく生きられる人なんているはずがない。それに、いくらお金を持っていても手に入れられるものとそうでないものがある。判りきった話を言わずとも良しと叱られるかもしれぬ。介護福祉は、根本的にここが違う。身近にお年寄りはいるし、自分自身もいずれその年齢に達することは間違いない。人間は多種多様、体の大きさ、顔の良し悪し、言葉が違って生活習慣も違う。本来ならば、それをお互いが認め、争うことを避け平和な生活を望むもの。中東での今の混乱は、果たして収拾に向かうことができるのだろうか?幼い子供や女性がいつも犠牲となり、それを報道によって私たちは知るだけである。
 恨み・報復・・・・この言葉から生まれる希望はない。より深みに嵌って身動きできないことになるだけだ。
 一刻も早く、平和を実感できる世の中になって欲しい。
 この日本だってそうだろう。退職金制度や年金の将来が危ぶまれている。財源が乏しくなる一方、ゼロに等しい金利から生みだす基金は増える見通しはない。だからといって金利を上げれば、膨大な国債を返済することが困難になる位は素人でもわかること。今の経済の仕組みが限界に達している。その場しのぎの手立てを繰り返しても根本の解決にはならない。結局、その負担は国民が負うことになり、希望が恨みと化する。
 国が安定した二足歩行できていない状況がこれからも続くだろうし、その覚悟と決断は国民一人ひとりに託された。

  『 忍耐とは苦いものだ。しかし、その果実は甘い。』 ・・・・アリストテレス・・・・

2759:流れ

 コミュニケーションがとれなくなると、勘違いや憶測がどうしても増えて不信感が生じます。私は便利さとコミュニケーションは相容れない何かがあるように思えて仕方がない。何故かといえば、コミュニケーションをはかるということは、実に面倒で時間がかかるし、忍耐と自制が条件となるからでしょうね。
 組織が大きくなればなるほど、その必要性は増え、マニュアルや組織の組み換えなどでそれを補うようにと良く言われます。しかし、形から入ると失敗しやすい。要は、人と人の関係ですから、実は単純ではない。
 流れに淀みができ、そこから様々な問題が生まれるってことになります。これは人間の体も同じ、血液の流れなどもそうです。
 そこでホンネとタテマエというものなんですが、ホンネをハッキリいうと角が立つなんてこともあり、婉曲な言い回しを勧められたりしますが、性分とは如何ともし難し。こそばゆくてじれったくて私にはどうも苦手、多分生意気な奴だと思われているに違いない。その自覚だけは持ち続けようと思います。
 暇さえあれば聴いていた「風に立つライオン」さだまさしの唄、ここにきてパタリと聞くのを止めた。自然とそうなった。これも流れかな?
 いま、やるべきことが急に増え、どこから手をだせば良いのか思いつかない。これも流れ、渓流釣りを若い頃、越後の山奥(桧枝岐)で良くやったのを思い出す。イワナやハヤ、簡単に釣れることはないのだが、何もやることが無くて時間つぶしに釣り糸たれた。あれは20代前半の活気盛んな時代であった。
 それから40年以上が経過、あっという間の出来事だが不思議とハッキリとその記憶を辿ることができるのです。今更、それをまたやろうとは思わないが、あの頃の時間の過ごし方は、ゆっくりとしていて実にのんびりした流れだった。
 

2760:浮かれ気分

 大人たちよ、しっかりしなよ!
 先日経験したちょっとショックだった話を一つ。それはJR高徳線の2両編成の列車の中、大学生風の男女が私と向き合って座った。今から二人でどこかに行く様子、他に乗っている客が殆ど無く、聞きたくなくとも二人の会話が耳に入る
。「月、どの位仕送りして貰っているん?」「15万。めっちゃ足りねえー」「ヘエー 凄いな。何に使うねん」「食費かな、月5万、それにパチンコやスマホ」「私なんか1週間で千円で過ごしたこともある。食べ物なんかコメと白菜でどうにか食いつないだ」「マジかよ?信じられねー。俺バイトしてるんだ。それだって足らねーな」・・・・・・延々と続く二人の話に嫌気がさしてきた頃、二人は途中駅で降りてくれた。
 徳島は地方都市、そこで仕送りを受けて学生生活を送る今の若者の全てがこうではあるまい。しかし、現実に真向かいに座る二人は私の存在など眼中になく、好き勝手な話をして去って行った。
 15万円の仕送りを毎月できる家庭がどれほどあるのか判らないが、ここに今の日本の危うい現実を垣間見た。
 昔と比べ大学や専門学校に行く若者が増えた。卒業後仕事に就かず、その上の大学院に進むものは確実に増加しているそうだ、卒業し社会で学んだものが生かせれば何も言えないが、そうとばかり言えない実態を憂いる。
 昨日のテレビからの情報、スマホを一日にどれくらい使うかの調査を行った結果、なんと1日に7時間使っている人が結構数いるとのこと、使い放題というサービスもあるからだとは思うが、尋常な話ではあるまい。ネット依存症という新手の病、そして、当人たちは何の疑問も無く浮かれ気分で会話を楽しんでいる。
 これだって、今日本が国と業界が一体となって進める景気対策の一環でしょう。本当にこれで良いのですね。確かにネット関連業種の国全体の年間売り上げは凄い額になると思うが、本当にこれで良いのですか?
 ・・・・・
ガーン  朝 6時の鐘楼の鐘がなった。2月に入り、また鐘をついでくれる方が復活、今日も1回だけの少し遠慮した鐘の音がした。
 私はその方の名前もどこに住んでいるかも知らない。2~3度偶然顔を合わせた位、立ち止まって私に向かって手を合わせ深々と頭を下げられる。失礼だとは思うのだが、いろいろと想像をしてしまう。
 今のネットサービスは読書サービスもある。小説を読み聞かせるものだ。文庫本を持ち歩き読む姿は減った。その代り、イヤホンを耳に目を瞑って電車に乗る人は実に多い。
 確信する。便利さを求め過ぎると人間は確実に親から授かった能力を減退させる。私の人生の大半は、知的に障がいを持った人とのもの、彼らが今の状況をどう思っているのか聞いてみたい。
 『好きにしたら・・・』の一言かもしれない。
 この懐の深さがない人達が増えたから、どうしても理解しがたい事件や争い事が絶えないのかも知れません。
 

2761:墨絵

 デジタル(digital)化が進み、使いこなせなくても皆が持っているから自分もと思う方はいらっしゃる。スマホ。私は新しいものに人一倍興味を持つ性格、それは今に始まったことではなく、小学生の頃からだと思う。なんにでものめり込む性分だと自覚しているから、関心があっても手にしない。
 ゴッホやダリの描いた絵に昔は興味があった。今はそれが全く無くなり、墨絵に興味が移る。筆の使い方ひとつで観る人の心動かす力、墨の濃淡、暈し、鋭さと丸み、挙げれば切がない。紙漉きや墨作りは今も伝統を忠実守って作られている。大量生産&消費が当たり前となった現代とは次元を異にした世界、希少価値と言うのではその方達には響かない。京都西陣の伝統は、今も後を継ぐ若者によって、試行錯誤の積み上げによって新しい技が生まれていると知った。
 それと比べれば、”福祉”という業界は、歴史は浅く、何をもって次の世代に繋げるかが全く読めない。福祉=業種という考え方自体が馴染まない。今になって関係者が悩み苦しんでいる状況を自分自身がそこに身を置いて思うのは、国の政策として福祉を事業として位置付けたことに誤りがあったと考えている。原点回帰・・・それは損得とは縁の無い世界、本来人間が持って然るべき優しさや感謝の思いを普段の生活の中で実践すればそれで済むことだ。
 それがどうでしょうか?報酬単価がどうだこうだ。事業種別がどうのこうの。全く本来の目的とは関係のない部分に関心の軸が移っている。それを良いことに、様々な取り巻きが増え続け、収拾のつかない阿鼻地獄の状況を呈する。
 もっと単純化できないものか?例えば”墨絵”のごとく。
 福祉を担う人たちが増えないと目先の対策で乗り切ろうとする。これが効を奏することはありえない。本来の福祉は、そういう問題ではなく、人としてどうあるべきかという根本の問い掛けに答えるものでなければならない。
 国は報酬を月1万2千円上げるよう言っている。下がるよりは上がったほうが良いと誰しも思うはず、だが根本解決にはなり得ない。それより私が危惧するのは、こころざし云々には関係なく、業界内での人材の一本釣りが強化されることである。
 老人をモノとして扱うと言えば言い過ぎかもしれません。でもやろうとしていることは当にそうではありませんか!
 国のリーダーは自らのビジョンを有言実行する責任がある。それ自体は別に今に始まったことではないはずです。本当はそのことと併せ相手の考えを良く聴く度量が必要なのですね。
仏教に六煩悩の一つに”慢”というものをあげていますが、リーダーにはそのことの重要性を思い起こしてほしいのです。
 

2762:今をひたすらに

 今をひたすらに自らの立ち位置で励むべし。いつどの時点で?日々移りゆく社会の中で変わらないものが果たして有るのだろうか?我執というのではなく、皆が真理(Truth)を見抜く目をそなえ、それに没入する生き方ができれば良い。
 国境なき医師団、今朝の明日への言葉(NHKラジオ)も大変刺激になりました。アフガニスタン生まれで19歳の時に日本に来られ京都大学医学部で医師の免許を取得、その後起こったアフガン戦争で帰国を断念、今、静岡県の島田市で医療活動をしている。この方の話を聞いて、真逆の視点の重要性を感じた。日本人が海外に出て活動する例は沢山ある中で、この方は今もなお不安定な政情にある母国には戻らず、小学校3年生の時に経験した感動・決意を日本でひたすら実践している。そこから見えてくるものは、日本人が忘れかけているTruth、今の医療技術や最新の機器は世界に誇れることを疑う人はいない。さりとて・・・・・・。パソコンに向かって、患者の顔をみない医療現場は、医師と患者という人間同士の関わりを重視せず、薬や検査のデーターに言われるままという一方通行の関係しか築けまい。
 今のまま進んでいくと、長生きすることが”悪&気まずい”とさえ考えられてしまう日本になってしまうのではなかろうか!
 巷に溢れる介護負担という言葉からはお年寄りに対しての尊敬の念を感じない。いまこうしていられるのは自分を育ててくれた親がいるからで、よもや自らの力で今に至ったと信じ疑わない者はいないだろう。私は周りにいるメンバー達に励まされ今こうしている。そのことと彼らの幸せが一致できたらこれぞ我々が目指す理想郷に間違いない。
 最後の砦とまではいくまいが福祉の業界も然り、ほどほど嫌気がさしている。これを言っちゃーお終いよ。そうかな・・・?そうだ。そう思う。
 ここでお決まりの『机上の空論』との蔑視と対峙、なんでそんなに自分を追い込むのかと、多分、恐らくなんのかんの御託を並べてみても自分が可愛いということに尽きる。
 今は ひたすら 自分を偽らず 生真面目さといい加減さを合わせ持ち、トボトボと歩き遍路と洒落こむことといたしましょう。
 
◎ Nさんが自分で食事が食べれるようになり、退院してきました。病院にいた時と戻ってからの彼の表情が明らかに変わったと聞いた。そして、昨日救急車でSさんが同じ病院に搬送され入院、重積発作、お母さんが病院に来てくれた。・・・・・お二人の生活する寮が完成し、25日に完了検査。4月から移り住むことになる。一歩一歩 これしか私にはできないと報告するつもり。 

2763:多くを望まず

 3月11日午後2時46分に鐘楼の鐘を撞いて欲しいと頼みに来てくれた方がおりました。あれから4年が経つのです。東日本大震災それと福島原発事故。皆様はどうでしょうか?記憶の中にうっすらと思い起こすことができる程のことになっていませんか。
 津波により、決定的に破壊された海、いま凄い勢いで再生し、何もいなくなった海に魚や貝が戻っているそうです。これは人間の力で復興したのではなく、明らかに自然の復元力によって震災前の状態に近づいている。”森は海の恋人”・・・カキが採れる場所は全国津々浦々、河口の周辺の海だと聞いた。それは森から栄養をたっぷり含んだ水が流れ込む場所に魚介類が集まるという生物学的な根拠がある。。昔、漁師は山に木を植えた。それは船を作る材料にするためと栄養豊富な土壌からの水を獲るための自然と共生の智慧。(日本国内でのM3以上の地震の回数は一年間6000回という。)
 それと比べ、復興予算にこれだけ確保したと自慢はするが、その実態がどうなっているかを見ようとしない方が多すぎませんか? これは全てに通じると私は思う。言葉を弄ぶ前に、一人ひとりが4年前の出来事から何を学びとったのかを検証すべきと思いますよ。そして、自分たちで先ず出来ることから始める。
 同じ日本の中、東京では5年後のオリンピック開催に現を抜かし、被災地では先が読めない避難生活を今も続けている。そして、原発の再稼働に向け着々とその環境整備がなされています。日本中、至る所に太陽光発電設備が作られ、農地や空き地の有効活用という触れ込みで農業放棄に拍車をかける。TPP問題も先ずは全農の改革からと最近妥協案が示されたようだが、政策のバランスの悪さを世界に見せつけたようなものです。再生可能エネルギーに本格的に舵を切るわけでも無い、電力会社が太陽光による電力をこれ以上買わないと門戸を閉ざす。一体何をやっているんだか 何を信ずれば良いのか私ども下々には理解できません。
 圧力団体や支持母体に対し弱腰になるのは、今に始まったことではないが、世界に例を見ないあの大惨事を経験したにも関わらず、自然との共生ではなしに、人間の力を過信し震災前への逆戻し力学が息を吹き返すことに不安が増す。
 それならば世の中の流れに疎くなれば良いのでしょうか?日本の古き良き時代を語れば、相手にされず、”豊かさ”(ゴール)がどんなものか判らないのに、ニンジンを顔の前にぶら下げ走らせる。
我々に残された唯一の選択肢、『多くを望まず・・・・・』ということではあるまいか!
 ◎川崎市で起こった中1の子の悲劇は、周りの大人たちの責任が大きいと私は思います。何故、関係者の対応が遅れたか?彼は被害にあう前に様々な信号を送っていた。若者にとって煌びやかで憧れの都会が、いざ住んでみてこころ休まる場所となりうるか?自分さえ良ければという価値観では、国内だけでなく国外においても様々な問題を孕む。相手があるという事、その事が昨今軽視されているように思うのです。ご冥福を祈って。

2764:弥生

 ・・・弥生風波  春薫のせて 背筋伸ばせば 視界広がる・・・・・
 3月に入り、周期的な雨が降る。地面に目をやれば 小さな芽が出始めいよいよ春の訪れを実感。”弥生”という字。 皆さんはこんな事をご存知ですか?1905年(明治38年)、大日本帝国海軍は日露戦争に備え、32隻の軍艦の製造を決め、その中に『弥生』という神風型駆逐艦があった。全長70メートルという大きさ、当時としては決して大型船とは言えまいが、32隻という軍艦の数に驚く。私の父は明治40年愛知県中島郡稲城村で生まれ、1歳の時に実父が亡くなり、それから波乱万丈の87年の人生を送った。当時の日本は大国ロシアに対し戦いを挑み国威発揚で一色、父の周囲の人達はこの子の将来をどう思っただろうか?
 あれから110年が経つ、ご存知のごとく日本は2回の世界大戦に突入していった。そして1945年ポツダム宣言を受諾、太平洋戦争が終結した。私はその5年後の8月15日敗戦記念日に生まれた。
 近く安倍総理は世界に向け総理談話を発表するとか、有識者を集め、談話の内容の検討に入った。私は大きな疑問をもつ。日本の立場は時の総理によって変わって良いものなのでしょうか?
 これから先、この国を担うべき若者が今政治に関心を持っているだろうか? 戦後生まれの祖父母を持つ世代は、あの戦争というものに実感がない。ネット社会となり、瞬時に世界中の出来事が端末機を通して目に入る時代である。 それをアニメを見ているような感覚で斜め読む。本当は隣国の脅威ではなく、この国内部からの崩壊が最も恐ろしいと私は考える。間違いなのでしょうか?川崎市で起こった悲惨な事件、ほぼ同世代の仲間内でのトラブルが原因とか、そして、LINEを通し、様々な書き込みがなされ、一気に広がった。
 そのニュースの後流されたものは、ウイリアム王子が東北の被災地を訪れ、亡くなった人達に冥福を祈る姿でした。
 世界中の誰しもが”平和”を望んでいる。飢えや病で苦しむ人達が増加の一途を辿る。なぜこのような時にという苛立ちを禁じ得ないことは国会審議で相も変わらず献金問題の虚しい議論です。これを見ている国民は思考停止を起している。それが政治への無関心層を増やす最大の理由であることを永田町にいる人達は認めようとしない。
 このミスマッチはどうしようも無い所にまで来ていると私は思う。
”平和ボケ””格差社会””改憲”・・・・これらの言葉が自分達には関係ないところで叫ばれ流れて行く時代は不幸だし危険だと思います。弥生という言葉は全国の町名に沢山ある。それと子供の名に使われた。多分、弥生3月、これから春が訪れ新たな芽ぶきへの期待を込め命名したのだろう。 
 ◎ 裸の王様・・・・・いつの時代にも登場するその類の人間は、何でも自分の思うようにできると勘違い、言葉にて応戦しようとすればするほど矛盾を露呈、すると必ず過去の出来事を持ち出し、いまこうしないとこうなる、と威嚇する            人は”独裁者”と呼ぶが、むしろ私には”裸の王様”に見えてしまう。

2765:確定申告

 毎年、この時期に確定申告する。土浦市の郊外にあるショッピングセンターの2階が申告会場、以前の会場と比べれば駐車場を心配することがなく、その点では大分良くなった。・・・・が、午後から訪れた会場で驚いた。受付を待つ人たちの列が長く繋がっていた。仕方がないと諦め並ぶこと40分程度だったかもしれない。500番前の番号札を貰ってイスに座って待つこと30分、ここまでで既に1時間を優に超えた。相談とパソコン操作、結局、全て終了したのは並んでから2時間がかかった。
 土浦・石岡・つくば・・・がこの会場で全て申告する。1か月の間に一体どれだけの方が確定申告するのだろう? 日本は平和だな・・・! 税務署と聞いただけで正直身構える。こう思うのは私だけだろうか?過払いで還付を受ける人も多いとは思うが、中には担当者と熱くなって議論している人も見かけた。私は、予定申告をしていたので今年は思ったより追徴は少なかった。
 少々、気が楽になり、マッサージにでも行こうかと思ったが、車は自然と職場に向いていた。(私に公休は無し、年間350日出勤を長年続けている)
 なにせ、今日は県から建物の竣工検査に来ることになっていた。私は直接は立ち会わない。それでもお風呂に入ってノンビリする訳にもいかない。長年の習慣で今までこうやってやってきたから、今更変えても仕様がない。
 そんな日に限って、来客が多く、新採の面接や見学者、それとお葬式の予約(?)・・・・・ううううう。
 一通り段取りが終わってホットしたら、今度はもう一つのお寺の葬儀の電話、それも明日の午前中だという。・・・・・・いいいいいい。
 これって どうなんでしょう?時間外労働?それとも労働基準法違反か、自分で自分を罰し、どうなんですかね。日本の法律は間違っている!うだうだ、その通り。
 そして、今は社会福祉法人へのパッシングが凄い、我々は納税者への説明責任を果たさねばならぬ。日本は平和? それとも・・・・。
 e-taxというのがある。自宅のパソコンから申告ができる。知ってはいたが、いまだやったことはない。係りの人に私が素早くパソコンを打てるのをみて、来年からe-taxでやったほうが良いですよ。こんなに並ばなくても済みますからと言われた。そうするか。でも多分また来年も並ぶことになります。これって国民の義務(?)だと思っているんです。周り廻って、福祉の財源になる国民の皆さんの血税、実に有難く、感謝を込めて納税させていただきま~す。
・・・・・おおおおおお

2766:気付かないこと

 気付かないことの中に実は何かに守られているということ  それは何の前触れも無く、突然気付かされる。 また思うようにならないと嘆くこと ならば貴方は今までに自分の思うようになった事が有るでしょうか?いかがでしょう。
 時間は流れ、移り変わるのは今に始まったことではありません。歴史や考古学に興味を持つ方を、何人も知っています。還暦を契機に時間に余裕が持てれば、それもできるかも? そう考えていたが、全く真逆の人生、思考力や記憶力に加え行動力まで衰えたのを実感しながら、沸々と湧きあがる思いを宥め、”まあ・・落ち着け”と自戒する。人は暇任せの言葉遊びと揶揄嘲弄するが ”好きに言わせておけ”と紛らす。
 平日の法事は珍しい。メモ書きされた日付に自信が持てず、電話で確かめようとしたが、「今使われていません」と通じない。仕方がないので本堂に暖房をいれ、お茶の準備をして待つことに。予定の時間に幸い、皆さんやってきた。
 法事が終わり、いつもの拙い話をした・・・・「私の同級生がいましたが、今日はお見えでないですね」と言ってしまった。施主が「いや、ここに来ていますよ」と妹さんを指差した。アッ・・・・既に遅かった。何か不満そうにしている○○さんが座っていた。
 50年の時間差と言い訳したが、・・・2年前に会ったでしょうと独り事が聞こえた・・・・その一言で今日は3回忌の法要だと気が付いた。
気が付かないうちに・・・・・・痴呆症がすすむ。
 この世は”まんだら” いろいろあってそれで良し。暇を弄ぶ人もおれば、休みなく働く人もある。国が何故に”高齢化少子化”と騒ぐのか、良いじゃないの、長生きできて。チャンスでしょうよ、人口が減って余裕が出るし・・・
 何故か、この国には、その発想がない。ひたすら、遮二無二、豊かさを追い求め、お金に換算する。その結果、1000兆円の借金を積み上げた。借金と言えば聞こえが悪い。そこで”国債”と言い換える。
  3月11日が近づいた。2時46分に鐘を撞く。4年が経って、いま福島はどうなっているか? 漏れ聞こえてくる現地からの声に不安が増す、放射能汚染、その根本的な解決策が有るのか無いのか?
 国民に知らされない隠された実態?
 この問題は、最早、片隅に追いやられ、憲法改正論議に国会審議の軸は移された。私はどう考えても納得できないのは、武器を輸出する国が何を言っても他国から信頼を得ることはできまい。
 寝る子を起こすようなことはしたくないが、気付かない事の中に、何かに守られているという実感と本当に知らないで良いのかという自分が同居する。
 点字ブロックの発祥の地は岡山市。”見えないが故に 見えてくるものがある” これは視力障害のある方の存在(教育者)が大きく、その先生は子供たちに”勉強することは 自分の為でなく 世間の役にたつために勉強しなさい”と教壇(盲学校)で教えたと知った。「NHK深夜便より」
 ◎ 映画製作支援! 『見えないから 見えたもの(仮) 拝啓 竹内昌彦先生』(岡山市)

2767:気付いていて

 こんな事を言ったらどう思うか?こうしてみたら良かったのに・・・・・。日本人の気質を一括りにすることはできませんが、欧米人と比べて物事をハッキリ言わないという人種(?)かな~。江戸時代以降盛んに詠まれた俳句や川柳に日本人の傾向(気性)を知る。季題や切字を巧みに用いて人情味や世態の欠陥などを読み遊ぶ。滑稽さや風刺的な表現は、徐々に詠み人の心の奥底を覗き見るような感覚を味わえる。
 何も無かった頃の話だろうが、今そんな遊興に耽れるのは余程の暇とお金に苦労しない一部の人かもしれませんよ。私のように何かしていないと落ち着かないタイプの人間には無理だ。ネット依存症なる新種病(?)の蔓延、これは深刻です。溺れんばかりの情報社会に生きる現代人は、不安と強迫観念に苛まれ、安心できるという体験を殆ど持ち得ないのではないか。根無し草のように漂い、何かをしていなければ落ち付けない。
 誰しもこのジレンマから抜け出せれば良いと思ってはいるが、それには先ず意図的に情報を遮断しないと出来っこありませんよ。それができるか否か。
 皆さんはこんな経験をしたことありませんか、寝そべって本を読みながらテレビをつけ、携帯で返信があるのを待っている。一体全体どこに”貴方のこころ”があるのでしょうか。
明けましておめでとうと挨拶を交わしたのが2か月前、いま年度末の準備と新年度の計画&予算をたてている。その間に体調を崩して通院し、知人の家の悔やみに参列、そして初孫のお祝いに電話をかける。
 恐らく、動物の中で人間位ではないでしょうかね。あのコマネズミだってしませんわな。
 今必要なのは、恣意的な考えだと言われても気にせず、先ず情報を遮断したらいかがでしょうね。だってそうじゃありませんか。何のためにやっているのか判らずに見当違いな事に悪戦苦闘している人って多いと思います。
 明日はあの東日本大震災が起こって4年目に当たります。大切な人を失った人達がいまその悲しみからどう立ち直ろうとしているか?一瞬の出来事で全てを失った人達が何を支えとして生きようとしているのか?
 気付いていながら自らを顧ず、無為に時間を過ごしてはいないだろうか?何をやれば良いんだよ 教えてくれよ!という声が聞こえる。
 それは津波や地震に襲われ、必死に生きようとしても適わなかった多くの尊い命に対し、自ら考え行動すること    いまこうして生かされている我々のせめてもの勤めではないのだろうか。
 

 2768: 素人経済学

 徐々に地方末端にも景気の回復が期待できる・・・云々と何度聞かされてきただろうか?確かに最近の株価の上昇、これだけ見れば2年前と比べて大きく変わっています。そのことが我々庶民にどう反映するかは様々な意見が飛び交うだけで不透明。最近、投機を勧めるような電話が多いのではないか。「あああ 私は関心がないから、そんなに儲かるなら自分でやれば・・・」と直ぐに電話を切る。昨日、明らかに某名簿から住所を拾ったと思われる脅迫手紙の事件が起こった。名簿を悪用するものがいるのだから、個人情報の保護は必要だと思う。・・・が、それは悪用するからで、教育や医療・福祉の分野では相手の情報がなければ何もできまい。その兼ね合いが実に難しい時代になったものである。
 株価の話ですが、知人に金融関係の方がおり、その疑問をぶつけてみた。銀行はお金の貸し借りが本業、そこからの利ザヤを稼いで商売が成り立つもの、震災復興での特需、国は5年間の期限付きで予算を付けている。日銀が数兆円という新札を印刷、市場にお金がダブついていてそのお金が株投機に向かっている。一般消費が増えないのは、経済は単純ではないということ。そして何故か安全確実な融資先がないという。大企業が収益金を貯めた内部留保金を暴く、法人税の減税と絡ませもっと人件費で還元せよ!と。だが、これだけ世界中が不安定になれば、そう簡単に吐き出す訳にはいかんでしょう。
 それに依然として企業合併が止まらない、企業の社会的責任は1980年代のバブル時代と比較し格段に重くなっている・・・・等々教わった。
 神戸・淡路大地震(1995年1月 M7.3)から20年が経つ、その復興を中心になって行った方が東日本大地震の場合とは大きく違うと仰った。神戸・淡路の時は4年で大分復興が進み、新しくなった街並みやそこで生活する人々の表情が明らかに変わったという。一方東北の場合は4年経って、瓦礫は取り除かれ震災直後と風景は変わったが大きく違う点があるという。それは福島原発事故の問題があるからだ。この問題は世界で初めてのこと、これから先どうなるのか誰も判らない。手探りで一進一退の作業はやっと放射能で汚染された土壌の中間貯蔵所への移送が始まった。その地域の人達はどのような思いで受け入れたのだろう?国は最終処理場の見通しをまだ示せない、今回の移送はあくまでも一時的なものだと信じている人達に一体誰が説明し保証するのだろう? こうしている間にも汚染水は増え続けている。
 復興の進捗状況はどうなっているのでしょう。情報がない。
 昨日、お悔みの知らせでお寺に来られた方との話、亡くなった方の実家は石巻市の近くの町だという。仙台から土浦に出てくる為には昔ならば常磐線で来れたが、いま途中で寸断されているから、東北新幹線で上野経由で親戚の方は来るそうだ。以前に石巻市が実家の職員がいたが、退職されて宮城に戻った。その後どうしているか、一変した石巻の街並みを見ながらどんな思いでいるのかと考えてしまいます。
 私たちが何ができるか? 思うようにいかない事ってありますよ。先のことを考えれば誰しも不安になる。仏教は実はそこが出発点。
 唯一できることは、決して諦めないということではなかろうかと私は思っています。
 
 ◎ 記憶の中で・・・私が尚恵学園に勤めた1970年代前半、職員と理事長が何かの事で言い争っていた。ハッキリ覚えているのは、「俺だってそう思う。経営者なんて関係ない、共闘しかないんだよ。」と理事長の大声。当時は何の疑問もなく、週54時間の勤務についていた。50人の利用者さんをたった一人の宿直で。するとお兄さんやお姉さんの役割をする利用者さんが出てきて私達を手伝ってくれた。その人達も大分歳をとり、手伝いたくてもできない。
 40年以上が過ぎ時代は良く変わったのか否か???私には正直判らない。 制度や仕組みが整備されてくると、何のためにという基本が薄れ、その代りに違う考えが生まれます。日本が今頃になって介護や子育てが問題となることは、自分には関係ないと思う人間が増えたことが最大の原因。これから先、本気になって地域で支え合う仕組みが作れなかったら、残念だがこの国の将来はないと思う。障害者の人達と長く付き合ってきて、今の日本はどこかおかしな方向に進んでいると考えてしまいます。地域で生活しましょうと言いながら、その地域を野放しにしていませんか?お互い虚しい気持ちだけを共有するようになるってことはですね、何かが違うんだわな。

2769:無財の七施

 もしも”片手おち”という言葉を自分で弁え、考えて行動する時に一瞬でも良いから立ち止まって考えることができれば 少し世の中が変わるような気がします。
 仏教に良く登場する布施という言葉、果たして今、本来の意味に使われていますかね?布施を取られたなんて話を良く耳にするのは、いかがなものか?本来は人々が幸せや安らぎを得るための道、六波羅密(ろくはらみつ)の中にあるのが”布施”。さらにお金がなくてもできますよと”無財の七施”を説いた。(雑宝蔵教)
 ①眼施②和顔悦色施③言辞施④身施⑤心施⑥床座施⑦房舎施の7つの施しがある。私が自戒を込め大切にしたいのは②和顔悦色施と③言辞施で ニコニコ顔で優しい言葉。和顔愛語(わげんあいご)という言葉のほうが判りやすい。
 どうすればこのようにできるでしょうか?正直言って真逆の自分をいつも感じています。何かに追い立てられているような、相手にどうして判んないのか・・と腹が立つことを、更に大きく、自分を正当化する為に荒さがしをしていませんかね。 だからです、体全体から恐ろしい形相をして不動明王のようなオーラを止めども無く出している。気付けば直せば良いだろうにね。それがなかなかできない。
 お金が無くても財産がなくても笑顔を周りの人々に施すことはできますよと(一隅を照らす)。
 だけど注意しないと言行不一致ってことになって、周りの人がさーっと引いてしまうことになります。昨日は私の寮の皆さんがボンジュールに食事会、一緒に行きませんかと誘われたが用事があり見送りだけにした。すると他に恨めしそうに見ている人たちがいる。どうしたのだろう? 俺たちは明日お寿司屋さんに行くんだとニコニコ顔、Kさんが寿司を握る恰好をして教えてくれた。
 
 片手落ち=配慮が一方にだけ偏ることを言うそうですよ。
 

2770:お彼岸

 
 18日は春の彼岸入り、境内にある花筒に花を供え、住田家のお墓にお参りした。墓誌をみて彼岸に渡った先祖と無言の会話、あれよあれよと言う間に自分も年老いて向こう岸に渡る日が近づいたと実感、何を想ったか、寺の本堂正面に大きく書いたイタズラ書き、寺を参る人への細やかなメッセージ・・・・・・・・
 庭を掃除していたら、久しぶりにお会いした方が話しかけてこられた。「私も今年70歳になりました。いろんな事があって人生を振り返る意味もあり、四国遍路をしようと考えています。」 ああ・・・・そうでした。奥さんを若くして亡くし、残された小さなお子さんとこれからどうすれば良いかと私の前で涙を流されたのを覚えている。その子供さんも多分今は結婚し、お父さんとは離れて暮らしているのだろう。独り奥さんの墓前で何度も手を合わせていた。
 本当は住職なのだから、彼岸中ぐらいは寺にいるべきなのですが、私は3日間連続で水戸での会議に出かける。最近、そのことが気になって仕方がない。もういい加減にしたら良いのにと夢にまで出てくる始末、
 二足の草鞋と思いたくはないというもう一人の自分。恐らく寺に生まれていなかったら今の仕事はやっていなかったと思います。知らぬフリして遠くから眺めているのが良いとこだ。そう考えると、これも偶然か。
 些細なことに苛立ったりせず、ノンビリ焦らず暮らせれば良いのにと想う昨今、それとは全く違う現実に足をつっこみ過ぎて身動きとれずという感もする。まー良いや。ここまでやってきたのだから、今更草鞋を脱ぐこともあるめーし。 昨夜、こんな事がありました。茨城では老舗の老人施設の理事長さんから、利用されている方が亡くなり、お骨を預かって欲しいという電話、前に頼まれていたと記憶する、身寄りがなく、施設の関係者だけで荼毘にふし、その後お寺に骨を預けにくることになった。
 この法人は頑なに老人一筋で、規模を拡大することもせず、派手な(?)業界の動きとは一線をひいて運営を続けている。昔はどこもそうだった。それが今の福祉は大きく様変わり、幼児~年寄~障害者までなんでもござれときたもんだ。理事長が高級車を玄関前に駐車し、「どうだ 見てみろ!」というばかりの実態を世間の目にはどう映る? 
 憎まれっ子世に憚るとは良く言ったもの、此岸でそれが長く続いた試はなく、いずれ下降線になった時、その方がどうするか?私には全く興味が無いし、そんなことより自分の足元を見るのに精いっぱいなのですよ。
 向こう岸 何があるのか知らないが ちょっと覗いて観たくなる・・・・(字余り)
 

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