源究16

(NO191〜200)

No テーマ 月日 No テーマ 月日
191 平成17年度にあたり 4/1 196 社会福祉士 4/8
192 勇気あるもの 3/30 197 ギアチェンジ 4/15
193 労働力 4/3 198 恒例行事 4/19
194 お父さん連れて行った 4/5 199 弘法大師 4/24
195 違和感 4/6 200 仕事がないかなー! 4/28

191:平成17年度にあたり

新たな年度を迎えるごとに毎年、事業の見直しと計画を行っている。正直変わり映えしないものである。否、それは利用する人達への大変無礼な話、むしろ一貫しているというべきなのかもしれない。我々のスタンスは実は変わらない。だが、制度とか時代は確実に且つ目まぐるしく変化している。それ故に先取りしようと戦々恐々と眼を輝かせている者もいる。私の場合はどちらかというと情報をなるべく早く入手して先取りしようとしてきた感がある。今それが出来なくなっている。先が読めないのである。福祉を取り巻く環境は大変厳しい。それは様々なニーズがあっても充分答えられないからだ。財源の問題は事業継続にとっては根本的な問題、決して無視できない。毎年、単価の見直しがされて減額している。サービス低下をさせないでという建前は実際のところ無理である。GHなどで最近増えている問題の現象も同じ。特養とGHの比較ということであるならば、何を基準を置くかによってその判断も大きく変わる。つまり、費用対効果では元々勝負にはならない。確実に言えることは今の時代は決まりきった枠(制度)の中での事業展開では頭打ちということである。政治家は夫々の党派によって社会保障の考え方が異なる。しかし、いずれを取ってみても現状の課題を解決し将来確実に訪れる保障費の増大に対する特効薬にはなりえない。ここに閉塞感が生まれる。私ども(SJK)の場合は尚恵学園(S)神宮寺(J):観音寺(K):の3者が有形無形に協力体制を持っている。これはある意味ではグループとしての特徴である。特に宗教色を出しているわけではなく、仏教、キリスト教、神道、新興宗教と自らが信じる宗教を認め、その支えを持ちながらお互いが手を結ぶということを多いに歓迎している。まんだら思想の真骨頂がここに発揮する。人間として生を受け、夫々が望む理想に近づく(自己実現しようとする)ことを支援することが狙いである。
時代の変化は我々に対する期待の中身にもある。自立支援法という改正の中にうかがえる。例えば運営管理面での規制緩和が大分すすんできた。今は自主財源であれば新たな施設を作ることも可能である。近県においても千葉や栃木では法人が自主財源で施設を作ることを認めている。茨城県の場合は正直そこまではいっていない。何故か?よく分からない。社会福祉法人そのものの存在の是非も問われる。
 17年度は一つの新たな取り組みとして自活訓練棟を法人自主財源で成人寮内に建てる。老朽改築まで待てない事情がある。一方、通勤寮そのものの存続が危うい。これは障害者自立支援法の中で検討されている、それに変わるべきものとして今検討作業がされているのがGHを5ヶ所(20名)増やす形で対応ということらしい。しかし具体的な方向は未だ示されない。地域移行、自立支援という方向性は決まった。その流れに沿って我々は進むより方法はない。私の今年度の目標として、少しでも先を歩く努力はしていきたいと考えている。

192:勇気あるもの

水戸で7人で飲んだ。ある会合の打ち上げ。平均年齢60歳?、障害者関係の会合、如何に子供たちを地域に出していけるか!1年間で合計4回話し合った。その最終日が年度末ギリギリに開催されたのだ。5時半からの宴席は2時間半を過ぎて、もう少しでお開き。そのとき「歌ってもいいかなー!」最高齢のSさんが歌い始めた。何の歌だっけ???どこかで聞いたことがあるな。吉永小百合さんの歌!
*この道は長いけど歩きながら行こう  石っころだらけでも歌いながら行こう  ごらん ひまわりは空へ空へ太陽へ 友の背中をたたくとき 友と手と手を握るとき この掌に勇気が湧いてくる 湧いてくる
*幸せは何処にある 笑いながら行こう 果てしない旅だけど 笑いながら行こう  ごらん 夕焼けの空は空は茜色 友と悲しみ語るとき この唇に 勇気が湧いてくる 湧いてくる
*ごらん 進み行く道の道の砂埃 友の顔にもついてくる 僕の 胸にもついてくる この靴音に 勇気が湧いてくる 湧いてくる

 いつの間にか皆が口ずさみ肩を組み 涙を流していた。なにも言わなくても通じ合えた。
Sさんは子供さんが知的障害、波乱万丈の人生を振り返り、我が子の将来を思う時いつもこの歌を口ずさむ。1次会が終え水戸駅まで送ってもらう。Sさんは帰るのかと思ったがもう一ヶ所付き合えという。二人だけの二次会。どうせ今晩は最初から泊まりのつもりでホテルをとってあるから構わない。Sさんも泊まっていったらいいでしょうと言うと「いや、俺は帰る」と改札口へヨロヨロ、本当に大丈夫かな。「自己責任だーな、住ー田ーさん。大丈夫だよ。あーりーがーとーう。ハイ さいなら」水戸駅の改札口で別れた。ベットに入ってからなんの曲だっけかと考えてしまい眠れなくなった。Sさんと同郷の吉田正作曲の歌だった。    

193:労働

労働に応じた対価を払わなければならない。○○法第○条!
トラックに乗って茨城町の某学園まで間伐材を貰いに出かけた。ベンチをつくるのだ。3人で出発。同乗のNさんとWさんは我が学園が誇る最強メンバーだ。何しろかなり太い杉の丸太だ。一人じゃ無理、応援がしっかりしないと。午前中は法事が2件入っていた。午後から出かけると前もって話しておく。Nさん午前中にまたいなくなるかも知れない。今日は魔の土曜日だ。出かけたくて仕様がないだろう。しかし、念を押しておいたから大丈夫。私も久しぶりのトラック運転、上手くギアが入らない。高速道路に乗ったころから急にお喋りのNさんが無口になる。『ウイー』なんていっている。横目で見るとすでに寝てしまった。暫くするとまた眼を開ける。さすが熟睡はできないようだ。「なんだ。Nさんお酒飲んでるんか?」「大・丈・夫ーだ。」聞くと午前中床屋に行って、ラーメン屋で餃子とサワーを飲んできたという。何で午後から仕事やるのがわかっているのに飲むんだよ!ほんとーしょうがねーな。木を取りに行くのに床屋まで行ってさ!これはあくまでも私の独り言。
高速は1区間、程なく到着。さて、どの木を貰っていくかな。Nさん「なにやんのよ?あー」とかなんとかアクビなんかして、どうも気が乗らない様子。もう一人のWさん、そんじゃ俺ががんばる!とか言ったまでは良いのだが、生憎この方は腰が悪いときている。
最悪だ。しょうがねーな。自分が丸太をトラックに載せる。何しに来たんだか。ちょうどその頃眼が覚めたようでNさん「そっちじゃねーよ。腰入れるんだ。怪我すっと、ホレ!気をつけろ」とか掛け声ばかり。うるせーな。黙ってトラックにのってろよ。
 帰り道、今度は高速乗るのはやめにした。労働力の正当なる対価は憲法で保障されています。

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194:お父さん連れていった!

5年前の父親の死。彼はじっと耐えていた。お母さんがいるから。今度はそのお母さんが亡くなった。79歳である。内原町の寮での生活が長く、母親の死を知らせずに親類の者が迎えにいった。その車の中で叔父が「お母さんが死んだんだよ・・・・」と知らせた。彼は暫く黙っていたそうだがポツリと「おとうさんが つれて いったんだ」と言ったという。通夜の席でもきちんとして席に座っていた。決して取り乱す様子はなかった。今日の葬儀、経が終わり、最後のお別れ、棺の中にお花を飾る時になって、彼は号泣した。周りのみんなが泣いた。両親が亡くなり、弟の後を見ることになる3つ違いの兄が彼を母親の顔に近づけながら『本当にご苦労様でした』と二人で頭を下げた。本当は3人兄弟だった。長男は4歳の時になくなっていた。両親は地域の育成会活動を一生懸命やってきた。障害を持って生まれたのは3男である。彼は県立の施設に入っていた。施設に預けた親は誰しも感じる、我が子に対する申し訳なさと不憫、両親はその思いを地域の活動に振り向け副区長を長くやって地域の和をつくるのに奔走した。
父親を影で支え続けた母親は、縁があって、尚恵学園の職員として特に炊事の手伝いを長くやってくれていた。
喘息という持病がもとで薬による副作用だろうか、心臓を長く患い79歳まで生きとおした人生であった。
私は家族の了解を得て、「お父さんが連れて行ったのか」という彼の話を葬儀の席で紹介した。
 当に親亡き後を自分の力で生きていくことが困難な人々、ややもすると片隅に追いやられてしまう人達だ。
 そのような人達との触れ合いを持てる今の自分を掛け替えの無い喜びとしなければ浮かばれない。
冥福を心からお祈りします。

196:違和感

朝4時30分、今頃の時間に起き出しパソコンに向かっているのもちょっと変だろうな。私は源究の中で何度かNHKラジオのこころの時代を取り上げている。確かに為になることや新しい気づきを得ることができる番組だ。しかし、正直今までに聞いているのが居ても立ってもいられなくなったことが2回程あった。『何か変だな!ちょっと違うんじゃないの?』という事をラジオから流れる遣り取りから感じた時である。一つはあるお寺(長野県)の住職の話だった。仏の教えを地域の中で実践しているという内容。もう一つはある有名な施設経営者(彼流に言えばリーダー)の話だった。いずれにも共通する点がある。非常に個性的であるということ、それも自己主張というか言葉の上での話かもしれないが自分たちは仏やキリストの教えを体現しているといかにも言いたい節が見え隠れしたもの。これは偏見かもしれない。滋賀県の彼の施設には行ったことがない。でも彼が最初に働くことになった同じ滋賀県の落穂寮には以前訪れたことがあった。彼の施設のホームページを見た。やっぱりそうか!ここだなと思った。それは、沿革をみて直ぐに納得、彼(リーダー)の実績のオンパレード。ラジオの中でも彼がチラッと話したことにひっかかった。自分は全国を講演で走り回っている云々というところ。ゆっくり歩こうなというのがそこの施設のキャッチフレーズ、しかしだ、彼は全く反対で走り回っている。そこを誇らしげに話す。自分が一番いたらないと言いながら本心からの言葉とは思えない。同じ滋賀県でも私が尊敬して止まない糸賀一雄先生とは全く違う。先生は少なくとも自ら自分自身のことを○○先生とは言わなかった。これ、実は彼のパフォーマンスじゃないの!それと同時に、この二人と同じ土俵に立っている自分自身の姿を感じた。でも、俺は絶対に違うと強く打ち消す。
 強調すべきところが本末転倒しているように思える。マスコミ受けが良いのは聴く側ににインパクトがある先駆的な(?)取り組み、或いはユニーク性、論理性のある活動。キリストの教えを実践されたマザーテレサは決して自らの行いを声大きく誇ることをしていない。むしろ自らにそれを強く戒めたと思う。そこに共感し、彼女を慕う人の輪が拡がった。彼女の実践を本物であると誰しもが認めた。私の好きな言葉に陰徳がある。そもそも二人とは俺は違う人種なんだ。でもどうだろうか!一般論として宗教とか福祉という言葉に対して今の日本人は何か不信感や違和感をもっていないだろうか。何そんな立派なこと言ったって所詮自分のためだろうが・・・・・。こう感じるのは私が捻くれているからなのか!。しかし、実はここが重要だと思う。宗教と福祉に身を置くものとしてそのことを感じ取る感性が必要だ。私はここに拘って今まで生きてきた。自分が主役になってはいけないと思っている。宗教や福祉の実践化(教祖ではない)は神輿に乗る人ではなく、担ぐ人、否、その担ぎ手の草鞋を作る人であるべきである。この二人は反面教師、しかし、本当に怖いのは知らない内に自分が彼らと同じ穴の狢になる危険性。違和感は時と共に平準化される。敢えてラジオを消して、今、PCに向かっているのは自分を確かめる為である。

196:社会福祉士介護福祉士

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法人内で社会福祉士の資格取得者が5名、介護福祉士が4名(1名4月合格)となっている。他に若干1名は青息吐息の挑戦者。それは私。やっと通信教育で1年目を迎えようとしている。4学期中の3学期のレポート締め切りがマジかに控えて多少困っている。集中力と記憶力は関連がある。そのどちらも無い。今年の社会福祉士の合格者は1万2千人弱、受験者の3割までは合格していない。51歳以上で全国で500名位が見事合格している。どうやって勉強したのか一人一人聞いてみたい気持ちだ。ここ5年位の出題傾向は大分変化しているようだ。ま!殆どが暗記科目のようなものだが13科目の中で2科目は実践が生かせる援助技術である。これには多少とも自信めいたものはある。
 私など福祉系の学校は出ていないから養成学校の通信教育に席を置かざるをえない。最低でも1年半がかかる。本来であれば内緒でやるべきことだが、自分の性格だろうか、最初から公表して取り組んだ。演出か!と言われて当にその通りですと答えている。みんなが勉強してくれればそれに越したことはない。今度の法律改正一つにしても勉強しないと何がなんだか分からない。聞いていなかったというのでは話にならない。これこそ今流行の自己責任。利用者やその家族は情報が極めて少ない。制度が変わったことに受身である。なるようになれという半分諦めの状態。契約の時に、その辺の仕組みの利用方法について説明する義務が事業所側にはある。だが施設関係者も同様、皆が渡れば怖くない式の考えを以前として持っている。確かに方向が決まってから動いても遅くはないかもしれない。どうも日本人は真似ることには世界でもトップクラスの能力を持っている。それでも一生をこの仕事にかけようと思っている人には不満だろうな。
 法律は決して個々のケースには対応していない。総花である。今、何人かと茨城の福祉をこうしようなどと話している。実現できるか否か、全く空想の域。でも近い将来必ずやってくる。貴方は花壇に何の花を咲かせますか?という時代。種を蒔き芽を育て、花を咲かせる。その過程(実践の積み重ね)が重要である。そうでないと花壇に花屋で買ってきた切花を挿すことと同じ。見た目は綺麗に飾られているが直ぐに枯れてしまう。根が無い花は所詮長くは花を咲かせない。そこで私流のやり方の一つが資格への挑戦だということ。わかるかなー?

197:ギアチェンジ

私は大学時代の山の仲間とメールで連絡を取り合っている。九州、大阪、静岡、横浜、ドイツと全く同じ地域に住んでいない。数日前のメールで私が頚椎ヘルニア?で苦労していると連絡すると、一人は50肩でもう1年以上苦痛に絶えていると、一人はテニスを10年ぶりにやって肉離れで歩けないというしもう一人は緑内障で元気がない。ああ、人生50の半ばで早くもリタイヤか!車で言えば部品交換時期にきたということだと思う。交換できるならいいが出来ない部品だってあるだろうが。私の場合は今回かなり参ったのは事実。何しろこんなに俺の頭は重かったのか!と正直思った。首で頭の重さを支えられない。手はシビレるは肩は物凄くこるし、寝ても寝返りばかり。最悪の13日は朝からめまいがする。我慢できなくて病院へ、早速MRIという検査、以前1回だけ受けたことがある。正直嫌な感じ、体を縛られてドームの中に入れられ、工事現場のような騒音の検査、それも続けて2回行った。2回目は造影剤を入れながら、ドクターは盛んに首をかしげる。嫌な予感。ドームの中でいろんなことが浮かんだ。結果は心配された疑いはなかった。ほっとした。やはり首が原因のめまいか!それから3日間じっとして頚部を温シップ。大分良くはなってきた。
私はもう10年以上も前から自分の頚椎の状況は知っていた。それに今回は骨の老化現象であるらしい。いよいよ来たか。私の場合は遺伝だと思っている。私の母方はみんなコルセットの世話になっているからだ。さてと、これからどうしたものか?3日後にまた整形外科に行くことになっている。今度は首のMRIを予約している。手術を勧められるかもしれない。頚椎の権威と評判の先生の見立てはどうか。まな板の鯉。
他人事ではなく正直今の心境は複雑。いずれにしても今日まで54年間付き合ってきた体、これからも世話になるほかない。首は大変重要な箇所、頭がでかいのは仕様がない。地球の引力で立っている。今までのトップからギアチェンジでもしないとこれからの坂道は登れないかもしれないな。体の変調とこれからの自分を考える良い機会だと思うようにした。
 

198:恒例行事

4月は定期異動の恒例行事がある。尚恵学園では2名の新たなスタッフを向かえ、産休明けが1名、退職が1名という入れ替えがあった。しかし、役所は目まぐるしく変わる。実はこれが困る。継続事業があるとこれまた大変な労力が必要になるからだ。顔つなぎから始まってようやく本題に移るまでには相当日数がたっている。今回はそれに加えて市町村合併が目白押し。何処がなんという市名になったのかさっぱり分からない。従前の町村はなくなり担当部署も変わってしまったからだ。これは慣れるまでにそうとう混乱するだろうな。
 昨日、新しいノート型パソコンにした。従前から使っていたものが古くなり機能が相当低くなったためだから。そのときに電気屋さんが言っていた。一度能力の早いPCを使ったらもうだめですよ。比較する基準が自分の中で変わってしまうから。当にそうだな。便利性とは本来それが売りだったんだと思う。データーの処理能力など一目瞭然。周りの環境が変化しているからその環境に自分のpcを合わせるにはそれを処理するに充分な能力がなければ不便と感じる。ADSLやらケーブルテレビ、光ケーブルと地域によって利用者側からの条件が全く違う。茨城県はつくば市周辺は昔から整備が進んでいて全国でもトップレベル、しかし、隣の土浦市神立町は全く異なる。
いやー田舎そのもの。しかし、今は甘んじて受け入れるようにしている。そんなに便利性を求めてどうなのか!
 ゆっくりしようや。今特にその事が身にしみる。頚椎の関係かそれとも元々なのか!私自身のコンピューターの処理能力が落ちている。思考力低下というべきか。面倒なことはどうも処理できない。いずれまた復活すると信じているのだが。
あまり個人的なことを公にするのは如何なものか。実は、昨日最新鋭のMRIの検査を受けた。あの、ドーム型でないものである。頭だけ機械に入れると測定できる。串焼きみたいなものだがこれが凄いのだ。輪切りにされたものが様々な方向から写真となって出てくる。だからどこの骨が神経を圧迫しているというのが正確にわかるのだ。私の場合は何番目かの頚椎が神経を圧迫している。しかし、検査ができてもその治療にはメスをいれなければならない。正直躊躇する。今直ぐにやるほどではないというドクターの話だけが鮮明に聞こえた。「今の状況を我慢できればのことですが」という尾ひれも実は付いていた。そうか。時期をみて思い切ってやるほかないな。好きな芝刈りもやりたいしな。ログハウスを作る夢も捨てきれない。もっともっとやりたいことがある。
 恒例行事の中で自分の体調の変化にどうしようかと考える。この貴重な時間を有効に且つ上手く体と付き合っていかなければと思う。

199:弘法大師

先日、県の文化財審議員のG先生と会う機会があった。気心が合う4人での会食。お酒が入ったこともあるのだがG先生からは多くの示唆に富んだ話を伺うことができた。その中で先生が力説されていたことがある。それは郷土茨城の歴史の素晴らしさであった。関東の歴史というと徳川時代以降の事が重要視されているが、本来は奈良平安時代に時代を遡るべきであり、筑波山を中心とした仏教文化の素晴らしさが軽視されているのが残念である。特に筑波山における徳一の残した功績は非常に大きく、日光や成田山に見られる今の繁栄は筑波を中心とした歴史の重みからすれば比較にならないという。そして、筑波山周辺に是非とも筑波歴史館を建設すべきであるという話に花が咲く。徳一は私の父が大正大学にて研究テーマにしていた。その父が残した論文を見たことがある。筑波山は今でこそ神道の本拠地として筑波山神社がある。元々は仏教寺院であり、廃仏毀釈により当時の寺院にあった仏像、鐘楼、仏具が分散こそしているが、今でも周辺の寺に保存されている。
 その中に素晴らしいものがあるというG先生の話であった。
 弘法大師は当に天才でスケールの大きさでは比するものがないとも言った。私は恥ずかしいことだが、その辺の事はあまり詳しくはない。
 ただ、四国や奈良京都を見て廻ると至る所にその足跡をみることができる。
 私がライフワークと考えて今取り組んでいる障害福祉も大師の福田思想から少なくとも影響を得ている。
そう信じて行ってきた。
 もし、大師が今の時代生きておられたらどう感じるだろうか?春の風を感じる今日この頃、境内にたっている石塔大師修行像の前でふと思った。

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200:仕事がないかなー!

仮にOさんとしておきましょうか。個人情報保護法にひっかかるとまずいから。彼は今求職活動真っ最中である。運良く就労センターに通っているが、往復の足であるチャリンコには様々な広告板がくっついている。真後ろには「運転代行」という張り紙、彼に尋ねると自転車の運転代行ということらしいが、未だ客がついた試しはない。それから先日警察署に就職希望を出したという。すごい!今日も颯爽と愛車ちゃりんこ号を走らせてセンターまで通っている。もう一人、仮にNさんとしておこう。彼はリストラにあって今無職、毎日自分で仕事探しをしているようだ。しかし、彼は銀行?のカードを作る趣味?があるようだ。何十枚とカードを持っているとのこと。そんなに簡単に作れるのか、私は不勉強で知らない。今障害者の就職は一段と厳しくなっている。本来1.8%の障害者を雇用する義務が企業にはあるのだが、一向に改善されていない。自立へ向けての取り組みは際限がない。一歩進んで2歩下がる。いつまで続くのかな。
 どうすれば良いのかな?誰も教えてくれない。生活が出来るだけの給与をもらえる職場は皆無に等しい。それじゃ、仕事なんかしなくても良いかというと、実はそうじゃない。彼らなりの生きがいがそこにある。