源究157

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2651  同窓会  7/22  2656  施餓鬼  7/30  2661   オプション 8/6   2666 迎え火  8/14 
 2652 確信犯 7/23   2657 新鮮さ  8/1  2662  ・・・・・・・・  8/7   2667 牛と馬  8/16 
2653  念の過ぎるは  7/24  2658  風船100個  8/2  2663 説明責任  8/9   2668 猫と犬  8/18 
 2654 広い河の岸辺  7/25  2659  盆踊り  8/3  2664  今を生きて  8/10   2669 浩然の気  8/19 
 2655 約束  7/26   2660 注視  8/5  2665 ガンバレ!  8/12   2670 熱中症  8/22 

2651:同窓会

 昨日、中学時代の同窓会がありました。Sちゃんの3回忌を観音寺において行ったのです。近くに住んでいる同期有志で集まれる人達だけのミニ同窓会、20人ほど集まってくれた。
 Sちゃんは同期ではリーダー的存在、決して自分が先頭に立たず、、いつだって誰かをたて自分は裏方に徹してきた。そんな風だったから彼の若くしての死を皆が惜しんだ。そして2年が経過、親戚だけで今月初めに3回忌を済ませたばかり、いつも幹事役をしてくれるKちゃんとY君が自分達で供養したいと声をかけ、集まったのが20名。
 Sちゃんが始めた近くの蕎麦屋さんで忌中払い、車で来た方ばっかりだったのでアルコールはやめた。私は本堂でお経を読ませてもらったが、途中何度も声が詰まった。昔のことが次々に頭をよぎり涙がでてしまう。
 そんな私を皆、黙って見てくれていた。
 あれからもう50年が経っている。あちこちで近況の報告話で賑やかに、中につい最近居酒屋を始めた方もおり、驚いた、だってそうだわな。もう定年後、ノンビリしたいと思っているものがほとんどなのに彼女はこれからイッチョウ頑張るかというのだ。
 全員が今年で64歳、髪の毛を例に上げるのは多少は支障があるのだが、天然禿もいれば、羨ましいほど髪があって、夕べ染めてきたという人もいる。私の場合は職業柄、有っても無くても構わない。
 3回忌が終わったんだから、今度Sちゃんが好きだったゴルフで集まろうという話になった。まだ一度もコースに出たことがないという、Oちゃんが「俺も誘ってくれよー!」Tさんが「ああ このメンツなら是非参加したい」と2組はその場で決まった。多分、また幹事役のKちゃんが電話をかけてくるだろう。
 私たちの年齢になると必ず出るのは、誰が亡くなったとかいう話題。実に詳しい人がいて今回も何人かの名前があがった。閻魔帳に記されるのは避けられないとしてもできれば先送りしたいというのが心情だ。それと足腰元気な時にという思いもある。
 こればっかりは自分の努力だけではどうしようもない。もし、同窓会の話を風の便りで聞いた方がいたとしたら、次回は是非とも参加してくださいな。住む所も違えば顔形も変わる。それで良いんだよ。
我が学年の土浦五中の野球部は9人ピッタリだった。そのうち2人が亡くなった。まだ7人残っている。誰かが必ず幹事役をやると信じてる。
 全員が向こうに渡った時に、また野球をやるかどうか、こればっかりは分からない。三番 ピッチャー KAITO S・・・・    行けーーーー!!!!! かまわねから。。。。。ぶっかまして やれ・・・・I 
 

2652:確信犯

 道徳的・宗教的または政治的確信に基づき行われる犯罪を確信犯という。
 今時、思想・信条で犯罪が行われるということがこの国でありうるのだろうか? 万が一起こったとしてそれを判断する司法の責任というものは大変重い。決して私は確信犯罪を推奨している訳ではない。何せ毎日のように中東で起こる悲惨極まりない殺戮の報道に接し、解決の手段が無いのだろうかと訝しい。幼き子供や一般市民が犠牲になり、助けを求める悲鳴、爆破された場所で必死に救助活動をする人達・・・・・。
 一方、日本では相も変わらず、株価や円レートそれと、貿易赤字の増減・・・等々と経済に関する報道ばかりが目につく。このギャップを視聴者はどう受け止めているのだろうか?恐らく、我がこととは感ぜず、心に留めることもなく、聞き流してしまうのではなかろうか。そして、多くの人々に無力感や不安感が蓄積され、自らの意志を発する気力が萎えてしまう。どうだろう?皆さんはそう思いません?
 日本の特徴は、嘗て事業に成功し財をなした立志伝中の人達は、それを自らの保身にのみ使おうとしたものは少ない。お隣の韓国で起こった宗教と財力を手にした者が政治への多大な影響力もちワガモノ顔に権力を行使した例は、この国では起こりづらい。戦国の世、織田や豊臣、それに徳川が争った史実はあった。それを日本人の大多数は学び知っている。
 あの時代、大義があり、庶民もそれを願ったはず、さて、戦後もうじき70年が経つ。今の状況は、決して褒められたものではない。何せ国の抱える借金は成田からロンドンに飛ぶ距離・・・・・・・一万円札を重ねた長さ1000兆円
 政権を担当する人たちはその天文学的な借財をどう思っているのだろう。
 かつて某政党において7奉行の存在を良く耳にした。今の安倍政権で誰がトップを支える奉行なのか?皆が皆、黙して語らず、建言する補佐がいるのかとさえ疑う。多くの人がこのまま進むと道を踏み誤るのではないかと不安をもつ。
彼は一貫性が有るようで、私にはそう取れないのです。
 今朝の新聞に文部大臣の意見が載っていた。なんでも大学無料化を実現させれば10兆円の財源が必要だ・・・・・・とか、見出しのみで中身まで読む気にはなれなかった。
 しつこいようですが、震災復興大臣!復興や災害補償に一体どれだけの予算が必要か試算できたのでしょうか?それなくして原発再稼働しないと電気量が数倍高くなりますと言うのは根拠なき風説と考えますね。
自国の平和を唱えながら一方では武器輸出を認める。この矛盾をどう説明しようとするのでしょう。
 先進国で軍隊を持たない国はないと断言する政治家もいる始末。これはかなりの重症ではないでしょうか!
 

2653:念の過ぎるは・・

念の過ぎるは無念(ぶねん)
 あまりにも念を入れすぎると、かえって注意の行き届かないのと同じになる。然もありなんです。自戒しないと私はその類の人間だと思います。熱しやすく冷めやすい。これが最近は年齢の為でしょうか、オーバーヒート寸前まで行かないと気付かない。自分なりには工夫していますよ、3~4キロ歩くんです。すると不思議ですね。徐々にニュートラルに切り替わり、高ぶったエンジンが冷めてきます。ただ、この時期は、高温多湿ですから、逆効果ということも良く起こりまして、困っています。
 そんな時、GHのM君が「今度の土曜日、ワカサギ釣りに一緒に行くベーよ」と誘ってくれた。餌を買ってきてくれれば道具は彼が貸してくれると。しゃーねな。付き合うか。朝の6時に石田周辺で釣りすることにしました。
 これが特効薬です。ふと我に返る。
 最近、電話セールスが急増したように感じます。例のベネッセの問題が影響しているのでしょうか?「住職さんいますか?」という。一度も聞いたことのない会社、投資やセキュリテイ関連のものが目立つ、何でも商売になれば、相手の迷惑など関係なく攻めてくる。
 これだって経済最優先政策の置き土産 、金が無ければ何もできないというロジック、だから経済力を高めねば。これに対し、何の疑問も感じない。少欲喜足なんて言ったら大変、いや、違うな。このまま進んだらもっと大変です。何しろ憲法まで変えようとするわけですから、まさに際限のない自己満足、自国の繁栄とは良く言いますね。物が有り余って、一日に処分される食べ物が一体どれくらいになるかご存知ですか。
 この国は政治家天国です。例の某県会議員の政務費、あれだって彼だけでないのは明らか、政官もたれ合いの構造が結局膨大な借金を産むことになるわけですね。もういい加減に止めにしませんか!
 

2654:広い河の岸辺

 『The Water is Wide』

 The water is wide,I can`t cross over
     And neither have I wings to fly
         Give me a boat that can carry two   And both shall row,  my love and I。。。。。。。
  河は広く  渡れない 飛んでいく 翼もない  もしも小舟があるならば  漕ぎ出そう 二人で

 デユオ・ケーナルパの演奏アルバムより。 NHKラジオ深夜便で知りました。ケーナとアルパという南米の楽器の共演、直ぐにCDをアマゾンで取り寄せた。ケーナの演奏者、八木倫明さんの話をラジオを通して聞いた。彼はどんな理由か分からないが愛する家族と別れ、どん底の生活を体験、彼はケーナという楽器と出会い、月数万円という収入の中で悩み苦しんだ。そこで出会った『広い河の岸辺』という民族音楽、もう300年以上も歌いつがれてきた。
 「地球市民」を掲げ、今も演奏活動を続けている。ちょっぴり”愛”に疲れた人にも、ぜひお勧めしたい・・・・・という湯川れい子さんのコメント。
 どんなに声高に平和を訴えても、何も変わらない。何故でしょう。それは多分、心からの叫びではなく、何か意図されたものを相手に感ずかれるからだと思うのです。ハッキリ言えば、語る言葉と行いのズレ。聴く人に感動を与える音楽や詩は、時代に関係なく、その時々の人々の細やかな癒しとなる。
 仏教の『四摂法』(ししょうほう)・・・・布施・愛語・利行・同事・・・「人は何のために生きているのか?」というもがきを誰しもが人生の中で経験します。その問いに答える仏教の教えが四摂法です。ここで語られる『愛語』の意味ですが、優しい言葉という意味の他に、心に訴える言葉というものがあります。果たして相手の気持ちを揺るがすような、それと自分自身がハットするような、そんな言葉を貴方は持っていますか?
 

2655:約束

 
 M君との約束を果たせた。ワカサギ解禁となり、彼から何度も誘いがあった。昨夜、釣具店で買った餌を彼に届け、約束した朝の6時に現地に行く。するとM君の姿がない。携帯に電話、するとまだ寮にいるという。何という事か!
 今から直ぐに行くよというから、霞ヶ浦湖畔をウオーキング、朝の散歩は気持ちが良い。一面ハス田、農家の方は朝が早い。既に何台かの軽トラックが停めてあり、田んぼに入って作業をしている。
 しばらくすると彼がやってきた。釣り道具を借り、手ほどきを受けて開始、湖面は全く波がなく、静かな朝だ。結果は本命のワカサギではなく、名前は知らない魚を4匹、M君はゼロ。「もう、帰ろう!」と片付け始める。
ああ・・・・・なんと言う性格###聞きしに勝る気短、私の数段、上を行く。かなり気温が高くなり、クラクラしてきた。私も帰ることにした。
 約束を果たせ、私は満足、M君は不満足。
  チョキチョキ

 ★ 聞きしに勝る⇒ Going beyond one`s expectations
 ☆ M君は、毎朝6時には寮を出て自転車で約40分、毎日休まず農場で今も働き続けています。昨日はたまの休み本当はゆっくり休みたいと思ったに違いありません。彼の優しさ、それは一緒に釣りしてわかる。(同事)
   そうそう・・・・私が釣った魚は全て逃がして来ました。これも彼の・・・・・・でした。
 ついでにチョキ

 ★ M君の凄さは、切り替えの上手さがあると思います。これは、彼が自ら学び身に付けたもので彼流の処世術。それと”一生懸命さ”です。今何をするか本能的に分かるようで、余計なことは考えない。
    

2656:施餓鬼

 今日は神宮寺、明日は観音寺の施餓鬼会です。毎年同じ日に行っています。盂蘭盆とも言われ、盂蘭盆経の目連説話に基づき、祖霊を死後の苦しみの世界から救済するために行われています。祖先の霊、新仏、無縁仏に種々の供物を供え冥福を祈る仏事。
 音楽♪
  あなた(小坂明子)・・・精霊流し(グレープ)・・・・旅立ち(松山千春)・・・・『俺たちのフォーク』というCDを取り出し聴いている。
 フォークソングが流行った時代を思い出しながら、もう50年も経っている。昔はその歌詞までは関心は無かった。だから口ずさんでも曖昧なのは仕方がない。あの頃、50年後の自分を想像もしなかった。誰だってそうだ。沢山の思い出が”走馬灯”のように浮かんでは消えていく。。
 現実は・・・・・・!施餓鬼の準備をする前に束の間の時間をパソコンに向かい、このコーナーを書いている。
 私の半生は、迷いの連続だったと思っている。世間がどう見ようが関係なく、何かに徹して生きられたらと何度も考えた。結果は分かっている。それが出来ないのです。
 
 去年のあなたの思い出がテープレコーダーから こぼれています。あなたのために、お友達も集まってくれました。・・・・♪(精霊流しという曲に変わった。)
・・・・・・・約束通り あなたの嫌いな 涙は見せずに過ごしましょう・・・・・そして 黙って 舟のあとをついていきましょう・・・・・・

ああああああ。。。この曲を聞いた多くの人達が涙を流したに違いない。

 たった今・・・・朝6時の鐘楼の鐘が一つつかれた。毎朝撞いてくれる女性の方の名前は知らない。何度か声掛けしたことはある。「いつも すみません」と言うと、手を合わせ「そんなことありません。撞かせていただいてありがとうございます」とニッコリと笑顔を見せてくれる。
 境内にある六地蔵や本堂に向かって深々と頭を下げる姿を何度もみてきた。
 

2657:新鮮さ

 施餓鬼が終わる。後は他のお寺さんの助法が10ケ寺残る。毎年、感じるのは準備で体力を使い切ってしまい、当日は力が出ず時間の流れるままといった状況。年齢の所為にはしたはくないが、実際そうなんだから仕様がありません。
 伝統行事に新鮮さや独創性を望むのは筋違い?一定の技法や形式を反復慣用、型にはまってしまうと、そうですマンネリ化になります。寺の行事は違うと思うのですが、今回いろいろなことに気付いた。例えば、お客さんに出す食事、毎年同じ所に頼んできた。今年は変えた。これだけでも何か新風を感じた。
 それと、布教だってそうだ。暑いお堂の中で独り汗をかき必死に話しかける。私も何度も同じ経験をした。聴いている人たちはどう感じているのだろう?多分、施餓鬼が終わると同時に一斉に帰ろうとする人が多いから、答えは出ている。
 本堂にはエアコンなど無い。昨日は関東地方では35度を超えたところがあり、蒸し暑さが頂点に達した。それでも時より吹いてくる風の心地良さを感じた方もいただろう。
 新鮮さは、新しい事だけではない、普段忘れてしまった良さを再認識することもある。日本人はいまその視点を持つべきなんだ。使い捨てになれ、モノを大切にすることを忘れようとしています。
 モノの大切さは、それを作る人への想いにつながる。伝統や文化は、そこなんでしょう。守り続けること、話せば皆さん判るんですね。でも、自らそれをしようとせず、聞き流す。
 私はスマホは使わない。いや・・・・使えない。便利だから替えたらと言われるが使い方が分からないのだから余計不便だ。それが、なんとも一人で2台持つ人もあるそうだ。なんという事でしょう。私なら2台もあれば、常にどこに置いたか探し回ってしまう。今だって首にかけておかないと置いた場所を忘れてしまう。
 ”携帯であなたは涙を流せますか?”これが私の言い分だ。

 

2658:風船100個

 チュービンゲン市内中心にある教会前の広場で・・・・・8月6日に風船を100個あげる・・・・・当日配るチラシを添付したメールが送られてきた。
 8月15日は終戦記念日、広島:長崎に原爆が投下され、戦争が終わり69年が経った。横井さん家族が3人、毎年続けてもうじき30年になる。たった3人で始めたこの運動も今では参加者も増えて、きっと賑やかなはず、マスコミが取り上げるかどうかは知らないが、ドイツは日本とは違う。
 日本人の横井さんからみてドイツは国がしっかりと市民と同じ目線で政策を決め実行しようとしている。一般の人々も政治に関心があり一人ひとりが自分の考えを持っていると伺った。
 そうなんだ。
 昨日の鹿児島県知事の言葉がその違いを明確に示す。鹿児島県にある原発の再稼働の是非、その決定を地方自治体の判断に任せるというのは筋が違う。国が明確に方向を示すべきだと訴えた。当然だと思った。知事に全ての責任を負わせるつもりなのか、福島の事故の後始末ができない中で、一体政府は何を考え実行しようとしているのか分からない。その覚悟と責任をどう取ろうとするのか。メルケル首相のリーダーシップとは偉く違う。
 解散し国民に信を問う決定権は首相にある。報道によれば、近いうちに閣僚の入れ替えを考えているとか、その線上にある議員は、落ち着かない・・・・・もしも、それが真実なら、一体アンタらは何を考えているのか!怒りどころか情けない。膝を突き合わせ、自分たちの政策をトコトン説明し理解を得ようとする気持ちがあるのだろうか。
 大臣のイスがそんなに欲しいのか?
 そんな事より解散をすべき。国会の停滞は許されないとかの理由は詭弁でしかない。海図を持たず日本丸を出港させて良いのですか。貴方たちは、有権者はそっちのけで、くっついたり離れたりを繰り返す、こんな暇があるならば、ガラガラポンで皆出直すべきだ。
 日本の今を憂い、二度と同じ過ちをして欲しくないという願いを込めた遠いチュービンゲンで飛ばされる風船100個が何か?尋ねてみても、分かる議員はいないだろう。せめて、チラシの中身をここに紹介し分かる人に届けたい。
  ・・・・8月6日配布のチラシ日本語版(原文通り)・・・・
 
    未来へ向けて
                                      2014年 8月6日
 1945年8月6日、人類はじめての原子爆弾が広島に投下された。それから今日に至るまでの69年間に多くの人たちが被爆によって亡くなり、そして今も苦しんでいる人たちがいる。
 2011年3月11日、東日本大震災によって多くの人たちが命を失い、福島の原子力発電所近くで暮らしていた人たちが住み慣れた土地を離れ、見知らぬところで生活をしなければならなくなってしまった。それに加え、今後、放射能汚染によって苦しむ人たちが出てくることだろう。特に、これから日本を背負う子供たちに。
 広島・長崎の核の悲劇、そして放射能災害を経験した福島。この二つの大惨事にもかかわらず、日本では脱原発のうねりが大きくならないでいる。何故なのだろうか。その原因はいくつもあるだろうが、次のような要因が大きく占めているように思える。
 ここドイツでは、ナチの戦争犯罪とホロコーストを様々なメディアが加害責任として市民にしっかりと伝えている。そのようなことをして、今のドイツの文化・社会がつくられている側面もあるだろう。1985年ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となっている」と演説の中でのべた。それが意味していることは、未来を見つめていないとのことだ。
 人間の業によって引き起こされた広島・長崎・福島の出来事を、被害者意識ばかりでなく、加害者意識を過去の歴史の中でしっかり見つめて行くことは、日本では大切なことだ。なぜなら、私たちは未来に戦争のない平和な世界を創り出していかねばならないからだ。
 世界のいたるところで、広島・長崎・福島で起こった出来事を再び起こしてはならない。二度と繰り返してはならない。

                                              横井 秀治

 

2659:盆踊り

 昔から続けられてきた”盆踊り”は、盂蘭盆の7月13日から16日にかけて精霊を迎え慰めるために行われてきた、形は時とともに変化し、今では地域のお祭りと重なりイベント化している所が多い。
 尚恵学園でも昨日行いました。日中は今年一番の猛暑、準備は大変だったと思う。お疲れ様でした。
 この行事は誰かに見てもらうものでは無く、一人ひとりが自由に過ごす集い、地域の方達を無理(?)にお呼びすることはない。利用者の皆さんはそれぞれが違う動き、見ていて全く飽きない。
 今年は新たな発見が二つあった。その一つは、通りすがりの男性・・彼は20代の青年、自転車で東京から水戸に向かう途中立ち寄った。中国から日本に来たという。日本語も話せるから日本滞在も長いと思えた。実に人懐っこい青年でいろいろ尋ねてきたという。水戸に何か目的があるのかどうか、いま水戸では黄門まつりの最中、私の相棒のNさんが先程黄門まつりのウチワを何本も持っていてその中から1本私にくれたばかり。お酒も入って呂律が変、『水戸さ 行ってきたよ』と。
 それともう一つ忘れてならないこと。
 私のところにメンバーの何人かがお盆帰省の話をしてくる方がいた。Sさんは言葉が無いけれど両手を合わせ頭を下げ、実家のある方向を指でさす。これを何度も何度も繰り返す。私は彼女の言わんとすることが手に取るようにわかる。
大好きだったお父さんが亡くなってお母さんしかいなくなってこの動作をするようになった。頭を下げるのは家に帰った時にお墓参りに行くことを教えている。
 昨日は建物の陰にずっと動かず、模擬店に行って何かを食べようとしないKさんに気付く。担当のIさんが食べ物を持って行って食べるように勧めるが手を振って拒んだ。その理由は、お盆休みに彼は帰る所がないからいつもこの時期に落ち込むんだと耳打ちしてくれたので分かった。
 車イス利用者も大分増え、皆さん年老いた。幼稚園や街のイベントには家族総出で参加する人も多い。でも、私は素直に喜べない。何故、彼らだけが宿命のごとく、寂しさや悲しみを背負い続けねばならないのか!
 自分が僧侶であることへの自責の念 これに堪えていくことの重さが年を重ねるごとに増えた。
 最近あった世間をあっとさせる若者の事件など、何故なんだ!と考えてみてもわからない。どんなに裕福で何不自由なく育つ環境であっても満たされない心の問題、。。。。。周りの人たちが必要な時に何らかの手を差し伸べてさえいれば悲惨で猟奇的な事件はもっと減ると思う。
 
 小休止
   さーやるか 踏み出す足の ぎこちなさ

 休みなよ  その声掛けに返事なし

2014/8/04/6:40
 

2660:注視

 抑止力という言葉の持つマヤカシ、それと勝手なナショナリズムを弄ぶ政治家、確か日本が先の大戦に突入していく時代と背景が酷似してきたと。
 反原発の機運が盛り上がらない日本、本気になって取り組む姿勢を感じない。物議を醸した大臣の金目発言だって忘れられようとしている。戦争の悲惨さを一番知っている筈の年輩者が高齢対策の恩恵を受けるという事で言葉を発しなくなった。ならば、次の世代の私達がやるべきことがあるはずだ。
 昨日、久しぶりに知人と電話で話す。「住田さん、ガッカリしているよ。アンタには何かやるべきことがあるはずだ。空海の凄さを知らせる良い機会じゃないの!」正直その時感じたのは、ああ・・この人とは次元が違うということだった。彼は自称クリスチャン、私を生臭坊主と言う。不思議なのは、彼からどうな風に言われても腹が立たない。
 日中関係がギクシャクし、軍事力による威嚇が強まる。それぞれ自国内の事情はある。大きく違うのは中国は共産党一党独裁で13億人の人々を纏めようとする。ここにきて高位官僚の汚職腐敗の根絶を強化する、一般庶民がそれを支持する背景には格差の広がりがある、爆発寸前の不満は一部の利権独占者に向かう。この流れが日本に向けられた時、果たして今の政府は国民にどう説明するつもりだろう。何せ、憲法解釈の変更を国民に充分な説明もなく閣議決定し、当然だと考える人たちだ。更に、首相自らが外国に出向き得意げに外交交渉をする姿を見せつけられ、心からエールを送れる人がどれだけいるのでしょう。
 「過去に目を閉ざす者は現在に盲目になっている」というドイツの元大統領の言葉、この言葉の重みを感じない人が外国で飴をいくら配っても心からの信用は得られまい。
 今地域では墓薙(はかなぎ)の時期である。先祖が埋葬されている墓を皆で掃除をし、お盆を迎える。代々続く家の墓地には戦死者を埋葬した他より立派な墓石が建つ。遺骨が納められているかどうかは分からないが、国の為に戦争に行き命を落とした先祖を最大の敬意をもって祀っている。
 深刻になっている少子高齢化を日本の軍事力という視点から論じようとする政治家はさすがいない。それでいて抑止力云々と言うから常軌を逸している。子沢山だろうが少子化だろうが戦争は避けねばならぬ。いつの世になっても不戦の誓いを踏みにじる行為は許されない。
自分を受けいれてくれる政党を渡り歩き、離合集散を繰り返すのは、ただ自らの安住の地を探し求めるからではないのですか。主義信条など後付けだから躊躇なく修正、だから見なさい!何をどうしたいのかという説得力がない。
 そうは言っても時間は過ぎる。果たして私たちに何ができるか?”注視”することだけなのだろうか。
 

2661:オプション

 今やなんでもかんでもオプション大流行り、最たるものは携帯電話(スマホ)、私など使い方も判らないのにサービス内容が複雑で基本料金以外にオプション価格なるものがあり、結局電話料はあまり変わらない。自由に選ぶことができるのを売りにしたものだから自己責任で応分な負担がかかる仕組み。
 それと最近目立つのはカード、これはポイント制になっていて貯まれば割引や利用手続きの便がはかられる。なんと葬儀に関しても実はそのようになってきました。明朗価格でトラブル防止などをうたい文句にしたもの。。。。。価格により火葬に要する時間が違うというのもどんなものか!こんな風に全てがすべて同じ方向で事が進んでいく時代。いちいち目くじらを立て文句を言っていたらそれだけで1日過ぎてしまう。結局、どの辺で妥協するかというこちら側の問題だから、それを弁えるしかない。
 世知辛い世の中になって自分自身の立つ位置が難しい。
 未知の世界を探求したいという欲望は科学や医療の分野で多くの成果をあげてきた。だが、解明されたものは全体からみてホンの一部に過ぎず、その範囲でああだこうだと言っている実態。
 果たして動物の中で人間だけというのだが、生きていくのに必要以上のものを貯めこみ、それでも満足せず奪い合う。
 欲望と誘惑と言えば映画のタイトルを思い浮かべる方もいらっしゃると思うが、実は、経済活動の全てがこの二つの言葉で説明ができるという。
 自然科学万能の趨勢は、大洪水や大地震という自然災害に対し無力なることを曝け出した。さもあらん!
  かたやその対極に本来あるべきものは”宗教”かもしれぬ。万教同根という言葉があるが、世界の3大宗教も根っこの部分は同じだということ。(矢作直樹:『人は死なない』)
 マザーテレサの「愛といのりのことば」より
  ・・・・キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者が最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していないことがよくあります。人々がキリスト教を信じようとしない一番の原因はそこにあります。。。。。。。(上記p54より)
 世界で繰り返される紛争、身近にも起こり得る悲惨な事件など、避けるという選択肢があるならば、誰だってそれを選ぶはず。今日8月6日は広島に「リトルボーイ」という原爆が投下された日である。

2662:・・・・・・・・

 ・・・・・・・・何だろう?タイトルが浮かばない。思考停止だ?
 前項のマザーテレサの言葉を読み返していたらそうなってしまった。覚鑁(かくばん)がまさに同じことを言っている。身近な例では良寛かもしれない。いつの時代でも真剣に生きた人間は万教同根なんですよ。
 何が真実か その問いかけは人間一人一人に課されているんでしょう、・・・・・、それを自覚し正面から向き合うかどうかだと思いますよ。遅きに失したということは絶対ない。生き方がその人の徳になった時、強さが倍加しますね。日中の暑さが強くてさすがに歩くのは控えようと思うのですが夕方になると無意識に靴を履きかえてしまう。6時過ぎれば蒸し暑さも大分違う。前から気になっていた人がいる。私より少し年輩だと思うが多分この方は毎日歩いているはずだ。この人の歩き方が変なんです。まっすぐ歩かない。右左にキョロキョロして何かを探しながら、ヘンテコな人だと思っていたが、今日それが分かった。この方はゴミ拾いしながら歩いていたんだ。

テレサが語ったという・・・・・・言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していない・・・・という言葉は凄いインパクトだ。健康の為という理由から歩く人は多い、でもゴミを集めながら歩く人は少ないね。
 陰徳を積むという事が時代遅れの空言と言われそうだが、多分、その人は全くそんな事は考えてはいない。
 私の知る人がロシアの海外工場で働いている。不注意で自転車でころび骨折、現地の病院にかかった。ギブスをつけられ不自由な身、大きな病院だと聞いたがそれ以上の治療はしない。5週間、動かさず自然に骨がつくまで待てという診断だったと。
 日本の医療費と比べれば無料に近い、なんと高額な医療費を日本では払わされているのか。それでもアメリカと比べれば安いと説明する。でもどうですか、日本の病院で処方される薬の量の多さ、医療費の高騰は今後も止まることはないんじゃないの。
 私は定年制など無くせば良いと考える。働けることを喜びとすれば、心身ともに健康になります。だってそうじゃないですか、仕事から解放され、いざ自分の好きなことをと考えたとして、貴方はそれを持っていますか?
 定年後20年とすれば、どうやって時間を使うと言うんですか、家でゴロゴロなんて不健康と思いません?
・・・・・・・ 全てが自分への問いかけです。ああ・・・ また 思考停止となってしまった。本日の最高気温予想は35度です。

 余談です。谷村新司の「今を生きて」という曲を知りました。

2663:説明責任

 説明責任という問題が大きく取り上げられる世の中は、決して喜ぶべき状態にはない。
 昨日のニュースは、株価の急落を報じた。日銀の責任者が記者会見、これらは想定内の事かも知れぬが、デフレ脱却を最大の使命と考え陣頭指揮、いつと比べてどうなのか?それによっては全く反対の評価がされる。アメリカがシリアでの空爆を決行したというニュースは、瞬く間に世界中に広がった。爆撃によってまたもや多くの人命が失われる。株価の変化が最大の関心事、原油価格の高騰、順調(?)に推移した日本経済、それが糠喜びと化すのは時間の問題かも知れぬ。天罰ですね。
 政府はその影響を最小限に抑えるために必死、説明責任を十分果たしてきたかどうか、自分達さえ良ければそれで良いと考える人たちは、イザ自分たちに逆風が吹き始めると本性を現す。原爆記念式典での総理の挨拶が昨年とほぼ同じ内容とマスコミが取り上げた。不戦の誓いを広島・長崎でどう語るか、人間、慰霊の前では平静は保てない。無言の圧力とか叫びが働き金縛りになりかねない。今の状況は実に恐ろしい。自らの非を認めず相手を攻撃すれば、自ずと結果が見えてくる。
 あの人たちは、説明カードとして失敗に終わった場合のものをいくつも用意しているはずだ。そして責任を取るという理由でその任を途中で投げ出す。堪ったもんじゃーねーよな。
 いくらご立派なことを言ったって神や仏まで騙すことはできません。
 理想科学研究所の副センター長が責任を取って自死、あの時の上司にあたる人たちのコメントを聞いて悲しくなった。本来貴方たちが責任を取るべきではなかったか。責任を部下におわせて自らの正当性を恥ずかしくもなく公言した。どのような先端の研究を成し遂げたと言っても、その人となりが最後は問われるものです。
 女優の吉永小百合さんは朗読を通して反原発を唱えている。不戦の誓いを私達も覚悟を決め自らの責任で行動すべき時を迎えている。それこそが無言の圧力に答える唯一の方法ではないか
こんなエピソードを紹介したい。
 奈良の薬師寺管長の橋本凝胤氏は現代の怪僧と言われた。その弟子が高田好胤氏。
 先の大戦で日本が負け、アメリカが占領品として薬師寺の仏様を持っていくという噂が広まり、高田氏は「そうなったらお堂に火をつけ自分は腹を切って死ぬ」と、その時橋本管長は「わしは仏さんについてアメリカでも何処でも行って給仕する。」と語ったという。それと荒廃した薬師寺を再建するとき、体力に自信なかった宮大工西岡常一棟梁に「ツネ 頼むから力を貸してくれ」と涙を浮かべ地べたに頭を擦り付けて懇願したという。
 この方たちは自分の利には全く関心がない。だからこそ、多くの人達の協力を得て、あの大伽藍が完成したのである。

2664:今を生きて

 ・・・生きて行くことは 死なないことじゃなくて  熱く生きようとしながら 暮らしてゆくこと・・・・・・・
 『今を生きて』という谷村新司の曲です。
 日本人が忘れかけている。男女の平均寿命が女性は世界1、男性が80歳を越した。自分の老後を考えない人はいないと思います。できれば健康で周りの人に迷惑をかけず・・・・・・。
 しかし、それで良いのですね!長く生きてきた証は、若者にはない様々な体験をしてきたということ、昔ほど体力に自信はないし、一念発起しても途中で止めることになるかもしれぬ。そんな思いから言いたいことも言わず今を楽しく無事に生きようと決めたのですよ。
 広島そして長崎の原爆記念日、今年新たに亡くなった方達の氏名が慰霊碑に刻まれた。
 もうじき沖縄と福島の知事選がある。政府はこの結果に最大の関心を持つ。閣僚の入れ替えも9月に行うという。私は閣僚の顔ぶれをいくら変えてもその重要性を感じない。また女性を多く登用し、その受けを期待するのだろうか?
 国民を見下してはならぬ。ホンネを言えば答えは決まっている。戦争絶対反対、原発だって無いほうが良いと考えている。そうじゃーないでしょうか 皆さん。
 マスコミは何かに気を遣い、論評のトーンを下げている。ジャーナリストとの気概はどこにいった。母親の胎内にいた時、戦争で被爆し障害を持って生まれた方の記事が新聞に出ていた。それも紙面の片隅に目立つずに。
 いま、私たちがやろうとしていることは結果的には、将来への負の遺産を貯めこんでいることではないだろうか。
 生きて行くことは 燃えながら暮らしていくことと謳う谷村が何を我々に訴えようとしているのだろう。老人になることは、決して恥じることではない。だからといって自分の力で成し得たことでも無い。
 熱く燃えながら生きることを どうすればできるか? 誰も教えてはくれません。それは 先人への今を生きているものの責任と誓いです。そして そのことこそが これから生きて行く若者たちに 残せる掛替えのない指標となると私は思う。・・・・・『アリガトウ』CD:谷村新司・・・・

2665:ガンバレ!

 ・・・・生きるという事を自らに問い、確信とまではいかずとも何らかの支えとなるものを誰しもが追い求める。私は携帯でHさんの体調の異変を知らされた。施餓鬼の助法を終え、寺に戻った時だった。救急車で病院に搬送、病状は今までになく重篤だということは断片的な報告だけで容易に想像できた。家族への連絡が通じない。やっと87歳になる母親に伝えることができたが此方に来る手立てがない。いつも車で送ってきてくれる叔父さんに繋がったのは大分たってからだった。。
 HさんはICUのベッドの上で必死に生きようとしている。今回もそうでした、地元の消防署の協力には心から感謝します。隊員の方の応急処置が良かったのだろう、家族が病院に駆けつけてくれた時には既に病院の医療処置を受け呼吸は確保されていた。
 彼女は今年で49歳、もう随分私どもを利用されてから年数が経つ。
・・・・・・・・
 『人間の生きがいとは何か』橋本凝胤著の表紙に書かれた・・・・・なぜこうもギスギスした人間ばかり増えてしまったのか  現代は大きな錯誤をおかしているのではないか・・・・どうしたら現代人がものの考え方を変え うるおいある人生観に立てるかを説く警世の書・・・・
 昭和45年が第1刷目であるからなんと44年前の本である。最近気になっていることは以前にも増し世の人に警告を発する本が急増していること。
 現代の危機は、「変えるべきことと変えてはならぬ事の曖昧さ」と私はみています。
 障害に対する考え方も変わり昔には考えもしなかったことが出てきた。出産前検査もその一つ、そして最近現実に起こった代理出産で生まれた双子がダウン症だったことで、依頼した夫婦から引き取りがなされず,産みの親がその子を抱き乳を飲ませている姿がテレビで放映された。
 世界には子に恵まれない夫婦が沢山いると思う。その人達の切なる願いからできたものだった。
 しかし、変わってはならぬことは人としてこの世に生を受けたものの尊厳です。それが曖昧となり人身売買が正当化されるような時代に我々は今生きている。  
 Hさんが 呼吸確保のためにつけられた管を無意識に抜こうとしているのをみて、確信した。どんなに障害が重くても生きようとして足掻く姿は壮絶である。
 本来 福祉に携わる我々は、障害があるということを特別視するのではなくこの人たちの生きようとする有りのままの姿を世に伝えるべき役割を持っている。先人から受けた数々の教えにどう応えるかは自分自身の問題です。
 障害を自分には関係ないともし考えるならば、それは無智でしかない。
 橋本師が語ったうるおいある人生観って一体どんなことなのでしょうか?日本中が挙って豊かさを求めてはいますが、それが潤いとか味わいにはならない。寧ろそこから離れていくような気がします。
 

2666:迎え火

 13日の夕刻に先祖を家に迎え、精霊だなを飾り、16日の送り火までを”お盆”と言います。日本中の道路は盆帰省で大渋滞、実家に帰って久しぶりの家族水入らずの時間を過ごす。最近は、様変わり、海外や観光地に旅行する人たちも増えている。それは皆さんの自由ですから構いませんよ。私は彼岸やお盆という行事が何故行われ、こんなにも長く続けられているのかという事を考えます。だってそうでしょう、良く聞かれるんです。「精霊だなって何故飾るんですか?」「盆踊りってどんな意味があるの?」とかいろいろです。昔は家族が多かったから年寄から話を良く聞かされ、育った。今は違いますね。何せ子供が少ないから、親子関係で優先する内容が変わった。
 ハッキリ言って、「お盆って先祖への感謝の気持ちを確認する」ことじゃーないですかね。だって普段考えないでしょうよ。別に忙しくは無いのに、いかにもそう見せないと罪悪感を感じる?ってことあるでしょう。
 他所の国は良く知りませんが、日本独特の風習って良く出来ていると思うんです。脱線する寸前で歯止めになっていることって多い。崖っぷちで思い止まる経験したことありませんか?
 私など年がら年中です。気が付けばこの歳になっている。何せ8月15日が誕生日なんだから仕様がない。良くもお盆の真っ最中に私を産んだもんだ。お袋も凄いやな。そんな親父やお袋を迎えるんだから・・・・・。気持ちとしては大歓迎です。
 去年私は自分にノルマを課した。1日1万歩、ほぼ実行できました。それに加え、8キロのバーベル運動を途中から始めた。切っ掛けは、去年の同時期から、何か気力が無くなり、食欲も落ちて気が付いた時に体重が6キロほど落ちていた。更年期?いや違うな。理由は分からない。このまま逝ってしまって良いのか!考えましたね。そこで歩くことを日課にしたのです。
 そしたら普段は気付かなかったことが見え始めたんですね。その一つが雑草だった。歩く暇があるなら草刈りでもせい。誰かに発破をかけられたんです。今年5月に長谷寺(奈良)での布教に参加し、3日間だけ昭和寮に泊まった。そこは40年前に参篭で1か月過ごした寮だった。その夜、出てきたんです夢に。私に”一からやりなさい”と説いてくれた方で、在家で定年後坊さんになる決心をして参篭していたOさん。その後年賀状ぐらいやり取りがあったけれど、それっきり今元気でいるのかいなか。
 この方の動きは凄かった。やらされているという気持ちは全く無く、自分の意志で掃除でもなんでもしていた。他人にどう見られていようがいまいが関係ない。ひょっとしたら、長谷の観音様が姿を変え現れたのかと思った。
 無言の説法、目立たず されど 只管にということを学んだ。
 現実は、今もその域に達してはいない事を痛感している。
 

2667:牛と馬

 ” さーやるか 踏み出す足の ぎこちなさ ”
 10日前に そんな事を下手な句にしたが 新盆廻りも終え、ホットしています。年中行事であり、寺の住職としてもっとも緊張しているお盆時期は、随分様変わりしました。半分以上が今まで一度も伺った事が無い家です。それは葬儀を自宅で出すという習慣が無くなり、大半が葬儀斎場で行いますからね。新しい檀家が増え、自然とそうなったのです。お寺さんによって違いますが私の住職をしている二ケ寺は、お盆の期間中、檀家回りをしていません。ハッキリ言って住職が怠慢なんですね。これを言われたら返す言葉がありません。
 最近は便利になりました。ナビを使いながら家さがし、近くまでは行けますが、その後駐車場があるかどうかまでは行ってみなければわからない。
 4時過ぎると電話で何時ごろ来てくれるのかという問い合わせが寺に入ります。待っていてくれると思うと余計焦ります。
 大好きだった御祖母ちゃんが新盆で小さなお孫さんが私の傍に座り大人しく経が終わるのを待っていました。精霊棚には昔からいろんなものを飾ります。キュウリとナスで馬と牛を作ります。そのお孫さんに尋ねてみました。
「 これ なにか分かる?」「ウン 牛と馬でしょう」「どうして飾るのかな??」「馬で早く御婆ちゃんを迎えに行ってね。帰りは牛でゆっくり送っていくからでしょう。」「・・・・・・」
 凄いな 良く知っている。多分、ご両親か御婆ちゃんが話をしてくれたんだと思う。
 会いたい人に早く、別れるときはゆっくりという事をこの家庭では話つないでいる。
 
 ・・・・・・冗談じゃないよ。その根拠を示してくれ・・・・・・実は 大人たちは そんなことをやっているんだと思いますよ。集団だか個別だか知りませんが、自衛権論争は次の世代には全く意味が理解できない。そのことを貴方たちはどう考えるのですか?
 大切な事を忘れ、自分たちの利になることを声高に叫ぶ。世界中、一人として戦争を望む人はいない。   自分たちが犯した過去の罪を省みず、既に終わったことと免罪符を盛んにまき散らす。この感覚は昔の人達には無かった。こんな風で、いま 対話を望んでいる。
 これは 迎え盆に牛で迎えに行き、送り盆に馬で送るということと大差はないと思うのです。

2668:猫と犬

 輪廻転生・・・・万が一、貴方が次の世に猫か犬に生まれ変わったとしたら、どうですか? 恐らくは想像も出来ぬことでありましょう。
 最近の犬は、可愛いベベ来てお散歩、人間どもを引き連れて道を闊歩し、粗相した時のため、簡易トイレをご主人に持たせている。方や猫、こちらはヒモに繋がれることはないけれど、猫用の食事を与えられ、その所為か獲物を狙うような鋭い眼光は無く、いつみてもゴロゴロ寝転んで、すっかり大人しくなってしまった。
 さーて どうでしょう、貴方ならどっちを選びます?
 実は最近の出来事は、根っこの部分で”平和ボケ”が原因しているという説がある。私はそれを丸呑みに賛成できかねますが、一理ありますね。結局、何が大切かという問題に関しては各自の判断に任されるようになったでしょう。
 しかし、限度を弁えないと偉いことになります。そこなんですね。限度が何なのか、誰も示せなくなった。このまま進むと大変なことになる、誰しもがそんな将来への不安を抱くようになってしまった。
 このまま 書き連ねても堂々巡りになるかな、止めた。この夏、気付かされたことを1例お話しますので、お付き合いください。
 近所でも有名なお婆ちゃんが亡くなった。ヨロヨロと危ない乗り方で自転車でどこにでも行ってしまう。飾らない性格という方はこんなお婆ちゃんを言うんだという見本のような人だった。「住田さん。。。頼むね 父ちゃんが死んじゃったから・・・・」数年前にご主人を亡くされ、その時に電話で頼まれた。そして、今度は自分が死んだ。息子さんから電話あり。「住田さん、お袋が死んじゃった・・頼むね」 性格が良く似たものだ。
 通夜に伺ったときに驚いた。祭壇に飾られた生花の数、それと弔問客の多さ、一体息子さんは何をしているのか正直知らなかった。
 遺影をみてホットした。あの気さくなお婆ちゃんだ。きりっとして緊張した顔が似合わない、大変失礼だが、いつもと違うねと声を掛けそうになった。
 事業に成功し、羽振りの良い人はごまんといる。それに先祖が偉い(?)人もね。それを鼻にかけ、俺様は偉いんだとふんぞり返る。この息子さんは違った。いつもと変わらず、お袋に頭が上がらず、盛んにお母さんを立て、弔問客に対応していた姿が印象に残った。この親あればこの子あり。
 仏教で輪廻転生を説く。これって実はそんなに深く考えるなっという事だと私は思うんですよ。つまり猫や犬に生まれたくなかったら親を大切にしろという教えだ。そうだろう、人間に産んでくれた親に感謝し、その親に恥をかかせないように頑張る。
 宗教って、そんなことですよ。最初はね。それが段々と難しくなった。これは僧職にあるものの責任でもあります。
 眠くなるような説法を長時間聞く羽目になったら どうですか?離れて行きますよ。
 ここまで複雑な世の中になれば、もっとも大切なことは単純な教えです、相も変わらず宗教に名を借りて争い事が絶えないんだから尚更です。
 戦争を体験し平和の尊さを考える。これは戦争を受容(?)したからではなくて、二度と同じ過ちを起こさないという誓いが根本におかれるべきです。

2669:浩然の気

 孟子と言えば前4Cの時代を生きた思想家、中国の歴史を学ぶものにとって孔子~孟子の存在抜きに語れない。戦国の時代を生き抜く術は、長い歴史の中から生み育まれてきたもの、その考えが今どうなっているのかは知らない。浩然の気とは、天地の間に満ち満ちている非常に盛んな精気をいう。転じて俗事から解放され屈託のない心境を意味する。要はくよくよせず大らかに振る舞う事。
 さて、日本はどうか?大陸に君臨する大国の中国と比べれば、島国で小国となる。
 我が真言宗の開祖空海が入唐し恵果より真言密教の教えを受けたのが804年だから、孟子の時代からすれば優に1500年の年月が経過している。その後今に至るまで我々真言宗においては根本の経典として理趣経を大切に守っている。菩薩勝恵者 乃至尽生死 恒作衆生利 而不趣涅槃・・・・・は”百字偈”と言って特に多く読まれてきた。解説すれば、本当に優れた者は、自分が死ぬまで、衆生の利の為にはたらき それに満足しない云々。
 ここに為政者としての本分をダブらせることもできる。要するに上に立つ者は相手から学ぶ気持ちを持ち相手の立場に身を置くことが肝要。
 夕べは暑さで寝苦しく、起きだしてBSを見ていたら、集団自衛権に対する討論番組だった。声高に叫ぶ推進派(?)のジャーナリストは中国の脅威に対し好戦的な態度、何を愚図愚図しているかと慎重派の人を嬲る。見ていて気分が悪くなった。国家予算で日本の軍事費は4兆円強、一方中国は13兆円だと声を荒げる。アメリカの衰退と中国の台頭、そこで日本はどうする?と捲し立てる。
 もし、空海がいたらこのような状況をどうみただろう?室戸岬に独り座って瞑想するその心中はいかに。
 ”永遠なるものを求め 永遠に努力する人・・・”を目指した先人たちが築いてきた日本だ。今後、必ずその教えに共感し後を継ぐ人物が現れてくると信じたい。
 少々穿った見方かもしれないが好戦的な人間ほど、有時の為に自らの安全の場所(逃げ場)を確保しているから注視したほうが良い。彼らの意見から他を批判はするが自らは何をするかが全く見えてこない。
 真にこの国の将来を願うものであれば、自ずとわかるはずなのだが。今の政治家にそれを期待することは難しい。

  ☆ハワイにすばる望遠鏡を超える30メートルの反射望遠鏡(TMT)をアメリカ・日本・中国などで共同開発をするという。これこそ”浩然の気”、星を見つめれば、この地球への愛おしさが自然と湧くはずです。
 その地球上で相も変わらず武器をもって相手を殺戮するようなことを行っている。・・・・平和を求め 永遠に努力する人に!自分は近づきたい。

2670:熱中症

 広島での土砂災害は、大変な状況になっています。必死の復旧と救命作業は昼夜を問わず続けられている。
 被災にあった人に対し何することもできず、ただニュース報道を見つめるだけ、一刻も早く行方不明の方達が救助されることを願うだけです。
地球上で起こっていることがリアルタイムで容易に知ることができる時代になり、それをどう受け止めれば良いのか判らず、無力感と虚しさを多くの人が感じていると思います。”私たちは生かされている”んだと痛感します。
 自然というものは気まぐれと思います。記録的な大雨を降らせる地域がある一方、関東地方は連日35度を超える猛暑となっている。救急車のサイレンを一日で何度も聞くほど、体調を悪くし病院に搬送されるかたが増えている。
 昔の人達が道で交わした”良い塩梅の天気になりました”という挨拶言葉は消えてしまった。被災にあった人たちを考えれば許されないからです。
 先日、鹿嶋にあるお寺で施餓鬼がありました。神立からは車で1時間ちょっと、道も良くなって便利になりました。その日は特に暑さが厳しく、午後1時からの法要は覚悟が必要でした。心配していた通り、正装(法衣)した住職は、熱中症?倒れる寸前、焼香する人の中に足がよろけ上手く立てない人もでる始末、全く風がなく、お堂の中はサウナ同然、助法した住職たちも途中で居眠り(?)始める方も出る始末、なんとも壮絶な法要となりました。
 そんな中で施設では大正大のO先生をお招きして研修を開催、今時、凄い先生もいるものです。施設に2日間泊まり込み、利用者さんと同じ生活をし、最終日に職員の前で話をしてくれた。
 一体、O先生のバイタリテイはどこからくるのだろう?多くの教え子がこの先生を慕っている。私は直ぐに分かった。ご自身の目でみたことを長年の経験をもとに、実に適切な指摘をされた。この先生に教わった学生は幸せだ。
 国では有識者を集め、様々な検討会を行っています。昔はこうだったという話をされるかたがいるが、それではだめだ。今この時をどうするか、それとこれからどうすべきなのか!が肝心、これに焦点を合わせるべきなのです。制度が次から次に変わる中で、どうもこころを感じない。何か彷徨っているという印象を強く持つ。日本の制度は中途半端、一貫性を欠き、その場凌ぎのものとなっている。果たしてこれで良いのでしょうか。
 O先生が尚恵学園の問題をいみじくも指摘してくれたことが、延々と繰り返し行われてきたことを認めざるをえない。権利の主体であるべき人達が保護の対象という旗印の下で何の疑いも持たずに我々はやってきた。その時間が長かった。
 我々の責任は重い。今こそ覚悟をもって変えようと努力しなければなるまい。焦りと懺悔、言い逃れと無関心・・・・いつの世にも詭弁を弄する輩は捨てるほどいる。その仲間に自分もいるのではないか?という問い掛けは、我々障害福祉の業界で緊急な課題となっているサービス等利用計画作成で言われる手法、アセスメントとモニタリングと全く同じ次元であるという、それは”私たちは生かされている”と同時に”生きていくのは自分である”という両面からの気付きが条件となるのです。これを偶然とみるのではなく、どう形にして自らを納得させていくかに全力で取り組んでいかねばならないと私は思っています。
 
 

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