源究156

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NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日 NO  テーマ   月日 NO  テーマ    月日
2631  東京銀座  6/14  2636  一般常識  6/20  2641  禁じ手  6/30  2646  休み無し  7/13 
2632 親兄弟  6/15  2637  自己責任  6/21  2642  下町  7/2  2647 光明  7/15 
2633  ワールドカップ  6/16  2638  驕り  6/24  2643  クサトリ  7/4  2648 同調圧力  7/16 
2634  虚弱体質  6/17  2639  3つのタイプ  6/26  2644  夫源病  7/7  2649  経験から  7/19 
  2635 目覚めれば  6/18   2640 ドライバー視点  6/28  2645 開陳 大会終えて 7/12  2650  三十三回忌  7/20 

2631:東京銀座

 昨日は全国の施設長会議が有楽町の東京フォーラムであり、夜、K先生の受賞祝賀会に出席した。有楽町~銀座界隈は地下道に入ってしまうとまさに迷路、方向が判らず、道を尋ねるにも誰に聞いて良いのかわからない。一瞬、もし大地震でも起こったら一巻の終わり、逃げようにもどこが出口かもわからない。なんとも恐ろしい場所だと思った。
 地方の都市とは偉く違って夜の銀座界隈は人でごった返し実に賑やか、道路には客待ちのタクシーが何台も停まっていた。午後からずっと研修で難しい話を沢山聴いたものだから疲れてしまった。早めにホテルに入ったが10時過ぎてしまった。何故か腹が減っている。殆ど祝賀会では食べなかったからで、コンビニを探しに街に出たが、和洋煌びやかな飲み屋ばっかりで見つからない。しばらく歩きまわり、やっと見つけたコンビニで食べ物を買い部屋に戻った。
 ベットに入るが寝付けない。明日はワールドカップの第一戦の放送が早朝にある。ブラジルが出るからどうしても観ようと思い少しでも寝たほうが良いと思って目を閉じるが、今日の研修のことが次々に浮かんできて殆ど眠れなかった。
 今日の研修会にはなんと2600名の参加者が全国から集まった。毎年同じ場所で開催されるのだが、今年は雰囲気が違ったように思えた。皆さん真剣にメモをとり、居眠りなどする方は少なかった。ご時世というのか、今社会福祉法人への世間の風当たりは厳しく、社会福祉法人のあり方検討会議などが政府機関で行われ、その動向が皆さん気になっているのだ。
 講演された方は社会保障制度のエキスパートで分かりやすく説明してくれた。
日本円で1兆円という金額は一体どれほどなのか?そんな質問を高校生に対し行ったそうである。私も直ぐにはわからなかったが、一万円札を積み上げると、なんとあのエベレストよりも高くなるという。100万円の札束が1センチだとして10キロの高さになるという。
 いま日本が借金している額は1000兆円になると伺った。どれだけの金額なのか大半の日本人には実感が無い。(約1万キロの高さ天文学の世界))これを子供たちに残すことになるのでは、自分たちを含めこれ以上の無責任はない。どんなに説明をされても納得できない話だ。
 大地震は自然災害、借金は何を隠そう、今を生きる我々の為した人災で実に怖い話である。公的研究機関の実態、いかにも研究・分析はすれど実行と覚悟がない。どこかの研究センターの存続の是非が問われている。ここまで世界に赤恥をかき、信用を失ったのだから、当然すべてをゼロにして皆さんには退いて頂き、新たな体制で再スタートすべきだ。既得権を得てしまった人々が我が物顔にのさばり自己満足する逃げ場でしかなく、彼らが数々の誘惑にどう対峙するか見届けてみたい。
 ・・・・我が物顔にうち嘆くを、愛嬌なしとみる・・・・・・「落窪物語」
 

2632:親兄弟

 あっと気付くことがあります。今朝の出来事です。Kさんがポケットから何かを取り出そうとしていました。立ち止まって待っていると彼は一枚のハガキを私に見せるのです。全てひらがなで書かれたハガキは、多分何度も取り出してはまたポケットにしまったのでしょう。クシャクシャになっていました。・・・・・にゅうばいにはいりまいにちあめが よくふりますね。 おせんたくがたいへんでしょう ・・・・  こんどのおやのかいにいきますのでまっていてくださいね・・・・・
 このハガキを「これ!」と言って差出した。「今度の親の会にお母さんとお父さんが来るんだね。」と話す。「ウン」といって大きく頷いた。
 それを少し離れた2階の窓越しからジッと見ていたOさんに気付いた。「やー Oさん、元気?」と私は瞬間マズイと思いながら声をかけた。どことなく元気がないOさんは片手をちょっと挙げ、それに答えてくれた。
 重いね。どうすれば良いんだろうね。こんな事を私は何十年も感じながら、結局は何も解決できないで今にいたる。Oさんは多分、自分の気持ちでは解決させているのかもしれぬ。普段彼が見せるあの笑顔が嘘なのか。
 昨日、ある方の葬儀がありました。子供さんが3人いらっしゃってそれぞれが独立、最近では珍しい自宅での葬儀は皆さんが外での焼香となった。ご主人を先に亡くされ、寺に墓参りに来られ会うといつも子供たちに申し訳ないと話していた。言えぬ事情があったのですね。2間だけの家で私だけが棺が置かれた部屋に入り読経した。隣の部屋で着替える時に猫が一匹おりの中で飼われていた。唯一の慰めだったのかもしれない。
 その方の死は何の前触れもなく突然だった。自転車で出かけ家のすぐ近くの道路で後ろからきた車に巻き込まれた。
 私は昔から故人のことは知っていた。ご主人と始めた商売が上手くいき、従業員と一緒に忙しく働いていた姿を今でも思い出す。・・・・・・・でも、それは長続きはしなかった。
 結局、子供たちとは一緒に住まず、ご主人と二人で借家でひっそりと生活されていた。
 火葬場から帰る時に、3人の子供さんが駆け寄ってきて私を見送ってくれた。

2633:ワールドカップ

 ザックジャパンはコートジボワールとの第1戦を1対2で落とした(レシフェ)。日本時間日曜日の午前10時からということで、私は法事の最中、途中経過は茨城町での法事先で試合経過を知った。前半本田の見事なシュートがゴールネットを揺らし先制点。それが帰りの高速道路でラジオから逆転されたことを知った。そのままいつものように由幾三のCDに切り替えた。
 ザックジャパンとは現監督のアルベルト、ザックローニの名を取ったチーム名、前回の大会では予選リーグを突破し決勝リーグにいけた。今回は雲行きがおかしい、でも精一杯がんばれ!
 コートジボワールという国?
 西アフリカの象牙海岸にある共和国、東にガーナ、人口は約2000万人、公用語はフランス語、フランスから独立してからまだそれほどの時間が経っていないことを知った。日本人はどうしても経済力で国を見る傾向があるが、経済規模は国全体で282億ドル(2013年)だから日本の佐賀県と同じ位だという。
 アフリカの人たちは身体能力は抜群、それにヨーロッパと繋がりが深いから、サッカーレベルは相当高いことは想像できる。それが実証されたわけだ。
 スポーツの中でサッカーは最も人気がある。団体競技だからスーパースターがいても必ず勝利するとは限らない。前回の大会で優勝したスペインが今回は初戦で大敗した。これはチームとしてのレベルに差が無くなったことと団体競技の妙である。
 ブラジルと日本の時間差は12時間、地球の裏側と言われるだけあって、LIVE放送を見ていると映像と言葉に時間差があるのは仕方がない。
 私はサッカーよりも実はコーヒーの産地ということでブラジルには興味がある。でも日本からは遠すぎて行けそうもない。アマゾン川は我々には想像できまい。自然も厳しいが、地球上の酸素の最大の供給地、一度で良いから空から見てみたい。
 世界中がサッカーに夢中になっている中で各地でキナ臭い争いが今も起こっている。銃による争いではなくスポーツを通して競うことを提唱したクーベルタン男爵。人間は人種や宗教の違いによっていつの世でも紛争を繰り返している。その悲劇を何故止められない!
 日本だって決して褒められたものではあるまい。集団的自衛権の与党協議が連日報道されている。正直、何をやっているんだと言いたい。自衛権発動の条件を具体的な事例をあげて文章で残すようだが、法律を簡単に変えて良いものか、安倍さんはお祖父さんの時からの念願だと評価するマスコミもあるが、3代にわたるエリート政治家を必要以上に持ち上げているように私には取れてしまう。
 嘗ての自民党の長老議員で安倍さんの手法に異論を唱える人もいるが、マスコミはそれを無視する。政治・官僚・マスコミがタッグを組み、チームプレイを演じている。そこに一般の人達がいない。観客のいない試合をしているのと等しい。
 そして何をもって勝利というコンセプトがない。一番怖いのはエリート社会で育った人間は狭い世界観しか持てないということだ。これだって歴史が証明していることで誰かが教えてやらねば何も変わらない。

 ★クーベルタン男爵の言葉・・・・・・「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」  この言葉をそのまま今の政治家に贈ります。
 

2634:虚弱体質

 粘り腰が無いというのでしょうか、逆境に弱い。打たれ弱い人間が目につきます。私もそうかもしれない。でも、根っからの負けず嫌いの性分は親父譲りだと思っています。普段は温厚なのですが、何かのきっかけで急変、スイッチが入るともう止まらない。罵詈雑言なんてもんじゃありませんから。
周りの人は大変でしょうね。
 誰かと何かを一緒にやらねばならない時、この病気が顔を出す。ですから、私は時間を見つけ一人歩くことにしています。どんなに気が立っていても40分位歩くとスーと落ち着いてくるものです。粗毎日ですからね。
 それと何故そんなにイラだっていたのだろうか後から考えても大した事じゃないことが殆どなんですね。
 今日私は前から約束していた方と会うことになっている。東海村の村上前村長さんです。大変お忙しい方で、電話で時間を取ってほしいと頼んでから1週間後の今日に実現できました。16年間首長を務められ、村長就任3年目の時にあのJCOの臨界事故ですから、想像を絶する体験をされた。その辺の状況は自ら著した本に克明に書かれてあり、私は何回もその本を読み返した。
 一瞬にして原発への考えが変わる事故に遭遇し、今の日本を「一炊の夢」と断言し原発は「疫病神」だと結論づける。そしてこの国は原発を持つ資格がないと・・・・・・・。情報の隠蔽体質、これは行政や企業においては暗黙の了解として罷り通る。しかし、事と次第によっては、そんな事は言っておれない。
 今日お伺いする前に、質問事項を書いて送っておいた。果たして読んで頂いたか否か。
 人間の虚弱化と情報の隠蔽体質は現実社会において想定外の化学反応を起こし、時として手の施しようが無くなる。それをありのままに認めれば被害は少なくて済むのだが、上塗りを繰り返し隠そうとするからより深みに入ってしまう。
 もし、これがスポーツの世界ならば、試合の結果で有無を言わせない。ルールにより、勝ち負けがハッキリされるから、どんな言い訳をしてもダメだ。
 前項のクーベルタン男爵の言葉を引用すれば、人間として何が義務であって、最も大切なことは何か、この言葉に尽きる。

 

2635:目覚めれば

 真理に目覚めれば如何に? 誰しも世を憂うることはできましょう。でも、そこからどうすれば良いかという事が浮かばない。一番怖いのは、諦めてしまって無為な時間をただ送るという人生だ。
 仏教の中心となる教説は、四諦(したい)、人生を苦であるとの真理から悟りにいたる方法を説く、苦集滅道がそれだ。(そして八正道へと続く)
 多分ここまで来ると興ざめする人が大半だ。現実からドンドン離れるように感じるからだ。そんなこと言っても一体何が自分たちにできると言うの具体的に示せと。
 ここで思いつくのは、ある方の言葉・・・・自分よりも信仰心の深い人たちに対し如何に相手の身になって語りかけるか・・・・・布教の原点です。俺には無理だと匙を投げるか、いや、そうじゃないと気を奮い立たせられるか!この自分との闘いですかね。その方に苦しむ人を救うという気持ちでは何もできない。むしろ相手から教わるという気持ちが大切と教わった。これが知的に障害をもった人たちと共通する原点だと。「この子らに世の光を」ではなく「この子らを世の光に」、若くして世を去った糸賀一雄先生の語り続けた言葉だ。
 その先生の事を語れる人が段々減り、いま福祉の業界は、制度や報酬単価が最大の関心事となった。「こころ」を見失った輩が外見を繕い、いかにも世の為人の為と演技する。その証が自分が舞台の主役だと勘違い、目立つことが良いことだと言わんばかり。
 天文学的な国の借金、地方とて同じ。そこで繰り返される様々な駆け引きで最も危険なのは、マスコミを見方にしたPR、お互いの利害関係のみで繋がってモラルがない。どうです図星でしょう!その視点で現実社会を見るとなるほどと頷けることばかり。
 自分が身罷るまでに何をするかと真剣に自問している人を何人も知っている。死を恐怖と感じるか否かではなく、何を自分の生きた証として確信するかと、ちょっと考え方を変えただけでその後の人生で大きく変わる。
 これは信仰心の問題かもしれない。生まれ変わることを信じるか否か、・・・・・・。
 ただ、これだけは言えましょう。あなた自身も必ず身罷ることは避けられないということ。目覚めよ!そして自分自身と正面から向き合えと。

2636:一般常識

 年齢には無関係でこれ位は弁えていて当然だということがそうでない。一般的な常識はいつどこで身につけるのでしょうね。挨拶一つにしてもできない人が結構いるものです。そうかと思うと自転車で通学する中学生が『お早うございます!』と元気に挨拶しながらすれ違う。後部座席にバッグを積んでいる。「野球やってんの?」と尋ねると「ハイ そうです。」と、こちらも「ガンバレよ」と気分よく声かけた。一瞬、50年前にタイムスリップ、私が通った中学、そこで野球部とは。あああ実に懐かしい。
 今日は他寺から葬儀の助法を頼まれた。私の母方の親戚になっていて、遺族から私にも一緒に経を読んでほしいと言われた。これも中学時代の想いでだ。県の養魚試験所というものが昔あって、そこの所長をされていた方が96歳で亡くなった。
 二人のお子さんがいて、一人は名前まで憶えていた。姉と同級生だったからかもしれない。もう70歳近くなっている。それでも葬儀には同級生が大勢弔問に来ていた。多分人柄だわな。70歳にならんとするお年で○○ちゃんと呼ばれる人だものわかる気がした。
何歳になっても人柄というもんは変わらない。どうも癖があって付き合いづらい人は不思議なことにいつになっても全く同じ。変に社会的に成功(?)したりしたら、更にそれを鼻にかけるから、一人去り二人去り、みんな自然と離れていく。
 このタイプの人間が組織(協会)の代表になんかなってしまうと悲劇だ。死んでもこの場は譲らない、絶対私はここをどかないからなと誰も聞きたくないのに言いたがる。手練手管に長けているというのか、もうどうしようもない。
 このタイプの人間には常識という言葉は無いのでありますから、誰かが伝えねばなりません。その貧乏くじを引かされるのが最近増えました。
 ちょっと気になっているのですが、常識という言葉が政治の世界にはあるのでしょうかね。大いに疑問だ。出来もしない公約をいくら言ってもダメだ、さすれば貴方にとっての常識をお聞かせ願いたいと逆に質問したほうが良い。
良く大タヌキと小タヌキが集まって何やら相談をしていますよ。そこにバッタリ居合わせたりしたら、急に口笛なんか吹いちゃって知らぬ顔ってか!。ヤダヤダ。
 独り言ですので・・・・・ハーイ。
 今日はギリシャと引き分け、僅かに可能性を残し、予選最終試合に、ザックジャパン ガンバレー。暑さ負けか頭の中がまとまらず。失礼しました。終わり。

2637:自己責任

 足腰の為に歩き、ボケ防止の効力有と数独を日課としています。これ実は表向きの理由でして、本当は頭の整理を何かに集中することでしようと思っているのです。職業柄座禅でもすれば良いのでしょうが、どうも余計妄想が出ましてダメなんですよ。禅宗の坊さんってすごいよね。わたしゃ 無理だ。頭も体も動いて寂を得る。
 前項のタヌキの話ですが、皆さん自分の目で見たことありますか?お寺の周辺にはタヌキが住んでいるんです。私は朝がいつも早いのでまだ夜が明けない。そんな時、庭に出てきたタヌキを何度も見ました。実に可愛い。でもいつも一匹で何匹か集まって相談事をしている時に出会ったことがない。人間様とはここが違う。
 タヌキの世界は良く知らないが、自己責任(?)が徹底していると思うんですね。彼らは生きるために少々の悪さをしますが、人間様とは偉く違う。彼らから言い訳を聞いた試がない。
 この世の悲劇は、人間の思い上がりから生じたと断言してもよい。全てが自分の思うようになると錯覚し有りの儘の自分と向き合わず、自らの責任を果たさず、他の所為にする。これが実態です。その結果、本来生まれた時に誰しもに授かった”優しさやいとおしむ”心を失った。報復・・・・・・これは、自らの犯した罪は棚上げし相手を誹り攻撃することを正当化するという我執。この論理では行きつくところは破滅である。
 これを防ぐ唯一の方法は、相手の立場になって考える。これができれば良いのですが、難しいか・・・・
 ならば少し妥協して、そう努力してみてはどうでしょう。世の中が違って見えてきますよ。
でも ”怒り”は必要だと思う。忿怒相をした仏像をご存じだと思いますが、怒るべき時は怒れ!その代表格が不動明王、ニコニコしたお不動様見たことないですよ。多分時には笑顔を見せたいと思いますよ。
 自らの役目と考えてあのような形相をされている。
  その役目とは    大日如来の使者として教化が難しい衆生を救うために忿怒の姿を仮に現したという。
 

2638:驕り

 国・地方に関係なく、いま日本の政治は一党独裁となっている。保守革新の境がハッキリせず、政策の中身で判断するという選挙制度が疑われてから相当時間が経過した。マスコミもここまで政治家の醜態が露わになれば報道せざるをえなくなり、某大臣の被災地に対する「  ・・・金目発言」、これなど福島の人々を何と思っているのか常識を疑う。都議会での女性議員に対するヤジも同様に、政治家の品位欠如。人の痛みを解しない人間がバッジをつけると悲劇になる。
 最初から彼らのモラルなど期待している人はいない。むしろ、自分の利になる人間を応援し、その人物云々は後回し。結果何が起こったか?言わずもがな、天文学的な借金と利権体質。ここから脱皮する手立てなどなく、その覚悟などサラサラない。ひたすら自らの正当性を主張するが闇の部分はひた隠す。昔から驕りが油断を生むと言われてきたが、今回もお詫びの行脚で許すのか。もっと怒れ! 貴方は何をもって政治家を志したのか!
 周囲からチヤホヤされることに慣れてしまうと人間は自らを律する力が萎えてしまう。そんな連中がウヤウヤしているではないか。
 これだって、私はハッキリ言うが、政党のトップの言動に起因する。タカ派かどうか知らないが。あなたは国民の一票によって国政に立たせてもらっていることを忘れている。
 今に見ていなさい政党支持率など一夜にして変わるから。正直、有権者は他に支持できる政党が無いからで、どこの選挙をとっても投票率が低迷しているのは、揺るぎなき証と言わざるをえまい。
 国としての明確な方針を示しているかのようだが、実はそうではない。方針は国民に丁寧に説明し了解を得て初めて発揮されるべきだ。何をそんなに性急に事を進めるのか?良識ある人々は皆がそう思っている。
 残念なのはそれがうねりとならず、マスコミも取り上げない。
  新興国といわれる国々は、責任あるポストの人間には厳しい。なぜか?それは国民の目があるからで、非のある同志には厳しく、庶民の声を大切にしようと努力している。本来それが政治の要であるべきところ、それを失いかけているのが今の我が国の実態だ。
  

2639:3つのタイプ

 敢えて3つのタイプという枠組みを考えてみました。
タイプ①・・・言われなくても自ら気づき自分で行う人間
タイプ②・・・言われてやっと自分で行う人間
タイプ③・・・言われてもやらない人間
 さて、貴方はどのタイプ?分かりやすく掃除を例にして説明しましょうか、私の小学生時代は雑巾を各自用意し教室に置いたものです。一斉に掃除の時間があり、先生も生徒も一緒に掃除しました。いま、雑巾をどう絞るか分からない子供がいると知って愕然としました。使い捨てモップなど便利なものがありますから、雑巾が必要ない。多分、良く絞って次に使う時までどこかにかけておくという習慣がなくなったからです。それとこんな事も言えるのではないでしょうか。綺麗になった庭を見て、『ああ、綺麗になってるわ。誰かが掃除したんだね』で終わってしまう。その誰かが誰なのか気にならない。それだものその誰かに自分がなろうなんて発想が浮かばない。
 この実態は深刻ですよ。でも、何故なんでしょうね?視野狭窄症なんて病気ありますかね、もし有ったらごめんなさい。分業化が進むと全体を見る能力が失われます。教育や福祉の分野でその弊害が至るところに出ています。
 格好よく言えば専門性??? どうとでも言えますがね。屁理屈でしかないでしょう。 
 まー掃除程度のことならば大した騒ぎになりませんがね。外交問題で特に政府がなんだか知りませんが躍起になっている集団的自衛権の解釈議論、いやー聞けば聞くほど分かりませんね。あれって万が一紛争に巻き込まれたとき、決定を下すのに、また、ああだこうだと議論するんですかね。この動きは、まさに雑巾絞りができない子供と根っこは同じではないのかと私は思います。
 憲法の解釈を時の政府によってどうにでも解釈変更が可能となれば、どうなるかという事をあの人たちは考えない。
 いまの政治の矛盾と限界は、平和をうたいながら武器輸出や原発輸出を認めているという政府の一貫性の無さ。こんな日本を外国がどう見ているか!
 我が家の猫、ミイがまたどこかの猫と闘って(?)顔に怪我しましてね。時間が経つにつれて顔が変形、これは大変だと動物病院に連れていきました。膿を出してもらい化のう止めの注射を打ってもらった。翌日から元気になりまして、また外を走り回っています。
 そこの先生がおっしゃった、決してミイちゃんは負けていないですよ。本能ですからね。猫は本来自分で傷を舐めて直す。自分の住む範囲が分かっていてよそ者が侵入すると怪我することも恐れず、相手に立ち向かう。けれど、相手の領域にまで行って戦いは挑まない。
 ここなんですね。私が思う矛盾というのは、責任ある立場の議員が、先進国の中で一番、国防対策が遅れているのが我が国だと明言した。その時、即思いましたね。あああ・・この人は戦争が起これば真っ先にどこかに身を隠す人間だと。何をもって先進国だと言うのか、この人には分からない。雑巾絞りができない子供と大差はない。
 政治家にタイプ①の人間がいない。これが先進国と言えない最たる理由である。
 

2640:ドライバー視点

 最近、帰宅が遅くなっている。体の良い言い方すればお付き合いです。酒は飲めないのですが少しならと思って飲んでしまう。殆ど車で出かけますから帰りは土浦で降りてタクシーを使う。
 タクシー運ちゃんの視点?特に夜間の運転手さんは大体話が好きだ。「最近どうですか?元気ありますかね?」と私から声をかける。「イヤーダメだね。地方には全く関係ない。可笑しな世の中になったもんだよ」独り言のように話し始める。
 ドライバーになって日が浅い人が多い印象だ。アルバイトではなく、生活の足しに少しでもなればと深夜勤務を自分から申し出て遅くまで運転をしていると聞く。
 彼らの世の中を見る目は正確で単刀直入。いろんな人を乗せるからという事もあるが、自分自身が生活するのに必死なんだね。一般の人が家でくつろいでいる時間に駅前で順番を待つ。
 彼らが言うのは、昨今の世の中の動き、その恩恵を得ているのはほんの一握りの人間だということ。そうだよな!ワンメーターの客だっているはずだ。だからと言って乗車拒否などできない。
 時間外手当が出るわけでもなく、自分の稼ぎに対しての歩合で金銭を得る。いたって単純明朗会計だ。
 昨日の集まりは夜の6時から水戸であった。9時過ぎると常磐線の本数は極端に減る。それを待っている間ニュースを聞いた。
 上司のパワハラでの犠牲者(?)の遺族が上司と会社を訴えた。その判決では双方に6千万の賠償命令が下る。パワハラの実態は知らないが、強く注意されたとか言うのであれば、どうなんだろう?
 昔、権利と義務ということが分からず誰とだったか議論した記憶がある。最近のニュースを聞いていると話を複雑に複雑にしているように思えて仕様が無い。昔ならば、上司に注意されるのは当然でそこから歯を食いしばって這い上がってくる人間を美徳と感じた。
 教育・・・教え育てること。「ハイ 誰々さん。いいですか、これはこうやってね。こうすればできるでしょう。解かったかな?さーやってみましょう」・・・・こんなんで良いんでしょうかね。私ならば憂いますね。もっとハッキリ言って欲しいと直訴しますよ。
 モンゴルに嫁いだ日本人女性の話、羊や馬の放牧が収入源、パロでの生活も大変だが街に出るにも車などなく、自分で馬に乗り、数時間かけて食料品を調達する。同じ日本人なのに逞しさを感じます。
 何も好き好んで豊かで便利な日本を離れ、モンゴルに行くこともないだろうと思う人もいるでしょうが、彼女は自らの意志で今の生活を選んだ。夫がモンゴル人だったことが一番の理由だろうが、凄いと思う。
 豊かさって人それぞれなんですよ。でもこれだけは言えますね。今みたいな生活を日本がこれからも続けていたら70年前に南方で戦死された人たちの大半が餓死だったということと同じに必ずなります。補給経路を遮断され、食べるものも無くなった時になって義務とか権利をいくら叫んでも誰も助けてはくれまい。
 その辺の先の見通しがあるとは、どうしても思えないのは私だけでしょうか。

2641:禁じ手

 日本が今の財政状況からの打開策として封印されてきた”禁じ手”を使うのかどうか?先の大戦の戦後処理と同じような事態の可能性?必ずや選択肢の一つにあるはずだ。
 その手はデノミ、記憶にあるのは1994年ユーゴスラビア・デイオールが10億分の1のデノミを行った。2008年ジンバブエではなんと100億分の1という信じられないデノミが行われた。コペルニクス的転換?一時5000億デイオール札が印刷されたという。
 いや、私たちの住む日本とて決して例外ではないはずだ。日経新聞2010年3月18日に当時の鳩山内閣で藤井財務大臣にデノミの検討をさせたということが明らかにされた。万が一国が財政破たんし自力回復が不可能と判断されれば最後の手として円の価値を下げるしかあるまい。これは経済にずぶの素人である私でも容易に想像できること。ただ、日本人は世界でも珍しく、勤勉家が多い。だから努力すれば救われると信じてしまう。逆に自らの意志で行動することが苦手、何故なのか?原発の”安全神話”が脆くも崩れた3年前の福島原発の大事故、あの後、どう変わったか?
 アベノミックスでの3本目の矢、すでに放されたのかいないのか?多分、大多数の人々はここまでは関心が無い。メデアは挙って景気の上向きを吹聴、雇用の回復等できる限りのプラス材料を寄せ集める。だが、その裏の実態は、額面通りに受け取れないものが多い。国全体で正規社員の割合が減ったとも、人材確保特に工事関係者不足、これは年齢を理由に引退した人たちが多くいるし、その技術は容易に習得されるようなものでないからイザ集めようとしても必要な人が集まらない。当然です。それと最も分かりやすいことは、一向に国の借金が減らないことだ。消費税アップで一時消費は冷え込むと予想、そこでメデア各社は想定内の減少に止まったと報道した。だが、肝心なことは国債の増減だ。減ったどころか逆に増えている。震災処理の経費がかかったとの理由づけ、これだって説得力がない。補償金がどれほどかかるか今でも曖昧でこれからどうなるか分からない。
 日本の外交を見ていると後手後手の対応が多すぎる。昨夜テロップで流されたニュース、お隣の国がミサイルを発射、緊急に関係大臣のコメントが流された。一方で拉致問題解決の協議中、よもやこの時期にと思ったに違いない。
 自立という意味だが、これは最悪の事態になった時に自らの力で耐えられるか否かだと思う。
 自分の事を言うのが一番だと思う。障害福祉の流れは確実に地域との共生に舵が切られた。ただ言葉の一人歩きは否めない。理想としては障害者が有りのままの状態で地域に受け入れられる社会づくりだ。それがどうか?自立していない自分たちが障害を持っている人たちの自立をサポートする。これって実にヘンテコリンな仕組みなんです。いつまでも足踏みしていると・・・・・・よもやと思うようなことが起こるかもしれない。
 備えあれば患えなし。昔の格言は実に意味深い。

2642:下町

 東京の足立区・荒川区・葛飾区・・・には今も下町風情漂う、昔懐かしい場所が多く残る。町屋にある斎場で葬儀があり、ビジネスホテルに宿をとって頂き、夕刻ブラリと街の散策にとしゃれ込んだ。偶然飛び込んだコーヒー店、入った瞬間”何かが違う”と直感した。雰囲気が昔と同じで、薄暗く一人で座れる座席があり、皆さんそれぞれがゆったりとした時間を楽しんでいる。驚いたのは全ての席に灰皿が置かれ自由に煙草をふかし、新聞を読んだり書き物をしたり、
 その中のお年をめした一人の男性の方が気になった。多分、近所に住まわれている方かいかにも常連といった感じ、ホットコーヒーを頼み、ミルクはいれずスッテッキの砂糖を丁寧に破いていれた。直ぐには口にせず。ゆっくり周りを見回しお決まりの座席?に座った。ああ・・・良いな。まだこんな場所が東京に残っているんだ!私は通夜を終えたばかりだったのでアイスコーヒーを頼んで喉を潤した。
 当家で用意されたビジネスホテルにはレストランがない。明日の朝食はこの喫茶店と聞いていたのでその下見もあった。
 ホテルのエレベーターで法衣姿の坊さんと出会う。近くにある大きな斎場から一番近い宿である。地方から来られた住職が泊まって通夜~葬儀を務めるのだ。前にもこの斎場を使ったことがあるが、東京であれば有名な民間会社経営の斎場で都内の大半の葬儀を引き受けている。同時に10か所の葬儀ができるホールがあり、エレベーターで皆さん移動する。私などウロウロしてしまい、案内してくれる係りの人がいなければ、どこに行ったら良いのか分からない。
 それと街には自転車が至る所に停めてある。歩道と言わす車道も自転車で堂々と通っている。地方の商店街とは違って、小さな店もシャッターが開いていて商売が成り立っているようである。大型店舗に客が奪われ人気の無い地方の目抜き通りとは偉く違う。
 でも、これだってどうだろう。何せ道が狭く、ぎっしりと家が建ち、万が一、大きな地震が起こったら、一瞬にして廃墟と化す。逃げ惑う人がどこに避難すれば良いのか、これは下町だけでなく銀座や有楽町の地下街でも全く同じ、そうなんですよ。危険と背中合わせで生活が成り立っているのが大都会なんです。
 私には合わない。寧ろ住みたいとも思わない。
 土浦から道路が混まなければ1時間ちょっと、そう考えれば実に便利になったものだ。早朝ドイツ戦をテレビでみていて眠い。帰りの首都高は凄いスピードで車が通る。一瞬の油断で大事故に巻き込まれることは十分考えられる。
 結局、どうなんだろう?この膨大な量の車、その燃料となるガソリンは日本は自国で賄えない。
 集団的自衛権の行使云々に関し、閣議決定されたとか野党の党首がそれぞれコメントを述べていた。こんなにも沢山の政党があるのかと思ったし、安倍さんの記者会見も野党の党首の話も実に分かりづらいものだった。
 都会での生活のビジョン、有事の際の対策はあくまでも想定される範囲内、どんなことが起こるかまでは盛り込めない。これと自衛権の議論がダブってしまう。想定される状況を文書化しているようだが、それは不可能だ。
 先のことを今考えてできるんでしょうか?私も貴方たちもその時にはもういない。
 

2643:クサトリ

 砂利をすいた場所に生えた草を取るのがこんなに大変かと思いました。多分、雨が降った後ならばそうでもないとは思いますが、昨日は蒸し暑い中を相棒のNさんと一緒に一日かかって漸く草を抜くことができました。
 草の身になれば、必死に土に根をはり生きていこうとしている訳ですから、私は罪づくりな人間です。そんなことを独り言のように考えていました。
 私がいるのを見つけたメンバーが話かけてきます。「今週、おばさんの法事があるんです。両親はもういないし、もう誰もいなくなってしまいました。」と弱弱しく何かに救いを求めるように、それをただ聞くだけしかできなかった。
 自転車で40分かけ農場に勤めているMさんが自転車を停めて話しかけてきました。「給料もってあがるように社長に言ってくれよ」彼の仕事ぶりを知っている人ならば何か言えたでしょうが、これまた聞くだけしかできなかった。
  なぜか?自分では分かっている。彼らの中にもっと自分が入っていかなければダメだ。それが本来の仕事のはずだったろう。
 相棒のNさんも例のごとく独り言、「ああああ また言ってる。仕事もやんねーで・・・・」玉のような汗を袖でふきながら草と奮闘している。
 少し離れた場所では、トラックに枝を乗せ山掃除をしているグループ、その中に休みなく声を出しているHさん、彼は良く耳を澄ませても私には何を言っているのか意味不明、スタッフが言うには、彼は良く人を見ている、間違いない目だと。
 ほぼ草取りが終わり帰ろうとしていると小走りにTさんが近寄ってきた。「うるせーんだよな。」と後ろを何度も振り返りながら、たった今、誰かに注意されてきたようだった。
 天候不順の今週、晴れ間こそないが湿度が高く、蒸し暑い一日の出来事でした。ジャガジジャーンってか!!!!

2644:夫源病

 命名されたお医者さんの名は知らないのですが”夫源病”という病気があるそうです。妻からみて夫の存在がストレスの源という事らしい。誰しも思い当たる節はあります。外で疲れて帰宅したら即『いま何時だと思ってんの‡』と雷が落ちたらそりゃー堪らんでしょう。でも、昨今は共働きが増えました。お互い様なのですが、”婦源病”というものは存在しないのでしょうか。
 病気の襲名披露ではないでしょうけれど、やたら新手の病気が増えました。
さて、ストレスに関してですが、私はこれは薬ではなく、自分なりの解消法を見つけないとと思っています。それも・・・・目立たず されど ひたすらに・・・・・(どこかで聞いたような言葉)
 最近、私のところに写真を送ってくる方が増えました。散歩の途中で撮ったものですとか山小屋周辺の写真、これには必ず自然や動植物が写っています。携帯で今、綺麗な画像が撮れますからでしょう。
 私の場合は、クサトリです。這い蹲って草と闘う。闘志が湧きます。あっちも強かで根っこまでは抜かせない。だから直ぐ芽を出してくる。イタチゴッコです。
 アッ! 突然、揺れを感じました。地震か?3.11を思い出しました。
 どうなんでしょうね。今の政府に地震は起こらないのですかね。集団的自衛権行使の問題ですが、絶対反対という意見が封印されてしまった?それも党内からのですよ。順番が逆じゃないのかね。閣議決定してしまってから国民に説明すると、それも丁寧になんて尾ひれ付き。性急しすぎませんか?内閣府の権限を強固にするというのは表向き、私には独裁政治にしか思えない。あなたはそれでどのように責任を取るお積りですか?
 命名されたドクターに一度聞いてみたい。 
 ついでに
 3日後に行う研修大会の準備が大体目鼻がつきました。そしたら台風の発生、その動きが気になります。人寄せは大分前から準備し、参加される方に迷惑がかからないようにと思います。ただ、天気はどう仕様もありません。
 日本人は昔より自然とうまく共存する術を身に着けてきました。台風や地震は人力ではどうしようもないけれど、・・・・。そこから絶対ということがタブー視され、被害にあっても根気よく復興をしてきたのです。
 これが生きる智慧でしょう。地域の文化や風習にそれを見つけることができます。
 ただ、福島原発事故の後遺症は、未だこの先どうなるか誰も分からない。果たして住めなくなった地域の復興は可能なのでしょうか?チェルノブイリ事故のその後はあまりメデアが取り上げない。福島への影響に配慮したものか。
 現代病という大枠で括るには、複雑で多様化しすぎます。これだって人間が考えたことで医療費制度の仕組みの中から生まれた。何か逆なんですね。制度や条例は時代と共に変わります。でも国の礎は変わってはならない。それが憲法です。もし、それさえも変えることができたとしたら、後々、そのことが大きな問題として必ず出てきます。いかなる理由を付けたとしても、手続きが順逆では・・・・仏教に順縁と逆縁というものがあります。
 日曜日のNHKテレビで各政党の代表による討論番組がありました。正直、聴いていて空しくなりました。全員が先の戦争を経験していない。だからかもしれませんが、言葉に重みを感じなかった。
 紛争に巻き込まれたらどうするかという前提での理屈ばかり、巻き込まれないための方策は彼らには考える能力がない。売られたケンカは買うしかないと啖呵をきる始末。
 マスコミにも言いたい。何故この時期に関西の某県議の醜態を飽きもせず流すのか、国防という大きな問題を取り上げた次のコマがあの泣きじゃくった顔、私は何かそこにメデアも巻き込んだ隠された意図を感じてしまう。

2645:開陳(大会終えて)

 雨降って地固まる・・・・・・・備えあれば患いなし・・・・・・一炊の夢
 昨日から、この言葉が頭の中を駆け回る。今この瞬間での私の心の開陳です。明日の夕刻には、果たして如何に?
 日本人が持つ良さを見失うのではなく、今こそ心ある人たちが自らの足で立ち上がり復権すべきと思います。10日~11日と第45回関東地区知的障害者施設職員研修会を水戸で開催致しました。昨年の代表者会議(プレ大会)と合わせ丸2年準備してきたのです。各県持ち回りで開催、9年に一回廻ってきます。
 事前打ち合わせを何回も開催して準備してきましたが大会資料が完成し、袋詰めが終わったのは9日の前日でした。想定外で、喜ぶべきものは、参加申込み者が想像以上に大勢あって、分科会の会場変更を2回行うことになり、担当者は大変でした。
 なんと言っても、最も心配したのは、過去に経験が無いという超大型台風(8号)の動きでした。天気予報を見ると、10日~11日は丁度水戸を直撃するというものでした。2日前に各県の事務局に予定通りに開催する事を知らせ、県内の事業所にも連絡し、協力をお願いしたのです。正直、不安一杯でした。
 それが何ということか、大荒れする時間帯になっても風が強まることもなく雨も小雨程度で全く支障が無かった。1日目の研修が終え宿に戻ったのは夜中11時近くになっていましたが、その後も何度となく外を眺め過ごしました。
 上の心の開陳で最後の「一炊の夢」だけは徒労に終わった。天は我々を見捨てなかった。そんなセリフに自己陶酔、私はなんというバカ者か!
 翌日、常陸風土記を元にしたシナリオでの太鼓の競演、会場にいた全ての人々の心に深く響いたに違いない。大舞台で演じた人たちは実に見事だった。その感動が”共生”への条件だと確信できた。東海村の村上前村長の講演もさすがだった。
 160名の大会スタッフが大ホール玄関で2列に並び、参加者を見送った。願わくは、ここで感じ得たものが、明日からの仕事の上で何らかの糧になればと思った。
 人間は身の程を弁えず、自らを誇って他を謗る。これを”驕り”と言わず何と説く。
 原点回帰・・・・この子らを世の光に・・・・私たちは、先人達が形振り構わず無理解な人々と闘ってきた姿を忘れかけている。事業規模の大小で評価するなどバカバカしい。・・・・・が、国は大規模化を推進、命の尊さよりも効率化を優先しようとしていないだろうか?
 そんな問題提起を想定してみたものの、果たしてその結果はどうだったか分からない。
 準備に骨身惜しまず協力してくれたスタッフに先ず感謝、次に台風の直撃が分かっていたにも関わらず参加してくれた方達に心より感謝申し上げたい。(総勢1100名を超えた参加者の中、キャンセルがあった方が20名程度であった)
 

2646:休み無し

 大義親を滅す・・・・この中国の教えは、日本人には向かない。なぜか?日本人の持つハッキリ自らの意見をいう事を良しとしない慣習、思慮深さとは違ったある種の自己防衛的処世術だと私は考える。
 こんな事を言えばどうなるかを言う前から考えてしまい口を閉ざす。そんな場面に何度であったことか、だから見なさい、会議が終わった後のザワザワした雰囲気、何故会議の席で言わないのかといつも腹が立つ。
 大義名分、これには2つの意味があると知った。①は人として守るべき節義と分限。②として行動の理由づけとなる明確な根拠である。その逆は何だろうと考えた。曖昧さかもしれない。国政の議論を聞いているとどうしてもそこが気になる。外国に対し、日本の大義は何か!
 実は順風満帆な時には、人間は自らを反省することをしない。生きることに不自由を感じない時も然り。それが逆風に身を置いて初めて自らを省みる。
 ここ数日は大会を如何に無事済ませるかに心が奪われた。終わって正直、気が抜けた。でも、現実は休むことを許してもらえない。次々に出てくる問題(?)に対処しなければならなくなった。
 先日あった悔やみの席、最後の別れをする時に、95歳で亡くなった母親に子供さんが「迷わず父さんの所に行くんだよ」と声をかけていた。早く亡くなった父親の分まで長く生きてきた母に感謝の気持ちをかけたのだ。
 それと、こんな法事を行った。もともとの檀家ではなく、葬儀を済ませてから私の寺の墓地を求めた方だった。葬儀は故人の遺言で宗教に関係なく音楽葬で行ったと伺った。「どんな音楽が好きだったのですか」と聞いてみた。
すると「木村義男さんでしたね」、遺影からシャンゾンか軽音楽がお好きなような気がしていたが意外にも演歌だった。法事の後の話にしてはいつもと違う。「私は青森生まれなんです、主人は川崎なんですが、津軽の曲が特に好きだった・・・」
音楽葬の最後に流した曲が美空ひばりの「川の流れのように」だったと。
 実は私もそうなんです。古賀政男さんの曲が好きで今凝っているのは吉幾三なんですけれどと言うと・・・・津軽平野ですね・・・と笑顔が返ってきた。
「あれーまー  ホントに   お父さん 良かったね・・・・」遺影に向かって声をかける奥さんの姿が実に印象深かった。

2647:光明

 仏・菩薩の心身より放たれるという光は、只管、保身と自利の為に生きようとする民に如何様に智慧や慈悲を与えるのか!
 真言宗では光明真言を100万遍唱える行がある。長年かけ積み重ねられた垢は、容易に落とせない。片手間な思いで、もしも人を支えるとしたならば、周囲に多大な迷惑と恩を仇で返すことになりかねない。
”馬耳東風”人の意見や批判など、心に留めず聞き流す。これは、春風が吹くと人は喜ぶが馬は何の感動も示さないという例えからきている。これだって信念があってのことなれば、それなりに一理はあろうが、日和見主義が重なれば悲劇となる。
 別に構わない。周りはそのような人間とは自然と離れ、自分が独り残された時になって気付いても既に遅しというのが定番だ。私が感じるその類の人間は、残念というか喜劇というか、その自覚を持ち得ない。斯様な人間が組織のトップにある場合、これはもう悲劇としか言いようがない。
 親鸞は悪人正機説を掲げ、既成の宗団に真っ向から立ち向かった。
 その教えの本旨は・・・・・・仏が救済したい対象は衆生、そのすべての衆生は末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」で、自らを「悪人」と目覚せられたものこそ、仏の救いの対象である・・・・・というものだ。
一方、我が宗派、真言宗の空海は、同行二人を説いた。

  一人じゃ ・・・・・・できないです。 二人づれです。 同行二人です。 いっしょに歩いてくださる方があります。
     同業二人です。 業を同じくしてくださる方があります。  一人で苦しむことはないのです。
                                                              南相馬市出身、東日本大震災後、新潟県三条市に避難生活されているご夫妻のブログから

2648:同調圧力

 Peer Pressure 同調圧力
 ある研修の場でその言葉を耳にし、一瞬ハッとしたのです。その意味は、多数意見に逆らうと恥の意識を持たせ、少数意見に対してはネガテブキャンペーンを行い風評被害をねらう・・・・とでもいいましょうか!
 よく見かける圧力で全会一致で意志の統一をはかろうとしたときに言われるものです。
 日本人特有のものかどうか?もっと砕けて言えば、”みんなで渡れば怖くない”さらに言うと”責任を取られ無いためのリスク対策”、これって昔から何にも変わっていない。それで良いんですね!皆の衆。私は性分で嫌で嫌ででダメです、黙して語らずができません。恥も外聞もなく、喚き騒ぐまでは今のところ至っていないと思うのですが、事と場合によってはその保証はない。
 ・・・・が、これだけは言います。決して自分が言っていないとは言いませんし言い逃れは大嫌い。ですから、陰口は聞かない言わない主義です。
 これは私のDNAかもしれませんね。あるいはトラウマ? これって実はどうでもいい事なんですよ。自分の責任だと思えば、ただ、その責任をどう取れるかです肝心なのはね、
 よきにはからえ・・・・なんて殿様みたいなことになりませんよ。当然だと思っています。
  論語読みの論語知らずなんてことに成りかねません。
 いま、私はお盆の準備の真っ最中、今頃から始めるんですかと良く聞かれるんですが、毎年そうです。一応、2か所の寺の住職、住むことを職業としていますが、体が一つなもので、いつも謝っている始末。昨夜遅くになっていつも頼んでいる塔婆屋さんが塔婆を届けてくれた。塔婆の材料になる木、いま殆どが外材だと聞きました。それもロシアとか中国から原木を買っている。木の種類はモミの木が一番良いとのこと、何も石油だけでないんですよね。
 800軒の檀家さんって多いのかどうか分かりません。でも葬儀の予約が入ることって先ずありません。ですから、先送りができない仕事な訳でそれを当然と思ってやって参りました。
 時々酷い(?)と思う葬儀屋にぶち当たりますとね、言ってやるんですよ。「あんたの都合か!」と。いま葬祭業は大変な競争社会です。私が関わる福祉の業界とは雲泥の差、なぜそう思うか。
「できない、やらない、かかわらない」三無主義が許される業界と言うと穏やかじゃないかもしれない、だって、あまりにも綺麗ごとを言いすぎるから、皆さん怒っていますよ。誰が????”お客さんがですよ”
 万が一でも、お客さんに高飛車に出る職業があったとしたら天罰が下る。そんな事業所があったら世の中に不必要なものでしょう、なぜ しぶとく残っているんですか???即 レッドカードで退場です!見なさい!何か問題が起こると辻褄が合わなくなるんですよ。天罰だ!!!!!。そうだ そうだ 同調圧力だ。
 

2649:経験から

 昔の人が失敗の中から学び取れと言ってきたことがこの歳になって身に沁みている。
 偶然にも成功体験を何度もしたとして、後々のその人の人生にとってプラスとなることは稀だと思っている。実は”自惚れ”の源がそこにあるからだ。沸々と湧き出る泉のごとく、際限のない欲望が、深みの分からない沼と化す。今の日本の危うさは、経済の繁栄を成功だと考えることから生じている。それを大義と勘違い、先人が自分たちの苦い経験を省みて我々に語りつごうとしてきたものを、ここでもう一度思い起こしてみるべきだ。
 昨日、マレーシア航空の撃墜事故のニュースが飛び込んできた。その真相は明らかではないが、飛行機自体のトラブルが原因ではなく、どこかの国のミサイルによって撃墜されたことは確かなようだ。いま閣議決定し有頂天?になっている人たちに聞いてみたい。斯様な状況が万が一日本の航空機に起こったとしたら、貴方たちはどうするのですか?8項目だかなんだか知らないが、憲法解釈の次第如何で自衛隊を派遣し、銃先を向けるのですか?誰に向かって?
 何故民間機を狙ったのか、それが誤爆だったのか?その判断もできない事態において。
 日本人の危うさの最たるものは、不戦の誓いを踏みにじる有識者達、さも愛国者だと自認してやまない輩の無責任な言動だ。そんな事を友人と話をしていたら、あんたは宗教家としてやるべきことがあるはずだと言われてしまった。
 私自身の経験から、正直、今まで自ら行動を起こしたことはなかった。言われるまでもなく、深く身に堪えている。
 どうなんだろう? 今の日本が進もうとする方向は正しいのだろうか?立場立場で考えも異なるのはわかるような気もするが、高見の見物で良しと考える人間が多すぎないか。
 私個人ができることは高が知れている。脇目も振らず、今の仕事に専念し、それを社会に訴えていくことが・・・・・・・・・・・。
  身の程を知れ!との叱責を自らが自らに突きつける。
 私たちの年代から戦争の怖さを知らずに育ってきた者たちだ。現職の国会議員の大半が私達と同じ戦争体験がない。その彼らが行う決め事が何を根拠としているのかさえ掴めない。良く例にだされるのは永世中立国を宣言したスイス(1815年ウイーン会議)の存在、日本と比べ人口も少なく小国だ。ドイツ語。フランス語。それとイタリア語を母国語とした人達により国家を形成している。スイスの歩んできた歴史と日本を単純に比較はできないけれど、今の日本の状況は、決して安心できるものとはなっていない。
 較差が生じる社会を国が豊かになる過程での痛みの一部と考えるとすれば、これだけでも国民を騙したことになるのではないだろうか。
 

2650:三十三回忌

 私が住職になって三年目、今でも良く覚えている葬儀を行った。それは30代の若いお母さんで小さな二人の女のお子さんがいた。幸せな生活を送っておられた家庭に突然おこった不幸、ご主人の憔悴した姿、その傍にずっと離れずにいる女の子たち・・・・・・・今でも思い出すと涙が止まらない。そして、今日その方の33回忌を行う。
 釈迦は現世の無常を説いた。そして生から死までを8つの苦しみとして分かりやすく説いたのだ。四苦八苦、・・・・・求めても得ることができない苦しみ、愛するものと別れなければならない苦しみ。。。。。
 既に釈迦が生きた時から優に2000年という年月が流れている。人間が生きられる時間は精々90年、その中でさえ、もがき苦しみを繰り返す。しかし、誰しもが必死に生きようとしているのだ。世界の4大宗教に共通するものは、地球上の動物の中で人間が一番危うい生き物だから、自分たちを育み束の間の喜びを与えてくれる稀なる地球、なのに人間はその恩に報いるどころか自然を破壊し、人と人の殺し合いを凝りもせずに続けている。
 釈迦は、そんな人間の本性(本能)を熟知していたからこそ、末法の世を我々に示したに違いない。
 宗教により国家を統治しようとすれば無理がある。釈迦はそれゆえに全てのもの、教えを受け入れようとしたに相違ない。前項の永世中立国、私はスイス1国がそうだと思っていたが、そうではなく他に7か国が永世中立を宣言し、認められていることが分かった。
 相手の有りのままを認められれば争いは減る。それができないのは我執があり、自分の思い通りにしようとする都合の良い基準を決めるからだ。今回のウクライナでの民間機撃墜の悲劇は、被害にあった当事者にとってはどのような慰め言い訳も受け入れられない。
 これだって地下資源という麻薬とも思える利権の奪い合いが影響しているのは間違いない。数万年いや何億年という地球の歴史のなかで作られた地下資源を人間は自分たちの豊かさの為に奪い合う。
果たして昔の人達も同じような理由から、殺戮の報復合戦をしてきたのだろうか?
 原発の再稼働が秒読み段階に至っている。嘘かホントか 某新聞に目立たず、電力会社の会長との会食の席で「どうにかしますから・・・・云々」という政界トップの軽率発言が載っていた、また地方議員への原発関連企業からの政治献金も今朝の新聞(A紙)に出ていた。
 原発を停止した場合、今よりも数倍電気料金が高くなる、火力発電に切り替えると汚染が今以上に広まるとの説明・・・・・・。どちらの理由も説得力に欠ける。
 頭脳明晰(?)な人間が智慧を絞って説明資料を作成し、更に透明性をはかる為と有識者による検討会がセットになった。国と全く同じく地方もその手法を取り入れている。一般人は目くらましにあったようなもので、検討会のメンバーはどうして選ばれたかを知ればわかること。
 こんな事を独り言で繰り返している自分が虚しい。大勢は何も変わらない。     まてよ!それでお前は良いのかよ。仏飯によって今があることに目を向け、悔い改めよと誰かの声、
 同じ考えを持つ人は必ずいるはずだ。悲しみや苦しみを経験しない人は誰もいない。
 

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