源究150

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2511 さりとて 8/25 2516 菩薩どう 8/30 2521 情報開示 9/6 2526 水戸通い 9/13
2512 新陳代謝 8/26 2517 防災の日 9/1 2522 移木の信 9/9 2527 則天去私 9/16
2513 馥郁たる・・ 8/27 2518 鐘の音 9/2 2523 夢・希望・・ 9/10 2528 台風一過 9/17
2514 ライフワーク 8/28 2519 災害 9/4 2524 医療事情 9/11 2529 中秋の名月 9/18
2515 学び合う 8/29 2520 時流 9/5 2525 オリンピック 9/12 2530 陰徳 9/20

2511:さりとて

”あんたね。そうは言ってもだよ俺はこう思うんだよな”
 いつの間にか斯様な言い回しを口癖にしている自分に気付きます。現状に対し、多少懐疑的とでも言うのでしょう。少し違うんじゃないのという考えを言いたくなる。でも、流されてしまう事の方が遥かに多いのも事実です。
 私は拘りとか問題意識というものが昔から強いのかもしれません。
既にあれから40年が経とうとしています。全国各地で学生運動が激しかった時代に東京で学生生活を送りました。
 時は確実に過ぎ去り、当時の面影はすっかり消え失せてしまった。新宿駅の地下街でヘルメットを被り手拭で顔を覆った学生が至る処で見かけた。その地下街は今では都庁の移転や様々なオフィスビルが立ち並んで全く変わってしまった。
 東京に出ると必ず上野を通る。随分周囲の環境は綺麗になったのだが、どこか生活の匂いを感じる。上野の森が残され、不忍池も変わらずそこにある。昔と違うのは私鉄や地下鉄が網の目の如く張り巡らされ、どれを利用すればより早く目的地に行けるかが分かりづらくなった。
 先日、札幌に行ってきた。時間が有ったので北海道大学の構内を久しぶりに散策したが、駅から然程離れていない便利な場所に広大な実習農地を持ち、リスでも出てきそうなキャンパス。学生は皆さん自転車を利用しのんびりしている。
 私は都内の大学で4年間過ごす。そうなんだよね。40年以上の歳月が流れた。
”さりとて”・・・・・・何も変わらないこともありますね。今を生きることの大切さがクロースアップされる現代、誰しも過去を変える事はできない。せめて思い出として思い出すこと位でしょう。
 札幌より帰ってくる時、浜松町が偉く混み合っていた。京浜東北線で人身事故、その影響で電車がストップしていた事が車内のテロップで分かった。
 誰しもこの世に生を受けた以上、何らかの役割をもって生まれたんだよ。 辛いこと苦しい事・・・あげれば切りがないさ。
でも、、、その命を中途で危めてどうなのよ。私には心底からそう思えてなりません。
 毎度、変わりなく敢えて言わせて頂きますとね。そのような人達に是非とも知って頂きたいことがあります。五体満足、何不自由なく生きて来れた貴方!!!この事だけに感謝しなければダメでしょう。
 仕事が上手くいかないと嘆く貴方!!!!仕事が有れば良いじゃない・・・・。何でそんなに自分を追い詰めるの?
 常に移り替わるものにしがみ付き、そこに安心があると勘違いしてんじゃないの。
 本日は日曜日、朝学園に顔を出してきた。Nさんが植え木に水やりしていた。『大子に行って来た。墓参り』と向こうから話し掛けてくる。
 彼は、もう10年以上になるだろうか、転々と居場所をかえ、我々の所にやっと落ち着いた(?)。そして、彼は毎年(お盆)欠かさず行っていることがある。それは生まれ故郷(大子町)の両親の墓参り。誰も訪れることが無くなった墓地は親戚の人達が守ってくれているらしい。

2512:新陳代謝

世の中は古い物が次第に去って、新しいものがそれにとって代わる。
 今でも中東やアフリカで起こっている紛争がそうなのだろうか?小さな子供たちや女性が銃弾の犠牲となり、悲惨な有様がニュースで報道される。日本に居て思うのは、その事に心を動かない人が沢山いるという実態、一体この国はどうなっているんだという事です。
 外国に住んでいる方からのメールに書かれていた。この時期に安倍総理が中東を歴訪、予定に組み込まれていたことで変更は難しいのは理解できる。だが、どうですか。東日本大震災後の政府の対応、何か中途半端としか思えない・・・と。
 マスコミ各社、温度差があるのは今に始まったことではないが、その中で某紙が原発再稼働が進んでいることを批判した。
 ドイツは原発廃止の決定にブレが無く、自然エネルギーへの切り替えを国策として行っている。今の時点で原発廃止をすれば光熱費の高騰は避けられない。でも、何が重要かという国民合意が裏付けにあるから苦しみながらも実現するだろう。
 ドイツはヨーロッパでは最優良国、経済だけでなく様々な分野で牽引役を引きうける。
 本来、政治への信頼は小手先の人気取りではなく、将来を踏まえた政策と行動力にあるべきだ。
 日本人は、国民との同意をどう考えているのか?自民党が圧倒的多数で今回の選挙で議席を獲得、しかし、原発問題を曖昧にした選挙戦を行った。議席を得てから政策作りをするのでは、本来の民主政治では無く有権者を欺いたことになるのではないか。各党の政策に大差がないことが証拠だ。
 2世議員が多い国政選挙、それと名も知られず一代で入れ替わる新人議員。これで、国の直近する重要課題が決められるのでしょうか。理念無き政治家に諂う気持ちなど全く無い。
 政治に本当の意味での新陳代謝を期待することが今・・・この先・・・果たして望めるのでしょうか。
 ”只管打座”・・・ひたすらに坐禅を組むことで今の世の中が上手く行けば良い。
 日本とドイツを比較した時に、その背景になる宗教に偉い違いを感じています。私自身、僧侶という立場でこんな事を言うのは疎ましく、だからお前はどうなのかと自問し続けている。
・・・、先の戦争で一部の人達に責任を押し付け、知らされていなかったと言って戦争を阻止できなかった日本人全てにその責任があると語った先人。
 果たして、豊かさへの幻影を懲りずに追い続けている民族に同じ過ちを犯さないという確たる保証が有るのだろうか。

2513:馥郁たる・・

天声人語に書かれてあったコーヒーの効能、毎日コーヒーを飲んでいる人はそうでない人と比べガンに罹る率が少ない。この記事を私は以前(6年前)読んだ事があって力を強くした記憶があった。それが今朝の天声人語では、1日4杯以上コーヒーを飲む55歳以下の人の死亡率は飲まない人と比べ死亡率が高いというどこかで発表された記事を紹介している。
 なんとまー真意を疑いたくなるような気分。今、朝1番の一杯を飲んでいる最中。一喜一憂して馥郁(ふくいく)たる香りを逃してはなるまいと天声人語で閉めてある。
 私が今、気にいっているのは、狭山市から送って貰っているコーヒーでやや深煎りのもの。舌触りが絶妙で香りが良い。
 昨日の昼、暑い中を一緒に草取りしてくれたNさんと近所のファミリーレストランで昼食をとった。彼は歯が全く無いので固いものは食さない。一緒にビーフカレーを注文、飲み物は自由:セルフサービスだ。これが、全て全自動でいろんな種類の飲み物が並ぶ。
 正直、味も素っ気も無い。アイスコーヒーにしたが、Nさんも半分残して飲まなかった。
 自分で煎れたコーヒーを一人静かに飲む。これが最高の贅沢なのかも知れぬ。
 紹介した記事で55歳以下という文言にひっかかる。俺は63歳、なんだ圏外か!待てよ、これって本当に根拠があるのかな?
 昨夜は天気予報が見事に的中、夜中に雨が降り始め、結構長い時間降っていた。ある場所では生命を危うくする程の大雨が降っているというのに、土浦は例年の半分以下の降水量、周りの木々が悲鳴をあげている、それより特産の梨が大きくなれない。明らかに水分不足が影響している。
 そうかと思うと昨日、稲刈りが始まった。いつもより早いような気がするが、大型コンバインであっという間に刈ってしまう。
 いやはや実に見事、こんな事を言った方がいた。今年の天気は異常だと言う人もいるが、これがずっと続くようになるかもしれない・・・・と。
 私も同感だ。
 福島原発事故の汚染水問題、政府高官が記者会見で力説したとか。「これからは東電だけに任せてはおけない。国が本腰をいれて汚染水対策に臨む・・・」  何を今更言っているんだ。これだけの非常事態に国が先頭にたって対応するのは当然だろう。この感覚鈍磨が今の実態だ。それと明らかになった???という対策費、それが予算化して2年たっても出費ゼロ、これを彼等はどう思っているのだろう?また、責任転嫁と知らぬ振りで押し通すつもりかもしれぬ。
 変な国だよね。これで外面(そとづら)だけはしっかり保っている。
  馥郁たる香り 今の日本には 似合わない。
  コーヒーの生産者・仲買・店主・・・・・これら関わる人々の顔が見えない。 
  これこそが経済優先を叫ぶ人々の落とし穴。それが何の為にという事が言えない優秀なる人達よ。

2514;ライフワーク

”ライフワーク”を持つか否かは重要な事だと思います。生活の糧を得るために止むを得ず働き続けねばならぬ人も大勢いることは承知していますが、日本の現状は、その点で言えばどうなんでしょうね。最近、良く分からなくなってしまいました。
 その一番の理由が格差の拡大ですよ。これを日本は是としています。
 マレーシアがTPP参加を拒否している。また突然何を言うと思われたでしょう。同じアジアに於いても国によって様々、日本がTPP参加を表明し、何やらどこかの国に集まって協議が始りましたが、国内にも反対する人達が大勢います。強行突破するのか否か、口で約束した通りに日本の利になるような形になれますかね。
 外交問題も山積、お隣の韓国はハッキリと日本を批判しています。嘗ての軍事大国に日本がなるのではという危惧?、私はその心配は無いと思います。だってそうでしょう。今の若者がそれを是としませんよ。韓国は若者に兵役を義務化しています。日本は・・・。
 ただ、これを諸手を挙げて喜べない。成人になった者の権利、選挙権の行使に関して投票率が軒並み下がっている。
 これは権利でもあるが義務でもあるわけです。義務を果たさず権利を主張するという風潮が目立ちます。
  そこに何らかの方策が見出せない。これが実態です。
 無関心層へのペナルテイが無い国、これを民主国家と言うんですか?
 私は違うと思います。一票を投じることの意味ですが、尚恵学園では開設時から全ての選挙に皆で投票に行っています。
  正直、字が書けない方が大勢いますよ。でも、投票すること自体に意義が有ると思っています。
 被成年後見人が選挙権が無くなった時に障害者の人達が各地で立ち上がった。その結果、国は選挙権を認める判断をしましたね。これこそ、障害福祉の原点だと思うのです。
 ややもすれば、どうせ出来ないんだから仕方がないと諦めてしまったり、立候補した人でさえ、相手にしないような事になります。
 障害者への支援、これには終わりが有りません。
  日本には定年制が引かれています。60歳とか65歳、こんなの関係ないと思いますよ。でも制度が悪い。働いて収入があってもですよ。貰える年金は支給するべきなんです。それを減額したり、停止するから仕事をしないほうが良いと考えてしまう。当然ですよ。
 65歳になっても働くことに喜びを感じる人が大勢いる筈、今まで出来なかった仕事、例えば福祉の仕事なんか良いんじゃないかな・・・・・。
 

2515:学び合う

限られた情報だけで決め打ちしてしまうことは問題が多い。だからと言って情報を沢山集めて収拾がつかなくなっても困ったもの。なんでもそうだが、バランス感覚が重要になるのです。
 私ぐらいの年齢になれば、目標にしてきた人間が何人かはいるものです。そうなった切っ掛けはマチマチ、その多くが自分に無い能力があるとか、生き様が凄いというある種の畏敬の念が働く。
 相手に直接確かめはしないが、相手も此方を気になる存在として見ている場合がありますね。そうなるとお互いが学び合うという関係ができて、住む場所は離れていても長い付き合いになるものです。ピピピーと閃光が走るとか?
 普通のお付き合いとの違いは、相手が本当に困っている時などやたら手を差し伸べたくなるものです。お節介とは違う。
 寧ろ、お礼奉公の類かな。何故かこんな事を考えていました。
 2020年のオリンピック開催国の決定が間近に迫った。東京が2回連続で応募、ライバルの2国との違いで開催準備金を4000億円用意し財源は盤石との評価があるとか、何かこれに違和感を感じました。
 東京開催になれば、その経済的効果はその何倍かで跳ね返るとの読みもあるそうだ。果たして結果はいかに。
 やることをやってお祭り騒ぎするのであれば不満は出無いかもしれないが、そうとは言えんでしょう。原発事故の処理だって全くメドがたっていませんよ。月日だけがドンドン流れ、被災された地区以外の人々の関心は薄らぐばかり。
 これを先人達がどう評価するか!選考委員の評価ばかり気になっているんじゃないの。
 関係者が言うような元気の無い日本にカンフル剤となりますかね。
 確か全てを犠牲にしてオリンピックでメダルを取ることを目標にしている人達もいます。何事も頂点を極めることは人間の持つ願望で最高なものです。そうやって頑張ってきたから結果がついてくる。
 この考えに何ら異を立てるつもりはございません。
  ・・・・・が。 憲法改正の動き、それに原発再稼働の問題や国の借金のこと、本当にこのままで良いのでしょうか。
 果たして1億2千万の人間がどれだけ真剣に考えているかという事を私は言いたいのです。
 どうだ!! 今回のオリンピック東京開催は諸般の事情を鑑み、取り下げますと宣言できませんか。
  そうすればガラス張りで風通しの良い決断だと評価されますって。
 

2516:菩薩どう(道)

皆さんもご存知の有名な坊さんで高田好胤と言う方が大法輪に書かれた書をパソコンの前に貼っています。
『永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という』と書かれている。
 奈良の薬師寺第24世管主として独特の手腕で荒廃した伽藍を見事に再興された。檀家を持たない薬師寺は建設資金を写経勧進という方法で集めた。また修学旅行で訪れる学生への説法は特に有名でマスコミに大いに取り上げられた。全国で行った講演の数はなんと8000回を越したと言う、坊主の箸くれの私など恥ずかしい限り、その高田氏にも養子として自分を育ててくれた橋本凝胤法相宗管長の存在は大きかった。実に厳しく育てられたと高田氏自身が師を述懐する。
 既に高田氏が世を去って14年が経つ、最近薬師寺には行っていないが、西塔を建設している時に訪れた。大工さんと一緒だったので工事中の内部まで見せていただいた。
 過去を振り返れば、その時代時代に名を馳せた人物がいる。中には私利私欲で膨大な財を築いた人もいるだろう。この類の人物はどんな人生だったと自らを振り返っていただろうか?多分ご本人は自己満足さえしていないはずだ。
 なんと言うか物事がチグハグなんだよな。前項のオリンピックで東京が準備しているという4000億円という巨額の資金だけど、良く考えてみなよ。福島原発ってどこの電力を供給していたんだ???
 電力会社の社長が今謝罪で飛び回っているようだが、歴代の社長は口を閉ざして表に全く顔を出さない。それで世紀の大祭典を地元東京でと言ったって本心から喜べますかね。
 夜中のラジオで何でもメタンハイグレードとかいう地下資源が日本の周囲に膨大な量で存在するとか。その開発をしている会社の責任者が語気を強めて話をしていた。日本海は太平洋と比べ深くないので採掘にそれほど経費がかからないとも。
 こんな事を言っていた。今の日本は安価に燃料を得てしまうと困る人達が騒ぐらしい。なんでもそんな仕組みが長い間に出来上がっていると。
 可笑しいよな。どこに目が向いているんだい。
 最近話題になっている反原発の動き、自民党内で堂々と反対を表明しているK議員に相当な圧力がかかっているんじゃないでしょうか。
 言っていることとやっている事が違うなんて事は常識の世界????
 ・・・・目先の利を 必死に求めて努力する人を○○という・・・・・・。
  正解=餓鬼
 

2517:防災の日

本日9月1日は防災の日です。全国各地で関連する催しが行われることでしょう。何故、9月1日を防災の日にしたかは1923年に起こった関東大震災が丁度この日だからという事のようです。マグニチュード7.9という規模の大地震で10万人を超える人々が行方不明や死亡したのです。都市直下型の地震の恐ろしさ、その後同じような地震は阪神大震災で神戸が大きな被害を受けました。この時の地震規模は3.11の東日本大地震の1450分の1だったそうです。
 この地球上で起こる地震の10%が日本で起こっているという報告がありますが、どこで発生してもおかしくない国に私達は住んでいる訳ですよ。
 台風15号は九州から西日本を通過し熱帯低気圧に変わったそうですね。今のところ日本列島全体でその影響が出ていないのが東京を中心とした関東地方だけ。雨が降るどころか猛暑が続いています。正直、適度な雨が欲しいと誰しもが思っているはずですが、各地の大雨の被害を聞いているからそれも言えない。只管、暑さに耐えるしかないのです。
 今日から9月ですよ。先の事を考えても仕様がないのですが、今年の冬はどうなるのでしょう?暖冬になるのか否か。
 今、読んでいる本が実に面白い。・・・『文明の宿命』NTT出版。・・・・≪「現代文明の全般的危機」の中、膨大な虚無にとらわれる我々にとって、拠るべき思想の軸とは。・・・・・≫  9名の論客がかなり自由に論じている。
 その中に・・・あたり前の事があたり前でなくなっている・・・・という所に目が止まった。
 そうなんだよな。なんでも近代化すれば良いと思って技術革新に精を出し華々しく振る舞っていたら、大地震が起こった。
 その限界を嫌というほど知らされ茫然自失、その後2年半が経つ今もその袋小路から抜け出せない。
 無理して出ようとすれば、未来の不確実性という”宿命”にぶち当たって、思考が止まってしまう。
  そんな経験を皆さんがされて、今も感じているはずである。
 地震の無い国に全てを捨てて移り住む覚悟も無く、これら災難が自分の身には降りかからないように祈って日々を過ごす。
 だからといって今の日本人に何かを心底信じ生きようという覚悟があるだろうか???
  防災の日、それは突然の災難への備えと自然と共存(共生)することがどうあるべきかを考えるのに有効に使うべきだと思うのです。アベノミックスも良いけれど、日本人が旗ふりに後からゾロゾロついていく夢遊病に罹ってしまったように感じるのは私だけでしょうか。

2518:鐘の音

観音寺の鐘楼の鐘の音が1日3回になった。前から昼の12時と夕方6時に毎日欠かさず撞いてくれる方がいて地域で多少は知られるようになった。それが今度は朝の5時半にどこのどなたか知らないが定期に撞いてくれる。多少、音が低めで遠慮がちのような気もするが、住職としては大変喜んでいる。
 1日3回、私からお願いした訳ではなく、自主的に撞いてくれています。
 朝晩、近くの工場に働いている人達が5〜6人歩いて寺の脇道を通る。彼等は多分東南アジアから日本に働きに来ている人達で近くのアパートに住んでいる。以前、自転車でお寺に来た方がいた。日本語が充分通じない人達だったが、日本の”お寺”を観に来たということだった。皆さん20代で若い。
 タイやビルマから来た人達なら、大分日本のお寺は自分の国とは違うと思ったに違いない。
 何せ、住職がタオルを頭に被って、草刈り機で草と格闘しているのと鉢合わせだもの・・・・・・・・。
 昔の映画で「ビルマの竪琴」(市川昆監督)というものがありましたが、主人公の水島上等兵が出家し、竪琴を奏でる場面があります。
 上座部仏教では出家した僧が音楽を奏でることは禁じられているそうですよ。
 私には常時法衣姿でいることなど想像できません。多分、精神的に参ってしまうでしょうね。この違いは相当なものです。
 日本の坊さんだって戒律はあります。否、学びます。
  正直に言いますとね、そこが実は重要かつ微妙ということなのです。
 昨日、土浦でも久しぶりに纏まった雨が降りました。9月になったこの時期にまだ日中の最高気温が35度近くあるというのは異常ですよね。出逢う人全てが”あつい あつい”と言っているように思えました。実際に暑いんだから仕様がないでしょう。
 これをどうすることもできません。
 尚恵学園を利用されているみんなもさぞ暑がっているだろうな!といつも考えている。救急車のサイレンが聞こえると条件反射で何かあったか?と心配になる。
 『心配することなら誰だって出来る。そうじゃーねーだろうよ。他にやることあるだろうが・・・』この影なる叱責が頭から離れない。
 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・・・盛者必衰の理をあらわすと詠われた。その平家物語の時代から随分時が経った現代においてさえ、盛者は際限無き欲望を満たそうと八方手を尽くし、庶民の感情など眼中に無いようだ。
 正義か否か、またしてもキナ臭い動きがシリアという国に絡んで起きようとしている。

2519:災害

昨日は急に水戸に用事が出来て行くことになった。帰りの途中、茨城町辺りでもの凄い雨になった。高速道で全ての車が昼間なのにライトを点けスピードを落とし走っていました。
 ちょうどその日、埼玉や千葉で起こった暴風(竜巻)により、かなりの被害が出たのです。天気の急変、今夏は日本全国で頻繁に起こっており、9月になってもまだ続いています。もうT年になりますが筑波でも同様の竜巻被害がありました。(2012・5月:建物被害は2000棟)被害に遭った人達が一様に語るのは、あっと言う間で為す術が無かったと。
 自然災害がここまで話題にのぼる年は珍しいですね。これは日本に限った事ではないようです、アメリカで起こった山火事、今も完全に鎮火したわけではない。 
 天災と人災、対比して良く語られますが、それは別モノでは無いという専門家が沢山います。天災の原因を突き詰めていくと人為的に長年積み重ねられた要因が大きいという。私もそう思う。天災と言ってしまえば、責任逃れできるような暗黙の了解があるんじゃないの。
 人災、これは特定の人を指している訳ではない。今を生きている全ての人がその対象になるんですよね。
 災害がおこり、それに対処することで科学や技術が進歩したという歴史的背景は否めない。でも良く良く考えてみると、常に災害が先行し、我々にその対応の限界を突き付ける。
 歴史という視点から、昔よく見かけた竹林が今どうなっているでしょう。土手に竹が植えられ土砂崩れを防ぐ、これは人間の智慧です。でも、今は竹林があってもその機能が弱まっています。
 綺麗に管理された竹林は殆ど無くなり枯れた竹が倒れ折り重なり、人が中に入れない位に荒れている。
 いつの頃からか食用の竹の子を掘らなくなったことも一つの原因かもしれません。私の住む地域でも旬の食材として竹の子を市場に出す家は殆ど無くなりました。何かが変わった?
 竹やぶのもう一つの働きは降った雨の保水力でコンクリート製の土手には望めない。
 日本全体で見た場合、山林の管理も充分なされていない。荒廃した山、何故そうなったかは誰にでも分かります。用材としての需要が無くなった事が一番でしょう。安価な材木を海外から輸入し、建築材料にする。一方、国内産の材木は諸経費が嵩み、値段が高い。
 悪循環になっている。山林の再生、一部での新たな動きはあってもそれが広まらない。
  災害の原因を探っていくと、まさに今日本が直面している現代文明の全般的危機 に行き着くのです。
 もっとゆっくり 焦らず ノンビリ 生きたら良いのにな・・・・・・。

2520:時流

ニュースで安倍首相がG20に向かうため羽田から政府専用機で出発した様子を流した。目的地はロシアである。その後アルゼンチンに飛び2020年のオリンピック東京開催をアピールしに行くという。これが2泊6日という超強行スケジュールで地球1周をするらしい。どうして2泊6日なのか?そうか日付変更線を何度か超えるんだ。ご本人は勿論、随行する人達も大変だ。
 御苦労さまです。でも、庶民感覚で素直にそんな気持ちになれますかね。出発前に記者団に向かって福島原発の汚染水対策は国が責任を以て対処すると断言・・・・・でもね。これへの評価は今頃何を言っているんだい!という事ですよ。国内は勿論、海外は当然国がこの危機的状況に先頭に立って対処すべきだと思っているんだからね。
 この辺をどう説明するのか感覚がオカシイ。
 それでいて東京へオリンピックを誘致、何かシックリしないね。福島原発の事故後、今後国内の電力供給をどうすべきかをオープンに話合ったことがありますか?何故それをしない?再稼働は各電力会社の判断に半ば任せたような言い方、地元の同意が条件だとはいうけれどそれがどの範囲とまでは触れない訳ですよ。本当は出来ないんでしょう。はっきりそう言えば良いのにね。
 これが時流と言ったら叱られるかな?私にはそうとしか思えないのです。何かミスしたらまた総理が代わる。一連の動きを国民は冷めた目で見ています。派手なパフォーマンスとしか受け取れない訳が其処にあるんじゃないですか。
 ”掉さす”という言葉、また突然何を言う?
 水底に棹をつきさして舟をすすめる。転じて時流に乗るという意味があるのをご存知でしたか。日本語は実に難しい。いつ頃からか、時流にさからうという誤用のほうが幅をきかす。
 どっちにしても、ここ最近の大雨後の川の激流、竹竿ぐらいではとてもとても、小さな舟など即沈没して跡かたも無くなりますよ。
 四国では数週間前まで、雨が殆ど降らないのでダムが枯渇し取水制限をしていました。それが最近の豪雨でどうなったでしょうね。
 どうしようかなど考える暇もなく、あっと言う間に変わってしまう。唯一国内で雨が降らなかった関東地方でも連日竜巻と豪雨で大変です。
 東京〜名古屋間を時速500キロで走る新幹線も如何なるものか?
 あれは広重の描いた浮世絵?でしたか大井川を舟で渡る絵がありましたね。船頭さんが棹を使って上手に人を渡す。
  それが”ピューン”と一瞬でしょう。安全性はどうなんですかね。なんでもそうなんですが、スピードと利便性、これが最優先される国は、何か大切な事を置き忘れますよ。
 ああ くわばらくわばら・・・・。
 

2521:情報開示

昨夜FMラジオで東海村の村長さんが出演されていた。今回の村長選挙には出馬せず、首長とは違った立場で反原発運動を続けて行くと語った。私は村長さんの話を何度か伺う事があった。実に真摯な方で3.11後の対応で大変なご苦労をされていた。
 正直、もう少し頑張ってもらいたいという気持ちはあったが、ご自身の判断だから仕方があるまい。
 東海第2原発という日本で最初の出力100万キロワットの原発、東海村は原子力関係の研究所や企業が実に多く、村の財政に大きな影響がある。いま日本中に沢山原発があるが、その殆どは所謂過疎地に建てられているものだ。
 その中で東海原発は特異な存在、元々は原子力の研究に特化した地域にする国策からスタート。発電所から30キロ圏内に現在100万人の人達が住んでいる。東京までの距離は110キロと世界を見廻しても同じ条件の原発は見当たらない。
 村長が語った、東海第2原発には、非常の際に稼働させるためのポンプ(冷却用)が設置されてある。あの地震の時押し寄せた津波の高さは5.4メートル。奇蹟的な話がある。3月9日。あの地震が起こった2日前、防潮堤を6.1メートルの高さに嵩上げする工事が完成したばかり。その差がなんと70センチしかなかった。もし、その工事が終わっていなかったり6.1メートルを超える津波が押し寄せていた時は福島と同じ大惨事になっていただろうと語った。
 村長は当時の政府の対応で事故後3カ月しか経っていない6月に発表された安全宣言に納得できなかったと語る。あの当時、アメリカなどは自国民に対し100キロ圏外に非難を指示、ある国は帰国を命じた。正直、私自身何故あんなに慎重になるんだろうと思った。これは日本人には知らされていない福島の事故の重大性を認知していたからだという。
 
 この国の原発事故への対応のお粗末さは、先ず、情報の隠蔽体質にあるという。事故後2年半が経ち、どのような検討がされ、その情報が充分開示されてきたとは誰も思っていない。
 それなのに再稼働を前提にした動きばかりが目立つではありませんか。
本当にこれで良いのかな?
 8日に2020年オリンピックの開催国が発表される。「復興五輪」という旗印なそうである。アルゼンチンで行われているIOC委員会で日本への原発事故に関する各国メデアの質問に対し、「東京は放射能汚染は全く心配がありません」と答えた代表。
 これを皆さんどう思います????。
   *嘗ての田中正造という方の事が脳裏に浮かんだ。日本の技術の素晴らしさや経済の豊かさを誇ることより、人間としてどうあるべきかという事を問われているんじゃーないのか!
 

2522:移木の信

”移木の信”とは、約束を間違いなく実行すること。「史記」
 9月8日は1日様々なことがありました。
その中で一つ二ついま感じている事を述べさせて戴きますね。先ず2020年の東京オリンピック招致の決定、日本中がその喜びに浸っている。そんな中、片意地を張り、天邪鬼の役回りを引き受けようと思った。
 確かにオリンピック開催が夢や希望を与え何よりも元気を日本に運んで来てくれるとは思います。それを否定するつもりなど全く有りません。
今、美酒に酔っている人達に何を言っても聞く耳は無い。IOCのロゲ会長の言葉だったかどうか定かではないのですが、地球上にはスポーツを楽しめる人達とそうでない人達が半数づついる・・・・・この格差拡大をどうするかが最大の課題だと。
 当にオリンピックの精神は宗教・政治・人種に関係なくスポーツを通じ共生できる社会を築くことにある。
 それから東北で被災に遭われ避難生活をされている方の弁。「復興・再生を願って今、避難生活をしている私たちと東京招致で湧きあがっている人達、同じ日本では無い様な気持ちです」と言う話。
 ブエノスアイレスで安倍首相が流暢な英語(?)とジェスチャーを交え放射能汚染対策は国の責任で絶対に行うと断言、その科学的根拠を示せという海外記者席からの質問に、汚染水は福島原発の湾岸内(0.3平方キロ)だけで完全に収まっていると力説した。
 正直私はそれを聞いていて異和感を持ちました。別人に思えたのです。俄かに国が金を出し対策に本腰を入れ始めた。国内であれだけハッキリ明言したことが今までに有りましたか?(お父さんとは違うね)
 その時、不図頭に浮かんだのが、”移木の信”という格言だった。
 
 昨日のNHKテレビ討論で天野祐吉氏が語った事に共感した。経済力で世界で2位3位・・・になったとかはどうでも良いのだが、日本がこれから世界の中でどんな役回りをすれば良いか考えた時、「文化力」で勝負?すれば良いと語った。外国からの観光客(日本は世界で33位)をどうすれば今より増やせるかという話題だったと思う。1位のフランスは年間8000万人、日本はその10分の1で800万人観光立国としては後進国だ。そこで日本人の持つ魅力・・親切・辛抱強さ・・を文化的財源として見直そうと語った。
 これは、金や物にばかり関心を示す人達への警鐘だと思うのです。そうじゃーねーだろう!人間にもっと目を向けろよ。と言いたいのだ。
 安倍さんが日本がオリンピック精神を次世代に伝えるには最適な国だと言ったその真意は如何に?
 7年後、どのような世紀の祭典が用意されるのでしょうね。
 あっ そうそう、日本代表団のアピールの中で一番感動したのは、パラリンピック開催の意義を主張された義足の女性だった。
 彼女から”信”を感じたのです。
 

2523:夢・希望・・・

五輪招致決定から1日が経ち、マスメデイアは挙って決定の瞬間と応援部隊の歓喜の雄叫びを流す。そこで語られるのは、夢・希望・元気という言葉、そして招致によって得られるだろう経済効果を盛んに煽る、日が替わり株価は関連する業種を中心に軒並み上昇した。暫くはこの騒ぎは続くでしょう。
 でも、忘れてならないのは、その姿を冷めた目で見ている多くの人々もいると言う事。2極化と良く言われるが、一方に対しては大変無礼な言い回しではないか?
 時を同じくしてGDPが予想を超える伸びを示したとの報道、有る所には有るものだ。それは頷けますね、だってそうでしょう。国債をあれだけ発行し、金融緩和をすればどこかにお金が貯まっているはずですよ。それが銀行か企業か個人か????
 でも私の耳に入るのは実態はそうとも言えないという話が多い。国内向けの産業は、効果が遅れて現れるもの、その点では製造業は海外との凄まじい競争がある、いくら優秀な製品だと言っても海外のレベルも確実に上がって大差なくなっているというではないか。安心はできません。
 
 目を自分の身の周りに転じます。社福それと宗教法人(寺院)、私はこの二つに関係している。早いもので40年が経った。
いずれも代表者になっているだけの話。
 若い頃、福祉と寺院の関係を必死に勉強(?)したものだ。”名は体を表す”をそのまま捉え、SJKネットサービスという名称を考え出した。S=尚恵学園。J=神宮寺。K=観音寺。今更なんだよ!と思われた。
 多分、この意味を充分理解する関係者は未だ少ないはず、要はing(現在進行形)で良いと思っているから、声を大にしてまでのPRは避けた。
 それよりもS=satisfaction(満足:納得)。J=jpyfulness(喜び)。K=kindness(親切)という2重の意味を含ませて理念の根幹とした。
 何にでも言える事だが、待てよ?何故?という間が大切だと思うのです。
 人間、順調な時にこそ注意せねばならない。先人が我々に伝え残したその類の格言は数え切れまい。
 最近の私は毎日がそんな思いでいるというのが正直なところである。そうじゃーないですか?そうでしょう。
 私が常に目に止まるのは、体全体で喜びを示してくれる人より、影で目立たず佇んでいる人です。これは、いかような場面でも同じなんです。
 他人は何とでも言ってきます。そんな事は構わない。実際にそうなんだから仕様がない。身についてしまったんですかね。
 そんな人達に夢・希望・元気をどうするんだよな・・・・・・教えて欲しいよ。
 

2524:医療事情

日本の社会保障の仕組みの話にすると大変だから、本日は出産事情それも地元土浦で極々最近の話をします。
 良く耳にするのは個人経営の産婦人科が年々減少しているという話、確かにそうだと思います。個人病院のドクターが大変でしょう。時間に関係なくお産はするでしょうし、人材確保が難しい時代、24時間の体制を組む事も大変だから、そうなりますね。
 土浦には協同病院という総合病院があります。病床数1000?というから県内ではトップの規模、妊婦に少し問題があればここに向けられる。
 出産後、大体5日位で退院する方が普通とのこと。年間どの位の出産数があるのか分からないが相当な数であることは間違いない。
 日本では子供の数が増えないという。このままでは国の人口が減る一方だと厚労省もその対策に懸命なようです。
 外国の例で出生率が増えている国と子供の数は一律ではないようだ。それは移民をどれだけ受け入れているかという問題に関係する。アフリカには子供の数がドンドン増えて困っている国もあるようだ。どうも日本は自国に受け入れるというより経済的な支援をその国へするという形が多いと聞く。
 人口問題研究所という機関があるそうだが、実態がどうなっているのか余程関心を以て此方側が調べないと分からない。
いずれにしても世の中はバランスによって成り立つものである。子供は確実に将来の労働力となる。
 デフレ脱却を最優先として発足した安倍内閣、打つ手が悉く上手く行っているかの様相である。ハッキリ言わせてもらえば、それは前政権がダラシが無かったからだと思いますね。その証拠に政権交代して半年であの様でしょう。分裂を繰り返し、一時の勢いは影も形もない。求心力のあるリーダーがいない。
 本来ならば自民党に対抗できる政党を作るべきなのに、その核になるべき党で内紛騒ぎ、この感覚鈍磨はどうなっているのでしょう。これが偽らざる政治事情?   あれっ 医療事情じゃ無かったっけ?
 どうしてもここに話が来てしまう。そりゃー仕方がない。全てが国の政策に関わっているからです。
 そうだ思い出した。政治改革は一体どうなった?議員定数の問題はウヤモヤで幕引きですかね。
 
 私が信用している政治家もいます。その人達に共通するのはぶれない信念を持っていること。何でもできる人などいる筈がない。自分はこれが為に政治家になったという”これ”が重要なんだな。
 そこでこの閉塞状態を変える私の思いつきなんです。政党分けをですね、1世か2世以上で分けると言うのはどうかと思うのです。個人的な考えで恐縮ですが、今時政治家になろうと言う人は奇特ですよ。それも親が政治家をやっていたというんじゃない方、その人達にこの国の容を大いに議論してもらいたいのです。
 ダメでしょうか!

2525:オリンピック

7年後の2020年に東京でオリンピックを開催することが決まった。様々な思いが絡み、世紀の大祭典に向け本格的な準備に入る。どれ程の経費を掛けるのか分からない。前回の東京オリンピックの開催時期私は中学生だった。今度は丁度70歳になる。できれば元気でいたいし、どのような大会になるか見守りたい。
 一方、大震災の復興が後廻しになることが無いように願う。2年半が経ち、まだ行方不明の人が2500名を超えている。
 それと原発事故の処理はこの先どれ程時間がかかるのか皆目分からない。
 そんな中で今我々個人が出来る事は一体何だろう?
 国の方向性・地方自治体の役割・・・・・それに一人一人の生き様、・・・・余りにも多岐にわたる課題が山積みになっている。
 その中でも一番大きな問題って何かと考えても答えは出せず、無力感に苛まれるだけだ。どれでも良いのだけれど果たして国民の総意がはかれるものだろうか?
  良く分からないと言うのが正直な思いです。
 これはあまりにも大きな事を考えし過ぎているからとも言えますね。それよりお前自身はどうなの?と自問したほうが良い。
 いま自分が置かれた立場・役割を認識している人がどれ程いるでしょうね。昔の話で日に三省して過ごすというものがありますが、この意味は1日に3回という意味では無くて「度々とか只管」という意味だということを知りました。
 人間が考え、実行に移すことは、反省があって為されるのが自然だと言う。
 開催が決まったオリンピックに対し、反対賛成を論ずるより、もっと大切な事があるような気がしてなりません。

 ・・・・陽気になれる秘訣は、明日はきっと良くなると思いこんで暮らすこと。・・・・・≪司馬遼太郎『人間というもの』より≫

2526:水戸通い

ここに来て、やたらと出る用事が増えた。その殆どを自分で車を運転して行く。昼前後の時間になる為に昼食が不定期で外食となる。私は以前は施設内の食堂でメンバー達と一緒に食事した。それが出来なくなって大分年数が経つ。
 これだけでも施設長は失格だと思う。
 何でそんなに出掛けるのかいつも小言を言われるが、これも性分というもので、引き受けた以上は・・・・・という思いが強いからだと思う。
 今週だけで5日水戸通い、こうなると勤務地が水戸と変わらない。その中で守っていることがある。前後は出来る限り施設に顔を出し何か有ったかどうかチェックしている。今は便利な世の中で電話で直ぐに連絡が取れるから支障は無い(?)。
 この一連の記述だけで自分の性格が見えてくる。
 嫌だね。ああああ ヤダヤダ。自分勝手し過ぎるよ。
 嫌なら全部辞めてしまえ!ってか。そう、そこなんです。昨日も会議が終わった後、お茶でも飲んで行きなよと誘ってくれる人がいたから、全く同じような愚痴を茶を頂きながら言ってしまった。その方は県職を定年で辞めてから2度目の職についている。それも大変重要なポスト、私の愚痴は一笑されてお終いとなった。
 ここで頭を切り替えます。
 親子という事について、当然なことだが様々な親子がいます。でも親子の関係は一生続くでしょうよ。定年は無いんだから。死んだらお終いと言う方もいらっしゃる。でもね、本当にそう信じている人は案外少ないよ。死んでからも繋がっていたいとどこかで思うものだ。
 だからでしょう。これだけ宗教が増えたのは、坊さんやっていてその事は確信できるんです。
 それと、どうせ生きるなら陰より陽を選びたい訳ですよ。前項の司馬遼太郎の箴言は、彼の晩年に著した本の中にあった。
 陽気になれるには、明日になればきっと良くなるよと思いこむことだと言う。”思いこむ”んですよ。皆さん!”思う”んじゃダメ、意識してそう仕向けて初めて可能になるってことでしょう。
 そう考えると”拘る”って事も大切だと私は思うんですね。これは許せねーってね。
 

2527:即天去私

”則天去私”・・・・夏目漱石の最晩年の言葉だという。斯様な境地に至るには、どれ程の確信ある生き様があったのか。私などボンクラには到底理解できない。
 六十の手習いとか言って晩学を例えるが、六十を過ぎてから驚くほど歳を重ねるスピードが早く、風流人の真似ごとなど到底できません。
 急に「苦労」という言葉を考えてみた。何故かと言えば、最近は挨拶言葉に良く耳にするからで自分だって意識せず使っている。それは物事が自分が思うように進まないという気持ちがあるからだ。
 通夜の送迎をしてくれたタクシーの運転手さん、私は初めて乗せてもらうのだが、やたら親しく話しかけてきた。何でも明日は県北にあるゴルフ場でプレーの予定、それにどうしても行かなければならない。台風が接近し、悪天候間違いなしなのにとボヤイテいる・・・・・。そんなに嫌なら止めればと言いたくなったが、相手の話に合わせ、斎場まで無事乗せて貰った。帰りも同じ話題、今日は仕事はこれでお終いにして明日の準備と私に多少遠慮したようで小声で独言。
 判ったのは定年後、タクシーの運転手の仕事を始めたようで、週に三日程乗務し、後は自由になるという。
 ウーム。
 さて、「苦労」という言葉の話、これは遣り甲斐に繋がると私が話すと”同感”とばかりにドライバーの今の仕事を再評価!
 どうも、この方は実にノリが良いな。好きなゴルフを苦労とは思っていないだろうが真理の処は分からない。
 
 通夜が終わって帰宅してから考えてしまった。今晩の通夜は私より一歳下で小さい頃から良く知っている方。
 娘さんが祭壇に飾られた父親の写真について話してくれた。三年前、主治医に病状の説明を聞き、本人は長生きは難しいことが判っていて家族に自分の遺影を撮らせその写真だと伺った。定年より早めに職を辞し、これから自分の好きな事をやろうとしたに違いない。それが適えず61歳で自らの人生を閉じた。
 人にはそれぞれの生き姿がある。生活の糧を得るために仕事をするのだが、どうせ働くならば苦労=生き甲斐と思いこむことが結果良くなるように思える。
 それと”則天去私!”  小さな私を去って自然にゆだねて生きられたらどんなにか良い気分だろうな。
 

2528:台風一過

今日は全国的に晴天となるそうです。まさに台風一過、私の住む土浦も朝から雲ひとつ無い青空です。雨風と共に汚れた空気を一掃し清々しい秋晴れとなるそうです。
 でも、諸手で喜べない。大変な被害を全国に齎した今回の18号台風、それも愛知県に上陸してから日本列島の中心を大暴れして過ぎ去った。被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。
 昨日は隣市の石岡で祭がありました。3日間続けて行われる。この祭は雨乞いと言われるように毎回雨に見舞われ、開催時期を少し遅らせたと聞くが今年もまた雨、それも台風を呼んでしまった。
 恋瀬川を昨日斎場に行くタクシーで通る。川の両岸に広がる水田、まだ半分以上の田で稲刈りが済んでいない。殆どの稲が横倒しになり、コンバインで刈るのは大変だろうと思えた。その途中に梨畑が広がる。生産者の皆さんが最も心配する台風による風の被害、傷がついてしまうと商品価値が下がり、折角丹精込め育てた梨の値が下がる。
 建物に被害があった地域、それとあの有名な嵐山の渡月橋周辺の水害、テレビで頻繁に報道されていた。あっという間に水かさが上がり、濁流が押し寄せ為す術が無かったと地元の人達が話されていた。
 昨日のNHKテレビは1日中気象情報を流していた。気象庁の発表も昔とは大分変わり、臨場感に溢れ聞いていて緊張感が出る。
 これから秋に向かい台風が次々に発生しているという。日本は年間を通じ様々な自然の変化がある。最近は四季が少し曖昧になっていると言われるが、秋が忍びより、既に場所によっては冬支度が始っている。
 今朝の天気予報で長野の?峠周辺は気温が0度で霜が降りたそうだ。その隣の件山梨の甲府は今日の最高気温が33度とか・・・・・。
 私は共生という言葉にこだわっている。自然との共生ほど実は難しい。先人達はそれを見事にやり遂げてきたと思っている。生きる智慧というものが、親から子に伝えられ今が有ると信じている。それに何と言っても自然を受けいれようとする度量があった。
 ひとつ気になるとすれば、あまりにも便利で快適な生活を求め過ぎ、その智慧がどうも軽く扱われているような今の日本の状況を感じます。
 

2529:中秋の名月

2013年の中秋の名月は9月19日です。赤城の山も今宵限り・・・・・デンデン・・・・・。あの国定忠治の万感胸に迫る名ゼリフ、秋の月を思い描くと私は何故か枯れススキと上州の山々が浮かぶのであります。
 朝晩、メッキリ寒くなりました。体調を崩す方もいるのではないでしょうか。
 あまりマスコミは取り上げなかったようですが、今回の台風で大阪でこんな心温まることがあったそうですね。
 それは、川に落ちた子供(9歳)を中国からの留学生が身を挺して助けたというニュースです。
 マスコミに言いたい。隣国の中国や韓国との軋轢ばかり強調し過ぎませんか、それを聞き嫌な思いをされている方が沢山いるでしょう。国籍云々を言う前に一人の人間なんですよ。
 いまこそ、両国の心温まるニュースをもっと多く報道すべきだ、そうでないと濁流に押し流され個の意志など関係なく皆が皆同じ方向に行ってしまう。これって最も恐ろしいことですよ。
 
 昨日、ある研修(障害者関連)に顔を出したのですが、丁度その時講師の方がこんな事を話していました。
  福祉の現場では、支援を受ける人と支援する人との実践場面で日々ケース記録として引き継がれ、後後検討会の時などに資料となって使われるが、そこに書かれる大半が”所謂問題”とされる内容だという。
 処遇困難な事例検討など私も若い頃夢中になってやってきた。そこに大きな落とし穴があるなと現場を離れて判った。相手のことを問題からしか見なくなる。支援者はそこに遣り甲斐を感じ自らを正当化してしまう。
 待てよ!そうじゃーねーだろう。
 今年4月から新たな法律「障害者総合支援法」になった。そこで一番変わったのは障害者の「自立」という文言を止め、「個の尊厳」という表現になったことだと紹介してきたと思う。
 個=問題では×。当然分かる事です。
 尊厳という言葉の意味は、他人が侵し難い事ですよね。
 私はこの問いかけはずっと続くと思いますよ。何で?   それは決まり切ったこと、誰しも「それじゃー自分はどうなんだい」と考えるからなんですよ。
 中秋の名月の話がいつもの如く妙な方向に進んだ。
いやいや違うね。”中”という日本語、騙されたと思って一度辞書をひいて見て下さい。
 実に意味深いってことが分かりますよ。
 

2530:陰徳

今朝、境内にある六地蔵に花を添え、周りの落ち葉を掃き集めていた女性がいた。20日お彼岸に入る。
 先日、若い男性が本堂でお経を読ませて下さいと1時間ほど読経をして帰る。朝一番の鐘付きをどこの誰だか知らないが続ける方がいる。
 住職として誠に恥ずかしいのだが、それにも増して正直嬉しい。
 これらの人達は決して誰かに認められようとはしていないと思える。適当な言葉が見つからないが、敢えてあげれば”陰徳”だろうか。積陰徳。そしてさりげ無く。
 現代ニッポンを私なりに概説してと、そうね、権利主張が強すぎる時代とみた。そう思われませんか?
 タイムリーとはこういう事を言うのだろうか。実は昨日、県庁で災害対策の集まりがあり、意見を述べてきた。原子力安全課主催だったから、原発事故を想定した30キロ圏内の避難をどうするか、それも要援護者をいかに安全な場所に避難させるかという内容だった。 正直、驚いたのは福祉施設特に私達の障害者については殆ど理解が無いという実態が判った。施設利用者を纏めてどこかにそのまま避難させれば済むと考えているようだ。一人一人違うことを説明したが判ってもらえたか否か。
 そして深夜、けたたましく携帯が鳴り、緊急地震情報、久しぶりになった。福島県で5強の地震、土浦でも大きな揺れを感じた。当に日本列島は地震の巣だと再認識。
 日本にある原発全てが止まっている。40か所以上あるというが、その中で茨城の東海第2原発は特別だと言われてきた。
 30キロ圏内に100万人近い人達が現に住んでいる。国は安全確保の意味で30キロ圏内の住民には避難を考えている。
 障害者施設(要援護者として)がなんと私達の団体(心身協)だけで30キロ圏内に40カ所ある。避難の期間がどの位か分からないが、その人達を一時的にでも避難させることが如何に大変か、考えただけでも頭がおかしくなる。
 そんな事を考えていたものだから眠れずにいた。そして地震。2時25分だった。
 ゴーギャンという画家をご存知ですよね。・・・・・我々はどこからきたか、我々は何者か、我々はどこに行くのか・・・・・悩み苦しみ自殺まではかった。有名なタヒチで描いた絵を知っていますよね。
 その当時からまだ100年の年月が流れただけですよ。そんなに昔の話じゃない。
 いまお墓参り代行業というのがあるのを知っていますか?確かに寝たきりでご主人や奥様の眠るお墓に線香を上げることができないお年寄りも沢山います。
 サービスをお金にかえることが常識になった時代・・・・・・これは決して高福祉に向かっているとは言えないと思うのです。