源究148

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
2471 知らぬが仏 7/3 2476 修正機能 7/9 2481 ブータンの選択 7/15 2486 参議院選挙 7/22
2472 然諾を重んず 7/4 2477 過食症 7/10 2482 施餓鬼準備 7/16 2487 世知辛い 7/23
2473 看取り 7/5 2478 コンピューターショップ 7/11 2483 ハートネットTV 7/17 2488 福祉の裾野 7/25
2474 IT社会 7/6 2479 山梨大会を終え 7/13 2484 関わり 7/19 2489 別れ 7/26
2475 仲間へ 7/7 2480 心の休日 7/14 2485 クレーム対応 7/20 2490 施餓鬼シーズン 7/27

2471知らぬが仏

“知らぬが仏”という言葉は、あまり良い意味には使われません。だってそうでしょう。知らないからこそ 仏様のように平穏な境地でいられるという嘲笑が含まれる。
 悪い癖ですが、英語ではこれを何と言うのかと好奇心で調べました。
「Ignorance is bliss」と 「What you don't know never hurts you」がありました。いずれも適訳ですね。
 結局、知ってしまった以上、無関心ではいられなくなる。これは万国共通です。
 ただ、見て見ぬ振りをすることだって充分有り得ます。”アッシには関わりござんせん”ってことで知らんぷり、昨今はどうもこの種の人間が増えた。そして、初めて知ったような顔をして、相手を責める。
 これを、恰も自由と権利という司法(?)の解釈で悪用する輩も出て来ましてね。”御節介””大きなお世話よ”と捨て台詞をはく人も無いとは限らない。
 仏教でいう末法の世とは、まさにこの事を言っているのでしょうか。
 我々凡夫には、注意しないとその事だけで一生を終えてしまうことに成りかねない。だってそうでしょうよ。知れば知る程、世の中には不合理なことってありますからね。
 結局、自分の一生は誰の責任でもなく、自分にしか知り得ない訳で、ここを履き違えては成りませんね。
 福祉の業界に長く身をおくと、その事をツクヅク感じるのです。表と裏って言うのでしょうか、ホンネとタテマエとでも言うのでしょうか。
 この歳になって分かった事があります。皆さん!自分の記憶を辿ってみませんか。すると、その大半が懐かしく、自然とほほ笑むような事が多い事が気づくはず。でも決定的な事が一つだけあります。
 それは、登場する殆どの人間が既にこの世には存在していないという事実。何故なんだろうと考えますよね。
 多分それは、相手を有りの儘で受け入れるという此方側の心境の変化だと思いませんかね。
 もしもですよ。此岸で誰しもがその境地になれたら、何も福祉なんて言葉は必要でない訳ですよ。
 What you know never hurts you without fail ってことになれば閻魔様も微笑むかも知れない。
 

2472:然諾を重んず

いったん引き受けた以上は約束を間違い無しに実行することを”然諾を重んず”という。
 さて、どうしたものだろう。軽はずみに約束し、後は野となれ山となれってことも有るんじゃなかろうか。最善を尽くしたがご期待に応えられなかったと頭を下げることも有りますよ。正直、殆どがこれだ。
 毎朝、本堂で経を読んでいる。脇間に並べてある遺影がじっと私を見つめる。もうじきその数も20枚にならんとする。尚恵学園で共に生活をされた仲間たち、・・・・。
 重いよな。ゴメンナ。・・・・・・・。
 彼等は一人一人とてつもなく重い荷物を背負って生きた。昔は、意識してそう考えないようにしていた自分がある。それはご家族にとっても、ご本人にとっても聞きたく無い話だから。そして、この歳に成って自分自身の想いの変化を感じる。
 約束を果たせなかった負い目が重なって脆く危ういものとなる。一瞬にして崩れてしまうかも知れぬ。
 本来、救うべきものが救いを求める現実。実はこの逆転現象が日本の至るところに見えてきた。
 昨日、テレビで各党首による討論会があった。なんてことはない安倍さんへの集中質問だ。その内容に正直、不安を感じた。
 外交問題一つとっても現政権の立場は曖昧で歯切れが悪い。実は、これは日本人そのものの責任だと思う。隣国との国境問題一つをみても、説得力に欠ける。日本の主張を遠吠えのように訴えはしても、国民的な同意を得たという確信を感じない。
 その意味では戦後処理(反省)が充分為されて来なかったと言わざるをえまい。それとも本当に責任は果たし終えたと思っているのだろうか。
 それどころかインフレ率がどうのこうのと数字遊びみたいな事で得意になって自らの正当性を主張する。その裏で何が起こっているのかに目を向けない。このギャップが拡大する一方のエリート的発想でこの国をどうにかしようと考えている。資本金10億円以上の大企業が果たして日本にどれ程あるのですか?貴方自身が”然諾”をどう考えているのか自問したらいかがかと言いたい。
 原発の再稼働の問題、これは将来の日本の容をどうするかにかかわる大問題、国民に信を問うべきだ。
 私の身近に最近福島原発の避難地域から一家総出で引っ越しされた方が2軒ある。お寺に用事があるというのは、想像がつきますよね。先祖代々の墓をこちらに移したいという相談だった。
 自分達は我慢できても孫達は福島に住みたくないと言っている。
 これって福島だけの問題なのでしょうか?日本人は世界に希なる人類だ。エジプトやアフガニスタンで今起こっている紛争、この日本ではその兆しさえ感じない。避難を強制された人達が充分な補償を受ける事ができたでしょうか?
 マスコミもその辺の事を何かに気兼ねして深く追求しない。

2473:看取り

尚恵学園の実情は、利用されている方達が高齢化し、毎日が体調管理に相当の時間が割かれるようになっています。健康診断によって何らかの異常が発見され、即入院手術というケースも増えています。
 このことは前々から予測出来たことではありますが、現実はその対応に全力で取り組んでいる状況です。
 毎年、ほぼ1歳づつ平均年齢を重ねてきました。入所支援では、出入りが殆ど無く、その結果です。一方、地域支援では若い方が多く利用され、エネルギッシュな動きに翻弄されている状況があります。
 私がこの仕事に就いた昭和40年代後半の頃は半分以上の方達が特別支援学校に通学していました。あれから40年が経ったわけですから判りますよね。
 親が既に他界した方も大勢います。そこで現実味を帯びてきた看取り、医療機関の協力があればこそ出来ることではありますが、幸い土浦には受け入れてくれる病院が多くあり、大変助かっています。
 制度的には重度訪問看護というものがあります。ただ24時間在宅サービスというものは、茨城ではまだ充分ではないと思っています。
 例えば、入院となって付き添いが必要となった時、これは実に難しい問題となります。何しろ誰でもが付き添いできるかと言えば、尻ごみされる場合が多く結局尚恵学園のスタッフが対応せざるを得無くなります。
 我々には立ち止まることが許されません。生きている方を対象とする訳ですから当然だと言えましょう。
 そんな時、何が一番励みになるか、これなんですよ。正直、今の制度では、この点に関しては殆ど目が向けられていませんね。利用者と支援者の信頼関係、それとご家族との協力関係、これって実は私がこの仕事に就いた当時には最も大切にされた事、いや、これしか無かったとも言えます。
 自らの反省を含めていまそれがどうなっているか?を考えています。
 施設が今より良くなって欲しい・・・・これは間違いなく誰しもが望むことです。だがそこに微妙なズレを感じています。
  それは、お互いを良く知らないという事だと思っています。そうなった一つの原因は”個人情報保護”という考え方、利用される家族が施設の実態を良く知っているかという問題と施設側が家庭の状況まで知る状況にないという事です。これが溝になっている。深いか浅いかの違いはあっても、我々支援する側にとっては、とても重要な問題なのです。
 貴方はこれはお門違いの事だと思いますか?
 人間誰しもが迎える最後の瞬間をどう考えるかという事を問いたい。貴方にとって、貴方のお子さんにとって・・・・・。
 様々な制度が新しく出来てきます。でも、肝心な事はその方の一生をどう考えるかということの共有をどこで誰がという問題なんですね。そこが現状では曖昧なんでは無いでしょうか。
 

2474:IT社会

正直、参りました。家の中で2台のパソコンを今使っています。1台は無線で枕元に置き使用しています。その1台がウイルス(?)感染、今までに無い状況に正直焦りました。
 結局、パソコンショップに3日間の入院、店員になんやかんやと質問されましたが、何を言っているのか判らない。多分、カルテ記入で問題の聞き取り調査なんでしょうが。
 こんな経験をされた方は多いんじゃないでしょうか?正直、大半が中身が判らずにパソコンを利用している人達です。
 皆さん、IPAという組織を知っていましたか?独立行政法人で「情報処理推進機構」というものです。総務省かなんかの政府機関だと思いますが、ここが「IT社会の安全性・信頼性」をうたって、様々な対応をしていることを知りました。サーバー攻撃とか難しい問題があるのは知っていましたが、身近なパソコンでトラブルが起こるんです。利便性と不便は背中合わせ、一端問題が発生するとそれへの対処の方法が判らない。それに、ウインドウーズXPが今年で使用できないことになるらしい。本当は利用できるが様々なサポート体制が止まるということだ。今だって判らないのに、どうするの?
 精々、新たな機種に切り替えるのが我々が出来る対応策、これがね、2機種を平行して出すんですね。実に上手い経営戦略?ウインドウーズ7か8どちらを選ぶか?強味と弱みを貴方はどっちを選択しますかってことです。
 今回の問題で判ったことなんですが、パソコンは量販店に勿論専門コーナーがありますが、修理などに対応する体制はどうか?値段で勝負する今の販売合戦、安く買ったは良いが、アフターサービスに問題有りでは困る。実際はこうなっていますね。
 ウイルス感染はセキュリテイソフトを入れても、正直イタチゴッコ、感染を覚悟して使用するしかない。
 最近はスマートフォンが主流となり、機能も大幅にアップ、その為にトラブルも急増。有料サイトや新たな機能をオプションで入れば、後日信じられない金額が請求される。
 利便性を求めすぎる現代人の授業料、使い放題で料金定額という振れ込みだって、良く考えれば、使わなくても自動で料金がかかるということだ。
 自己責任という殺し文句が今後ますます幅を利かすだろう。契約社会には、契約不履行というものが付く。
 恐ろしい事だが、福祉の世界でも今や契約制は当たり前の世の中になったのです。
 IPAとは別に「福祉社会の安全性・信頼性」をうたう、独法が出来るかもしれませんね。
 ただ、人間に関する問題をITと同じレベルで考えるのは如何なものでしょう。

2475:仲間へ

文月になり早くも1週間が経ちました。盆月を前にして坊さんモードへの切り替えが上手く行きませんが、準備はしないととの気の焦りはあります。関東も梅雨が明けたのかどうか?暑さと湿気で不快度は急上昇、何度も着替えをしていますが、ちょっと動くと汗が噴き出す。夜は夜で蚊の襲撃に閉口し、毎度のことと諦めています。
 ここのところ悔みが急に増え、衣を着る機会が多かった。でも昔を思えば随分事情が変わりました。何せ空調完備のホールで行うのが殆ど、体への負担は格段に減りました。
 東京では悔みの3割〜4割が直葬になっていると聞きましたがその真偽はいかに?
 昨日、ある客人が立ち寄りまして、好き勝手な事を話して帰られた。もうそういうものだと判っているからお互い気にならない。彼は今の仕事で利用者目線でやっているかと執拗に問う。自分はそれだけだと断言。その裏には≪お前さんはそうじゃない・・・云々≫という意味がアリアリ、私は敢えて否定はしない。それは程度の問題だと考えているからです。
 例えば、此方側が贅沢三昧好き勝手にやっていて、利用されている方が窮屈な思いをしていれば話は問題外。
 でも、万が一、そうだったとしたら、この仕事は絶対に続けられない。人には良識というものがあるからだ。
 一方、相手に完全無欠を期待するのは無理、人との関係には緩みが無ければギクシャクした表向きの関係しか築けまい。
 相手の有りの儘を許せる(受け入れる)までになるには、そう簡単ではない。いい加減・良い塩梅は時と場合によっては良くも悪くも受け取れるものである。
 私は迷った時、もと来た所まで戻ることにしている。あくまでも気持ちの上でね。
 するといろんな事が分かってくるものです。
 何故、そんな気持ちになるのかな???。それは職業柄、人の最後の場に関わることが多いからだと最近思っている。
 遺族の方達と話していると一様に故人との思い出を語り、悲しみを癒そうとする。それは自分自身の事というよりも故人に対しての感謝の標だ。
 そして時間が悲しみを和らげてくれると同時に、これから遺された自分がどうしようかと考えるわけです。
 月並みの言葉だけれど別れと出会いの繰り返しをしながら、自分目線を鍛えていくしか無いわけだ。
 本日、無二の親友だった方の1年忌があります。
 

2476:修正機能

梅雨明けが今年は全国的に早いそうだ。日中の気温は各地で35度を超え、夏真っ盛りの有様となっている。例年の事だから気にもしないが、食欲がイマイチ出ない。水分補給だけはコマ目に行っている。電池が切れていた体重計の電池交換を行い、のってみたら体重68キロ、これは最近の私のベスト体重、このまま乗り切れば大丈夫。だが、私にとっては夏が始ったばかりだから、マイナス2〜3キロはこれから覚悟しないとなるまい。
 年間を通せば、殆ど変わらなくなるのだが、これも意識して行っている訳ではなくて、体自身の修正機能が働くのだと思っている。
 ただ、年と共に修正が難しい部位もありますよ。メッポウ白髪が目立った方に染めないのかいと言ったら怒られた。いやいや染める髪が有りゅー良いさ、俺なんか染める髪が無い。この詰まらない会話だって、まー双方の修正機能の役目は果たす。
 昨日は病院で検査があり、MRIと超音波を朝から行った。結果は上々、このままずっと行けば良いですねと主治医から誉められた。私の場合は循環器系の既往歴があって、もう10年以上同じ病院に通っている。血管は若返るのだろうか?
 多分、無理だと思う。年齢相応の状態を保てれば良いと考える。
 しかし、心の問題は別だ。自分から鬱になりそうだとか言う人がいるが、そんな人に限ってならぬもの。
 躁鬱病は昨今、心療内科(?)では代表する疾病である。極端を上手くコントロールさえ出来れば日常普通の生活はおくれると聞いた。
 これまた職場の話で恐縮ですが、どうも利用されている方で大声を発する人、休みなく喋っている人がいて気になる。ご本人には大声を出す理由があるのだろうが、正直その対応が分からない。生活環境か人間関係か????スタッフもどうにか静かに過ごせないかと智慧を絞ってはいるが、上手くいかない。
 逆に上手くいっている事例、スタッフからの提案で外部の方のアドバイスを受けようという話になり、その結果は良かった。
 何度か面談をしてもらい、そこで自分で花&野菜作りをすることを勧められ、彼女はそれに従った。朝晩、水かけを欠かさず、結果は見事な花が咲き、熟したトマトも出来た。自然と彼女に声をかける人も増え、「ありがとうございます。」と本人からの元気な返事も聞こえるようになった。
 昨今の日本の動きで気になることがある。森嶋道夫氏の著書『何故日本は没落するのか』(岩波現代文庫)にあったことだが、最近の日本に対し、疑似自由主義・疑似個人主義・疑似民主主義的なエートスが根付き、利害に対して自己中心的で、自分の主張がなく常に多数派に与し、拝金主義的で快楽主義的だと厳しい。若者に夢がなく、心因性の良く言えば慢心、正当には過剰貪欲による過食症とみる。その彼らがこの国のリーダーになる2050年がどうなっているかと考えると今より更に日本の格付けは下がり、最終的に日本は没落すると言う。
 海外生活が長い森嶋氏ゆえの日本の将来への識見ではないか!残念なのは、既に氏は亡くなってしまい、今、彼の訓戒を我々が聞く事ができないことだ。参議院選挙が告示され、日本は選挙モード、しかし、この国を託す人を選ぶにしては、盛り上がりに欠ける。その事がまさに森嶋氏の正当性を証明するものだ。

2477:過食症

10年前にこの世を去った前項の森嶋氏の日本の将来に対する痛烈な批判は、決して投げやりではなく、氏の願望を感じる。
 外国での生活が長い人達が一様に語る日本の素晴らしさを現に日本に住んでいる人達が感じない。それは過去との比較でしか今を見る術が無いからだと思うのだ。
 ”過食症”これは実に厄介な贅沢病かも知れぬ。ただそのままにしていると致命傷に至る場合も有り得る。
 慢心という柔らかい表現も根底には日本人が知らずに身につけてしまった奢りである。”疑似”という言葉もそうだ。本人はそう感じていないはずだ。
 福祉に長く身を置く私は気づかずにある考えに固執してしまう。老人介護の考え方一つを見ても、果たして超豪華なホームに住み上げ膳据膳の生活を理想とは思わない。森嶋氏が語る・・・「天職に生きるものは、それから金が得られようと得られまいとにかかわらず、命がある限りその職に奉じるものだ」というカ所に共感した・・・・同上:P88。
 要は他人から言われるような幸せでは無く、自分自身の幸せを持ち得るかということだろう。
 人生80年が長いか短いか、誰だってホンネで長いとは思っていない。それは、まだやり切れなかった事があると思うからで、そこを曖昧にして、高福祉なんて言うからチャンチャラ可笑しい。
 これこそが疑似とも欺瞞とも言えることでしょう。
  
 昨日、福島原発事故当時の所長さんが58歳で亡くなったという悲報が流れた。まだお若いのに、大変な病と闘いながら彼は現場の責任者として東電本社と遣り合いながら奔走したという。
 何も知らない私がどうのこうの言うのは控えるべきだし、今更、彼の苦悶を誰が理解できよう。現場の責任者として、現実に起こってしまった大惨事に一体何ができよう。
 国会では経済最優先の政策が効を奏し、株価が上がったと微笑む議員達、彼等は果たして原発問題をどう考えているのだろうか?
 暑ければエアコンの効いた部屋で執務が取れるのを当たり前に考えている。これは慢心かもしれませんぞ。
 良かれと信じていたことが、自らの体を蝕むようなことになってしまうことが簡単に起こる時代に誰しもが生きている。これだけは間違いの無い事実なんですね。

2478:コンピューターショップ

ここまでコンピューターが生活の中に入り込んでくると無視して生きて行く事は不可能となった。私自身も当にその犠牲者(?)だ。操作も判らずに見よう見真似で始めた訳だったが、トラブル続きで参っている。一々問い合わせして教わるのもできず、ストレスは溜まる一方ときた。
 こんな私をお笑いしなさんな!貴方だってそうでしょうよ。Windows Xp が交換時期に来た。いろいろソフトを入れ込んだからスピードが遅くて嫌気がさしてきた処、不必要なものは除去する良い機会だと思うことで納得しよう。
 ただ、その度ごとに出費が嵩み、これまたストレスになる。これがネット社会の病みの原因なんだろうな。
 利便性を得た反面、ストレスが蓄積。。。(現代病)。
 便利さと言えば交通手段、今日は甲府に出かける。午後1時までに会場に着くには8時前の電車に乗らねばならない。
 山梨県は今まで便利な交通手段が無かった。学生時代、新宿から夜行列車に乗って山登りに出かけたが、その当時とあまり変わらない?
 でも将来、リニアーモーターが通る。そうなればあっと言う間に行けるだろう。各駅停車で途中下車なんていう旅が贅沢だと言われるようになったのはいつ頃からだったか。
 今回は関東地区の研修会で当法人からも10人参加する。私は別行動で電車で行くが車で行くメンバーと要する時間は変わらない。これまた妙なものである。
 ちょっと心配なのは最近の猛暑、日本で今年最高気温を記録したのが山梨。盆地故に仕方ないのかも知れぬが39度を超える猛暑が毎日続くとなれば、どうなんだろう?名産のブドウにも良くないと聞いた。
 原発事故から節電は誰もが理解しているが、冷房の効かない会場で会議が開かれるとなれば非難轟々だろう。
 各電力会社が停止中の原発の再稼働を申請したという。代替燃料価格の高騰により電力料金が跳ね上がるという噂、私達が避けて通れない事に一度便利さを経験してしまったことを我慢できるかという問題だ。
 ”我慢”という字の意味に、高慢と忍耐というものがあります。一般的には我慢強いなんて使われるから後者の耐え忍ぶ意味に使われている。
 物事を断定的に言うのは避け正否両面から考えさせてきたのは先人の智慧なのでしょう。
 

2479:山梨大会を終え

山梨大会が大勢の参加者を迎え開催されました。山西会長の人柄と彼を支える皆さんの熱き思いを感じました。
個人的には山梨には学生時代良く行きました。南アルプスが好きで深い山々に抱かれる心地良さ、それと派手さは無いが
自然体で受け入れてくれる人々、八ヶ岳もまた、長閑さと自然の豊かさを感じる場所・・・・・。この記憶はハッキリと今でも残っている。
 今回、茨城より112名の参加。参加者名簿が無かったので判らなかったこともありましたが、皆さん次が茨城開催という事を意識して参加したと信じている。
 大会テーマを”意志決定支援”に置き、皆で考える場を提供された山梨の関係者に敬意と感謝を伝えたい。
 特に良かったと感じた事をあげてみましょうか。
 基調講演された小澤先生、筑波大大学院で教えられている方です。筑波大???地元じゃーないの!そう思ったのが正直な処です。でも大学院は東京の大塚にあり、夜間授業だと伺った。学生の皆さんが仕事を持っておられ、仕事を終わってから夜の時間に学んでいる。
 意思決定支援は人の問題、誰がどうするかという事だけれど、そんなのできませんよ・・・これは講演の中盤に差し掛かった頃にホンネという前置きをして話された。正直私の心が動いた瞬間。
 共感。私自身、その事をずっと悩んできたんだから、それも40年の間、いや違う、私が物心ついた頃からかもしれぬ。5〜6歳の頃既にお寺にいろんな方が一緒に生活していた。裁判所から預かったお兄ちゃんから、私の母を「母ちゃん」と呼ぶお姉さん・・・・・。子供ながら、なんであの人達が家にいるんだろう?と思った。
 いずれその人達はどこかに行ってしまったが、時々顔を出す人もいた。
 小澤先生の話で制度や仕組みはこれからも変わりますよというホンネの部分、でもずっと変わらない事が有りますよ。それはね。理念と人づくりです。
 ここが決定的だった。
 日本は西欧の仕組みを得意になって取り入れる。その意味では凄い能力があるのかも。でもどうですか、仏作って魂入れずになっていませんかね。
 そうです人づくり、これが最も重要なんでしょう。それにはどうすれば良いかですよ。我々の関心事は。社会福祉士制度を国は作りました。現実にそれがどうなっているか?これだけ考えても直ぐに分かる事です。
 要は、国に期待しても出来ないことの方が多い。やる気が有るかどうかは別問題、でも、今出来ることだって有るでしょう。そこを先生は言いたかったのだと納得しました。名刺交換し、メールを即送りました。
 課題に対し、一緒に考える裾野を広げること、それも中立的な人も含めて。
 業界関係者だけが集まってどうのこうのという時代は既に終わったと実感した。

2480:心の休日

よくも続きますよね。連日の30度を超す暑さに体が悲鳴をあげています。性分というのでしょうか、私は何もせずジッとしていることが苦手なものだから、動きます。夜、熟睡できれば疲れは取れるのでしょうが、寝苦しい夜は、何をやっても良く眠れない。これって私だけでなく多くの人達が同じ思いでいると思いますね。
 さて、参議院の選挙戦に入ったんですよね。どうも盛り上がりに欠けていると思います。だって候補者が見えない。区域が広すぎる所為もありますよ。それと、選挙戦自体が変わった。ネットを使ったものが増え、マイク片手に大声を張り上げるより外郭から攻める戦法というんでしょうか。
 国政にあれだけの数の議員が必要なのか?必要だと思っている人はいません。削減をその議員さん達で決めるなんてできやしない。自分の根城を簡単に手放すはずがありませんから。これが現政治の限界です。
 昨夜でしたか、テレビを何気なくみていたら、中国の某市で起きた原発反対運動のニュースをやっていた。瞬時に思った。
へーあの中国で反対デモが堂々と出来るんだ????随分変わったもんだ。海外に向けて国内の反体制運動などは情報を制限していると思っていました。
 中国も必ず変わるね。でも、何せ国が大きいし人間の数が半端じゃない。単一民族じゃないし、歴史が示しているように様々な争いが絶えた事は無かった。
 一方、日本はどうなのよ。良くもこれだけ変わる変わった、総理大臣の数、ここ10年の誰が総理をやったのか言える人もいないんじゃないのかい。皆さん、もっともらしい公約はします。でも身を引く際の弁明はもう聞きたくも無い。
 経済の低迷とか言っているが、どこまで豊かになれば済むのですか?モノが巷に溢れかえっているのに、更に何を買えと言うのでしょうか?変えるべき事を変えず、変わらなくて良い事を変える。
 それと抽象論ばかりでハッキリとした国是が見えない。私にはどうしてもそう思えて仕様が無いんです。
 ならばどうします?結局我々ができることは、身近な事に目をやることだと思うな。自分達でできることをやる。そこから上手く言って周りに広がれば儲けものという感じかな。
 日本人心理の深層には、先祖を大切にするというものがあると思う。いくら個人主義が進んでも、自らのルーツに思いを馳せない人はない。
 こんな事をいつまでやっていたら先祖に合わせる顔がないとか。これって難しくなりますけど、死をどうみるかという事なんですね。
 別角度から見れば死の恐怖を軽減する意味もある。ホンネっていうのは、ここなんだよな。東京は盆に入った。地方は8月、信仰心の有る無しに関わらず墓参りは多くの人がやります。
 キザっぽく言うと、これって”心の休日”なんですよ。

2481:ブータンの選択

6月に短期間だったが旅したブータンにある変化が起こっている。総選挙を実施、その結果与党調和党が45⇒15に大幅に議員数を減らし敗北、国民は野党国民民主党を選んだ。ブータンは人口70万足らずの小国、ここで紹介するべくもなく国民総幸福を国是として掲げ、独特の歩みをしている。実際に行って見て感じたことは、近代化を望む人達と昔からの伝統を守ろうとする人々が共存していることだ。先の政権は経済政策を重視し、成長率も高くなり、豊かさ(?)を目で確認できるまでになってきた。その一方で、自然環境の汚染や都市部への人口集中、それと就職難という、嘗てのどこかの国が経験したことが今現実に起きている。
 ブータンは西部地域の首都周辺の開発が進んでいるが、国全体としてはまだまだ昔の姿が残されている。私はその西部地域を垣間見ただけであった。
 ここで触れたいのは、国民が望む容を実際にどう形にするかというプロセスである。ブータンの選挙で投票率が66%を超えていた。これが高いのか低いのかを単純に数字の結果だけでは評価できまい。何と言っても今回が2回目の国政選挙だというから比較しようが無い。
 ブータンで私が一番関心があったのは、仏教を国教とする国の実態でした。それは前にこの欄で紹介しましたが、寺院を警備している警察官が片手に数珠を持ち真言を唱えながら業務を行っていた姿でした。
 これは日本では考えられない事です。職務違反で戒告を受けるでしょうね。
 いま、日本国内では参議院選挙の真っ最中、多分、一般の人達の関心度はイマイチ上がらないというのが正直な処ではないですかね。メデアに登場する各党派代表の発言を聞いていても、一体どこがどう違うのかハッキリしない。いやいや そのレベルの問題じゃないですよ。有権者の多くが、どうせ言っていることは後で修正されるに決まっているという冷めた評価。
 ここまで来てしまうと正直手の打ちようがない。
 ですからね、当然投票率は上がりませんよ。特に20代30代の若者の関心は伸びない。長年、この状況を続けてきた訳です。
 彼等は言いますよ。官僚の思う壺だとかね。行政改革も良いですよ、どうぞ おやりになったら。でも、結果どうなっていますか?
手続きの複雑さと分かりづらさが溢れています。国民の目線では無いと言う事ですかね。
 私自身も税金を預かって事業を行う責任者の一人、万が一、不祥事が責任下で発生した時は、潔く身を引く覚悟は持っていないとなるまい。
 ブータンの選択を考えているうちに、結局、自分自身の問題になってしまいました。

2482:施餓鬼準備

寺に庭師さんが二人入っている。10日間ぐらい例年、この時期に植木の手入れに入ってくれる。お盆の準備の一つ。何しろ、木の成長は凄い、伸びの早い木が枝を大きく広げてしまい、日差しを遮るからどうしても枝の剪定が必要となる。二ケ寺あるから、相当前からお願いして今になる。
 多分、枝落としには良い時期があると思うのだが、そんな事は言っておれない。普段行っていない客殿の掃除や修理をこの時期にやっている。塔婆書きや掛け軸は例年のこと、ハガキで注文を取って準備する。これだって自分が関係する寺のこと、それに助法といって手伝いに行く寺が私の場合13ケ寺ほかに有る。
 となれば、施設の仕事は出来ないでしょう。否定はしませんよ。いつものようにはできないとだけ言わせて頂きます。
ぁああああ・・・40年間、同じことをやってきました。記憶がオボロゲになったが、急に一瞬の出来事が浮かぶ。それがなんとも不思議なんですが、情景が実にハッキリとしているんです。時間差は無く、新鮮ときた。何故だか分かりませんよ。
 人間の生き死にの記憶って、そんなものなんでしょうよ、多分。
 日本では昔から郷帰りしてお墓を参る風習があった。これも大分様変わりしていますよ。なんたって海外に旅立つ人達もいるけど、国内の観光地の混雑を見れば直ぐに分かります。これは仕方がないことです。だって実家に長くいることが出来ない状況がありますからね。久しぶりに孫と過ごせると楽しみに待つ年寄り、この数は年々減っているんじゃないでしょうか。
 それは、やりたい事や行ってみたい場所が増え過ぎたとも言えます。
 小鮒釣りしあの頃・・・・♪♪  懐かしいじゃありませんか、でも現実にそんな川がどれ程残っているでしょう。
 気持ちの上でのゆとりが減ったと思いませんか?
 昨夜から、また読み始めた本があります。V.E・フランクルの”「生きる意味」を求めて”というものです。本棚にあったもので何気なく手に取った。アウシュビッツの捕虜収容所で奇跡的に生き残った精神科医、彼のメッセージを逆境の心理学とあった。
 あの当時の状況と現代は全く異なる。でも多くの人々が生きる意味を見出せず悩んでいるのは事実だ。果たしてこの現実を発想の転換で上手く乗り切れるのでしょうか。
 これだ!という決定的な処方箋がありますかね。何はさておき、先ずは経済力を上げないと・・・・と自らの政策の正当性を声高に訴える。本当にこれで良いとは誰も思っていない。でもそれに代わる妙案が示せないから押し切られそうだ。
 GNP世界NO:2とか3とか数字のマジックに罹ってしまった。人と人の関わりや生きる意味にそれがどうなのよと逆に問いたい。
 繁栄の中でさえ消えることがない虚無感に今の政治はどう答えるか。
 先祖の眠る墓の前で静かに手を合わせてみるのも良いですよ。
 

2483:ハートネットTV

NHKで午後8時から30分間、月〜木放送されているハートネットTVという番組、一度ご覧になってみませんか。
 昨日は再放送でしたが、『自立準備ホーム』のことが紹介されていました。NPO≪函館せいかつコミュニテイ≫というホームを定年後始められた坪内さん(70歳)、主に累犯障害者の人達の社会復帰支援を行っている。
 このようなホームが現在全国で236カ所あると言う。法務省管轄の事業だが、一般にはあまり知られていない。再犯を生みだしてしまう社会に何が必要か、それと居場所の無い人々を受け入れてくれる社会の取り組みが坪内さんともう一人のスタッフだけで毎日繰り返されているのだ。
 早朝の3時に函館駅構内を見回る。寒さを避けて駅の構内にて夜を過ごす人達に何か必要なことはありませんかと声をかける。
 テレビで紹介される位だから函館では坪内さんのことを知っている人も多いのかもしれない。
 この放送があった前日、龍ヶ崎である事件が起こった。10歳の女児に大けがを負わせ逃走し、目撃者によって警察に通報、その犯人は逃げ込んだボーリング場のトイレで逮捕された。
 断片的な情報でしかないから、何とも言えない。しかし、精神に何らかの障害を持っていたという事はハッキリしている。
正直な気持ち。斯様な事件が起こる度に心の動揺は避けられない。被害にあった方にとって犯人を憎むのは当然だと思っている。
 その所為か問題を起こしそうな人は支援事業所から避けられるという実態もある。真面目に社会復帰を目指し頑張っている人も多い。彼等自身は罪を繰り返す人達をどう見ているのだろうか。
 何も知らない人達は、共同生活をしている人達を同じように見てしまうことも有り得る。
 昨日、筑波山麓で活動している自然生クラブの柳瀬さんと話をしてきた。当然、龍ヶ崎の事件は知っていた。障害のある人達が地域で生活することは並大抵のことではない。農業を通じ、田楽、催事・・・日頃の交流を大切にし、自らが最前線に立って活動している。
 これは福祉だけの問題ではない。日本が抱えてしまった全てに通じる現実だと話された。全く同感。
 自分には何ら関係はないと避けて通ればできるかもしれない。相手を批判し、排斥することだって可能だ。
 でも、本当にそれで良いのですか! 誰にその不満をぶっつけて良いのか判らない。
 TVで紹介された坪内さんには知的障害のある娘さんがいる。近くの施設に預けている。
 ああ。。そうだったのかと妙に納得する人もいるかも知れぬ。でも本当は違うよね。嘗ての日本には、障害が有るとか無いとか関係無しに自然に受け入れる懐の深さはあったんだよね。

2484:関わり

昨日、久しぶりに友人と会い、食事をしながら話す機会が持てた。彼は長年施設に勤め、今は一切その関係の仕事から手を引き悠々自適(?)の生活を送っている。・・・本人の弁。
 ただ、頼まれて里親を夫婦で行っている。それも虐待を受けた子供で児童相談所を通して受け入れた。差し障りがあるから細かには触れない。日本の里親制度って昔と何らかの変化があるのかな?私の両親も以前やっていた。
 いま全国で里親がどれ位いるかまでは知らない。ただ、最近は虐待児が増えているというのは確かなようだ。家庭での普通の生活体験が無い子が殆だがそれに加え警察が関わるというものだ。
 友人が今預かっているお子さんは被虐待と知的にも障害があるという、18歳になった後どうするかという道筋がまったく立てられないと悩んでいた。本人に尋ねると元利用していた施設に戻るという選択肢しか浮かばないという。
 その理由は昔、一緒に過ごした仲間が今でもいるからだという。
 茨城県は児童養護施設の数が結構多くあるほうだ。最近、定員の空きが目立つと聞いた。対象者が減っているのか、それとも他に受け入れる場所ができたのか?
 先月、私の寺で預かっている父親の遺骨を3人の子供たちがお参りにきて、これから先、誰が遺骨を守るかという相談をしていったばかり、その兄弟は18歳まで養護施設で暮らした。今では皆結婚をし、家庭を持っている。私は脇で彼らの話を聞いていて兄弟の結束の強さを感じた。
 いろんなケースがあることは承知している。自らの不遇な環境への不満を社会に向ける場合もある。今の日本社会はそんな彼等を温かく受け入れているだろうか?経済大国だって?笑っちゃうよ。
 むしろ無関心を装ったり、避けようとしていないか。多分、どうして良いのか判らないという人が大半だとは思う。
 福祉には相反する2面性が必ずあるものだ。理屈だけで物事が解決できれば何てことはありませんね。
 世の中に何の苦労もなく、平平凡凡と日々を送っている人もいるかも知れぬ。だが、そんな人に限って災難が突然自分の身に降りかかり途方に暮れる事って結構あります。
 要は、災難は誰にも起こる可能性が有るということです。それと、なるべく何らかの社会貢献を日頃から行うってことかな。
 何事も関わりを持つということが最初ですからね。
 企業もいま、その事に気づき、利益を上げることばかりではなく社会にどう還元するかを考えようとしています。
 国にお願いしたいのは、制度を作ることにばかりに重点を置き、一端出来てしまえばそれで満足し、日の目を見ず、奥深く仕舞いこんでしまうことってありませんか?時々日の光に当てて見て下さい。でないと時代遅れで全く役にたっていないものが沢山ありますよ。
 

2485:クレーム対応

苦情処理や個人情報保護に関する規程は今時事業所において設置していない所はありません。ただその実態は様々でしょうね。何か事が起きないと持ち出して見る機会もなく、従事者への周知徹底を怠っている所も多いのではないでしょうか。
 事前にトラブルを予防すると言っても双方が感情的に縺れ、話し合う余地も無くなってしまえば、最早その機能は果たせない。
 最近、日本中あらゆる処でクレーム対応が問題になっています。第3者を入れ、時間と労力をかけても解決をみない事例も多くなったと聞きます。
 いずれの場合も最初は些細な事が原因になっている。それがどんどんエスカレート、話が大きくなって全く実態と遊離した状況となって、これでは不味いと言うことから、司直の手に委ねるケースも確実に増えているそうです。
 福祉の現場で起こるトラブルは、その多くが裁判にまで至らずに解決をみるものが多いのです。
 尚恵学園の例を挙げれば、個々の利用者へのサービスが充分満足できるものになっているかと言われれば理事長自ら頭を下げねばなりません。設備から処遇の内容に置いても合格点が貰えるかと言えば自信はない。
 利用者の家族もそれを理解し、我々と一緒になって築いてきた歴史が今の姿だと思っている。誰だって今よりは少しでも良くなればという思いでいます。
 利用期間の長い方と最近利用された方と様々、当然そこにお互いの考えにズレが起こり易い。
 新法を敢えて出すまでも無く”個の尊厳”を全面に掲げているのは、利用者の立場にたったサービスの提供と言う事。
  結局、ズレが起こるとすれば、当にそこが分岐点です。双方の言い分が物別れになってしまうか否か。これも根底には相手を信じられるかどうかです。それと一緒になって考えて行く気持ちが有るか無いかでしょうね。相手を一方的に批判するような事では、結果は目に見えて明らかです。
 障害をハンデイと取るかその人自身の特性と取るか、正直、日本では一般の多くの人々が前者で”可哀想”だと見ていないでしょうか。
 
  私は世の中の不条理に対して勇敢に立ち向かっている方を知っています。
 戦争反対・原発反対・・・・・でも。これらの運動がどうしても盛り上がらない。日本人特有の感覚で自分がやらなくても誰かがやってくれるという思いがどこかにあるのではないでしょうか????
 福祉事業(?)だってそうです。先駆的に事業を起こした人達は、誰も手を出さない事を周りの反対を押し切って始めたようです。そこには明確な考え(理念)があった。
 日本が経済的に豊かになった結果、今どうですか?福祉事業が凄い勢いで全国に広まり国が制限する事態に至った。
 ここに実は新たな問題が起こっている。福祉がサービス事業の範疇に入り、金銭が絡むトラブルが増えている。
 その極端な例が、最初から相手を疑ってかかってくる場合と口うるさい面倒な人は避けるという双方のバリアー増殖現象とでも言えるような実態である。
 これは許せないという捨て身の覚悟を持てるか否か、理事長たるものの責任が実はここに在る。
 

2486:参議院選挙

昨日の選挙結果により衆参のネジレが解消したという。これは多分に政権与党側の言い分で、国民にとってはそれ程関心が無いのではないでしょうか。
 私はそう思っています。投票率が52%ということが、どんな意味を持つのでしょう。解説者それぞれ好きな事を言っていますけれど、半分の人しか投票はしなかったという事実は残った。今回よりネット選挙なるものが初めてできるようになったとか、実感は特に無かったが、明らかに選挙戦術は変わったのかもしれません。街宣カーによる訴えは殆ど聞こえなかったのもそのためだったのか。
 いずれにしても参議院選挙は終わり、アベノミクスによる政策が国民から一応は評価されたということになった。だが、自民党が前回大敗したのは3年前、この時の焦燥しきった執行部と落選した議員の悲壮感をよもや忘れまい。今回もそうだった。無党派層が確実に増え、その人達の票がどちらに流れるかでどんでん返しが直ぐ起こる。この状況は暫く続くはずである。
 経済最優先という公約は、そのこと事態でどうのこうの言えることではなく実態がどう変わるかを国民が目を光らせているのである。今時、民主主義か資本主義かを論じるものもいないだろうが、格差が拡がれば、不満として必ず大きなウネリとなる。
 前回、民主党に投票した人達の思いはそこにあったはず、今後それに替わる野党勢力が生まれるか否か。
 長期政権となれば、再度、政官癒着や汚職問題が起こるだろう。
 国の借金が1千兆円(国民一人が800万円の借金)という世界に例をみない状況で、国民もお手並み拝見とばかり言っておれない所に日本が置かれている、その覚悟と責任が望まれる。
 それが一向に変わらないとすれば、我々としては自ら出来ることをやるべきだ。本来であれば2年前の東日本大地震がその切っ掛けとなって当然だった。復旧・復興が思うように進まない被災地、それと原発問題にしても充分検討がなされていない。
 湯水の如く電気を使い、それに疑問を感じなくなった日本人。
 ”安心”ということをキイワードに考えてはどうか。”ゆとり”とか”豊かさ”という言葉には上限がない。
 自分達が歩んできた道を振り返ってみれば直ぐに分かる。
 本堂の裏手に植えたニッキの木が幹の太さが40センチを超えた。台風で木の途中から折れてしまったが、枝がまた伸び始めている。
 私が小学生のころ、母親の実家(つくば市小田)に行く目的はニッキの根を貰う事だった。根を掘り、乾燥させたものを昔の駄菓子屋には売っていた。それを齧る。
 今時、そんな事を思いもつかない。豊かになった?????
 経済最優先という問題は、果たして何を尺度にするんでしょうね。

2487:世知辛い

皆さん!世知辛い世の中になったと思いませんか?
相手を想うことよりも自分の言い分を優先する人が増えた。ある面では良いことかもしれない。でもね、実際に無い事を然も有ったかの如く言い散らかす人は実に困ったものです。
 なんという人なのでしょうね?教育現場で問題になっているモンスターペアレント、この数は減ってきたのでしょうか?誰しもが我が子を可愛がるのは解りますよ。でも、集団生活という中で時には我慢しないとならない事が起こります。それを不当だと言われればどうしようもない。只管、誤るかどこか違う所に移っていただくかしかない。
 話は変わります。日本の国内に中小企業が約420万社あるそうです。これは全体の99.7%にあたるそうです。大企業は0.3%、こうなると景気回復と言ってもどこに焦点を当てるかによって随分違うわけですよ。
 そして、膨大な借金を積み上げ今に至った。景気が回復すれば、その借金は減るのですか?その道筋が彼らの説明ではどうも分かりづらい。
 先の選挙で自民党が圧勝し、念願の衆参ネジレは解消した。これからが正念場ですぞ、今度は言い訳ができない。
 でもね、あの方たちは責任は取りませんよ。頭を下げトップの首を挿げ替えることで良しとする風潮がいつの頃から出来あがった。
 今朝の”明日への言葉”に登場した某弁護士の話。中小企業の救世主と伺った、今までに企業倒産を救った数は数100社に及ぶとのこと。
その方がいみじくも言い得たことは、出身地の清水次郎長の生きざまに魅かれ、徳と情が薄れた国で孤軍奮闘、目を覆いたくなるような現実と対峙するのを弁護士業の土台とした。。
 相談に来るのにモノを質に入れ切符代にしてくる経営者・・・・・。毎日資金繰りに飛び回り、必死に会社を守っている人達を弁護することに生命をかける。
 この状況がGDP世界NO:3の経済大国を支えた功労者ということか!
 憂いることは、簡単だ。しかし、謝れば済む話では無い。
 子供への教育に問題アリ。知識最優先と景気最優先という言葉が妙にダブって仕様がない。
 昨日、こんな事があった。寺に外トイレがある。自転車で子供が4〜5人でやってきて。水道ホースで水を出し、騒いでいる。
「何してるの?」と声かけた。足が汚れたから洗っているとのこと、それは良し。だが、後で見に行くと、トイレの中は水浸し、石鹸は使いっぱなし。それよりも何も言わずにどこかに行ってしまった。
 これって、どうなんでしょう? 他所の家のトイレを借りる。この基本(モラル)が出来ていない。これも景気回復すれば変わるんですか? ・・・・≪愚痴はこの辺でお終いにしたいと思います≫・・・・。
 

2488:福祉の裾野

 福祉の最前線は直接サービスを必要としている人達へタイムリーに手を差し伸べることに価値が有る。しかし、言うは易い。受け手と提供者の間に複雑な手続きが入り込み、その事務量たるや半端なものじゃない。公金を使用するから当然と言えばそれを否定するものではないが、現場で何を優先するかといえば、答えは決まっている。
 行政の縦割りはなかなか解消できないし、熟知した担当者が替わることでその混乱は毎年のように起こってしまう。
 昨日、約束していた方に直接出向いて話を伺った。木造2階建ての建物にあれは何十人いたのだろう?福島の会社から受注した作業を熱心に行っていた。
 私は代表者を良く知っている。彼はこんな風に言っていた。厚労省よりも法務省との関係が深くなってしまったのは想定外だった。利用されている大半の方が触法障害者で身寄りが無いと言う。開設6年目で既に70名を超える人達を受けている。昼間の働く場の提供とGHによる宿舎の提供だ。それも信じられない程の安い費用で。
 株式会社による経営の為、設備投資などに補助金はつかず、自前で用意するしかない。それとGHの世話人の確保、夜間の緊急呼び出し・・・・など、話を伺っていて想像以上だったことを恥じた。
 果たして今の日本で何らかの犯罪を犯した人達を喜んで受け入れる場所があるのでしょうか。関わりたくないという人がほとんどではないかと思います。
 詳しくは判らないが、何でも刑務所で一人受け入れるのにかかる費用は70万〜80万(月)だと言う。その費用の10分の1以下で受け入れさせようとする国も国だ。
 実は、嘗て同様の事が他の福祉事業でも見られた?それは公立による施設の実態とダブる。我々民間事業者はその改善を訴え続けた、今では民間へ委託したり、廃止する所が出てきた。
 ただ、利用されている方達を受け入れる場所があるからそれもできた。昨日、伺った所は、全国でも特異なもので、他に同じような受け入れ場所が殆ど無いという。
 格差が有ると言うのは、世の常ではあるが、この実態を殆ど世間に知られていなのは問題だと感じた。
 国が保育所不足を取り上げ、待機者ゼロを目指す緊急施策、この実態だって一部の都市部の話で地方に行けば定員減をしている保育所がいくらでもある。
 それよりも問題は保育士の資格を取っても何人が保育現場で働くかということ。
 何かボタンの掛け違いが多過ぎやしないだろうか!
 自由という言葉の意味は、好き勝手とは違います。
  これは、まさしく最近の”権利”と”義務”のバランス感覚と同じ、それを誰が判断するかが定かでない。本来、道徳・倫理・習俗とか言われたものがその役目を果たしてきたのだろうが、現状で権利を主張されると、言われる儘という有様ではないだろうか!
 その問題を棚上げしてしまってどのようなしくみや決まりを用意しても継続可能なものにはなりません。

2489:別れ

昨日は、尚恵学園を長年利用されていた方が亡くなりその葬儀に参列してきました。利用年数が30年以上あったWさんで、元気な頃は農業が大好き、耕運機を上手に操作し、手拭でネジリ鉢巻にして得意満面の顔で作業をしていた情景をハッキリと私は思いだせる。
 彼は農家の4人兄弟の長男として生まれ、障害を持って生れた事で、家族の中でいろんな事があったそうだが、尚恵学園に預けることになったそうだ。昨日、直接弟さんより当時の話を伺った。その弟さんがまったく彼と瓜二つなのには驚いた。
 彼はここ1年ほどで急に体調が衰え、以前の活気が無くなった。精密検査で手術ができない状態だと判り、家族と相談、市内にある新しくできた、ホスピス専用の介護施設に移ることになった。そこを利用始めてから丁度半年、68歳で息を引き取った。麻酔専門のドクターが開いただけに痛みは上手く緩和され、穏やかな最後だったと聞いた。
 私は出来るだけ、利用されていた方が亡くなった時には葬儀に参列させて頂いている。
 彼は尚恵として初めてGH(?)に移ったメンバーだった。当時はGHなどとは言わず、職員が自宅に二人を引き取り同居したのである。その方は尚恵学園の基礎を築いてくれたK氏、農業のプロで戦後、国が進めた開拓事業のリーダー、農協を退職してから尚恵学園をずっと手伝ってくれた。通勤寮を建てようという話が持ち上がった時に東北まで二人で視察に行き、夜遅くまで話し込んだことをハッキリと覚えている。
 そのK氏はもう10年ほど前に亡くなった。Wさんはその中の一人で、もう一人のMさんは丁度1年前に65歳で先に亡くなっていた。
 その後Wさんが急に元気が無くなったように私には思えた。彼が頼りにしていた二人が死んでしまったことがそうさせたと思える。
 人の幸せとは何だろう? 最近良くそんな事を考えます。
 いま、来年度の工事で寮の新築計画を練っている。老朽改築という事で若いスタッフに考えて貰っている。その対象になった施設が丁度Wさんが尚恵学園を利用始めた頃に出来たものだった(昭和54年)。小高くなった雑木山、丁度つくば万博を控え、造成用の土の需要が凄かった時代、理事長は無料で土を業者にあげて、期限までに平らにすることを条件とした。
 シイタケ作業を提案してくれたのもK先生、原木を伐採し、それをホダ木にし、昼間の作業にした。
 そのシイタケ作業があの大震災まで30年続いた。残念ながら原木の放射能汚染によって、いまその作業は止めた。
 その時々の状況により試行錯誤で歩んだという懐かしい思い出、ずっと考えてしまい眠れずに一晩過ごした。

2490:施餓鬼シーズン

今年もやってきました施餓鬼シーズン、お寺にとっては最大の行事、なんたってお盆前後、日本中が昔より先祖供養を7月〜8月に実施してきましたからね。お盆休みを利用して田舎に戻る都会生活の人達、大渋滞を覚悟の上、それでもこの休暇の使い方は年々変わってきています。多分今年は海外で過ごすという人達も例年になく多いかもしれません。
 寺の住職は、そんな人達とは全くの無縁、自分の所ばかりでなく日頃ご無沙汰のお寺へ施餓鬼助法に伺うのです。恒例行事ですから、いずこも変わり映えしないのではありますが、大分前から掃除や準備で大忙しなことは間違いありません。
 去年の施餓鬼から今年までの1年間に亡くなった人達を供養するわけですが、お盆とは全く時期をずらして行っている寺もあります。
 そんなこんなで少々疲れ気味、早目に寝る事にしています。そしたらニュースで東北地方での集中豪雨、なんと先の大地震で被災された方達の仮設住宅が床上浸水というニュースには、驚きました。なんでそこまで虐められねばならないのか!
 最近の天気は昔とは大分変わった。集中して一気に雨が降る。排水能力を超える雨の量で急いで避難するという状況が各地で起こっている。
 人災や天災は過去にも沢山あった。その教訓からの対応策で随分整備されてはきているはずだが、想定以上の規模で襲ってくるから、決して安心できない。
 これは地球規模での傾向のようだが、いつも思うのは片方では休暇を思う存分楽しんでいるのに、一方では生命の危機に直面している人々とのコントラスト。運の良し悪しで片づけるには忍びない。
 学生は夏休みに入った。観音寺の周辺でも子供たちの声が急に聞こえるようになった。雑木山で昆虫採集、それと自転車に乗ってどこかへ探検?
 いつもの事だが、全国高校野球の予戦が真っ盛り、茨城は本命同志の決勝戦、結果は常総学院が劇的な逆転勝利で甲子園の切符を手にした。
 我が尚恵学園も1週間程の夏休みがある。以前はもっと長い期間あった夏の家庭帰省も親達が年を取り、受け入れが難しいという事もあって今のようになった。今年も半数近い人達が学園で過ごすようになるはずだ。
 この格差は我々だけではどうすることもできない。残留する人達へ外出などの楽しみ行事を多く行ってはいるが、参加者の心の中は、いつもと違う。
 いや視点を変えてみようじゃないか。大勢の日本人が今、世界中で活躍している。未開地に入って支援活動をしている人もいる。それと企業戦士(?)だって大変だ。単身で海外生活している人の数も多い。
 もっとその人達の事をメデアが取り上げ紹介すれば良いと私は思う。
 ニュースを見ても、どこどこの政党の内紛がどうだとかいくら聞いても気は晴れない。此処にこそ施餓鬼が必要なんだわな。  以上。