源究134

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2191 7/24 2196 悲喜こもごも 7/30 2201 久しぶり 8/4 2206 0.1秒 8/10
2192 愚かなれど 7/25 2197 お家・・・ 7/31 2202 笑顔 8/5 2207 お盆休み 8/11
2193 施餓鬼準備 7/26 2198 施餓鬼を終え 8/1 2203 底ぢから 8/7 2208 閻魔様へ 8/12
2194 つくばの夜 7/28 2199 地味且つ大胆 8/2 2204 夏空 8/8 2209 お地蔵さん 8/13
2195 石橋たたき 7/29 2200 産みの苦しみ 8/3 2205 阿諛追従 8/9 2210 5年の隔たり 8/15

2191:雨

”旱天の慈雨”とは日照りで乾ききった大地に降る恵みの雨、甘雨とも言う。
 スッキリしない天気が日本中を覆う。日本の気象が亜熱帯化したと言われ、ゲリラ雨なる気象情報が時々出される。驟雨(しゅうう)などという緩やかさは無くなった。
 北九州に降った豪雨、30人以上も亡くなった人が出た。政府は激甚災害に指定し復旧を急いでいる。日本だけの問題ではない。昨年のタイでの水害も記憶に新しい。一先にタイが災害義捐金を北九州に贈ると決めたのは昨年の事があったからである。
 中国も記録的な豪雨にみまわれ、被害が出ているという。
 地球規模で自然災害が起こっている。干ばつと豪雨、竜巻、ヒョウ・・・などラニーニャ現象によるものか否か。いずれにしたって我々は地球に住まわせて貰っているという事だから、人間の力ではどうしようもない。
 それが、いつの間にか我が物顔に振る舞って際限無き奢りを反省することを忘れている。その最たる事象は核、平和か軍事かその利用目的によって様々な意見が飛び交うが、技術的にはどっちにも転用できる訳でしょう。
 戦争の抑止力と言われ、核爆弾保持の正当性をうたう。それじゃー地球上の全ての国が核を持てば平和になるのでしょうか!
 現実と理想の乖離は、いつになれば無くなるのだろう?否、その中で生き抜くより選択肢は無いのかも知れぬ。
 人間が地球上に現れて、数万年?キリスト、仏教、イスラムなどの世界宗教が起こったのが、精々2500年前、共通する背景に、生きている世界と死後の世界をどう観るかという事がある。その事が証である。
 人間の寿命は、長生きして90年、ボケ症状になろうがなるまいが、その間の問題で永久に続く訳ではない。
 流浪の民か定住の民かによって多少の違いはあるのだが、基底となる事柄は然程の違いはないはずだ。
 安心して幸せに生きたいと誰しもが願い、そのような社会を築こうとする訳だ。それがどこでどう狂ったのか良く判らないがエゴというのか我欲というのか、良からぬ考えが増殖し、略奪や戦争というトラブルが無くならない。なんとも愚かな人間どもよ。
 多分、大いなる存在は、そのように観ているに違いない。
 ささやかな抵抗も無いとは言えないが、その火がいつの間にか消えている。
されど、愛おしき人間よ。俺たちに、大いなるものは感情を与えて下さったではないか。喜怒哀楽、五感、・・・・悲しくても嬉しくても涙を流す動物は人間だけの特権だ!
 悲しい時は恥じる事はない、大いに涙するべきなのだ。必ずやその悲しみが癒される時が訪れる。そして、同じ悲しみを持つ人達との共感が生まれるから。
 これから先、どうして良いのか分からないと言う。先の事を思って確信できることは何もありません。不安と焦りだけかもしれません。でも、私達には今まで自分の足で歩んできた道が有るんですよ。これだけはあなた自身が確信できることだと思います。

2192:愚かなれど

浮世の柵に心乱され、自分を見失うことほど愚かなことはない。
 自分発見の旅が人生だといった先賢は、果たして確信をもってそれが会得できただろうか。おぼろげに一筋の道を見つけ、そんな気になり、トボトボと歩んでいったかもしれぬ。
 何度、花を咲かせりゃー気がすむんですか?それも見栄えや評価を気にして、そんなものクソ喰らえだ。
 苦有れば楽ありって本当?多分そうだろう。そうであって欲しい。
 イチロウが突如、マリナーズからヤンキースに移籍した。何度も記者会見の様子がテレビで流された。目に涙を浮かべ、一語一語噛みしめるように話した。38歳、プロスポーツの世界でこの年齢は決して若くはない。大リーグに移った日本人で彼ほどの成功者は過去に無い。数々の金字塔を成し遂げながらも常に前向きで準備を怠らない。私生活でさえ、ゴシップで騒がれるような事もなく、ひたすら野球道を歩んでいる。
 華々しく登場し、線香花火の如く、いつの間に消え去ってしまうような輩とは格が違う。
 あまり目立たないが日本人で世界中で活躍している人間は数多くいるはずだ。メデアも強いて取り上げようとしないから、世の中に知られることはない。本人だってそれを望むわけではなく、一途に自らの道を歩んでいる。
 この日本にだって、そんな人は沢山いるだろう。実はその人達によってこの国は支えられているんだからね。
 それが、目立ちがり屋に占領され、実に目障りだ
 そのタイプの人間はいずれ、消えさる運命にあるんだから気にかける必要もないのだが・・・・。
 ロンドンオリンピックも間近に迫っている。日本の応援団が出国するニュース、何か別世界のような気になる。一体何をやっている人達なんだ?選手の家族か親戚か。競技が始まればオリンピック一色になって、テレビで充分観られるから、それで我慢しよう。
 4年に1度のオリンピック、選手は国の代表として選ばれているから、大変だ。前評判が高い人は、プレッシャーは凄いと思う。
 それをバネとして結果が出せる選手は、どんなタイプの人間か?共通性は有るのだろうか?
 スポーツで頂点を極めるのは、実力がなければできない。予期せぬトラブルが起こって実力があっても結果を出せない人も多い中、順調に良い成績をおさめられる人間は凄いね。
 私が一番関心を持っているのはやはりサッカーだ。海外で活躍する選手も多くなり、日の丸の下に集まってこの日の為にチームを編成、強豪相手に気の緩めぬ試合が続くはず。
 別にスポーツだけの問題ではない。
 何か一つのことに徹して生きられれば、それだけで悔い無しの人生じゃないかい。そうだ、皆の衆、今からでも遅く無いですよ。
 愚に徹し、只管、歩め!

2193:施餓鬼準備

いよいよ本格的な暑さに突入です。週間天気予報をみると連日30度を超える日が続く。その中で例年の如く、施餓鬼とお盆の準備に入る。庭師さんも約1週間入って後の始末もしてくれたから、見違える程綺麗になった。
 節電か健康の為か夜中、エアコンは使わないので暑さで寝苦しい。ただでさえ眠りが浅くなったのに困ったものである。
 夜中に起きだし、テレビをかけると女子サッカーのライブ放送、日本対カナダの試合を丁度やっていた。前半を2−0で折り返し、後半1点を取られた時点でスイッチを切った。観ておれないからだ。結果はそのまま2−1で初戦を勝利し、幸先が良い結果でホッとした。いつまで開催中なのか知らないが、連日オリンピックの放送で一色になるだろう。スポーツの最大のイベントだから当然といえば当然だ。
 結果を出して評価されることに縁遠くなってしまった日本。議論はすれど責任は取らず、少しは見習って欲しいものである。
 昨日、友人の密葬があって久しぶりに会った人達と話すことができた。その中にレンコンを作っている人がいて、何十年ぶりに話した。
 研修生を受けているという事で、どんなと思いきや中国からの出稼ぎ(?)の若者で20歳前後、茨城は農業で全国でもトップクラスの海外研修生を受け入れていると言う。彼は2名、自宅内に住居を用意している。彼らは自炊生活で最長で3年間働いていく。もう何人も受けたという話で帰国して事業を起こし成功している人もいるとか。
 親しくなった人もおりネットテレビで今も連絡を取り合っているそうだ。しかし、10年前と研修生そのものが大分変わってきたという。
 以前は月2,000円位の食費で質素に暮らし、なるべくお金を貯めて帰国しようとしたそうだが、最近はお金が貯まると高額なIT機器を買ったりしてしまうという。ハスの作業は腰まで水に浸かる厳しい仕事、長続きせず途中で帰国してしまう人もいるとか、。。。。ハングリーな気持ちに変化が?
 60歳前後の年齢はハス作りをしている人では平均年齢で若い方だとも聞いた。今のところ放射能汚染の風評被害は無いという。霞ヶ浦の水質汚染が騒がれているから気になるとも。それと冬より夏が厳しい事を知った。誰しもが苦労しながら頑張っているのだ。
 それに昔を懐かしむ話がなんと50年以上も前のことには驚いた。それだけお互いが歳を取った訳である。
 
 そうそう施餓鬼の準備の話だったのです。1年の間に閻魔帳に載った人達へ永代供養の掛け軸を作る。これもいつ頃から行われているのか知らないがハンコが年代ものだから、随分昔からあったに違いない。
 この辺では葬儀一式という供え物があって、一昔前ならばその準備が大変だった。役配が決められ、六道に当たった人達は前日に墓掃除をした。いまは火葬になったから仕事らしい仕事は無い、それでも役目だけは残っている。
 近所の人達に相談を持ちかけ、当日の流れを決める。これが守旧・改革様々でイマイチすんなりとは決まらない。
 お寺の住職は、これからお盆までが大変だ。何せ普段、生臭をしているから尚更だ。私でさえ毎年体重が2キロほど減るのは、その証でしょうか。
 私の言う生臭は、いつでもチャンスがあれば逃げ出したいと思っているからで、これは幾つになっても変わらない。
 正直に仏さんに報告懺悔しているから、別に構わない。
  気もそぞろ フーラフラ 時間が経てば 終わること。≪座右の銘?≫
 

2194:つくばの夜

つくば市で1泊2日の研修があり、駅前のホテルに泊った。随分、街の景色も変わって、建物や店が増えた。でも、夜中になるとパタリと人の気配が無くなり、街灯に照らされた街並が自棄に寂しい。
 急造成で造られた街で、人口もイマイチ張り付いていないからだと言う人がいる。東京など大都市の夜景とどうしても比べるから余計そう思うのだろう。
 交流会が終わり、お決まりの2次会へ、予約した店はホテルの下にある食べ物街の一軒、他に客はなく、満席で30名以上集まってくれたので結構賑やかに話も弾んで良かった。その後、外に出かけた連中に任せ、自分はホテルの部屋に戻った。
 テレビで日本対スペインのサッカー、眠りたいけど眠れない。結果は予想外で優勝候補のスペインを負かしたのだ。昔、ブラジルに勝った事があったが、日本のレベルも確実に上がっていると確信した。
 テレビをかけたままいつの間にか眠ってしまった。何でだろうね?高校時代の下手なサッカーをやっていた時のことが次々に浮かんできた。これも昔を懐かしむ年齢になったということ、80名以上集まった研修であったが、見廻すと自分は1/4の年長グループに入っている、少々心細い感じがした。
 今回の研修は茨城県が当番ということで、私は主催者の挨拶をさせられた。準備をされた、中山・渡辺両名に心より感謝している。
 老境に入ったとは思いたく無いのだが、今の私の心境は、目先のことにあまり振り回されるのが馬鹿馬鹿しいのだ。制度や仕組みが目まぐるしく変わる中、その情報を少し位早く知ったからどうのこうのという議論に関心が向かない。
 それより、もっと根本的な事を語り合いたい気分である。枝葉の事は後付けで良いのである。
 目先の議論は、程程にして、若者にも共通する胸躍る話題ってないのでしょうか?
 私は若い頃に放浪癖があって、どことは無しに良く歩きまわった。その時の感動はどうして起こったのかな?
 福祉も当然、時代と共に変わりました。こと障害福祉分野だけでも茨城県内にサービス事業所が1700カ所あるという。毎日10カ所ほど新たにできている。この先、このペースで増え続けるのでしょうか?
 競合がエスカレートし、潰し合いになってしまうのも時間の問題かもしれません。それへの備えは、自らの力をつけることしかありません。まだまだ、茨城県はのんびりムード、泰然自若とした施設長が多い。規制によって守られているという安心感?
 規制は確実に減っていきますね。新規参入を商売にするコンサル業も多くなり、お金さえ払えば彼らは完璧に近いノウハウを伝授する。だから歴史の長さを誇るような経営者がいたとすれば真っ先にそんな法人がターゲットにさせられる。
 福祉業界のM&Aが着実に進んでいるわけですからね。
 まだ、大企業の参入は少ない。社福で大規模とか言われている事業所でさえスタッフが1000名単位、その程度では簡単に飲みこまれてしまうでしょう。
 今回の情報交換で私が知る某法人の理事長の事が話題にあがり、今どうしているか尋ねたら、彼は実質引退し、現場は誰かに任せたようだと聞いた。
 半年前に会った時にそんな話は全く聞かなかった。
 彼はこの業界でも、破竹の勢いで事業を伸ばしてきた一人である。あまりにも法人が大きくなり過ぎ、職員への目配りと法人の理念の徹底ができなくなったという理由が一番大きいのではないかと聞いた。
 そんなことだったのでしょうか?正直、ガックリです。
 この規模と中身のバランス感覚が経営者にとって実に厄介である。何のためにという基本の共有が薄れるとバラバラな動きに成りやすい。一方事業の拡大がある意味では出来やすい時代となった。その反面、社会福祉法人そのものの立つ位置が曖昧になっているのも事実。株式会社と競合する場がドンドン増える中で、社福は株主配当の義務がない。これは強味ではなく、弱点であることが理解できるか?
 社福の経営者の目に余る振舞、この反省もなく、マニュアル通りの福祉論で自己正当化をはかっても、納税者の生活が厳しくなっている昨今、許されることではない。
 残念というか不思議でならないのは、この辺の議論が、業界の内部で全く出ないのである。これも実は時間の問題かもしれぬ。
 その兆候は明らかに出始めている。後継者の養成という面で。
 最重要な課題であるが、正直後廻しにされているのは見逃せない。
 つくば市には飲食店がもの凄い数出来た。でも、10年以上続く店は半分以下となる、シャッターを閉じ、或いは取り壊されたものが実に多いと聞いた。これはニーズ調査の甘さと特化した売りが有るか無いかによる。全く我々の事業もこの事では同じなのである。

2195:石橋たたき・・・

思いは”石橋を叩いて渡る”なれど、行動は大胆にとなれば最高だね。ロンドンでオリンピックが始まった。前評判の高いものが予定通りの成績を収めるか否かは解らない。まだ始まったばかりだが新しいヒーローが誕生するような感じがする。
 ”参加することに意義がある”として地球上での最大のスポーツイベント、準備から運営まで国力を総動員して威信をかける。ヨーロッパであまり良いニュースがなかっただけに、いま凄い盛り上がりがあるのだろうと思う。
 スポーツ界も様々である。なでしこジャパンの選手たちはアルバイト(?)をしながら選手生活を送る。茨城代表でパラリンピックの自転車競技に出場する選手は私の地元企業に正社員として勤務、普段は建設機械の設計を行っている、仕事が終わってから5坪ほどしかない倉庫を改造した練習場で一人練習に励み、世界に挑戦する。金メダルを取れば一生、国が生活を保障してくれる国もあれば実に様々、共通するのはスポーツが好きで好きで堪らない人達だ。
 何がそんなに夢中にさせるんだろう?
スポーツに限らず、好きな事をして生きられたらどんなに幸せか。失敗を恐れず、生計を省みないで奈落の底へでもどうかと思うのだが、・・・・・。
 昨日をもって一人の職員が退職した。青年海外協力で北アフリカの国に3年間渡って帰国、その後、縁があって私共の事業所に勤めた。片道40キロを毎日通い、今回、JICAの地方事務所での職が見つかり、そちらに移る。
 なにかの目標をもって生きる事は年齢に関係せず大切だと思う。私はその申し入れが有った時、諸手を挙げて賛成した。
今だからこそできる事、チャンス到来、やってみなさいと。
 いま、日本にだけ住んでいると外国の事情を肌で感じることはできない。震災だってそうだ。同じ日本で起こったことなのに、直接被害を受けなかった人々は正直他人事、1年半という時間があの時誰しもが感じたに違いない生きて行く事の難しさ、自分達さえ良ければそれで良いと思っていなかっただろうかという反省をした。それが・・・・
 しかし、良く考えて見ると、全ての事が実はどこかで繋がっていることが解る。年間標語になった”絆”も、特別目新しい日本語ではない。昔から助け合いの気持ちはあったはず、それを、自助・公助・共助とか三つに色分けし、責任を果たしたかのような錯覚をもつ。これこそ責任逃れに過ぎない。
 敢えて言わせてもらうと、日本人の知識層は知り得た情報の安売りで金儲けしようと考え過ぎていないだろうか!実践が伴わないどのような情報も聞く側にとって心動くものとは成らず、堂々巡りの知識の消化不良となる。元気どころか勇気さえ萎えてしまうのだ。
 国の施策に不満があるとすれば、制度や仕組みを変える度に研修受講や資格取得がついてまわり、それに膨大な費用と労力が費やされる。正直、参加しても何も得る事が無い。心が動かない。やる気がおきない。だってそうだろう。講師そのもに迫力を感ぜず、知識の安売りをして、自らの考えは皆無に等しい連中ばかり。これで重要な国の政策に入魂できるはずがなかろう。
 嬉しい事に昨日、思いもかけず札幌手稲このみ寮の加藤寮長より電話を頂いた。七月末に茨城にいくという約束が難しく九月ごろになるという電話だった。年間3,000人を超す見学者は日本広しといえどそうは無い。同じ知的障がいの人達との関わりで自分と比べこんなに違うのかと大いに反省したものだ。尚恵学園の有りの儘をみてもらい、批判を受ける覚悟はある。
 まっ、いずれにしてもだ。石橋を叩いて渡ることが果たして良いのかどうかは過去の歴史は何の証も残していない。
 

2196:悲喜こもごも

ロンドンでは本格的に競技が進む。悲喜こもごもとはこのことで栄光を手にして満面喜びの選手もおれば項垂れ茫然自失するものもいる。勝負の世界は仕方がない。勝ち負けがハッキリとしているから次に気持ちを切り替えるものや、競技生活の引退を決意をするもの様々である。いずれにしたって国を代表する選手達に拍手を送ろう!
 これはスポーツの世界の話だけではあるまい。身近にいくらでもある。「お疲れ様、ゆっくり休んで下さい」と心から拍手を送ることってあります。
 普段は気づかず、失って初めて有り難さを感じる。感謝の気持ちがあれば争い事は減ると言う。
 持ちつ持たれつという言葉は実に良い。それを自分の力で今があると思いこんでしまう人が結構多い。だからなんですよ、不満が出てきて争いになる。
 昨日、友人の葬儀があった。同級生何人かで話し合った。どうやって送ってやろうか?友人代表で弔辞を読もうという話になり、小〜中と一緒だった足立君が大役を引き受けた。
 私は住職だから一生懸命にお経を読む役目、これに正直不安があった。弔辞が良かった。中学時代お互いに野球をやった仲間、・・・・『 修ちゃん貴方はピッチャーでした。キャッチャー観音寺住職住田福祉、ファースト鈴木・・セカンド羽成、、、サード大塚。。。。ショート・・・・・全員が今ここに来ているよ!・・・・・・・。』 丁度9人しかいない同級生、全員がレギュラーだった。
 卒業後、会っていない者もいたが今日は9人全員が一堂に会した。
 飾らぬ言葉で語りかける弔辞、それを聴いていて、学校に自転車で通学する光景、試合に負けても悔し涙を浮かべながら今度こそは勝とうなと話し合っている場面等々が次々に浮かび、涙が止まらくなった。
 お経の声が震え、それを直そうとすればするほど声が詰まった。本当に多くの人達が弔問に来てくれ、別れを惜しんだ。
 10年前、知人の結婚式で仲人を頼まれた時の遺影は笑っているように見えた。「ありがとうな」と話し掛けてくるような感じを皆が受けたに違いない。
 同級生全員が今年で62歳だ。今もって○○ちゃんと呼びあえるなんて凄いよな。あの頃を思い出すと良い事しかない。野球部監督だった秋山先生も既に黄泉の国、弔辞の最後に『俺たちもいずれそちらに行くから、また野球をやろうよ。』と結んだ。
 悲喜こもごもとは、こんなことなのかもしれません。
 決して悲しみばかりじゃー無い。必ず喜べる時がある。
 朝日新聞で大津のイジメ問題を期に著名人が言葉を寄せている。
 どんなに苦しくたって、自ら死のうなんて考えないで欲しいと自らの経験を下に若い人達に語りかける。
  どうも世の中が難しいことで溢れているように思えて仕様がない。
 将来を悲観することもないだろう。どうなるかなんて誰も解らないんだから。そんな中で一番心に残る言葉って何だろうと考えた。実は飾らない普段の言葉なんだよね。有りの儘で良いんだって。それさえ分かれば、もう少し楽に生きていけるんじゃーないだろうか!
 

2197:お家・・・

お家芸とかお家騒動とか、日本語の綾は受け止める側に様々な推察を齎す。明治文学が古典の範疇に入ったとかいう。
 時は移り、その時々の感興と景色を言葉によって書き残し、後後、それによって現代との比較を可能にするわけだ。今から100年後、今書かれる文学がどのような評価を得て存在し続けるか想像できない。電子図書なるものが出現、果たして今後どう進化するかは分からないにしても言葉から受けるものは明らかに変化するだろう。
 私などいま流行のスマートフォンなる代物には縁が無いのだが、情報をいち早く得ようとする人間がいる限り、更に進歩し続けるに違いない。しかし、肝心なことは、その情報を自分の頭でどう分析し活用するかであり、この能力はIT機器の進歩とは反比例の関係ではなかろうか。
 いま、私は辞書を引く事をしなくなった。すこし前までは電子手帳を机に置いて、便利に利用したが、今はそれが無くても不自由を感じない。パソコン一つあれば、辞書検索で簡単に調べられるし、更に深めようとすれば際限なく、関連情報を手に入れることが可能となったからである。
 人間は、何かに偏り過ぎると不都合が生じるもので、揶揄の対象となる“変わり者”はその類の代表、オンリーワンとか言って、お釈迦様の誕生仏を彷彿させるような標語が一時流行った。天上天下唯我独尊の真意は、他に自分を誇るという意味では無く、自らの一生を大切に生きなさいという教えである。
 自ら考える能力が劣化した現代人は、釈尊が言う”生を大切に”という意味が解らない。悔い無き人生と好き勝手に生きることを本務と決め込んだ人もいるが、決して仏教でいう悔い無き生き方と同義ではない。
 良く言われる何が大切かは、情報氾濫の今世においては極めて多様な受け止め方がされている。
 少なくとも明治大正昭和という時代をよんだ文学には、読者が作家の意図する望まれる生き方を感じ取ることができた。
 平成の世の失態は、無軌道な政治が原因なのかそれとも資本自由主義を謳歌してやまない国民が原因なのか、総括的な評価は出来にくい。
 主義信条の括りは、その言葉から判断するのは危険だ。何せ御用聞きそのもの、価値観すら混ぜこぜで何がどうなのかさっぱり解らない。
 依然として自死を選択する人が後を絶たない。この事態に今の政治は応えられない。何故なのか、国民の誰もが解りきっているのに政治家自身が解らない。この状況はいつ頃から続いているのだろう。
 選挙の仕組みが悪いとか無関心層が多過ぎることを原因に挙げる人は多い。そうじゃないね。”品格”が無いというのが一番だ。私は仕事柄、葬儀の席で真正面に座る議員のお歴々を見る機会が多い。なんだい!なんだい!あんたら悔みの時ばかり最前列に座って恥ずかしくないのかい。当然自らの意志で末席に座るべきでしょうよ。
 猛暑のため少々ストレスが貯まっているようだ。この辺で止めとかないと本日の観音寺での施餓鬼会、また失態を起こすことになりかねない。さて、一丁やるか!
 

2198:施餓鬼を終えて

神宮寺・観音寺の施餓鬼が無事終わりました。束の間の休息を楽しむ余裕さえ無く、今私の頭の中は、ある企画で一杯です。大変嬉しかったのは、施餓鬼の感想をメールで早速送ってくれた方がいました。まさに的を射た意見でした。
 次回より、参考にさせて頂きます。
 たった一枚の往復ハガキでこんなに多くの人達が集まってくれるのかと嬉しくなりました。当日は申し込みの塔婆が無いとか字が間違っているとか・・・・その対応で大混乱、これもまた年中行事化してしまいました。同じことを繰り返していて一向に改善をみないとお叱りを頂くことになりかねません。
 実は、その解決策は有ります。簡略化すれば、問題は半減です。しかし、その決断がつかない。その為にお寺は大分前から準備しているのですから。
 私の生臭の所以が茲にあります。いつもそうです。できない言い訳を既に持って臨んでいるからです。仏様はお見通しで、
また同じことをやっていると呆れているのです。
 寺役員の方々も世代交代が大分進みました。変わらないのは住職だけです。62歳、油がのった坊さん世代?
 いやいや甘いでしょう。このままで良いのかい!
 世の坊さんにとって、お盆月は懺悔の時です。忙しい忙しいとか言うけれど、普段、ゆっくりしているからなんでしょう。
 返す言葉が有りません。
  施餓鬼を終えて、気持ちの切り替えをしています。
 自らの健康維持は自己責任、やるべき事とやりたい事のバランスを常に頭にいれて準備怠りなく。
 人との繋がりは無理せず焦らず、結果を恐れず自ら信じる道をトボトボ歩け!
 いま日本は若者に負担をかけ過ぎています。これは大きな間違い。自分達はやるだけやったから後はノンビリなんて考えたって出来ません。人生60歳過ぎてから、貴方の貯め込んだノウハウを活かすのは、この年齢から。そう思って生きさえすれば、人生バラ色、引く手数多で悔いは無し。
 贅沢品は要らなくなるし、食べる量さえ減ってくる。これこそ窮極のエコ対策、周りを見れば一目瞭然、無駄をしているのは自分自身、このことに気付くかどうかは貴方の才覚。
 子供に手が掛かるとか良く言うよ。迷惑なのは子供のほうだ。お前の選んだ道歩め!これしか無いでしょう。
 思い返せば俺だって、悩んだ事は数知れず、自分捜しに明け暮れた。そして今があるんだ。
これからですよ。初老以上と思われる皆さま!施餓鬼を終えて考えた。

2199:地味且つ大胆

日本のあらゆる制度や仕組みを点検見直しする時です。それも総括的に大胆にです。
先ず、定年制の撤廃ですかね。私の周りを見回すと定年後、手持ち無沙汰で何かをやってみたいという人ばかりです。そりゃーそうでしょう。定年後80歳まで生きたとして約20年、ボーとしていて、果たしてこれが幸せと言えるでしょうか?お孫さんにだって嫌われるから。
好きなゴルフや釣り三昧、そんなもの精々半年で飽きますよ。旅行?金が続かんでしょうが。
 定年後は、自分で計画をたて、その条件で働ける仕組みを国がつくる。当然、年金だけで生活するなんて考えない。そうすれば、世間に気兼ねすることもなく、堂々と且つ活き活きと遊べるし、先ず話題が増えます。
・・・今日は何曜日?  ご飯食べたかな? ああ・・暑い・・・・こんな会話を挨拶代わりに交わしている人多いですよ。
 趣味に生きることができればそれも良いでしょう。でも趣味が無い人はどうするんですか?山登りが人気有りますよ。でも山に住みこんでしまう人果たして何人いますかね。皆さん、下山していつもの生活に戻るわけ、そして次にどこの山に行こうかと考える。
 考えるだけじゃなくて、働くんですよ。体を使えば運動になるし、頭を使えばボケ防止、ここに価値観を持てませんかね。
 電気料金値上げに賛成はできませんが、その分使わなければ良い。エアコンつけてテレビ見る時間があれば働くんですよ。私はそう思います。これが、これから先日本が進むべき方向で、いずれ日本と同じ状況になる国ばかりですから、範となりますね。
 働く場所が無い?
贅沢言いなさんな。いくらだって有るでしょうが。見て見なさい、公園だって道路だっていくらでも掃除する場所あるし、言っちゃーなんですがね、尚恵学園の中だって際限無くやるべき事はあります。要は、それに気付くか?気付いても自分がやるかとどうかいうことだけです。
 省エネに関してですが、皆さん、変ですよ。体に付いた余計な肉を取る為に大変な努力をされます。これって見た目もあるけど健康の為なんでしょう。不老長寿の妙薬なんてありません。
 発想の転換ですよ。
日本の福祉の歴史をみると解かるんですが、自然発生的というより、器や制度に人が合わせるタイプです。それも、どこかの国から持ってきたような中身、不具合があれば国に陳情し制度を作れ!と大騒ぎ、時間と労力を使ったわりには満足したものとはならず、通り一遍の総花制度。
 この繰り返しをやってきた。そして、辿りついた先が年金破たん。
 足元を見ずに、周りばかり気にするからです。
 それに働く場所が見つからないという方に一言。
 自分にピッタリコンなんて仕事有るわけないでしょう。仕事には苦労があって当然、待っていたって仕事は歩いてやってきません。
自分から捜すんですよ。
 縄文時代と比べるつもりは無いけれど、自らの頭を使うことですよ。
 もう一つ、大切な事と思うのは、地味且つ大胆にということだと思いますが、どうでしょう。
 

2200:産みの苦しみ

何かをやろうとする時に、ああでもないこうでもないと議論百出、エーイ!面倒だ!止めた。
 こう言っちゃ・・ お終いよ。本も子も無くなって、あああ・・失敗したな・・・   こんな経験貴方だって何度したか分かりませんよね? そうでしょうとも、人間って見栄っ張りなんですよ。格好つけちゃって良い子になって誉められたい。誰もが持っている感情です。・・・・・・と、分かっているけど 変われない。これもまた真です。宿業とでも言うのでしょうか、現世に原因があるというよりも、前世の善行悪行か。
 いつの間にか歳を重ね、老いの境地に至って、焦るんですね。諦めよとか言ったって、簡単じゃないんだ。”欲”が有るから、四苦八苦ってことになる。
 なるほど成程。
 これは堂々巡り、突き詰めていくと元の場所に戻ってしまう。ここでストップ!となかなか切れないので悩み続ける。
 新型鬱病という現代特有の病気があるそうで、その症状を持つ人の数は相当なものとか。病気と名を付けないと治療費が貰えないから付けた。心の病って、実はバランスの問題なんじゃーないですかね。誰しも思い当る節はあります。
 性格により深刻に考える人もおれば、自然と忘れてしまうタイプの人、後者ならば別に通院する必要もないわけです。
 ロンドンオリンピックも中盤に差し掛かり、お決まりの国別メダル獲得数に関心が高まる。ここまでの結果で、金銀銅の総獲得数では中国・アメリカについで日本という順番だとか。日本って凄いんだ。頑張っているよね。何せ人口が違う国を相手にこの成績だ。
 ちょっと目を転じて、開催国のイギリスってどうかな? あまり目立たない。どうして?と逆に気になった。特別な選手強化に力を入れなかったのかな? それより「参加することに意義がある」を地で行った?。
 次は多分、ブラジル開催だったよね。ブラジルで先ず浮かぶのがサッカー、それとサンバのリズム、それからコーヒーかな?
 陽気で灼熱の国というイメージだ。
 そのてんイギリスは嘗ての大英帝国、派手さはないが歴史の重みは他に追随を許さない。横綱相撲ってとこかな。
 ここまでの競技で印象に残ったのは、水泳の北島選手、彼は今回3連覇の期待が高かった。3連覇となれば、12年間世界のトップの座にいることになる。結果は4位でメダルに手が届かなかった。その時の弁、この4年間は自分との闘いだった、これが彼のホンネでしょうね。後輩が3位に入賞し世代交代、金メダルを取った選手も、実は北島から泳法を学んだとか。
 一つの時代が終わり、また新たな時代が始まる。
 いま、様々な問題が起こっています。どれ一つとってみても今に始まったことでは無く、徐々に積み上がった結果、そして、その全てが根っ子の部分で繋がっているのです。
 物事は考えようです。7月後半よりこの辺は全く雨が降っていません。30度を優に超える高温で草木が可哀そう。
 それでも実に強い植物がありますよ。篠です。庭に生えてしまうと厄介で、表面だけをいくら切っても次から次に出てきます。
 乾燥にも強く、そのまた逆にも実に強い。
 これってご存知のように根っ子が凄いからです。地上に現れた何倍もの根があって水分や栄養分を上手に取るんです。
 ま・・・我々も節電だ、増税だ、やれ選挙だ、と騒いでいる暇があるなら、篠でもジックリ観察したほうが宜しいかも。

2201:久しぶり

今朝ドンという衝撃、久しぶりに茨城県南を震源とする地震がありました。M4.5だという。もしも3.11の経験が無ければこの程度の揺れでも大騒ぎしたはず、一瞬身構えたが、正直何もしなかった。ラジオのスイッチを入れたぐらい。
 突如として起こる地震の怖さを日本中が忘れかけている。備えあれば憂いなしとは良く言ったものである。
 しかし、日本の実態は全くの逆ではないか!備えなど食いつぶし、更に借金をしようとしている。その責任は誰も取らない。
一体この国は国としての体をなしているのだろうかと訝しい。
 例えは良くないが、地獄絵を見ても何にも感じない日本人に成り下がった。俄かに増税反対の狼煙が上がる。野党7党が内閣不信任案を提出するとか騒いでいる。
 何をぐずぐずしているのだろう。日本人が失ったもので一番大きなものは、常識という物差しだ。膨大な借金に感覚が麻痺し、好き勝手な言い分を声高に叫んでいる。
 ここまで自惚れが高じれば最早打つ手はない。落ちる所まで落ちるか?或いはどこか強国の属国となるかしか選択肢は無いかも知れぬ。
 現実を直視しないで夢ばかり追っている。
 100歩譲って、今の状況に至った最大の原因は何かと考えた時に、やはり戦後処理が未だ続いているということにつきる。
 原爆を投下され、無条件降伏を受け入れたのも67年前、大分昔の事と思うかつい最近の事と思うか?沖縄の米軍基地問題も北方領土問題もそこから始まり、今も解決できていない。
 その間、奇蹟的?と言われた経済復興を成し得たから、世界中の羨望の的となった。真面目で優秀な日本人という評価は裏を返せば、何をまたしでかすか分からない民族という見方も存在する。
 私見として、国内問題でゴタゴタしている今の状況を外国はどう観ているか?多分、ホッとしているのではないかとさえ思ってしまう。
 久しぶりに地震の揺れを感じ、自分自身はどんな備えをしてきたかと自問、具体的にあげれば幾つかある。しかし、完璧では無い。
 残念だが知的障害の人達と長く関わってくると世の中の矛盾ばかりが気になってしまう。純真で懸命に生きている。多分彼らは世の中の柵からは一番遠い所にいて、その一番の被害を受けている人達かもしれません。
 その良い例があります、10月から障害者虐待防止法が施行されます。国連の権利条約批准を念頭にいれた、国内法の整備という流れのなかで次々に打ち出される改正の一つ。
 でも、これって今更という思いになる。今から2500年前の釈迦の生きた時代の周梨槃特「チューダ・パンダカ」 を認めた社会と現代がどれほど変わったかと思うと何も変わっていません。
 何故なんでしょう?どうしてなのでしょう?
 そのことをずっと考えて今までやってきたという自負はある。それへの批判はいくらでも受ける覚悟はあります。
 今日は盆踊りが成人寮のグランドで行われます。昨年と違った事を考えてみたのですが、2日前に男性4人の方々が寮から出て9番目のケアーホームに移った。これが遅々としたものかどうか????分からない。

2202:笑顔

4日土曜日、恒例となった盆踊りが成人寮グランドを会場に行われました。そこでのワンショット。
 Hさんの素晴らしい”笑顔”!どうしてこんな表情ができるんでしょう。私達がどこかに置き忘れてきた笑顔、
暑い日が連日続きます。皆さん一人一人が違った思いを持っておられます。
 私はテントのイスにずっと座って観ていました。決してまとまった踊りとは言えませんが、自由に伸びやかに其々が着飾って真夏の夜を楽しんでいました。
"Hちゃん 良い顔だね”と声掛けた。すると彼はニコっと笑った。いつの頃からだろうね。○○ちゃんなんて言うと失礼だとか言われて。そうかな?そんなものかなー?
 差別禁止法とか虐待防止法とか急に騒がしくなっている。良い方向に向かってくれるなら大歓迎、でもどうでしょう。果たして無くなりますかね。
本日、メンバーさんのお父さんのお葬式がある。私は、昨夜の通夜に参列した。
 そこにはメンバーさんはいなかった。
参列することで学園か家族か、どちらから言ったか分からない。暗黙の・・・・。
 私がいるのに気づいたお母さんが傍にきて深々と頭を下げられた。
こうしなさい!ああしなさい!
これやっちゃ ダメ・・・・・・・・。これで上手くいけば何にも困らない。
 結局、どうだろうね。 無理せず、自然体が一番、気が休まるんだよね。
 引きずった顔で、いくら微笑まれても困っちゃうもんな。

2203:底ぢから

なでしこジャパンが準決勝でフランスに勝った。なんともヒヤヒヤする試合展開で決定的な相手側のチャンスを全員でゴールの前で死守した。結果は2:1で勝利を収める。
 今回のロンドンでの日本選手団の活躍は、単にメダル総数だけではかることはできない。世界中が今の日本の置かれた状況を良く理解しているから、温かい応援を至る所でしてくれたという。逆境の中で結果を出す選手達には神が乗り移っているかのようにさえ感じた。
 特に個人競技より団体競技にそれがハッキリと現れた。体操団体・男女競泳・バドミントン・アーチェリー・フェンシング・卓球・・・それにサッカー男女等。数え切れない快挙、今まで世界のレベルに達していなかった種目でもそれが見られる。
 惜しくも力を発揮できず悔し涙を流す選手たち、彼らは一様に「次に頑張ります」と明言した。なんと前向きで直向きなんだろう。皆さん、10代か20代の若者達、我々ロートルはテレビの画面でただただ拍手を送るだけ。日本がいまスポーツを通じて一体になっている。
 現実に目をやる。
 ある評論家の弁、「ロンドンからの映像がなんと感動的で勇気を貰えるか、国会中継と偉い違いだ」当に今日本が抱える出口なき政治の混迷を見事に言い当てる。
 結果が出せない政治、結果を出した選手団、結束し同じ目標に向かって立ち向かっていこうとする纏まり。
 目標が曖昧となり、お互いが相手の非を攻め立て烏合の衆と化した政党政治は、もはや国を代表して任せられる体をなしていない。
 見たまえ!日本チームの活躍は、今までの先人達が築いてきた上に自分達で掴んだ努力の賜物、それがどうだ!日本の政治を可笑しなものにしてしまった2世3世の議員達、貴方達は自身の基盤をどれだけ苦労して築いてきたでしょうか。
 先生先生とか言われ、それを何とも感じない。高級車を乗り回し、手下どもを引き連れて良いとこ取り。
 信念とか覚悟を感じない人間がどのような美辞麗句を並びたてても聞く側の心は動かないのです。
 でも、今回のオリンピックの活躍を見て、確信します。必ずや日本は自らの力で今の混乱を切り抜け、新たな日本を築いていくに違いない。
 海外で活躍する若者達に共通する思いは、一攫千金などケチな考えはなく、堂々と自分の力で挑戦する直向きさである。
 過去の栄光に現を抜かし、先人の遺徳を食いつぶし、2枚舌を使っても何とも感じない輩、その対極に体一つで自らの夢を実現しようと必死に努力してきた若者たちがいる。
 この清々(すがすが)しさは、長いこと、日本人が忘れてきた日本人の魂だ。
 チームの力で重要なことは良きリーダーの存在、選手たちはリーダーの考えを信じ、自らの役柄を最大限演じる。その結果は観ての通り。
 底じから とは、いざと言う時に発揮できるか否かではなくて その力を持っているか否かが問われるべきなのです。
 

2204:夏空

雲が南の空を覆い、夏の日差しを遮る。あまりにも強い太陽の光は雲の合間より零れ、それがなんとも幻想的だった。
 いま、誰もが纏まった雨を待つ、2週間以上雨が降らず、乾き切った大地で、当然のこととして草木はグッタリと元気がない。
今年もゲリラ豪雨の被害が日本各地で起こった。これでもかと容赦なく降り続く雨は、一瞬にして人間が築いた街や家を根こそぎ流し去った。
 何かが変だ。
 この夏空の下で様々な事が起こっている。ロンドンでの日本人の活躍は時差の関係で仕様が無いのだが寝不足の熱狂ファンが増え続ける。
 負けて悔し涙を多く流し再チャレンジをきす。時雨の後の晴天の如く、若者の限りなきエネルギーの爆発だ。
 私は他寺の施餓鬼が無かった日で、伸びた雑草の草刈りを決めた。我が愛車、スズキの軽トラに載せた道具は、ここ何日か使わなかったせいでエンジンのかかりが悪い。長年使った刈払機、ウンともスンとも言わない。いよいよダメだと諦め、近くの農機具店に新しい草刈り機を買いに行った。さすが、新品は違う。一発でエンジンがかかった。
 説明を聞き、軽トラに乗せて戻った。その時、事が起こった。
 脇道に入ったところで今度は軽トラのエンジンがストップ!道路の真ん中、いくらセルを廻してもかからない。その中後ろから車が来てしまい。仕様が無いと降りて、車を押す。これがなんとも重くて動かない。有らん限りの力で押すと僅かに動き、近くの家の庭先を拝借し難を逃れた。
 結局、自動車屋さんに電話、レッカーを持って来てもらってドッグ入り。この車には実は思い出が多く、私で3代目、水戸の方からタダで頂いて、もう10年以上使っている。時々、修理をしていたから、充分作業専用車として機能していた。
 大汗かいて慌てた姿をみた家のご主人、窓を開け私の顔を見て、「なんだー住職か。何やってんだ」と。見るに見かねて奥さんが冷たい麦茶差し入れを。
夏空の下、普段の行いが大切だと痛感した。
 結局、家に戻った時は疲れ果て、草刈りする意欲は皆無。
 いざ使う時に動かない機械は、便利さ故に腹がたつ。これは誰の所為でも無い。日頃の管理が悪いからです。
 分かっちゃーいるけど止められない。
 今日は午前中に近くの寺の施餓鬼あり。布教を頼まれた。こんな私で良いのでしょうか?と先ず、皆さんに懺悔し、暫時お耳を拝借しようと思っている。
 でも、頭の片隅にメキシコ戦の残像が残る。1−3完敗。もしかして金か銀という期待もあった。世の中、そんな上手く行くはずないよね。
 私も経験がある。サッカーは点数を入れた者が英雄だ。大津・永井二人のフォワードは天性?
 大津が先取点を取った時、彼が茨城県出身だと言う事を誇りに感じた。
 私の高校時代のサッカーは全員で点取りに行った。たった一人ゴール前で残されたキーパーがいつもカンカンになってチームメイトを怒っていたっけ。夏空もまた良きものかな。

2205:阿諛追従(あゆついしょう)

阿諛追従とは、人におもねり、こびへつらう事を言う。人間の世有る限りにおいて、この言葉は決して死語にならないという。
 仁の心なくして世が乱れると。仁はこれ、「いつくしみ、思いやり」の意で、礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり。そして、ここが重要、忠と怒の両面を持っている。・・・・・孔子。
 古典によらずとも、今の状況を知らぬ顔で観てなどいられまい。永田町の動き、風雲急を告げるなどと騒ぎたてるマスコミも迫力に欠ける。それは国民の関心がオリンピックの日本代表の活躍に向いているからで、政治のドタバタなど三面記事の片隅に追いやられている。当然といえば当然で、彼らは当に阿諛追従、人間的な魅力をさらさら感じない親分にへつらい、自分の足元脆弱にもかかわらず、相手を盛んに攻撃、全く、それに変わるべく妙案なるものを示せず、ITゲームよろしく貴重な時間を浪費している。
 いま、政治がなさなければならないことは、具体的な政策を思い切り実行する勇気だ、口約束し、悉くその公約を反故してきたアンタ達の責任は重い。国内のみならず、世界から相手にされない今の日本の政治家よ。
 孔子が言う”怒”を持って国民が政治に反省を求めるべき時だ。
 正直、政治家にへつらってまで要望することなど何も無い。周りを見回せば、既に答えは出ている。事業の存続は、お客の目線で勝負ができるかということ、政治に期待することなど皆無。
 日本人を世界に希なる民族とみるか否か。
 昨日は民俗学の柳田國男が87歳で亡くなっての50周年忌、そして今日8月9日は長崎の原爆記念日である。
 先日6日は広島原爆記念日。時間が流れ、被爆者の年齢も高くなり、次世代へ語り継ぐ人が確実に減っている。
 戦争責任を追求した時代は過去のものとなった。ただ、忘れてならない事は、多くの尊い人命の犠牲があって今があると言う事。
 それ故に、政治の持つ責任は大きく、闇雲に批判をすることは本意ではないのだが、解散選挙を人質にとるような攻防を指を銜えて黙許するわけにはいかない。
 いま解散し、一体誰をこの国のリーダーに据えるつもりか!首相の誰一人として任期を全うできない国は政治の後進国。
決めた事を先ずやって見なさい!その一歩すら踏み出せず、ああだこうだ机上の空論をさも正論と言わんばかりに訴えても有権者の心は動かない。
 空虚な議論にうんざり、そんな事をやっている暇があるなら、被災地に寝袋持参で泊りこめ!
 国会議員が何人いるか知らないが、多分、そこまでの行動力を示せる人間はいない。否、その発想がない。
 党首討論などやる必要無し。それより、国会で庶民の代表と堂々と議論すれば良い。
 虚しくも決して諦めず。種を蒔き続けたいものですね。直にお盆に突入、冷静に自己を内省し、自らの歩むべき方向を探りたいと思っている。
 

2206:0.1秒

日本人の多くが久しぶりに心が満たされていると感じているのではないでしょうか!勿論、ロンドンでの日本選手の大活躍によるもの、実に頼もしく称賛に値する世界を相手にしたスポーツの戦い。一足先に帰国した選手も多く、メダルを首にかけテレビに出演する。応援した関係者の喜びも一入(ひとしお)でしょう。
 視野狭窄に陥った多くの日本人は、目先の事に戦々恐々として、鬱憤の捌け口を見出せないでいた。それが一時的であっても元気を与えてくれるニュース。
 皆さん、カール・セーガンという宇宙科学者をご存知ですよね。彼が示した『宇宙カレンダー』というもの、聞いたことありますか?
 宇宙の誕生(150億年前)を1月1日として、現在を12月31日として計算したカレンダーです。これによりますと43億年前の地球の誕生は9月14日となり、ホモ・サピエンス(現生人類)の誕生は12月31日23時58分頃だと言うのです。新年を迎える2分前、各地のお寺で除夜の鐘の真っ最中です。そして、人生80年とかいう我々の一生は、0.1秒〜0.2秒の間だということになります。
 どうですか、ピンときませんか?要は宇宙の誕生から始まって、仏教で言う生老病死の人生は瞬時のことだと言う事なのです。
 私はこのカレンダーの存在を知った時、衝撃を受けました。1秒が約475年、世界の4大文明が起こったのは10秒前です。
 お釈迦さまが生まれたのは、2500年前ですから、5秒前でしかないのです。
 なんともやりきれぬ思いになりました。
 これは、あくまでも時間の長さを例えによって説明したものですから、実感とは別物です。
 ですが、GDPが世界?位とか、平均寿命がどうだとか言うことが騒ぎたてる程のことではないと思いませんか!
 それよりも、0.1秒の人生をもっと価値あるものにしたいと思います。これっておかしな事でしょうか。自分にとっても大切な時間です。だから他人の時間だってそうなんですよ。
 観音経というお経の偈文に「慈眼視衆生」という文言があります。いつくしみ(思いやり)の眼で他の人々をみようという意味です。
 これが大切!   凡夫たる我々はそれができない。0.1秒の間でさえこうです。
 でも、諦めないで欲しい。増税反対を旗印に野党が結集し内閣不信任案を提出、確かに増税反対も分からないではないのですが、これに替わる代案が示せず時間だけが経っていく。
 不況時に増税は逆効果という学者もいますが、彼らはこの国がどうなったとしても責任は取りません。何故でしょう?
分かり切った事です。決断する必要が無い人達だからです。そして歴代の内閣が同じことをやってきた。御用聞きで何が必要か評判稼ぎをし、その財源についてはノーコメント。それが可能だった時代は良いでしょう。でも現実は全く違う。御用聞きさえ出来ずにあれだけの議員が必要なのでしょうか!
 だからです。どうでも良い事に現を抜かし、素っ頓狂なことばっかりしている。
 御用聞きをする位なら、選挙制度で投票率が6割を超え無かった地域の議員は全員が落選するというルールを作れば良いのです。多分、今の国会議員の1割位がバッジを付けられるかどうかです。1っ票の格差を言う前に、投票率に何ら条件を入れない制度が一番の憲法違反だと思います。

2207:お盆休み

この週末からお盆にかけ、多くの会社は休みに入る。この逆もある。私もその中の一人に入るようだ。7月30日・31日の住職している寺の施餓鬼を終え、塔婆を受け取りに来れなかった人が毎日やってくる。普段、寺を留守にしているから、突然?来られても困ってしまう。でも、これは此方側の言い分、檀家さんはこの時期ぐらい寺に誰かいるのが当然だと思っている。
 最終の施餓鬼が24日、他寺の手伝いがまだ7ケ寺残っている。13日〜15日は檀家さん廻り。
 良く考えてみなよ!常の如くできることが、どれだけ素晴らしいことかをと自分に問うた。福島には豊山派で17ケ寺ほど例年通りのお盆行事ができない寺があると聞いた。地震・津波・それと放射能汚染、寺が被害にあったという事もあるが避難されてしまった檀家さんが多く、維持する事ができなくなったという。被害に遭わなくても働く場所が無いという方も多い。
 これから先どうなるのかとどこの住職も頭を痛めている。
 この状況を私達はどう受け止めれば良いのでしょうか? 言葉に注意しないとなりません。”お陰様”とか”幸いにも”という言葉を、何気なく使います。しかし、被害に遭われた方達にとっては、素直に受け取れないものです。
 お隣の韓国の大統領が突然、竹島を訪れた。このニュースが昨日盛んに取り上げられ、何故、この時期に?と様々な憶測が飛び交う。サムスンや現代という世界的なトップメーカーのCMが今回のオリンピック放送の画面に多く登場した。スポーツ界でも韓国人の活躍は目を見張る。男子サッカーは昨夜、0−2で日本が負けた。それにプロゴルフの世界は、韓国一色の態を示す。
だが、大統領の支持率は17%と低迷、その一番の理由が国内に格差が広がった事への不満だという。
 韓国は日本と違い大統領制で1期だけ、任期半ばで辞任することは余程の事がなければ有り得ない。日本とは、この点だけでも偉く違う。
 参議院で14年に消費税8%になることが可決された。これだけの重要法案の審議にしては、マスコミ報道は然程でも無かった。できレースという見方なのか?
 法案可決の条件になった解散総選挙、これだってどうですか?オリンピック程の盛り上がりは到底期待できません。
何故、こんな状況が長く続くのでしょう。無関心?無気力?・・・・。そうじゃないよね。ハッキリいって今の政治に信用できない
と思っている。これは、深刻ですよ。
 このままいくと更に自分さえ良ければと思う人が増えるんじゃーないでしょうか。
ここだけの話です。日本と韓国の一番の違いは何か?と考えた。それは、韓国は先の大戦後、未だ戦後処理が終わっていない。北と南に寸断されたまま、同一民族にしてここまでハッキリと色分けされている。国境の緊張状態、今も臨戦態勢を取る、この緊張感は、実の処、今の日本人には無い。
 だから、自分さえ良ければという発想が生まれると私は思っている。大戦後、一時2極化が起こり、大国の利害によって国が寸断された。ドイツは東西の統一を行い、ヨーロッパで揺るぎない地位を築いている。
 韓国は一触即発の危機感を国民全体が共有している。
 日本の危機意識は、経済という面だけが際立つ。これだって実は大きく変わった。国内にだけ工場を持つ企業は減って海外に生産拠点を移している。ここに”損して元取れ”という商人根性が働いている。だが、これは国民一人一人を考えた場合、必ず内部から崩壊し、混乱に向かう。その覚悟と体力・・・・・更に言うと節操ある気骨を持ちえるかが試されている。
 

2208:閻魔様へ

拝啓 閻魔さま。
 残暑厳しき折とはいえ、朝夕にはかすかに秋の気配を感じます。閻魔さまに於かれましては、5体満足、頗る心穏やかなる日々をお過ごしのことと推察申し上げます。
 さて、彼の国から此の岸を如何様に思われておりますやら聊か気になる処でございます。盆中につき、然程のお咎めも無いことを願い、小生、殊のほか真面目に檀務に励んでおります。
 しかし、昨今の日本の有様は、六道迷界そのもの、何を支えとして生きて良いのやら衆生は周章狼狽しております。
 生活第一やら絆やらと、やたら出来もせぬことに現を抜かし、己の身を保つことに専心、庶民を欺くこと甚だ大であります。
 ならばどうする?その妙案も示せず、まさに無間地獄の態とかし、懲りもせず暗中飛躍を繰り返す。
 最早、応病与薬の術尽きて波間に彷徨う小船の如し、あああ ・・・・・

 ここで筆を置く。
昨夜見た夢だった。
 なんと目覚めの悪いこと、傘マークに期待し、多少の雨が降るかと思いきや、全くその気配無し。猛暑と水不足で周囲の草木は悲鳴をあげている。
 もう雨は結構だと豪雨に苦しむ地域もあれば、雨が避けて通る場所もあり。世の中、思うようにいかないものと頭で理解していてもこころ穏やかにはなれません。
 オリンピックの精神で政治色を出さぬことが常識と思ってはいたが、何やらそれに反する動きが見え隠れしています。
 夢の世界ならいざ知らず、現実は更に混迷する時代になりました。
 踏ん張れ!否 黙して語らず!  エイ  ヤッ ドウ 一本。

  *教えてくれませんか?レスリングや柔道のルールがなんだか分かりません。背負い投げ一本なんて試合ありませんよね。余計な話です。

2209:お地蔵さん

お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩が現れるまでなんと56億7000万年の間が仏様がいない。その間に地蔵菩薩が世を救うためにあらゆる場所に姿を変えいらっしゃる。これが地蔵信仰です。
 確かにお地蔵さんは様々な形をされています。いくつかあげて見ましょう。
 六地蔵・延命地蔵・ぽっくり地蔵・子育て地蔵・とげぬき地蔵・水子地蔵・船乗り地蔵・汗かき地蔵・・・・・しばられ地蔵等々。
主に厄除けの対象として現世にご活躍、私が住職する神宮寺も本尊は地蔵菩薩です。
 「地蔵」という意味ですが、このように解釈されています。全ての生命を育む力を蔵し、苦悩する人々を無限の大慈悲の心で包み込み救うというのです。
 仏・菩薩と多くの仏教信仰の対象として昔から庶民に愛されてきた。派手さが全くなく、道端に置かれている。雨風を避けることもなく、只管、居続ける。この姿に何かを感じ、手を合わせる人は多い。
 真言は、オンカカビサンマエイソワカ。13仏信仰の五七日忌の本尊である。
 東京巣鴨のお地蔵さんが特に有名、叱られるかもしれませんがオバタリアンの憩いの場となっています。原宿・六本木は若者に占領され、行く場を失った人達が自然と集まったのであります。
 仏教に限ったことではないのですが、宗教には様々な言い伝えがあり、あまり横の関係は気にせず独自の説を展開します。何も知らない人からすれば、なんで?56億年も仏さんがいないのに、お寺参りするの?観音様だってお不動様だっているでしょうと不思議になりますね。
 ここなんですよ。肝心なのは、諸行無常 諸法無我 涅槃寂静って言うでしょう。三法印と申しまして、これこそが仏教の基本的な立場なんです。
 世の中は止まることをせずうつり変わり、実体が無いと観じる。迷い苦しみは幾多の煩悩・こだわりによって起こるもの、
。。。。。フンフン。解ったような判らないような・・・・・。
 もしも宗教に整然とした悟りの公式が用意されていたとするとここまで長く存在しなかったと言われる所以。
 ここで思い出すのはゲーテの言葉。「人間は努力する限り 迷うものである」 明言です。言いかえれば「人間は生きている限り 迷うものである」となります。
 生きている事は、迷いが付き物、四苦八苦に通じる考えです。
 我が真言宗の弘法大師は、今も高野山奥の院にいらっしゃって死んでいないんです。これを御入定と言います。
 何故このような信仰が生まれたのか我々弟子達は先徳よりその意味を何度も教えられるのですが、結局、それを信じるか否か我が身の問題なのです。
 他人がどう言おうが窮極的には個人の問題になります。だって人の一生はあなた自身の事ですから。
 日本の福祉制度の仕組みの限界は、守備範囲を決めようとします。生保受給の問題が一時騒がれました。これだって違法ではないのです。ただ、それが世間一般の常識から逸脱していると大多数の人々が思ったから問題になった。
 法治国家といっても実態はどうでしょうか?政権が変わって一番何が変わったかと考えて見ました。それは法律が絶対ではないということでした。誰が考えてもおかしいと思ったことが許される社会は異常としか言えません。その意味では無仏の時代と言われても仕様がないのでしょうね。
 

2210:5年の隔たり

昭和25年8月15日は、戦争が終わって丁度5年目にあたる。それが私の誕生日です。本日62回目の誕生日を迎えることができ、感慨に耽っています。
 その間、お世話になった多くの人達との別れがあり、振り返ると一瞬の出来事と思いました。これから先を考えても頭の中は一向にまとまりません。
 しかし、数え切れない程の教えを受け、それにどう応えるか。私の気持ちは、2歳の赤子と同じ、還暦でリセットし新たな覚悟でのスタートです。
 本日、終戦記念日の行事が行われます。67年が経ったわけです。そして、外国で亡くなった人々の遺骨がまだ113万人も戻ってきていないと言われます。
 67年も待ち続けている遺族もそれ以上いるという事です。残念なことですが、人間の記憶は徐々に薄れて参ります。戦争を知らない世代、その年齢が67歳になるわけで、その子供や孫達に戦争の悲惨さを伝えることができなくなっています。
 私は敗戦日から5年が経って生まれてきました。幼い時分の記憶は殆ど残っていません。精々、小学校に入った頃からオボロゲな記憶を辿ることができます。何もかも大きく変わってしまったという気持ちがあります。
 あれ程嫌だった僧侶になって既に35年、尚恵学園に勤務し41年です。その時の気持ちはハッキリ覚えています。これが私の原点、いかなる時もそこに立ち戻るのです。
 今頃気付いたと言えば嘘のような話になりますが、8月15日は特別の日に当たります。寺にとってみればお盆の真っ最中、そして終戦を迎えた日、ささやかな私の誕生祝いをしてもらう日が、なんと一切精霊の供養をする日、おめでとうという言葉は禁句、このギャップは正直今でも埋めることができないのです。多くの霊が浮かばれないでいるのに自分が祝福されて良いものか!
 ですから、いつも直視できず斜めに見てしまう。本当かいな!クセになってしまった自問自答は多分この辺から始まったと思っています。
 これは一生続けます。それ以外に生き方が見つかりません。
 明日は夏帰省からメンバー達が学園に戻る日です。一人一人の心の中を代弁することは出来ないのですが、彼らの人生を思うと金縛りにあったような気持ちになります。
 3日でも4日でも実家に彼等を迎えてくれる人がいる人達はまだ良い、でも、毎年帰れなくなっている人達が確実に増えているのも事実、彼らにとって心休まる場はあるのでしょうか?
 国は自らの意志で彼らが選ぶことができる仕組みを作ろうとしています。地域生活ができることが最終の目的ではありませんが、そのことで首根っこを押さえたかの如く考える輩もいます。
 本当にこれで良いのでしょうか?人間は生まれて来る時も死ぬ時も一人です。ただ生き物の中で人間程、過保護?に育つ生物はいないと言われます。
 近代化は一言で言えば便利さを得るための闘いだった。蛇口をひねれば水が出ることを当たり前と感じる人間、 コンビニに行けば24時間食べ物が買えることに慣れてしまった人達が山奥での生活を選択できるでしょうか?
 山は豊かな自然に包まれています。そこで安心出来る人と不便さ故に耐えられない人に別れてしまったように思います。
 でも危険なのは”山”を”地域”と考えられなくなった時代を我々が今生きているということではないでしょうか?
 飲める水が沢に流れている国は世界広しと言えどそんなに多くは無いのです。