源究129

 

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2091 事業経営 4/3 2096 信じて下さい 4/8 2101 明日は・・ 4/13 2106 選択肢 4/18
2092 負のイメージ 4/4 2097 再分配 4/9 2102 人工衛星 4/14 2107 小休止 4/19
2093 プラス思考 4/5 2098 先細り 4/10 2103 うしろ影 4/15 2108 春愁の頃 4/20
2094 緩急自在 4/6 2099 限界団地 4/11 2104 やるだけは 4/16 2109 客人 4/21
2095 春休み 4/7 2100 負けられぬ 4/12 2105 暗中模索 4/17 2110 托する 4/22

2091:事業経営

あの山水が経営破綻! サンスイと言えば憧れの音響機器(ブランド名)であった。レコード盤時代の話、東証一部上場であった優良企業がたった5人の社員が最後に残った。最盛期の年商は800億を超え、音響機器のトップメーカーそれが時代の流れに勝てず、破綻したのだ。レコード盤からCDに変わり、今やCDさえ売れなくなった。このスピードの早さは、国内の競争だけではなく、海外の新興企業の勢いに負けたのである。メーカーは新製品開発に凌ぎをけずる。研究に先行投資し、その回収をする前に新たな機種が世に出てくる。この終わりの無い追いかけっこに多くの企業が敗れ去っていく。
 そのような市場の原理が福祉の分野にも確実に入ってきている。お金の流れる所に当然、人の関心が集まるものだ。
 社会福祉法人や財団法人という公益法人は今後どのような道を歩むことになるだろう。現在の日本の第1次産業は様々な補助制度によりどうにか成り立っている。特に農業が際立つ。公益法人の見直しは、そこにメスが入ったということ。
 茨城の作物が放射能基準がより厳しくなって出荷自粛が増えている。国の説明によれば500ベクレルだって諸外国と比べ決して高くない数値、それを更に厳しくしたのは何故か?消費者の信用を得るためだという。
 山水の倒産は、時代の流れに付いていけなかった一企業内の問題、一方、今問題になっている放射能汚染は事業者(農業・漁業なと)に責任はない。東電からの被害賠償は充分なのか?大半は泣き寝入りしているのではないだろうか。
 ここにきての永田町の動きは訳が分からない。消費税アップを反対し、与党内の一大勢力の議員が公職を辞任するという。明らかに誰かを意識した集団離反、私はそのような議員はバッジを外すべきだと思うな。彼らには職責を全うする気概が無い、関心は如何に国会で居心地の良い場所を確保するかである。
 この時期に内紛を起こしてなんになる。非常事態だからこそ、ホンネが見えてくる。
 クイズ番組で日本と韓国の消費税がどちらが高いかという問題が出た。私は韓国に行ったことが無い。判らなかった。正解は韓国が10%、日本が5%。
 私は戦争には絶対反対であるが、ドイツ、韓国、イギリスなど日本と競っている国は、徴兵制度がある。若者は一定の年齢に達した時に軍隊に入ることが義務になっている。
 その国々の消費税は言わずもがな、ドイツは19%と聞いた。イギリスも同程度である。日本と同じ敗戦国となったドイツに何故今も徴兵制があるのか?
 日本はある意味では山水と同じ道を歩むのではないかと危惧する。ホンネとタテマエを巧妙に使い分け、嫌なことはお金で解決しようとしてきた。豊かさを梃子に出来る時代は良かった。いま国内の財政状況がそれを許さなくなっている。それでも同じ手法を取ろうとするのか!
 その辺の事になると学者も政治家もホンネが言えない。ズルイと思う。
この状況は全ての事に言えまいか、放射能の汚染と同様に気付かない内に侵されていたとなる。
 消費税を上げることに反対する先生達に問いたい。貴方の理屈からすれば、やるべき事をしていないと・・・・・ならば貴方自身が議員定数の削減に率先して範を示したら良いのに。高いと言われる議員歳費を国庫に返せ。それもやらずに反対し、公職を投げ出すような事は絶対に認められない。
 自分達だけは大丈夫という思いがどこかにありませんか!
 福祉関係者だって全く同じ。トップの舵取り如何では、社会的制裁を受け今すぐにでも倒産することは起こり得る。
 そんな不確実性の中で成り立つ社会は元が脆弱だから、長続きはせず足元から崩れるものだと確信する。

2092:負のイメージ

自己評価&相手への評価には微妙な違いがあります。何故でょう?それは絶対的な評価は有り得ないという事ですね。真偽を決め付けるとなれば、何をその根拠にするかということが問われます。
 長くデフレが続く日本、周囲の目覚ましい発展をする国々を傍目で恨めしく思い、昭和40年代の2ケタの経済成長をしていた時代を懐かしむ。誰一人としてこのまま右肩上がりの発展は有り得ないと思いながら、まだ先の事と思っていた。
 心象にはプラスとマイナスがあります。その両者がお互いを牽制しあいその時々の気分に大きく影響する。3.11からずっと日本人は負のイメージを抱え持つ。その原因が何かという犯人捜しを盛んに行っている。
 犯人を見つけ出し、断罪流刑にでもしないと納得しないのか。ドキュメンタリー映画監督の森達也という人がいる。彼は3.11の被災地でカメラを回した。津波で亡くなった人が青いシートに包まれ運び出される場面にカメラを向け、遺族から角棒を投げつけられた。それでもカメラを回し続けた。遺族の気持ちを思えば、自分はそれ以上の仕打ちをされても仕方が無いと思ったと。
 彼はメデアは人の不幸捜しだという。そこにやり切れぬ思いをもち、メデアの偽善性を暴くという大胆な試みを文筆や映画作りなどを通して実践している。
 言論の自由は、民主主義の根幹をなすものである。時として名誉棄損や侮辱罪へと発展する場合もあるが、自らが信じていることを公言することを憚るのは、何を隠そう社会的な圧力が自分に覆いかぶさってくることを恐れるからである。
 その結果、どうなったか!
 まともな報道から興味本位の受けを狙った内容のものが増え過ぎた。膨大な量とスピード、それに途切れずに流れてくる様々な情報に聞き流すというよりも溺れかけている。
 意図的な情報操作、作られたイメージ、受け手側の許容能力を常に超えている。一人の人間の出来ることには限りがある。そこでいつも問題になるのが権利と義務の関係、他と比較して満足できることを捜しても見つからず、その原因を他者に向ける傾向がないだろうか。
 我々60代の人間は、負からプラスへの社会の変化を肌で感じた年代である。経済の発展一つをとっても過去にない経験をした・。そしてバブル崩壊を経験し、失敗をしたものもいれば、大成功を収めたものもいる。その分かれ目は一体何だったのか?
 個人の努力によることもあるだろうが、運が良かったともいえるのではなかろうか。
人間は一度でも成功の体験をすれば、自分の力を過信し、より大きな夢を持ちたくなるものだ。
 それが今、冷え切っている。何をしてよいか分からず、小利巧にこのあたりで満足しようと思う若者が増えた。
 その中で真面目にコツコツと与えられた仕事を行っている。今に見てろ!俺だって。その気概を持ってほしい。
 求人求職の改善が少しづつ見られてきた。しかし、相変わらず大企業志向は変わらない。3.11後、東北地方にビジネスチャンスを求め、多くの企業が進出しようと計画している。
 負のイメージをプラスに変えるのは、一人一人の問題にかかっている。これはいつの時代でも変わらない鉄則だと思う。

2093:プラス思考

”不機嫌というものは、結果であるが それに劣らず原因でもある。”・・・『幸福論』で有名なフランスの哲学者アランの言葉。
 考えてみれば、その通り。結果と原因が別ということを明確に証明できることって実は少ない。
 ものづくりとか科学の世界に於いては、それなりの説明が成り立つが、人間の心の問題になるとそうじゃない。
 幸か不幸か?その判断は簡単ではない。その世界で名を馳せた人達の名言集などを読んでみると、直ぐに分かる。順風満帆の人生を歩んだ人は皆無、その殆どが命がけで多くの苦渋を嘗めている。そこから掴んだ確信があるから強さがあり、読む人に感動を与える。
 アランが生きた時代は19C〜20C、世界中が激変の嵐に彷徨った時代である。当然、幸福とは何か?とか先人の教えに何らかの疑問を持つ人が多く出た。
 ”不機嫌”よりは”機嫌”が良い。歓天喜地とは良くいったもので、天を仰いで歓声をあげ、地に伏して喜ぶことなんて、もし有ったとしても瞬時のこと、直ぐに現実に戻り、周囲を見回し恥じるのが関の山。
 でも、仏教の教えによれば、その辺の事情を見事に説明している。基本的な考え方に『四諦』(したい)というものがありますが、苦集滅道の四つの諦め、その一が”苦”となって最後に道(悟り)に辿りつくという構図、逆発想すれば、悟りを得たいのであれば”苦”が条件となることに。
 ならば、いまどのような苦境に置かれていても後後何か自分で納得できる状態になれると信じること。
 いやーだね。苦労なんてまっぴらだ。と思えば、それだけの事。これは個人の選択だから、別に構わない。
 だけど本心はどうかな?幸せになりたいな!と思わない人はいないんじゃーないのかな。
 小さな幸せ大きな喜びと言ったY先輩・・・・どうですか?
これは他との比較ではない。自らを深く突き詰め出した答えだ。
 日本人は先のアランの生きた時代、外国に理想郷を見、遮二無二それを得ようとしていた。自国のみでは満足できず、軍事力を行使し、戦争に突入した。その時の悲惨さは、決して日本人だけが経験したものではない。66年たっても未だ戦争が終結していない事が証明する。
 道は簡単に掴めない。戦後の日本人が追い求め、一時手にしたかの如く思ったものが実はそうでは無かった。
 新たな目標を定めきれていない。それは当然でしょう。戦争の体験者が減って、語り継げなくなったからだ。
 経済的に豊かな時代に生まれた世代がいまどう考えているのだろう?私の年代は戦争の経験はないが、物が無かった時代を知っている。次の世代の多くは、物が溢れんばかりの環境で育った。
 このギャップをどうするか!
 確信するのは、国の借金の大半は我々の世代が残したもの、そのツケを孫子の代に残すというのは、本当に日本を愛する人間のすることなのだろうか?

2094:緩急自在

姓は・・・名は・・・・! 丹下左膳は昭和1ケタの世に新聞連載になった小説。
”埋蔵金百万両の所在を記した「こけ猿の壺」の秘密。善人悪人入り乱れの争奪戦。・・・・・名刀を抜けば、悪人をバッタバッタと切り倒し、その後に語るセリフが絶妙。
時代は遠くに成りにけり。いま左膳はどこに姿を眩ましたか!出てこい。悪をやっつけろと叫んだ所で梨の礫。
 埋蔵金探しは結局は水の泡、何が残ったかと言えば出来なかった言い訳と失笑の塊。
早いモノが得をし、残りものに福があるのか倫理無き攻防が華盛り。最長番組の水戸黄門も幕を下ろし、各社挙って美容液やサプリの通信販売一色となりにけり。これで本当に良いのでしょうか?憂い事を言えば言ったで煙たがれ、好きにやったら良いでしょうと冷たい視線が向けられる。
 そのような事を考えながら、昨日は東京での夜の会合に出席、合計7名が狭い部屋に入れられて3時間も話し込む。
 品川駅前だからしょうがない。
 私が2番目に若いから、どうも憂い族の慰め会かと思いきや、なんのなんの世の中を変えなばという熱気ムンムン、誠に刺激の多い集いとなった。
 家に辿りついたのは11時過ぎ、興奮冷めやらず中々眠れぬ夜となりました。
 日頃、井の中の雑用に追いまわされている自分には、とっても新鮮な風を感じた。
 時に緩急自在、自分を外気に晒さないと根っ子からカビが生え終に腐ってしまうもの。
 皆それぞれが根っからの仕事好き、寝る時間も惜しむ連中だ。彼らに共通する悩みをあげれば、次なる人を如何に育てるか!この問題は考えれば考える程、深刻度を増す。
 外聞を気にし綺麗ごとの御託をいくら並べても欺く事はできやしない。真っ向勝負、緩急自在。丹下左膳に教えを請うのも宜しいかも。

2095:春休み

年度始めは、いつもの事だが仕事場や学校の入れ替え異動があり、慌しく落ち着かない。学園も新年度を迎え人事異動があった人、変わらなかった人、正直落ち着かない。
 利用者さん達も春休みからほぼ全員が帰ってきた。いつもの事だが帰れなかった人も多く、この先どうなるのだろうかと気にかかる。悲喜交交といった状況がここ暫く続くだろう。
 学校も始まり、新たなクラスで不安と期待で本人は勿論、親達も落ちつけない。この切り替えがもし無かったとしたら、逆にどうなってしまうかな?
 私の年齢は、殆どが定年を迎え、その後パートで勤め、それも終わる頃に差し掛かる。最近は週に3日位どこかで働く人が増えた。尚恵学園は定年が65歳だから、5年の年差がある。私は出来る方には引き続いて勤めてもらうことにしている。
 決まった時間に起き、職場に向かった日課が、さて、今日は何スッペー?となると、心身に諸に影響するらしい。
 趣味に生きるとか格好の良い事を言っても、本当かいな?と疑われる。家庭菜園も良いだろう。しかし、毎日8時間も畑に出る仕事は簡単には見つからないし、先ず根気が続かない。
 旅に出ようかと思ったところで、金が続かない、・・・・・・。 このまま休みモードで日々を送ることになりそうだ。
 でも本気になって見つけようと思えば、いくらでも有るんじゃないだろうか?被災地に行ってVSだってあるし、お寺に入って修行(?)も良い。
 私ならば放浪するな。逃げ回ると言うのが正直な思い。誰も知らない所に行って、・・・・・。あああああああ。青息吐息。
  

2096:信じて下さい

やっと桜の開花宣言が関東地方に出されるようになりました。上野公園は待ちわびていた花見客でゴッタ返し、夜桜の場所取りの請負業が出る始末、少しずつ暖かい日差しを感じながら草木全てが動き始めた。昨日近くの公園を歩く、アスファルト舗装の道端に『つくしんぼう』を発見、携帯で一枚撮った。舗装の割れ目から3本が競うように芽を出している。
 自然の営みは嘘をつかない。執着・分別を離れ、何ものにも囚われず出処進退を弁える。
 一方、今生で繰り返される人間の有り様は、悉く正反対の状況を呈していませんか。野田さん!政治生命を賭す覚悟とはどんな意味、今までにその約束を守った政治家を私は知らない。演説爽やか、美辞麗句を連ねることに何の恥じらいも感じない輩、そして、信じて下さいと懇願されても ハイ そうですかとは言えまい。
 大震災の後、日本中に蔓延する疑心暗鬼、これを一掃する決定打が打てるのでしょうか?
 もうじき境内の竹やぶに竹の子が出る。今年は放射能汚染で知り合いに配ることはできない。
 農業県の茨城の被害は相当なもの、ご多分に洩れず、農業従事者は高齢化、この先どうなるか分からない中で不安の毎日を過ごしている。
 都会に住む人間と地方に住む人間、同じ日本人でこれほど格差が出た時代は無かったのではないだろうか。もう一言言わせてもらえれば、地方選出の議員が東京に張り付いて地元の御用聞きは秘書任せ、国民新党の内部分裂、たった8人の議員さえ一枚岩とはなりえない。だから数が急に増え過ぎた民主党に重要法案目白押しの今国会、政党の体をなしていないと党内から不満が出る始末、自由闊達な気風は御党の目指す方向か!
 これだって、長い期間、首相を始め閣僚を頻繁に交代させてきた、今の国会議員全員の責任だ。大臣のイスがそんなにも欲しいのか、政治が名誉職となった国は衰退を免れない。確かに頭の良い人間は捨てる程いるでしょう。だが肝心な気骨が無い。上辺だけの軽い不毛の議論が常態化した原因がここにある。
 先日の小宴で、語られた内容は「日本は落ちるところまで落ちないと駄目」というものだった。
 そこで私が印象に残ったことがある。
・・・・「長いこと福祉の仕事をしてきて、初めてGHの建築を地元の反対で出来なかった・・・・」との不満。
 正直、どのような制度になろうとこの国では障害者施設を作る時に地元の同意が条件となる。全国には反対で建設断念という事例が相当数ある。障害者施設は迷惑施設? 本当に彼らが安心して暮らせる社会があれば、入所施設など必要無い。 その意見が当事者に強いことも承知している。だが、現実はどうか!
 臭いモノに蓋をする。面倒な事に関わらない。そんな風潮になっていないでしょうか?一部の篤志家と言われた人達が戦後復興の中で、自ら食べ物を見出せない人達を預かり始ったのが福祉施設の芽ぶきであった。当時を知る人も少なくなり、うまみのある商売と考える人間の存在も否定できまい。
 この状況の中で、方向を見失わず事業継続し続けることがどれほど難しい時代となったことか。
 人知の及ぶところでない世界に身を置くには何かの支えが必要だ。宗教?哲学?思想?・・・・・・
 私の場合
  諸行無常 一切皆苦 諸法無我 ・・・・・・ 3法印が道標。これは一貫している。
 

2097:再分配

4月8日は灌仏会、今では本堂に誕生仏を置き、自由に甘茶をかけてもらう。寺によっては花まつりとして稚児行列を出し賑やかに催す所もあります。昨日の朝、一先にNさんが私に声をかけてきました。「今日は甘茶だよ。」ガツンと頭を小突かれた気持ちになった。ああ、、彼は御釈迦様の今日を覚えているんだ。
 午前中法事が2件あり、焼香台の脇に天地を指す誕生仏を飾っておく。すると法事に来られた方で何人かが甘茶を頭からかけ、手を合わせていかれた。
 メデアも昨日は灌仏会の事を殆ど放送せず桜の花見の画ばかり流した。彼岸やお盆と比べ、取り上げ方が大きく違う。保育所や幼稚園を経営しているお寺では重要な年間行事の中に入れてある所が多い。
 正直、寺の住職としては私は失格だと思った。伝統行事に熱が入らない。昨日の法事では頼まれていた塔婆を書き忘れていたという失態をまたもやしでかした。後でお墓にあがておくからと謝ってお金だけ受け取った。
 お釈迦さまの嘆きが聞こえる。
 ”生き難さ”という状況が何故起こっているのだろう?NHKアーカイブという番組での話。平成に入ってから、国の借金が急に増え始める。その原因はいくつか考えられるが、結果から言えば”所得再分配”のミスだと言う。確かに国民が政府に納める税金と中央より流れる保障費のギャップ。年金・医療・介護それぞれの負担割合に齟齬をきたした。 そこに格差の広がりが上塗りされ生きにくさが増した。
 50代〜60代の人間が社会保障の有り方を考えても精々あと20年、これから50年〜60年将来がある若者が主役にならずして持続可能な仕組みはできない。明らかに世代間で成功モデルの価値観が異なる。
 リスクと安心、本来一体的に考えられるべきものだが、それぞれが一人歩きしている。
 確かに日本の現行医療制度や生活環境は昔と比べれば雲泥の差、それが当たり前と感じている。ぬるま湯に浸かった時間が長過ぎた?今の社会を学者達は様々な言葉を駆使して言う。重層多面性????分かったような分からないような。
 安心な水をタダで飲める国は少なくなった。原発事故が起こって初めて危機感が起こった。脱原発か再稼働か、これほどの事故を起こしたのに、全国的な運動にまで発展しない。存在するのはリスクか繁栄かの両天秤、誰もが分かっているはずなのに、繁栄では無くて”安心”にすべきことを。
 平均寿命が戦時中と比べ大きく伸びた日本、誰しもが長生きを望み、世界でトップの長寿国となった。山登りで頂上を極めたら、山頂にはゴミが一杯で達成感は糠よろこび、居心地は悪く次なる目標を見失ってしまった状況に似ていませんか。
 そこで宗教の役割ってなんだろうかと考える。
 ある人が話していた、宗教は現に生きている世界とこれから誰しもが逝く人知を超えた世界への橋渡しの役目を持つと。
 宗教を橋渡しと考えると身近に感じませんか?信じる信じない、これこそが自由で自己責任ということでしょうね。
 

2098:先細り

企業の倒産件数が連続で減少したという。2011年度は1万3千件に達せず、負債総額も4兆円を切った。果たしてこの数字で素人にはどうなのかは判らない。ただ、確実に言える事は、倒産によって多くの人々が生活の糧を得ることができず、苦しんでいるということだ。生保受給者の数も200万件を超え、戦後最悪の状況は依然として続いている。ここからの脱皮を誰しもが望み努力しているのは事実、だが、自死を選ぶ人の数も以前として年間3万人を超えている。
 最近、時々東京に行くと駅のテロップに運行停止中の情報が流れているのに気付く。どこかで人身に絡む事故が起こっている。 暗いニュースばかりが目立つ昨今、なんともチグハグな問題がまたもや起こった。
 それは鳩山さんが個人の判断でイランに入り、大統領と会談、政府は渡航の取り止めを望んだというが、本人は強行、その結果、昨夜の緊急記者会見、会談の内容の詳細は判らない。だが、本人はイランのマスコミ報道でIAEA批判に関する記事はねつ造だと言って弁明した。
 なんで頼まれもしない事をやるんだいというのが大半の見方、彼はそれが分からない。宇宙人というニックネーム?ちょっと酷いんじゃーないのかい。国会審議が重要案件山積で野田さんも針のむしろで苦しい国会運営を余儀なくされている最中に外野が絶好の政府批判の種を蒔いている。
 外交交渉は、表だって行うべき事と秘密裏に行うものがあると思うのだが、どうもチグハグになっている。民主党政権の危機管理力の弱さ、脇の甘さを露呈しているのではないでしょうかね。気骨無き頭デッカチ人間が多過ぎます。
 いま北朝鮮の人工衛星?発射で自衛隊が緊急態勢を整えているこの時期に、防衛大臣の言動は実に覚束ない。
 不安を余計煽るようなことになっていませんか?
 野田さんに同情しますね。でもそれがトップリーダーの能力と国民は見ていないでしょうか。民主党に期待をしただけに、浮足立っている姿に失望している国民も多い。
 党首討論に自民党がみんなの党に時間を割き、渡辺党首が登板することになる。だがその持ち時間はたったの5分。これも庶民感覚では到底理解できません。時間なんていくらでも伸ばせばいいじゃないの?できない理由が分からない。日程調整ができないのですか?何を優先するかの判断です。
 国民が何を望んでいるのかという解析機能が金属疲労を起こしている。
 これじゃー日本丸の将来は決して明るくならんでしょう。先細りというより、なんていうかお先真っ暗!!!
 でも日本人の多くは、我慢強く自らの持ち場で健気に働いているのです。
 しかし、これだって際限の無いものではありませんよ。どうにかしないと本当におかしなことになりかねません。
 無駄というものは、ものが複雑で多過ぎる状況を言う。もっと単純化し、誰もが分かり易い仕組みに変えないと無駄はなくなりません。これは社会保障にも言える事です。膨大な関係書類を見ないと分からない状況が現に行われているのです。その端的な現象が復興支援が遅々として進まない東北地方に現れています。義捐金が全て分配できたのでしょうか。
 ジワリジワリと原発事故の影響が広がっています。茨城は勿論、千葉や群馬の野菜や魚が国の定めた基準量を超え出荷停止に成り始めています。作物によっては、まだ基準値内というものも沢山ありますが、大半の生産者はいつ自粛しなければならなくなるか戦々恐々としているのです。
 そして、関西電力の原発再稼働の動き、なんと言ったら良いのでしょう。
 まだこの国に光明は射し込んでは来ないようです。
 昨夜、グループホームに立ち寄った。4人のメンバーがそれぞれ思うように食後の時間を過ごしていた。彼女達はささやかな喜びを体いっぱいにして・・・・・・・。

2099:限界団地

住む人の50%以上が65歳以上になれば”限界集落”という。その団地版が限界団地、都内にも何か所かその類の団地が出てきた。新宿区の戸山団地などがそうだ。周囲には新築ビルが建ち、街並みも一新した地域に昭和40年代の高度成長期に造られた団地、いまそこには高齢者の単身者が多く住んでいる。孤独死という問題もあり、何らかの対応策が急務となっている。
 なんとも世知辛い世の中になったものよ。
 今がこうだものこの先もっと深刻になるんじゃないだろうか。しかし、大半の政治家は無関心とは言わないが積極的に関わろうとはしない。日本の政策で一貫したものが無いと批判されるのが、この辺にある。障害者の地域移行を進めるべきだと入所施設や病院の長期の入院患者を出そうという動き、じゃー限界団地でお隣同士の繋がりが全く無い住人はどうなの?
 これって理想の姿??
 いま日本中に空き家が増えている。築15年から20年の物件で、壊すには勿体ないし、住む人がいないから賃貸家屋となっている。長期ローンを組み、まだ返済が済んでいないから、せめて誰かに住んでもらって家賃を借金返済の足しにしたいというものだ。
 一戸建てだけじゃない。やたらと増えたアパートは、古くなれば借りる人が見つからず、空き部屋になっている。大家は管理会社に約束が違うと泣きついても、それじゃー大改装か部屋代を安くしますかと言われてしまう。
 一時期、土地の有効活用で相続対策のアパート経営が流行した。なんと借入期間が20〜30年という長期。
 上手い話には裏があり、成功例を見せつけられれば、その気になって後悔する。
 流行と欲望は一体である。
 新たな動きも出始めている。それは限界団地を有効利用できないだろうかという提案だ。子供の減少で廃校になった学校も同じ、何か再利用ができないかと知恵を絞る。いろいろ手続きがあって、簡単に利用することはできないらしいが、是非とも何かに使うべきだと私は思う。
 話は変わるが、米国で株が200ドル以上下落した。欧州危機の再燃か?私は株などやらないが、どうも気になる景気の動き。ソニーやシャープという日本を代表する会社が予想を遥かに上回る赤字となる見込み、確実に生産部門を海外にシフトし安価な人件費で収益をあげようとするも、作ったものが売れないのではどうしようもない。海外企業との競争に負けたのか否か。いま中国よりミャンマーに日本企業は関心が高い。それは確実に安い人件費、価格の競争に負けまいとすれば仕方が無い。
 ただ、日本の場合、政府の後おしがあるかと言えば韓国や中国の比ではなく遠慮がち。
 それがなんとも情けないのは、元総理の個人プレーでまたもや新たな火種が出る始末。
 動けば動くほど迷惑になる人はいるもので、いっそ早く退いて貰いたいのだが、党内融和という理解しがたい事情でポストを与えたりするものだから、仇になる。ご当人は人の前では出来もしない事を言いたがる癖があり。お母様のお小遣いを今もって頂いているような方に今の日本の危機的状況がお分かりいただけるのでしょうか?
 そうそう国会が限界団地と化しているのです。周りから相手にされず、古き良き時代の夢をみているような・・・・・
今こそ決断あるのみです野田さん  ガンバレ!
 

2100:負けられぬ

不器用に只管、自分の足で歩むことが、今の時代こんなにも難しくなったのかとふっと考える。変化が激しく、じっくりと事の良し悪しを確かめる余裕すらない。これは不味いと思って必死に安住の場所を捜し求める。
 総理でもあるめーし、この国の行く末を案じ、次なる一手をどう打つかなど思う事は身の程弁えない大馬鹿ものなのでしょうか??そ時流に乗り遅れたカンブリア紀の人間とでもいうのでしょうか? 
昨日は党首討論がありました。あれってどんな狙いがあるのでしょうね。どこかで見た事のあるような議員が雁首並べ、二人の話を聞いている。でもなー時々笑いが零れる遣り取りは、如何にも芝居じみていませんかってーんだよな。
 北朝鮮の人工衛星(?)発射のニュースが他番組では盛んに流され、自衛隊が緊急配備、そんな世界の動きからタイムスリップした国会のLIVE中継。なんとも不甲斐ない。いや、恐ろしい事でしょう。
 現実に眼をやればやる程鬱症状になりませんかね!今や権利を主張するものばっかりで義務なんかそっちのけ。その類の人間は、他人の苦を意に介しないどころかトコトン虐めて満足する。
 鷹は飢えても穂を摘まず・・・・・斯様に昔の人は節操を重んじ自らの生きる指針とした。それが権利だから主張しないと損という風潮に。
 党首討論で記憶に残った言葉はたった一つでした。5分という僅かな時間を貰ったみんなの党代表の渡辺さんが、5年間で6人変わった日本の総理に公選制を提案すると言ったこと。
 当にそこだ。何故できない。煩雑な法律改正が条件だから尻ごみする議員が多過ぎる。怠慢だ。日本が独自の戦後処理をまだ終わっていない証です。それと責任の取り方が実に曖昧な国、大臣の挿げ替えを何度したことか?
 その人が辞めて熱が冷めたころ、またノコノコと顔を出す。思い出すのも嫌になるが、国際会議の壇上で日本は必ず?%の二酸化炭素排出削減をすると公言した総理がそんな約束したっけ?という無責任ぶり、その顔で事もあろうに今、最も敏感な地域に自称、仲裁役で出かける非常識。そんな事言っていないと火消しに躍起、それなら行くんじゃーねーよと言いたい。
 これを個人的訪問だからと、火の粉が自らにふりかかるのを必死に避けようとする政府も政府。こんな体たらくで本当にこの国の舵取りを任せて良いのでしょうか。
 そして、民主党で30名近い議員が既に離党届を出したとか???さっさと出て行きなさいよ。それを幹部が預かりと言う形で受理しないという。そこにはプライドも何もない。そんな議員が一番怖いのは次なる選挙だけ。
 そもそも政治を志す基本がない人達ですからね。だから見なさい。言い訳に終始し、前向きな発言は皆無という低レベルの集団と化したのであります。
 そこでそれに替わる望まれる人間像って何ですかってか?
 不器用に只管、自分の足で歩む人間でしょうが、分かり切った事ですよ。
 

2101:明日は・・

京都の祇園でまたもや悲惨な事件が起こった。軽ワゴンの暴走?で7人の方が亡くなった。この季節京都は花見にあわせ観光客が大勢集まる中で起こった事件。
 その真相はまだハッキリしていないようだが、犠牲にあった人達に心よりの哀悼の意を表したい。
 誰しも自分が不慮の事故に遭遇するなど考えない。昔だったらどうだろう?いや、今でも危険な仕事に従事している人も大勢いるわけで同じかもしれません。家族の無事を祈り、寝る時に「ああ・・今日も何事も無く終わった・・」と安堵し眠りにつく、これは今も昔も全く同じ。
 体の事になれば、誰だって常に病に罹っていないだろうかとの不安は持つ。それがいつなったのかが分からない。体調に異変を感じた時には、手遅れという話も良く耳にする。
 それに心の問題となれば、これが実に厄介である。然程の事は無いのに思い過ごしなのかそれとも重篤なのか?
 いま日本ではこころを病む人が急増しているという。某精神科のドクターの話、今は良い薬ができているから受診し早く治療すれば治ると断言する。
 私は、どうもストレートには納得しかねる。
 明日は我が身・・・・頑強な体を自負し何も恐れることはないとばかりに生きている人も時に出逢う。意識してそう振る舞うのかどうかわからない。 しかし、世の常として、自分が思うように事が進まないことも覚悟しておくべきだろう。
 大きなお世話かもしれません。
 今日は、そんな事を言いたいのではありません。最近、クレーマーという言葉を良く耳にするようになりました。自分の事はさて置き、相手の非を攻め立て、常識を逸した要求を突き付ける人です。或る程度の所で納得すれば良いのでしょうが、ドンドン要求がエスカレートし、誰彼構わず言いふらす。ターゲットになった人は堪りません。
 結局、被害にあった人達は防御線を引きますから、当人は知らない内に要注意人物のリストアップがされて、なるべく関わらないと周りが避けるから、本人は余計面白くない。その繰り返しを飽きもせずに続けるのです。
 そのようなタイプの人に共通するものは、端的に言って”感謝する気持ちが無い”という事です。
 自分が思うようにならないのは相手の責任だと決め付ける。昔ならば”隣に蔵が建てば腹が立つ”タイプの方は大勢おりました。それが最近では”蔵が建たず”とも”腹が立つ”のですから始末が悪い。
 こういったタイプの人間に不幸にもぶつかった時、どうすれば良いのでしょうか?
 これに効く妙薬はないのですから、その道の専門家に任せるべきだと私は思います。
 でも、自分では気づかないのですが被害者でなく自分が加害者になることだってあるということです。特に私の経験でいえば、福祉事業者への風当たりが最近強くなった原因に事業者側が利用者を選んでいるという実態が有るのではないかと思うのです。
 次から次に要求され、ほどほど嫌になってしまう場合もあります。すると事業者は、何らかの理由を付け関わらないようにするものです。相手側はここでもまたかという経験を重ねますから、不満やるかたない。結果、クレーマーという事になる場合が多いのではないでしょうか?そして巡り巡ってぶつかってしまった。運が悪いということでしょうね。
 なにせ相手はいかなる謝罪に対しても納得せず、頑なになっていますから時間と労力がかかるわけです。
 いずれにしても、明日は我が身という覚悟を常に持っていなければならない時代に生きているという事だと思うのです。

2102:人工衛星

昨日は北朝鮮の人工衛星(?)発射のニュースで大騒ぎ、全世界が注目するなかで結果は失敗に終わった。韓国の関係者の話が今朝の朝日ネット版にのっていた。今回の衛星開発に要した金額が日本円で690億円、この額は北朝鮮の1年間の貿易額の半分以上(56%)にあたり、その金が一瞬にして消え去ったという。発射場所を事前に海外メデアに公開するなど体制に変化が出たように見せてはいるが、実態は判らない。
 今回、日本でも様々な報道がなされた。迎撃ミサイルの配備や軍艦を落下予測海域に向かわせるなど・・・・しかし、発射後の日本側の報道は、韓国やアメリカとは全く違った。40分たっても日本政府の公式発表が出ず、何をしているのかと国民が訝しんだ。地元、土浦市にも危機対策室なるものがあって、それなりの態勢をして待った。結局、何も具体的には出来なかったと思われる。
 国内の政治状況は不安定、新たな政党立ちあげを公言する人もあり。その中心人物の石原都知事が不満を爆発、各自が好き勝手な発言をするものだから噂ばかりが一人歩き、俺が知らないことが何故洩れると新党結成を白紙に戻すとご立腹、江戸城の開城時も外国からの圧力に与した形、今回はそれと比べることはできないが、海外事情は複雑でより困難な状況となっている。
 つまり、深刻なのは、脆弱な地盤に欲得だけが際限無い実態があるからだ。贅沢を贅沢と感じない、平和を平和と感じない。 となれば何を基準とするかが分からない。今の状況は首輪は付けているが紐がついていない飼い犬が所構わず自由に動き回っている状態だ。規則があっても守らず、いざと言う時に言い遁れができるように首輪だけはしておく、そんな流儀がまかり通っていませんか。
 果たして、この危険な状況を変えることができるのでありましょうか?
 AIJ投資顧問の国会財務委員会での3人の参考人質疑を聞いていて、なんと無責任な人達だと思った。年金基金の運用委託を受け、その利ザヤを稼いで基金の期待に応えるべき人達が取り返しのつかない損を客側に負わせたにも関わらず、自分の非を認めず、自分達が逆に被害者だとまで開き直った。
 明治維新の時代ならば、自責の念で潔く切腹しただろう者が全く罪の意識が無い。そして、補佐人なる弁護士を同伴させている。 元社会保険庁のOBの弁明が私は一番に腹だった。甘い汁を充分すった張本人が知らぬ存ぜぬで押し通す、前にも同じよな話があったっけ!この構造は全く変わらない。一宿一飯の恩義を仇で返すなど屁の河童。
 この国に最早、国民を心底、鼓舞するような出来事は望めないのだろうか。
 

2103:うしろ影

♪・・♪ 雨音 恋しい うしろ影 窓の外につめたい雨が
         捨ててもいいから この傘を ・・・・・♪ 
 中条きよしが唄う『うしろ影』の1小節である。
 うしろ影という言葉にピッタリの一枚、?????が撮れました。毛糸の帽子とマフラー、その背景の山桜とはどう考えたってミスマッチ、住職の創作欲は何でも構わず利用する。ただ風が吹くと、いつの間にかどこかに飛んでいってしまうから傘だ・・・・・・。
 昨日は冷たい雨が1日中降り続き、その雨が今朝起きたら天空真っ青で「そうじ小僧」のうしろ姿が妙に気になったという事。
 今年、日本中を襲った大寒波、記録的な大雪に只管耐えた雪国の人達、春の到来を待ち望み、いつもなら農家は田作り作業の準備に取り掛かる季節になりました。昨日、寺を訪れた方は福島中通りの須賀川が実家とか、放射能汚染で米が作れない。もう茨城に出て大分年数も経つそうだが、生まれ育った郷里の今の状況を考えると悲しくなると言っていた。墓地さがしに一緒に来られたFさんは、何を隠そう東京電力で定年まで勤め上げた人である。何かの縁で隣同士、地元の老人会ではお二人とも中心人物となっている。
 うしろ影には寂寥感が漂うものだ。去りゆく姿は過去の栄光はどこかにいってしまい、一人静かにお暇する。そんな詩情が自然と浮かびます。
 そこで、うしろ影大賞なる企画はいかがなものか!黙って 或いは 何かを言い残し  そこにライトをあて 高齢社会に対する負のイメージを一掃するのだ。できませんかね。
 だってそうでしょう。皆さん少なくとも家族の為、日本の為、刻苦勉励やってきた人達ですよ。それを濡れ落ち葉とか言って除けものにするのはあんまりです。
 お年寄りの笑顔が無くなった社会は衰退しますね。それも実は表の顔じゃなくて、私はうしろ影に笑いを感じたいのです。
 子供も当然大切な存在です。でも、どうでしょうか?過保護は決してその子の為になりません。
 別に頭脳明晰な子供だけが立派だとは思いません。人間として備えなければならない事は沢山あります。優しさや思いやりが基本です。
 様々な制度が日本にはありますが、どうですか?本当に必要とされている人達に優しいものとなっているでしょうか?
 人間は自らが苦労して初めて体に身に付くものが沢山あります。その代表が智恵、良くも悪くもそれを身につけていないと生きていけない。
 社会保障と税の一体改革の議論を聞いていますと、具体的な目指す方向が描けない。全てが後付け議論だから、アイデアに乏しい。税金を上げると言えばマイナスのイメージに即結びつく、だから皆さんが取られると思うのです。将来の安心を買うのであれば当然、それ相応の負担があるべきだし、それさえ拒否する人は自分の納得できる国を捜せば良いと思う。
 言い過ぎでしょうか?
 綺麗ごとばかりが議論され、現実に眼をむけない有様は決して良い方向を示せない。これは歴史が証明しています。
 最初の1っ節に戻りますが、今の世の中には晴れ上がった日に尚も傘をさしているようなピントはずれの事が多いんじゃーないでしょうかね。
 雨音が恋しいと思えますか、その感性は重要ですよ。
 

2104:やるだけは・・

 昨夜は尚恵学園の2代目の親の会会長のMさんの通夜に参列しました。ここ数年、体調を崩され、奥様と息子さん同行で家族会に参加していました。総会ではいつも一番前の席に座り、じっと話を聞いていました。帰りには、いつも私に声を掛けて下さり。「大変でしょうが、よろしく頼みます。」と頭を下げられた。
 定年まで国の役人をされ、その道では華々しい事績を遺された方でした。
 また、お一人、尚恵学園を家族会の立場から支えてくれた中心的存在を失った。Mさんは一先に法人独自の相互互助制度を作った方であり、今もそれが継続している。今では知的障害の人達が加入できる保険ができ、全国規模で会員が増え、親亡き後の安心の一翼を担っている。Mさんのご長男はダウン症で尚恵学園を利用されるようになってから40年以上の月日が経つ。
 昨夜の通夜、その息子さんは父親の遺影に向かい手を合わせ深々と頭を下げた。その瞬間・・・・時間がもの凄いスピードで逆戻りするのを感じた。
 「ウーヤーター、へんしん・・・」彼は良くグランドの中央で当時流行ったテレビの主人公の真似をした。これが出る時はご本人は偉く機嫌のよい時である。それを見て、ご両親がどれ程胸をなで下ろしたことか。
 私は、今までにこんな遣り取りを何度みてきたか判らない。我が子を施設に預けねばならない親達の気持ち、それは他人に判るものではない。ただ、共通して我が子が何でも良いから笑顔で過ごしてくれればという切なる願いはある。
 かつて亡くなる数日前に病院に呼ばれ、不自由な体をベッドから起こし、私に向かって手を合わせられたお父さんもいた。
 その時背筋に冷たいものが走った。福祉業が様々な展開を見せる時代になっている。これはある面では仕方がないことと認識はしている。
 今年10月から始まる障害者虐待防止法、この法律で規制の対象に家族や福祉の事業所とハッキリと明記されている。本来、援護者として障害者を守るべき存在の者達に法律で箍をはめないとならないとは、慙愧に堪えない。
 世の中で基本的な事が守られていない。だから苦肉の策と様々な決まりが次から次に作られる。決まりで良くなれば何も言う事は無い。
 望みが託され、それをどう繋いでいくか、如何なる時代になってもこの種の遣り取りは存在します。
 望み=夢  となりませんか?
 正直、今の福祉現場はリスクや苦情の対応で四苦八苦している。そこに”夢”を挟むなど至難の時代、人間、志を立てるとは言っても息が詰まるような中でそう長く耐えられるもんじゃない。だから、早期退職される職員が現に減らないということもあるだろう。
 ただ、国が行うべき事と我々現場を預かるものがやるべき事が曖昧となっていませんか。自らの責めを果たしていく、この覚悟を自分では強く持っていると思っていても実は萎え易いものだ。
 そんな時、励ましの言葉や体験がどれ程、支えになるか、先人が私達に語り継いでくれたものの大半がその種のものであり、我々の役割も又そこにあると改めて確信している。
 

2105:暗中模索

経験を元に行く先を見定め歩んでいくことができますか?
 不確実性という言葉で語るには現実の様々な出来事が無味乾燥で温かみを感じない。暗中模索、手探りで恐る恐る。こうしていても確実なのは時間だけが過ぎていくこと。寿命をどう捉えたらよいのでしょうか?
 昨日私は感動したことがありました。
 元家族会の会長さんの葬儀が龍ヶ崎の市営斎場で行われ、通夜と告別式に参列しました。息子さん(Mさん)は遺族席の最前列に身動きもせず大人しく座って無事葬儀が終わりました。その後、場所を変え清宴の席に車で移動、30名程でしたでしょうか、身内の方のご挨拶と献杯、”ケンパイ”の発声の時でした。Mさんが大きな声で”カンパーイ”と叫んだのです。誰もその事を何も言いませんでした。
 ご家族にとってMさんの存在は一番大きかった。列席されている人達は皆さんその事は分かっているのです。
彼は学園でいつもやっている事をそのまましたのですから、引け目など感じる節は毛頭ありません。献杯であろうが乾杯であろうが一同がそろって盃をあげることに変わりは無いということでしょう。
 その後、Mさんは自席に運ばれる料理を黙々と食べていました。私が隣席に座り「大丈夫?」と声をかけると彼は神妙な顔で頷いたのです。言葉はありませんでした。
 でも、その頷きに全てが凝縮されていると思ったのです。彼の心の中に秘められたお父さんへの思い、家族をこよなく愛したMさん、これからだってそうです。家族の人が迎えにきて実家に帰省するとき、あの時の顔を見れば直ぐに分かります。
 ご本人は勿論、ご家族にも葛藤があったはず、それは元会長が晩年、不自由な体ながら必ず集まりに参加されていた事で充分わかります。
 障害福祉の原点を捜し求めています。それは出会いと別れだと私は思っています。
 障害がある事を知った時からそれが始まる。それから家族ぐるみで現実と対峙しなければなりません。一緒に住むか否かはありますがいつか別れを迎えます。親が先に逝くのが普通なら、本心はこの子を置いて先に逝けないというのが正直な思いでしょう。
 それは親子だからそう考えることなのです。実は後に遺されたお子さんは、しっかりと親の死を受け止め健気に生きていくのです。
 これは私の経験からハッキリ言える事。
 でも、何らかの支えが必要なことは言うまでもありません。どのような素晴らしい支援環境が揃っていたとしても我々には親の代替はできない。これは先人が常に私に話してくれた事です。
 今の日本に私が危機感を持つのは、こういう事です。使えきれない程の財産を持ち、それを失いたくないと必死に守ろうとしている一部の人、方や非正規雇用という不安定な条件で働かなければならない多くの人々、彼らは守ろうとするものなど無くてその日をどう食べていくかという切実な思いでいるのではないでしょうか。
 この格差は永遠に続くことでは無いはずです。
 国がGDPを誇った時代、その富をどう国民に還元したでしょうか?思い出してみませんか。ドデカイ超豪華な建物を至る所につくり、結果、二束三文で売り払った。
 ここに国の根本的な問題を感じます。奢りが無かったかと言えば嘘でしょう。自らの金で無いから湯水の如くばら撒けた。図星でしょうね。万が一日本がそのまま進んでいたら、取り返しのつかない状況に既になっていたと思います。今ならば私はまだ間に合うと思っています。それは個々の人間が自分でできる事から先ず行動に移すということ。
 

2106:選択肢

 幾つかの選択肢から選んだものが良かったか否かは、その時には判らない。これは絶対というものが無いということで常に変化して一定ではないからです。
 特に人間の感情はどうにでもなるもので喜怒哀楽は常に揺れ動く。しかし、食えない話は政治の世界には実に多い、またもや大臣への問責決議案の提出とかで騒いでいます。いい加減にしろよ!言った言わない、やった遣らない・・・・全く建設的な議論がなされない。決めるべき事を決めず、いたずらに審議の停滞を招く手法、他に選択肢は無いのですか?
 こんなことばっかりやっているから政策が積み上がらず、後手後手の対応しかできないでしょう。
 議員宿舎の家賃を知って驚いた。これを世間並みの家賃に上げるには・・・・・法を改正しないとできないのかね。戦国の世の築城技術以上に2重3重の防護壁を設け、凭れ合い構造が出来上がっている。これが妙味なのですね?誰一人それを変えようとしない実態は何故なのでしょう?
 被災地の事を考えればそんな事できないはずだ。この期に及んでもこの感覚麻痺は相当重症だ。特権意識が強く、これについては与野党がガッチリとスクラムを組む。ご都合主義の最たるもの。
 だから見なさい。政治に対する意向調査の殆どで、分からないとか支持する政党無しと答える人がなんと多い事か。
 いま日本で多肢選択法が使えない最たるものを挙げなさいと言われれば私は真っ先に政治だと答えます。誠に残念である。磁石ならプラスマイナスはっきりしているが、理由も分からずくっ付いたり離れたりを常に水面下でやっている。
政治がゲーム化してしまった。 原発の再稼働の問題、曖昧発言が多過ぎます。フクシマの現状を政府はどう捉えているのでしょうか?産業界からどのような意見が出されているのでしょうね?計画停電を昨夏同様に実施しても電力不足が生じるのでしょうか?
 広島・長崎の経験、そして今回の福島、ウヤモヤニして関心の薄れるのを待つとでも言うのでしょうか?明確の方向付けが何故できないのでしょう。日本がしないでどこの国がしますか。
 企業が工場をどんどん海外にシフトする???当然でしょう。日本と比べればいくらでも低賃金の労働が得られる国へ移りますよ。
 これを防ぐ具体的な方法がありますか?
 湯水の如く浪費した電気、公金、・・・・・今そのツケが回ってきたと言う事です。そして、この国の指導者層は、そのツケを自らが負う事を避け、次世代に回そうと頭を絞る。原発もそうだ。なんと非条理なことを。
 某有力議員がどこかの演説で「・・・・集団自決するようなもの・・・」とか言ったと物議を醸した。その真偽は判らない。
 オカシイと思ったことはこの際止めれば良いですよ。街には誰も乗らない定期バス。夜間、外で本が読める程の街路灯、膨大な量の捨てられる食品、24時間開いている店、・・・・・一体この国はここで消費されるエネルギーをどうしようとするのだろう。
 夜間電気料金は安い。ならば使わずに蓄電すれば良いはずだ。
 このまま絶対に進まないことは誰もが分かっています。ただ、一部の人達が既得権益を守ろうと画策する、その術中に陥っているのが実態だ。
 国民がそれにソッポを向けば出来ます。夜中に食べ物買って食べるから生活習慣病、メタボになって通院し、医療費高騰その負担を税金で。この負の循環をどこかで遮断しないと駄目なんです。
 清貧と経済の低迷はイコールではない。嘗ての土光さんが今生きていれば何と言っただろう?
 国民、総メザシを食って健康になれ!とでも。確かに不必要なモノが溢れ過ぎた。政治家もその類の上位に位置されるのは確実だ。
 
 粗大ごみ(ゴミ)の 捨て場をさがす 粗大ごみ(御身)。 
 使えない人間ほど 楽して捜す 就職先。        ・・・・・・字余りでした。
 

2107:小休止

過去の権勢を死守しようとすれば、並大抵の事ではできない。能力以上の見せ掛けは、直ぐにメッキが剥がれ落ちる。
 だから、引き際を綺麗にと先人は言ったではないか! 権力を手にしたものが、それを手放すことの決断は難しいようだ。だが、結果は明らか、世間から相手にされず惨めな姿を曝け出す。
 ハチが蜜にあつまるように、嘗ての腹心からでさえ集中攻撃を受け、散々たる体で逃げ惑う。
 
 ここ暫くは永田町界隈、入り乱れての阿鼻叫喚の巷と化すだろう。それが国の為になるかならぬか当人達は関心なし。只管、次なる選挙で座を守ることに戦々恐々。
 黒塗りの高級車を捨て、軽トラに乗り換え、田舎に帰って田畑で草取りでもする決断さえすれば、良いのにと思いますよ。
 そのほうが健康的だし、国の為になりますよ。   小休止。 一度休んでじっくり考えて見ませんか。畦にはタンポポ、小川にエビガニ、鳥の囀り聴いて良い汗かけば、一杯のお茶がこれほど美味だか解るから。
 議員一人の歳費を下げるとか、その額を得るためにどれだけ汗をかかねばならぬか、考えれば良いんだよ。
 だから、あんたらはどこかでおかしくなったんだ。電力の話だけれど、かなり情報操作してますよね。本当に電力不足になるんですか?計画停電やりましょうよ。その代り、東電の会長や社長の給与7200万円だって、これどうにかしなさいよ。
 あれだけの大会社のトップなら当然だという話だけれども、これだけの負担を民に課してそりゃー無いだろう。
 そう私は思います。
 何かが違う。どこかが狂っている。 小休止    
  この辺では桜が散りました。西行さんでは無いけれどこの時期に身罷るのが望みだと思えば、欲得は減りますよ。そんなに欲張ってどうなんです?骨になれば精々30センチ四方で充分だ。
 生命の尊さって何でしょう? わたしゃー最近こう思う。他人様に迷惑かけず、自分なりに納得した人生送れりゃー最高よ。
 豊かさって何でしょう? わたしゃー最近こう思う。太り過ぎず痩せ過ぎず、食べ物を美味しいと感じ、有り難いと思える感謝の日々ってとこかな。  小休止。
 日本人が洗脳されている。経済大国?とかいう得体の知れぬ妖怪に振り回されて、何が何だか分からずに走り続けているのです。もういい加減に休みませんか? 資源の無い国なら、無理せず、分相応に生きたらいいでしょう。
 空気を汚し、飲める水を無駄にする。これは、石油があってお金持ちの国には残念だが無い世界。
 無い物ねだりしていると幸せ鳥は逃げていくってことですね。足るを知る。この言葉を思い出してみませんか!

2108:春愁の頃

先日、近くまで用事があったので友人が住職をしている寺に立ち寄った。すると、昨夜泥棒に入られた騒ぎ、金庫を外に持ち出し扉が開けられ現金だけが盗まれたということだった。
 春愁とは、桜の季節が過ぎ、景色が初々しさを失い、爛熟の様相を示し始める頃をいう。日本の桜前線は見事、南から開花便りが出ると徐々に北上し、いま青森辺りまで行っている。土浦は既に花は散って、新しい葉が出始め、桜の枝は薄茶色に変わった。今日は”穀雨”二十四節気の一つ。水田では田起こしが真っ盛り、水を入れ田植えまでの忙しい季節になった。
 周りに目を向けると、草木の芽吹きと共に人間もじっとしておられず動き始める。尚恵学園の利用者の皆さんも例年、この時期にはハイテンションになり、それがトラブルの原因になる。
 二日前、我が園が当番の職員のソフトボール大会が五施設が集まって開催された。私の出番は既に無し。ネット裏で他の施設長と野球はそっちのけで話に熱中。出るわ出るわ話題が尽きない。開会式の時、各施設の新採用職員の紹介があった。某施設は大分多く採用したようで、ズラリと並んだ。彼らがこの仕事に遣り甲斐を感じ、大きく育って欲しいと思った。
 試合の結果は我が園が地元の利を活かし見事優勝。良くやった!
 この行事なんと今回が47回目、随分長く続くものだ。施設の事情はそれぞれ、参加職員は全員が年休できている施設もあると聞いた。施設に残る職員との差を考慮した結果そうなったと。なるほどね。
 確かに以前は利用者さんも応援に参加していたように思うのだが、いまそれが無くなった。尚恵学園だけがテントで応援に参加したが、どうも春の風が身にこたえ風邪でも引かないかと逆に心配となる。
 スポーツの季節となった。
 プロ野球やサッカーにどうも熱が入らない。試合結果がどうでも良くなった。なにせ優秀な選手が外国に出て行ってしまうのでそれも一因になっている。ゴルフはお隣の韓国勢にお株を奪われ、日本人は完全に低迷してしまった。
 日本のスポーツ界がどうも元気が出る話題の欠乏症に陥ってしまったようだ。何故だ?
 これだって負の連鎖? 
 多分、外国と比べて日本は危機感が薄いと思うのだ。どうにかしないとならないと考える人以上に諦めてしまう人が多いのかもしれません。首都直下地震の話題が急に現実味を帯びている。予想強度が震度7までに上がり、様々なシミュレーションがメデアによってなされている。
 しかし、日本は全国津々浦々に断層が走っている。東京だけの問題ではない。地震への備えは充分し過ぎることはない。
 お隣の韓国が、北朝鮮の全域に向けミサイルを配備した。常に臨戦態勢に国があると言う証拠。一方、尖閣諸島を石原知事が東京が買うとアメリカで演説、早速それに中国が反応、しかし、またもや政府の対応は様子伺い、発言の真意の把握に努めているというコメントを出した。これは国として何もやらないという事を言っているのと同じでは無いのか。
 歯がゆい、じれったい・・・・・・。重要閣僚の問責決議、内政にばかり気を取られている中に世界は大きく変わっている。
 西郷隆盛ではないが、緻密な画策を国の為に使うリーダーが出ない。どうも自分の保身にばかり関心が向く輩が多過ぎる。人間が小粒になった? ああああああ 春愁ならず、夏愁・秋愁・・・冬愁、年中無休の阿鼻地獄。
 これは何が最も原因しているか!教育だと思う。義務教育の制度は立派だが、戦争の是非や原発の問題など、国の容を自分達で考える機会を奪ってしまった。その意味では戦後処理ができず、日本が自立国家と成り得ていない今の実態と結び付く。
 

2109:客人

歓迎されない客人というものはいるものです。2日前から何やら外でゴソゴソするなと思っていましたが、なんとそれがオスのニワトリでした。エアコンの室外機の上にハロゲンのスポットライト、これが点いたり消えたり何度もするものだから、不思議に思い見てみると何とデッカイニワトリ、鶏冠も立派で足も太い。
 なんでこんな所にニワトリが? どうも2日前からいた様子。今度庭でニワトリを飼うのかと思ったという奴も出てきたが、彼方此方を引っ掻き廻すし、糞はするし、多分、今まで飼っていた誰かが放していったに違いない。お寺なら大丈夫だと。いつだってそうだ。駆け込み寺にするには酷すぎませぬか。
 もし、そうなら頭にくる。自分で責任持てよ!  だが真相は不明、詮索してもしようがない。
 よくみるとスポットライトの下は熱で温かい様子。頭は良さそう。何も人間を襲ったりはしないようだが、クマ牧場の事件もあったから気になる。 ニワトリを飼い馴らしたという話は聞いたことがない。近所で飼っていたようにも思えない。暫くは客人(鳥)として恩義を売るか? だが、我が家の2匹の猫が耳を立て、急にキョロキョロ落ち着かない。2匹で徒党を組み、追い出してくれれば良いと微かな期待はしたものの、全くの意気地無しで腰が引け逃げまどうだけ。
 ならば私がと思い竹ぼうきを持って追いかけてみたが、なんとも足が早く、トットトット、距離は離されるばかりで息切れして諦めた。
 これを誰かが見ていたら、「住職???何やってんの?箒持って走り回っている。とうとう頭に来たか・・・・・」と。
 最近、どうも被害妄想の気が強く、天の声が聞こえることシバシバなり。
 以前、紛れ込んだウサギさん、これなら可愛いがこれだって誰かが置いていったものに違いない。一度市役所に遺失物があるからと電話をしたら、相手も心得たもので、「犬ですか猫ですか?」と尋ねられ、「猫です」と答えたら「それは駄目です」と言われてしまった。
 ならば「ニワトリです」と言ったらばどうなのか?答えは決まっているから電話するのは止めにして、暫く客人の様子を見る事にします。
 ま・・・ニワトリの気持ちになれば、言い分もあるだろうし年中鳴いてうるさい事もないようだから。
 ここはプラス思考で、急に境内に増え過ぎた猫達が住職が用心棒を今度雇ったようだと警戒し近寄らなくなればシメタもの。
 そうそう、最近、私の知り合いのお寺さん、泥棒に入られ偉い損をしたとか・・・・・。そうだ、神立の寺は大きなニワトリがいるから止めたほうが良いと噂になれば報恩感謝だ。
 

2110:托する

”住職は寺の留守居役だ。” これは私に父が良く言っていた言葉である。最近、そのことの意味を考えている。
 要は主(あるじ)になっては駄目だということ、あくまでも仏様がいて寺がある。これを弁えないと偉い失態を招くことになるな。自分は雇われ坊主だ。身の程を知れ!  それでなかったら、ここまで長く寺は続かんだろう。主役は仏様、支え役が檀家、この関係は定番だ。
 ”托する”という言葉が好きだ。後事を托すと使われる。托すとは掌に載せて処置を任せること。托鉢や茶托。
 日本仏教で托鉢という言葉が死語になっている。それは坊さんが豊かになったという事? 本来、生活は質素に心を豊かに・・・・・・。これが道だった。
 正直、私は仏様に合わせる顔が無い。毎日、朝、懺悔文を唱えるだけで、裏腹な生活を続けていないか!このストレスは日に日に増している。坊主に多忙は禁句である。知らず知らずのうちに挨拶言葉になっている。”忙”とは、心が亡いという字。 心が無い坊主が、何をもって寺の留守を守れるか! 
 先代が始めた今の仕事、当時を知るものは今は無い。見栄や体裁をつくろう余裕など無かった。皆が皆、必死に働いた。
 だが、悲壮感は無く、笑顔が常にあったと聞く。主が誰かを掴んでいた。
 福祉の原点は安心である。安心立命・・・心を安らかにし身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと。自分の身を天命に托すことができますか?
 昨夜、電話があった。Sさんが熱を出し、通院、インフルエンザかも知れない。明日、詳しい結果がわかるのでその対応で今晩は過ごすとの内容、数日前はOさんが足蹴りで部屋のガラスを割った。8針縫った。・・・・・・。毎日、何かが起こっている。
 皆が皆必死に働いている。
 利用者の方の高齢化が進む。当然、親の年齢も高く、毎年のように我が子を托し亡くなる親が出ている。
 ここ数年、制度改革の動きに翻弄された自分を感じている。要求すれば一部改正、その繰り返しを綿々と続けてきた。
 こんな風で誰もが安心できる社会など出来る筈がないじゃないか、所詮、他人事に過ぎないんだよ。 この種の不満を何度も聴いた。その度に虚しさを感じた。
  ・・・・上みれば およばぬことの多かりき 
               下みてくらす これ好日・・・・・
 これは齊藤先生が宴席で私にくれた紙切れに書かれた句。
    先代が言った”留守居役”の本願は、多分、自らにかした誓いだったもの。自徳への警鐘、謙虚、奢り、妬み・・・・・・