源究128

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2071 一言居士 3/15 2076 理事会 3/19 2081 チャンス 3/24 2086 除染判断 3/29
2072 ミイ 3/15 2077 彼岸所懐 3/20 2082 許容量 3/25 2087 融通無碍 3/30
2073 大東京 3/16 2078 働く容 3/21 2083 いい加減 3/26 2088 変わり目 3/31
2074 彼岸入り 3/17 2079 守拙 3/22 2084 良い塩梅 3/27 2089 心機一転 4/1
2075 アピール度 3/18 2080 夢か現か 3/23 2085 格好つけて 3/28 2090 確信 4/2

2071:一言居士

私の性分でどうしようもないのは、何か一言は言わないと収まらない所です。自分では良く判っているから、控え目にしておこうと思うのですが、火が付いてしまうと、もう止まらない。
 それでも最近は自分の言いたい事を先ず紙にメモ書きすることにしています。でないと途中で何が言いたいのか自分で判らなくなるのです。困ったものですよ。全く。
 その反動というのでしょうね。飽きもせずに良く続けて好き勝手な事を書きなぐって。これが不思議なもので、次から次に書きたいことが浮かんできてしまう。
 果たして”一言居士”とは褒め言葉になるのでしょうかね?真意は良く判りません。ただ、自分の経験から言えば言った事には責任を持てということになります。それが嫌なら黙っているのが一番、昔から沈黙は金、雄弁は銀とか申しますね。
 でも、どうでしょう。最近は会議の席などで自分の意見を言わない人が多くなった気がします。これって不味いでしょう。
 なんの為に出てきたのか、そう疑っちゃいますね。
 それと腹の虫の居所が悪くなるのは、後でこうだああだという輩、嫌ですね。
 ただ忘れてならないのは相手の話も良く聞く事でしょうね。一方的にしゃべりまくる事はいけませんよ。
 そこで、提案なのですが、一度国民全員に投票を義務化させ、投票しなかった人には罰則を課すっていうことにしたら。
 だってそうでしょう。消費税を上がる上げないなんてチマチマしたことをやっちゃいかんとどこかの議員が言ってました。 
 ”チマチマ”とはなんだ!と怒るべし。それから原発をどうするか?これも国民投票すれば良い。
 この辺が日本のハッキリしない部分、結局は権利と義務をどう考えるかという事です。
 選挙で投票する人がいないということならば、白紙で良いでしょうよ。でも一票は投じ無ければいかんでしょう。
 成熟社会になったとか言ってますが、チャンチャラ可笑しいよね。私から言えば無責任社会だ。
 基軸がないから、右往左往する。結局外交などでは、信用がた落ちということになってしまう。そこでTPPの導入なんてしたら一気に潰されてしまうでしょう。強かさが無いもの。
 武士道精神よ、いまいずこ?

2072:ミイ

ミイちゃん・・・今、私がパソコンを打っている机の上に座っています。彼はもうじき2歳になる。雨の中に捨てられていた生まれたばかりのミイは通りかかった職員に拾われ、一時的に預かった。それがどういう訳がうちで飼うことになった。
 預かった当初は自分で食べる体力もなく、ぐったりして声をかけると時々目を開ける程度、丸1週間近くの動物病院に通い、栄養剤を注射していただく。その甲斐があり、徐々にスプーンから食べ物をとるようになった。先生は治療費を全く取らなかった。
 そのミイは昔から住んでいるハナ(15歳?になるおばあちゃん猫)とどうも相性が悪く、顔を合わせると威嚇され、それでもオス猫だ。怯まず再三に渡り奇襲攻撃をかけじゃれていた。この2匹は決して爪をたてない。同居人のルールは本能的に弁えている。体は1歳ごろからミイのほうが大きくなったが、二匹の闘いはハナのほうに分が有る。これだって暗黙の地位協定だろう。そうしている中に暗雲が立ち込め始めた。他所者が庭を徘徊するようになったから、さー大変。真っ先に戦闘態勢になったのがオスのミイ、彼は何度も顔や体に引っ掻かれた傷をつくって帰ってきた。一度無外したことがあった。1週間以上雲隠れ、お恥ずかしいことだが、私は周辺を自転車で夜遅く名前を呼びながら捜しまわった。諦めた時、彼は一人(?)で帰ってきたのである。どこをほっつき歩いていたのか、強く叱ってやろうと思ったができなかった。
 それからコイツは自分で帰ってこれるという安心が持てた。
 ご多分にもれず、彼は襖や障子を爪で引っ掻く、でも注意すると直ぐに止める。
 冬の寒い夜は、私の蒲団の中に入れろという。手で顔をチョコチョコたたいて、入れろと言う。蒲団の重みに耐えかねて顔を外に出し私の腕を枕にする。今度は私の鼻息が気になる仕草、どうにかしろよ!と言っている、だから、私は腕をあげ、ミイが寝易いスペースを確保、・・・・・・。
 私が仕事から帰宅する時間に何度も玄関先で待っていることがある。風呂の窓から出る事はできるが入るのができない。
 もう30分も同じ場所に座っている。時々、『なにを やってんだか いい加減にしろよ』といった顔をする。
 私は特別猫好きと言う事も無い。面倒見が良いとも言えないだろう。その辺はもう彼にはお見通し、自分勝手な奴だ位の評価である。
 もしも、猫の言葉が分かったら面白いだろうなといつも考える。

2073:大東京

東京の人口は1268万人を超えている。日本の総人口の10分の1が東京で生活していることになるわけで、これはもう尋常な数では無い。そして、今朝の新聞によれば、1世帯あたり1.99人で2人を初めて切り65歳以上年齢が20%を超えた。予測されたこととは言え、石原知事のコメントが紹介されていたがショックを受けたとのこと。
 建物がドンドン上に伸びる東京、そして宇宙からみると日本は海岸線がはっきりわかるように明かりがついている。とりわけ東京近郊が目立つと言う。
 関東地方は毎日のように結構強い揺れの地震が起こっている。昨日は震度5弱の揺れがあった。東京は地下にも網の目の街が出来ている。地下鉄の次の駅まで地下のショッピング街を歩いて行ける。こんな国も珍しい。
 つくばエキスプレスのターミナル駅秋葉原はなんと4回エスカレータに乗り換えて地上に出る。
 ここにきて東京直下型地震への危機が叫ばれる、でも、都民の大多数は自分ではどうしようもないと諦め?顔、その裏には、どうか起こって欲しく無いという神頼みがあるようだ。
 何故、都市部に人口が集中するかは明白だ。豊かさと利便性を求める結果こうなった。いつの間にか価値観がそうなってしまったからどうしようもない。それを止めるには相当な決意が必要だ。
生活の糧を得るために働く場を求めるのは仕方がない。これは何も日本だけの問題では無いだろう。先進国と言われる国の大半が同じ問題を抱えている。
 最低賃金と生活保護の関係を考えると矛盾が良く見える。一生懸命働いて税金を払い、医療費も払うと手元に残らない。一方、生保を受けた時に、住宅補助や医療費の無料という特典があって、両者を比較すれば生保のほうが安定した生活が遅れると言う。だから、無理して働くなくともと人間考える。全てでは無いが、実態を良く見ると様々な矛盾が制度の元で行われている。嘗て日本人が勤勉を範とした時代から大きく様変わり、個の尊厳という事一つを考えても一様ではない。
 東京や大阪という日本を代表する大都市には、深刻な状況が広がっている。どこをどうすれば良いのかという絵が描けない。
 破竹の勢いを誇るお隣の中国、執行部の交代時期がくる。一党独裁の大国は軍事力の増強も凄まじく、世界の脅威となっている。さすがに二桁の経済成長は望めなくなっても、まだまだ高い成長率をみせている。日本の人口の10倍以上13億人を抱える国の全体の状況を把握することは難しい。でも格差は日本の比ではない。このままいけるとは考えられまい、執行部の最大の関心は内政問題だと現首相が明言した。嘗ての天安門事件再発の危惧を後任者に伝えたかったのか?
 世界の人口が70億人を突破、1秒間に2人強増え続けている計算になる。
 人種・宗教・言葉が違い、歴史を辿って紛争が無かった時代は無かった。その現実を受け止め、せめて人が人を殺すような事態はさけたいものだ。
 東京と被災地復興、これは将来の日本の姿を予測する試金石になることは間違いない。それと数値に騙されても不味い。
 

2074:彼岸入り

朝からの雨になりました。寒さは大分緩み、草木にとってみればこれから芽を出し根を張るに充分な水分を得る絶好のチャンスです。今日が春彼岸の入りです。
 彼岸とはどういう意味?良く聞かれますが、此岸(しがん)と一緒に説明すると判り易いと言われます。川の対岸を彼岸、悟りを得た世界、此方側は我々が四苦八苦して生きている世界で此岸(しがん)。1年に彼岸は2回、春分と秋分を中日として前後各3日間を含めて七日間を言うものです。その前後6日を仏教で言う六波羅密(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)をそれぞれ修するという事になっている。六波羅密(ロッパラミツ)とは悟り(彼岸)に達する為の重要な徳目で、布施・持戒=利他、忍辱・精進=自利、そして禅定・智慧=解脱と解するのです。中日には何をすれば良いのか?それは先祖の菩提を念じるわけです。
 この教えが延々として続いてきました。
 人は自分に不幸な事が起こると何か悪い事をしたのだろうかと先ず考えます。そこは微妙ですね。だって仏教では草木にも仏性があると観るわけですから、道を歩いているだけで知らず知らず草木を踏みつけていますし、生きる為にモノを食しますが、これだって大切ないのちを頂戴しているということです。
 生きて年老いて病に患い死を迎える。この四苦は生きているからこそ経験するわけです。諸行無常 是生滅法 生滅滅己
 寂滅為楽 と申しますが、普段は意識の中に持ちえない真理、雑用に追われ、様々な欲望を満たそうとする生活を送ってしまいます。それが人間ですよね。
 だからと言って仕様が無いと諦めるか否か、結局、自分が終わりに臨む時になって後悔しても後の祭ってことです。
 そこなんですよ。ですが、現実社会は毎日彼岸をやっていられませんよね。
 でも、朝晩の数分の時間に仏様と向き合うことはできませんか?俺は仏教徒じゃーねーよと仰る方もそうです。自分がこの世に生まれた訳ってなんでしょう?
 日本の今の状況は、生まれた時から何でもある時代だったんですよ。お金さえ有れば好きなモノがいつでも手に入る時代、安全で美味しい食べ物があり、外国から銃口を向けられる心配も無かった。毎日が温泉に浸かっているような時を過ごした。
 ですから、何をもって生きる基軸とするかという事を頓着しなくても良かった。そうじゃーありませんか????
 その積み重ねを疑問も感じないでやってきた。それでも不満が残る。すると、その責任を他に向けようとします。自らの事はさておいて。
 このバランスが崩れてしまった状態だと思います。
 国だけでなく市町村も財政収支が崩れてしまって、それをどう修復したら良いのか判らない。
 頭の良い人は複雑な会計手法を用いて赤字幅を少なく見せるようなことをする。でも、その手法はもはや使えない状況にまで悪化してしまった。
大乗仏教の基本は自利利他です。
 現実にはそれと反対のことが恒常的に起こってます。福島原発の事故を考えれば直ぐに分かること、福島は東京電力からの電気の供給は受けていません。東北電力ですから。だれかが言っていました。東京の近くに原発を作るのであれば良いではないかと。そんな発想はありませんよね。危ない、万が一事故が起こったら大変だ! 沖縄の米軍に関する問題も全く同じ発想でしょうね。
 自利自利亡者となってしまった。利他って何でしたっけ?? 布施・持戒でした。

2075:アピール度

何気なくパソコンを開いていたら、”我が校のアピール”というページを見つける。最近、電車の中やホームの広告版に学校紹介が目立つとは感じていたが実際にはそれぞれの学校で生徒集めに熾烈な競争をしていることが分かった。
 中・高一貫教育の次は高・大連携へと青田刈りではないが、学校の魅力と特徴をどうすれば高まるかということ。
 施設・設備の豪華さやユニークさは勿論だが、スポーツ・文化活動や進学率など以前から言われ続けてきたことに加え、名物教師や海外校との交流、更に制服や父母会活動・・・・云々、ありとあらゆる事を常にアピールする努力をしている。
 当然、少子化の流れは今後ますます教育界には打撃となって、それを何もせず指を銜えて待つなどできない。地方大学は諸にその煽りを受けるから、留学生の受け入れや学科の組み換えなどに四苦八苦、その中でも成功事例として別府にある某私立大学は街との協力体制が上手く機能しているという。一時期”地産地消”が持て囃され、日本中至る場所でその実践が生まれたが観光や地域の特殊性との関係は無視できない。
 ビジネスチャンスという言葉には、実際様々な利害が絡む。エネルギー政策で問題になった原子力村の存在や業界の隠ぺい体質、国策と密接に繋がる業種程、水面下では政官民の複雑なもたれ合い構造が出来上がっている。だからそこに新規参入することが日本は難しいという。縦割り行政や制度の壁が強固でベンチャービジネスを起業出来にくい、これをいつまでもやっていると当然、海外にアイデアや優秀な人材が流出する。
 公益法人の改革により、社団や財団の見直しがされている。実質的にその中身は大きくは変わらないのだが、ハードルを高くしたり、公益性の占める割合に違いをみる。
 福祉事業も広範囲になっている。医療・介護・子育て・・・等々、様々な事業展開がなされているが、時代ニーズに素早く対応するのは、前述の教育と介護であろう。需給のバランスがあって実に多様な実践が為されている。
 一方、旧態依然とした業界に医療がある。何故かと言えば、資格制が雁字搦めになっていて、誰でも良いということではないからだ。日本の職種で専門家と言われるものを挙げれば、医師と弁護士が先ず浮かぶ。医師不足が盛んに言われているが、果たして実態はどうだろう?恐らく地域差があって、医師数をいくら増やしたとしても僻地医療を希望する医師の数はそれほど増えまい。それと弁護士は法科院大学など急に増やした結果、資格取得者が急増し、弁護士資格を持っていても仕事がないという状況があると聞いた。
 日本はアメリカのように自己責任で訴訟慣れしていないから弁護士を依頼する事例は急には増えない。泣き寝入りや公的なサービスで済ませてしまうものが多いからだ。
 昨日のニュースで仙台?で県全体の看護師の募集を行ったところ主催者の見込んだ200名の応募者とは程遠く、たった5人が来ただけだという。
 医師は戻ってきているが、看護師が集まらないので入院受け入れが出来ないという。
 これには様々な原因があるだろう。医療現場の過酷な業務、自分自身が被災にあって仕事どころの話ではないという人もいるはずだ。
 介護サービスに於いては、従事者の資格に緩い事業ほど急激に伸びている。専門職の縛りが強い事業は、ニーズがあっても受け入れの体制が作れない。
 高齢者介護付き有料住宅が全国でウナギ登りに増えている。需要を見込んで過大な設備投資で建てたのは良いが入居者が埋まらず、返済ができなくなっている所もあると聞く。
 今もって介護ビジネスはブームであるが、結局は”人”の問題が常にあって、契約内容の不履行や人とのトラブルが増えるのではないかと危惧される。
 

2076:理事会

1年に3回は必ず理事会を開催します。昨日は土浦のホテルで昼を跨いで実施、年に1回は懇親とお礼をかねて場所を園外で行ってきました。
 私はいろいろな所に顔を出させて頂いています。役員会など出て感じるのは、出席者から活発な意見が出されるか否か?本質論が語られるか否か?に関心を持っています。
 3回の理事会は最低限実施するものでその時々の協議内容が決まっているものです。私はそれでは満足できず、会議終了後の雑談(自由討議)に価値があるとみています。その意味では尚恵学園の理事会は大分私の理想に近づいたと思っています。自画自賛の誹りを免れないかもしれぬ。
 必ずといって良いほど創設来の”共生”という理念の話がでます。昭和31年からですから56年間、ずっと掲げてきた根本の考え方、最早金属疲労を起こし風化・浸食がすすみ跡かたも無くなっていませんか!!!!
 大きな宿題です。
 数日前、ある方より電話があり、今度北海道のKさんが来るので一緒に会いませんかというお誘いだった。私にとっては原点を見つめるのに刺激的で勇気を貰える人達、既に入所施設を廃止し、CHで地域移行を実践されているメンバー達、それに関しては尚恵はゆっくりとした歩み、いつまで決断できないのかと叱咤されるのがお決まりで、私は言い訳はせず、相手のホンネを観ようと必死になる。
 確かに、尚恵だけの歴史をみても大きく様変わりしている。良く変わったのかどうかの判定は難しい。
利用者さんとスタッフの関わりの密度が減ったというのは事実、創業時は24時間365日同じスタッフが起居を共にした。今、その時の状態に戻れと言われているようなもの、果たしてそれで万事が解決できるのか!
 事業所の活力は、関わる人間がいかに自らの頭で考えるようになるかという事が条件になる。用意されたもの与えられたものを忠実に行ってOKは貰えない。これは最低限のノルマで福祉には際限の無い課題がある。課題に埋もれてしまっては何にもならぬ。何を支えとするかを持つか持たないか?宗教?哲学?理念?芸術?・・・・・。
 それは単独では有り得ないし移り気だ。相互に補完性を保ち、刺激しあい、魂を持って立ち向かう覚悟が附款となる。
そして、その継続の中でPDCAを意識具現化させる実践である。この世に絶対というものが無いとすれば、その誘因が弱まるかと言えば、全くの逆で福祉に関して見ると更にその思いが増幅するという特殊性を持っている。
 その間に離脱する者も出る。今の日本の状況は、理念とはかけ離れた”福祉のブーム”であると思っている。産めよ増やせで事業の成否をはかる事は危険だ。何故か?それは国が本来行うべき事を肩代わりしているに過ぎないこと、だから、万が一国が破綻すれば事業そのものが消えてしまう。その土台の脆弱性は如何ともし難し。
 今の日本のPB(財政収支)の程度はギリシャの比ではない。一向にその改善の方向性が示せず、議員は自らの保身にだけ関心が向いている。その実態を直視せず、我が田に水を引くことばかりを考える国民も同罪である。
 だから、今のブームはバブルにあって、決して永続可能な代物では無いと言う視点も持つべきなのである。
 

2077:彼岸所懐

枕元に置いた森信三の本は、久しぶりに読後の味わいが良いので喜んでいる。教育実践を通じて真理を探究したもので、立腰教育という独特の方義を創りだした。西洋哲学や宗教に造詣深く、1日1語という著書もあって、読み続けるとより深く森の深層世界を覗きたくなる。
 この本との出会いは、先日浜松町駅の書店で何気なく手にしたもの、特に森の本を捜していたわけでは無かった。予想していた通り、会議自体に得る所は無く、ただ役目上出席したものだから、折角東京に出たから勿体ないという気持ちから本でも買って帰ろうと思った。
 暫く、森の著した本と向き合おう。
 「真理は現実の中にある」という。真理は別に良い事ばかりではない。今の状況は当に何でも有りの混迷期、人としてこうあるべきという姿が描けない時代となっている。
 これは日本だけの問題では無く、近隣の国々を見れば国の事情が違って様々な展開が見てとれる。最近中国に行かれた方の話を聞いた。
10年前と比べ、近代化が進み、以前は道路に自転車が多かったのに、今は車の大渋滞。中国だけでもこれから先の石油消費量は計り知れまいと言っていた。となれべ、原油価格は今以上に安くはなるまい。それと環境汚染は改善どころかどんどん進んでいる。
 北朝鮮がミサイル発射を事前通告、それに対し日本はどうするか?防衛大臣が撃ち落とす事態も有りと国会答弁、隣国の挑発に右往左往するのもどうかと思うが、森の言う明治人ならどう対処したか?そんな事を本日は彼岸の中日で考えている。
 平成を生きる現代人をどう観るか!人より先に情報を得ることに血眼になって、暇さえあれば携帯と睨めっこ、新機種が次から次に出てくるから、列を作って買い求める暇人も多数いる。何だかしらないが、人間の望みが小さくなったと感じて仕様が無い。逆にこれは満たされた生活の反動ではないのか。ミルクで満腹になった赤子は、泣く事もなく眠りにつく。
 これと一緒とは思いたくは無いが、新しい携帯を得て満足する若者にこの先のこの国を任せることに不安が残る。
 大人達は、相いも変わらず口先ばかりで言った言わないの押し問答、公金を糧にしている身を忘れ、好き嫌いの陣をはる。
 いつもの事なれど、福祉業界や寺にどっぷり浸かっている私には自らを観る物差しが有るのかないのか?大勢に与することで安住の場を得ようとしていないか!
 浅学非才の見識には自らを正当化しようとする力に分が悪く、戦う前から妥協を考える。
 布施・持戒を利他と考え、忍辱・精進を自利という先哲の教えが空論ではなくてどれだけ本気で取り組めるか、これこそが私にとっては最大の課題だと思っている。
 
 

2078:働く容

日本人の働く容が10年前と比べると大分変わってきたように思います。分散化?働きバチとか言われ、遮二無二働く企業戦士の姿は今では大分減ったように思う。その代り、どこかでは誰かがいつも働いているように機械は稼動し繋いでいる。
 春分の日、近くの工場団地は大半が休みでは無かった。景気が上向きに転じたからという訳でもなさそうで、ここ数年、ワークシェアーとか時間短縮などが流行って、国民休日には多くの会社が休んだのに、年明けて徐々にその変化が見えてきた。
 人の働く容が変わったと同時に休日の過ごし方も変わった。特に人の流れは一極に集中、土浦の週末は新しくできた郊外型の大規模店が大混雑、一方土浦駅の嘗て賑わった駅前通りは閑散としている。この流れを止める事は簡単には行かず、閉店〜改装を繰り返す。駅前にある大型店が1年後には撤退を決め、その後、どのように活用するかが話題に上っている。
 多分、一般市民には関心は薄い。私は以前だったら土浦に車を止め電車に乗った。それが常磐線の本数が増え、東京までの時間も短縮、神立に車を置きゆったりと座って本でも読みながら行けるので土浦から電車に乗るメリットが無くなった。
 今では土浦駅周辺は駐車場ばかりになった。だが料金が高い。市営の大型駐車場がいたって便利な所にあるのに、民間の駐車場を圧迫する理由で料金を下げられない。2日間、土浦に車を停めるとホテル代と同じ位かかってしまう。どうもこの辺が消費者ニーズに疎いところ。この体質は歴史の有る街ほど顕著で土地所有者の感覚が麻痺しているからいくら頭を絞っても活性化は夢物語。
 ならば市役所を駅前にもってくるか?その決断ができるか否かお手並み拝見。それから人が集まる大型病院が郊外に移るというダブルパンチ。これは人の流れに大きく影響する。
 商売の基本は、品数豊富で良い物を安く提供すること、どの商売でも人気があって行列ができる店は常に努力を惜しまない。それが出来るか否かで一時の流行ではなく長続きする商売ができるのでしょう。
 今は浮き沈みが激しい。投資分を回収できず店じまいする例など捨てる程あります。
 全国津々浦々に展開するコンビニ業界をみれば直ぐ判ります。業界間の規制が無いから競争が激しく、一時も立ち止まることができずリニューアルを繰り返す。その競争に負けた店は惨め。開店後日が浅いにもかかわらずシャッターを下ろす羽目に。
 地産地消とか薄利多売は、別に珍しくもなんでもない。商売に皆で渡れば怖くないのルールは無い。努力と覚悟それに風を読む能力が最低の必要条件だ。
 真似して成功した例は無く棚からボタモチも有る筈が無い
 前項の森信三の本の中に、こんな話がありました。
 就職を決める時、3社から同時に採用通知を貰った、さてどうしよう?一番安い給料の会社を選べという趣旨だった。
 これをどう読むか!商売の風を読む能力と根っ子の部分では共通するものがあると私はその時感じた。
 

2079:守拙

功を願わず拙を守る・・・・・守拙・・ねえ? 大功は拙なる如し。そして功拙を超えよ!
 これだな。そうそう、賢愚や勝敗に血眼になり、一体何を満たそうとするのでしょう。向上心?否。自己満足?否。
結局、何も掴むことなどできやしない。先哲の教えや実践に学ぶとすれば、一番今必要なことってこれだよね。
 これまたテレビからの聞きかじりで申し訳ないのであるが、民主党の先生達、頗る知識は豊富で議論大好き、時間構わず熱中塾、・・・・・が、選択決断ができない。まさに功拙を競うのは得意だが船頭にはなれぬ。実に嘆かわしい状況だ。
 議員全てがそうだと言ったら言い過ぎか?議会制民主主義を履き違えていませんか!数の原理と言いながら、主義主張に格差なく何をもって政党たりうるか?と問いたい。
 しかし、ひとたび虚心になれば、ああだこうだと言った所で大勢は変わらないことに気付く。この寂寥感たるや如何ともし難し。なれど、人は生きていかねばならない。春の選抜高校野球、石巻工のキャプテンの選手宣誓は実に見事だった。全国の高校野球ファンが固唾を飲み見つめている中で彼は被災地代表として立派に自分の言葉で宣誓した。
 あの惨事から必ず這い上がってくる人達が沢山いることを確信し、国民の多くが心から復興を応援したいと思ったに違いない。
 震災地は、今をどうするかという敏速な決断を突き付けている。功拙を競っている場合では無い。いまこそ本来の守拙に全国民が立ち帰る時、勝敗でなく、選手たちが戦う姿に人は感動し、涙を流す。いま必要な事はこれだ。
 そして、必ずやこの経験を次の世代に引き継ぎ活かすに違いない。こうやって島国の日本はやってきたではないか。世界に誇れる文化を築き、誠実で勤勉な日本人、永久に不戦を誓い、それを立国の旨とした。これこそが初一念であったろう。
 何故、気付きながら実行に移せない。まだまだ詭弁が多過ぎる。
 守拙の本意はどうなのよ?
 不条理に対し手段を選ばず立ち向かう事ですか?そう言いながら、どっちに付くのが得策かと目を配る。
 これ自体が不条理なのに気付かない。今風にいえば、知識はあって智恵がなし。
  ここにきて国会の動きが慌しくなっている。いま政治の停滞は許せないという人達よ、なんで今頃そんな事を言うのですか?今まで短期間に何人のトップの入れ替えをしてきたでしょう。何か問題があれば首の挿げ替えをやってきたでしょう。
 解散を嫌がる人は、国のことより自分の次なる議席が気になるだけ、これが見栄見栄というのも実に困ったものです。
 貴方達はこの国を破産宣告させるつもりですか!私は消費税は思い切って上げるべきだと思っている。そして国民がもっと政治に関心をもつ事だ。景気が低迷するという人達よ、景気絶頂な時に湯水の如く無駄をしたのは誰ですか。その責任さえ誰ひとり取ろうとしなかった。
 消費税を上げても先延ばししても落選する人は落ちますよ。国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ。有権者は良く見ていますって。
 今のままでどうするんですか?何も手を打てず、借金を増やすだけ。
 自らが痛みをという人達へ、貴方自身がそれを率先してやれば良いのに誰ひとりやりゃーしない。何も国庫に返して法に触れることは無いでしょう。どうぞ自らが範を示しなさんな。大功は拙なる如しってこんな事ですか。
 

2080:夢か現か

”夢か現か  寝てか覚めてか・・・” どうも、3月という季節は草木の芽吹きを嗅ぎながら転寝するには実に良い。しかし、今年はイマイチ気温の上昇が遅いようである。
 寝起きの時に、吐く息が白くなっていないから再度蒲団に潜ることもなくなった。
 年度末、今日から休みなく役員会が続く。その大半は当て職だが、それだけに自分が出席しないと不味いようだ。全ての協議内容は次年度の事業計画で、其々の団体の意気込みをみることができる。従来通りの事業を規模縮小して行うというものは、大半が親方日の丸で補助金が無いからと独自の事業はしないもの。これなどは、早く終わってシャンシャンシャーン。
 ここで一言余計な事を言えば冷たい視線が向けられる。大分、この手の会議は減ったと思うが、なにせ良い塩梅に執行部が変わるものだから当人にとって新鮮味を感じている節もある。
 尚恵学園に関すればどうでしょう?マンネリ?それとも言っても実現されない?・・・・・・・・。正直こんなことばっかり自問自答しているものだから、毎晩、夢にまで見る始末。
 昨夜、NHKで地球イチバンという番組でブータンを紹介していた。目から鱗が落ちた思いだと出演者。70万足らずの人口だがそのうちの90%以上が幸福だという。「貧しいけれど欲しいモノは無いし、幸せです」という老婆、家を建てる時に近所の人が総出で手助けをすると言う。政府の責任者がコメント、実に判り易く、ブータンの目指す方向を示した。地域と共に生きること、物質的な幸せって何ですか?と逆質問を受ける始末。確かに良い車を欲しいと思えば、次に出る車の性能がアップしているから今に満足せず次のものが欲しくなる。際限がない。これは先進国とか言われる国が直面している実態である。
 ”共に生きる”という事が今の日本でいかに難しいことか、昔の良き習慣が自分達さえ良ければという価値観に押され、どんどんこの世から消えている。それを再現しようという事はできますか!
 先進国と言う*褒め殺し*に現を抜かしている間に、相手を破滅させてまで自分達の欲望を満足させるという考えに正当性を見出す。
 これは共に生きる事と正反対の実態である。ブータンの人口は日本の約200分の1、だから出来ることとは思いたくはない。だってそうでしょう。たった一回の人生じゃないですか。ブータンの宗教は仏教である。同じ仏教でありながら、日本の現宗教には統一性がない。坊主である私が言うのも変だが、今の既成宗教の関心事は一体どこにあるのでしょう。
 共に生きるという観念(覚悟)には排他性は馴染まない。昔から八百万の宗教が存在すると言われてきた日本がこの先一つの方向性が示せるのであろうか!
 これは日本がブータンに学ぶことと同様に大変難しいだろう。何せ震災で、あれだけの課題を突き付けられたにも関わらず、寝てか覚めてかの無駄な議論に時間を弄している。
 石油の値段が急騰している。イランへの制裁措置や原発事故の煽りを受けてという専門家の解説も聴いていて虚しい。
 円安が進んで、メデアは輸入品の負担増を悪者にしようとする。なんで??どうして? 円高をあれだけ非難しておきながら、円安の流れになれば今度はこうだ。
 むしろ国民の方が冷静である。今の状況から原油価格が下がることは考えられないでしょう。産油国の立場になれば一目瞭然、埋蔵量の見通しから何らかの制限はやりますよ。そしたら値段は下がりません。
 根本的にブータンと違うのは、自然の摂理に反してまで生活の利便性は求めないという事。だから石油値段がどうなろうとあの国には大して影響しない。
 この流れを良く考えてみましょう。日本人の権利意識がどうも一方に偏している。それを取り上げ出来もしない公約を掲げる政治も政治だ。
 このメカニズムは、既に日本人の幸福・安心をはかるには金属疲労状態で、新たな仕組みを作らなければ落ちる所まで落ちるんじゃないだろうか。これが現実だと私は思います。

2081:チャンス

今が大切!と良く言われる。本当にそうかなー?
日本は、世界に数ある敗北のうちでも最も苦しい敗北を経験したが、それは同時に、自己改革のまたとないチャンスにめぐまれたということでもあった。「よい社会」とは何なのか。この途方もない大問題が敗戦直後から問われ始め、この国のすみずみで、男が、、女が、そして子供までが、それを真剣に考えた。それは、かつてないチャンスであった
・・・・・『敗北を抱きしめて』上:ジョン・ダワー「日本の読者へ」から。
 再度、この本を読み始めている。震災後1年が経ち、今の状況を眺めてみると、果たして日本中が復興に向け、一つになっているだろうか?「よい社会」って何だろうと真剣に議論し、自らの責任を果たそうとしているだろうか?
 そんな風に考えていたら、上記の文章に出逢った。私は国会中継はなるべく見るようにしている。昨日は水戸に会議が有り、車の中でラジオを聴いた。午後なかなか国会中継が始まらない。「審議が中断しており、再開まで暫くお待ちください」というアナウス。どうしたの?また審議が与野党で混乱し緊急理事会でもやっているのかと想像した。結局は厚労大臣が予定していた質問時間に間に合わず、来るまで審議を中断していた事が分かった。再開し、直ぐに大声のヤジが飛ぶ、時折、聞こえる笑い声。旅一座の興行でもあるまいし予算委員会が劇場化していると感じた。
 これで、震災の経験を本当にチャンスにして復活・再生ができるのでしょうか?
 戦後、67年が経った日本。この間、今が大切などと悠長な言葉は禁句、家庭に於いては必死になって働く父親を皆が尊敬し、家族は自分の出来ることで手伝った。
 閑話休題・・・・・ちょっと気になったことがある。”モンスターペアレント”という言葉、学校などで自己中心的で理不尽な要求をする親の事。
 学費を納入すれば、資格は当然取れると勘違い、子供の素行や能力など関係無く、一方的に学校や教師を攻め立てる。
 これに対抗する学校側も最近は弱腰ときている。だから余計、要求がエスカレートする。
 この事は、親だけの問題ではない。子供自身が自らを省みず不平不満をぶちまける。全てでは無いだろうが、今の教育現場には、戦前戦後の人としての修身教育が風前の灯と化している。
 何故かと考える。一方に偏した思想教育はどうかと思うが、せめて社会人として最低限守るべきルールは身につけさせなければなるまい。本来は学校では無くて家庭がその役割を果たすべきである。
 何らかの障壁があると避けて通れとい暗示が働く。社会が自分を中心に動いていると錯覚し、その結果、自分の非は認めず社会が悪いとなる。これがモンスターペアレントに共通する言い分である。
 憂うるな!春になれば新芽が顔をだすじゃーないか!草木は何も喋らない。淡々として、今が大切なんて考えもしないだろう。
 全てが全て人間が都合の良いようには有り得ない。
 もう一つ、ついでに気になる事。AIJ投資顧問(株)の運用資産消失問題。中小企業の年金が取り返しのつかない状況になっている。金融に上手い話は付き物で先ず疑ってかかるべきというのが先人の教えであった。
 だってそうでしょう。儲かる話をどうして他人にストレートに薦めますか?今の日本の実態は、そんな奇特な会社などありませんよ。
 ここまで言うか!ウーム。
千載一遇のチャンスと言えば聞こえは良いが、負の連鎖の引き金にも成りかねない。ならばどうする?責任をどう取るかというルールを作る必要はあるわな。先ずはそこでしょう。

2082:許容量

早朝に4大新聞のネット版を覗くことが日課となっています。各社編集の思惑があってトップニュースとなるとそれぞれ異なった内容になるのが常、しかも様々なジャンルのニュースをトップページに掲げるから、紙面で読むのとは全く違ったものになります。
 国外〜国内、社会面〜スポーツ、・・・・・、手短に書かれたタイトル、読む側にとっては、感情が微妙に反応、喜怒哀楽が一瞬にして駆け巡る。
 これは、大変な負担でして、正直、情報の許容限界を直ぐに越えてしまいます。
 嫌ならば止めれば済む事かもしれません。でも、どうでしょうね。世の中には情報が多過ぎます。出しっぱなしで観る側の責任でどのように解するかは任されている訳です。
 日本はそれが尋常で無いように思います。店に並べられる商品の数、半端な数ではありません。各社競って開発した物を庶民の消費意欲をくすぐって買わせようとします。その使い勝手は然程の差は無いのです。
 消費税を10%に上げるか否かで年度末ギリギリの協議に入ったと言われます。上げれば消費が下がるから今上げる時期ではないとの反対意見。これは国内事情ですが、ご存知のように日本だけの問題とだけ取れないわけでしょう。為替の実態は良く判りませんが、円が上がった下がっただけで大騒ぎになる時代です。暫く続いた円高で海外旅行を満喫した連中も多かった。
 今もあるのでしょうが、中古車を海外に輸出する業者、日本では充分乗れる車が下取りに出すとタダ同然です。これって随分勿体ない事ではないでしょうか。私は車にはあまり凝りませんから新車が出ても興味は無い。するとデイラーさんは車検や定期点検とかでうるさい位です。お客さんを一度掴んだら離さない。そこは自由ですから、別に断っても構わない。
 でも人情でしょう?何度も連絡をくれればそっちに頼むかとなりますよ。
 実は教育の現場もそうなっています。幼児から一貫した教育という触れ込みで学生を募集します。
それじゃーお寺はどうなんだい?一時流行した霊園もそう言われるとそうですよ。檀家の獲得には一番確実で寺の経営安定には欠かせなかった。その時代は良かった。だからどこのお寺も競って墓地造成をしたわけです。
 でも、ここにきて風向きに変化の兆し。少子化という社会の事情からでしょうか墓を守る人がいなくなっています。
 それと新たな埋葬法・・・・。
 福祉の世界も変化が激しいのです。特に老人介護分野では、国が特老ホームの建設を制限したもんだから、それに替わる新たな事業が急成長、補助金が無いだけに既成も少ない。事業を始めるにはやり易くなった。そして急成長したのが有料老人ホーム、今では国内に20万ヶ所以上のホームが出来ているとか、入居の際に払うお金も幅が大きくて数百万から数億円という。これで新たなトラブルが発生しています。入居間もなく亡くなってしまった時や満足せず転出したい人がお金の返済を求めた時に発生しています。今度、国がその対応策を作って義務化させるようですが、竹の子のようにドンドン作った業者は大変だ。
 何せ多くの業者は、入居一時金(?)を当てにしていますから。
 上手い話は長続きしません。これ先人の教え。
 世の中が冷え切ってきますと他に目移りなどせず、足元を見よというのが鉄則だと思います。千載一隅のチャンスと考え、成功する人が果たして何人いるでしょうか?
 世の中の許容量はどの時代になっても大して変わりがないという事を肝に銘じておくことですかな。
 

2083:いい加減

良い塩梅とかいい加減という日本語には、相反する意味がありますね。これって何故こんな風になっているのでしょうか?
 英語には両方の意味に用いられる言葉は少ない。
日本人は白黒はっきりということより折衷案を好む傾向があります。これが時と場合によっては曖昧だとか決断がつかないと叱責を受けるのです。
 でも、加減というのは絶対ではない。人それぞれが違った尺度を持つわけですから、国の舵取りを行うリーダーにはむかない。その辺が微妙になるのですね。
 さて、様々な議論がされています。現状の捉え方として、日本はどうも長いデフレのトンネルに入ってしまい出口が見いだせないと。社会の非合理性や閉塞感から抜け出る為には、アウトサイダーの視点が必要だと村上龍は言う。要するに既成の枠組みの中での努力には自ずと限界があって、枠組みの外で独自の方向性を持って行動する人間がいま一番必要とされているというのだ。日本マクドナルドの原田泳幸氏との対談は実に説得力があった。原田氏は座右の銘なるものを持たない。それは彼独特の発想で、グローバル化した社会で生きていくのに欠かす事ができない視点を持ち合せているからであろうか?
 流行語なる産官学連携は、ややもすれば”原子力村”なる得体の知れぬ特権集団を形成するリスクがある。それからイノベーションのジレンマという事が言われ、大企業が新興企業の前に滅びるという現象が起こることが問題にされた。要するに企業側が顧客の別のニーズに応えられず、みずからその努力を怠った結果そうなるという。
 公益法人見直しの議論のなかで社会福祉法人と株式会社が常に比べられている。社会福祉法人は制度や規制で守られ様々な恩恵を受けていることを忘れ、他の競争相手に対し公益性をもっと売りにしていくべきだという。これは身の程を知らないというのか時代遅れの発想で既得権を死守するだけで最早、相手の方が自分達以上に公益性の高いサービスを展開している事に気付かない。否、知っていても認めない。そして奢りや自画自賛、更に常識外の振舞を自粛するどころか目立ちがり屋と成り下がる。その結果、自分達では一向に新たな展開の切り口が見出せない。最後は凭れ合い構造をより強固にしスクラム組んで団体交渉のワンパターン。
 いまこの時期にそんなことで一般の人々に受け入れられるのだろうか!社会福祉法人の病巣は深く、世代交代をする時にそもそも福祉とは何ぞや!というパラダイムを持たないで引き継がれるからどうしようもない。
 だから人材の離散に歯止めがかからず、必死になって応募しても人が集まらない危機的状況に陥る。それもこれも自らに起因する落ち度だとは認めず、ぬるま湯の業界にしがみ付く。
 これは仏教的に言えば理念だけが残ってそれに乖離した実態だけの当に末法の時代、このままで行けば遅かれ早かれ滅び去る運命にあるということだ。
 まだ間に合うと思うか、否、もう手遅れと考えるか、それこそ自分で考えることなのである。
 

2084:良い塩梅

”この湯はちょうど良い塩梅だわな・・・・ウトウト”
 大分、昔の話で九州・由布院の宿の広大な露天風呂、湯けむりが立ちこめその中に浸かっていると煩わしい事など忘れて、このままいつまでも此処にいたいと思った。
 最近、そんな事がプツリと無くなった。18日に尚恵学園の理事会を行ってから、なんとも10数件の理事会に出席、何がなんだかわからずに、好きな事を言って帰ってきては自己嫌悪。この状態は周りにも多分、悪影響を及ぼして気分を悪くされた方も多いのでは?? ならば黙っていれば良いのにね。ウ・・・・・・ウ・・・・・ウ・。性分というのでしょうか、口から先に生まれたとでもいうのでしょうかね。
 一向に変われない。修行が足りぬと先人がしかめっ面で上の方から見ているに違いない。私は幸か不幸かそんな先輩達に恵まれ(?)て今に至った。若い頃、取っ組み合いのケンカをしている所に出くわし、何とも場を弁えない人達だと思った。しかし、それをいつまでも根に持つ関係でない。相手が困った時に一先に駆け付け助け舟を出す。そんな関係は昔流で言えば”同志”だ。
 当時を懐かしむのもどうかと思うのだが、綺麗ごとをいくら列ねても心に響かない。制度の不備を声高に訴えても、今や福祉事業所への一般の目は厳しい。その端的な例が人材問題、日本中いたる所で求人案内が出ている。
 人材を選択するどころか事業所が選択されている。この逆転現象が起こって大分時間が立っている。一向にその事への対策が打てない。事業所が信用を取り戻すには、先ず自らを反省し地道な実践を重ねるしかないだろう。
 産めよ増やせよと流行に乗ったまでは良かったが、結果はどうなりましたか?
 時流を読む!商売で上手くいっているところを見れば直ぐに分かる事、ユニクロ、しまむら等の衣料からHISを筆頭に格安料金の旅行業、更にネット販売に白旗を上げざるを得なくなった書籍販売・・・・等々挙げれば切りが無い。
 これら全てが既成の枠組みから外れた所から生まれた新規参入組ときた。ならば福祉業界はどうなのよ?決して例外ではないはずだ。
 裾野が広く多角的な事業展開をしている大手の事業所、独自の財源で廻しているというよりも、何を隠そう何らかの助成金や制度からのお金を当てにしたものである。需要があるものに我先に群がる状況は、何か異様な感じを持ってしまう。
 事業所の基本理念は、文言こそ違うけれど内容に大差なく、需要があれば自然と廻る時代となった。
 情報の安売りが横行し、言行不一致など意に介さない輩が増え過ぎた。嘆きたいほど情けない。
 言葉巧みにジャンケンポン、いやー参ったな!
  この診立ては偏していますか?天邪鬼でしょうか?
 別に自説に固執はしないけれど、何かが違う。それを言うか言わないかというちょっとした違いなのかも知れないね。
 

2085:格好つけて

どうも胡散臭い奴!腹黒い!言っている事とやっている事が裏腹!
 こういった評判がいくら周りで囁かれていても、当人は全く知らないという場合があるもので、滑稽というかどう調理しても食えない類の話。一方、ダンマリを決め込み、何を言われても尋ねられてもニコニコして相槌を打つだけの人。これもまたどう付き合って良いのか迷います。
 昨日で今年度最後の公式な会合は終了した。相当ストレスが貯まってしまった。どうそれを吐き出したらよいのか判らず、薬局で幾種類かの胃薬を買い求め、日替わりで飲んだ。私の生活習慣病で朝起きて直ぐにコーヒーを飲むからかも知れません。すきっ腹に濃うめのブラック、歳も考えず若い時と同じことをやっているんだもの仕様が無い。
 自分では全く止めようとなど思わない、パリのシャンゼリゼかグリンデルワルトの山小屋で飲んでいる自分の姿を想像しながら。。。。全く どうしようもない人間で、似非ロマンチストだものね。
 4月になれば温かくなるでしょう。一段落したら休みを取りやりたい事があるんです。
 四国遍路、何度計画したことか、去年は1回しか行けなかった。そしたら菅元首相が遍路するというのを聴いてスッカリやる気を失った。なんだい!なんだい!首相を降りたら行脚かい!いい気なもんだよ。・・・。
 何とも腑に落ちない。
 でも、いつか歩こうという思いは持ち続けていました。夜な夜な蛍光タスキをつけ、近所をヲウーキング、すると星がとても綺麗、昔、山で経験した天の川までハッキリと見える程ではないが、つい最近は西空に金星と木星がはっきりと見えます。2〜3日前は二つの星の間に下弦の月が見事に収まった。
 ああ・・・これだわな。いくら胃腸薬を飲んだってスッキリしないが、雲ひとつない夜空に輝くお月さま 貴方様は偉い。一瞬にして私のモヤモヤを吹き払ってくれました。
 月輪観??どこかで聴いたような???やったような??? 弘法大師が何故に室戸の岩窟に籠られたのか?フーム永遠の謎?
 そうです。周りの事にトヤカク言っている暇などありませんよ。コリャーブクシ、ジブンのアシモトを視なさい・・・・・・
 ハイ お大師様。
 いいじゃないの、格好付けて威張っていたって、好きなようにさせておけば。寂しいんだよね。構わんでしょう!腹黒人間だって、大して変わらないもの。彼岸に渡ったっていろんな人間(ホトケ)がウジャウジャいるんだよ。きっとね。
 所詮悩んだ所で、小さきこと、そんな事に目くじらたてるこちらの側が愚か者ってことよ。
 自らの信じる道を進め!そして、疲れたら休めば良い。そして、また歩けば良いんだよ。
  この道は長いけど 歩きながら行こう  石っころだらけでも 歩きながら行こう ♪ ♪・・・・
 まだ、デカちゃんの四十九日が済んでいない。
 

2086:除染判断

土浦市は福島原発より距離にして約170キロ離れています。1年が経過して、様々な憶測が飛び交っています。これは土浦だけの問題では無く、放射能汚染対象地域全てが同じ問題を抱えているのです。
 国は食品の放射線量の基準を厳しくしました。その結果、水産業は深刻な事態になっています。取れた魚で出荷を自主規制しなければならないものとそうでないものを港で選別しているのです。これでは商売にならないと悲鳴が挙がっています。
 自治体は一か所でも基準を超える生産物が出れば、地域全体の出荷自粛の措置をとっています。土浦市は早くからシイタケがダメ、今回タケノコも自粛作物になってしまいました。毎年、知人に送っていた旬のお届ものが出来なくなったわけです。
 それと放射能の量ですが、同じ市町村内であっても大きく違うことが言われています。一般の家庭でさえ雨どいや側溝は結構、数値が高いという。これが実は混乱の元、国は年間被爆量を1ミリシーベルトの基準を示しました。じゃーどれだけの放射能があればその基準を超えるのというと、様々な説があって良く判らない。一般に毎時0.23マイクローシベルトが計算の根拠となっているらしいのですが、自然界から既に受けているものと今回の事故による量、それと屋外に何時間?屋内に??。それが何日?で違うという。
 こんな事を考えていたら訳が分からなくなっちゃいます。
 福島県では、毎時1マイクロシーベルトを超えた公共施設(学校や保育所・公園など)は優先的に除染を実施するという。でも山間地域や湖などは対象外。
 となると土浦はどうなの?市のホームページを開くと市内全域の測定数値や除染実施状況が出ている。
 尚恵学園でも心配する人がいて、何度か土浦市によって線量の測定を実施してきている。
 極端に高い数字は検出されていないが、神立地区の他の測定結果と大差はない。
 良く考えてみれば、当然のこと、個人が自分の家の雨どいのはけ口を除染しても空気は流れています。それに、四六時中雨どいの前にいません。厄介なのは放射能は目に見えません。
 じゃーどうする!これが数年で収まる話ならば我慢はできますが、いつになれば平常数値にもどるのか?
 170キロも離れた土浦でこの騒ぎ、原発30キロ圏内の人達の事を思うと言葉がない。マスコミは住民に安心を与えるような報道はしない。聞けば聞くほど不安になる。そして専門家がさも自信なさそうにコメントする。これが1年を経過した被災地の実態です。どうしてくれますか?
 責任とってよね。それがどうです。東電よ。奢るのはいい加減にしてくれよ。17%も電力料金を上げる?契約が切れたら、その分を払っていただく。もし拒否すれば配電を停めるって?企業体質は全く変わっていませんね。(*中部電力は原発を稼働しなくても供給できると新聞発表しました。どこが違うの?東電さん)多分、上層部の危機管理能力の違いかもしれません。日本のトップリーダーのモラルはどうした!AIJ証券の社長しかり、彼らは自らの責任をどうにかして逃れようとする。問題が出て今まで繰り返されてきた見えない部分が見えてきた。呆れて開いた口が閉まらない。
 企業の社会貢献とか法令遵守が自棄に騒がれる世の中になった。それをトップ自らが率先垂範せず逆に足を引っ張っていませんか。
 巷では弱者ビジネスとか言う新手の商売が出てきてる。産官学、全てが全てそうとは言わないが、上の者の罪を下っ端に擦り付けるような状況は、既に組織が末期症状に陥ったという証拠。
 これに特効薬はない。何ができる?責任を取って執行部を全て取り替える! この決断ができるか否か。
 これってそんなに非現実的なことなのでしょうか。

2087:融通無碍

一つの事に拘らず、どんな事態になってもとどこおることなく対応できることを”融通無碍”って言うんだよ。そうかね、それって良い事なの?     判らん。
 だってそうでしょう。”融通無碍”の”碍”(げ)という字は、「さまたげる」とか「さしつかえる」っていう意味ですよ。この世の中にあるものは殆どそんな物ばっかりですよ。だから”無”という字を付けた。
 その意味を自由自在とか臨機応変とかプラスの解釈もあるけれど、逆に自分勝手とかご都合主義とかいうマイナスにも使われる。松下幸之助さんが融通無碍を「素直な心」と言った意味は、勿論良い意味でしょうね。
日本語って実に難しい。信をなす政治家が少なくなったと言ったり、あれは頑固で自分の考えを簡単に曲げない政治家だからダメだと言う。斯様に評価が分かれます。
 年度末、消費税の増税を閣議決定するか否かで俄かに騒がしくなった。この意地っ張りが!どっちもどっちだよな。私は今までの動きを見てきて、”素直な心”ではどうしても見られません。何か水面下で駆け引きをあれこれやっているはずで、本当に国民の思いが入っているのかどうか正直判らない。これが国民の大半のご意見でしょうよ。そんな事、そっちのけって感じかな。 震災の復興をどうするのよ。さー解散だって言うのもどうかと思う。解散して選挙ですか?そんな余裕あるんでしょうか?東電をどうするかだって決められない。何ですか、1兆8千億円もの大金を国から支援を受けるとか。
 そんな金どこにあるのよ。やるんなら、当然国が管理すべきでしょう。そう私は思いますよ。
優秀な人材を活用する絶好の機会だ。
いずれにしたって問題の先送りをしてきた永田町の責任です。
 一般には何か不都合が起こると民間ならば即執行部が責任を取り辞任しますよね。会社を辞めるしか無いんですよ。永田町の執行部って誰なんですか?私は、各政党の幹事長や総理はじめ大臣のお歴々だと思うな。20年間でどのくらいいますかね。皆さん誰ひとりとして辞めんでしょう。これって可笑しいよね。自分が出来なかったことは棚上げし、外野からヤジ飛ばす連中が多過ぎるよ。下剋上よりもっと酷い。
 本当なら免許停止の処分を受ける人って随分いるでしょう。
 でもな・・・この国は変だよね。それでも選挙で当選しちゃうんでしょう。比例とかなんとか訳のわからない選挙制度になっていてこれまた水面下の談合で順位決めるんでしょう、結局、これって選挙民の責任ということでしょうかね。
 仕様が無いと我慢しますか?今までみたいにね。 それじゃー不味くないですか。子供たちを思えば答えは決まってますよ。
さてと対機説法・応病与薬という教えがあります。
 これができれば宗教などこの世には生まれてこなかったかもしれません。歴史を見れば一目瞭然、いつの世にも”不”とか”無”という言葉が存在し続けてきたわけで、今が元から有った訳ではない。様々な縁に因って今があり、そして常に変化し続けているのです。
 諦観など到底できませんが、自らの言葉と行いで探り続ける努力は、生を受けた以上、やるべきではないだろうか!
 こんな事を言えば無視されるとか虐めららると考える輩が増えてしまったように思う。自らの考えをハッキリ言える訓練が教育現場に薄れたことも事実、権利と義務を考えてみただけで大分バランスが崩れている事が分かります。
 放射能測定機をネットで買いました。先ず自分達で出来ることから始めます。

2088:変わり目

年度切り変えで去る者来る者と入れ変わり。尚恵学園も去る者はゼロで来る者は6名、都合で1カ月遅れになる方もいて新採用者へのオリエンテーションを2日に行うことになっている。
 早く慣れてもらえれば良いと思うのだが。昨夜は水戸で送別会を兼ねた小宴があって電車で向かう。2時間程で私は切り上げ帰ってきたのでしたが、どういうわけか電車を乗り越してしまい、車掌さんに起こされて1駅先で降りることになった。ガラスに映る自分の姿をみて、しばし立ち止まる。誰だ・・?なんとまー不格好な姿、年を感じました。
『・・・たそがれにほのぼの見つる花の夕顔』の黄昏では無くて「人生の黄昏」を見た思い。
 あれで上野まで気付かずに寝過ごしていたら、わたしゃー全て引退しますよ。もうダメ駄目。
 と言っても密かに計画中のことがある。誰にも言わない。言いませんよ。これ位にしておこう。
 放射線量測定期を購入、日本製ではなくロシア製の「SOEKS」というメーカーのもの。操作は簡単ですが正確に測れるのかどうかは知らない。市役所の調査で少し数値が高い場所があるので自分で除染をしようかと考えた。その目安にしようと買ってみたわけ。あまり神経質になってもと思っているが、この際だから整理整頓の絶好の機会と考えた。普段やらんからね。
 福島近県の観光地、特に温泉街は客足が戻らないという。平年の5割ならまだ良いほうだ。これではホテルも廃業するところも増えるだろう。
 昔、鬼怒川や那須塩原の温泉街には大型ホテルがあった。数千人が泊れるというから凄い。それが軒並み経営不振、今時、大広間で大宴会は流行らない。部屋も個室希望、4人部屋など若者は見向きもしない。
 何が良いのか判らない。世の中全てが転換期にきているようだ。
  
 23年度が本日で終了。平成を迎えた年は38歳だった。若かったー。ガムシャラに走った。振り返るなどしなかったね。
 失敗も多くした。それが逆に意欲を駆り立てることに。
 それが随分、慎重になったもんだわな。頭デッカチ?御調子者?なんと言われたって屁の河童。
 だけどよ、このまま老境に入るつもりは毛頭ないんだからね。
 つまらぬ事で腹立てるのはよそう。怒るエネルギーがあるんなら再生可能なものに使うんだ。
 

2089:心機一転

ここ数年は、様子伺いの期間でした。本来私の性分では、攻めの姿勢が合っていると思っている。深謀遠慮というまではいかないが、じっと待つタイプではない。周囲に迷惑をかけたくは無い。これは一貫しています。となれば自ずと進む道は見えてくる。
 そこで心機一転、ギアチェンジといきたい。世の中が、なんというか重ぐるしく閉塞感が漲っている。これを打破するのは並大抵の事ではないだろう。実はここで止まっていたのではないでしょうか。
 昨日は春の嵐と思われる暴風雨で、裏山の杉が折れんばかりに大きく揺れていた。昨年、樹齢100年以上の木を数本切った。勿体ない感じもあったが、中間にキズが入っていて、折れたら大変というアドヴァイスをしてくれる人がいて、専門家に切ってもらう。
 もともと境内にあった杉山には、いつの頃からか知らないが竹が侵入し、風吹くと竹で杉をこすり、何本かにキズが入って腐りはじめた。
 時々、下に停めた車に枝が落ち、キズを付けた。
多分、昔の人達は風よけと自前の建築用材として大事に杉を育てたものだろう。しかし、大きくその辺の事情は変わった。今時、自分の山から用材を切り出し、乾燥・製材し利用しようとする人などいない。
 松は松食い虫にやられ、殆ど枯れてしまった。
 山林は自然環境の保持には多大な貢献をしている。保水力もあって、災害を防ぐ。そこに様々な植生を今もみることができるし、騒音と汚染には無縁な世界だ。
 人工的な都市がドンドンできた時代ではなくなり、これからはその自然との共生が条件となる街づくり。ここに日本人の知恵が再び活かされるか!
 自然との共生は、際限無い利便性の追求や必要以上の開発を進めようとすれば警鐘が鳴る。今まではそれに注意を払わず、無視してきた。 その綻びが至る所に出てきている。自然を甘くみてはいけないし、むしろ教えを受けるべきなのだ。
 日本の福祉を考えた時に、人間が考えた制度や仕組みで万全なものはない。少子高齢化を掲げ、それへの対応に弁舌を振るった人達よ!彼らが一体何をしたでしょう?様々な検討の機会が用意され、膨大な資料を持たされて、将来の備えを審議する。言うは易い。それをどう実践し形にしていくかが大切だ。そこまでのチェックは何故か為されない。
 こんなことをずっと繰り返して、何か素晴らしい展望が開けるのでしょうか。恐れずに言えば制度は日本独特のものではない。見本となる外国の制度を模倣するのが関の山、だから確信が持てず、取りあえずというものが多過ぎます。
 確たる信念と覚悟がなければ、画塀に帰すことになりませんか。
 補助金や新手の事業に群がって、我先に獲物に有りつこうとする輩を嫌という程見てきました。これで本当の日本の福祉ができるのでしょうか。
 中国の秦の時代のことわざに『移木の信』というものがあります。これは約束をまちがいなく実行することです。
 今の日本の状況は何故こうなったのかという検証は後廻し、現状はより深刻な事態となっています。
 その意味で”心機一転”、これは日本人誰しもに言えることではないでしょうか!

2090:確信

夢に夢を見る。これはきわめてはかない事を言う。先行きが読めず、希望すら持てずこのまま奈落の底に落ちて良いものでしょうか?
 なにか確信の持てることはないのでしょうか!混迷する社会情勢、すると不思議なもので今まで息を潜めてジッとしていた忍の人が愈愈自分の出番到来とばかりに色めき立つ。いま英国の元首相サッチャー女史の映画が全国放映されている。
 ドイツのメルケル、タイのインラック、ミャンマーのスーチー・・・と外国では世の男性を凌ぐ女性のトップリーダーが出てきた。
 日本は過去に女性の首相を出した経験がない。男尊女卑の社会かといえば、実態はその逆、三下半も妻から夫に出される時代となった。ならば女性の党首が出ても良さそうなもの。
 社会保障と税の改革には、女性の視点が不可欠です。北欧の福祉制度が何故きめ細かな仕組みになっているかを考えれば判ります。家庭を守る主婦の意見が多く取り入れられているからです。今の日本社会において専業主婦は大きく減少しました。共働き世帯が多くなった。これは家事全般が機械化され、多くの時間を要しなくなったからでもある。
 いま増税の是非が問われている。基本的には増税仕方なしと大半の国民が感じている。しかし、そこに条件を付すか否か。
 やるべき事をやってからという主張とデフレ期に増税は火に油を注ぐことだと反対する人達。しかし、それだって確信があって主張しているとも思えない。いつの世も離合集散を繰り返し、考え方よりも数を重んじる政治体質は変わらない。
 政治に関心を持てば直ぐに分かることだが、今の政治家で考え方がハッキリと違う人はあまり多く見当たらない。だからくっ付いたり離れたりするのです。
 先の女史お歴々は、明確な信条を持つ。それが彼女たちの強みでもある。一方日本はマニフェスト、アジェンダ、公約等・・・・・言葉は何でも構わないが、確たる信条が見えてこない。ここに政治昏迷の元凶があると私は思う。
 否、無理してオリジナルを出さなくても良いのかしれない。成熟社会とは思わないが、世界でも有数な平和国家、単民族で単一言語、インフラの整備も一応整い、利便性は過度なまでに進んだ社会。その実態を良しとするか否か。賛否を問うまでもなく、日本人の多くがそれを望んで誠実勤勉努力した。
 ある到達点に立って周りを見廻して、国が膨大な借金を抱え、地方も同様に財政破綻という現実に気がついた。
 誰がみても可笑しな状況が長い期間繰り返えされていたのだが、見て見ぬ振りをしてきたのです。これは結局国民一人一人の責任でしょう。
  政治家に失望する前に自分達の見る眼が無かったという事です。それと政治家を育ててこなかったツケが今、日本中に蔓延してしまった。これを変えるには相当な時間と労力が必要です。根比べとなります。
 いつの間にか、今さえ良ければという考えが主流となった。最近、梅原猛が何かの番組で語った『永劫回帰』は、生きる事に確信が持てなくなった今の社会にこそ、問われるべき生の絶対肯定であると私は思う。