NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 |
1951 | 大阪改革 | 11/5 | 1956 | TPPの是非 | 11/11 | 1961 | 有言実行 | 11/17 | 1966 | 糸口 | 11/22 |
1952 | 成功体験 | 11/6 | 1957 | 都会の片隅 | 11/13 | 1962 | ここに幸あり | 11/18 | 1967 | 人間味 | 11/23 |
1953 | 七変化 | 11/7 | 1958 | 紫衣 | 11/14 | 1963 | 走れ! | 11/19 | 1968 | 裏と表 | 11/24 |
1954 | 歳相応 | 11/9 | 1959 | 身近な花 | 11/15 | 1964 | 新しきを知る | 11/20 | 1969 | くじけないで | 11/25 |
1955 | 上野ハチ公 | 11/10 | 1960 | ルール違反 | 11/16 | 1965 | 古きをたずね | 11/21 | 1970 | 信じて・・ | 11/28 |
1951:大阪改革
地方首長の改選期で2極化の傾向が顕著になったように感じています。昔ならば政党色を表に出し公約で争った選挙、最近はマニフェストに幻滅を感じた有権者は、利巧になり、一歩引いて見ている。どう2極化したかは、一方の代表は大阪、その対極は無投票選挙ではあるまいか。後者は首長にたつ魅力を感じないのか、もはや諦めムードが蔓延し、選挙に金をかけても無駄だという冷めた現実主義。 ドラマ化され大阪は冬の陣よろしく風雲急を告げ、候補者が乱立か?、でも蓋を開ければ結局は現職との一騎打ちに収まりそう、橋下知事が大阪市長選挙に鞍替えし、大阪都構想を突き進む。 少し前までは名古屋の河村市長が議会で大暴れ?、マスコミも追い回し取り上げてきたが、ここにきてお株を大阪に取られ、すっかり音無しの構えに変わった。 果たして橋下さんが立ちあげた維新の会の目論見がうまく行くかどうか?東京の石原知事も心穏やかならず。橋下さんは”やんちゃ坊主”のイメージ、一方の石原さんは”横綱相撲”、この評価もどうかと思うが、今回東北の瓦礫を東京が受け入れた判断は評価する。他県のトップが初めて動いた、これが先例となって日本全国で同じ動きが出てくるか否か? 沖縄の米軍基地移転の問題も同根で、なんやかんや理由を付けて基地提供の協力表明する県は無い。 どうも臭いモノには蓋をしろ!的な動きが自棄に目立つ世の中だ。 これで国が上手く進むのであれば敢えて騒ぎ立てることは無いのだが、貧乏くじを引いてしまった県は堪ったもんじゃあるまい。 政治家に任せることができないなら、国民一人一人がこの国の容をどうしたいのか考えろと力説する評論家が出る事態。これもどうも説得力に欠けると思った。3権分立の立法府の役割ってなんだっけ? 現実問題として大阪府民一人一人が今回の選挙で何を根拠に選ぶか、財政が逼迫し、経済の落ち込みが酷いから、市を無くして1本化すれば無駄の削減や縄張り争いが改善できるとの主張にかけるのか? 多分、無関心層は”やらしてみればエエヤロ”と橋下さんに表が流れる・・・・かもしれない。でもな!タレント首長がコロコロ変わるのでは困ったもんだ。あの宮崎はどうなった?これまたパタリと画面から消えた。 日本を『課題先進国』と評するらしい。高齢化率と借金の多さは断トツ、私の野次馬根性は今、ギリシャの動きに強い関心がある。外からの支援条件を飲むかどうか国民投票で決すると言った首相が議会から不信任されるか否か。 国債を頼りに国を動かすリスクは、いずれの国も同じだろう。その借金の棒引きを頼んで、自分達はのうのうとしているわけには行くまい。日本はもしかしたら国民に負担を被せ、だれも責任を取らないという事になるかもしれない。 そうなってから騒いでも後の祭り。打つ手が無いと考える人も相当数いる。 織田信長や豊臣秀吉、そして徳川家康という歴史を動かしたこの国を代表する傑物は、自ら決意をもって改革の道を歩んだ。 |
1952:成功体験
いま日本に一番必要なものは成功体験ではないだろうか? 今朝の4大新聞(ネット版)でトップニュースにあげていたのが、スイスのバーゼルで開催されたテニス個人戦で錦織が世界第1位のジェコビッチ(セルビア)を破り決勝戦に進んだことだった。なでしこジャパンが女子ワールドカップで優勝した時もそうだった。素直にその勝利を喜べる。日本人が気づかなかった事、それは成功への偏見だ。ライブドアーやコムスンを立ち上げ一躍寵児と持て囃された者達の末路、政治の世界も似たりよったり、大物と称される人物の影の部分、表に出にくい金の動きが政治不信に拍車をかけた事は否定できまい。なんと申し開きしようが、その責任を取り辞するべきなのだ。 テニスやサッカーはスポーツの話、明確なルールの上での結果。普段の努力を皆が知っているから疑いなしに賞讃できる。 敗戦後の廃墟からここまで発展した日本は評価に値する。だが、これは一部の人間だけの努力で為し得たことではないはずだ。ならば、それを社会で支える国の容ができて当然だと思う。そこが曖昧になり、右往左往しているのが実態だ。 果たして今までの価値観で自国内は勿論、外国と上手く付き合っていけるのか。全国民が”NO"と知っている。 昨日、イタリア国債が急落したというニュースが入ってきた。ギリシャだけではなく、ユーロ圏の先行きは不安定極まりない。イタリアは、ドイツ・フランスに次ぐユーロ圏の3番目の財政規模を有している。ポルトガルやスペインも程度の差こそあれ、同様の問題を抱えている。ユーロ導入が拙速だったのか、英国やスイスは加盟しなかった。 しかし、日本はギリシャどころの話では無い。国の借金は1024兆円に膨らむという。ユーロ安やドル安に目くらましにあっている間に、危機的状況はさらに増幅している。 いま改革への大きな障壁になっていることに目を逸らすな! 危機的状況は、借金の数字だけが毎年加算され、それに何も感じなくなった事、この期に及んでも誰かがやってくれるだろうというムードが蔓延していることだ。 日本の3大バンクへの自己資本比率を厳しくするという動き、G20で野田さんが発言した消費税の真偽はどうだったのか?思いつき発言と揶揄される歴代の総理演説、本気になって財政再建に向かうという覚悟が他国首脳に伝えることができただろうか? いま、日本を吹く風は確実に変わった。どう変わっただろう? それは政治に不満を言い続ける国民一人一人に責任が向けられた事、その政治家を選んだ国民が悪いという。私は戦後に登場した数少ないトップリーダーの中で石田禮助や土光敏夫に親しみを覚える。疎にして野だが碑にあらず、あるいは自らは清貧に徹し改革の先頭に立った。その言葉に偽りを感じない。 いまそれだけの人物がいない。先が見えている。 日本の行く先を真から憂い、いまやるべきことを只管実行してくれる人間の登場をいくら待っていても駄目だ・・・・・・。 何一つ改革が出来ず、その言い訳ばかりを聞かされてきた。 ならばどうすれば良いのでしょうね。はっきりNOと言える人間に変わるべきだ。 有権者として先ず自らを律し、既得権益を死守しようとする場から遠ざかること。それと機会をみて自らの考えをハッキリ自分の言葉で言う事。ご隠居様ではなく、前線に身を置き、討ち死に覚悟で、それが出来ないと感じた時、全てから身を引くべきだと私は思う。 目先の利権を得たことに糠喜びしているなど愚の骨頂と考えれば、次の世代に何を残すかが自ずと見えてくるはず。 |
1953:七変化
ケアーホームに移って丁度一週間が過ぎた。その後四人がどうなったか気になる。代わる代わる職員が泊ってくれてはいるが、長いこと寮で集団生活してきた方達だから戸惑いが無いと言えば嘘になる。最初は期待と不安で緊張していた、そろそろ疲れが出始める頃だろう。 風の便りで自室で寝ないで職員の部屋で寝始めたとかいうSさん、本人に心の中を確かめるのは遠慮している。 いずれ彼女自ら何らかの行動で示してくれるだろうから、それまで待つと決めた。 法人の役員会を開催、その時に担当から”なでしこ”(ケアーホーム)開設までの経緯を報告させた。家族会の代表のHさんから、『いまの流れは地域で生活していくことのようだし、出来れば今回のCHが成功してくれればありがたい。今後、またそのようなホームが必ず必要になると思う』という意見があった。 反省として、今まで自分がアイデアを出し、それを強引に実行してきたという事がある。結局、お互いに中途半端で責任を持ってやり抜くということに達しない。時間はかかる。手続きが面倒だ。しかし、それでは一向に満足するものが出来ない。これでもかこれでもかと焦るばかり。”創意・工夫・責任・真心”を毎年法人の努力目標に掲げても、その言葉に魂が入らない。今回のホームは法人として八番目のケアーホームとなる。従来のホームは元の通勤寮の人達が利用してきたもので、本体の家族会にとって身近に感じていなかった。 僅かな人数だが勤務先の社宅やアパートに移る人もでてきた。これは全て本人の意志による。我々の55年の歩みは長いのか短いのか分からないが、子供から大人、日中活動から就職という流れから築かれたものだった。その変遷を経て新たな課題に直面している。高齢化と本体施設の改築である。私の頭にはそれをどうにか一体化して解決できないかという思いがある。 ここ数年、就職希望者は徐々に増えている。採用にあたり、私は面接を行う。これまた自分の反省として、私はどうしても一方的に話してしまう。次から次に言いたい事が出てきてしまう。 就職後じっくり話す機会が有るとは思うのだが、以前に行っていた年度末の理事長面接も今は止めている。人数が増えたという言い訳でサボっているというのが正直なところ。 人生の5計というものがある。 世の中には仕事とプライベートを上手く分けている人間がいる。そういう人を見ると羨ましい。自分には出来ない。 寺に生まれた人間でなければ判らない。寺に住む事が仕事。小さい頃より周りから特別の眼でみられてきた。実際は私の思いこみかも知れない。贔屓目にみて「お寺を継ぐ後取り」というレッテルが貼られ、それに大いに反発を感じた。結局は住職におさまって、2ケ寺を受け持ってはいるが、今に見ていろという気持ちは捨てきれない。 今に何を見ていろ!というのか???? これは言ってしまってはお終いさ。大切にしまっておく私の宝だ。 霜月に入り、除夜の鐘の事が気になりだした。次は新年を迎えての初地蔵ゴマとお決まりの行事が待っている、1年が凄い早さで過ぎていく。 先の人生の5計(*)にちょっとだけ触れよう。最後は”死計”だという。如何に自分が死を迎えるかという心の準備、なんと縁起でもないと言われるのが落ちかもしれない。しかし、人間は生まれ出た日から確実に死亡率が高まり続けている。 人生七変化、その殆どが実は自分が望んでそうなったものではないかもしれません。そのことを不満に思って生き続けるよりも、少しでも納得できて年齢を重ねることの方が悔いは残らないそうですよ。 *朱新仲が説いたもので@生計A身計B家計C老計そしてD死計、計とはプランニング(計画)の意味。 |
1954:歳相応
「113:68 あれ!血圧は良いですね」朝7時半からの健康診断、2番目だったのでスムーズに検査が進んだ。体重と身長1年前と殆ど変化なし。goodだ。ずっとこの病院で健診を受けているから前からのデーターが揃っている。聴力、今回右の耳が高音域が聞こえないことが判明、「年だからね・・・仕方有りませんね」次に視力、「あれ あれ これ右か左か?」待合室で本を読んでいたもんだから眼が霞む。あてずっぽうで「右」「・・・・駄目」「うじゃー 下」「うーっむ もう一回」・・・・小休止してから、再チャレンジ。すると正解率がアップ。1.0と1.2 「年齢の割には立派ですこと」 何か一言が自棄に気に障る。 次は鼻からの内視鏡胃カメラときた、2回目だから大体判っているのだが、鼻から妙な味の薬をいれられ少々辛かった。結果は多分大丈夫でしょうという。今度は”多分”という言葉が気に障る。 まっ、何が起こってもおかしくは無い年齢だ。そう諦める。 検査の最後はドクターの診断、結果を見ながら、「あちこちの関節が痛むそうですが、どんな具合なんでしょう?」「あっそれは、運動をやった後など痛むんですよ」すると「そうでしょう・・・あまり無理な運動をしないほうが良いですな!歳相応の運動をしないと大変なことになりますから」・・・・・・・・・。最後の最後まで一言が気に障る1日となった。 健康は自己責任である。体調への気配りと生活習慣が重要です。ハイよ。 土光敏夫氏の本を読んでいる。清貧リーダーの代表格、IHI〜東芝〜第2臨調と其々のトップとして80歳を超えてからも現役で活躍した。 事業仕分け?行政改革? 言いっぱなし。やりっぱなし。マスコミ受けは得意だが、行動が伴わない人達よ。 いま土光氏がいればどう言っただろうか?決断力と先見性を備え、常に現場を大切に、思いやりを大切にしてきた経営者。 氏の給与の殆どを母・登美が創設した橘学苑(私学女子教育)に支援してきた。彼こそ大義を率先垂範した人である。 現代の経営者が小ぶりになったのは、自らの利にばかり関心が強くなったからか?事業に成功し、財を築くことは決して非難されることではない。しかし、その利益をどのように使うかが問題だと私は思う。 またもや新しいニュースが飛び込んできた。光学機のトップメーカーのオリンパスが粉飾決算?(飛ばし)M&Aに投資した2200億円も巨額だが、それを仲介した業者へ600億円を越す仲介料を払ったとか、誰もが疑った世界に誇るオリンパスの経営実態・・・何故? 徐々に解明されるだろうが、結局は対面を気にするばかりに嘘で塗り固めた結果だ。 敢えて誰とは言わなくても万人周知の事、ここ数年、おぼっちゃま達の常軌を逸した振る舞いが目にあまる。 企業の社会的責任は当然、経営トップの責任も入るんだ。お父様が教えなかったのかなー! 昨日から国会審議が始まっている。TPPや消費税、社会保障費と年金、それに普天間基地の移設問題。果たして今の政府にこの山積する難題を切り抜けるだけの力量があるだろうか?己の痛みは先送りしていながら、できもしない数字だけは広言して憚らず。 福祉の業界も変わらねばなるまい。補助金に群れる姿は決して誉められたものではない。ならば、アンタ達は補助金が無ければやらないのか?もらえるものは貰って・・・・そんな輩が増え過ぎた。 少なくとも50年前の先人たちは、そんな事は無かった。 熱意は有ったし共助の絆は今の比較にならない。それは確信している。 相手の懐具合ばかりに関心が向き、公平性を唱えながら差別している。 ああ・・・・世も末だ。しゃーないな。本当にガンバらないと。歳相応・・・って失礼なこと言うな! |
1955:上野ハチ公
”上野のハチ公前で3時に会いましょう””了解” 上野公園はもの凄い人で混雑していた。団体さんが目立ち、動物園口から途切れずに流れてくる。嘗ての賑わいをみせている。手に手に持つ紙袋にはパンダという文字が印刷、そうだ、パンダ人気で混んでいる。人の流れとは逆に私はハチ公(?)に向かった。 その時になって気がついた。”ハチ公????西郷さんがつれている犬の名前??”確かに上野で前に待ち合わせした所は西郷さんの銅像前、お互いにそれで通じてはいるが、今回は別の人も仲間に加わり、私がその方に同じ説明をしていた。 もしかしたら・・・・・・。でもその心配も徒労に終わった。4名が西郷さんの銅像前で落ち合えた。 ”ハチ公は渋谷ですよね””・・・・・・・” その辺が可笑しな事になっているがこれ以上詮索はしない。 東京文化会館に洒落た喫茶コーナーがある。少し肌寒い感じだったが話題は尽きなかった。わざわざマレーシアからご夫妻で来られ、本日会う事になった次第。様々な話が出る。ご夫妻は現在、電気のない土地に障害者施設を作りそこで生活している。日本語で言えば『長屋』、英語ではLONG HOUSE,現地語では? 3日前に日本に着き、夜の東京の明るさに違和感を覚えたという。日本は節電中では無いのか?結局いつも同じ内容になるのだけれど、日本はモノでは豊かになったが・・・・・・・。現代はどこにいても情報は得られる。いま日本で何が起こっているのかなど我々以上に良く知っている。 今時、電気が無い所で生活できるのか?自然豊かで快適だという。それにもう一方は同じ茨城で無認可で障害者を受け入れもう30年以上になる方。現在16名の方と一緒に生活、衣食住の面倒を年中無休で行っている。子供たちから”お姉さん”と呼ばれて本人大満足、良く知っている方だから遠慮なしにものが言える。寮にはテレビが一台、エアコンは無いという。それで16名が共同生活。なんと毎月の光熱水費が全体で2万5千円、井戸水利用で寒ければ綿入れを着る。それでいて風邪で寝込んだ事は無いと言う。 この日本にだっているんだ!私が『最先端』の生活ですね。不況に強いわな・・・・・。と言ったら一笑されて無視された。 震災が起こらなかったら、茨域であるイベントを開催することになっていた。それができなくなり、来年どうするか?という話をするために集まった。結局、茨城版の企画で良いと言う話になり、引き受けた。 帰りの電車の中でいろいろ考えた。障害福祉を声高に訴えても関係者だけで一般に浸透しない。今回の震災は地震・津波・放射能汚染という三つの被害が同時に起こった。様々な制度改正議論もストップせざるを得ない事態になった。 復興を妨げている障害、よく考えれば今議論されている医療モデルから社会モデルへの変更の動きとダブる。 茨城県は東海村に日本で最初に原子力発電所ができた県である。今回、東海第二原発が寸での所で大事故に成らなかった。フクシマの人達の事を思うと言葉に注意しないとならないが、東海原発が同じメルトダウン事故になっていたら、多分大都市東京も大混乱になっていたはず。その事はマスコミも取り上げない。現在停止中の原発を含め54基が日本には存在する。 『清貧と復興』土光敏夫100の言葉:出町譲著:文芸春秋を読み終えた。 P165・・・83.このままでは日本は破産してしまう。・・・・・ここに書かれた文章は当に土光が第2臨調の会長として今から30年前の日本の逼迫した財政状況を見事に述べている。 国債と地方債を併せ120兆円、国民一人約100万円の借金がある。3人家族ならば300万、当時でも欧米に例がない。 P192・・・92.改革は政府任せでなく、国民運動を・・・・政治家も官僚も行革など本気に遣る気がない。任せっぱなしでは駄目だ。国民の力でやらなくては。。。云々と語っている。 今、日本の国債発行は1000兆円を超えようとしている。今国会で承認されれば国民一人当たり800万円の借金が現実化する。3人家族では2400万円、今回の震災で2重債務問題が検討さてれいるが、それに上乗せされる国としての借金だ。 この数字をどう考えるか?日本人が悪夢から覚めないのは、世界有数の経済大国という夢だ。ギリシャやイタリアより深刻な状況に誰かがやってくれるという人任せ。 国内資産が1400兆円あるからヨーロッパとは違うという説明、これほど無責任な話しはないだろう。他人のフンドシで相撲を取るわけだ。しかし、実態はオリンパスの問題が明らかになったように、純国産の企業はない。外資がかなりの割合で入っていることを無視できない。 これをどうすれば良いのか国民も政府も分からない。これが深刻なのですよ、我慢強い日本人という評価の逆は無責任な日本人ということだ。原発問題は、将来への不安だ。今を生きる人間がモノ余りの豊かさを是認する中で、絶対に解消できない負の遺産を積み上げている。その意味から”清貧”という言葉と同根の”知足”を自ら行動で今こそ示すべきである。 景気回復が万能薬というプロパガンダ、それで一人一人が幸福になるという論拠は無い。矛盾と限界!
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1956:TPPの是非
総理の記者会見を待っていたマスコミは会見延長という肩すかしを食わされた。TPPへの参加の是非、慎重派と反対派に分かれ活発な(?)動きが出ている。しかし、大部分の国民には、その判断をする充分な情報が無い。否、どうでも良いよという無関心層が多いのではないか。 参加表明が拙速すぎるという慎重派、明らかに農協や医師会の政治的圧力がある。賛成派は経団連が代表格の企業が多い。この2極化は果たして政党再編にまでなるだろうか?これまた、NOだろう。 国益か国民益かという視点に立てば、良く分かる。要は、如何に主体的な行動を自らの責任で出来るかということだ。 日本の真価が問われる。支援者があってこそ議席を得る議員は本来弱い立場である。責任と義務という視点から日本国民を眺めると、トヤカク言う権利は無いと私は思うのだ。投票もせず、何か都合が悪くなれば不平を言う。国政から地方選挙、総じて投票率は低い。先進国であって後進国の所以がここにある。 自民党は早期解散を訴える。本当に勝算があってのことなのだろうか?貴方たちの長期政権によって出来あがった利権癒着の構造と非効率性、至る所にあるでしょう。 国会審議を見ていて政府を追及するオン党の自己矛盾、それを感じませんか? 貴方達は有権者に目を覚まして貰いたくは無いのではないかとさえ思ってしまう。改革と称しながら実体は表面的なもの、この国を一体どうしたいのかという党内の一致はできない。できないはずだ支援者が複雑に交錯しているから。 これこそが明らかに国益ではなく、保身を最優先している証である。本来、そのような人間が議席を得る資格は無いのである。 翻って議席を与えている有権者の責任だ。 そのルールがどこかに行ってしまった。 私達が長年かかわってきた知的に障害のある人達は、残念だが上手く自分の想いを語る事ができない。表情や何気ない仕草でNOかYESの判断を第3者が行う。制度として成年後見などを用意しても、本当の彼らの願いを酌み取る事は不可能だ。 日本が何故、曖昧な方向性しか出せないのか!声なき声を如何に聴くか! 急速な高齢化や少子化という報道に振り回された。老人介護を負担といつごろから考えるようになったのだろう。 ならばご都合主義で長寿大国なんて言うんじゃないよ。 少子化、私は日本の国土を考えた時に、現在の1億2千万強の人口は多過ぎると思う。確かに短期展望に立てば、労働人口が減って、若者に負担割合が増えるのは明らかだ。 しかし、その理屈を鵜呑みにする必要は無い。北欧が何故社会保障が進んだのか、多少北欧福祉を学んだモノには分かるはず。外国にモノを売って豊かさを得た。だから急激な円高に企業は反対する???、しかし、その影響を諸に受けるのは大企業にぶら下がっている中小企業。大企業は生産拠点を既に外国に移しているというではないか。円高メリットは叫ばない。 大企業は、そのあたりの事をどう考えているのだろうか?切り捨てるための良い口実に? 良く分からない。 私が理想とする国はニュージーランドである。島国で自然豊かな国、立憲君主国、外国からの侵略もなく、独自の路線で安定した国体を保っている。 ニュージーランドと日本の比較 国土 268,680Ku(73位) 377,914Ku(60位) 人口 4,266,000(122位) 128,056,026(10位) これだけ見ても歴然とした差を感じる。1.4倍しかない国土になんと30倍の人口を有している日本、単純比較はできないが、これだけの人口を抱える国の豊かさを堅持することは並大抵のことではない。結果として無理をする。自然環境を破壊し、安全神話まで作り上げ、豊かさの代償を払いながら原発の是非を問えない。そこに本当の人間の幸せを得る政策は有り得ない。全てが中途半端となり、難しい問題は常に先送りという手法がパターン化した。 野田総理がどんな判断を示すか???? ”気付き”と”きすな(絆)”響きは似ているが今を生きる我々の責任として、真剣に一人一人が熟考を重ねるべき時である。 |
1957:都会の片隅
上野の不忍口より出て暫く歩くと目的の東天紅につく。丁度裏手になるが高層の豪奢なビルが見えた。それが東大附属病院、いま天皇陛下が入院されているから一体どの辺に病院があるのだろうかと心にあった。 忍ばずの池の周りは以前、段ボールで作られた家が連なってあったところ、いまそれが全く無くなっていた。 急に気温が下がり、午後から本格的な雨になった。5時からの会合にまだ時間があったので、ゆっくりと歩きながら公園内を散策。ベンチの片隅に両手でどうにか持てるような荷物を置き、カップラーメンをすすっている男性、その傍に虚ろな目で歩行者を眺めている初老の男の人に目が止まった。 金曜日ということで湯島辺りは徐々に明かりが灯り、確信は持てない客待ちの店が目立つ。 一隅を照らすという文句はどこかで耳にしたものだが、以前、公園や駅を寝床にしていた人達は一体どこに行ってしまったのだろう。日本の生活保護受給者は二百万人を突破したという。震災被害で急に増えたことを勘案しても世の中が決して弱き人達に優しい社会には成り得ていないだろう。 その日の会合は2年に1回ほどのペースで茨城と東京が交互に親睦の会合を持っている。私は茨城の幹事役を受けてもう20年近くになる。以前は福島周辺の温泉を宿にとり、泊りがけで行っていたが、今は交通の便もよくなり、日帰りとなっていた。 今回は茨城組は7名が浅草にホテルを予約、泊りこみで久しぶりに親交を深めようと言う事に。飲めない酒を付き合うのは、やはり相手による。3次会まで付き合って、部屋に戻った時は疲れてしまいそのままバタン、頭は冴えわたっているのだが、体が言う事を効かない。 これまた少々無理したかなと思ったのは、朝の5時に目覚ましをかけ、ホテルと隣接する浅草駅で5時半の電車に乗った。 つくばエキスプレスで終点まで、そこに車を置いてきたから、8時までにこれまた約束の場所に行った。 正直に言います。約束の場所はゴルフ場、地域の人との親睦の集まり、これも年に2回ほど、皆さん昔からの知り合いで何度も誘いを受けていたがドタキャンが多かった。またもや東京に用事があるからと、キャンセルしたら付き合いの悪い坊さんだと・・・・・・・・ これだって自己正当化の言い訳でしょうと誰かに言われた気もするが、こうやって生きてきた自分に親しみさえ感じる。 結果は言うまでもない。ボールは言う事は全くきいてくれず、息切れしながら山を走ったのであった。お終い! |
1958:紫衣
少々、趣を変えてみます。 NHK大河ドラマ『江』が佳境に入って大阪夏の陣が終わり、二代将軍秀忠の世に移った。史実との差異はどうなのか?ただ、現実に起こった事は、もっと血生臭く悲惨なものであったと想像できる。 日本は中国にならい改元が代々行われてきた。家康によって『禁中並公家諸法度』が発布されてより、将軍家に元号を定める権限が移された。そして「元和」(げんな)という号が初めて付けられた。「元和」・・・和を以って元(はじめ)と為す・・・・ 長く続いた戦乱の世の終結の覚悟とそれに伴う様々な規則を定めたのである。それが15代に渡る徳川260年の統治に繋がっていく礎となった。 その諸法度の第16条には紫衣の寺住持職に関して書かれている。紫衣(しえ)を着る僧侶が増え過ぎ、紫衣の席次を乱し、寺を汚すものが出てきた事への戒めを定めた。日本では紫衣は1249年以降に天皇によって高僧に下賜されたもので、やたらと紫の衣を身につけることなど出来なかった。諸法度の制定が1615年だからその間360年以上の年月が経っている。地方に存在する寺の大半が土地の豪族が建立したもので代々その家の菩提を弔うためのものであった。徳川家の菩提寺は上野寛永寺や芝の増上寺。 それから400年を経た今、紫衣を着る僧侶の数は更に増えた。密厳院発露懺悔ノ文を引けば、「名を比丘にかって伽藍を汚し、形を沙門にひして信施を受く・・・・」という箇所。その中の一人が自分であるという負い目を常に持っている。 自戒を込め、時代小説を読むと自分の甘さ加減が実に良く分かる。時の政権の傍に仕え、思うがままに権力を振るった僧侶も数多くいた、その点から見れば、現代はそこまでの大物(?)は出にくいご時世である。 これは徳川幕府によって定められた檀家制度による所が大きいと言われている。戸籍簿の管理を寺が行うという発想は当時としては画期的なもので、それによって住職の定住が進み、安定?に繋がり力を失ったとも言う。 私は田舎寺の35代目の住職、どうしてここまで途切れることもなく続いてこれたのかは正直良くは分からない。 しかし、今後はもっと判らない。葬式仏教と住職の世俗化と揶揄されてもそれ以外に何を為せば良いのか分からない。寺院の格差も大きくて住職が食っていける寺とそうでない寺に分かれた。さらに、若い人達の宗教に対する考え方が変わり、葬儀一つとっても散骨や直葬が増えている。樹木葬と言う新たな埋葬も出現、少子化に伴って様々な形が出てきている。寺檀紛争や寺寺紛争も同様に増加の傾向にあって、本来の僧侶の立つ位置が安定しない。 だから、これから寺を継いでいく者はその覚悟が必要だ。 徳川時代は戦乱の世から太平の世に移る時だった。今と比べ自由はなく身分制度がハッキリしていて、何を支えにして生きていけば良いのか分からず、その救いを宗教に求めた。 いま、宗教と言っても様々な宗教があって、どこに救いを求めれば良いのか迷う。暫くはこの状態が続くだろう。 自然淘汰され、残るべきして残ったものが再出発する時代がくるかもしれない。 人間は弱きものである。欲望に囚われるなと言ってもできない。確実に齢だけは重ねていく、余り目移りなどせず、生涯をかけ何かに専念すれば良いと私は思う。 |
1959:身近な花
厚生園の裏手にある「おもちゃ工房」が尚恵学園のホットスポット、これは放射能には無関係。然程広くは無い前庭に季節ごとの華がいつも咲いている。これは花好きなスタッフが丹精込めて植えたもの。 振り返れば大分時間が過ぎたものである。手作りのおもちゃの取材に来られた坂本九さんが『どの花にも どのおもちゃにも 一つのいのち』と色紙に書かれた。 その話を伺い、尚恵学園おもちゃ工房は一途にその想いを貫いてきた。 水戸にある福祉の店、展示棚に並ぶ他の事業所の製品に遠慮しながら、おもちゃ工房の作品が並べてある。知らない人が見れば「もう少し垢ぬけたモノ」に作れないのだろうか?と感じるかもしれない。 だが、正真正銘、メンバー達が自分の手で作ったものだけを並べてある。材木集めからデザイン、電動ノコでの型どり、それに色付けと全てが彼らが行っているものだけ。なんと、もう25年以上の歴史がある。製作者は殆ど変わっていない。 作業する姿、真剣で無駄口は一切しない。そして確たるプライド、福祉の店の棚卸で時々私が運搬担当になる。 そこには必ず貼り紙があって、『ふくしさんへ。 こんど これをとどけてください。』とある。 オリジナルな作品に価値があり、手作りでそれが倍加する。市販されている木のおもちゃに似た作品をつくる事はスタッフの手を借りれば可能である。しかし、それをしない。 何故かと考えた。それは多分、九ちゃんが手作りの木のおもちゃを見て彼の感性で文字にした、『 どの花にも どのおもちゃにも 一つのいのち』と言った事に通じ合う。20年以上、メンバー達は工房に行くことを嫌がったことはない。決まった時間になれば必ず工房で働いている。 この日常の彼らの行動にこそ「いのち」を感じる。 日本がいろんな面で岐路に立たされている。他国の真似ごとではなく、日本のオリジナルな将来像が描けない。 よく考えてみよう。日本ほど自然豊かな国は少ない。スイスはアルプスの恩恵を得て、観光と牧畜、それに精密機械で存在価値を深めた。あの国から学ぶことは多い。永世中立国を世界に宣言し、ヨーロッパの中心に位置しながらユーロに加盟しなかった。だからと言ってスイスは決して孤立していない。ドイツ語・フランス語・イタリア語という多言語国にあって人種間の争いごとが殆ど無い。 これは何故なのでしょうね。憶測である。夜、天空に煌めく無限の星を眺めれば、自ずと心が清められる。放牧に適した大地、牛がエサを充分に食べ、寝そべっている姿、平和の大切さを知らせる自然の教科書だ。牧草に混じって咲く花は決して花弁を大きくしたものでなく、小さくそれでも見事な花を咲かせている。 これは仏教の教えに通じる。そこには、文字や言葉を介さずとも気付かせてくれるものがある。その耳を持っているか否かは別だ。 仏教は死後の世界を説かない。何故か? それは永遠の命を望むからである。魂とか霊魂とかの言葉で説明しきれない宇宙の真理とでも言えばよいのか。 名も無い花が誰かに見られているかいないかなど関係なく、精一杯咲いている。その花は時が来れば枯れて大地の土になる。そしてまた時が来れば芽を出し、花を咲かせるのだ。この繰り返しが大切だと説く(空)。 相手から奪い取って自分の利とする考えを最も嫌う。(我利我利亡者)。 日本人が忘れてしまった事。周りだって同じことをやっているんだから良しと勘違い、真似てより立派なモノを作り出そうとする。その能力は世界広しと言えど、日本人が最も長けているのではあるまいか。 しかし、それは真理ではない。本物は決して模倣からは得られまい。人間の一生は精々80年、その時間に何もかも満足できることをしようと考えることが間違いなのである。 |
1960:ルール違反
一体どうなっちゃってんの?? オリンパスの”飛ばし”の実態が明らかになるにつれ、その悪質で巧妙な手口、世界的な優良企業の内部で起こっていた決算詐欺、なんと積り積もって11年間で1兆1千億を超える損失隠しがあったという。株価は連日ストップ安であったのが、上場廃止の危機が減ったということから、一転してストップ高。 イタリア国債の金利が一時7%を超えた。これをどう理解するか素人には良く分からない。ただ、国債金利が上がることは国債そのものの価格が下がることを意味する。 だからユーロ圏は各国の国債に敏感になる。ギリシャからイタリア、次はスペイン?ポルトガル?いずれの国も日本人の行きたい観光スポット、日本だって安穏としてはいられまい。 昨日の参議院予算審議、民主党の質問者が息巻いて日銀の副総裁に迫った。段取りが悪く、白川総裁が参考人として出席できなかったことを怒っている。それを見ていて、お門違いじゃーないの?と私は思った。民主党は政権与党だよ。 ちょっとおかしな雰囲気になる。ただ、私はそんな事より、遣り取りの中で時折、笑い顔が浮かんでいる。そのことの方が問題だ。誰とか云った最初の質問者、貴方のそんなちょっとした態度に国民は不信感を持つのです。 それと、自民党の入れ替わりに出て質問した先生達よ、週刊誌みたいな事を暴いてどうなるのよ。直ぐテレビを消した。 どうもこの国の国会はおかしい。彼らは何を本分として審議に臨んでいるのか? 質問内容にまでルールは無いかもしれないが、国民の関心は震災復興とこれからの日本の歩む方向なのに、まだ、政治とカネや誰と食事をしたとかスキャンダラスな事を取り上げる。本当に世も末だと感じた。 TPPへの参加云々、この反応が実に妙だ。歴代の総理で英語力が堪能な人は知らない。通訳を通じての交渉で今回の会談内容の捉え方が相手国(アメリカ)と微妙に違う。そんな事を言っていないとか、そんな意味じゃないと帰国してから吠えても後の祭り、野田さんの言い回し、日本人にだって理解しがたい。あれをどうやって英訳し相手に伝えるのか? もしかして通訳者が誤訳とでも言うのではあるまいな。斯様にルールなどへっちゃら外交が最近目立ちます。 そのたびに総理の首の挿げ替えをやってきた日本、日本への信用はストップ安ではないのでしょうか。 武士道精神はどこに行ってしまったのよ。 あまり良いニュースがホントに無いよね。 そう気分をかえて、小旅行で沖縄に行っている仲間からの写真がメールで送られてきました。 暖かい沖縄、飛行機に乗らなかったらどうしようと心配していたSさんもニコニコ顔で写っていた。皆さん初めての沖縄、私は未だ行った事がないのだけれど楽しい思い出を是非とも沢山作って来てほしい。
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1961:有言実行
7つの専門委員会からの中間報告が上がった。20日の家族会(研修会)に配布する。 集中的に今年度実施したもので、他の事業所への視察も数十本行っただろう、正直目移りして纏めそれを尚恵学園でどう実践に移すか、今後その真価が問われる。他を見て歩く事は誰にでもできる。肝心な事は”有言実行”、ややもすれば自分の意見を言わず黙りこんでしまう人間が多い。そこを敢えて担当になることで各自に挑戦してもらった。 我々の先人が歩んできた足跡はどこかに残っているものだ。真剣に取り組んだ証。これが尚恵の一番の財産だと私は思っている。夢無き時代になったのではなく、夢を描こうとする人間が減ったのである。周囲の状況も少なからず影響しているだろうが、結局は全てが自分に跳ね返ってくることである。惰眠を貪っているわけではないにしても、生きていることの実感は常に持ち続けていたいものだ。 委員会報告『尚恵学園だより号外』をご覧いただこう。視察等で大変お世話になった皆さんに心からお礼を述べたい。また、時間外で熱心な討議をおこなったスタッフ諸君にも同様のお礼を述べる。 しかし、しつこいようだが実行に移して初めて評価されるものである。 昨日、1カ月ぶりに入院中の友人を見舞った。彼は気持ちよさそうに寝息をたて眠っていた。髪が大分伸び、入院の長さを物語る。よく頑張っているよ。無言だ、実現は出来なかったが元気な時に話していた四国遍路をしているようにさえ感じた。 多分、こころの中では誰かと一緒に歩いているのかもしれない。時々、彼を見舞うと以前は体から力が抜けるような気持ちになった。だが、最近は勇気を貰う。何故だろう。 人間が最後に出来る事は何かと考える。それは言葉や行動ではない。いまこの時を生きている姿であろう。幼友達だからかもしれない。数多くの思い出がある。それが鮮明に思い出せるから不思議だ。 私達はいずれ黄泉の旅につく。その時になってあたふたしても仕様が無い。人生の長短に関係ない。自分が精いっぱい自分らしく生きたこと。それこそが後に残る者達に勇気と生きる覚悟を与えるものだ。 私は、飽きもせず世の中の不条理に自分なりの思いをぶっつけている。なにをそんな粋がってという自分との葛藤もある。 昔はそんなに目くじらをたてるような性分では無かったような気もするが、いつの間にかそんな自分になっている。この先いつまで続けられるかは判らない。言っていることの半分も実際には自分で出来ないことも知っている。 地位や名誉などクソ食らへ!だ。 本日、45歳で亡くなった方の葬儀があります。昨夜、たった一人残されたお母さんと話をした。 |
1962:ここに幸あり
相手の無事を電話で確認するのは、いとも簡単になったものである。携帯を持ち歩き、いつでもどこでもできる。便利になった反面、良からぬ心配をしてしまう。繕っているんじゃないのか?心配をかけまいと。そうなると実際に会って自分の目で確かめない事には無理だ。 私の知り合いでなんでも新しいものが好きな方がおり、今流行りのアイフォンなる機種を買い求めた。70過ぎ良くもまーという思いはあるのだが、本人は不満足の様子。歳の所為で指先が乾燥しており、パネルにタッチしても滑ってしまい上手くいかないとこぼしていた。ホレ見ろよ! だが、彼はワザワザ秋葉原まで車で行って買ってくる。暇というのか何するにしても私から見れば無駄なのだが、ご本人は真剣そのもの。幸せな人だ。 昨日は水戸で小宴があり、電車で向かった。6時ちょっと前、駅は大変混んでいた。さすが県都だ。でも一歩駅から離れると人混みは一変する。7時過ぎるとパタリと人通りが減るという。 いつも水戸へは車で行く。たまに電車を利用するとまた違った街の様子が伺える。飲めない酒を飲んだものだから駅の階段の上り下りが辛かった。ああ・・大分歳を取ったものである。 還暦を過ぎ正直、急に弱気になったと自分でも認めるが、最近は性分というのだろう、やる気が出てきて困っている。 久しぶりに埼玉のSさんに電話、お互い声で直ぐにわかる。忘年会をまたやろうよという話だ。お互いが新しいメンバーを連れて参加、いつものように2点だけといって、話してきたこと。@入所施設を止め全てケアーホームにして結果は良かった。そちらもそうしなさいという内容だった。A今度、介護施設を始める、奇策があって日本でも初めての試みだとふくみの有る話しぶり。 会った時に良く伺いますよと言って早々に電話を切った。 大病を患い、余命1年だというのが口癖だったSさんが、どういう訳か元気モリモリでいつも押され気味。私はこの仕事についてから大分年数が経った。 無理して媚を売り知人を増やす必要も無い、良き友人に恵まれたと感じている。ちょっとキザかもしれないが、お互い夢を語っている時が一番良い。現実は、全くその逆で寝る間も惜しむ生活を行っている。 ここに幸あり。 掴み取るんじゃー無くて感じて生きる。これが一番。師走に入り、今年もあと何日残すのみ。 |
1963:走れ!
18日は県文化センターで茨城県手をつなぐ育成会創立50周年事業が開催されました。上の写真は一体誰だと思いますか?女性と言うのは判りますが。身長148センチ??? 元オリンピックマラソン代表”松野明美”さんです。彼女は現役を引退し今やマルチに活躍されています。記念講演にお呼びしたのです。彼女の2番目のお子さんが重い心臓障害を持って生まれたのです。ご存知の方も沢山おいでの事と思います。 ダウン症という障害が判って、彼女の凄まじい子育てが始った。この子の存在を世間にどうしても知らせたく無かったという。 この辺の心の葛藤は、会場に詰めかけた参加者誰もがかつて経験した事です。 さすがだと思ったのは、演台の前に立ち最初からノー原稿、小さな体を目一杯使って早口の熊本弁で一気にしゃべりまくる。そのエネルギーは持ち前の厳しいトレーニングがあったればこそ、自然と松野ワールドに引き込まれていくのが判りました。 前半は場内が笑いの渦、そして、息子さんと自分の話しに移り、急に雰囲気が変わって、多くの人達が目をハンカチで押さえ真剣に聴かれていました。 1年前から準備してきた記念行事、大成功でした。 閉会後、執行部の人達と全日本育成会の北村理事長と一緒に会食しました。大会の成功の余韻に耽ってなどいません。皆さんがもう明日からの事を話題に花が咲いていました。 育成会のお手伝いをするようになって私がつくづく感じていることがあります。それは事業者(施設関係など)は大会の成否に拘りますが、親達は通過点でしか無いのです。”走れ!”と尻を叩かれているような気持ちになりますがそれだけ我々施設関係者と思い入れが違うということだと思いました。 私は毎回、閉会の挨拶をする役目です。今回、何を話す必要も無いと感じました。皆さんの顔が満足と元気を貰ったように見えたからです。 松野さんの話の中で、いくつか心に残ったものがあります。 障害を持って生まれることをどんな子も望んだものはなく、親も健康で元気な子を産みたいと思う。現実に授かった我が子に障害があることを知った時の衝撃、どうこの子と立ち向かえば良いのか分からず茫然自失の日々を無我夢中で送った。 そんな中で成長は遅いけど必死に生きようとする我が子を見ながら、親子の絆の大切さを知り、我が子に生まれてきてありがとうと思うようになった。 障害者を弱者とは思いたくはないが、果たして今の日本が彼らに住みよい社会になっているだろうか? 親が引きこもってしまっては何も変わらない・・・・・自分達の赤裸々な体験の告白は、決して作り話ではなく、共に生きてきた証。それが会の発足の原点です。 震災後、日本中がこの先この国がどんな風になっていけば良いのかが未だ決めかねているように思います。 大部分の日本人は本当は判っているのです。先の悲惨な戦争で300万人という尊い生命を失い、原爆の恐ろしさを世界で唯一経験した国ですから。 急激に舵を切る事はできないかもしれない。時間はかかっても、目指す方向が判っているのだから決して諦めてはならない。 それには何が一番大切か? 一人一人が無理せず自分の出来ることから先ず始めることだと思う。過酷なスポーツ、マラソンを走った誰もが感じること。何故走るのか!誰の所為にすることもできず、自分自身と向き合い、一歩一歩進むことでゴールが近づく。そして走り切った後の達成感。 そんな事を感じた1日となりました。 |
1964:新しきを知る
近年、結婚式などの祝い事が大分様変わりしてきた。多分、これは式場主導でそうなったものと社会の事情がそうさせているからだと思う。 仲人さんをたてる式は殆ど無くなり、大都会は知らないが地方に行けば、式場貸し切りスタイルのものが増えた。だから目移りすることもなく、時間一杯気兼ね無く楽しめる。私もいくつもの結婚式に御呼ばれし、どれがどうだったかは定かでない。 昨日は職場同僚のカップル、そのままスタッフ会議がやれる程、職員が招待された。正直、留守組はてんてこ舞、年中無休の職場だけにその辺の事情がある。 それから結婚式が変わったものとして、式の後に2次会を別に用意する習慣?、その訳を聴くと式に出られなかった人達への配慮だという、だから式後、新婚旅行に旅立つなんて事は無くなった。 これも温故知新の新しきものなのだろう。 茨城も大分便利になった、昨日の結婚式はひたちなか市で行った。高速のインターまで車で5分、土浦に戻るまで1時間。 電車を乗り継いでいたらその倍の時間をかけても辿りつかない。 余談だが私が印象に残っている式は、某ホテルで行われたもの。なんと来賓挨拶が5人?乾杯が始まるまで1時間30分、式に要した時間は3時間半だった。こうなると大半の出席者は我慢の限界で、時計を見る人達ばかりが目立った・・・・。 実は今日、家族会の研修が行われる。昨日はかなりまとまった雨だったが今日は回復するとか、講師の先生をお呼びして話をしていただく。私も是非とも拝聴したいのだが、坊さんの仕事が目一杯、後で報告とビデオでも見ようと思う。 事前に頂いた資料をみて、新しい姿の事業所だと直ぐに分かった。事業所名が「のまる」とか、直接聞いた話ではないが、「ノーマル」からとった名前らしい。私の所は尚恵学園・・・・学園という名がついている施設は大体40年〜50年の歴史を刻む。 当時は何の疑問も感ぜず付けたもの、世の中は確実に変わった。しかし、どうでしょうかと! 良く変わったものばかりじゃーないでしょう。どうですか? 端的に言って「良い事もあれば悪くなった事もある」ということかな。自信をなくす事は無い。何が大切かを再確認すべき場と考える。これは私の一貫した処世術、人間は学ぼうとする意欲があって生きる力となるのではないだろうか。 ドップリと浸かってしまって変化を受け入れないものは退化する。 我が田に水引で恐縮だが、やっと尚恵学園の家族もスタッフもそのことに気づいてきたように思っている。 お任せ主義と昔の踏襲では通じない。職員にその機会を与えることも大切だが、自ら先頭にたって学ぶ姿勢を持つことが肝心だ。 自主研修を積極的に認めてから、何かの変化を感じている。無駄とは何もしない考えないこと、それに対し自らの意志で一歩踏み出す事、それが失敗を恐れず自信に繋がる。 これは私が若い時分に山登りで学んだこと。リスクを防ぐ万全の備えはない。リスクが有るからと挑戦しなければ、それがそのまま風化する。それともう一つ、引き際の大切さ。これもまたズルズルと先延ばしにしていると取り返しのつかない状態になるということだ。 |
1965:古きをたずね
「温故而知新 可以為師矣」 今を福祉の変革期と考えるか否か? 仏教社会事業の立場から言えば、一切のものが常住でないと説く。何も今だけが変革の時ではないのです。生滅・変化の世にあって太鼓判を押せることなど無い。だから変革を求め続ける事の是非は残念ながら我々凡夫に判らない。 有りの儘と言いながら福祉に関わる人達は、それを自らの言動で否定し続けてきたのである。 如何なる便法を駆使しても、直ぐに化けの皮が剥がれ落ちる。それを真摯に認め、悔いあらためようとするならば未だ救われよう。絆という字は人を束縛する義理・人情という意味を持つ。 個人主義を尊ぶ西欧社会で絆が薄れているだろうか?自由を謳歌する社会が人間同士の共助にどう影響を与えたか? しつこいようだが、仏教では窮極の目的としてでは無く、あくまでも此の岸の現象と捉え彼の岸に理想の姿を描き、死への恐れや苦からの脱出を説いた。 現実に起こっている様々な現象は、仏教が説いている在るべき姿と大分乖離している。 一方、宗教界が変革しなければならないといつの世においても離合集散を繰り返してきた。釈迦が自らの葬儀?を弟子たちにしないように戒めたという史実、これはなんと2500年前にまで遡る。 変革を叫びながら、様々な論理的理由をつけ、葬式仏教が盛んに行われている。そして私自身が田舎寺の住職という2足歩行で恥ずかしげも無く続けているのだ。 敢えて変革を叫ぶのであれば、自ら率先して行動に移すべきだ。衣を着る覚悟をした時、福祉事業所はここまで多くは無かった。特に障害者施設は全国でも数える程度、名を聞けばそれがどこにあるのか直ぐに分かった。 今や竹の子の如く様々な事業所ができ、日本中どこに行っても看板を付けた福祉車両を見かけるようになった。 これが先人が望んだ理想の姿? 気がつけば社会の中で特別の家でない一般の家で少人数で過ごすことが望まれ、既存の施設は超近代的な座敷牢という誹謗が出る事態、これは単なる妬みから? この儘で日本の財政は持たないのは確か。私が政治への不信を払拭できない最近の具体例、野田さんがアセアン会議で2兆円の海外支援を約束したとか????。どうして総理になったら早々にこのような広言を吐くのだろう。街頭に立ち庶民に訴えたのは過去の事、永田町に長く居ついてしまうと事の判断が出来なくなるようだ。 日本人が尊ばれたものに”武士は食わねど高楊枝”なる心があった。武士は自らの空服を我慢しその素振りを外に見せないという。それが身分上位の武士の心得だったはず。しかし、自らメタボを気にしながら他に恩を売る身に成り下がる。果たして良い格好をするような状況に今の日本が置かれているのでしょうか。彼の真意が読めない ブータン国王夫妻が日本を訪問した。その宮中晩さん会に何人かの現役大臣が欠席した。義を通す日本人(武士)の面影は消え、自らの保身にのみ関心が向く、そんな政治家が増え過ぎた。 このあたりが日本の偽らざる今の国力だと見れば、変革期という意味が判るような気がする。 |
1966:糸口
何か困った事が起こった時に、その解決の糸口をつかもうとします。 手掛かりは、物事の始まりにある。これ登山の鉄則。日本のいま置かれた状況はどうでしょうね。或る人は満足しているかもしれない。事業が順調に進み財を成した。シメシメと。 しかし、仏教はそれを束の間の取るに足りない事と断じます。私もそうだと思う。たった一度の人生だ。一花パーと咲かせ逝きたいものだと想う人間もいるだろう。それでも構わない。でも、一人で夢を実現することなどできません。必ずやどこの誰だか知らないが踏み台にされ泣いている人がいるはずだ。 日本が選んだ新自由主義の弊害が至る所で噴出している。規制緩和や自由競争、その結果は市場の判断に任すのみ。 そこで気付いた。何か変だ。このまま進んで良いのかな。公と民の役割が不透明になって、順調な時ならいざ知らず、トラブル続きになって、その責任が曖昧になったでしょう。所詮人間が欲をベースに考え出した仕組みだから、長い時間の中に綻びが出始める。その時になって慌て、緊急補修をしようと思っても、病巣が竹の根の如く複雑に絡み合って、何処にメスを入れたら良いのか分からない。 その最たるものが既得権を死守しようとする輩、官僚や政治家への不満は頂点に達し、そのオコボレを頂戴し、どうにか食いつないできた者たちも、こんなはずじゃー無かったと吠え始めた。 この地球上に無尽蔵にあるものなど在りやしねー。ならば貨幣は印刷すればいいだろう。しかし、その後遺症で自らの命を危うくした。 世界に冠たるトヨタやパナソニック、果たしてどんな結末を迎えるのか。訳の判らぬTPP,それぞれの筋で思惑が交錯し、今まで以上に国の容が見えなくなる。 ユーロ圏の躓き、PIGSというロゴが登場し、これってどんな意味でしょうか?意味なんか無い。ポルトガルのP、イタリアのI、ギリシャのG、スペインのSという頭文字を連ねたもの。PIGSって豚の複数形?肥えた豚さんが財政破綻ですか。JAPANだって笑えない。 以前として国会の審議中、居眠りしたりへらへら笑っている議員がいる。馬鹿だなー全く。そうとしか思えない。 彼らに国の舵取りを任せている我我も馬鹿だなー。当選してしまえば勤務査定など有って無いに等しい世界。 今の儘でいくと、私はこんな国になると思う。法律を上手く掻い潜ることに長けて、弱きモノ達を踏みつぶし、知らぬ存ぜぬと白を切る。我こそが郷土の誇りだと叫びつつ黄泉の旅路に独り赴くってことに。 しかし、・・・・・・。 これを黙って見ているわけには参りませぬ。先ず自分から。そう思った瞬間に・・・・悪寒を感じ、思考停止。 しっかりせんか!この意気地なしと頬を叩かれ。言うべきか言わざるべきか これが問題だ。 人間は努力する限り迷うものだ・・・〈ゲーテ〉・・・・。 |
1967:人間味
人間味ってどんなことを言うのでしょうか? 利用者のご家族の悔みが重なった。葬儀全てが終わってから知らせが有る場合と葬儀に出席させたいから本人を連れて来て欲しいという家族等々、一様ではない。 これは入所施設の場合である。方やデイサービス利用者の場合は、待ったが効かない。普段は家にいて葬儀の間だけ施設を利用する方もいる。止むを得ない事情ということだ。 私は1000件以上の葬儀に関わり、様々な姿を見てきた。 人間味という言葉の響きは、思いやりや温かみのある人間ということだろう。人間の魅力とは若干ニュアンスが違う。 いずれにしても、その人の持つ個性ですよね。 今、朝の6時半、Kさんとスタッフが父親の葬儀に参列するために実家に向かった頃と思われる。Kさんとのお付き合いは大分長くなった。彼の人生の大半が尚恵学園である。土浦にできた養護学校に通学した最初のメンバー、もう彼はよい年になった。愛くるしく誰からも好かれるタイプで、自分の身の回りのことはどうにか出来るまでになった。就学前に入所された当時は体が弱く、風邪を引くのは常に一番先、良く、水枕をして静養していた姿が思い浮かぶ。その彼が今日は父親の葬儀に参列する。 私も焼香に伺うべき所なのだが、寺の法事が入っていて行けない。お兄さんから亡くなったと言う連絡があって直ぐにKさんとスタッフが実家に向かった、その時、Kさんは家に入るのを怖がったという話を後で聞いた。 Kさんの中で実父の存在はどうだったのか?この仕事の重さを感じます。 入所施設に対する世間の目はどうでしょう。いくら美辞麗句を並べられても所詮は他人事!そんなのは今に始まった事では無いから甘んじて受けようじゃないの。しかし、いま、福祉の関係者からも異口同音に入所施設の存在そのものを否定するような発言が起こっている。 なんだよ。ふざけんな!自分達は良いとこ取りして、何が地域移行だ・・・ほざくんじゃーねーわい。 これは私の本心である。いままでこの国は彼らに優しい国だったでしょうか!どうなんです?形だけは西欧から真似ても実態は雲泥の差ですよ。 そして他人のせいにする人間が増え過ぎたんじゃーないの! ちょっと見方を変えましょうかね。 いま『現代型うつ』病に悩む人が増えているという。どうも「うつ病」の中で6割がそうらしい。この病の特徴は、他罰的で自己中心的だと言われてます。従来のうつ病は引きこもって自分を責めるものが多かった。それが現代型うつは他人のせいにするという。そして職場外では活発に活動するというもの。20代〜40代に多い疾病。これが従来の薬では効き目がないというのである。 いま判ってきた事は、小さい時から大事に育てられ、自分に降りかかる問題を自ら苦労して解決したという経験がない人が多いと言う。入社1年目で一人前の仕事を求められる時代、それがストレスとなって病に罹る。・・・・・。怠け症と区別がつきにくいとのこと。 この病気の治療で効果がある方法はグループミーテングだという。他人の前で自分の体験を話し他人から率直な意見を聞く、そして正直に自分に向き合うようになれば自然と治癒に向かうという。現代病の一つ。 これは決して無視できない現象です。 そこでまた本題に戻ります。Kさんの身になって考えてみた。 彼には言葉がない。”うん”とか”ハイ”と返事することはできるが、悩みを打ち明けるという術まではない。専門家と称する人達が彼に与えた称号は『最重度の知的障害』、私達はその片棒を担いだとは決して思ってませんよ。 だからと言って、彼らの代弁者ともなり得ていない事は認めねばなるまい。 人間は成長の過程で幼児期の体験が大切という初歩的な知識はある。彼にとってその大切な時期に何があったか。 我々施設が出来る事には限界がある。家族の協力や地域の支えが不可欠なのである。 せめてもの救いとして今言えるのは、亡くなった父親がKさんの後を頼むと兄弟によく話していたということを知ったこと。 |
1968:裏と表
開かれた政策とか審議の透明性とか言いますが、所詮無理ですよ。どれ位までそのレベルを高めるかという努力目標ならば分かるけど、モノゴトはそんな単純なことではない。 身近な例で話せば私も頭の中が整理できる。 「良きサービスを通し 利用者の心を打つ満足」の提供。創意・工夫・責任・真心のある限りない挑戦・・・・・。これが我々の掲げる努力目標なのです。ハハーーン。実は毎年努力目標を少しづつ変えてきました。その内容にどうも納得できない。何故か?目標が高すぎる。否!言葉が抽象的すぎるという事か。いろいろ考えた。 「良きサービス」ってどんな事?「心を打つ満足」って? 次々に疑問が湧いてくる。そこで気がついた。これは一方からの視点で相手はそれをどう思っているのかという視点が無い。偉い迷惑だと思っているかもしれない。余計なお世話よ。少し勝手にさせて頂戴。・・・・・・と。 無意識に恩着せがましい事をやっていなかったかどうか。都合の悪い事は心に留めず知らぬ顔をしていなかった? 正直、思い当る節が沢山ある。記録に虚偽記載が無かったかと問われればその事が嘘になる。 現場から言わせれば、その余裕さえ無いと一蹴されるのが落ちだ。 (前項)久しぶりに父の死の知らせで実家に帰ったKさんが実家に入ることを嫌がったという行動、ここに真実を見る。親子の関係一つを取って見ても実に難しい。Kさんは今年48歳になる。入所したのが就学前だった。計算しなくたってどれだけの期間利用されているかは判ること。 今ならば人権派の人達のみならず、コトの大きさを指弾されるに違いない。私は彼が入所した当時、現場にいた。朧けな記憶を辿ってみれば、当時はご両親で必ず面会に来られ、帰省も毎回できた。家庭から園に戻る時のKさんの状態はどうだったのか?嫌がって抵抗したのかどうか?その辺の事になると思い出せない。 その後、母親が先に亡くなって父親の面会が無くなった。その父親まで最近亡くなった。我々の情報は、表面的な事象を記録から辿ることしかできない。その裏の事情、Kさんの内面まではどうしたって推測の域から出られない。 となれば、良きサービスってどんな事なのよ?心の満足って? 誰しもこの世に生を受けたものは、自らの生きた証を残したいと願うものだ。Kさんにとって、それがどうなのか? こう考えていくと、ここから逃げ出したいという衝動にかられる。 今、政府は「提言型政策仕分け」をマスコミ公開で実施している。そこで討議されている内容は、既得の利益集団との攻防? これに私はどうしても疑問符を付けたくなる。表と裏の顔が見えてしまう。 この国の容を決められない。日和見主義でNOと言えない政治、それを我慢して見ている日本人の懐の深さ。 ホント???政治生命を賭して重要事案に立ち向かうと皆さんは言いますが、果たしてそれを実行された方がいたでしょうか。 議員バッチを自ら外す覚悟。これこそ生きた証ではないのでしょうか。 政府の行政刷新会議に期待できない。それは自らのことは棚上げし、お茶濁しをしているとしか、どうしても私には思えないのです。 少々、現代型うつ病の症状が現れているように思える今日この頃となりました。エンジン全開、行け! |
1969:くじけないで
100歳の詩人、柴田トヨさん。NHKの「明日へのことば」でアンコール放送を聴いた。 担当デレクターが佐野先輩だった。早速、メールを打った。 『くじけないで』という詩集を何度か本屋で見かけた。当時99歳であったトヨさんが最初は自費出版で出したもの、それが多くの人の目に入り、詩集として出版された。あっという間に増版がなされベストセラー詩集となった。 放送は息子さんの健一さんが母親の事を語るもので、誠実で純朴なお人柄が滲み出ており、引き込まれてしまう。トヨさんは明治44年生まれというから、14年前に亡くなった私の母と同じ、今までの御苦労は想像できない。散文形式で書かれる幾つかの詩がご本人の朗読により紹介された。 その詩を涙を流して聴くという息子さん、このような親子が今の日本にどれ程いるでしょうか? 先日、某新聞の社説にブータン国王の日本訪問の記事があった。GNH(国民総幸福度)という尺度で測ると日本は世界で178国中90位とか、なんともGNPで常にトップクラスを維持してきた日本の面目の欠片も無い。因みにブータンはアジアトップで8位。 その判定基準によると、日本は平均寿命などは依然としてトップの位置にあるが、国の統治・自殺者の多さや児童虐待の増加など順位を押し下げる要因が多いことがわかる。 女性の平均寿命は数年来、87歳前後をキープし世界1である。トヨさんはその中でも希な存在である。 長生きできることは誰しもが願うこと。それが実現できている日本は素晴らしい国、それがなぜGNHで上位にランクできないのでしょうか? 精神的幸福感が少ないという。 長寿社会になったことをマイナスに考える国、介護・医療・福祉の負担と捉える。老人たちは肩身が狭く、若者に迷惑にならぬよう社会の片隅に追いやられる。これで精神的な安定を保てというのは酷です。 先ず、ここが国としての根本の有り方に問題あり。一般企業は60歳定年制を取っている。尚恵学園は最初から65歳定年、それだって一つの区切りと捉え、働く意欲の有る方には継続して働いて頂いている。働く事が苦と感じる方に無理強いはしない。 遣り甲斐を感じている方には遠慮などいらないから続けてもらうのだ。それが若い人の刺激となる。 老後、お孫さんの面倒をみることに生きがいを持つ人は家庭に入り、そのようにすれば良い。しかし、どうでしょうか?小学生になる頃にはおじいちゃんやおばあちゃんと一緒にいるより友達を選ぶようになるのです。これが自然でしょう。 厚労省の役人も大変だ。新たに何もせずとも自然に増える社会保障費、その確保が最大の関心事。 無駄の削減か増税か、卵が先かニワトリが先かと同じ議論。先延ばしを止めるには、その両方を一気に行うことしかない。 その勇気と覚悟があるか、お茶濁しの議論をいつまでやっているのかと言いたい。有る所からは当然取ってしかるべし。 某企業の御曹司が逮捕された。メデアはここぞとばかりに面白おかしく取り上げた。”天罰”だと思っている人が大半。人間社会にはそれも有りなのです。都内の一等地に建つ邸宅が相続で持ち切れず国に寄贈されたケースは多い。そこに記念館が建ち、寄付者の名誉(?)を保つ。これで一件落着! 今回の一連の事件は、豪邸が借金の抵当に差し押さえられたという。このギャップは一体・・・・、まさにGNHが低迷する証明である。特殊な事例であろう。そう思いたい。私有の財産を増やすのに智恵がすこぶる働く人がいる。中には親の遺産で使い切れぬ金を手に入れる人もいる。それを否定するわけではない。良かったですねと思うだけ。 しかし、そんな人が国のリーダーにはなって欲しくない。 自利と利他があるとすれば、せめて富みある人達は利他に多くを回せば良い。守銭奴と清貧の違いが判らない社会は不幸の始まりだ。忘己利他。 「くじけないで」そして「ありがとう」。 |
1970:信じて・・・
香港の著名な実業家が北海道にホテルを建てている。震災後投資先として、日本の評価が落ちた。それにも関わらず、何故? 彼の弁、「私は戦後、焼け野原の日本、その後の高度成長、目覚ましい発展をこの目で見てきました。今回の震災は大変な被害をもたらしました。でも、日本人は決して挫けない。必ずや復興しますからそこを信じているのです。」と断言。 ああ・・外国の人達がそう見ているんだ。そうですね。どうも我々は目先のことにばかり目が向いていました。何が幸せかということも各自が掴んでいたとも思いません。本当にいま、その事を問われていると思います。 そんな時に、大阪で市長と知事の同時選挙がありました。その結果は予想以上に票差がつき、大阪維新の会が勝利。今回の選挙は特異であったと思うのです。既成の政党対維新の会という構図、選挙戦に入り、反独裁対改革という論陣をはった。しかし、地方選で60%を越す投票率が如実に示しています。 国に任せていても何も変わらず、ならば地方からという流れがあった。既成の政党と歩み寄りをもちながらという首長が多い中、大阪が今後どのような運営をしていくのか、そこが最大の関心事。 行政改革が遅々として進まない。多くの無駄と言うのであれば、私は細分化され過ぎた地方自治体を合州制にすべきだと思う。一体、日本全体で議員が何人いるのでしょうか?多国の実態を詳しく調べたわけではないのですが、少なくとも西欧でGNHが高い国は、議員天国ではない。無給の議員さえいる中で、本当に地域をよくしたいという人間が議員になる。 秘書はいないし歳費も無し、だから秘書問題とか歳費の記入漏れなど起こるはずがない。 ここまで2世3世議員が多くなるのは彼らを優遇しすぎた為でしょう。 名誉職!???。 私はこれこそが一番の無駄だと思っている。その改革を橋下市長がどこまでできるか、見守りたい。そして期待する。 60%の投票率だって本当は誇れるものでは無い。しかし、日本では30%台の地方選挙など掃いて捨てるほどある。 ヒットラーの登場した時代、超インフレに陥り、札束を荷車に積んでパンを買うと言われた。ドイツ人はその自分達の足元で起こった現実に決して背を向けていない。 同じ敗戦という憂き目に遭った日本が、経済発展という事にばかり心を奪われた結果、いま将来への具体的なイメージが描けない。 現在、ベーテルに関する2冊の本を並行して読んでいる。何故、ドイツにあのような福祉の街が出来たのか? 創設者の力は勿論大きいが、それを支えた多くの人々の存在を無視できない。独裁政治というのであれば、橋下さんとは全く次元が違う。従来の戦法を取っていないという事はあると思うが、そのことを相手へのプロパガンダにすること自体間違っていた。最後まで具体的な政策論で選挙戦に望む事が出来なかったことがあそこまで票差がついた主因だ。慣れ合い政治で何がでいるの・・・・という無党派層の政治不信票が積まれた。 有権者だって馬鹿ではない。それだけに橋下さんは厳しい監視の下に自らを置いたことになる。 お手並み拝見といこう。 さてとベーテルという街で起こった事が日本人には殆ど知られていない。 そもそもはてんかん患者の為の病院が最初に出来た、その後様々な事業が起こり、現在の姿になっている。一体、ドイツで戦時中何が起こったのか?障害を持つ人達を世の中の役に立たない人というラベルを貼り抹殺しようとした。その人達を守り抜いた人達の執念は凄い。生命を賭してという言葉はこういう事をいうのだ。その言葉を無暗に使いたがる日本の政治家の言葉が軽いのは実態との乖離が大き過ぎるからだ。 「補助よりも仕事を」というスローガンに注視したい。日本の政策の誤りがここにある。老人を世の中の負担と考える。誰しもが歩む道なのに、補助金で飼い殺し?これは言い過ぎかもしれない。しかし、それを裏付ける事象は至る所に見出せる。 福祉に携わる我々が肝に銘じておかなければならない事も実はそこに有る。言行の不一致、自徳、我欲・・・心なきサービスなど。 福祉の風土に合わないものを見究める力も同時に望まれている。 |