源究121

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1931 放射能 10/16 1936 さーどうする? 10/21 1941 まごころの絆 10/26 1946 膨大な資料 10/31
1932 尚恵祭 10/17 1937 お父さん 10/22 1942 情報遮断 10/27 1947 霜月 11/1
1933 失礼ながら 10/18 1938 反面教師 10/23 1943 日本の選択 10/28 1948 スタートライン 11/2
1934 休日診療 10/19 1939 夫婦合計 10/24 1944 制御装置 10/29 1949 業界体質 11/3
1935 地下駐車場 10/20 1940 健康診断 10/25 1945 良くも悪くも 10/30 1950 金縛り 11/4

1931:放射能

大震災から7カ月が過ぎた。まだまだ復旧の手が届かない地区も多い。避難されていた人達が仮設住宅に移ったりして徐々に生活に変化が見え始めている。
 一方、被害に遭わなかった地域は忌まわしい記憶も薄れ、全く何も起こらなかったかのように時間が過ぎていく。
 いま様々な反響を巻き起こしているのは放射能汚染である。稲刈りも大体終わった。一番農家が心配したのは基準値を超え1年間の苦労が水の泡になること、幸いそれに至らず、米はどうにか出荷できる。
 2日前、茨城県内で4市のシイタケの放射能汚染基準値超えの発表があった。まさかと思ってはいたが、土浦市も基準値500デシベクレルが510という数値になり、シイタケの出荷自粛。尚恵学園のシイタケ班は作業としては歴史が有る。シイタケはこの時期を逸すると売れない。
 乾燥時期には毎日のように水を原木にかけ、育ててきた。それが今年は駄目になった。メンバーはどう感じているだろうか?
 夏の暑い日、作業中、大声をたて、何かを訴えていたKさん。突然走りだすOさん。指示はすれど一向に自分からは原木を運ばない?さん・・・・・・・。作業の意味を理解しているかどうかは問題じゃない。
 生活のリズムを保つこと。梅雨時の作業ができない時の夜は不安定になる人が多い、昼間、作業でいっぱい汗をかいた日はそれがない。
 彼らは何故売れなくなったのかの意味が分からない。・・・・・・・。農家はもっと深刻だ。年間の収入の大半がシイタケによって得ている家もある。数値が減って出荷できるようになっても茨城産というラベルでは値がたたかれる。
 シイタケに限らず、今回の原発事故によってもの凄く多くの人達が泣いている。
 巷ではこんな話も飛び交っているとか、東電に賠償してもらえばいいじゃないか! 全くの他人事、現実どうなっているかを知ろうともしない外野の連中だ、それなら健康への被害補償はどうなんですか?
 これがイマイチ日本人には深刻に響かない。何故なのでしょうか?こんな報道がありましたよね。東京の世田谷で高い数値の場所が見つかった。何故だとマスコミも追い掛ける。結局、いつのモノか分からない家の中にあった瓶に入った液体が原因だと分かった。ラジウム?とか戦時中の蛍光塗料とか?  それが判ったら一気にメデアは引きあげた。
 東京の人達に別に遺恨があるわけではないが、世間様ってもんは、その辺のレベルなんでしょうね。
 停電になったら大騒ぎするわりには、その電気がフクシマ原発から来ていることには無関心。万が一という事を真剣に考えようとしない人間が豊かさを求め都会に集中した。だからどうですか?震災後一体何が変わりましたか。
 日本の電気事情は世界でも電気料が高く、電力会社の闇に隠れた企業体質、政治家がそれを是正できるかと言えば、ピタリと口を閉ざす。天下り・政治資金・後援組織・・・・長い年月でできあがったもたれ構造。
 彼らは都合の悪い情報は流しませんよ。責任の取り方も中途半端、民主党に言いたい事はヤマほどある。
 「死の街みたいだ」「放射能をくっつけてやるから」と発言したとかで8日間で担当大臣を辞した方、その先生がなんとまー!
 TPP関連の経済連携PTの座長に就任した。私にはどうしても理解できない。少なくとも私ならば依頼されても辞退する。
 「この自惚れが、お前なんかに誰が頼むか!」 それもそうですな。下種の勘繰りと笑って下さい。

1932:尚恵祭

雨の中をテントの準備など尚恵祭前日職員は大変だった。各地で10月は行事が盛りだくさんで休日は何かのイベントがある。屋外での企画だから天気の良し悪しで偉い違い。予報では当日の午前中まで雨が残るという。朝8時頃までは時々雨が落ちてギリギリまで開催が危ぶまれた。結果は雨もあがり、気温も上がって熱中症の心配までするような好い天気、無事終了した。ご苦労様でした。
 私は最近の行事に来てくれる人の顔が良く分からない。それだけ外部の人が増えたのか?家族も両親が出られず兄妹になっていることもあるだろう。日曜日は法事があっていつも中途半端な参加に私はなってしまう。
 今日は茨城県の福祉大会がある、今年は県西の結城市で開催、車で約2時間位かかるかも知れない。実行委員になっているので出席する。この大会は表彰がメインで知事賞や社協会長賞など全部で数百名が招待されている。尚恵学園では2名が選ばれた。
 話は変わるが、先日、秋の園遊会が赤坂御苑で約2000人の各界の著名人を迎えて開催された。マスコミが大きく取り上げたのは、なでしこジャパンの佐々木監督と澤選手、天皇が声をかけられる。よく分かっていらっしゃる、さすが澤選手、彼女は堂々と話をされた。その中で「日本人に生まれて良かった」と話したとのこと、これほど天皇がお慶びになる言葉はないと思われる。
 女子ワールドカップでのあの熱狂と神がかりの勝利、今でもハッキリと記憶に残っている。大震災で日本中が悲しみから抜け出せないでいる時に沢山の勇気と元気をいただいた。
 既に彼女達はロンドンに向けて国内リーグの試合を行っている。有言実行を見事に世界で成し遂げた選手たちにあらためて敬意を表したい。
 We are the 99%!ウオール街を発端に格差是正を訴えるデモが世界中に広がりを見せている。世界中が同じ目的で同時にデモが行われるケースは今までに無い。非暴力で街頭を歩く、一部過激化して逮捕者も出たようだが、テレビの画面を見ていて手に持つ看板に”Wake up"というのもあった。1%の特殊な人達が富を独占し、その他99%は貧乏?に苦しんでいる。さあー目を覚まそうよ。という訴えだ。アメリカは若年層の失業率が高く20%にならんとしているとか。これらの情報が同時に入ってくる時代になった。
 澤選手が日本人に生まれて良かったという言葉の余韻と大手製紙会社の前会長の使途不明金のニュースが不協和音を起こす。80億円もの金を個人で関連会社から引き出し、何に使ったかは口を閉ざす。果たして担保も無くてこれだけの金が引き出せるものなのか?一体どんな会社なの?
 いくら創業者が祖父と言ってもだ、株上場していれば株主への責任がある。会社が訴訟に踏み切ったようだが、別次元の話だと割り切れない。
 クロネコヤマトの宅急便の社長の話、年間売上1兆2千億の国内のトップ企業、お客さんに喜ばれる企業で無ければ生き残れないと語った。同じ1%でもここまでの格差がある実態。
 企業の社会貢献(CSR)が叫ばれている。しかし、かつての創業者はその殆どが自らの立つ位置をそこに共有していた。
 資本主義が揺らいでいる。軍事政権や1党独裁体制の国家が冷たい視線を浴びていた時に、あっという間に自分達の身の回りの不条理に関心が移った。
気がつけば就労の形が多様化し年金受給年齢も上がるとか、別に危機感を煽るつもりは無いのだが、一寸先は闇という実感を諸に感じている。
 秋晴れの下、のんびりと屋外で気心の知り得た人達と一時を持つ。この幸せを共に喜びたい。そんな心境にいる。
 

1933:失礼ながら

知らずに大変失礼なことをしたり言ったりしている場合がある。
 自分に降りかかる害ならば目の色変えて激怒?罵詈雑言の連射、これでもかこれでもかと手を緩めない。
 こんな風で上手く世の中が回れば良いのだが、適度なガス抜きも必要で、その辺がバランス感覚なのだろう。
爆笑問題の太田光が向田邦子を絶賛している。向田邦子は台湾旅行中に飛行機事故で51歳で亡くなった。彼女は数々のテレビドラマの脚本を手掛け、超売れっ子の作家であった。向田ワールドと言われるように、彼女の手に掛かれば、浮気でも犯罪でも読み終えれば、その主人公へ何とも言えぬ親しみと人間味を覚える。彼女が今の日本の状況をどう見ているか聞いてみたかった、多分、直球勝負なのに打者が変化球を待っているという感じかな。その逆かもしれない。結局は凡打に終わって苦笑い。また出直しなよ!と諭されて「ハイ」と答えてしまう。そんな不思議な魅力を私も感じる。
 Iphone4sが販売され、3日間で400万台売れたという。日本だって発売3日前から並んで手に入れた人も、もう少し待てば並ばなくても買えると思うのだが、この心境を私には判らない。
 どんどんスピード化し、情報を得る手段が大きく様変わり、これってどうなるんだろう。伝統とか習慣が片隅に追いやられ、皆が皆浮き足だって、何かに夢中になっていないと落ち着かない。妙な時代になったものである。
 情報がいとも簡単に取得できてしまうと人間は生臭なもので自分の頭で事の良し悪しを考えなくなる。その能力が自然に退化する。知らなかったと言えば許される時代、でも本当にそれで良いのでしょうか?
 言葉の重みが無くなった。野田総理に自民党の長老がアドバイスしたとか。大人しくしていれば長期政権になるとか・・・・。
 確かに、総理が1年で交代するのに誰しもがウンザリ、他に代われる人も無し。それならば野田さんで良いから少し長めに総理のイスにいてよ。人間性は悪くないし、庶民的な雰囲気は前のお二人よりはマシでしょう。
 大局を見究めるというよりも近視眼的に結果を早く求め過ぎる傾向は否めまい。それで良くなりましたか?失礼ながら段々悪くなっているように思えます。
 だけれども日本人は耐えている。何故それができるのでしょうか?平成になってからも世界各地で紛争が起こっている。そのニュースを自宅茶の間でリアルタイムで観てきた。過去の戦争の悲惨な体験がブレーキになっているのだろうか?
 でも実際は戦争を知っている世代は確実に減少し、第1線を退いて目立たず遠慮して生きている。私の年代は団塊世代の尻尾の部分、思い起こせば学校給食だってスキムミルクで栄養を補った時代、カンユドロップなどと言った所で今の若者には分からない。受験戦争と言えば、有名私学は競争率が20倍〜30倍が常識。それが学校を選ばなければお土産付きで入学が出来る時代と成りにけり。これが豊かさの証なんでしょう?
 いま、保育所の待機児童が問題になっている。昨日、福祉大会で保育所関係の方と立ち話、場所によっては入園児童が無くて経営が成り立たない。老人問題もしかり、多少の時間差はあるだろうが、いずれ竹の子のように乱立した介護施設も閑古鳥が鳴くだろう。
 何を言いたいかといえば人間の判断基準は不確かなものである事を言いたいのです。何と比較してどうなのか?時間を2倍にしただけでも大分違うはず、過去の景気が良かった時と比べ、あの時以上の伸びを期待すれば世界から総スカンされるに決まっている。いま足踏み状態、これで良いと私は思うのだけれど・・・・・・・。
 

1934:休日診療

週末、土浦協同病院へ見舞いに行った。救急センターにはオデコに湿布を貼ったり親の膝に頭を乗せ横になっているマスクをした多くの子供たちが順番を待っていた。いよいよ風邪シーズンの到来か。地元に年中無休の総合病院が有る事は安心だ。重篤の場合は入院も出来る。今までに何回助けてもらった事か、ひっきりなしに救急車が患者を搬送してくる。遠方からも来ている。
 私は正直良く判らないのだが、TPPへの参加を医師会が反対していると聞いた。医療制度改革の絡みと公平な医療が受けられる国民皆保険の崩壊、更に株式会社医療機関の参入により、既存の病院経営が圧迫される・・・等々の問題?。
 更に同じく反対を表明したJAの立場、日本の農業の実態は、様々な助成事業があって成り立っている側面がある。集約的大規模農業への移行ができるのかといえば、複雑な法的規制があって簡単にはいかない。私の住む地域は、水田は米の減反政策で蓮田に変わった。陸田も野菜を作る農家は減って管理がしやすい栗などが植わっている。市街化区域にある農地は税金が高く、その対策として農地として作物を作っているのが実態だ。このままではジリ貧になることは目に見えている。
 それを判っていて先延ばししようとしているように思えてならない。
 日本農業の抱える課題・従事者の高齢化や非効率性を外国から自由に安価な農産物が輸入されたとしたらという危機感、しかし門外漢が何をほざくかと叱られるのを気にせず言わせてもらえば、JA(農協)が本当に農家の為になっているのでしょうか?私も会員にはなっているが、どうもその辺が疑問だ。
 医療や介護に海外からのワーカーを受け入れようとする制度、もう何年も経っていますがどれだけ実績が上がっているのでしょうか?日本語の習得段階で挫折する者が多く、看護師資格に見事合格できる人は5%に満たないという。門戸を開いているようで敷居が高い。
 地方の医師会も全国展開の大手病院の参入を拒否する実態はないのでしょうか?
 兎に角、市民目線で物事が決められるべきだと私は考える。業界団体は表向きとは相反して保身と競争激化を避けようとする。どのような美辞麗句を並べても国民の賛同は得難いと考えるべきだ。古い体質が依然として残る団体ほど改革が必要である。これらを民主主義の限界と言ってしまえば無視される。
 しかし、どうだろう。良心ある医療機関は、休日診療や遅い時間まで開いている病院が徐々に増えてきた。これこそ患者さんの立場にたった医療ではないのだろうか? 外からどうのこうのいくら言ってもだ、内部から変わろうとする動きが重要。
 我々福祉も全く同じ立場。公立〜社福〜NPO〜その他と様々な事業主体が存在するようになった。これがどうも経営の安定と利用者へのサービスが比例しない。安定を図ることは当然なこと、これを否定する気持ちは全く無い。・・・・が、安定すれば胡坐をかく?公的サービス故に様々な恩恵を受けている。その事を忘れてはなるまい。
 官僚や政治家への批判は、我々社福法人への批判でもある。
 残念なことであるが、制度や報酬単価の説明会への出席率は常に高く、それ以外の研修への関心は低い。
 私が関係する社団法人は県内で2番目の早さで一般社団に変更した。まだ移行していない法人が数百も県内にはあると言う。何故、公益法人の見直しが行われたのか?不祥事と納税者からの反発がそもそもの発端である。
 資本主義や民主主義への疑問が出始めている。それは、様々な動きが白日の下に晒され、常軌を逸した利潤の追求や理念信条無き多数決の論理が横行しているからでしょうか。
 この責任は国のトップになったものの責任が大きい。お母様から毎年数億円のお小遣いを頂いて知らなかった方、司法の有り方に問題はあると思いますが、秘書の行ったことに責任はないと公言して憚らない方、それと、シツコイようではありますが起業3代目の御曹司の会社の金の私的流用疑惑。。。。。。更に格差反発の世界の動き。。。。。。いくらお人良しの日本人であろうが、こころ穏やかにはなれませんよ。
 良寛さん 良寛さん あなた様なら どう思います・・・? いつの世も 変わらぬことじゃーとでも。

1935:地下駐車場

昨日は寺の用事があって大塚の護国寺にある豊山派宗務所に車で行った。首都高に入ってから渋滞があったが、電車を乗り継いでいくよりも時間がかからない。用事が終えてどこかで昼食でもという話になり、池袋のサンシャインビル地下駐車場に車を停めた。初めてだったが、地下駐車場のスペースの広さに驚いた。順番が色違いで書いてあるから覚えていれば見失うことはないだろうが、一瞬思った。これで東日本大震災と同規模の地震が東京で起こったら、想像を絶する大惨事になることは間違いない。
 タイで大洪水被害が起こっている。マレーシアから香港にかけ、9月の末に台風が複数で襲った。その後東南アジアを次から次に雨台風が襲った。あの大都市バンコックが水浸しになっている。海外進出した日本企業の一大拠点が操業停止せざるを得なくなった。日本だけではなく、近年、自然が猛威をふるって容赦なく人間の築いた文明社会を破壊している。
 それに抗するに打つ手が無く、茫然自失するだけ。
 自然環境の破壊が問題とされCO2の排出規制を協議した京都議定書は、どうなってしまったのか?単に文章を取り交わしただけならば、これほど無駄な話はないだろう。
 環境の破壊は1国だけが努力してどうなる問題ではない。地球規模での連携協力が不可欠、しかし、我々人間は生きるためのあらゆる欲望は決して衰えを見せない。TPP協議へ日本が参加するか否か重要な政治判断を示さないといけませんね、野田さん!
 財界・農業、医療それぞれが自らの立場から国会に圧力をかける。
 東京は高層ビルが乱立、東京、品川、新宿、池袋周辺だけが開発の表舞台と思っていたが、東京湾岸がそれに加わってかつての香港の風景に似てきた。地上だけでなく地下だって2重3重に利用され、もうどうなっているのか分からない。
 これが世界に誇る経済大国ニッポンのシンボルか。
 自慢の種にこそすれ、危機を訴える人達が出て来ない。今回の原発事故の影響が東京にまで出ている。足立区の小学校で市民からの訴えで高い放射能が検出されたことが判った。その時の反応は”まさか ここまで”という驚き。
 まさかじゃーないよ。もっと酷い状況がフクシマでは現に起こっているんだ。それも大都会への電力を供給するため、どれだけの金が地元に落とされたかは判らないが、もらった分で充分足りましたか?
 東電よ、いい加減にしてくれ。国からの援助ばかりが目立つ。『原発はいらない』の著者小出裕章氏は今全国で講演に大忙し、彼の書いた反原発の本が書店に並ぶ。その中身は正直冷静な気持ちで読むことなどできない。
 国は事故処理ステップ2段階をクリアーしたと年内に前倒しで発表するとか?今回の事故は重大度ではレベル7という最悪の評価、政府の見解で事故処理に20兆円、その終息に数10年かかるだろうという。
 この数字が片隅に追いやられ、僅かな復興の兆しばかりをマスコミも競って追いかける。現地の人達はいつまでも待っていられないという切羽詰まった思いから自分達で立ち上がろうとしているのだ。
 でも、どうにもならない事が多過ぎます。
 まだまだ東京の永田町や霞が関の人達との温度差は縮まらない。強力な政治主導を今こそ発揮する時なのに、。。。。
 担当大臣が自党内の研修で「避難せず津波で亡くなった友人をバカだ」と話したとか・・・・これに即反応するメデアもどうかと思うしこの大臣の失言を争点にしようなど野党だって同じ穴の狢、何故、枝葉のことでこんな風に騒ぐのか!
 また、罷免すれば状況が良くなるのでしょうか?
 どうしても理解できないこと、危険極まりない地下駐車場に高額な料金を払って3,150円のうな重を食べる輩、
 栄養取り過ぎでメタボに悩み医者にかかる。これが果たして理想とした幸福な社会なのでしょうか。どこかの知事さんが言っていた”天罰”だと。何故彼が言えば問題にならず、大臣が友達を思って話した”馬鹿”という言葉が大きく報道されるのか。
 ホンネとタテマエの時代。人間力の尺度がモラルに無関係に量られる時代。何を是とするかという価値判断が曖昧になった時代。   
 これに我々はどう立ち向かえば良いのでしょう!時計を逆回しして道に迷った所まで引き返す勇気を持つことだと私は思っています。仏教では”清貧”というそうですよ。

1936:さーどうする?

舞台は整った。有利な風を感じテイグランドに・・・・。これはゴルフの話、実はここのところ回数がめっきり減った。予定をたてるが直前でオジャン。
 そんな事を書くつもりではないのです。リビアのカダフィーが暗殺されたとのニュース、細かな事は判らない。しかし、市民の声として「これで自由になる」「もう武器を持たなくて良い」という。フセインやビンラデンの最後は、まさに個人を標的にした戦いの後に幕が落とされた。長年続いた独裁政治・・・・・。
 日本はそれらの国と比べ相反する政治体制?独裁どころか1年事にトップが変わる。これが良いのか悪いのか。
 いま、日本を覆っている出口の見えない閉塞感、これは風かもしれない。教育現場の実態を見れば、なんとなく頷ける。
 大学で若者が求める学部、依然として経済や先端科学への人気は高い、逆に文学や史学といった現実感の薄い学部は敬遠される。福祉の場合は、それとは別の理由で人気が急落。
 これだって実は戦後の姿で、外国と比べ時間的に浅いのだ。日本の歴史を辿れば、絶対的権力をもった織田信長が忠臣光秀に本能寺で襲われ自刃した。当時は当に国内が群雄割拠で戦いに明け暮れ、庶民の生活は窮乏の底に瀕していたわけで、早く統一され平和の世を誰しもが願っていた。今から400年以上前の日本の姿である。
 その後、幾つかの変遷を繰り返し、江戸の世を迎える。これなど中学生の常識。徳川幕府の統治の仕組みは、実に巧みだった。身分制度と参勤交代の義務化、これが石高に応じて出府する人数まで決められていたのである。
 街道の整備や本陣周辺の開発が自ずと進み、今に至って当時の足跡を残している。
 身分順位で武士を一番に商人を4番目に置いた。農民を2番目に据えた所が人心掌握の妙である。石高で格差を示す制度、これもまた人間の心理を上手に操った。
 お代官様は絶大な権力をもっていた。今で言えば警察力?この当時作られた仕組みが基本的に引き継がれ今に至る。三権分立を掲げ、現代法の基となす民主主義を取り入れた。紆余曲折があり、その後、止むを得ず?拡大路線に転じ、中国大陸から東南アジアにまで軍事侵攻した。そこで敗戦、国を二分されることはなんとか避けられたものの連合国のお墨付きで新憲法を作り、今がある。
 その後日本を舞台にした様々な動きは今更言うまでもあるまい。武器により他国へ脅威をもたらす事は禁じ手だからさすが歴代の政府はそこまで踏み出すことは避けてきた。だが、経済力という新たな戦略で侵攻を続けてきた事実は否めまい。
 いけいけドンドン、持ち前の勤勉さを売りに日本製品を売りに売った結果、ご存知の経済摩擦、ならば日本として何をもって世界貢献するかという新たな注文が出た。それが結構長く続いたと思う。しかし、今どうなっているか?
 もうすぐ1000兆円に達するという天文学的な借金を国が負った。ギリシャ所の話ではなく、自国内の資金でいくら賄っているとは言っても、それも一方的なご都合主義の見解でしょう。借金になんら変わりは有るまい。
 国会に席をおく人達がこの問題に対し一向に腰を上げようとしないのは何故か?問題の先送りと責任のなすり合い。
 議員の歳費は自分達で決める。全く、これに手を付けない。
 さーどうする???野田さん。あなたが一番恐れるのは何ですか? それと 我々有権者が自らの責任でさーどうします?

1937:お父さん

某祝賀会の席で『この福祉の世界に私が入って、最初に仕えたお父さんです。・・・・』また、ある時は弔辞を頼まれ遺影に向かって『・・・・・おー母ーさん。本当にありがとーう・・・・』 誰とは申しませんが、私が遠慮無く何でも言える方。
 内心、「あっ いつもの話が始まった。」少し声のトーンを上げ、上目づかいで自分の世界に入ってしまう。彼は、背広を着ない。珍しくネクタイをして今日はどうしたのか?熱でもあるのか?それでもやはり足袋をはいていた。まっいいやね。あまり個人攻撃しても何の得にもなりゃーしねえ。
 何度聞いたか判らない、お父さん、時にそれがお父様に格上げする。有言実行、それだけの実績を誰もが認めるから、別に本人は気にならない。
 果たして死ぬまで現役で通すつもりか、跡を引き継ぐ人も大変だ。
 私は、ここまで挨拶で脚色はしない。原稿を読む事は苦手だから、正直思いつき、時には余計な事まで話がいってしまう。
 押さえて押さえてと自分に言い聞かせるのだが、どういうわけか口が言う事を聞いてくれない。
 最近の若者よ、果たして自分の人生の中で何人のお父さん&お母さんを思い浮かべることができますか?不図 そのような疑問が湧いた。
 私だって何人かの恩師がいる。お父さんというのはおこごましいので”先生”と自分では読んでいる。教えを受けた先輩、叱ってくれた先人達、この年になると心から感謝の気持ちだけがある。
 逆に自分がそう思われる人間になっているだろうかと自問する。とてもとてもその域には達せない。だから頑張れるのかもしれないな。なにせ遣りたい事が次から次に浮かんでくるのだからどうしようもない。それに誰かがついてきてくれれば良いのだが、周りの視線はどうも私には冷ややかなモノと感じてしまう、誠に残念。ならば、書き物で遺してやれと思い立つ。
 向田邦子ではないが、世の中で相手にされず、隅っこに追いやられてしまうような人間を実に巧みなタッチで憎めない仄々とした人間に持ち上げる。ご存知の如く彼女の代表作「寺内貫太郎一家」の主人公は自分の父親がモデルだと知った。
 人生はその人の様々な人間模様を織り成す生きざまでしょう。誰もが経験しなければならない最終章の死をどう受け止められるか。
結局は誰も代わってくれないから、時間をかけて自分なりの回答を出さないとならない。
 肉体は滅びても魂は残る。宗教と哲学の分かれ目がここに有った。しかし、昨今の宗教界を見ると目先の事に翻弄され、個々の人間がもつ最大の命題を一緒に考えようとする機会を見失っている。
 片田舎の寺の住職を引き受け35年が経つ、正直、1日たりともその事を思わなかった日はない。住職をしている限りこれからもそこから逃げられまい。
 私が尚恵学園を利用してくれているメンバー達のお父さんと成り得るか!答えは言わずもがな、自責の念に駆られる。
 肺炎で入院していたUさんが木曜日に退院できた。78歳になる母親が10日間の入院中ずっと付き添った。退院する時、母親の車で学園に帰るかと言うと迎えに行った職員の車に自分から鼻歌交じりで乗って帰ってきたという。
 その話を聞いて、Uさんの強さを感じた。
 もしも、職員の車に乗るのを拒み、母親と一緒に自宅に帰ると地団駄を踏んだらお母さんはどう思うか?私は、そこまでUさんの心の中を読んでしまう。
 何気ない日常の生活の中にこそ、大切な教えがある。それは野に咲く一輪の花に仏の心を観るのとなんら変わりがないことだ。
 お父さ・・・・ん!お父様÷お父上=?????? Good Luck PAPA.
 

1938:反面教師

”反面教師”という言葉が中国の毛沢東によって初めて使われたということを知った。何かの演説で使用したと言うのだが、見習い学ぶべきものではない悪い手本・見本となる人物を排斥するのではなく、閑職に置いて自らが間違い無いようにする為に利用するというのだ。その中国も様々な変遷をへて、驚異的な経済繁栄を獲得してきた。
 人口が14億と言われる多民族国家を纏め挙げるには、我々凡人には到底理解できない事が多い。安定した国家体制を築くことは、如何なる国においても望むところ。
中東の紛争、終結に向かっているかと思えば、また新たな火種により戦火を交える。チェニジアからエジプトへ伝搬した民主化運動のウネリはIT情報を駆使したもので瞬時にして情報共有ができた。そして無血クーデターという新たな展開を世界に示した。だが、その後起こったリビアのカダフィー大佐への反政府活動は国を2分する8カ月の内戦があって漸く終結の兆しが見えてきた。
 組織において反面教師なる人物を閑職に置くということは、本人にとっては堪えられぬ屈辱だろう。
 EU圏で怠けもの?で劣等生ぶりを世界に曝け出してしまったギリシャは、聞くところによれば官僚天国で昼休みはたっぷり取って結構な給料をもらい、あまり働かないという。これも日本と比べてだからその真相は判らない。
 EUからの財政支援を受け、破綻寸前の国家を立て直す、真っ先に手を付けられるのが公務員改革だから、デモ行進する多くの国家公務員、日本では考えもつかない財務省職員が座りこむ、ゴミ収拾車が動かず、街には山積みされるゴミ、悪臭を放ち、観光立国ギリシャの体をなしていない。これも一つの国の改革での過程の容。
 他国の動きを尻目に我がニッポンは、イマイチ筋が通らない日々に明け暮れていませんか?先祖代々住み慣れた土地を放射能汚染という得体の知れぬ厄介者に占領されようとしています。果樹農家は値がたたかれ、出荷する手間にもならないと1個500円で売れた桃を畑に捨てた。
 これをどう考える?自己責任とは言わないが、政府と東電の補償対応は遅々として進まない。
原子力損害賠償法というものがあり、電力会社の賠償額が1200億円を超えれば、残りは政府が税金で賄うという。ウ・・・・・・・ム!
 何せ20兆円にならんとする損害額の1200億円、雀の涙と言ったら問題発言?東電への国民の目は更に厳しくなる。
 今回の事故は万が一という確率で起こったという最初の説明も、今やそれを鵜呑みにする人はいない。今回の事故がフクシマ原発だけで起こったことは周知のこと、日本にはその原発が54基もある。この現実をどう考えるかが問われているのです。またもやどこかの原発でメルトダウンに至る事故が起こるかもしれない。そうなれば日本は世界の笑われ者、否、
日本だけの問題では無く地球を汚すのだから集中砲火をあびよう。その時の覚悟があるか。
 どうみたって今の政府がとろうとする対応策が生温く、私には問題の先送りにしか見えない。
 バンコックを襲った洪水が長期戦になるという。工場進出した日本企業の社員が一先ず帰国するという動き。今回の日本で一斉に外国人労働者が帰国したと全く同じ状況だ。国は常套句として財政再建には経済を良くしないとならぬと言う。
 本当にそうなんでしょうか?だってそうじゃないの。最新の携帯やデジカメを買え変えなくても充分今ので事足ります。ゴミ集積所に捨てられるまだ使えそうな家電や家具、その処分に日本は多額の金をかけているのです。
 ならば過去の翼賛政治では無いけれど、一国一党の政治体制にし、現状の無駄を清算してはどうなのか?これは期間を決めての話。
 二大政党制を夢見た割に、何が何だか分からずに今に至っていません?政党間の渡りは今に起こったことでなく、政党助成金欲しさに烏合の衆を築いた。だから見なさい!国の重要政策になると決められない。
 いま、日本国内に反面教師が多過ぎる。しかし、その種の類を閑職に置いておく余裕などさらさら無い。その事を我々一人一人が自覚しなければならない。
 

1939:夫婦合計

『課題先進国』という言葉を知りました。元東大総長の小宮山宏氏の著した本です。この字面だけから見れば、一体喜ぶべきか憂うべきか?迷う。
 様々な見直しを行う中で見えてきた現実の課題、確かにモノによっては金属疲労を起こし、このまま行けばヤバい事になるというものもあるだろう。それを「課題解決先進国」へギアチェンジしチャンスと考えようという提言だ。
 少子高齢化に”超”という一字を加えた。英語なら”super",事態の深刻度をこうやって煽る。100歳を迎え、なお医療現場にたつ日野原先生の特別番組を観た。患者さんの傍に付き添う医療の実践は、末期の患者さんに安心を与える。
 誰しも一人病室で病と向き合うのは不安である。その時に耳を傾け、話を聞いてくれて「大丈夫 だいじょうぶ」と受け答えてくれる医師が傍にいれば、どれだけこころ安まることか。
 昨日、寺で法事がありました。98歳で亡くなった方の49日、先に亡くなった旦那さんと連記された新しい位牌が飾られた。旦那さんは享年97歳だった。夫婦合わせると195歳になる。お二人には4人の娘さんがいた。皆さん法事に列席され、大分お歳の方もいたのだが、4人娘が集まると賑やかなもので、母親の死を悲しむというよりも、皆さんがホッとしている印象を持った。法事が終わってから親戚の方が私に話しかけてきた。「住田さん、俺のこと知ってるか?」「あんたのお父さんと中学校のPTAで一緒だったんだよ」「誰の??」「俺の親父は100歳でまだ元気だ・・・・」
 長生きの家系なのだろう。話が全て年代物で時間がゆっくりして余裕がある。さすがに明治生まれの方は少なくなった。
 課題は決して無くならない。受けとめる側の問題だと思う。例えば、老人介護の問題、ここ10年で凄い勢いで増えたものは介護関係の施設だ。作っても作っても足りない。そのスピードを遥かに凌ぐ早さで増えているのが、有料介護付き住宅というもの。この数の実態は正確に把握できていない。所管する行政も複数にまたがり、認可とチェックが未整備、現場では新たな問題が起こっている。この一連の動きだって課題解決という大義名分がある。粛々と時に堂々と拡大し続けている。
 仏・英・独の首脳が相次いで日本を訪問。これは多分、震災復興に何らかの関係があると思える。支援協力という表向きと数十兆円という超大型復興プロジェクトへの参入の是非・・・・・・。
 それぞれの国だって課題を抱えている。経済的に先進国に入ったは良いが、これから先どうなるかは不透明、だから日本の動向に関心が高まる。日本人ならば必ずや智恵を出し合って、新たな方向性を見い出すに違いないと。
 歴史がそれを証明してきたではないか。
 ヨーロッパの人々と日本人の大きな違いは、何か困難な事態に直面した時に、日本人はその裏側を見ようとする。震災後様々な事が判った。
 お墓が地震で倒れた家とそうでない家・・・・・。いずれの言い分にも共通するのは先祖が肩代わりをしてくれたから、というものがある。先祖が自分達を守ってくれたと手を合わす。
 それと信頼できる人間か否かがハッキリ見えたという。困った時に手を差し伸べ協力を惜しまない人と知らぬ顔で離れていく人。
 日本人が嘗て大切にしていた義理と人情の付き合い、その真偽が今回よく分かったとも。
 頷ける話である。
 仏教では縁起を基本におく。つまり、ものごとは一定でなく循環していると考えた。善因善果、悪因悪果、自分に巡ってくる時間の長さはいろいろだが必ず還ってくると観る。
 長生きも短命も、要はその人がその人らしく生きたか否か、その事が一大事。

1940:健康診断

出来る日に受けていた方が良いというから、昨日は成人寮での健康診断を受けた。毎年、利用者と職員を合わせると250名位になるので2班に分けて実施する。その時にインフルエンザの予防接種も行う。
 私が時間に行くと食堂前の廊下が騒然としていた。その理由はコスモスのメンバーが加わったことが原因、成人寮は平均年齢で47歳、もう皆さんが老境に入っていて、座って順番を待っていると居眠りし始める。コスモスは20歳前後の方達だから動きが違う。注射となると大騒ぎ、数人で抑えてという事も。その中でも優に90キロを超えるTさんは要警戒、彼の周りに腕自慢のスタッフがついて、いざ注射・・・・・拍手と驚きの声「ウヲー」スタッフからだった。
 なんとも拍子抜けする、全く表情を変えず注射をさせてくれた。当に横綱相撲、予想に反し彼の堂々たる態度に賞讃の声が上がった。まっ久しぶりの成人寮、これまた大変だわ。看護師さんは私もよく知っているベテランで慣れたもので淡々と処置をしてくれた。次回は31日、厚生園が健康診断を受ける。
 冬に向かうこの時期、毎年予防接種を行っている。それでも風邪をひく人は出てくるのは覚悟している。スタッフが罹ると厄介で勤務表が日替わりで変わる。罹ってしまえば出勤停止で1週間、だから、10月に入って職員のマスクの着用を義務付けた。
 施設は多面的活動の場、今朝早く4名のメンバーが茨城空港から北海道への旅に出かけた。別グループは同じ時間に、マイクロバスでゴルフ場にボール拾い(園外作業)、体験実習生の受け入れ、研修会への出張と毎日が目まぐるしく動いている。
 そんな時私は何をしているかと言えば、草取り。草刈り機で一汗かき、落ち葉を燃やす。すると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。
 幸か不幸か、草取りする場所に際限なし。綺麗にしたと思ったら、前に掃除した所に新たな草が・・・・。私は頂いた軽トラックにシコタマ道具を載せてある。いついかなる時にでも草刈りに出動できる態勢だ。一通りの電動工具とチェーンソウーやエンジン刈払機2台。さらに今回は念願のケルファー高圧洗浄機を加えた。万全だ。
 これもなんとか健康体でいられるから出来る事、そう思って感謝している。
 また、光徳小屋だよりがメールで送られてきた。転送してくれる鈴木先輩に感謝。奥日光の戦場ヶ原周辺はすっかり紅葉し、写真から空気がきれいで日本の自然の素晴らしさが感じられる。尾瀬周辺は夏の賑わいも終わって冬支度、この時期の夜空には満天の星が見えるはず。
 居てもたってもおれず、また夜歩き始めた。足腰を鍛えないと四国遍路も中途半端、好きな温泉にも行けなくなる。体調が悪いと気力も萎える。この年齢になれば自己責任で管理しないとなるまい。
日光龍頭の滝
 10月に入り、周囲の木々が紅葉。
 葉を落とし、冬への備えをする。
備えあれば憂いなし。
人はどこに帰っていくのですか?
問われて一瞬
歩んできた道を振り返る。

 

1941:まごころの絆

ドイツの横井さんより大津留さんの詩がメールで転送されてきた。沙紋という題で綴られた詩、
その中ほどに・・・・まごころの絆・・・という一節を発見、大津留さんの許しを得ていないから全文を紹介するのは避ける。・・・が彼も嘗てはチュービンゲン大学で哲学を学んだ学徒という話は聞いて知っていた。私は大津留さんとの面識はない。失礼とは思ったがメールをさせていただいた。
 永遠は、おそらく、あの世でも、この世でもなく、・・・・・・・・と自然に湧いてきた想いをつづる。
昨日は、水戸で大正大学のOB会があった。水戸プラザホテルで行ったが、参加者はいつもの人達、私は副支部長ということにいつの間にかさせられていたので仕方が無く参加した。大学の先生の講演があって、それは「お寺が無くなる」というショッキングなテーマ、ベストセラーとなった島田教授の「葬式は要らない」という単行本、その島田教授と論陣を張った大正大の廣澤教授が1時間程講演したのだ。
 僧侶だけでなく在家の人もいたのであまり刺激的な話は避けたようだが、まったく図星の内容で言葉が無かった。
 大正大学は歴史があって、日本で21番目に創立した旧制大学の一つ、私の父も卒業生だから住田としては3代お世話になった。浄土・天台・真言智山・豊山の4宗派が僧侶の育成機関として経営に参画している、仏教系の大学。
 それぞれの宗門の教えを学ぶ唯一の場で一般学生に圧倒されながらも我々僧侶にとっては重要な教育の場となっている。そこの仏教学の教授が現役の僧侶の前で話す、危機感とどうすれば本来の姿に戻れるか?結果が出る話ではなく、世の中でどう受け止められているかという話が中心であった。
 新しい寺の実践例も出てはきているが、まだまだ少数派、檀家制度に胡坐をかき、仏教の教えと乖離?した現実に寺離れが急速に進んだ。大都会では直葬が3割になったという。僧侶を介さず、荼毘に伏し、埋葬される。
 人間の一生の中に僧侶がどう関わるか。葬式仏教と揶揄され、じっと我慢していた坊さんも多かった。宗団としてその流れに対抗する手立てをしてこなかったという反省、もっぱら自分の寺だけを守れば良しとする。関心事は一般の人達へ向けられず役職や地位に奔走する。内部批判として長いこと燻っていた実体は変わるどころかより深刻になっていないだろうか?
 このような悩み事は他言するべきではないが、大津留氏の詩の”まごころの絆”という言葉に全てが内包されているように感じた。
 日本が選択した市場原理の導入により、勝ち負けをハッキリさせ、結果として負け組になった者は自己責任だと決めつける。それを社会保障で支えれば良いと短絡的に考え今日に至った。そこには正直”まごころの絆”が生まれる土壌では無くて、差別視と歴然とした差別化、表向きには誰もが幸せになれる公正な社会とか言ってはいるが、遣っている事は全くその反対である。
 そこに早く気づくべきだった。
 仏教的に許される見解として、空や無常観がせめてもの救いとなりうるか?一定ではなく、常に変動流転するという世の中、いずれ小さな幸せを得ることができまいかと殊勝な思いに賭ける。
 華々しい一面とのギャップ、国は未曽有の大災害を経験したにも拘わらず、何事もなかったかのごとく振る舞う輩が過去の蓄えを食い潰す。
 
 

1942:情報遮断

EU圏の金融危機は予断を許さない状況が続いている。ギリシャを発端に他の複数の国が財政に問題ありとの見方が大勢で当初の予測を超え、その対応策に苦慮している。頼みの独・仏の支援協力も大筋合意はできたようだが細部の数値化で足踏みをしている。数十兆円の資金援助では根本の解決には遠く及ばず、さらに不安が増長している。その影響がユーロ安、更にはアメリカの抱える出口の見えない諸問題がドル安に拍車を加える。日本企業は工場を海外に移し、超円高へ必死の対抗策を取っている。日本に友好的なタイに進出した企業は多い、その拠点であるバンコク・アユタヤが大洪水に見舞われた。
 なんとも皮肉な事が連動して起こるものか。そして、休みなくメデアが情報を流し、震災後、まだ先の見通しがたたない日本において不安が増殖しているのだ。
 今は一人勝ちは許されない。ご存知のように地球上で国境は有って無いような時代、sonyや三菱重工、更に日本の国会までがサイバー攻撃の標的にされた。これは素人には判らない。しかし、家庭にある普通のPCがサイバーテロの発信元になっていることだって有り得るという、恐ろしい事が現実にドンドン進んでいる。
 カード利用が進んで現金を持って歩かない人が増えた。しかし、事故防止のためにあるパスワードが容易に盗まれるという。
 そのリスクは止まるどころかあらゆる分野に侵入し、取引や契約を混乱させているのだ。
 建築も契約が大きく変わった。補償の仕組みが以前とは違う。連帯補償をする会社が無い。補償をしたばかりに負債を被って倒産するリスクを避けるため。工事費の支払いも細分化され、お互いに不利益が生じないような安全策を取っている。
 その合間をぬって急拡大した保険業、これだって今回の大震災で限界が表面化し、未だ解決をみない補償問題が目白押し、何を頼ればよいのか、諦めと不満が混在し如何ともし難い状況がある。
 声が大きいモノが得をし、不可抗力で最終的には自己責任という落とし所が標準化した。
いやいや貧乏くじもいい加減にしてよ。TPPや増税論議、与野党入り乱れて政党の体を為さず、勇み足をつく大臣が多過ぎて、大言壮語は日常化、言った言わないの言い訳は、確たる証拠を見せられて苦渋を嘗めるのが関の山。
 愚痴邪見に翻弄され、川端の柳の枝よろしく左右上下に揺れ動く。
 浅学非才の素人判断を前置きし、何故世界が今の混乱状態に至ったかを考えた。
 2回に渡って起こった世界を2分する戦争は、ここまで価値観が多様化し複雑化した現代では起こり得ない。その代りに常時どこかの国で紛争が起こっている。局地戦という括りではどうかと思うが、それに費やした膨大な金額はこれだけ情報がオープンになっているわりには示されない。リーマンショックで世界的な金融危機が起こり、各国は自国の金融機関を守る為に膨大な公的資金投入を実施した。その時の金が一体どこに行ったのか?巡り巡って新興国というBRICS?金には色がついていないがそれを疑う術は無し。それと軍需企業と嘗て支援を受けた筈の金融機関の大金庫、それと根っ子ではしっかりと繋がっている投資家&会社であろう。
 金余りで何に投資するか分からない状況が今の混乱の原点にある。
 この状況は個人の立場から観ると憤懣遣るかたなしで、その一部が富の格差への不満となってデモ活動に向かった。
 専門家が見れば、私の見方は初歩的でそんな簡単な事ではないと一笑されるに決まっている。
 ならば、経済評論を飯の種にしている人達に言いたい。貴方自身がその解決策を示すべきではないのか?
 

1943:日本の選択

昨日は東京で会議があった。浜松町駅前にある世界貿易センタービルの39F、高所恐怖症の私はあまり居心地はよろしく無い。懇親会を早目に脱け出し、小料理屋で仕切り直し。夏の節電はどうなったのか明かりが煌びやかに灯る。秋葉原からタクシーで錦糸町の東武ホテルへ。スカイツリーが見える宿というITで調べ予約した。酒に弱い私は部屋に着くなり景色など観る余裕無くゴロリンこ。
 何気なくテレビをかけたら、特別番組、坂根正弘コマツCEOが出演、なにやら今の日本の政治に不満遣るかたなく力説、
「部分最適か全体最適・・・・云々」日本は部分最適で世界の流れから遅れをとる。北欧諸国を見れば直ぐにわかる、どっちに舵を切るか一目瞭然だと。代表格のスエーデンなどは国民負担も高い、しかし、世界トップクラスの所得水準と生活満足度を維持してる。お隣の韓国、嘗てIMFが入って大変な状況を見事に脱し、サムソンやヒュンダイといった世界的企業が誕生した。日本は過当競争でお互いに足の引っ張り合いをしている。
 TPPへの参加は突然降ってわいた話ではなく、50年後100年後を見据えた話だと、それにも拘わらず従事者の平均年齢が60歳を超えている農業は精々5年先10年先の話。これでは日本の将来は無いと断言する。
”政治の安定なくして経済の安定なし。経済の安定無くして 政治の安定なし”これが彼の自論とか。赤字会社のコマツを見事に再生、トップ企業にした実績からくる自信と強かさ。我々素人にも判り易い話だった。
 東京一極集中は決して良くない。復興庁を東北に置き、責任者が常駐して指揮を取れ。これこそが政治決断なのに中途半端な対策しかできない。全てにOKという政策など有り得ない。反対を説得する力と覚悟が感じられない。等々、一気に捲し立てた。
 このテレビを見ていたら、目がさえてしまい、眠れなくなった。
 昨日の会議もしかり、井の中の蛙、担当者は一生懸命、それは充分判りますとも。でも、何かが違う。古い業界の体質、坂根の言葉を借りて言えば”超過保護”の職種に我が福祉業界も入っていないか。堂々巡りの議論に疲れた。
 一般庶民の感覚との乖離が目立つ昨今、ホンネとタテマエを上手に使い分けて何をしようと思っているのでしょう?
 ほどほどにして身を引きたいと思った。
 身を引く事は逃げになる。そう思うと年甲斐も無くメラメラ燃えてくる。ならば自分で実績で示せ。
 気持ちが高ぶっても体力が無ければ画塀に帰す。その失敗談は枚挙に遑有らず、
 タクシーの運ちゃんと話した。まだ若いように見受けたが、今日は朝方の4時まで業務、月に12日が勤務だと話してくれた。
 地方都市と東京の違い、シャッター通りなど見られない。
 これで良いのかな・・・・・。そろそろ国全体で持ちつ持たれつ上手くいくような手立てを真剣に考えないと、その意味から全体最適論を少し研究してみたくなった。

1944:制御装置

毎朝、早く寺の本堂前でお経を唱えている初老の婦人がいる。私は一度も話したことはなく、経本を片手に一心に唱えている姿を今朝もみた。
 今国会で第3次補正予算が決まれば、なんと国の借金が合計で1024兆円という額になるそうだ。復興税を含めてということのようだが、いま、日本全体が制御装置が働かない状況にあると思う。バランスが崩れ収拾がつかない事態が至る所に見える。メルトダウン・・・聞き慣れなかった原発事故の緊急事態が国全体で起こっている。無知ほど恐ろしい事はない。新たな情報が出るたびに右往左往、アンタが悪い、お前の責任だ。この議論の到達点は、ならば金を用意しろ!という事に。痛くも痒くも無い国の借金を小出し(?)に出し続け、その結末が誰もが想像できない1000兆円という額に跳ねあがった。これだけではない国民は県や市町村の借金もそれに加算される。
 債務不履行という態様は、ヨーロッパだけの問題ではなく、ユーロ圏というある種の制御棒を持たない日本はより深刻だと思わねばなるまい。本来政治がその機能を果たすべき処、この期に及んでも”政治とカネ”の問題が燻り続けている。
”NO"と言えない日本人の心の脆弱さは、皆で渡れば怖くないという未熟な手法で今や世界から相手にされなくなっている。
 落ちる所まで行かなければ気がつかないと諦観し公言してはばからない人達は、それで良いのですか?
 福祉と宗教の世界に身を置く私は自らの事はさて置き釜中の魚よろしく嘆くばかりで何をどうすればと彷徨っている。
 一つの疑問として言える事は、最近の福祉事業がバブルになっていないだろうかという疑念だ。介護施設では利用定員の数を”床”で表す。一人の入居者に対し、2000万円(1床当たり)をかけている実態、それは初期投資として建物その他諸々の経費である。50名規模で10億円という金額が果たして真っ当な額なのかどうか、最早制御棒が有って無きに等しい業界内体質が長く続いている。
 ”高齢化社会”が喫緊の課題と言われる割には、その対策としてこれだけ経費をかけて多くの高齢者にサービスが行き届くのでしょうか?最近は”超”という言葉を付け足し、更に煽っている。いかなるサービスであろうが福祉は公平性という条件無しに考えてはいけない。
 福祉・医療・農業・・・・・この充実を図る為には大きな政府にならざるを得ない。それならその負担を覚悟できるのかと言えば本気な論議は避けている。
 福祉・医療・農業それと政治・・・・と言われる過保護な業界に長く住み続けると、社会との乖離が進む。自分達の身の周りのことばかりに関心が向き、今の日本の置かれた状況を直視しなくなる。
 一方、宗教の世界は今、大きなウネリの中で波任せの様態にある。それを当然の帰結と感じない。直葬(じきそう)が3割を超すという都会の寺が危機感を持った。しかし、どうすれば良いのかが判らない。
 誤解を恐れず言えば、寺院ほど過保護な業界(?)は無い。そこに胡坐をかき過ぎたツケ。また、地方の寺院は過疎化という流れの中で制御棒が見出せず、悩んでいる。でも、都会の寺院と比べ、いざとなれば畑を作って自給自足できるお寺さんはいるから食ってはいけるだろう。
 話は簡単、粗食と修行、本来の寺の容に戻ればすむことだ。
 私が独り言を飽きもせず続けているのは、”原点””原流”を捜し求めたいという一念から、国が制御棒を示せないならば、自分で捜さねばなるまい。自らの生を生かされていると感じるか自分の力で生きていると思うか結論は明らかなこと。
 これは如何に豊かな国になろうとも変わらない真理でしょう。

1945:良くも悪くも

昨日は昔から知っている人のお葬式がありました。記憶を辿ると自分が小学校位の時の面影が残っているのです。初めて檀家に入るというので遺族の方が大分私に気をつかっておられました。”良いんですよ。私は○さんを昔から良く知っているし・・・”もう大分前に現役を退き、弔問客も50人位とのお話を伺っていました。でも通夜と告別式にはそれを上回る多くの方達が集まってくれたのです。その時、直ぐに故人のお人柄だと思ったのでした。
 斎場の係の人が驚いていたのです。最近は家族葬が多くなり、近い方だけでお別れするケースが増えたのに。
 年齢が70歳前後の方は、まだまだこれからという時にという思いがあります。女性の平均年齢は30年間世界一だそうです。いまは多分86歳ぐらいでしたか?私も61歳をあっという間に過ぎました。でも男性の平均寿命(79歳)まではシンドイなーと思う昨今です。
 何故、70歳前後の方達に特別の感慨を持つかと言いますと、幼い時に先の戦争を体験しているからです。
 親の顔を知らずに育った人も多くいますし、食べる事や住む家を捜すのに苦労された人達ばかり、そして、無我夢中で働いて家族を養い、これでゆっくり出来ると思った時に旅立っていかれる年代の人達です。
 お疲れ様・・・ありがとう・・・ゆっくりお休みください・・・斎場の司会者が強調していました。
 私達の一生は、真っ白なキャンバスに色を染めていくことだと誰かが言っていた。でもどうでしょうか?
戦争前後はキャンバスそのものが無かった時代では無かったでしょうか。あれから時間が経ちました。周りを見回すと一変しましたね。良くも悪くも。
 良く変わったのは何でしょう?モノが多くなったこと、それにつれて便利になりましたね。それを疑う人はいません。
 疑問に感じなくなるとモノゴトは風化していきます。
 東日本大地震の体験も風化するのでしょうか?残念なことでは有りますが、確実にそうなると思います。先日東京で会議があり、福島の方と話をしました。施設の建物を建て替えるにしても建てる場所が見つからないという事でした。放射能汚染がそこまで広がっているのか、果たして表土だけを取り除きそれで安全確保ができるのでしょうか?
 汚染された土を一時保管する場所の問題が起こっています。これは原子力開発の片手落ち、その責任を誰が取るというのでしょう。
 この冬は電気を使わないで暖を取ろうと石油ストーブが飛ぶように売れていると聞きます。節電への意識化は日本中に行きわたったでしょうか?
 宇宙ステーションから地球を眺めると都市部の明かりがハッキリと判るといいます。これら全ての電源は人間が人工的につくったものです。電球が発明された200年前と比べ、もの凄いスピードで世界中に明かりが灯った。その弊害が我々人間は利便性の傘の下に隠し、今に至ったのです。
 何も皆が寝静まった時間に明かりを灯す必要はないのです。
 これを変える事が出来るでしょうか?仏教で言う”知足”は際限ない人間の欲望を抑えるために言われてきました。それが人との比較で量ってきたものだから、ドンドンエスカレートし、止まることを知らずに追い求め続けてきたわけです。
 人間のエゴです。このまま進むと格差は更に拡大し続けるでしょう。それで果たして幸福を感じるのでしょうか!もう、ハッキリと答えは出ているのです。
 身近な例で恐縮です。福祉施設が設備が立派になる事は否定はしません。ですが、妙な事が起こりました。それは家族との絆が薄れたのです。何故でしょう?
 良くも悪しくも問い続けなければならない時代になりました。

1946:膨大な資料

会議や研修で受け取る膨大な量の資料、ファイルに分類し保管するまでに至らないものが実に多い。インターネットによって必要な部分だけを見るというのも実は簡単ではない。どこをコピーすれば良いのかが判らない。
 資料の整理能力はゼロに等しく、だからと言ってさして困る事も無い。なんとも情けないやら、このような事に貴重な時間が浪費されている。
 確かに情報が氾濫している。これはモノが多過ぎるからで、ここまでくると便利というよりも無駄に思えてしまう。例えば建物を新たに建てるという時に、設備や資材のカタログを見せられ途方に暮れる。色・形・材質・・・部厚いカタログから選ぼうとしてもできやしない。普段使用する机の周りを見回すと、先ず、筆記用具の数、買った記憶はないのだが使えきれない程の本数がある。使い捨てというのでは無くてまだまだ使えるものばかり。
 見過ごして何とも感じないこととして世界では筆記用具や紙が手に入らない国も多く存在する。私が中国の青海省の奥深い場所にある寺院を訪れた時、子供達が板に白墨で字を書いて学んでいた。口述筆記、彼らは塾に通う事も無い。
 真剣な眼差しとキラキラ輝く目がとても印象的だったことを覚えている。
 日本の現状を具に見た訳ではないが、仕事が見つからない人と仕事に就かなくても生活できる人が混在している。これが果たして目指した姿だったのか?
 私は、最近、一瞬ポケーンとしてしまって頭の中がカラッポ状態になることがある。認知症の前兆か?自分勝手な見立てだが、何かに集中して必死で動いた後にそうなるようだ。自分の許容量を超えた時、情報遮断機能が働いたかのようだ。
 人は時間の大半を目的を感じないで過ごしている。それを無駄と考えるか否かで生き方のゆとりに違いが生まれる。そのバランスが崩れると眠る時に目が冴え、大事な時に眠くなる。多分、睡眠の総量は大して変わらない。良く寝たかどうかという違いはあるだろう。
 いずれ資料に埋もれる事も無くなる。必要でなくなれば自ずとお呼びがかからなくなるだろうし、その時、懐かしむのも良いかもしれない。モノゴトは考えよう。何も他と比較して背伸びすることも無いはずだ。
 日曜日の何かの討論番組で出演者の意見がどうしても噛み合わない・・・・・そうそうTPP参加の是非を討論する番組だったと思う。結局は反対しているようでそうでもない。参加時期が早いか遅いかの違いで描く姿に大差なし。TPPだって外交交渉の類、嘗て自分達の良い条件だけで結ばれた条約など有りやしない。日本はもの凄い勢いで動き過ぎた感がする。日本人を評価する国もあればその逆もある。惰眠を貪っているわけではないのだが、もうちょっとスピードを遅くした方が良いような気もする。総理大臣の首の据え変えが早いこと早いこと。
 目先の事に振り回され、また元の鞘におさまったという経験を何度もした。
 日本だけが取り残され、取り返しのつかないことになりやしないか症候群と長い病名を付けたくなる。少々ブレーキをかけ、周りを見回す余裕が欲しい。ローカル線の各駅停車を見直しません?
 円高で外国旅行まっさかり?団体旅行に全く興味の無い私は、行きたい場所は沢山あるがせめて言葉で困らない様にと思うから・・・・・・自分の足で歩きたいと思うから・・・・・。
 不肖、私は現在、行ってみたい行きたいな症候群で治療中です。
 

1947:霜月

"道に落ち葉の散り敷くころ、如何お過ごしのことでしょうか。・・・・・”
 今夏は然程、暑さが厳しくは無かったと思いますが、周囲の木々はすっかり秋の装いになって、紅葉した葉を風がなくとも地に落としています。霜月とは言っても最近めっきり霜を見る事が減りました。道路が舗装され、霜を踏みながら歩いた時代が懐かしく思います。
 気候の変動は確実にやってきています。アメリカ東部を襲った大寒波、この時期に積雪40センチとなるのは観測史上初めての事?依然として油断を許さないタイの洪水被害、これも開発で保水能力が減った土地が急激な雨をそのまま低地に流してしまうからという見方があるそうです。日本だけの話ではなく、様々な異変が全世界で起こっています。
 昨日、坊さんの研修があり出席してきました。日本の地震研究の第一人者の先生の話でした。この地球上で日本周辺が最も地震の多い地域と言う事を確信できました。歴史から見て、今回のM9.0という東日本大地震はチリ地震(M9.9)に次ぐ大きな地震だったそうです。津波と地震との関係も判り易い説明をしてくれました。
 結論として、地震の予知は大変難しいこと、未だかつてピタリと当てた人はいないとのことでした。3.11は、丁度今日と同じ会場で研修会を行っていた時でした。振り返ると様々な事が思い出されてきます。
 地震研究者の立場から、日本の原発をどう思いますか?と私は質問してみました。先生はあらゆる機会に同様の質問をされてきたのでしょう、「ほら きた」という予想的中の印象を受けました。
 ”禁句”という二文字・・・・。要は危険性を訴えてもマスコミも経済界も取り上げてはくれないという事の様です。安全神話というものを作り上げ、柵で閉ざされ如何なる侵入者も入れない状態という。
 原子力村を構成する人達は、複雑なネット社会を築いています。それには潤沢な資金力が働いている。見す見すそれを取り逃したりしません。ただ、原子力の恐ろしさは結果が直ぐに分からないということにあります。
 チェルノブイリが過去の出来ごととして忘れ去られたことのように思われていますが、住めなくなった沢山の集落、消えた街の名前が道路の両脇に立て看板になって表示されています。事故から25年が経っているのです。
 20年〜30年という年月は決して長くありません。先を見れば長く感じる時間かもしれませんが振り返ればほんの一瞬ではないのでしょうか?
 ちょっと気になる事は、日本人が変な意味での村社会を築いていると思えてなりません。誰かがやってくれるだろう!とか自分ではどうすることもできないという諦めが充満している。
 昨夜こんな話を伺いました。都会の某児童養護施設です。ユニットケアーを取り入れ、30名の定員を6グループの小舎制にした。それが5人の子供たちが一緒に食事をすることができない。これは支援者の能力不足か?それとも利用する子供たち側に問題が有るのか?という話でした。大学で福祉を教えていたベテランの先生の弁です。
 でも頷けるような気がしました。最近の人達は大部屋で過ごす事は苦手、旅先でもシテイホテルで個室を選びます。それだけ出来るようになった豊かさ、でも、それだけでは無いと思います。
 居酒屋、立食パーテイではゆっくり話し合うことなど出来ません。表面的な話だけ私の経験からしてもお互いの話が半分も通じ合っていないと思います。修学旅行だって小グループを作って別行動、何かが変わりました。それが良いことなのかどうか判りません。
 多分、選んでいるのですから、それで満足なのでしょう。でも、所詮、村社会の中でのこと、垣根が取り去られ相互交流が一気に進んだ世界の動きとどう向き合うか!
 今回の原発事故は日本だけの問題では無い。確実に言える事は、世界に多大な不安と迷惑をかけたという事です。
 政府はやっているとは言いますが、国会の審議を聞く限り、表面的で探り合い、実行性が感じられない。
 その中で故小渕さんの娘さんの質問が心に残った。野田さんと私の父は雲泥の差・・・・・、言葉だけでなく、如何に実践したかが問われている。同じことを言っても相手に響くか否か、繕いきれないものです。そこが今の政治の脆弱性の証としか見えない。
 

1948:スタートライン

なでしこ”へ乾杯
今年は小委員会を6つ組織、その先陣を切り、『女子ケアーホーム委員会』が検討してきたケアーホーム(4名+スタッフ1名泊)”なでしこ”が11月1日からスタートしました。法人として8番目のCH・GHになります。
 多少、興奮気味で落ち着かない4人のメンバーは入れ替わり立ち替わり訪れるスタッフを自室へ案内し、説明していた。その時の表情がとても印象的だった。私はケーキと花を買って駆け付けた、乾杯をする時間にはまだ食事作りが半分程、少し少なかったかな?でもその心配は徒労に終わった。勤務が終わったスタッフが手土産を持って来るわ来るわ食べきれない程、食卓に並んだ。結局20名を超えるスタッフが集まった。
 今回は皆に特別の思いがあったに違いない。発端は、やはり横井さんを迎えてドイツのグループホームの話を伺ったことだった。私はそう思っている。今、メンバー達に出来ることをしてあげたい!その強い想いが皆に有った。家族への説明、不動産屋に何度も足を運び、空き家を探す。丁度良い物件が見つかり、大家さんと話し合い、こころ良く了解してくれた。それから開設の申請手続き、内装、備品の準備など・・・・・。その苦労全てが一気に吹っ飛んだ。正直、私も嬉しかった。
 ドイツのGHを見てきたばかり、焦る事は無い。目標は高く持ち、一歩いっぽ近づく努力こそ重要だ。やってみて失敗しても良いじゃないの。そこから何かを学ぶもの。
 そう思うとスタートラインに今立ったような気分になった。
 やればできる! 備品も家で使われていないモノを貼り紙して集めていた。既にある住宅地にできたホームだけに近所への気配りも慎重し過ぎるくらい、今までのホームは周りに後から住宅ができたもの。先住民の強さがあった。今度が初めて後から仲間入りさせていただく第1号かもしれない。
 3か所の市町村は初めてだと言っていたそうだが、体験入寮の制度を認めてくれた。できれば4人がこのままスムーズに移行できれば良い。
 これからも新たなホームができることを信じたい。地域生活したいという願いは、メンバーもスタッフも実際に体験を通して確信することなのかもしれない。
 いつの間にか制度の福祉にドップリ浸かってしまった自分を反省する。もともと福祉は何もないところから始まった。
それが原点だ。出来ない言い訳を並べ、不満を言っている中は何も変わらない。
 この歳になって、不思議なもので次から次に頭に浮かんでくるものがある。
 福祉に関わる人間として忘れてならない事があると思う。それは場違いの豪華な建物など必要無い。いま世間ではどのような状況にあるかを敏感に察する視点が必要。
 どこかで変な道を歩み始めたのは、見せ掛けの福祉と儲かる福祉の解禁である。
 謙譲の美徳を忘れた関係者の思い込み。
 今回の大地震で判ったことがある。障害者施設にこの時とばかりに何か困っていませんか?という問い合わせが増えたこと。
 私はそんな時、”何も困っているのは障害者だけじゃーないですよ。皆さん同じだから、特別言う事などありません”と答えることにした。
 私は元来が天邪鬼なのである。だってそうでしょうよ。今まで相手にもしなかったのに急にだろう。その根性が許せない。
 日本人の度量の狭さに障害者は困っているものという先入観があるように感じる。これこそ偏見と差別だ。障害者だって同じなんだよ。
 それと始末が悪いのは自分はボランテアでこんな事をしていますと自画自賛する輩。どうもこのタイプの人間は胡散臭くて好きになれない。
 浪花節ではあるめーし、お涙頂戴で誰が一体喜ぶんですかってーんだよ。
 
ウーム!!!
  感想ですかね?

”なんと申せば良いでしょう・・・か?”
   がんばっぺ!!!!

            『(かた)まったSさん

1949:業界体質

日本が袋小路の中に入ったと私は思っています。言葉だけという事が多過ぎます。何を信じ、どうすれば良いのか、その基準すら見えなくなった。権利と義務が自由という言葉によって希釈され、なんでも有りの様相が目立つ。
 昨日は水戸で某団体の役員会、これだけの内容で時間を割く必要があるのだろうか?虫の居所が頗る悪かった。
 またもや、通夜と重なり、その為もあったのだろう心に余裕が無かった。早々に帰ってきた。高速を運転中ラジオから流れてきたニュース、京浜東北線が人身事故でストップ中、来る時も他の線で同様の報道があった。
 自死を選択する人が後を絶たない。これは本当に憂うべき事態だ。土浦に戻り、国道沿いシャッターが閉まっている会社が目に入った。知人に電話し確かめた。数年前に取引先の倒産の煽りを受け、多額の負債を被り倒産したと知った。私の知り合いが嫁いだ先だった。
 巷では規律の喪失と倫理観の欠如が止まる処を知らない状況が多過ぎます。
 弱肉強食の世!2極化!独り遠吠えの如く・・・・・・・・。
 斎場について遺族と話をする。ご主人が50歳の時に脳出血で倒れ、15年寝たきりの生活、そのご主人に代わって奥さんが喪主を務めると深々と頭を下げられた。
 自分は家族葬で良いと言ったのですけれど、主人が「お前の父親なんだから、ちゃんとお葬式あげな」と言ってくれたと涙を流した。
 これを一体どう考えればよいのだろうか?世間体???そうじゃない。多分、ご主人の奥さんに対する感謝の気持ちからだと思う。病気に倒れてから、迷惑をかけてきたという思いがそうさせたと思うのです。
 世の中には、目立たず、一生懸命生きようとする人達が大勢います。いつまでも病気になった不幸を嘆いていてもしようがないとパート勤めしながら家計の足しにしようとしている・・・・・・・。多分、逃げ出したくなるような気持ちだろうが毅然として喪主を務めていた。
 その反面、利権を貪り、地位を死守、そこまでするか!とおもうような事を平然と行う輩。地獄の相をみる思いだ。
 何の世界でも同じだよ。そう言われるにきまっている。
 確かにそうかもしれませんね。私は親父から言われたことでハッキリ覚えていることがあります。それは一人では何もできない。人を作りなさいと。今になって漸くその意味が判りかけてきた。若い時分は人を人脈と考えていた。なるべく多くの人と知り合いになるためにできるだけ多くの場に顔を出した。でも、そんな事を言っていたのでは無いことが判った。
 自分の範とする人間を作れと言う事だったと思っている。それには人を見究める眼を養えと言う事。何も日和見主義で二股かける必要は無いという事だった。
@昨日オープンしたCHに「しゃくなげ」(他のCH)のメンバーが祝いに行った。
   その時、Uさんがいつもと違ってとても喜んでいた。
A寮のIさんにOさんとSさんが今度CHに移ったと話すと。
   彼女は急に「○○さん、一緒に食事にいこう行こう」と話し掛けてきた。
    ・・・・・・? 
 
 

1950:金縛り

三谷幸喜監督の『ステキな金縛り』という映画が面白い。深津絵里が演じる三流弁護士と西田敏行の落ち武者(更科六兵衛)の巧妙な遣り取り、涙あり笑いあり、三谷ワールドの独断場、どうしてあのような発想が浮かぶのか?
 私の下手な説明を聞く前に先ずご覧になられることをお勧めします。
 所々にメモしたくなるようなセリフがあった、その中で残っているものを二つあげれば、
落ち武者が何しても上手くいかない弁護士へ・・・「自信を持ちなさい。自らを信じられず、誰が信じてくれるか!」と励ます。
中井貴一演じる検察官が裁判の後に、・・・「裁判は勝ち負けを決する為に有るのではない。何が真実かを解き明かす為にあるもので弁護士と検察官は目指すところは同じ・・・」
 なるほど、巷にはこの逆現象が目立ち過ぎる。
 金縛りを経験した人は結構いるのではないだろうか?寝ていてまったく動けなくなる経験、落人部落やその種の温泉に投宿した時など、私には残念だがその経験がない。
 試しに金縛りを辞書引きしてみた。すると2番目の意味にこのようなものがあった。
A金の力で自由を束縛すること。   あれっ!!!なんだなんだ、どこかで聞いたような話。誰かが必ずどこかで見ているという下り。当にその通り。私の唯一の法事の時の説法の落とし所だ。彼岸に渡れば、あちらの世界で裁判官なる方がいて、此岸での行いをしかと見ていて断を下す。閻魔様の存在だ。
 この2番目の意味がこの映画の影の主題か。そう考えるとストーリーが実に見えてくる。
 世の不条理に泣く人は多い。地団駄踏んで何度悔し涙を流した事か、それを慰め励ました昔からのたとえ話、時代がどのように変わろうがその種の救いが必要だ。
 先日、葬儀の帰りに乗せてくれたタクシーの運ちゃんが三谷作品の主人公に推薦したいような面白い人間だった。
 私がタクシーに乗ると、いきなり『ここの斎場はどうでしたか?』と聞いてきた。「ハーン?」
『いやね、段取りが悪いと坊さんから良く聴くもんですからね。』「そうね、安値でやると聞いているからかな、スタッフが少ないようだし」。それだけの話。私を相手にしても駄目と判断したようで「どこどこも駄目だわなー」と独り言。だんだろう?この運ちゃんは。
 暫く、黙って運転していたが、これまた突然、「尚恵さんの子供たちが寺に行かないか?」「ああ。。毎日来てますよ。好きな食べ物が上がっていれば食べちゃう」「ひぇースゲエー」
「○○まだいるんでしょう?」「ああ、いますよ元気元気」「休みの時に駅で待っているとタクシーの周りにくるんだ。キュウチョウやっているんだってな?」「キューチョウ???」「うだー。学級委員だ。」「・・・・・・・」
 その時、誰かがいつも見ているという映画のセリフと合致した。
 勝利投手になれるには直球勝負だけでは勝てない、それと運が味方しないと・・・・・。全く違った話ですが、これは私の独り言でした。