源究120

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1911 秋の味覚 9/19 1916 8番目 9/24 1921 きずな 10/6 1926 墓参ツアー 10/11
1912 出来る事は 9/20 1917 活かす 9/25 1922 専門性 10/7 1927 空手還郷 10/12
1913 ぬけがら 9/21 1918 経験&確信 10/2 1923 パンドラの箱 10/8 1928 選択肢 10/13
1914 自然の意思 9/22 1919 育つ 10/4 1924 歴史 10/9 1929 バラエテイパーク 10/14
1915 秋分の日 9/23 1920 巧言令色 10/5 1925 起業 10/10 1930 福祉の新生 10/15

1911:秋の味覚

明日20日は彼岸入り、昨日の日曜日位から墓参りに来る人が目立ち始める。秋彼岸は盆月と離れていないから1年で一番賑わう時期となる。色とりどりの花が墓前に飾られ、さぞかしご先祖もご満悦のことだろうよ。
 今年は彼岸花がまだ顔を出さない。いつもなら9月中旬には赤い花を咲かせる曼殊沙華、天気のせいだろうか。
 それと栗、実の付き具合が悪いと聞いた。味はどうだろう。昔へタイムスリップ、秋の運動会、家族がそれぞれ工夫を凝らした食べ物を持ちより茣蓙を引いた席に座って応援する。その時に栗は定番ものだった。50年前と比べれば神立もやたらと栗畑が多くなり、決して珍しいものでは無くなった。
 父が偶に東京へ出た時、上野駅近くのなんとか?というパン屋で買ってくる白砂糖を塗ったパンが最高の土産、それがいつの間に甘栗に変わった。子供にとっては上手く皮を取って食べることができない。爪で傷を付け両脇から押すと上手く皮が取れた。これも腹膨れるまで食べるものでは無く、小袋に入った甘栗で家族5人は充分だった。
 栗は食べ物でも珍しい。柿や梨、ミカンに葡萄と秋の味覚はその殆どが木になっている状態のものをもぎって食べる。栗は実を熟し殻を自ら割って食べごろになった時に落ちて、それを拾って食べる。柿拾いとは言わないが栗もぎとも言わない。
 これも気にしなければなんでも無いことなのだが、一度考え込むと自然の不思議さを感じ、食べるのを憚る。
 尚恵学園の周りに沢山の栗畑があり、丹精込め育て収穫期を待つ人にとって、無断で拾って持ち逃げする輩には腹がたつ。
よもや、利用者の誰かが失敬するようなことがあるまいに、彼らは自分で煮て食べる術を知らない。
 またもや痛ましいニュースがあった。JR北海道の社長が遺書を残し自殺、書き残されたものに、自分が一先に戦線離脱することを部下に謝る内容の事があったという。
 仏教では自死を認めない。四苦八苦は誰しもが避けられない道として、それと上手く折り合う生き方を示す。
 リーダーの責任の取り方に私なりの言い分はあるが、自らの命をたってまでも責任を取るというのはいかがなものか。
 JRも国鉄改革によって民間企業に変わり、分割された地域によっては経営の難しさが大きく違った。北海道はドル箱の新幹線もなく、今でも単線が多い。線路の総延長距離に比べ運行収入は低い。そのような経営環境の中で脱線事故があり、その責任をとって・・・・。
 何か責任を取らず途中で変わってしまう人が目立っていただけに、複雑な思いになった。
 また、NHKがNASAの協力を得て、宇宙センターから実況で映像を流す特別番組があった。古川飛行士自身がカメラ捜査して映像を流してくれた。無重力のシャトル内でカメラ捜査の難しさに合わせ、1秒で8キロすすむという地上では考えられない速度で地球を廻っている。日本の南から北までを縦に通過するのに10分程度と知った。
 LIVEでの放送は世界で初めてだというが、カメラで映された地球のその中に我々が今いるという感覚は胸躍るものである。
 地上から400キロ離れた場所からは、雷の光が下に見え、夜の街明かりと日本周辺の海で漁船が発する明かりが鮮明に見えた。節電と騒ぎ立てた今夏、宇宙からハッキリと見える明かりは、相当な燃料を消費していることが判る。
 モノゴトは一面からだけ見ていてはならない。できれば全世界に毎日リアルタイムで宇宙からの映像を流したらどうだろう。
 宗教や民族の違いで争いが絶えない人間どもの生業を少しは冷静に考える人も出てくると感じた。
 

1912:出来る事は?

脱原発訴えのデモ行進が大江健三郎さんも参加して東京で行われた。大江氏はご存知のように9条の会の呼びかけ人に名を連ね、戦争を永久に放棄しようと訴える。井上ひさしや小田実は既に亡くなり、当初呼びかけた人達も高齢となり、うまく次世代に引き継ぐことができるかという悩みがある。この会は政党に関係ないとうたっているが、集会を行えば政治色で偏ってしまう傾向は否めない。
 今回の脱原発の動きも同根である。後を任せる若者達に負の遺産を残してはならないという基本の考えがある。日本人は表に出て反対運動をすることに消極的な国民である。とは言っても何も不満がないというのではなく、デモ行進している人達に賛同している人も多い。
 高見の見物という事が世界で一番上手い国民かもしれない。大江氏が演説で述べた、「我々市民が出来る事は、考えを同じくする人達が集まり行進するより他に方法がない・・・・・」と。
 大江氏は自ら著す作品で平和を世に訴えている。それが認められノーベル文学賞を受けた。我々庶民がどのような形でその運動に参加できるかと言えば現実には上手い考えが浮かばない。せめて原発に反対するのであれば、無駄な電気は消し、機会があれば自らの考えをハッキリ言うこと位だと思う。
 政府は事故を起こした福島原発の年内冷温停止を前倒しで発表するという報道があった。でもこれは通過点でこれから先どの位の期間終結まで要するか分からない。
 その間に新たな問題が広がっている。愛知県で避難者を元気づけるためにチャリテイで開催された花火大会に福島の花火工場から贈られた花火打ち上げが市民の反対で取り止めになった。更に、水質浄化の際に出た汚泥の焼却灰の最終処分が決まらず、依然としてうず高く積み上げられている。それよりも使用済み燃料の最終処理も全く決まっていない。
 これで政府は、本当に定期検査に入った原子炉を再稼働させるつもりなのか? 正直、国民はいま知らされている情報だけで再稼働の是非を判断しろと言われてもできない。衆議院を解散し、原発の是非で選挙を行うことができるのか?
 多分大方の人々はそう思っていない。何せ政党に関係なく、議員一人一人の考えが決まっていないのだから。
 専門家の方がこんな風に言っていた。いま原発を即中止したら、現在54基ある原発を安全に終結させる技術開発ができなくなると。これだけ大変な問題を見切り発車で作り続けた当事者の責任は計り知れない。
 日本の原発は全てが海沿いに点在している、原発銀座と言われ16基もの原子炉がある福井県は特殊である。何故、そこまで多くの原発建設を許可してきたのか?30年〜40年という準備期間を設け、地元の同意を得て建設されてきたものだろうが。
 享受する便利さを手放さず、更に豊かさ(?)を追求しようと考えると、代替のエネルギー確保が間に合わないから判断に迷う。
 モノの豊かさという発想からは本当の幸せは得られない。寧ろ苦しみが増えるだけ。これは2500年前に登場した釈迦の根本の教え。それがいつの間に薄れ曲解され、ご都合主義&利己主義になった。
私が思うに、福祉や介護を金銭で買うという施策の転換が分かれ目であったと思っている。互助の精神という”ゆい”があっという間に全国から消えた。地方に残る様々な絆が形骸化し、消えていく。そして、格差が広がって妬みや不満が蔓延した。本来、私達庶民の暮らしに敏感であるべき政治家は当選回数に比例して在京の者が増え、地元を疎かにしている。
 多くの知識人が3.11を期に従来の反省を踏まえ新たな文化の創造をはかるべしと訴える。言うは易し。自ら範を示せ!
 これも日本人特有の”高見の見物”的処世術か!。
 *私が尚恵学園を知的に障害ある人の支援だけに拘るのは、実は多角化と反比例する実態を余りにも多く見てしまったからである。

1913:ぬけがら

森村誠一という流行のミステリー作家が面白い事を言っていた。作家には元総理とか元教員という言葉はないという。モノを書かなくなった作家は”ぬけがら”だと。
 今までに400冊もの多くの作品を書きあげてきた森村は他の多くの文筆業の人達と同じく様々な職業を経験している。その中で10年ほどホテルマンとして働いた経験が人間観察の上で大変参考になったという。お客として様々な人と接してきた中で客は従業員に対し無防備で自分を曝け出すという。その人間模様が無尽蔵の題材となっているという。モノ書きがモノを書けなくなった時は、蛇や蝉が脱皮したあとの皮殻という考えは私にとって思いもよらない事であった。
 多くの作家は自分なりのコンセプトを持っている。テーマに向かう統一的な視点があって独自の作風が出来上がる。浮き沈みの激しい職業で、森村のように月刊何本もの執筆を続ける作家はそう多くはない。
 定年の無い職業で、生活のリズムも様々だから自分をコントロールするのが大変だ。森村には決まった日課があり、7時頃起きだし、8時半には決まった喫茶店に行き、そこで小一時間準備体勢を整え、午後1時から4時頃までと午後の6時から9時までの1日約6時間を執筆にあてる。その後夕食を摂り眠るという。このパターンを崩すと眠れなくなって翌日に影響すると言うのだ。モノが書けなくなる恐怖感は常にあるという。
 芥川や谷崎という文壇の巨匠が最後を自らの意思で閉じた背景がその辺にあるのかもしれない。
小説はあるテーマを拡大させていく作業、一方俳句や短歌というものは全体を限られた文字に凝縮させエキスだけを抽出する作業?
 ミステリー作家には結末をどうするかという書き方と結末から展開をどう作り上げるかという書き方があるという。
 これは仏教の瞑想法に通じる。あらゆる宗教のテーマは”死・死後の世界”である。それは誰もが体験したことが無いもので、修行とか信仰という媒体(?)によって導いていくもの。理解の補助手段として死から今を見つめる方法と今から自分の死を見つめる方法がある。死を抜け殻と考えれば、作家にとって筆を置く事が死を意味する。
 コンピューターでバーチャルリアリテイ(仮想現実)という技術がある。人工的に現実の世界を再現するもので、シミュレーション技術や3D映像など利用範囲は広い。
 最新の科学でも様々な方法で利用される技術だ。最近、日本の先端技術の高いレベルを世界から脚光を浴びた”ハヤブサ”のプロジェクト、地球から40億キロ離れる微惑星”イトカワはなんと直径500メートルという大きさだという。その標的に着陸させ表面にある物質を採取してまた地球に帰還させようとする計画。
 想像していなかったトラブルの連続、何度も計画中止の危機があったにも拘わらず結果として奇蹟的な成功を成し得た。その元になったのが、悔いが無いように出来る事は全てやってみるというチームリーダーの固い信念であった。
 何せ地球からそれだけ遠方の衛生に電波で指示を送るのに往復40分かかる。そのコントロールする緻密な計算にスーパーコンピューターが活躍した。
 宇宙科学に関わる人にとって自然界の想定外の出来事を知ることが最高の喜びだと言う。
 これもまた未知の世界への好奇心・・・・とすれば死が人間にとって未知の世界、決して忌み嫌い避けることではない。だが、それには自分に与えられた命を生き切るという努力があってこそ期待できるボーナスだと私は思っている。
 

1914:自然の意思

台風15号でヒマラヤ杉
が根っ子から倒れる。
  『尚恵成人寮』
沖縄南東沖で迷走した台風15号は、逆時計廻りでグルリ進むべき方向を弄ぶが如くその歩みを止めていた。何を思ったか急に方向を北に向けると時速15キロというゆっくりとした速度で動きだす。先の大地震復興儘ならぬ東日本に向け速度を徐々に早め、それに合わせ勢力も強まって浜松市近くに上陸、山梨〜埼玉〜栃木と進路を北東に向け、午後7時頃土浦に一番接近したのである。今回の台風は局地的な大雨と間断のない暴風で各地に大きな爪痕を遺し、深夜遅くなって東北に抜けた。
 尚恵学園周辺はいつも大雨が降ると用水路が溢れ、排水菅が逆流し機能停止となる。それだけなら我慢ができるのだが道路が冠水、歩行が危険な状態となる。昨日もまさにその状況になった。
 さすがに雨風が強い中で屋外に出る利用者はいなかったが、地域の職場に通っているメンバーの安全確保には気を使う。
 それと昨日は思いもよらなかった事が起こった。成人寮の入口に立つ太さ1メートルほどのヒマラヤスギが南風をもろに受け倒れた。幸い県道側には倒れず、作業棟の屋根の庇に寄りかかるようにして止まった。
 風向きがもう少し西からであったら諸に電線を切って県道の通行をも不可能にしたに違いない。県道は通行量が多いので通りかかった車の上にでも倒れたらと思うとぞっとした。
 早速消防署に連絡、どうしたら良いか判断を仰ぐ。道路側に倒れる危険性は少ないから見回りだけして下さいという指示を受けた。(Pm8:30)
 今回の県道拡張に伴い年内にこの大木は伐採する予定であった。枝が伸び過ぎ、そこに強風があたった為に倒れたものと思う。大木にしては根が細かった。
 今年ほど自然災害に襲われる年は珍しい。日本全土を何らかの意図をもっているかのように猛襲する。過去の経験から地域ごとに様々な災害対策は講じてはいるが、悉く想定の上をいっている。荒れ狂う台風、その暴風雨が止むまで只管じっとしていること位しかできなかった。
 何故、今年に限ってここまで日本を傷めつけるのか?
 案の定、首都圏の交通網は大混乱、帰宅時間になって駅に人が集中、先の3・11の経験から駅のシャッターを下ろし帰宅難民を追い出すような事は無かった。9時過ぎに風雨が弱くなって徐々に運行が再開され各々が自宅に帰っていった。
 被害がどの程度あったのかは判らない。しかし、私の住む地域でも道路に倒れた木や枝が散乱、県央の那珂川は氾濫危険水位を超え周辺住民(水戸)5万人の避難勧告が出ている。
 台風12号で出来た奈良・和歌山の土砂ダムも今回の雨で満水状態、いつ土石流となってもおかしくない。膨大な倒木が河川を埋め尽くしどこから手を付けて良いのかわからない。
 更に東北の被災地はどうしただろうか?今頃は北海道東側を時速70キロという猛スピードで暴風雨を伴い進んでいるに違いない。
 日頃の対応と言っても自然の力に対し成す術がない。
 昨日は午後水戸で会議があった。早めに切り上げたが、水戸市内のいつも利用する道路は冠水していた。タイヤが埋まってしまう位の深さ、エンジンが止まり立ち往生したら、あの強雨の中でどうしたら良いか不安になった。
 

1915:秋分の日

秋涼の候、一雨ごとに秋の気配を感じ・・・・・・という季節の挨拶を交わすには、今年の天変地異は人の心を荒めるばかり、爽やかな秋の彼岸に墓参るとは程遠い。昨日は台風の爪痕、墓地の木々が倒され偉い状況になっていた。応援を頼み1日かかって応急に後始末を行った。時折、訪れる墓参の人達も足早に花をあげて引き上げて行った。
 気温の変化が激しく体調を崩す人も多いと聞く、確実に冬に向かう。今年は何をするにしても被災地の人々の事が頭を過ぎって行く。避難した仮設住宅にさえ、台風15号は容赦なく、雨と風で襲った。復興への兆しまだ見えぬ中で本当に多くの人達が耐えている。
 小出裕章著:『原発のない世界』という本を読んでいる。京大で原子力に関する研究を行っている著者は一貫して反原発を唱えている。経産省の古賀さんと似通った立場に置かれているのかも知れないが、教授にはならず準教授でいる。
 日本人の多くが原発の事を余りにも知らないという。54基ある原発をもし即廃止しても安全な状態で今後保守していくにどの位の年数がかかるかという質問に「100万年」という。
 あまり知らされていないが、今回の福島原発で4号機は実際には定期検査で停止中だった。それが津波をもろに受けて、放射能を撒き散らした。だから停止したとしても安全ではないという。ならばどうすれば良いのだろう!
 既に作ってしまった原発をこの先国策としてどうしようとするのか?
 電力会社・官僚・企業・研究者・マスコミ・ゼネコン・下請け・労働組合・・・・・などが実は原子力村を形成し、絶対存続を画策していると。いち早く原発廃止を表明したドイツと日本は一体どこが違うのだろう?26日から短い期間だがドイツに行く事になった。彼岸が明けるその日に寺を離れることに後ろめたさを感じながら、副住職に留守を無理やり頼み、最早、気分はヨーロッパ。
 自然だけではなく経済の先行きも不透明、株価の乱高下や国債の格付け変更など素人にはリスクが大き過ぎ、手出しする場合では無い。
 人間は他人の苦しみを解るのだろうか?ホンネでは自分が被害に遭わなかったことに安堵し、そこから一歩も出ない。今の儘で良いとは誰しもが思ってはいないのだが、高見の見物で誰かがやってくれるまで待つ姿勢。世の中の不条理を嘆き不満は言うけれど、自らの責任でそれをどうしようとするかとなれば一様に腰が重くなる。
 豊かさを獲たといっても数字で示されただけ、生活の実感は未だ新興国、それでも何が変わったかと言うと、権利だけは主張する国民と化した。斯様に決めつけることに反発もあるだろう。確かにそれは認めよう。心温まる絆がたもたれた地域や家族もある。だが、それだって確実に縮小している。
 権利の主張は、実は自由を標榜した結果ともいえる。自由の言葉の定義は難しいし、実態は矛盾だらけ。高等教育から一流企業、それに何らの疑問も感ぜず受け入れ目標としてきた世代は確かに先の戦争の悲惨さを多少は知っていた。
 それが為にバランスを逸した必要以上の自由と豊かさを黙認し、そのしっぺ返しを今受けている。
 県の仏教界でブータンを訪問する計画がある。「国民総幸福」を唱え、近代化を頑なに拒否続けてきた国、いまはどうなっているのだろう。
 私達は旅行などで知らない場所を訪れ、その時は新鮮な気持ちになっても直ぐに忘れてしまう。
 だが、本当は知らないと言ってもこの地球上のどこか、仏教が最初に掲げる四苦の世界とは別次元でこれはそれ自分の心の世界というなんとも訳の判らん旅なのである。
 

1916:8番目

数日前、8番目のケアーホーム(建物)の賃貸契約を結んだ。以前から女子ケアーホーム用の家を探していて、丁度良い貸家が見つかった。
 いよいよという感じであるが、4人の方達が近日中に移る事になる。家族の了解も得て、最初は試験的にご本人が納得するか否か?これを見定めてからになる。
 30名程の人達が地域で生活始めると、これがまた思いがけない事が起こる。待ったが効かないから直ぐに対応しなければなりません。8つのホームに別れて生活するので、食事や夜間の対応には細心の注意が必要だ。
 本体の施設に併せて100名の方々が入所利用されているから、これまた・・・・・・・。
 法人の考えとして、この本体の人数を減らしていこうと思っている。せめて40名×2施設で80名にしたい。簡単にはできない。なにせ地域で生活することが大変でいつ何時、元の施設で受け入れるかという状況になるか分からない。
 でもホームに移った人達の反応は予測できない変化を示すことが良くある。そこを良く見て欲しい。何故変わったのか?何が問題か?
 今の福祉制度は事業の細分化が凄い。やる気になれば事業名だけでも10本位の事業所に直ぐなる。やっている内容は大して変りがないのにやたら訳の判らない看板を上げる事になる。
 それは事業ごとに報酬単価が決められており、支給決定がされないと始らない。これが種別を問わず日本の福祉サービスの実態となっている。
 そこを弁えず「受け入れてやれとかやってみたら」という事で行うと後で偉いことになる。最悪の場合、不正請求とか悪意があったかの如く不審な目でみられかねない。微妙。
 ”余計なお世話”という言葉を考えてみてくれますか。
 昔はどこにでも世話好きの人がいたもので困っている人を見ると何かをしたくなるタイプ。このタイプの人が急に姿を消したと思いませんか?
 障害者が地域で有りの儘に生活できるようにしましょう! この掛け声は立派です。でも????
 個人にとっての有りの儘ってどんな事よ?地域っていうけど一体どこの場所? この辺のことになると曖昧模糊としている。
 ですからね、現場では相当混乱していますね。
 どこの家庭をみてもモノが溢れています。それら全てお金で買ったものですよ。一度棚卸でもしたら、日本中でどれくらいのお金になるでしょう。全て取得した時の値段で合算する。誰しも驚くと思います。
 不要になったものを処分するにもお金がかかる時代、本当はこれが無駄という事だと思います。
 公務員制度改革とか議員定数見直しとか口では言いますよ。でも、できませんわな。そりゃーそうですよね。自分達で不利になるようなことをやりません。先延ばし先延ばし。お互い落とし所は分かっているんだもの。
 ですからね。私達一人一人が身の回りの無駄を省くことだと思います。勿体ないとは大事に使うという事。それがいつの間に仕舞っておこうとなった。
 余計なお世話を公費で賄え主義に変化した。これで良い国ができますかね。
 尚恵学園を利用されている方達で30年以上の人が結構な人数います。彼らの持ちモノを見てつくづく考えました。
 彼らこそ日本を救う。彼らから学べ。
 教育現場でそのような話をされる”せんせい”がいるのかいないのか。結局、私は糸賀イズムがもっともっと浸透しないと国は変わらないと思っているんです。

1917:活かす

今更言う程の事では無い。本来の教育の持つ目的は、”その人の能力を活かす”手助けだと思う。経済でも同じ、宗教も。
 一雨で草木が甦性するように、単純なことではないが、雨と同じく一つの条件である。それがいつの間に目的化してしまった。
 日本が国家として護持をどのようにするべきか!野田さんが国連で演説した。菅さんと比べれば演説慣れしている感じを持った。だが、言葉の重みはどうあったのか?約束を何度となく反故し、目まぐるしく総理が変わった。本気になって耳を傾ける人間が果たしてどれだけいるだろうか。
 雄弁家は時として詭弁を弄する事に成り下がる。関心を向けようとすればする程、極端な言い回しやこじつけ話を持ち出しやすい。ならば寡黙であれ!そのほうが余程、真実味があるはずだ。
 さて、先の台風で予想以上の被害があった。寺の周辺の木が倒れ、道を通せんぼ、やっと昨日で元の状態になった。
 良くみると倒れた木は風をもろに受ける場所にあるか、長年の中に傷が有ったりして弱くなっていた木が多い。一番残念だったのがシンボルとなっていたヒマラヤ杉が根っ子より倒れたこと。昨日、専門家によって片付けられた。この木は寮を建てた時に植えた。30年以上経っている。それにしては良く育った、輪切りされ無惨な最後であった。
 そうじゃない。杉は精一杯生きたんだ。幹回りも1メートルを超え、まさにシンボルとしての威容を一手に引き受けた。倒れた根を見て感じた。根が余りにも細かった。表玄関でアスファルト舗装したから、根がはれなかったと言われ、申し訳無かったと思った。
 いま寮がたっている場所は小高い雑木山だった。昭和52年成人に達した方達の為に新しい施設をという機運が高まって建設場所に決まった。良質の山砂が出る。つくば学園都市の開発と時が重なってその土を欲しいという業者があって、機械が入ることになった。その時の事を思い出す。雑木が勿体ない。何かに使えないだろうか?シイタケ栽培をしようと誰かが言った。それから毎日山に入って原木作り、その作業は30年たった今でも続いている。
 ヒマラヤ杉を輪切りにしたのは、イスとテーブルにしようと思ったからである。遊歩道を整備し、休憩場所に丸太をそのまま使う。
 私は草木と交信できる能力など無い。しかし、感じるのだ。今回、不本意ながら倒れた杉は何かを我々に残したかったに違いない。県道側に倒れれば偉い迷惑をかける。それならば建て物の隅を借りてそこに身を横たえて・・・・・
 そう思った瞬間、私の脆い涙腺が緩んだ。
 身の丈以上に見せる必要などない。それよりしっかりと根をはれ!と言っている。
 昨日、筑波大の学生と話し合いを持った。一回生からVSで来てくれているサークルの現役学生達、
最初からすればもう30年位になるだろうか。学生にその辺の事を聴いたが誰も開学何年になっているのかは知らなかった。
 無理もない。彼らが生まれる前の話だ。
 私に何かを話すように言われたので要覧を見ながら30年前の事を思い起こしながら話をした。昭和54年、養護学校義務設置、その当時、土浦に出来た養護学校に総勢で29名の利用者さんが通学していた。朝、登校までの準備を振り返り大変な時代だったと懐かしく思ったが、話し合いの席にいた職員も学生も誰ひとりその事は知らない。今も学園を利用されているメンバーで名前を言うと皆一様に頷いた。
 モノを活かす、伝えるは先を歩んできた人間の役目である。
 それが今、自分達の利に成る為のことにばかり現を抜かしてはいないだろうか?モノを活かすとは価値を再発見することである。無駄を省く議論も口先だけに聞こえるのは、多分、その辺の事情があってのことなのかもしれない。

ちょっくら休んできますで 2日まで小休止。 どうぞ 下を覗いてみてくれっしゃいませ

         リスト1  か リスト2 でも。

1918:経験&確信

なんと言えば良いのでしょうか?この時期にどうかと思ったのですがドイツとスイスに行ってきました。26日〜2日まで実質5泊7日で忙しい旅になりました。
 チュービンゲンではGHを見学させていただきました。ミファエル・横井さんが利用されているところ、静寂でとても環境の良い住宅地に新しく建った素晴らしいホームでした。話しで聞くのと実際に自分の目で見るのでは偉い違いでした。
 一緒に利用されているメンバーの方達と話す機会が持てスタッフの皆さんの思いや願いを直に感じてきました。
 兎に角、行って良かった。いま行かないと何かボタンの掛け違いをしてしまいそうな気がしていました。案の定、確信が持てたことがあります。徐々にこの場で紹介をしたいと思います。文化や歴史の違いは如何ともし難しでしょうが、その中でも共通するものをも感じる事ができたのです。一言で言えば人と人との繋がり(絆)ということです。
 それとスイスも良かった。休暇ということで贅沢であるとは思いましたが、グリンデルワルトの3日間はなんと表現したら良いのか分かりません。これ以上ないという好天に恵まれ、ユングフラウ・メンフィ・アイガーを背景のトレッキングを満喫、時期が少し遅かったのが逆に幸いし余り人が多くなかったのが良かった。
 さらにヨーロッパを身近に感じる事もできました。片道11時間30分は還暦を超えた我が身に堪えましたが、これもまた良い体験でした。
 さてと、何が一番良かったのか?
 伝統を重んじ自然や物を大切にしている今を見てきた事ですかね。
 使い捨ての社会と良く言われる日本の有り様、希少価値の資源が問題視されている昨今、果たして日本の歩んできた大量生産大量消費の歩みは良かったのでしょうかね?
 確かに街で出会う人々が持つ最新のカメラの半数以上が日本製のもののように思えました。でもヨーロッパにまでは、さすがのトヨタやホンダの車は行きわたってはいないと感じました。圧倒的にドイツ車です。
 それと今回の旅の目玉だった障害ある人達がどうやって地域で生活しているかという実状ですが、これは実に考え深いものがありますね。どうも日本の仕組みはどこか違うように感じてしまいました。その辺を探ってみたくなりました。
 殆ど機中では寝ていないので今、頭の中が上手く整理出来ません。午後1時半。
真夜中です。
 目がさえて眠れません。ならば起きよう!
 今、ハッキリと記憶に残っているものが二つあります。一つ目は猫です。オスメス不明の猫が私が泊った宿の脇にあるレストランにいました。余り流暢な英語ではないのですが、猫とじゃれていると店員さんが話し掛けてきて、暫く猫談義。この猫は飼い猫ではないそうで、この辺を自由に動き回っている野良猫のようです。とても人懐っこくて擦り寄ってきたりします。痩せてはいませんでしたから充分エサはどこかで獲ているいるようです。山が展望できるベランダに座って周りを観察していると、なんと猫用の食器が片隅に置いてあるではないですか。
 飼い猫ではないけれどちゃんと食事はあげているんですね。その猫が私が帰るときに土手の上で見送ってくれました。
 言葉は通じないけど万国共通で猫好きは分かるんですね。
 それともう一つの話も動物に関すること。グリンデルワルトに行ったことが有る人には直ぐに分かることでしょうが、スイス風の家が山裾からかなり山の上まで見事に建っています。街からトレッキングする場合は、その軒先を通りながら山に入るのですが、途中途中に、ベンチが置かれ休息の場所がちゃんと用意されています。その場所には黄色のボックスが必ずあって、何かが顔を出している。良く見るとそれは犬のフンを入れるビニール袋、ゴミがなく綺麗な環境への配慮でしょうね。
なにげないんですよ、その辺がね。
 日本ではどうでしょうか?私の周りにも犬を連れて散歩する人が増えました。でも、良く見ると小さなスコップと袋を持って歩いていますが、フンを持ちかえる人は半分位しかいないのではないでしょうか?
 この違いなんですよ。私が言いたい事は。形に拘ってしまう日本人、周りへの気配りが実は何の為なのか首を傾げてしまう所なんです。
 そして、残念なことにGH制度だってそうだと思うな! どうしても掘り下げて考えるとそこに行き着く。制度を作ってもですね魂が入っていない。これがボタンの掛け違いと私が感じることなのですが、偏り過ぎていますかね?
 この際チュービンゲンで感じた事もついでに話しましょう。夜中、全く自動車の音が聞こえない。宿の窓から外を覗くと人は歩いているのです。それと街の夜明かりが日本とは比較にならない。日本では節電をしていると言いますが、電気の無駄が多過ぎますよ。自販機や24時間営業のコンビニなど、チュービンゲンには一か所も無いといいますから。
 ドイツは脱原発を一先に国会で議決した国です。それは政治家の人気集めのパフォーマンスでは無くて、将来を託す子供たちの為だと聞きました。
 日本の原発事故はヨーロッパでも大変なニュースとなっていました。それはチェルノブイリ事故(1986.4.26)でヨーロッパでも被害を受けた経験があるからです。日本はどうですか?東海原発の臨海事故があってから目立った具体的な動きが有りませんでした。そして、民主党政権になって3人目の野田さんが国連で演説しましたが、推進とも脱原発とも取りにくい抽象的な内容で、彼の性分というのでしょうか個をあまり出さず融和を優先する(?)所が妙に目立ちました。
 それが福島の人々には国が全面的に責任をもって復興支援を行うと豪語する。まだ評価するには時期早々かもしれませんが、私には何か言葉に重みを感じないのですよね。
 となればですよ。救国の士には一人一人の国民が動かないとならない。そこですね。いま世界の目が日本に向けられる唯一のホットスポットってことです。それを短い旅の中でしたが強く感じた次第であります。
 般若心経を毎日唱えました。すると、経の中に書かれてあることが実に納得できるんです。色即是空&空即是色。
 それと密厳院発露懺悔文の偈頌で・・・・”利養を得んとして自徳を讃じ・・・・・”という部分がピッタンコ。
 形に拘る日本人がどれほどそれを追い求めれば気が済むのでしょう?
 そうそう、今回ね、これまた初めての経験をしましたね。
 チューリッヒ中央駅より2駅目にオルリコンという駅があってその駅前のホテルに最後の日は泊ったのでしたが、そこから飛行場までのタクシーが真新しいベンツ。イヤー加速が違いますね。これって贅沢かな?否、値段は同じ。タクシーで随分ベンツの上位車が走っていました。これをどう感じるかという事。レンタル車の共有がドイツでは流行っているとか。なるほど成程。

1919:育つ

子が育ち、親は年老いて 後をみる
 親子の縁というものは、万国共通で不思議さを秘め繰り返され今に至る。しかし、今を生きる我々一人一人の責任として避けて通る事が許されない問題に直面。それは何と言っても人間が自らの力でコントロールできない核エネルギーの問題だ。野田総理の真意は分からない。ただ、いずれにしても責任ある行動でトップリーダーとしての決断を明確にしなければなるまい。調整型で曖昧模糊とした説明をいつまでも続けて良いはずがない。国の舵取りは自党の存続や拡大に利用するような思慮浅きものではなかろうが、小沢さんがどこかの講演で話していた,個の成熟のない日本での本当の民主主義の危機だとか、これも今自らの献金問題で係争中の最中に公言するとは違和感ばかりが目立ってしまう。
 今までの価値を根底から揺るがしめた東日本大地震、それと原発事故、小沢氏は出身の岩手にこの半年間で何度足を運んだか? いつの間に初心を忘れ、政治の中心に身を置くことで自らの言動への物差しを持たなくなったとしか思えない。
 本物の政治家像が判らなくなった時代を生きる我々は不幸だ。しかし、それも我々有権者の責任が大きい。はっきりとNOと言えず、何か甘い汁を得たいと思う輩が寄り集まって残り少ない食べ物を食い散らかしてしまったのではあるまいか!
 戦後の繁栄という亡霊に目を眩ませ、問題の先送りと責任転嫁、少子高齢化に”超”という1字を追加し自己満足しているような政治家がいくら声を大きくして叫んでも国内は勿論、外国の眼は冷めきってしまった。
 トコトンまで落ちないと目が覚めないのかもしれぬ。冷戦構造が崩れ、一時はアメリカの独断場が続いたが、いまその影響力が確実に縮まっている。
 70億という世界の人口を養うに充分な条件が、格差の拡大という色眼鏡でしか見えなくなっては大変だ。
 この大切な地球上に住まわせていただく人類全てが謙虚に自らの領分を弁え、傷跡を最小限にしなければ、自然が持たない。誰しもが分かっているのだが、今すぐには起こらないだろうと流暢に構えている。
 今回の旅で、30年前に訪れたインターラーケン、そこはスイスの首都であるベルンから列車を乗り換え、徐々に山間部に入って行く入口にある街だ。車窓から眺める湖の水の色は、30年前と何ら変わっていなかった。何故、清らかな水で有り得るのか?
 分かったことは、人口が増えていないこと。建物も然程増えず、人も増えなければ急激に自然環境は変わらない。
 今年は例年になく、気温が高いと聞いた。氷河から溶け出した水が激流となって流れ、徐々に水嵩を増して湖に至る。雪解け独特の乳白色の水が湖で浄化され、透明度を増して満々と今も貯える。
 同じ30年という時間の隔てであるのに、地元霞ヶ浦の水質の汚染は何故起こるのか?
 1ドル360円の時代から今や70円台、5分の1の価値変化、これをどう考えるかは立場により異なる。
 いずれにせよ時間は流れ、人の気持ちも変化する。斯様に自分の思いを記しながら、何故止められないのかと自問するが、決して誰かに迷惑をかけることでもないだろうし、今を生き、これから先どれだけ生きられるかは分からないが住田福祉として生きた証を残したい。そんな思いで記している。

1920:巧言令色

1930年代の欧州危機の際にチャーチル首相は「政治家が決意を持って不決意をした時代」と評した。《週刊現代より》
 いま、EUは結成後最大の危機に直面している。ギリシャがその発端と言われているが、果たしてそれだけのことだろうか?ほんの短い期間だったがドイツ〜スイスと駆け足で回ったが、いずれもヨーロッパでは優等生の国だけに財政危機に瀕しているなど全く感じなかった。ただ、イギリスやスイスはご存知の如くユーロという共通通貨には加盟していない。これもまた見切り発車的、制度や仕組みを整える前にスタートしたからでその隙間をつかれたという状況だ。
方やアメリカも決して楽観視できない。大戦後、社会主義による国の有り方が最初に挫折し崩壊した、ならば一方の資本主義が勝ち残ったのかと言えば、そうではあるまい。9.11テロや今、広がりを見せているニューヨークのウヲール街でのデモ、格差社会への不満が深刻度を増した結果。ボーナスだけで数億円を稼ぐ1%の人達が存在する中、若者の失業率が高く、学生ローンさえ払えず、自己破産から社会人としてスタートをしなければならない若者。
 でもこれは外国の事として安穏とはしていられまい。日本とてアメリカの仕組みを真似て新自由主義経済を推奨したではないか。
そこに起こった3.11東日本大震災、その綻びが見え始めた時期に”想定外”という自然災害を理由に全ての責任を有耶無耶にしようとする。その最たる事例が、独占巨大企業、東京連力に関わる様々な動きに見え隠れする。産官学が叫ばれ、その先棒を担いだ電力業界、そこに政治が複雑に絡み、原発被災地への補償や独占企業の存続議論を解りづらくしている。
 当に名相チャーチルが残した数々の名言の中に、最初に紹介した「政治家が・・・・云々」という言葉が実に今の日本の政治の病巣をついている。誰を信じ、国の舵取りを任せれば良いのか?この判断基準が無くなった。出来なかった言い訳と無責任極まる責任の取り方、失脚した総理は先ずバッジを外すべきでこの期に及んでまで影で画策するとは、武士道精神を誇った先人達に申し訳ないと思わないのか。腹を切るとは、大臣や総理の席を辞すことではない。自ら潔く議員辞職することだ。就任8日目で大臣を辞めた何とかという議員も大臣室にいけば立派な額に歴代大臣として飾られているのだろうか。
 巧言令色、鮮(すく)なし仁という論語、この意味は巧みな話しぶりと見せ掛けで真心のない人を言う。
 Where there is least heart, there is most tongue.英語など持ち出してキザだと言われても構わない。
 剛毅木訥(ごうきぼくとつ) 仁に近し。出来ない事は出来ないとハッキリいう政治家がいない。言葉に重みがなく、周りはどうせできないよと諦めている。
 人としての範とする人間が、大手を振っているのであれば許されようが、その逆ではどんなものなのか?
 私自身、2回目の四国遍路の途中で一向に進まない中、菅さんが晴れ晴れした顔で遍路を始めた記事を見て、言葉を失った。
 有権者よ、しっかりしろ!
 言葉巧みな人間を近づけるな!  これも、形振り構わず知っている単語を絞り出しながら個人旅行をしてきたばかりだからかもしれない。悪しからず。巧言令色ね。そうね・・・・・・うだわな!

1921:きずな

横井ご夫妻、最初に謝ってしまいます。
 先のチュービンゲンでの写真を見ていて印象に残っている一枚がある。それはデジカメで撮った100枚以上の写真では無くて携帯電話のカメラで撮った中にあった。(上の写真)
 息子ミファエルの住むGHへ約束の5時に徒歩で向かった。中央に横井さん、左に奥さんギャートルズ、自宅から歩きで20分位の処、普段は車か自転車で会いに行くというが、ワザワザ私が一緒なので街の中を説明しながら歩きで向かった。家を出る時、奥さんがリュックに何かを入れて自分で担いだ。それを横井さんが気づいて自分で担ぐ。(赤いリュック)
 何を持っていくのだろう?尋ねると息子の部屋にかける絵だった。
 ギャトルーズさんは右膝を痛め、少し足を引きずるようにして歩く。それが分かっているからか横井さんがリュックを背負った。雑談をしながら歩く。すると今度は何気なく奥さんが夫の担ぐリュックを手で支える。その時の一瞬を撮った。・・・・・・。
 一人っ子の息子さんをGHに預けた時の話をするといつも目を潤ませるご夫妻。それでも息子がいずれ親離れして自分で生きていかないとならない。それを一番知っている。週末は自宅に帰ってくるからと何度二人で慰めあったことだろう。逆に息子さんから励まされた事もあったに違いない。GHでのミファエルの見せるあの楽しそうな笑顔、
 ”きずな”とは、簡単につくれるものではない。涙あり笑いあり・・・・。相手があって自分がある。
 実はもう一枚撮りたかった瞬間があった。それはホームに近づいた時に、部屋にいたミファエルが私達を見つけた。
 手をあげ笑顔を見せた。その瞬間だ。私が以前から知っているミファエルと大分違って逞しくなっていた。「パパ・・ママ」と仲間に両親の訪れを嬉しそうに告げる。そうか、この仲間達と一緒に生活をしてるんだ。
 他の仲間たちも集まってきた。その中で一人の男性が私を案内してくれた。各部屋と地下にある倉庫、どういう訳か彼の部屋はモノが多く散らばっていて、壁には女性のヌード写真(?)が貼ってあった。
 驚いたのは、彼らに用意されているオプションメニューの多さ、32種類あると聞いた。丁度一人は留守だったが、今学生VSと一緒にトレーニングジムに行っているという。上の階に住む女性達も集まってきた。彼女たちの能力はかなり高い。
 自分にはボーイフレンドがいてその話をする時は少し顔を赤らめた。彼女は今、英会話教室に通っている。知らない国に旅行したいからだ。パソコンも自室にあって自由に情報を得ている。
 3階建ての民間アパートを借り上げ、3階に3名男子2名の学生VS、2階は5名の女子、そして1階がミファエルら3人男子と1名学生VS。これがLebenshilfe のグループホーム。
 日本のGH制度を専門官当時に作った中澤氏との交流を私は今も持っている。今年日本に来られた時に今の日本のGHは当時自分達が描いた姿ではないとハッキリ言っていた。
 その確信を得たのが今回の旅だった。要は内容の問題だ。本当に利用されている人達の立場に支援者が立てるか!
 ”きずな”があって成し得ること。
 そして、その絆は我々支援者だけでは片手落ち、それをどう育み膨らませていくか?
 皆さん! もしよろしかったら  http://www.lebenshilfe-tuebingen.de にアクセスしてみて下さい。
 

1922:専門性

医療モデル&社会モデル?
 これは障害福祉の制度改革の動きの中で最近頻繁に使われたこと。私は正直どっちでも構わない。いずれにしたって対人間の仕事には相手とどのように関わるかという1点に尽きると思うからである。
 親子の関係でも然り、医療的にどうかとか社会的にどうかと考えて付き合うだろうか?有りの儘を受け入れられるか否かの問題はある。
 そこで前項からの続き、支援者としての専門性に関して一言いいたい。坊さん的に言えば、”応病与薬”。相手が悲しんでいる時に楽しい事を差し伸べても即効薬にはならない。先ず何故悲しんでいるのか?が入口となるはずでしょうね。
 ある方が言っていた言葉を思い出した。相手の悲しみを理解する人は、一緒に涙を流せる人であると。
最近の状況は、不満や憤り、それにイライラが極限に達し今にも爆発しそうな感じである。日本中がそうかと言えば決してそんな事はない。
 私はテレビでの国会中継はなるべく見るようにしている。2日前のNHK、予算特別委員会、最前列に座る若手の議員の中で態度が頗る悪い議員が気になった。
 それは審議中にも関わらず彼はガムを噛んでいた。金縁の眼鏡、時々ニヤニヤしながら質問者と同じ列に座っている。
 これは冒涜である。神聖(?)な国会審議をどう思っているのか!カメラが入っているのを承知の上でこの為体。
 もし学生が授業中教室でガムを噛んでいたら注意されないだろうか?
 この感覚麻痺は今の日本の政治の末期症状である。彼らはHPを覗くまでもなく、所謂頭脳明晰なエリートなんだろうが基本的な人間としての常識を身につけていない。
 野党の女性議員の質問に対し、与野党問わずに議場内笑い声が出た。議員達の危機意識と真剣味に問題あり。この時期に 外遊組が4組出たと報道された。其々の渡航の目的は直面している重要課題?果たしてどんな視察をしてくるのか?
 年間の渡航費用がトータルで5億9千万、多いのか少ないのか分からない。結果が見えない、旅先で何をやってきたのかが知らされない。無い無い尽でいい気なもんだ。
 多分、否、必ず今の儘で日本が進んで行けば下降線の一途を辿る。先進国で日本位だろう。議員天国な国は。
 その筈だ。絶対そうだ。
 我々国民を愚弄するにも程がある。そんな人間に頭を下げ、何かを頼む気になど私にはなれない。
 放射能汚染という問題の解決に、この先どのくらい年数がかかるのか誰も判らない。
 原発という先端科学の粋を集めたプロジェクトが今大きく揺らいでいる。原子力村とか言う実態は知らないが、多分、その道では名の知れた専門家達で構成されているはずだ。
 専門家には責任がある。果たして彼らはその事をどう認識しているのだろう。
 キリスト教的にいえば、贖罪、つまりキリストが十字架の死によって人間の罪をあがない、神と人との和解を果たすという考え方がある。科学と宗教が上手く融和し、この地球上に真のユートピアを築く時代がくるのでしょうか。
 それぞれが それぞれの道を歩み、どこに行くのか何を望むのかさえ確信が持てない時代を 我々は大いなるモノに生かされ生きている。専門の門は際限なく増えたけど扉を開き中に何があるのか分からない。そんな玉手箱を追い求めていませんか・・・・・・・・。

1923:パンドラの箱

あらゆる災いを箱に閉じ込め人間界に持たせたというゼウス、中身が何だと?開けてしまったものだから、さー大変だ!
 不幸が一斉に飛び散った。慌てふためき急いで蓋を閉めたから”希望”だけが残った・・・・。このパンドラの箱の伝説を今風に考え、私達人間どもは、この地球上に今や70億人を超す数に増え、あらゆる災いと日々戦っている。人間は考える。
 あらゆる宗教の教理に共通するもの、それはこの世に生を受け、どう人生を全うするかを体系づけたもの。そして、個々のパンドラの箱には避ける事のできない自らの死をどうとらえるか?という命題が残る。 信仰と実践が同時並行で進むか否かは個人の責任として。
 今年のノーベル物理学賞は米豪の3名が選ばれた。宇宙の膨張を証明したという。ビッグバンによってこの宇宙が誕生したこと位、少々科学に関心がある人には分かること、その後どうなっているかということを遥か彼方の超新星爆発を追いかけ証明した。それによれば宇宙は際限無く膨張し続けていると分かった。
 10日程前にスイスの山裾の宿から夜空を眺めた。なんとまー優雅な時間だった事か。眩いばかりの無数の星をただ茫然として見つめていた。私は若い頃、星を観察することが好きで望遠鏡を買った。正直、星の名前は殆ど分からない。名を覚えることよりも見つめていることで満足した。星を眺めているとなんとも言えぬ思いになる。
 最近、土浦から肉眼で見える星の数はめっきり減った。地上の明かりが邪魔をする。それと大気の汚れ。
 これら全て人間が作り出したものだ。
 パンドラの箱にあらゆる災いを閉じ込めたという。それは災いとなる原因も含めて。明かり・二酸化炭素などなど・・・・・全てが人間の欲得を満足するために考え出されたもの。
 人間の偽らざる限界として、他人の苦しみを本当に理解することが不可能だという話。これは仏教の”四諦”の考え方で説いている。
 原発の是非は、突き詰めれば今を取るか未来を取るかという問題になる。制御不可能な核を安全だと力説していた者どもが口を一斉に閉ざした。
 事故が起こってしまってから大騒ぎしてもその対策が情けない。ここに至っても具体的に踏み出せず、時間だけが過ぎていく。
 汚染地域の除染をすればまた住めるようになると言う。しかし、大阪や京都、愛知で現に起こった被災地からの鉄骨や花火、薪への拒否反応、自らの保身と言うには異常な事態、風評被害などと流暢な事で片付けられ、被災地の人々の心情を逆撫でする。
 除染一つを取っても、それじゃー表面を取り除いたその土をどこに持っていけば良いのですか?地方からは国が基準を示さなければ動けないと悲鳴が出る。
 避難地域解除の指示が地元の人達に全く理解されていない。当たり前でしょう。手順が逆、何を持って解除した?
 放射能汚染、これもまたゼウスに言わせれば箱に閉じ込めて置いた一つだと言うだろう。
 国策として原子力発電を推進した事実、それによって電力業界の揺るぎないもたれ合い構造が出来上がった。
 東電社員の7000人の解雇発表、これで泣く人達は多分現場で働く社員達、のうのうと生き続ける輩は保身に最大の関心をもっている。
 民主党が政権を奪った時を思い出そう。投票に参加した国民は少なくとも何かの変化を期待した。政権が交代し、いざ蓋を開けてみたら、なんと自民党時代に優るとも劣らない党内抗争、それをずっと引きずって今日に至る。
 だから見なさい、一貫性の無い無為な議論に時間を浪費、時期を逸した後手後手の対応しかできない。マスコミが踊った無駄削減との触れ込みの事業仕分け!風前のともしびと化してはいないか。
 3人目の野田さんになって私が恐れるのは、党内の融和政策によって何でも有りの政権にならないかという事である。
 

1924:歴史

紀元前4000年〜前1500年という過去に遡り、エジプト・メソポタミア。インド。中国。という世界の4大文明。いずれも大河に沿った地域に起こった。それは言うまでも無く、豊富な水を利用して農業を可能とし、食糧確保によって多くの人々の生活を賄うことができたからである。その後、様々な変遷を繰り返しながら、地図を塗り替え、今も尚、キナ臭い状況を見せている。
 BRICSと新興国と呼ぶにはインドや中国の民はどう感じているだろうか。一国の人口が10億人以上まで肥大化した国の統治も大変な事。その民を養うだけの食料の確保とその財源は、先延ばしにできる余裕などなく、今日どう生き伸びるかという直近の問題である。
 一方、東アジアの端にあって、今時珍しく単一民族で自国の繁栄を享受し、平和?な時代を長らく送ってきた日本。
 これだって資源の乏しい国の宿命で外国へモノを売り付け、その恩恵で現在の地位を得たものだ。人間はどこまでも科学や文明の進歩を信じ、それを得ようと努力するのだろうか。
 4大文明の発祥より3500年以上の歴史を刻み、いまの世界の実態を見れば、果たしてこれで良かったのだろうかと疑問を感じる。格差の拡大を是認し、ルールを築いてきたものが素直に受け取れなくなった。不条理と不公平、その人間の努力と能力で頂点を極めたものならば、尊敬の目で受け入れられようが、どうも現実はその類の成功者はほんの一握りで、大半は巧智に長けたものが他を押しのけてのし上がったと言えまいか。
 日本人の最大の弱点を挙げれば、やっと手にした平和と豊かさに浸っている間に、生きる目的を見失ったこと。なんとなくとか誰かがやってくれるだろうと考える人間が増え過ぎた。危機感を喪失した人間が何を考えても中途半端で途中で放り出してその責任も曖昧となる。
 その隙に乗じてある種の特殊能力ばかりが持て囃され、靡く時代になったと思う。それは法事国家をうたいながらも法の裏をかいて利得を貪るゾンビの出現という矛盾。その者達の最大の関心事は楽して儲けること。
 果たして斯様な輩がこれから先も生き伸びることができるのであろうか。天罰と言えば叱責を買う?
今の政治に期待することはできない。それは明らかに国の為ではなく自分の為、これが罷り通る世の中でどのような聖人君子が現れても今の日本の制度の中では第1義の国の為は棚上げされ、党利党略でズタズタに切り咲かれるのが落ちである。
 何も憂いているのではない。現実を正面から見ようとしているだけ、民主主義を目指す国ならば、政治を志す者達が周り(権力者)に気兼ねし様子を伺って寡黙に徹するなど可笑しくて話しにならない。誰が票を投じて議席を得たのかを忘れている。
 政治家がダラシがない国は、官僚が蔓延る。当然のことで信念無き人間がいくら徒党を組んで騒いだところで畏れることは何一つ無いでしょう。
 最大の無駄は政治にかける費用で、議員と名がつく人達を半数にしても充分だ。自立した国は政治家が自律している。自らの規範で処することができず自分の懐具合ばかりきにするような人間が何が出来るというのか。目を覚まそうよ。
 これは国の体質である。国民が目を覚ますことでしか打開策がないだろう。東電絡みの政治問題と国の対応をいまこそ真剣に誰しもが見つめて欲しい。日本にある電力会社の全てが同じ企業体質だと考えて間違いない。
 オンブに抱っこ、凭れ構造と利権の独占、これを許してきた我々国民の生温さ。他国からは真面目で寛大な国民と映るかもしれないが、その評価を真に受ける人は今殆どいない。
   *なーオマエ そんな捨て台詞ばかり言ってないで 真面目にお経を読まんかい***天の声。
 

1925:起業

日本一住みやすい街を創るんだと言って市長になったN市長、どうですか?思い通りに進んでいますか?
 先日、還暦を過ぎた人達が起業し、第二の人生をスタートさせた話しを伺いました。皆さん、定年後、何をするでもなく過ごしてなどいません。若返ったというのでしょうか、活き活きとして私と同世代の人達、彼らに共通するものは”夢&希望”でした。
 生きているという実感でしょうか、現役の時分には様々な理由で、多くの方が出来なかった事を悔んだりします。
 人生80年と見れば、なんとまー勿体ない。世界には、まだまだ40歳に達しない寿命の国が沢山あります。
 起業にはリスクがありましょう。でも、そこにかける喜びも有る筈です。微服潜行して時分を伺い、いざ出陣とは戦国の世、今は余程のことがなければ日本で餓死する方はいませんし、隣から夜襲を受けることもないのです。太平の世の中になった。・・・・・・・が、その実感がない。何か不満が残る。
 人が生きた証とは、どんな事を言うのでしょうか?
 朝夕の気温の差が10度以上になり、体調を崩す方達が増えています。昨日、Uさんが入院となりました。肺炎になったという検査結果、即入院となりました。体力があるほうでは無いのでスタッフも心配し、休日で大混雑していた土浦協同病院に通院したのです。
 病室が決まり、私も見舞いに行きました。お母さんが既に付き添っておられました。Uさんも体調が良くないのでしょう、点滴と酸素を受けてベッドに寝ています。
 高齢のお母さんが自分で付き添いますとハッキリ仰った。Uさんのご両親はいつもお二人で面会に来られていました。そのお父さんが数年前に他界され、お母さんが残った。Uさんにとって一番願っているお母さんが一緒に居てくれる。
 でも病室の中・・・・・・。
 Uさんは月末に1泊の小旅行で日光に出かけることになっている。それが難しいかな!と一言職員が言ったのを聴いていたのです。急に怒り出しました。早く元気になれば行けるからと宥められ静かになりました。
 生きた証とは、人それぞれだと思います。何か活字にして残したいと考える方もいます。自分史というものが流行っています。
 でも、いつも思う事、尚恵学園を利用している人達にとって生きた証って何だろう?
 絵が好きで画集にした仲間もいます。それが出来る人は限られています。大部分の方達は、そんなこと思いもよらず、淡々?と日々の暮らしを送っているのです。
 そこに大いなる疑問を持ってしまった。
 制度改正の動きの中で障害当事者の意見が多く出されました。それは素晴らしいことです。箱モノや制度に併せた福祉は兎角ボタンの掛け違いを生じます。自らの言葉で思いを述べる。これがスタートラインでしょうね。
 しかしです。それすら上手く出来ない方達が一杯おられます。Uさんもそうです。彼女の長年の園生活、それはパターン化していました。自由時間には裏山に出かけ、竹の枝を沢山持ちかえって、ある一定の場所にうず高く積み上げる。
 それをみると鳥の巣みたいに見事に山になっています。これが彼女の生きた証?
 違うと思う。そうじゃない。・・・・・・・。それを捜し出し、実現できるようにお手伝いする、それが支援でしょう。
 最近の動きで、私が違和感を感じていることに、介護に対抗した支援というロゴ争いへの疑問がある。私は言葉なんてどうでも良いと考えるほうで、それよりも”言っている事と遣っている事が一致しているの?”と言いたいのだ。
 そんな風に考える人もいるとは思うのだけれども少数派ですね。
 寺と福祉、時代は変わり、逆風です。余程、信念を強く持たないと流されます。
 

1926:墓参ツアー

気まぐれな私が久しぶりに草刈り機で芝を刈っていると、男女2人が私の顔を伺いながら『あの・・・住職さんですか?』と声をかけてきた。『はい そうですが』「ああ・・良かった。私ね分からないと思うけど○○です。おなかお婆ちゃんのお墓参りに来ました。」
 おなかお婆ちゃんとは私の祖母である。どんな関係かな?立ち話をしていると私も思い当る節がでてきた。『ここでは なんですからどうぞ』と上がって頂いた。おなかお祖母さんについては、正直詳しい事は分からない。ただ兄弟が多くて向島に住む妹さんが良く来ていた。一番下の妹さんの娘さんと息子さんの二人と判った。一方的に私との関係を説明してくれて、他に何人かの名前が出てきたが、その人達は私も知っていた。現在、娘さんは札幌に住んでいて毎年お彼岸の頃に墓参りに来ていると言う。茨城町、神立、東京と3か所を廻るらしい。
 墓参ツアーですよと明るく話す中身に引きずられた。前日見てきた先の地震の被害状況など事細かに知らせてくれる。
 札幌から毎年此方に来るのでは大変だ。でも、それを楽しみにしているように思えた。
 私の父は名古屋出身で稲沢市に住田家の墓地がある。顔を知らないが27歳で若死にしたお祖父さんが眠っている。大分、ご無沙汰しているな!
 親戚の付き合いは何代位まで遡るのだろうか?従兄や兄弟までが一般的だと思う。結婚式など、どこまで呼べば良いのか悩むものである。冠婚葬祭の中身が変わって、近い親戚や身内で行われることが増えた。
 確かに葬儀のやり方も20年前と比べれば大分コンパクトになったと思う。社葬は殆ど無くなり、それに替わる家族葬が増えた。
 結婚式にお仲人さんをたてる事が殆ど無くなり、新郎新婦を含めた2次会が常識となった。
40年前は新婚旅行も国内が一般的で、もし外国にでも行くようだったら、祝儀と併せ餞別を貰って行くようなことになった。
 当時は1ドルが360円と固定相場で国外へ持ち出せる額も限度があった時代。今、それが1ドル76円にまでなっている。
 ユーロ圏の金融不安も治まる気配がない。海外旅行は今がチャンス、だからと言って年がら年中出かけていたら非難ごうごう、帰国したら私の居る場所が無いということも有り得る話。ほどほどが良い。でも行きたい。
 墓参ツアーで海外へというのはいくらなんでも信じてはもらえまい。何か良い理由付けができないものか。
 いずれ又と思うからラジオで英会話を聴き始めた。
 
 昨日Uさんの見舞いに行った。お母さんが病室から外を眺めている。Uさんは熱が下がったと言って顔色も良くなっていたが咳がまだ出ていた。
 利用者の皆さんの潤いってなんだろう?小旅行で日光にこれも楽しみだ。今月の家族会は尚恵祭である。これも親子の触れ合いの場となる。
 だが、真から喜べない事情がある。まったく身内の面会がない人達が増えた。身寄りが無い人も多い。ここなんですよね。
 どうすれば良いんだろう?家族との縁が遠ざかる一方でそれをどうにかすることもできない。
 ですから・・・それだから・・・彼らの潤いを今、考え容にしないと一生後悔することになると思う。
 14日、筑波大の木塚先生と『パライテイパーク』構想会議を開く。
 

1927:空手還郷(くうしゅげんきょう)

丁度今から180年前に亡くなった良寛の生き様から我々は無言の教えを受けている。空手還郷とは、良寛70年余の生涯中、40歳を間近に迎える時分に郷里の越後に帰ってきた良寛を俯瞰して後の人々が言ったもの。
 無一物中無尽蔵という禅の言葉、これもまた”何も無いところに満ちた、尽きないもの”を考えること。本来の仏法の教えでは、世に言う煌びやかな成功者にありがちな地位や名誉、財や富の価値に実体を認めない。それらを含めて空と言えば小難しいことを言うと嫌われるかもしれぬ。
 さてと、”満ちた尽きないもの”とは一体どんなものだろうか?それが分かっていれば悩むことなど無いのだが、我欲を捨てることは至難の業だから、私を含め世の人間どもは生き難いご時世だと四苦八苦する訳である。”苦”の解釈も一般に知られているものとニュアンスが違うのだが、経の解釈では”思い通りにいかない”と解する。だから思いを減ずれば自ずと苦は減っていくことになるという。念ずれば花開くと詩人がモノに書いた。花=仏法の本目。思う≠念ずる?
 許しという事を考えてみた。世の中に腹立たしい事が一杯ある。それに一々反応していたら、たまったものじゃない。そこで相手を許すという感情が芽生える。その判断の基準であるが、私はこんな風に考える。もし自分が相手の立場になったらどうだろう?
 そう考えると偉そうな事は何も言えなくなる。ex)逆境に立たされた者を蹴落としてまで立身出世を望めるか!いずれ自分がその立場になることも有り得るのがこの世、それを示すのが縁起の思想、常住不変なものなどあるはずがないと断言する。
 科学の進歩をどこまでも追い求めることの落とし穴、例えばクーロン羊の研究、一歩間違えば人間そのものを人工的に作ることが可能となる。これは生命そのものをモノ化していることになるし、今問題になっている原発の開発だって、平和利用と軍事目的の垣根は然程高くはないはずだ。
 飽くなき探求心があって人間は科学の進歩を可能としてきた。しかし、地球上の生命体の中で人間だけが猛スピードで変化し利便性を獲得してきたのではないだろうか?その弊害が環境の破壊となって地球上の至る場所に見られる。
 70歳を超えて最近単独世界一周をヨットで成功した方の弁。世界中至る所に環境の悪化が見られたと。
 北極海の氷が急激に減少し、アルプスの氷河もここ数十年で確実に減った。これをなんと説明する。人間の英知を結集し、人工生命体を製造して何になる。70億にまで膨れ上がった世界の人口をもう一つの地球を作って移住させることが可能なのか!
 ほとんど実現性の無い事に膨大な費用をかけている。むしろ、正直に軍事目的だと言うのであれば判り易い。
 「共生とは、生命の一瞬のバランスが生むいのちの輝き」(久保田展弘著:さまよう死生観 宗教の力。P203)という。
 尚恵学園が創設時に掲げた『共生』は、このようなややこしいものではなくて、共に生きるという意味に解している。
 寄り添うとか傍にいるというのが眼目である。
 親子の関係一つとってみても、様々な容が見られる。それを有りの儘に受け入れ、許し合い、共に生きる社会ができれば、声高に”福祉”など言わずとも済むことなのである。
 

1928:選択肢

Lebenshilfe
2011年のオプション
全部で32種類
費用と内容が分かり易く
説明されている
久保田の解説では、「共生は、生命の一瞬のバランスが生むいのちの輝き」だと言うのだが、確かに”共生”は様々な場面で使われているが抽象的で具体性にかける。
 いのちの輝きとは、他と比べ際立って見えることでは無く、その人がその人らしく活き活きとしている状態を言うのだろう。
 どうすればそうなるのか?これが大きな問題で確実に言えることは管理された社会では個の存在が薄くなり、自分を主張する気力が萎えるという事だ。ならば、自由奔放にしてもらえば良いのか?これだって健康や生命の安全という視点からすれば少々問題が残る。だからだろうか、生命の一瞬のバランスという表現を使った。
 私共の大いなる反省として、十把一絡げの扱いが多かったのではないか。ここにきて障害福祉の中身に変化の兆候が見え始めている。個別支援計画を重視する動き、介護保険に習った手法であるが、実態はまだまだで、選択できるサービスの中身が育っていない。言葉やネーミングが先行し実体が伴っていないのが現実だ。
 それは支援者側の問題、従来の仕組みでは正直、やってもやらなくても報酬に何ら影響が無かった。リスクを負ってまで余計な事はしない。
 これからの日本の福祉の進むべき方向は見えている。それをどう実践するかという問題だけが残っている。それには、限られたスタッフでは無理、如何に地域の人的資源を抱き込むかということ。
 それを可能にする条件は、信頼と中身の透明性だと思っている。
 だが、福祉業界に対する社会の目は一段と厳しくなっている。一言で言えば、”金儲けの上手い連中が大義を旗印にやっている”という冷めた視線である。この逆風をもろともせず突っ走れ!利用される方が納得し満足していれば気にすることではない。その判断が実に難しい。
 第三者評価がなかなか業界に浸透しないのは、何をどのように評価し数値化するかという点に課題が残されているからで、福祉の客観的評価の難しさがここにある。
 例えば、利用者が入院した時に家族が付き添える家庭が良い家族で高得点、付き添いができない家庭が低い点数?一概に決め付けることはできないだろう。我々現場を抱える者はその辺の事情は良く分かっている。
 更に突っ込んだ例、利用者の年金はその人の財産だから家族は使えない?全国の福祉施設で利用者の所持金のトータルを調査すれば、もの凄い金額になる。これが使えないときている。行政の監査の最重要事項だ。万が一、施設で亡くなったとすると、家族が通帳と印鑑を持っていく。ならば生きてる間にその子の為に使ったほうが良いと現場は思う。
 これが中々難しい。表には出なくとも相当数のトラブルになっているのは事実。
 上記の右側の写真、実は、32種類のオプションメニューが一冊になっていて、それにかかる費用も明示されている。
No:1921で紹介したトレーニングジムや英会話を選べば当然の負担がかかる。応益負担が可能なのは、費用が全額利用者本人にくるからで、そこに家族と言えども入る隙はない。
 もっと具体的に紹介しましょうね。下の表は1週間の一人の支援計画を示したもの。曜日と午前午後、全てが埋まっていて担当者も明記されている。
左表は一人のGH利用者の1週間の支援計画です。
果たして、日本もこのような仕組みを取り入れることが出来るのでしょうか?介助者とそれをコージネートする仕組み?
 ちょっと難しいかな。

1929:バラエテイパーク

検証⇒反省⇒再生(実践)
 時間を重ねることで陥り易いジレンマはマンネリ化に気づかず行っている事が良いのか悪いのか判断できなる事態である。創業何年を表看板にする時代では無い。むしろ今必要とされる経営能力は、消費者・利用者の的確なニーズの把握とスムーズな対応、過去の蓄えを食いつぶすような事業体では一瞬に抹殺される。
 世界の動きはグローバル化がどんどん進み、自国の利益だけを守ることは難しい。いま話題に上るTPPとはTrans−Pacific Strategic Economic Partnership Agreement(環太平洋戦略的経済連携協定)の略で、国と国の共存共栄を図ろうとする協定で日本は決断を先延ばしにして今に至っている。隣国の韓国は大統領自ら先頭に立って多くの国々と協定を結ぶ努力をしている。
 日本の首相は決断力が無い。何をするにしても痛みは伴う。目先の事に潰され続けてきた。説得の力量不足は如何ともしがたい。それもこれもGNP世界第2位という地位に胡坐をかきすぎた結果、目標を見失い、再生する力が減退たことが一番。
 口約束をいくらしても世界は信じない。国のトップになれば、世界の場で主張する自分を夢に描くはずだ。これを有頂天と言う。しかし、どうだろう。なんと薄っぺらな内容だ。自国内の財政は過去のように湯水の如くODAなどで金銭援助することができなくなった。だから、見向きもしてくれない。これは由々しき事態である。
 私は毎朝日本の4大新聞のネット情報を覗く。正直、余り変わり映えしない。さすがに週刊誌などとは違い興味本位の記事は少ないが、目を見張るような元気の出る話題が極端に減った。マスコミ総・鬱状態になったか!
 日本人の活字離れは凄いスピードで進んでいる。新聞は購読者が減って、本務でない部門で収入を上げようと躍起になっている。
 昔あった街の小さな本屋は消えてしまった。駅ビルなどにある本屋は何店も抱える大手が殆ど、立ち読み客は多いようだが果たして収支が黒になっているのだろうか。
 私は今ではネットで殆ど本は購入している。私が過去にどんな本を買ったかという情報を流し、興味をさそうような内容の本も同時に紹介している。2〜3日で殆どの本が自宅に届けられ便利な世の中になったと喜んでいる。この至れりつくせりの努力は消費者のニーズを上手に掴み購買意欲を高めている。窮地からのアイデアだと思う。
 さて、本日の本題に入る。「バラエテイパークPT」このネーミングはあくまで仮称である。狙いは人間の行動分析に基づいた学術的、専門的、戦略的(????)構想会議である。筑波大の現職の先生を座長にプロジェクトチーム(PT)を編成し、尚恵学園の現状に応じた内容の見直しと再生への模索を行うというもの・・・・・・・。この構想は私が長年、秘めていたことでこれが第1歩になり次に繋がれば儲けものという思いでいる。幸いにして尚恵学園では筑波大の学生ボランテアを開学時から受け入れてきた。相当な人数の卒業生になると思われる。その人的資源を有効活用できないかという、厭らしい(?)考えで知人にそれとなく相談を持ちかけてきたこと。
 その切っ掛けになったのは、今回のチュービンゲンでの経験である。国の違い?文化の違い?そうやって出来ない理由を並べ正直努力をしないできた自らへの反省。私は様々な国の実態を観る機会はあったと思っているが、今回は本気だ。私自身の年齢もあるのだが、還暦を迎えあっという間に1年がたつ。このまま次世代にバトンタッチするには自分が情けない。ならばどうするか!
 そこが私の誘因である。
 人間の笑顔を最大限に出せる環境、無理なく自然体で、それが飛田先生が私に遺言として書いてくれた”かまえなし”に通じると信じて。

1930:福祉の新生

ちょっと失礼します。
論語の中に有名な言葉、『温故而知新、可以為師矣』(古きを温ねて新しきを知れば、以て師と為るべし)この事が今の日本のリーダーに一番必要となっていないでしょうか?
昔の物事を研究・吟味して新しい知識や見解を得る事。これが薄れてしまった印象を強く持っています。福祉の新生と敢えて言わせていただきますが、制度そのものが万遍なく出来ている割には薄っぺらで不十分、その事を長いこと現場に関わってきた私は痛切に感じているのです。障害福祉を例にしたって、日本では制度が出来上がったのは精々50年程度前です。
 呼称の事などどうだって良い事に時間を割き、肝心な所は軽く流されている。本気に取り組んでいるとはどうしても思えないのです。日本の特徴は、制度そのものが他の国の良いとこ取りの切り絵みたいで筋が通っていない。ちょっと覗いてきたドイツの実践、日本と偉い違いを感じましたよ。端的に言って国民が障害福祉を他人事と考えているか否かという問題でしょう。日本では障害者問題はマイナリテイです。でも、日本人は凡そ勤勉で真面目な国民ですから、先人は制度の狭間を工夫と奉仕で埋め合わせてきたのです。
 それが大きく変わった。片手落ちの有料サービスを導入、外見や書類上のチェックはできますよ。でも国全体の安心には至らない。何故でしょう?判り切った事です。格差を認めたからでしょうね。バランスが崩壊したのです。
 福祉・教育・医療は国が責任を持つのが福祉の先進国だと言われます。私も同じ考えです。国民の9割が満足しているというブータンは人口70万そこそこの小国です。医療費は外国人も無料だと聞きました。今でも伝統的な衣装を纏う人が多い国です。近代化の流入を国で制限しているとか・・・・。でも、ここまで膨らんでしまった日本はブータンを真似ることは不可能です。
”新生”という言葉ですが、この言葉を最初に知ったのは、私が23歳の時でした。国立秩父学園の園長をされていた妹尾先生と面接を行った時に先生から言われた言葉です。福祉の新生??正直何を言っているのか分からなかった。
 その時、先生が私に薦めてくれたのがイギリスを見てきなさいという事でした。実習先の手配もしてくれて、1年後に一人で行きました。私にとって最初の外国で当時は1ドル360円、直行便など無くてアンカレッジ経由で向かいました。ホームステイをしながら、イギリスの実際を見て回ったのです。その時の思いが私は強く残って今に至っています。
 立ち止まってはならない。常に敏感であれ!その後イギリスがどうなっているかは知りませんが、北欧などに追い越されてしまった感もします。イギリスは伝統のある国で至る所に歴史を感じさせる建物や旧跡があります。そして騎士道精神が色濃く残っていました。方や日本はどうなったのでしょうか?あれから40年近く経って、1ドルが80円を切るまで円高になりました。為替相場だけ見れば4倍以上強くなったと言えます。
 ならば国民生活の福祉・教育・医療が4倍良くなったでしょうか?安心が4倍に増えたでしょうか?どう考えても答えはNO。
 それと日本人が大切に持っていた武士道精神がどうなりましたか?自由を履き違え、責任を忘れた権利の主張が横行闊歩していませんか?
 いま内閣府の中で検討されている障害福祉の制度改革、これだって私から見れば権利と責任の鬩ぎ合いとしか思えません。障害福祉を複雑にしているものに障害者同士での差別が存在するということがあります。これはどうも納得できません。
 西欧と一番違う点で無視できない事に、日本の場合は宗教観を感じない。人としてどう生きるかとか個の尊厳が隠れてしまっている。
 西欧の制度には、宗教が重要な役割を果たしています。
 私の生涯のテーマ、仏教と福祉をどう関連づけるか?これだって元々はそのものズバリ教えの中にあったんですよ。
それがどうも妙な方向に進んでしまった、大いに反省すべきなんですね。
 宗教の持つ宿命でしょうか排他性があって、それが何をするにしてもネックになります。そこを打破しないと支流でしかなく本流には決してなれないんです。当事者がそれを一番分かっているはずなんですがね。