源究119

 

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1891 栄枯盛衰 8/28 1896 実態無き言葉 9/3 1901 全国大会 9/9 1906 一粒万倍日 9/14
1892 フライング 8/29 1897 我が道を行く 9/4 1902 温故知新 9/10 1907 格差社会 9/15
1893 慈悲の怒り 8/30 1898 街並風景 9/5 1903 憤怒相 9/11 1908 生き残り 9/16
1894 負利益配分 8/31 1899 昭和の歌 9/6 1904 from 9.11 9/12 1909 減速走行 9/17
1895 南米より 9/2 1900 発信源 9/7 1905 美談の裏 9/13 1910 何を大切に 9/18

1891:栄枯盛衰

栄えることと衰えることは、避けられないことかもしれません。有頂天になれば自ずと我を忘れがちです。その後の悲哀をどう受け止め活かすかが真価でしょうね。
 これが実は容易くはいきません。仏教ではその辺の整理づけがされており、色界の第4天で色究竟天と言い、形ある世界の最上に位置させています。ただし、ご存知の方はここで疑問を持つでしょう、仏教は形ある世界を否定しますから。
 昨日、民主党代表選に名を連ねた5名の公開討論が放映されておりました。どうも評判が良くないですね。当事者というよりも影で蠢く連中に対し、怒りを感じます。この時期は誰が総理になっても大変だということが判っているからでしょうが、本当にこの人達で大丈夫なのかしら?と思ってしまいました。
 鳴り物入りで大統領になったオバマさんが支持率が低迷している。彼が選挙公約した様々な政策が、どうも上手くいっていないようです。
 これは避けられない道程なのでしょうね。誰がやっても・・・・・。
 世界の安定と平和は一国だけの問題ではありません。アメリカの繁栄の歴史は、決して深いものではありません。精々100年の歩み、その間、世界大戦〜ベトナム〜中東・・・と派兵し、費やした軍事費も膨大なものです。
 戦争景気は、一部の業種だけ、その裏には多くの犠牲が伴います。敢えてアメリカはその道を選択し、世界のトップに君臨してきた。
 イラクやアフガニスタンの今、それと自国民による安定復興ができるのでしょうか?北アフリカのキナ臭い変革に連動する国が後を絶たない。一気に広がりました。
 外交や防衛という括りで政治がしっかりすれば難を逃れることができるのでしょうか?貿易立国日本は企業戦士と揶揄されながらも外国で活躍した人達の功績が大であります。その蓄えを今使い果たそうとしている。
 古くはチンギスハーンや大英帝国は、世界制覇を成し得たでしょうか?様々な人種や宗教を力で統一させることは不可能です。
 ならばどうするべきなのでしょう。その明確な将来像が示されない。2大政党とか言っても実態はどうですか?遣ろうとする事に大差は無いと思えます。それで国民に選択しなさいと言うのも酷な話です。この状況は成熟(?)国家の宿命、暖衣飽食に慣れ不自由を感じなくなった国は枯・衰は避けられません。その真っただ中に日本が置かれていると見るのはどうでしょう?
 真なるリーダーが出ない、その一番の理由をそこに見ます。真なるリーダーは責任の取り方が違うと思います。
 今の日本の政治家にそのような人が見当たらない。議論はするが行動で示せない。孤を恐れ、何かにぶらさがっていようとする。それも本能的に。違いますか?
 絶対と言う言葉は使いたくはないのですが、誰が総理になっても結果はみえています。彼らは本気でこの国をどうしようと考えていません。その証は今更あげるまでもないでしょう。精々もって1年、また足の引っ張り合いが始りますよ。
 目標があって上向き状況の時は、世論への誤魔化しができます。しかし、これからの日本は低迷期に入るわけで、この時こそ実はチャンスだと私は思います。何が大切か!を国民が議論し、考える機会です。それ無くして、大海に船を漕ぎだすことは危険極まりない暴挙だと思うのです。

1892:フライング

世界最速のボルトが100メートル決勝でフライングを犯し、一発退場。ルールが変わり、以前は1回まで認められたフライングが昨年より1発で駄目になった。韓国で開催中の世界陸上で前評判が凄かった選手だけに、拍子抜けの感は否めない。
 退場という話では、島田紳助が最近話題になった。。。。。。が、どうだろう?政治の世界は、なんとも不透明でルールがあって無いようなもの。政治に関わる者のモラルが見えなくなった。これは悲しむべき事態である。胡散臭い動きが、メデアの報道であらわにされる。当人はマスコミを批判するが、我々庶民が情報を得る手段はそれ以外にはない。
 今回の代表選は各紙の調査と全く関係なく進もうとしている。次期代表の支持率が断然トップの前原氏が前評判では3位に低迷、その一番の原因が小沢氏の動き、彼の補佐役だったH氏が田原氏(評論家)とテレビ出演、妙にウマが合う話で、気持ちが悪かった。評論家の情報もいい加減なもの、それよりも、H氏が民主主義とは斯様にあるべきと持論を説いていたのには驚いた。
 政治家に良いようなルールでいくら議会民主主義の正当論を叫んでも、そもそもの政治に信頼がなければ画塀よりも酷い。そのことが一度永田町に席をおいた人間には判らない。なにか我々には判らない魅力があるのだろうか?
 彼らがどのような言い訳をしても国民には受け入れられまい。その事を有権者がハッキリ伝えるべきなのだが、日本の選挙はホトボリが冷めた頃を見計らって選挙を行うから、騙されてしまう。これが政治主導?
 政治の世界にもフライングを犯したものは一発退場のルールを作るべきなのだ。恥も外聞もなくイスにしがみ付く姿は誰も見たくない。
 日本人ががまん強いのか?持ちつ持たれつなのか?は良く判らない。
 ひょっとしたら、飼い猫が鼠を取れなくなったのと同根かもしれない。日本人全体が将来像を持ち得なくなった。どんな国であって欲しいのか、漠然とした希望があるだけで、今のままでも良いじゃないかと考える人間もいる。
 これは憂うべき深刻な事態である。
 外界との交流が無く、世界の動きに鈍感で過去の栄光に浸っていれば、自ずと気力が萎える。猫がネズミを捕るのは生きていく為に必要だったから、いまパックに入った食べ物が売っている。塩分控えめとか年齢別に調理されたもの。
 これが猫の本性にどう影響しているか?癒しの対象ならば爪で引っ掻かない猫が喜ばれる。
巷には永遠のライバルであった犬が鎖に繋がれているから野良犬を見かけなくなった。逆に捨てられた猫が異常に繁殖している。これも人間がそうさせたからで、猫や犬に責任は無い。
 お叱りを受けるかもしれないが、政治家をここまで堕落させた一番の原因は有権者にある。低い投票率や政治家へ我田引水の要望を続けた。
 餌が豊富であれば、魂は萎える。まだまだ時間がかかるでしょうね。
 日本人が我慢強いというのは、先の戦争の体験があるからでその箍がまだある限りにおいては、・・・・・・。
 
  昨日、檀家さん宅で法事があった。お孫さん達でとても賑やかだった。読経中、静かに座っていた。
 供養を行った中に20代で満州で戦死した方がいて、過去帳にその記載があった。多分、その方を知っている人は20人ほど集まった中で一人か2人だけだったと思う。
 

1893:慈悲の怒り

『がんばれ仏教』という本でユニークな自論を披露した上田紀行氏が今度「慈悲の怒り」という本を出すという話。嘗てダライラマと対談した時にご本人から伺ったと言う。日本には現在コンビニの数を超える76,000の寺があるらしい。今こそ本来の仏教に戻れと声援を送っている。
 未来志向で建設的な怒りを発せよという事らしい。まだその本を読んでいないからラジオ番組で掴んだ情報だけ。
 ”ガンバレ日本”という大段幕が至る場所に掲げられ、震災復興への弾みになればという。昨日は野田さんが代表選で逆転勝利、知名度はイマイチだが、他の4人とは違った落ち着きを感じる。鳩山・菅両政権の閣僚で最後まで支えた数少ない人間だ。理由が何であろうと途中で辞めてしまう閣僚が多い中で稀有の存在?印象的な言葉は「ノウサイドにしましょう。・・・もう」という事だった。自らを”ドジョウ”と称したからではないが、渋谷の忠犬ハチコウよりもドジョウに見えてきた。
 それとテグ世界陸上で室橋広治がハンマー投げで見事に優勝した。彼の5投全て圧巻であった。世界柔道では男性陣は全て予選で敗退、それに代わり軽量級の女性陣は見事だった。
 プロ野球のダルビッシュ、それに政治学者では姜尚中、実業界では孫正義など生粋の日本人ではない人の活躍が目を見張る。
 日本の政治が沈滞している一番の原因はどこか?2世3世議員が多過ぎることだと断言できる。地元への気配りなどしなくても親の地盤で相撲が取れる。雲行きが怪しくなった時だけ地元に顔を出し、それ以外は東京にいて秘書任せ。
 それと女性の議員が少ない。嘗てのイギリスのサッチャーやドイツのメルケルなど威厳があって存在感がある。日本にも女性議員はいるようだが目立ちがり屋かタレント議員。
 世界の壁が取り払われグローバルな時代になっても日本の政治は内向きで以前として妙な力関係だけが残っている。今回の民主党の代表選で諸にその事が証明された。怨念の政治は止めにしたいと野田さんは演説した。しかし、決選投票に持ち込めば反小沢派が勝利することは分かっていた。これが読めない小沢派の幹部達、もう限界じゃーないですか。いい加減白旗あげなよ。挙党一致を最大の政治課題にする与党など世界中見回してもありません。だってそうでしょう。緊急の課題が山積みでしょうが。
 政治がゲーム化し数の論理とか表裏の駆け引きが見え隠れする。できれば閣僚に純血ではない人を迎えてはどうだろう。
 だってそうでしょう。そう思いませんか。経済一つをとってみても企業は政治の何倍も先を歩んでいます。そうしなければ存続できないからなんですね、私は先日電子顕微鏡では日本でトップ企業の社長とお会いした。一見、その辺のオッサンである。しかし、彼は社長就任間もない時にM&Aへの対策が最大の課題だったという。今も同じだと言っていた。
 今の政治家にその危機意識は無い。一度バッジを付けると遮二無二保身に走る。何故なんだ?
 松下政経塾出身の政治家が増えた。創設の松下幸之助翁がそれを果たして望んでいたのでしょうか?知識は豊富だが経験が無い。
 経歴で人は動かせないということだ。自ら汗をかき現場に住み着く位の根性を見せろ。どぷしてその事が分からない。
 ”和顔愛語”という仏教の教え、皆が皆、いつもニコニコしていればこんな素晴らしいことはありませんよ。しかし、今は違うと思う。言うべき事は言わないと駄目だ。そのことを”慈悲の怒り”と言うのであれば分からぬことでもない。

1894:負利益配分

株式における利益配分は分かり易いが、負利益配分という言葉は余り耳にした事はありません。”不”か”負”なのか定かではない。不利益不遡及の原則と言えば、司法の世界での話。何故ここで取り上げることになったかと言えば、昨夜何気なく聴いていたラジオ、多分文化放送であったかと思うのだが、政治学者との対談でその言葉が出てきたので気になった。
 今回の民主党の代表選で候補者が相も変わらず綺麗ごとばかりという話しの中で言われた言葉。
 増税の事になれば曖昧な言い方でいつもお茶を濁す。最初から悪評の政策を約束などしたくはないからでこれでズルズル今まで延ばされてきたんじゃないの。
 あまり関心はしないのだが、政治の世界で常に問題となるのは金絡み。代表選直前に外国人献金の問題が出てきた。意図的な魂胆がミエミエ。更に閣僚の人選、野党より追及される問題の有無がその人の能力以上に重要視される。何故?今の政治家は国の借金について危機感が薄いのだろうか。これこそ最重要課題であるはずだ。党内で充分に話し合いが持たれていないことを如実に示しているわけだ。
 こんな話がある。公務員改革や議員定数にメスを入れて減らせる金額など、社会保障費と比較して大した金額では無いと言う。要は毎年1兆円が増えるという社会保障費を減らすことができるか!それともそれを更に推進していこうと言うのか!
 全くハッキリしない。
 政治家に決めさせるには無理難題、地元に帰ればもっと増やせと叱られる。
 それならば消費税を上げても良いですか。この議論には国全体で尻ごみする。
 福祉予算についても、こんな話が巷では流れ始めている。中抜きされているのではないか?現場で働く人達に充分配分されていない実態をどうにかしないとならない。福祉事業所における会計基準は全国一律、決算書を見れば、即そこの事業内容が理解できる。収支バランスを見ても、30年前とは格段の差、尚恵学園は法人認可前の時代が長かった。それでも特殊学校としての認可で運営していたから当然決算報告書は作成した。収入の割合で寄付金収入が大きかった。支出では人件費が7割近くを占めた。最近の福祉事業は、スタートから公費によって経営がなされる。この違いを知っている者とそうでない者とは、偉い違いだ。
 誤解を覚悟で、現在の社福の事業所で収支差でマイナスになっている所は殆どないんじゃーないだろうか。それに寄付金収入の割合が減ったね。事業活動収入で運営ができるようになった。ここまでなるのに何年かかったのだろうか?そんな事はどうでも良い。
 労働条件だって随分と改善され、昔を知る者から言わせてもらえば働き易くなったと思う。給与に関しては、正直、満足しているスタッフは皆無でしょう、これはどの職場でも同じだとおもう。
 しかし、これも何と比べてそうなのか?私の身近な例で話せば、飲食店を開いている方で家族の犠牲は想像以上、夜中の2時過ぎに翌日の準備を終えて帰宅する。従業員に頼めば拒否されるか時間外を支払わなければならないから身内が残って作業をする。
 昼間働き、週に2日、代行運転を行っている方、朝方5時頃帰ってきて少し寝てから出勤する。
 みんな頑張って生きている。
 株主に利益配分できる時代から確実に世の中が変化している。人間が金を考え出した時代に遡れば、今の時代複雑でリスクと表裏一体の事が余りにも多くなったことが分かるはず。

1895:南米よりお客様

(H23.9.1)

”いな穂”見学 ”まんだら”での歓談 ”神宮寺”での演奏
今回で5回目になるのであろうかJICAより海外研修生を受け入れました。今回はボリビア・エクアドル・パラグアイの3国より合計9名の人達でした。全員が特別支援教育の関係者で、今回は現場の専門家の人達でした。9時半より午後4時までの予定でしたが少々の時間オーバーは南米の人達は全く気にせず、持ち前の明るさを充分発揮してくれました。
 何故、我々がJICAと繋がりを持ったかは、話せば長くなります。筑波大の中田教授の仲立ちがあったからとだけ紹介しておきましょう。明日、先生のアフガニスタンの報告会があり、私も参加しようと思っています。つくばは多くの海外からの研修生を受け入れております。様々な国の研究機関があるからでしょう。その受け皿をJICAがしているのも多いのです。
 さてと、御蔭様で施設の周辺は草刈りが一気に進み、綺麗になりました。スタッフの機動力は大したものです。海外からのお客様の受け入れも大分上手になりました。メンバーの皆さんもモノオジせず、堂々たるものです。
 視察後、毎回1時間程の話し合いを持ちます。様々な意見が出されました。其々の国の障害者の現状は、一言で言えば50年位前の日本と同じように感じました。障害者は外に出ず、家族が家の中に隠していて、鎖で繋がれているような状況もあると言っていました。
 今回、OHPで私が説明しましたが、JICAが配慮してくれてスペイン語に訳してくれたものを使ったものですから、逆に私の方が何が書いてあるのか分からないという事になりました。通訳の人の見事な腕前に感心しました。
 でも仏教の話になると通訳するのに苦労されておりました。
 今回、こんな話が出ました。「幸せってなんでしょうか?」という質問を私から投げかけてみました。日本では年間自殺者が3万人を超える状況が連続13年続いていることを話すと皆さん驚きの表情を見せました。
 「何故そんなに多くの人が自殺するんですか?原因は分からないのですか?」という、一人の方が、意見を述べました。
「私の国では神様を信仰しています。ですから自ら死を選ぶことをする方は日本ほど多くはありません。日本はどうなんですか?」 全く面目ありませんでした。「一般の人の前でお坊さんが今日の話みたいな事を話しをする機会があるんでしょうか?」「これだけ豊かな国が何故?」「?????」  逃げ出したくなりました。
 今回の大震災の犠牲者の総数を超える3万人という自殺者のことが全く理解ができないようでした。
 何も、これは外国の人達が見た日本の全ての姿ではないでしょう。研修生は日本に初めて来られた人ばかり、今までは講義ばっかりで日本は成田とつくば以外は知らない人達です。
 いつも私は感じるのです。人と人の繋がりは言葉では無い、メンバーさん達の構えの無い自然体、大きさ、優しさ、笑顔・・・・これですね!脱帽です。
 多分、9名の皆さんは何かを感じて帰っていったと思います。台風12号の影響で大変蒸し暑く、時々降るゲリラ雨にも関わらず熱心に見学され、東京に向かいました。 グラシアス セニョリータ。
沢山の良き思い出を日本で作って下さい。

1896:実態無き言葉

ペシャワール会現地代表の中村哲先生がラジオ深夜便に出ていた。いま日本に戻ってきているのだろうか?アフガニスタンでの活動が既に30年になろうとしている。時々日本に帰国されているのは知っていた。
 その話の中に”日本人が変わってしまった。綺麗ごとや利害にばかり現を抜かしている人が増えているように感じる。今の日本人でこの人の為にと自らが銃弾の盾になってくれる人がいるだろうか?実態無き言葉が多過ぎます。・・・・・”
 中村さんが言うから衝撃となる。
 何がそうさせるのですか?という質問にこのように答えた。『信頼されることほど嬉しいことはありません。困っている人への同情の気持ちがなくなればどうなります?たった一つの地球の片隅で殺し合いをするなんて・・・・・・。戦後の日本、爆弾を落とされる側の気持ちが薄れ、落とす側にばかり加担するようになった。その事を言えばテロと呼ばれる・・・。確かに上にいる人達は避難されるような事をやったかも知れない。でも庶民には関係ない。』
 丁度、前日JICAからの研修を受けたばっかりだったので、何か心に感ずるものがあった。私共ができることは些細な事、でもメンバーさん達はお客さんを喜んで受け入れる。ストレートなんですね。だから相手に通じるんだ。
ああだこうだ頭で考えない。素直に喜びを表現する。実体が有る言葉なんだろうね。
 昨日、県庁に行った。職員からのアイデアで地域に家を借りてGHマガイの事をやりたいという。マガイと言ったのは、GH生活への確信が持てないメンバー達の体験の場ということだ。できれば多くの人に体験させたいという。自分達がローテーションで当直をするからと。もう10年になるだろうか男子のGHができた時を思い出した。
 今の仕組みだとイタチごっこになる。GHを作り、利用者が決まると固定してしまう。すると次に利用したい人が入れない。こうやって7か所まで増えた。
 2日前、宿泊外出があった。6名のメンバーに5名の職員が付き添った。もっとも重い人達だから仕方がない。
 *充分は不十分を幾つ重ねても充分にはならない。
 人は自ら体験しないと分からない。施設が非難される理由の一つに集団生活の限界がある。できない言い訳のオンパレード、いつまでも待つことを強いられる。
 それから加齢により、それすら出来なくなる人がいる。その人達を思うとジッとなどしていれない。
 申し訳無いという気持ちではち切れそうになる。
 人は自らの徳を讃じたがる。これへの戒めを強く訴えた先人がいる。カクバン(密厳院)である。己の生き様は常に内省により客観視しなければなるまいと実践で示す。
 現実には、容易いことではない。幸いに私の場合は、メンバー達の目が光る。そう思ってやってきた。
 これからも、これだけは肝に銘じてやっていきたい。

1897:我が道を行く

『神様のカルテ』という単行本を読んだ。現役の医師、夏川草介著。映画化もされ、本屋での人気も上位を占めている。地域医療の現実と大学病院との格差、日本が築いてきた医療の仕組み。最前線の現場で患者と直接接する医師の葛藤と喜び。
 患者との触れ合いを通じ、医療の目指す方向を模索する。現実に日本の地方の医療現場で起こっている有様が手に取るように分かる。
 主人公の「一 止」は合わせれば「正」となる。大学病院の医局からの誘いに揺れながら自分の担当の患者さんとの触れ合いを大切に感じている。夏目嗽石の「草枕」を愛読し、どこか古風なしゃべり口は美辞麗句を並べる最近の病院関係者とはまた違った趣を醸し出し人気がある。
 話しは草枕に移る。嗽石の作品でこの作品ほど難解な文章は無い。これが日本語かと思う程、豊富で意味不明の言葉が噴き出している。
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。・・・・・・・という書き出し。その後、難解な文章が続く。どこで切れば良いのか、一字一句意味を確認しながら読み進むと正直私の能力では何を言っているのか分からない。
 解説書などを読むと、日露戦争に向かう日本が西欧化のウネリにどう対処すべきかなど洋画家である主人公を通してつづる。日本人が持つ芸術や文学に対する感性は果たして西欧のそれとどう違うのか?嗽石のいう『非人情』の世界を描いて行くと解説する。
 神様のカルテの著者も、大学病院の高度最新医療と患者との一対一の関係を大切にする地域医療の狭間で悩み続ける。その時、背景描写として信州の山並みを登場させ、末期患者の一人の老婆の亡き夫との思い出から人間の癒しとは何かを描き出そうとしている。
 東洋人たる我々が自然を大切にし、自然との共存をはかってきた一方、西洋では人の中での人間という視点から世の中を見ていく。この対比は実に妙である。
 何事にも通じることで、戦後、日本人が目指してきた豊かさは西欧に追いつけ追い越せという気概が漲っていた。
 最近になり本当にそれで良いのか?という疑問が徐々に芽生え始め、その真っただ中に蠢いている。
 斯様な時に、決して無理しているのでは無く、我が道を行くという生き方が見直され始めた。これは所謂個人主義とは違って、自然との共存を下に繰り広げられるべきものであろう。
 嘗て多くの著名な人々が辞世の句で花や季節を読みあげている。これは自然の包容力の大きさであってそこで育まれ生きて死を迎えるという時の流れに身を任せることで得る安心感だともいえよう。
 仏教の教えでの無常感は、遮二無二追い求め掴もうとした物が実は実体の無いものであると説いている。ならばどうすれば良いのか?自暴自棄になって、今さえ楽しければ良いと考える人間も多い。
 その辺の確証が持てず、蹌踉たる足取りで無目的に彷徨うのはいい加減にやめたいものである。

1898:街並風景

土浦郊外に出来た大型ショッピングセンター、土・日の混みようは凄い。3階建てで店の長さがどの位なのか測ったわけではないから良く分からないが、3階まで合わせれば土浦駅前から本通りの長さと同じくらいになるかもしれない。
 そこが人人で一杯になる。休日は特に子供連れが多くなるから喧騒といったらどうかと思うがこれが土浦とは思えない程の賑わい。広大な駐車場で空きスペースを探すのも大変だ。
 何故、こんなに人が集まるのだろうか?何かに飢えているのかもしれない。
 いま、検討している事案がある。それはトレーニング機器を貰えることになり、それを入れる建物。そんなに立派なものは作れないが、折角の好意に応えたい。だから外で見かける建物に感心が強まり、気になった建物を写真に撮るようになった。
 大体、今までの施設は全ての機能を一つの建物で賄うようになっている?大型SCはその典型ですね。
 けれど、それには駐車場のスペースが不可欠、車社会になって人の流れが多きく変わった最大の要因だ。
 福祉施設の場合は、大分ニュアンスが違う。そこで生活している人達の利便を第1に考える。だから、あまり周囲の人達の事は考えない作りだ。
 これで、普段から地域の人達が気軽に来れる施設であれば、もう何も悩む事はない。機能優先で外見などは2の次となり、用も無いのにちょこっとお邪魔するって気にはなれない。
 私の部屋には10年事に写した航空写真が並べてある。昭和30年代は勿論、周りの環境は純農村で道も細く、建物も少なかった。その後、徐々に風景が変わった。周囲に家がドンドン建ったこともあるが、施設自体も増殖し、やたら建物が増えてきた。
 私はこの地域に住み60年以上、常磐線から良く見えて、長閑な場所に今もある。近年は朝晩、散歩する人達が急に増え、尚恵学園のメンバーと道ですれ違う事が増えている。それを贔屓目で見て、挨拶を交わし、とても良い雰囲気。お互いに安心感があるようだ。
 毎日、12時と6時に鐘楼の鐘がなる。いやー参ったね。当に私が描いた地域の風景だ。・・・・・・・。
不思議なもので次々にやりたい事のイメージが湧いてくる。”足湯”はどうか?私は自分の5感をフル稼動させ何か面白いモノは無いかと嗅ぎまわるクセがある。
 私の知る東京足立区のお寺さんで足湯コーナーを作った。街の溜り場になればという住職の遊び心。その住職は某航空会社で海外勤務が多かった。
 ”お茶接待”コーナーとか言ってちょっと一休み。孫さんが安全に遊べる場があって。それから小さな菜園・・・・・。もっと欲張れば”リスリングルーム””昼寝床”など・・・・など。
 戯言がまた始まった!!!! 管理はどうする!衛生面は!万が一!・・・・・という反対の狼煙が一斉に上がる。こうやって40年近く、空想と現実の狭間でやってきた。
 ならば自分が銭湯の番頭になれば良い。いつもその辺にいて、”お構え無しに”。その決断だ。
 そうすれば結局はメンバーさんとの距離が近くなる。年中無休は難しかろう。ならば週3日位営業日にしたら・・・・・。
 変わりゆく街並みに古き良き時代を伝え残したいと最近思うようになりました。
常磐高速友部サービスエリア
”くつろぎコーナー”

1899:昭和の歌

押入れを開けてみたら昭和の流行歌という封を切らないCDが何枚も見つかった。「黒い花びら」「上を向いて歩こう」「ああ上野駅」「二人の銀座」・・・・・・・。今、そのCDを聴いている。知ってる歌える。当時これらの持ち歌で一世を風靡した歌い手は、いまどうしているだろうか。
 最近の歌に全く関心が向かないのは、歌詞が心に響かないからだ。
井沢八郎の「ああ上野駅」・・・・♪   どこかに故郷の香りをのせて、入る列車の懐かしさ 上野はおいらの心の駅だ。・・・
とうちゃん僕がいなっくなったんで 母ちゃんの畑仕事もたいへんだろうな、今度僕が帰ったら。。。。。♪
あああ 何とも言えないな。
 こころの駅なんて今の人達に分かりますかね。新幹線は上野をターミナル駅から東京駅の一つ前の駅に変えた。”こころ”どころの話じゃーありません。うっかりしていたら乗り越してしまう。
 山内賢と和泉雅子の『二人の銀座』、この曲は前奏曲が良い。早打ちのドラムとスチールギター、アップテンポで自然に体がスイング。。。。それに当時は銀ブラが憧れだった。そうだ、このお二人はどうしただろう?全く表に出なくなったから、懐メロで出演してくれないかな。
 水原弘の『君こそ我が命』・・・・あなたの瞳に虹を見た♪  あなたを本当は捜していた。この世にいないと思っていた。・・・・ウーム。完璧!
 由紀さおり『夜明けのスキャット』  ルールールル・・・・・ルーるー。
 言葉を要らない曲の権化。
 古き良き時代は決して遠くは無いと確信しました。頭さえ切り替えれば、タイムスリップ。3D画像とはいかないが、白黒の世界と匂いは再現できる。
 『ルビーの指輪』を歌ったのは誰だっけかな?寺尾聡だ。親父に瓜二つ、宇野重吉だか寺尾聡だか分からないほど、継続は力なりだ。
 『天使の誘惑』ああ赤面。黛ジュンちゃーん。ヒャー!!!ミニスカート
 いま、私の心の臓は少々高なっています。61歳と1カ月。まだまだ捨てたもんじゃーありませんわな。
 
 ここで日本文学論。私が観ずる巨匠:夏目嗽石は
     墓所雑司ヶ谷 戒名:文献院古道漱石居士
          理知の人 享年49歳。 
      あなたの難解な文章は、現代を生きる私達に もっとゆっくり味わいを持って生きよと諭す。
         

1900:発信源

雑文で一貫性が無く、感情を赤裸々に記してきた。一方通行だから気が楽だが、その分、自分自身に跳ね返ってくる。こんな事書いて良いのかな?とか。
 思い起こせばこの発端は有る出来事、”邂逅”という言葉で良いのか悪いのか、偶然にも出くわした人との一方通話。これが積もり積もれば、なんともはや1900便、これが不思議な事だが枯れない。温泉の源泉の如く湧き上がる。
 行き連れの者なれば、全く意に介せず通り過ぎていく。最初からこれで良いと考えた。この先、どうしようかと思ったが、徒然なるままに日暮し、硯にむかひて・・・の心境も乙なもの、そのように今は思っている。
 アワヨクバすれ違いざまに・・・・という望みも無いわけではない。世の中が澱みなく、一気に流れ、多分、誰しもがこの流れにのっていくことなど出来ないだろうし、ならば峠の茶屋ではないが一服腰を下ろし周りを見る余裕も必要だ。
 東日本震災の復興ままならずという時に、台風12号は西日本一帯に甚大な被害をもたらした。日本中いたる場所に爪後を残し、その元凶はお構いなく去って行った。後に残された人々の苦しみは、結局は被害を直接受けた者だけが引きずることに。
 何代にも渡って築きあげた我が城を一瞬にして失った人、憤慨遣る方なし。
 メデアが取り上げるものは、他国の事は知らないが、近年の日本の状況は尋常でない。勇気を出せるような前向きなものでは無く、他人の痛みを容赦無しに暴こうとする。懐疑心や苛々を助長こそすれ、こころの安静は乱される。
 西欧社会を人の中の人間模様と言った作家、誰だったか思い出せない。確かに日本の現状に危機感を持つ人は多いはず、そんなに早く歩まぬでも良いのにと声を掛け合う事も無し。目新しく興味をそそる情報が多過ぎて、止まることを忘れている。
 まっ、その原因はいろいろで何が一番という順位付けはできまい。敢えて言えば、追われる身の宿命か、一時も休むことができず次なる目的地を目指そうと立ち上がる。そうかと言って、ハッキリとした目的地が分かっていない
 仏教的に解釈しその即効薬は無いけれど、分かり易く言えば、”少欲知足!”とでも言えるかな。あまり他との比較に翻弄されず。自らの立つ位置を決めなさいと。
 かえって輪廻生死の因となる。・・・・・・・・よかれと思って動けば動くほど苦の原因になる。”発展”という言葉には危うさがある。用語として”事態が思わぬ方向に発展する”というものがある。これを吟味してはいかがか!
 経済発展を目指し遮二無二頑張った日本がいま誰しもが思わぬ方向に発展したことに歯止めを効かせない。
 無駄と発展は対義語ではない。しかし、現象面からみれば当たっていませんか。結果として多くの無駄が生じたと。
 人生80年は、その年齢に達すれば束の間に感じるだろう。年若くして人生を閉じる人も多くいる中で、彼らが遺された人に伝えたかった事は一体何だったか?暖衣飽食に何ら疑問を持たず、気がつけば成人病。高額医療費を支払って後悔しても後のまつり。
 ならばどうしよう。今からでも遅く無し。自らの立つ位置を探そう。無理せずこころの安心を見つけよう。
 それが私の発信源、目ざわりで大きなお世話と感じたら、いつでもアクセス止めて頂戴ませませ。

1901:全国大会(栃木県)

7日〜9日、宇都宮市で全国知的障害者施設職員研修会が開催されました。私も3日間参加しました。茨城からは大勢の参加者があり、隣県だけにホッとしています。132名という人数が開催県栃木に次ぐ全国で2番目の多さでした。尚恵学園からも10名参加し、夜一緒に食事でもと考えていたのでしたが、それが適わず残念でした。久しぶりにお会いした同志、皆さん、其々が頑張っているという事が分かり、自分達もという気持ちになりました。
 今回の大会を準備された栃木県の皆さんに心より感謝し、その事を関係者の皆さんに伝え、3日目は他用があったので予定を早めて帰宅しました。
 基調講演の大橋謙策先生(日本社会事業大学元学長)の話は実に良かった。長年かけての豊富な経験があって、今の福祉の状況やこれからのすすむべき方向などとても示唆に富んだ分かり易い内容でした。
 先生から四国遍路の本を思いもよらず頂戴し、恐縮しました。
 私は四国巡拝の2回目の挑戦がまだ始まったばかり、一向に進みません。歩き遍路で廻ろうと決めたものですから、長い目で考えています。人生の節目にあたって遍路をする方を大勢知っています。一気に廻れば50日から60日はかかりますから、時間と体力が条件になります、歩きながら様々な事を考え、次なるステージに足を踏み入れる覚悟をするには最適だと思います。
 先生を交えての歓談の席で、人との繋がりの大切さを知らされました。
 私が泊ったホテルは中心市街地より離れていましたが、とても快適なホテル。しかし、あまり宿泊者はいなかったように感じました。
 宇都宮駅周辺にはご多分にもれず沢山のビジネス型ホテルができています。そちらはどうか分かりませんが、人口50万という北関東の中心都市もこの不景気をもろに受けているようでした。
 福祉関係の研修会の内容も時代に即して変わるべきだと私は思っています。具体的にどう変わるべきかは正直良く分からないのですが、関係者だけの研修ではなく、一般市民も参加出来るような形態にできないものでしょうか?
 経営や運営はそれだけが単独で図られるものではありません。一般の人々が我々をどのような目でみているか?
 大橋先生の話を引き合いに出さなくても、行政から如何に金を引き出すかということに血眼になっている姿はいかがなものでしょう。金儲けの上手い人達という芳しくない評判もチラホラ。
1970年を境に福祉事業が大きく変わったという話しがありました。それ以前はなんら補助金がなくて、創設者達は身銭をきって事業を始めた時代。しかし、明確なミッションは有ったのです。私共の法人もスタートが1956年ですから、当時の事を思い起こせば、いわずもがなという事です。確たる理念の下に集まった人達が築いてきたもの、その礎が有るか無しか?
 トップたるものの能力は勿論でありますが、生き方が試されています。
 事業規模の問題だって、産めよ増やせよという経営が果たして福祉事業に馴染むものでしょうか?1法人1施設の時代から国は1法人多施設へ舵を切り替えました。それがスムーズに出来るように助成金制度を作り、膨大な予算をつぎ込んできたのです。
 ただ、どうでしょう。地方の大規模法人と言っても高々スタッフ数が500人位ではないでしょうか?
一般社会からみれば小規模企業でしかないのです。いずれ福祉の業界はM&Aが盛んになり、その程度の法人はあっという間に呑みこまれてしまうでしょう。
 その事を肝に銘じるべきだと私は日頃から考えてきました。日本の抱える膨大な社会保障費の予算が果たして必要とする人達に公平に分配されてきたでしょうか?依然として待機者の数が減りませんし、地域福祉を担うだけの充分なサービスが整備されているとは考えられません。それでも近年は規制緩和がすすみ、さまざまな事業主体が表れてはいます。この流れは正しい方向なのでしょうか?
 研修などに参加しますと、ユニークな実践活動を行っている事業所を知る事になります。そこでは素晴らしい職員が育っています。
 最近、私は若い人達に任せていきたいという思いが強くなりました。第一線を退くにはまだ早いという気持ちと交錯します。自分達の役割は何か?ワークシェアーリングを進めながら自分の夢実現をしたい。そんな思いが強まりますね。

1902:温故知新

”俺には 何もできないよ”と言う。そんな事無い、充分あなたがやってきた事があるじゃないか。先の事は、どうにでも言えるけど、過去の踏み跡はその人なりの生き様だよ。・・・・・・・東武宇都宮駅前の居酒屋で話をした。
 私が以前からその方に手伝って欲しいとモーションをかけていたからかもしれない。ただ、栃木と土浦では距離があるから躊躇している。
多少贔屓目で見ることを許して頂き、近頃の私の職場の雰囲気は若い人達が熱心に仕事に取り組んでいる。仕事が明けてから話し合いなど良くやっている。ベテランもそれに引きずられている感じだ。
 話し合った事を実際に行動に移す際に、第三者的な立場でチェックする人間が必要なのだ。その役目をしてくれる人を外部から招きたい。その第1の候補に私が挙げている。
 彼は今の福祉の現状を少々訝っているようだ。俺には何もできないよと言う言葉の裏にそれを感じるのだ。
 彼は決して口に出して言わないのだが、施設経営にあたる人達への不信感がある。近年、事業家(?)が目立つ状況に嫌気をさしている。マニュアルに色を付けた見た目の良いミッションは、実際に確かめずともその人の言動から察することはできるという。福祉関係者で自慢する人間が増えた。しかし、一般の人達の評価は実態を冷めた目で見ている。
 これは政治家や官僚に対する見方と同じだ。
 日本人が好く気質として、事業に成功した者ほど自らの生活を慎ましくせよというものがある。・・・・武士道精神・・・・。
奢り高ぶりは全ての失敗の元凶、その殆どが自らの足元から崩れ始めるから面白い。それから福祉事業という公僕類の人間が市中を闊歩するような状況に拒否反応がある。残念だがそれを忠告し、正すような人が身近にいない、否、置かない。立派な理念を掲げ、やって当然のことなのに敢えてそれを誇るような事までする。
 教育や福祉系の養成校でその事を教える師がいない。”陰徳あれば必ず陽報あり”  知識を教える前に人としての道を示して欲しい。この肝心な養成が落ちている。仏造って魂入れずの事をずっと続けているとしか思えない。
 福祉の世界にも市場経済の競争という原理を取り込んだ。居酒屋の全国チェーン化と同じルールを黙認、結果はサービスと称しながら、その実態がのっぴきならない状況を呈している。制度をどのように変えても所詮無理。
 そこで私なりの結論は、”温故知新”原点に戻れ!Go back to the basics.という一文に尽きる。
 昭和40年代前半に学生運動が流行った。その当時、私は田舎から東京に出て間もなく何にも手が付かづ、煌々と明かりが灯る新宿周辺を彷徨った。昼、大学に行けば、ヘルメットを被り拡声機で声を張り上げ、殆どの授業は休講で正門を潜らず喫茶店に直行し、友と語り合って暇つぶし。
 いま思えば何を話合ったのかは覚えてはいないが熱気だけは有った。一番多い時で7人いた同期の仲間、今、その中の3人が亡くなった。
 当時と比べると全く世の中が変わった。
 その頃、自分の名の話題が出る事が一番嫌だった事は今でもハッキリ覚えている。

1903:憤怒相

所は常陸の国、辺りかまわず怒り狂う生臭は、暫くは大人しく我慢していたようでしたが、またしてもお不動様のごとき憤怒の形相をしております。なんとまー呆れるばかり、初めての入閣、それも経産相ときては、大臣の中でも高位のポスト故に、本人は気持ちが高ぶっていたのかもしれない。ワザワザ東北の被災地に視察に行ったまでは良いが、そこでの不適切発言でこれが大臣就任8日目で辞任するということになった。
 国政を馬鹿にしているのか!そのような人にこの財政逼迫の一大事に貴重な税金を支出するなんて、我慢の限界だ。
 よくもこんな事が言えるね。記者会見を開き謝罪した。謝れば済むのかよ。被災地の人達の気持ちを逆撫でした。絶対にやっては遺憾ことだよ。
 前にもあったよな。視察で訪れた知事室で横柄な振舞、この人も辞任した。「これはオフレコだから、破ったマスコミは後が無い・・・」云々の傲慢さ。一体民主党は何をやっているのだ。基本的なモラルがなっていない。高学歴は申し分ないかもしれないが、貴方たちは公人だ。その自覚が全く無い。
 そのような人には鉄拳制裁が一番、有権者の常識を待つのみ。「死のまち」とか「放射能をうつしちゃう」とか新聞の紙面からの情報だから、その真意は分からない。だが、前任者の海江田さんと比べると今回の人は最初から不安があった。前の大臣は涙を流しながら、訴えた。少なくとも彼の懸命さは感じた。今回の人は、大臣のイスを汚した。
 当然首相の任命責任が問われるはずだ。国会でまた、無意味な論争で時間がつぶされるのか、この悪循環をどうすれば打破できるのか!政権与党が自ら考えろ。
 NHKで震災後半年が経ち、特集番組をやっていた。まだ復旧の見通しが立たず途方に暮れる多くの人達の生の声。
 それを政策に移す為に現地を訪れた担当大臣がこのザマ。日本中が怒っている。
 末法の世とは、このような状況を言うのだろうか。顔ぶれは変わっても致命的なミスが連鎖する。
 このチグハグさは、残念ながらあらゆる所に伝染するものである。なにもかも中途半端にして、途中で放り投げる。
 出鼻をくじかれた野田さんはお気の毒、今回の閣僚は党内融和をはかったもの、適材適所の人選ではなかった。リーダーシップが又、問題になるだろう。1歩前進2歩後退。
 お前なら どうするよ。何か妙案があるかと問われれば、そうだね。先ず幾つかありますよ。
 国会議員の公用車はあんな贅沢車でなく1.5?以下しか認めず、秘書の数も半数にすることだ。なんでこうなっちゃたのか。財政を立てなおすべき人達が自らの贅沢を辞めない。ここから始めるべきでしょう。
 それと、議員定数の改正が何故にできないか。本当はここが一番の問題だと私は思っている。議員が多過ぎるんだ。だから大臣のイスを順番に回すはめになる。大臣を務めた期間の長短は彼らには関心がない。大臣名簿に名を残せばそれで満足だ。
 全く、国の事を蔑ろにして御身を大切にしているわけだ。故郷に錦の旗を!
 もし、衆議院解散があったとしてもだ、ほとんど代わり映えしない公約、その約束だって実行は無担保。これで国が良くなりますかね。私はその辺のことから始めないと危機感が湧かないと思っている。
 人間は自らの尻に火がつかないと慌てない。人の災難を高見で見物するようなことを平気で行う。
 その一方で必死に頑張っている人達もいる。その人達こそが全面に出て貰いたいわけだが、そのような奇特な人達は全面には決して出ない。
 

1904:from 9.11

アメリカ同時多発テロ事件が起こって昨日で10年が経った。ニューヨーク世界貿易センタービルが2機の飛行機の突入によって崩壊し3000人を超える人達が犠牲になった。その追悼の催しが開催された。10年の間に世界では様々な事が起こっている。アルカイダの首謀者ビンラデンが殺された。その詳細はあまり公表されず、驚くほどスピデイに海に葬られた。何故か?報復を恐れたためか?多発テロの後イラクやアフガニスタンにおける血生臭い戦争へ。まだ、安定した統治はなされていない。
 そして北アフリカにおける独裁体制の崩壊、今に至る変遷は、大国の思惑に振り回され、ほんの一部の人間が暴利を得て、強大な力を振るっていた。改革の連鎖は国内から起こった。まだ、不安定な状況の中、暫定政権が作られ、国連での承認も得ないうち、体制作りがなされようとしている。
 日本は、いま大変な状況に置かれている。ただし、中東や北アフリカの状況と内容は大きく違う。武器を持って戦うというものではない。
 経済大国を内外に誇っていた日本、それが東日本大震災・原発事故さらに台風12号による大きな被害と半年ばかりの間に立て続けに自然の脅威に晒された。まだ半年しか過ぎていない。しかし、国はどのように具体的復興対応をしようとしているのか?
 大臣の心無い失言に怒りを通り越し、被災者と国政に当たる人達のギャップに呆れる。この状況は一体どういうことなのだ!
 いま唯一救われる思いになれるのは、なでしこジャパンの活躍だ。彼女達は決して恵まれた環境でサッカーを続けているのではない。サッカーが好きだということと”夢”を持っている。
 先のワールドカップで頂点を極めた日本チーム、オリンピックの出場権を見事にアジア予選第1位で獲得、そのプレッシャーは強硬日程と併せ、体力的にも精神的にも限界にあったと想像する。
 今、日本チームの課題が3つあると言う。@厚みのあるチーム作りA1対1の強さBメンタル強化というものだ。
 過去に成しえなかった世界の女子サッカーの頂点を極めたチームに既にハッキリとした課題が挙げられた。今回のオリンピックのアジア予選会は中国で開催された。巨大なスタジアムに観戦者はまばら、しかし、試合内容は接戦で一つ間違えば負け試合になっていた。2試合の引き分けを含め日本は負け試合が無かった。北朝鮮と中国の試合は明らかに日本が押され分が悪かった。それと中国での連戦は予定外のトラブルもあったと思う。所謂、パッシングというもの。それを押しのけ結果を出したチームの底力はなんだったのだろう。
 私なりに思った。佐々木監督と澤選手の存在がなければ今のなでしこは無いと断言できる。テレビの画面からしか分からないが日本チームは試合前いつでも明るかった。国の名誉を一身に受け、緊張した表情でピッチに並ぶ他国の選手と対照的に笑顔が絶えずリラックスした選手たち。
 それと、切り替えの速さ。前向きで次の目標に向かって全員が一丸となる。この核に監督とキャプテンがいた。
 試合後のインタビューに答える選手達、あっぱれという一言だ。厳しかった試合を冷静に振り返り、自分の課題を分析し、次に備える。
 いつ、誰のコメントを聴いてもスッキリした。ここに常軌を逸した失言や暴言は微塵も無い。
 サッカーを一途に考え、日頃から厳しい練習に耐えてきた選手達だからこそできる業、憧れのポストを射止めたから外見だけを必死に作ろうどこかの先生とは偉い違いだ。心が入っていないんだよ。表情で直ぐに分かる。
 個人名を上げてはどうかと思うが、今の政権で浮かれた顔など見せず、自分の職務に徹しようとしている大臣がいる。
 一番若いH・G、出る杭は打たれる日本の社会で特に政府の重要閣僚としてその責任を果たして貰いたい。
 3.11で被災した地域がグランド・ゼロ(爆心地)という忌まわしい場所としてではなく、日本の再生復興の原点となりうる事を切に願って、私自身、自らの出来ることで一歩いっぽ歩んで行きたいと思っている。
 

1905:美談の裏

大阪地検の元検事が被告になっての裁判が始まった。村木さん(元厚労省官僚)冤罪事件で証拠隠滅の罪で逮捕された検事の上司2名、徹底抗戦を仄めかす。ちょっと気になったのは、記者会見で他人事というかニヤニヤした態度で会見に臨んだことである。
 裁判所で自分が被告人席に座って戦うという。何がどうなっているのか分からない。
 検察庁特捜部といえば、ドラマ化までされて司法の花形というイメージ、この実態が暴かれ、その存在の是非と取り調べの可視化が論議を呼ぶ。
 昨夜は中秋の名月、15夜だった。まんまるのお月さんが顔を出し電気を付けなくとも外を歩ける位だった。真実は誰が知る。昔ならば”お天道様が見てる”と言ってウソはついちゃ駄目と言われたものである。そんな子供騙しは、エリートの皆さんには効く筈などありません。
 それと謝罪会見も儀式化しています。深々と頭を下げる。でも目を見ていると分かるんです。本当は不本意なんだと目が言っている。言い訳がましい事言うでしょうよ。
 まっ!!こんな事に目くじら立てるのもバカバカしい。感動するような話を見つけないと。
 やっぱりなでしこジャパンかな。澤選手は別格だからその他の選手で二人あげますか、鮫島さん、彼女は元東京電力のチームでプレーし、配属されていた所が福島第1原発だった。原発事故後サッカーを何度も止めようとしたそうだが、ドイツのプロチームで誘いがかかり、つい最近までドイツでプレーしていた。彼女は今回のオリンピック予選で5試合全てにフル出場した唯一の選手、それは被災された東北の人達への思いからだと言う。被災された多くの人達が頑張っているのに自分がめげては申し訳ないという気持ちだ。見た目にはゴツゴツした感じは受けず、日本女性そのもの、和服が似合いそうな人である。しかし、サッカーにかける思いは凄い。今度はフランスでプレーするとか言う話だ。彼女のユニフォームが今原発で復旧作業を行っている人達の前に飾られている。
 それともう一人は丸山さん。今回の中国との最終戦で後半にピッチに上がった。ずっとベンチで声援を送っていた彼女、実は練習で膝を痛めテーピングして登場した。ロスタイムに入った時間帯で彼女は左サイドから切りこんで相手を振り切り、ゴール前にパスを蹴った。そして、そのまま立てなくなってうずくまる。じん帯損傷全治6カ月だった。
 ワールドカップのドイツ戦で彼女が決勝ゴールを決めた。今回の頂点に立った立役者、ランク世界一のドイツに勝ったという勢いがあのアメリカとの凄まじい決勝戦へと繋がった。
 彼女は先発出場はしないでいつも途中からの出場、代表に選ばれるか否か常に危機感を持って試合に臨んだ。全力を出し切る。そして結果を出す。これこそがスポーツ世界の姿でしょう。あっぱれ!治療に専念し、また代表の座を射止めて欲しい。応援している沢山のサポーターはそれを心から望んでいますよ。
 どうですか?スッキリしますよね。何故なんだかと考えた。彼女たちのチームワークと奢り無き前向きさ、それと明るさでしょうか。
 それに反して、今の政治を見ていると全くの逆ですわね、チーム内での足の引っ張り合いと大臣という棚からボタモチで舞い上がる、それに何となく暗い。
 結局ですね。美談の裏が重要ということですかね。俄か作りのものはメッキが直ぐ剥がれますって。
 なでしこの皆さんに贈る言葉・・・・・・・無理しないで あきらめない・・・・・・。
 政治家の皆さんに贈る言葉・・・・・・いい加減に後進に譲って お引き取り・・・・・。

1906:一粒万倍日

昨夜は98歳になるお婆ちゃんのお通夜がありました。その方の旦那さんは今から7年前に97歳で亡くなったのです。まあ、何と言うのでしょうか長生き家系なんですよ。そのお婆ちゃんの実の妹さんが去年92歳で亡くなったばかりでした。
 凄いですね。ご遺族には申し訳ないのですが、坊さんやっていてホッとする瞬間なのです。
 昨夜は通夜が終わって帰ろうとしたら、背後から「住田せんせい・・・」と若い(?)女性から声をかけられた。「覚えていますか、私せんせいに教わった○○でーす」「。。。」「やだーせんせい、まったく昔と変んないんだから」「、、、、、ナニ教え子で良かった
 ホールのスタッフの方にも、「なーに、学校の先生もやっていたんですか」「・・・・・・」  『すぐ辞めた!』とだけ言ってタクシーに飛び乗った。
 そうだ私は頼まれて1年だけ教壇に立った。多分私の授業が面白くなかったのだろう。学生が言う事を聴かず、お喋りばっか。私の性分です。「そこの○と△、こっちに来て立っていなさい」1時間ほど教室の前で立たせた記憶だけが残る。その△だったかどうか知らない。もうこりごりだと2年目は今は亡きOさんにバトンタッチした。ついで話で恐縮ですが、こんな事もあったけ。県南の某大学で2時間程の話を頼まれた時、どうして頭にきたかは記憶にないのだが、「もう やめた。単位はやる」とだけ言って早めに教室を後にし、教務の先生に文句を言って帰ってきた。「二度と来ませんから」と。
 これだもの、私の性分では教師が似会わない。両親とも一時教師をやっていたのでしたが。
『一粒万倍日』という選日があるのを知っていましたか?
意味は、一粒の籾が万倍に実る稲穂になるというので、何事をも始めるにも良い日とされているのです。9月14日はその日(豊山宝暦より)ですが、他にも年間を通じれば何日もあります。
 『いな穂』という名を新しく建てた作業所に命名しました。この意図は、実れば自然と頭を垂れる稲穂ということでした。キリスト教でいう「一麦」とは違うのでしょうか?滋賀県の一麦寮の田村一二先生はどんな思いを込めたのか?池田太郎先生を訪れた時、尋ねるのを忘れてしまった。
 教育や福祉の仕事に通じるものが稲穂にはあると思います。丹精込めてつくった米を自然の恵みに感謝し農家の皆さんは今、稲刈りの真っ最中。今年はヒヤヒヤものだと言います。放射能汚染が心配だと近所の農家の方が言っていました。
 今のところは基準を超える量は出ていないようです。数日前に土浦で講演会がありました。脱原発を茨城からという内容の講演であったと新聞で知りました。野田さんになって原発の再稼働をすすめるという方針が打ち出されました。
 時を同じくして今度はフランスの核燃料再処理事業所での爆発事故が起こりました。死傷者が出たという話です。
IAEAが調査に入るとか。そこの事務局長は日本人でしたね、確か。
 土浦市はこの度放射能検知器を50台ほど購入し、市民にも貸し出すという話、先日、尚恵学園にも市の担当者が来て放射能を測って行きました。その結果が送られてきましたが、茨城県で発表している数値、0.08μ毎時よりも少し高めに出ていました。0.1〜0.2μ毎時は体に心配ない数字ということのようですが、保育所などでは土壌の除染を行っているなどの話を耳にすると、果たして何もしないで良いのかどうか気になってしまいます。
多分、現時点で国はハッキリとした対応策が出せないでいるのでしょう。30年後、果たしてどのような結果が出されているか? その時分には私は彼岸に渡っているでしょうから、向こう岸から観てやろうと考えています。
 でも、本当にこれで良いのですかね????
 

1907:格差社会

秋の彼岸前に思う事あり。仏教とキリスト教の死生観について3冊ほどアマゾンから取り寄せてみた。天国と浄土、言葉は違えどその中身はどうなっているのだろう?何せ誰も行ったことが無い世界だから、聖書や経典に書かれたものから推論するしか方法は無い。多分、良い処なんだと思いながら。
 嘗てローマ帝国やら大英帝国といった世界制覇をはかった一大勢力が存在した、それ以外にも時代の繁栄を物語る歴史物が有形無形を問わず世界の各地に残されている。著名な博物館などには超豪華な品々が当時の権力者の力の象徴として大切に展示保管されている。
 いつの時代においても格差が有ったわけで今更、その事の是非を問うても後の祭り。片方ではその格差が文化の水準を高めてきたとも言えよう。
 月末に久しぶりにドイツに行く計画を立てている。いまヨーロッパは様々な問題を抱えている。ユーロ圏での国の格差、共通貨幣の導入で当初に危惧されていた事が現実に起こっている。ギリシャの財政が危機に瀕し、ドイツやフランスが支援を行う。支援の条件にあげた独自の財政改善策がどうも上手く進んでいない。ギリシャと言えばアテネを中心に数多い世界遺産があり、古代には突出した経済文化を誇っていた。観光が主な外貨収入というギリシャが果たしてユーロの導入でどう変わったのだろう?見切り発車に乗ったツケがきている。
 ドイツやフランスは世界のトップクラスの企業が幾つもあって外貨を稼いでいる。イギリスがユーロ圏には加盟せず独自の路線を選んだ。この辺の経緯は素人には分かりにくい。
 嘗ての冷戦構造が壊れ、世界地図の見方が変わった。社会主義か資本主義といった単純な括りでは収まらず、変動周期が短くなって複雑化している。依然として中東地域の石油に関わる利権紛争は続いているし、東アジアは中国の台頭が隣国の外交政策を複雑にしている。近年の中国への謁見外交が目立つ中で日本の立場は微妙になっている。
 中国の歴史は日本の比ではない。日本の文化は中国経由のものが殆どであり、昨年の奈良平城京1300年遷都を記念したイベントを見てきたが当に中国の影響が色濃く残っていた。
 律令制度然り都市づくり然り、仏教とて漢文経典が原典になっている。
 その中国は内政問題が最大の壁、圧倒的に漢民族が多い中で少数民族との格差に頭を悩ませている。 近代化が進む今の中国でも基本的には同じ、情報社会になっただけにその統制はより難しくなっている。果たして力で抑え込む政策がいつまで持つか?
 人間は競争意欲が無くなると衰退するのだろうか!発展という言葉に内在する危うさ、国内外を問わず常に紛争の火種になってきた。
 仏教が説く、無常観や解脱観はその辺の歴史事情を鑑みて微妙に変わってきたと思う。死生観を問う前に一般的には過去から引き継いできた宗教儀礼が未だ主流になっている。
 社葬など大勢人を集める葬儀は急激に減少し、家族葬や密葬という形が増えている。これは経済的な問題だけではない。
ただ、既存の宗教がこのまま進んで行くと消えさる運命にあるのではないか。
 新たなニーズにどう立ち向かうか?これが1千年以上続いてきた既成の仏教教団の最大のテーマとなっている。
今風の言い方をすれば、仏教の社会的貢献(コンプライアンス)とでも言うのだろうか。教義信条は本来相手があって価値があるものだからです。

1908:生き残り

日本国中で何かが始まっている。それは業界の生き残り作戦とでも言えば良いのか、都内にある超豪華なホテルが75%の宿泊代値下げプランを出している。幕張にあったGホテルが営業中止、韓国や中国からの観光客の激減により経営が成り立たなくなったとか。地方都市や観光地も全く同じ、受給バランスが大きく変わった。維持する経費さえ入らず、営業を中止したり廃業する。原発事故の影響をもろに受けてしまった。この先、果たして元の状況に戻れるのか?
 福島県だけで土壌の除染をしたい土地が県面積の7分の1にあたる2千平方キロという広大なもの、どのように土を取り、その土をどこで保管するのか?
 時間が経つにつれて様々な事が判ってきた。国民感情として、どうにかしてもらいたいという気持ちが強まるばかり、報道もそれを逆撫でするような事は避けて貰いたいものだ。東電の社員のボーナス復旧か?というニュースが片隅に小さくあった。
 電力料金値上げの動きと東電の従来の企業体質、幹部社員の給与などは公表されない。なにかしっくりしない。
 今回の事故が、応益負担という考えからすると矛盾ばかりが目立つ。東京都の副知事がテレビで東京湾に天然ガスの発電所建設を計画中とか話していた。福島から電力が来ないという前提にたって、自治体からの防衛策だという。一極集中という日本の容が問題視されている。都市直下型の地震が起これば、確実に都市機能はマヒし、今回以上の大混乱が起こる。それへの対策は出来ているのか? 
 霞が関や永田町という名を聴いただけで官僚と政治家という代名詞になった。利便性や効率性を考えれば確かに東京に全てが集まることも止むを得なかった。しかし、今回の震災でその実態が決して将来的に安全だという確証が持てなくなっている。
 奈良から平安にかけ、遷都を繰り返した。その度に膨大な経費が使われている。その余裕が有るか無いか。
自然災害だけではない。将来テロ攻撃を受けないとも限らない。官邸を移動するのか、外からの攻撃に対する防備策は現実的でない。
 こんな事を考えるのは誰しも嫌である。だが、現実にいま福島で起こっている状況は待ったがきかない。
 国会が始った。4日間で閉幕とかで野党は猛反発、西岡参議院議長に直談判し、14日間に会期延長するとかの話。
 代表質問では良く分からない。原稿を読み上げる遣り取りに臨場感は全く無く、質問事項が多すぎてその答弁がどこの何を答えているのか分からない。
 一問一答の審議がいまこそ必要だ。中央の動きが見えない事への苛立ちが地方にいると増す。茨城県でも県会が開催中、地方テレビが茨城にはないから、県会実況中継で県民が知る術がない。総額で2兆5千億円とも言われる茨城の震災被害をどうするのだろうか?三次補正により、復興財源は地方にどれくらい廻ってくるのだろう。
 執行部の皆さんの苦労も大変だ。なにせこの時とばかりに一斉に要望が集中するからだ。その査定が通常の業務と並行して行われるのだから担当者の負担はウナギ登り。
 最近は県庁周辺の会議場が取れない。予約でみな抑えられている。我々の団体も総会を計画したが、年内は全て抑えられてしまっているとのこと、仕方が無く、ホテルを借りて行う手筈をした。
 事務手続きが煩雑になった。会議の回数や決めごとの手順など、正直面倒だ。おろ抜きにしたら指導の対象、仕方がないからやるしかない。我々も生き残りの只中にいることを忘れてはならない。
 

1909:減速走行

泥中之蓮となれるか?人は組織の中に入れば大勢に流され異を唱え改革など簡単にできることではない。ならば組織に入らず外からできるかと言えば尚の事難しい。際限無い労力と困難を目の当りにし、退散するのが関の山。
 野田内閣がスタートした。2年間で3人目の総理である。海外の眼は厳しい。いずれ又変わるのかという冷めた視線を送る。さすが彼は千葉駅で毎日街頭に立ち演説をしてきただけあり、言葉は巧みで弁舌爽やか。それと”正心誠意”という勝海舟の言葉を敢えて使ったように彼なりの思いを感じる。しかし、どうでしょう?何か約束を簡単にし過ぎているように思えてしまう。
 短期間で果たしてできるものであろうか?お手並み拝見と行きたいところだがそんな悠長なことを言ってはおれない。
 今の日本に大切なのは痛みを分かち合う心だと思う。節電が功を奏し、危惧された程の電力不足はなかった今夏、今までがふんだんに電気を使用してきた訳だから丁度良い。それで充分だったのではないか。
 税金を上げる上げないの自党内のコンセンサスが得られていない中で税調の審議経過が示された。消費税は上げないで所得税から捻出しようという方向か?
 改革には必ず反対が付き物、それを強烈な政治手腕で方向付けできるのか?野田氏は松下政経塾出身、松下幸之助氏の薫陶を受けたわけだから何らかの秘策があるのかそれとも直球勝負か?いずれ近いうちにその真価が問われるだろう。
 アメリカではオバマ大統領が苦戦を強いられている。これは前の大統領の負の遺産ではないのか?戦費に費やした総額は膨大なもの、その金がどこに行ってしまったのかは分からないが、その負担がオバマ氏の改革の足枷になっている。
 世界の牽引者としてのアメリカの舵取りは大変でしょうね。日本どころの話ではない。
 もっとゆっくり走行できないのでしょうか?世界中に目配りし、軍事派遣を続けることは1国でできる事ではない。その為に国連が存在するわけだが、どうもその実態は上手く機能していない。これだって事の大小はあるが痛みを分け合うことだ。自分達の意に適うようにならなければ満足できないという外交は長続きしない。お互いの主張があり、それをどの辺で折り合うかという問題だ。
 仏教は少欲知足という考えを大事にする。一人勝ちを認めず、相手の立場を尊重する。その為には自分達も我慢しようじゃないかという事になる。その我慢が足りない状況が目立つ。自由という言葉の持つ意味は、実は複雑である。カントの唱える倫理的自由は、意志が感性的欲望に束縛されることなく、理性的な道徳に服することから自律と同義とされる。それに自由には本来前提条件があって、無条件的な絶対の自由は人間にないとする。
 近年、その前提条件の解釈が多様化してしまったわけで、その言い分は相手からすれば言い訳としか受け取れない。
 自由の暴走を防ぐ役割として責任がある。これも誠にご都合主義で薄っぺらな責任と化した。職を辞すれば良いといつ頃から考えるようになったのか?
 今回、日本人に突き付けられている事は、そこである。孫子の代まで負担を負わせることが本当に許される事か、謝罪と辞任で責任を果たしたかのごとき振る舞いが多過ぎる。私が思うに”逃避”でしかない。
 アナログからデジタルになり、ボタン一つで切り変わる事に慣れてしまった現代人の責任の取り方は、そんな事ですか?
そうじゃーねーだろうよ。ずっと消えることなく続いているということなんだ。
 自らが組織内にいて、その責めを果たすことができないと思えばどうその責任を果たすかを自らの一生をかけ償いをしていく正心誠意が必要ではないのでしょうか。切り替えが早すぎるし、責任だって減速走行で見えるようにしてもらいたい。

1910:何を大切に

日本が隣国から学ぶことは多い。戦後半世紀の間に自惚れが人間性まで変えてしまったとは考えたくない。
 15日、韓国では時期外れの猛暑に見舞われ電力需要がウナギ登り、供給量が追い付かず、電力会社は送電を止めた。
 翌16日、李明博大統領は電力会社本社を突然訪れ、幹部に「あんたらいいもの食ってよく寝て、電力需要が増えれば止めてもいいという安易な考えか、、、、」と怒鳴り付けた。(朝日新聞より)
 このニュースを知った時に直感した、韓国の政治事情と日本の違い、韓国では国民が何を考えているのかに敏感でなければ政治家は勤まらない。前回の大統領選の投票率は63%と低かった。いつもなら80%前後の投票率がある。日本とここが先ず大きく違う。投票したいと思う人間がいないからか、有権者が政治に期待感がないからか?
 これでは溝に金を捨てるようなもの。余りにも日本の国政選挙の実態は酷い。これで本当に国の容を責任もってできるのだろうか。
 尚恵学園の利用者の人達の選挙は今まで欠かしたことが無い。白票になろうが無効票になろうが選挙には参加してきた。彼らが選挙の意味を理解しているとかどうかは問題では無く、国民としての権利と責任と考えている。
 韓国の大統領の素早い対応と比べ、日本政府の言い訳がましい後手後手の対応に、最早打つ手が尽きたのか。
 同日このようなニュースもあった。中国人留学生による日本語での弁論大会、3分間という短い時間だが流暢な日本語で震災後の日本の状況を彼らの目線で述べた。その中で多くの学生が日本人の互助の心と我慢強さを称えていた。
 これも確かに日本人の持つ特徴かもしれぬ。しかし、これはほんの一面で万事が万事そうとは限らない。
 大臣の失言が目立つ。韓国だったらどうだろう。多分、大臣を辞任するだけでは止まらず、政界から身を引く羽目になるのではないか。日本はその辺が甘い。入院したり、暫く大人しくしていればという暗黙の了解の中で政治が動いている。
 これが企業にあってはどうか、企業は株主というチェック機能が働く。企業業績に即影響し、買収されないとも限らない。日本の一部上場企業全てがその危機感を持っている。
 残念だが政治にそれが薄い。次の選挙までにどうにかすればという余裕?が有ってのことか。そのうちにホトボリが冷めてしまう。
 韓国での停電は「人災」だと国民は見ている。ならば日本の原発事故は一体誰に責任があるのか?曖昧にされてしまうのが落ち。
 これは何を大切にという事に尽きる。日本は他国からの侵略を真剣に考え、それへの対策が万全かと言えばNOである。
朝鮮半島の一触即発の状況と海に囲まれた日本の違いか?そうではあるまい。他人の懐具合にばかり関心があって、自らは痛めない。責任転嫁と言い訳で済まそうとはしまい。
 国が危うくなった時に何が大切かを熟知し、自らが率先し行動でしめした先人がいた。石田禮助や近年では土光敏夫である。石田の弁・・疎にして野だが卑にあらず。一方土光は経済界のトップに君臨し臨調の責任者を務め実績をあげながら、自らの生活は質素であった。武士は食わねど・・・・・。
 最近のトップリーダーにその気骨を期待することはできないのか!アンタは何を大切に考えるているのか。憂国の情を安売りし、国民の理解が得られないと地団駄を踏んでいるリーダーはいくらでもいる。その最たる人間は政治の世界に未だ居座っている。武士なれば潔く身を引くべき処、しがみ付いている姿は見苦しいし、余程うま身が有るのだろう。
 これら全てが、仏教の言う無常の真像か?永く無為を得て解脱の岸を捜し求め、憂国の士とならぬ為にもやるべき事はあるはずだ。