源究103

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1571 言霊(ことだま) 9/3 1576 雨の音 9/8 1581 内清外濁 9/14 1586 生き切る 9/19
1572 一休み 9/4 1577 台風一過 9/9 1582 白紙委任 9/15 1587 結局は 9/20
1573 経験を生かせ 9/5 1578 語り部 9/10 1583 秋の訪れ 9/16 1588 暗潮台頭 9/21
1574 モラルハザード 9/6 1579 変幻自在 9/11 1584 挙党一致 9/17 1589 心の便秘 9/22
1575 南米研修 9/7 1580 障害者スポーツ 9/13 1585 選択課題 9/18 1590 展望台 9/23

1571:言霊

『言霊の幸ふ国』と古くは万葉集に歌われた日本、果たして現代の姿を見て万葉人は如何に?
言霊(ことだま)の霊妙な働きにより幸福をもたらす国と言っても言霊の意味を解せない人ばかりではないか?確か俳句や短歌を楽しむ人達もいるにはいる。しかし、どうだろうかほんの一握りの人達である。別にその事を嘆いているのではない。現代の若者に其れに代わる楽しみがあるか?YESだ。あり過ぎる。古代人の愛した”風雅”みやびやかな流儀ではない。奥の細道に歌われた・・・「風流のはじめや奥の田植歌」・・・・
 今年は稲刈りがこの猛暑で早まったのだろうか、大型コンバインがあっという間に稲刈りを済ませてしまう。1反歩(1R)の水田など15分程度で綺麗に刈ってしまう。
 田植歌どころの話ではない。機械化された農業は人手が少ない中で効率を上げるために導入された。高額な機械は稼働期間は短く、作業能率を得るために大きな負担を農家にかけている。付加価値を高める様々な試みがなされている。
全国至る所にできた”道の駅”には生産者自らが作物を展示し即売している。でもこれで生活が成り立つわけではない。
 政府が導入しようとしている農家への助成金、果たしてこれで農業振興に結び付くのであろうか?
 昨日は民主党の代表選の記者会見、さすが永田町専任の記者達は辛辣な質問を両名に向けた。小沢さんは決して話が上手ではない。朴訥としたむしろ無愛想な話っぶり、これは生来のものなのか?彼は顔に出しやすいタイプ、これが傲慢で怖い存在とうつるのかどうか?損な性分だなと思った。
 日和見主義の政治家も頂けないが自分の意に反する意見にイチイチ目くじらをたてる人間も付き合いにくい。そう考えるとトロイカ+1の人事密談に猛反対した議員の気持ちが手に取るように分かる。大変だわな!
 でもこれだって国民不在である。昔ならば政党内のイザコザは外には出なかった。暗黙の了解事項であったはず。それが出るは出る出る、得意になって内情を解説する議員がいる。
 メデアだけの責任ではない。議員自らの政党人としてのケジメを持たない人間が増え過ぎた。自由と豊かさの弊害の最たるものである。先の記者会見でも良く聞いていると大差はない。違いはイメージだけ。これではどっちが好きか嫌いかという判断になるしかない。
 もしも無理を覚悟で”言霊”を”マニフェスト”と同義語と考えてみると、霊妙な働きで幸福をもたらすというよりも言葉遊びに過ぎないと思ってしまう。歌会始ではないのだが、傍でみていてなんとも迫力に欠けるパフォーマンス。
 これで政治主導と躍起になる。頭の良い官僚にはその辺の事情はとっくにお見通しだと思うな。相手を批判中傷しながら、ホナラあんたはどうすんねん?と問えば、希望的観測に終始する。それは後日関係者と充分検討してという。関係者がどなたか?答えられず。このパターンを繰り返した。
 相当忙しいのでしょうね。秘書任せでお国は選挙の時にしか帰らない人が、実感として現状をどれだけ深刻に考えているのでありましょうや。
 私自身の事で有りますが、いま密かに計画を練っている。人頼みでなく、自分だけでできる小さな事を。
 そこに何か本質を感じるからだ。
   言霊と語りつぎ言ひつがひけり・・・・・・次の世代に何を遺して旅立つか、・・・・。
 

1572:一休み

壁にかかった飛田先生直筆の『かまえなし』という書。ああ・・ここにきて随分身構えた毎日を送ったものだと思わず溜息をついた。少しずつ身軽にしたら楽になるだろう。昨夜は某役員会をつくばで行った。4人だけでの酒席、静かで雰囲気が良い店で役員会を毎回ここでやっている。いつも4時間近く話し込んで、気がつくと誰も他に客がいない。代行を頼む。多少の値段の違いはあるが5千円までは掛からずに戻れる。
 少しアルコールが入ると眠れなくなり、いろいろ頭に浮かんできて何度も起きだすハメとなった。
最近の話題は政治と天気の事が多くなった。いずれも気まぐれで予想の域をでない。ここまで猛暑日が続くと本当に全て投げ出してどこか涼しい場所に逃げ出したくなる。
 集中力が減退し思考能力が全く無くなる。今年は30年周期で起こる異常気象の年という話を聞いた。私の経験では今までに経験したことがない気候である。台風が全く来ない。関東地方に長く居座る高気圧のせいなのか。
 寺にある2本の井戸と市の水道からホースをつないで夕方定番の水かけを行っている。市の水道からでる水は生温かい。深井戸から出る水は非常に冷たい。今のところ地下水が無くなるというまでにはなっていないが、このまま雨が降らないと庭木は枯れ始めるだろう。
 いい加減に天気も一休みして涼しくなれば良いのに。
  朝の8時前、本日も晴天なり。雲一つない空にBGMの蝉しぐれ。

1573:経験を生かせ

各地で開催された戦没慰霊祭、出席者が高齢(代表挨拶をした方が94歳)になったと聞いた。戦後65年だから仕方が無い。体験を語れる人が少なくなる一方で若者は何も知らされずこれから先どのように外国と付き合っていけば良いのか分からない。
 現に地球上の様々な地域で紛争が起こっている。口蹄疫の終息が発表され当事者にとって一安心かと思えば、具合の悪い牛が出たという事で一瞬どよめいた。結果は陰性で良かったが、いつまた感染するか誰も分からない。
 東京の某大学病院で院内感染が起こり、ニュースで取り上げられた。私もある総合病院に定期通院をしているが一時期スタッフ全員がマスクをしていた。あれは新型インフルエンザが流行していた頃で、今は窓口業務などは誰もマスクはしていない。
 何か事が起こると予防マニュアルで一斉に同じ対応をする。何しろ相手が見えないからどうしようもない。
 これは60年以上、安全と平和を謳歌してきた日本人にとっては至極当然の流れかもしれません。・・・・が、外国ではその日の食べ物を得ることも難しい人々がいます。
 戸籍上に残っている高齢者の問題がありました。これは行政の仕組みとして死亡届が出なければ戸籍上は残ってしまうわけで住民票とは別である。年金問題も同根だ。背番号制にして管理するという提案、正直、このようにしなければ落ちこぼれは防げまい。
 これは一種の社会病理である。何かが起こるとそれへの対応策が生まれる。その繰り返しの結果、事務的手続きが複雑になり過ぎ、事務量と個々のデータ管理が膨大になってしまった。役所の担当者はその処理に追われ、決して仕事の量は減る事がない。
 コンピューターで管理は行っているが、保存データーが増え過ぎて、必要なデーターに辿りつくのが大変だ。また上乗せされて最新のデータが一体どれなのかを検索するのに苦労する。これだって機械のトラブルが起これば一瞬でオジャンになる。危ういことこの上なし。
 9月を法人全体で大掃除月間と決め、整理を始めた。膨大な書類が所狭しに置かれてあり、遺すべきか破棄すべきか頭を使う。大半の書類は2度と利用することはない。必要最小限のもので充分なのだが、その判断ができない。
 国内で破棄される膨大な資料は資源の無駄、エコ対策とは矛盾する。この仕組みを変えることは大変だ。
 いま庭先でいらなくなったモノを燃やす事ができない。業者にもっていってもらう手間がまた大変だ。
 全てが根っ子の部分では繋がっている。その中で生活をしなければならない仕組みだ。多くの事が経験のないものだから先輩から聞いて対処することが難しくなってしまった。
 その端的な例が今年の記録的な猛暑、どこに行っても暑い暑いと言葉を交わすだけで、もっと熱くなったらどうするかまでは頭が廻らない。
 施設の日課も変えないとまずい。日中はじっとしていて外に出ない。夕方涼しくなってから動き出す。
となると今の制度では日中活動は”全員が昼寝”と記録することになりやしないか。
 冷房が止められる夜の時間に少ないスタッフで作業を行うという事になりかねない。{昼夜分離の弊害}
 私は人間相手の仕事は一定のルールがあると思っている。それは先人の経験から学び伝わったもの、挨拶しかり他人への迷惑・・云々。その事(常識)を大切に思わない人間が増えてしまった。
 それと上に立つものの良識のズレが酷い、いかなる理由をつけても14日までやるという代表選は私には納得できない。
 一時も休む事ができない、問題山積の責任者は公務をないがしろにできない。選挙運動もできないでしょう。
やたらと元気を取り戻したもう一人の方は時間とカネがある。ローラー作戦を展開、今までどこかに隠れて国会にも出なかった人がなんだよ!ハンデイを付けるべきだわな。
”武士道”精神がなくて何が”最後のサムライ”かよってーんだ。日本人全てが目を覚ます時だ。残念ながら今回は一部の国民しか投票する場がない。ウーム。これが日本型民主主義と言うのだろうか???
 顔で笑って心で悩む これが政治の王道と 誰が持ったか浮世笠
    さりとて この暑さには 役たたず。
      二股かけて 我が道を 阿弥陀くじで ゴーサイン!!

1574:モラルハザード

門外漢なれど気になって使用が無いって事、世の中には沢山あります。「モラルハザード」という言葉を良く耳にします。ちょっと調べてみたら3つの意味がある事が分かった。一つは経済学で使用するちょっとヤヤコシイ意味。2つ目は保険などに使われる。保険に加入していることで運転が乱暴になりリスクが増す。頷ける話だ。3つ目は英語の直訳で「倫理の欠如」。私は正直、3つ目の意味が一番理解しやすい。
 拘りが強いかも知れません。NO1568で触れているスウエーデンから日本が何を学ぶかというテーマである。
 スウエーデンではエランデル政権の時代に「国民の家」という理念を掲げた。これは国民の連帯と共生を目指すもので、その特徴は、制度が持続可能であることを最優先されたものであった。いま、日本政府が話の節々に出している目指すべき国の容に部分的には通じるものがある。従来の制度を大きく転換するには時間がかかるのは分かる。しかし、それが持続可能かと問えば、以前として付け焼き場的な事業が多過ぎる。
 スウエーデンと日本の大きな違いを指摘しなければなるまい。それは一言で言って『政治への信頼』の欠如である。
 スウエーデンでは「国民の家」という理念を一貫してやってきた。それに比べ我が国は首相がころころ変わり、其々が違った題目を唱えるから正直何がなんだか分からない。この混乱が政治不信の根っ子にある。
 それと今更なんだよ!代表選になって同じ政党内でああだこうだ言い始まる姿は見苦しい。立党して何年になるんかね。今まで何故充分な討議をしてこなかった?ゴマスリ人間か寡黙人間しかいないのか。
 国民の大半は我慢の限界に達していますよ。
先だっての朝日新聞の社会面に『みとりなき社会』と題する記事があった。行旅死亡人の昨年警察庁に届け出があった死亡者数だけで1135人いた。ある寺で合祀墓を作ったら宅配で無縁仏が200体も届いたという。
 葬儀の形も変わった。これは寺や葬儀社側の問題だけではない。確実に社会が変わったのである。
 人間は、何かと比べて自分の立つ位置を確かめる。そもそも自分自身をもっていない。だから隣に蔵が建てば腹がたつという笑えぬ川柳が生まれるわけ。
 比べて優越感を味わう者もいれば、そのまた逆で自分だけどうして苦しむのかと自棄になる。そしてその責任を他人や社会に向ける。これでは国民の連帯と共生は生まれまい。自分だけ良ければ他はどうなっても構わない人間が増え過ぎた。
 日本人が閉塞感から抜け出せない大きな理由に、先の戦争がトラウマになっていることがあると私は思う。正々堂々自分の意見を言うことを嫌う風潮が生まれた。その事がモラルに反するとでも言うのだろうか?
 そして一向に改善されない結果に影で不満を言い続ける。この種の人間が実に多い。この最たる人間が永田町に集まってしまったから悲劇だ。約束を簡単に破っても本人はヘッチャラ、修正は自由で責任は取らない。
 責任を取ると言う事を履き違えている。ゴマスリ人間だけを周りに侍らせ、これが国民の総意だと勘違い。取り巻き連中は国民への気遣いではなく、親分への気配りでピリピリする。群雄割拠の戦国時代でもあるまいし。
 結局、国民は好き嫌いで判断するしかないのではないでしょうか。だってそうでしょう、皆が皆、直ぐに考えを変えてしまうんだから。
 この一大事に強いリーダーシップの人間が必要だという連中に言いたい。リーダーシップって何よ?本当に信頼できる人なの?その根底のお互いの理解がなくて成り行きでトップを選ぶことは大いなるモラルハザードではありませんか?
 

1575:南米研修

本日13名の来客を迎える。JICAからの依頼で南米(ボリビア・エクアドル・パラグアイ)からの特別支援教育関係者の訪問を受ける。これで4回目になる。JICA筑波での受け入れだから近くの施設で尚恵学園が選ばれた。10時から4時まで相手が何しろスペイン語だからチンプンカンプン、説明資料として英文で作ったパワーポイントをJICAでスペイン語で作り変えてくれた。しかし、説明する私が何を書いたのか分からない。困った。逆通訳を受ける事になるかもしれない。
 相手国の事を少しは知らないと不味いと思い、インターネットで調べてみた。直ぐに目に付いたのは6000mを超すアンデス山脈の山々、チチカカ湖やインカの遺跡、最近ではサッカーのワールドカップ・・・・・パラグアイなど人口630万で驚いたのは水力発電99.9%で電気を賄っている。日本人移民の歴史も古く、日本とは良好な関係を築いてきた。
 兎に角、自慢する程の見ていただくことも無い。なにせ建物設備は少々時代遅れで参考になるものはない。
 まっ!強いて挙げれば地域との協力関係が長い年月で定着している位、それも2つの寺の存在が大きい。今でも季節の果物や野菜を持ってきてくれる人が多いってことぐらい。
 前回のアフガニスタンでは本堂で坐禅を組んでもらって顰蹙を買った。認識不足。反省。
 でもJICAとの事前打ち合わせでは、仏教との関係を話して欲しいとの依頼を受けていた。それに従ったまで、今回は施設で昼食を用意する、一応ベジタリアンの有無など尋ねておいたがその心配には及ばないとの回答を得ている。
 結論から言えば、有りのままの姿を見ていただくという事だ。
 話が変わる。プロスペクト理論というものを皆さん聞いた事があるでしょうか?
今から30年前に提唱された経済学理論です。簡単に言えば…『人間は「勘定」と「感情」で行動する』・・・という事らしい。従来の経済学に心理学の要素を加えたもので行動経済学という分野で研究がなされているという。
 最近の状況(デフレ・不況など)は単に損得計算(期待の差)で推し量る事は難しくなっています。心理的な要因が大きいわけです。
 要は人間の価値判断は比較によってなされるということと同じ、昔風に言えば上を見れば切りが無いとか高根の花と言われた事に通じます。
 さてと、また話を元に戻します。南米は特にスペインの支配を受けてきました。ですから殆どの国がキリスト教を信仰しています。日本とはその辺が大きく異なります。日本では思ったよりキリスト教の信仰が広まっらなかった。仏教徒が圧倒的に多い。坊さんの私が決して贔屓目で言っているのではなく、江戸時代以降の歴史を見てみると明らかです。
 私は宗教はなんでも良いと考えています。当人が何によって安心を得られるかという問題ですから。
 深く掘り下げて行くと、何故人間は争いごとを止められないのか?という事に行き着くわけで、その背合わせで「安心」「共生」という理想がある。矛盾というのでは無くこれが現実です。
 当に人間の行動には期待とその判断が影響する。その端的な実例が、(またかい、いい加減にしろよとお叱りを受けることを覚悟の上で)、    民主党の代表者選挙、どっちに付くべきかという判断の迷いです。
 本当に国民の為に行動を起こすのでしょうかと言いたくなるわけです。自分の為でしか無いでしょう。
 先進諸国という幻想に長く身を置いたツケが先ず人間の心に現れた。誰しもが問題と感じながらどこから手を付けてよいのか分からない。
 つまり、心の問題は「勘定」では解決できないという事ですよ。
 蛇足ですが、柔道で金メダルを取った1年生議員がいますよね。どうもあの人の行動が読めない。目立ちがり屋??気になるわけですよ。

1576:雨の音

朝方、本当に久しぶりに雨音が聞こえてきた。昨夜の天気予報で台風が接近しており、関東地方にも影響を及ぼす恐れありという事は知っていた。今回ほど台風を待ち望んだことも無かった。なにせ約2カ月の間雨らしい雨が降らない。栃木や群馬の山沿いでは毎日のように夕立ち雷注意報、でも茨城まで雨雲はやってこなかった。その分、南風に運ばれた熱気で35度を超える日が連日続いている。
 芝生が赤味がかって、枯れ始める兆候が出る。急いで簡易スプリンクラーを買いにホームセンターに行くが全て売り切れ入荷の見込みはないという。
 今まで放り投げていたホースを持ちだし水道の蛇口に括りつけ、夕方2時間もかけて水かけを始めた。既に枯れかけた植木は水道水をかけた位の量では効果なし。
 それでも植物が必死に水を要求する声が聞こえる。そこに恵みの台風接近、正直直撃してくれと拝んだ。
 自然を人間の思い通りにしようなど不遜な考えだ、見ろよ!乾燥した地域があればゲリラ雨で大きな被害を各地で起こしているではないか。今回の猛暑日の記録は平成7年の記録を書き換えている。丁度今から15年前、記憶は定かでないが確かに暑くて参ったこともある。ただ、熱中症で亡くなるという人の数は然程多くは無かったのではないか?何かが変わった。
 茨城はこの時期、梨やブドウの収穫期にあたる。今まで丹精込めて育てた果実が台風で傷められては泣くに泣けない。一方、野菜の植え付けをしたばかりの農家にとっては恵みの雨。なんとも複雑な思いである。我々としては幾分か気温が下がり、乾燥しきった大地に潤いをという願いである。
 柳田邦男の『20世紀は人間を幸福にしたか』という単行本、その裏表紙にこのように書かれてある。
・・・・「偉大な進歩と発展」を遂げたはずの百年は、はたして一人ひとりの人生を幸福にしたのか?あふれるモノとすさみゆく心。繁栄から始まる衰退。人類の歴史上、もっとも激しく揺れ動いた時代の負の遺産にどう向きあうか?・・・・
 ここに書かれた「すさみゆく心」に目が止まる。すさむとは荒むと書く。その意味は多様で、心の赴くままに事を行うという意味や荒れて細やかさがなくなるという意味もある。前者は源氏物語に登場するもので和歌集などに使われた。
ただ現代人にとっては後者の荒廃するという意味が強い。花鳥風月を楽しむ風流の世から既に何百年という年月を数え、現代は自由を得て自己本位の考え方をする人々が増え過ぎた。
 そのような時に昨日南米からの客人を迎えた。猛暑の中を10時から4時まで熱心に見学して行った。お国柄と言うものを感じた。質問が出始めると止まらない。残念なのは相手がスペイン語しか通じなかったこと。通訳を通して意思を伝え合うことがまだるっこくて上手くいかないのが分かった。「今回の通訳さんは以前も来られ一生懸命汗を流しながら通訳してくれた。でも日本人の持つボヤケの部分、微妙な心情を相手に伝える事は至難の業です。」でも相手の表情で分かり合えました。彼らは皆さん国のエリートで意識レベルも高い人たちだった。彼らが一様に話していたのは、当に柳田が指摘した日本の失ったものの大切さである。
 一方、政治の世界に目をやれば一気に熱を噴き出す火山のように今まで休んでいたかと思った人間が表舞台に颯爽と登場、この違和感は「すさみゆく心」に通じますね。自己中心的な人間ができる事は権威を振りかざし、自分を実際以上に大きく見せること位ですよ。果たしてそのような人間に国の舵取りを任せるか否か。投票する立場にない私は静観するしかない。
 この状況にモノ言えない人々、一体貴方達は何を是としているのですか?これもまた「偉大な進歩と発展」を遂げた百年の置き土産。台風一過とは良く言ったもの、斯様な人達はなるべく早く過ぎ去ってどこかに行っていただきたい。
 これ私の偽らざる本心である。
 そうそう枯れかかった植物に急に水を掛けると枯れてしまうってこと分かりますよね。劇薬か漢方薬か???論外だ。
国民を甘くみてはいけませんよ。
 

1577:台風一過

台風一過とは良く言ったものである。50日あまり全く雨が無かった土浦周辺、昨日の午前10時頃より雨が降り始め、3時ごろにはそのピークになった。かなりの雨量で施設前の用水路は水が溢れた。一面水浸し。それが夜の9時頃になってピッタリとやんだ。見事と言うしかない。心配した強風や大雨の被害は無かった。
 天気予報ではまだ残暑が続くとのこと、しかし以前のような酷暑とはならないようだ。静かに秋の訪れを待つ事にしよう。今日は葬儀がある。この方は生前から良く知っていた。何度も寺を訪れてくれた。彼の一生は当に台風一過、天と地を経験し最後は突然それも静かに旅立っていった。
 人間は自らの人生を設計することはできまい。何が待ち受けているかわからない。先を行っているようで実は後手後手の対応をしているのだ。今の自分を有りの儘に受け入れ生きて行く事は至難の業、どこかに無理がある。
 そこで大切な事が自分自身をコントロールする能力だ。出過ぎた時は控え目に・・・ってこと。
 私は壁に『つもりちがい十カ条』というモノを貼っている。そのいくつかを紹介してみよう。
 *浅いつもりで 深いのが欲望
 *厚いつもりで 薄いのが人情
 *少ないつもりで 多いのが無駄
 ・・・・・。
 なんだか知らねーが誰かに其のまま言ってやりたいよ。
 日本人の欠点は、島国という特殊な事情から来ているという。力に見合った良い塩梅な位置にいれば良かったのかもしれないが、経済的に発展し、世界でもトップクラスの定席を掴んでしまった。その弊害と言えるものが、ここにきて一気に噴き出した。分かり易く言えば”言っている事とやっている事が違うだろう。更に思っている事も違う”という事である。
 実はこれは仏教で一番嫌う事なのだ。ちょと専門的になるのだが、”身口意の三密行”という教えがピッタリとその点を言い当てている。
 あれ!今頃騒いでいるの?というニュースが入った。北海道選出の鈴木代議士、最高裁の決定があり、二年の実刑と議員失職が決まった。何かと騒ぎが多い方だが有名な歌手が彼を支援しているのは何故?
 受託収賄やあっせん収賄罪によると言う。北海道の地元も複雑な思いであろう。しかし、所謂もう一人の大物?はといえば????
 諺にこんなものがあります。
*深い川は静かに流れる。
*奢る者は 心つねに貧し。

1578:語り部

子供たちの塾通いで『読み書きソロバン』と言われたのは一昔前の話だ。今では学習塾は勿論、様々なスポーツや習い事が目白押し、子どもたちは自由に外で遊ぶ時間が持てない。これは由々しき事態である。
 そこから得るものも確かにあるだろうが何かが足りないと思っている。なんだろう??
 家族の繋がりかなー?中には塾通いに行きたくともできない子供もいる。月謝が払えないという事情が大きいという。
 そうなると子供の心理にどんな影響を及ぼすだろう。だれ誰ちゃんは良いよな。塾にお母さんが送り迎え、テストの結果が良かったから御褒美もらって・・・・・。この類の状況は否定できない。
 また、その逆もある。なんら不自由のない子供が満たされない。それが家族との触れ合いだったりする。いつの時代にもあったことだろうが、最近はその傾向が際立っているように思えて仕様が無い。
 私の経験からして他人と比較されて頑張れと言われると反発だけを感じたものである。
 昨日、久しぶりに友人が遊びに来た。暫く話し込んだ。彼は施設長を長くやってきたが59歳の時に何を思ったか職を辞した。その後、メール等で情報を交換する位になったが、写真や自転車、山登りと今まで出来なかった自然との触れ合いの時間を堪能していた。昨日は里子の話で盛り上がる。奥さんがやりたかった事で3人の子育てが終わり、自宅に里子を預かることを始めたという。施設に勤務していた時は夜中呼び出される事もショッチュウで好きな酒も飲めなかった。それが今は気分がすっかり楽になったと言う。相性とは妙なもので、彼は尚恵学園にいたのは2年足らず、それから30年以上ずっと連絡を取り合っている。辞めるわけにいかない私が気の毒だというのが定番の慰めである。
 今と比べると当時は建物も酷い状態だった。彼が園長に直訴した事があった。それは『家庭訓練室』子供たちに食事を作ったりお茶を飲んだりする場所が欲しいと言った。建てるカネが無い。そこでガス台を付け、壁のペンキ塗りを自分たちでやった。そのことをお互いハッキリ覚えている。
 最近、私が感じていることは、職員は皆、人が良いです。でも何かが違うという印象を持っている。
 遠慮がち?アイデア不足?気づきの無さ?・・・・・正直、突破口が見出せない。
 そう言う自分も大いに反省する。現場から離れ、年中、制度や報酬単価にヤキモキ、足元に目がいかない。会議や出歩く事が多く、落ち付いて座っていることがない。だからかもしれない。欠点ばかりが目に付いて。性格が偏ってしまった。
 自然を身近に感じ、ゆっくりとした時の流れを感じるべきなんだ。また、登山を始める勇気はないが、。。。
 昔はおっかない大人がいた。職場だけでなく地域にも。先日テレビを見ていて気になった。
 どこの国か分からない。多分東南アジア周辺だ。長屋があり、そこに住む人達が昼夜を問わず集まって過ごす。
 よその家の赤ちゃんを年寄りが面倒みたり、その脇で子どもたちがボール蹴りをする。いま、その部族の生活の仕組みが見直されているようで観光客が生活体験で訪れている。昔懐かしい共同体である。
 そこには普段の生活の中に年寄りが若い人たちに語り継ぎ、伝統を大切に守る仕組みがある。恐ろしい年寄りがいて、時々雷を落とす。これも大切な役割だ。
 今の日本、他の家の子供を叱ったりしたら大変な事になる。親が警察に訴える。それをマトモニ聞いて動く警察も警察だ。
 しかし、対応が遅くて事件にまで発展したケースは捨てる程あるから仕方が無い。この実態はどうも重症で手の施し様が無い。
 あるとすれば自分の言葉で語り継ぐアナログの伝達法かなー。民話の語り部、遠野や山形の放言で語る文化が今静かな人気を博している。
 福島弁丸出しの議員さんがいますよね。憎めないし、彼が言っている事が一番マトモニ思えてしまうのは故郷の風を感じるからですよね。
  

1579:変幻自在

朝番めっきり秋らしくなってきました。タオルケット一枚では寒いぐらい。ここ1週間は書類と奮闘しています。積み重ねられた膨大な資料が収納限界となり思い切って”掃除大作戦”となった。埃まみれになって書類を整理していると30年40年という時間の流れが一瞬だったと気づく。私が23歳の時にイギリスに研修に行った時の報告書が出てきたのには驚いた。全く英語が話せないのに妹尾先生に無理にお願いして紹介状1通持って単独旅行、当時は1ドル360円、アンカレッジ経由で大変心細かった記憶だけが残る。しかし、毎日歩き廻ったなー!地図片手にシェークスピアの本場。。。なんて言ったかな思い出せない。駅員に発音を何度も訂正され、切符を売ってくれないそんな意地悪もされた。
今、思えば懐かしい思い出だ。
 思い立つとじっとしていれない性分でいろいろやってきた。周りの人には偉い迷惑をかけてきたかもしれない。多くの人達と知り合いになった。大半がもう彼岸に渡っている。
 今朝のNHKラジオで奈良のたんぽぽの家の話を聞いた。早速インターネットで調べてみた。様々な活動を行っていることが分かる。わたぼうしコンサートの発祥の地、凄いなーと只管感心する。片隅にあった福祉を新たな方向に導いた先駆者だろう。法人がある奈良、これもドンピシャリ、平城京1300年の歴史の重みがある。
 とすれば関東は新参者、まだまだ伝統文化への土壌は熟していない。商売柄、奈良には良く訪れる。東京⇒京都⇒奈良と乗り継いでいくと、徐々に心が落ち着いてくる。何故かな?大和八木や桜井周辺は特に遺跡が多い場所、小高い山に挟まれた集落は俄かに住み着いたというよりも1000年以上の重みがある。
 その地で考える地域とここ数十年で人間が住みついた地域では厚みが違う。それこそ地域への人一倍の愛着を持って生活している人達と1代限りと覚悟して住み始めた人では当然違う。
 変幻自在というのも良いかもしれないが変わっちゃーいけねー事ってあっぺなや。それをずーと追い続けているってことかな?
 無理はいかん!自然体だわな。日本人として生まれ、長く日本に住んでいると大体の人達は心が落ち着く場面に大差が無いことが分かる。例えば京都の東山周辺や奈良の明日香周辺、個人的に好きな場所なのだが皆さんそのようにおっしゃる。
 京都がイマイチ好きになれないのは多くの観光客のせいだと思う。文化遺産がどうも外聞を気にされているように感じてしまうからだ。そこにあるだけで充分なのに必要以上の飾りモノが増える。
 福祉もそうだ。敢えてこれじゃーなければ駄目だと目立つ必要は全く無い。羨望の念があるからかもしれない。至極立派な建物を作って”ホレ見たか”とばかりに我が業界は競う傾向が強い。そりゃー立派なほうが良いわな。
 でもね、外聞を気にするばかりに建物に利用者を合わせるようになりませんか?壁を壊すのが得意な人が利用できますか?ガラスを頭で割る人も入れて頂けますか?
 ここんとこなんだわ。
 さて、10月に新体系に移行することになり、大体認定結果がわかってきた。大いなる矛盾を感じています。まっ!人が人を判定することに絶対というものはない。それは承知しているが明らかに間違っているという結果が送られてくると、さっそく不服申し立て再調査をするように指示している。
 最近は市町村も対応策を考えているようで施設側がいくら不服申し立てしてもきかない。保護者か家族からの申請を原則にしている。多分市町村からは我が施設は要注意マークでチェックされているかもしれない。
 そんな事、構っちゃーおれませんよ。
 

1580:障害者スポーツから

第48回身体障害者スポーツ大会が12日に行われました。県立笠松競技場において開会式、時々雨が落ちてくる曇り空で暑さがやわらぎ助かった。主催者は参加人数がどうしても気になる。県内各地から9時半の開会式に間に合うように出てくるのは大変だ。市町村によってはバスを用意し、一緒にやってくる。今年の国体は千葉県、国体終了の翌日から障害者スポーツ大会がある。既に県の代表選手は決まっており、皆さんに紹介された。
 知的と身体が一緒に開催されるようになって何年たっただろうか?正直、参加者の意識に微妙な違いがある。成績を重視するというより多くの人に参加する機会を増やしたいという知的の関係者と勝つ事を目指す身体とは同じとは言えない。障害者同士がお互いを知るという事では意味がある。
 開会式には議員の皆さんが来ていた。代理も多いが本人も結構な人数来ていた。
 私は知事さんと一緒にグルリと競技場内を廻った。それに主催団体の前会長も一緒、顔見知りの人が多く、どこに行っても和やかな交流の場となった。もう大分長い間続いている。公務の忙しい中でなかなか出来ない事、この人間味が魅力となっているのは確かだ。
 午後から某法人の役員会があり、早めに失礼した。実は埼玉に用事があった。スウエーデンから来られたヨハンセンさんの講演会があり、誘われていたからだ。聞いてみたかったが先約優先で私は行かず、その代わり職員4名が参加した。良かったというメールが入った。夜、講師を囲んで会食会を新宿で行うというのでそれには出られるよと答えておいた。水戸からの帰り道、S理事長より会食はキャンセルになったという電話、正直ほっとした。DVDができたら送るといってくれたので楽しみに待つ事にした。友はありがたい。
 なんだか知らないが落ち付かない日々を送っている。
 やっと猛暑から開放されるようだ。それでも日の中は30度はあるから例年に比べればまだ高温の日が続く。今年の夏ほど天気の話題が出た年はないだろう。来年はどうなるのか気になる所だ。
 今年は緑のカーテンは見事失敗に終わった。プランターでは水の管理が難しかった。ゴーヤや朝顔が見事にカーテンの役目を果たしているところもあった。来年こそはと思いつつ、水かけを今も続けている。

1581:内清外濁

私の今の心境としては、イマイチ集中できないでいる状態である。まー言わずと知れた世の中のゴタゴタ騒ぎが聞きたく無くとも耳に入る。14日は日本にとっては大切な日であろう。しかし、現実には蚊帳の外の人達が大部分、これで本当に良いのでありましょうか?皆さんが野党時代に盛んに野次暴言を吐いてきた、その姿を見てきた私に取りましてはここ二週間の動きは何とも理解に苦しむのであります。
 『内清外濁』とか『和光同塵』とか言いますが、立場が変われば全く逆の状況が至る所に見えてしまう。また、『上善如水』と言って、上に立つ者は水のあり方に学べと古来から言われてきたではありませぬか。
 本来、能力のある者ほど謙虚であるべきですが、全てが傲慢の病の床に伏せているようであり、憂国の念強まるばかり。さてさて如何様に処したら良いであろうか?これら全てを豊かさの遺した弊害と達観するには、ちょと酷過ぎますね。
 ノーテンキで生きれれば良いでしょうが、所詮、自らをそのように言う人に限って内憂外患こもごもといったものではないでしょうか。
 『水徳五訓』というものをご承知かな!その四番目に私が好きな言葉がある。
 *無事には無用に処して悔いず、有事には百益を尽くして功に居らざるものは水なり。
所詮、勝利した者は自徳を賛じたがるものである。昔より長く天子を補佐し世を纏めた宰相には苦言を呈する部下がいた。諂(へつら)うモノを幾ら侍らせても有事に舵取る助けにはならぬでしょう。
 日本の病理の一つに、自らの過ちを悔い改める前に他人の所為にするものが蔓延してしまったことがある。
これは実に深刻で司直ですら、何らかの手加減をする事態となった。何を支えとすれば良いのだろう。仏教でいう、末法の世とは良く言ったもので闇に隠れ真相が見えない事件が多過ぎる。
 国民一人一人にその責任を負わせるには無理がある。なればこそ、清濁併せ飲む人を選ぶというよりも、今でこそ清貧の人を国の代表に選ぶべきだ。過去の生き様にその判断する根拠は充分だ。
 もしもだ、万が一、強いリーダーシップを発揮できたとしても、これだけグローバル化した時代に日本だけ良しとする正論は有り得ない。最終的には人間として信頼が持てるか否かという判断ではないだろうか。
 政治に絶対はない。だからと言って相対的な評価をも無視するような判断が罷り通れば、世論軽視に歯止めが効かない事態だ。
 本日は婉曲な言い回しになったと反省する。所詮、蚊帳の外から叫んでみても益なし。
そこでイタチの最後っ屁で一句献上たてまつる。
 好きや嫌いで 選ぶより
    貴方自身はどうなのよ。
   自ら判断しかねてる。それで貴方が代表か?世の中、そうは甘くない。
     所詮、任期だけの島送り。

1582:白紙委任

夕方になって児童相談所より電話、神立駅で線路を歩いていた自閉症らしき方を警察が補導、何も話さない、名前も年齢も分からない。尚恵学園で一時預かって欲しいという。仕方がないので預かる。20歳前後の男の子だった。大人しい。名前は言わない。所持したものを調べると7000円程の現金とお菓子、それと取手発の切符を持っていた。念の為。写真を撮るように指示したが顔を隠してしまい撮らせないという。「ご飯食べる?」と尋ねると手でバッテンをして拒否。
1日目はなんとか寮内で過ごせた。児相や警察に尋ねても捜索願いは出ていないという。県内の特別支援校に確認、そのような生徒はいないという。2日目、職員が「○○」という名前を聞きだした。自分からボソリと言ったという。
 某男子職員の指示には素直に応じた。初対面なのに何か理由があるのか?
 その名前を警察に報告、結局、千葉県の方らしき事が判明、自宅に連絡し該当者だと言う事が確認できた。
 児童相談所から届く緊急1時保護の依頼文は白紙だった。それと警察署長名の書類が2枚添付されていた。
 長年の勘が働く。現金を持っていたということと切符。これは常習者かな?それと隣接県だと読んだ。これは結果として当たった。
 それにしても職員に脱帽、どこの誰かも分からない人を上手く看てくれた。「以上は14日午後8時の時点までの話」

 現状で入所施設の存在は重要だ。どうも巷では入所施設への手厳しい意見が横行している、私の本心を言えば、嫌な人は利用しなければ良いでしょうという事に尽きる。施設の努力を無視した偏見をさも正論のように取り上げる人達も問題だ。それならアンタが預かりなよと言いたい。そんな事はやらず、理想主義に走る。現実は上記の例が示す、児相は以前、県内4ヵ所あった一時保護所を1か所(水戸)にしてしまった。だから夜間対応はできない。
 福祉は現実に目を向ける事が優先される。兎角、理想主義に陥った者たちが声を大きくするから迷惑だ。
 折しも埼玉で一粒の研修があり、スウエーデンから来られたヨハンセンさんの講演を4名の職員が聞いてきた。
 「どうだった?」と聞くと一様に「素晴らしかった」という。でも良く聞くとアチラでは1名の障害者に5名の支援者が登録されているという。一体なぜだ?
 人間が安心を感じるのは、持続可能な保障制度があることである。この格差は簡単に埋まらない。
 日本は実に奇怪な国だと思われているに違いない。真面目で器用な人間が多く、高度な技術を活かした最先端の企業が多い。それなのに、1年で3人も総理が変わるかもしれない代表選を2週間もかけて行った。選挙後の石原都知事のコメントに尽きる。「どう考えても可笑しいね。サポーター票と国会議員の票に象徴されるだろう。永田町の人間が如何に民意とズレているか。尖閣諸島問題は試金石になるよ。」と全くの同感だ。
 自分の党内問題を優先し、待ったが効かない外交や経済問題を後回しにしている。結局は外国人からみてそのような政治を許している国民への批判となるんだよ。代表選をやらないと自党内の政策論議ができないというのも可笑しな話、なんで今までやれなかったことが2週間の中でできるのでしょうか?と私は不思議でならない。間違っていますか?
 それとついでだからもう一つ。どうせ投票するなら記名投票にすべきでしょう。それだけの責任と自覚があって当然だ。
何を恐れているんだ。これで挙党一致だと?自党内の疑心暗鬼があって、重要外交問題の席に座れますか?
結局、保身なんだよ。君たちは。
 日本が白紙委任で国際会議に出る。そんな事態が起こるかもしれない。責任を他人になすりつける政治はいい加減にしてもらいたいね。お騒がせ責任の取り方だけどね。私は親から教わった。その席を辞せと。バッジを外せという事ですよ。更に言いたい。辞めると言ったじゃないですか、それがどこでどうなったのよ。最初の総理さん。調整役を買ったのもどうかと思うが、選挙後、両名が握手を交わしたから大丈夫だと。一体何を考えているのかね。
 若手、中堅よ!しっかりしろよ。民意はアンタ達に期待しているんだから。
 そうそう、緊急一時保護の件だけど、もし夜中に居なくなったら理事長の責任問題だ。写真だけは撮るように何度も指示した。目をバッチリ閉じた立派な写真が撮れたじゃないか。

1583:秋の訪れ

記録的な猛暑が続いた夏がやっと終わろうとしている。暑さ寒さも彼岸までと昔から言われ、風が心地よく感じる今日この頃である。
 ここ1週間は施設の資料室に籠り、書類の整理に奮闘、軽トラックで10台近く燃やした。やっと入れる程のスペースが確保できた。年度ごとに出る書類がミカン箱にすれば10個位になるから、積み上げ積み上げ貯め込んだもの。保存期間が書類によって決まられている。永久保存以外の書類は長くて10年、私が今回処分したものは昭和50年代のもの、写真は全て残す。色褪せたモノが多く、今の中にCD等にコピーしないといけない。昔の写真や記録に目を留めながら振り分けるから時間がかかった。
 30年も前のデーターは懐かしく、時の流れを感じる。
 昨日、横井さんから電話があった。チュービンゲン便りが届いたかという確認、2日前に受け取り読んだと答える。日本に来られた時に職員にドイツでのグループホームについて話して貰った。その事が最初のページに書かれてあった。
 それと、後記に自分は小さな喜びをテーマに便りを書き続けてきたとも。一瞬ギクリとした。自分自身を振り返る。
 また、先日の笠松でのスポーツ大会であった某議員さんから気になる事を言われた。彼はどこかの法人との関わりがあるらしく、そこの施設長を批判していた。『アイツは駄目なんだな。できない事を行政の所為にし過ぎる。自分でやった上で言えば良いのに出来もしない癖に・・・・』
 話の成り行きで『議員さんも悪い』とはさすがに言えなかった。彼は必ず代理ではなく自分で参加する。その事を知っていたからだ。
 この二つの件があり、こうやって書き続けている自分が惨めに感じたのである。自己満足でもなく、何の為に・・と考えると虚しいのである。
 (人面獣心)という4字熟語、意味は冷酷非情で恩義を忘れた人の例えだ。外面如菩薩内心如夜叉と同義だ。
 私の性分でそれができない。諸に顔に心の状態が出てしまう。ちょとここ何年かは感情的にモノを言い過ぎたかもしれないと反省。
 密かに実践していることがある。いつもなら怒りだした時に我慢したら自分に御褒美をあげる事にした。「おお 良く我慢したな」と一言、自分に言うだけのこと。その結果どうなったか知らない。口に出さないで自分からやってしまうことにした。それもできるだけ目立つように・・・。ここが駄目なんだろうと自覚はしている。陰徳を積むというレベルには残念ながら達していない。
厭らしいほど目立つように動くのだ。
 書類の整理の事だけれど、私が20代前半に何かで発表した下書きノートが見つかった。危なく燃やしてしまうところだった。人生なんてこんなものかもしれない。燃やしてしまえば何をやってきたかなど誰も関心はなく、忘れ去られる。人間は馬鹿なもので知っていて止められない。
 秋は、素直に自分を見つめるには良い季節である。
 

1584:挙党一致

敢えて言わせていただきます。民主党の皆さん!代表選が終わり、さあ、これからは挙党一致、直面する難題に全力で立ち向かおう。ここまでは良かった。しかし、誰とは申し上げませんが、内閣人事に関して挙党一致への配慮が見えないとおっしゃっていた。????素朴な疑問を感じました。重要ポストに入れて貰えないから協力できないってか?可笑しいよな。全力で新政権を支援するこれこそ挙党の一致というのではあるまいか?
 この辺の発想が国民感情と大きくズレていると言うのです。分かんないのかな?次期の出番を待つと某幹部が言っていた。???自分たちのことしか考えていないという事がアリアリの発言です。言葉に気を付けないと赤点ばっかり目立つんですよ。
 ま!これが永田町の実態と見ればよかっぺ。今回、原口さんも辛い決断をしたもんだ。今の心境はいかに?今朝の新聞に『四国遍路に誘われているとか』・・・・・・何するんだろう。じっくり反省するのかもしれない。総務大臣というのは、国家行政組織法の中では各省の筆頭になっている、地方分権など地域振興対策など難題が多い部署である。
 四国遍路、どうでしょうかね?先の参議院では1人区民主党が全滅したところ、更に今回の代表選でのサポーターは圧倒的に菅さんを指示した地域だ。
 四国遍路は私が先兵だ。(これは全く関係ない。)でも地方の活性化を考えるには歩くと良いと思うな。東京にいては分からない何かを感じるから。
 政治の事はこれくらいにしよう。
 坊さんの話をします。布教師会役員最後の年になった。研修会で何を取り上げようかと考えた。実際には参加してくれる人は毎度同じで全く出席しない方もいる。その方達は何を企画しても駄目、もともと会の存在を認めていない。
 思い切って提案した。全く坊さんに関係ない人を頼もう。アフガニスタンの復興支援で特別支援教育分野で何度も現地に行き指導している筑波大の中田教授を頼むことにした。学長の了解も得た。
 狙いは、日本人として自分たちの事だけを考えていて良いのかという事。言うは易し。自ら危険を冒してまでも現地に足を踏み入れ活動している人から学ぶ。宗教家の根本に関わる問題と私は思っている。
 坊さんが市民感情からズレているというのも全く政治家と同じ。何をもって安心に導くか!残念ながら日本の多くの宗団が世界に目を向け何らかの活動を行っているかと言えばNOだ。自宗内のこと、否、自らが関係する檀家だけが守備範囲という現実がある。
 ちょっと嫌われる発想かもしれない。構わぬ。やるだけやって潔く引退する覚悟だ。
 次に施設の話。今、私の関わる協会では新規事業を10月からスタートする。補正予算が通ればの話。茨城の心身協の実態は変わった。10月から新たな事業が始まれば、協会関係のスタッフが総勢12名になる。県内、どこにもない。多分、全国にもないだろう。何故?事業をしているからだ。財政逼迫の県の台所にも関わらず事業費が増えている。
 必要な事業を提案しているからだと思っている。
 時流を読む。社会福祉法人そのものの役割が見直されている。そりゃーそうだ。税金は納めずこのご時世にノウノウとしている?やっている事は株式会社、NPOと変わらない。遅かれ早かれ、今のままで行くはずがない。この先を読む経営が、実は”みんなで渡れば怖くない”式で流されている。本来、民間ではできない部門を受け持つべきだった。社福法人がいつの間にか役所的発想をしている。利用したくても利用しづらいモノとなっていないか?
 これまた嫌われる発想だが、法人の実態を透明にしているかという問題がある。いつまでもその状態は許されないはずだ。
 ああ・・・こんな事ばっかり毎日考えているから・・・・四国遍路に行きてーよな。懺悔 懺悔!どこかで頭を丸めた原口さんと会うかもしれない。ナーム 大師遍照・・・・こんごう。チリーン。

1585:選択課題

今から20年前に初代理事長と関わりが深かった2名の方に執筆をお願いした小冊子が200部程見つかった。倉持・川田の両先生から寄せられた玉稿である。
 読み直し、これが20年前に書かれたものかと正直ショックを受けた。私の知らない事が何気なく書かれてあって両名と父との縁の不思議さを感じた。
先ず、2代目を継いだ私はこの道で38年間、初代が亡くなってからは17年目に当たる。無我夢中でやってきたという自負が一気に吹っ飛んでしまった。当時、何も無い処からスタートした尚恵学園、様々な人達の支えがあって今が有る。これが口先だけの理解では無かったか?理想を掲げ、出来る事から始めた、全てが嫌々行ってきたものではない。底知れぬ好奇心と挑戦だった。だから自然に人が集まった。関心が先か必要性が先か、多分、本当は後者であったと思う。両先生には、私も父のオコボレを頂き、今もお付き合いさせて頂いている。福祉を生涯の仕事とした数少ないお二人である。
 いま、若者が何を生業として良いのか分からないと言う。棚からボタモチと言った都合の良い話は無い。そこに沸々として不満が湧き上がる。最近こんな若者を多く見かける。
 人間はその日何をして過ごすかという事が見えないと生きづらい。逆にあり過ぎても悩みとなる。その人それぞれに『課題』があって、そこに挑戦する日々が生きがいに繋がる。周りに振り回されすぎてはいないか?無い物ねだりしていないか?課題とは個々の責任だ。そして、何を自分で選ぶかは一生の課題となる。
 誰しも願うことは、自らの人生を振り返った時に満足して幕を閉じたい。人生に成功や失敗は無い。事業に成功し財をなした人が果たして幸福か? 疑問だ。
 本当に信頼できる人間がどれ程いるか、これは当人しか分からない。気が付けば”裸の王様”ってことも大いに有り得る。
 今晩、30年間尚恵学園を利用され、49歳で亡くなった方の通夜がある。病院から自宅に向かう途中で寮に立ち寄った。2人の利用者さんからその事を告げられた。普段、自分から私に話しかけてくる人達では無い。
 仲間の死を彼らはそうやって受け止めてきた。喪服を着て葬儀に参列する人は限られている。でも、一緒に生活した仲間たちは寝たきりになり、それでも必死に生きた仲間を称賛してやまない。それを支えてくれた職員に感謝する。
 もう、何十年と彼らと付き合っているのに、彼らの本当の気持ちが読めない。国レベルでは制度改正の真っ最中、だが肝心のメニューを決めかねている。そりゃーそうだ。初めから分かり切った事でしょう、一人一人違うニーズを総花的に考えるからである。
 厚労大臣がまた変わった。果たしてこれだけ頻繁に大臣が変わって将来の方向性が築けるのでありましょうか?
 いつも言われる大臣のイス、違和感を感じる。何をするかではなく、経歴に箔を付けることが主眼となった。それで公務員改革?トップが日替わりメニューで何が出来ますか。
 ”挙党一致”に対し”挙国一致”を訴える方がいた。今こそアンタ達は国の為に貴重な税金を使っているという原点に立ち返るべきなんだ。それが、党内の権力争いを恥とせず、スクラム組んで粋がっている。”大バカ者””国辱者”・・・・ウーム 言葉が見つからない。
 冷静になろう。落ち着け、・・・・。
人間の愚かさを感じる。当に荒海に羅針盤なしでこぎ出した日本丸、奈良平安の時代ならいざ知らず、当時、遣唐使に乗り中国に旅だった先人には、大義が有った。そこに命を掛けた。
 果たして、そこまでこの国を思う人々が今の世にどれだけいるか?個人主義がここまで来ると・・・・。
 障害を持つ人達の純粋さ、友の死を心から痛む優しさ。。。これこそ、今の日本人が自らを謙虚にして彼らから学ぶことだと私は思う。

1586:生き切る

失って感じること。残念ながら物事の大半がそのようになっている。友人・家族・恋人・・・・・それから豊かさ・自然・お金・・・それに信頼・希望・夢・・・・。そもそもの仏教の起こりがそこにある。だから小難しい仏典を読まなくとも自然に感じることになる。
 それが何とも気が付いた時には遅い。悔んでも地団駄踏んでも後の祭りってことに。今密かなブームとなっているものに”老子”がある。上善如水。要は水の如く低きに流れる生き方、自然の法に逆らわず生きよという考え方である。
 ここに来て俄かに外交問題が出てきた。尖閣諸島の領有権の歴史は、どの時点に遡るかという事が問題。双方の主張に隔たりがある。石原都知事が政権の試金石になると指摘したが、過去の長い歴史(日清戦争後)の中で関係国が結論を避けてきた理由も大きい。
 中国・台湾・日本と其々が自国の領有を主張し歩み寄りは見せない。これが外交だ。果たして現政権がこれにどう対処していくか。特に微妙な問題になると秘密裏になされてきた事が多い。果たしてそれをオープンにできるかどうか。民主党流の考え方が試される。
 孔子・孟子・老子・荘子・・・中国がもの凄いスピードで変わっている。1党独裁の政治体制は多民族と広大な国土を統制するために、複雑で強権の仕組みを作った。東アジアは世界から今一番注目されている地域、大国中国と北朝鮮、さらに様々な民族と宗教が入り混じる。日本が交渉の場につくことは容易な事ではない。責任者が変わり過ぎる事で信頼関係がきずけない。
 日本の立つ位置がハッキリしない。そして内政問題も山積、どこから手を付けて良いのか正直分からない。
これが実態だ。
 利便性と豊かさは果たして人間を幸福にしたか?この回答も出ておらず、相変わらず当面する課題に応急措置でやっている。
日本人の危機意識の無さを指摘する人が増えている。何をもって危機とするか?一方、それを否定する政治家や学者達。トップダウンかボトムアップ??ノウハウ本が書店の棚を埋める。だがどれ一つ取って見ても決定的なものはない。理論の域を出ず現実性を全く感じない。むしろ何でも有りの状況だ。
 私は憂いている。それがどうした?憂いて何が変わる?この自問自答が最近更に強くなっている。
昨夜、49歳で亡くなった利用者さんの通夜に参列した。老齢の両親を後に残し娘が先に逝った。忌中払いの席で同じ地域の親達と話した。「お母さん・・・ホッとしたでしょうよね」という話が聞こえた。決して我々には言えない言葉だ。
 父親は体調を崩し、通夜には出られず、母親が喪主の席に座った。その母親は清宴の席には出ず、一人、娘の棺の前にいた。
 私は、何度となくこのような場面を見てきた。障害を持つ本人、それと家族、いずれ覚悟しなければならない別れ。
 いま世間で騒がれていることと余りにもかけ離れた現実。生きることの重み。
 私は特別かもしれない。僧侶という立場で観ることがある。そして、”安心”とか”成仏”、言葉の解釈では括れない。これだって日本に住んでいるから言えることかもしれない。
 殺戮が日常的に行われている国で何を”安心”と言うか。
 答えの見出せないものに拘る。今昔物語に・・・永く無為を得て解脱の岸に至れり・・・・とあるが、”無為”という言葉が示す、生滅変化を離れた永遠の境地、涅槃に辿りつくには並大抵の事ではできない。
 この端的な道を敢えて言うとすれば「生き切る」という事だとは思う。49歳、まだまだこれからの人生を閉じた。彼女は生来大きな発作があった。そしてイロウによる食事、車イスでの生活・・・・・。
 一人遺影を見つめる母親。写真は和服姿の元気な時の写真が飾られていた。

1587:結局は

結局、我々は気の持ちようということに尽きるのかもしれない。自分の置かれた立場を受け入れ、そこで何がしかの納得の行く道を選んでいく。最近のテレビ番組で面白かったのは、NHKの「グレートサミッツ」という世界中の高峰を紹介する番組と世界遺産特集。山歩きを経験した人にとっては堪らない。ギアナ高地・キリマンジャロ・キナバル山・マッキンレー・モンブランなど。赤道周辺にあって万年雪・氷河を抱く、今年の猛暑を体験したから尚更、地球の自然の不思議さを感じてしまった。
 もし、趣味で地球を歩ければ極楽だ。考えるだけで居ても立ってもいられない。60年の人生の褒美に自分にプレゼントするとすれば、1年間のオフタイム、贅沢承知で世界を歩きたい。
 何も外国までいかなくてもという話はある。だが、携帯に縛られる生活から解放されなければ意味が無い。
 日本だって行った事がない所が沢山ある。熊野古道を歩いてみたいし、屋久島、石垣・・・いつでも行けると思っているから先延ばしになってきた場所だ。
 今日は秋彼岸入り、坊さん家業も長くなり、気持ちだけは逃げる画策ばかり。その誘惑がここにきてちょっと激しくなってきた。現実からの逃避行動、結局はいつも考えているだけ実行できない。
 大いなる方がこんな私をどうみるか?視点を変えればちっぽけな自分に気付く。もっと謙虚になれ!
 いま、こうやってパソコンに向かってBGMを流している。CDのタイトルが『1時間半の休息』「Music For Relaxation」。ああー現実はこんなものかもしれない。
 人生のご褒美として”浪漫と安らぎのフォルクローレ” ケーナの音は旅愁を覚える。曲目がまたピッタンコ。
『あなたが帰る日』『いつの日にかまた』というハイメ・トーレスのフィリップ版ときた。そうだな、いつの日にかまたと自分に言い聞かせやってきたんだ。
 昨日は家族会があり、親子外出。ある母親が”園長先生にお線香をあげたい”と言ってやってきた。その時の話、「娘がもう尚恵に預けて40年になるんだよ。大変お世話になって、お線香あげたくなったんで突然きました」という。
 けっして僻んでその言葉を取ったわけではありませんが、昔から利用されている人達の心底には園長先生=初代という思いが強い。これで良いと私は思う。我々がなんだかんだ言ってみても、何もなかった時代に始めた先代の苦労(?)に比べたら問題にならない。その姿を地域の人達も見ておれず助けてくれた。
 そんな思いになる出来事があった。今年の猛暑で梨の出来具合が良くなかったと言うのだが10箱の梨を届けてくれた方があった。
 見れば山門の中に積まれて置いてある。太陽の日差しが諸に当たっている。その時に瞬時に浮かんだ。
 世の中は持ちつ持たれつ、困った時には手を差し伸べる。これが共同体の暗黙の了解だった。しかし、現実は着実にその反対の方向に向かっている。自分さえ良ければ、あいつがいるから迷惑だという考えが果たして自由と平和の国づくりの目指すことでは無かったはず。
 大勢を変える事は至難の業、流れに掉さす生き方よりその流れにのって生きることのほうが楽である。しかし、良く考えてみな!ゲリラ雨によって小さな小川すら一瞬のうちに氾濫してしまう。流れにそって身を任すなんてことはできない。
 世の中の変化に自らをどう合わせていくか。これが最大の且つ唯一の我々に課せられた課題ではないだろうか。
 自分自身の事として結局は考えることなのだ。

1588:暗潮台頭

今年の異常気象の原因と言われる海水温度の変化、そして日本周辺の海流にもこれが影響し、高気圧が太平洋に長く居座った。寒気と暖気のぶつかる前線上では激しい上昇気流が起こり、雷雲が発生、ゲリラ雨となって各地に大きな災害をもたらした。これは日本だけの問題ではなく、特に東アジアに異変が目立ったのが特徴だ。
 暗潮という言葉、これは表面に表れない潮流のことで転じて、外面にあらわれない世の風潮・勢力という意味がある。
 何かひたひたと迫りくる隠れた勢力というものを私は感じます。戦後65年経った今、戦争の悲惨さを知る人間が確実に減った。史実だけが残り、何かの切っ掛けで昔の遺恨が蘇る。尖閣諸島の問題は、いま最も注意しなければならない外交課題、一昔前までなら、観光ビザに制限があり、今ほど多くの外国人は日本に来なかった。それが温泉地や秋葉原、デズニーランド、団体バスでのりつける言葉の異なる人々で混みあっている。
 そして現地では反日デモがエスカレート、安全の保障が困難という理由で日本人の渡航が規制されている。
この外交問題が新政権の正念場となるのか否か。
 秋の彼岸になり、墓参に来る方が目立つ。霊園の一番見晴らしの良い場所に永代供養墓を作ることにした。予想以上に費用が嵩み、その手立ても考えないといけない。石屋さんに観音様を一緒に建てることを条件にし、7尺の立像を先月、真壁まで行って選んできた。納骨堂の上にその観音様をのせるから、相当な高さになるはずである。
 近年、埋葬の仕方が大分変わった。何しろ子供が少なくなり、墓地を守る人がいない。無縁仏にするには忍びない。そのように思い悩む人が実に多くなった。寺の一時預かりの遺骨が20体にならんとする。一向に減る兆しなし
 それと某老人施設の理事長に相談を受けた。家族がいないお年寄りが亡くなった時にどうするかという事だった。それが直接の永代墓地をつくる切っ掛けともなった。
 冠婚葬祭も暗潮台頭と言った状況だ。急激に増えたものに斎場がある。最近の葬儀事情は、生前予約で葬儀の見積もりを取って決める人が増えた。そこまでやらないと安心してあの世にいけないご時世になってしまった?
 菩提寺との関係も薄れ、どこの坊さんでも構わないという人が増えている。後々、新たなトラブルが起こって相談に来る方もいる。葬祭費用がセット料金になったのはいつ頃からだろう。
 一方では新たな寺院経営に挑戦している若手の僧侶もある。寺の生き残り作戦?なんだか妙な時代になったもんだ。
寺院もいろいろ、裕福な寺もあれば雨漏りの屋根工事もできない寺もある。これが実態だ。この改革は公務員制度改革なんてもんじゃーない。何しろ歴史の重みが違う。1000年以上の積み上げだ。だから、我々ができることは自坊で細々と何かをやること位で大きなウネリとはならない。
 ドイツには鉄道の駅舎にキリスト教会が運営するサービス所があると聞いた。障害者や老人へのサポートをする場所である。日本では、どこの駅舎に行ってもそのようなサービス所はない。宗教と公共サービスが完全に分離されている。
 あちらでは教会税という仕組みがあるとも聞いた。その中での事業なのかもしれない。
 日本の特徴は、日本人の信仰心を考えると良く分かる。なんでもござれなんですよ。これが平時には上手く棲み分けができているのだが、混沌とした時代にはそれが弱点となりかねない。明確な方向性が付けにくい。
 島国故に多文化共生をはかる必要性もなく今に至った。対外政策で一番困るのは、日本人は相手の立場を理解するのが苦手ときている。だから日和見主義でその時々の相手に合わせる外交をやってきた。今やNGO財源も底をつき、手持ちの切り札が無くなった。 そこで唯一やってこなかった事は何か?独立した国として先ず国民が自分の国の政治にもっと関心を示すべきだ。本来、他人事では済まされないことを蔑ろにしてきたツケが今きている。
 そう思わないと理解できない。結局は我々一人一人の責任ということなのだ。
 

1589:心の便秘

嘗てフォクルセイダーズで活躍された精神科医の北山修氏のトーク番組があった。実に面白かった。相手が『みなみこうせつ』だったからかもしれない。歌仲間という気楽さもあってのことだろうが、彼は医療の臨床現場で患者さんと向き合う。その中で様々な経験を話された。嘗てグループ仲間であった加藤氏は自ら死を選び世を去った。芸能界に生きる人に多いと言う脚光を浴びる自分と普段の自分の乖離に悩む。仲間として友を救えなかった後悔を語った。
 うつ症状を示す人が急増しているという。北山氏がその点に関して自論を述べた。それは昔も同様の人々がいたという。人間の表と裏の部分、悩みを外に出せない人がおちいりやすい心の病だ。心療内科など新たな医療機関が増え、医師に相談する人が増えた。その大半が治療のために投薬を受ける。その数が昔に比べて圧倒的に増えた。
 昔ならば”井戸端会議”などがあって鬱憤を発散する場が身近にあった。それが現代ではなくなって殻に籠ってしまう人が増えた。 
”心の便秘”という表現を使った。実にピッたしの彼流の例え、通じを良くしないと詰まってしまう。便秘の解消法を持っている人ならば自分でコントロールしながら生きていける。そこを持つべきだと話す。分かり易く説得力のある話だった。
 秋は特に物思いに耽る季節、私流の便秘薬は自然と触れ合うこと。どうしても人間相手の仕事だから疲れる。際限のない事をどうのこうの幾ら考えてみても堂々巡り。へとへとに疲れて元の木阿弥。自然はその点、ありのままに向きあえる。雨が全く降らない猛暑にも耐え、しっかりと根を地に張っている名も知らない草に目がとまる。
 この瞬間が堪らない。会話にはならないが何かが通じ合う。そんな経験をされた方も多い事だろう。
 ところで仕事の話、人間は本来、怠けものだ。楽して生きたいと皆思う。そうは問屋がおろさない。事業が成り立たず、いずれ廃業の憂き目をみる。だってそうでしょうよ。無我夢中で寝るのも惜しんで頑張ったって倒産する時代だ。
小沢さんが”一平卒”として協力すると言っていましたね。その言葉に様々な憶測が読んでいる。いまに見ろ、吠え面をかいて頭を下げてきてもしらねーよ。という風にとられる。
 彼は中国との関係を重視し、大議員団を引き連れ訪問したりした。いま中国漁船の船長逮捕で俄かに反日感情が高まっている。もしも、小沢さんが何らかの行動を起こせばこの問題が鎮静化するだろうか?
 ウーム。そうはいかないだろうな。国内においても本心が分からない人だもの中国の人々がハイそうですか貴方が云うのであれば・・・という話にはならないだろう。
 ただ、外交交渉というものは、お互い自国の利のために腹の探り合いをするものだ。直球勝負の菅さんや前原さんよりは良いのかもしれない。ただ、結論は先延ばしになることは明確だ。
 どうしても私の話は政治と結び付いてしまう。弁明を許して頂ければ、斯様な言い分がある。
それは、日本を思うという事が一体どのような事なのかという視点である。信じられない事件が起こった。大阪地検の敏腕検事による証拠改ざん容疑、高検が捜査に動き検事を逮捕という前代未聞の事件である。
 多分、取り調べが進むうちには組織としての関わりがあったのかどうかも明らかにされるはずだ。ここまでくると何が何だか分からない。検察をチェックする更なら機関が必要になる。天井知らずの状況だ。徹底解明を期待する。
 この種の事件で一番の痛手は真面目に取り組んでいる人達だ。この責任をどうつけるか見定めていきたい。
 また、北山氏のトーク番組を思い出した。彼流の日本人感は”ツルの恩返し”だという。どういう意味なのか?
 便秘はできるだけ薬に頼らず治したいものである。

1590:展望台

未来への展望がきかない時代は、人の気持ちを不安にする。精神分析では不安と抑圧のメカニズムからその原因を探る。我々が社会生活を行う上で「良心」や「理性」が働き、それによって抑えられた様々な心理的な葛藤が不安という状態となってあらわれるという。
 分かったような分かんないような話、要はその分析の結果をどういかしていけるかが問題だ。
パニック障害やうつ病の原因は単純なものではない。本人だけの問題ではなく、環境要因が大きい。最近の社会環境はスピードと膨大な情報量にある。それに付いていけない脳(受信機)の危険信号という解釈も成り立つ。
 その端的な例は、「・・ながら行動」である。ウォークマンを聞きながら本を読み、電車に乗って移動する。このような風景が毎日見られる。5感をフル稼働しながら目いっぱいの時間を過ごしている。私自身もその一人かもしれない。パソコンに向かう自分が当にそうだ。デジカルの情報に画数と読みを調べながら辞書をひく手間はいらない。瞬時に示される結果に反射的にキーを打つ。
 だからだと思う。一筋縄ではいかない出来ごとに苛立ち、何故なぜという相手や自分への不満が積み上がる。その反省を含めこのコーナーを書き始めた。読んでくれる人も偉い迷惑な話。独言というタイトルを付けたのも自己満足で良いと思う気持ちからだった。
 日が経つのも早いもので、既に6年目、NOは1600にならんとする。
 斯様な自分を冷静に見つめるもう一人の自分がいる。それがブレーキ役を果たしてくれるのも事実だ。諦めというものではなく、一休みの時間を持つ感覚かもしれない。
 こんな時、必ずと言って脳裏に現れる先人達、そこに”安心”を感じる自分がいる。人との出会いは不思議なものである。一緒にいる事で安心する場合もあるし、そのまた逆もある。相手に求め過ぎては、応じてくれない相手への不満が大きくなる。これが延々と続けられているのが人間社会だ。
 むしろ”不安”があって当然だと観るべきなのだ。それと”不安”は”安心”と表裏一体なもの、不安を体験しなければ安心も感じない。これが宿命だ。
 昨日、郵便局に立ち寄ると後ろから声をかけられた。地元の方で良く知っている。彼は所謂、「婿さん」の成功者、事業に成功し、従業員も100名を超える会社の社長。最近、60代の知人で亡くなる人が多いという。昔は40代で厄払いをしたのに長生きできるようになって、それが60代になったのかなと話す。自分は良く山に登っているという。それも一人で近くの山に登っているそうだ。先日も筑波山に登り、一度下山したが時間があるのでまた筑波山神社から登り始めたという。相当疲れたと話していた。そりゃーそうだろう。無茶な話だ。
 俺が倒れたら会社も潰れると真剣に話しかけてきた。
 傍目でみれば、順調な会社経営と見れるが本人にとってみれば不安が尽きない。健康への不安もあるだろうし、後継者が上手く育ってくれるかという不安もある。小さな商店から休みなく働き今の地位を得た人だから余計感じるのだろう。
”住職はどうなのよ?”と尋ねられ”そうだな。同じだわな”と答えておいた。
 別れ際、『それじゃーまた』と手を挙げて分かれる彼の顔は明るかった。