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NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
470 人間味 12/6 475 障害認定研究会 12/12 480 福祉塾”夢” 12/19
471 ローテーション 12/7 476 官民の仕切 12/13 481 禁句 12/21
472 知ることから 12/8 477 朝の訪問者 12/14 482 国のかたち 12/22
473 2006フェステバル 12/10 478 県障害福祉計画 12/15 483 地殻変動 12/23
474 師走の日曜日 12/10 479 感染症対応矛盾 12/18 484 1年を振り返り
for last 1 week
12/24

470:人間味

人間味・・・人間らしい心の暖かみ・・・・。(三省堂国語辞典) どうも最近の世相を見るとこの点について疑わしい事件が多すぎませんか。保険業界の方と話をしたとき出てきた言葉に「モラルリスク」というものがあった。要するに保険を悪用するケースがあり、保険会社ではかなり神経質に目を光らせているのだ。今の障害福祉を取り巻く状況は正直、大海を彷徨っているボートといった感じ、停泊する港を見いだせず波風に翻弄され揺れ動いている。ボートに乗っている人達は堪ったもんじゃない。港で次に乗りたいと待っている多くの人達、いつどのようなボートが来るのか分からずに地団駄踏んで待っている。茨城県で今年の10月より止めた制度があります。それは入所調整会議というものでした。入所の公平性の観点から登録順番を県の相談センターにて管理し、空きが出ると順番の早い方から入所手続きに入るというもの。この仕組み自体に問題はない。しかし、これが長い期間の内に本来の目的が薄れてなんの為に登録しているのかが担当者レベルで分からなくなってしまう。単に前任者からの引き継ぎで事務的対応をしているから不都合が生じその制度を取りやめた。相手は人間である。一定ではないのだ。登録時点の調査書(古いものは5年前のがあった)だけで近況の情報がないから、事業所から空き情報が出て、登録順に手続きを始めると、現在入院中とか今は利用するつもりはないという方が結構あった。これも本当に人間味ある対応を常日頃から心がけておれば、今までに何らかの方策は取れたもの。
 なんの制度でも同じだが個々のニーズに対応できるよう条文化されてはいない。総花式の文書表現になるのはこれ仕方がないこと。そこで肝心なのは「仏を作って魂入れず」ではなく運用の段階で如何にこころを入れていくかという柔軟性と融通性が重要。その辺の配慮はやり過ぎるということはなく、先ず相手の意見を誠意ある態度にて聞くことから始めるべきだ。業務が違うとか忙しいとか、それは市町村の問題だからそっちで相談してくれ・・・・・と行政との遣り取りでこのような盥回し応対をされたことが誰しもあると思う。いつの時代にもあったことだよと言われればそうかもしれない。でもいつまで続けるのですかと言いたいのだ。、最近その不満が特に多くなったように感じているのは私だけだろうか?一部の担当が忙しすぎたり従来からの縦割り行政が依然として残っている。でもなー公共のサービスの原点は一般の人達の要望を如何に業務に反映するかでしょうよ。そのぎくしゃくした関係を少しでも和らげる潤滑油の働きをするものが人間味だと思う。それはポストの上下とかには関係ないことだ。一つのアイデアとして短期間(1年〜2年)で異動するのではなくじっくり対応できる専門官の配置を福祉行政には特に要望する。

471:ローテーション

関西中心に伝染性胃腸病が大流行しており、段々東日本に移ってきたという話を聞いた。今朝の常陽新聞には県内の老人関係施設で集団での嘔吐下痢症状の患者が続出、一連の大阪周辺と同じ疾病が入り込んだものと思う。原因はノロウイルスなのかどうか分からない。ここ数年、この時期同じ伝染性の流行に見まわれている。正直相手が目に見えないウイルスだから始末が悪い。どこにでもいる菌だというのだが、集団生活をしている場での流行は県に届け出る義務がある。市内の保育園でも同じ病気で休む園児が多いと聞いた。しかし、通所の施設は自宅静養という形を取るので報告の義務がないのだ。おかしいよなー。入所施設はそうはいかない。毎年、心配しているがこれはどうしようもなく、ただ入らないでくれと祈るばかり。地域にオープンにということでバリアーフリーを推奨し敷居を低くしているのに、この点に関しては知らぬふり。 私が頭を痛めるのは職員が体調を崩し、休むことである。毎年なんどか起こることだが、法人全体で毎晩6名の当直要員が必要だから、勤務変更など遣り繰りが大変なのだ。大体職員が風邪を引くパターンは夜の入浴介助によることが多いと思っている。日中に入れても良いと話しているのだが、職員は風呂に入って暖かくしてから眠らせてやりたいからと毎晩入浴させている。本当に有りがたいことなのだが、気温の変動が大きいこの時期は素直に喜べない。しかし、今は未だ良い。自立支援法の新体系の基準に移行すると夜のシフトは夜勤体制を取らなければならなくなる。そうなると職員はほんの僅かな仮眠を取るだけ、翌日は夜勤明けということになる、当直制をとっていても職員数が昼間少ないのに今度は余計少なくなるのは確実、国は実態を把握していない。先週、国からきた専門官が全国大会の場でやり込められた。国は試行事業と称して何カ所か選んで新しいことをやらせてみる。その結果を参考にして制度化するのだが、大体試行事業は良い結果が出るに決まっている。職員数も手厚く、設備も十分な施設でやるんだものな。これを全国どこでも出来るはずだと話したものだから猛反発を食った。省に戻り個々の疑問には文章で答えますと言ってその場は逃げた。今日、その回答を福祉協会のHPに掲載されていたので目を通す。全く現実を知らないのには呆れる。今回の法律で誰もが不満なのは夜と日中活動のバランスが崩れていることだ。1対4という評価なのだ。夜の報酬単価が極端に抑えられている。これは24時間支援の事業所には致命的なこと。入所施設を解体しようとする意図が見え見え。頭が良い人達が考えるにしては問題ばかりで暖かみを感じない。我々関係者は執拗に改善要求をしているのだが、どうもイマイチ納得のいく回答は得られていない。これもテレビの特報番組からの情報だから?だが。独立行政法人の都市開発事業団とかいう団体の借金が合計16兆円、それにも拘わらすだ、そこの職員公舎は駅から数分で70uを越える3LDK、家賃が四万円、同じ地域の一般のマンションの3分の1以下の値段、しかも職員の平均年収は850万だという。これって誰が考えてもおかしいよ。何を考えているのかね!。日本人は本当にお人好しの人が多いこと、良く黙っているね。私たち施設を利用されている人達の居室の基準って知ってますか。今でも十畳に四人生活しているんですよ。みんな同じ日本人なんだよな。それに今度の新法だとね、一ヶ月の工賃三千円から利用料を取れと言うんだよ。お前ら鬼かと言いたい。彼らの年間収入はいくらだと思う?年金約80万に工賃3000円×12月しかないんだよ。先の事業団職員の10分の1。全く、冷たい国だよな。
 建物の建設時の借金は法人が苦労して返さなければならない、弱い人に優しくない国は滅びると言った偉人がいた。当に今の官僚天国の日本がそこにまっしぐらに落ちていく。これを黙って見ていて良いのかよ!!!私も腹の調子がイマイチだから腹の虫がへそ曲げて言葉が乱暴になったかもしれない、しかし本当の私の気持ちを吐露したのでありんす。

472:知ることから

久しぶりにNHKこころの時代を涙を流しながら聞いた。全国犯罪被害者の会の岡村代表幹事の話、自らが弁護士として犯罪の被害者になるとは思わなかった、奥様が自分の身代わりとなって刃にかかり殺された・・・・職業柄、恨みを買い何が起ころうとも覚悟はしていたというが自分ではなく奥様が犠牲になった、家庭の中が一変、奥様が介護をされていた両親が悲しみから次々に亡くなっていった。犯人が逮捕され、その裁判の中でやり切れない辛い思いと司法判断への怒りを経験し、全国でじっと我慢して暮らしている犯罪被害者への結束を呼び掛ける。最初は5名でスタートした集まりが全国で55万を超える署名運動まで高まる。国への働きかけが功を奏し、今、犯罪被害者を守る法律の制定に向けて動き始めた。40分という放送時間の中で岡村さんが何度も声を詰まらせる場面があった。「家内の死を決して風化させない。お前の死が法律をつくるまでの運動になり、そのお土産をもって自分はお前のところにいきたい・・・」自分の身代わりで亡くなった奥様への謝罪と深い悲しみの言葉、そして、人間は相手の苦しみや悲しみを知れば大きな結束となり、世の中を変えるまでの力が出ることを知った。この活動を通し人間の暖かさを充分知ることができ、そのことによって多くの励ましと力を頂いたと話された。最近のニュース報道は人間不信に陥ることばかりと思っていたのに岡村弁護士の話を伺い何か救われるような思いになった。
 犯罪被害者の方達は、世の中に知られたくないこともあり、自分達だけで耐え凌んでいる場合が多いという。上辺だけの慰みの言葉をいくらかけてもらっても元の生活が帰ってくるわけではなく、自ら経験しなければ分かり得ない深い悲しみをいたずらに周囲で騒ぎ立てられることは避けたいのだ。ある意味では犯罪の専門家である岡村弁護士故に政治を動かすまでの気運の高まりができたのかもしれない。法律が出来上がるまでには相当の年数がかかるから安心することはまだできない。
 私が今日の話の中から気づいたことがあった。それは障害者問題と重なるものが多いということ。世の中の人は障害者を知らないから動かない。明日の我が身という思いがなければ誰だって真剣に考えない。いくら関係者が法律の矛盾や問題を訴えても一般の人々の後押しがなかなか得られない。ほんの一部の関係者だけの問題だという傍観者的態度、これは致し方ない。
 今回の自立支援法がいくら悪法だと叫んでみても、実態が分からない人は無関心にならざるを得ない。犯罪被害者の思いを被害にあったことがない人にいくら理解を求めても一緒に運動しようとまで協力してくれる人は少ないのと同じ。自立支援法の難しさはサービスの提供者と利用者の微妙な立場の違いがあるからである。事業所の要求は利用者の福祉を掲げながら、その一方では事業存続の経営視点がどうしても存在する。障害認定問題の真意も実はそこにある。今回の新法の導入の第一儀に財源問題がある。社会保障を賄う膨大な経費を一律10%カットという政治判断の中での改革なのである。もともと潤沢でない予算を一律10%カット、その不足分を利用者から取れという論理、所得保障が無い中で年金(年額80万)から自己負担を徴収しようとする。しかし、もういい。何をどうすれば具体的に変わるのか、その点に焦点を当てた実践しか残された道はない。
担当デレクターは私の学生時代のサークルの先輩、メールを打ったら直ぐに返事がありました。ご本人の了解を得ていませんから紹介はできませんがこの取材の中で人間味溢れる裏話があることを知りました。

473:2006ナイスハートフェステバル

作品展示で知事賞を受賞
橋本知事さんと記念写真

ハイ ポーズ
毎年の行事、障害者週間の最終日に県立文化センターを会場にナイスハートフェステバルを行う。メイン会場の大ホールは県内で一番収容能力があり、1800名定員、9時45分に知事を迎えての開会式、私も実行委員長という大役を与えられ、壇上に登った。毎年のことだ。ブザーが鳴り,ドンチョウが上げられると座席は空席が目立ち正直がっかりする。しかし、登壇した人は皆さん事情は承知している。午後3時までの長丁場、指定席になっていて、昼頃には予定した人数は集まるのだ。県内各地からそれぞれが集合する。一日座っていることが出来ない人達、自分達が出演する時間に合わせて会場入りするのも仕方がない。今年は生憎雨模様で今年一番の寒さ、ホールと屋外には店がたくさん出ている。事業所で作っているものの販売である。外のテントに出展場所が当たってしまった施設は気の毒。芸術コーナーには絵画や陶器などの作品展示、知事賞の金銀紙が張られ、開会式の場で表彰を受けた。今回の大ホールでの出し物は19団体、中山れん太さんや沼田先生の手助けがあって混乱無く進む。内容は今回で13回を重ね大分変わった。評価は様々だが私は施設だけでなくNPOや小規模作業所などからの出演もあり、どこの人達なのか分からないがみんなが参加する場がこのお祭りの本来の主旨、ハプニング続出の中でそれぞれが楽しんでくれるのが良いに決まっている。フィナーレには沼田先生作曲のこの大会のオリジナルの曲(下記の曲)がVSやスタッフがステージに全員集合して唄った。座席の真ん前で車イスで参加してくれた方が目頭を押さえながら一生懸命唄っている姿が目に付く、私も涙が出てきてしまった。三障害の人達が一同に集まる機会は多くはない。以前良く言われたこと、障害者同士での偏見や差別があるということがこの集いを通じ少しでもお互いに理解しあえる関係が築ければ良い。皆さんお疲れ様でした。
 あきらめないで
1,あなたの大事な夢(夢)  あなたの輝く未来(未来) 前へ進んでゆこう(ゆこう)
  いつでも見つめているよ(いるよ) 初めてもいないのに悩むことはない
  信じよう 負けないで それが生きること あきらめないで 心を開こう
  答えは必ずある ホラ そばにいてくれる 仲間がいるから 
  その手を 空に向かって
2,あなたと歩いた路(路) あなたと歌ったメロデイー(メロデイー) 悲しいこともあるけど(あるけど)
  勇気をもって伝えよう(伝えよう) 初めてもいないのに悩むことはない
  信じよう 負けないで それが生きること あきらめないで 心を開こう
  光が見えてくるよ ホラ そばにいてくれる 仲間がいるから
  その手を 空に向かって
    *障害者の方が作詞したものを沼田先生が曲をつけたものです。

474:師走の日曜日

昨日は水戸で1日イベントに付き合ったから今日の日曜日は法事が午前中に三件と集中、それに午後からお葬式となってしまった。幸い昨日と違って天気は回復し、お日様が顔をだしてきた。「よしゃーがんばるぞー。」と控えめにガッツポーズ。しかし、現実は酷かったなー。時間が予定通りでない、全てがチグハグ、30分刻みの法事を受けるのもどうかと思うが仕方ないわなー、最初の法事が1時間ずれたためにシッチャカメッチャカ、間の法事を先に廻し、お寺が二つあるもんで、今日の法事は違う寺での法事だったため朝一番にお茶の準備を先ずして、ストーブチェックOK・・・・・。二ヶ寺分要領良くテキパキと準備しておく。最初の法事が終わって次の法事へと向かおうとすると「あのートウバ?」「あれー頼まれていないよ、しゃーないなー今から直ぐに書くから」急いでちょこちょこと書いた。改良服に着替えないで衣と袈裟を付けたままで運転、門の所に運悪くグループホームの住人で石屋に勤めるM君、私の車を見つけて通せんぼ「なんだーブクーシ、なんでーいつも家にいねーんだ?」「悪いな!ちょっと忙しいんだよ」「なんで こんな格好してんーだー?」「悪い、Mくん忙しいんだー」 「なんでー・・・・・」 なかなか通らせてくれない。でもやっとのことで解放してもらった。次なる法事、待ちくたびれて本堂に座っている皆さん不満気ありあり。「すみませんね・遅れちゃってね。はいはい直ぐに始めますから」「住職よ!誰かに書いてもっらてんのかー?トウバ」「なんでですか?」「上手くなったな!練習したんかー?」「はいはい練習しましたーよ。いいから座って下さい。始めますから」それでもどうも納得しないような雰囲気。ヒソヒソ話が耳に入る。「あれよー絶対誰かに書いてもらったんだよ。きっと」「そうだべー上手いはずがねーもんな」とか私が経を読み始めてもまだ言っている。「ふん・・・1時間も時間を間違えて好きなこと言ってるよ」、木魚を思い切り叩いてやった。次が3件目・・・もういいや。午前中で疲れたわ。
 昼もゆっくり食べておれない。タクシーが迎え、これがまた地元の葬儀、受付にはやることなくてウロウロしている組の連中がたむろしている。皆先輩や後輩気心は知りすぎる位だ。〈途中省略〉 葬儀が終わり、私は寺に戻り納骨の知らせを待っていた。いつになっても連絡が入らない、自棄に長いなー。忌中払いで盛り上がっちゃたのかな?少し心配になった。1時間40分位たっただろうか、「住職かー今から火葬場を出発しまーす」ときた。「何いままで忌中やってるんだよ」と苦言を呈した。そしたら「何ね。みんなお客さんは帰っちゃたんだけどね。帳場の金が合わなかっただけ」何をやってんだーまったく。銀行の支店長が二人もいて!!!師走のとても落ち着かない日曜日でした。「住職さんも大変ね、同情しますわ。」と誰かの声がしたようなしないような。

475:障害認定研究会(第2回)

第2回の障害認定研究会を11日尚恵学園において実施しました。第1回目に続き、様々な意見が飛び交う中で今回は何か焦点が定まりつつあるという印象を持ちました。さて、話された概要を纏めてみます。
心身協として今何ができるのか
 ・障害認定は居宅サービスについては認定作業がほぼ終了、判定に不服が有る場合には市町村に再調査を申請すべきである。実際に理解が十分でない市町村が多い。障害認定の研修会(15日さいたま市実施)を茨城でも実施してはどうか?(2月に予定する)
 ・家族会との第1回勉強会を実施したその後の見通し?(現在アンケートを実施し、第2回勉強会の希望する内容を検討中)
官が民を圧迫する状況への何らかの申し入れができないのか
  ・具体的に県南地区(常総市)に広域事業として数カ所の市町村が金を出し合い入所と通所の施設が整備され民間に事業委託される。近隣の施設で通所型の施設の利用者が減少するという状態が危惧されている。県西地区も利用者の取り合いが官民の事業所間で起こっている。民間同志での競合は奨励されて当然だが官が税金を使って整備した施設との同地域でのサービス競合は問題あり(イコールフィッテング)。施設整備の計画段階で心身協が意見を述べる機会を設置してもらう。(県に要望する)
あすなろの郷(旧コロニー)への心身協として何らかの要望はできないのか?(中長期計画の検討会の中で住田と宇留野が委員として参加、3年後指定管理者制度が終了した時点で完全民間移行目指す)
障害認定研究会の目的と役割の再確認
 ・次回までに認定審査が終了した具体的な事例を纏め、実態の検討作業に入る。心身協が団体として力をもち、行政に対して影響力が持てるようになるためのワーキングチームになるべきで、そのための基礎データを作り、政策提言できる団体にならねば会員になっている意味がない。(意見が言い合える関係をどうすれば作れるか、事業所としての姿勢と責任を明確にしていくことが必要だ)
以上が今回出された意見の要約です。当日出席されたメンバーは下記の通り
(委員)岡本(座長):名川(筑波大):秋山(哲):塚田:清水:植村   「欠席」円井
(オブザーバー)住田:長谷川(浅美):川又:桜井:川又(和)

476:官民の仕切

障害者福祉の中で今、官民の仕切が大きな問題となってきている。それぞれの役割の見直しである。夕張市の財政破綻のニュースを見ていて何故今まで市民は気づかなかったのか?という疑問を先ず持った。箱モノ行政という国の補助制度にのってその場には不釣り合いな豪華な建物を作った。維持費を賄うまでの収入見込みもなく借金が雪だるま式に増大した結果である。「見せしめ」という事を言う人もいる。それは全国に夕張市同様の財政破綻状況の自治体が300カ所を越える実態があるからだ。国はご承知のように地方に権限をおろす方針を明確に示した。その中で悪法と言われる自立支援法などはその最たるものである。私は地方に事業を任せるのであれば、地方の実態を充分調査した上で行うべきだとという意見に全く賛成。地方の裁量に任せず、がんじがらめの補助金をいくら付けても一部の人間の利得にはなるが本来の生きた金にはならない。
 日本の政治の仕組みに馴染めないのは議員さんの数が多すぎることと議員1人当たりの経費が膨大になっていることへの反発があるからだ。そして意見としては言うがなんらメスを入れない実態、いつまでたってもその改革がなされない。政党の区別など私には関係ない。真面目にやってくれる人に任せるべきだし、その選別の踏み絵として議員の報酬を今の半分にしてもやるかどうか試してみたら良いだろう。その事で日本全体で税金がどれだけ浮くか、その金を有効に使うのも良いんじゃないの。だってそうでしょう国会中継で質問議員の後ろで居眠りしている議員の姿を見かけることがある。何が公開質問か、怒りが込み上げてくる。せめて実況中継があるのは承知しているんでしょうから真面目なポーズでもとれないものかね!選挙民への配慮として。それに役人の数も同じだな。高度成長期とは当に違う行政の役割があるでしょう!予算が減れば自らを何故スリムにしようとしないのかね?昨日、大洗から帰る高速道でラジオ番組を聞いていた。書家の榊莫山さんが出演していた。今、郷里の伊賀市の山の中に生活の場を移し、自然と一体となった生活を奥さんとしているそうだ。お互い80歳を越したとか。レポーターが今年一年を漢字一字で表すとすればどんな字にしますか?と尋ねた。うーんそうだなと暫く間を置いて『(うそ)』やなーと榊さん独特の話しぶりで答えられた。つまり、子供達のいじめとかなんとか騒いでいたって国会議員や県知事が捕まっている状況を批判したのである。「最初はなー。関係ない。まったく知らんとか言っててもなー。良ーく調べてだなーどうもいかんなるとなーハイやりましたと認めんやろー。「」やなー。子供やて知っとるよー・・・・・・」サービスエリアに車を止め、ラジオのボリュームを上げましたね。私たちも民間といっても税金で事業費の大半が賄われている事を忘れてはならない。昨日の会議は某事業団の中長期計画策定の会合だった。行政と福祉関係者それに民間企業の代表で組織されている。昨日の会議が三回目、後一回を残して終了する。委員の中に会社を自ら興して経営されている方が言った言葉の中にギクリとするものがあった。それは我々福祉事業者も税金を使って成り立っている業種に入っているということ、事業存続は経営者自信の責任そこを間違えてはならないということを言われた。今、全国で障害福祉計画の作成を必死になってやっている。正直私も策定委員の末席をけがしている。一般の人にどれだけ浸透し理解をえたものになっているかは疑問だ。それには先ず声を上げることから始めないといけない????と言い続けている。うるせー坊主で結構でござんすだーなや、莫山さん。

477:朝の訪問者

今、1人増えて朝、私の部屋に入ってくる仲間が4人になった。それぞれが見事に目的が違う。相変わらず「こうこく・こうこく」と言って新聞のお肉の載った広告を取りに来るK子さん。最近は見つからなくても暴れなくなった。以前には新聞が休みの日とか肉の広告が手に入らないと一階に降りていってからドアを足で蹴ったり、大声をたてたりで大変だった、それがいつの間にかなくなった。次の訪問者Sさんは私の顔を見つめながら両手を合わせるのだ。勿論、私を仏様だと思っているわけではない。もう10年位になるだろうか?彼女のお父さんが亡くなった時に私が彼女を連れてお通夜に行った時から私との挨拶が合掌になってしまった。右手で自分の左腕をつねる動作もやる。これは私だけが理解している彼女の意思表示。「お母さんをつねってはだめだよ」と言うと素直に「ウン」と答える。もう冬休みが待ち遠しくてつねる動作にも自棄に力が入ってきた。それからYさんだ。彼は以前は茨城新聞の第1面を破いて綺麗にたたみ持っていないとこれまたその日は機嫌が悪い。しかし、その彼も最近変わってきた。私はコーヒーが好きだ。朝、職場に着くと先ず自分でコーヒーを入れ、飲む習慣が定着。ある時Yさんが丁度私が飲もうとしていた時にやって来た。まさに私が飲もうとしていたコーヒーを見つけ、私からそれをぶんどって美味そうに一気に飲んだ。熱かったらしい「ヒエー」とか叫んだが飲み終わってニッコリしながら部屋を出て行った。その時から私は自分が飲んだコーヒーを半分残して机の見える場所に置くようにしている。そうするとYさんがいつものようにやってきて私に挨拶などせず、満足そうに飲んで出て行くようになった。時には「Yさん・・・ありがとうは?」とお礼を要求しても「ヒエー」とかだけ言って知らんぷり。
 最近もう一人増えた。Sさんである。彼女は私よりも体重があるだろう体を喘ぐようにしながら2階の私の部屋に来るのだ。何が彼女の目的なのか、生憎彼女は強度の近眼?私の机の上を手探りで物色して何も欲しいモノがないと分かると私の手を引いて下に来いというのだ。実は彼女の仕事?はビーズ通し。なんだか良く解らないのだがビーズ通しをやっていると落ち着いているという。一緒に降りていくとビーズが置いてある部屋の鍵を開けなさいと要求してくる。側にいた職員が「Y子さん、ビーズは後でねー」と声をかけると強く握っていた私の手を離してくれた。以上が朝の園長室を訪問する4名の仲間達との変わらない日課。
 自分の意志って?自由って?それから喜びって?なんだと思う。人それぞれなんだよなー!所詮一括りにしようなんていう発想が間違っているんだよなー。わかんねえだろうなー。いつも机に向かってパソコンと睨めっこじゃー。

478:茨城県障害福祉計画

皆さん今がチャンスですよ。今を逃すと暫くは変化は望めませんね。茨城県で障害者福祉計画を策定する為に第1回の委員会が開催されました。市町村から上がってくるそれぞれの計画に盛り込まれた数値を元に県全体の福祉計画をつくるのです。率直に言って私も委員の1人ですが改善するところが多く目に付いたんです。どうせ私しゃー評判は良くないのだから言いたいこと言っちゃえ、後の事は知ったこっちゃない。いつでもやめてやらー。(この辺が私が大人になれない所かも素直に認めます)。先ず、十分な意見が出し合えるだけの時間設定がなされていないこと。これが従来のやり方だからという諦めの話をする委員の方も実はおられました。でもねー!それで本当に良いんですか?各種関係団体の代表が委員に名を連ねていてですよ、意見の交換が出来ない推進会議の実態はどうみても頂けませんよ。委員長が悪いとか言っているんじゃありません、念のため。委員長として行政的な答弁に何度も苦言を呈していましたし、それを事務局がどう感じるかですよ問題は。その日は私も正直消化不良で胃がムカムカしましてね。私は即刻県に申し入れしたんです。県の関係所管で組織するという計画策定のワーキングチームに我々のヒアリングの場を設けて欲しいとね。行政の方達だけがご苦労にも夜遅くまで本当に一生懸命ですね計画作成してもですよ、・・・・国会に間に合わせるため大急ぎで作った自立支援法の二の舞を演じるって言うんですか?税金が勿体ないと思いますよ。結果はご存じの通り変更・改正の山になっているでしょう。委員の誰しも全ての要望が満足するような計画ができるなど思ってません。財政厳しき折だというのは皆さん充分承知していますからね。でも、少なくとも現状は知って欲しいということでしょう。我々の言いたいことは。事務方だけでなくそこが現場の実態を知っている我々の出番だと思うんです。もしそれが許されないのならば、次回の委員会には私は出席したくないですね。それから、どう捉えるか分かりませんが、行政を抜きにした策定委員メンバーの別会合を作りたいと思いますよ。忙しいなんて言っておれません。食うか食われるか生き残り作戦。悠長なこと言ってられませんよ。そうじゃないと悲劇がおこるような気がして仕方がないのです、県民の人達の苦痛の叫びを私達は随分聞いていますから。 我々が力を持たなければ何も変えることが出来ないのでしょうか?少なくとも会員の皆さんは私のこの意見に賛同してくれると信じています。次回の委員会には傍聴席を設けてはいかかでしょうか?一般の人の参加をやはり如何に取り込むかという一つの案ですし、某市の策定委員会では一般公募の委員も検討に加わりました。

三障害一元化を進めるのに難しいことは、現行制度における事業所の実態があまりにも種別によって違いが大きいということがある。最近よく他の法人の役員会に出る機会が増えた。補正の収支見込みがあまりにも違うので驚く。これは福祉事業とは言っても予算の規模や報酬単価が違い過ぎる。(精神障害者関係施設は毎年赤字だという。一方では介護報酬切り下げがあったと言っても老人関係施設の手厚い?状況は変わらない)これを同じレベルに調整しようとすれば当然下がる業種からは猛反発されるに決まっている。それじゃー国は一元化を目指して具体的には何をどうしようとしているのか?依然として見えてこないのがおかしい。


479:感染対応の矛盾

例年にないノロウイルスの全国の感染数は12月末で100万人に達するという。しかし、これは全国の医療機関からの報告が有ったものの合計だから、実際はその約10倍1000万人になっているだろうという。私の施設でも正直いつもこの時期にお腹を壊したり発熱する利用者さんがでてくる。今年はいつになく対応に注意している。集団発生した場合は地元の保健所に届け出なければならない。特にこのウイルスの感染経路は様々だ。食べ物による感染より人から人にうつる二次感染の数も多い。今年は全国各地で高齢者施設や病院での集団感染のニュースがあった。高齢者の場合は脱水症状が怖い。最悪亡くなる場合もあるからだ。
 しかし、私は一つの矛盾を感じている。集団生活をしている施設などの感染はその内部での広がるリスクは確かに大きい。でも、善し悪しは別としても隔離された生活空間であるために逆に外部の人達に伝染するという確率は非常に少ないのだ。むしろ、一般家庭での感染者は施設などの何百倍もの数に上る。ちょっとした風邪だったら病院に行かないほうが良いという話があるくらい、病院で病気を貰ってきてしまうリスクのほうが格段に大きいのだ。最近この病気の報道が少し変化しているのに気づく。仕出し弁当や宴会で集団で感染した原因が明らかなケースの報道が増えている。これなど、地域の中で誰でも利用できるレストランやホテルでの出来事、施設などとは全く状況が異なる。施設などで集団で発生し、保健所に届けると県の保険予防課に情報が流れ新聞の記事になる。もし、発生が施設の明らかなる過失によるものならば致し方ないが、正直どこからウイルスが入ったのか特定できないのが大半だ。しかし、新聞報道されると一瞬のうちに今までの努力が水の泡になってしまうから怖い。
 だから、注意しなければならないという論理は分かるようで分からない。感染するリスクは施設という特殊な居住空間より一般社会のほうが格段に高い。不特定多数の人々に影響が及ぶ、施設はその間の対応さえ間違えなければ外にまで伝染する可能性は少ない。今回の大流行のノロウイルスは幸いにも回復が早く軽症の場合が多い。2日〜3日で元気になるのだ。むしろ、今全世界で問題になっている新型インフルエンザ(鳥ウイルス)感染の場合はどうなるのだろう。むしろ、施設みたいな隔離された生活の場がより安全なシェルターになるのかもしれない。そんな矛盾を感じながら今、利用者の健康に最大限の注意を払っているのである。

480:福祉塾”夢”

”福祉塾”。この話は降って湧いてきたようなものではなく私が以前から抱いていた構想なのです。何をどうするのかと尋ねられれば正直『いろいろ』と答えるより仕方がない。経営しかり支援方法、対地域。対行政・・・要するに何でも屋ということですね。それもライオンズやロータリーというある一定層の人達の集まりでは意味がない。私には正直肌に合わない。形式に拘って儀式化した集いからは新たな発想が生まれない。塾生はどのような職種でも構わず、加入の条件は自由、会費も無し、肝心なことは自らの意志で参加することである。発会式もなく解散も無し。敢えて条件を付けるとすれば単なる自己PRや他への批判中傷ではなく、”自らの問題として捉えること”が条件と言えば条件かなー!何故、このような発想が浮かんだかといえば、福祉というものは本来市民運動の中から生まれてきた歴史があるからだ。(私がここで言う運動とは政党政治とは全く関係ない)。本当に困っている人達の悲痛な叫び声が周りの人達の心を動かし運動の広がりを見た結果である。それがどうだろう?今の日本型福祉はその原点が不純だ。他の種別には詳しくはないが少なくとも知的障害福祉にはそれがあったことを歴史が証明している。先駆者の理想とする”夢”は当に本当に必要とする人達との直接の関わりの中から生まれてきた。日本社会が豊饒となり、近所同志で出来たものを分け合ったり助け合うという互助の関係が薄れた。その結果がいざ地域に障害者を戻そうとしても受け手の地域にその態勢がない。地域が障害者を迷惑と捉える関係の中からどうして地域移行ができますか?いくら制度や仕組みを作り替えても混乱するだけで一向に先が見えてこない現状が答えを既に出していますよ。話を元に戻して塾生は皆同等であるべきです。福祉は縦系列の上下関係からは絶対に満足できる活動は生まれない。横の繋がりを如何に築くかということが肝心。具体的に身近な例で私の本意を説明しよう。
 障害福祉計画は多分立派なものが出来上がるはずです。何故ならば策定マニュアルがあってそれに沿って数値を入れれば完成ですから。問題は計画そのものではなく、それを如何に一般の人に認知してもらい事業展開が図れるかという事。その一番重要なズレを埋め合わせる具体的方法・秘策の明示がない。
 サービス向上の為にISO認定資格を取ろうという意見が某事業団の改革会議の中で提案された。資格認定を取得した法人を知っているが膨大な事務量が後に残り、経費負担と合わせて動きが取れない状況になっている。これも形から入る失敗の例だ。
 福祉の仕事は文章や形で表せない隙間を埋める地道な活動、どうしても形を繕うとすれば利用者が欲していないところまでお節介を焼いてしまうような状況が生まれるものだ。「これだけのサービスを提供していますよ」と誇ってみても当の本人は「別にしてもらいたくないのに」と冷ややかな反応。
 要は1人1人が違っていて当然という原点を棚上げしたような福祉計画:処遇計画は意味がないということ。
 今は鳴りを潜めてはいるが福祉現場での労使紛争についても私の意見はこうだ。
 「誰の為の抗争なのか?私は本来、労使が同じ目的に向かって共闘する関係がもっと必要で、その活動を通して受益者のニーズをはかる」という考えを持っている。余計な話かもしれないが。

481:禁句

正直な気持ち今の時代どうなんだろう?施設長を辞めたいと考えている人が7割、否もっと多いかも知れないな。私はその中に入る。何弱気になっている!と檄が飛んでくるかもしれない。私なりの言い分はこうだ。「引き受けた以上は自分なりに覚悟はしていた。しっぽを巻いて逃げるようなことは絶対にしない。」その気持ちには今も全く変わりがない。否、以前に増して強くなった。
 でも施設そのものの存在がどうなのか?という疑問は常に持ち続けてきたのも事実、利用者さんの目を見ているとその事で焦るのだ。巷では様々な言葉が飛び交う。
自立支援法だ、ノーマライゼーションだ。福祉だ。云々。そして脱施設、施設解体論は依然として燻り続けている。これらに対して明確な答えを見いだせない自分がいる。それは何故なのか?”共生”を掲げているが現実はどうなのよ?と自らに問えば、実態とのズレは相当なもの。志途中で挫折していった人達を多く知っているから尚更だ。そこでいつも慰めてくれたのが皮肉なことに利用者さんたちだったというのも正直な気持ち。どうして彼らは言いたいこと言わないの?もっと言えばいいじゃん!世の中にだって我々にだって家族にだって、でも彼らは決して言わない。しゃべれないからじゃーない。何故なんだろう????家族会の方と話すことが良くある。正直、本心はなかなか言ってくれない。若い頃は、その事に不満を抱き、「お父さんが言わないで誰が子供さんの代弁をするというのですか!」とか大変失礼な言葉をはいた。その時、小さな声だったが「園長、世話になっているのに言えないですよ・・・・。それに園長はこういう子供を持った経験がないでしょう・・・」ここで言葉が出なくなった事を思い出す。今、私が何故辞めたいと考えるようになったかという大きな理由に支援をお金で計算する仕組みがある。認定区分が1ランク上がれば報酬単価が300円上がる、どうしたら区分4になれるか障害を重く出るように考えよう。家庭に長く帰るとお金が施設に入らなくなるから帰省日数を減らそうとか、給食は外部委託のほうが余計な気苦労しなくても良いから任せちゃえー。利用者さんが入院しても費用が来ないから入院させられない。
 これら全てがお金に絡むこと。お金がでないからもう止めるという訳にはいかないでしょう!という大きな不満がある。不満をどうすれば良い方向に向けることができるのか?それが解らない。
政治家や国の官僚はそこの所をどう考えているのか?政治家としての地位が高い低い等私には関係ない。どうも人間の弱さだと思うが地位が上がると上に感心が向き庶民への感心が薄れる。先日、国の社会福祉審議会の委員の方と尚恵学園で話す機会があった。その方は全国の精神障害関連の団体の理事長さん。昔から知っていたが、その後は何かの会合で顔を合わせるぐらいだった。
「住田さんも国会議員との勉強会に出てくればいいのに」とか言われて、「私はそんな所に出て行ける器じゃないですよ」と逃げた。ここが私の限界か!世の中にはきっと私と同じ考えを持っている人がいると信じる。またいつものように、目の前の張り紙、飛田先生がわら紙に書かれた『かまえなし』という額に目が止まる。
 

482:国のかたち

何故同一民族で争いをするのだろうか?以前訪れたことがある国で現に軍政と王政の争いや北と南に別れての歴史を未だに引きずっている。現代を生きる日本人に理解しろと言っても無理かも知れない。それじゃー日本は平和で幸せな国なのかと言えば、そうかもしれないしそうでないかもしれないとはっきりしない返事をする人が多いのも事実。今年になっていつになく有名人が亡くなった。年末になるとテレビの総集編番組でその人達が紹介されるので亡くなった事を知る。それ以上に自殺者の多かった年になってしまった。そのことは我々に多くの問題を突きつけた。
 明日は我が身などと言っても本当にそう思っている人は少ない。諏訪中央病院の鎌田先生がPPCということを話していた。ピンピンコロというらしい。平均寿命は日本が世界1になった。それよりも健康寿命が大切だと先生は言う。年老いてもピンピン元気でコロっとさよならするのが理想だと。確かにそうかもしれない。みんながそうなれば医療費も嵩むことはないだろうし世の中が楽しくなる。日本は2つの世界大戦を経験し、ある年齢層の人達が戦争の犠牲になったために年齢層毎の数の格差がある。決して戦争を肯定するわけではないのだが、日本は国土面積に対しての人口が多い国だと思う。1億2千万を超える人口は世界の中でも上位のほうだ。自らの国を自らの手で将来とも支えていくことが出来ればそれにこしたことはない。先日発表された2055年の人口割合を予想すると65歳以上の人が全体の40%に達するという。この状態が財政破綻した北海道の夕張市の状況と同じだという。今日、水戸での会議に様々な現場の声を聞くことができた。若者の福祉離れが加速しているという。若い人で福祉現場で意欲をもって働こうとする人がどんどん減っているというのだ。これは憂うべき状況だ。何故このような状況が進んだのだろう。一時爆発的に増えた福祉系の専門学校や大学が生徒集めに苦労している。資格取得を売りに生徒集めをしようとしても集まらない。介護職を外国から集めようという話が出てきた頃から何かが変わってしまったような気がする。決して外国人の労働力がまずいとかいっているのではない。福祉の職場に魅力を感じない若者が増えたという現実がダブルパンチとなって福祉現場を直撃しているのだと思う。どこに彼らが流れていっているのか?少子化の中で育った若者はある意味では大事に育てられてきたのかもしれない。理想とする職業感も多様化している。日本が進めてきた自由競争社会の中で失ったものはひょっとしたら誰もが気づかないうちに大きくなってしまったのかもしれない。
 私は田舎育ちだからこの年齢になると小学生時代の事を懐かしく思い出す。あめ玉一つを貰って大喜びし近くの
神社の椎の木の実が落ちる時期はポケットにたくさん拾ってきてフライパンで熱して食べた。人間が進歩を急ぎすぎた社会は自然界のメカニズムを破壊する結果を生んだ。これからの国の形を考える上で自然との共存”共生”が何よりも大切になると信じる。価格破壊を防ぐために折角作った野菜をトラクターで踏みつぶす、卵の生産の効率化をはかるために夜中に電気をつけて鶏の時間感覚を狂わせて卵を産ませる。必要以上の栄養を取りすぎたため生活習慣病などになりダイエットにお金をつぎ込むなど、どう考えても理想とする国のかたちからは大きく隔たっている。
 今、風邪が流行っている。予防の為らしいが学園のある利用者さんが鼻にたごまったマスクをして豚さんみたいな格好で私にこれ見ろと言ってきた。「どうしたの?そんなマスクのかけ方して・・・・・・・」とまで言って止めた。何の為に????という問いかけを日本人誰もが自らに問う時なのかもしれない。

483:地殻変動

最近また地震が多くなっているような気がする。体感できる揺れ以外にかなりの回数の地震が起こっているらしい。地殻変動は地球の外側の固い部分がズレを起こしすこと。その程度によって大きな揺れを起こし災害になる。実は昨夜、地域支援グループのスタッフ会議に久しぶりに参加した。みんなで9人の会議だったが、いままで長いこと行ってきた尚恵の殻が揺れ動いているということを実感した。50年もの長い間入所型の施設を続けていると利用者は勿論だがスタッフもその流れにどっぷり漬かってしまう。私から見て皆良くやっているとは思うのだが、何かしっくりしないものが有るのも事実、その事をはっきりしたかった。
 地域支援の面白さと難しさはその日の内に解決しなければならないこと。先送りが効かない。「今をどうする」という意識がないと様々な誤解を生む。利用者の受け入れ、送り出し、今日有ったことを確実に家族に伝えること、その事が入所型施設の職員は苦手。今まで自主通所を原則としてきたが、要望が多いので年明けてから送迎サービスを行う方向で準備をしている。要望に如何にこちらが対応できるかがサービスの原点だ。
 私は根拠に基づく、内部からの変革でなければ本当の意味での改革は出来ないと考えている。変化は先ず自らの考えを率直に言うことから始まる。当然、その言葉通りに行動が伴わない者には周囲からの批判となって自分に跳ね返る。いやーそんな風に見られていたんだと気づく。大体人間なんて褒められている時は気持ちが良いものだし、批判されると反発したくなる生き物だ。これってどうしようも無い。重要な事は周囲の指摘に対して自省し認められる自分になる気持ちが持てるか否かだ。その場凌ぎのごまかしでは逆効果、その遣り取りが実は関係を築くベースとなるのだ。その意味では自分の中に起こった地殻変動:スモールバンだ。私自身だって常に微動を感じながら、どうすりゃー良いのよ、と自問自答を繰り返す。
 多分私の性分では死ぬまで自問自答するんじゃないだろうか?昨夜、どうもそんな事を考えていたものだから目がパッチリ、いつものようにラジオのスイッチを入れた、そしたら激論。。。。なんとかかんとかという番組だった。全国から生電話で意見を述べてもらう内容、例の辞任した税制会長へ貴方の意見はという問いかけだった。誰もが不満をもっていることは確か、でも何人かは彼の税制度における持論を評価する人が数名いた。大体人間なんて外見ほど中身が立派な人は少ないものだよとか話していた。 だんだん眠くなっていつの間にかラジオをかけたまま寝てしまった。おやすみなさーい。人間死ぬまで生きているのだ。これが私の持論!なんて粋がる夢をみた。
 

484:一年を振り返り(1週間)

障子貼り・・苦戦・・
冬休み
 残り1週間になりました。また、1年が過ぎて行きます。振り返ってみると多くの出来事がありました。昨日(23日)の朝、観音寺から学園まで歩いていくと後ろから『おはよう』と大きな声で挨拶された。ビックリした。「なんで・・・歩いていんの?」「ああ・・びっくりしたなー。Kさんか。どうした?」「今から通勤寮に行くんだ」「そうか今日は休みだもんな」「うだー。あれよー鐘いつできんだか?」「ああ鐘楼か。来年の5月頃かな」「あれよー。ぼうさまがやんの?」「俺はつかねーよ」「ダメだっぺー。ぼうさまがやんだー本当は」・・・・彼はGHにて生活をしているトップクラスの優等生、彼は自慢のマウンテンバイクを降りて一緒に歩く。「今日は天皇誕生日73歳、俺のかあちゃんと同じ年。昭和9年1月23日、かあちゃんの誕生日。俺は昭和40年・・・・」と一方的に早口で話す。「正月どうするの?」と尋ねると「うん、帰る。水戸で乗り換えて西金で降りてそこからはタクシーで1900円。水戸駅で水戸の梅(名物)お土産買って・・・」「俺のアンちゃんしゃべれねーんだ。妹も何にもできねーしなーかあちゃん大変だ」彼は父親を早く亡くし私どもを利用するようになって15年ぐらいになるかな。彼が働いて得たお金で水戸の梅を買って実家に帰ることを私に説明してくれたのだ。(12/24)
入院
 今年は何人入院したかはっきり思い出せない。利用者さんが肺炎の疑いで急遽入院となった。暮れも押し迫ったこの時期だから園に取っては正直痛手だ。彼女は決して丈夫な方ではなく、車椅子での生活を余儀なくされている。個室で職員が1人付ける条件での入院、ケーキとサンタの長靴を買ってお見舞いに行く、丁度職員の交代の時間、職員が「how are you?」と声をかけると「アイム ファイン サンキュウ」と答えたのにはビックリした。
 実はここに大きな問題があることを皆さんに知ってもらいたい。利用者の方が入院すると費用がその間施設には入らない制度になってしまった。入院時付き添いが必要な我々の仲間達、職員を1日3名配置する(8時間×3名)。この費用を国はどう考えているのか?勿論、完全看護の病院ですよ、しかし、現実は職員が付き添いをしなければ絶対に無理。制度が大切か命が大切か!冷たい世の中だ。(12/25)
障子紙貼り
 専門家に任せた方が良いという意見に反発、ホームセンターにて障子紙をシコタマ買い込み、昨日から作業開始。最初は破けているところだけと思って始めたは良いが、張り終えた後のアンバランスは想定外、また、張ってある紙によって上手く剥がれるものとそうでないものが有ることが解った、これだって後の祭り、おまけに腰も痛くなった。性分が出るな!カッターで綺麗に切れるものがあるかと思えばささくれだって切り口が一定でないものが出る。霧吹きでやればパシーとなるということは解っていたのだが、生憎雨が降り始め、余計紙が弛んでしまった。今年の流行語の”想定外”の年末。何しろ障子だけでも100枚あるんだもの、確実なのは年を越しても終わらないということだけは想定内である。(12/26)
ラジオ深夜便
 佐野デレクター(先輩)の編集は贔屓目な見方を抜きにしても感動する。今朝は僧侶で映画監督の松林宗恵氏、86歳の現役監督。島根県江津市の福泉寺の5男坊。小泉八雲と加賀の千代女の話良かったな!「朝顔に つるべ取られて 貰い水」これが日本人のこころだったと。現代はつるべにからんだ朝顔が悪く、貰い水などもってのほか自分の家の水を飲みなさいという時代になってしまった。天地万霊、仏教の教える全てのものに生命を感じ、生きていくことはその大切な生命を戴くことによってできる。だから食前には「頂きます」食後には「ご馳走さま」。この辺の生活の教えがどこかに行ってしまった、そこを思い出し、再びこのこころを伝え拡げることができるか?蛇足だがこんな風刺も見かけた。
 「 朝顔に 道具取られて 職探し 」(好景気は本物ですか?)(12/27)
冬休み
 27日は利用者さんにとっては、待ちに待ってた冬休み、彼らの心情を思うと複雑だ。次から次へ家族の迎え、1人減り2人減り、昼食時間は食堂のテーブルも空席が目立つ。玄関を何度も確認に来るOさん、母親が入院で帰れないSさんは叔母さんが書いた手紙をしっかり持っている。夕方時点での報告、寮生は37名、GHが30名残った。(全体の50%)毎年帰れない人が増えている。彼ら自身も体力が落ちる。この風景はどういうわけか冬の帰省に特に心痛む。
 ・・・木枯らしに 今年も迎え無し 承知の上での 知らん顔・・・・(12/28)
レスパイト
 いよいよカウントダウン残り3日。「手の届かぬ所にニーズあり」学校が冬休みに入り、駆け込みのレスパイト希望が増えている。殆どが家族の介護疲れや病気など。皆さん疲れてるんだよ。何十万人という正月を海外で過ごす人がいるかと思えば戦争みたいな状況の人達も大勢いる。その意味ではマンツウマン対応のレスパイト需要が大きい。ニーズに対応するスタッフの確保が大変な内部の事情もある。また事前に登録し一度でも良いから利用されたことがあれば受ける側も安心。ホームヘルプサービスが開店休業中、それよりもまだまだ園で預かるニーズが格段に大きい。
・・・・門松に 今年こそはと ちから込め 夢で良いから 海外旅行・・・・(12/29)
ピンクピクルス
 涙・涙・なみだ・・・・今年知った曲で一番感動した歌、私と同年代の2人の女性「ピンクピクルス」。偶然、マラソンの君原健二さんの話で知った。「1人の道」はあの円谷幸吉さんの事を歌った曲。・・・何のために進むのか 痛い足をがまんして・・ 日本のためのメダルじゃない。走る力の糧なんだ・・・・・父さん許して下さいな 母さん許して下さいね・・・・」正直私はこのグループのことは知らなかった。でも多くの人々がこの曲で励まされてきたという。今の豊饒の時代、走る事で人生を燃え尽かせ、自らの手で命を絶った英雄の思いを探れば探るだけこの短い曲から多くの涙を生む。
 (作詞:今江真三郎/作曲:茶木みやこ)(12/30)
大晦日
 2006年が過ぎてゆく。いつもの事だが振り返ると様々な事が身の回りに起こっている。その中で、泣いたり笑ったり怒ったりと感情むきだしに生きてきた。これで良いのだろうかと思い悩みながらもこれしか無いという開き直りで今日まで年を重ねてきたわけだ。何かに拘り、だからといって無理すると言うわけでもない自分。確実に涙もろくなった自分は感じている。悲しい出会いに会うと周りの反応など関係なく涙した。来る年に期待半分!このホームページもアクセスがいつの間にか50000回を突破、契約容量不足で年末に上手く更新できなくなってしまった。新たなHPでバージョンアップしたいと考えて、大晦日の感謝の挨拶に代えます。(12/31)