NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 |
391 | 施餓鬼・・中日 | 7/31 | 396 | 海外事情 | 8/8 | 401 | 第2弾 | 8/14 |
392 | 終わったー! | 7/31 | 397 | ありのままに | 8/10 | 402 | 第3弾 | 8/16 |
393 | 墓参百花 | 8/3 | 398 | 布教 | 8/11 | 403 | お盆・総括 | 8/17 |
394 | 蓮華百様 | 8/5 | 399 | テロ&日航機事故 | 8/12 | 404 | 認定審査会 | 8/18 |
395 | キララ祭 | 8/6 | 400 | お盆第1弾 | 8/13 | 405 | 山下刈り | 8/19 |
391:施餓鬼・・・中日(なかび)
折り返し点、昨日は神宮寺の施餓鬼だった。坊さんが11名集まって、賑やかにできました。多く集まれば良いというわけじゃないが、いつの間にかこうなっちゃた。正直、半分以上は見栄(?)だろうな住職の。 本人が言うのだから間違いない。いつものことだが1ヶ月ぐらい前から準備は始める。例年、猛暑の中での午後の2時からの法要だから、扇風機は20台ぐらい用意する。しかし、昨日は清々しい風がずっと吹いてくれた。汗かかずできた。今日は観音寺の施餓鬼、今その準備に入った。朝5時からだ。最終24日まで施餓鬼が続く。今年は各地で雨の被害、どこだったかお墓が土砂崩れにあったところがあった。多分、山肌を造成してつくられた新しい霊園だろう。昔風のお墓は大木がおい茂り夏でも鬱蒼ととしてヤブ蚊に悩む場所にある。わたしの所が実はそうだ。しかし、今年は蚊がどっかにいってしまった。出番を待っているといった感じ。できることなら、このまま今年は控え場でゆっくりしていてもらいたい。偶に出てきた蚊の動きはいつもと違う。飛びが甘い。すぐに捕まってしまう。運動不足だな、ありゃー。 日頃の丹念だよな。ザマー見ろだ。何言ってんだろう俺。 施餓鬼棚にナスやキュウリで馬や牛を作り、飾る。面白い。今年は野菜が高いという。名物の梨やレンコンはどうなんだろう。先日、玄侑宗久さんにメールを打ったら、直ぐにかえってきた。いつも留守で、坊さんやっているのですか?と嫌みを書いたら、「いや、結構居ますよ」だと。本当にそうかな。今度行ってみよう。 今年も多くの別れがありました。施餓鬼は亡くなっていった人の供養と同時に先祖や無縁仏への供養でもあるのです。人間は謙虚にならねばダメ。先ほどのヤブ蚊の話、彼らは半年の命、飛ぶのが甘いとかいったて練習する時間がない。親も教えてくれないし、保育園もない世界で自立しなければならない。それに比べどうだい!人間様は。過保護だよな。 そうだ!そうだ!(観音寺裏の蚊より) |
392:終わったー!
393:墓参百花
毎日 乳母車(?)を押して旦那さんのお墓にお参りに来られているおばーさん、途中で六地蔵の石仏の前では立ち止まっって手を合わせてからまた歩き出す。クヌギ林の木の下に乳母車を止めて、座って休憩している。父親を急に亡くした一人っ子の娘さん、薄暗くなってから車で来てお墓を掃除し、亡き父親との語らいの時を大切にしている。順調だった事業が思いもよらず倒産、地域の人に迷惑を掛けたから顔を合わせたくないと朝早くお参りする老夫婦・・・・・・墓参といっても本当に様々です。生きている時には感じなかった事が、いざいなくなってその大切さがわかる。この親がいたからこそ、今の自分があるということも無意識の中に忘れさられている。人生を「人が生きていく様」と捉えれば、その咲き方は百花斉放でよい。 |
394:連華百様
毎日様々な姿を見せて咲きます。 |
395:キララ祭
5日:6日は土浦のキララ祭(スナップ)です。市内を午後5時半からカッパ踊りで練り歩く行事に尚恵学園は「ガンバ尚恵連」という名前で参加し、恒例行事になっています。今年は夏休み前ということもあって、参加者があまり集まらず35名程度の参加になりました。29団体中で28番目という順番でしたから、どうも私は最初から見ていたものだから尚恵学園の順番が来るまでに疲れてしまいました。それでも最後まで出場者は頑張ってくれました。実習生も飛び入りで参加、利用者さんも揃いのハッピをまとって参加したのです。結果はいかに、参加することに意義があるのです。審査員の目にはどう映ったのでしょうか・今年は市も力を入れて、中川市長自ら先頭になって踊っていました。市内の活性化はどうもあまり上手くいっていないようで、正念場ですね。 今年は阿見町との同日開催ということになり、見学者の数が心配だったようですが、思っていた以上に多くの人たちが来てくれました。 各地で夏の行事が繰り広げられています。土浦で全国的に知名度があるのは秋の花火大会です。昔は七夕も結構賑やかだったんですが、それは今やめてしまいました。最近はカレーで売り出そうとしていますが??これまたイマイチ。カレーマップも何もないからどこで食べられるのか分からないだもの。 今度の支援法になってから帰省期間を短縮しました。(収入減額が大きいためで本来の趣旨とは逆行)そのために職員の勤務の融通が効かなくなり、行事に参加する人数にも制限がでました。どうも上手くいかないものです。園独自の盆踊りもやったばかり、多少、行事疲れがあるのも否めないのであります。ハイ。 来年はまた新たなアイデアを持って参加することができますかどうか。期待しています。取りあえず迷子になる利用者さんもなく無事帰ってこれたとのこと良かった良かった。 |
396:海外事情
つくば市周辺は外国人が多く住んでいる。研究機関に関係している人たちだろう。一方、私の住む神立は外国の子供達が多い。県内で一番海外の子供達を小学校で受け入れているのが神立小と聞いたことがある。これは親が企業で働いているからだ。最近、厚労省は外国人の有資格者を福祉や医療現場で雇用することの規制を緩和してきた。近い将来、施設で外国のスタッフが働くようになるかもしれない。長いこと日本は島国という条件を輸出輸入の差益で経済発展をしてきたといえよう。何しろ資源が無い日本は知識や技術を売りの目玉として先人が努力してきた。これがそう上手くは行かなくなってきた。働く労働人口が減少、逆にサービス(商品)消費者の増加という現象だ。日本は所詮国内消費だけでは持たない。介護保険はまだ歴史が浅い、それだって自己負担を増額するという目先の対応で急場凌ぎ、スタートした時は総額3兆円だったものが7兆円までに膨れ、国の予算規模特に社会保障関係費用での割合が非常に大きくなっている。抜本的な改革は?と叫んでみても現実はどうしようもないし、各政党の案は代わり映えしない。また、働き手の確保問題も深刻化、そこで出てきたのが外国人の雇用という考え方だ。同じ島国であるイギリスはもう30年以上前にその仕組みがあった。どんどん外国人の働き手を病院や施設が受け入れてきた。イギリスと日本の違いは何か、共通の『言葉』の問題が実は大きい。英語を話すことが条件であった、イギリスは植民地からの受け入れが多く、彼らは普段から英語を使い慣れているから仕事の上で不自由が無かった。「私の大分昔の経験である」果たして日本語を不自由なく使いこなす働き手が見つかるか? その為にも国は外国人の日本語教育に力を入れる必要がある。また、全く逆の発想で私の構想の一つ、利用者と共に外国に移住してはどうか。無鉄砲かなー。どこかの暖かい島でのんびり彼らと生活できたら良いだろうなー。オーストラリアにはワーキングホリデイとか言って1年間の滞在を許可する仕組みがある。学生だけではない。リタイアー組も多い。だからオーストラリアには世界各国からの人たちが集まる。 グローバル化は時の流れ、少子化、高齢化も当に次元は異なるが避けて通れない。どうしようどうしようと悩んでいてもしようがないだろう。この辺で全く新しい発想を提案できればと目論んでいる。 |
397:ありのままに
私たちはありのままに受け入れることの大切さを分かっていても難しい。特に逆境に立った時、それが顕著になる。こんなはずじゃなかった。なんで私だけが・・・・とか。特に健康面で体調に異変を感じたときなど強くでる。人間、長いこと生きてくると本当に様々な事を経験するものです。出会いとか別れと言いますが、当に毎日がその繰り返し、当然といえば当然なんで、結局は「ありのまま」という事に行き着くのです。私はいつの間にか僧侶という立場に身をおいているのですが、正直、自分から進んでなったわけではなく、仕様がないのでなったというのが正直な所です。それじゃ今はどうなんだ?と問われても正直変わっていないというしか有りません。僧侶という自分なりのイメージがあるのですが、どうも現実の自分は到底そこにはたどり着かないと思っているのです。これがありのままなのです。HPにたわいもない事を書き連ね「源究」自分で自分を納得させるような事を恥ずかしげもなく続けています。 昨日は長崎の原爆の記念日でした。長崎市長の挨拶が紹介されていましたが、「人間はどうして悲惨なことを繰り返すのか・・・・」と怒りのメッセージでした。長崎だけで瞬時に7万人以上の方が亡くなり、その後61年たって同じく7万人の方が被爆の後遺症で亡くなっているのです。中東ではまた悲惨な報復の戦いが繰り広げられています。一般の市民も多数犠牲になっている。しかし、どうでょうか、軍の兵士の人たちも家族があり、元々は一般の市民です。戦争で双方に良いことは何もない。この事実を知りながら傍観者という立場で多くの人々が見つめている。 ガソリン代が高騰したとかを騒ぐのは、野次馬だ。上がれば車の使用を控えれば良いじゃないか。 そう思って通勤に歩き始めた私だが、これだって いつまで続くかだわな。 |
398:布教
施餓鬼が毎日のようにどこかのお寺で今行っている。施餓鬼布教というものがあって、寺に集まった檀家の人たちの前で話す機会があります。そこで話す側の気持ちとして「一体何を話せば良いのか?」という悩みがある。会場の雰囲気にも大いに影響する。満員で息苦しいような場では長話は逆効果、今年新盆を迎える家族だけの集まりであれば、笑いを狙った話では場違いになる。この辺の判断が実は難しい。布教する側ではどのような人たちが集まっているのか良くは分からないからだ。私の性格上、塔婆をたくさんあげてもらうような話はしずらい。自分の寺でやっていないのにという後ろめたさがあるからだ。それじゃー何を話すんだ。お盆だけに先祖や供養の話は当然入ってくる。そこにちょっと自分が感動した事などを入れるとまた違った反応がある。感動とは心が動くこと。定番の話をいくら上手に話しても押し売りになるだけで心に残るような話にはならない。 私が今までに聞いた話で印象に残っているものに、松原泰道師の話がある。90歳を越えた臨済宗のお坊さんだ。決して難しい仏教用語は用いず、話される。松原師の姿からくるのかもしれない。にじみ出てくる何かがある。その息子さんの哲明師も布教では有名である。 別に今年の話のテーマを決めているわけではないのだが、巷には余りにも悲惨な事件が多すぎる。誰しもそう感じているのは間違いない。その中での自分なりの話ができればこれ幸いである。 |
399:テロ&日航機事故21年目
私たちは、なんとめちゃくちゃな時代を生きているのか。8月12日は21年前の昭和60年に満員の乗客を乗せた日航機が群馬県上野村の山(御巣鷹尾根)に墜落し、500名を越す人々が一瞬のうちに亡くなった日であった。前にもこのコーナーで触れたことがあったが、その時に亡くなった歌手の坂本九さんは私どもの尚恵学園に取材で来られて間もなかったから、強烈に残っている。今も私の部屋には九ちゃんがその時に書いてくれた色紙を壁に飾っている。そのニュースが昨夜の深夜ラジオから流れていた同じ番組でイギリスの飛行機爆破テロを未然に防ぎ、容疑者二四名を逮捕したというニュース報道があった。真相は今だはっきりはしないがパキスタン出身のイギリス国籍を持つ20代の若者が大半であったという。彼らは自分が同乗した機内で液状爆破物で自爆しようという計画だったとか。イギリスのヒースロー国際空港は30年前に行ったことがある、当時から発着便がヨーロッパでも一番多い空港だった。アメリカ行きの便も相当数だ。その飛行機の爆破テロを狙った。マンハッタンビルへのテロが今だ誰の記憶にもはっきり残っている。それ以上の衝撃的悲惨な結果が起こっただろう。 ヨーロッパに行くと本当に多くの人種が集まり住んでいることが分かる。今回のような恐ろしい計画が自分達が住む街で行われていても気づかない。今回幸いにも事前に発覚できて未然に防げたのはパキスタンからの情報であったというからこれも理解しにくい。自国の若者が密かに計画したテロを方や同国の者が告発する。 単一民族で平和ボケの日本人には全く理解できない。坊さんがこんな風に言うのも問題ありかもしれないが八百万の神が住む日本だから良いのかなーーー・一神教の国は怖い。日本には相手を認め合う土壌が昔からあるんだね。 3年前になる。ネパールのカトマンズにて国内紛争の怖さを身近に感じたことがあった。私たちが居た50メートルと離れていない家が爆破された。当時は毛沢東思想を信望する人たちと政府が内乱状態だった。国王の跡目問題も絡んでネパールの人たちは話す言葉にも周囲を気遣う状況だった。いつ内通され反対派に連れ去られるか分からないという緊張状態。今、そのカトマンズは外務省の準危険地帯となっていて、自由な渡航も出来ないのではなかったか? 嘗て、ヒマラヤトレッキングの旅行者で全世界から山好きな人たちが集まり、ヤク&イエテイなど高級ホテルには山登りの服装をした人たちが泊まっていた。私はカトマンズには3回行っている。インドから渡ると長閑で田舎風で人々がのんびりしている安らぎを感じる街だった。それがこの急変で正直驚いた。これも一般の人々には関係ない政治(権力闘争)の世界の話。 地球規模の環境破壊も一向に統一した対策が纏まらない。自国の利益が最優先するからだ。 20世紀は石油という地下資源がらみの様々なトラブル、21世紀は人種や宗教さらには貧富の差から起こるトラブル。その内実は簡単でないから解決も難しい。どうすれば良いのだろうか。一つ言える事は、我々一人一人が我が事として「平和」について考えることが大切で尚かつ今直ぐ出来ることである。 |
400:お盆 第1弾
13日朝、いつものように歩いて学園に行く。通勤寮で実家に帰っているはずのNさんが顔を出す。「あれ。Nさんもう帰ってきたの?」「うん・・・」気のせいか元気なし。大子にある両親のお墓参りに2日前に勇んで行った。その時には明日(15日)帰ってくると言っていた。それが2日も早く帰ってきた。「お姉さんの家に行ったの?」と尋ねるとはっきり言わず口ごもった。あーそうか行けなかったんだな!最近彼は自分から早めに帰って来るようになっている。 田圃でGHよりリュックを背負って早足でやってきたM君とばったりと出会う。「よーM君、どうしたい迎えにくるのかい?」「一人でかえるの・・」そうか土浦でバスに乗り換えて実家まで大分時間がかかるだろうな。 彼は石屋さんで働いている。2ヶ月になるだろうか、指をけがして暫くその傷が治るまで学園で過ごしていた。その指を私に見せて「もう 直ったの」夏休みが終えればまた仕事に行けるだろう。 「それじゃー 元気でな」と田圃のあぜ道で分かれる。直ぐに彼は走り出した。早く家に帰りたいのだろう。 お盆には学園の利用者さんも夏休みで家に帰ります。今年から1週間と期間が短くなりました。皆さん、楽しみに待っていて、帰れない人たちは寮を合同にして一緒に生活をします。 いつものことですが、理由があって帰れない仲間達の顔を見るのは大変つらいものです。 |
401:第2弾
14日の朝、いつものように歩いて出勤?。今日は新盆廻りで忙しい。神宮寺への朝のお勤め。1キロほどの距離に共同墓地が2カ所ある。道路にはお線香が道脇に立てかけられているのが直ぐに気づいた。迎え盆でお墓から自宅まで線香を落としてくる。この辺はまだまだ昔の風習が残る。 新盆に廻る、それぞれの家をお邪魔して水施餓鬼のお経を読む。今年は偉くなって運転手付きだから、大分気が楽になった。駐車場で悩むことがないからだ。精霊棚にはキュウリで馬を作り、ナスで牛を作る。「迎えは早く、送りは遅く」ということで迎えには馬に乗せて先祖を連れてきて、送りは牛に乗せてゆっくり送っていくという。これもまた良く考えられたものだ。 午後4時、今年の新盆廻りは一応終わった。ホットしている。あとは関係寺院の施餓鬼の手伝いが残っているだけだ。明日は私の56歳の誕生日、よくもお盆の最中に生まれたものだ。お袋も親父も大変だったにちがいない。 |
402:第3弾
15日は小泉首相が靖国神社に参拝するということでマスコミを初め、朝から大騒ぎだった。先の大戦で亡くなった200万人以上の方々への慰霊、そこに国内外の賛否両論が飛び交う。・・・・・・・・。 軍国主義への回帰という反対派、参拝によって平和を誓うという賛成派、どちらの言い分も分かるような気がする。いずれにしても日本で先の大戦に対する明確な戦後処理が十分でないから、このような混乱が毎年繰り返される。戦後生まれが圧倒的に多くなっている今こそ、そこの点を確認しておく必要が大きい。さもないとゲーム感覚で戦争を考える者が増える。 そこでちょっと考えてみよう! 施餓鬼には精霊棚を飾ります。その棚の真ん中に「三界万霊」という位牌を飾るのです。つまり、全ての霊に対して供養の眞を捧げるという意味です。 130年前に国が九段に作った靖国神社は日本の為に活躍して亡くなった人たちをまつる。公務死が条件だと聞いている。だから最近アフガニスタンで亡くなった外務省職員の方もまつられていると伺った。北東アジアの緊張や誤解を無くすためには靖国神社そのものを世界の御霊をまつる聖域にすれば今回のような問題は解決できると思うのだが、それは神社の判断だと逃げる。政治はそこまで立ち入ることはできない。政教分離????本当にそう思うのだろうか? 戦争が有史以来繰り返されることも問題だが、宗教のセクト間の争いが一向に止まない中で、世界の平和を真に祈る場があっても良いと思う。世界で唯一の原爆の被災国、日本だからこそ将来の平和を声高く世界に訴えるべきだと思う。戦後61年がたっている。 |
403:お盆 総括
やれやれ今年もどうにかお盆が終わりました。各地のお寺では送り火行事などが行われ、浴衣姿でくつろいでいる姿がテレビに出てきました。束の間の平和を感じるわけです。一方では様々な事件が相も変わらず全国各地で起こっています。元幹事長の加藤紘一さんの実家が放火にあったという事件、首相の靖国参拝にマスコミを通じて反対を表明したことが原因なのか?しかし、もっと驚いたことは97歳のお母さんが一人で実家を守っているということです。とても元気なそうですが、政治家になるにも大変だー。家族を犠牲にしていることって我々が想像できないぐらいなんだろう。お盆は日本中が民族大移動になる。実家に帰り、お墓参りする。普段疎遠になっている人たちと久しぶりに会って語らえる貴重な時である。ここのところのガソリン高騰にもかかわらず、渋滞の高速道をのろのろ運転。しかし、世の中はお盆休みなど関係ない人たちがいる。我々坊さんもそうなのだが、役所関係もそうだ。交代で休みは取るようだが業務は続けられている。 学校が休みなので遊びに出かけての水の事故なども増える。人の動きは常に繰り返され、しかも、常に同じではない。当に諸行無常そのものである。 |
404:認定審査会・真っ盛り
10月の本格施行に向けて各市町村では障害者自立支援法での障害程度区分の判定を実施している。一次判定の結果について認定審査会において二次判定を行いその是非を決める仕組み、一次が聞き取り調査によるコンピューター処理、その後主治医意見書を加えての二次判定を行うわけである。尚恵学園でも五名のスタッフが近隣の市町村より依頼を受けて審査委員として加わっている。全てが夜の審査会だから、その負担も大変。私も一カ所から引き受け、既に五回ほど審査会を実施、最初は身体関係のケースが大半、最近在宅の知的の方のケースが上がってきている。書類作成が間に合わないというのが実態だろう。何しろ主治医意見書を書いてもらうにも知的の場合は日頃、主治医がいるわけではないからだ。案の定、心配したとおり意見書の中身は医師によってかなりの格差がある。事細かに書かれているものがあれば殆ど記入されていないものもある始末。これで二次判定に参考にする根拠がない。多分これは全国的な問題として今関係者は頭を痛めているにちがいない。まだ、入所施設利用者のケースが上がってこない。実はこれが非常に問題になる。なぜならば判定次第では(区分四以上)現行サービスが受けられないという事態が発生する。国は障害者のホームレスは作らないと言っている。しかし、事業所としても実際はそのような結果になった場合、どのように対処して良いのかわからない。当然私の立場では事業を継続するための収入を確保しないとやっていけない。人件費や事業費の財源確保である。幸い私の法人では累積の借金は殆ど無い。これは初代理事長の方針で背伸びしないで自分の器に応じた設備投資でやっていけ!というものを私は常に頭の中に入れているからかもしれない。今となってみれば毎年定額の返済金を確保しなくても良いということで法人としての負担が少ない。これが実に大きい。今、法人に新体系移行準備委員会を立ち上げた。いかにスムーズに新体系への事業移行ができるかを各部署の代表を集めて検討する。国の制度自体もなんども変更があって、確定していない細部の問題を実態に応じて検討する場にする。 一連の調査→判定→契約・・という流れの中で受け入れ体制だけは法人の責任として揃えていなければならない。不満だけを大声たてて行政に訴えても仕方がない時代、今一番必要なことは利用される方々と事業所が連携して実績を伸ばし、誰もが納得する状況を作ることである。 |
405:山 下刈り
寮の裏手は雑木山になっていて、緑が多く、道路沿いの寮であるが車や電車の騒音を和らげ住む環境を良くしている。年に数回、下刈りをしないと背丈以上に草が伸びてしまい、そうなると逆に風通しが悪く、生活するにはマイナス効果となってしまう。お盆に入る前にスタッフが草刈り機にて下刈りを行った。裏から建物が隠れて見えなかったのが良く見えるようになった。しかし、一部分刈られていないところがある。刈り忘れだと思っていたが、一向に刈ろうとはしない。尋ねてみた。「あー それは○○さんの隠れ場なんで刈らずに置いてあるんですよ」との返事。そうだ、まだ入所間もない○さんは時々雲隠れする。他の寮の職員も写真を持って車を出し捜した。今までに3回ほどあったかな?1回目は健康診断で血液検査かレントゲン撮影の日だったと思う。彼女は白衣を見るとダメだというのが後で分かった。長い入院生活を経験しているからなのか。 結局彼女は遠くに出かけるのではないというのがわかった。それも寮の裏手にある雑木林に身を潜めていることも分かった。 そこでスタッフが下刈りをするのに彼女のために刈り残しをしたという事情。了解! |