源究99

 

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1491 真の改革 6/6 1496 出会いの尊さ 6/11 1501 四国報告1 6/18 1506 委縮社会 6/23
1492 旱天慈雨 6/7 1497 大義無き攻防 6/12 1502 遍路効能 6/19 1507 だからこそ 6/24
1493 より所 6/8 1498 ワールドカップ 6/13 1503 親の願意 6/20 1508 それ見ろ 6/25
1494 ちっちゃな約束 6/9 1499 梅雨入り 6/14 1504 合縁奇縁 6/21 1509 ズレの修正 6/26
1495 お接待 6/10 1500 良くやった 6/15 1505 澱み 6/22 1510 寛容の重要性 6/27

1491:真の改革

思惑が錯綜している。菅内閣の組閣人事、留任する大臣が大半を占めているのは残任期間が9月までという期限付きだから止むを得ない。そして、ご多分に洩れず、新政権に対して60%近い支持率が各紙の調査で分かった。
 民主党に期待し、鳩山&小沢体制の8カ月に挫折を味わった大多数の支援者達、私もその一人だった。政治とカネの問題に関しては今度の主要閣僚に決定的なハンデイとはならない。金が有りそうな人はいない。それで良い。所謂,2世3世議員ではなく自らの力で伸し上がってきたという草の根の強さを一方では持っている。そこに有権者は前政権に無い、新鮮味を感じた。田中女史が久しぶりにテレビ画面に登場、彼女は小沢さんに総理に出なさいと進言したとか、冗談か本心か?訳の分からないことを言う人だ。
 盛り沢山の公約を全て短期間に実行して欲しいなど誰も望まない。透明性をうたいながら、密室での決めごとが見えてしまった事への不信感、それと自らの潔白を国会の場で説明しない領袖への不満だった。
 ただ、自民党時代に短期間に総理が変わった事への嫌気は誰しもが持っている。内政問題しかり特に外交に関しては、日本と言う国は一体何を考えているのかという不信の見方が世界の評価だったと思う。
 今の政治が当面する問題は、財政、外交、防衛などなど一筋縄ではいかない難問が山積している。それを考えると菅さんが果たしてどれだけ真の改革を為し得るか大いに疑問が残る。
 支持率が上がったことの第1番の理由は、小沢さんへの「暫くは大人しくしていて欲しい。その事が小沢さん本人にも日本の政治のためにも良い事だ」と全員協議会の席で明言したことだ。
 先の鳩山さんの所信声明を思い出す。彼は長々と自説を述べた。自らが作った草案だったのかどうか、今更、問い質す気にはならない。所信声明などは、自分が興に入ってどうするってことだ。むしろ聞く側が分かり易く、ピンポイントの内容で充分だ。それが彼には分からなかった。あれは多分、自らが苦労して議員になった経験が薄いからだ。
 私が彼を評価しているのは、唯一つ、次期の選挙には出ないと明言したこと。
 一方、小沢さん、彼は一体どういう考えの持ち主なのか?本当に何のためにあのような行動をするのだろうか?
 結局は、彼の最大の今の関心事は参議院選挙、その後の政党再編へ着々と準備を始めているのでしょうか・・・・・。
 果たして一国の政治を自らが思い描く姿形にキャンバス上に描けるものでしょうか。彼の最大の弱点は、苦言を呈する人間を排除することだ。結果、裸の王様となっている。それを自覚しているならば良し、しかし、それは小沢さん個人としてでありましょう。できれば鳩山さんと同じく次期選挙には出馬しないと決断してもらいたい。
 むしろ、彼が一番苦手とするだろうが、バッジを外し、各地で講演会でもやりながら余生を送っていただきたい。当面する選挙が無くなった時の彼のエネルギーはどうなるか、私個人として興味がある。
何事も引き際が肝心だ。
 さて、菅さんの改革が実を結ぶ為に何が重要だろう?これは実は国民が変わることでしかない。以前として選挙の投票率が上がらず、国政選挙なら、半分にも満たない状況が続いている。これで不満を言うのも無責任ということだ。正直、私は今まで全ての選挙に投票してきた。当然私が1票を投じた相手には厳しい見方をしてきた。彼らに何かを頼んで自分の利になるようなことをした事はない。これが間違っているのかどうかは知らない。私は白黒ハッキリ言うほうである。駄目だと思ったら顔も合わせない。真剣勝負でやってきた。
 真の改革は、本当に国民一人一人が真剣にこの国の形を考える時に実現できると信じている。今はまだ小手先の改革で満足している人達が多い。国政のゴタゴタは我々自身を写す鏡だ。そう思って間違いない。

1492:旱天慈雨(かんてんじう)

”困窮した時の助け船”=旱天に慈しみの雨となりうるか?
和製ヒラリーという評価が高いという管さんの姉さん女房の伸子さん、はっきりしていて気転が利く。街宣車に乗ればマイクを持って旦那顔負けの見事な演説をする。性格がカラッとしている。菅さんの話し方がどうも粘りっこい感じがするのをサラリと流す。
ウームこれは期待できるかな。
 前任者の奥様とは好対照?市民派の旦那を支える肝っ玉女房。自転車に旗をなびかせ応援演説これが実に似会う。
 一気に応援したくなった。そして知性を表に出さない自らを飾らないタイプ。
私は印象を大事にする。別に出しゃばりでも構わない。時と場合によっては。それから彼女の言葉で関心させられたものがある。
”私はいつも有権者の視点を持つように心がけていますから、私が駄目とおもったらアンタは落ちる”と旦那に言って来たという。これは共に闘ってきた証だ。自分の眼を過信する訳ではないが、人間は普段の何気ない言動によって本性が見えるものだ。まず、奥さんが合格点だ。
 ちょっと気になったので最初に触れました。失礼しました。
 私自身の反省として、政治や行政に対し横目で見過ぎたという思いが今しています。伸子さんみたいにマイクを持って堂々と相手の悪口を言ってきただろうか?全てが中途半端だったという反省だ。それならどうしますか?という思いに至った。
 どうせ半端ならば良い処を見つけようと方向転換することにしました。
その切っ掛けを作ってくれた事がありましたので紹介します。
 利用者の方で拘りが強く、何か気に障ると大声をたてたり相手構わず乱暴を働く方がおりました。その方が学園を辞めることになり、お母さんと2人の生活を始めたのです。本当に大丈夫か?あれは本人の気持ちじゃない・・・・とか心配と称しながら出てくる話題の殆どが我々事業所側の都合の良い見方でした。その彼女が学園に残していった荷物を取りにやってきました。
その時、彼女がニコニコしてハッキリ言ったという言葉は、「もう学園には戻りません」というものだった。
 20年以上の彼女との生活、悪戦苦闘は一体なんだったのか?それはそれはショックでした。
 でもオウム返しが多かった彼女がハッキリと自分の意思を伝えた。「もう学園には戻らない。」
 私達福祉に関わる人間の陥り易い自己正当化、相手がどう感じているか実は分かっているようで本心はなかなか分からないのです。
 多分160名の利用者全員が彼女と同じ思いで生活をしていると思うべきなんですよ。それが実は我々にとっては一番怖い。だから様々な問題を並べ上げることで自己正当化している。これが実態ではないでしょうか。
 この道に長くいればいる程その事を忘れてはならない。
 いま、パーっと私自身の気持ちが晴れました。良く言ってくれたという感謝でいっぱい。
 お母さんが最後にこう言ったという。「女ひとりではこの子を家で見る事はできなかった。仕事も一段落、今なら一緒に生活することもできる。」とバスガイドで生計をたてていたお母さんの言葉だった。
 学園とお母さんとの関係が今までしっくりしていたかと言えば、正直そうではなかった。お互いの思いがどこかで噛み合わなかった。その事を一番感じていたのは我々やお母さんではなく彼女自身だった。それで揺れ動いたはけ口を何かに向けていた。そう思う事にしよう。
 そこに賭けてみようと親子が決意し実家での新たな生活が始まった。引き継ぎに行った職員に福祉の担当者に言ってくれと頼んだ事は、「もし、何かが有った時にはいつでも相談して欲しい」、それから「時々見回って欲しい」と。
本来の施設の役割がここにあります。そう考えた瞬間に自分の気持ちが変わった。すると不思議なもので、将来への不安が消え、やりたい事が矢継ぎ早に頭に浮かび始めました。本来の福祉の仕組みは、制度が先に有ったものではない。
先人の試行錯誤の実践が先だった。その原点に帰れば良い。
 私は今の思いを実現するために何が障りか?考えた。先ず着込んでしまった服を早く脱いで動き易くなることです。
 今、引き受けている役は任期だけはやって、その後は辞退しようと決めた。途中で投げ出す事はしない、受けた以上は
次の人にタスキはわたしてからにすべきだ位は教わらずとも分かっている。
 と申しましても、エッヘン!性分は変わりませんから、いついかなる切っ掛けで怒りが爆発するか、
 

1493:より所

権力は人間を盲目にし、地位に執着、野垂れ死にすることが多いと「菜根譚」に記されています。なるほど成程。
人にはそれぞれより所というものがあるはずだ。家族、仕事、趣味・・・・云々。しかし、仏教はその全てを無常と見る。然もありなん。また、現代人の特徴は自然との一体感を持ちえない人間が増えてしまい、無感動な人が実に多いこと。感動はこころを動かし新たな気づきを経験する。だが、今そのプロセスがすっぽり抜け落ちていませんか。山手線に乗ると半分近い乗客が老いも若きも携帯と睨めっこ。これは異常である。車内での通話は禁じられているからメールを使う。携帯が束の間のより所となっている。
 この先、より深刻になるだろう人間のコミュニケーション能力の劣化、無感動を何故恐れるか?それは心の底からわき上がる悲しみや喜びがなくなるからだ。
 坊さんやっていてその辺の変化を実感している。葬儀と結婚式が根っ子の部分では同じ流れで進行する。涙を誘う演出がエスカレートすればするほど心に動きがなくなる。
 価格の透明性とは別に様々なオプションサービスが用意されている。この歯止めは、業者側からは起こらない。消費者?側の決断でかろうじて為し得ること。
 iPadというものが話題になっている。私自身は全く興味はない。しかし、いずれその仲間に入らざるを得なくなるかどうか。私の年代は、ガリ版印刷から始り鉛の活字を打つタイプライター、その後ワープロで文章をつくる方法へと変わった。いま、PCで文章をつくり、プリンターで即印字できる。部厚い辞書は本棚の上の方に置かれ使う事は殆ど無い。その代りPCの脇には電子辞書が置いてある。文字変換でミスが起こり易いからだ。
 確かに便利になったものだ。だがどうでしょうか?折角作った文章をキーを押し間違えて一瞬の内に全てが消えてしまった経験はありませんか。電池が無くなり全く使えなくなった電子辞書や文章を何処のファイルに保存したかを忘れて捜すのに苦労した経験などなど、、、新たな問題が起こっている。
 便利さを追い求めることで失ったものとして心の交流がありますよね。年賀状がその例だ。自動的に印刷された文面を読む気にはならない。宛名さえPCで簡単に印刷してくれる。自筆で書かれた年賀状がメッキリ減った。とすれば何の為の年賀状?
 現代の特徴が此処に見てとれる。それは「何のための」という事の曖昧さである。全てがこの一点に集約されている。
 まだ皆さんのご記憶に残っていませんか?事業仕分けで話題になったスーパーコンピューターの導入に際し、「何故、世界1でなければいけないのですか、2位ではいけないのですか?」この質問に対し、答える側の困り果てた顔。
 これが如実に表していますね。
 障害者自立支援法改正法案が国会に提出されたとか?その時にクレームが出た。どこから?制度改革推進会議と総合福祉部会からとの事。ウーム??
その理由、自分たちが今、新たな制度作りをしている最中になんの連絡も無く国会に出されてしまった事への不満。
 委員の皆さん全ての意見では無いと思いますが、これって可笑しくありませんか?メンツの問題じゃーないでしょうよ。
 一緒に考えれば良い事で我々に何の相談も無く飛び越し審議をするとは遺憾”!という訳ですか?
 障害者問題にしてもこれだ。うじゃーね。アンタ達は何の為に検討しているんですかね?これは一般の人の偽らざる疑問ですよ。審議会というものが陥り易い落とし穴だ、その道の専門家が関わるから他の意見は不正と捉え、正義の名において相手を断罪することが起こり得る。専門家としての特権意識が一般の人達の素朴な思いをより分かりづらくしていませんか?
 より処と言うものは、結局「何のために」という不断の問い掛けから生まれると思いますがね。

1494:ちっちゃな約束

大それた事ならば”公約”、少し謙遜して”ゆめ”、でも自分自身には”ちっちゃな約束”と言うのが似会うかも。
 学園で暮らす仲間たちの本当の気持ちが分からないで何を言うか!と自らにいま問うています。30年?40年この道でやってきたってでも言うんかい、ちゃんちゃら可笑しいよ。そうじゃーねーだろう。金の計算ばっか、見栄張り、格好付けて。。。。それって自己満足でしかねーだろう。 そう自分に言い聞かすんですよね。
 福祉なんて一朝一夕で変わらないんだよ。立派な事をいくら言ってもね。自分で納得していないことを誰が認めてくれます??
 もういい加減にギアチェンジしないと時間がない。そこで小さな約束を自分としたんです。ちょこっと紹介しますね。
 『庵主』になるんです。掘立小屋で良いんだ。畑があって傍に雑木山、かぶと虫やクワガタが住めるそんな場所で囲炉裏を囲んで大好きなコーヒーを煎れる。
 畑にはできるだけ多くの野菜をつくり、花を植え、小屋のドアはいつでも開いている。音楽聴いて本を読み、昼寝して夜星を見る。・・・・・・一緒に泊りたくなった仲間はいつでもどうぞ。
 結局、何がやりたいのと正直に自分と向き合って考え抜いた結果がこうだった。
 仲間たちとゆっくり過ごせる場がない。走って走って息切れし、少し休んでまた走る。この繰り返しをいつまでやれば良いのですか?
 結局、できもしない公約をいくら並べても仕様が無い。それに現実離れの夢をいくら見ても意味が無い。いまになってやっと確信が持てた。遅いよな遅い遅い。
 人の一生ってこんなもの?坊さんやって、沢山のお葬式やってきた。知的にハンデイを持つ人達と触れあった。
 結論、「ちっちゃな庵の住人」になることってか、また始まった住田得意の人生劇場。
 でも言わせていただきますとね。決して世を儚んでこんな風に考えている訳じゃーござんせん。やりたいんですよ。心底ね。
 それがやっとできそうかなー?
 言っておきますが、この構想は誰にも相談なんかしませんよ。でも秘密なんかじゃありません。言っても仕方が無いでしょう。価値観の共有なんて所詮無理なんだからね。
 観音寺の本堂脇間に並んだ写真、ここにきて急に増えました。並びきれなくなっちゃった。一人一人良い顔してるんだな。だからかも知れない。余計、自問自答しちゃうんですかね。
 私は今年の8月になると60歳、写真の殆どがそれ以前の若さで亡くなっている人達だ。
 ですからね、毎朝、彼らの写真を見ているとね、自然と浮かんでくるんですよ。彼らとの実現できなかった約束を一つ一つ思い起こし、ちっちゃな事から始めようとね。
  

1495:お接待

実に驚いた事に、先進国の中で日本だけが断トツなものが、国のトップの変わった数、過去22年余りでなんと16名の首相、他の国ではイタリアを除き、3人〜5人ですよ。これって異常でしょう?何を考えているんだろうか?
 私は法律を変えるべきだと思う。それは総理経験者はバッジを外すこと。そうでなければ”老害”は無くなりません。
 クイズ番組に16人を順番に言いなさいという問題を出したら、絶対、答えられないでしょう。先ずここから変えるべきなんだよな。政治がゲーム感覚なんだよな!如何に自分の陣地に多く集めるか!手段が目的になってしまった。目的はその都度変わるんだから、ノーテンキの極地だわな。夜な夜な戦略会議が開かれる時期になりました。それから日本以上に首相が多く変わった国ってどこか知ってます?ネパールだそうです。
 私はカトマンズに3回行きました。ヤク&イエテイホテル、すごく良かった。車で10分も走るともう昔と変わらない田舎に出られた。ネパールの施設と交流を行ったのはもう30年前になるかな?
 まいいやね。
 私は来週、遍路をしてきます。愛媛の今治周辺を。何故急に思い立ったか?前から計画はしていました。それが出来なかっただけ。先延ばしにしていたら歩けなくなると思った。それで時間を作ってこれから細切れで行こうと決心した。
 福祉のこころ=お接待  このように考えます。 最近は禁止されているようでありますが、補助金絡みの官官接待など
”接待の意味”がどこかで違ってしまった。本来の接待は、ボランテアなんですよ。相手から何かを得ようとなど下心は働かない。こうすることが自らの利となる、つまりは自利利他行ですよ。
それが自利自利行に堕落した。それから、お金が絡むようになってしまった。四国を歩くと至る所に昔風の”お接待”が残っている。何故だと思いますか?分かり易く言えば、信仰心ですね。実はこれも時代と共に変遷を繰り返してきました。
 排他的な宗教には、お接待が似会わない。唯一、真言宗の大師信仰が今に伝わっていると私は考えるわけです。
 菅総理が四国遍路をやったということですが?それも53番目まで。暫くはできないなーとか言っていましたね。それも総理就任の挨拶で、時間は作ればできますよ。でもあれって護衛付きで歩くもんじゃありません。
 偶然ですが、今回私は今治の54番延命寺から始めようと思っています。菅さんの納経帳を預かって私が変わりに廻ってきますかね。余計な事ですが。
 電車の時間が無くなりました。本日はこれまで。
 あっ言い忘れた。政治家の皆さん、黒塗りの車など乗らずに歩くんですよ。健康的です。
 

1496:出会いの尊さ

昨日は護国寺で坊さんの研修会がありました。2日間のものでしたが、2日目はキャンセルです。元々参加するつもりは無かった。そこでの講演に『出会いの尊さ』というものがありました。講師の先生は今年、80歳をむかえるとかでしみじみと自分の歩んできた道を振り返りながらのお話でした、私は何度かその方の話は伺っている。定時制の高校教師をしていながら福島の寺の住職をしてきた方で、開口一番「私は寺が嫌いでね。いつの間にか坊さんになっちゃったんですよ」飾らないどことなく落語調の話しぶり。聞く側が自然体で聴ける。とかく美辞麗句を並べたり、自分の知識を得意に話す坊さんが多い中で貴重な存在だと思っている。それは何を隠そう耳学問でなく、先生自らの体験からの話だからであろう。
 果たして自分自身が今までの人との出会いをどう思ってきただろう?帰りの電車の中で今日貰った資料を見ながら考えた。”邂逅”とは巡りあうこと、その人から何らかの影響を受け、その後の自分の人生に生かしてきた経験に何が有るだろう?。
 昨日は思いもよらず、高知県の88か所札所の住職の話も聞けた。高知県内には同宗(豊山派)で札所になっている寺が10ケ寺あると聞いた。高知県は端から端まで乗り物を使っても6時間がかかるという。坂本竜馬を生んだ土地にしては、この時代で交通の便が頗る悪い県の代表格、遍路では高知県は鬼門と言われる所以がそこにある。
 出会いには別れが付きもの、くっ付いたり離れたりを繰り返す。昨夜の永田町の動きが慌しかった。国民新党が連立を離脱?、どんな具合に収まったのか知らないが、菅政権になっての高い支持率がかえって様々な動きを加速した。本音の部分は選挙、見え見えの事情が堂々と語られる。昔はここまでアカラサマではなかったんじゃーないの?
 こうなった原因の一つが選挙至上主義の台頭である。同じ政党に属しながらも結局は派閥に別れ、内部での攻防が展開される。この動きがマスコミによりリークされ、情報が駆け巡る。この状況をいつまで続けるおつもりか!
 国会の会期が政党の利に利用される。本来、国会は国民の為の審議をおこなう場所だった。重要な案件が討議されることがなく、相手への誹謗中傷のオンパレード、すべった転んだを貴重な国会審議で続けている。
 我々有権者は当然だが、世界の視線がどうみるか?これぞと思えるリーダーがいない。ちっぽけなどうでもよいような事を突っつく。新しい内閣の発足後、僅か2時間後に某大臣の事務所費への疑惑がニュースにのぼった。ああ・・・・
 事務所費で漫画を買ったとか・・・・・確かに事細かな経費の使用制限はないだろう。でも、またやるよ。事務所費で使用を禁じる品の一覧票づくり、あんた達は国会議員だろう。もっと大事な事に時間を裂けよ!
 範とするような政治家との出会いが無くなったと思いませんか?いつ頃からかな?この国はトコトン落ちないと駄目かもしれない。これもまた戦後処理で中途半端にしたツケを引きずっているものだろう。
 スリランカの高僧が著した本、題名は? ブッダの心の活性化をはかる3つの条件の話。
 どんな条件だと思いますか?選挙に勝つことなど一言も書いていない。そんなこと問題外ですね。
 3つの条件の1番目、それは”品格がある”ということ。2番目は”役にたつこと”、そして3番目が”教えがある”ことだそうだ。
 どこを見回しても今の国会の動きは3つの条件を満たしていません。品格どころか梯子の外し合いが横行しているんじゃないでしょうか?他党よりも同じ党のリークが怖い。この状況を喜んでいる有権者がいるとすれば一体どんな人、出会ってみたいものです。
 ・・・・探してみよう心の中を ⇒ 明るい心 思いやりの心 温かい心・・・・・という昨日の資料に書かれてあった。
・・・・・悟りとは理屈ではなく仏道体験だ・・・・・とも。
・・・・・坊さんが変われば、社会も変わる・・・・・とも。  うーだーなー。
 

1497:大義無き攻防

大義無き攻防に人心は距離を置く。世の中には良いとこ取りをする人が必ずいるものです。例えば写真を写す際に目立つ場所に必ずいる人、人の集まりでゴマスリに徹する人・・・・・タイプに分けてどうのこうの言うつもりは全く無い。どうだって良い事だ。
 でも、そんな人は宴の終わりごろになると独りポツンと食べ残したものを食べていたりする。どことなく秋風が吹く感じ?このギャップを本人がどう思うか?これって重要ですよ。
 政治家にとって言葉は命だ。演説が上手とか下手ではない。言行不一致が一番駄目。どうも最近の議員は口から先に生まれてきた輩が目立って仕様が無い。政治の責任?はどうあるべきか。この点が一番曖昧な時代になった。
 国会審議がパフォーマンスに成り下がり、言いっぱなしが多すぎます。机の上にうず高く積み上がられた審議を待つ法案、いつの間にかどこかに埋もれてしまう。政治に関心が有るとは言えない有権者がこの国には半数以上、その事が悪き習慣を見過ごしてきた。
 余りにも手つかずの案件が多過ぎて無作為?に選んだ事業仕分け、実はこれだって法的な根拠が無いと言う。
それじゃー何の為に仕分けするのですかと誰かが尋ねたら、実態が表に出たという価値はあるでしょうと開き直る。果たしてそれが威張れる事でありましょうか。
 今度の菅総理に私は期待する。だってそうじゃーありませんか、他に誰がいます?市民運動から叩き上げて今に至る人がですよ。親の地盤を引き継ぎ、自分は選挙の時だけ地元に戻るそんな人が増え過ぎた。それで有権者の心が掴めます?
マスコミは菅さんが小沢色をどれだけ払拭できるかと騒ぎたてる。これって本当に次元の低い話だわな。大義が全く感じない世界にカメラを構えてどうするの?。
 150人にもなるというグループの人間が彼をどうみるか?ホンネを言う人間はいないかもしれない。それでいいじゃないですか。実態が分かればね。そんな議員は自然に消えますから。(形而上学的政治実態論?)
 さて日本の衰退をくい止める方法がありますか?大義無き繁栄の幻想とでも言えば良いのでしょうか、人間の幸福とは何でしょう?この価値観が定まらない中で何をどうしたいのでしょうか。そこに大きな問題があるのです。
 これは自分自身の問題でありましょうが、その自覚と責任が薄くなった。これこそ幻の繁栄を謳歌した後の虚脱状況と言えませんか。
 ならば個人主義に徹すれば、全て良しとなりうるか?他人の事など構っていられないという人ばかりになったら・・・・どうなりますか。このバランスをどうとるか?この舵取りと方向付けが菅総理に委ねられた。大変でしょうがそのように私は思っていますね。
 一方、今の野党にそれに変わるアイデアを感じないのです。この期に及んでも「政治とカネ」しか与党を攻めるカードを持ちえない。これが実に滑稽なんですね。自民党の皆さんが糾弾すると自ら懺悔しているように感じてしまうのです。本人はその自覚はないのでしょうね。自らは浄く潔白だ!当然そのように思っているからできる。でもね民意を動かすような議論にまではならんですよ。全く後ろ向きな議論だもの。
 どうしても危機感を感じないのであります。自らの事は棚に上げておき、相手を非難する。古典を持ちださなくとも赤子でも分かる諌むべき”道”でしょうよ。
政治が綾取りゲームになっている。相手を困らせることばかりに智恵を絞っているように思えるのは天の邪鬼の私の性格だからですね・・・きっと。
 

1498:ワールドカップ

いよいよ始まった南アフリカでのワールドカップ、果たして日本代表の活躍はどうか?早くもお隣の韓国はギリシャに2−0で勝利した。最初の得点は鹿島アントラーズに在籍する選手、嬉しかった。アジアではやはり韓国が随一の実績と実力がある。ヨーロッパで活躍する選手も多い、互角に戦う姿は逞しい。身長のハンデイを素早い動きと身体機能でカバーする。それと日本選手と比べて戦う気力の違いを感じた。日本選手はどうもテクニックに走る傾向が強いんじゃないだろうか?
 私も若い時にサッカーをやった。だから、どうしてもテレビを見てしまう。
 南アフリカは治安が悪いとのもっぱらの評判、何も起こらなければ良いのだが。北朝鮮の代表に日本のJリーグで活躍する選手がいる。スポーツに国境なし。地球上に紛争がなくなれば、世の中が随分変わると思う。
 南アフリカは発展と荒廃が同居する。アパルトヘイト・・・94年にこの人種差別制度は廃止になったが依然として残っているという。2割弱の白人が大多数の黒人を隔離してきた。
 この主な原因は、ダイヤや金といった豊富な鉱物資源である。紛争が絶えない地域には必ず埋蔵される地下資源の争奪がある。豊かさ?欲?略奪?貧困?酷使?差別?暴力?戦争?・・・・・
 日本が初戦で戦うカメルーン、決して豊かな国では無い(国民一人当たり2000ドル)。過去にドイツ〜フランスの統治を受けてきた。スポーツにおいて国の豊かさはあまり関係がない。子供たちは野原で裸足でサッカーをする。彼らの中から世界で活躍する選手が誕生する。
 日本のスポーツ全般に言えることだが、国技の相撲を始め、外国人に上位を占められているものが多い。オリンピックや世界大会で自国の選手が活躍すれば国威を発揚すること間違いない。
 さて話を変えます。より良きものを手に入れたいと思うのは本能か?
最近の若者は車を欲しがらないと言う。昔、新型スカイラインが発表されると列をなして見に行った。過去のこととなっている。
 都会では車は必要なし。経費にかかりすぎ持ち切れないという理由も大きい。それに高価な衣類も売れない。量販店で並ぶ衣類は1000円出せば御つりがくる。そんな店には客が集まり纏め買えをする。価値観が変わった?
 日本には物が溢れている。見るだけで食モタレする。多分、どこの家でも箪笥に仕舞いこまれている衣類の始末に困っているのではないか?一度も袖を通さずに衣替えする服も多い。これだって車の高額な維持費と同じ。洗濯に出し、来年に着ようと箪笥にしまったは良いが越年する衣類がどれほどあるか。
 だから1年だけ着れば良いと思うのは当然だ。洗濯代を考えれば、そのお金で新しいものが買える時代となった。
 リサイクルではない新品を購入することができる。
 日本の舵取りで一番難しいと言われるものに経済政策がある。先進国で長年デフレ状況が続いている国は日本だけだと聞いた。町を車で走るとシャッターを下ろし店じまいしたものが目に付く。特にガソリンスタンドやコンビニが多い。
 いずれも車社会で道路脇に急速に増えた業種だ。今、スタンドとコンビニ合体型の店が増えている。これも新たな展開だ。しかし、初期投資分だけ元を取れるだろうか?
 コンビニの衰退を予期できたものとして、賞味期限切れ食べ物の廃棄。これは製造する者にとっても販売する者にとっても納得のできないことだった。ここに今の日本の深刻な事情が伺える。物が無い時代に育った私達は食事を残すと親に叱られた。いま、賞味期限の物が売られていたら、もの凄い苦情が店に殺到する。充分食べられるものですら食べずに不満を言う時代となった。”奢り”だ。必ず罰が当たる。物を大切にしようとする考えが薄れ、相手の非を責める。
 火曜日に四国に行く。道路脇に置かれた食べ物、今も有るだろうか?昔私が遍路した時に、道端に置かれたミカン、その脇に張り紙があって、『お疲れ様、お一つどうぞ』と書いてあった。
 お接待すらできない時代になってしまったならば、この日本がいくら経済大国を維持できたとしても大いなる者は許してくれないと思います。

1499:梅雨入り

関東地方も梅雨入りしたようだ。今朝早くよりまとまった雨が降っている。例年と比べ1週間程遅いと言われる。
 昨日は、種蒔きしたコスモスに水をかけた。長い事、雨が降らずぐったりしてきたからで、梅雨入りが間近と判っていてもジョウロで何度か水かけしておいた。梅雨入りが早いか遅いかや雨量の多い少いは受け止め方が違う。農業に関わる人にとっては、恵みの雨に違いない。私のように俄か思いつきで四国遍路を明日から行う者にとれば、少々の雨ならば歓迎だが予報ではそうでもなさそうだ。この時期に企画すること事態が間違っていると言われれば返す言葉はない。新年度が始まり、決算も終え、一通りの会合も5月で終了、7月になれば寺が忙しくなる。梅雨時期が比較的自由が取れる。何せ布教師総会で公言してしまった張本人としては引くに引けない。余程の事で無ければ連絡無用と歩き遍路に行ってくる。
 こんな事を言われた。「遍路して何かが変わりますか?」別に今更変えようとは思わない。格好付ければ自分を見つめるとでも言いたいのだが。それだけの話だ。
 2泊3日が精々取れる時間だとすれば、今年の内に少なくとも後3回は行かないと愛媛(伊予)全ては成満できない。ここ数年、法制度や政治のゴタゴタに振り回され、正直嫌になった。何もかも放り出し、誰も知らない所に行きたいなどと贅沢な事を夢見ている。念ずれば花開くではないが思いを持たなければ、時間はドンドン過ぎて行く。
 このような思いに至った理由はいくつかある。親友が体調を崩した。それも同時期に二人の友である。彼らとは本音で話ができた。お互いにライバルであり、良き理解者・支援者である。その事が大きい。
 人間は大きな事を言っても所詮は見よう見真似の生き方である。1っ歩進んで2歩下がる。これで良いのか?良いんだよとの自問自答。先人は大いに悩めと叱咤した。『人間は努力する限り、迷うものだ』当にその通り。時代に関係なく様々な模様を描きながら。
相も変わらず政治への疑問を書き連ねます。正直どうでもよい事で期待すれば裏切られる事は分かっている。宮崎県で起こっている口蹄疫の問題、今の処は宮崎だけで他県への感染拡大は出ていない。余程、関係者が注意しているからか、県境の道路を通行止め、果たしてこれで防げるのだろうか?
 菅さんが昨日だったか宮崎を訪れた。鳩山さんと比べれば行動が早い。しかし、彼は副総理だった。閣内で検討されていたことを知らないはずは無い。多忙?担当者では無いから?そして彼が言った言葉、「国家的危機」
 しかし、ある方がコメントしていた。「彼らは言葉で言う程、危機感を持っていない。如何に選挙に勝つかだけしか頭にない。」大変失礼だが私も同感だ。
 ワールドカップの熱戦の火ぶたが切られた。先の日本チーム監督だったオシム氏のコメント。今回スロベニアがサプライズを起こす可能性が大きいと。彼のサッカーに賭ける情熱は凄い、脳梗塞で監督を降りた後、また公に出て来れるまでに復活、そして鋭いまなざしで日本チームを見つめる。
 スロベニアは旧ユーゴから独立した人口200万足らずの小国、予選では大国ロシアを負かして選ばれた。
オシム氏が何故、その小国の活躍を予測するのか、彼は胸を叩く動作で答えた。「ハート」(気骨)だという。選手誰もが国の代表だという思いで結束しているという。日本は60倍の人口を持つ国、そこに一番何が欠けているか!「ハート」だ。
 その原因が日本を動かす政治のトップにあると私は言いたい。座を射止めることが目的で、そこで何をしたいのかという気骨が見えない。人気途中で投げ出した総理経験者全てに言えること。せめて総理の座についたもので途中で挫折した人は国会議員を辞するべきでしょう。国会の最後尾の席でいつまでもいるべきではない。これこそ最大の無駄で後身に譲るべきなんですよ。
 「政治生命をかける」なんて御託を並べ為さんな!ここが決定的なスロベニアとの違い。前オシム監督の眼に狂いは無い。
 

1500:よくやった!

日本中が昨夜のサムライジャパンの勝利に酔っている。私は正直に言おう。その時間は寝ていた。頭を項垂れ、岡田さんの敗戦の弁を聞きたくは無かった。それがなんと、本命のストライカー本田が決めた1点で勝利した。2時過ぎに気になってラジオをかけて分かった。よくやった!
これで岡田監督の落胆の顔を見ずにすんだ。勤勉力行そのもので、運が悪いのか彼はいつも結果が出せなかった。本田は23歳、若い。他のメンバーが30歳、スポーツの世界では頂点を越した選手が多い中で若い彼が得点したことは、これからの活躍に期待できる。それと今回の試合では守備が良かった。
 「腐らずに前向きでやろう」と選手全員が一丸となり、其々の役目を果たした結果だったと言える。
ここのところ言葉が一人歩きし、ことごとく裏切られてきた思いを持っている日本人にとっては、久しぶりにスカッとする出来事だった。
 政治家も見習ってほしい。国会は何か不完全燃焼で地に足がついていない感じ、昨日の代表質問で一番迫力があったのはみんなの党の渡邊代表だった。少数党のため残念なのは質問時間が少ない。谷垣さんの質問は足が浮いた感じ、なんで?
 またしても菅さんを攻めきれない。多分、自民党で誰が壇上に立っても同じだ。自らが大敗北した傷が癒せていない。離党の流れは小休止したものの、ハッキリ言って今のメンバーで政権を取る力はない。
 冷めた目でみると、巨大化した民主党の内部崩壊を待つというのがホンネではないだろうか。
 世界に通じる政府を樹立するには、1年も持たない総理では無理、ならばどうしましょう。
 言った事はヤレと言いたい。できなかったことは謙虚に認め、明確な目標を掲げて歩め。この姿を閣僚の全員が見せれば国民は貴方達に時間をあげるだろう。
 事の真偽はわからない。でもなー、昨日の代表質問でも某大臣の事務所経費への疑惑が出た。いつまで同じような事をやっているのだ。少女漫画を経費で落としていたという。なんと低レベルの議論だ。情けない。その位自分で買えよ。即刻責任をとり、辞めるべきだ。モラル以前のプライドの問題だ。
 国会での壇上に並ぶ大臣の顔を見ていると、どうしても熱気を感じない。逃げ腰に見てとれる。
 この国をどうにかしようと考える以前の資質の問題で、大半の議員が政治を飯の種にしている政治家と成り下がった。
 幕末のリーダーで、「金は要らない、名誉も要らぬ。事を為すために命もいらぬ」という人がいた。その人がいたからこそ成し得た大政奉還。これは実際に140年程まえにこの日本で起こった事だった。
 今の政治を見ていると「金はいる。名誉は勿論、命は欲しい」型の人間がウジャウジャ。
 これではなー???と独りごと。喝・・・・・!

1501:四国報告1

15日〜17日、大急ぎで伊予の国(愛媛)の遍路をしてきました。
 上記のスナップは編集が不味く、誰だか分かりかねますが、一応ポンチョを着込んだ私であります。何せ梅雨の真っ最中ですから覚悟はしていました。最初の日はご覧の通り、全く雨が降りやまず、しかし、気温が高かった為に雨が心地よかった。2日目は30度を超える気温で晴れ渡り、此方の方が辛かった。
 結局、あと3回は行かないと愛媛を全部廻ることはできない。果たして今年度中に約束を守れるか否か?やりますよ。
 大分、四国遍路の本を買い込みまして、コースを練ったのでしたが、途中でそんな事はどうでもよいという気持ちになりました。
 どうも私の性分です。拘りが強く、本来、仏教ではその点を嫌がり減らすことを薦めるのでありますが、イマイチ駄目ですね。良く分かりました。
 10年ほど前に一度、88か所を全て廻っているのですが、その時は車でしたから、殆ど記憶に残りませんでした。ですから今回は歩き遍路ということに・・・・・・。
 普段は気づかないことがヒョンな事から浮かんだりします。道を尋ねるにしても、家の中からワザワザ出てきて指さして道順を事細かに説明してくれる方がいました。自転車で追い抜いて行った伯父さんが「ごくろうさま」と声をかけてくれたり、中学生が「もし、分からなかったら、また聞いて下さい」・・・・一つ一つの遣り取りが心の温もりとなりました。
 また、四国は丁度田植えの最中でしたが、関東と比べれば遅いように思いました。あまり大きく無い水田は、水路が縦横に走り、そこを流れる水の多い事に驚きました。綺麗な水が勢いよく流れ、せき止め淀みになっている所には沢山のメダカ?が泳いでいました。
 田んぼに余り消毒薬は使用していない事が分かります。また、四国は溜池が多い事で有名、至る処に人工的に作られた池がありました。
 海から直ぐに山になる地形が多いところで、山の斜面はミカン畑になっていて、長閑な雰囲気を感じます。
 今回、廻った札所で私の寺と同じ宗派の寺が何ケ寺もありました。檀家寺とは違い、遍路客の対応が大変そうで納経所には寺の奥さん?が居て対応してくれています。どこの寺も整備が行き届き、私としては多少焦りを感じました。
 シーズンオフなのでしょうか団体客は少ないように感じましたが、個人遍路は何人も見ました。小さなバンに蒲団を乗せご夫婦で廻っている方もおりました。
 便利と不便は背中あわせです。携帯電話に何本も留守電が入り、途中、またもや悔みが入り、葬儀屋さんと日程の打ち合わせ、塔婆を頼まれたのを忘れてきて怒られたり、どうも現実は難しいということも痛感しました。
 途中、一茶や芭蕉の気分を味うべく、句をつくりましたが書きとどめなかったせいで見事に忘れました。
ああ・・人生悔いなしと言うにはまだまだ苦労が足りないようであります。もう既に次回の計画を立てようかと思案中、贅沢のようで気がひけますが。
 

1502:遍路効能

本格的な梅雨入りとなったようです。雨空で今にも降ってきそうな朝、蒸し暑くなるとの予報でした。
 家に戻り、瞬時に現実の世界に引きずりこまれてしまいました。食卓には何枚ものメモ書きがありました。一応電話で確認すべき事は全てOK.葬儀が入り、その段取りも終わりました。今日は法事がありまして、白衣を着ながらPCを打っています。
 学園の仕事もややこしい許可絡みの用事が新たに出てきました。実際に自分がやる事ではないのですが、気を揉む事が増えました。
 斯様な生活にどうも頭が付いていきません。切り替えが上手くいかない。体力知力の衰えか!
 別に何らかの作為があってワザワザ四国まで行ったのではありません。その事を何度も自分に問い質しています。
 ワールドカップの戦いも其々のグループで番狂わせがあり、白熱してきました。日本チームはこの後どのような展開を見せてくれるでしょう。寝不足になる日が続きます。昨日は夜、水戸で小宴があり、電車で行きました。帰りの10時近い電車に高校生が何人も乗っていました。彼らはクラブ活動で遅くなるのでしょうか?大きな運動バックを抱えています。この時間まで練習では御苦労さまです。
 大人たちの大半がアルコールが入っているようで座席から今にも落ちそうに寝ています。お父さんお疲れ様です。
 そんな風に車内観察をしていたら、いつの間にか自分が寝てしまい危うい処で神立駅を乗り越してしまいそうになりました。出て歩いてばっかりいるから、多少疲れが貯まっているのかも。
 我が家のハナ、彼女も疲れがでているようで昼間も寝てばっかり、夜遊びに出る気力も無いようです。それに毛が抜け変わる時期になりましたから、部屋中猫の毛が飛んでいます。冬は丸丸太って苦労が足りないと思ってチョッカイを出したくなったのですが、毛が抜けたハナは急に老けたように思えて愛おしくなってしまいます。
 これが遍路の効き目かな?一歩自分を引いて見る目ができました。さていつまで続きますか。
 今年はエンジンがかかりません。いつもならばもう施餓鬼の準備に入る時期ですが、一向にその気になれません。
 明日は私が大変お世話になった方の偲ぶ会がまた水戸であります。94歳まで長生きされた方で最初は20名位の予定でしたが結果は40名を超す人数が集まってくれるようです。私も発起人の一人として通知出しなどをやりましたから、嬉しく思っています、ただ天気が気になります。
 人との繋がりを大切にしていく。結局は私達は一人で生きて行く事はできません。食べ物一つにしても自給自足などとてもとても。電気だってそうですよ。普段、気がつかない事ですが生活全てにおいて”御蔭様”で成り立つわけでしょう。
”お陰様””お疲れ様”・・・・いいですね。この気持ちを失わずに生きたいものです。
 遍路で気づいた事ですが、いかに普段歩く事が少ないかです。2日目は暑さと足の痛みで相当参りました。
 御詠歌の声がどこかで聞こえたように感じました。強いて遍路の意味を見出すとすれば不便と正面から対峙するとでも言ったら如何でしょう。

1503:親の願意

「ここを利用されている子供たちの親で自ら死を考えたことの無い人はいない。。。」
 6人ばかりの小宴の席、お酒が一通り廻り、1時間ほど経った時にそのような話題になった。死ぬ気になればなんだってできる!現実は決してそうではない。障害を持つ子と一緒に地域で生活をしていくためには、相当の支援がなければ無理だ。入所施設に入っている親達は、それを諦めてしまったのか?決してそうじゃないと私が言っても駄目だ。育成会の会長は、その事に関して一言も話さなかった。それよりも、74歳になる今、この子たちと一緒に出来る仕事を考えている。それも障害年金と合わせれば生活できる工賃が得られる仕事だ・・・・。
 国の推進する施策として工賃倍増事業があった。事業所へコンサルタント費用を助成し、業務改善をしながら働く人達への給与を今より2倍にしようとするものだ。関係者の大部分は、月1万円にもならない工賃を2倍にしてどうなる!と本気で取り組まなかった事実がある。私の施設では1年間コンサルを頼んだ。結果は倍増に至らず、四苦八苦している。
 似たような事業の名称で、かつて池田総理の所得倍増計画?で日本中が湧き上がった時もあった。障害者の働いた対価がなんと月1万円。GDPで世界のトップクラスを占めてきた日本の実態がこうだったという事を知らしめるには効果があったかもしれません。
 否、関係者位しか関心が無いし一般の人にとってみればどうだって良いことだった。こんな中で在宅の親達と入所施設を利用している親達のギクシャクした関係が続いた。その間に挟まり我々事業者は悩み続けてきた。
 今回、尚恵学園が国の事業の県枠3施設の一つとして工賃倍増好事例施設としてリストアップされた。名誉なことだと担当者に申請書類を渡すと、「ウチでは無理だ。断ったら」と言われてしまった。少々専門的になる話だが、就労継続B型事業というものは利用者10人に対し1人のスタッフで行う事業だ、それで何が出来るかという実態を訴えてきた。
 今の状況は確かに生活の支援をしながら作業を行う。トヨタ方式の徹底した能率主義とは全く縁遠い世界だ。その中で得た収入から工賃を賄う。理想と現実に大きな差が生じる。私はその辺の事を充分承知した上での話である。
 多分、国は事業効果を確かめ、成功事例を抽出して関係者への啓蒙を図る目的だ。いつもの国のとるパターン。
 厚労省も少しずつ変わってきている。ただ、我々としての言い分はある。その本音の部分を取り上げるまでには至らない。その場凌ぎのオンパレードは増えました。
 親の願意に関しても千差万別、残念ながら昔と変わらず障害者が生まれる割合は減らない。若い夫婦が我が子の誕生間もなく、医師から障害の疑いがあると告げられ途方に暮れる状況は今でもある。そんな時、相談できる充分な体制が有るようで無い。充分という意味は継続して相談できる場という意味である。子供手当が云々され、現政権の新たな公約にその辺の変更が触れられているとか?
 健常に生まれた子供への支援すら満足でない日本で障害児問題のサポートは少数派ゆえに充実しない。
 新聞の片隅にソニーのCEOの給与が8億円という記事を見つけた。目を疑った。以前のソニーではなく、外資が入りトップは日本人ではない。その金額が日本人の感覚では理解できない。少なくとも私には。???ドリームとかいう言葉が一頃流行ったのを思い出した。
 比較するのも可笑しいのだろうか?現実にこの日本で起こっている事が過去の常識では計れない事が増えた。タイムスリップすれば尚恵学園が産声を上げた昭和30年代前半は、本当に何も無かった。今は雲泥の差、だから我慢しなさい。この言ってはいけない言葉を何度自分に言い聞かせてきたことか。関係者の声が届かない?
 何故か?障害を我が事として考えない精神風土が日本にあると思えて仕様が無い。宗教でもそうだ。あまり言いたくない事だが宗教家が動かない。
 輪廻転生をどう捉えるか!今の日本で前世の因果で現世の苦があると本当に信じている人がいるのか?本気で否定することもしない。
 四国遍路をしてきたばかりだからかもしれません。様々な葬儀の有り方が出てきている。樹木葬や直葬、これが駄目だとは言わない。この国の怖い処は長年の精神文化(マイナリテイを抑える)が根っ子にあって、犯罪加害者家族への蔑視や自死者への世間の眼が冷たい。そしてその事がより強くなることだ。宗教特に私の場合は仏教だがこの変の問題を真正面から立ち向かう態勢は正直今の宗教界には無い。親の願意は”安心”である。

1504:合縁奇縁

人は不思議な縁で繋がっている。私は正直ホットしています。昨日は私が大変お世話になった中村澄夫先生の偲ぶ会が水戸でありました。2カ月ほど前から準備して、予定より多くの方が集まってくれました。どこまで声をかけて良いのやら迷いましたが特別に縁が深かった人にしようということになり、また悩んでしまいました。
 場所は最初から決まっていました。毎年恒例の先生を囲んでのマージャン大会を行う湯泉荘、大広間も精々入って40名程ですからその人数が限度。
 人間の繋がりは、不思議です。合縁奇縁と申しますが、どこでどう繋がったのか話を聞いていて驚くことってありますね。初めて会った方が実は親戚だったなんてことがあります。そんな懐かしい一時が持てました。先生のご冥福を祈ります。
 私は有りがたい事ですが多くの先輩から教えを頂きました。酒は飲めないのですが、宴席は大好き最後まで付き合うクセが付きました。私も今年還暦です。果たして若い人にとって良きアドバイスができるか?とてもとても恥ずかしい次第です。
 失敗から学ぶという姿勢を持ち続ける。これが一番ですね。そして他人のせいにしないこと。このことは常に心してきたつもりです。これだって先人からの教えです。
 さて、7月にまた外国からのお客様を迎えます。中田先生との縁ができてからJICAからの研修を受け入れています。今度もアフガニスタンから20名程の研修生を受け入れます。特別支援関係者達です。いま大統領が日本に来ているそうですが、国情は大変な状況かと思います。
 前回来られた方達とは違うと思うのですが、去年の方達はお礼にと全員でコーランを唱えてくれました。
これもお国柄の違い?もしも私が外国に行き、お礼にとお経を読んだらどうでしょうか?想像だにしていません。日本人は定番の挨拶で済ませますから。
 世の中が一体どうなるのでしょうか?これは平和?慣れした日本人の発想です。現に紛争が至るところで起こっている国で瞬時たりとも身の危険を感じなかったことはない。そのような状況下であっても、人は障害者への弛まぬ取り組みを実践しているのです。何故でしょう?どうしてそんな事が出来るのでしょうか?
 もし、日本だったらと考えます。多分、後回しにされるのが関の山であろう。これこそ人間の生き方、道の問題であります。どうも自分さえ良ければそれで良しと考える人が増えたように思えてなりません。
 人間はお世話になった人へのお礼の仕方は千差万別、中には踏み台にして偉くなれば良いと思う人もいる。
 ここに大いなる疑問を持ちます。自末得度先度他の教えは日頃の行いです。大乗仏教の根本の教えと言われています。我先にと考える人達が多くなり過ぎた社会は不幸です。そして危険です。
 私は政治は嫌いですが、関心は持っています。選挙戦に入りましたが、どうも盛り上がりを感じません。焦点がボケています。枝葉の政策をどうのこうの競い合っている場合じゃないでしょう。
 この国をどの方向にもっていきたいのかが、各政党の主張から感じません。良いとこ取りが多すぎます。
 このトップに託したいという人間が見当たりません。この辺で我慢するか?という思いが長過ぎた。正直私はそのように受け止めています。アフガニスタンの人達の眼の色を見ると真剣さが全く違います。鋭さを感じます。殺気といえば語弊がありますが、必死なのです。だから中途半端な対応はできない。そう思っています。
 

1505:澱み

”澱みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて・・・・”(方丈記)
 ビーバーはせっせせっせと枝を集め川の水を堰き止めるほどの巣を作る。川の水は流れが止まると絶好の魚の住処となるが、外からの新たな水が入らなくなると魚さえ死んでしまう程、水の汚れは進む。
 相撲界の野球賭博の問題が騒がれている。少し前に起こった桟敷席の問題も同根だ。貴乃花の理事就任でのゴタゴタも然り。相撲界の体質が一挙に表に出てきた。力士の後援者を”谷町”という。この語源は明治末年の大阪谷町筋の相撲好きの外科医が治療代をとらなかったことからだという。
 日本の国技である相撲で関脇から上位を外国人に多くを占められている。この実態と問題が一気に表に出されたことに関連が無いとは言えない。
 相撲道が本来の姿から脇道にそれてしまった。
 私が気になるのは、むしろ自ら申告する有り方である。時代の流れであろうか?少し前に政治家の事務所費問題が取沙汰された時に修正申告する議員が急に増えた。
 罪の軽減が目的なのか?どうも日本では知らなければOK!いざ雲行きが悪くなればみんなで申告しようと言う風潮があるのではないか。
 それに対して業界内部の対応がいずれも後手後手で甘い。皆さん同じ穴のムジナですか?
 名古屋場所を中止するか否か?止めれば90億の損失云々・・・・でもね!ここでハッキリした判断が取れず場所を開いてどうですかね。仮定の話で恐縮ですが、審判委員の親方が賭博をやっていましたとなった場合だって有り得るでしょう? 判定する者が判定される?????
 この状況は相撲界の問題だけではありません。飛び火しますからね。管轄行政機関の文部科学省だって判断次第では選挙に影響しまっせ。また誰かに責任をなするおつもりですか。
 スポーツの世界も政治とカネのルツボとなってしまったのでしょうか。折しも南アフリカでは日本チームが善戦していますよ。
 方丈記に出てくる”うたかた”とは泡沫と漢字では書きますわな。はかなく消えやすい事の例えでしょう。かたや伝統と言うもんは長い間受け継がれてきた風習・制度・思想・芸術などなどのこと。そして大切なのはその中心をなす精神的有り方です。
 その有り方が危機に瀕しているんだわ。
 先の話ではないが、どこだってやっているだろう式の弁明が蔓延っている。先ず国のトップリーダーが自ら範を示すこと、これでしょうね。保身ではなく潔い決断。それが武士道では無かったでしょうか。
 そういうお前はどうなんだ?
”裏を見せ表をみせて散る紅葉だーよ!”このバカタレめ。
 

1506:委縮社会

医療の世界で医師が頑張っているにも関わらず、医療事故やそれに伴う訴訟などが起こり難しい患者を拒む現象が起こる。その事を”委縮医療”という表現を使っている。
 いま日本が全てにおいて”委縮社会”への道を歩んでいるという話を聞いた。政治の混乱、期待をすれば裏切られ続け、愛想が尽きた国民は正直誰を選んだら良いのか分からない。その閉塞感を含めて委縮が相当すすんだ社会かもしれない。
 ここに至って目先を変えるだけのアイデアに飛びつく者はいない。その打開策として言われ始めたのが”発想の転換”。これだって何をどのように転換するのかが浮かんでこない。言葉が一人歩きしている。
 この状況を登山に例えれば、頂上を目がけて遮二無二登り、ピークらしき場所に辿り着いた。良く周りを見れば雲が立ち込め期待した大パノラマは見られず、どっと疲れを感じ座りこんだ状況が今の日本かもしれない。
 果たしていつ晴れるか分からない天気をいつまで待つべきか、早々に決断し次なる山頂を目指し縦走を続けるか?それとも今回は諦めて下山するか。先達たるパーテイリーダーが判断しかねている。
 当然頂上を極めれば見られるはずだと思った景色は雲に隠れ、苦労して登ってきた甲斐が無いと皆でリーダーを攻め始めた。でもね、良く考えてみなよ。自分の足で登ってきた事がどれほど恵まれていることか、健康な体があって為せる業。それに登る途中で聴いたであろう小鳥の囀り、爽やかな風、冷たい清水・・・・・その事はすっかり忘れている。
 日本の歩みが他国と比べ早過ぎたという反省はなく、同じスピードで更なる発展を望む身勝手さ。
 と考えれば”発想の転換”は、別に過去の否定ではなく、気づかずに通り過ぎたものに目を向け、その価値を共有することではないだろうか! 例えば、シツコくて恐縮だが歩き遍路で説明しよう、観光タクシーをチャーターして札所を廻って何になるか。そうじゃない。ゆっくり歩き疲れたら道端に腰を下ろして休む、何気なく足元に目をやると小さな花が咲いていた。その無心に咲く花に感動することは歩いているから出会える経験だ。
 頭の良い人達は計算が早い。結果を早く見たがる。だから次から次に出される政策が間をおろぬいたものばかりだ。
 少子化対策にしても然り、このままでは将来の日本の人口減少が止められない。働き手が少なくなれば国が持たない。 だから子供が多く生まれるように支援しなければ・・・・・この発想だ。
 ベルトコンベアー式の人間増産システムの発想と言う。ここに大きな実態との乖離が生まれている。家庭を持つことの意義が薄れた若者に何をかいわんやだ。
 日本の適正な人口は誰に聞いても分からない。何せ経験がないからだ。オーストラリアのように国土が日本の何倍もある国で人口は2000万足らず、一方日本には1億2千万人が住んでいる。単純比較はできないだろうが、人間の幸せをいつまでも経済指標で計ろうとすることは止めるべきだと思う。明らかなのは日本人の大半はオーストラリアを憧れる。
 その事を実は誰しもが感じ始めているのだが、相変わらず頂上に登れば素晴らしい景色が眺めると思いこんでいる。
 忙しない中で計画した山行で10回登って1回が晴れという確立だ。確かに発想の転換をこの辺で考えるのも自然の理である。気づかなかった価値の発見とでも言えばより分かり易いかもしれません。

1507:だからこそ

”習はぬ旅に流離ひつつ”という源平盛衰記の一節、身を寄せる所もなく流離(さすら)っている状況が至る所においても描ける。負の連鎖、頻発する犯罪、情報への麻痺・・・・現実に起こっている様々な事象を上げれば切りが無い。広島で起こった無差別殺人、車で構内を暴走、次々に歩行者をはねた。過去に起こった同種の事件の犯人と今回の犯人のテレビに映った顔は酷似している。無表情で焦点が定まらず、罪への意識は全く感じられないふてぶてしい態度。そして犠牲になった方のご家族の思い、誰しもが目を覆いたくなるような事件が起こる。
 繰り返されるこの種の悲惨な事件を防ぐ手立てはないのか!
 偶然だと思うが、収入1億円以上の役員の公表を義務付けた。ソニーやニッサンのトップの給与が8億円、外国のトップ企業であれば珍しい事では無く、これでも低いと弁明していた。今回の事件を起こした人間をどうのこうの言える立場にはない。しかし、同じ日本に住み、如何に能力がある経営者であっても素直に受け入れられるものでもあるまい。そう私は思った。
 ならば自分たちでやりなさいよと言われるのが落ちだ。果たしてそうでしょうか?
 私が気になるのは、当然受けるべき対価だというのであれば堂々と言えば良いだろうという事だ。なにか後ろめたいお手盛りの給与というものはないはずだから。
 ちょっと私の理解を超えている。一体8億円も給与を毎年貰って何に使うのであろうか?余計なお世話かもしれない。
 高級なワインを毎食あけても・・・・私など飲めない酒でその価値が全く分からない。精々夢を持つとしたら、もしかしたら当たるかもしれない年末ジャンボ宝くじ、当たったら即失神するはずだ。周囲にはそのように言っている。
 中国で起こっているストライキ、いずれ中国が対峙しなければならない賃金格差の改善。現地日本企業の労働争議という報道だが根の深さは日本どころの問題ではない。
 少し前に道後温泉に1泊した。止まり客の中に団体さんがいたが、言葉は日本語ではなかった。昔、外国で顰蹙を買った日本人の団体ツアー客を思い出した。
 秋葉原の電気街で現ナマの札束を誇らしげに出して纏め買いする人々と安い賃金で働く人達が同じ国の人達だ。

 だからこそ先ず自分の立つ位置を決めようと言いたいのである。情報過多の時代で周りに振り回されはじめたら際限が無い。結局は自信を失い、その鬱憤のはけ口を他に求める。
 地位や名誉、更には物の豊かさを追い求め続けていけば結果は目に見えている。マスコミも余程注意して報道してもらいたい。興味本位の内容が多すぎます。ベンチャー企業のほんの一握りの成功者を持ちあげ、誰しも努力すれば将来は明るいと煽動する。公共電波を使ったアジテーションだ。
 私のささやかな提案だ。全く違った価値観の生き方を紹介する番組を作って欲しい。私の周りを見ても広大な耕作地が利用されずに放置されている。雑草が生い茂り、定期的な除草剤散布により体裁は一応畑になっているが、これを繰り返す事で人体には決してよくないものとなる。分かっていながら繰り返してしまう。
 聞くところによれば今の若者は車に関心が薄いという。別にどんな車でも走れば良いという。こうなると日本経済を引っ張ってきた自動車メーカーは国内での需要は望めない。
 いま旧市内で夜も電気をつけ開いているビルは、学習塾、それとスポーツジムぐらい。何故こうなったかを考えれば直ぐに分かることだ。働いて得たお金で消費するものが偏っている。成熟した社会のお決まりの消費者意識であろう。
だからこそ、今が自分の立つ位置を見つける時になったと言える。これは自らの責任の下で。

1508:それ見ろ

”やったー ヨシ 良くやった!”デンマークに3対1で勝利。これで決勝Tに出れる。今朝の天気は晴れ。
 正直、私は何度もテレビを消し、祈るような気持ちでラジオに変えた。最後の瞬間はやはりテレビ、試合後のコメント、本田・長谷部・松井・・・・それに岡田監督。選手は思った程興奮は見せず冷静、しかし、良く見ると誰も目が潤んでいた。岡田監督は崖っぷち、本番前の強化試合に全く勝てない。マスコミはこぞって彼の指導力不足の不満を書き連ねた。それが南アフリカに来て一転、初戦カメルーンに勝利したことが発端。その立役者が本田、彼はご承知のように一匹オオカミでオランダに渡り、プロで活躍、今回の日本チームの秘密兵器。彼の凄さは一言で言って『有言実行』、今日の試合で3点目が実は価値がある。試合前岡崎と話したという。俺も点を取るからお前も取れよ。そして3点目は自分でシュートしても良かったのに、デフェンスをかわし、ゴールに詰めていた岡崎にパス、そして彼が冷静に決めた。
 彼は俺が俺がと言っているように思えるがそうではない事をここで証明した。
 多分、選手たち全員が勝利を皆で喜んでいるはずだ。今回のチームは前評判がイマイチだった。現地に行ってからチームの纏まりが出てきた。これは選手は勿論、スタッフや関係者の力だ。彼らには奢りは無く、下向きで且つ前向きだ。そして誰かが話していた「我々には失うものはないから次の試合にベストを尽くすだけ」
 これだよ。今の政治に欠けている事は(反面教師)。「有言実行」否「有言不実行」「失うものが無い」否「失いたくない」
 この対比は般若心経をとなえるようなもの?色不異空 空不異色。
 20歳半ばの選手達の言動に私は厳しさを感じる。結果を出せない選手は去らねばならぬ。彼らに全く2世はいない。親の地盤で選手になったものは皆無、一方、言うのも嫌だが政治の世界、先の選挙で落選したのに、また鞍替えして参議院に出ようとする。あらゆる手練手管をようして国会の席を取ろうとする、一番納得できない事は彼らは自分で言った事を途中で簡単に変えることだ。
 スポーツの世界ならば、出来なかった理由をいくら並べても退場しなければならない。それが政治には無い。保身の為ならなんでもやる式の政治にハッキリ言って私はこの国の将来は任せる事ができません。
 ワールドカップが終わったら、本田を民間から閣僚に入れるべきだ。彼のセンスは世界に通じる。今の政治家で世界に通じる人がいるのか?いません。強いて上げれば名古屋市の市長さん。好きだな!
 それともう引退され野菜作りでもやっているかもしれない福島県山祭町の元町長さん。この二人で頑張れば何かが変わる。
 参議院選の告示??どこの政党が何を言っても信用できない。これが有権者の偽らざる心境だ。
 いい加減にしろよ。アンタ達が一番の無駄なんだよ。
 それ見たことか。有権者を甘く見ないことだ。貴方達の言動を良く見ているんだから(私は政治に無関心層の人達が一番冷静にしかも色眼鏡無しに見ていることが分かった)、だってそうでしょうが、一体国会議員の先生に年間いくら使っていると思いますか?先の企業の給与どころの話じゃない。
 そこんとこを分からないのかね?今の日本の政治家で一人武者修行で外国に飛び立つ気概のある人が何人いるかね?行っても相手にされませんがね。勝利に酔ってしまいまして、本日はこれでお終い!。

1509:ズレの修正

素人知識だが”剪断応力”というものがあり、ズレに伴い、材料の横断面に互いに平行で向きが逆に生ずる応力を言うらしい。別に地球物理学を引き合いに出そうなどという大それた考えはない。
 しかし、どうも世の中が何らかの力関係で成り立っている事は間違いがない。それを証明することは甚だ困難だ。特に人間関係などは最たるもの、最近心療内科を開業されている医師から聞いた話、外科などと違い、医者の役目として患者さんの話を只管聴く、万が一、此方側から指示的断定的な言葉を発したら直ぐに察知され、頑なに口を閉ざす。治療には相当の根気と時間を要するという。
 中村哲という方をご存知でしょう。先生はペシャワール会の代表でアフガニスタンで復興支援をされている。実は急いでアマゾンから澤地久江さんとの対談集を取り寄せた。いま読んでいて感じること、まず我々がメデアを通じて知っているアフガンは真実とはズレているということだ。何十年も現地で実践されている中村医師の話は復興支援の難しさを物語る。以前起こった伊藤さんという活動仲間の悲劇、日本政府はその後アフガンからの日本人の撤退を指示した。
 いま、中村先生は砂漠化した国土に灌漑用水を引く事で作物が作れる緑の耕地作りを進めている。医療と灌漑土木、何か共通があるのか?
 それは”生きる”ために何が一番必要かという事が活動の原点だ。アフガンは近年になってソ連やアメリカの軍事侵攻により、世界で一番危うい国というレッテルを貼られた。その実態は平和な日本に住んでいては想像できない。
 このズレを修正するには中村医師一人の活動では限界がある。中東諸国が20世紀になってから常に紛争の舞台となってきた。何故なのだろうか?これも浅学の域を出ないとの批判覚悟で言えば、やはり石油という地下資源によるとおもう。そして同じ国の中で格差が生じた。中村医師が言うアフガンでの富裕層は、海外からの援助が微妙に絡んでいるという。本当に支援を必要とする人達に届く前に誰かが取ってしまう。ここにも力関係がある。
 さて、何故いまアフガンの国情を俄かに勉強しようと考えたか、7月にJICAからの要請でアフガンからの研修生を受け入れる予定だ。これで2回目になる。特別支援教育に関わる人達が日本の援助を受け研修にきている。そのコージネートを筑波大が行っていてヒョンなきっかけで我々が施設現場として受け入れることになった。
 前回は皆さんがお礼にとコーランを唱えてくれた。中村氏の話の中に、アメリカがコーランを的に爆撃したというものがあった。もし、日本で神社仏閣を目がけて他国から爆撃されたら日本人がどう感じるかと澤地さんに逆に質問した箇所があった。
 イスラム教徒がテロと一体という考えをもっている人達もいるかもしれない。彼はハッキリとそれを否定する。
 本の中で自爆テロに関する部分があり先に読み進めなくなった。決して全てでは無いが身体に何らかの不自由を持つ人が自爆テロで自ら命を投げ出す事例もあるという部分だった。
 7月に来られる20名の方に私は思い切ってこの本のこの部分を問うてみようと思う。
 しかし、良く読んでいくと、何か私の最初の印象とは違う。障害を持つ人だから犠牲になってもという考えはアフガン人にはないという。むしろ逆で一人の人間として健常な人となんらの差別がないという見方であった。
 この意識のズレは日本とアフガンの決定的な違いだ。否、障害福祉を戦後のドサクサで何も無いところから始めた先人には無かった。多くの先人たちも糸賀先生を代表するような障害者を一人の人間としてみて、彼らの素晴らしさを世に訴えた。そのアクションが今の日本には無くなったと私は思っている。捻くれ者と揶揄されるか?
行動の実態が何かズレていると思うからだ。この事を言い始めると実は止まらない。しかし、源究99まで続けてこれたのは、この疑問があるからで読む人が全くいなくなっても私は続けるつもりだ。
 

1510:『寛容』の重要性

キリスト教的徳目として寛容は重要視されてきた。他人の罪過を厳しく責めず受け入れていく、更には少数意見に対しても発表の自由を認め差別しないこと。
 いま、世界各地で起こっている事件や騒動の根っ子の部分に共通する何かがあると言われている。括った見方で言うと『時代の病理』として取り上げられている事柄だ。日本では当面の課題として、医療や介護への対応の難しさがあるのは周知のこと。それをどうするか?国内問題だけではなく、対外政策として世界と日本がどう付き合っていくか。この問題は歴史的に複雑で永遠の課題でもある。
 観光医療という耳慣れない言葉を知った。日本の先進医療技術を海外の富裕層相手に展開し患者集めする。外貨を得るための一つのアイデア、遅蒔きながら徳島県で今、力を入れて誘致を進めている。しかし、他国は既に同様の取り組みは行っている。特にタイは一歩も2歩も進んでいて24時間の相談窓口、それも15カ国語の対応体勢が一つの医療機関の中に整備されている。
 果たして日本が2番煎じでこの分野に参入できるか?従来の物を売って外貨を得る手法は難しくなっている。ノウハウを外国に持っていき、現地生産を行って来た。その結果当然、製品の質が上がり、made in Japanの優位性は下がった。そこで逆の発想による外貨獲得の方法が模索されてきた。医療と観光を絡ませ、外国人を集め、地域の活性化と共に外貨獲得をはかる。島国日本の正念場がある。
 ここで日本での問題があるという。それは様々な規制と複雑な手続きがあることで、タイは政府がビザの取得を緩やかにし、スムーズに入国できるようにしているという。
 日本人の発想には、こんな時に限って変な意味での公平性が頭をもたげる。私は経済特区でもなんでもよいと思うのだが、地方や企業の持つ強みを政府がバックアップする仕組みを早く作ることだと思う。しかし、ここでも厄介な動きがある。それは業界団体、特に建設関係は根が深い、悪の温床となっている談合問題、これと全く同じメカニズムが働く。誰もが同等の権利を有するというカンブリア期の民主主義、この障碍を無くさないと切磋琢磨の技術の向上は望めない。
 その踏ん切りを政府が出来るか!
 一方、「寛容」というバランス感覚も大切だ。自国だけの問題では無く、外国と上手くやっていく為には、時に相手国への譲歩も必要だ。ハブ空港が日本に無いということで様々な問題が見えてきた。この先、利便性を求める需要は下がらない。
 国の政策として地元との協議を行ってはいると思うが、どうも決定力に欠ける。こうやって後回しになっている重要事項が政権交代という祭りごとの中で忘れ去られてしまう事だけは目を凝らして見守っていかねばなるまい。