源究8(No111〜120)

111:実践と評価 5/14 116:関ブロ準備 5/31
112:迷走する制度 5/18 117:男の約束 6/6
113:企業努力 5/21 118:チャレンジ 6/8
114:健康?? 5/26 119:正念場 6/11
115:新任研修 5/28 120:墓参 6/14

111:実践と評価

開設3年目の施設が埼玉にあります。小規模(30名)の入所更生施設。創設者の理事長は都庁にて長年勤務、定年前に退職し、多額の資金を建設に投入、今までの更生施設にはない発想で整備した。私はその理事長とは3回ほど海外にご一緒したことでお付き合いが始まった。最初の印象は「なにか変わった人」というものだった。例えて言えば旅行の準備が徹底している。旅行会社に任せる前に自分で資料を集め、必ず現地で訪問する場所を調整した。それが見事であった。オランダかどこかで添乗員を自室に呼びかんかんになって怒っている。どうしたのか後で伺うと、「お前は添乗員としての仕事をしていない・・・」という理由だった。そうかなー?更にネパールでは車で10時間以上かけて私の旅の本命であるルンビニーまで付き合ってくれた。途中マオリストの出没で大変な危険地帯の峠越え、その山の中で体調を崩し動けなくなった。これ以上無理でどこかに泊まる場所を捜そうと相談しているときに青白い顔で「よし,行こう」とGOサインを出した。彼との旅の思いではたくさんある。
 その施設は運営が斬新?なのだ。6人住まいのホームが5棟離れて建っている。それぞれが独立して生活をする。この発想は従来の入所更生には無かった。いな、運営できるはずが無いというのが大方の意見だった。その常識?を覆した。当然職員の勤務は長時間拘束になる。当直の回数も月平均15日を越える。30名の定員での入所施設はローテーション勤務ができないという問題が栃木県での事例などから私は知っている。茨城は最低50名という定員を県のレベルで決めていた。職員採用から条件を示し、その条件でよければということで採用しているからなんら問題はないとう。
・・・・・・・
経営理念としてはキリスト教の教えに基づく。先ず誰のための施設なのか!何のためにあるのか!ということを徹底して職員に浸透させていく。ややもすると施設は職員の為の施設になっている。このことへの痛烈な批判がある。会議室はなく常に利用者の中で行うミーテングは短時間。しかし、夜行われる自主研修はすさまじい。理事長が3時間話しっぱなし。教育、医療、福祉といっても福祉が実は一番弱い。どこにその弱点があるのか!と彼独特の思考でつき詰める。サービスの専門性が社会に認知されていない。だから、スタッフへの要求する課題は大きい。結果はスタッフのためになるという発想。理事長が自ら名の知れた施設へ研修に行ってはみたがいずれも実態と理念のズレが大きい、参考にならなかった。結論として一粒で自分たちがやらなければという方向で一致。
最近取り組んでいるのは、利用者の自立ということ。本来の自立の意味するところは?例えば授産工賃にしても働く人に失礼な低賃金で満足している大半の施設へ不満を露にする。パン作りに力をいれて3年目、毎年着実に成果を上げているという。近い将来パン屋を東京に展開したいとか、理事長の夢はどこまでも広がる。
 我々を業界の反面教師という見方、話していてもズバリ指摘されると反発さえできない。とにかく、一粒の実践に刺激され自らの足元を見直して歩むこと以外に対抗できる術は今のところない。

112:迷走する制度 未来なき福祉

4月末に障害者8団体と厚生労働省所管課長とのシンポジュームがあった。そこで出されたものが『迷走する制度 未来なき福祉』に包括される内容だったという。行政は財源不足のみに終始し、1年たったばかりの支援費制度を介護保険に組み入れるという。老人向けの仕組みで障害者の対応ができるのか。2階建ての仕組みも代案として挙げられた。老人と障害者の共通するサービスは1階部分、障害者特有のサービスについては国の財源(税金)で賄うというもの(2階部分)、しかし、具体的な内容には踏み込めない。確かに支援費制度が予測を上回る要望結果になって資金繰りに四苦八苦している。きめ細かなサービスをという歌い文句だから当然利用する側は申し込みに殺到する。居宅支援の資金がないというので市町村によっては受給を認めないところもある。茨城県は残念ながら居宅支援(ホームヘルプ派遣など)は全国でも最低である。ニーズがないというより宣伝不足と認定拒否がある。これは大きな問題だ。行政サイドの問題だけではないサービス事業所の意識;そこまでやるのかい!という傍観者的態度、そして利用者自身およびその家族の声の少なさが重複構造になっている。
 年金問題のドタバタが国会を走りまわっている。次は誰かという疑心暗鬼。本丸を攻めるまえにお堀の前で討ち死にする。自らの身を清くとは掛け声は立派、しかし、どうでしょうか。議員一人に掛かる経費が高すぎますよね。議員年金しかり、秘書の経費,後援会の資金集め。これらが疑惑の根源。黒塗りの車が永田町を走る、これが先生と言われるステータスシンボルですか。意識が低い、国民のためとはいっても大半の国民は自分のためだということは当に承知しているんだから。茶番劇が多すぎるよ。投票率が軒並み低下している原因は選ぶ人がいないからでしょう。もう政党もなにもないガラガラポンで議員を選べばよいと思う。高度成長期の族議員や2世議員の出る幕じゃないでしょう。2025年には人口バランスが変化する。老人人口もピークに達し、それ以後は老人の割合が減っていく。これは国の統計より葬儀屋さんの読みである。実はこのほうが情報としては正確なのだ。国の報告には経営責任がない。見通しがない。責任がない。そうでしょうよ。今の担当者はみなさん年金生活になっているもの。嫌な世の中になったものだ。
愚痴を言っても始まらない。それじゃどうする。自ら動き出すより方法はない。どうやって?淡々と秘策をねっているがそう簡単には公表できないよ。
 今人気の養老猛司さんが書いていた、「自分はグランドを周回遅れで走っていた。いつの間にかどこが先頭だか分からなくなった。気づいたら周回遅れの自分が先頭になっていた」これは大変参考になるんですよ。だってそうでしょう。福祉の30年をみても分かる。ホテル並みの老人ホームより木造の一般的な住宅が良いんでしょう、地域福祉なんて今更騒がなくても昔は地域に充分その機能があったでしょうが!

113:企業努力

知り合いがお産で入院したのでお祝いを届けに取手協同病院へいった。私は初めて行った。とても感じの良い病院という印象を持つ。廊下が広い。整然としている。明るい。という設備面の良さ。それからスタッフの動きがテキパキとしてすばやい。すれ違いに向こうから挨拶を交わす。ごみがない。などなど。初めてのお産で何かと不安だろうと思ったが本人は同じ病室の人と打ち解けて話してとてもお産の不安などを感じなかった。待合コーナーには自由にお茶が飲めるようになっていた。その脇にはアンケートを書くコーナー。何か患者さんの気持ちになって細かな配慮がされている。何気なく掲示板に目をやると、そこには患者さんからの声(アンケート)に対する病院側の回答がかかれている。内容は患者さんからの感謝の手紙から苦情に至るまで広範囲なもの。しかし、苦情については「回答」として病院でどう対処したかということが書かれてあった。あ!これだ!例えば『看護士さんはとてもよかったのですが、窓口の担当者の対応が不親切だった』という苦情に対して『たいへん失礼しました。患者さんは病気で来られているのに分かりやすく説明できない窓口ではいけません。早速医局と事務方の調整を行いました。以後気をつけて参ります・・・・』といった内容であった。苦情に即対応する病院側の姿勢が読み取れる。今までの病院は診てあげているという思いが見え隠れし何気ない患者さんへの対応に誠意がみられない。アンケート用紙などは用意されて書くこともできるがその結果どうしたのかが全く分からない。病室のトイレには検尿の容器やオムツ入れのバケツが無造作に置かれ用をたすには今一快適とはいえない。病院のスタッフに一言でも文句をいったら大変だという思いがどこかにあった。このような不満があったことも事実。
 取手協同病院は茨城県でも優良病院の中でもトップクラス。日本経済新聞の調査で全国600ほどの病院でサービスの良い順位で40位以内に入っているという。そして、その情報と併せて20位以内を目標にしますと掲示板に書かれていた。
 これこそ、企業努力の最先端。病院は不特定多数の人の出入りがある。それに比べて我々は長い期間、入所施設ということでやってきたものだから外部の目が入り難かった。ここのところデイサービスなどに力を入れてきたお陰で、外部からの目が格段に多く入るようになった。当然、我々が気づいていなかったことが苦情とか疑問という形で私の耳に入るようになった。そのような折、また埼玉の知的障害施設での虐待(?)事件が問題になった。資料を取り寄せて調べてみて唖然とした。いつ、尚恵学園に同じ火の粉が降りかかるかわからない。恐ろしいことだ。その報告書には死亡事故(病死)そのものよりも毎日の実践や利用者への対応が問題ということが挙げられていた。理事長の家族に対する抑圧的態度や誠意不足だ。この不満が一気に噴出した。今の時代本当にこのような状況があるのかどうか。ここは原点に立ち返り足元をよく点検する必要がある。施設の企業努力はまさに今の時代に生き残りをかけて必死に努力している民間企業が手本になる。また、その対応によっては当然責任を問われる時代だ。

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114:健康??

知っている人が亡くなるのは何となく嫌なものである。自分自身の年齢から知り合いの亡くなる割合は当然増えている。60歳前で亡くなった場合、早かったなーと誰しも思うところ。本人だってそうだろう。これからという思いがあったはず、死の準備などしていない。畜生!もう少し生きたかったなどと喚いてもダメ。それに残された家族も大変だ。そこで日ごろの健康管理という話になる。だけど妙なことに最近若くしてなくなった方は人一倍自分の健康には注意していた人だった。そうなるとどうすれば良いの?という話になる。
そうだな。迎えが来るときは来るときさ!なんて悟ったようなことを言っても内心は穏やかでない。得てしてそんなものだ。私はこのように考えている。
 いずれお迎えが来るのは確実、それまでに何をやっておけるかという事。そこで雑記ノートなるものを付けている。
これには思っていることや気になっていることを走り書きしているのだ。いずれ私が居なくなった時に誰かがこのノートを読んでくれれば良い。読まなくてどこかに無くしてしまっても別にかまわない。また、何か自分に実現可能な目標を持つように心掛ける。最近の目標はゴルフ100を切ること。(ここだけの話だけれども一時はゴルフに凝ってね。70台で廻ったこともあるんだよ。自慢話その1)
 最近、物忘れ?現象がでている。人の名前などは良く出てこないことがある。それとは逆に妙に鮮明に記憶していることもある。ちょっとそのバランスが崩れてきたのか。
そして鮮明に覚えていることは、どうも自分が痛い目にあったこととか辛い目にあったことが多いような気がする。
 こんなもんだな。
 そんな時、学園の利用者さんが通勤途上でちょっとした事故にあった。接触事故で自分の乗っていた自転車が少し壊れた。怪我は無かった。それから自転車で相手の車のバックミラーを壊した。これは加害者?だ。
いずれも大事には至らなかった。しかし、これだってひょっとしたら大事故になっていたかもしれない。この辺の違いは一体どこから来るのだろう?
 そもそも人間がこの世に生まれてくる確立は天文学的な確立。(何億個の精子が卵子と結ばれて10月間何事も無く母親のお腹で育って誕生する)そう考えるとなんとなく偶然が当然という話で落ち着く。

115:新任研修

27日いこいの村涸沼にて知的障害者関係施設職員で2年未満の方の研修があった。そこで1時間ほどの講演を頼まれた。「福祉の動向と施設職員として期待されること」というテーマを与えられた。実際には何を話してよいのか、当日まで迷っていた。約100名の新人職員はどの程度の理解力があるのか皆目分からない。ましてや今の時代、
変化が激しく先が読めない。この辺の正直な話をすればこれからこの道でがんばろうと思って就職した連中にはちょっとまずい内容。しかし、今更福祉とは何ぞやといった話をしても眠くなるのが関の山。だから当日会場に着くまで迷った。
研修会場のいこいの村涸沼は昔来た時と全く変わっていた。建物や周りの環境が素晴らしくなっている。
 私が会場に着いた時、丁度大型バスが玄関に停まっていた。車椅子の方が大勢降りるところである。バスのナンバーを見たら足立ナンバーだったから東京の重心の施設か養護学校の子供たちが来たのだろう。
 ここで踏ん切りがついた。相手が私の話をどう受け止めようが実はこちら側が信念をもっていることを話せば良いこと。そして、1時間の話はあっという間に終わった。話す前の5分前に終わりますという約束をしっかりと守って昼食の誘いも断って急いで土浦に戻ってきた。
 毎年。多くの新人スタッフが誕生する。これだけ茨城県内に事業所が増えているのかといえばそうではない。何らかの理由で退職される職員がいるということだ。これからの経営を考えると人件費の支出に占める割合は非常に大きい。当然、事業所にとって長く勤めていただきたい人間もおればそうでない者もいる。私が今の職場に勤めた当時今から30年前には施設に勤める方を捜すのは至難の技だった。だから、私は辞めたくなった職員をどうにか引き止める役回りをした。妥協の押し売りである。これが今全くかわった。今朝の新聞に国は介護・医療の職場に外国人労働者を認めるか否かの検討に入ったという記事が掲載されていた。イギリスでは30年前から外国人受け入れの制度があったことを知っている。植民地からの出稼ぎ労働者が医療や介護現場の職員として働いていた。当然彼らはイギリス人より低賃金である。そして現場での重要な?ポストはイギリス人が占めていた。少子化や介護のニーズが高まる中で当然考えなければならない事は事業遂行の上で効率性の高い人の確保である。人件費を圧縮するためには安い労働者を雇うこと。これは資格制度や研修の仕組みを外国人にあったものを日本がつくれば済むこと。いずれそのようになるであろう。そこで講演の話の最後にその点を強調した。なんでも良いから自分がこの道で生きていくためには売るものを持つこと。専門性をもつこと。このことを力説したのだが如何なものか?

116:関ブロ準備

本日、つくば国際会議場にて7月1日2日と開催される関東地区知的障害者関係施設研究会の打ち合わせがあった。どうも予定の人数の申し込みが見込めない。それで急遽、県内の施設への増員ノルマがかかる。とにかくイベントは準備段階で右往左往するのは常の如し。今回も後残すところ1か月という今になって騒ぎはじめた。関東地区が順番で開催県になる。私は3回目ということになる。最初は大洗にて池田太郎先生が講演してくれた。体育館での全体会だった。2回目は同じく大洗にて筑波大の大藪先生の記念講演だった。そして、今回は大洗ではなくつくば市で実施する予定。講演は毛利衛さん。つくば市に関連のある人ということで交渉して実現の見込みがついた。
ここまでは良い。要は参加者の問題、どうもイベントは数で評価する傾向は否めない。前回が何人だったから今回はそれ以上でないとということになる。今は時代が変わった。数多くの研修会の場はあるし、旅行といっても誰もが自由に旅行できる時代。だから、慰労を兼ねた旅行気分で出張になることはない。余裕もない。そのような時に会議の企画は従来の発想でおこなう。私も企画の責任ある役目を仰せつかっているから他人事では済まされない。
去年つくば市の同じ会場でアジア大会があった。全く同じ悩みを今持っている。どこかで切らないといけない。
ジレンマである。
 後残り1ヶ月でどれだけ準備ができるのか頭の痛いところである。

117:男の約束

『よー帰ってきたの! えらい』と朝一番の挨拶。実はNさんがやっと約束通りに帰ってきたのであった。彼はこのコーナーにも何度か紹介した。フウテンの寅さん。もう10回以上警察に捜索願いを出した。結局は水戸駅周辺でいつもおまわりさんに見つかって学園に連絡され、職員が迎えに行って帰ってくる。今回は違った。「赤塚のサウナに行ってもいいかな?」と最初に私のところに来た。「寮長に話してからにするんだよ」「うん 分かった」これはいつものパターン。私と寮長で仕方が無いよ。また帰ってこないかもしれないけど行かせてあげようや。ということになった。それが約束の夕方彼は自分で帰ってきた。『お早う』と彼からの挨拶。「あれ。帰ってきている?」正直嬉しかった。初めて約束通りに自分から彼は園に帰ってきていた。
このような仲間がたくさんいる。毎日がハプニング。明日、退院が1週間遅れになったIさんが病院から戻ってくる。階段から飛び降りて顔面で着地したIさん。4人体制で病院に職員が張り付いた。本当によくやってくれた。頭が下がる。今朝、石屋のMさん『こりゃーブクシ。巨人かったぺーな;ざまーみろだ』とかいって意気揚々としてやってきた・『ははん。また負けるよ。心配すんなよ』『また、いったなー  ブクシ』
なんでもない気取らない日常の生活がそこにはある。
 小学生の殺人事件や国会の珍事にもう何がなんだか分からない。そんな時、癒される彼らのいきざま。これが本来の人間の姿なんだよな。名誉や地位に拘って、たわいも無いことで相手を殺してしまう。私は今こそ本当に人間らしい本当の生き方を誰もが考えないと取り返しのつかない状況になると心配する。
 今、正直私の心の中は落ち着かない。国庫補助申請したデイサービスがはっきりしていない。OKなのかダメなのか。牛歩戦術だかなんだか知らないが、国会議員の一人に掛かる経費は年間1億円と聞いた。そんなことやっている暇があるんだったら早く決定してもらいたいものだ。もういい加減にしてくれと言いたくなる。議員年金なんか一番先にやめるべきなんだよ。年金なんか当てにしていない先生方なんでしょう。出る財布はみんな同じなんだからよ。議員の約束なんか全く当てにできない。Nさんの男の約束を見習ってほしいいものだ。一度彼らに聞いた事があった。『今度の選挙にいくのかい?』  『行くよ』と元気に答えた。この意味を本当に考えてもらいたい。なーせんせーい!

118;チャレンジ

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チャレンジ:チャレンジャー:改革:改造いずれにしても大変な労力がかかる。私は丁度5年前に今のままでは役割を果たせなくなるという危機感をもった。それから機会あるごとに『今のままで良いのか?何か違う方向を模索してくれ』と職員に訴えてきた。従来の流れと違ったことをしようとするとものすごい労力が必要だということを知らされた。何度もやめたくなった。そんな時、いつも頭に浮かぶことは初代理事長はゼロから始めたんだ。という事。お前なんか引かれたレールを走れば良いだけじゃないか!という声がした。私がこの道に入る時、親父は国立秩父学園を薦めた。1年間お世話になった。それはどんな意味があったんだろう?多分、当時の園長であった妹尾先生に学ばせたかったのだろうと思っている。その妹尾先生が私に言った言葉、今でも忘れない。『住田さんは3つの方向で何を目指しますか? 新生:現状維持:崩壊』。即座に答えた『新生です』「そうですか、でも大変ですよ」という短い会話を交わした。当時国立の高崎コロニーが組合運動ですごかった。今、そのコロニーは解体の方向で動き始めている。利用者がいるにもかかわらず。これは何を意味しているのか?単純な答えである。要はやっていることが非効率的だからである。民主主義の公平性:公共性が崩れている。このことに対してはっきりと事業者側が反対を言えない事情。時代が大きく変わった。当に妹尾先生が私に伝えたかったこと、新生という事の難しさがここにある。しかし、確実に変革の流れに福祉もシフトされた。
事業の良し悪しはそれにかかわる人間の満足度と意欲と成果によって大部分は決まる。従来の施設福祉はややもすると利用者の満足度が二の次になっていた。物を言わない人たち。家族からも疎んじられた人たち:正面からこの事実を見つめないと再度同じ間違いを繰り返す。
 今日パン工房の調整会議を行った:様々な問題が担当者から出された:このきっかけは職員のオーバーワークとお客さんのニーズにどう答えていくかという問題だった。職員の労働条件はすごい;夜中に明かりをつけて作業している日が何日か続いた:バザーが重なりその要望に答えたいという担当者の熱意:私としては黙っては見ていられない:
デイサービスで受けた利用者さんとのトラブルも調整する必要があった:これも新生という目標に向けて歩んでいる最中の出来事:熱意:家族:満足:不満:不安様々な感情が入り乱れその調整には時間を要した。真剣な話し合いだけに問題の先送りはできない:更に、デイサービスの受けいれについても新たな課題が山積している。
誰かがニーズを捜して、手を差し伸べる。この遣り取りの連続が福祉現場。国の現場を無視した政争の中、正直勝手にしろと言いたいところだが、何度倒れても立ち上がるチャレンジャーでありたい。感謝

119:正念場

積小為大:これは二宮金次郎が言った言葉とか聞いた。小さなことを積み重ねることで大を為すという意味なのか。ビーバーの事を思い浮かべる。ビーバーはせっせと木の枝を口に挟んで集め川をせき止めるような大きなことをする。今、経済界では中国バブルのことが話題に上がっているようだ。私の住む神立町には某重機建設機械メーカーの工場があって中国向け輸出で生産が間に合わないほど盛況という。北京オリンピックや万博の開催に向けての建設ラッシュが中国では起こっているらしい。今朝のニュースで中国での自動車の販売台数は400万台を突破、アメリカ;日本についで世界第3位という。日本の10倍以上の人口をもつ中国は今どうなっているのだろう。決して他国の問題だからと無視はできない。むしろ影響をもろに受けるのが隣国の日本であろう。そこで、今の中国のバブルが弾けたら悲惨だろうなと思ってしまう。貧富の差は日本人には理解できないほどすごいからだ。これは以前寺の用事で青海省に行ったときに上海経由で行ったので歴然とした格差を強烈に感じた。
 このように世界の情勢はどうなるのか先が読めない。一方日本の状況はと言えば自殺者が3万2千人を超えたという。新生児が112万人でそのうちの約3%弱が自ら命をおとす国。すごい国なんだよ。それぞれ違った理由があるのだろうが折角頂いた命をもっと大切にしてもらいたいと思う。本人はもちろん死を選ぶほど苦しんだのだろうが残された人たちは惨めそのもの、その悲しみは計り知れない。私は今までにそのようなお葬式を何度か経験してきた。やりきれない気持ちが葬儀が終わるまでずっとみなぎっている。
 人間は急激な環境の変化には上手く対応できない。これはチベットのラサに飛行機で降り立った時に痛切に感じた。高山病の洗礼を受けた。運悪く命を落とす人もいるという。エベレスト登山の時にゆっくり高度順応させて時間をかけて登る理由はそこにある。
 戦後58年が過ぎた。私は戦争を知らない世代だが、戦後復興の急激な変化の中に育った。人間は一度良い経験をしてしまうと余程のことが起きなければそのことを忘れない。それを追い求める。昭和60年ごろの高度成長の時代、世の中は好景気に浮かれ、お金の価値を見失い。随分無鉄砲なことを平気で行った。地上げとか投資といった無謀な振る舞いだ。実はその当時じっと本業に専念していた企業が今健全な経営をしているという事実があるという。これをどう捉えれば良いのだろう?だれもその点については触れようとしないが明確な経営理念とリーダーシップがあったからだ。所詮泡銭はなくなる。今それがどうだろう、大変だどうしようとウロウロしているのが関の山。この状態が10年以上つづいているのだからしょうがない。
 その抜本的な改革を歌い文句に政権をとった小泉さんが最近どうも先行き不安になってきた。これはなぜか!日本だけの問題でやってはいけないという時代背景がある。今は便利な世の中で24時間情報を得ようとすればいつでもできる日本。これが汗を流して苦労して情報を集めた時代とは雲泥の差。だから相手の批判はいくらでもするが、いざ『貴方はどう考え、貴方ならどうしますか?』という問いかけをすると返答にこまってしまう。食わず嫌い現象が起こっている。自分が時間と労力をかけて体感することが無くなったからだ。他人事、問題の先送りが蔓延する。これらは戦後復興を実現した日本人の驕りと経験の無いことに立ち向かう自信の無さという両面同居があるからだ。
私の小中学校時代には校庭には必ず薪を背負って本を読む二宮尊徳の銅像があった。今、それがない。土を愛し、汗を流し、働くことで人間としての生きる喜びの価値を教えた尊徳。今の教育現場では偏差値教育で右往左往して本来の人として如何に生きるべきかということを教える現場はない。教育委員会や父兄会にぺこぺこしている教師ばかりである。それでも一部教育者の中には現状に危機感を覚え地道な実践活動を行っている方もいる。しかしながら、この輪の広がりは極めて遅い。否、長崎の小学校6年生の殺傷事件のような悲惨な事件が後を絶たないではないか!積小為大
この実践徳目を再度見直し、世直し運動が国民的レベル(子供からお年寄り)まで沸き起こることが無ければ目先の問題(少子高齢化など)に振り回され続けるだけであろう。以上、憂いと危機感とを持ちながら一筆啓上つかまつりました。

120:墓 参

自閉症と言われる人たちがいます。彼らの行動は一般の人からはなかなか理解できない独特の動きをします。しかし、それはこちら側から見た一方的な見方です。彼らからすればそちら側が可笑しいんだよと言うかも知れません。
 最近の出来事です。私はある方のお葬式を頼まれました。その方はご長男が自閉症ということで77歳で亡くなるまでご長男のことが常に頭から離れない生活をなされてきたのでした。以前このコーナーで紹介したものですが、昨日49日法要と併せての納骨式がありました。大勢の参列者がお墓に来てくれたのです。お墓は筑波石でしょうか、あまり大きくない自然石が真ん中に置かれ、『風』という字が1字だけ彫ってあります。これはご長男の仲間の自閉症の方が自分で書いた字をそのまま彫ってもらったと奥様が私に説明してくれました。
 ご長男の様子はどうもお墓に着いたころから落ち着かない様子が見られます。顔をお母さんに摺り寄せたり、墓石に座ったり声を出したり。多分彼なりに今から起こることを感じているんだと思いました。読経が終えてお線香をあげる段になり、一番最初に彼がお母さんと一緒に焼香をしました。その後の彼の行動です。香炉の脇に座り込んで弔問客の焼香するのを食い入るようにじっとみていました。香炉が一杯になり何本かの線香が香炉から落ちてしまいます。すると、今までじっと見つめていた彼が香炉の前に出て行き一本一本こぼれた線香を拾い始めたのです。ですから彼が拾い終わるまで次の方が焼香できない状況になりました。次の方がまた山に積まれた香炉の上に線香をあげるものですからまたパラパラこぼれる。するとまた彼が香炉の前にしゃがみこんで、そのこぼれた線香を一本一本拾うのです。石屋さんが気遣って香炉を外に出しました。彼は納得できない様子でしたがお母さんの説得に一応その場はおさまりました。その時の周りの人たちの反応です。皆さん笑いながら「仕様がないな。こだわっちゃうんだよ」と言っています。でも私にはとても暖かい雰囲気を感じました。皆さんが彼を見守っているんだということ。それからたった一人の大切なお父さんの墓前であること。これはなかなかできないこと。尚恵学園でも親が無くなり本人には知らせないでお葬式が終えてから迎えにくる家族がいることを私は何度か経験しました。これだって第3者がとやかく言えることではありません。実は彼は葬儀の時に最後までは遺族席には座っておられず、途中退席してバスに乗って葬儀が終わるのを待っていました。
さて、彼の今日の気持ちはどうだったのでしょうか?線香がこぼれていることに対し、彼は丁寧に線香を拾い上げるという行動で表したんだと思う。お父さんに対しての感謝の気持ちかなー!。墓石に刻まれた「風」という字が何か清清しい春の風に感じました。