源究70

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
911 グループ展 7/28 916 ポカーン 8/2 921 戦略的福祉 8/7 926 臥薪嘗胆 8/12
912 蓮華 7/29 917 キララまつり 8/3 922 福祉側の弱点 8/8 927 カウントダウン 8/13
913 求不得苦 7/30 918 あざみ 8/4 923 ギックリ寸前 8/9 928 新盆模様 8/14
914 豊山声明 7/31 919 願一共生 8/5 924 忘れぬうちに 8/10 929 気になること 8/15
915 手紙 8/1 920 広島原爆の日 8/6 925 表裏 8/11 930 サンクス 8/15

911:グループ展

「尚恵アートスタジオ」は絵画教室です。安部田先生ご夫妻の指導のもとに本当に絵が好きな仲間が集まって活動をしています。決して派手な活動ではなく、それぞれがマイペースで描いた作品を今年の夏にグループ展として展示します。
 ・・・・・創りあげた世界の中に身を置くこと  さまざまなことを感じる
         アートと生きる事とは こんなにも深く、強く 関与しているのだという事を
                          そしてそこから私たちも・・・・・・・・・・「グループ展パンフレットより」
今年になって私たちは大切な仲間を失いました。齋藤亙さんが6月14日に48歳で亡くなりました。深い悲しみの中で思い切って開催することになりました。是非とも仲間達の渾身の絵をご覧下さい。
 様々な事を感じることが出来ます。彼等の今まで歩んできた道のりは決して平坦ではなかった。そのことを一番理解し励ましてきた身近な人が家族です。絵画という活動に我が子の才能を見いだしたという善がった思いではなく、何かに喜びを感じて欲しいというささやかな願いから集まってきた仲間達、お互いに励まし合いながら、時にはライバルとして闘志を燃やす。そんな場面もあったようです。
 私は少し離れて見ています。今、本当に多くの方が尚恵学園を利用して頂いています。週に1日の方から、40年もの長きに渡る人、様々です。我が子が障害を持って生まれたという事をどうしても受け入れる事ができない若いお母さん、それにもう両親が亡くなってご兄弟が親代わりをしている方、本当に様々です。
 尚恵学園が全てではなく、我々が出来ることは本当に僅かな関わりでしかありません。だけれども今が大切なのですね。
国はその事を考えてはくれません。望んでも無理なことです。一番身近にいる人々がその事を嫌というほど経験されてきた。
 でも、いつも感じることは仲間達は決してその事を不満として表さない。何故なんでしょう?どうしてそんな風にしておれるのでしょう? 諦感した高僧の風貌を感じてしまうのです。
 昨日のテレビでキューバの議長の式典での挨拶にハットしたのです。私は決して専制政治を標榜する者ではありません。むしろその逆で理想とする国はブータンですから。
 その演説の詳細は定かでではないのですが、「理想の社会を築くには、今を耐えなければならない・・・・」という部分です。キューバには行ったことがありません。カリブ海に浮かぶ島でバレーが強く音楽が好きな人々というイメージ。決して豊かではないのですが、今有るものを上手に利用して生きる術を心得ている人々。大好きな音楽の打楽器はドラム缶。
 一方、日本を見てみると、その力強さを感じないのです。自らの責任を放棄し、他人のせいにする。いかに上手く出世をして豊かさを得るかに血眼になる人々。親子&友人という関係が常軌を逸したかのごとき状況。身体の脆弱さと意志の弱さを感じます。
 ブータンに何故私は心惹かれるかと言えば、自然との共存ができている国、自然からの恵みを独り占めせず分かち合う社会、そこには変な意味での格差社会は存在しない。身なりも同じ、気候に上手く順応する姿。浪費の極端に少ない社会を築いた。
 日本の現状は、残念ですが宗教においてすら大きな格差が存在します。(大寺院と田舎寺の格差は凄いものですよ)それから障害者同士の差別も現に存在します。何故でしょうか?この疑問から何かを始めるということが一番大切なのではないですか。
 そう信じますね。そうだ!閑がありましたらグループ展を覗きに来ません??
 

912:蓮華

霞ヶ浦湖畔・・・石田・田村・沖宿・・・7月末のこの時期になるとレンコンの華が蕾を膨らまし花開く。この華は様々な姿を見せる。花が咲き終えた後、蓮の実を付ける。花瓶に飾ろうと折ってみたものの粘りけのある樹液が糸をひく。八葉に咲く花を仏教では大切にしてきた。真言密教の聖地・高野山は空海が修行の地として選び、紀伊半島の山深く入った、その地は蓮の花が八葉に咲いたように山容が連なる。
 私たちはその蓮の花に囲まれて今に至る。野生の蓮は今少なくなったようだが、遠くから望む蓮の葉の濃い緑は、心を和ませる効用がある。私は石田の周辺が特に好きである。昔と全く変わらない田園集落の中に時間が止まったかのような人の営みを感じる。そしてそこで起こった良き思い出を一人懐かしむ。
 明日はいよいよ私の住職をする寺の施餓鬼、準備は大分前から時間を見つけて行ってきた。まだやり残した事があるのだが、ほぼ準備は終った。
 寺に集まる檀家の皆さんとは、この一年間一度も会わずにいた方が多い。住職がどこにいるのか分からないと何度言われたことか。こんな私に愛想を尽かさず付き合ってくれる。
 時間が経つのは実に早い。小学生の頃、蓮の実を食べた。苦みもなく甘みもない微妙な味。それに椎の実を拾い、ニッケの根を掘って食す、今の子供達に話しても通じない。これだけ物が豊かになり、贅沢になった。
 昨日の他寺での施餓鬼の席で、この一年間に12キロ減量した坊さんが私の隣りの席にすわる。どうしてそんなに痩せられたのか尋ねると、太鼓をたたいてという冗談か本気か分からない返答、そこまでやれれば坊さんも本望だ。痩せるサプリメントなど不要だ。
 私など太鼓はあるがあまりたたいた事がない。言い訳がましいが、その代わり一通り農機具の使い方は知っている。職業を間違ったのかもしれない。草刈り一つにしても実はコツがある。次ぎに草刈りする時のために気をつかう。バロネスというエンジン付きの草刈り機を使った。膝ぐらいまで伸びた草など簡単に刈りきる、しかし、大きな石や針金などがあると危険だ。高速でまわる歯に絡むからだ。このなにげ無い気配りが全てに渡り急速に無くなてしまった。今さえ良ければ良いという思いが草刈りにまで染み渡る。
 春が来れば草木が芽をふき、雨が降れば背丈を延ばす。そして秋になれば枯れる。この繰り返しの中でさまざまな智恵が育ってきた。
 話は全く飛ぶ。ポストモダンの産業構造という話。従来の下請け会社が部品を作り、組み立て工場で完成させるというピラミット型の産業構造は今や時代遅れというのだ。
 それならばどのようになっているのだろう。IPフォンとかいうアップル社の製品、この部品は東芝や日立の部品を使い、研磨技術は新潟の燕市にある会社のもの。要するに自社の製品は殆ど使わず、世界のトップの技術を寄せ集めて一つの製品を作る。これが最先端の産業構造だという。
 全てを自社工場で作る時代ではなくなった。また建設機械のコマツはGPSを活用したサービスシステムを独自に開発、世界のどこの国で使われているコマツの重機にも端末を設置、不都合が生じればGPSでその情報を東京の本部で受け、直ぐに対応できるシステムだという。なんとその管理システムの視察申込が4ヶ月先(4年先だったか?)までいっぱいだという。
 どこまで進化すれば満足するのだろうか?これなど人間の理解範囲を超えてしまっていないだろうかと不安を覚える。
もっとゆっくり生きれば良いのになー。・・・・・「とりとめもない事をズラズラと書いてしまった。石田の蓮田は良いよなー世界遺産だ」

913:求不得苦

ルートヴィッヒ ヴァン ベートーベンの交響曲第5番ハ短調作品67は『運命』。大分私も高尚になってきたものだ。古賀メロデイ大好きな私は今までクラッシクなど全く興味が無かった。それが、大江光さんに触発されたのか、埃だらけのCDを本棚から探し出し聞き始めた。これが朝5時前後の静寂な一時にはなんとも言えぬ。五臓六腑に染み渡るといえば大袈裟か。いや、それ以上の感慨に耽っているのです。
 2008年尚恵だよりの巻頭に編集担当から何か書けと命令された。ちょっと考えた。そこで思いついたのが「求不得苦」(求めても得る事が難しい苦しみ)だった。最近、特に実感しているからであろう。
 仏教注釈で四苦八苦をいくら説明してもダメ。それならばと自分なりに私感を書いてみた。「尚恵だより参照」
 人間が何かを追い求めるのは本来の姿である。小欲と大欲に分けて、大欲を抱き、それに向かって努力することを是とした。小欲には108煩悩が入る。これを仏教では認めない。だから敬遠されるということもあるのだ。むしろ 自ら批判覚悟で公言した親鸞が受け入れられた素地は日本人の中に存在する。そして少欲知足をその便法として掲げる。つまり、欲望を少なくし、それで満足しなさいというわけ。実はこれが出来たら苦労しないんです。今の世の中は、全く逆でして「我利我利亡者」で溢れんばかり、金や名誉に執着するんだなーこれが。
 ここで言う「求不得苦」はそうじゃない。さてどう違うか!
 現在進行形で見るかどうかということ。分かりにくいでしょうね。もう少し噛み砕いてみますか。本日、神宮寺の施餓鬼があります。施餓鬼棚を昨日準備した。棚には昔からキュウリやナスで牛や馬を作り、洗米や野菜を細かく切ってエサに見立てる。蓮の葉の上にそれらを載せて飾るのです。それから過去帳や1年間に亡くなった人の新盆位牌、中心には「三界万霊」の位牌を安置し。五色旗を棚の四隅に飾りつける。これは当に過去完了形である。既にいなくなった人への亡魂供養である。
 ここに何を感じるかだ。棚に飾られてしまったらお終いよと思うか、自分の今を見つめようとするか・・・・・人それぞれ。
 私は欲望というものは現在進行形の中にだけ有ると思うのです。成仏すれば無いんだから。
これまた3面記事的例えで恐縮ですが、どこかで6億円の組合費を流用した母親の弁、マスコミに登場するのもどうかと思うのだが、全く理解できない。息子が金をせびるから通帳と印鑑を預かっている組合費をごまかしたという。
 11億円を競艇に注ぎ込んだ者もいた。全て自分の金ではない。それから毎日のようにどこかで起こっている刃物を使った事件、昨日は卒業生が逆恨みで授業中の教室に侵入、生徒の居る前で教員をナイフで刺した。その理由は学生の時にその教師から厳しく指導を受けたから対人恐怖症になったという理由。
 ああー、昔の人が季節の野菜を上手に使ってものの大切さを教えたその文化が無くなってしまったのか。
 私は大欲の中で一番好きなものを上げよと言われれば、見返りを求めない愛だと思っています。「愛」というと何か卑猥な事を連想するかもしれない。生臭が本領発揮かと亦言われてしまう。ならば「慈」というと抹香臭くなるので敢えて使わない。
 見返りを求めない愛というものはいつまでも現在進行形。これはなかなかできません。独占したいと思うから。
その心境にピッタンコなのがベートーベンの『運命』と『求不得苦』ということに落ち着いた次第であります。
 心からありがとう 素直に喜べる気持ちを いつまでも大切に。
  そんな自分で有り続けたい。
 蛇足:ベートーベンは57歳で亡くなったのでした。(1770〜1827)。当に私の年齢とピッタンコ。
 

914:豊山声明(ぶざんしょうみょう)

13人の僧侶が堂内にて経を読むとそこに居る人に何かを感じさせるものだ。声明を仏教音楽と言えば無知文盲と呵責されよう、だが私は、和製交響曲とでも言いたいくらいだ。
 声の抑揚とハーモニー、何を唱えているかは演奏家も聴衆にも分からない。それ故に良いという功績が備わる。曖昧さの妙とでもいうのだろう。
 これは昨日の神宮寺での施餓鬼法要、どういうわけか神立の地域だけが法要開始1時間前に雨が降る。束の間の秋涼を運ぶ風、天の成せる業であろう。吉ととるか凶と取るか!
 前日、航空写真を撮った。神宮寺の周辺は確実に様変わりしている。私の代になり、上空からの写真を4回撮る。最初のものは昭和54年、30年前のものである。新築なった本堂の大屋根は昔のお堂とは比にならない。だが、上空写真をみるとその大屋根も尚恵学園全体の一部としか見えない。新幹線で京都に向かうと車窓から見える町、そこには必ずと言って良いほど寺の本堂の屋根が目立つ、その風景とは趣が異なる。 私の印象では寺を中心として町が存在するといったもの。実際はその逆で寺が施設に埋もれてしまう。先代が描いた寺の事業としての理想の形に近づいたのか、またその逆なのか?
 残念ながら確かめる術は今は無し。自らに正解の無い答えを求め続けることしか無いようだ。
「私はどこに行っても歓迎されない」と言ったという有名な音楽家を知っていますか?
それはグスタフ・マーラーである。「オーストリアにおけるボヘミア人、ドイツにおけるオーストリア人、そして”世界におけるユダヤ人”」と述べたと伝えられる。彼が28歳の時(1888)に作曲した、交響曲第1番ニ短調「巨人」はその題名から想像する以上の衝撃を与える。彼もまた51歳という若さでこの世を去った。晩年、神経症状に悩まされフロイトの診察を受ける。彼の診断によればそれが幼児体験によるものとされた。
 誰しも幼児体験に思い当たる節はあるだろう。本人の意志でそうなったのでは無く、抱えこんでしまった重さ。
良くは知らないが、マーラーにとって15人いたと言われる兄弟とユダヤ人として生きていくことの宿命、それを彼は音楽で表現しようとしたと思える。
 殺人やテロという行為を代償の行為として選ばず、交響曲という大作に彼のエネルギーを集中した。時代は違っても、今世間を震撼させる若者の無謀ともいえる行為、精神鑑定をすれば、必ずといって良い幼児体験からなる何らかのトラウマを抱え持つ。心神喪失者の免責事項は様々な問題を内包している。被害者への対策も少しづつ図られてはいるが充分ではない。 自らの行為に誰が責任を持てば良いのか、犯罪者を司直の手で社会から隔絶させる方法を従来から取っている。しかし、刑役をすませてからの足取りは明らかにされていない。社会復帰への更生方法が充分でないことは、いくらでも想像できる。死刑廃止運動とは、また立場を違えた何らかの対策が今必要とされているわけだ。だが、現実には個人主義を謳歌した日本人には他人事としてしか映らない。
ならば その責任の一端を宗教家と称する者、団体が担うだけの能力を持ち合わせているだろうか?寧ろ、敗戦時にアメリカの主導で作られた基本法の中に宗教の立脚点を曖昧にした弊害を隠れ蓑にしてはいないだろうか?

915:手紙

H20.7.31渡された原文
朝いつものように学園に出る、すると私を待っていたように、Yさんがやって来て紙切れを私に手渡した。
 何も語らず、手渡すと去っていった。住田福祉さんという書き出し、一瞬ハットした。そして家を建ててくれとは言いません。ゴメンナサイと繰り返す。
 彼女は以前も同様の手紙を私にくれた。そこには13階建ての彼女が描いた家の図面が事細かに書かれていた。
その時、「がんばってオモチャ作ります。フクシさん!家を建てて下さい」と何度も繰り返した。「そうかー。そのうちな」と生半可に返事したことをはっきりと覚えている。
 彼女は思い立つと拘りが強まり、止まらない。同じ事を大声で100回言わないとすまない。その声は何か機械的で呪文のように聞こえる。手紙の真意はなにか?何かあったのだろうか?
 彼女は自分で一生懸命自己コントロールしようとする。どうしても敵わないときに周囲からみて問題と思われる行動に移るようだ。彼女なりのこころの平和を保つ方法を見つけ出した。しかし、その許容範囲は決して大きくはない。周りのちょっとした変化に敏感に反応し、そのことが自分で納得できないと、もうどうしようもなくなる。パニックへ。
 「お家をたてて下さいと言ったらゴメンネ・・・・・」 この彼女の叫びは私にとって許容範囲を超えている。 こっちのコントロールが効かないのだ。
 何故なんだ? 彼女との付き合いがもう20年近くになる。今でこそ笑ってすごせる数々の思い出、彼女は定期路線バスに乗って通学した時期があった。その時にバス会社からクレームがあった、それは彼女が隣の席に座る人の鼻を摘むからであった。一応彼女なりの言い分は聞いた。「鼻をつまんでも良いですか?」と尋ねたというのだ。この情景は決して笑って過ごせるものではなく、運転手は気になって運転できないとカンカン。
 そんな彼女が卒業後、一貫しておもちゃ作りのクラスで作業をしている。働く喜びは、彼女独特の繊細な色づかいとデザインが認められることで徐々に芽生え始めた。そして、売れたオモチャの代金を貯金して自分の家を造りたいという目標に変わる。
 その夢実現ができないのに、上記の手紙を私に書いてきた。
生命を預かるなど烏滸がましい事はいえない。生きるということは誰しも持つ権利、どのような理由があっても剥奪することはできない。生きることの喜びは様々、誰一人として同じものは無い。これが真理だ。
 母親が息子の要求を拒めず、繰り返した公金の横領、その額はなんと6億円、その息子が何に使ったのか?
ウソかホントか、一晩に500万の豪遊を繰り返し、もう金はスッカラカンと話した。
 もし、Yさんがその事を知ったらどんな反応をするだろうか。木の材料から電動鋸で切り抜いたチップを丹念に色づけし、出来上がった作品を一個100円で売る。
 横領事件・偽装・贈収賄等々、当事者がマスコミの前で深々と頭を下げる場面を何度見たことか。ゴメンナサイと言えば、今の日本では許されるのか?なんでもござるがここまで来ると手の施しようがない。
 だが信じて欲しい、目を転じて欲しい。Yさんのゴメンナサイは決して演じているものでは無く本心からの言葉だ。
ゴメンネ ゴメンナサイ。こっちの言うセリフを先に言われてしまい、また彼女に借りを作ってしまった。
 

916:ポカーン

無気力!虚脱感!なんだか疲れたなー。今の心境。寺の一大行事を続けて行い、毎度の事だがグッタリコン。
どうして繰り返すのか?塔婆の書き忘れ、名前の間違い、命日まで違って書いてしまった。健忘症、認知症、昨日は1日その対応にホトホト疲れちゃった。誰のせいでもないから、仕様がない。気分が落ち込むと、腰まで痛くなる。悪循環。
 横になり、テレビをつけるとどこもかしこも内閣改造の特報番組、あれってなんなんだ!官邸への呼び込みがあると、高級車で乗り込んで、あれ自転車で来たら尊敬するよ、まったく。皆さん、恥ずかしそうにそれでいてヤッターとばかりにニヤニヤしちゃって。やだやだ。今回の改造で一人だけですよ福田さん評価するのは、それは舛添さんの厚労大臣の留任。お言葉じゃありませんがね、混乱だけ混乱させてですよ、ハイさよならはないでしょう。舛添さん、少なくとも3期位やってよ。そして見届けて責任とって下さいな。だってそうでしょうが、何度やってもダメな人はダメなんだーよ。「私が舛添さんを買っている一つの理由、ゴミ出しを日課にしているという事。このイメージがいい」
 皆さん デージン様になりてーんだわな。後がつかえてるんだとよ。
 俺妙案があるんだが聴いてくれっか! 内閣改造報道一切禁止法の上程をしまーす。翌日の三面記事で新聞の片隅に載せることは許可する。だってそうでしょうが、誰が大臣だかわかんねー中に変わってしまってよ。国民を愚弄しとる。・・・怒り心頭に発す・・・
 もしもよ、民主党が政権とったらどうなんだべー!その辺の事まで考えていねーかも。先ず政権与党、何がなんでも第一党。日本のお偉方は危機感がねーんだわな。だってそうだっぺーよ。なんで、一泊5万円もするホテルに293泊もしてよ、金払わねーんだ! セミスイートとかいう部屋を独り占めしてたんだろー? ちくしょう、うらめしーい。
 あれで外務省の役人ってつとまるんだわな。今度のデージン様(名前?)が先ずその辺どうすんだか?それは個人の問題です。双方穏便にってか。
 俺 疲れているわりには、怒り出すと止まらない。 活力源かもな。
本当はよ、のんびりよ、弁当でも持ってよ、山でもなー登ってよ。そんでなー。おしゃべりしてなー。
ポカーンとしてーんだーよ。
 *真面目に。 私は今の日本の在り方に、強い危機感を持っています。格差社会の非を叫びながら、自らの保身に走る輩。現に3万人を超える自殺者が一向に減らない社会、この事だけを考えても政治ゲームに国費を回す余裕などない。
 その事に国民一人一人が自覚し、範を示す勇気を持つべきだと思います。それにはどうすればよいか?諦めずに皆で智恵を出し合うこと以外には方法がない。
 

917:キララ祭

8月2日は土浦キララまつり、夏休みの恒例の行事である。地元土浦での花火大会に次ぐ、賑わいを見せるイベントである。「カッパおどり」という中心街を踊り歩く出し物に我が学園は最初から毎回参加してきた。”がんば尚恵連”お揃いのハッピを着て踊る。今年は私も踊るつもりで行った。
 それがなんとリヤカー押し担当という事らしい。あっそー、好きなようにしたら!
 正直、ホットしたんです。60には未だ少しあるんですね。でも恥じらいは昔以上、人前に出て踊るなんて、とてもとても。
その辺の事情を配慮した担当が戦力外通知をしたのだ。 帰るわけにも行かず、カメラ班をすると勝手に決め込んだ。
 今年の賑わいは例年に比べどうなのか?34団体の参加で後から2番目、前後が優勝経験のある団体だから、間に挟まれ、カメラアングルには見劣り?それでもメンバーさんの一人一人の表情は実に良かった。
 沿道に陣取る観客の中に何人か知り合いがいた。声を掛けていただく。それに毎年の事だが、障害者の方で親子で見に来ている人が何組もあった。明らかにがんば尚恵連を待っていることがわかった。自分では踊りに参加しなくても仲間が踊っているということで励みになれば・・・・・・。それに理屈で立派なことをいっても一般の人の中に入っていかなければ何も変わらない。それが私の考えだ。だから、スタッフには夜遅くまでご苦労を掛けるが毎回参加してきた。
 連続15回参加は、入賞する以上に重みがあるのです。
 街の活性化は難しいと感じた。やたらと駐車場が目立つ。商売を止めた店を取り壊し、日銭を得るために駐車場にしている。もう40年も前になる。県南随一の商都、土浦は近隣の人が買い物やレジャー(映画など)に大勢集まった。霞ヶ浦劇場やテアトル土浦はもう無い。土浦最初の大型デパート、京成百貨店、小網屋は今、駐車場とマンションになった。
 つくば万博の時に造った高架道だけが目立つ街並み、こりゃー大変な事だわ。せめて祭の時だけでも人が集まればという商店街の思いには諦めが店全体から漂っている。
 この間、たった30年ほどの期間である。これが一般的な地方都市の現状だ。
地方の活性化は、果たして付加価値の有るものを創成することで解決できるのでしょうか?特産品一つにしても、日本の気象条件でそれほど格差あるものができるとは考えにくい。夏の食べ物をわざわざ暖をとって冬につくる。その燃料費が高騰し、どれだけ値段に上乗せするか判断できない。
 夏できるものは夏に食べるのが一番美味しいはず。それを敢えて手間暇かけ時期をずらすやり方はいかがなものか?
活性化という言葉そのものを見直そうではありませんか。
 慣れない事はやるもんじゃーねーな。最新のデジカメ、使い方がイマイチわからず、ピンボケのオンパレードになっていた。来年はカメラ担当も外されるかもしれない。あっそー 好きにやれば!!!

918:あざみ

アザミの唄という曲がありました。倍賞智恵子さんが唄っていたかなー?また、奥日光からの定期便で光徳小屋周辺の写真が送られてきました。山の写真やその地で咲く草花は、季節を感じ、自然の営みを感じます。そろそろ夏は終わり、気の早い草木は葉の色を染め始めているかもしれません。アザミはキク科の多年草、この辺では春に芽を出します。触るとトゲがあって痛い。それでいて一つ一つの蕾をしっかりと支える茎は頑丈に出来ている。根は食用にされ煎じて強壮薬や利尿薬としての効能があるそうです。
 植物の営みは、その目線で見ると新たな発見があります。特に観賞用に造られた花とは違い、野に咲く花には心を感じます。有名な写真家で昆虫の目線で写真を撮る人がいます。そのアングルも同じ、普段感じないものを単に目線を変えることで違った趣が出るんですね。
 日光からのいつもの写真は、そのような意図は無く、見たままの光景を送ってくれています。
 国民の視線にたってという言葉がやたら目立ちます。ひねくれ者の私には素直に受け取れない。果たして国政にあたる人々は真剣にそのように思っているのでありましょうか?多分大半の国民は半信半疑、むしろ否定的嘲笑で見ているのではないか。そう思います。
 日曜日などは評論家を交えての番組が多く、何度見ても消化不良をおこします。彼等はテレビ局をハシゴする忙しさ、あまり顔を出しすぎるのもどうかな!自らが所属する党の評論をしている政治家もおりますから「あんたがどうにかしなさいよ」。どっちがどっちという錯覚に陥ります。
 私は以前キク栽培を行ったことがあります。3年ほど続けたでしょうか。年間を通じて作業があります。土壌つくりからさし芽、消毒、など。そして花が4部咲きぐらいの時に切り出すと丁度良い。だが、素人が見様見真似で行うには、とても難しい。先ず、土壌作りも何をどの時期に混ぜるかによって全く違ったものになる。消毒は葉の色や虫の付き具合によって適切な薬をかける。見間違えるとキクそのものを痛める結果になる。世直しも然り、インスタントな改革は長持ちしない。今はパフォーマンスでなく、じっくり先を考える時期でしょう。
 野生する草花は凄いと思う。人間の手を入れずしても立派に自然の法則にそって花を咲かせる。
 実は実は障害者を支えるという事も全く同じだと私は考えている。我々が余計なお節介をしなくとも本来、彼等は素晴らしさを兼ね備えているんですよ。周囲の雑草で日の光が当たらない時にね、少し雑草を刈ったり減らしてやること位かな。
それで充分でしょう。
 それが横文字で言うから訳が分からなくなる。ソーシャルインクルージュンだ?インテグレーションだ?余所からの借りものをいくらPRしてもダメだわな。
お前日本人だろうが!日本語で話せ。
♪ アザミよアザミ・・・・♪♪
   山には山の愁いあり  海には海の悲しみや
           ましてこころの 花ぞのに  
              咲しあざみの 花ならば。

919:願一共生

先日、BS日本テレビにおいてドキュメンタリー番組がありました。それは梅里雪山(メイリーシュイシャン)という山で一九九一年に17人の方が遭難した、その捜索を一人の写真家が今も行っているというものでした。梅里雪山は中国南西部の雲南省にある標高6740メートルの未踏峰です。そこに京都大学山岳会が挑戦、頂上目前で悪天のため登頂を断念、17名が亡くなった。度重なる捜索にも拘わらず遺体の発見が出来なかった。数年後、数キロ下った氷河にて遺体が見つかった。しかし依然として医師で参加した方1名が見つかっていない。・・・・・
 偶然、私は友人から雲南懇話会に誘われ参加してみた。衝撃的であった。会の起こりは良く知らない。参加は自由らしい。だが内容はとても学術的でハイレベル、その集いの切っ掛けが梅里雪山での17年前の遭難事故。正直、その山の存在は今まで知らなかった。天山山脈やチベットを知る人は多い。しかし、この集いのように地道に活動されている人達から多くの事を学ぶ。
 今度、捜索を続ける小林さんの講演会が水戸であると知らされた。参加しようと思っている。
『願一共生』   実は尚恵学園に関わるOBから話があった。初代に世話になったものたちが石碑を立てたいという。正直、ご遠慮申し上げたのだが、是非にということで今その準備をしている。別に仰々しく行うのではなく、関わった証を何か形に残したいという気持ちというので了解した。
題字を私に書けという。困った。何と書こうかと決めかねていたら昨日催促された。「願一共生」という四字が浮かぶ。「一に願うは共に生きる」と読ませる。
 父であり尚恵学園の創設者、ある意味では超えようとしてもできない存在。私が知る範囲で父の生き様を思い起こすと法人の掲げる『共生』に『願一』という言葉を添えたいと思った。
 周囲の人には決してそのような事を語らなかった。いかにも頓着などせず、いい加減に淡々と生きたイメージが強い。生存中、父子という関係でじっくり話をした思い出がない。お互いがヒートアップし、なんだか知らないが激論を交わした事は何度かあったように思う。
 しかし、この道を選んだ切っ掛けは後で知ることになるのだが、想像できないものがあった。
 先の小林さんのイメージとダブル。彼は今までに100回を越す回数、中国に行っている。地元の人の最初の反応がどうしても反日的であったという。それが何故なのか?メイリーシュイシャンは聖なる山、信仰の対象、そこに外国人が足を踏み入れたという事への怒りであった。回数を重ねるにつれて徐々に地元の人との関係を築き、今に至った。
 何か事を起こそうとするときに、今の日本には地道な積み重ねがない。飛び越して目先の計算で事を決める傾向が強過ぎる。
その身近な例が、”障害者自立支援法”、どのような美辞麗句を連ねても薄っぺらでメッキが直ぐに剥がれる。付帯決議で後日変更すれば良いという話は、結果として同じザルの金を回すだけとなる。それを長持ちするように見せかける便法が制度をより複雑にすることだった。
 自分さえ良ければ良いと考える人間が多すぎる。
そのような中、こころの時代で久しぶりに良い話を聞いた。
広島の原爆体験を語り次ごうとするご夫婦の話。語りべとして多くの人の前で話をする中で、一人の青年がカトリックの司祭への道を選んだ。彼は語りべから届いた手紙に長文の返事を書いてよこしたという。その中に核保有国の首長に原爆被災の悲惨さを訴えても意味がないという趣旨の内容が書かれたいたという。
 その人が選んだ道が宗教に身を投じることであったとご夫婦が話された。次回は明日の朝。これもまた一見の価値有り。
 マスコミにも襟を正して欲しい。興味本位の追っかけ番組が多すぎませんか?今の若者の犯罪心理のなかに、殺人を誰でも良かったというものがあります。これこそ、何をどうすればという基本的な教育が蔑ろにされてきた大きなツケが出ていると気付くことではないでしょうか。
 

920:広島原爆の日

63回目の広島原爆の日を迎えました。昭和20年8月6日。投下時刻午前8;15。今、日本人の記憶に戦争の悲惨さが薄れかけている。戦争を知らない世代が親となり、その子が成人を迎える。
NHKの番組こころの時代、2日間に渡って広島平和記念館元館長の高橋さんが出演していた。自らが14歳の時、広島市内の中学校で被爆にあい、60名中生き残ったのが14名、高橋さんは奥さんと共に今も広島の心を伝える語りべとして全国を走り回っている。
 一言で言い尽くせない重く辛い経験をご夫妻は自らの言葉で伝えている。高橋さんの大切にしていること。@出会いを大切にすること。A憎しみを憎しみでは無くせない。B人の痛みを分かち合うこと。C一人の力は決して無力ではない。
 高橋さんの活動を影で支える奥様の話が実に良かった。
保育園の保母をされていた奥様が、父親と姉が選んだ高橋さんと結婚することになった話。略奪婚と笑いながらも、いみじくも語った言葉。高橋さんが被爆者だからという理由で結婚を断らなかった。もしそうしたならば、夫が被爆者だから断られたという悩みを持つから。この言葉の裏に奥さんの相手のことを大切にする生き方が読める。そして、どんな障害があっても一人の人間として見たいと。
 膨大な文通の遣り取りの中に、数々のエピソードがある。そのことが出会いを大切にという高橋さんの立脚点となっっている。人は一人では生きられない。憎しみを憎しみでは癒せない、これもまたご本人が被爆という苦しみを経験されているから重い。人の痛みが分からない人達が多い世の中になった。それは決して単純な理由ではない。誰も分かってくれないと諦めてはいないだろうか?先ず自分から、この活動の積み重ねが世の中を動かす力となる。
 このような事を私はラジオを通して感じた。
私自身、昭和25年8月15日生まれ、敗戦記念日である。小さい頃、テレビに映し出される敗戦記念式典を自分の誕生日とダブらせた。今思うと5年間のタイムラグは実に大きい。
 昨夜、ドイツの横井氏より電話があった。スイスの山を一週間歩いてきたという。何か別世界のような気になる。人間は故郷をどう思うのだろう?生まれ育った土地への愛着、私の歳になると、小学生時代の事ははっきりと思い出す。長く外国生活をしていると日本の原風景というものに感心が深まるようだ。京都や奈良、今は観光地となり昔の風情は少なくなった。電話の中で、”福祉さんは、堂々巡りしているようだ・・・”とこのコーナーを覗いているらしく話していた。
 正直、自分でも分からない。今、感じている事を書き連ねていると結局、いつも同じ場所にたどり着く。現状への批判ということになってしまうのです。”報恩””感謝”を書いた紙を正面の壁に貼り付けたりしているのは、少しでも偏りを直そうとしたいから。でも無常観と焦燥感が同居している。これは私の職業も大いに関係していると自己分析している。
 坊さんに成りきれない自分が亡くなった人と対峙する。今晩もまた、私が世話になった人の通夜がある。

921:戦略的福祉

新聞の経済面の片隅に帝国データーバンク提供の企業倒産が負債額や業種事に掲載されている。年間を通じ、波があるのは経済が動いているということを示す。最近話題になっていることとして介護事業所の倒産があります。社会福祉法人の場合は合併や指定管理で事業継続がされる場合が多いので差ほど目立たない。しかし、確実に増加傾向にある。
 何故にそうなるのか?一つには能力以上に事業拡大したための過大投資、負債額に応じた事業収入が見込めなくなった事による。もう一つの要因としては、人材確保ができないことによる閉鎖、これも結局は赤字経営への道を辿る。
 人材確保に関して、先日県の総合福祉会館を全館使ってイベントが開催された。中高生対象に福祉の理解を深めるという人材確保対策である。その結果は評価が分かれた。高校生の参加はゼロであったからである。しかし、全体の参加者数としては結構集まったようだ。それが保育園の園児が多かったという。フーム!かなり先を読んだ先行投資。これもまた裏の話があるようで、企画側に保育所関係者が多いというので動員をかけたのではという醒めた目。
 私の法人の最近の傾向は、年間を通じ求人を行っている。今年になって職安よりの紹介が急に増えている。年度途中ということもあるのだが、大半が現在何らかの仕事に従事している人達だ。つまり、今の職場に満足していないでもっと条件の良い職場を探している。
 職業選択の自由が当たり前となっている。それぞれの事業所は様々な研修制度を設け、質の向上をはかる。これも長い目でみれば職場の魅力に繋がるのだが、今の若者にはその余裕がない。待てないのだ。
 経営を考える上で事業収支は一番重要である。うま味のある事業だけを選ぶことは実際できにくい。採算に合わない事業でも全体でカバーできる範囲で取り入れる。
 しかし、面白いもので採算に合わない事業に働きたい希望者が多いという現実。これをどう受け止めれば良いのか。
例えば、我々の事業所でいえば、相談支援や療育という部門である。これは今の福祉系の学校のカリキュラムに起因しているのではあるまいか。実際は、臨床経験があってこそ相談に対応できるのだが、そこがあまり重要視されていないから現実の難しさに直面し撤退を余儀なくされる。
 将来、福祉事業の統合がより進んでいくのか?いまその過度期にあるのだろうか?
 ひばりさんの唄、「川の流れのように」ではないが「なるようになるさ」と高を括ってみているわけにもいかない。
私は元々福祉は事業そのものに矛盾を内包しているものと考えている。日本の福祉の歴史を見れば誰にも理解できる。最初は救貧事業から始まったのである。それも他との比較によってこの辺りが妥当な所だろうという線引き。この基準が時代と共に変わった。今の日本は外国と比べてどうなのか?長寿世界一を誇る。年金問題から発生した老後不安、これだって冷静に見てどうですか?
 誤解されるかも知れない。敢えて続けよう。長生きできることが幸せとはならない。この事に関しては政治は取り上げない。医療費高騰の理由に延命治療の是非が問われる。これもまた医療従事者からの問題提起は思うほど多くはない。静観。
 この国の形が見えてこない。将来、貴方はどちらを選びますか?と言う問いかけに日本人は慣れていない。
 奈良時代に起こった悲田院や施薬院は形から入った訳ではない。「思い」であった。少なくとも近代になってから100年以上の歴史を持つ医療:福祉:教育の事業所は日本に数えるほどしか存在しない。人間の持つ「思い」は永久、 形に拘れば、こうなるという結果を如実に表している。「思い」を基本に置く、これこそ私が追い求める戦略的福祉論である。
 

922:福祉側の弱点

No:921で触れた「思い」について、加筆し説明する。「思い」=「願い」&「こころ」とでも言うべきかもしれない。これを言うと過去に何回と無く繰り返されてきた医療や教育との論争を引き合いに出さねばならない。科学的に立証されたデーターを重要視する医学は、福祉を常に見下してきたように思うのだ。その延長線上に依然として『臨床心理士』という資格制度が正式な国家資格として確固たる位置を持ち得ていないことからも分かる。
 教育との壁は、従来の普通教育の中で障害者への就学猶予や免除という仕組みがあった時代に遡る。戦後、出生率の上昇傾向が長く続いた。1クラス50名という時代は今は無い。義務教育の対象者が減少し続けている。そこで、特別に支援を要する子供達へも手厚い教育の手立てがされるようになった。この変化は高々50年の間に起こった。
 短期間ではあるが、制度や態勢の変化は目まぐるしかったと言える。いまその流れに明らかに変化の兆しが見える。圧倒的な高齢者人口の増加である。当然、義務教育の守備範囲ではなく、医療と福祉が関わる分野である。医療は緩和ケアーや在宅医療への流れもあるのだが、まだ充分に浸透はしていない。基本的には医療は疾病を治すことである。だが高齢者への医療アプローチは治療というよりも「看とり」が中心にならざるを得ない。
 ここでやっと福祉の出番ということになるわけだ。学齢前の子供達への保育所の役割は、保育に欠ける子供を対象とする、いわば補完的なものであった。常に主役を教育や医療にとられ、脇役に徹してきた。それがこれからは主役を演じなければならない。
 その戸惑いが実は関係者にある。そもそも「個」を対象とするからニースが一様ではない。価値観も様々、背景も違う。更に法律でサービスを自己選択するということを表看板に掲げた。
 福祉は、必要とする人にサービスを提供してきた歩みだ。自らが営業努力しなくても仕組みの中でお客さんを差し向けてくれる公的機関があった。
 福祉は、自らが利用者から選ばれることに対する対応ができない。分からないというのが正直なところである。ニーズを自らが調査し、必要なサービスを創成する努力は今まで必要でなかった。悪法とか劣法とか批判しながらも、しっかりと制度により守られてきた事実がある。
 介護事業の実態を見れば一目瞭然だ。保身に奔走する団体の言い分は、イマイチ説得力に欠ける。むしろ既得権を何がなんでも死守するということである。
 私はこれが福祉側の弱点だと思っている。制度や箱物の福祉にドップリ浸かっていた時期に、本当に必要とするサービスにズレが生まれた。
 この弱点を埋めるには大変だ。
むしろ、業界から退出する方法は別に難しくはない。いずれ自然淘汰されるからだ。内部からの告発や経営者自らが本丸を食いつぶす道を歩むからだ。社会福祉法人を潰すなどいとも簡単だという。いくら立派な設備を誇っても所詮、個人の持ち物ではない。最終的には国に帰属させられる。この宿命をいかなる法人も背負っている。
主役となるべく福祉が今までの努力が認められ事業の継続を保障されているか?答えは”NO”
 今、我々団体と県で企業のノウハウを活かした試みを計画している。福祉の弱点を埋めるには、内部の努力だけでは限界がある。むしろ積極的に我々福祉側から企業に学ぶ姿勢を持つことだ。
 それと同時に忘れてならないことは「思い」=「願い」&「こころ」この真価が問われる時代になったということである。

923:ギックリ寸前

ギックリ腰直前で踏みとどまっている。おーととっと、左側の腰にきている。この時期毎年同じような状況になる。暑い中を立ったり座ったり、これは大した労働ではない。その合間に草刈り機を持ち出して腰を振り回すからだと思う。昨日は前に刈っておいた草を燃やそうと考えた。墓地のすぐわきだから、お盆前に綺麗にしておかないと、そこまでは良かった。
 今年一番の猛暑日、朝から気温がウナギ登り、汗は水を頭から被ったかのよう。一緒に手伝ってくれるNさん、これが暑さなんか一向に気にならない様子。飄々として草を熊手でかきあつめている。彼は俺よりも4歳若い。
 彼との約束がまだ実現していない。お盆前に一杯ということを口約束。それが情報が一人歩き、あじさい(GH)のメンバーがニヤニヤして気のせいか私を見る。俺達もご一緒したいということのようだ。「まずい。また、理事長の買収工作だと職員から怒られるか」内緒の話は、口に出した時点で脆くも崩れるもの。
 お陰様で朝の3時間ほどでほぼ燃え尽きた。これで良し。道具を軽トラックに乗せようとした途端、「あれー。うーん。やばい」これが一部始終。
 「健忘症」or 「認知証」?
ものの本によれば、私の場合は「健忘症」である。周囲の診断では「いい加減症候群」だと考えている節がある。全くけしからん。
 私の寺の施餓鬼が終わってしまうと今年は終わったと思うクセがあります。本日までに、2ヶ寺ほど施餓鬼に手伝いに行きました。いつものカバンは重いので風呂敷に移して軽装で出仕、衣に着替えようとすると「あれ、うーんやばい・・・・衣がない・・」 「誰か衣、持っていませんか?」その時の坊さん達の私への視線、すごーく冷たいものを感じた。
 数の中には奇特な方もいらっしゃいまして、「これで良ければどうぞ」と衣を手渡してくれた。「ありがとね」。だが彼は身長が185センチもある背高ノッポ、借りて着たものの衣を引きずってあるく始末。
 その続きがありまして、これは昨日の施餓鬼、行く前に「衣!よーし」 と慎重にチェックした。法要が始まる合図で着替え終了、「ありゃーうーむ。数珠がない」
 どうもこれは腰からくる症状だと自分では考えている。
昨夜は冷湿布、今朝は温湿布、これってどうなんですか?私はどっちとも効かないんですが。
 私の直ぐ隣りに猫のハナちゃんが暑さに参ったー!とばかりにひっくり返っている。
これも気のせいだとは思うのだが、「健忘症には効く薬はねーんだーよ。」と言ったように感じた。
   新盆に へっぴり腰が 経を読む。 三途の川に 杖立てて。

924:忘れぬうちに

ピンポーンと玄関のベルが鳴った。するとどこかで見たことがある男性がキョロキョロして中を覗いている、「ハーイ」とドアを開けると「これー住職さんのではないでしょうか?」1尺ほどの木の棒を持っている。「昨日の葬儀でお忘れになったのでは無かったでしょうか?」「・・・・・・」 散丈(さんじょう)という葬儀に使う道具だった。斎場の職員がわざわざ届けにきてくれた。
 こりゃー重症だわ。持っていくものを忘れるならまだしも、持ち帰るものまで忘れるとは・・・・
 こんな事を書くつもりでは無かった。
昨夜は尚恵学園の盆踊り、日中の暑さがどこかに行ってしまったかのごとく、夕刻になり涼しい風がソヨソヨと。模擬店が始まる頃になると大勢の方が集まる。私は気づかれぬようにソロソロ歩いた。ギックリ腰は気温の急変には弱い。そう自分では決めつけている。
 ゴザの上にテーブルを置いたにわかレストランに最近引きこもり絶好調のHさんがTさんと座っている。(食事も自室に運んでいた状況が長く続いている。自室から出ないで籠城中)
何気なく横に座ると嫌な感じはしていない様子。「よーHさん、元気!」と声を掛けた。「なによ?」と言った反応。こりゃーダメだわ。
 席を変わろうとすると、彼女から話しかけてきた。その内容を掻い摘んで紹介します。
○「大変だよな」*「暑くてな」○「こんなに高くなっちゃってな」*「今日はまだ涼しいんじゃねーか」○「・・・・?」
○「あれ・・小泉さんがダメなんだよな」*「・・・・・・?」→中間解説しますと、どうも会話が噛み合わない。
○「安倍さんが病気でやめちゃってよ、福田さん頼りになんねーでよ。たいへんだよな」
ここで私は彼女が何を言っているのか了解しました。それから暫く二人で時事放談。脇でTさんがこの二人何はなしてんだかと怪訝そうな顔。
*「Hさん、すごいなー物知りだよな」○「病院で話聞いてるっから知ってるんだ。それと部屋でテレビばっかり見てるから」
彼女の言いたい事は、物価が上がってしまい、これから大変だということだった。
 忘れぬうちに。《注釈》○はHさんで*は私。
それに7時ちかくになってGHのメンバーが徐々に集まってきた。彼等は今日も仕事をしてきた。そして皆さん盆休みがあることを私に告げる。それぞれの家庭の事情がある。実家に帰れず、両親の墓参りだけをしてまた戻ってくる人もいる。
 忘れぬうちに
模擬店は学生VS(つくば大)が担当している。彼等は毎週クラブで来てくれる学生。その中に車イスの方がいた。
 彼は友達に押して貰いながら踊りの中に入って一緒に踊った。彼の凄いところは明るいこと。
この13日から絵画教室のグループ展をコスモスで開く。行事が多い。田圃の道の両脇にミニむしろ旗をずーと長く立ててある。近所の方が奇妙に思ったのか、問い合わせがあった。翌朝起きたら、道の両脇に青の旗がずらーと風で靡いている。幻想的というかなんというか?
 近所の人には、「今度、住職何を始めるんだかー!」 その説明をするには昨夜の盆踊りは絶好の機会となった。
 それに一番良かったことは、昨夜は全員の利用者さんが参加できたこと。

925:裏表

寺の畳替えをいつしようかと考えている。もう15年以上取り替えていないから随分と持ちが良い。普段の生活で利用していないからであろう。今は畳裏を利用するのだろうか?疎くなったものだ。
 ”表裏一体”という言葉があります。関係が密で切り離せないことを言う。今、中国はオリンピック一色である。世界で1位の13億の人口を有し、4位の広大な国土を持つ中国、その歴史も5000年を遡ることもできる。全てがスケールが違う。
 ご存知の如く、近年の経済発展は目覚ましく、内政問題化している沿海部と内陸部の経済格差、更に55の少数民族があるという多民族国家。オリンピックという華やかさの裏に情報制限があっても洩れてくるテロなどの事件、圧倒的な漢族(92%)支配の影に宗教や民族によって異なる民族の不満を抱えている。
 差ほど昔のことではない、カーキ色の国民服と自転車、上海や北京という大都市にはその面影はない。この急激な社会の変化は、すでにブレーキを掛けることが不可能になっている。その一端がテレビの画面から流れた今回のオリンピックの開会式に見られた。マスゲームと言うには例を見ない次から次に出てくる出し物はこれでもかと言わんばかりの電飾と嗜好を凝らした演出となる。世界中に今の中国の力を誇示するには充分し過ぎるほどの開会セレモニーとなった。
 果たして人類史上でどこかの国で斯様な急速な変化を経験したことがあるのだろうか?それもこれだけの大国において。
その反動もまた多くの人々に不安をいだかせる。
 世界は動いている。同時期にロシアとグルジアでの紛争が起こった。かつてのソ連が崩壊し、様々な独立国が誕生した。依然として更なる地下活動が後を絶たない。そしてアフリカでの強権政治、マスコミでの報道が少ないだけに我々の関心は高いとはいえないが、悲惨な状況は現に存在する。
 足元を見れば、これまた様々な事件報道が後を絶たない。規模の大小を問わず、社会劣化の根元は同じのように思える。
「求不得苦」(ぐふとくく)を今年の施餓鬼布教のテーマに選んだ。
 知る人は知るで、”四苦八苦”の7番目の苦である。これには2通りの解釈が成り立つ。@求めても得ることができない苦しみA得ることができないものを求める苦しみ・・・・である。微妙に違うのがお解りでしょうか?
 いずれにしても結果として苦を感じるわけだ。
 経済至上主義によって起こる問題の原因は、人間の欲望には際限が無いということにある。どこまでも豊かさを追求するとなれば紛争や悲劇は避けられない。良い例えでは無いが、隣りに蔵が建てば腹が立つは真理である。同じ国、同じ家族の中でさえ、格差が生じれば不満が生まれる。自分だけは我慢しなさいという論理は、些か虫が良すぎる話。
 そこで登場したのが宗教や哲学、未知なる大いなる存在を掲げた。誰しもが経験していない世界を信仰という行為で探る。 宗教もまた複雑に枝葉分化が止まらず、衰退と新生を繰り返す。根本の教えそのものが見えなくなるのも避けがたい。
 過去にどれだけ多くの人々が何かに救いを求め、悩み苦しんだことか!裏と表、良寛の辞世の句ではないが、「裏をみせ表を見せて 散る紅葉」が私には良い。 また例の如く、畳替えの話がどんどん変な方向に飛び火してしまっことをお詫びします。

926:臥薪嘗胆

北京で開催中のオリンピックは、また様々なドラマを見せてくれる。参加選手はそれぞれの国を代表するエリートである。メダル獲得を目指し凌ぎ合う姿は、テレビ画面を通しても熱気を感じるのだから、現地で目の前で観戦すれば自然と力が入るはずだ。柔道の谷は5大会連続出場、まさに20年の長きに渡って代表の座につき、それなりの結果を出した。今回は銅メダル、しかし、結婚し子供を育てる中で練習に励んだ。我々には想像できない。それに北島、彼は25歳だという。100メートル平泳ぎで世界新を記録して見事に優勝した。有言実行型でなにか小憎らしい程に自信たっぷりな言動、日本人に一番欠けているタイプの人間だ。しかし、優勝インタビューで声につまって涙を流した彼の姿は見る者に感動を与えた。
 ”臥薪嘗胆”(がしんしょうたん)頂点を目指す日頃の努力は、想像を絶する。
いつも思い出すのは、東京オリンピックでマラソン3位に入賞した円谷幸吉、国立競技場のセンターポールに日の丸を唯一掲げた人である。その彼が父親に宛てた手紙に「幸吉はもう走れません・・・」と書き記し、自死を選んだ。
 ここまで自分に課す勝利への執念は一体何なのか!別のチャンネルを回せば、甲子園での熱戦、一回戦で敗退したチームも自分達の夏は終わったと一安心しているのだろうか。その延長線上に今回の北京を最後にオリンピック種目より除かれる野球がある。
 彼等もまた高校野球で必死に白球を追った経験を持つ。スポーツで優越を競うのであれば、負けても相手を殺傷するまではいかない。ロシアとグルジアの紛争の最中、両国の選手が共に表彰台にのって肩を寄せ合っていた。「戦争はして欲しくない」と語っていたという。
 昨日今日と施餓鬼が続く、なかなか暑さがおさまらない中で経を読むのも体力のいる仕事です。今、全国の寺院で同様のことが行われている。もうじきお盆、墓参する人が先祖の前で何を願うのか、こればっかりは本人にしか分からない。
 ”夢””願い”これらの字は私が好きな言葉です。
 不思議なもので、夏のこの時期一番似合う字だと思っている。日本人のDNAの中にインプットされている心情、これこそ裸で着飾らない本当の姿だと思うのです。
 暑い夏もヒグラシ蝉の声と共に秋を迎えることでしょう。亜熱帯化した気象も気になるところではありますが、お盆、そして彼岸という年中行事、皆さん一人一人が”夢””願い”を静かに思い起こす良い機会です。
*お盆モードに完全に入ってしまいました。悪しからず。

927:カウントダウン

気候が変だと誰しもが感じている。それは特にこの時期ピンポイントとかゲリラ降雨などと言われているように天気予報泣かせの状況が続く。昨日もそうだった。施餓鬼に集まるのは近隣の寺院、雨が欲しいと私が言うと今日は滝みたいに降ったという。ウソのようなホントの話。茨城県は水戸と土浦が気象庁の予報地域、通年で気温で1度〜2度違う。土浦は県南地域で霞ヶ浦と筑波山の影響があるようだ。それが土浦で半径10キロ範囲で雨が降ったり全く降らない状況が出ている。亜熱帯地方のスコールのようなものかもしれない。確実に自然環境が変化している。
 今日からお盆に入った。天気のように変化するものではなく、寺の坊さんとしては、皆さんと合わせ、どことなく忙しいそうにはしている。私にはこの期間、逆に予定を入れないし、盆中だからという言い訳ができるから気分的には楽である。
 まー私にとって、8月15日は敗戦記念日と誕生日が特別である。特に何をやるという訳ではない。今年は58回目の誕生日、よくもここまで生きてきたものだ。さてと、これからどれだけ生かしてくれるものやら、天寿ということだから、大いなるものにお任せするしかない。坊さんには定年が無い、自分で名誉住職になって退くか全く還俗してしまうか。私にはその選択肢は両方とも無いと思っている。生涯坊さんで行けー。それ、走れーって具合。寺で住まわせて頂いているんだから仕方がねーかも。世の中どうも上手く行かないのは、本心を言えば福祉の仕事は生涯やっても悔いはない、寧ろ望むところ。
 だが寺のほうは、そんな訳にはいかない。これがルールだ。一生しがみついていなければいけないのか。
自棄に朝から蝉の声が耳につく。蝉は一夏を越して生涯を閉じる。体全体を震わせて泣く蝉の本心はいかに?
 亡くなった友人に花を送った。郵便局から送ることができるから便利である。早いもので3年忌も済み、いつもすまないとお母さんからの電話を昨夜いただいた。こうやって自分が歳を重ねる毎に、知り合いが亡くなる。その記憶ばかりが増えて、いざ自分のこととなると正直何も考えられない。
 皆さんいかがですか? 仏教には四弘誓願というものがあります。菩薩の発する4つの誓願です。衆生無辺誓願度・・・・・・。自らが発する何かを見つけ出せましたでしょうか?どうも私の場合は、チベットの大草原かどこかの島で真っ青な空と海の下が背景になってしまいます。あまり人がいない所が良いですね。地元の方と片言の言葉で充分、何も語らなくても生きているという実感がもてる。そして自分の歩んできた道を思い起こし目を閉じる。夜、空には満天の星が煌めき・・・・
ひゃーたまんねーな。 最近夢を見たことがない。寝てるんだか起きてるんだか分からない。
 もう良いよ。制度がなんだとか消防法が変わるとか変わんねーとか、日割り計算がどうだこうだ。光熱費が上がったすべったとか。もう本当に良いよ。勝手にしてくれー!   「ひゃー」と叫んで目が覚めた。
 今朝 体重計にのった。正確性にちょっと疑問がある旧式の体重計だが、67.5キロであった。

928:新盆模様

今年も新盆まわりを始めました。今年学園で亡くなったKさんのお宅にお邪魔しました。旧職員のIさんが丁度来られていました。精霊棚には菩提寺で用意してくれた永代供養の掛け軸が真ん中に飾られ、学園のTシャツを着て笑顔で飾られた遺影。
 ご両親も少しは落ち着いたのでしょう、葬儀が終わり納骨も済んで初めての息子さんの盆を迎えたのです。お父さんがいれてくれたコーヒーをいただきながら思い出話を話す。例年であれば、Kさんはお父さんにコーヒーをせがみ、美味しそうに飲み、10時になると外に電車を見に連れて行けと要求する。見晴らしの良い定位置があって、そこでお父さんと一緒に電車を眺めて暫くすごす。多分彼の両手には電車が一杯のった絵本があったに違いない。
 お母さんが言っていました。「お父さんが仕事がなくなってしまって・・・」帰省中のKさんの担当はお父さんの役だった。
Kさんの大好きなコーヒーを沢山戴いて帰ってきました。
 
 親の会を盛り立ててくれたY会長も今年亡くなり、お宅を訪問しました。Y会長の熱意は決して忘れることはできません。施保連の茨城県支部を作りたくて相談したところ、大賛成、何度か東京での会合にご一緒しました。いつも杖を離さず、それでもご自分で駅のエレベーターの有る場所を調べ、一人で東京や横浜に通ったのです。茨城県施保連の発会式には、もうY会長はいなかった。
 新盆は格別かもしれない。故人を思い起こす絶好の機会、多くの事を残して逝った。 出会いを大切にということは、別れが有るからでしょうね。この別れは時に憎しみや恨みを伴う場合もあります。しかし、全てがそうじゃない。
 その人らしく精一杯生きた証は、残された者に多くの教えを伝えるものです。先のKさんの生き様は、いくら暑くても寒くても玄関先に出て電車が来るのを待つ姿、職員の車を覚える能力もまた凄かった。
 Yさんは、親として何ができるかを様々な角度から追い求めていた。言葉だけでなく自らが率先して行った。
ご冥福を祈ります。

929:気になること

夏休みに入り、各寮の利用者さんは大分少なくなった。皆さん実家に帰られた。だがいつものことだが気になることは学園に残る人達。朝、スタッフがブロックを並べて庭で何かをやっていた。私は新盆まわりに出かけた。夕方帰ってくると、庭でバーベキュウをやっていた。利用者さんとスタッフの数が同じくらい、聞くとボランテアで参加しているスタッフもいるとか。
 ゆっくりのんびり束の間のお楽しみ、みんなの顔がとても良かった。
下のコスモスで第2回グループ展、来客は有ったのか否か?ちょっと気になることそれはこれだけ多くの作品を何か形に残せたらということ。展示は外向けのイベント、バーベキュウは内輪の楽しみ、これが上手にマッチすれば尚のこと素晴らしい。
 GHでの生活者、大体自由な時を過ごすのが苦手ときている。盆休みなどまとまった休日をどう過ごせば良いのか分からない。各自に任せてあるのは聞こえは良いが、いつもこれでは気になること。
ひとつのアイデアだが、実家行き墓参ツアーを企画してはどうかなー。当てつけになってはまずいのだが。
どうも性分ですね。気になりはじめるともうどうにも止まらない。そんな事を考えながら檀家廻りしているから、商売道具またしても忘れるんだ。またもや数珠を忘れた。私の車でなくいくら車の中を物色しても代用できるものは出てこない。戻るのも癪だし。仏具店に入って「数珠ちょうだい!」「住職どうしたの?」「数珠忘れた」  6500円の数珠を5000円にまけてくれた。感謝・仏徳なり。
途中、携帯に電話、「住職何時ごろ来てくれますか?」「わかんねー」「できればなるべく早く」
地図片手に一軒一軒訪問、時間が読めるわけないでしょうと実は言いたかった。
午後一番に行くことを約束、すると近くまで出て待っていてくれた。
 部屋に入ると「了解」狭い部屋にいるはいるは大勢が待っていた。おばあちゃんの初盆だ、孫や親戚が私の来るのを待っていた。余計な事を言わないで本当に良かった。
*暑いので短めに。これもまた性分というか生臭というのか、変わりませんわ。 

930:サンクス

誕生日である。誰がなんと言おうが私の58歳の生まれた日。ここまで生かされて来ました。殊勝な心がけでしょう。自画自賛はいつもの如し。
 おめでとうございますという連絡がありました。嬉しいね。
 記憶は新たなり。この年になると様々な風景が浮かびます。京都の三千院のタッチュウ寺院に素晴らしい所があります。大原周辺はこの夏は厳しい暑さを迎えているに違いない。京都の日中は盆地性の気候で気温が上がる。しかし、夜になれば比叡山からの風を受け、思ったより涼しい。鴨川や高山寺もまた風情があり、好きな場所だ。
 それに海も良いなー。誰もいない日本海も格別、街の景色は大分様変わりした横浜、ここは夜景が一番、日本中至る所に素晴らしい場所がある。これらの記憶は活力の源泉、自然に感謝、人にサンクス、こうやって誕生日を迎えました。
 多くの戴いた恩にどう報いたら良いのかと考えても良い方法が浮かびません。読んで頂こうがどうか知らないがこうやってあてもなく書き続けること。
 私は確信している。坊主とか福祉とか理想の型はない。仏教しかり、膨大な量の経典が何を意味するか!まさに先人の悩み思索の歴史である。福祉に関すれば、これほど曖昧模糊としたものはない。何が福祉かすら定義できない。
 ただ言えることは、制度や法律でいくらしばってみても所詮意味をもたない。福祉の原点は”如何に生きるか”である。
 価値観は経典と同様、人間の数ほど有るのです。
そして、人間の価値は、どれだけ許しあえる人間を身近に持ち得たかである。許しの無い所には争い事が止むことが無い。
 それが我が子であろうが、家族であろうが・・・・・
 オリンピックでのメダルの数、金銀銅に至らないものの中にこそ、本当の賞賛があってしかるべき。
私はいつもこうやって様々な事を思い浮かべながら次なる誕生日を待ちます。
Thanks for your message about my 58 birthday at this morning ! グラーッチェ メルシーボーク。ダンケシェーン!