源究 7NO101〜NO110)

撮影:T.A

101:経営戦略? 4/21 106:生老病死 5/1
102うまくいきません 4/24 107:リスク;M 5/4
103:アクセス19000 4/25 108:ゴルフ 5/6
104: ドジ& doji 4/26 109:空海・・ 5/10
105:ソフト試合結果 4/26 110:未納兄弟 5/12

101:経営戦略?

私の目はカメレオンのようだ。広角レンズの如く。ある時は利用者の健康に一喜一憂し、ある時は職員の顔色を伺う。また、ある時は地域の人々の反応に耳を欹てる。そのような中に常に経営責任という圧力。これは事業の大小に関わらす経営者という立場にあるものの宿命。
 最近、私が力を注いでいることに土地探しがある。今時土地を買うのか!今すぐ必要というものではない。しかし、尚恵学園の厚生園と成人寮を横断するという16メートル道路の計画がある。この事は市の計画図に載っているので30年前から分かってはいた。しかし、正直地元地権者の同意が簡単には得られないからまだまだ先の事と考えていたのも事実。それがここの所、開発がこの地域にまで及んできた。いよいよかなと考えたら急に落ち着いていられなくなった。つまり、現在の事業内容を基本的に見直さなければならなくなった。今、利用者さんが自由に70メートルほど離れた2つの施設を行き来している。先ずこれが不可能となる。危険だ。それから一部現在の敷地も道路にかかる。そうなると問題が大きい。利用者さんの生活パターンが狂うことになる。
 そこで適当な引越し場所を探すことになった。引越しといっても簡単ではない。膨大な建築費がかかるし、社会福祉法人の建物は簡単には壊せない。老朽改築に併せてという目論見だったがそれもまだまだ先のこと。そして、いざ適当な土地が見つかったとしても今は地元住民の建設同意が必要となる。言葉は不適切だが実際は迷惑施設ということになっている。これだって日本という島国根性の最たるもの。言ってみれば自己中心、自分だけが良ければそれでいい。日本人の心の貧しさ。可笑しいよねと言ったって誰も取り上げてはくれない。
 それに輪をかけて隣の懐具合を気にする癖、土地を買うなんて景気の良い事などといった皮肉とも聞こえる周囲の声。何を言っているんですかこの日が来るのを予測して40年も苦労して積み立ててきたお金ですよ。
 どうもこの辺の取るに足らない世間の眼が気になるのも正直なところ。
さらに追い討ちをかけることがある。福祉予算が老人福祉にかかりすぎるために障害者へ回す資金不足。これが深刻。だってそうでしょうが支援費制度が始まってまだ1年というのにもう介護保険へ移行するんですってよ。どこまで行っても課題が尽きない。経営戦略どころのレベルではない、ため息交じりの愚痴そのものです。せめて大きな夢だけは持ち続けよう。私の座右の銘  『日々是生涯
 

102:うまくいきません!

思うようになろうとするのが本来おかしい。特に人間相手の関わりは全くこちら側の思いが上手く相手側に通じないことが多いものだ。最近どうもそう感じることが増したように思う。例えば良くあることだが、相手の体調を思って伝えないことや自分で代わってやってしまった事への反応。又は、このようにしたほうが良いよという相手を思ってのアドバイスなど。こちら側の意図が上手く通じないことって多いよな。「そうじゃないんだよ」なんて言い訳するものなら輪をかけておかしくなる。一体この現象はどこから来ているのだろう?。周りの反応なんてクソ食らえ我が道を行くなんて粋がってみたってそうは上手くはいかないものだ。そこで、心静かに自分の生活を省みる。夜中にどうも眼が覚める。この第1の理由は生理現象、トイレで用を済ませるとどうもその先しばらく寝付かれない。そこで枕元の本など読み始める。それから雑記ノートへ走り書きする。そして、ラジオのスイッチを入れる。5時半ごろには裏のパン工房のスタッフが仕事を開始、車のドアの開け閉めの音で分かる。ああ・・・朝早くからご苦労さま・・・・学園に7時ごろ出る。車で3分。先ず、園長室の植木に水をやる。お線香に火をつけてパソコンを開く。メールのチェックだ。朝刊を読み、その後神宮寺へ朝の勤め。その頃になると日勤の職員が出勤してくる。「お早うございます」ドア越しだが私が部屋にいるのを察知しての挨拶。慌しい1日がこのように始まる。来客やら書類に目を通し、午後になると外回りの仕事に移る。・・・・・
この日課をもう何年も続けてきた。しかし、これは何も起こらなかった日の動き、そうは行かない。会合や誰かとの食事が増え、更に思いがけない事への対応。最近、これらのことが増している。
私の最近の心境はこの辺に原因があるのかな?昔は魚釣りに朝の4時ごろ出かけた。何も考えず、朝露に濡れた葦の木を掻き分け、釣る場所を確保、小鳥の声や水の中で魚が息をしている泡を見て、「よし一丁釣ってやるか」と気持ちを高ぶらせる。結果は魚が釣れなくても何かすがすがしい気持ちになれた。それから仕事についた。

103:アクセス19000回

自分でHPを作り始めた頃、何度も失敗しその都度指南役のSさんのアドバイスをもらった。昨日でアクセスが19000回を超えた。正直嬉しい。少なくとも間違ってアクセスしてしまった人以外は何らかの興味を持って開いてくれたものと信じている。SJKのHPはプロがデザインしたものでないから読みにくい。重々承知している。しかし、私が心掛けたことは成るべく頻繁に更新することにした。そうでないと飽きられる。また、地域により回線能力の関係で問題もある。高速回線がまだ利用できない地域はしばらく我慢しなくてはいけない。HPとの奮闘では失敗談が数多くある。ウイルス感染により、全くPCが動かなくなった。データーを全てだめにしたこともある。私のアドレス帳からひとりでに送信された感染メールで偉い迷惑をお掛けした。
 HPとメールを利用すると世界が広がる。マレーシア:ネパール:ドイツなどとの遣り取りが瞬時にできる。辞典片手に英語でメールも打った。返事がきた時には感動。昔は最低2週間掛かったエアーメイル、今はほんの数秒。それから役所との文章の遣り取りもメールを最大限に活用した。特に、私が担当した茨城県心身障害者福祉協会の社団法人設立の時は助かった。水戸まで書類を届ける回数が10分の1以下だあった。
 反省点も数多くある。SJKネットサービスの公式HPであるはずのものが、どうも住田のプライベート領域が多く成り過ぎた。
 今後、HPをこのように活用したいと言う夢はたくさんある。ネットワークを作り、地域は別にしながらお互いが情報を共有し、交流を深めるという夢である。アクセスをしてくれた方々に感謝しより充実した内容のHPにしたいと思っている。
 

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104:ドジ& doji

俺もとうとう呆けたかなー!日曜日は朝から大変なんですから。二つの寺での時間差法事、それから場所を変えてのお墓での法事そして自宅での仏壇開眼・・・・・・。スケジュールにそって動くんです。今日はまだ3件だからいつもよりは楽勝。法事の合間に催すことなどはしょっちゅうでござんす。今日も急いでトイレに飛び込んだ。飛び込んでイザという段になって『アレー無い。どこへ行っちゃたんだよ』探した。しかし、見つからない。手探りで下へ下へと手を差し伸べる。するとお尻の側に社会の窓。『まーどうしよう?』それから着物を手繰り寄せては見たものの重ね着で帯が強く縛ってしまったから出てこない。『いやいや参ったなー』そうか今朝は急に寒くなったからズボン下(ももひき)なるものを急いで穿いた。前と後ろが反対だった。
第2弾doji
誠に品の無い話。ももひきの紐が切れた。前から気にはなっていた。しかし、大事な法事の席で切れた。最初どうにか着物の帯で抑えていたが立ったり座ったりするうちに帯からずれた。手に引金というものをもって先導する役だった。後ろから5人の坊様が真面目な顔して着いて来る。
 そこは階段になっていた。丁度一段目を降りたときドーンと股引が落ちた。両手はふさがっている。
 にょきにょき歩き。様にならない。ああ・・・。

上の原学園との試合

105:ソフトボール試合結果

霜月会は年2回実施している、県内の5つの施設の職員の親睦ソフトボール:ここ何回かは尚恵学園は優勝か2位という好成績。結構学生時代に野球をやっていた職員がいるからだろう。私も以前はサードを守って試合に参加した。しかし、今は全く声がかからない。戦力外ということらしい。その代わりやるなら勝てよと檄を飛ばす。その甲斐あってだかどうかここのところ成績はとてもよい。今回も優勝したという。それから通勤寮の関東地区ソフト試合もあった。群馬県まで行って試合を行った。第1試合目は勝った。2回戦は東京とぶつかりこてんぱんに負かされた。
尚恵学園にはすごい選手がいる。元通勤寮の利用者でMさん。今は自立してアパートに一人で住んでいる。彼は茨城県代表チームの4番でサード。花形選手。このまえ茨城の監督と話をした。「Mは守備は抜群だけれどバッテングがちょっとね」と話していた。何故か?それは全打席ホームランを狙ってしまうという。そうだった彼はゆうあいスポーツ大会で優勝した時逆転のさよならホームランを打ったんだ。それが頭から離れない。
なんでもそうだ。彼は野球に打ち込んでいるときの顔はすばらしい。自信に満ち溢れている。そして、今アパートでの一人生活、自炊も洗濯も全て自分ひとりでやっている。その意味では尚恵学園の花形選手なのだ。

106:生老病死

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四苦八苦。『苦』の本来の意味は「思うようにならない」ということです。ここのところ次から次へそのことを実感することが起こります。逆に「思うようにならない」からどうなんだ!と開き直りたい気持ちだ。釈迦はその辺を四諦という言葉で説明する。4つの諦め。苦集滅道。苦の起こる原因を見極め、それにどう立ち向かえば良いのかを説く。道それは8つの正しい道(八正道)を行えば叶えられると。紀元前5Cの釈迦誕生の時代、2つの大きな考え方があったという。死生観について。死後の世界は何も無いからこの世で好きなことを充分味わえという快楽主義を唱えるグループ。その逆は死後の世界は生前の行いにより地獄になるか天国になるか!輪廻転生に通じる考えのグループ。
釈迦はその2つのグループのどちらかをとるのではなく中道を説いた。極端を嫌った。しかし、現代に目を転じてみよう。2500年前と全く変わらない考えがある。つまり。2つの考え方をする人たちがいるということである。多分私はこう思う。これは人間が生存する限り変わらないことだと。自己本位;苦楽:博愛:聖戦:など思いつくこれらの言葉の背景を探ると行き着くところはあまり変わらないんだな。これが真理。
 しかし、人間の一生は短い。50を過ぎると年を取るのが加速する。そしていつ何があっても不思議ではない。朝、元気に出かけて夕に帰ってくるときは霊柩車。笑い事ではないんですよ!みなさん!
 そこでどうするか?
 50を過ぎたら自分の死から今を見るということだと私は思っています。『ああー俺の人生もこれでおしまいか。悔いがなかったな!そして、お世話になった人へありがとうと言って』これが真理ですよ。いつまでも元気でいるなんてことは望むことはいくらでもできますけれどね実際はどうだかねー。私は幸か不幸か(?)坊さん。様々な人の死を見つめてきました。遺族になんと言って良いのか分からず。お経を読んで急いで帰って来たこともあります。大切な人の死の悲しみを癒すことができるのは『時間』と『自分』しかないんじゃないですか!偉そうなことを他人が言ってみたってダメです。自分がその人の死をどう受け止め、これからどう生きていくかを決めなければダメなんですね。仏教、キリスト教、イスラム教様々な教えがありますけどそれは手助けにはなると思う。でも最終的に自分が納得しなければなんにもならないでしょう!
・・・・・・とても素晴らしい絵を描いた人が亡くなった。「みんな みんな いい人でした。ありがとう
ありがとう そして ごめんなさい
」と書かれた遺書があった。

107:リスク&マネージメント

夕べ電話が入る。また何かあったな?大体そのような時の私の勘は当たる。2人の利用者を大洗に遊びに連れていった。1泊だった。そのうちの一人が食事中急に容態が悪くなり食堂の椅子から倒れた。冷や汗を掻き、目を白黒して意識朦朧、今にも死にそうな状況(担当者談)。宿の計らいで救急車を直ぐに呼んで病院へ運んだ、その一連の経過が担当者より私の所に電話で入った。夜の8時前であった。医師の診察では本人が疲れと環境の違いにより刺激が多かったことと夕食に出たコップ一杯のビールが原因で血圧が急に下がったとのではないかということ。血圧は上が60下が40だったという。結局。点滴を病院でしてもらい落ち着いたのをみてから迎えに行った職員が車で本人を連れて帰ってきた。当に危機一髪のところだった。もう一人は折角のたのしみということで残ったスタッフと旅館に泊まった。
いつものことだがその場の判断は難しい。今の時代好き好んでリスクを負うものはいない。今までもかなりの確立で多いのは好意により実施した時が多いというのは一体何故なんだろう?今回も連休にも関わらず誰も家族の面会がない二人の利用者をスタッフが海に連れて行った(少外出)。その宿泊先の旅館での出来事だった。
 リスクに対して神経質になりすぎると何もできなくなります。いま、契約の時代、益々その辺が難しくなってきた。 地域で生活をしていただくというGHも然り一歩間違えば大いにリスクがある。この連休あるGHの利用者が一人で実家に帰った。私との話を紹介しましょう。。。。。。。。。「おれ、いまから家に帰るんだ!」「ほう、仕事休み?」「うだーよ」「一人で帰れるの?」「また言った。こりゃーブクシ」「どうやって帰るんだい?」「バスで江戸崎」「それから?」「タクシーのんだーよ」「運ちゃんにどう言うんだ?」「わかんねー」「そんじゃ。いけめーな」「いけんだよ。」
どうやってタクシーの運転手に行き先を伝えるのだろうか?いつもそうしているらしい。
これだもの、変な運ちゃんにあたったら大変だ。これもリスクでしょうね。マネージメントということを言われたらもうどうしようもありません。自己責任ということは?

108:ゴルフ

生臭というのでしょうか?私はゴルフが好きです。これは正直な気持ちでして、次に何故好きになったのかということをお話いたします。ゴルフはあくまでも個人のプレーが原則ですね。ま!一人でプレーしても面白くないので仲間と一緒にコンペをしたり、勝ち負けを決めたりするルールをつけたりするのです。しかし、これはあくまでも個人プレー。私は野球、サッカーと集団でのスポーツをクラブの中で夢中にやってきました。でも、こと勝負にこだわってしまうと『あいつがミスしたから負けたんだ』とか『あれがあんなことをしなければ勝てたのに』とかどうも勝負の勝ち負けを相手のせいにする傾向があるんです。一方ゴルフというのは自然の豊かなところでボールを追いかけてクラブでそのボールを打つ、最終的にホールに何打で入ったかを競う極簡単なスポーツ。しかし、これが実は大変なものなんですね:
 自分の性格がモロに出るんです。自分の失敗をキャデイさんのせいにしたり、悔しさまぎれにクラブを放り投げたり。また、相手がいるのに自分一人でどんどんプレーしてしまう人。大声をたてて他人の迷惑を考えない人。嫌なタイプの人です。
それじゃお前はどのタイプ?、自己分析してみます。
 諦めが早い:小さな事は気にしない:せっかちである:など。これをもう少し具体的にお話すれば、大たたきするともうスコアーが気にならなくなる。行けいけドンドン。ワンクラブOK.。朝一番のスタートホールで昼飯が何が上手いか考えている。午後のT番ではここのお風呂はどうかな?と考えている。スコアーの良い人を見るとどうにかして足を引っ張ろうと頭をひねっている自分に気づく。他人がOBをするとくすっと笑ってしまう自分。相手の打つ格好を見て「ありゃ まだまだ修行が足らないな」と評価している自分。などなど。
あまり、良い性格ではないな。でも、これだけはいつも心掛けているんです。楽しくプレーすることと他人のせいにはしないこと。実は今年はあまりゴルフをやっていません。ですから成績は悪い。このスポーツは誤魔化しがきかない。
日本のゴルフ場はすばらしく設備がいい。外国のゴルフ場は全くちがう。立派なクラブハウスなんかない。自分のバックは自分で持ってプレーする。お金も安い。これで充分だと思うのです。
それから最近はゴルフ場で携帯電話で仕事の打ち合わせなどをしている人が多い。これも日本人ですね。生来働き蜂なんです。自然豊かな山にまで来て携帯が通じないとぶーぶー言う。そんなら来るなって言うんだよ。

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109:空海と高野山

空海と高野山展を上野国立博物館で開催中。昨日午後から行って見た。日曜日ということもあって大変多くの人が入館しており、ゆっくり見るということはできなかった。高野山から初めて外部に出た仏像などが数多く展示されていた。博物館で先ず感じたのは若い人たちがかなり多くいたということ。それもノートにメモしながら熱心に見ていた人もいた。空海は真言宗の開祖、高野山は私も何度も登っているが空海がご入定されている場所。亡くなってはおらず今も奥の院に生きて我々を守っていてくださるという。関東から行くにはちょっと交通の便が悪い。大阪の梅田から近鉄で行く方法が一番かもしれない。土浦からバスで行ったときはかなりの時間がかかった。和歌山県の山奥にある。四国88箇所めぐりは今NHKなどの放映もあって人気がある。88箇所を全て廻り終えた後におまえりするのが高野山奥の院。お大師さんお蔭様で全て廻り終えましたよとの報告(結願)をするのである。
 私は真言宗の僧侶、弘法大師には特別の思いがある。これは当然なこと。しかし、約1200年(延暦23年:804年)も前、中国に渡り、仏教を学び、その教えを帰国して日本に広められた。このエネルギーはどこから来ているのだろうか?
比較するのもお大師さんには大変失礼なこととは知りながら、どうみても今の日本に見当たらない。博物館に展示されたお大師さんゆかりの宝物に現代の人々が何を感じ自らのものとして生かしていけるのか?
国宝になっている『風信帖(ふうしんじょう)』がある。(本館2階)これは天台宗を開いた最澄と空海の手紙の遣り取りである。お二人は同時に唐に渡りそれぞれが中国から仏教を学んでいる。命を懸けて求法したお二人の日本を思う気持ちは言葉で表せない。
遠い過去のことと思うには今の国会議員の方々の有様はいかがなものでしょう・
 

110:未納兄弟

未納3兄弟の名づけ親が自ら未納者に仲間入りした。結局は責任をとり辞めるはめになった。出るわ出るわ。連日未納が分かった先生方が頭を下げる。一方ではイラクにおける外国人殺害という目を覆いたくなる報道。本当にどうなっているのか?腹を立てる気力もでない。こちとら毎日必死になって生きているんだ!年金問題は根が深い。本来積み立てた人に還元すべきものを他に運用した。これがことごとく失敗。保養施設なる超豪華な施設は全国で13箇所あるというが,全てが赤字、2005年には全て廃止するという。どこかに引き取ってもらうにしても建設費用の何十分の1という金額。この無駄の責任を誰も実際はとらない。真面目に働いて将来の年金と思って積み立てたお金がこのざま。国会議員の年金は400万以上。これは一般の人々の大よそ5倍という高額。大体、議員さんが高級車を乗り回し、高級料亭で宴会ばかりやっている国で栄えたところはない。当に末期現象にある。この辺のことは分かっている国民も余程人が良い。怒らない。
 実名は避ける。先日97歳のおばあさんの葬儀があった。参列者は10名にならないひっそりとした葬儀。でも、私は本当に感動した。孫にあたる方が喪主、彼の父親は彼が8歳のときに谷川岳で遭難して亡くなった。父親が30代だったという。そして、97歳のおばあちゃんを看病するために彼は会社を辞めた。葬儀にお金を賭けたくない。否、賭けられない。彼は多分親に先立たれ今まで本当に苦労してきたんだと思う。そして親代わりになったのが97歳で亡くなったおばあちゃんだったんだろうな。尋ねなくても充分想像できた。同じ日本にこのような目立たずひっそりと生活をし、誰に迷惑をかけるわけではなく生きている人がいるんだよ。未納だかなんだかしらないけれど97歳の年寄りを看病するために仕事を失うような国にした責任を偉い?先生方に感じてもらいたいものだ。