源究35

大阪:矢木さん撮影 大峰山・・・オオヤマレンゲ

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
381 広がれ! 7/14 386 不謹慎な# 7/23
382 プロ魂 7/15 387 兄弟 7/25
383 公共下水 7/17 388 100円ショップ 7/28
384 梅雨真っ盛り 7/19 389 塔婆書き裏事情 7/29
385 慈悲魔 7/22 390 盆踊り 7/30

381:広がれ!

今年一番の暑さ、その中で関東地区の施設職員のゴルフ大会が茨城県の笠間東洋GCにて開催されました。最初は福祉の職員がゴルフなんてという影の声を意識しながら好きな仲間でこっそりと始まった。茨城県ではゆうあいピックからだからもう10年以上になる。コンペ(MTC)の回数も60回を越す。それが北関東三県での持ち回りの大会に発展、そして今回が第三回の関東地区大会となった。どこまで広がるか?私は今回は残念ながら参加できなかった。でも表彰式パーテイに参加、60名を越す大きなコンペ、和気藹々とした雰囲気が直ぐに分かった。途中参加でも違和感がなく1時間ちょっとのパーテイは最後まで笑い声が絶えなかった。群馬;栃木;千葉;埼玉;そして開催県の茨城、団体戦で茨城が見事優勝、ベスグロ79というなかなかハイレベルの試合だったようだ。次回こそ東京:神奈川:山梨の参加者を迎えたい。更なる夢は東日本大会だ!
2位は次回開催予定の栃木、日頃研修などで顔を合わせる程度の各県の参加者、交流には最高に良かったのではないだろうか?茨城県では橋本知事とのゴルフも定着している。これまた2次会まで盛り上がる相当なもの。今この大会は福祉関係者で120名を越す大コンペにまでなっっている。繋がりを持って上手いことやるべーなんで考える輩は誰もいない。もしいたとしても次回からは参加しにくくなる雰囲気がある。これって何だろう?純粋にゴルフが好きな人たちなんだよ。企画準備を得意とする仲間は他県に貸し出す位たくさんいる。様々な人との交流から新たな発想と実践が生まれると信じる。国レベルでは道州制の検討もされている時代、私はどちらかというと難しい話より、こっちのほうが好きだ。次回は参加しよう。
 福祉には喜びが不可欠、エンレルギーの源である。その事を肝に銘じてこれからもやっていくつもりだ。皆さんお疲れ様でした。
 

382:プロ魂

西岡常一の三代宮大工の本を枕元に置いて読んでいる。薬師寺の五重塔を建築している時に見学に行き、西岡棟梁の作業現場を見せてもらった思い出がある。整然として何か霊的な雰囲気があった。
 さてと、今、観音寺は大工事?中。実は公共下水への接続工事を行っている。梅雨時の天気を見ながらの作業だから業者も大変だ。それが予定外の大苦戦。何しろ1メートルぐらいの深さを小型ユンボで溝を掘るのだが、10メートルぐらいの距離の間に、水道のパイプや埋設の電線や電話線があって、何度も引っかけて切ってしまった。その都度、水道を止め、電気のブレーカーを戻す。昨日は工事の最終段階で電話線を切ってしまったという。離れに接続の埋設パイプだった。私はどこをどのようにパイプが埋まっているのか分からない。設計事務所も分からない。掘ってみて現場対応という心細い契約、その結果が予想通り大苦戦、修理しながら進めるから予定以上の時間がかかる。それでもプロだわな。一言も苦情を言うことなく黙々として工事をしている。
 果たして自分に振り返ってみてどうか?施設の現場はどうか?いやいや比較にならんわな!
 苦情はたくさんあるし、責任は誰だのこうだのと。実は福祉の業界が自らのステータスを確実なものにするには、この辺のプロ魂が必要だと思っている。これ本当の私の思い。サービス提供の担い手が分業化され、その連携がややもすると担い手側の都合で進められているのではないのか?責任の所在やだれが担当なのか?明確にされずに日常生活が流される。
 今、福祉が謙虚に昔からの伝統を守る職人さんからプロとしての”こころ”を学ぶことだと思っている。
西岡棟梁は木の特質を学ぶ為に農学校にて林業を学んだ。北側で育つ木の特徴を建物に生かすためという。この発想はいかがでしょうか?皆さん。もし、お年寄りを受け入れる場合にどこまでそのような配慮が福祉現場に育っているでしょう?????オムツ交換1回○円なり。纏めていくらの世界ではないでしょうか!
 この精神は私はドイツのブラウンというひげそりメーカーにも感じる。ブラウンは部品を交換することで本体は長く使える仕組みが出来ている。果たして日本のメーカーはどうか?使い捨てでしょうが。あるいはモデルチェンジをしてしまう。未だ使えるの部品が揃わないからボツにしてしまう。ドイツにあるマイスターという職人魂も西岡棟梁に通じるものだと思う。果たして福祉魂が育つや否や。謙虚と怒り(単なる感情論ではありませんよ)が上手く共存できればだな。ハーイお食事ですよ*

383:公共下水

やっとできたか・・・・・。今、本当にホットしています。実は本日が観音寺が公共下水に繋げることができた記念すべき日なのであります。これはだいぶ昔の話ですがこの辺は神立での中心地、それが周囲はどんどん発展したのですが、寺の周りは何をするにも後回し、調整区域という理由もあるのでしょう。しかし、道路1本隔てれば市街化区域、下水は本管が通っている、そこに皆さん流しているのでした。昔昔、500年も前からある寺が使えなくて、先月新築したお宅が下水の心配なく快適に生活できる。これっておかしくありませんか?間違っている。住民の権利だ。
 設計士に相談したら工事費を自己負担すれば調整区域からも下水に放流できるというのが分かった。いつから制度が変わったのか昔はダメだったはず。それじゃーやるしかない。ということで50メートルばかりの下水マスまで工事することになった次第。実は公道の工事より境内内の工事が思ったより苦労したみたいだ。(NO:382より)
 下水との戦いは私の半生でもある。多少大袈裟である。何しろトイレだけでも境内には6カ所ある。それを一カ所に纏め、水位調整でポンプアップし、裏山に流していた。当然、浄化槽で浄化した汚水だが、時として不都合が生じる。ポンプの故障やらパイプのつまりだ。都会生活になれている人は分からないでしょうよ。私は尚恵学園でも全く下水には苦労してきた。こちらはもっと酷かった。何しろ衣類などをトイレに流してしまう。どこかで詰まって溢れる。それーとばかりに竹を割って繋いだ詰まり用修理棒を持ち出してパイプを押す。やったなー。本当に真っ黒になってやったものだ。それが今,尚恵学園の方は心配なくなった。観音寺だけが気になっていた。それが見事に開通したのである。
 なんだか知らないが便秘が急に治ったような気分だ。私は便秘ではありません。定期便ですが。

384:梅雨真っ盛り

初め今年は空梅雨かなと思った。梅雨入りしてからも関東には雨が降らない。それが7月中旬になってから連日雨、先週だったか、中国と韓国の雨災害のニュースをテレビでみた、今、その雨の本体は島根や鳥取:石川と日本海沿岸にきている。各地で土砂崩れなどの被害が出始めている。1時間に100ミリという豪雨は一体どのような感じなのか?日本みたいに山から直ぐに海になっている地形では山が水に急激に浸食され、木を根こそぎ削ってしまう。昨日、寺の裏で新しく家が出来るのか?山砂を綺麗に盛ってあった所を見た。
 40坪ほどの狭い土地なのに、雨が流れた後がアメリカのデスバレーの如く、深く切り裂かれた渓谷のような筋が数本出来ていた。50センチに満たない盛り土の半分以上が水によって流されていた。凄いと感じた。
 自然と人間、最近いつもそこに思いが集中、東北アジアでのミサイル問題が国連で問題になっている間、中東のレバノンではイスラエルとの紛争が勃発、何故?何故なんだ!マスコミ情報だけでの判断しかできない我々は無性に空しさを感じる。秋田での幼児殺害事件が新たな進展をみている。これだって、誰しも理解できない状況がある。何故?という答えのない問いが多すぎる世の中。誰がその答えを出してくれるのか。
 否、誰しもが自らに問うべきなのかもしれない。争いは相手があって起こる。往々にして、相手を一方的に批判することでよりエスカレートする。国と国の争いは歴史的要因もあるだろう。それよりも今の時代エネルギーや宗教による代理戦争的様相が強い。人間同士の争いは利己的になりすぎた個々の人間の問題が根底にある。東京はお盆月に入った。墓参りして先祖に感謝する、そして自らの生き様を先祖にさらけ出し有りの儘にみてもらう。
そこに私はこの仏教行事の真意があると思っている。自分の力で今があるなんて考える思い上がりを抹殺する。感謝の心から恩に報いる気持ちが生じるのだ。いつも考えさせられることだが、障害を持って生まれてきた仲間達をみていると、自分の無力感を感じる。施設の長なんていったて、一体何ができるんだい?彼らはみんな今に満足しているとでも思っているのかい?否  否 NO−だ。
 日曜日、親の会があった。今回は親子外出の行事、朝早くから迎えにきてどこかに車で出かけた仲間、
 玄関に座って、だれも来てくれないことを分かっている、それでも微かな期待をもって待っている仲間。その両方の姿がある。
 彼らの目線は私にいつも訴える。梅雨真っ盛りの中で。

385:慈悲魔

カンボジア子供の家の代表:栗本英世さんのNHKラジオ深夜便での話から。『慈悲魔』という言葉を知った。仏教国のカンボジアでは今だ戦争の復興の最中、栗本さんは現地に学校を建てることや地雷除去の活動を行っている。日本は世界でも有数のODA援助国だ。国際支援ということで物や金の援助を行っている。現地に入り現地の人との交流を通じて本当の支援は何かと訴える。お金や物で支援するよりもお金をつくる力を教えて欲しいという。確かにそうだ。立派な井戸を掘り、水の供給をする援助、しかし、機械はいつかは故障をする。(カトマンズでの海外協力隊員と話した時、同じ事を目にした。100台に及ぶ援助ミシンが倉庫に眠っている、何故か?)そうなると直せない使えないということになる。だからどうする。現地のやり方での井戸掘りを援助するということだと。カンボジアの一般的な人の年収は2万円から3万円という。観光地の片隅に両手両足の無い13歳の女の子がいる。その子は毎日そこに座ることで観光客が恵んでくれるお金で生活している。日本人の団体観光客が来ると、可哀想だからと一人が1000円与えると、次の人も1000円、すると1日で1年間の収入になるという話、その子の家族はその収入で生活している。栗本さんがその子と親しくなり真意を尋ねた。「物乞いはやめたい。。。でも」
 そこで「慈悲魔」という言葉がでてくる。親が子に鬼になる。その一番のてっとり早い方法が子を障害者にすることだと、その子が生きていくために・・・・・・昔訪れたインドでの話だ。アウトカーストの人たちは職業を持つことができない。カースト制度というものはそんなものだ。日本にいては想像できない世界。アウトカーストの人が許されるお金を得る手段は物乞いである。戦争という負の遺産の後始末をしながら、現地で人との交流を大切にしながら地道な活動を通してVSしている日本人がいます。栗本さんの活動に共感した若者が年間相当数現地カンボジアにきてワーキングしていくという。彼らが育つのを待つのも一つの方法、しかし、もっと早急にやらねばならないことは何か有るはず。それはまさにODAなどの活動事態を見直していく作業だ。
 折しも昨日は茨城県社会福祉審議会の日だった。当て職での委員になって始めて参加した。保険福祉部関係の幹部(課長)が次々に事業の説明をする。約2時間半の会合であった。正直の感想だ。例年の決まり切った活動を説明するより、重点施策を今年はこれでけはやるという報告が聞きたかったし、もっともっと話し合う時間を持つべきだった。私も第三者評価事業についての宿題を与えられた。国が決めた事業をマニュアル通りに実施する時代ではない。茨城版の福祉をどうしてもつくりたいと、またまた大風呂敷を広げてしまいそうだった。アブねーな 危ねー。
 「慈悲」と「慈悲魔」 何事も背中合わせで成り立っている。よーく考えよう!

386:不謹慎な###

「ベラボーな生活」(朝日新聞社出版)玄侑さんの新刊である。県庁の川又書店にて買い求めた。早速、玄侑さんにメールを打った。ある講演会で講演を頼んでから何度かメールのやりとりをやっている。彼は私より6歳若い、なんたって芥川賞を受賞したんだから大したもんだ。彼は慶応の中国文学を卒業、その後臨済宗の寺の副住職、果たしてお寺をやっているのかどうか???全国を走り回っているいるようだから、留守が多いんじゃないかな。
 本を買った日は会合が重なっていた。その合間に立ち寄った本屋で玄侑さんの本を買ったわけ。2番目の会合はホテルでの懇親会、お酒が入っているからかなり自由な話が交わされた。「住田さんは、この時期忙しいでしょう? 何が一番もうかりますか???」ときた。ハハーン。言ってやった。「そりゃー。時間給だったらお寺だね」その脇でオードブルをつまみぐいしていた、かの有名な部長さん「そりゃーそうだわ。お通夜でいくらとるんだ? 住田さん  アアー」
 取るんだときたからな、参った。大体そう思っているんだわ。玄侑さん。坊さんも自立しないとダメだわな。貴方みたいに講演料や印税で充分生活できれば強いわけ。私はどうか、施設も出費が多いし、いろいろ頼まれている会での車代では生活できねーしな。
 今日、今から葬儀に行く。迎えの車を待っている時間にこの文を書いている次第だ。多忙ですね。
 正直、本日のお布施はいくらかしらない。亡くなった方が91歳だからこんな不謹慎なことを書いている。
90歳まで生きてきた方の人生はもうそれだけで充分だ。正直ゆっくりと眠らせてあげたい。
 

387:兄弟

「デカちゃん」「ドンちゃん」二人は兄弟である。否、兄弟であったというのが今では正確だ。今日25日、弟のドンちゃんが亡くなり、葬儀が10時からある。彼はJ学園での生活が殆どで最近数年は病床での闘病生活が続いていた。兄のデカちゃんは私どもの学園で、彼も生活が非常に長くなっている。二人は夏、冬、春の家庭帰省期間はお互いが交代でそれぞれの学園を訪れて二人だけの束の間の生活を楽しんでいた。最近、弟の病状を心配する兄の言葉が増えた。「どうだった?元気だった?」と私が尋ねると『ダメーだ。わかんねーもん』とあまりはっきりしない言葉であるが話そうとすることは直ぐに理解できた。その頃は病状が進み意識がはっきりしない状態であった。その弟が亡くなった。
 不思議なことが起こる。
 J学園の理事長より夜、ドンちゃんが亡くなったという留守電が入っていた、その時間にデカちゃんは体調を崩し、急遽入院していたのである。彼はとても健康で今まで入院などしたことがないのにである。それがどういった具合なのだろう。結局、通夜にも今日の葬儀にも彼は病院にいて参加できない。変わりに職員が行くことになった。
 肉親:兄弟という繋がりを彼ら二人から今までに考えさせられることが多かった。両親はとっくに亡くなり、唯一の家族の面会はお互いが帰省期間に3泊4日ぐらいでお互いの学園で交代に過ごす時間だけであった。デカちゃんはもう60歳、体力が落ちてきたのは一目瞭然、腰も少し前屈みのように見える。以前はスコップでの穴掘りをやってもらえば職員誰もかなわない。性格はとても大人しく、決して騒いだり怒ったりしない。弟も同じと聞いた。だから、今の人権問題で叩かれるかもしれないがデカちゃん:ドンちゃんという愛称で充分嫌みなく通じている。
 彼らの母親のお骨は尚恵学園のお墓に埋葬されている。学園の敷地にあるお墓、今日荼毘にふしてから、母親の眠るお墓に埋葬することになるだろう。そうするとデカちゃんが退院すれば毎日同じ尚恵学園での生活がやっと兄弟には始まる。
午後、寮より、ひょっこりデカちゃんが顔を出した。「ヨー」とか言っている。「いやー・退院したのか?良かったな」  「ウン」 肩を叩いてやるとにっこりと笑った。職員に弟さんの事は話したのかと尋ねると「イヤ まだです。理事長が話してやってください・・・・」何か及び腰。「わかった」
 「デカちゃん。J学園にいる。ドンちゃんわかるよな?」  「ウン」
 「あのなー・昨日デカちゃんが入院した日に亡くなったんだと。連絡あってなー」
一瞬、彼は何があったのか理解できない様子を見せた。「随分、具合悪くて寝ていたもんな。今日、○先生がお葬式に行っているんだよ。デカちゃん入院していていけなかったからな」  黙っている。
 「大丈夫だろう?」「お母さんの埋まっているお墓に後でおさめてあげような」
 しばらくの沈黙。この一大事を彼はどう理解しようとしているのか。
 結局、彼は自分の知らないところで起こった事を受け入れていこうと決めた。 
 

388:100円ショップ

千客 万歳
これがまた人気作品なんですよ。土浦には霞ヶ浦が有ります。日本で第2位の大きさの湖、土浦港を起点に観光船が出ています。その名はフリッパー号、その乗船場に売店がありますが、我が尚恵学園のおもちゃグループの作品が売られています。その名も「100円ショップ」。上記のなんやら不可思議な猫?、良く見ると「万来」ではなくて「万歳」になっています。制作者のYさん、いくら説明しても頑として受け付けません。これで良いという信念を感じます。実は実はこの作品が出来るまでにはいろいろな事がありました。何か気に入らないことがあると折角作った作品を全て壊しちゃう。どこでどう勘違いしたのやら万歳になってしまった。まーいいか!ってことに今の所はなって落ち着いています。執拗に説明して全て壊されても仕様がない。
 でも、待てよ!これってYさんのほうが上手かもしれないな。だってそうでしょう。多くのお客様が来てくれて皆さんが喜んでくれて、ハイ ばんざーい。通じるなこれ。
 実は彼女は今、自立訓練ホーム(旧スタッフ寮)で生活していますが、私と顔を合わせるたびに、「ふくしさん。洋式トイレにしてください」と訴える。プライバシーに触れるかもな。いいか。彼女少お太りなられまして、和式のトイレではどうも・・・・・・・。
 100円の作品が何個売れれば果たして快適な洋式トイレができるか。仲間達の際限ない希望は、彼女流の発想でいえば「万歳」という2語につきる。笑ってなどいられません。だってね、夢にまで出てくるんですよ。「ふくしさーん。ふくしさん・・・・・・・・」ヒャー、勘弁してくれ!                      

389:塔婆書き裏事情

『あのー♪ みそ汁の作り方を書いて行け・・・・・・・ジャガジャン。
今年のBGMはさだまさしになった。八畳の部屋を独占して塔婆を書き始めたのが10日前、最初から今年は雨ばかり塔婆も墨を吸ってしまう。気分も盛り上がらず。単調な作業だ。そこで景気付けにBGMをかける。私が持っているCDはみな古い。そこで見つけ出したのがさだまさし。学生時代流行ったものだ。みそ汁というものは小さい頃のお袋が作ってくれた味を妙に覚えている。私はタマネギとジャガイモと昆布入りのが好きだ。
 上の曲は両親が亡くなり、気になっているのは器量のあまり良くない妹、その妹を自分の友達に嫁がせる兄貴の内心を唄ったもの。いやー兄弟愛を感じるなとか自棄に感傷的になって目白の立ち食いソバに入って目を潤ませた。神田川沿いの都電が走るあのあたりが妙にピッタリするから不思議だ。
 話を戻す。さてと、塔婆であるが、往復ハガキで希望をとる。締め切り日は明記してあるのだが、これがあって無いようなもの。ポツリポツリとハガキがくる。纏めておいて一気に書くわけだ。施餓鬼の恒例行事。
 実は明日が神宮寺の施餓鬼なのにまだ書いていないものがある。
 話がまた元にもどる。
 神田川・・・・・!良いなや。20そこそこの頃だ。汚い格好で「ファイト オッツ オッツ」なんて大声たてながらトレーニングしたんだ。良き時代。ワンダーフォゲル部に所属、同期は4学年で一番少なくて6人だった。前後は20人ぐらいいた。全部では60人を越す大きなクラブ、合宿で集合すると壮観であった。今はそれが全学年で7名ぐらいとか。流行らないんだよな。キスリング背負って新宿発の夜行列車など。
 我々同期も6人の中で2人が亡くなった。だから4人になってしまった。宮崎、静岡、大阪、茨城と見事に分散している。昨日その内の一人A君の命日だった。花を贈ったために夜お母さんから電話を頂いた。9月にはもう一人のH君の追悼山行が計画されている。北鎌尾根から槍に入るという。
 私の学生時代の思い出は山仲間との触れあいだけだった。卒業後もどうしてなのか放浪癖がなおらないのはその時の経験からきているんだと分かった。一人で出て歩くのは一向に気にならない。NHKで世界遺産の特集を放映していた。もう行きたくて行きたくて仕様がない。南米にはまだ行ったことがない。マチュピチェとかいいなや!
 塔婆の話がどうしてこうなっちゃうのか、心ここにあらず。生臭一代記。

390:盆踊り

納涼祭は29日の午後6時から成人寮グランドで行われました。いつものようにアトラクションとして石岡の祭囃子の出演があり、10店舗に及ぶ模擬店が出て、お腹を満たし、利用者の皆さん、笑顔でいっぱいでした。
8月5日には土浦で開催されるキララ祭にカッパ踊りで参加する予定です。この行事には最初から出場しています。今年感じたことがありました。利用者の皆さんで車椅子を利用されている方が増えたこと、スタッフが四六時中付いていなくても皆さんそれぞれで楽しめるようになったこと、在宅の利用者さんが多く参加してくれるようになったことなどでした。あまり風呂敷を広げる必要はありません。無理のない自然な形で交流が持てればそれが一番良いことです。近所の方も大勢来てくれて、日頃、道ですれ違う仲間達と声を掛け合っている姿はとても微笑ましい。
 目まぐるしく変わる世の中の流れ、想像もできない悲惨な事件の報道、それに今回の大雨による災害など、
こころがどうしても暗くなってしまう。このような時だからこそ、彼らの純真無垢な笑顔と束の間の一時を過ごすことの価値があると思います。今年は天気にはどうにか恵まれました。終了時間の8時半ごろに雨が降り出し、花火は早々にお開きとしました。
  我々の仲間、栃木県のますみ園が琵琶湖での人力飛行に今年も出場、110メートル飛んだということでしたのでテレビ見てください。(尚恵学園で一緒にがんばったスタッフが出ています)