源究26top

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
291 人口減少 12/23 296 人間力 1/4
292 暮れに想う 12/26 297 行く年来る年 1/7
293 涙・ナミダ! 12/29 298 成人式 1/10
294 大晦日 12/31 299 雪との戦い 1/10
295 謹賀新年 1/2 300 1/14

291:人口減少

今年10月の人口統計で日本の人口が減少傾向に変わった事が分かった。明治以降ずっと増え続けてきた日本の人口は1億2千万人を超えるまでになった。合計特殊出生率が1.29という。これは女性が一生に生む子供の平均数である。
昨日、最近韓国に行って来た方と話をしたが、韓国は日本よりその数が少ないという。1.1とか言っていた。韓流ブームで浮かれているのはほんの一面ということか!人口の減少は亡くなる人の数が生まれて来る子供の数を上回ることで起こる。このままいくと2100年頃には今の日本の人口の半分になるという。経済とか社会保障を考えなければ人口が減ってのんびりゆったり生活できるのだから良いかもしれないと思う。人口の都市集中も無くなり、ラッシュも解消、耕す農地はふんだんにあって、環境の破壊も少なくなるだろう。何より良いのは今問題になっている人間社会のイザコザが減るだろうと私は思う。まーその時代には私はこの世にいないから知ったこっちゃない。あんまり先の事を心配しなさんな!若者を信じてやろうよ。
 当然これからは様々な仕組みが変わる。老人問題を一つ考えても若者が老人を支えるという発想は成り立たない。それじゃどうするかだ。一つヒントになることだが先日近くの公園でみた老人?。やることないから車座になってボーと暇つぶし。今日は誰々さん来ないから忙しいのかなや?いやー今日は病院へ行く日だから忙しいんだと話す会話を盗聴してしまう。その脇では4人1組となってゲートボールのスッテクに似たものを振り回しボールを打って遊んでる。ゲートボールではないようだ。ミニゴルフのルール。これだって寝たきり予防の効果は大きいかもしれないがどうなんだろう?年寄りだって働くことが生き甲斐になるはず。我が職場には90歳まで事務所で働いてくれたT先生がいた。心豊かに美しく老いること、実は一番健康的な老後ではないだろうか?病院と公園の行ったり来たりではなく。子供を支える老人で良いはず。私はそうありたい。小学生と一緒に学校の送り迎えやればいいじゃん。
 この発想の転換によってひょっとすれば今、話題になっているマンションの耐震強度偽装などはなくなるのではないのかなー。これだって核家族の弊害の一つだ。大都市では地価が高くて家が持てない。だから集合住宅(マンション)が出てきた。IT化が進む時代になり、従来のラッシュ通勤者は減ったのか?親と一緒に住めば家族団らんができるし、住宅費などにお金をかけなくてすむから30年のローンを組んでまで無理してマンションを購入する必要は減る。ゴミをため込む人が地域の迷惑だという報道が最近あった。物が有り余る今の日本は絶対におかしい。 人口減少によって必ず潤うものがでるはずだ。それは物質的な潤いではなく心の潤いだと信じている。

292:暮れに想う!

1年振り返ると今年も色々あったなー。とにかく逃げずに来たから今があるんだ。「やらずに後悔するよりも、やって後悔したほうが良い」という。経験が肉となり力となる。今日、打ち合わせでH設計事務所に立ち寄る。構造設計の方が打ち合わせ中だった。当然、今問題になっている話題になる。国で認可している構造計算ソフトは改ざんできるの?と聞いた。今の建物は形状も複雑だから個々の物件で計算が違うという。その点が盲点かな!悪く利用しようとすれば出来ないことはないらしい。 マニュアル中心主義の弱点だと直ぐに分かった。所詮人間が作ったソフトだもの、専門家が考えればいくらでも改ざんできるということだ。それにしても銀行筋の情報だが土浦に16棟のマンション建設計画があるそうだ。売れ行きに大きい痛手になるのは確実。今回の一連の問題はモラル以前の犯罪行為。司直の手に委ねられるということだが、国会での証人喚問も消化不良、新年早々に首謀者の喚問があるようだ。これだって先日の自民党の質問者はいかがなものか。自己満足というかまったくピントズレ。これでは納得できない。一連の疑惑が官僚や議員の先生まで芋蔓式にのびるのであれば尚更問題。
 一番迷惑している人はマンションを購入した人、それに総研の勧めでホテルをつくったオーナーだ。
 この問題は最終的にどの方向で収まるか予測できない。丁度今日は東シナ海での地震があった日だ。22万以上の方が亡くなった。日本人犠牲者も40人を越した。この悲劇がテレビ映像を通じて全世界に放映された。
 そのような時に構造強度偽装、まったく呆れて言葉が見つからない。徹底的に責任を追及して欲しいものだ。
 昨夜は特急列車の脱線事故4名の尊い命がなくなった。人災か否か、それにしても今年ほどテレビでの社長の謝罪会見場面が目立った年はない。余り大きな声では言えないが私の今年1年も頭を下げることから始まった。

293:涙・ナミダ・・・・

久しぶりに涙が出て止まらなかった。NHKテレビでプロジェクトXの番組総集編が放送された。最終回特番であり日本一になった京都伏見工業ラグビー部の山口監督が登場した。5年前の放送を私は見た。監督と子供達のラグビーを通して本心からつき合う姿を見てすごく感動した。八坂の?とかいう京都一の悪がラグビーを通して変わっていく。そして今、「悪の気持ちを一番理解できるのはお前だ」という山口先生の薦めもあって、彼は教員として子供達との生活を送っている姿が紹介された。30年以上前の話だが、高校時代から今まで繋がりを持ち続けている。先生の励まし会の宴席で八坂のお兄さんを紹介する山口先生の顔は喜びと涙でグシャグシャ、教え子の肩に顔を押しつけて大泣きする先生。一気に様々な思い出が込み上げてきたに違いない。こんな感動を今の教育現場にあるのだろうか?自分から好き好んで悪になる奴はいない。そのお前だからこそ子供達の本当の気持ちが分かるんだ。ここなんだよな!この教育の原点をどうも忘れ去られてしまった今の日本。ノーベル賞をもらうことが果たして人間としての価値なのか!私は全く逆だと考えている。その辺にいくらでもいる人、ありふれた仕事、その中にこそ何か人間として大切な大切なものが息づいているんだ。決して別世界の話ではない。そして、その出会いによって人は変わり、自らの進むべき道を探し歩みだすことができる。ダイナマイトを発明したノーベルは利用方法を間違えば人間を殺傷する兵器にもなるということを恐れたに違いない。往々にして思いとは全く逆の方向に進む。その一番の例がノーベル賞の原点にある。人間がこの世に生を受けて何か一つのことに熱中し、やり続ける。必ずや結果が出る。止めてしまったらそれまでよ。だから一生を掛ける何かを何でも良いんだと訴える。プロジェクトXの総括デレクターの今井彰がコメントしていた、そこに焦点を当てることで、勇気と感動を得る番組を狙ったと。失敗を次なるステップアップの糧にする。番組に登場した全ての人がまさにとてつもなく大きな壁にぶちあたり、失敗を繰り返す中から仲間と共に築き挙げてきた生き様だった。そして、大人になってからも大泣きできる人間でありたい。その涙は感動から流れ出るものだから止めようとすればするほど大粒の涙となって滴り落ちる。同じNHKで先日放送された耐震強度偽装の国会証人喚問、全く正反対の思いがした。何も感動するものが無く、若者が見たらどう捉えるか、民放でも様々な解説者がそれみたことかと言わんばかりに批評する。マスコミの責任はこの辺にあると想う。証人の中で誰一人として涙を流すものもなく、責任回避に終始する。彼らの家族は子供達は親戚はどう感じているんだろう?所詮この世でいくら逃げ回ってみても大いなるものは良く見てござるだ。ああー腹が立つ。

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294:大晦日

2005年を振り返る。記憶力が減退している中で今思い出すことは何か?やはり、正月休み明けで利用者さんが嘔吐下痢をする。胃腸にくる風邪かなという判断は市内の老人施設でのノロウイルス感染という新聞報道で現実のものとなった。結果は全体で30名近い同様の症状を示すものが1週間の間に出た。保健所の指導で10名が同じ症状であれば県に報告するという決まりで新聞にものった。最終的には2週間ほどの看護体制を組むことになった。利用者の職場25カ所への確認連絡で殆どの職場が通勤ストップとなった。パン工房もストップ。様々なところに影響が出た。幸い感染しても2日ぐらいで皆さん快方に向かったから良かった。そのゴタゴタ騒ぎのあと、デイサービス新築工事の2年目、補助金がはっきりしない中での工事開始だったから、不安が無いと言えば嘘になる。工事は予定通りに8月末日で完成、10月1日よりデイサービスセンター「コスモス2」のオープンとなった。開所式は本当に関係者だけでこぢんまりと行った。私自身あまり派手なことは好きではない。今日で3ヶ月が経った。12名が元気に通ってきている。この3月卒業生が入所内定しているので既に15名定員は満パイとなった。外構工事も行い、見違える程綺麗になった。7月は施餓鬼シーズン、二ヶ寺の施餓鬼も無事終わって、お盆へ突入、一人で檀家周りは辛い。そうだ。今年は二月に頸椎ヘルニア?ということで病院に通院した。その為か胃腸の調子も悪くなって胃カメラを一週間に二回やったり、脳のMRI検査をやったりと体力の変調が目立った年だ。10月には大学時代の山の仲間が槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難し2日後にヘリで発見されたが既に亡くなっていた。55歳であった。1月22日に彼を偲ぶ会を計画している。
 どうも喜べるような思い出が浮かんで来ない。
 そのような中で唯一、夢がある話。観音寺に待望の鐘楼堂をつくる話がまとまった。既に設計事務所との契約は済み、委員会も3回実施、任意寄付という形での寄付勧募も始まり既に入金されている。鐘は利用者さんと一緒に打とうと考えている。彼らの澄んだ心で無心に打つ鐘の音がこの地域に聞こえる。どうかなー?
 日本人は目から入る情報が多すぎると思っているんだ。テレビをみればどの局も同じ内容、24時間いつでも見られる。携帯だってそうだ。そのような時に、単純な音・・・・ゴーン・・・・・これだ、2006年は。ヨッシャー。

295:謹賀新年

明けましておめでとうございます。2006年は如何なる年になりますか?いよいよ日本も人口減少の流れにシフトされたようで、茨城県も一度は300万人を突破したのだが今は少ないはずだ。茨城が県人口300万人に到達する最後の県であった。さてと、さすがに元旦は源究を書く気持ちにはなれず、一日おいて今書き始めた次第。恒例の箱根駅伝を見ていたが、ダルマ状態でどこが往路優勝するのか結果はまだ出ていない。さてさて私の仕事始めは鐘楼の寄付申し込みの檀家さんへの手紙書きだった。今年は大晦日に自坊での鐘突が実現できるかどうか。焦らず良いものをつくろう。新年早々にドイツのY先輩よりメールが入った。子供さんが高熱を出して寝込んでいるとのこと、私から思えば自分の好きな人生を歩んでいる最たる人間だと思っているのだが、本人はそうとは感じていないようだ。またまた一人旅をしたいとか書いてあった。へー結構好きなことやっているのになーとか思っている。私も実は今年は四国遍路を歩くことで満願したい。前回は5番まで歩いたがそこで見事挫折、結局レンタカーを借りて88カ所を回った。それも5回四国に渡った。2泊3日では現実無理なことは承知している。時間が取れないから妥協しないとな。これも実は三浦雄一郎に大いに刺激されてのこと。70歳にしてエベレスト登頂の前人未踏の記録だった。すごいなー。私には到底無理だと思っている。そこで四国を歩くんだ!偉いスケールが違うな。
 元旦から歩き始めた。今日も雨がちだけれども今から歩くつもり。マラソン日記でトータル16000キロを走ったんだからお前もできる。それが今の支えだ。神宮寺の本堂新築の際に、四国88カ所の巡礼を行い、その寺々で拾ってきた小石を本尊の真下に埋めた。今度も鐘楼堂の下に埋めようと目論んでいる。何故四国にこだわるか?弘法大師への帰依である。人生55年歩んできた。出会いや別れを繰り返し、その思い出に何か加えたいと言う願が強いのだ。福祉の仕事が今、時代の流れの中でどのようになるのか予想がつかない。舵取りするべき自分が海図を持たずに外洋に出たような気持ち。職員や利用者も心持たないだろうな!という自責の念がある。
 最後まで逃げるつもりはない。この道に足を踏み入れた時からその覚悟は出来ている。今密かに闘志を燃やしているのだ。

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296:人間力

自然治癒力というものがありますが、人間の体は毎日相当数の細胞が死滅し、また新たに生まれています。正月のこの時期、それを体感できることがあります。熱い雑煮を食べて、口内が半分火傷した状態になると白く表面がなって皮がむけるという経験をしたことが誰もあると思います。食べ物を取るときしみる経験一回ぐらいしたでしょう。でも翌日には大体皮膚が再生して元通りになっている。これが皮膚細胞の再生だと思う。また、心の問題でも同様のことが起こりうる。気持ちの日内変動というものがありますが、人はちょっとしたことで気落ちしたり、陽気になったりします。これも同じことだと言えるのではないのか。
 さてと、私は専門家ではないからこれ以上この問題には触れない。ボロが出るからね。しかし、私はいつも感じていることがあるんです。人間力という事。リハビリテーションということよりもハビリテーションかな。普段は気づかないことがあるきっかけで気づく。一番分かりやすいのは健康という問題だ。逆に不健康ということはどういうことなのか?夜更かし、酒、たばこ・・・・。そうじゃない。健康というものは今の状態をどう考えるかということだ。身長や体重が人それぞれなのと同じく、健康も人によって違って良いと思っている。295番で触れた三浦雄一郎はプロスキーヤーである。彼が70歳にして成功させた世界で最高齢のエベレスト登頂は、彼だからできたこともある。でも、彼の成功の秘訣は毎日の努力である。長年連れ添った奥さんの弁、「三浦はとても用心深い性格で臆病なんですよ」と。言い過ぎじゃないの!と思った。しかし、考えられる状況を全て事前に調査して本番に向かった。C5(テント)でのギリギリの判断をする時にそれが分かる。登頂できても下山に使える酸素が残っているのか否か?以前、米子まで行って、植村直己の捜索隊長をした方に話を伺ったことがあった。冒険家として世界的に有名になった植村が何故北極イヌゾリ縦走で行方不明になったのか。分からない。
 人間力という限界は誰にも分からない。だから、夢に託し、挑戦しようとする。それにも増して大きな存在は自然力ということだけは確実だ。自然と共存できればベスト、自分の体調に協調できれば良いんじゃないの。

297:行く年来る年

行く年があれば来る年もある。大晦日の決まり文句。この時期学園でもゆく人あれば来る人ありという恒例行事。実は本日初顔合わせだった。冬帰省期間の最後の日に新年の挨拶を私がやることにいつの頃からかなってしまった。今回は自立支援法という新たな制度の改革について私の知りうる範囲でPCを使って約1時間話をした。内容が内容だけに暗くなるなといってもいつの間にか頭を垂れてしまう話になってしまったと反省。さらに今年退職するスタッフの報告もしたから尚更だ。4人の方がそれぞれの事情で退職していく。みんな本当に良くやってくれたから私も辛い。午後は新採用者の面接を実施、今年新卒の方で履歴書の提出があった方3名と面接を行ったのだ。フレッシュでとても明るいお嬢さん。つとまるかなという一抹の不安もあったが、こちら側の印象は良かった。相手がどうか?それは分からない。
 50年間には退職された方も今までに大変多くいる。それは何によって分かるかというと、名前のゴム版だ。退職された方の分も大切に取ってあるからだ。いつも思うのは退職されてからも気軽に遊びに来てくれる関係を持っていたいということだ。制度が大きく変わると現在利用されている方も多少の異動があるかもしれない。それを別れとは考えたくない。新たなスタートと思うようにしている。今回の制度改革はかなりの内容の変更だ。また、慣れるまで苦労する。その労力たるや相当なものだ。果たして今回の改革が悪法なのか良法なのか。少なくとも事業者サイドではその流れの中で出来ることをやっていくということしかない。事業遂行にはベテランの役割も大きいし、フレッシュな風も取り入れる必要もある。その適度のバランスを計るのがマネージメントの難しさ。イヤーたいへんだー。やってみろや。
 でも不思議なこともあるんだわ。昨日のデイセンターでの成人式、まだ利用されて何日もたっていない方が、もう尚恵学園に何十年もいるかのような場慣れした雰囲気を持つ。この順応性はどこからきているんだ?結構人間のつき合いってのはそんなものかもしれないな。長いから良いというもんじゃないわ。一期一会なんて言葉もあるが、そもそも人間がこの世に誕生する確立はミクロの確立なんだから、何かの縁で関わりが持てたことを大切にしていくことが一番なわけだ。

298:成人式

土浦に買い物に出かけた。白い紋付き袴を着た若者が同じスーパーで買い物をしていた。彼が買い物を終わってその店から出て行くと、レジの若い店員が3人集まって、袴のお兄ちゃんを目で追いながら笑っている。当人は恥ずかしいというわけではないのだろうが、足早に自分の車を運転して出て行った。昨日は成人式が各地で行われた。岩手?だったか覆面の県議会議員が成人祝いの席の一番前で騒いでいる若者を押さえ込んで説得(?)マスコミはサスケとかいう議員に拍手を贈っているコメント。画面が変わって沖縄、これはすでに風物詩になっているとかで袴の色もグループ毎に違っている連中が大騒ぎ。路上で酒樽を割って騒いでいた。そこへ警察が介入、余計大騒ぎとなった。この現象はいつごろから始まったのか? 若者のエネルギーの発散する場がないからなのか。
 次の場面では新潟津南町での大雪被害報道。4メートルに積雪が達するという異常気象。ここは地方の過疎化が著しい地域、老人の一人暮らしが非常に多い地区だという。それならば成人式から1週間は雪下ろしの義務を負わせばいいんじゃないか!多分、津南町でも成人式を行ったに違いない。当然沖縄でのバカ騒ぎなど起こるわけがない。
 次の場面で、韓国の四天王とか言われている俳優が徴兵で軍隊に入ったニュースが流れた。彼は軍隊の広報部署に配属になるだろうと周りは考えていたようだが、彼は自ら北との国境にある最前線部隊に希望したという。
この違いは一体どこからくるのか。確かにお祝いの席で大暴れする若者はほんの一部だ。大多数は成人になってからの自分の生き方を自らに問うセレモニーとして参加している。私は親がどう思っているのかと問いたくなる。
自由と義務をうやもやにして成人の門出を祝うには平和ボケというかまだら痴呆と言ったら良いのか。
 私の施設でも通勤寮に入所している方が一人今年成人になった。彼は自分の出身地での式に参加したいといって出かけた。
 

299:雪との戦い

容赦無く降り続く雪、新潟や長野の山間部は今4メートルを超える積雪。日本でも有数の豪雪地帯にGWVの山小屋がある。奥只見の銀山湖である。今頃どうなっているだろうか?暫く入山していないから想像もできない。ただ、屋根は傾斜を強くしてつくってあるからどのような雪が降っても屋根に積もる心配はない。山小屋委員長をやっていたのは今から35年前だ。年取ったなー!今日はお通夜があった。新潟では冬場の葬儀は納骨を雪解けを待って行う。雪の下にお墓が埋まってしまうからだ。
新潟にある知的障害者の施設は今頃どうなっているかなー?私の知り合いが施設に働いている。外に出ることもできないから建物の中で過ごす、当然利用者さん達はストレスが貯まるだろう。どうやって毎日暮らすのか。今年は異常だとは言え、日本には様々な地域格差があるものだ。野菜も入荷がないから高値になって品薄だという。米所新潟も今年みたいな状況になると食料の確保だけでもたいへんになる。地震被害のあった山古志村はどうなったかな?避難生活をされている家族がまだ多くいる。プレハブの建物で暖をとろうとしても寒いだろうな。
 私の住む土浦は霞ヶ浦があるために周りと比較して気温が高い。水温が外気より高いために雪が積もらない。寒い寒いといっても新潟とは比較にならない。それでも新潟に住み続ける人たちの思いはどんなものなのか。今日嬉しいニュースをみた。町に除雪費が無くなり、地域住民が中古の除雪車を買って交代で除雪をすることになったという話。
 お年寄りだけの家では危険だから除雪ができない。それを近所の人たちが協力して除雪しようということになったのだ。お互いが困っている時に助け合う姿は昔はどこにもあったと思う。こうやって皆が力を合わせて地域に住み続けてきたんだろうな。そうなると我々は何をすればいいのだろうか?黙って見ていることで果たして良いのか。

300:

NO:1の「分かったような話」から今回で通算300本に達しました。最初は理事長の独り言という軽い意味で書き始めました。HPを見た人から「源究読んでいますよ!」なんて声を掛けられ、正直調子にのって好き勝手なことを無責任に書いてきたものです。ただ言えることは全てが偽りない私の内心の吐露であるということ。決してその内容に関して逃げも隠れもしないという覚悟はあります。最初は日常の煩雑な生活に流され、ちょっとメモしておきたいなという事をノートに書いていたものをHPに公開したのでした。後で読み返ししてみると、内容のないものやこれ個人情報保護法にひっかかるんじゃないのとかいう不安も出てきました。しかし、人間一人で出来ることには限界があります。今までの生き様の中で様々な人たちとの出会いや支え、励ましがあったからこそ今が有ると思っています。その意味では、この源究を書き続ける意義があったと実感しています。今後はどうするか?風の吹くまま、あまり肩肘張らずに続けていければ良いと考えています。
 時折々の話題を自分なりにかみ砕き文章化する作業は、日々の気持ちの転換と再挑戦の勇気を得ることができます。今の私の環境は人との繋がりがあって成り立つものです。人間の弱さ、狡さ、といったマイナス面だけではなく、強さ、素晴らしさを誰しも持ってこの世に生まれてきています。この実感と感動を私だけの心に止め置くには勿体ない。少しでも多くの人と共有したいという気持ちです。どうか、その意をご理解頂き、今後どこまで続けられるか分かりませんがお付き合い願えれば嬉しく思います。300本をけじめにお礼とお願いでした。

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