源究219 g219

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3891  風姿花伝  10/3  3896  朝 風景   10/19  3901  不本意   11/2  3906  読書の秋  11/19 
 3892  何かは何? 10/6  3897  免疫力   10/21  3902  ううう・・ワン   11/5  3907  本気の度合  11/22
 3893  じじ放談  10/9  3898  こだわり  10/24  3903  近代の宿病   11/8  3908  希望  11/24
 3894  スローライフ   10/13  3899  裏腹一考  10/27  3904  森のこえ  11/12  3909  ぬくもり  11/27
 3895  雪山偈   10/17  3900  枯樹生華   10/31  3905  不倒翁  11/15  3910  生きる   ☆

3891:風姿花伝

 
 世阿弥の『風姿花伝』に芸の道で師から弟子へ繋ぐ大事を7つの段階に分け説いています。日本は超高齢化、少子化、デフレ・・・等々と騒がれ、掛け声ばかりで形にならない現実は否めない。長年続く負のイメージは容易に消えません。人の人生を、幼少年期の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消える。と何かを喪失しながら人生の階段を辿ると考えると当に自分の姿と重なります。≪老いてのちの初心≫この世阿弥が遺した言葉が今の自分に突き刺さる。
 運転免許証を国に返す代わりに国から「老人証明証」をもらって 皆さん どうでしょうか!
  ” もちつもたれつ 杖となり 草鞋となって  歩んだ道なれば” ・・と此方が勝手に解釈し、ある企画を感謝をもって応援したいと思っています。【花火大会
    期日:10月14日(土)午後6時~7時 場所:尚恵学園元成人寮 。      ≪信あれば 徳あるべし≫(『風姿花伝』第7章 別紙口伝)
  
 
 「年齢を重ねてくるごとに、聴けなかったものが聴けるようになる。それまでは義務として聴いていた時もあります。」ある方が日本の文化“能を良いものにしてきた「何か」?”で語っています。 自徳を讃じることを誡めた覚鑁は、仏教の本来の姿を見つめ、僧としての生き様を懺悔の文にして遺したという。その一字一句が今の時代に生きている。≪老いてのちの初心≫を≪初心忘るべからず≫と比べ見えてくるもの、それは伝統の文化の核心だと思いますね。
 目先の為替レートや株価の上下に一喜一憂し、浮足立って心ここに非ず。私たちは大切な時間を無駄にすごしていないでしょうか。源信の母が我が子を誡めた・・・後の世を渡す橋とぞ思ひしに、世渡る僧となるぞ悲しき・・・・。 

3892:何かは何?

 ”徳をもって怨みに報う” 此れ夢物語?、出来もしないクセにと誹謗の尾ひれ、挙句の果てに異次元問答と相手にされず。報復は双方に遺恨を生み、和解は遠のく。昔から格言、金句は数々有れど、実行された試しなし。断言してよいものかどうか躊躇するが、何かは何? がつかめず一生懸命
 ドックラショ 一休み!もしも天気が味方すればの話です 秋空に花火、パッと開いて消えて行く。 この何とも言えない潔さ、後に何も残さず、see you again!こんな人生送れれば、これ以上の望み無し。
 
 新国立競技場の隣、日本青年館ホテルで行われた会合に出席しました。 久しぶりの対面会議は様々な意見が飛び交うものとなり、会議後の交流会も盛り上がった。
 地下鉄は丁度昼休みの時間帯だったが混んでいた。乗客に外国人が目立つ、おそらく旅行者だと思うが旅慣れた感じがした。有事となればどうなるんだろう?自分の命は自分で守れといってもどうすれば良いのか皆目わからない。こういった事も徐々に地方にまで伝搬するのだろうか?
 コンクリートジャングル、・・・・懐かしい言葉、益々勢いづいて上に下に根を伸ばし東京は住む場所ではないなと確信。繁栄の証でもない。じゃ~何なのよ!せめて 負の遺産とならぬよう願いたい。
  ♪ ビルの谷間の 川はながれない 人の波だけが 黒く流れていく・・・(東京砂漠・クールファイブ)♪

3893:じじ放談

 細川隆元と藤原弘達の時事放談が頭を過った。歯に衣着せぬ毒舌で人気のあった番組が始まったのは1976年、今からほぼ半世紀前になる。50年というタイムラグ、いろんな処に現われ消えていく事象を鳥の目線で見たらハッキリわかるかもしれない。でも地下からみたら判らない。自由、個の尊厳、正義、平和・・
 時事→爺。同じ”じじ”でも爺放談、それもナマグサ目線で一向に懲りる萌なし。老眼鏡を通した風景描写、先見?共感?力不足は否めない。だが”何か”があると思いたい。”老いてのちの初心” 此れ”円相”、遠吠え心眼に映ず。只管 信ずるのみ。
 ♪あああああああ!あなたがいれば あなたがいれば・・・東京砂漠♪
 
 マスメディアの姿勢が問われている。情報が溢れかえる世の中、情報発信の媒体として いかにあるべきか!”離見の見”世阿弥のこの言葉を肝に銘じねば人心は離れていくのではないでしょうか。細川×隆元の対談がなぜ長寿番組で在り得たか?バラエティーショー番組に偏りすぎれば各社似たもの同士、視聴者は飽きてTV離れは止まらんでしょう。スポンサーへの忖度?相も変わらずの言い訳、いい加減封印しないと。
 ”謝罪会見”の急増、視聴者は辟易している。これが今の日本を象徴しています。誤れば済む!皆で渡ればこわくない!  そういうお前は どうなのよ・・・・おこがましくも 【 住する所なきを、まづ花と知るべし 】・・・

3894:スローライフ

 のんびり~ゆったりと暮らすのは 贅沢??? 安心と不安が同居、理屈で判ったとしても その後が肝心。 仏教の教えと他の宗教はどうでしょうか?イスラエルとパレスチナの戦い、何故いまこの時期に再燃か、ウクライナ戦争は一年が経ち益々ドロ沼化しています。日本の某議員がロシアに行って、何か(?)をやってきたらしい。離党か除名か、己の政治信条を通した個人的な行動だというが 果たしてそれで納得できるだろうか?国会に席を置く者としてせめて何をしてきたかを自らが明らかにすべきと思うが その気はどうも無い様だ。
 得法以後の参学、離見の見、・・・・世阿弥は・・・自らの美意識やプライド(我見)に凝り固まることもなく、常に現実的で柔軟な判断と両立しバランスを大事にしたという。
 
 悍(おぞ)ましくなる事象が多過ぎる世の中で個人的な行動だから 何をしても構わないという理屈は通るまい。時と場合を弁えす 罷り通ってしまう。民主主義というのであれば、先ず自らの責任と義務を果たすということが大前提。・・・・ 貴方たちはこぞって日本の為と仰るが言っていること&やってることが意味不明、。 先ずは 貴方自身が其方に住んで一緒に暮らしたら如何ですか。 それ無くして”共に生きていく”ということにはなりません・・・でしょう! 
・・・・基軸が揺らぐコマ回し。バランス取れず 直ぐこける。   ☆ スローライフ⇔スローフード運動の理念「人は喜ぶことには権利を持っている。」、 シンボルマークはカタツムリ。

3895:雪山偈

 今年最強のスーパー台風15号は7日にトラック諸島周辺で発生し、勢力を強めながら北西にゆっくりと進む。瞬間風速85メートル、直撃を受けたら堪ったもんじゃない。気になりながらも前日より現場での準備を開始、ボランティアの実行部隊は仕事の合間をぬって協力して頂いた。その日の天気予報で進路は本土から東に離れ14日は晴れのち曇り、無風、嘘のようなホントの話。・・・・・・・・。
 夕方5時半を過ぎる頃から思っていたより観客も集まり、”花火大会”は無事終わった。予報通り夜中から雨になり纏まった雨が降り続いている。あああ!6時間のズレ、ほんとうに良かった。
 紙一重のリスク回避、誰かが味方してくれたように思う。
 
 人は一つの事が終えるとまた次のことを考える、それに終止符を打つのは彼岸に渡る時。現世・此岸は四苦八苦、三世に渡り向き合っていくしかない。此れが真理と説く。 ・・・涅槃経の雪山偈(せっさんげ)≪諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽≫・・諸行は無常にして、これは生滅の法なり。生滅を滅し終わりて、寂滅を楽とする。いろはにほへとちりぬるを わがよたれぞつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみじ ひもせず (いろは歌)。
 ☆「ゑ」という字は何と読む?じゃ~パソコンで「ゑ」という字をどうだすの?じゃ~有為の奥山って?  有為転変!  毎度 お騒がせしてすみません。

3896:朝風景

 体とこころの緊張を緩め、周りを見渡せば違った風景が見えてくる。緊張は我見(妄執)が因と観る。判っていても他人事。 この世は思うようにならない事ばかり。嫉妬、愚痴、不満・・・が次々と湧き、その思いをとげようと略奪、搾取、暴力・・・の蛮行を繰り返す。(因果の小車)
 生物の中で人間の最大の関心事は何だろうか? 僧侶になった時から今までそんな事を藻搔きながら探し求めてきました。誰だって同じだよ・・・という声に慰めを感じ、知人、友人が先に逝くことが多くなるにつれ、我が事との思いは更に強くなりました。
 (前項) うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山 今日超えて) あさきゆめみじ ひもせず(浅き夢見じ 酔いもせず)  この意は・・・いろんな事がある人生 浅い夢など見ず 惑わされないように生きましょう。・・・・フム フム。
 
 
( 朝の一コマ)・・・境内の柚子(ゆず)の木、例年になく多くの実をつけた。出かけようとした瞬間、柚子を手で取っている男に鉢合わせ!車から降り、”私は此処の住職ですが・・””ああ知ってるよ””黙って取らないで下さいよ””上手そうに見えたからもらったんだ。2個ぐらい良いだろうが” 瞬間,例のスイッチがON。”アンタね。黙って他人の家のものを盗ってどう思ってるんだよ”・・・(略)・・ ≪あああ~あ ありがとね≫捥ぎった柚子をポケットにいれ、知らぬ顔して歩き去る。こころ此処にあらずの捨てゼリフ。・・・・自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの ・・・、しかじか、範を垂れる大人がやたらと目につく世となりました。
 知ってか知らずか 因果は皿の縁(ふち)と人笑ふもかまはず 朝風景 

3897:免疫力

 自粛の制限が解かれ、元の生活に戻ってきたという実感はまだありません。コロナ感染は21世紀になって20年経った頃に起こった地球規模の”禍”。今その『後遺症』がいろいろと謂われています。自粛の反対は禁止でしょうか? 都市をロックダウンした国もありましたが日本は”三無自粛の要請”ということで対応しました。生ぬるいとかやり過ぎだという声もありましたがどちらにしてもこの世からウイルスが無くならないのであれば最後は免疫力に頼るしかないのです。
 植物はどうでしょう。成人寮を今から10年前に老朽改築で現在地(菅谷町)に移築しました。前と違って四方から丸見えの平坦地、そこで 周囲に生垣を植えねばと考え選んだのがベニカナメ(外国名:レッドロビン)でした。、植えて数年で見事な生け垣になりましたが或る方からこの木は良く垣根に使われるけど病気になり易いからと忠告されました。案の定、その兆候が表れ葉が落ち気になっていました。原因は菌と害虫です。造園業の方に相談したら、新芽は出ているが徐々に木が衰え枯れるだろうから なるべく早く他の木に植え替えたほうが良いと謂われました。落ちた葉から他の木に病気が伝染すると謂うのです。それで枯れた木を取り去った跡にサザンカとモクセイを植えました。
 あらゆる動植物は環境に適応をし進化を繰り返し種を繋いできた。それも途方もない時間をかけてということなんで私達も少しは見習ったら良いでしょうよねエ~。
 
 私たちの感覚(五感)は人それぞれです。目・耳・鼻・舌・皮膚によって感じ取る働き。好き嫌いなどは”意”(知覚)によるもので五感とは区別され、六感となります。(仏)
 五感に”欲”が絡めば知覚狂わす。度を越えた欲、その正統性をAIに託すという荒技は 人間の専売特許、人間以外にありません。ブーメラン、狙った獲物にあたらず、投げたものにもどる,此れも因果の法と思いませんか?
 私達がコロナから学ぶのは そういう事では無かったのではないでしょうか。無菌室に長居をすれば免疫力は弱まります。害虫か益虫か 人間社会も然り。人間中心、経済第一、あまりにも偏り過ぎてバランスが壊れ”悪”となる。(絵因果経)
・・・幻の豊かさの置土産、雑言、金句!粗大ごみ! ・・・

3898:こだわり

 もって生れた性分は如何ともし難し、例の”こだわり病”が元気を取り戻している。新旧交替を考えていたら、「こうたい」の字は交替か交代かどっちが正しいのか! 和英辞典に「こうたい」は【交代・交替】で英語訳では・・・change/relief/alternation/rotation/shift・・などありました。 只、これだけのこと・・本題に入る前にいつものクセ。 酷暑の夏から、やっと秋を感じる季節になりました。BGM曲調も変化し♪美しいロマンチックなピアノのラブソング♪5カ月間で275万人視聴。これにますます力を獲て我が”こだわり”は絶好調!
 ”こだわり”は仏教で”妄執””我見”と観る。ただし 極端に度を越えたもの。心身の平衡を保つには、適度のこだわりも時に必要と。 片足で立ってみて下さい。遠くを視ないと直ぐ倒れてしまいます。昏迷する世界情勢、疑心暗鬼が蔓延りバランスをはかるには鳥瞰的な視点が必要という。 あっ そうでした、新旧こうたいをどうするか????でした。(狐疑逡巡?)
 
 キツネもタヌキも迷惑に思っていることでしょう。世の中、情報の活用度は高まる一方です。最早それを誰も止めることは出来なくなった。鴎外の小説に『渋江抽斎』があります・・「戦争は所々に起こって、飛脚が日ごとに情報をもたらした」・・云々。当時、コンピューターなど無く、勿論、人工頭脳もです。それがどうでしょう狐も狸も肩身が狭いどころか。・・「ホウレ人間どもを見てみろよ!懲りもせず互いに競い合い騙しあいをやってやがる」・・と哄笑、高みの見物。
 進化と退化は不二、病気見舞いに来た御歴歴、維摩居士の前で為す術無く退散したという『維摩経』、それから何を学んだか? 恰も ギアチェンジの無い乗り物でひたすら前進のみ、元の場所に戻るには バックが無いから大きな円を描いて遠回りするしかなくなった。
 ☆・・むかし、神立のお寺の裏山に「十の字むじな」とよばれるむじなが住んでいました。・・で始まる話。「むじなと住職の”どじょう”を介した知恵比べ」・・結果は 和尚の勝ち。『土浦のむかし話:第1集より』 (余談)現住35世、だいぶ分が悪いと自認。(2023年、子孫のタヌキちゃんが時々顔を出す。)

3899:裏腹一考

 いま中禅寺湖は紅葉の真っ盛り、今市から高速道で普段なれば1時間で優に上れる距離、いろは坂(上り20・下り28)合わせてカーブ48、第一と第二の二つの坂で一方通行化(1965年)、無料化(1984年)、子供の頃観光バスで来た時の記憶から半世紀以上が経ち、状況は随分と変った。丁度旅行シーズンで観光客が多く駐車場・公衆トイレはどこも順番を待つ長い列、・・・・遊覧船の中は半分以上が外国人? 外見だけでは判らないが漏れてくる言葉で気付いた。
 リスクの反対は”○○”? 危険・損失・不確実、それに最近言われるのは”冒険”がリスクの意で使われる。必死にハンドルを握って運転に集中、おそらく若い頃だったらここまで緊張しなかったと思う。一方通行は渋滞を避けるには良いのだろうが、万が一事故でも起ればどうなるか?便利と不便は裏腹、自分だけではどうすることもできない。天気予報では日光市周辺は午後から雨になる、見事にドンピシャリ!暗雲が立ち込めたと思ったら稲光、先が見えない程の大雨になった。幸い最後の48番目のカーブを曲がり終え、なだらかな下り坂になっていた。 
 
 『われわれがすでに手にしている原始的な人工知能は、極めて有用であることが明らかになっている。だが、完全な人工知能の開発は人類の終わりをもたらす可能性がある。』(2014。ステイーブン・ホーキング)
 科学・技術の危機。弊害。暴走。限界。責任。・・・・・。飽くなき欲望を持つ”人間”は、それを進化、進歩と捉え、取り返しのつかない窮地に追い込まれながらもそれを認めようとしない。
 過去現在未来の三世、因果の関係は善業と悪業の双方に通じるとの真理をどのように考えるか?チベット高原西部の独立峰カイラス山はチベット仏教、ボン教、ヒンドウー教、ジャイナ教の聖地と崇められてきた、その麓で行われている四宗教合同での最大の祭りの目的は”平和”です。
 そのカイラス山がどのようにして生れたのか、地球誕生の歴史から観ると我々人間がこうして生きていることの奇跡を思わずにいられません。

3900:枯樹生華

 枯樹生華(こじゅせいか)⇔枯れ木に花を咲かせましょう!正直爺さんと欲深爺さんの昔むかしのお話が不図浮かんだ。昨日の法事の席、20名の席を用意した。家族、親戚が集まった中に故人の曾孫が4人、本堂の中を動き回り、読経の間賑やかだった。静かになったと思ったらお母さんの膝の上でウトウト、・・・・・・。
 無垢な幼子がいずれ大きくなって、お爺さんお婆さんになる日がくるでしょう。その子たちが将来、孫や曾孫に読んで聞かせる”昔はなし”は 一体どんなものになっているだろうか?
 ”健康”という字は、明治期にhealthの訳語として作られた語という(大辞林)。そうだとしたら100年~150年前になります。早いか遅いか・・・正直か欲張りか・・・・ホーキングの遺した言葉「完全な人工知能」で考えれば、その曖昧さ(具合)は消えて無くなるのではないかな~・・・人の五感も萎え無味乾燥単色の世界、それが健康という感覚になるかもしれない。そんなことを考えてしまいます。
 
 ”安寧の地ユートピア”再生のために何が必要か・・・・下等生物ほど再生能力は強いという。さすれば我々人間はどうか?
 樹齢何千年という木を見ていると人生100年というコトバが薄っぺらに聴こえる。人間の社会の新陳代謝はうまくいって、精々2世代、それ以上は難しくなっていると思う。木々は根から生きる栄養を摂る。人間は口から、その違いは大きい。地面に根を広げ、自らの重みを支える自立と口からとでは根本的に違います。”大口話””出任せ”はツッカイ棒にもならぬ!あゝいえばこう言うの反復は”その為に何を為す”かを暈す便法になり易い。

3901:不本意

 今この時に・・・・それも・・・・。
 どちらにしたって、全国津々浦々、投票率30~40%台の国の代表者、ここまで政治のデフレ(?)が進めば 改革どころか己の現状安寧が最優先のように感じます。まさに危機欠損の異次元世界は高温多湿で長年こびりついた苔は自分達では剥がせまい。立場を弁えない愚行、職を辞せば責任を果たしたと・・・バッチは返上せずそのまんま。不本意ながら  やる気の有る人まで巻き込んで寡黙の仲間となりにける。
 これでGDP?位・・・・離見の見を忘れ、過去の栄光にしがみ付く、 如何ですか! いま この時に それも・・・・・・ 貴方の初心 どうされました? *『価値の転倒』
 
 能力の過信は自惚れにつながる。諫言、叱責の声に耳を閉ざし、それを拾うも捨てるもヒト任せ。自らの意志で判断することを学ばず育った因果の報い。
 冬、日本に飛来する渡り鳥、生きるために皆を引き連れ何千キロもの距離を飛んでくる。こうして自然に適合し、種を繋いできた。是ぞ親鳥から子たちが学んだ”生きる術”ではなかったか!親心、子心。その価値の転倒は生き物の中で人間だけに起こっている。
 摂理に逆らってまで、何を求めようとしているのだろうか。自分だけは大丈夫という判断の落とし穴。不本意かもしれないが、それは誰の責任でも無いはず。

3902:うううう・・・ワン

 世の常とあきらめて・・・といかない事があまりにも多過ぎる! 判っているようで 実は何も判らない。何の為に”法””掟”をつくったか、その法を司る身でありながら知らなかったと。その釈明を聴いた時 、一発退場!。常識が通じないぬるま湯体質は 箍が外れた桶となり  益々水漏れは止まるまい。 
 ”吠えろ!”という主がいれば”まあまあ”となだめる主もいる。困るのはアンタじゃ~なくてワンちゃん達でしょうが まったく。 うううう・・・ワン。 ・・・身口意業 常ニ顛倒シテ・・・還ッテ流転三途ノ業ヲ作ル・・・云々(『密厳院懴悔』) 
 
 ”懲りもせず いい加減にせい・・・” 隻手(せきしゅ)の声を”幻聴”としてしまう現社会が果たしてどうなのか??。白隠禅師の思いはいかに
 ・・・「人間ならでは」の仕事すら奪われて 生きる意味をうしなう・・・・某新聞(11月2日)掲載・・・『AIと私たち 労働と社会のゆくえ。』にクギづけとなり、何度も読み返す。 難解と素通りしてしまえば それだけのこと。知らなかったと言えば責任回避・・・・
 公私の混同が進めば あるべき姿に歪みを生み、誰の為 何の為、何を どうする。この原点を棚上げし、その正否判断を”生成AI”に託すようになるのだろうか。うううう・・・む。

3903:近代の宿病

 宿病は長い間かかっていて治らない病(宿痾に同じ)のことをいう。近代の宿病として、想い浮かぶのは 何でしょうね。山折哲雄(宗教学)は、≪ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ≫「雨ニモマケズ」宮澤賢治の「木偶(でく)の坊」の精神をあげています(対談集『救いとは何か』)。超大企業二社のオーナーの総資産が地球上の数十億人の合わせた額より多いという実態が今の格差社会を象徴しています。「木偶の坊」と「人工知能AI」、 どっちを選ぶかと聴いたら”お前 おかしくなったか!”と謂わてしまうかもしれません。じゃ~伺います・・・アナタは命の尊さと生きる意味を問われたら ・・・・。
 賢治は1933年に37才で生涯を閉じた。  (ナマグサ述懐ノ抄)
 
 "明日は我が身”、との想いが身勝手な暴走を防ぐ。五感を使わずとも疑問に瞬時に答える便利な道具、電車に乗った時、異様に見えた車内がいつの間に当たり前になった。8割、否、それ以上の乗客がスマホと睨めっこ。皆さん乗り越さないのだろうか?≪皆に優れ者といわれ/称えられ/クニモサレズ/そのような人に/私はなりたい≫・・・賢治がもしおればアンタ達は挙ってどこに向かって歩いていくのでしょうかと。 科学の暴走、遺伝子操作を容認し、願いをかなえる『人間工場』を人間は止められるのだろうか。
 そして何が正統かを 人工知能Iだったら我々に示せるとでも・・・・
 ☆「核抑止を超えて」・・湯川・朝永宣言(1975)
 ☆「科学者の任務は法則の発見に終わるものでなく、それの善悪両面の影響の評価と、その結論を人々に知らせ、それをどう使うかの決定を行うとき、判断の誤りをなからしめるところまで及ばねばならぬ」(朝永振一郎)

3904:森のこえ

 

 寺所有の大子町の山林・・・40年前、高校建設敷地の代替え地として取得したもの。その当時を知る役員さん達は 既に亡くなり、その後を継いでくれた役員の方に同行してもらった。雨模様の生憎の天気だったが無事、管理をしてくれている方から現地に入って説明を伺って来ました。
 日本の高度経済成長期(1954~1973)から10年経った頃は、未だ日本の林業に活気がありました。材木への需要があり、樹齢70~80年の成木は高値で取引されていた。その後、状況が徐々に変った。日本の一次産業が同様に衰退の道に入る。担い手がいなくなればどうなるか、答えは歴然としています。何故、担い手が減少したか? 自然は正直です。その自然から我々が学ぶことを忘れたことが一番の原因。
 山に入ると木々の叫び声が聴こえますね。手が入らず放置されればどうなるか?太くなれず背丈だけ伸びた木々が犇(ひし)めいている。この山容は危機的状況です。光が射さず保水力を失った山は雨や風に耐えられず土砂崩れ・倒木が全国の山で起こっている。 これと同様の事が人間にも表れている・・・そんな風に思えて仕様がない。
 
 人間の育つ環境を木に例えると土壌が家、木は成木(大人)になるのに最低でも人間の一生と同じ位の歳月がかかるという(70~80年)。人生100年(?)というが、木はその数十倍もの樹齢を生きる。土壌の衰えと家の崩壊にどこか通ずるものが有るように思う。地球上の生き物は環境に適応しながら生き続ける。自らの葉や枯れ枝を栄養分にして成長する木は究極のSDGs、此処が決定的な我々人間との違い。特に産業革命後、自然を自分たちの欲を満たすために利用することが当たり前と考えるようになった。それも常識を超えたやり方で続けて来たのです。その結果、命の尊さや生きる意味を見失う人も増えている。木々は落葉で何層にもなった弾力のある土壌に水を蓄え、それを生きるエネルギーにして根を伸ばし自らを支えている。『SDGs』(国連)では、17のゴールが挙げられています。だが どうでしょう?16番目に≪平和と公正をすべての人に≫、17番目は≪パートナーシップで目標を達成しよう≫とあります。

3905:不倒翁(ふとうおう)

 底に重りを仕込み、倒れても直ぐに起き上がる人形を”起き上がりこぼし(小法師)”と言いますね。不倒翁はそれと同じ意。だるまさんがころんだという遊びを子供の頃、外でよくやった覚えがある。
 腰を低くし、何度ころんでも起き上がるダルマさんの姿から、子供は何かを学んだはず。そんな遊びを最近、殆ど見かけない。何をして遊んでいるのだろう? プラウザゲームかな?  何もかも”時流に乗る”という言葉で片づけられてしまうのも時流なのだろうか。 待ってよ! 立ち止まって考えないと遺憾でしょうが。国の財政を所管する官庁のナンバー2、またしても任期中途での交代となった。これも時流と言うのですか? オカシイですよね。国の財政借金漬けが当たり前になってしまった。このような状況で果たして『SDGs』を守っていけるのだろうか!謝罪会見が自棄に多くなった。おそらく謝罪マニュアルがあるよ 皆同じだもの、 先ず深々と頭を下げ、語る言葉に真意を感じない。国の為に精進する・・・・是はどういう意味なんでしょう? ココロを入れ替えて一生懸命頑張りますから 辞めません。ということ?そりゃ~精進の意味が違いますよ。(六波羅蜜)
 
 退際(ひきぎわ)肝心・・・・人体の中で肝(肝臓)と心(心臓)が極めて大事・・・ そこに退際を付けた。大義、権利、責任・・・コトバが気のせいか軽くなったように思います。おそらく当人にとっては不本意の極みかもしれない。それを言うなら、貴方の本当の気持ちを出さねば、曖昧な幕引きで居座る余裕など今の日本には無いはずです。
 少林寺にて面壁九年の『達磨大師』を≪ダルマさんころんだ≫と遊ぶ子供たち。。。。。その純真無垢な子供たちと私たち大人が どう向き合えば良いと考えますか・・・・。
 ★  為すべき事をせず  徒労 ・・・・ああああああ!交響曲 ”第9の4楽章” 嘆息。・・・(♪BGM)★

3906:読書の秋

 一日の行動パターンはいつの間に決まったようだ。余程のことが起らない限り、変わらない。・・・  図書館を利用し、常時4冊ほどの本を借り2冊は貸出を延長(max4週間)、返却は近くの分館で行う。私流の読書法。 これだって古希を過ぎた時から始まった新参者、取り立てて言う程のことでもない。「充分なる満足は真理を了得せし時の微候なり」(求安録)
 身構えれば自ら心を閉ざす・・・さすれば「老いてのちの初心」(徒然草:第92段)・・・云々。他に迷惑をかけず時機に身を投じる生き方が出来ればと模索する ・・・・・読書の秋、束の間の平穏に先人の教えに向き合う喜びを見つけた・・・・(ナマグサ独言)
 
 月ごよみが残り2枚となって、だいぶ秋めいてきました。コロナ感染による後遺症の所為にする事象が増えたような気がする。気忙しく、複雑で見通しがたたないのもその証?助け合うことより 己を優先する風潮を時流とするのは、人間だけの身勝手。自省、自戒というコトバを忘れ、大いばりで勝手気ままに振舞う因果。羨望、嫉妬が強まればいずれは”憎しみ”にかわる。是は敢えて言うまでも無い常識だったはず、それを性急且つ強引に価値を変え正統化してしまう。
 マニュアルからデジタル、そして人工知能へと”一族郎党”引き連れて どこに向かって進むのか!偏った未来主義はあらゆる伝統を破壊し、それでも満足せず戦争賛美へ、それを何処の誰が止められるのでしょうか
 未踏峰を踏破するには地図が標、それがGPSに変わり、気象もリアルタイムで知ることができる。けれど、昔と変わらないものがあります。それは進むか退くかの判断をするのは登山者自身であるということ。 
 変わるべきでない事に疎くなれば 途に迷う。是は≪いたづらに西天に迷路するなり。≫(正法眼蔵:行持下8)

3907:本気の度合

何が”本気”で 何が”嘘気”(?)かと問われてどう答えますか? その度合を量る方法があるのでしょうかね~。もしかして文明の利器にその判定を託す心算か? 溢れ返る情報の中から真偽を見極めるのは・・・・≪身口意業つねに顛倒し、還って流転三途の業となる≫(密厳院懺悔)。
 「嘘(うそ)も方便」・・”ほんに・・御方便な物でございます”等々、緩衝材を間に挟む浮世のしがらみ。
 
 "真もまた方便”何が真で何が偽かわからない”。五蘊皆空、四苦八苦の第8苦は”五蘊盛苦”、その苦しみを克服する為の教えは四諦八正道、苦は失うものばかりでない。自分が四苦八苦を経験することで己の弱さや限界を知り、他人の苦しみを共感できる。これが生きること。(真理)
 何度も何度も原点回帰、思い出しては忘れ、またその繰り返し。”老いてのちの初心”も然り、仮想ではなく現実の中で生きることに価値・・・・・・と。ハッキリ言って”戦争”は共感を放棄したこと、正義の反対は何か?と問われ、『悪ではない、もう一つの正義』と答えた人の話を読んだ。(煩悩即菩提)(本気の度合)

3908:希望

 ”そうなればいいとの望みをかける”ことを希望的観測、英語ではwishful thinking 、”希望を見出す”は see the light at the end of the tunnel。(ジーニアス辞典)
 コトバの1人歩き、複雑&多義な言葉が誤解をうむ。グローバル化の時代に起こった落とし穴、その多くは度を超えた人為によってうまれる。「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」は川端康成の『雪国』の冒頭、初めて読んだとき雪国は光(light)だとだれが思っただろうか?冬の越後は雪に覆われ、その中で人々のいとなむ厳しい生活が描かれた。勿論 当時 新幹線など無かった。旅は道連れ上野から蒸気機関車に乗りコットンゴットン、二十歳前後、私は上越線小出駅に何度も降りた。銀山平にあった山小屋委員を担当した。トンネルと言えば直ぐ浮かぶのは、暗くて長い其のトンネル、奥只見ダム、電源開発用に掘られたものだった、当時は通行許可が必要だった。勿論、小屋に電話などなく、急用があれば銀山湖ほとりの伝之助小屋に連絡に行くしか無かった。5月連休に小屋開き、越後三山は雪を被り小屋に入るには2階の窓から入った。記憶は朧げになったけれど私の数少ない”wishful thinking”。実にのんびりした良き時代だった。
 
 地球の温暖化は明らかに恩恵より災い。最初に動物・植物が敏感に反応、人間は今もって鈍感、平時なればと高を括り、備えあれば憂いなし・・・その格言も歪んで聴こえる。生きる本気度を量る方法はないのでしょうか。
 核戦争の抑止について「恐怖の釣り合い」が前提条件だという朝永振一郎、≪高い報酬や豊かな研究費の魅力だとか。物づくりに対する科学者・技術者特有の偏執だとか。功名欲だとか。あるいは人類的視野の欠如だ。とかといった答えができるかもしれません。しかし私は、逆説を弄するようですが、彼らの持つ「恐怖」こそが彼らを兵器作りに駆り立てていると考える≫(『科学者の自由な楽園』p313)。
 希望を次の世代に繋ぐとすれば その前提条件として・・・感性の豊かな、思いやりの深い、温かな眼差し・・・と思いますがいかがでしょうか?・・・この子らを 世の光に・・・希望

3909:ぬくもり

 喜びと怒りと悲しみと楽しみ=喜怒哀楽、もともと人間の感情は様々、それを自分でコントロールするのは至難の技。知らなかった?言い訳になりません。どこか遠くで起こっていること? この種の情報(様態))を遮断することはできたとしても  どうでしょう?自分自身に起こったことを 遮断できますか!(われらが生死の到来、ただ今にもやあらん)/徒然41。
 どんなに粧いが巧妙でも ぬくもり は 見た目でなく 体感すること。この子らに 世の光を × この子らを 世の光に  この違いをお前は実感できるかどうか。と問われました。
 
 古代ギリシャの哲学者『プラトン』(bc4~bc3)の「国家」(副題:正義について)の話で大江健三郎と立花隆の対話は終わっている。・・・≪僭主の正義というものではだめで、民主主義における正義というものが行われなければいけない、さらに民主主義の存続のためには、地球が続いていくいためには、智慧や勇気と同時に、節制がなければならない。(大江)≫・・・・(『立花隆 最後に語り伝えたいこと』p192:中央公論新社)
 (注)僭主(せんしゅ)・・タイラント。暴君、専制君主。節制(せっせい)・・欲望をおさえ度を越さないようにすること。
 何度か読み返してみました。 それは現代社会に散在する問題に通じることばかり、編集者の意図かではなく、お二人の一貫した生き様だと判ります。 ”世界はどこへ行くのか?” 科学の進歩と人間の自己喪失をどう捉えるか! 等、お二人共通の問題提起は私たち一人一人に向けられているわけですから。

3910:生きる

”共に良かったと感じたい!”・・・共に生きる【共生】の真・善・美・・・
 私達はいつの間に何か大切なことを忘れていないでしょうか? 判っているようで実は判らない。皆さん そうだと思いますね。私達は生れてから、それぞれが違った人生を歩んでいきます。誰一人として同じ人間はいません。けれど、同じことがある。それって なんなの????。人は”誰も死ぬ”ということ。エッ!戸惑いますよね。真言宗の寺に生れ、正直、そのことを受け入れることができず、悶々とした青年期を送りました。当然、勉強に身が入らず、ココロ此処に非ずの日々で現実から逃げようとばかり考えていました。
 今年73才になった。多くの知人・友人が既に亡くなっています。その人達が今 何をしてるだろうか?そんなことを懺悔の文を誦みながらボーっと考えます。「おかしいだろう、お前は坊さんだろうが」・・・の声。 今・・・生きてる限り 生ききる・・・こと
   ”薫習(くんじゅう)”という言葉が浮かんだ。
 
 ・・・うつり香を 秋に収めて 冬蔵す・・・