源究210t210

  

 NO  テーマ 月日  NO   テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3711  不便益  5/15   3716  補完機能   5/28  3721  荒野の再生   6/9  3726  報復行為   6/23
 3712  一方通行  5/18  3717  仄々感  5/31  3722  無垢こころ  6/12  3727  纏わる   6/25
 3713  止まない雨  5/20  3718  諦めず偏らず   6/3  3723  目が物を謂う ?  6/14  3728  タイムスリップ   6/28
 3714  プロローグ  5/22  3719  こころの灯  6/5  3724  澱みと泡    6/17  3729  唯我独尊   7/1
 3715  諫め  5/24  3720  伝灯   6/7  3725  慣れの怖さ   6/20  3730  悪弊の処理   ☆

3711:不便益

各駅停車からリニア新幹線、日本全国を網の目で繋ぐ鉄道は運行時間の正確さや安全性では世界のトップクラス、更に進化を続けようとしています。ただ、華やかな側面ばかりではなく、利用者が減り廃線を余儀なくされた路線も増えている。日本の鉄道の歴史は新橋から始まる。その新橋駅は昔の面影を今も残す赤レンガ、大東京のど真ん中、ビル街の中に埋もれて電車に乗っても知らないうちに通過してしまう。 駅前のロータリーにはSLが今も置かれていると思うが、人との待合場所としては判り易い。
 ”不便益”という耳慣れない言葉、最先端のAI技術を京大で研究していた先生が全国の関心ある人達に呼びかけ【不利益システム研究会】を設立、その目的は。・・・人と人工物の関係を考え直し「自動化」に代わるデザインの方向性を模索する・・・というもの。そこの代表者:川上浩司氏の話を聴いた。印象に残ったのは≪制約は人を動機付ける≫≪便利さを追い求めすぎると新しい発見の余地が減る・・≫などの話だった。
 今の世の中で無くなって良いものは”核兵器”、一方では戦争抑止には必要不可欠な武器!? この相反する考えが今もって未解決の儘で残されている。じゃ~”不幸益”というものもあるのでしょうか?
 施無畏(せむい)という仏教語は法華経の中にあり観世音菩薩の異称です。経典にある”無””不””空”という字は解釈の違いにより人間の社会性・主体性は拡張したり消滅したりすることが判ります。
 
 バーチャル リアリテイ(仮想現実・VR)は常に一人歩き、増殖しながら 現実からの逃避、社会性・主体性は自ずと弱まり、人智の及ばない処へ。核兵器禁止条約(TPNW)に署名86国、批准60国(広島市ホームぺージ:2022.3.23)、日本はその署名・批准はしていない。その代わり、核拡散防止条約(NPT)を,1976年に批准している。この条約は 世界で核保有が認められている国を5か国に限定している。(米・ロ・英・仏・中国)
現実はそれが 今どうなっているでしょうか?既成事実として保有を宣言する国も存在している。これに対し、日本はどういう立場にあるか!トップが頻回に替わる割に、この議論をする環境は旧態依然のまま、知らされず、知らない・・で押し通す。沖縄が日本に復帰し50年となる昨日(5/15)。”核なき世界””核抑止の重要性”というNPTの考えがどれだけ日本人に理解されているのか考えてみた。それさえ掴んでいないのではないか?
 もしかしたら、既に核兵器よりもっと深刻な人工物が存在するのではないだろうか?それを騒ぐとあまりにも影響が大きいと思うか否か!
 釈迦が説いた重要な教えの中に”中道”というものが有ります。それは・・二つのものの中間ではなく、両極端から離れ矛盾対立を越えること・・です。(断・常の二見&有・無の二辺) そこに 現代社会の限界をみてしまうのです。
 便利さという言葉には善悪の判断を拒む何かがあるように思いませんか。それは”進歩”という短絡した論理とその幻想への妄執、 それに気が付いた時 人間は後戻りできたはずではなかったでしょうか。しかし、人工頭脳にそれは期待できまい。唯一の望みとしてあるとすれば、”子ども目線”かもしれない。
 ☆生物の中で独りで歩けるまでに 最も長い時間がかかるのは人間です。それを忘れている大人が増え過ぎた。不便益は不・便利ではなく不便であることの益

3712:一方通行

 あと どの位続くのでしょうか? 感染対策で自粛を余儀なくされ、その影響はあらゆる処に及んでいる。長引けば いずれ慣れてしまうのでしょう。ハイブリッド、オンデマンド、オンライン・・・自棄にカタカナ文字が目立つ昨今、それが益々加速・拡大している、≪こりゃ~ 便利だわ!≫???と 。後付けで 時節柄 致し方ございません・・・・ですか~。 ちょっと待ってよ、厳しいかな~。画面を通して話し合う、それで 本当に理解し合えるのだろうか?微妙な間とマイクの入り切り、・・・・余計な手間が入る。それを減らすには 言葉を選び、なるべく短く要点を話すことを求められます。参加者各々の百面相、終わった後、消化不良でスッキリしない。働き方改革が言われ始めた頃から ずっと違和感・疎外感はありました。慣習的事なかれ主義を打破するには”工夫”が必要? 浮かんだのは インドの諺で・・・・寝たふりしている人は 起こせない・・・ そりゃ~そうだ!と思う人はまだ救われる、だが・・・何言ってんの この人?・・・と、何も無かったかのように通り過ぎ。
 近年、家庭菜園を楽しむ人が増えたように思う。だからと言って、自給自足までは望まない、最初は定年後の”暇つぶし”のつもりが生きがいになっているのかもしれません。日本中至る処に耕作放棄で荒れた田畑が増えている、それを借りて野菜づくり、持ちつもたれつ、これぞ共生社会で一挙両全だ?。 不便益?基本財産?流動負債? 損得計算ばっかりの当世風・人間性の復活!となりませんか。
 情報量で腹を満たすことはできない、後から下剤か下痢止めを交互に飲むようなことになりかねない。『自動化』が進み過ぎると発見の余地を狭め、大切な事を失っていることを気付かない。
 晴耕雨読、雨でなければ いつも草刈りをやってます。すると必ずカラスや小鳥が集まってくるのです。最初は判らなかった。そのうち鳥たちは虫を目当てに集まることが判った。自然界の生き物は必要以上にエサを奪い合って争うことはしない。それを弁えている。脚下照顧?小欲知足?
 
 
 生活習慣病の百花繚乱と言ったら 出直して来い!と言われそう?  間違った日本語となりましょぅか。 前項の働き方改革での違和感の中身と関連し、疎外感は 掲げる主旨と合わない人達の存在です。外国の良い処のパッチワークみたいな流れから抜け出せないもどかしさ。モノゴトには因と果があるという。布の小片をはぎ合せて一枚の布をつくることに優れた能力を発揮するかもしれない。それを真面に受け取れますか? できた布で何をつくるかです? 順逆の二縁、いづれも済度利生の方便なれば・・・・云々。(太平記)
   ☆①  一方通行 戻りたくとも 戻れない  ☆②  誰の為 何の為の 一方通行 (愚僧今生記)
 

3713:止まない雨

 ♪ わかちゃ~いるけど 止められない・・・・・スイスイ スーダらだった スーダらだったスイ♪。往年のクレージーキャッツの唄。最近 その歌をよく口ずさんでいるんだわな~。
 某小学校の授業参観 ・・・みなさ~ん。サギや迷惑メールの被害を受けないためにどうすればいいかな~? ハイ!手を挙げて、『スマホを持たないことで~す。』  なるほどね~。別の子がハ~イ!『 みんな 大人をやめて子どもになれば良いんで~す!。』 突然、親から 『せんせ~い 質問の意味がわかりませ~ん? 』    ・・・・・前世における行為の結果として現在の幸不幸があり、現世における行為の結果として来世の幸不幸が生じる・・・ムニャムニュムミョ   インガオウホウ ジジョウジバク タナカラボタモチ オンアビラウンキャンバザラダドバン・・・・・・。
 
 もしかして 意味不明であったら 悪しからず! ≪火中の栗を拾う≫と≪寝たふりしている人は 起こせない≫、二つの諺を比べて見てください。これを 人工頭脳で代替えができるでしょうか? ハッキリ言って”無駄”、諸行無常・諸法無我そして涅槃寂静、仏教の思想を特徴づける≪三法印≫です。人と人工物の関係は未来永劫に”追いかけっこ”、?人間は”無欲”になれないからです・・・・云々。
 深層心理は 人間の心の中の無意識の部分です。これを究めることを阻むのは ”妄執”を持っているから・・・・・・。人類史で”独裁者”が常に現れ消えていく。。。。
 止まない雨は 災いをもたらす。その逆もしかり、異常に乾燥した大地で殆どの生き物は生き続けることができません。
 一人の人間ができること、それは”涅槃(平和)”を祈り続けることかもしれません。 何を勘違いしたか???? 止まない雨に 独り、破れ傘をさすごとき愚行を繰り返す。

3714:プロローグ

 今更か?今ゆえか?
 ・・・『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。』・・・(平家物語原文) 日本人の多くが知っている平安j時代末期に著わされた平家物語の冒頭文。
 日本も例外でなく時代の変わり目には争いが繰り返されてきました。
 物語は続く・・・・『楽しみをきはめ、諫(いさめ)をも思ひいれず、天下の乱れん事をさとらずして、民間の愁(うれう)るところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり・・・』・・・・。
 然様なればこそ、何かに感けて自らの足元を見ぬとは異端の極み。此の古典プロローグこそ現代人への諫めなり。
 
 【源平盛衰記】は作者未詳、成立も鎌倉後期以降という。『平家物語』の異本の一種で、『平家物語より更に史実を基にしたものという。それは令和になった今も私たちの何処かに生きている。無常は無情ではな。有情に対し非情、有情は衆生とも言われ、感情・意識をもち、相手の感情を理解しうることの意もある。
 子供の頃に思いを馳し、人それぞれに感慨にひたることはできます。人のプロローグ(序章)は生、その誰しもが終章として死を迎える。初めと終わり、その間の出来栄えに自画自賛することは勝手だが、大いなるものはよく観ている。 折角の生きた証も黒塗りされてしまうかもしれない、・・・浮世のしがらみと唖然とするかいなか?(宗教の基底)。
 帰命&祈り 安心を願う心と黙示録。そして懺悔に告白。
 

3715:諫め

 どのような”諫め”に対しても耳をかさず 何を望んで それを為し遂げようとしているのか! 現実に今起こっていることに、世界の眼は集中、それも突然に、望まずとも騒ぎに巻き込まれ戦々恐々。
 この状況が長引けば 犠牲者の数はもっと増え、その責任をどうとるつもりなのか明言しない。〇〇子世に憚れば、善悪の判断もない無法の地と化す。自国を守るために各国が挙って軍備拡大に進むのだろうか!それを喜んでいるものがいるとすれば、まさに”地獄絵”。
 どこか他所の出来事と考え、のうのうと暮らす人達がいるのも事実。【仏】の六道輪廻、人為により天から地獄へ一瞬にして落ちることを想像しうる人がどれ位いるだろうか?
☆『戦争の歴史は権力者の歴史です。庶民の歴史は優しくいのちを守り助け合ってきました。生きている残りの時間、心のゆたかさこそが平和の種という運動をしたい!これが障害福祉の本道だと本気で思っています。・・・』徳島のN氏から手紙が届いた。(抜粋)
 
 信じあえる仲間がいることが真の喜び、それがいざという時に”ちから”となり、光となって足下を照らす・・・・・・!≪心のゆたかさこそが平和の種≫の真意と解する。歪んだ偽りの豊かさは”豪奢な晩餐”、いすれ それにも満足せず、互いに啀(いが)み合う。
 真の仲間とは、相手が嫌がっても諫言できる間柄、それを 粛清・排斥すれば自縄自縛で苦となる。
☆・・・【永遠なるものを求めて 永遠に努力する人を菩薩という】(薬師寺:高田好胤)・・・・

3716:補完機能

 私達は完全ではありえません。健康に自信を失い、初めて感じる健康の大事。いま こうして生きていることが どういうことか? 普段はあまり考えない。欠けている所や不十分な処を補ってきたから、その多くは他から戴いたもの。それを思い出してみませんか!戴いたものは 返していく。時間が掛かっても 全てでなくとも・・・・何もなければ笑顔でも良いと・・・・・それと人間に必要なものは”謙虚さ”。
 日本の森林が病んでいる。間伐や枝打ち、人間の手が入らず山が密になっている。光が入らず、木同士で傷つけ合い、根腐れ、そして土砂崩れや立ち枯れが減るどころか増えている。日本の木材自給率は昭和30年(1955年)94.5%であったものが令和2年(2020年)35.8%になった。(林野庁) そして木材価格は世界の動きに諸に影響を受ける。
 これから 日本が どこに力を入れたら良いと考えますか? 未来を予測することは難しい。だからこそ 老若男女、皆で考えることが大切だと思います。世界の全体幸福がなければ個人の幸福はありえない。(宮沢賢治)
 重い障がいをもつ人達から教わることが沢山あります。生きることは どういうことか! もし 生き辛い環境があるなら、その環境を変える為に何をどうするか! 一部の人達ではなく 皆で考えていくことだと確信します。
 
 昨日 オンライン会議に参加しました。2時間半、事前送付された部厚い資料を見ながらでした。一年間の事業報告と決算など、事務局からの説明を聴きながら感じたのは、オンライン会議に慣れない所為もあるのだろうが理解を深めることが難しい。これも仕様がないことですが、その裏では関係者の並々ならぬご苦労があればこそなのです・・・・・。
 便利さと不便さを受け入れ、上手に付き合っていかねばならない。これができない人も大勢います。強いこだわりがあって僅かな変化に対しても強く反応してしまう人達、強度行動障害(この言葉に違和感)のある人達を国は項目別点数の合計で類別します。≪こころの豊かさ≫とは別次元のツールで決められる? クールとドライさは有ってもどうなのかといつも考えてしまいます。
前項のN氏の”庶民の歴史は優しくいのちを守り助け合ってきました。”というコトバ。現実には軍事費増強へ世界の動きが加速されています。折角 助け合って築いてきたものを一瞬に破壊してしまう。この愚行を相も変わらず続ける人間は一体どうすれば良いのでしょう?
 その判断をAIに託してしまうのでしょうか!AIは補完機能は果たせても主体には成りえません。 

3717:仄々(ほのぼの)感

 心がほんのり温まる・・・仄々(ほのぼの)感・・・・が周りから消えていくような思いになります。 相手を誹謗中傷することに長ければ 当然心は荒んできます。いずれこうなるだろうと予測した人が どれだけいるでしょう。薄々は感じていたけれど、それを言える状況ではなかった!
 じゃ~ このままドンドン行ってしまうのでしょうか? 理想と現実の乖離、権利と義務の齟齬、正義と不義の混乱・・・・。欲張りすぎと本性、・・・・不信と不安、・・・・。 この濁流を食い止める堰をつくるのは至難の技。折角造った堰を破壊することは簡単、無情・非情が罅(ひび)となり遠隔装置の武器にかかれば一瞬に。仏教は無と無の違いを説いている。昔から八百万の神を崇めてきた日本人のこころを問うべきだと思います。命の大切さや先人が培った生きる知恵を軽んじる風潮が際立ってしまった。 現代は一部の人間の欲望を満たすために民族や宗教までもがその道具に利用されている。 
 
 自分に都合悪いことに対し目を背ける。
 宮澤賢治の母イチさんは、賢治が幼いころ、添え寝しながら、いつも話を聞かせていたことは・・・・≪ひとというものは ひとのために何かしてあげるために うまれてきたのス≫・・・・という。当にそれは源信の母と重なります。この親ありてこの子あり。
 小学生の賢治が父政次郎から・・・≪おまえは 将来何になりたいんだ?≫・・・・と聞かれて『むやみに偉くならなくてよいです。』と答えたという。
 逆に・・≪ひとというものは 自分が偉くなるために 生まれてきたのだ。≫と言われ続けてきたとしたら?≪何としても偉くなります。≫と答えた・・・でしょうか?
 人は老いるにつれ昔のことを自棄に懐かしく思い出すようです(実感)。生きてきた時間と残された時間の答無き差し引き算、なぜか 一日一日が早く過ぎ、あなたは輪廻転生を信じるかと問われたら どうします?銀河鉄道に乗って旅に出たらいかが・・・・・か。
 殺伐とした広場でマイクを握り ひとり 勝利宣言をする姿 ・・・・人は自分に都合悪いことに対し耳を塞ぎ・・・・口は最後の最後。我が身口意を幻想と認めず 我が信ずる路なりと答えるか!
軽挙妄動を慎むとは、度を過ぎないように行動を控え目にするという意です。

3718:諦めず偏らず

 
近頃  天候が定まらず、そんな中で体調の維持に苦しむ人も多いのではないかと思います。人間は往々に天気の所為にしてしまうことも無きにしあらず、言い訳がましくなります。宮澤賢治は花巻の質屋を営む裕福な家に生まれた。農具を質に入れお金を借りにきた人に無償でお金を貸し父親とケンカになったという・・・・、数々のエピソードは賢治を知る入口になる。36年という彼の生涯は余りにも短かかった。
 彼の魅力は生き方と発想力にあると思います。動物を擬人化し子供にも判るような童話(『銀河鉄道の旅』など)を書いた。生前、彼は一般には殆ど知られず無名であったが後に彼の真価が評価され今に至っている。そこには仏教(法華経)信仰と農民生活がある。世間には書籍が溢れている そこに 著者自身の生き様が伴うものを探すのは至難の技。≪何の為 誰の為 何をどうする!≫という時代を越えた理想郷を賢治は自身の生き様で示した。今から丁度100年前の話。ハレー彗星の大接近やタイタニック号の沈没など世界中の人々を震撼させる出来事を通し自然の中で人間がいかにちっぽけな存在かを賢治は確信した。まさに今の状況に似ていると思いませんか?
 ☆ 『むやみに偉くならなくてよいです。』(賢治)ムヤミヤタラ(無闇矢鱈)・・・後先を考えずすること。度を越しているさま。むちゃくちゃ。共生社会と言いながら 欲望に勝てない人間が『むやみに』偉くなったり豊かになったり・・・それを見抜いていた・・雨にも負けず 風にも負けず・・・。(国会中継の残像に 賢治の虚ろな表情のあの写真が出てきた。)
 
 ≪ お地蔵さん いつも 変わりなく 立っていて つかれませんか・・・・・
         雨の日も 風の日も・・・諦めず 偏らず・・・飾らず偽らず・・・≫ 〈神宮寺本堂正面:尚恵学園)
 水無月 田植えが済んだ田んぼには水がひかれ、周りの木々は緑の色 鮮やかに 此処は 尚恵学園発祥の地、昔、大きな松と五葉松があった場所に子ども地蔵が鎮座する。
  そうだね、コロナ禍やウクライナで起こっている”戦争”、賢治がもし今の世に生きていたら なんと謂っただろうか? 人間がいかにちっぽけなことかと 賢治流の仕方で発信したかもしれない。 
  雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ 
    アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
       東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ  
         北ニケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ
             クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ
 (原文)

3719:こころの灯

 人の道に悖(もと)る行為が起こってしまうのは なぜ?
 ・・・・「是観世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。皆号之為。施無畏者。」(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五章)・・・。観音菩薩の異名である『施無畏者』の出処、人々の畏れを無くす観音信仰の根拠。今も根強く残っている事由が”おそれ”から逃れたい、救われたいという人間の本能。
悪心 善心は外にあるのではなく 自分自身の心の中にあるという。 安心、畏れも同じ。仏教の教えは どうも難しいと思われているようだ。私も同じです。膨大な経典、いまパソコンを打っている部屋には【大正新修大蔵経】全巻だけが入っている書棚があります。全ての経典が漢訳されている。坊さんになるのは”大変”だ~!という重圧から逃げれたいという思いが深層心理となって今もある。
 古希を過ぎ今年72歳、宗派の長寿会員にいつの間にかなっている。でも最後まで準会員で良いと私は思っている。
 ・・・花は紅(くれない) 柳は緑・・・・・これは 自然の有りの儘を表した それに何も感じなかった自分が 今は少しづつ変っている。
 ☆ 「是の観世音菩薩摩訶薩は、怖畏急難の中に於いて、能く無畏を施したもふ。是の故に此の娑婆世界、皆此を号して施無畏と為す」(書き下し文)
 
 皆に”デクノボウ”と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず・・・・そんな人間に自分はなりたい。と詠んだ賢治の心中は ?
  ☆デクノボウという言葉、”木偶(でくの)の坊(ぼう)”である。木偶は木彫りの人形、役に立たない愚か者を謂った。彼は自らの徳を讃ぜず陰徳に徹する生き様を望んだ。大欲か小欲か!心身を迷わす誘惑に包まれ、猫も杓子も”それゆけ ドンドン”ならぬよう・・・・と。
 賢治の生き様が今の世に光となりうるか、 謂うまでもない、誰しも自身の心中を観れば判るはず。逆にSNSを諸手をあげて享受するのはどんなものか!世界はサギ&迷惑&サーバー攻撃&偽情報などに晒され、何を信じたら良いか判らない状況だ。これだって、いつの間にか慣れてしまう。夜 今でも煌々と明りに照らされた大都会、そこで”こころの灯”を捜そうとしても無理だろう!この100年間に大きく変わってしまったことの一つ。この流れは最早止めることはできまい、終いには心を閉ざし引き籠もる選択肢だけが好むと好まざると固定する。
 人生100年の裏で根が張った社会の実相は複雑で見極めができない。獲たものもあるが 失ったものは無限大!真実を知らされず戦場に行かされ命を落とす若者、方や地下に身を隠し只管攻撃に堪えている人々 この両者がいつ逆転するかも判らない。”不条理”は 三毒(貪瞋痴)の代償として向き合うしかない。 100年前の賢治の独言(一節)が”光”となり輝きを取り戻す切っ掛けになればと切に願う。。

3720:伝灯

 法灯を繋げてきた宗教の有り様が立ち込める煙によって見え難くなってしまった。ウクライナ東部の由緒ある木造教会が砲弾によって真っ赤に燃えている。中には難を避ける多くの人々がいたという。その映像は全世界に流れた。断末魔!の叫びは途切れることがない・・・・・。
 いったい 貴方たちは何を信じ、どうしたいのか!情報戦が益々激化する中で人々にとって(信仰)の拠所である教会にも銃口が向けられている。私たちは 何を信じ どうすればよいのか!・・・と大声で叫んでも相手に通じない。
 関東地方が梅雨に入る。雨でなければ 毎日鎌と熊手を持ち草取りをしています。エンジン式草刈り機は石塔のある処では使えない。人為により壊された石仏・石塔、それらを集め直した跡がハッキリとわかる。住職地の神宮寺・観音寺はほゞ同時代に創建された。約600年前、その時を記録したものは殆ど残っていない。寺と檀信徒はもちつもたれつの関係、今 斯うして在るのはその先人達の信仰によって守られてきたからです。明治初年、祭政一致を唱えた国の政策によって全国的に”廃仏毀釈”が起こり仏像や石塔が壊された。その時の傷痕は100年以上経った今も各地に残る。
 まだ先がまったく読めない。先に狼煙をあげたものがその火を消さなければ戦争は決して終わらない。史実が風化されず いつの世にも人々の心の中に”灯”となり道を照らしてくれることを祈る。
 
 必要としないものは やがて消えていく。これは万象を支配している理法・・・自然の摂理・・・だという。仏教は山川草木に”いのち・魂”を観ずる教え。人間も自然の一部で、三千大千世界(三界万霊)と共にあるとみる。
 貴方は何を拠り所としているのでしょうか? ”ちから”ですか?”財”ですか???思いを果たすために 略奪、破壊、殺戮を正当化し それで満足できた試しがあると考えているのかもしれない。そのためでしょうか 貴方が大いなるものの前で祈るのは・・・・・!
 義人がなぜ苦しむかという神義論的問題(ヨブ記)をあげることもなく、既に 道は開かれているはず。そうではないのでしょうか? 身罷る時に 誰かに”心からありがとう”と謂えるのでしょうか? 義人とは”自分を捨てて、正義に殉ずる人”の意。貴方の家の玄関のドアは内側、それとも外側、どちらに開きますか?招きいれることの真意。
 伝灯とは 天空に橋を渡すこと。(『仏』順逆の輪廻転生)

3721:荒野の再生

 正否を見極めることの出来にくい時代ですね。これも偏重の時代の当然の帰結、そこで”無知の知”・・・真の知に至るための出発点は無知を自覚することにあるという(ソクラテス)。先哲の言葉から何も感じないのは、私利私欲に偏り過ぎたゆえの詭弁か・・・さらに出発点が無知でなく”欲”だとしたら、その自覚も無いとしたら・・・・・・。
 無知が偽善となり不信に至る。誇張ではなく宇宙で唯一、山川草木に恵まれたこの惑星は、小さな動物を育てることができた。報恩と謙虚さを見失った現代人は自らを過信しその生の環境を一瞬にして奪ってしまう愚行を止められない。一度荒れ果てた地を再生することの難しさを人間は 何度も経験し学んだはずではなかったか。 
 ☆ NHKラジオ深夜便アーカイブス(6月8日午前1:05)藤野高明さん(82才)の話を聴いた。昭和21年、7才の時、不発弾と知らず遊んでいてそれが爆発、視力と両腕を失った。一緒に遊んでいた2歳下の弟は死亡。・・・・・。
 
 人は感謝と謙虚を見失った時、心は殺伐とした荒んだものとなる。 
 引き際を誤ったものに 再生の機会が許されるか否かは天のみぞ知る・・・・と。輪廻転生! ≪地獄・餓鬼・畜生≫なる三悪趣、死後その人の悪業のために行く世界と説いた、そして≪修羅・人・天≫の三善趣は善行によって為せる世界(仏)。人を信じることを忌避し、それを孤高と勘違う人には問答無役。
2000年以上昔の先人の遺訓に逆らい むやみに頂を求めるのもどうか!自作自演、自己満足・・・・俺がおれがの渦に呑まれ 無茶苦茶と引くに引けない罠に落ち
 神仏を己が勝手に解釈し、必要になれば取り出し 都合悪くなれば棚高くしまい込む。それは本来の信仰と懺悔とは謂うまい。 自然の摂理に刃向かって人間が勝った試し無し。(五濁悪世
 (ex)・・・慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩悩燄・・・・(観音経偈文)
    

   梅雨の晴れ間

3722:無垢こころ

 逆境をエネルギーにし、活路を見い出す人は世の中に沢山いるはず・・・・・・
 五濁とは、悪世になると生じる5つの現象をいうそうです。①劫濁は飢饉・天災・戦争などが起こること。②見濁は誤った考えが蔓延ること。③煩悩濁は人を迷わす煩悩が蔓延ること。④衆生濁は人々の心身の資質が低下すること。⑤命濁は人々の寿命が短くなること。(仏)。今の状況がまさに似ている。諦めず残された道を探し求めたい。。
 飢饉・天災・戦争による第一の濁は、今までも時代に関係なく起こってきた。なぜ繰り返されたかどうかは判らないが史実は明らかに記録する。自然災害を人は止められない。せめて人為の災いは避けたいと思うでしょう。違いますか!それを邪魔するのが②見濁③煩悩濁という”にごり”。④衆生濁⑤命濁は その結果である。斯様に5つが全て繋がっている。
 上スナップの石像は、東日本大震災の時、足が折れた。本堂の正面にあったものを直し下に下ろした。すると、いつの間に苔のジュウタンに覆われ、心地よさそうに見える。頭にかぶっているのはT・Sさん(成人寮)が元気なころにいつも編んでいた毛糸の帽子。彼女は昨年 天寿を全うしお母さんのもとに還った。( 微笑みて 険路をてらす 無垢こころ )ナマグサ拙句。
 
 文明の危機と現代人の病理を予言し、逆説的発想と諧謔(かいぎゃく)あふれる文体で、近代思想の価値の転倒を試みた・・・・。(西部 邁:『正統とは何か』チェスタトンへの序)
 人々が大事にしてきた価値が一人の人間によって脆くも崩れてしまうことを私達は実見している。諧謔という言葉はあまり聞き慣れないかもしれない。意味は「冗談・たわむれ」。
 絵や文章や音楽で表現する自由は許容範囲、しかし、それさえも禁じ、大量の武器をもって思いを果たそうとする行為は破壊以外のなにものでもない。
 危機と病理を因と果の”かかわり”で論じても仕方が無い、だから諧謔的にいち早く言及したのでしょう。実際に今起こっていることは、権力と富への妄執、偽善と無道徳の蔓延、そして人間がかつて経験しなかった修羅場のように思える。
 これは偏った見方でしょうか。逆にそれならそれでよいのです。自らの足下を見つめながら 泡沫の成り行きに身を委ね一日一日を”ありがたい”と思い念じながら過ごしたい。 
 

3723:目が物をいう?

 仏教の教理で18界は、六根と六境と六識からなる眼耳鼻舌身意による人間の認識働きの総称です、初期仏教の頃から教義の基軸におかれてきた。(「ダンマパダ」発句経)
 私が僧侶になる覚悟が固まったのは、この教えを知ったことが大きかったと思います。仏教社会事業の記録を辿り、障害福祉に強く惹かれ半世紀が過ぎました。小さい時から障害がある方達と触れあう機会が多かったことが影響したと思っています。6つの境は色声香味触法で知覚の対象、綺麗とか美味いとか芳しいとか痛いとかを感じることです。  障がいにより自分で上手くできない人達、彼等はそれをどう感じているんだろうと想っていました。朧げな記憶です、72才になった今も それは変わりません、寧ろその想いは強くなっている。世間一般で騒がれているような共存共栄は一部の人間の虚栄心の満足でしかなく 実態は違います、格差が拡大し 混濁の世となって それを隠すために自分だけ良ければという考えが増えてきたのではないでしょうか。
 障がいがある人達から教わることが沢山あります。まさに目がモノをいうということになるのかもしれません。彼等の無垢正眼によって観る真理だと確信します。
 
 世相や文化現象や意識傾向をとらえ、その意義や本質を明らかにし評価することを”文明批評”といいます。 現代社会に一定の基準(法)があり真の評価ができるのだろうか?条約・協定の一方的反故が蔓延すれば社会は無法地帯と化し、今後その傾向は益々強まっていくでしょう。アマゾン川のジャングルには生き物や植物の共存地帯が出来ています。それは必要以上のものは奪わず貯めずの法(?)があるからです。
 方や地下資源や木材をカネにかえてしまうのは人間だけです。それが環境破壊や人間同士の争いが無くならない元凶です。SDGs、これだって人間だけの目線、言い訳多く破る者が現れる。
 本人が意識しているか否かにかかわらず、自分達が忘れてしまった事をさてどうします?
 範を無くせば何を信じて良いのか判らない。今の社会に必要なものは 何?  実は こうなることを100年前に予見した人達がいます、その人達もまた先人の声を聴いてきた。SDGsの核心に明記すべきこと、それは破壊者の負わなければならない実効ある責任です。★ ゴミは汚れた場所に多くなるは相関で真理は心理 ★

3724:澱みと泡

 昨日、何人かの方からメールと電話がありました。皆さん私より先輩で近況と終活の一端を綴った。群馬の住職から 草庵での暮らしをすすめられ、 返す言葉がなく、(笑)でごまかした。
 丁度 その時間 私は水戸にいた。ある団体の総会をオンライン・ハイブリッド式で行い、引き続き今までの役を続けることになった。
 その団体の前任者であるM氏が三日前に施設長現役で亡くなった。91才だった。出席者全員で黙とうをして始まった総会も無事終わり、その後『成年後見制度について』の講演があった。3年ぶりに水戸南から高速道にのり、暗くなる前に帰宅した。遠出(?)は久しぶりだったのでホッとした。
 ・・・澱みにうかぶ泡沫の・・・・、鴨長明「方丈記」の一節が過る。鎌倉の時代も令和の時代も・・・・無常、これ真理。 最近自分は、その無常にやけに固執する。
 ・・・ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・・”参ったな~ そのとおり
 
 日本三大随筆は、「枕草子」「方丈記」「徒然草」それぞれに違った趣があります。これは時代がつくった日本の文化、そこに通底する詠み人の心情を伺い知ることができます。
 人間は自然の一部であるということ、一人ひとりがその自然とどう関わって生きるかという人生訓です。澱みに対し流れ、清流に対し濁流、大小あれば強弱もあり。そのどちらかに偏ることを戒める。まさに 現代社会に通じるものばかり。
 ”もちつもたれつ”に対して”独占ひとりじめ”は、常に存在した。持ちつ持たれつはSDGs、独占は泡沫、決して長く続かない。これが自然の摂理。・・・春にあけぼの やうやう白くなりゆく・・・・、・・・つれづれなるままに、日暮して・・・・etc。 
 これぞ共生と進化の本質ということでしょうか。 共生を利害関係で築こうとしても無理でしょう? 進化に武器を加えたらどうでしょう? 
  誤謬・詭弁・論過・虚偽・違背・・・・! ・・・かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある、人と栖(すみか)と、又かくのごとし・・・・・。(フムフムかホムホム)

3725:慣れの怖さ

 気の緩みは判断を誤る、だからといって 常に気が張り詰めていたら結果は同じ。適度の緊張と変化は大事。
 世相はホドホド観がなくなり、極端な事象が多くなる。そういった環境に長く浸かると平静を保つのは難しい。只管打坐?歩き遍路?・・・・。メデイアは挙って、コロナ~ウクライナを核にした報道を続けてきたが、ここにきて経済動向へ軸を移している。結局は人間の関心事は”経済問題”に行きつくか。
 堂々巡りは、いつの世にも無くならない浮世の性(さが)と。幸福や安全は、常に後付け、ユートピアへの夢も画餅に帰す。諸行無常 諸法無我 涅槃寂静。 実相に違背し慧を修せず、六度の行を退し 流転三途の行をなす。
 斯くの如く祖師先徳の遺訓にすべてある。知ってか知らずか永遠なるものを求め永遠に努力する・・・云々!
  上辺だけの知識に満足し、究極の智慧と相反すれば 涅槃・寂静は 遠ざかる。行を合理化し 容易に認可を得れば どうなるか ??? 慣れの怖さは 現代人を折檻する生活習慣病・・・・・となる。
 
 送る人いれば送られる人もいる。無関心と無知は違います。貴方は来世を信じますか?と問われたら なんと答えますか!
 住職という職業柄から 当然”別れ”の場に立ち会うことは多い。良く知っている方とそうでない方では 微妙に違う。記憶が影響するからだと思う。
 遺族の人達に伝えたいことは その人との思い出を大切にして下さいということです。でも世の中には 事情があって その思い出がない方もいます。 生きるということは、人それぞれの”生き様”ですよ。時間が経ってから 突然思い出すのは 平常と何か違ったことが起こった時に多いようです。
 故人の生き様こそ 自分にとって大切な宝(道標)だと私は信じています。それは壊れ失いやすい財産や名誉とは違います。その人の記憶(生き様)は変わらず残っているから 生き様は”人として守る倫〈みち)”、方や財産や名誉は時として”アヘン”と同じ、争いの原因となる・・・・・・。アヘンは習慣性があり、薬用以外の使用になり易い。
 これも”慣れの怖さ”だと考えます。
 ☆≪勝ったという経験は、人間を反省させないし、利口にもしません≫(『日本人の宿題』半藤一利)

3726:報復行為

 自然か人為か?その両方の災禍が同時に起こっている。二重三重の災害は、渦状になって次から次と容赦なく襲い掛かる。人為によるものは、報復行為となり憎しみや悲しみが重層化、終息への路はより険しくなる。
 人間がやってはならない一番最大の悪である戦争、それを正当化しようとする策動は執拗かつ狡猾になる。”人として守るべき法”、ぼやければ、愚行を抑える”箍”など有って無きようなもの?
 日本は直接戦争を70年以上行わなかった?それは戦争の悲惨さを体験した人達が”不戦の箍”を抜かれ無いようように必死に守ってきたからだ。それがいま危うくなっている。
 その最大の元凶は ”無知”(知らないこと)である。大人たちがそれを語りついで来なかった責任は大きい。そのツケが一気に回ってくる。経済で勝ったという経験が人間を反省させず、利口にもしない。経済そのものがおかしくなって それが判った。煙たがれても 無視されても警鐘を鳴らし続けた人達がいなくなれば、再び 軍備拡大の動きは加速する。
 国民を守るという大義が軽く聴こえる、立法の要である国政選挙で 投票率が半数に達しないという国はどうなのか!気骨ある政治家が姿を消した証か 信念をもち本気になって改革しようとするものが出ない。その代わりに離れたりくっ付いたり訳判らずの議員が増え過ぎた。 慎むことを忘れれば信頼を失う。次代を担う若者達の政治への関心が先進国中(G7)で日本が最も低いという原因はそこにある。
 ☆総務省:「年代別衆議院選挙投票の推移」・・20歳代 平成5(1993年)47.46%→令和3(2021年)36.5%、25年間が下降の一途。
 
 独楽は軸が狂えば回らない。
 経済の低迷と政治の劣化は相関する。 己の過去の瑞光(?)を忘れられず、退いてからも 頻回に口を挟むのはどうなのか。民主主義の意義と内容を失い形だけが残ったとは認めず、それを良いことに・・・・・。宰相たる真の力、それは 誰と何度会ったかではない。新芽を育む力をどこぞで勘違い、その芽を積むようなことをして自己満足していないか。参議院選、静かに 始まった・・・・・。民主主義の基本とは何か?を 先ず永田町から学び直すことが良いのではないか。
 今更という念は更に強まる。しかし、やらぬよりマシ!
 コマは軸が狂うとどこにいってしまうか独楽自身も判らない。旧態依然 軽挙妄動・・・・ 慚愧 ザンギ・・・絶えない慚愧!
 ・・・ 無始よりこのかた妄想に纏はれて衆罪を造る 身口意の業 常に顛倒して誤って無量不善の業を犯す・・・・(密厳院発露懺悔ノ文より)

3727:纏(まつわ)る

 ・・昔から今日まで妄想から離れず衆罪を犯す、言葉と行いと思いをあわて転動し大変な過ちをおかす・・・・懺悔ノ文を毎朝唱えてきた。この懺悔文を初めて知ったのは20代の中半、長谷寺(奈良)に参籠した時でした。その時の事は今でも鮮明に覚えています。「妄想に纏はれて」ということは、ツル(妄想)が足にからまり身動きできなくなること。「無始より」ということは、ある時点から始まったのではなく、永遠の過去から存在することだと教わった。経典ではなく最初にこの全文を暗記しました。 時代は変わっても 人間は妄想から離れることができず、数え切れない衆罪を犯している。今がそうなっていると感じませんか。複雑に入り組み筋道がまったく読めない混迷は世界中の人々に纏わりつき流転する。
  (仏)社会や組織の先のなりゆきについて不透明なのは、当たり前、それをこうだと断ずることは間違っているのかもしれない、それを 宿願として そうしたいならば都合の良いことだけをあげ、都合が悪いことは隠すか偽の情報を恰も真実の如く作り変えてしまうかもしれない。これが衆罪です。
 懺悔の文が書かれた鎌倉時代は、日本が源氏と平氏に分かれ争いが絶えなかった1185年~1333年までの約150年の歴史です。
 
 家族から大切なお子さんを預かり、66年が過ぎた。先代の跡を無我夢中で歩いた半世紀・・・・その記憶は自分の中に殆ど終いこむ。一言で謂えば次々に起こることに向き合っていかなければならなかった。先のことは判らず、でも悔やんだり諦めたりはしないと覚悟した。記憶は時にツルのように自分に纏わりついて離れず、生きようとする望みを誰もが持っていると教えてくれる。根を地にしっかりと張り、鎌で切られても火に焼かれても ツルは時機が来れば芽を出す。
 根競べ?植物に”欲”が在るか無いかなどどうでも良い。,時機を弁え生き続けること。これが本当の生命力だ。そして人間には”愛”や”慈悲”があると信じたい。
 54年の生涯を閉じたKさんは49年間私たちと生活を共にした。事務所前に置かれた彼女の遺影写真をジッと見つめるのは共に過ごした仲間達・・・・”コトバじゃ無いよね。”と自問自答しているように思った・・・(皆共成仏道)

3728:タイムスリップ

 ヘルメット、立て看板、ストライキ。デモ・・・・・1968年、東京は学生運動の真っ只中で、安保反対を訴え、若者たちのエネルギーが炸裂、丁度その年 私は田舎から出て東京で独り暮らしを始めた.
その半世紀まえにタイムスリップ、今まで意識して避けてきた訳ではなかった。ただ訪れる機会がなかっただけ。三日前に大阪の友人から声をかけてもらい、なんと50年ぶりに4年間通った学び舎を訪れた。駅側にある北入口の守衛所で名前を書き、訪問者用の名札を首にかけ校内に入る。丁度北グランドでは若い女性たちがグランドホッケーの試合をやっていた・・・・・。建物は当時とは随分変わり、 理学部の研究棟だけが文化財となって今も使われていた。
 その後、約束していた先輩の二人と新宿駅で合流し、バスでYさんの家に伺った。5人で3時間ほど実に楽しい時間を過ごせた。一緒に山登りした仲間 共通する話題が次々に出て実に懐かしかった。
 古希を過ぎ、ご多分にもれず、皆さん病の話で盛り上がる。それぞれが歩んだ道は、頂上を目指して一緒に登ったのとは当然違う。
 忘れることも必要な場合があるでしょう・・・嫌な事、悲しいこと、知られたくないこと、・・・誰だって持っている。でも 共感できる人がいるということは 大事な”タカラ”だと確信した。
ありがとうございました!お互いに 元気で!また会いましょう・・・・ 2022/6/26
 
 東京の地下街は自分がどこにいるか それが判らない。新宿は54年前に最初に住んだ。朧げな記憶を思い出そうとしても あまりにも変ってしまった。地上に出てもビル群の中では自分のいる場所がまったく判らない。ハッキリしている記憶は現在の都庁の建つ場所、以前水道局のあった場所で当時は広大な草むらだった、その脇をよく歩いて下宿(中野新橋)に帰った。目印にしたのは京王プラザホテル。いま それも目印にはならない。 街全体が高層ビルばかりになった。此処ではもう自然を感じない。それは断絶の世界、毎日が”まつり”の様な人混み、それでいて人間同士の挨拶など無縁、こんな環境は 私には息苦しくて適応できない。 
 新宿駅で3人と判れ一人になって想った。もし、東京がミサイル攻撃を受けたら・・・・・・どうなるの?。安保闘争で中途退学した学友が何人かいたがその人達は今 どうしているかかな~? 
 喧噪の中、休まる場所がない、新宿、池袋、渋谷・・・・は日本の高度成長の遺物? 
 

3729:唯我独尊。

 ≪天上天下唯我独尊≫〈仏〉の真意は!自分独りが尊いと謂うのでしょうか?それじゃ~”自画自賛”と同じです。これは釈迦の教えと真逆です。どこでこうなってしまったのでしょうか? 唯我独尊は・・・・一人ひとりは尊い・・・ということです。特に自分さえ良ければそれで良いという風潮が露わになれば当然でしょう。
 これは仏教の基本的な考えで今後も変わらない!と信じます。幻影・偽善・陰謀。略奪・・・と疑心暗鬼の巣となりぬ。偏見でしょうか?
 誤りに気付いたら変えましょう・・と言うと、”そんな単純なことじゃ~ない。もう 元にもどれない”と謂われてしまうかもしれません。それで か・ま・わ・な・い!!!!
 欲望は天上知らず、富を独り占め、気に入らないことは排除し、思うがまま!それを自分の力と考える。≪六度の行≫〈仏〉は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つで、これらを退すれば、どうなるか?・・・還って流転三途の業をつくると説く。その三途(さんず)とは? 死者が自らの悪行のために生まれる三つの場所(悪道)・・・・火途(地獄)・血途(畜生)・刀途(餓鬼)・・。
 なんとも悍(おぞ)ましい話です。
 ・・・実るほど 頭を垂れる 稲穂かな・・・・    ・・・・実るほど 頭を揚げる 〇〇××・・・
 
 
 記録的な猛暑、連日気温が体温と同じ位まで上がる、梅雨という割に殆ど雨が降らず梅雨があけた。そして コロナ感染も終息にはまだ道筋が見えない。ウクライナでの戦闘も一向に弱まる気配はなく、世界的に急激な物価上昇が庶民の生活に大きく影響している。これら負の連鎖は、何が原因で起こったか❓ 勿論、俺たちが原因だというものはいない。
 視点を変えても 安心や癒しへと導くものは見つからない。唯我独尊=個の尊厳(尊重)、人間の最高の価値である基本的な人権⇒平等権。今日の世界の状況は それと反対方向に向かっているようだ。
 G7=Group of Seven や G20??? 加盟する国と加盟しない国、加盟できない国は相手をどう思っているのでしょうか! 諸手をあげ喜んでいるでしょうか? 組織化以前の問題は無いのでしょうか?
 国連との関係はどうなのか?国の大小、経済・軍事力の強弱、宗教、民族、文化等々の違い・・・・、組織の在り方が問われていると思います。
 報復と代償は双方に痛みが伴います。史実が示すのは、常にその被害(矛盾と不利益)は弱者に皺寄せされるということ。
 

3730:悪弊の処理

 悪弊を除き、再生を目指すのであれば、思い切った人心一新をしなければならない。人々の心が離反した中で、どのような改革を約束してもやる前から功を奏さないと、この国の長年続く低迷から脱却できるか? 他に選択するものが見当たらないということは現状を良しとする人々にとっては好都合。旧態依然とした選挙制度と同様に、それを変えようとする気持ちがない。千年以上の間、蝋燭の火を灯し続けた古刹奥の院、それは明りを絶やさず守り続けてきた僧侶たちがいるからできること。政治にそれを望んでも無理と諦め黙って見ていることはできない。コロナ、ウクライナの問題に全力で取り組んできたから仕方が無いとしても日本だけではない。対応如何では日本が世界から信頼を失い孤立するのではないか、参議院選の最中にもかかわらず、選挙戦の低調ぶりは異常としか思えない。恐らく過半数に満たない投票率で終わるのではないだろうか!こうなった最大の原因は離合集散を繰り返し公約を守ると言いながら政党を渡り歩く議員の多さが示す、それと自らの責任を棚上げし居座る引き際の悪さが重なる・・・・。 この20年間をみても新たな政党が、かつ消えかつ結ぶ泡沫の様。 貴方たちが費用対効果をいうのであれば 自分達の足下から愚行を正せと言いたい。
 悪弊の処理ができない程、日本人が堕落したとは思いたくないが 此の儘で良いはずはない。
   ・・・≪むずかしいことをやさしく  やさしいことをふかく
                 ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに   書くこと
≫・・・(『歴史探訪 忘れ残りの記』 半藤一利)
 
 『New Form of Capitalism』新しい資本主義・・・政権公約・・・を掲げた いつの時代もトップの手腕は肝心、心機一転を果たすには先ず自らの周りを変えねばならない。権力者に屯する輩は身の安全と思ってか? 為昇進か居心地か?良俗か悪弊か? 
 世の中を変える力となるのは 若者たちの存在です。その為にも政治家に定年制を!さもなければ日照りや大水に耐える再生力(土壌)は生まれまい。私的過去の栄光、幻影に費やす時間と公費を国民がどう考えるかである。今の状況は政治が”線状降水帯”になるメカニズムに同化している。改革に痛みが伴うのは当たり前、それを畏れて道を誤るのは最悪のシナリオ。それでは客(若者)はドンドン離れていくでしょうね。
 決断できない理由は その人自身の中にあることを認めよ。有事にあっても平時のごとく、平時にあっても有事のごとく・・・は、真意に適っているようでいさぎよさの欠落で混乱をよぶ。
・・・【やさしいことをむずかしく  むずかしいことをあさく
                    あさいことを大層に 大層なことを信なく  世わたる悲しさ
】・・・(田舎坊主の暴言備忘録)