源究204 204

  

No  テーマ  月日  No  テーマ   月日  No  テーマ  月日   No テーマ    月日
3591 ホンネとタテマエ  7/26 3596   盆月に想う   8/8  3601  気休め  8/21  3606  求不得苦   9/3
 3592  一得一失 7/28 3597   雑草観   8/10  3602  期待感  8/24  3607  ズレの修正   9/5
 3593  経験  8/1 3598  落穂拾い   8/13  3603  懐かしさ  8/26  3608  原点の光   9/7
 3594  楽観バイアス  8/3 3599  世相雑感  8/14  3604  落とし物 8/27  3609  リセット1  9/9
 3595  我慢の限界   8/6 3600  心機一転   8/18  3605  探し物   9/1  3610  リセット2   9/11

3591:ホンネとタテマエ

 現代社会はSNS抜きには考えられなくなった。人と人を繋ぐ為の便利な道具として進化し続けている。インターネットビジネスで金儲けする人がいれば 全てを失うような人もいる。垣根がなく 世界中と繫がっている社会が果たしてどうなのか?止めようとしても簡単にいかない。便利さと怖さが同居する。
 コロナ禍によって人流という言葉を良く耳にするようになった。人の流れを強制的に止める方法を日本は取らない、それで上手くいったでしょうか?。感染拡大の第5波が今襲っている、ワクチン接種の遅れを取り戻すための必死の努力も思ったようにはいっていない様だし。
 ホンネとタテマエ、原則と本心、理想と現実・・・・生活上の実際の行動を動機付けるのはホンネとしての制度的文化だと謂われている。そして日本人は他国と比べホンネとタテマエを使い分ける民族らしい。
 これが高じると 信頼してよいかどうかということになるから やはり ホンネが良いんだわな!勿論 知らぬ存ぜぬと”しらばくれる”ことはできなくなるのは承知の上で・・・・・・。
 
 
 誰もが同じ状況と向き合う、目に見えぬ相手の脅威 齢70年の間で初めて私は経験する。自ら描いた目標に遮二無二に挑戦し続けた人々を何人も見てきた。彼等に共通するのは強靭な意志とそれを裏付ける行動力・・・・。何度も止めようかと悩んだことだろう、踏ん張るか諦めるかその分れ目で自分で選んだ道を誰かの所為にすることなく 歩き続ける。先人の遺訓に乗り遅れない様に・・・挑戦…かまえなし・・と書いた紙を壁に貼っている、半世紀が過ぎ いつの間に字が暈けてきた。
 何が そうさせるのか? 正直 自分でも確信がない。ただ ハッキリ言えるのは 美辞麗句の類とは無縁な、ハッとするような感動だと思う。何に 衝撃を受けたか?どうして? 勿論 人によって 違うはず、それが幼い時か少年時代か・・・それとも今か?  自分の中に刻まれ心を奪われたもののing。
 ” かあ~かん 来っと~! いいなぁ~” 仲間のこの言葉は今も変わらず 朝一番に私に問いかける。(ホンネ談抄)

3592:一得一失

一得一失や一利一害、世の中 これで結構上手くいっているのは このバランスが良いんだわな。これが崩れると 問題になりますね。フムフム !
 ”居候(いそうろう)”と考えると気持ちがずっと楽になる。例えは良くないかもしれませんが 寺の住職って本来そうだったと思っている。寺に住む職業だから 居候 何も無理して見栄をはることもないよ!と悪魔の囁き。 ・・・・居候(いそうろう)三杯目にはそっと出し・・・・。そうそう周りへ遠慮があった。ホムホム!
  人間だって地球の居候だろう、縄文時代の頃はそうでした。けれど 道具を造り火を使い、住まいを作って定住生活・・・・今から数千年前はそうだった。当時は世に言う”欲張り”者は それほどでも無かったのではないでしょうか? それにしても 人間は 随分変異したものである。明日への言葉(NHKラジオ)で画家の渡辺隆次さんと須磨アンカーの絶妙なトークを聴いていたら モヤモヤ感が消えてきた。≪小さなキノコの大きな役割 ・・・≫の話が心に残った。そして 開発と自然破壊の問題は八ヶ岳山麓まで拡大し里山が消え、自然が虫食い状態と化している。
 ・・閑話休題・・   『尚恵だより』131号が出来ました。喫茶店開店は原資不足の為 先伸ばし、フムホム!”無茶処”お茶は出ませんが ゆっくりしていって下さい。
 
 縄文の遺跡群に住宅が建つ神立台地、地表2m弱を掘り下げ、調査結果を市に報告する義務が課せられている。 環境は大きく変わった。田畑は休耕地となり、一年と待たず雑草に覆われた。そして新たな問題が起こっている。荒らしてある場所に必ず不法投棄、この因果関係は推して知るべし。これも先哲が予想した通りの展開で”社会の無道徳化”、利便性や合理性というものを偏重した現代人の意識の変化だ。
 再生可能なエネルギーひとつ考えても判ること、優先順位がオカシナことになっている。その最大のものは原発、使用済み燃料の最終処分が未解決のまま、太陽光もアスベストと通底する安全処理方法が定かでない・・・・・。
 慣れが一番こわいのと 強欲と妄執・・・・IT社会の持つ最大のリスク・・それは人間が見極める能力の限界にあると思います。デジカル化が進めば 点と点、アナログだったら 立ち止まる余地は残され線になる。
 仏教で謂えば”瞑想””観法”の実践かもしれない!でなければ、内省と感謝、「すみません」と「ありがとう」の概念変化に繫がる。
 

3593:経験

 ・・経験・・とは、理念・思考・記憶によってではなく、感覚や知覚により直接体験されるもの。【哲】
 国内感染者数が一日1万人を初めて超えた。今まで経験しなかったスピードで拡大している。。。。メデアは挙って警鐘を鳴らす。その番組は瞬時にオリンピックの関連ニュースに切り替わる。 自粛を長く続け、TVを通した情報に一喜一憂するという構図が出来上がった。またSNSを通し 自らの思いを発する。賞賛や喜び、それに誹謗中傷が混在。感覚的には 世の中の今の状況と諸に重なるのです。
 願うは 早く終わって欲しい!誰もがそう思っているに違いない。これは 私達が向き合わねばならない現実なのだろうか? 
 しつこいようだが、今こそ 良く考えなければならない。一喜一憂・・一得一失の対義語が思いつかず、直感で、あり触れた言葉だが”質素・倹約”が浮かんだ。つつましく、虚飾なく、ムダなく・・・・果たして それが コロナ禍の後の改革(第三次産業革命)の基軸に成り得るか否かだ、『論語と算盤』『大衆の反逆』『正統とは何か』という先人達が著す言葉の中にそのヒントがあるように思える 恐らく近道反応と一蹴されてしまうのが落ち。そこを 敢えて・・・。
 今日、明日と神宮寺・観音寺の施餓鬼会、昨年同様に縮小して行うことにしました。
 
 ≪・・・過去の平凡な人間共通の輿論を信用する・・・ことが”伝統”と言われ、それは 死者に投票権を与えることを意味する。≫(チェスタトン『正統とは何か』)
 寺は 7月に施餓鬼会を毎年行っています。洋の東西を問わず、死者の尊厳は今を生きる人々の道標、道に迷わぬ為の指標となり、そのシンボルとして墓をつくった。人生の節目や一朝有事の際、人々は大切な人の墓前に立ってきました。これは 形は違っても世界中の人々の祈りだと思う。ヨーロッパ、チベット、インド、イスラム圏、そして日本において 昔から聖地巡礼が行われきました。施餓鬼会は その流れに沿う仏教行事(内省&感謝for三界万霊)です。
 コロナ禍が起こってから「安全・安心」という言葉が独り歩きしているように思えます。その証に、いくら訴えても人々の心に響かない、これは何かがズレているからで 今の社会を象徴しています。 死者の輿論、 権力に有るべきものが 備え守らなければならないセンスと態度です、昨日のニュース報道、検察審査会の判断は東京地検が下した元総理への不起訴処分に対し、「不当」だという議決だった。。権力者の責任が曖昧となった時代 国民感情との乖離を一層拡げることになります。 議決があった後、本人は「静かに見守る」とコメントを出したという、 ハッキリ「説明の必要なし」と自ら明言すべきなんですよ。辞任後の動きで、名誉職に就任したり 選挙応援に駆け付けるなど 何も変わっていない。こういうチグハグさがこの国の地層となり 上辺だけの軟弱な地盤ができあがるという事ではないでしょうか。
 国民に自粛を要請するのであれば 先ず自ら範を示さなければダメですね。 

3594:楽観バイアス

成功シナリオばかりを考え、リスクの計算を誤ることを”楽観バイアス”という。周りに「ヨイショ」ばかりする者を侍らせ、自分は神輿(駕籠)の上では≪ 【押し流される】時代の【慢心した坊ちゃん】≫(オルテガ)の限界シナリオに充分過ぎる環境です。
 判りやすく謂えば”温室育ち”というのかな?・・・。駕籠に乗る人担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)をつくる人・・・・。それぞれに役割があって 上に立つものは この心配りが大事、自分の思い通りになるシナリオばかり考えるのとは真逆の指南。
 文語でめり・める・めれ(助動詞)はハッキリ言わず遠回しにいう婉曲表現。・・・ようだ。・・・ように思われる・・・等の意となる。 組織のトップたるものが、こうだとしたら明らかにレッドカードでしょう!意味不明で自信の無さが見え見えで人々のこころは動かない。
 この状況が打破できないとしたら、そうですね! 多数という「驕り」という事になるんじゃなかり・・めり・める・めれ。(ナマクサ嘆願抄)
 
 何を信じれば良いのか? 船頭多くして 海図なし。最も危険な航海となる、勿論 GPS時代にそれは有り得ない。ところが 今 有ってはならぬ事が繰り返し起こっていないでしょうか?
日めくりカレンダーは姿を消した? 今日一日 何をしたかを思い出せない。これを年齢の所為にしたいのか? 万策尽きた非常事態宣言(?)、発出して 何がどう変わったか!。その説明を聴いて 違和感をもった人も多いだろう!そして ”デルタ株”の所為にした説明が急に増えた。此の儘 新たな策を講じないでいくのでしょうか? 接種の優先順位で高齢者や医療従事者へのワクチンをすすめた。内閣府が国全体の接種希望高齢者で75%の2回目接種が完了したと昨日報告。そうであったとしても 正直 不信は拭えない。全体の感染者の中で高齢者の占める割合は減ったことは事実だろうが 本当に高齢者の感染者数が減ったのか、どうも数字のマジック、実数は減っていない。分母が増えた分、割合が減少したという事らしい。
 喫緊の問題は 若い人たちの感染拡大が止まらないこと。これへの具体的な対策が見えず遅い? 最初から他国の対応を見てからという感じは否めず。ワクチン手配の遅れもそうでは無かったか?人流の抑止も同様に 国は自らの主体性の無さを認めず言い訳が先行する。皆さん この状況を どう思いますか! コロナとオリンピック、二兎を追う今となっては、自縄自縛とならないことを祈るのみ。

3595:我慢の限界

 身を粉にして最前線の現場で働く人たちがいる。本当は その方達の意見を尊重すべきなのに、何を恐れるのか、今の日本でそのような政治家を探すのに苦労する。ハッキリ言って「迎合」「保身」「数合わせ」が政治の三本柱!
資質を問われ合格点を貰える政治家が今の日本にどれ位いるか? 政治が国民にとって判りづらくなっていることが例証、原因を自分達ではなく他の所為にする時代気分は  辻褄が合わず決められない政治の元凶。
 持続可能な○○⇔他への権力移譲を拒むのは、先ず政治家の定年制をひけばできること。それを誰一人として 提言する政治家がいない。日本が世論に力を与える組織を創れない最大の理由だ・・・・そして押し流されていくのです。
 他にいない○○⇔慢性的諦め感(最悪のシナリオ)から脱する覚悟と力。
 有効投票率の最低線を設け、それに達せずば 例外なしに無効とする。これが民主主義への原点回帰!。政治改革の入口が閉ざされ右往左往する無駄な時間は日本にはない。
 
 メデアの責任か? 限られた放送時間内に目いっぱい詰め込む。視聴者の身になって考えたら、さながらバラエテイーショップようだ、品定めの間もなく買うか止めるかは自己責任?
 二匹の兎と思いきや、更に一匹加わった? 衆議院選挙の動きがチラつき始める。何もこの時期に選挙の備えと思うが、法治(〇)国、故の宿運か!この間に政治家が関連した問題がどれだけ積み上げたか! 考えるだけで嫌になる。ハッキリ言って”我慢の限界”は超えた、混迷度は鰻の如く上り、世界のコロナ感染者が直近時点で2億人を超え、死亡者は425万人、ワクチン接種は42億回、日本はどうかと言えば 感染者数97万人、死亡者1万5千人、ワクチン接種9600万回(ジョンズ・ポプキンズ大)  これら数字の裏で いま何が起こっているか その善否までは気が回らない。
当初、三密が叫ばれた、それが今どうなっているだろう? 錯綜する情報に、微弱な希望の光を捜そうとしても  無理かもしれない。
 情報は 自ら体験しなければ判らない・・・・と謂われる、この先 私達にどのようなことが待ち受けているのか! 確かなことは組織にあっての”リーダーパワー”の重要性!そして国民一人ひとりには、それを見極めるだけの覚悟と力が条件となった。
 ★余りの暑さに、法治国を法事国と書いた。読み返し 何かが変? 暑さの所為にせず、己の無知と即 訂正させて頂いた。★

3596:盆月に想う

 過去の人々が失敗に基づく経験知から獲た様々な英知によって、私達は一定の縛りを受けてきた。それは 自分とは違う他者と共存しようとする冷静さや寛容さが条件だと謂う。言葉を変えれば、制約や不自由さと共に在るということになりますよね。
 他者は人間とは限らない、自然や他の生き物も含まれる、そこを人間が軽視した結果 、様々な困難な事態に直面している。2年前、誰が今の状況を予想したでしょうか?自由を自分達の好き勝手にできると誤解し、個の尊厳を掲げ犯しがたい権利とまで主張した。権利には義務が伴う、その義務を果たさず度を越す個々の欲望を許してしまう、そんな社会を理想と唱える人々は、コロナ禍にあっても 自らの主張を変えようとしません。
 真のリベラル、保守とは何か?さらには「何とかなるはずだ!」といった楽観主義者達が折角築いた秩序を攪乱し道徳無き社会を招く。
 一年先延ばしして開催された東京オリンピック、絢爛豪華に新装なった国立競技場も観客無しの杮(こけら)落し、そして明日閉会を迎える。遠くギリシャでは 連日 40度を超える熱波に襲われ、山火事が多発、古代オリンピックの遺跡の周囲まで真っ赤の炎に包まれる。
 機に臨んで適切な処置を施すのが 実に難しい世の中になっている。利害や名誉が複雑に絡み合い本来の目的が陰に隠れる。もう一度 一から考え直すべきではないか! 
 敗戦チームの選手に近寄り慰める勝利したチームの選手の写真・・・・・こういう姿にもっとライトをあてるべきではないでしょうか! もうすぐ パラリンピックが始まる。
 
 人の失敗を繰り返すことを”轍を踏む”という。轍は車輪のあと、”わだち”ともいう。先人は、より判りやすい例えで 道を踏み外さないように諭した。 アスファルトになった道にハッキリした跡は残らない。それで事故は減っただろうか?
結局、形を変えながら、事故は増え続けている。コロナとオリンピックに関心が集まる中で、報道されない様々な事件も起こっている。
 施餓鬼棚に飾る、野菜で作った馬や牛、蓮華の葉の上で野菜を刻んだ食べ物を食べている。四季折々の日本の風物詩も昔と形を変えながら続いている。けれど 徐々に そぎ落とされ減ってきた。一極集中の都市づくりの影響は 住人が気付かないだけで予想外の形で人のこころを蝕んでいるのかもしれません。
 昨日、東京の私鉄で起こった 無差別傷害事件は この国の今の危うさを例証していると想う。・・・だが その対応策が見つからない。(施無畏)
 メダカを観賞用に飼っている人から聞いた話。水槽のなかで水温や酸素を上手に管理すれば メダカは凄い勢いで繁殖するという。卵を産みつけた後 水槽を別にしないと、メダカは自分で産んだ卵を食べてしまうらしい。
  生存競争の厳しい現実があるということを教えているのかもしれない。
  

3597:雑草(ざつくさ)観

  この時期 草が成長する早さをご存知でしょうか? 
 地表の上に出た部分だけを刈った場合、翌日から、伸びてきます。雑草を抜くということは最近殆ど無くなりました。 帰化植物という外から入った植物は 凄い勢いで増えます。 抜こうとしても抜けないほどしっかりと地に根を伸ばしていますから、止むを得ず除草剤が使われていますが根まで枯らすという薬効は強まるばかり、・・・・・。これって人間には無害なんでしょうか?
 そんな雑草も名前があるはずですが 嫌われモノとして一緒くたにされてしまう 
 私達はどうでしょう? 自然を思うように作り変えたり何もかも構わず捨ててしまったり、それが原因となって起こる災害は頻発し安心生活を危うくしているわけです。いくら法律で規制しても 所詮人間の成すこと、環境の悪化は一向に止まらない。
 オリンピックが終わりました。勝敗ではなく、人の心を動かすもの、それは表に出ない陰の姿では無かったかと思います!肥大し過ぎた商業主義化(?)派手な演出(?)、そんな有り方への反発もありました。
草木や生物と人間の違いはなんでしょう?・・・・見せかけより 生きる為に何が大事かを判っているかどうか、その違いかもしれない。
 with。。。for。。。後ろに来るコトバは???雑草に笑われている夢をみた。3つの台風が続けて日本を襲う最中 閉会式が行われた。
 
 まさか外国で起こっていることと安心していた訳ではないでしょう! 連日1万人~1万5千人の感染者、EU諸国を上回る勢いで急拡大した日本、この先どうなることか?今の対応で本当に良いのか? 誰もが不安に思っています。頼みの綱だったワクチン、接種した回数が一億回を超えたと首相が語った。 単純計算で2回接種を終わった人数は延5千万人ということになります。それだって出遅れの解消には至ってはいない。
 最も恐れるのは 国民の中でどうなっても良いというような無責任な空気が蔓延してしまうこと、現行法が不備ならば どうするか!それを実行する責任は国会にあるはずです。いつまでも自粛お願いでは無理。オリンピックが終わった。メディア各社のアンケート調査が発表された。 それを政局にするような動きが出てくるとすれば、政治への有効なワクチン(打つ手)は無い。
 我々としては 厳しくそこを見定めるべき時である。

3598:落穂拾い(拾遺)

 戦後、76年が過ぎた。戦争体験を語れる人たちが減り、広島・長崎での慰霊式も参加者の世代交代が進んでいる。原稿の読み飛ばし、時間の遅れ、本来の主旨から逸脱したことで騒がれる、これは明らかに補佐役の怠慢です。本人も補佐役も忙し過ぎで余裕がない?? 分刻みの日程を日々繰り返す、変えられないのか否か、一向に変わらない。 
 これもコロナ禍の所為の例証か!
・・・・世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし・・・・(古今和歌集:在原業平))
 世の中に桜の花がなかったら どんなにか長閑であろうか・・・の意である。変ですか?平安と令和の時代差を超え、視座を変えれば 現実の見方も変わるということでしょうか!コロナ⇔桜 価値観?、しつこく言えば 現代人の病巣の違い。
 多忙を良しとする考えは いつ頃から? 在原の詠んだ句を もし良かったら お勧めしたい。anti-コロナ  か with-コロナ か これだって 自分が変われたらの話
 ☆ 落穂拾いとかけて・・・・” 右顧左眄 多忙か長閑(「のどか) 何を拾うか 捨てようか  ” (ナマグサ談抄)。 
 
 ・・・むかし、神立のお寺の裏山に「十の字むじな」とよばれるムジナが住んでいました。・・・・・(土浦のむかし話:白石書店・髙野言敬)
 いつの頃の話なんでしょうか?おそらく お年寄りが子供たちに語ったものですよ。タヌキと坊さんのやりとり 騙し騙され いたずらのやり放題、話は タヌキが負けて 和尚に謝り それ以来 神立の里に出没しなくなった。それで 目出度しめでたしでお・わ・り・・・・。私はその寺の35代目の住職ですから むかし話の主人公は大分前の坊さんだったんでしょう。でも 最近は寺の周りに新築住宅が大分建ちました。その所為かもしれません タヌキ?が出るんですよ。
 森が減って 住みづらくなったのかもしれません。境内には桃や琵琶の木があり、結構実がなります。タヌキ?かどうか おそらくカラスだと思いますが 熟した頃になると食べられる。諦めました。どうぞ 食べな 食べな!
 現住は草刈りを毎日やっている。カラスは木の上からそれを見て≪やめときな~!どうせ また草がはえるんだから≫と鳴いてうるさい。諦めています。どうにか 手名付けられないかと思い、真似してカアーカアとやっていますが 相手の方が断然上です。
 昨日、左手をハチに刺されてしまった。チクリ 植木にツルが絡まりそれを取っていた時でした。手袋していたのに 見事に刺した。一瞬 ヤバイと思ったけど後の祭り、時間と共に腫れてきて そして痒くなった。
 ・・むかし、こりない坊さんが住んでいました。ハチに刺されても カラスに馬鹿にされても。。。止めようとしないこりない坊さんでした・・・・・☆ 土浦の未来文庫、絶版 再版の予定なし。☆

3599:世相雑感

 大雨、熱波、コロナ、・・・・オリンピック・・・今の世相を反映する警報アラームが鳴り止まぬ。一定限度を超えると異常を知らせ、極端に成り過ぎたことを示す。これもパンデミックへの入口か?初めて経験することだから予想ができない・・・・・。そうとも言えんでしょう! 国民には県境を超えない自粛要請、自分達は 何? 挨拶まわりで地元に帰る。このチグハグ差が如実に示す(如実知見)。不満・不安・不信・・・『不』の3業。
 ”まやかし物”(実相違背)を掴まされ、それでいい気になっている。世を批判的・嘲笑的にみてしまうのは現代病?
 この群集心理の力学に対し治療薬はあるのだろうか!ガリレイ&ニュートンの自然現象の研究まで 時間を戻せというのだろうか? 科学の進歩(?)によって、何を獲たのでしょう?恐らく 今 私達が『不の三業』から抜け出そうとしても また 新たな業と対峙しなければならないことを知っている。
 これを甘受する度量が果たして我々に有るかどうか? どうも そんな風には思えない。
 ≪この子ら 世の光≫の真意は、≪この子ら 世の光≫では無かった。≪小さな喜び 大きな幸せ≫の真意は、≪大きな喜び 小さな幸せ≫ではないという。上から目線や渇愛への自粛無くして有り得ない。 
 
 SNSは使い方次第で悪にも善にもなることを忘れてはならない。手軽に誰でも使えるから その影響は計り知れない。おそらく 自分自身では判らないだろうから コロナと酷似する。
 8月15日 終戦記念日である。個人的に私の71歳の誕生日、お寺に生まれ 13日~15日は盆中だから 嬉しいという気持ちよりホッとするというのが正直な思い。9歳で亡くなった実兄の6倍長く生きてきた、申し訳ないような恥ずかしいような思い変わらずに。
 新盆宅に棚経でまわる。強弱を繰り返す雨、日本列島を前線が覆い、長く居座り全国で大きな被害を起こしいる、梅雨の後戻り?気象情報は進んだが、異常気象の元凶は減らない。要は 人間の力は自然には適わない証。
 人間は、二度死ぬという。一回目は息を引き取った時、 二回目はその人の思い出が忘れられ消えた時、仏教の説話(お盆・お彼岸)に形を変え語り継がれてきたことである。 人間が生まれることは奇跡、死ぬことは誰もが避けられぬ宿運、だから 人の命の大切さを説いてきた。
 今日の大事は 便利さや豊かさを過度に求め過ぎた結果、何か大切なことを忘れてしまったことではないだろうか!
SNSなどを通し、止むことなき誹謗中傷や無責任な言動が勢いを益々強めている。(縮図が精霊棚)
 

3600:心機一転

翻然と 心持ちを変えると・・・、歳重ねる毎に繰り返す。吐露すれば、当に懺悔に値する。 言い訳を連ねまいと自戒しながらの 不実行!この非梵行は遺憾ともし難く 諦め境地に長居する。これも実は他人事、先ず隗より始めよ!出るわ出るわ 止めど無く、故事成語を自分に還し 胸に手をあて 良く考えよ!との声 響く。
 去年から本堂に飾る遺影が新たに3つ増えた。物言わない 笑顔が語る・・・・。彼等は自分の人生を どう思っただろう!  彼等は いま 向こう岸で縁ある方々と共にいる。”共生”・・・此岸で実現できなくとも その思いを持ち続ければ ・・・・・。きっと 大いなる力が支え導いてくれると信じよう。
  送り盆 笑顔にまさる力なし。無財7施で道普請 (ナマグサ抄)
 
 
 送り盆が終わった。棚経が気のせいか いつもと違う感じがした。長居せず”水施餓鬼”を終えたら直ぐに失礼した。マスク越しに言葉を交わし、自分達が置かれている現実に どう向き合っていけば良いか 一緒に語るはずだった大切な人はいない。 今の不安?寂しさ?に どうにかして耐え、故人との約束を守り前向きに生きようと自問自答し、新たな挑み場への心機一転の緊張。
 それらを裏付けているように刻一刻 世界の情勢は変化している、断片的な情報が人々の気持ちを攪乱し、何とかしてして落ち着こうとする試みを容赦なく奪っていくように感じます。
”線状降水帯”や”パンデミック”など今まで余り聴いたことが無い言葉が現実に身近に起こっている。これでもか これでもか!と謂わんばかりに波状攻撃してくる、これらを試練と受け止め、乗り越えるには 余程の覚悟が求められると思います。

3601:気休め

 一時の気休めかもしれない。生滅流転し、永遠に変わらないものは何一つない!これ 仏教の説く”無常”。そして 物事は自分の思い通りにはならない故の”四苦八苦”・・・。釈迦誕生2500年前と何も変わらぬ真理、我々は生かされ生きてきた。いつの間に その思いが薄れ、現世での勝ち負けに拘り、糠喜びと苦汁を舐める。判っているようで 実は何も判っていない。あわよくば・・・と イメージ先行で夢をみる。
 あくまでも夢で現実ではない。朝起きれば 情勢が一変しているというものでもあるまいに。万に一つで成功体験、そうだとしても 無常ゆえに いずれ それも失うことを肝に銘ずる。
 喜び・安心・平和・・・・これら一切が史実によって証明される。淀みに浮かぶ泡沫か!厳冬期に 動物が冬ごもり、巣の中でジッと春を待つように 人生、時には籠もることも必要だ。昔人のように隠棲・隠遁…世事を逃れ、山中に隠れ住むのも良いかも知れぬ。
100年周期で疫病が流行るといわれる(1918年 スペイン風邪)。これだって悠久の歴史からすれば ほんの一瞬の出来事かもしれない。
 ただ人生100年と謂うならば、気休めではなく 我が事として 自暴自棄に陥らないためにも今こそ良く考えるべきだと思います。コロナ禍は、災害だと言う割に 人間の行動が伴わないのは何故ですか?
 
 明治や昭和は 遠くになったと思いますか?明治から150年余経っていますから、確かに随分変わった。良くなったか悪くなったか断言はできない。ハッキリ言えることは地球の環境問題の悪化!この警鐘は鳴り止まず。グレタさんがメデアに最近寄稿したものが紹介されました。二酸化炭素排出で世界の子供たち(10億人)を苦しめている10ケ国の中に日本も入っている。そう言えば最近、環境大臣の声が目立たない。選挙応援では 欠かせない存在で、引く手数多で集客力は抜群だった。それが人流自粛の中で トーンダウンは否めない?そのタメだけではないと思いますが。
 職安(公共職業安定所)に勤めている方が、最近の状況を教えてくれた。連日 職探しで職安を訪れる人が一杯でクラスターが起きるのではないかと気掛かりだという。感染の拡大が確実にアジアに移っている。世界の感染状況(JP大学作成)、がいつの間に一日集計から週間と28日間の合計で示されるようになった。そのランク上位にインドネシア・タイ・フィリピン・マレーシアなど東南アジアの国が増えている。当然、日本も上位にある。そして 茨城県に非常事態宣言が出され、法人内でのお願い文章も増えた。
 

3602:期待感

 横浜市長選が終わった、市民の下した判断をどう捉えたら良いでしょうか? 日本の市町村中で最大の都市、377万人の人口を有し茨城県より80万人多い、その市長を選ぶ選挙に8人が臨んだ。
長期に続く、この国の政治体制に風穴を開ける切っ掛けとなるかどうか?は まだまだ判らない。 コロナ禍で溜まった鬱憤の受け皿として政治経験のない方に望みを託した。
 政党政治のもつ閉鎖性や一部の人間に偏り過ぎた構図、更に跡を絶たない不祥事と最早 自浄力が働かなくなっている実態に対し”NO”を突き付けた形ではないでしょうか。横浜は 世界の動きに最も敏感な都市ですよ、コロナ禍を災害と呼ぶのであれば 国家として どう対応すべきかを国民に明かにすべき処 何故か判りづらいまま。史実には 疫病が時の体制を崩壊させた例が幾つもある。それがトラウマとなっているのかどうか判らないが、国内に範がないならば 低頭し謙虚に外国から学ぶことも大事と思う。イギリスは1日5万人の感染者を出した時でさえ 医療崩壊は無かったという。その訳は?同じ 島国であり、民主国家、政治判断で思い切った対策を取ることはできるはず、1年半が経ち、自粛要請以外に具体的な対策を取られていない。否、自粛要請そのものが最初から具体性に欠けボヤケテいるのです。
 同時に 忘れてならぬ事は 健康の理由で中途で職を辞した方が 自らの責任を果たさず 再び動き出したとすれば 医療や介護の最前線で自らの体調を顧みず昼夜休みなく頑張っている人達に何と仰るつもりでしょう?
 ≪・・・・為に もう一度 働きたい・・・≫
  横浜市長選は投票率が49%、前回より11ポイント上がった。とは言え 過半数の人達は投票していない。これも 忘れてならぬ事

3603:懐かしさ

コロナ禍・・・それにどう対したら良いのか?試行錯誤・沈思黙考・トライ&エラー・・いつの日か この体験をこころ荒ぶこともなく語ることができるのだろうか?
 朝5時前 雨戸を開けると 東の空がピンク色に朝焼けしていた。これは雨の前兆、近年の不安定な天気、突然の大雨で、昨日は下を流れる用水路が溢れた。用意してある通行止めの看板を急いで立て 通ろうとする車に通らない様に伝えた。 私の原風景が僅かに残る場所が今の施設の建っている青木谷(やつ)、水田は米作からレンコンに変わった。そこが年に数回 用水路の水が溢れるようになった。
 幼い頃の記憶で、歳と共に忘れてしまうものと いつまでも残って こだわり続ける生き方がその人の風景となる。  
 NHKテレビの【養老センセイとまる鎌倉に暮らす】の前後編をみる。母親が医師だったので 医学部に入ったと振り返る。番組はセンセイに刻まれた原風景の下での懐旧談。何故 医学部を出て医師にならなかったのですか? と尋ねられ、≪ちょっとしたミスで人を殺してしまう。それが怖かった。≫と医師の道ではなく 解剖学に進んだ理由を語った。・・・昆虫採集・・・そして 愛猫の『マル』との18年間の生活、そのマルが亡くなって1年・・・自らの老いと向き合う姿を追った。 改めて養老孟司さんの生に対する誠実さを感じた。どうすれば道を誤らず命のつながりを守れるかを追い求めている。これは 人間が忘れてはならぬ核心でしょう・・・彼流の魂の叫びが若者にどう響くか!。
 
 環境と経済、自然と人間、コロナ禍で明らかになった現代の不可避的問題。
・・・お金をかえさなくて良い社会云々・・・・ 「明日への言葉」(ラジオ深夜便 再放送)に変えたらそんな話、一瞬 なんだって ただ食い?できる社会。こんな発想しか浮かばない己の狭隘さに愕然とした。そのうちに 返さなくではなく、介さなくだと判った。社会システムは全てがお金を介在させたものになっている。そこに利権が生まれ 問題をより複雑にしているという話、その中身は実に判りやすく梅雨の中で急に晴れ間が見えたような気になった。忘れない為 スマホに急いでメモ書きした。
 坊さんをしているからか何人ものお年寄りから 昔はよかったという話を聴いた。 自分が年寄りの仲間入りして 判った。≪知らない人とは話さないこと≫と先生や親に言われる子供達、これが当たり前になったニッポンで今も 知らない子供たちから元気に挨拶され、お金を介さず助け合って生きる社会がある。沖永良部島だ!今朝の『明日への言葉』のゲスト石田秀輝さんは そこに移住し社会実装実験を続けている。
 様々な価値観が生まれ、多様な生活スタイルが可能になった。それを否定するものではない。・・・が、何かが足りない!  どこかズレている!制約無き 無道徳社会へ?
 鮮やかな夕日を見ながら 何かを感じますか! その夕日が益々見づらくなっている大都市、そこで遮二無二頑張ることが 豊かさ=幸せだと思っていた。今ようやく その事が安心や安全とは無縁なことに気付き始めたのかもしれない。
 総務省統計局:都道府県別人口、5年前との比較。

3604:落とし物

 ”落とし物”は気付かずに落としてなくした物、”落とし穴”は意図的に人を騙し、おとしいれるための秘密の計画。謀略。詐欺等。実は実は これが現代社会に沁み込んだ病巣、聞えの良い(?)言葉、グローバル化やスピード、利便性、・・等によって現実直視力が衰えてしまう、人間が創り出した実に厄介な代物(しろもの)。ここにお金を介在させるから 何がなんだか判らない。最期には、AI(人工頭脳)に全てを託してしまうつもりですか。
 都合主義の幻影、求め過ぎれば、その”しっぺ返し”が必ず来る、自分は大丈夫という根拠無き確信はどうして生まれるのでしょうか?それは天井知らずの欲望と過情報に長く浸かった所為で、自ら実際に体験しなくても、知識ばかり増え過ぎ、一線を画すことができない。大都市の持つ弱点に通底する。もしも食料を運ぶ交通手段が奪われ電気や水が寸断されれば どうなるか!自立無き上辺だけの生活のリスクである。・・・・実相に違背して慧を修せず 恒に是くの如く六道の行を退し・・・・・云々と先哲の声。
  高層ビルが林立する大都市が廃墟となるのは時間の問題かもしれません。造るだけつくり 後の始末を考えない・・・それで 良いはずが無いでしょう!
 そういうことを学べない教育が果たして 未来を生きる子供たちにとって どうなのか?
 9c頃成立という『千夜一夜物語』、その現代版・未来版が創れるか否か、VR(人工現実感)と実話の境界が無く ややこしいのは確かです。
 
 駅などの”遺失物”の保管が今 どうなっているでしょうか?引き取り手が無い物を一定期間が過ぎれば バザーなどで処分する。傘などが多いのは頷けるのですが、遺骨もあると聞いた。
 これから散骨や樹木葬が増えるかもしれません。お寺も変わらざるを得なくなると思います。最近 坊さんを集めた、この類の研修会が開かれているのも事実です、
遺失物でなく 貴方の、”探し物”は何ですか!最近耳にする不要不急は不必要で急ぎでないこと。断捨離も根っ子は似ているのかもしれませんね。今 開催中のパラリンピックの目的はどうだったでしょう。私は 障害者スポーツに関わって半世紀 随分と時間が経ちました。 障害の種別や競技種目ごとに 様々な世界大会が開催されています。 新しい発見や感動を頂いた人達も増えたことでしょう。でも、その裏では 様々な事が依然として起こっているのも事実です。差別や偏見、華やかさと醜さ、・・・などが入り混じる。これは この世において 決して無くならない事なのでしょうか。それを問い質す相手が判らず、大会そのものが目的とズレてきても”落とし物”とならないことを願うばかり。

3605:探し物

 
 探知機


眼鏡・鍵・携帯は 私の探し物ベスト3、更に最近はサイフ、それを見かねて 音で知らせる利器(上掲)を頂いた。感知ワッペン(全部で4個)をつけ 本体のボタンを押せばワッペンから音がでて場所を教える。その効果を試すにも付けてから一度も忘れて探すことが無くなった。ただ ワッペンが思ったより大きく正直邪魔、 それが気になるので改良の余地あり。
 とどのつまり 5感が衰えた証、それを補完する目的で創られた。発案者には悪いが あまり大きなものは忘れないよ、精々手のひらサイズがいいところだから もっとワッペンを小さくしたら良いかもよ・・・・。それより 本体をどこに置いたか忘れては 元も子もなく、保険に保険をかけるようなものかもしれない。
 情報や物が多過ぎる社会は 決して良い事はない。人間の生来の感覚がマヒする原因。感動しなくなり 結果 周りに不要不急なモノが多くなる。養老孟司さんが愛猫マルが亡くなった後、呟いた言葉を思い出す。 ≪世の中に 不要不急なものを無くしたら 何が残る・・・・≫ 仏教では,眼耳鼻舌身意の感覚を六根といい、六根清浄・・・感覚を清らかにすることの大事を説いた。修行の核心を判りやすく着過ぎた服や集め過ぎたモノを剥いでいくことだと教えている。
 
 
・・・≪大は小を兼ねる≫・・・そうかな~?不図思ったのは、じゃ~杓子は耳搔きになる? 薪(たきぎ)は楊枝(ようじ)になるのか?ってことですよ。実態は 益々大きなものは良い事だ! 例えば企業の大小、財産の多少、もしこれが全て幻想だとしたら 落胆・失望・はたまた焦燥の坩堝でしょう。だって度を越せば どうなるか! 大混乱は必至、コロナ禍の本質は 未だ解明されず、相手は そんなことにはお構いなく次々に変異を繰り返す。方や 結束、連携をと言いながら、我先に自分だけは・・・と画策するこれが真相。嘗て禅譲がうまくいった験し無く 逆に足の引っ張り合いの修羅場と化した。ホントですか?諦めて捜さないだけでないの!
 この状況下で お目当ての”探し物”を捜すのは至難の技、元をただせば、杓子を作る材料で耳かきが何本できるか?かまどにくべる薪で楊枝がどれ程できるかってこと。この国の危うさは、”杓子”や”薪”を知らないで済む人がドンドン増えていること。
 国の財政が逼迫しているなら 何故 支出を減らさぬか!先ず議員の数を減らすべき。肝心な時に話し合わず、地元巡りするような国民の代表をこんなに沢山揃える余力はないはずだ。自衛隊機を日本人脱出の為に飛ばし、隣国に待機させ、果たして何人の人々を救出できたのでしょうか? それをあまり報じないメデアの責任は大きい。、人間にとって 何が大切かを学び教える場が此の儘では消えてなくなるのでは・・・・ それが”探しモノ”なんでしょうよ。 大は小を兼ねる  × 大人は子供(小さな子)を兼ねらますか?

3606:求不得苦

 釈迦は初転法輪に四苦八苦を説いた。
・・・・比丘等よ、苦聖諦とは、此の如し、 生は苦なり、老は苦なり、病は苦なり、死は苦なり、怨憎するものに曾ふは苦なり、愛するものと別離するは苦なり、求めて得ざるは苦なり、略説するに五蘊取蘊は苦なり。・・・・(南伝大蔵経)
世界中が様々な情報によって攪乱されています。真偽を確かめる術もなく、人々が右往左往する姿を嘲笑うが如く。なんと2500年前、釈迦が菩提樹の下で悟った真理(四諦八正道)は今も変わらない。生きる者は 誰しも藻搔き苦しみながら生きている。自分だけではないという事が一時の慰めとして拝受する、だから・・・永遠なるものを求め永遠に努力する人を菩薩とよび 我々を導き諭した。
 一事が万事、自分とは無関係と考えても いずれ我が身に及ぶこと、これも真理、そのことを コロナが教えている。
 本来 人は一人では生きられない。だからこそ 何が大切か見えてくる。誰しもが 幸せを願って生きている。
 
 思いがけない不幸に襲われ、絶望に苛まれどうすれば良いかと悩み苦しむ。そうなってしまわない為に何をすれば良いのか 逆に何をしなければ良いのか!
 残念ながら その教科書は見つけるのが難しい。何度も問い続けた、≪お前自身で 考えな!≫とつれない返事が繰り返される。「オヤジだったら どう謂うか?」と相手を替え問い質す。何も語らず遺影の苦笑・・・・・
 恐らく 多くの人々が 私と同じようなことをされているのかもしれません。これは 人類全てが直面せざるを得ない試練。
 当たり前のことが臆することもなく出来た時代、それが奇跡だったのだ。今の状況が真の姿だと受け入れるには抵抗があるだろう。この認識の差が 様々なトラブルの元になる。
   ・・・息苦しい秩序ではなく、呼吸をしている無秩序。それが人間というものだよ。・・・・丘沢静也(朝日新聞「折々のことば」:2021/9/3)

3607:ズレの修正


 折角修正できたと思っていたら あっさりと戻にもどってしまった。そのような例はいくらでもある。 協約・憲章・議定書・宣言・規程・規約等々が数えられない程つくられた。反すれば罰則を科すと謂うがどうですか???。息苦しい秩序ではなく、呼吸をしている無秩序、それが人間だと謂った丘沢氏の『マンネリズムのすすめ』を早速 注文し今日届いた。
 疑いもせず当たり前に出来た時代に戻れれば良いと思っている日本人は本当に大丈夫だろうか。自分がどう変われば良いかが大事。最新技術の粋を集めた競技場に満杯の観衆を集め きらびやかな舞台で盛大な宴を開けると思っていた目論みは、1年先延ばししても適わなかった。どうにか開催に漕ぎつけ、私はその開会式の中継で難民選手団の行進が一番印象に残った。自衛隊によるアフガンからの関係者救出の終結宣言(?)、その経緯の説明もなく過ぎた、次に起こったのが 突然の現総理の総裁選不出馬の発表、、狐につままれたように思った人も少なくはない。全てがパラリンピック開催中の出来事で多くの外国の報道陣が東京に集まっている時と重なる。
 後日簡単な記者会見があった、それも一方的に話をして終わった。安心と平和を掲げた割に出国を希望した多くの人々を置き去りにした日本。米国は勿論、英国、ドイツ、フランスのとった行動と日本との差は歴然としている。それとドイツのメルケル首相の引き際との違い、その理由を現憲法で出来ないというのだろうか!恐らく 今後も真実は語らず コロナ対策に集中するとの説明を繰り返すだけではないだろうか。最早 ここまでガタガタになったズレ(齟齬)を修正するから期待して欲しいというのだろうか。俄かに永田町は騒がしくなっている。
☆ 今の日本で一条の光があるとすれば 障害に負けず全力を尽くす選手たちの姿。そこに何を感じるか 私たち一人ひとりが問われていると思います
 
 同じ言葉でも 人の受け止め方に差が出ます。 どうですか パラリンピックでは国の違いに関係なく試合の後、互いに称え合う姿が随所にみられました。同じ涙でも こころ動かされるものと そうでないものがあります。
 競技が終えた後 インタビューに答える選手たちの涙に胸が熱くなった方も多いと思います。その言葉に真実味を感じるからですよ。期待の星(?)と持てはやされた議員が去り行く方を称え、カメラの前で涙を浮かべ語った。私は 全く心が動かなかった。過去に何度か彼の演説を聴いたことがある。演説がいくら上手でも実行が伴わないとしたら責任を果たしたとは言えまい。その時の違和感が より膨らんだ思いになりました。
  ≪お前もそうならぬ様に気を付けろ・・・・≫と 誰かの声がした。

3608:原点の光

 東京オリパラ競技大会(7/23~9/5)が昨日 全日程を終え幕を閉じた。ホッとしている人も沢山いるでしょう。そして、お疲れ様でした!
 パラリンピック大会は共生社会の実現がメーンテーマ、それを知らない人の方が多いかもしれない。関心が無いのか 時間がないのか それぞれに理由が有ると思う。
 外国からみた日本と日本から見た外国の違いを気付く良い機会となったでしょうか?
大会の最中に、知人がメールを送ってくれました。Nさんは航空会社に嘗て勤め もう一人のKさんは商事会社で同じ時期に中東担当で駐在した間柄。東パキスタンの独立戦争、レバノンの内戦、イライラ戦争、バングラデッシュ、パレスチナなどの紛争地帯で仕事をしていたのです。お二人のやり取りを読み、正直 自分が知らない事ばかりだった。5日の閉会式は難民選手団の入場で始まり、2番目はアフガニスタンから参加した2名の選手だった。この大会の重さを感じます。
 そして、フェロー諸島(デンマーク自治領)から選手たった一人で参加したバトンハマーさんもいた。彼は最終日のマラソンに出場し、スタートしてから途中、浅草寺前で立ち止まり沿道で応援してくれている人達に向かって深々とお辞儀をしたということで話題になった。 それに彼の完走後のコメントが素晴らしかった。マラソンを始めたのが8カ月前というのには驚いた。彼が行動で示したことは この大会のテーマに則する最高のパフォーマンスで予想外のプレゼントを私たちは貰ったと思う。。
 
 
 大きなイベントが終わって、それに関連した報道はパタリと止まった。そして、話題は 総裁選一色、この変わり身の早さに唖然とするのみ。恥も外聞も無く、政党内で足の引っ張り合い。コロナ対策に専念すると謂った方は蚊帳の外に追いやられ?これが実態じゃ~ないですか!
 良く考えて欲しい、貴方たちは国民から選ばれた身、託された事は何だったのか?目先のことに心を奪われ、我を忘れていませんか?国民の税を使い、借金を積み上げ、豪華すぎる建物を作った、今後の運用についてはハッキリした説明もせず、どこに そんな余力が今の日本にあると思っているのでしょうか!ワクチン接種の遅れ、自宅療養者の急増、感染の低年齢化という直面する課題に、どう対処するつもりでしょうか・・・・・。現場担当者任せで済む話ではないはずです。
 党内から 諫言する人が出ない。次に引き継がれる”迎合””忖度”、頭に不図浮かんだ、もしかして”共生”の意味が違うのではないか。原点の光は燃料切れで風前の灯となりかねない。

 ・・・我もまた蚊帳の外、71年間の寺住まい、お蔭様を持ちまして、やぶ蚊の免疫力はつきました。。。。。(ナマグサ迷言抄)

3609:リセット1

 悪しき慣習、そこに長く浸かっていれば、どうなりますか?昨日は久しぶりの晴れ。前日からやる事を決めていた。軽トラは いつだって道具満載、刈払機が2台、燃料、洗浄機などなど 載せてある。想定外なことが起こった。一台の刈払機がどうやってもエンジンがかからない。購入した店をネットで調べたら営業中、早速修理しようと持っていく、ナント 貼り紙が貼ってあり臨時(?)休業。ネット情報は何だったのか?
案の定 腹のムシが動き出す。結局、違う店に立ち寄って新しいモノを購入した。今思うと店員さんの対応が実に良かった。言いたくないが、前に買った店に修理で預けても、修理するより新品を買った方が安い(?)と勧められるに違いない。
 こうやって 徐々に”お客”目線が薄くなる
 リセットし、手でむしる。いや~ 元気だな~!草の伸びが早いこと。手に感じる根の強かさ。 そうそう・・自分達ばかりで騒いでいると急に”国民”視線が遠ざかる。お互い 気を付けましょう。
 
 体質改善は油断すればリバウンド、この繰り返しで挫折する。そうならぬために どうするか?徒党を組むか退くか、明らかに 前者が多いように思えます。これ個の事でなく 組織かな~。
前段の話は どうなったか 気になる方はいるでしょうか?そんなの”当たり前”とお考え?まあ~良いわ!翌日 電話をして、営業しているかどうか聴いてみた。「昨日 閉まっていたので電話しました」 その返事は「ハイ、棚卸しで臨時休業しました。」という回答。確か!ネットでは”営業中”となっていたのだけれどとは言わず、まあ~いいわ。
 虫が収まらない。午後に 故障した草刈り機を持っていく。店員が何度かエンジンをかけようとしたけれど ダメだった。「このメーカーはもうエンジン草刈り機は生産止めたので修理に時間がかかりますが良いですか」(ホラきたよ)・・お宅で薦められて買ったんだけど ・・とは言わず「まあ~良いわ」と答えて預けて帰る。
 後談: 修理費用(見積)が判るののに少なくても一カ月がかかるという。なんだか、しっぺ返しを喰らった感じ。その頃になれば 草刈りシーズンはもう終わるよ~な な な。

3610:リセット2

 薄利多売 使い捨て、そして売りっ放し、やりっ放し・・・未だ変わらず、この社会を回す”プロセス”のグレーゾーン・・・ 横文字並べ 意味が通じない?その通り。現状で国全体を覆っている暗雲! いつになれば秋晴れに。
 コロナ禍に専念した一年と振り返る言葉に秋風立ち心動かず。じゃ~ どうなの?福島原発の汚染水を貯めるタンクの数、この瞬間にも 汚染された水は貯まり続けている。肝心なことを先延ばし、中途で退き 結果知らせず。 そのように世界は見ていますよ。。。
 閑話休題 身近な話、
  歩きながらコンビニで買った袋(飲み食べ残したモノ)を歩きながらポイ捨てした男。偶然 すれ違い様に見てしまった。車をとめ、「アンタ イマ ナニステタ?」と謂ったら、後ろを振りむき其の儘立ち去った・・・・。
 これに類したことが起こっている。 開き直って”証拠”を見せろ!と恫喝か。全く根っ子は同じでしょう。  トップを経験された方は職を辞した時点で身の振り方があるでしょう。恐らく メルケルさんなればご自身の身の処し方は判っていると思いますね・・・・・。いつまでも 拘って 力を鼓舞するような真似はしないと思う。人生の分かれ道、間違ったと思ったら引き返す・・その潔さが必要でしょう・。
 ☆ 草茫茫にゴミ捨て減らず、綺麗なれば 徐々に減る。☆  (心理の深層)
 
 日本の高齢化の実態、3.5人に1人が老人(65歳以上)、これは1.7人(生産年齢)で1人の老人を何とか支えている訳で将来的には1.3人に1人となるという。(総務省統計局:2020/12現在) この状況は年々深刻化しています、国基を揺るがす一大事、その対策を議論し進むべき方向を決めるのが 立法府の役目、今ごろ”党風”を変えようとの烽火(?)では、時すでに遅いのではないでしょうか。これは”内向き”の議論が更に増幅している例証。この国の危機管理は20年遅れてしまったという話があります。勿論 一人ひとりが考え行動に移すことも肝心ですが、現況はドシャ降りに傘一本で出歩く様なものかもしれません。災害に対し、中途半端な対応を続け、特に ここ1~2年の動きは異常としか思えません。
 我慢に限界あり、法治国家を揺るがしかねない不祥事に目をつぶり、生き延びようとする狡猾さ、・・・権力者に対する法の裁きはどうなのか?
 正直 改革をどこから始めれば良いのだろうか難しい。騒がずに 時が来るのを待てば?・・・・それで良くなることと更に悪くなることはあるでしょう。地方の首長を選ぶ選挙が低迷している。軒並み 低投票率の中での改選、これが実態です。じゃ~具体的に何すりゃ~良いの?
一人ひとりがリセットして・・・・今やるべき事を行うこと、先ず投票を棄権するのではなく 参加し ものを謂う有権者になるべきでしょう。残念ですがこれしか残された道はないのかもしれません。ハッキリしていることは、人間 死ぬまで 生きるってこと、だったら 何ができるか 己に問うしかないでしょう。日本が戦後 ずっと背負ってきた教育のトラウマ、個人主義と利己主義の違いをも曖昧模糊とさせてきた、その影響かもしれません。