源究19

(NO:221〜   )

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
221 事件 6/24 226 心配ネタ 7/5
222 組織の心理 6/27 227 種田山頭火 7/7
223 悩み多き時代 6/29 228 テロ 7/10
224 大学での講義 7/1 229 変な坊様! 7/12
225 丸ビル36階 7/3 230 喜怒哀楽 7/14

221:事件

毎日のように繰り返される事件、いずれも15歳の少年による犯行だった。両親を殺し、ガス爆発にて証拠隠滅をはかった事件と翌日に起こった弟による喧嘩が元での兄の殺傷事件である。15歳という年齢が今どうなっているのか分からなくなった。自分自身を振り返ると、中学3年高校1年の頃はどうだったかなー?義務教育が終わり初めて自分の意思と能力が試される。希望する高校への進学の可否、しかし、これとてはっきりとした将来への夢を持って望んだわけでもない。少なくとも私には中学時代は野球、高校ではサッカーがあった。放課後のクラブ活動が楽しみで学校に行ったといえる。この時期、親の自分に対する期待感や言動に敏感になっているものだ。自分があって無いようなもの。今回の2つの事件も真相は分からないが、兄弟間や親子間の微妙なズレが少なからず関係しているように思える。確かなのは、私の時代は家に閉じこもってテレビゲームやパソコンをやっているものはいなかった。今、どうもそのような少年が非常に多い。悩みや苦しみを友達に打ち明け、自分を抑えるという生の機能が今欠如している。だからかもしれない。白黒はっきりさせる直接的な行動に直ぐに移ってしまう。事件を起こした者を知る関係者の話を聞くと殆どの子供が普段目立たないで大人しいという子のようだ。内にこもったものが突如爆発する。普段からのガス抜きができていない。15歳という年齢は身体的には成長著しい時代、その反面、精神的には未熟。体の置き場所がなくて持て余す。運動やクラブ活動で発散することもしない。
 尚恵学園で利用者との関わりの中で私はいつも感じていた。6月の梅雨時は毎年であるが利用者の不安定な時期にあたる。天候が悪く、外での活動(作業)ができず、寮内ですごすことが増える。当然、限られたスペースでの事、利用者同志のトラブルも増え、夜寝ない利用者がでてくる。体が要求するだけの運動量がない。悪循環である。このような時に私が取った方法は雨でもマイクロバスにてドライブに連れ出すことであった。人間、閉塞s社会(空間)の中でいかに努力しても安心を得ることはできない。身近な例でいえば如何に素晴らしいホテルに泊まっても本当のリラックッスの時間はもてない。病院では尚更、友人のドクターが言っていた100%の入院患者が早く家に戻りたいという。
 15歳という多感な年代に必要なのは共に感じ合い悩みを打ち明けられる友人の存在、それに体を使って何かに熱中できる環境である。そして、このことは周囲が悪いのではなく、自らの責任:プレイグランドである。ここを変にぼやかしたり責任転嫁することに根本の間違いがある。

222:組織の心理

どのような世界でも組織というものがついてまわる。これが実は厄介な代物である。構成するメンバーと執行するメンバーとの軋轢が生じる。必ずである。妥協という言葉には曖昧さが残る。この端的な例がイラクでの内閣の組織化であろう。どうも上手く進まない。夫々の思惑が交錯し、要求が多岐にわたり、纏めようがない。
 自分の足元をみても然りだ。施設という組織、構成メンバーが職員という場、或いは施設長という地方での場(県の協議会など)全国組織(日本福祉協会など)正直な話、私はそれらには関わりたくない。ゴタゴタは嫌だ!性にあわない。むしろわが道を行くでやりたい。でも、そうは問屋が卸さない。頼まれちゃう。断ればいいじゃないか!影の声。
 組織の心理とは当事者としての煩わしさに嫌気をさしながらも気になる存在。
 私は今年で55歳。施設に関わり33年にならんとする。もうそろそろ引退かなど考えていたら、なんのこっちゃ、これからだよとの声がかかる。実はこれからだという気持ちが本当は強い。それは「お前はなんでこの道を選んだの?」「親父が始めた仕事だから?」「仕方なくてか?」 「そうじゃねえだろう!!!」「自分で選んだ道。何かに魅力を感じ、面白くてしようがない!!」そうだったなーと原点を確認。そのような時、なんども自分の気持ちを奮い立たせてくれたNHKのラジオ深夜便、今日もタンザニアで稲作に取り組んでいる、熊本出身の寺尾勇氏の話が聞けた。熱く語りかける寺尾さんの言葉には感動があった。決して粋がったりせず、自然体で楽しくてしようがないという姿が話から充分聞き取れた。年間の収入が1万円の世界。そこに人間の生きる本質的価値があるという。人間の幸せ、自分を生かしてくれるものへの感謝、21世紀はお金が無くても生きれる社会、自然との共生、水、空気、太陽が人間にとって一番大切なもの。今の日本人は金、名誉、家が大切だと思い込んでいる。何時まで続くか分からない幻を追い求めているから、何時になっても生きることへの感動が生まれない。自信がもてない・・・・・・寺尾氏は熊本県宇土市にて轟学苑を開いているという。アフリカの東海岸にある、タンザニアに渡り12年、今までの労力60%で稲の収穫量が3倍以上の農法を開発、政府から800ヘクタールを借りて砂漠に稲穂を繁らせようとしている。
組織や国の継続はややもすると相手の犠牲によって保たれる。本来のグローバル化は侵略や犠牲によってなし得るものではない。
 今、自分の腹は決めている。できることしか出来ない。そこに自分を賭けることも一つの選択であろう。
何か独り言を吐露してしまったような気がする。

223:悩み多き時代

城山三郎の『失われた志』を読む。人間の魅力とは何か?老い方の研究、語りつぐべきもの・・・・男が男として愚直に、けじめを大事にしつつ、しかも高い志を持って殉じていく・・・・これは日本伝統の武士道に通じる生き方。
今はどうか???人としての魅力はある?老いることへのマイナス思考!何を後世に語りつげるの?愚直???いやー要領よく立ち振る舞う輩。藤沢周平や池波正太郎の小説にその生き様が描かれていた。今、どうにかその文脈を保っているのが山本一力か。正直そこまでは断定できない。
 私の友人に売れない小説を書いているものがいる。何度も新人賞に応募しているようだが、喜びの知らせはまだこない。今は活字離れが著しい。だから、小説で食べていくには厳しいだろう。それでも諦めようとはしない。これを愚直と言うのだろうか。愚直には首尾一貫していなければならない。
 現代の新造語にニートというものがある。仕事もせず学ぶこともしないでのその日暮らし。若者に多いというのが憂慮する。一方ではベンチャー企業が日々興っている事実もある。市町村合併以外に様々な業種での合併吸収の再編がなされている。大は小をかねられるのか!福祉の業界も例外ではない。
昨日、茨城県の福祉施設経営協議会の総会が水戸であった。懇親会の席で利用者が10名の施設の理事長と職員300名を超す法人の役員と私で話が弾んだ。大は小をかねるのか。城山が言わんとする。人間or仕事の魅力とは?経営と運営が一体でないところに福祉の特質を感じた。

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224:大学での講義

某大学で講義を頼まれた。90分の1コマだからなんてことはない。PCを使って話す。これがまた女性6名だけのクラスだもの参いちゃった。皆さん教職をとるという学生らしい。講義形式では飽きられると思ったのでOHPを使った。
内容は触れてもしようがない。この時感じたこと。今大学は学生募集に大変苦労しているんだなーということ。また、学生は気ままなもので途中でやめてしまう者が多いという。大学は経営を考えると頭がいたい。折角入学してもらった学生に逃げられないように工夫する。教官も同じ、学生から評価を受ける。応病与薬というか学生に気を使いすぎる傾向がある。我々が学生の時には考えもつかない。これだもの教育が今大きな壁にぶち当たっているのは直ぐに分かる。嫌だ嫌だ。
私立学校では特に高校教育には多額の県からの補助金が出ている。建前は公私の格差を埋めること。補助金が無ければ経営が成り立たない私立高校がたくさんある。
最近の例では山口県や山形県での大学が経営に行き詰まり民事再生法の対象になった大学がある。定員学生の確保ができない。当然収入がないから教員への給与が払えない。新たなニーズに答えるための設備投資ができない。今、本格的な少子化への突入、私学ではその対策に四苦八苦している。茨城県は高校教育を全県1区制にしようとしている。人気のある高校には学生が集まるがそうでないところは定員確保が難しい。悲惨である。結果として自然淘汰されるのか?教育の世界にも民営化の流れが来ている。
 福祉の世界はまだそこまではいたっていないと考えるものが多い。しかし、財源不足の問題は教育費よりも深刻だ。いずれそのことが分かる時がくる。私の所では10年前からその日が来ることを覚悟して経営してきたと自負している。職員や家族にその事を伝えてきた。具体的な対策はこれ企業秘密。その時になって慌てない体力を養っておくことが重要だとでも言っておこう。今、トップの手腕力量が当に試されている。

225:丸ビル36階

このー田舎者めが!東京フォーラムでの恒例の全国施設長会議第1日目が終わり、茨城県の施設長が何をするでもなくウロウロしていた。声かけるものがいて、無理やり?丸ビルに行くことになった。「おらーテレビでしか見たことねーからよ」「どこどこ?へー変わったな!」とか入る前からお登りさん丸出しの7人。折角だから一番上にすんべーという私の提案、誰も反対するものはいなかった。36階までの直通エレベーターは高速で上に昇ると耳がキーんとなる。さすが東京。吉幾三ではないが「おらー東京さいくだー」エレベーターを降りると何か雰囲気が違う。誰もが一瞬思ったにちがいない。「間違ったかな」思い切って中華レストランに入った。階下には皇居が見下ろせる絶好の席を準備してもらった。早速メニューを渡された。「何食うベー?」誰もが声が出なくなっていた。コースで頼むかと思っていたが、一人最低で2万円。出張旅費では赤字なのは確実。単品で頼もうということになった。私の脇のHさんが「住田さん・・・3人前を7人で食べましょう!」これを後ろに立っているウエイターにばっちり聞かれた。結局はビールで乾杯した後、なるべく安いものを頼んで1時間ばかりの夕食は終えた。「なんだか腹減ったなー」とか独り言。またしてもばっちり聞かれてしまった。このー田舎者が、金でも持って出直してこい。

226:心配ネタ

回転寿司じゃないけれど心配のネタには事欠かない。バリアフリーとかノーマライゼーションとかインクルージュンとかエンパワーメント。どうもカウンターには外国産のネタばかり。食べてみりゃーなんてこっちゃない。タコやハマチやカッパじゃねーか。なんでそんなに外国産に気を遣うんだい。一番ケ瀬先生は78歳、私がこの道に入ったころは日本女子大にて社会福祉の確固たる地位を築いていた先生、今朝のラジオに出ていた。「福祉」という言葉は実は今から2000年前に中国のレイキ(?)とかなんとかという本に出ているという。ははーん古いんだ。老人、児童、障害と福祉の3本柱、これだって実を言えば人間がこの世に出現した時から始まっている。狩猟や農耕と生活形態は違っても集団を形成し始めた時から課題となっていたはずだ。福祉とは実は心の問題が大きいとやっと気づき始めた。つまり、既製品の福祉には誰しも満足しなくなった。人それぞれの満足度をいかに高め獲得できるか。それだから心配のネタが無尽蔵。これはあくまでも目先のレベルでのこと。先ほどのバリアフリーという考えで我が法人の基本スタンスは出入り自由、一番多いときで無断で外出中の利用者が3名いた。いずれもGH利用者。今一人だけ行方不明で2人は戻っている。ここ数年全国から人探しのFAXが非常に多くなった。3ヶ月ぶりに帰ってきたEさん。先日二人で話しをした。どこにいたんだろう?・・・水戸・・・彼の出身地だった。 何してたの?・・・・ぶらぶら歩いていた。どこに寝てたの?・・・・・駅とか。結局彼は3ヶ月の放浪の後、土浦の元彼の勤務していた会社に立ち寄り見つかった。今回も知り合いが服をくれたり食事をご馳走してくれた。早速彼との約束であった、水戸のGHに連れて行った。面接でここに入りたいの?・・・・はっきりと返事はしなかった。本音はブラブラしていたいと付き添うスタッフに言ったという。
 このことを社会への甘えと取るか誰しもが望む自由な暮らしと取るか!判断に迷う。

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227:種田山頭火

某町の駅前に『山頭火』という居酒屋を見かけた。店頭正面の壁には・・・・・自分を許すひと時 笑うも良し泣くも良し・・・・と書かれた額が掛けてあった。どうしてその額に目が留まったのか。山頭火への密かな憧れ、否,妬み??
 彼は明治15年に山口県の防府市に生まれた。家は相当の資産家、酒造業を営んでいた。彼が幼い時に実母の突然の死に遭遇、そこから彼の人生は波乱に満ちたものになった。早稲田文学部を中退し、俳句の道に身を投じ、出家得度までして放浪の生活に入ったのである。57歳という年齢で亡くなっている。三頭火は句の師から頂いた名。
 人間は絶対の生き方はできない。ある道を究めようと思えば、強靭なる意志と行動が不可欠、彼の数万首に及ぶ俳句の中にその世を儚む山頭火の生き様を窺い知ることができる。さてと、自分を許す時と書かれた本意は、何故に放浪自由気儘な人生を歩んだ彼がと誰しも思うだろう。逆説的に捉えれば俗世間的なものを一切捨てて家を出た山頭火であるが故に意味深い。凡夫たる自分に置き換えてみれば、なんと様々な柵の中で自分が生きているのか!泣き笑いはどの場に身を置いても同じこと。山頭火は晩年四国遍路をしている。松山を訪れ一草庵なる居場所を探し出す。そして臨終の場にそこを選んだ。放浪人の死に場所として相応しい。今、何故山頭火が密かな人気を博しているのか?捨ててこそ知るということだろうか。何を捨て去ることが人間できるのか。古来、悩みぬいたこと。
 日々齢を重ね、いつの間にか山頭火の享年に然程遠くない年齢となった。

228:テロ

G8の開催時を狙ったテロがロンドンにて朝の出勤時間帯に同時に起こった。ニューヨーク9:11の記憶が今だ消えていない。今回のテロは正式に犯行声明が出されていない。所謂、大都市をターゲットにした新たなテロであった。もう大分昔の話、私は31年前の24歳の時にロンドンに3ヶ月ほどいた事があった。施設での研修で、当時の秩父学園の妹尾先生の紹介で受け入れていただいた。郊外にホームステイして研修が終えてから夜、電車でロンドンに行き、語学学校に通った。今回、キングズ クロスという地下鉄の駅が爆破されたが、その周辺をよく通った記憶がある。どこの大都市もそうだが、主要道路から一歩はずれると昔風の建物が所狭しと建っている。その辺も確かそうだったと思う。酒も飲めないのにパブなんかに一人で入り、カウンターに座って路を歩く人をぼんやりと眺めていた。24歳だ半分以上は興味本位だった。その場所が今回テロの襲撃にあったのだ。正直、防げないだろうな!当時を思い起こすと地下鉄の駅は汚くて暗かった。臭いも凄く、ガイドブックにのっている綺麗な観光スポットとは雲泥の差。そんな大都市の裏の一面を楽しんだ。
 テロは何故起こるのか、米ソの冷戦構造が終わり、箍がはずされたように世界各地で頻発する紛争、その殆どが敵が見えない形で起こるテロである。今世界で安全なところは無いと言われている。どうして人間が血で血をあらうような争いを続けるのだろうか?本音と建前、力と力の関係は事の本質にある。爆破現場にはミッシングという行方不明者の張り紙が張られていた。花が手向けられている。人為的な悲劇は、被害者にとって相手への恨みだけが残る。報復が繰り返され、人間の愚かさだけが後味悪く心に刻まれる。
 

229:変な坊様!

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「変な坊様いたわーーー・」バッタリ顔を合わせたら、会うが早いかこの挨拶。Mさんと私の付き合いは45年にならんとしている。彼女の人生の大半が尚恵学園での生活。私のことを理事長なんて思っていない連中の代表格。道で会うと「こらー!!なにしてる?」と声掛けられる。「なんだってよかっぺーな」とか返事をしたら、そのしっぺ返しが怖い。
 彼女は古株の一人だが、古い友達の多くは体力が弱ってきて今、昔ほどの気勢はない。彼女だけだ。二つの寮を自由に行き来している。田圃の畦道で電車をぼーと眺めている姿を良く見かける。何を思っているんだろうな?正直聞いて見たいが、教えてくれないだろう。
 彼女には素晴らしい面が沢山ある。決して悲しそうな顔を見せないこと。それからユーモア?があること。そしてそれを理解できること。私に対する「変な」とか「こりゃーぶくし」とか言う威勢の良い声も彼女なりの気配りの一つ。「しっかり せんか!」という激励だ。
 彼女の唯一の弱点はさて何でしょう?それは注射が怖いこと。予防接種など大騒ぎ。顔はひきつり、病院中の誰もが驚くようなケタタマシイ大声をあげる。しかし、感心するのは今までに大きな病気にかかったことはない。だから入院もしたことない。そのことを一番喜んでいた彼女の両親は既にいない。

230;喜怒哀楽

淡々と生きることのなんと難しいことか!人間やっていると:あっちで怒ってみたり、こっちで喜んだり。支離滅裂な事が多いものである。それも1日という短いスパンの中で繰り返され、後に残る虚無感や焦燥感。どうも人間の感情というものは周りに左右され、自分の内的原因(体調など)によっても揺れ動く。昨日、私の友人の眠る郡山の寺に一人で行ってきた。盆地特有の猛烈な蒸し暑さ、駅からタクシーをひろい、途中で花と線香を買って向かった。墓前には誰があげたか知らないが然程古くない花が手向けてあった。広大な霊園である。まだ、この辺のお盆は8月なのだろう私以外には誰も墓参りに来ている人はいなかった。墓石に彫られた戒名以外に、あまりに早く逝った彼の存在を確かめることはできない。喜怒哀楽!「あったなー」と暫く思い出にしたる。
 人間は自らが経験しなければ分からないことが多い。時には相手にどうして分からないのかと怒ってみても分からない。通じない。この積み重ねが何重にも堆積した状況が今の自分。幸い人間の記憶は覚束ないので忘れる。だから逆に人間をやっていられるとものの本に書いてあった。当にそうだ。忘却と新たな出来事の出し入れが繰り返され、日々新陳代謝している。人間のキャパシテイは無限ではない。身近に癒しを感じることができますか?殺伐とした情報が巷に氾濫し、不安を煽る。癒しなんかあるもんか!と啖呵をきってみたものの、実はそんな人に限って動物にそれを求めたりしている。便利さを求めすぎる反動として人間の持つ感情の起伏が修復困難な状況が生まれている。何を喜びとするか、何を楽しみとするか。先人は足ることを知れと教えた。足るは手の届くという意味もある。無理して背伸びしたり外見を飾ることなどに奔走することは止めるべきだ。目の前の壁に掛けてある飛田先生が薄墨で書かれた「かまえなし」という添え書きに目がとまった。