源究180

     

NO  テーマ  月日    NO  テーマ   月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
3111 看取り  11/18  3116 視点   12/7  3121 底力  12/22  3126 振り返れば  1/8 
3112 マネージメント  11/23  3117 不可思議   12/10  3122 感謝!  12/26  3127 親離れ子離れ 1/11
3113 故郷   11/28  3118 豺狼当路   12/13  3123 代案・妙案  12/29   3128 一歩一歩  1/13
3114 細やかでも良い   11/30  3119 眼鏡   12/16  3124 不の価値  12/31   3129 彷徨い求める  1/18
3115 出逢い 12/3   3120 こんな時だから   12/19  3125 謹賀新年  1/3   3130 ノーサイド  1/21

3111:看取り

 ”着眼大局 着手小局”升田名人が色紙などに良く使った言葉、物事を大きな視点からみて 小さな(具体的な)事から実践すること。『 あんなにしてまで 細かな事に気をめぐらす割に 行動が遅い・・・』。これは誰かに謂われたのか それとも自分が謂ったのか?
 我々の現場は 年中無休 時間を止めることがない。1日24時間を 限られた人数で回す、これを なんと61年間続けて来た。 本人~家族~職員 正三角形を形作るそれぞれの辺が おかしくならないようにバランスを保つ。一言で表すならば それぞれがその調整役を担っていると言えましょう(入我我入)。GH⇔入所施設 この議論は 住み慣れた地域で普通の暮らしが争点、一気にはできないが GHを地域につくり 入所の定員を減らしている。
 誰だって年齢と共に 昔できたことが出来なくなる。これは 障害の有無に関係なく経験すること。そして いずれは終末期を迎え 旅立つのです。四苦八苦→生老病死。生から死までの長さは 人により違います。死後の世界は 宗教によって 様々な解説がなされていますが 正直 誰も死んだ経験がない。だからですよ それを裏付ける為に膨大な経典が作られてきたのです。
 尚恵学園では 一緒に暮らした仲間たちの遺影を寺の本堂に並べ飾っている。その数もかなり増えて もうすぐ棚に飾り切れなくなりそうです。さすがに泣きべそかいたり怒っている写真はなく 皆が皆 微笑んでいる。 一人ひとりのケースファイルに生活歴を記した膨大な量の記録が残ってはいるのですが 正直 亡くなった後は ファイルを開くことは殆どない。それより 遺影一枚一枚が その方の生きた証であり教説とみている。
 朝一番に その遺影の前で手を合わせることが日課である。写真同志が話したり笑ったり 泣いたり してるように思えてしまう。 この異次元の世界?が  私にいつも不思議な力(教宣)を示してくれるのです。
 今年(9/18 am6:40 Y.T 42才) 厚生園で看取りを行った。本人・家族・職員に主治医&訪問看護&相談員が加わり 長年生活を共にした仲間の傍で息を引き取った方がいます。その時のスタッフ全員の気持ちを纏めたものを紹介します。(Yさんの看取り
 Yさんが旅立った後 園内は ポッカリと穴が空いたかのようになりました。スタッフの不安感は 一時の安堵感と同時に次に起こるであろう同じような事態への思いに変わった。そんな時に”家族”がいれば まだ救われる。普段は別に暮らしていても 何か有れば直ぐに駆けつけてくれる家族の存在。
 現実は 思うようにいかない事が多く 家族は 誰も代替わりになることはできない。
 確かに 一人ひとりが違う。 集団の中で 盛り上げ役を演じてくれるOさんも 今 病と闘っている。彼だって つい最近になって 妹さんが面会に来てくれるようになった。それが彼にどれ程の癒しとなっているか?会っている時の勝ち誇った顔 彼はそれだって 妹さんに負担をかけまいと思っている、それが私には 堪らない。もっと甘えたって良いんだよと言いたい。・・・・が 頑なに兄貴の振舞を演じて(?)いる。
 Tさんは Yさんの寝ている傍で彼女の背中をさすり続けていた。Tさんもまた 自らの病と闘っている。GH生活していた彼女は ≪ 寮にもどりたい ≫と自ら訴えた。就労し バスで会社勤めをしてきた彼女が 最初にできた女性のGHの利用を始めたのは 10数年前だった。 Kさんもそうだ。自分が思ってもいなかった病に罹り 摘出手術 退院し 戻ってきた。 最近 スタッフと二人きりの温泉旅行に行き スタッフに”感謝の手紙”を読んだ。その手紙のコピーを貰い 何度も読み返した。手紙では スタッフを○○ママと呼んでいる。
 GH利用の体験をもう何回も行ってきた。自分の出身地近くのGHを探し 挑戦してきたが 本人が納得する所が上手く見つからなかった 。
 本人の意志を確認すること程難しいことはない。確かに上手くいった事例もあります。でも それだけではない。出来ない方が大勢いる。その人達と向き合っていくこと これが 私達の本来の仕事ではないでしょうか?
 中には ツワモノもいます。GHから飛び出し 自分で寮付きの職場を見つけ 自立????? 彼は 今 どうしているか? 現実は無銭飲食を続け 補導され 何度警察から呼び出しがあったか判らない。 困ると ブラリと園にやってくる。そしてお姉さんに借金をせがむ。
 これだって 自立なんですよね。一人で生きようとしている でも 社会と上手く合わない。彼の言い分は多分 責任は 自分の前に社会がある。偏見なく受け入れる社会が未だこの国には無いのかもしれませんよ。
 結局、看取りも同じなんですね。自分一人では難しいことって 必ずあります。それを 分かりにくい事業名を付け 複雑な仕組み作りをしている。これが 今の日本の偽らざる保障の仕組み、真に支援を必要としている人達の生の声を聞いているとは思えない。
 多分 私達はこれからも  己は目立たず 時代遅れと謂われようが なんと揶揄(?)されようが 歩み続けていかねばならんでしょう!!
 ”朝一番の鐘の音” 丁度6時 外はまだ薄暗く 多分 家を出る頃は懐中電灯をつけないと歩けない。名も告げず ≪鐘を撞かさせてもらって 良いでしょうか?≫ と もう五年以上が経った。その方の前の方は75歳を超えた男性が朝6時に決まって撞いていた。体調を悪くし できなくなって 此方で探したわけではないがこの女性が出てきてくれた。これで1日3回 それぞれの時間の撞き人が決まった。
 今日は 今年一番の冷え込みになるという。小樽では30センチ以上の積雪、冬の準備は怠りなく 毎年のことだから 。
 時々 短期利用されているOさんが 毎日事務所に顔を出す。最初は何を言い始めるのかと思った。 ≪知ってっと~≫≪・・・せんせい 死んじゃった・・・≫≪来いよ 家にジュースあっから 来いよ~≫ 大体 この3つの言葉を何度も繰り返す。此方が生半可な返事をすれば 顔がくっ付く位まで近づけ 繰り返す。さ~て○○先生って誰だろう? それが判った。10年以上も前に通っていた作業所のN先生、話がつながった。私もN先生を良く知っている。子どもたちに人気があった方である。
 そのOさんの妙なクセ。昨日 偶然わかった。それは 四角に折った紙をズボンの膝下から靴下の中にまでしまっている。その数も半端でなく、出るわでるわ。そして なんとボールペンも靴下の中に入っていた。歩き方が妙なのは そのせいかも知れない。
 なぜなのか まだ尋ねてはいない。
 個の尊厳を叫ぶ割に どうも そういった体験(看取りなど)が薄れた時代になった。

3112:マネージメント

 経営について 書店に様々な書籍が並び、実に多くのセミナーが開催され 状況は一向に下火になる兆しは見えない。ヒト・モノ・カネの三つをどう活かすか いや~こればっかりだ。 事業の成功や失敗は 貴方の会社で何処かが違うから 結果そうなったと考えるべきだとなる。 会社の規模にかかわらず 正直な話をすれば、何かが起こって さあ~大変 それから対応している事が多いんじゃ~ありませんか。だって 最近のニュースを見れば判るでしょうよね。コンプライアンスのなんとか? 
 視点を変え、日本の企業生存率がどうなのか 様々な数字があって 何が正しいのか判らない。でもな~ 私の住んでいる町 市内の目抜き通りを歩く人を見れば一目瞭然、いつ頃からでしょうか シャッター通りとなったのは、週末開いている店を見つけるのに苦労する。勿論 週末がこうですから 平日は悲惨です 公休日という札も下がらず閉まっている。この状況は 全国津々浦々同じでしょう。となると 国税庁が20年存続する企業は0.4%と出した数字の信頼度は高い??
 将来消えて無くなる職種という情報誌の中味 これは 見過ごせませんよ。 経営者にとって 将来への先行投資という判断は重要です。 誰も これから消え失せるものに 苦労して積立ててきた金を投資しません。
 でも営業担当は 決して不利益な事は言いません。ですから あらゆる手練手管で 誘惑(?)しようとします。これを見誤ると 偉い失敗になる。 事業成功は マネージメント力による処が大きい、なるほど成程 それで?
 じゃ~、何処かしこも拡大することだけが目的になったら どうなるか?でしょう。 競争や生き残り 気にならないと言ったら嘘ですよ。
 限られたパイを奪い合う、 これって怪しくありませんか? 限られたパイなのか 無尽蔵なパイなのか?とね。ここ10年間で日銀が どれだけのお札を印刷したでしょう。デフレかインフレか GDPの目標数値?% 株価や円高円安。印刷されたお金がどこに行った? タンス預金か株投資 それともタックスヘイブン ある島に秘密の口座?? 国家財政の健全化?  
 挙げたら切が無い。これが国内だけでなく 国境に関係なしに寸時も休みなく動いている。これが現実です! 斯様な実態の中で”経営学”なる手法によって 事業成功が果たしてできますか? 私の素朴な疑問がここにある。
 ダウインの種の起源を引き出すまでもない。長いスパンで考え、生物が生き伸びてこれたのは 環境の変化に上手く順応できたモノだけ。そりゃ~そうですわな。だったら 人間以外の生物で お金を使う生物いますかね。微生物の世界で銀行や信金がありますか?証書を作って預金を保障してくれますか?
 この事を人間は知っている。”知足”→足るを知る。マネージメントの議論で人間の欲望をどう捉えているかでしょう?観て下さい!自分だけなら自国だけなら大丈夫と考える人が増えすぎた。そして自ら責任を取ることをしない。
 戦争抑止力という核兵器の議論だって 既に保有している国があり その管理は本当に大丈夫? それにしては 日本の3権分立 今の状況は 危機的状況ではないのだろうか。昨日のTVでの国会中継を見ていて 悪寒がした。
 企業に限ったことではない。身近な例もいくらでもあります。家族はどうなの? 面だって ヒトモノカネとは謂わないが 結局 そこですよね! 善因善果or悪因悪果  つまりは 因果の関係なんでしょう。因(原因)と果(結果)の間に縁(条件)が微妙に絡むから十人十色となるそうです。現代経営学も悠久の仏法も違いない?
 そうはドッコイ上手くはいきませんって事。経営学は儲け(カネ)が肝心、どうすれば 今より儲けが出るか!ですがね。 そこにヒトが関わると 何かオカシナことが次々に起こる。オカシナ事ってなんだい? フーム!10の罪悪=十悪なんだわ。これをちょっと覗いて見ませんか?全てのオカシナ事が納まっちゃうから。
 しゃ~ねエ~な。一つだけ 説明しましょうかね。5番目の綺語(きご)というものは何か?あまり耳にしたことは無いかもしれない。それはね!≪真実にそむいて巧みに飾りたてた言葉≫ だってよ。危ねえあぶねエイ・・・・・・
 これ一つだって守れない。そうかもね。
 ついでだ 10の全部をあげるしか あんめエ~か。
  十悪・・・・・・・殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・邪見  いや~ 参った 参った オカシナモノのパビリオンだわな。
・・・・解決へのヒント・・・・ じゃーどうすんだ?簡単に言えば十悪に”不”を付ければ 不殺生・不偸盗・・・・・・と。簡単だっぺ~。えっへんプイプイ。
 オカシナ事が世に蔓延れば 自ずと世が乱れ 倒壊にむかうと教えられてきました。それが どうして守れないのでしょうか? 様々な教えがあるでしょうが 仏教では三毒が原因であると説いています。その三つの毒ってなに?煩悩と貪欲と瞋恚(いかり)であると断じる、これは 動物の中で人間様が最たるものとし度を超えれば破滅(地獄)に至る。得意満面の人をみると どうでしょう? 胡散臭いと思うことってありませんか。逆に 謙虚な振る舞いに好感を覚えませんか。”無我”という仏教の基本思想は諸法無我の4字で包括した。我=アートマン、古くはウパニシャッド哲学まで遡る。梵我一如と謂われますが、アートマン(我)はブラフマン(梵)と同一とする究極の真理と考える。さらに この原理を直観すれば 輪廻を超越でき成仏すると。直観は直感ではない 直知とみる。
 どうしましたか?また オカシクなったか!と思われたかもしれない。否定はしませんよ。 何せ 周りを見回せば オカシクなりますって  判る分かります。
 ツイターだフェースブックだラインだ・・・・と。恐らく あと数年たてば、これだって過去の遺物と捨てられてしまうかも  ですから 個人的には この種の便利さとは一線を引く事にした。
 お寺の入口には 昼夜を問わず 車を停めてスマホと睨めっこしている人が一向に減らない。何とか?というゲームをやっているようだ。これは中毒症状ですね、法律で規制できないものでしょうか?事故が今に起こるよな~。
 価値の逆転? 私は10代後半に東京のど真中に下宿した。いま どうなっているか?都庁が建ち 唯一 憩いの場所だった公園は消え そこに高層ビルが林立、休む場所も無くなった。半世紀で街並みは一変した。高が50年、この変化を異常とみるか どうかはヒトそれぞれだ。私がいま住んでいる地域は まだ舗装されていない道路が沢山ある。田圃の畦道 今年からコメ作りを放棄した田は背丈ほどの雑草で覆われた。通らなくなった畦道も 膝までの草で歩きづらくなった。
 良く見ると 今までいなかった虫が 飛び回っていた。これぞ 究極の地域共生社会だろうと思う訳ですが オカシイですかね。えっへん エッヘン#風邪気味かも プイプイ 。

3113:故郷

 故郷忘じ難し。若き日への郷愁を詠ったものに目がとまる。我がふるさと土浦は霞ヶ浦の湖畔に栄えた商都、今では嘗ての面影は薄れて 派手さは無いが 落ち着いた街になっている。昔 淡水真珠の養殖が行なわれ、帆掛け船でワカサギ漁、西に関東の雄峰”筑波山”を望む。現在は湖畔一体が蓮田となり日本一のレンコンの生産地、仏花に囲まれゆっくりとした時間の流れを感じる別天地になっています。
私は そんな土地に生まれ今に至った。茨城は無限の可能性を秘めている。 自然に恵まれ そこで育まれたコセコセしない県民性とあらゆる作物がとれる豊饒な土地 他に類をみない環境で 全てを積み込んでくれる落ち着きを持っている。願わくば未来永劫に守っていきたいものです。
 里山療法という言葉を聞いたことはありませんか? 自然環境による癒しの力で 本来の人間性を回復せしめるというものです。特に 大がかりな設備などいらず 自然の中に 身を置く事で 忘れていた大切な事を取戻し、生きる意味の再発見にはたらく、そこには 作られた価値やモノなどは無用で 只管 有りの儘の自分を見つめながら こころを落ち着かせるもの。観法とか瞑想と言うと身構えてしまう方もいるでしょうが 普段の生活の中で 特に意識せずして 不安を除き安心を得ることを可能とする  身近で簡単にできることですよね。家庭菜園や森林浴 ヲーキングもサイクリングも良いでしょう。 そこに 故郷への郷愁という思いが加われば 効果バツグン。
 
 偏向報道やら反日感情という言葉が 紙面から消えた日が無い。新鮮さなど無く またかというあきらめしかない。もういい加減に他を責める前に 自らを律することに己の力を向けるべきなんですよ。 昔の人達が 我々に教え伝えてきた事、 自らが体験し 二度と同じ苦しみ悲しみを孫子たちにさせてはならぬということでした。義務と権利 自由と平等 平和と豊かさ この本来の意味が曖昧の儘で 頭の中を素通りしていく。自分の思い通りになることなど有りえない。 
 喧騒の大都会にばかり 身を置けば 恐らく 純で汚れない感性など どこかにいってしまっても 気付くまい。
♪ ウサギ追いし かの山 小ブナ釣りし かの川・・・・・
  
 昔はモノは無かったが 智慧があった。今は モノが溢れているが その価値が薄れた。物を大切に使うという教えは あっという間に日本の社会から消えていった。使い捨て 大量消費 ・・・・エスカレートした欲望を駆り立てる宣伝戦。常にスペアが用意され 壊れれば修理せずそのまま新しいものに取り換える。これが ダウイーンが種の起源で説いた 核心だったのか? 環境と上手く折り合うことができた種だけが生き残る。 ?????経営学のプロも怪しいものだ。
 彼らは いくつもツールを持ち 選り取り見取り その時々に持論を変える。
 昨夜は 水郷公園のイルミネーションを見に行った。この時期の風物詩となった 家族連れで無数の電球で夜を彩る。駐車場は既に満杯の車、3~4台の屋台車が出ていた。空には 成田空港への着陸コースにのって 飛行機が低空飛行。地上と空から電飾の共演!
 智慧と知識の較差、ロボットやAIが花形産業へ。楽あれば苦あり。楽して思いが果たせれば良しとする社会は 人間の持つ能力を劣化させることがあっても 良い事はない。そうさせない為に 体力作りに出費を重ねる。そこに様々な工夫(戦略)がはかられ 優劣を競う。消費や購買欲をあげ 経済の安定とした。
 今では 商売とならないものは無し。
 その負担を豊かさの代償と錯覚、随分 複雑になったものだ。もっとシンプルにできないものか? 家の中でゴロゴロしている暇があれば 周辺を歩けば良い。 ゴミが落ちていたら拾えば良し。道で人とすれ違えば 挨拶を交わす。 
 それが どうでしょう? ”知らない人とは口をきかない” ”ゴミは集配日に捨てる。””健康マシンを使いヲーキング”
  共生や創生  正直 殊更に掲げるべきものではないだろうと私は思うのです。故郷を愛すれば 自然と街が綺麗になるでしょうし 自然と人が集まってくる。その核心を掴み切れず枝葉のことをどうのこうのやった処で 複雑になるだけ 何の為ということが堂々巡りする。
 ♪ 志を果たして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷  ♪
 人は便利さだけでは生き辛い。ちょっと寄り道して 立ち止まる そんな場所を求めるものですよ。
 
 ボルネオのジャングルには食虫植物が沢山あるという。ボルネオのジャングルには 大木が少ない。それは ボルネオの土壌に原因があると聞いた。砂地のため 栄養分が土中にとどまることがなく 雨で流されてしまうからだ。確かに 太い木がない替わりに細く背の高い木が多かった。こうやって植物も生きて行くのに進化した。光や土から成長するための栄養分を獲る事ができなければ 自ら栄養を獲ようする。それが補虫葉をもった食虫植物。
 悠久の時間を経て 自然のサイクルはできた。
 これは 当然ながら人間にも言えること。度を弁えない森林伐採は 徐々に環境を蝕む。 一度壊してしまったものを再生させることは 簡単ではない。否 不可能かも知れぬ。そのことを知りながら 具体的には行動に移さないことが 何を意味するかだ!。

3114:細やかでも良い

 細やかに暮らす。世界中が”細やかに”暮らすことになれば 何を恐れるか? 侵略? 身の危険?貧乏? 本当にそうだろうか?
 世の中は残念だが その逆に動いている。 何故なのだろうか? 恐らく 綺麗なベベ着て 美味しいもの鱈腹食べ、好きな事をやって 生きていきたい。 それが願い? それで 安心納得できれば良い。恐らく 次々に湧いてくる欲望を自分ではどうすることも出来ず、満足できない大切な時間を過ごすことになっていませんか。
 週末 Nさんはお決まりのどこかで チョッピリお酒を飲み 覚束ない足取りで田圃路を歩いていた。手にどこかで買ってきたビニール袋を下げている。「よ~Nさん 買い物?」声を掛けると「いつものところだよ」と気まずそうな返事が返ってくる。
 その 午後 私の処に 買ってきた服をもってきた。「これ着ろよ、温かいから」と私にくれた。値段を聞いても教えない。もう何着も頂いて私は着させて頂いている。 古着だと思うのだが 一度だけ 「いくらしたか 教えてくれよ」と尋ねたら 聞こえない風、再度 尋ねれば「・・・・・・円・・・・」とハニカミながら教えてくれた。 たった今 PCに向かい上に羽織っているオーバーコートはもう5年以上前に彼がくれた。白衣の上からでも羽織るのに実に便利、ただ ボタンの位置が違うので 防寒服としては 難が無いとは言えない。
 Nさんは尚恵学園GHの地域貢献の立役者と思う、知る知らないなんか気にしない誰とでも親しくなる才能の持ち主。これは 簡単に真似できない。 彼は歯が無いから 固いものは食べない。この時期 御馳走は 熟した柿だ。正直 もう駄目になってしまったような柿を美味しそうに食べる。それよりも本当の好物は、”酒” 寺の本堂にあがった缶ビールは 2~3本が適量というので 綺麗に無くなる。
 
 賀川豊彦著の『死線を越えて』という文庫本の初版(古本)を手に入れた。この本の事は友人より教わった。彼は 学生時代に一晩で読み終えたと語った?  もう 私は読み始めて2週間が経つが やっと2/3まで読み終えた。生涯で人生を決めるような本との出合いは 求めて出来ることでは無い。大半は素通りし記憶に残らない。紆余曲折の連続の日々を送って 皆が生きている。そんな時に 自分を震撼させるような本との出会い。偶然だろう。私の読書遍歴は  そんな出会いをどこかに期待してきたものかも知れない。

 職員から”Hちゃんが亡くなって丁度1年です。仲間たち皆でお線香をあげたいから、理事長 いますか?” 朝から 衣を着て Nさんから頂いたコートに包まって3114番を打っている。 なんだか目頭が熱くなってきた。 
 朝4時ごろ 明日への言葉(NHKラジオ)を聞いていた時 緊急放送に変わった。北のミサイル発射の第一報で、日本海に着弾したらしいと、今回はJアラートはならず、政府が日本上空は飛ばないと判断したのかどうか? 発射から着弾まで50分間を要したという。これで本当に大丈夫? 昼間は、国会中継 衆議院予算委員会を生中継、NHKTVで流れていた。例の国有地払い下げ問題の疑義 その遣り取り(会話)の録音テープの存在を財務省が認めたとか、ヤフーの一面で ミサイルのニュース速報の次の見出しにあった。危機管理の実態とモラルの低下は 相関関係だ。
 このテープはいつ 誰が 何の目的で 録音したのだろうか。既に書類は破棄したとの一点張りの答弁をしていた その時の役人は 既に変わった。
 今朝の深夜便は 俳優の藤岡弘さんの話、彼は40年の間 紛争地域や災害地域への支援活動を仲間と行ってきた。訪問先は100カ国を超えたという。自らの危険を覚悟 出発前には仏壇に遺書を置いて出かけた。その話を聞いていた丁度その時、ミサイル発射のニュースが割り込んだ。藤岡氏は 自分の育った環境が そうさせてきたと語る、四国遍路44番札所大寶寺(愛媛県久万高原町)の近くで生まれた。駐在署のお巡りさんの父と母が 普段から遍路人へのお接待を当たり前に行っていたという。
 自分達子供に対しては厳しい母であったそうだが そこに愛を感じてきたと懐旧する。
 世界中で 生き地獄に苦しんでいる人達が大勢います。 日本に住んでいると それを知らないで暮らしてしまう。平和と安心、この保障は一寸先は闇、その事を国民一人ひとりが我が事として考えないと 道を誤るのではないか!
 細やかなことでも良い。人に優しく 自らを律する生き方を再び 呼び戻せ!こんな事を言うと 胡散臭い奴だと言われるかも知れぬ。貴方だけならそれで良いかも知れぬ。でも 貴方の大切な家族や子供たちが  そんな大人達を身近で見ているということを 思い起こして欲しい。
 
 いま 日本人でどれだけの方が海外で生活をしているのだろうか? 仕事の関係や 国際結婚で移住された人 様々だろうけれど その国の文化や人びとと上手くやっていかないと難しいと思う。
 一方 日本で生活する外国の人々 どれ位の数になっているのだろう? 観光目的の旅行者以外は 恐らく仕事で日本に住む人達が大半だとは思う。土浦は 外国の人達が沢山住んでいる地域。最近はそれも少しずつ変わってきたように思う。家を建てる方が増えた 永住を考えている方達だろう。 地域とのトラブルはあまり聞いたことはない。子供達は 日本語を不自由なく使って 遊んでいる。 ヨーロッパなどは 昔から移民を受け入れ成り立った社会だから、日常的に交流があり、当たり前になっている。最近の問題では難民受け入れがあると聞いた。
 今までは 日本人にとっては 遠い国の話ぐらいに思われていたでしょう。  明らかに世の中の変化の速さとは違っていた。東アジアは一触即発の状況、今の状況が どうなっているか 正直 誰も判らない。情報が無いから 憶測によって 判断せざるをえない。 国は外交ルートを通じて 必死に情報確認をしている。 それだって 相手があることだから 後手後手の対応になるのは否めない。
 有事に対する備えは 不十分。  Jアラートという緊急通報システム これが作動した時を思い出します。強固な建物か地下に避難してくださいと言われても 身近にそんなものがありますか。どこかの国のように住民が避難できる地下シェルターが既に作られているのであれば 話は違う。ただ ミサイルが上空を無事通り過ぎるのを祈るだけだった。
 大事の前の小事?性善説か性悪説?
 いま出来る事は細やかな事かも知れませんが 他に責任を押し付けてもすむ話とそうでない事があるということ、だったら それを考えることが いま出来ることだと思いますね。(婉曲に) 

3115:出逢い

 


 昨日 午前中に水戸で県育成会の役員会があり出席しました。顔ぶれはいつもと変わりなく 正直謂って 皆さんが人生の先輩、ここ数年必ず出る話題は 会員増と若返り、県内各地より 支部育成会代表をされている方達だから 役員会への出席率は高い。今回は一般社団になって その書類の整備とホームページ作成の確認、専門委員会に分かれ検討してきた事が徐々に花開き始める。中には80歳を超える役員さんもいる。いや その方達が核になって活動している。67歳の私など嬉しいことに”若ゾウ”?
 私は いま 家族会の結束が必要と思っている。 我々を取り巻く環境が 急速に変化している。何が大切か! この核心が曖昧になった。 これは避けて通れない一過性の現象だと思いたい。このまま 進むとは考えられない。
 今回初めて 育成会の役員に当事者に入ってもらってはどうかという意見が出た。障害者への合理的配慮とか差別禁止という法的な整ってきたのは良いことだ。しかし、一方では 障害者に絡んだ虐待や不祥事が後を絶たない。何故なんだろう!この原因として いろいろ謂われているが、一言で言うと障害者の事が理解されていないことに尽きる。最近 障害者特別支援学校が急激に増えている。インテグレーション(統合教育)が盛んに謂われた頃とは 大分様変わり。障害を隠そうとせず 堂々と自分達の権利を訴えるようになった。
 複雑で多様な制度も関係者が 訴え続けてきた結果だと思う。しかし、それが上手く機能できているか 新たな問題がうまれていないか??? この検証が 実は充分では無い。 制度の周知がなされない内に変更という状況が目につく。
 そこに 報酬の改正が絡んでくるから 事業者にとっては どうしても”お金”に関心が向く。株式会社の参入を認め 競合とサービスの向上とをドッキングしたから 混乱が生じた。社会福祉法人の役割を議論し、やっとその方向付けができたと思ったら、新たな事態に戦略を変えねばならなくなった。
 茨城県で開催する国体と全国障害者スポーツ大会まで あと600日台となった。開催期間は来県する人たちも多い、そこで新たな出逢いがうまれ 生涯にわたる友達をつくる人も出てこよう。国体の後に開催される全スポが付属の大会ではなく 本来の大会目的に少しでも近づける大会になって欲しい。それには 関係者だけでなく 茨城県民総力を結集した応援が大切になります。それには 共に築いてきた 力を認め合い連携することが 肝心だと私は思う。
 日本列島の今期の冬は平年と比べて寒いという予報が出た。既に東北から北海道は雪が積り、既に1メートルを超えた場所があるという。関東地方も山間部は雪化粧、師走に入り一段と冷え込みが増す。境内のイチョウとモミジは あっという間に紅葉のピークを過ぎた。
 今月は県と市の定例監査がある。今回は同日でなく 二日に分かれて行われるという。予定では9名位の方が見えて28年度の検査をする。何も隠し立てすることも無いから 有りの儘を見てもらい 指導された処は変えれば良いと言っている。
 少なくとも書類は破棄したのでありませんとは謂わないこと。
 寺は観音寺の除夜の鐘と神宮寺の初地蔵ゴマの準備に入った。絵馬を注文 昨日届いた。例年と比べ小ぶりの絵馬、昨年の願い事が成就できたか否か? そうだな~ 個人的な願い事というより 平和への切望が増えるかもしれませんね。
 まだ 一年を振り返るには早いかもしれない。毎年のことながら 暮は気忙しい。新年を迎える喜びは 昔ほど大きくはない。むしろ 過ぎるのが早すぎるというのが 実感ですよ。
 
 今年の流行語大賞に「インスタ映え」と「忖度」の2語が選ばれたそうです。正直 「インスタ映え」という言葉を聞いた時 新種のハエ と思った。 「忖度」という言葉が出回った時 字の読み方が判らなかった。 このギャップは 相当なものである。
 朝晩の冷え込みは 体に応えます。懲りもせず 朝からパソコンと睨めっこ 新聞を読むのが億劫となり 読みやすいほうに偏るのは仕方が無い。 ただ 情報の早さは新聞の比では無い。ネット依存症にはなってはいないが このまま進むと危うさを感じます。
 日程の確認も手書きのノートを使わない人が多い。私には無理だ。スマホをどこに置き忘れたか探し歩くことばかりだし、首に掛けていると 法事の時に鳴り出すことを何度も経験した。オンとオフをいちいち行うのも面倒で 終いには今どっちかと気になり始め集中できず・・・・・・・。
 今日も檀務あり。冬の本堂は 天上が高く 広いから4台のストーブをフルに動かしても15度に室温をあげるには1時間は優にかかる。15度に上げても 皆さん寒そうで ストーブの周りに立っている。
 快適な生活に慣れてしまうと もう駄目だわな。
 もういい加減にして 坊さん専業になったらどうだ!と天の声。今更おかしいけれど 何が坊さんなのか 正直わからない。今までやってきたんだ このまま ツッ走れ!との声がしたような? しないような?
  
   リハビリに弁当持参は嬉しけれ 容器の蓋に笑うミッキー   Y・A 97才  ☆  尚恵学園のボランテアでお世話になったYさんです。 もうじき百歳 今も矍鑠として ! 地元の短歌同人誌より。
 

3116:視点

 周りは何も変わっていないのに 視点を変えると違ってみえる。苦境に陥った時に 人の真価がわかるという。身の振り方というか どうか 明治維新(1867年大政奉還)から150年が経つ。西郷隆盛と山県有朋の話で 西南戦争がありました。2017年現在この争いが日本で最後の内戦と謂われる。大正生まれだと105歳を超える。長寿も3ケタになれば その数は激減する。健康寿命ということが言われるのは 周囲への気兼ねがあるからで 誰しも 老後は周りにあまり負担をかけずに元気でいたいと考える。今日は 朝7時に健康診断 随分早い時間にセットされたと思ったが 早く始まれば早く終わる。ものは考えようということ。 150年の間に 日本は2度の世界大戦を経験した、そして戦後70年が経つ。 その悲劇を語れる生き証人が少なくなった。  戦後の日本で 外国と比べ 何かが弱いと考えると真っ先に浮かぶのが、教育の中に戦争を語る場が殆ど無いということだと私は思う。国を動かす人達の大半は 自らは戦争になっても 兵隊に召集されるとは思っていない、いつの時代も20代~30代の若者が 犠牲となった。しかし 今は明らかに違う、一度戦火を交えることになれば どこにいても生命の保障はない。いま 教育現場が揺れている。少子化への対応、生き残りに必死、知識偏重で人間教育が後回し、見直しの余裕などなく競争の渦中。
 嘗ての軍国主義を恐れる為に 大人たちが議論を避けているように思えて仕様がない?  様々な情報が止めども無く流れる中で、それを防ぐ手立てを探しあぐねている。問題には真摯に対応するというが クサイモノには蓋をする式の実態が見えてしまうのは私だけだろうか?
 違和感・・・を感じた時 あなたなら どうするか 日本は平和国を宣言し独自の取り組みを模索してきた。この核心を持って議論をするべきで でないと容易に 流されてしまう。
 
『・・・・ 1965年あたりからのことである。民主主義と高度成長をきっかけに、競争か平等か、伝統か進歩か、エリートづくりか全人教育かなどの激しい論争が続いてきた。時には政治的な間に合わせだけのくせに。
 その結果、上級学校の多くは、知恵と教養の座ではなく、デパート化した雑多な知識の売り場となった。・・・・』(日本の教育ドイツの教育)西尾幹二著。グスタフ・フォス書評
 本文第4章で大学都市チュービンゲンを訪れた時の話が書かれてある。それは1980年というから 今から37年前のことである。敗戦当時国のドイツと日本の戦後歩んできた道筋には表と裏の評価がある。例えば 高等教育を受ける人達の数、日本が圧倒的に大学に入る人数が多かった。それも短期間に増えている。敗戦後 両国がとってきた教育課程や制度に差がある。中でも突出しているのは戦争に対する反省とそれを徹底する教育の中身、個の尊厳一つとってみても 本義とはズレた実態をみてしまう。  障害者に対する一貫性に欠けた施策、これを 変えるには 家庭と学校と地域での教育が不可欠となります。我が事 丸ごと・・・・どのようなロゴ?を用いても 言葉に新鮮味と厚みを感じない。それは確たる障害者観が育っていないことが原因だ。 フォスが語った『デパート化した雑多な知識』という問題提起の根拠と通底する。
 社会に蔓延る病因は 悪い部分を切除する外科処置だけでは 根治しない。皆が判っていて 無関心と問題の先送りをしてきたツケが 現実にあらゆる場面において重層且つ深刻度を増し起こっている。『政治的な間に合わせ』とは、その時々の要望に一応は答えるという今の政治の在り方を裏付ける。しつこいようだが核心が見えてこない。
 
 ♪ 希望と言う名の貴方を訪ねて ・・・・・私の旅は終わりのない旅。・・・・・返事のない旅。・・・・・今またはじまる。♪  岸洋子さんのヒット曲『希望』。
 近頃 ”希望”とか”夢”という言葉が目立たなくなったという思いがします。皆が皆 現実的になったのでしょうか? それとも 何か違う理由でもあるのでしょうか? 岸洋子さんは自らの病と闘いながら 亡くなる一年前までステージにたち唄い続けた。低音域のアルトで淡々と歌い、語りかけた彼女に多くのファンが今もいる。
 近頃は”不確実”とか”不透明”という言葉が目立つ。のんびり・・・・ほんのり・・・ゆっくり・・・癒し・・・という言葉はあまり見かけない。杓子定規の人間は 形式に囚われ融通がきかない厄介な部類に属する。今風に言えば ”マニュアル”人間も同じ、事細かに書かれた取扱い説明書を片時も離さず イチイチ確認し行動する。
  視点を変えれば どちらにも長所があるのは 判ります。でも 度を越すと弊害となる。迷った時に役立つ羅針盤が発明された頃 外洋への船出は命がけから、羅針盤を頼り寄港地を目指し 安全な航海が可能となった。それが今では衛星を使ったナビに進化しピンポイントの正確な位置測定が可能となった。それをどう活用するかは 人間が考えること、軍事目的で使用されれば 堪ったもんじゃ~ない。肝心なのは それらの機器を使う側の人間がどうなのか? これは 昔と比べ大差はないのではあるまいか。寧ろ 判断力は劣化したと謂われている。 想像力と工夫、創造と破壊、知識偏重より人間力(愛)への方向転換。
 昨日、昼休みにGHで生活しているDさんが 珍しく事務所に来た。声をかけたら 何か言いたさそう。”一緒にコーヒー飲もうか!”と誘ったら 微かに頷いた。飲みながら話をし 来年のカレンダーとGHのスタッフの勤務表を貰いにきたということが判った。
 そして もう一人Sさんは 合掌と腕をつねる、そして西の方向を指さす3つの一連の動作。 いつもの動きが始まる師走に入った。
 

3117:不可思議

 ”念ずれば花ひらく” 手がかりの無い中 探し求めていると 閃光が走るかのごとくイメージが湧くという経験をされたことはありませんか? 一途に思い続けていると 餌の無い針に魚がかかり 儲けもの? それは 偶然ではない。落ち葉が 気温の変化や雨水、そこに微生物が加わって化学反応を起こし醗酵する、それと同じメカニズムで変化は起こる・・・・・・・。生体の代謝と微生物による物質生産が地球のいとなみの原点。人間力の開眼は 環境の変化に自らを順応させ 変化を続けてきた過程です。仏教は 現実を見つめ 思うように物事はいかないよと間髪を容れず 戒める。今日的な最大の課題は 生物同志が共生する社会と環境をどう守るかということではないでしょうか? 自国ファーストをどこかしも叫び始めれば 秩序は乱れ、妥協点が見つけられず 要求がエスカレート精鋭化 相手を生滅させるまで矛を納めない。これは歴史が繰り返し行ってきた一面かも知れません。
不可思議は数の単位で、10の64乗をいう。(塵劫記) その上の無限という単位は 人間の頭で理解することは不可能だ。帰命頂礼!だから 大いなるものへ身命をささげることを考え 自らをコントロールしようとしてきたのでしょう。その宗教にも一神教と多神(汎神)教があり、少なくとも 2000年の歴史を経て 今日の様に変化してきたと思います。その変遷から 私達が何を学ぶか? 仏教でいう自利利他は人それぞれの生き様から観える、後先 偏りを意識しながら 自分を見つめていく指標です。
 判り切ったことですが社会保障を制度で完結することは出来ません。個の尊厳と共生は 本来水と油の関係、ホンネとタテマエと謂ったほうが理解され易いかも知れません。これに どう切り込むか? 残念ながら そこに 様々な仕組みを作った。 経営学やら社会学、心理学、人類学、宗教学などの視点(理屈)が絡み雑然として 理想とする核心が見えにくくなっている。そして、制度が複雑し過ぎて活用が難しい。これも また 不可思議の範疇だと片付けてしまって良いのだろうか。
 経済の繁栄が安心に繋がるという目論見は 専門家の叡智をいくら集めても 成し得ない。何故でしょう?それは 専門家という人たち自身が”安心”を掴み切れないでいることが裏付けている。
 
 今年最初の忘年会は、いつものように 引っ越し3年目を迎えた成人寮だった。市内の結婚式場を会場にして行なった。退院間もないNさんも参加でき、これで全員集合。
 今年を振り返れば いろんな事が浮かびます。地域と上手くやることは急いでもダメ、普段の誠意ある対応しかない。それを諦めずやってくれているスタッフの皆さんに心より感謝、・・・・・。 それが通じているかどうか? 頭から離れたことはない。このような時期だからこそ 職場の雰囲気は大切、事業所の場所が離れると 普段の交流が薄くなる。これは仕方が無いと言うだけでは何も解決しない。逃げずに向き合うことだ。予定通り 宴が始った。 最初 場の雰囲気が固く これで3時間持つのかどうか?心配した。 徐々に打ち解け 最後には大いに盛り上がった。その功労者は 勿論 利用されている人達とスタッフである。実に多彩な表情と動きに、自然と笑みが浮かんでくる。
忘年会 そして 歳が明ければ 新年会。
    
 気を付けねば マンネリ化という状況に成り易い。その判断は 難しい。 先ず隗より始めよ。取りあえず このホームページをリニュアルしようと決めた。専門業者を選び 此方の希望と最新の使い易さを考慮した提案を貰うことになった。更に並行して 地域の方達も入れた第二次在り方検討会をスタートする。マンネリ化を避け、直面している課題に対し挑戦意欲を高めることを目論んでいる。さ~て 思い通りになりますか! "Where there’s a will、there’s a way”(意思があるところに 道は開ける)。
 「will」と「way」の2つの[w]は その時々に変化しても構わない、要は その中身以前にその姿勢(意思)が重要ということだと思います。それと 創造と破壊、これも表裏の関係でしょうね。
 こんな事を懲りもせず 私は考えている。今の状況は 部屋に籠り 服を何枚も重ね着し 頭上のエアコンをガンガンまわしてコーヒー飲みながら キイを打っている。朝の4時ですよ! オカシイよね!変だよね! 
   ☆ ノーベル賞を受賞した、イシグロ カズオ氏がヘルシンキで日本に向けてのメッセージを送っている。その中身は 我々にとって 実に示唆に富んだものだと思いますが ちょっと調べてみたらいかがでしょう。

3118:豺狼当路(さいろうとうろ)

 ”豺狼の子は、人に飼われても山野を忘れず、慣れ親しまないで、飼い主をも害しようとする荒々しい心をもつ”という。
 だが、世の中は そう単純ではない。慣れ親しまないどころか 必要以上にゴマをすり、忠義をつくすかのごとき人物もいるではないか! 自分は汗をかかず 表に出たがる輩、そうかと思えば 出るわ出るわ 自慢話、ごもっともな事を言い触らし その腹の内を問われれば いつの間にか雲隠れ。
 昨日は 水戸の県立文化センターで ナイスハートフェステバルがありました。障害者の文化活動、私は このイベントに関わり 大分年数が経ちました。思うことは沢山ありますが、今年は 前日雨 当日快晴という 明暗がハッキリした。天は我々に見方せり。好天の下で実施できたことで目的の半分はクリアー、それに どれだけ加算評価できるか?
 笑顔を探すこと、それが加点となる。
 初めて参加した人にとっては どう映る?  加点法でなく減点法で 、これじゃ~ダメだと感じたか それとも こうすればもっと良くなるよと助言する?  こころを揺るがす場を見たか?
 ☆ICANがノーベル平和賞を受賞し サーロー節子女史が日本に向けたメッセージを送った、そこで≪日本政府は一貫性がない≫と語った、長年続けてきた反核活動が認められ受賞式に臨む前日に。 。
 彼女は広島で被爆した。思いを形にするのは 一人の力ではできません。
 豺狼とは 残酷で貪欲、そして極悪無慈悲な人間に例えた言い回し。山犬と狼 彼らは毎日を生きることに精一杯、元々が山や野を根城とし 生きてきた。猫や犬が人間に飼われ、冬、暖を取る必要も無く、餌を自ら獲ることもない。必要なければ自然と忘れ去る。これは 当たり前。
 人間は 地球上で極地を除き ありとあらゆる場所に住処をつくり、生きてきた。 そして 今に満足せず 貪欲に何かを求め続けている。これを 当然の権利だと言わんばかりに 己の利の為に手段を選ばず 突き進む。人工知能とかSNSの価値を過大視、他より一歩前を行こうと遮二無二走り続ける。
 ただ、創造はしたが それを どのように活用するかは 貴方次第。コミュニケーションに使おうが 武器に使おうが そこまでは無関心。
 豺狼が自らの命を繋ぐために 食を求めて山野を駆け巡るのとは 明らかにちがう。彼らは限度を本能的に弁えています。必要以上の食べ物を獲ることはしない。貯めもしない。
 豊さを誇ったり 望んだりしない。人間の直知力は 恐らく このまま進めば退化することでしょう。なにせ 便利さをどこまでも求めていけば どうなるか? 叡智を集め 新たな発見を人類の為に使うとの暗黙の諒解は さして重要ではない? いやいや この事が軽視されてきた危うさを 誰もが感じ始めているのではないですか。
 
 企業や研究におけるデーターの改ざんが問題になっています。世界的な発見に もしも不正があったとしたら その後始末は誰が どうつけるのか?科学立国ニッポンよ!その覚悟はいかに。
 情報や秘密が意図的に漏れ、社会的な責任が問われる時代。内部告発は 告発する側に意図がある。偶然ということではないだろう。
 もし それが組織的な隠ぺいだとしたら 組織の致命傷。
   膨大な情報が溢れる社会の真っただ中  果たしてこの状況を誰が望んだことなのでしょうか?fake news(偽りのニュース)がトランプ大統領の口癖?
 恐らく その攻撃から身を守るとすれば 見ない 聞かない 語るまいと日光の三猿を真似るか 逆により強く相手を攻撃するしかない。 その時に 私達は 豺狼のあの強さ?を持ち得るか。
 慣れ親しまない! 一体何に対して? それと 共存共栄は 可能なのか? どのような 社会のシステムを取り入れても 恐らく 較差が生まれるはず! 共にという意味は 相手も含めてということ 。
 地域共生社会を目指すということに全く異議はない。 けれど その検証は どうするのでしょう? 私が気になるのは そこですよ。 お得意の数字で 示すには無理がある。 そんなに単純では 無い筈です。都合の良い数字を抽出はできるが 人の心はつかめない・・・・・ 
 突然 植木等の♪スーダラ節の歌詞が浮かんだ。スーダラだったホイ。「無責任おとこ」

3119:眼鏡

 東京で開催する研修に参加した。土浦駅に車を置き ホームに出て気が付いた。”アッ メガネ忘れた” 家の どこかに置き忘れ 最近は良くあることだけれど こんな日に限って  
参ったな~! なにせ 最近は 眼鏡無しでは字が読めない。 東京駅でメガネを売っている所をさがしたが 見つからない。土浦周辺のコンビニでは安価なメガネを売っているのだが東京のコンビニには置いていない。5~6軒尋ねたがダメだった。諦め 研修会場に行った。 受付で貰った資料の字が読めない。必死に話を聞いてメモを取る。
 前日に 持ち物を確認すれば良かったのに その日は 用事があってできなかった。
 懇親会のあと 講師の先生とレストランで話をした。その先生は視力が0,01以下だと知った。目が不自由になり 講演を頼まれても会場の反応が掴めないのでとても不安だと言われた。その先生は 話す内容を殆ど頭に入れてある。 真似しようと思っても出来っこない。
 我々は五感を働かせ 生きている。その中の一つでも不自由になると 今まで出来たことが急にできなくなる。これは 誰にも起こり得る。残念だが その備えは殆どの人はやっていない。それよりも 東京駅で京葉線に乗り換えた。その距離の長いのには驚いた。歩く歩道を3本 階段とエスカレーターを使って地下深く どうにかホームに辿り付く。毎日通勤している人達は大変だ! それより 大地震でも起こったら そう考えただけで これは 異常だと確信する。
 
 眼にもいろいろありまして、単眼・複眼・カメラ眼・・・・と構造や機能も多様?また陸棲と水棲でも異なり 環境に順応するために進化した。心眼は別物で これは真相を見分ける心の働き。
 視力減退は 一般的に老化現象と謂われてしまうけれど 生来の視覚障害や何らかの原因で視力を失った方もいます。
 昨日の研修会で 心に残ったことがある。それは 語る方の生き様の魅力度、少しでもその方を知っているのと全く知らないのでは大きく違う。人は言行一致が裏付け これが常識という事である。
 視野は狭いより広い方が良いでしょう。例えが適当でないかもしれませんが 東京駅の構内では、すれ違う人とぶつからない、案内を辿ってホームに辿り付くことが優先される。身近で足元が肝心なのです。
 モンゴルやアフリカの一望千里の広野で方向を探るのとは訳が違います。
 生活介護という言葉に関し シンポジストより問題提起が出された。介護という言葉を変えさせる緊急動議があった、しかし、600名程の参加者の反応は予想以上に少なく数パーセント。恐らく 生活介護という言葉自体が何故問題なのかを理解していない人が多いからだ。これは制度の中味の問題で 制度を読んだこともない人達にとっては 問題以前の問題だ。
 私なりに理解するのは 手段と目的の履き違いを是正したいということ、つまり食事・排泄・入浴の3大介護はあくまで手段で 我々が長年努力した支援の最終目的ではないはずだ、それをこの度の 制度の改正により放棄することはできないという提言であった。 その違いすら認識されていないとすれば 反応できないはずである。
 これが 今のこの国の福祉実態だと認めてしまって良いものか? 残念だが無理からぬ事だという思いも無い訳ではない。それは変化のスピードの速さについていけず 日常業務に追われている現場に余裕が無いという問題があるからです。 この改善は どこの誰が行ない そのことが誰の為になるのか?という根本の事が曖昧で 当に視野狭窄になっていることだ。 
 これこそ 最優先の国の政策課題だと私は思う。経済発展を手段とせず目的化する。これは 共生社会の実現に近づくどころか、 より離れていくように思えてならない。
 一方的に制度説明を何度聞いても 心に残らない。周知出来る前に また変わる危うさ。
 介護問題は 介護を受ける側と介護する側の双方の問題だという 単純明快な理屈を 何故 複雑化し判り辛くするのか、! それは現実に向き合う覚悟の問題で 数字をいくら動かしても埒が明かない。
   
 優れた専門医の診たてに当れば 病状が急転する。Yさんは 尿閉と腸閉塞を起こしてしまい お腹がパンパンに膨れてしまった。朝晩2回の通院 導尿処置を行った。原因が判らず、祈る思い 丁度泌尿器科の専門ドクターに当り 腸に管を挿入し風船を膨らませてガス抜きと排便を促すという。今日までに何度も通院し その都度 3人で押さえて導尿処置を行なってきた。彼は チューブを抜いてしまうのです。その報告を随時受けてきたが 改善の見込みが期待できない。 最後の手段、入院手術を覚悟したばかりでした。処置が 幸いにも成功した。その報告をしたスタッフの声が弾んでいる。先程 Yさんと会ってきたら デイルームに座ってニコニコしている。お腹は凹み 大分柔らかくなっていた。体が楽になったのだろう。
 我々は 大勢の利用者さんとの触れ合いを仕事としている、一緒になって時に笑い 泣き 悲しむ できれば 笑う時間が多ければ それだけ 喜びと感じる。 僅かな可能性にこの仕事の本来の意義を見つけ出す。
  1日前、私はやまゆり事件が風化し始めているとの話を東京で聞いてきたばかり。自立を就労と見なし 働かざる者は食うべからず。優生思想?日本がそんな考えをする国になったとしたら 戦争をも正当化してしまうかもしれない。診たて違いを起こさないように 私達一人ひとりが 命の尊さを真剣に 考えていくことが いま必要だと思います。 

3120:こんな時だから

 

Nさん

 こんな時だから ・・・・何かしないといけないでしょう! やまゆり事件が風化しているとの現地からの声。どうしたの? 諦め感 閉塞感。。。。 世間ではベンチャー企業が派手にPRを繰り返す それを横目で見ながら 多くの人々はスマホに癒しを求め睨めっこ。 日本だけかな~? 同じことが全世界で起こっているとしたら 宇宙人(地球外の生命体)からみて どう写るか!全てが”市場原理””自由競争”という幻影、愚かな人間を見給え!この負の連鎖を止めようがない?
 1970年代の新宿を知っている私には明らかに 街の風景が変わった。変化が早すぎる。 昔 肩を組み 唄いながら歩いた道は黙々と歩く人の群れだけとなる。
 こんな時だから・・・・東京 工事中の大型クレーンが電車の窓ごしから数えると凄い数、これを見る限り景気は上向き? でも 地上数十階のマンション、地下深く張りめぐらされた交通網、 一極集中もいい加減にしないと 災害が起こればどうなるか。リスクは確実に増しているが その対策はスズメの涙。
こんな時だから・・・・・ いま必要なのは 何を獲るかより 何を省くかを考える 真の価値を見出す視点を持つべきだと思います。 マイナス思考でしょうか?
 古いようですが ”原点回帰” という言葉。  原点が何かが判らない者が多すぎますよ。
 境内の大イチョウとモミジ、見事に色づき 多くの人が通りすがりに 足を止め眺めていた。季冬に入り 落葉を纏め 一か所にうず高く積んだ。年中行事となった”落葉焚き” 頃合いを見て颯爽とNさんの出番、彼は私も一緒にやれと言う。皆が手伝ってくれるから できること それでも燃やし終わるのに10日はかかる。
こんな時だから・・・・・・・。規制緩和は 経済活動の活性化となりうるか。気が付けば タケノコの如く次々に 収集つかずの大混乱。不正をも緩和するとは思えずが・・・・
こんな時だから・・・・・・。 GHのスプリンクラー設置の一期工事が終る。一部 翌年に廻し どうにか期間内設置へ見通しがつく。制度は複雑で何を優先するか判らない。消防法それとも水道法?
こんな時だから・・・・・・。今年車にドライブレコーダーをつけた。それとハンズフリー通話のブルーツウースを設定した。付けたは良いが うまく使えない。
 あれも これも と目移りばっか、Nさんは 衣装もち。「そんなに いつも違った服をきて 衣装もちだな~Nさん!どこにしまってあるの?」と尋ねたら ≪タンス!≫の一言。少々 気を悪くしたか  彼から頂いた今着ている服は ヒョットしたらタンスに入りきれない服だったかも?  そこは礼を失すると 聞くのは止めた。
 サテライト・・・・GHから2名の方が アパート生活に移る。以前からご本人が望んでいたことが やっと実現の運びとなります。
 報酬改定の速報が入った。政府決定で障害関連全体で0.47%のアップ、前回が現状維持だった為 その時に下げられた介護関係から羨まれた。今回は障害の報酬が下げられるのは必至とのことで 障害関連25団体で参議院議員会館で集会を開き要望書を渡した。 それが今回の決定に何らかの影響があったものと受け取った。
 こんな時だから・・・・。建築単価の高騰、土地の手配、人材の確保、・・・・・・。課題山積の中 様々な思惑が入り乱れ じっくり腰を据えて臨むことが出来にくい。ここにも手段が目的化している実態をみる。福祉は なんの為、誰の為が後付け感がする。
 こんな時だから・・・・・。嘗ての制度が無かった時代 熱い思いが有った。それから制度が徐々に整備されて 何かが変わった。誤解を恐れずに自戒を含め 見栄や綺麗ごとが 実態をうまく蓋う力が上位に占めるような世相に変わった
 

3121:底力

 都合が悪くなると 止めてしまう、他が良く見え 転々と渡り歩く、自らを正当化したいのは 判らないでもないが 度を弁えないと ・・・・・。
 上三段のお二人は 通勤寮からGHへ移った方達で今お菓子店と介護事業所で働いています。一人は20年同じ職場に勤め もう一人は 自転車で介護のお手伝いをしています。
先輩では 結婚をして立派に家庭を守っている方もいる。彼等に共通するのは ”底力” ガンバリの強さです。一生懸命な姿を見て 自然と周りが助けてくれる。
 こんな話をすると ”それは 違うよ 能力が高いからでしょう”と謂われてしまう。 それだけじゃない!私が気になるのは ”本人が目立たず 支援者が目立つ”こと。これはマズイ。そうじゃ~無いだろう!
 今日は 97歳のお婆ちゃんの葬儀がある。数か月前だったと思う。入居している介護施設からご本人から私に直接電話があった。二人の子供さんを既に亡くし 自分は どうしてこんな目に合わねばならないのかと話していた。 ”和尚さん 迷惑かけますねエ!後が心配だけれど 宜しく頼みます”  ”大丈夫、心配しないで・・・・” そして 電話が切れた。
 その後 体調を悪くし 入院し その病院で息を引き取った。
 お婆ちゃんは13歳の時に母親を亡くし 弟たちの母親代わりしてきた。結婚後ご主人を早く亡くし 子供達と食堂を初め 働きづめの一生を送った。頼りにしていた子供さんが長い闘病生活の後に先立った。
 家族葬のあと ご主人や息子たちが眠る墓に埋葬される。
 ☆ 人生を振り返る時 私達は 何を思うでしょうか? 一人だけでも 良いじゃないか 頑張ったね と言ってくれる人がいれば ・・・・・。もし 居なければ 自分だけでも。
   それが”底力”
 ”母は波乱万丈の生涯でした。”と 喪主が語った。
 気丈に明るく 会えばいつも笑顔を絶やさず 振る舞っていた。その面影だけが今も残っている。1世紀にならんとする お母さんの娑婆世界! 最初5人だけの家族だけで葬儀を行いたいという話だったが20人近い人達が見送りに来てくれた。
 今頃 彼岸で夫や子供達と何を語っているだろうか? 仏教説話を今時 信じている方がどれ程いるか判らない。でも 日本人の心の深層に願いや祈りとなって残っている。 本来の≪働く≫の意味は ≪人の為に動く≫ということ。 身命をささげ精一杯生きたことは 後の世に必ず花ひらくと信じたい。それが 両手を合わせるという本来の意味。
 納骨の帰り道 寒風の中 グループで散歩しているYさんを見かけた。彼は1週間前 生死を彷徨っていた。私にはそう感じた。尿閉と腸閉塞 原因が判らないから最悪の事態を覚悟した。二股の分岐点で 生きる道を選んだ。そこには彼を救いたいと願う人がいた。
 福祉事業・・・・・・流行を追い求め 他より一歩先を歩みたいと画策する人が大勢を占める世になった。此処に 先代が掲げた”共生”とは相容れない危うさを観てしまう。その危うさが何かを自分で探せというのがら私に与えられた命題だと やっと感じる年齢に至った。
 ★ 大正1ケタ生まれ。この年代の人達の苦労は今の人達にはわからない。第一次(1914)~第二次(1945)の世界大戦 ヨーロッパから起こった国家総力戦。
 競争することで進化するという考えは 危険だと思いますね。「競争」でなく 「共生」だ。実際には民主主義の解釈が様々で、法の支配・自由・自治・平等など時代と共に変化する、その歴史を遡ると古代ギリシャ時代、寡頭制に対し起こったという大衆による政治形態、その間 どうですか 戦争や革命が地球上のどこかで起こってきた。意思決定を人民の手に委ね主権在民とする。思想・理念・運動 そして人種や宗教が絡まって 民主主義そのものが進化?否  多様化した。
 嘗てのナチドイツさえ”戦う民主主義”という概念に入っている。 
 大言壮語・・・・教科書的な御託を並べるつもりはない。現実に目の前に起こっていることに向き合うことさえ 儘ならず、中途半端で不完全燃焼の日々を送る。2017年も10日を残すのみ、大晦日の夜の準備は 掃除 掃除 掃除。
 強風で最後の葉が落ちたかと思えば 豈図らんや 杉は常緑樹、枯れない限り 永遠に・・・・・。モミジやイショウは冬 葉を落とす。その間 休んで 春をまつ。
 人の一生のメリハリは 誰しもがもつテーマでしょうし 僧侶は 其れに向き合うこと、葬儀が終わると言い知れぬ脱力感にいつも襲われる。
 葬儀の在り方そのものが変わり、簡素化されたこと以外はみな違う。幕を引き 時代が変われば その人の生きた証も記憶から薄れるのは仕方が無い。
 ある方から 先代の書いた『共生』という字が欲しいと頼まれる。あちこち探し回ったが見つからず。記念碑にあったことを思いだし、拓本にとることを考えた。ネットで拓本の取り方を調べ ジョイフルホンダにいって 拓本用の画仙紙と墨を買ってきた。見よう見真似で始めたが 深彫りだから 紙が破けてしまう。厚紙だと凸凹が出にくく。。。。悪戦苦闘の末 どうにか拓本にした。
 共生という字とこんな形で向き合うとは 思いもよらず、創設61年の歩みを振り返る 良い機会となりました。(感謝)
 

3122:感謝

 我々は考えた。体を動かすことが どれだけ大切かを。 貴方自身を考えれば判って頂けますね? 老化を最初に感じるのは 記憶の衰えでしょうか。いや 違いますよ。日常の動作ですね。節々の痛み 今まで楽にできたことが できなくなる。こちらが先ではないでしょうか? 欲しいものを手で採れる。それは 食事の時 気付きます。便秘や頻尿、これだって 若い時には考えもしなかった。日常の当たり前のこと、それが 徐々に難しくなって自覚する。
 そこで 日課の中で体を動かすことを なるべく取り入れた。プログラムの基本がそこにある。幸い 雨天時以外 車の通りが少ない畦道に恵まれた環境だから ウヲーキング。効果は心と体に現れる。生活習慣は注意しないと悪影響、肥満や筋力低下、屋内でも可能かもしれぬが 自然の中では数倍の効果を齎す。そして 集団行動がいつの間にか身に付いた。
 そのような地域環境に感謝!だから 恩返し。袋片手にゴミ拾い。ゴミが無くなれば捨てる人も減ってくる。共働効果。
 マイクロバスに箒と熊手を載せて 観音寺に通う 作業班。引率は二人 共に女子スタッフ。バス運転 と軽ダンプ。 手際よく 落ち葉を集め あれだけあった落ち葉が見事に無くなった。感謝!その後は Nさんと私の出番、頃合いを見て
 燃やす仕事が控えてる。
 自分達で出来る事、これを業者に頼んだりすれば出費が嵩む。あまり機械に頼っても どうだろう? マヒを起こした機能をリハビリで元に戻せれば良いけれど 其ればかりではないんです。
   便利さと不便さは表裏一体という視点も時に必要だ。 歩く歩道を 誰が考えた? ラッシュ時 早足で皆が皆 歩くから その速さは 相当なもの。あれで 誰かがコケたら 事故になる。ついでに 自動回転しゴミ集めする便利モノ?
 邪魔になるモノが無い処だったら良いかもしれない。そもそも モノが無ければ汚れまい。??????
 薩摩イモを頂いた。落葉焚きには焼き芋が定番 。腹が減ったら 食べ もよおせば出し 眠くなったら寝る。この単純性が 実に良い 感謝!
 2日間にわたる定例監査があった。一日目が県から6名、二日目は市から3名、法人側は20名強のスタッフで対応 一か所で実施するために 該当する年度の書類を持ち込んで準備万端 整える。・・・・が 途中何度も資料探しに戻るのは常の如し。年間の業務内容と備え付け帳簿は ほゞ決まっているが それでも 予定外の改修工事などが毎年入ってくるので 新たな事務量が増えてしまう。書類により保管年数が決まっているが 監査でもないと お蔵入りとなり 後で見ることは殆どないものが大半である。
 倉庫はいくらあっても足りない、入れ替えを定期的におこなわないと溢れてしまう。
  最近 法・政省令の改正が頻繁で 注意していても 時期がずれたり抜けたりする。
 口頭と文書で改善個所の指摘を受ける。法人全体で内容を確認し 事業所ごとに 具体的な対応を練っていく。
 
 近年 不正や虐待、様々な苦情処理への事業所の対応が監査の重点になっている。正直に有りの儘に伝えることが そのリスク軽減と解決につながる。事業所が多くなれば 周知徹底が難しくなる。勤務が複雑化すれば 尚更、日々の流れのなかで 抜けがないかどうかのチェックが増す、問題の先送り等々 これら課題への対応は根競べ。 ・・・・・・。無理と矛盾。
 当たり前のことが できないことがある。それは 慣れからくるのか ? その判断次第では 社会的制裁は必至。その責任への覚悟 全ての業種に通底し この国全体に暗雲が垂れ込める。人のふり見て我がふり直せ。自戒の日々が続く。
 
     監査会場
(1日目)

 
 年の暮れ、急に寺が忙しくなりました。7日連続の檀務が入る。 園の監査が終わり ホットできるかと思ったが ・・・・・! 風邪のシーズン到来 周囲で体調を崩し 休んでいるという話がボチボチ入ってきました。 坊さんは 経を読むのが生業 シャガレ声で クシャミがとまらなければ 礼を失することになりましょう。
  
 ”明日への言葉”で 淡路島で製塩業を行っている方の話を聴いた。37歳とまだ若いのに いたく感心させられる。彼は相手に喜んでもらうことが仕事の遣り甲斐だという。海水を汲んできて3つの釜で薪で沸かし塩を作る。こんな若者がいるんだと 正直驚いた。彼がいう 生業(なりわい)とビジネスの違いに共感、相手と向き合い話をじっくり聞く、それが難しい世の中になったとサラリーマン生活の自らの体験。数字に追われ その数字を改ざんしてまで 収益をあげようとする企業、その事に対し どう思うかと尋ねられ 即座に答えたのは”無理と矛盾”。
 自分は組織(会社)を大きくするつもりはないと断言、心が通じ合える仕事ができない。今は多すぎる情報に囲まれ 自分に向き合う時間が持てなくなっている。経済の豊かさを表わす数字だって 良い様に改ざんされているかもしれない。淡々と出てくる話は彼の生き方が裏付ける。 見よう見まねで始めた塩づくり やっと 収支が黒になってきたそうで 派手さは無いが今の時代の先を生きている。
 こころや感覚を軽視し過ぎた社会が何を齎すかを真剣に考え生きている。安心×不安! 豊かさ×無駄!生業としては塩づくりでも何でも構わない。自分の場合はたまたま塩を作ることだったと振り返る。
 淡路島の海水も世界中の海に繋がっていると語った。その自然の恵みである海水に対し 海水が喜ぶ温度を探し続けることを宗とする。それは 当に仏教の自利利他の教えに通じ 究極には 世界の平和に繋がっていく考え方だと思った。
  

3123:代案・妙案

 代案・妙案は諦観に通じる道、少々 固い話で恐縮です。仏教で四諦を説く、苦集滅道の4つの諦(たい)、諦の意味は真実、原始仏教経典で説かれた。迷妄の世界から証悟世界へ導く教え、仏陀が最初に説法した内容だとする。(初転法輪)
 近年 こころの病が大きな問題となっています。几帳面で真面目な方が陥り易いというが 私には 納得できない。恐らく 思い通りに行かないことに自分を責めてしまう。堂々巡りとなって 先に進めなくなる。これって 当たり前だと思えば良いのだけれど それができない。仏教は現実は迷妄だと断定する。これが真実だと諦めることが大切だと説いた。
 そこで どうすれば それから脱することができるか 八正道を説いた。そして 目指すは 浄土 the pure land ・パラダイス。
 これ位で止めます。ここでは代案・妙案を考える力を養うこと、はっきり言って マニュアル重視の社会が これを出来にくくしています。 何故 こうなったのでしょう。地球上で 日本人が世界でトップだと思ってしまう。緻密さと正確さで 確かに優秀な製品づくりを成し遂げる。立派?優秀? これを 自分が成し得たと錯覚、そうでなければ 自分もそれが出来ると誤解した。浅はかな料簡ですよ。
 画一主義を勘違いした。 ”個の尊厳”というもう一つの価値観と矛盾?背中合わせなのに・・・・ ここに迷いが生れる。大体 思うように行くと考えること自体が間違いで 求不得苦(ぐふとっく)、そこにリセットできる人は 代案を考えることが出来やすいと謂われます。
 園の行事でクリスマス会がありました。お寺でクリスマス?  プレゼントをもらった皆さんの笑顔 これ理屈ではない。大勢の中には 喜びを素直に出せない方もいらっしゃる。それで良いんだよな~!平和を望まぬ宗教はハッキリ申してありません。
私は若者に夢を持ってもらいたい。
 除夜の鐘 合掌し 鐘をつく。 そこには 祈り・願い・夢がある。 私の願いは 正直に言います。・・・・2018年 年末ジャンボ宝くじの一等ゲット・・・・・。もう何度も夢をみました。 ??????
 余談ですみませんが天国の英訳で  the promised land というものがあります。約束された or 望みある場所という意味。
 東京での葬儀があり、一泊で無事帰ってきました。40年ぶりだったでしょうか 昔の西巣鴨周辺とは 全く変わっていました。中仙道は道路が3階層で 車が通ると揺れを感じる。正直 恐ろしかった。斎場から宿のアパホテルは徒歩で7分と聞いたが 全く方向が判らず 夜なのでタクシーを頼んでもらった。板橋駅周辺は 下町情趣が残っていると思ってはいたが 街並みは変わり果てていた。
 東京での高速道の運転は性に合わない。何せ高所恐怖症?なので 腕に力が入り気分が悪く 疲れてしまった。帰りは小菅JCまで大渋滞でノロノロ運転のほうが 気が楽だ、それだってナビが無ければ どうしようもない。誘導されるままに 三郷まで来ると急に体の緊張がとけた。
 正直 なんで こんな都会に住みたいのか 改めて疑問がわく。目に付くもの全てが無駄と思ったぐらいです、お金が懸り それでいて 癒される空間がない。
 慣れは恐ろしいよ。
 新年へのカウントダウン 日本列島は記録的な寒波に襲われる。日本海側は暴風雪、方や 太平洋側は異常乾燥注意報、そして間も無く帰省ラッシュが始まる。私は 一年を振り返る間も無い ノルマを果たすことで 年明けとなるだろう。
 67歳 今も現役まっしぐら お蔭さまで 。そして 気をつけろ!  知らぬ間に 心が荒んで 周囲に迷惑を。
  ☆  葬列で 母娘の溜息が 亡き父への 贈り物・・・・・・・落合斎場にて。
 
 暮は気忙しい、大掃除は定番だけれども 強風は容赦無く 一瞬にして 新たな落ち葉を落とす。世間は仕事納めで長期休みへ 。でも 休み無く 働いている人達は大勢いる。このシステムを我々は選んで今がある。
 だから 止めようとしても 無理、否 その発想がない。 新幹線の台車に亀裂が見つかり 大事故に繋がる前にどうにか発見された。速さと正確さを売りに 国内を縦横に走る新幹線、その恩恵をえている地域とそうでない所の較差。
  今年一年 振り返り 浮かぶのは 様々な疑惑と不正事件、これは政官財学  例外なく起こった。その後 どうなったかの報道は あまりなされず、時間と共に記憶から忘れ去られる。
 この世情を”無理と矛盾”と断じる方がいる。図星! 無理を承知で進化を繰り返し、その置き土産は”矛盾”。そして言い訳が 更に矛盾を増す。このまま進んでいいのですか? これは 決して後ろ向きな考えではありません。起こってしまったら その時考えれば良い式か???日本には無数の活断層がある。過去約百万年間にずれた痕跡があり 将来ずれる可能性が高い断層。活断層の上で起こる地震、それは遠い将来のこと? 今年、九州で起こった。畑にハッキリとのこった地表の割れ、誰しもが 地中で大きなズレが起こったことを理解した。この地震は 物凄い破壊力があるという。
 思い出すのは ダウインの種の起源 環境に順応したものだけが種を残すというもの、果たして いま 日本が活路を開くという名目で進める様々な技術開発と都市機能充実への投資、地下深く 空高く 人工物を作り続ける。
AIやらロボットを駆使したところで それをチェック コントロールするのは 人だ。豊さ繁栄を謳歌する者がいれば それを憂うる人もいる。地球の歴史は その較差に堪える限界(レッドライン)を超えた時に悲劇が繰り返されてきた。
 流行を追い求め 真義を見失うより 他に 価値を見出す生き方を!足るを知る価値観の創生を。
 ☆ 原発の再稼働の議論。都会の夜を耿々と照らす明かりも 国内消費電力総量の一部。これをムダと感じるか否か 知識でなくて智慧として。マインドコントロール と 情報操作は悪智慧に勿論はいる。落日の大観!

3124:不の価値

 足るを知る。これは節義ですね。何を大切にするか こう問われた時に さて どんな答えを貴方は持っていますか? 今は 諸科学の分化・独立が止めども無く進んだ時代だと謂われます、世界や己の人生に対し 、認識・倫理・存在などの根本の問題が問われるのです。哲学は ギリシャ時代から変遷を繰り返し 時代によっては その問いかけ自体をも価値の無いものとみる事がありました。2016年7月26日 やまゆり園で起こった26歳の元職員による 重度の障害者大量殺人事件は 1年半が経過し 果たして何が判り 変わったことはあったでしょうか? 私はどうしても ここに 現代の歪をみてしまいます。犯人を断罪すれば すむ話では無い事は誰もが感じている。しかし、所詮は他人ごとで 何をすれば良いのかが判らない。
 『共生』をあえて 今 掲げることの意義、ならば 今まで この国は世界や社会の共生実現を軽視してきたのでしょうか?政官財学,メデアを含めて それぞれが あまりにも己の利にばかり走り過ぎてきた結果 核心のない社会を知らず知らずのうちに構築してきた。少なくとも加担してきたのです。そのことが あの事件を1年も経たない内から風化させている 証ではないだろうか?
 不の価値は負の価値ではない。我々が良かれと考えそこに価値を見出してきた事を一度白紙に戻し 他に何があるか?を再考してみてはどうか!この疑問に意義を認めるべきだということです。この事件の後 私は糸賀先生の遺された『この子らを 世の光に』という言葉を繰り返し考えてきました。あの時代 恐らく『共生』などという言葉は一般社会で騒がれることは無かった。殆どの国民が 戦争の悲惨さを記憶に残していたからかもしれません。戦後70年という時の流れは 復興繁栄の裏で新たな問題をも生み出した。この国は 哲学というより実証の基準に数字を重用しすぎている。見なさい! 世界に誇る 日本のトップ企業が内部告発(?)により 長年の不正が暴露され 白日の下に晒され 謝罪、これだって数字の辻褄を合わせる為の愚行としか思えない。
 情報の氾濫とグローバル化が自走を始め 止まったり 引き返すことなど できない時代に突入した。日本の借金が 既に1万円札を重ねて その厚みが何と成田からロンドンまでの飛行距離以上になっている。恐らく 自らを国の牽引者だと自認するリーダー達に その自覚がない。これで 若者に夢を語れ!というのは 無責任の極みだ、 ”不の価値”という言葉しか私には浮かばない理由である。
 ☆ 世間と同じように 尚恵学園も冬休みに入りました。既に実家に戻った方達もいます。でも 帰れない人達・・・・・・。この子らに 世の光をでなく この子らこそを 世の光に と語り続けた先哲の真義、この飽くなき探求こそが 今のこの国に必要ではないでしょうか! 2017年の締め括りです。
来年も宜しく お願い申し上げます。住田福祉拝

3125:謹賀新年

 2018年 新年明けましておめでとうございます。快晴の元旦を迎えました。
 ウインフィルのラデッキー行進曲を聞きながら 気分の高まりを感じこの項を書いています。 今年一年のスタートに燃えるものを感じています。 それは 何事にも 諦めず 誠意をもって 向き合っていこうとの昂揚感、途中で挫折しないように少々控え目に 静かなる闘志を心に留めてという思いです。皆様にとって 良いお年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
 何事も己の想いから・・・・喜びも悲しみも 涙腺が緩むのを 年齢の所為にして 恥じることなく 向き合って参ります。怒りや妬みは 相手への感謝の念が屈折している証、・・・・・・。このような気持ちになったのは 初めてです。
 誰も 不幸を望みはしない。どのような環境におかれても 必死に己の望みを果たそうとします。昨年は”無理と矛盾”ということを 考えることが 多かったと思っています。 社会を悪者にし 自らを正当化するのは 間違いだと思っています。
 どんな小さな事であっても 感謝をもって 生きる事 これが 日本人が先祖から引き継いできた智慧だと思います。 背伸びして高く見せようとしても 所詮 見せ掛けの域は出られない。それが ”無理と矛盾”に対する仏教でいう”知足”の教えだと確信します。諦める。これはギブアップではなく 真の姿を明らかにする力だと謂われます、この国の抱える様々な課題は その力の衰えから起こっていると思います。過信や見栄は 真実を覆い隠すことに何の疑問も罪悪感も感じなくなるという。一時の繁栄や立場に 浮かれ 道を誤れば 一瞬のうちに 奈落の底へ 落ちて行く。この道理を なぜか 皆が語らなくなっている。
  それが何かを これからの人生のテーマとして 探し求めて参りたいと思います。 

 ”やさしさ 思い遣り”という言葉を素直に受け取れぬものがあるとしたら 何故にそうなったか? 国・人種や宗教、主義信条の違いにまで原因探求を拡げずとも 身近な問題として。 私は 長年 障害福祉と仏教の中にその背景を探って参りました。その事は決して間違いではなく 今後も続けて参ります。その事に違和感が無かったかといえば 嘘になります。障害福祉を問う前に人間福祉があるとの確信。同じ思いを持つ仲間を探し求めてきました。 老若男女の違いではなく 今の時代に共感できる仲間探し・・・・・・。
 それは 何度も障害者同士での差別の実態を見た時に 人間の本性を観じたからでした。自分自身だって その感情が無いかと言えば 嘘になる。そのやましさが いつも 罪悪感と懺悔の念となっていました。 
 例えば 普段の生活の中においても 道ですれ違った時にお互いに挨拶を交わしているでしょうか?何も 都会の混雑した道でなく 境内道路という限られた処、犬を連れて連日 通る方の中に 決して挨拶をされない方がいます。トイレを黙って使っていく 通りすがりの人、公道だから自由に使うのは構わない。でも 良く見ていると 境内で立ち止まって排泄するワンちゃんが結構います。 ダメとは言いませんが せめて 挨拶ぐらいはできないものでしょうか~。
 逆に 中学生が自転車で大声で挨拶をして通り過ぎて行く。≪こんにちわ~!≫  この差は一体どうして? 拘りでしょう 気になって仕様が無い。
 この国の危うさは 端的に謂って 教育の変容に起因している。家庭教育しかり義務教育もそうです。自由と権利を教えることも良いでしょう。だが それだけで良いのでしょうか? 知識偏重の教育の弊害が ここにきて大きくなってしまった。較差拡大を助長こそすれ  ”やさしさ 思い遣り”というお互いに助け合うこころを失っている。
 これは 後戻りできません。世の中の不安(経済・政情)を逆風と捉えるどころか それをチャンスとばかりに利用する輩が増えすぎた。人生の勝ち組負け組を一つの物差しで測り 巧妙に誘導する。この誤りにいち早く気付いて欲しい。
 ☆自利利他⇔共生 ← 無財の七施。

”経済優先の罠” 最優先の課題が”お金”という事が 何の疑いもなく メデアは勿論 その種の専門の方々が得意がって語る。 世界の脅威や不安に 強引に結びつけ理論武装した、そんなトーク番組がありました。6~7名いたでしょうか それぞれが自分に都合の良い議論をするものだから 何を謂わんとしているのかサッパリ判らない。この新春企画は明らかに失敗! 出演者に共通することは 皆さんが マスコミを利用し ”お金”を得ている受益者。その目的達成のためには 自論を変えることなど屁の河童! 即 スイッチを消した。
 無財の七施は クドクドしい理屈なし。単純で判り易い”施し”。六波羅密の布施行を具体的に説いた七つの行為。これは お金が無くてもできる実践です。
 福祉=慈悲という観念とは 無縁となってしまったのでしょうか? 誇らしげに語られる日本型経済のシステムには この考えは馴染まないのでは なかろうか? 社会保障は国の支出総額では測れない 。それに気付いた人達が 納税者への説明責任で考えた。それが無財の社会貢献、しかし 株式会社をも参入させたから 何がなんだか判らない。 民間会社にも 無財の社会貢献を課せる気か。そんなことをすれば 雲散霧消し担い手がいなくなる。 これがルールの筈である。
 私の見解では これこそが ”構造的な矛盾”ということだ。この程度の発想しか無くて  実態との乖離をどう説明しますか?この片手落ち(罠)を 世界から見抜かれていることを何故判らない?
 そんな時間など無い、直面する問題に直ぐにでも対処すべきというのが私の結論、 その中には財無くしてもできることがある筈、その智慧を皆で考えることではありませんか。
 ☆構造的矛盾→ 国として天文学的な借金を返す手立てもなく、ODAとやらに多額の出資、よもや 武器輸出への代償ではなかろうに???この疑問への明確な説明責任が最優先であるべき! 数字の変動に一喜一憂することより 将来に負を残すのではなく子供達に夢を託せる為の、国の核心を衝いた議論をすべきだと思います。

3125:振り返れば

 ” いま 何故絵本か?” 1/5日 NHKラジオ「明日へのことば」で『母ちひろのぬくもり』の著者松本猛が母を語った。
・・・・・平和を願い、子どもを愛し、一人の芸術家として生き抜いたいわさきちひろ(1914~1974)を、母親として、画家として、ひとりの人間として見つめる・・・・・ 
 生活のスタイルがちひろの時代と大きく変わった。 今年はその母親の生誕100年にあたる。没後44年を経て息子が 振り返る。 効率化とスピードの追求の時代、その華々しさの裏で 様々な不具合を経験している現代人。IT化がどんどん進む中で いま密かに絵本の価値が見直されている。 拠り所としての家族の機能が劣化した要因に 幼児期の親子の触れ合いの喪失をあげる専門家は多い。否定はしないが それが全てではない。 親子の信頼の大切さを認めながら どう築くかが判らないのが本音。私は電子書籍なるものに全く関心が無い。絵本は 親が子を寝かす時に 一緒に布団の中に入り、読んで聞かせたものである。そこには 話の内容とは別に 安心やぬくもりがある。
 私が障害福祉に関わり 最初に思ったことは五感の不思議さでした。障害無く育つことが 当たり前ではなく 奇跡に値することだと判った。実際は 健常な人との関わりしかなく 障害を持っている人を知らない方が多い、日本の障害関連の法律が作られたのは遅く 戦後の傷痍軍人への救済が発端でした。
 1950年 私は寺に生まれた。   お寺には親元から離れ一緒に生活している人達が徐々に増えていく。 その人達に 障害があると気付くのは 後になってから。当時 「母ちゃん・父ちゃん」と呼ばれていた父と母が亡くなり既に20年以上が経つ。時代と共に 大きく変わった。いまはどこでも事業所が増えて 競争が激しさを増し 生き残りに必死という有様。 様々な工夫(マニュアルやHPなど)が用意され 人材不足を補うために介護ロボットや外国から働き手を迎える時代になった。
 おそらく これは 日本だけの問題ではない。最近話題にあがるSNS疲れという新たな病気?
 情報を得るために、昔は回覧板を廻した。 私の住んでいる地域には今も回覧板が残っている。有線放送、これはさすがに無くなったが 一部 緊急放送するためのスピーカー設備は残る。
 周りを見廻し 変わったものが殆どなのに いぜんとして変わらずに 今も残っているものがある。
  それを 薄々感じている人がいるはずなのに 流行に乗り遅れることへの不安か 無防備に受け入れてしまう。
 方や 本能的に 頑なに守り続けている人達もいます。その人達と接することで 私自身が救われたことを 沢山経験させて頂いた。
   
 正月休みが終わった。普段の日課に徐々に戻る。GHのメンバーで 帰省しなかった方も元の寮からそれぞれのGHへ帰って行った。
 テレビでは 休暇を利用し 海外で過ごした人達の帰省ラッシュ 日焼けし 大きなトランクを台車に乗せ 明日からの仕事に充分な気分転換ができたと語る。良いな~。羨ましいよ。そして 新年早々 株価上昇のニュース、ご祝儀相場かどうか知らないが 我に関せずで 好きでやったら!という思いのみ。
 そうだ 年末ジャンボどうしたろう? 夢が散るのは 遅い方が良いと まだ確認せず仏壇の中。仏さま どうか よろしく お願いします。
 いつまでも 振り返ってはいられない。
 仕事始めに 昨日は事務局と一緒に県に新年の挨拶まわり、出たり入ったり 慣例行事、当然 留守の方もおり 置いてきた名刺が 何をか語る?
 1月7日から始まるNHK大河ドラマ『西郷どん』 西郷隆盛という 明治の幕開けの立役者の意外な一面が紹介されていた。 嘘かホントか 3番目の女房になった女性を≪豚姫(ぶたひめ)≫と紹介した。
 これって 差別語じゃないの????? ま~良いか、忖度なんてことで ああだこうだ謂っているより 当時の人には 潔さと覚悟があった。
 アマゾンで『南洲翁遺訓』を注文したが 品切れ、西郷隆盛のドラマ化が影響したのかどうか? 焦らず待つことにした。
 時代の変わり目に登場した人物は 言い知れぬ人間味を感じるものです。歴史上、アイデアマンを数えたら切が無い。けれども行動が伴って初めて真価を発揮する。 その条件を満たした人物となれば 数は限られてしまう。時代を動かした人物には 敵でさえも感服させる力を備えていた。(酒田に西郷を顕彰する南洲神社がある。)敬天愛人  これは南洲が51歳で城山で自刃し 逝くまでの生き様である。いま 何故 その遺訓に脚光をあびるか? 国民の多くに 煮え切れぬ不満が貯まっている証とみる。良き国のリーダーには自らを誇らずとも良き直臣が集まった。敬天愛人 を今風に読めば どうなるか おそらく 秘密めいた なにか 良からぬ意味に取られるかもしれません。自らが良いとこ取りし 保身を優先するようなリーダーには どのような所信を表明しても大衆の心は動かない。
 誰しも このまま行くとは思っていない。その意味で2018年が 分岐点となるか。
 ☆いわさきちひろ記念館と南洲神社 比較は無理、共通するものは 後の世に その人の想いがどう伝えられるか? ということだと私は思う。
 

3126:親離れ子離れ

 8日は成人の日で祝日、7日が日曜日だった為 1日早く成人式を行った所も多い。2011・3・11に起こった東日本大震災の時 小学生だった若者が成人式を迎えた。あれからもうじき7年目になる。時間の速さは振り返ると瞬時。家族や友人を震災で亡くされた人も多い。その人達の思いは ?一時もあの惨事を忘れたことはないだろう。TVのインタビューで成人を迎えた女性は、犠牲になった友の分まで 長生きし 地元に残り 復興に協力したいと語った 。
 時間が過ぎる。記憶が薄れていく。 あの後 何が変わっただろう? そんな思い馳せる人が全国に大勢いるに違いない。

 昨日 葬儀が終わり帰宅する車から 児童養護施設の庭で6~7人の子供達が自転車に乗って遊んでいる姿を見た。男性職員が 一人 子供達の間に入り 乗り方を教えている。
 その施設と私の所は ほぼ同じ時期に開設した。種別の違いもあり、普段の交流はないが 思うことはいろいろある。 家庭の事情によって親子が別れて生活する。福祉は それぞれの法制度により 成り立つが 原点は同じなはず。
 児童養護施設は 児童福祉法に基づき 大きな変更がなされず 今に至る。一方 障害関連の事業は 法制度が細分化し 内容が複雑になっている。
 
  親離れ子離れということ 個々に事情は違うので 一概には言えない。入所から地域へ なかなか地域移行が進まないのは 事業所側の問題か?或いは 地域側の問題か? ゆるやかに 変化をしてきたが 未だ 充分とは言えない。 やろうとすれば それを阻む要因が頭を擡げる。我々の課題は それに どう向き合ってきたかと今後どう進めて行くかということに尽きる。
 元旦より1週間が過ぎた。私は毎日 園に顔を出している。 暮にメンバー達と顔を合わせた時 彼らの訴えるような視線を感じた。 正月休みで家庭帰省した人たちが帰園した 皆それぞれが 気持ちの切り替えをしようとしているのが判る。
 現実に 園で正月を過ごした方も 一時帰省した方も 思いは同じ。
 
★ 不条理? 矛盾? ・・・・・・1960年46歳で事故死したカミュ、彼の文学的営為は 病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義・・・・・人間を襲うあらゆる不条理な暴力と闘った作家と評される!、
もう半世紀が過ぎて記憶はオボロゲ。私が 物見勇んで挑戦し 敢え無く挫折した作家だった 。同級生で鹿児島から3浪し入学したSと良く語り合った。彼は カミュを学びたくて この学校を選んだと謂った・・・・その言葉を聞き 即 世間知らずの自分を思い知った。
そして 私がどうにか卒業させて貰った テーマに選んだのが バルザックの「人間喜劇」だった。 この二人には100年の開きがある バルザックは1800年代、カミュが生きた時代は 二度の世界大戦が起こった劣悪な時代、彼の作風も然もありなむと納得 この二人に共通するのは おそらく 二人とも 自分が生きた時代と真剣に向き合ったことだ。それが後の世に 今もって生き続ける文章価値だろうと思います。
 
 文章の力を過小評価していませんか。容易に数百年をタイムスリップ、意識せず 我々はその恩恵を得てきた。俳句や短歌を楽しむ人が増えている。皆さん 挙ってお元気! 俳句・川柳は575 短歌は57577 と定型があり、季語や切れ字、口語体か文語体の違いは あるが 脳のリハビリには 効果大。皆さんも 挑戦したら如何でしょう。紀貫之や良寛、芭蕉、子規など日本には 思い浮かぶ著名人には事欠かない。時代の違いはあっても 人事や自然を言葉で表わす 直接・間接どちらもある。
 日本語は漢字・かな・平仮名と実に多様で 外国語と比べたら  遥かに言葉遊びが盛んだった。 ”面白い”という意味だって 愉快・楽しいという意味と 心をひかれる思う通りで好ましいなどがある。これを時と場合で使い分けするのだから数独など数字パズルとは違い 奥深い。
 言葉には 無限の広がりがある。外国文学は 日本語訳された作品が読まれる。原文で読む人など 殆どいない。訳者によって どう表現されるか? 微妙である。
 3歳になる孫、保育園で貰ったカルタを一緒にやろうとせがむ。まだ字は読めないはずだが 素早く見つけて私が完敗。メガネ無しで見えない読めないから。 いや 違う。彼女は 絵で理解しているからと判った。
 ・・・・親離れ子離れ 暮・正月が 一里塚。・・・・(字余り)
 

3127:一歩一歩

   座談会
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2018年 各地で新年会が催され 新しい年がスタートしました。さ~て どんな年になるでしょうか? 世界各地から新年を迎えた表情がTVで紹介された、ちょっと気になったのが 地球規模の異常気象、雪などめったに降らない地域で大雪、北半球は冬真っ盛り、南半球は夏、オーストラリアでは 連日40℃(max:47℃)を超える猛暑とか!今 西日本~北日本を 強い寒波が襲っている。瀬戸内海に雪が舞う。気温も急落、方や太平洋側は異常乾燥で インフルエンザ流行の兆し 。昨年の暮れ アメリカでは大規模な山火事 乾燥が原因だった。 その場所で大雪が降っている。ダブルパンチだ。
 地震予測と同様に 気象予報も難しくなっている。世の中が目まぐるしく動いている。 尚恵学園の在り方検討会も昨年一年検討を重ねた、今年は 地域の方に話し合いに加わってもらうことにしました。その第一回目が昨夜 行われた。地域に住んでいる役員さん5名と検討会のメンバーや各事業所からのスタッフが参加。5名のお客さんは皆さんが生れた時からこの地に住んでいる、小さい頃 お寺や学園に遊びに来たという。その当時の思い出と これから どんな風に学園がなったら良いのか一緒に考えようとする企画。皆さん忙しい方ばかりなのに 予定の方全員が出席してくれました。予定した2時間半はあっという間に過ぎた。
 いつまで 話し合いばかりしていても仕方が無いとの意見もある。 動きながら考えよう! 先ず 何から始めるか 周りの環境は急激に住宅地化が進む、そこで 新たな課題も見えてきた。新旧住民の触れ合いの場に我々が何かできないか! 地域貢献なんて小難しいことではなく 自然体で触れ合える関係づくりを目指そうと。
 尚恵学園は規模拡大には消極的 それより 特化した事業で 頼れる存在になりたい。これが法人の一貫した考えだ。関係者だけの取り組みではなく 地域と共に生きる ここにに我々の存在する価値をおく。派手さは決してない。むしろ 控え目だ!これも 法人の性格でしょうか、何せ お寺とのコラボだもの。ギラギラ感ではなくて”仄々(ほのぼの)感” 何故か判らずに癒される場所 をイメージする。地域をキャンバスにどんな絵を描くか 幸い 多くの皆さんのご支援と協力があって 充分すぎるキャンバスは揃ったと思っている。
 
 判り易いことば で良いよね 何も 自慢するものがなくたって 人情味があって 笑いがあって 自分達の住んでいる地域を誇れるような これが 誰もが目指したい社会じゃ~ないでしょうか! 
 土浦市で民間施設の連絡協議会を作り 10年が経った。それは 誇る様なことではなく 必要に迫れて出来たものだと思う、そこを勘違いしない方が良い。その間 世の中の変化は凄まじい。あっという間に福祉事業者が増えた。違う、増え過ぎた。既に 様々な問題が起こっている。 それも 実はこうなる前に予測はできたこと、一端動き始ると 軌道修正は勿論 止めることは至難の業、ならば 自然淘汰を待つのが一番か。必要とされない製品は 買い手がつかない。
  人相手の仕事は 対応次第で結果が様々で 事業拡大が評価の主眼と成り易い。内容の是非が検証されぬ儘に 次から次にできている。 我々も 当事者で その真っただ中で毎日奮闘しているわけである。
 10周年祝賀会の席で県の部長さんの講演を聞いた。数字の読み方で勉強になった。 各県比較の統計資料で茨城県は 要介護認定率が全国で低い方から2位、介護保険料が低い方から7位、一人当たりの医療費は低い方から6位。これをどう読むかですね! 視座を健康寿命に置けば 茨城県は全て上位にある、シルバーリハビリ体操の発祥の地”いばらき”は健やかに老いる県 。そこの評価は無く全国魅力度ランクで連続3年47位との汚名、どこの誰が調べたのか知らないが、その信憑性を疑う。そんなことより 暇があるならこの国をどう見るかを調べたら良い。日本が長い間GDPで世界第2位をキープ、それでいて幸福度世界順位は155か国中51位でG7の中で最下位という、 残念だが その根拠は示せない。
 数字を 自分の良い様に使うだけでなく 数字を上げる為に手段を選ばす。自惚れ。過信。それとなんだ 自己本位 & 会社の為・・・・  信じられない事件が起こった。オリンピックに選手として出場を果たすために ライバルに禁止薬物を飲ませた事件。スポーツマンシップという思いが色褪せた、 自首したそうだが その言い訳が なんとも解せない。クーベルタン男爵がいたら どう謂うか! 相撲界の騒ぎも根っ子は同じか。
どうなることやら浮世話・・・・・・民間施設連絡協議会発足10周年 誠におめでとうございます。
 判り辛いですか???? 仕方がないな~。社会貢献??なんて 声をあげて言うべきことじゃ^¥^ない。当たり前のことじゃないの! これで 自分の出る幕はないと感じた次第です。(天邪鬼ナマグサぶくし。)
  
 Nさんが 『 ここ 水が溢れて仕様がないな~』とすれ違いざまに独り言、見ればいつもと違う場所(土手)から確かに水が流れていた。
 彼は 尚恵学園の番人、一先に異変を見つけ 報告してくれる。昨日は私が先に見つけた。 切り枝が 不味い場所に纏めて捨ててあった。 場所は隅だから良いがお日様の日が当たらない場所。 捨て場所は困らずとも 後の処理を考えて捨てて貰いたい。 枯れてから 少しずつ燃やすから、この場所では いつになっても枯れない。Nさんに尋ねた。誰が捨てたか? 「あそこで大丈夫! 後で燃やすから」、実際に汗をかく人が 一番。Nさんは その事を知っている。
 水漏れの原因、数日前 その上流で 排水管が詰まったということを聞かされた。 詰まっていたモノを取り除き 無時貫通、。。。。。。 結果として その下流部の配管が詰まった。溢れるまで 気が付かない。
 水は低きに流れる。生木は燃えにくい。これ常識。
 早速 竹を切り 割って 今日の午後 再挑戦しました。
 『何してんだろう?』 実習生が遠目で私を見てる。『 下水が詰まったから 竹で突っついているんだよ』  考えて見れば この連続が 今までの私の歩んだ道、そして この先も 。
 天の声・・・・・・ ”もう そんな事をやっている時代じゃ~ないのよ。業者に頼むべき・・・・” ”あっ そう!”  でも 止めないと思います。

3128:彷徨い求める事

人は不自由を感じた時に どんなことを考えるだろう! ヨーロッパと比べ 日本の住宅事情は 建物の利用年数が短い。築40年という物件が不動産として価値があるかとなれば 殆んど無いに等しい。 住宅リフォームが流行っているが その後の住む年数は精々10数年と比較にならぬ。ヨーロッパの街の風景を彩る伝統住宅は築後数百年の歳月を経て今も現役。
 資源の無駄という言葉が あまり聞かれなくなった。 資源の枯渇、この国の農業施策に 異を唱えることも 同様に消えた。転作農家に 一時的な補償金を出すことで不満の矛先を変える。従来より 税制で恩典を付け 農地を守ろうとしているが これは 農業を守るという本来の目的とは異にする。この政策を相も変わらず続けている。 主に 国是として更なる利便性の追求に厚みある予算を付けている。これを様々な手練手管で誘導する。ちょっと 待ちなよ、これで本当に 良いのですか!
 水田の畔を歩くと一目瞭然 去年コメ作りを止めた田は 半年で1メートルほどに伸びた雑草で埋め尽くされた。雑草を防ぐ為に薬剤を使用する? 自然を粗末にすれば 何が起こるか そうなってからでは遅い。万葉集で『常世の国』と詠まれた日本、先人の教えを大切に守り 引き継いできた。 これが 国総体の要でした。その箍(たが)が緩む。 時代遅れや環境適応という曖昧な理屈で 箍を外して 何も感じない。
 そのツケが どんな形で現われてきたでしょうね。端的に言えば”なんでも有り。” これを恐らくは自由と言うのですね。本来の自由の意味として 国家的自主・自立と規則・義務からの解放、哲学的には 自己決定という意味がある。 その解釈の変容に対し 無防備と無関心が蓋う。自業自得 自縄自縛 先哲が我々に教え説いたことに 今こそ耳を傾けては如何でしょうか。横道にそれそうだ。 SNS疲れなる 新たな問題も然り。 汗をかかず キイ操作だけで結果を求める。そのことの恐ろしさ。将来 三頭身ぐらいに人間がなってしまうかも・・・・・ 働き方改革や地方創生に 違和感をもってしまうのは 表面的議論ばかり 肝心な根本の問題が蔑ろにされているからだと思う。
 我々が望んだ理想の社会は そんなものだったのでしょうか?  時代が変わっても 決して変わってはならぬことが曖昧になっている。皆がやっているから それに乗り遅れまいと必死、その意味を考えることをせず 流行に飛び付く この社会を動かしているダイナミクス(力学)に リスク(戦争・テロ等)を利用するというのでは 豊さ⇔安心の構造矛盾の根本解決にはならない。
 
 素人考えだが 豊かさを獲得することを最優先することが どう言う結果を招くか? ますますの較差拡大は避けて通れない。一説には日本人の持つ預貯金の総額は1700兆円と謂われる。国の借金1100兆円と比べ 単純な算術で日本の財政状況をまだ安全と解説する似非学者、それじゃ~ 借りた金を返さなくても良いのですか? いずれは返さなければならぬ 常識ですよ。しかし、無関心層が減るどころか増えている。ですからね 先延ばし何回すれば済むの 説明責任などどこかにやってしまい思考停止 平気の平左、でしょう!違います?
 どこかに隠し預金があるか さもなければ・・・・・ 造幣局の出番???  そんな単純なものではないはず。国内の問題と高を括ってなどいられまい。アメリカと中国の影響を諸に受けてしまう日本の経済指数 世界のシンクタンクはどうみているか?外貨預金し リスクの分散が出来る人は良いかも 
 都合悪い情報は隠蔽? リスクを政局に活かす?これが”豊かさ”を獲得するための副産物、日本は平和で安全というプロパガンダで踊らされ、酔い痴れて、それに対し疑うことを止めてしまった。本来、議論すべき国会がその責任を果たせない。離合集散を繰り返す野党も 民主主義の数の論理にしがみつく与党もどっちもどっちだ。だから庶民との距離が離れるばかり。
 そこにバクテリアが侵入し 自分達にうまい汁を吸い上げるのは1930~1945に酷似。   ・・・  初夢 ○ ・・・・。 
 ☆♪ 希望と言う名のあなたを訪ねて・・・・・・・私の旅は 終りの無い旅・・・・♪  ★ 数字のまやかしに 騙され 気が付けば 奈落の底・・・・・正夢 ×・・・・・・
 ・・・・勇気ある行動と判断力・・・・
 夜 7時前 携帯に電話。Tさんが 食べ物を喉に詰まらせ 救急車を呼んだと連絡が入る。意識が戻ったから 大丈夫と思うが 通院します。
 例年にない寒さの中でスタートした2018年 大きな問題もなく2週間が過ぎた。帰省した仲間も 殆どが揃って 通常の日課に戻ったと一安心した矢先に起こった。幸い 地元のK病院が受け入れてくれ 私はそこに行った、寮のスタッフが5人 、本人は検査中  処置してくれた医師は Tさんが2年前に手術した時の主治医だった。そして 無事 寮に戻れた。
  紙一重の差だったと思う。異常を見つけ 即 対応したスタッフ 日頃の訓練も当然だが 気付くのが遅ければ ・・・・・。優秀な スタッフに心より感謝です。
・・・・・変わってはならぬこと・・・・・
  それは  できない言い訳を並べることより それに向き合う覚悟ではないでしょうか。
 ★ 入荷待ちの新訳『南洲翁遺訓』が届く。今 何故 西郷隆盛か! 国難に立ち向かう理想の指導者として 私利私欲と無縁  敵味方に隔てなく 大義によって 率先垂範した行動力と人間味。美辞麗句を連ねることなどせず、自戒を旨とし、 只管我が信じる道を生きた政治家だからですね。
 

3130:ノーサイド

  新年会

白雪姫? 
 
 水戸~土浦 2往復 疲れました。厚生園の新年会 市内のローブでの開催も大分慣れてきたかな? 段々エスカレートする 職員の出しもの。≪白雪姫と7人の小人(?)≫ 衣装にお金がかかっているな~? 私は 最初 何をやっているのか判らず。後で知って ”そういえば そうかな~”だった。 去年は 全員が参加して 翌日からインフルエンザで大分苦労した。さて、今年はどうなるか? もう一方の水戸での某新年会 こちらは 風邪で欠席になった方が 何人か出ました。今年は強い寒波と乾燥 案の定 インフルエンザ警戒注意報、 昨日は 何故か顔が火照って寒気がして 薬を飲み 早めに寝る。
 新年は 新たな一歩 いずこも同じ 今年こそはと こころ引き締め スタートを切った、正直 混沌とした世の中で お先がどうなるやら サッパリ読めない。
 "ノーサイドとは ラグビーでいう試合終了。 昨日の敵は 今日の友、"これからが冬本番 雪解けには まだ 時間がかかるかも知れません。
 ここだけの話! 今週は 葬儀と新年会を交互にこなす、場所を弁えないと 偉い失敗をしでかすかも。こころ落ち着け 平常心。
 ★ 職員の出しものに時間がとられ 俺のカラオケは???? 隣のYさんが 怒ってた。☆ 皆の気持ちを和ませ 共にいることの喜びを感じる そんな集いとなりました。サンキュウ~ ベルマッチョ。
 
 いこいの沼涸沼で例年行われる新年会に参加しました。この会との繋がりが始ったのは 全国障害者スポーツ大会がきっかけです。代々の会長さんと 茨城選手団で一緒になり その時々の親交が今も続いています。ありがたいことです。早いもので 来年には茨城大会が行われます。何しろ前回の第29回茨城大会から今回は(第74回)45年が経っています。これから おそらく その準備の為の集まりが増えると思います。県民総動員で他県からのお客様をお迎えする。昨年の愛媛大会は 当日生憎の雨となり 主催者の皆さんは大変だったと思います。天候だけは如何ともし難し。愛媛は開会式を雨中の中で強行しました。後で振り返ると それもまた良い思い出、今後開催する県には 大きな勇気を与えたことと思いました。悪天をカバーしたのが 愛媛県民の”おもてなし” これが大きかった。元々 四国はご接待の本場、88箇所遍路信仰の歴史がある。茨城県は これから 大きなイベントが目白押し、県は それぞれに対策室を設け その対応をしています。県民全体に広く浸透し 盛会裏に終えることが 茨城大好きの私たちみんなの願いです。
 千載一遇のチャンス、選択と集中 思い切った改革を掲げ登場した新たなリーダーに 我々県民の思いを どう伝えていくか これも また 一人々の責任と自覚が肝心になります。
 どっちに したってー やるしか ながっぺ~ 
     いこいの沼涸沼にて
大井川知事出席
  新年の集い
   1月18日
 ”近頃の若いもんは ・・・・・””俺たちが 大人からそんな風に謂われ 育ったんじゃ~ないですか” NHK深夜便 萩本欽一の人間塾でガッツ石松との対談。あの石松だから その言葉に説得力をもつ。随分とヤンチャで今で謂う悪ガキ少年、高校への進学を諦め家を出る。母親に別れを告げる時に母親から≪ 偉い人間になることより 立派な人間になれ≫と謂われた。放言丸出し ヒョウキンな面とボクシングで頂点を極めた人生。 今 毎日何してる?と欽ちゃんが尋ねると屋上でノンビリ日焼けするのが日課と 他に?と聞かれ ”メダカに餌をあげること” もうやるだけはやったから 今は人に会いたくないとも・・・・・・
 人生でノーサイドがあるとすれば 次なるステージにどう立ち向かうか? 節目節目で 自らを顧みて 歳を重ねていく。これが人間の生き様 相手をどうのこうの言う前に自らを省みる事の大切さ 石松の母親が語った「偉い人」と「立派な人」の違い。偉い人は沢山いるけれど 立派な人は少ない。そこを履き違いない為の眼識は 簡単に身に付かない。これも 母の強さだと 振り返った。OK牧場!