源究142

  

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2351 合縁奇縁 1/24 2356 独裁者 1/30 2361 はや如月 2/4 2366 ヒント 2/11
2352 視野狭窄 1/25 2357 見通し 1/31 2362 改築への準備 2/5 2367 昼夜変動 2/12
2353 業界体質 1/26 2358 創造的進化 2/1 2363 平和 2/6 2368 1歩また1歩 2/13
2354 飛翔 1/28 2359 諦めない 2/2 2364 心境@A 2/7 2369 盤根錯節 2/14
2355 あるヒント 1/29 2360 大局観 2/3 2365 綺麗ごと 2/9 2370 メリット 2/15

2351:合縁奇縁

どうですか、世の中には不思議な縁があるものだと感じませんか?それにどうせ遣るならこうありたいものだ!なんて事を考えていませんかね。でも、思ったようには上手くいきません。
 そう考えている内は何をやってもダメですね。だってそうでしょう、棚からボタモチ・・・いつまで待っていたってそんな上手いこと有り得ません。そうハッキリ断言できます。ですからね、発想を変えるしか無い。
 だってそうじゃないですか、貴方ご自身の気持ちが揺らいでいるからですよ。失敗を恐れるな!それもやる前からなんて とんでもない。人間の一生って長くありませんからね。
 そう思うと何か勇気が出てきます。昨夜、通夜があり、タクシーが迎えに来てくれた。その運転手さんは以前も乗った事があるのが直ぐに分かった。話好きで口調に特徴がある。彼が話すには、この前の大雪の時、忙しくてご飯を食べる時間も無かったという。大変だったというが寧ろ喜んでいるように私には取れた。降りる時に「無理は良くないですよね」と独り言。
 斎場につき、出番待ち、その間、組内の方がお茶を持って来てくれる。どこかで見たような感じ、すると向こうから話かけてきた。「いつもお世話になっています。今晩は8時までレスパイトお願いしています」最初、何の話か分からず、返事が出来なかった。近所に住んでいて、子供を尚恵に預けて手伝いに来ていることが分かった。
 そうだったのか、お客さんだ。「すみませんね。インフルエンザが流行っているようで」と私が言うと。
 「いやー仕様が無いですよ。どこにいたってうつりますから」と笑った
 合縁奇縁、持ちつ持たれつ。
 顧客満足度とかコンプライアンスといった書籍や研修がやたら目に付く時代である、これだって完璧は有り得ない。努力目標といえば良いのか。
 確認の意味で尚恵学園の努力目標
    良きサービスを通し 利用者の心を打つ満足を提供
      ・・・・創意・工夫・責任・真心のある限り無い挑戦・・・・    である。よろしく!!!!。

2352:視野狭窄

もし、全知全能の神がいるとすれば、一度会ってみたいと思う。如来・仏・菩薩・・・名称はどうでもよいのだが、これだけ沢山のホトケ様がいらっしゃる訳だし、アチラの世界も大変だ。この地球上にどれだけの人がいるのか、なんでも70億人(*)を超えてるとか、動物や植物までいれると生有るモノは最早無限大、この一つ一つに生命を観ずるとなれば、・・・・・。
 こんな事を昨夜”夢”に見た。
 日々の繰り返される事は様々、これを一々文字に残すななどとなったらおかしな事に。
 人間の許容範囲は人によって違う。されど、大差は無いと思っている。一人の能力は高が知れている。視野狭窄は視力の障害だが、周りが見えないとか考えが硬直している人をそのように言う場合がある。
 でも、その基準だって曖昧ときているんだからそんなに気にすることはないでしょう。
 昨夜、ある団体の新年会に伺った。100名程の人達が浴衣姿でリラックス、テーブルでの宴会だから、畳とは違った雰囲気、それでも途切れなく続くカラオケ。皆さんのノド自慢は良く判った。でも、少々耳が悪くなった私には隣の人の話が聞き取れない。
 宴に参加している人達の名前は殆ど知らない。酒を注ぎに行っても話の切っ掛けが難しい。皆さん気が良さそうな人ばかり、これだけは直ぐに分かった。
 挨拶の最初に立った御方、連日新年会だと聞いた。私も今年になって何回かご一緒したが、初めて聞いた話があった。
 ゴルフを震災後止めているという、それは被害にあった人を思うと出来ないと。
 この処だけが妙に頭に残った。これが全方位外交?、気配りと人柄だと思った。
 アルジェリアでのテロ事件で多くの日本人が犠牲となった。
 不況とは言いながら、日本は世界でも有数の安全国、宴席で出される料理を何の疑いも無く食することができる。これを当たり前と考えてきた。
 集団食中毒など騒がれはするが、菌からみれば別に変わったことをやっている訳じゃない。
 何でも、国の統計からみると65歳以上の人の1年間の医療費が一人76万円だと聞いた。これが一番の問題だと。
 一家に4人もいたらそれだけで年収以上の費用となる。これが果たして命がけで働いた窮極の着地点だったのでしょうか?
 ひょっとすると視野狭窄による末期症状なのかも知れません。
  (*)紀元前1Cの頃、世界の人口は3億人位だったそうである。それがここ100年足らずの間の人口急増は想定を遥かに超える早さだと言います。
 

2353:業界体質

安倍政権になってから特に経済政策に於いて話題性の高い事が増えているように思います。株価の上昇や円安は誰にとっても分かり易い。・・・・が果たしてそれが一時的なものかどうかという疑問詞が付く。順調な滑り出しと思ったのも束の間、アルジェリアでの悲惨な事件が起こった。
 国内の動きとは全く別次元のような今回の事件、でも誰しもがそうは思っていない処が今の時代を象徴する。
 中東やアフリカで頻発するテロには豊富な地下資源を目当てに各国が様々な圧力をかけていることと無関係ではない。
 今回の事件だって一企業の悲劇と捉えている日本人は誰もいない。一説では海外で働く日本人が100万人を超えていると言われる。
 政府は何らかの有効な手立てが打ち出せるのかどうか?
 公務員給与が一律下げられるとか退職金減額前の早期退職者の急増、背に腹はかえられないというのが正直な思いなのかも知れぬ。
 24日〜25日、東京で某研修会があり、尚恵学園からも自主研修の6名が参加した。私は寺の行事があって参加出来なかった。参加したある方からその話を聞く機会が昨日あった。わざわざメールで3時に会おうと知らせてきたから上京した。
改装なった東京駅の中にあるラウンジで待ち合わせ、2時間も熱心に語るその方の話に耳を傾ける。
 東京のど真ん中にたったコーヒー一杯で2時間も過ごせる場所があるとは想像もしなかった。
「この店は、消費者の声を最優先する発想である。これが時代を読むということかもしれぬ」
最近の協会の動きに批判的(?)だったその方が、今回の研修には偉く関心していた。発表者の顔触れを聞いて私も頷く。今時、関係者だけの内輪話をやっても誰も関心はない。少なくとも真剣にこれからの事を考えようとする人はそうだ。
 私も研修会に出る機会は多い方だ。最近は、その場で興味を持った発表者には此方から一方的に連絡をするようにしている。大体、ご本人より何らかの反応が返ってくる。
 そうやって新たな人との繋がり生まれる。実は業界体質というものは、ドップリその中に自分が浸かっているという証で、体質といえるような実態は無いんだと思う。皆で渡れば怖くないとか労せずして美味い汁を吸おうとする発想は遺物となった。
 また、他をなんのかのと言っているような暇も無いというのが正直な処でしょうね。
 消費者が何を望んでいるかという一点に集中すべきなのである。そのことが福祉の世界でも気付いてきたという。
障害者に当たり前の生活をというキャッチフレーズに違和感を持っていました。じゃー”当たり前”ってどんなこと?
 ・・・・身・口・意業 常に転倒して・・・・その実証が無かった。

2354:飛翔

真言宗中興の祖と言われる興教大師の密厳院発露懺悔ノ文は実に明快に僧侶としての有るべき姿を語る。
 その文の中で私が特に気に留めているカ所がある。
・・・・利養を得んと自徳を讃じ 名聞を欲しては他愚を誹る・・・・・という処、大いに自省しなければなるまい。というのも今から約900年前(平安末)の状況と今の時代に大差が無いという事が分かるからだ。大師は堕落した本山へ3年間の無言行で抵抗したという。幕府が鎌倉に移ろうとするその時期であった。
 果たして、今がそうなのかどうかは知らないが、誰しもが日本がこのままは行かないと感じている。今朝の朝日新聞に社内失業者の増加という記事が載っていた。会社にいても仕事が無い人達、ノルマを課せられそれが実現出来ず、窓際に甘んずる人、こういった状況が一向に改善されないというのだ。仕事に溢れる人が多いというのに、何故、福祉現場に人が集まらないか?この2極分離がよりハッキリしてきた。 関係者が何年も同じ悩みを訴え続けているがどうにもならない。
 誰かがラジオ番組で語っていた。若者の労働意欲が上がらない。その理由の一つに汗水流してまで働かなくても食べていける環境が日本に有り、この時代に育った者は、働く労を毛嫌いするというよりも苦労を知らないのだ。その端的な例が引きこもり・フリーター・と言われる人達の急増、更に社内失業者の増加は問題解決をより複雑にさせている。
 価値観が変わった?自分の仕事に自信と遣り甲斐を持ちえない。
 ここにきて尚恵学園はある転機をむかえている。
 今後、どのような形で事業を続けていくべきなのかが今問われている。私自身の経験を今の人達に語っても上手く通じるだろうか?今年は丁度この仕事に就いて40年になる。20人足らずの職員で、60名の子供達を預かっていた。当時の労働条件は今とは雲泥の差、それでも大変だとは思わなかった。若かったからだろうか?違う、日本全体が同じ状況だった。
 しかし、当時と比べ障害者の出現率に変わり無いことは証明済み。
 まだ私が知らないだけかも知れないが全国では様々な新しい動きがある。活気あふれる実践もあると聞く。それは真似して出来るほど簡単な事ではない。
 ”飛翔”・・・空中をとびかける様子。当年とって63歳のこの身、このままおいそれと引き下がる訳にはいくまいぞ!
 いま脳裏に浮かぶ先輩たち、その生きざまは壮絶としか言いようがない、当に燃え尽きた一生で私もそこに近づきたいという欲はまだ持っている。
  

2355:あるヒント

グッドタイミング! なんとも有り難いことです。袋小路にスッポリ入ってしまったような時に電話やメールが続けざまに入りました。
・・・・「強さより密やかさ、華やかより可憐さ、目立つことより味わい、私にそんなことを思い出させてくれるのが、長く施設で生きてきて高齢になった障害を持つ人たちです。大事なことは、その人たちの幸せな人生の後半とは何かを問うことではないでしょうか。。。。。。」 ボルネオの中澤氏からのメール。
 日本にずっと住み続けていると良い悪いの判断に迷う事が多い、だってそうでしょうよ、比較する対象が無ければ自らを律することなど出来ないですよ。時間は待ってくれません。立ち止まることも時には必要、そんな時はどこかに腰を下ろし休めば良いんですね。
 地図を持たずに山歩きするようなことは、極力避けたいものです。学生の頃、夢中で山歩きをやった。”ヤブこき”これはワザワザ道の無いところを地図とコンパスを頼りに縦走するもので、スリルがあって新しい発見や感動と出会った。
 夜、テントの張れるスペースを確保し、ビバーク、今自分がどこにいるのか確信が持てない。そんな時、夜空に輝く満天の星にどれほど勇気をもらったことか。その時命の次に大切なものは、”水”だった。
 ・・・・・そして施設としては、少し先の見通し(展望)をもって・・・・・単に贅沢で豪華で便利、というのではなく、人間の暮らしらしい自然さ素朴さを取り戻すような。個人生活も共同生活も可能な形があるのではないでしょうか・・・・・とメールは続く。
 奢侈な生活には限度がない。そんな事は言われ無くても分かってる? 本当にそうかな・・?
 だってそういじゃないですか?貴方は今を何とは無しに不満をもって、それを他愚の所為にしていませんかね。
 夜中の12時過ぎに目が覚めてラジオを聞いた。すると不通だった京王線が開通したという速報ニュース、24時間休まず動く東京を想像しながら、電車が止まった理由は思った通り人身事故だと分かった。
 何かがオカシイ。それが何だか掴めない今の日本を象徴するような出来事だ。
 何故、そこまで自分を追い詰めるのか?もっと体を労われば良いのに。世界有数の平和な国ニッポン、テロや犯罪が少ない割に現実に起こっていることには多くの矛盾を孕み、その解決策が見いだせないのです。
 綾取りゲームをより難しくするような新たな取り組みに最早、ゲームを楽しむ余裕さえなく悲鳴をあげていませんか。
 同じ日に横井氏よりメールが入る。シンプルライフが一番という後書き、これだって20年以上日本を離れドイツでの生活から得た生き方でしょうか。
 豊かさという言葉のマジックに騙されてはいけない。そこなんですよ大切な事は。時計を逆戻りさせ、仄々とした体験を思いだしましょうね。
 

2356:独裁者

1月は新年会の連続ですか?
 なるべく控えるようにしています。同じようなことをやっている国が世界にはあるのでしょうか?社交の場ならぬ、なれ合い集合、この低迷期に大分中身は変わったと伺いますがね。
 でも明らかに昔と変わった事は、格差拡大でしょうね。このまま進めば勝ち組負け組にハッキリ色分けされ、住む世界さえ変わるような気になります。
 そうなると思いやりとか優しさは影を潜め、一方は己の力を過信し贅沢奢侈な生活に現を抜かす。方や今の置かれた状況に憤懣遣るかたなしとなりにけり。
 これが望まれる社会だとは言えませんよ。日本国民総中流とかいう流言も確たる根拠は無かった。
 ただ、血なまぐさい世界の動きと比べれば、まだ日本は平和で安心な国と言う事に。?????。
 その認識に赤信号、国境問題一つにしたって未解決なことが多過ぎる。その事を先送りしてきたツケが一気に出てきた。
 歴史認識だって曖昧で、義務教育の中で明確に教えられてきたとは言えません。
 ですから、ハッキリいって寡黙に徹することしか方法はないんです。
  せめて少し先の見通し(展望)位もっていたいと思うでしょう。実態は違うよね。日替わりメニューのように品数は多いのだが、それが先にどう繋がるかの確信がない。
 これら全てが現実と受け止め、時間がかかっても納得の持てる形にしなければなるまい。これだって実は問題の先送りと同様だ。
 これは実は外向けの視点である。その逆に限り無く内に向けてみてどうなるか!
 最も関心が高いのは自らの健康だ。これさえ自分の思い通りにはいきません。自分が致命的な病気に罹っているのかどうかさえ分からない。健康を維持する目安なるものは、なんとはなしに分かっている。適度の運動と食事、だが厄介なのは”こころ”の問題、こればかりは他人がどうのこうのできません。最新の高度医療の粋をようしてもどうすることもできません。
 これが人間の最大かつ永遠のテーマだ。ingであってパーフェクトではない。
 

2357:見通し

なんにでも言える事だろうが、転機を迎えるということは必ず有るものだ。建物には耐用年数というものがあって新しく建て替えねばならない時が来る。その時をチャンスとばっかり喜んではおれぬ。当然そこにはリスクが付き物でGOの決定を下すに迷う。また同じことを毎年繰り返していると独創性や新鮮さを失う、所謂マンネリ化に陥り易い。これも実に厄介だ。
民間企業であれば、常に先を見込んだ設備や研究、それと人材への投資を欠かさない。市場調査は当然で、何が売れ筋かを常にアンテナを張り巡らし行っている。
 私がはく二足の草鞋、寺院と福祉施設、この二つには対照的な面がある。歴史の違い、創建何百年なんていう寺は普通、住職だって30代40代というのは珍しくは無い、方や福祉施設は30年の歴史で老舗に入る。代表者(理事長)だって2代目3代目が精々でしょう。だが経営基盤には大きな違いがある。同じ法人格を持ちながら自立しているか否か、社会福祉法人の場合は一握りの巨大法人の例外はあったとしても運営費の大部分が税金によって賄われる。これは国の懐具合によって正直どうにでも変わることを意味する。
 この二つに共通するものもある。それは対象が人間であること。生きている人か亡くなった人かの違いは有るが、本来、寺も生きている人の為の場であったことに間違いない。
 遣り甲斐とか生きがいという観点から比べてみると、私の場合は福祉のほうに断然魅力がある。その理由を敢えて上げる必要もあるまい。
 ただ、世間様の評価は一様ではない。あそこの住職は土地の買い占めをやっているとか福祉で儲けているという誹謗中傷が全く無いという訳ではない。それに一々答える必要もない。己の信をやり通すことでしかない。理解し支援してくれる人は必ずいる。尚恵学園が今に至ったその全てがその人達の支えがあったからで、今後もその事を肝に銘じていかないと道を誤ると自戒している。
 私は良寛に憧れる。市井にあってあの方ほど慕われた坊さんを知らない。何がそうさせたのか?良寛が生きた時代は?等々興味が尽きない。
 ある意味では良寛の時代より今のほうが厳しいかもしれない。その証拠は高齢化を問題とする社会通念が広まっていることにみえる。
 結局、こんな事では長生きできたことを素直に喜べぬ。医療費支出が増え続けているのは、無駄ということになりかねない。遺族が親の相続で仲違いするなどもっての外、これは言い過ぎでしょうか?
 日本人が置き忘れてきたことの最大のものが、実はここにある。
 

2358:創造的進化

「オレンジテイーハート・キャットのシャイラ」Mr.Sakuma 作。
 彼が描いたという”猫”6匹の内の1っぴき。名前が絶妙、一枚の紙に描かれた全く違う名前のネコは不思議と左向きに整然と並んでいる。
 創造的進化とはベルクソン哲学の根本の概念。それは固定化されたものを嫌って絶えず予測不可能な新しいものを生み、飛躍し創造的であると言う。
 何を意味不明なことをまた始まったかと自分で自分に呆れている。彼の描いたネコ、見事に個性的で違うのは何故?
 彼は毎月 事務所にやってくる。自立生活を始め、その報告と小遣い(?)を受け取りにくるようだ。
 「俺たちだって一人一人違うんだよ。名前だって有るしさ、顔だって違うでしょう・・・」と言っているように私には聞こえてしまう。高がネコかもしれない。6匹が全て同じ向きで描かれ、顔だけは此方側を見ている。
 これは、多分こんな事を言いたいのかもしれない。俺たち皆 同じ思いなんだぞー   と。
 グッドタイミング! ボルネオの中澤氏からメールが入った。
・・・・・福祉活動の基本は個人だと思います。一人に着目して何がその人らしさに相応しいか、其処ではどんな支援の可能性があるか、という事だと思います。・・・・・・。
 これこそが基本なんですよね。実際は、それが靄の中にあって見えにくい。
 更に続く。
・・・・一番大事で最も難しいのは、ポリシーを持ち、スタッフを育てることですね。
   その土地柄、近隣住民、本人一人一人、今とこれから少し先、これがキーワードではないでしょうか・・・・・・
 誰だってそうですよね。先の事は不安です。でもこの先に何かがあると思うから生きていける。
  *「アップルポップ・キャットのモニー」「バナナリボン・キャットのシャルミー」「メマロン・キャットのシャラーヌ」「・・・・・・」
    ミスターSakuma の世界。

2359:諦めない

覚悟はあるか?と言われれば”有ります”と答えます。
 自己満足に浸るなど考えもしないが、振り返って人生に無駄為しと実感している。自分の性分で仕様が無いのだが、壁が前に立ちはだかると燃えてくる。結果などそっちのけ、周りが見えなくなって臨戦体勢、何度それで嫌な思いをしたことか。
 いずれはどこかで妥協点を見出さなければ先に進めないのだが、最初からそれができない。失敗も多く経験した。迷惑もかけたでしょう。
 だが、メンバー達の姿がいつも浮かんでくる。私の40年の在任中もう既に20人近くのメンバーが逝った。一人一人の願いを適えられなかった負い目を懺悔してもしきれない。
 それとは全く逆の自分がいる。もういい加減にして止めてしまえ!出来もしない癖にいつまで遣っている!
 時に私にとっては味方だったり悪魔に見えたり。力以上のことをやろうとすれば当然悩みもそれだけ大きい。
判っているんだな。62歳のいい大人が何を青二才みたいに恥を知れ。
 いま、ある企画を進めている。スタートの時点で問題が山積している。これを一つ一つ解決しなければ先に進めない。
気短な私には最も苦手なこと、諦めるな。
 ・・・・人間は努力する限り悩むものだ・・・・・誰でしたかね。これを言ったのは。だが全くの真理だ。
 黄泉に渡れば努力する必要も無くなるから悩みも消えるってこと。だからでしょうね、娑婆では苦労したほうが良いとのロジックが成り立った。
 キツネにつままれたような・・・。
  これだけは言えるぞ。相手を理解するには、自分も苦労しなければできないということ。綺麗ごとをいくら並べても心底理解される事は無し。
 老人介護の推移、そこから見えてくる若者像。一様に聞く話、介護職をやろうとする人がいない。困ったことに一向に改善の兆しが見えない。この流れが今、他の福祉の現場にジワリジワリ浸透している。
 無いモノねだりなんて言っている場合じゃないでしょう。
 

2360:大局観

大きな病院に行けばご存知のように、先ず総合診療科という処でその人の症状からどこの診療科受診が良いのか判断される。
 様々な検査を行い、病巣を突きとめた上で、治療の方針を決めるという流れ、それが一番合理的で早期発見、早期治療に役立つ。
 だが、それをやったとしても人間の生命は吉と出るか凶と出るか確約はもてない。それよりも、寧ろ現代病なる”こころの病”は、一様ではないから、発見と治療が難しい。大半が本人の自覚症状がないからだ。
 それじゃー健康な心ってどんなことを言うのでしょう?病気を見つけるよりも実は難しいかもしれませんよ。何せ感情は一定ではありません。
千変万化水の流れと人の世は・・・・と言われる如く、様々に変化するでしょう。
 大局を眺めれば、いつの世も同じような姿があるものです。苦有れば楽あり。悲喜交交???楽有れば苦あり。喜悲交交???
 どっちが正解?気が付いたでしょう、それは字の前後が違っても言わんとする意味は同じということなんです。
 ここなんですよ私の言いたい部分。要するに誤字脱字を正す事は然程重要では無く、肝心な事は別にあると思うんですね。
 まだ、分かりにくいですかね。
 障害者の地域生活・・・・云々。随分と時間をかけ話し合いがされています。これって妙だと思いませんか?
  昨夜、NHKだったでしょうか、若者4人の路上生活のルポ番組がありました。20代の若者が職につかず、寝る場所もなく、段ボールを敷いて駅の構内で夜を過ごす。良く取材に応じたと思うが、彼らは全く普通の若者なんですね。公共のサービスを受け、再起をはかろうとするがイマイチ上手く行っていない。
 これと先程の話は同根だ。今の日本でどれ程の路上生活者がいるのか実数をつかみ切れているのでしょうか?
 都が支援するNPO法人の一時宿泊提供所の施設長が利用者が出ていく際に言った言葉、「二度と来るんじゃないぞ」。
 その言葉には突き放した冷たい感じは受けず、逆に温かみを感じた。
 我々の仕事も実は同じなんです。できれば家族と一緒に自分の家で過ごしてもらいたい。でも、それができない人達が尚恵学園を利用されている。これが現実なんですよ。好きで40年以上も尚恵学園にいる人がいますか?いる訳ないでしょう。
 これを戒めとして我々は持っていなければならない。
 福祉とは一人一人の問題、!!!!!。でも良く考えて見ましょう。
 声を大きくし、社会が悪いといくら訴えても、それが一番合理的で早期実現に結びつくのでしょうか!
 今の日本の社会の病は、何かの問題にぶち当たった時に自分は関わらず、寧ろ迷惑とか権利だと考える人が増えていることだと私は思います。
 

2361:はや如月

時間が過ぎるのが実に早く感じる昨今、それだけ自分も年をとったということなのだろう。良いのか悪いのか実は判らないのだが坊さんという職業は定年が無い。名誉住職という位置をつくり、世代交代をはかる寺も無い事はない。でも、そんな寺は裕福な寺、坊さんが一人でも二人でも関係ない。私の場合は先代もそうしたように死ぬまで住職をすることになるはずだ。
 檀家からもういい加減に止めたらどうですかと言われれば話は別だ。
 どうも性分というのは。年を重ねても変わらないものである。益々、やりたい事が頭に浮かんでくるから始末が悪い。一つの懸案事に目花がつくと、もう次の事が頭に浮かんでくる。
 自分で頭の中が一体どうなっているのか分からない。今の私の心境としては、メンバーさん達と一緒に暮らしたい。動物を飼ったり野菜を作りながら野山を駈け廻り、疲れたら草原の上で寝転んで・・・・・。釣りをしたり、温泉に入って・・・・。
 絶対、こうして見せる。
 最近、ちょっと気になり始めたことがあります。
 事務所にやってくるメンバーが目立つ。彼等はたわい無い(?)お喋りをして寛いでいる。駆け込み寺?とは違う。自由な時間を事務所ですごしたいというのが本音のようだ。
 スタッフはいつも忙しく動いているからメンバー達も遠慮しているに違いない。最近の一般家庭はどうなのか?家族の団欒の場が少ないんじゃーないだろうか。
 普段の生活の中にそれを見出す事が実に難しい。困ったものですよ。その類のことで、畳の大広間での宴会というのが減った。立食パーテイ花盛り、実はこれは全く落ち着かない。食べる事か人探しで終わってしまう。
 それと旅先での相部屋が減った。4人で蒲団を並べ、イビキを気にしながらなんて事は急激に減った。
 麻雀もそうです。昔は必ず雀荘があって、真昼間から卓を囲む人達がいた。それがパッタリと無くなった。
 私はスマートフォンは使わない。便利な事は解るが、その反動も気になる。予定は手帳に記すことが良い。時間の流れを後で読み取ることができるし、メモに自分の気持ちが入る。
 東日本大震災の時、誰もが痛感したこと、それが時間の経過と共に忘れようとしています。例えば飲料水、停電と同時に水の供給がストップ、これだって、蛇口をひねれば水が出ることに慣れてしまったから大変だったはず。
 人間の一生は考えようでは短くも長くも感じるものです。多分、大半の人々が長生きはしたいと本当は思っているのです。
 余りにも便利さを追い求め過ぎると人間は考える力が減退しますね。それと相手が何を思っているのかが分からなくなる。
 今の社会を揺るがす様々な問題の多くは、多分にその辺のことが原因しているのかもしれない。
 はや如月4日、春の訪れを待ちわびていたら、昨日は18度を超える日中気温を記録した。

2362:改築への準備

急に大きな事業が入ってきた。成人寮の全面改築、実に喜ばしい事なのだが、さて現実は?何せ現在利用されている方を受け入れながらの工事となると実は簡単でない。現在地に建て替えるには確実に敷地が狭く、そこで他の場所への移築を考えた。これがドッコイ簡単ではない。様々な条件があって市の担当課が実に多岐に別れ、事前準備が大変。これをクリアーしないと次に進まない。いま、その話があってから毎日飛び回っている。これで実現できないとなればいろんな方達に迷惑をかけよう。
 小さな工事は今までにも何度も行ってはきたが、今回のは規模が違う。大袈裟に言えば、尚恵学園の今後の展開に大きく左右する。もし、移築が実現できれば、今まで使って来た敷地は最も好条件だから再利用の計画は多彩になる。
 この土地は昔、雑木山、木はシイタケの原木に利用し、土は筑波学園都市の開発に運んだ。もう40年ほど前になる。
当時、私は20代、無我夢中で取り組んだ。工事は決して順調ではなかった。敷地北面は都市計画道路、ど真ん中に農道があって、これが計画に大きく影響した。廃道申請をしても最低2年がかかる、それでは間に合わず、設計を大きく変更し、単年度の工事のはずだったものを2年間に延長した。その建物が今回、老朽改築で建て替えることになるのだから私も大分古株になったものである。
 その時の事をハッキリと記憶している。当時から利用されている方もまだ何人もいる。
 建物の規模や制度が当時と比べ随分変わった。これからやっていく若い人になるべく任せよう!
  多分、今私がしゃしゃり出て良い事は何も無い。創業は易く守成は難しだ。
 実は今回の展開がタイムリーだと思っている。2年間かけ、専門委員会にスタッフが別れ、検討を続けてきた。そこで見えてきたいろんな課題が今回の計画で実現できそうだ。
 地元土浦市との関係は実に深く、我々を利用する人の数は200名を超えている。大震災を経験し、非常時の受け入れ先として無視できない存在、それに緊急時の対応も優先して受け入れてきた。
 その事を市は良く理解されていると思う。正直、力強く、土浦市の場合、障害者の自立支援協議会など県内でも断トツの実績をあげている。
 ただ、障害福祉の難しい処は、関係者以外の関心が薄いこと、老人福祉はいずれ自分が世話になるかもしれないと誰しもが分かっているから歓迎される。
 優しい街を目指す市長が、今回の我々の計画にどれだけ協力してくれるか?大いに期待している。
 

2363:平和

世界は優しく平和というのは幻想なのでしょうか?防衛大の某教授の考えが紙上で紹介されている。その中でテロとゲリラの違いにも触れている。ゲリラの場合は捕虜になった時には兵士と同様に人道的扱いをされることが国際法(?)で約束されているとか。
 連日、報道される尖閣周辺の中国との関係、軍事衝突に至らなければ良いのだが、日本が頼りにするアメリカ、国内の事情も複雑そうだ。銃の所持が認められる社会だけに、物騒な事件も多い。
 一方、日本で騒がれている柔道界のコーチ陣と強化選手との訴訟問題、パリでの世界大会に女子チームが向かった報道は、これから戦いに臨むというより尾ヒレの部分にライトがあたる。
 何か、世界の流れとは別次元という印象を持った。
 さて、新政権になって少し変化の兆しが見えている。株価高や円安への動き、これは政府と日銀による金融政策の影響なのか、日銀総裁が任期前に辞任を表明、明らかに従来からの方針の変更への総裁の意思を感じる。
 多分どんな風にしても、誰かが喜び、その逆だってあるでしょう。生活保護の単価下げと同時進行だから微妙である
 これだって平和であればこそ、もしも戦争という事態になったとしたらそんな悠長な事は言っておれまい。何か難しい問題が有る時により困難な事がちらつくとどうしたって関心が其方にむく。そんな姑息な手段を取ることは無いと思うが、その種の目くらましは枚挙に遑なし。
 久しぶりにNHK深夜便で為になる話を聞いた。JR東日本の清掃会社の役員の話。
 特に印象的だった言葉は、”安全はトップダウンで始まり、ボトムアップで完成する”というもの。
 ホラ吹きは実行すればビジョンになる。爽やか・安心・暖かの話も良かった。別に難しい事は何も言っていないのだが、なんとも言えぬ活力を感じた。
 平和を口でいくら訴えたって実現はできまい。それよりも自らの使命を爽やかに喜びを感じながらできるようにすれば結果が付いてくる。
 その方が最後に言った言葉、”難しいですよね。夜も眠れません”。屈託の無い爽やかなひびきを感じた。
 

2364:心境@A

@  願いが適えられたら どんなにか良いだろう
    
      荒れ狂った心を そっと見つめている 視線を感じながら
                                 力足らずを 自分に映す  
A  悲しみの涙が この世に無くなれば

       どうです? みなさん。

             貴方の心は それで満たされますか

                 個の尊厳と申します でも それは 自分が在ればこそですよね。

2365:綺麗ごと

広辞苑には「綺麗事」が@手際よく美しく仕上げること A体裁をつくろうこと。また、物事の実態はそのままで、表面だけをとりつくろうこと。 Bよごれないで済まされる仕事 の3つの意味があります。
 日本語のいいまわしは独特です。ただ、綺麗ごとはあまり良い意味には使われない。むしろ、そこに有る矛盾を指摘する。
 理想と現実の乖離という言い回しもあります。人間には良いとこ取りするタイプがあります。さも自分の手柄だと言わんばかりに聞いてもいないのに公言する。このタイプの人間は信用できませんね。
 それと、汚れないで済ましてしまうタイプも実に困ったものです。オコボレ頂戴というのでしょうか、チャンスを常に伺う目だけが異様に光るタイプ。
 本質を見究めことは難しいのですが、私が先輩から教えられたことで今も守っていること、それは笑顔、どんなに恵まれた環境に育っても笑顔を失った人は可哀そうです。
 それが自ら起こした原因ならば仕方がありませんが、そうじゃない人って沢山います。それを見て見ぬ振りをすることもできました。
 でも、日本の現状更には将来を考えてもそれが不可能になった。分かり易いことで、高齢化。
 これが人間が元来持っている欲(望み)から生まれているという事は皆さんあまり言いません。高額な医療費だってそこに原因があります。
 昨夜、またお年寄りのグループホームで悲惨な出来事が起こりました。長崎県で火災による利用者4人が犠牲という事件です。原因がどこにあるのか調査を待たないとなりませんが、大体想像はできます。
 介護するスタッフの手薄さが一番の原因でしょうね。
 この問題は全国の介護の現場の共通する実態です。それを知りながら箱モノを作り続ける。
 本来誰しもが望む”長生き”が、医療現場での延命治療の常態化、何本ものチューブにつなげられベットに横たわる姿と合致する
 多分、それへの様々な問題提起(考える会&学会など)がなされているとは思います。
 私はどんなに話合っても根本的な解決は見出せないと思いますよ。
 これはあくまでも私見であります。豊かさと便利さを誰しもが何の疑問も持たずに追い求めてきた結果だということです。
 地域の連携や家族の絆が薄れ、不均衡な権利と義務の実状、約束ごとの不履行等々・・・・。
 常識で分かることです。一度良い思いをした経験があれば、誰だってそれを忘れません。
 自ら汗水を流し労働することを忘れた民族は滅びます。多分、誰しもがそのことを気付きながら、まだ大丈夫と思っているんじゃないでしょうか。
 それって何なんでしょうね。言うべき人が口を閉ざしているからかもしれません。
 憎まれっ子世にはばかる・・・とかいう箴言。でもこれはその時代によって大分捉え方に違いがありますよ。

2366:ヒント

日本ペンクラブの会長をしていた阿刀田高氏がラジオ番組に出ていた。彼の造語なのかどうか知らないが、アイデアストリーという話があった。ご存知の如く、彼は短編小説を既に800編も世に出した。このアイデアはどうして浮かぶのかという問いかけに彼は常に気配りを怠らないという。 お札にすったマッチ棒でメモするように、書き留めているそうだ。
 お金にメモするというのも極端だが、多分、一瞬の閃きの大切さを知りつくしているからだろう。最近、私小説を書く作家が多い中で彼の筆跡は違った趣を呈す。 それは、彼の生い立ちがそうさせているのかも知れない。母子家庭で育ち、苦学して早稲田の仏文科を卒業した。
 正直、私はラジオを聞かなければ彼にあまり関心は無かった。
 他人の人生をどうのこうの評したところで何の意味もないが、奢った処が無く、小説にかける一途さは偉い刺激となった。
 いま、あることで頭が一杯である。焦りと言うんじゃないのだが、うまく事が進まないもどかしさを痛感している。
数日前に某る方から5冊にのぼる本が送られてきた。その題名が『証』、多分傘壽を越して生きた証を残したいという気持ちがそうさせたのだと思う。関心したのは、よくあれだけの写真や記録を残していたのかと言う事で、私が知っているその方のイメージとは全く違ったものを感じた。
 誰しもが人生を振り返る事はあります。
 それが死の瞬間である人もいるだろう。昨日葬儀があった方は当にそうだった。入浴中に突然倒れ帰らぬ人となった。
 喪主が最後のお礼の挨拶で語った。「父は死の苦しみを感じないで逝ったことがせめてもの残された我々の救いです。」と。
 突然、何も告げず逝ってしまった父親。これから先、必ず父親との懐かしい昔の思い出が浮かぶはずだ。こんな時父親だったらどうしただろう?と語りかける。
 永遠の別れの先に、果たして何も無いのだろうか?
仏教で言う「無」とか「空」を理解することは並大抵の事ではない。ただ、釈尊が語ったという発句経を読むと死の先の事は触れていない。
 そこに大きなヒントがあると私は思う。
 此岸と彼岸、これを隔てる川があるとすれば、どうなのよ?どこに在ってその川が深いのか広いのか???
世界中の宗教に共通するものは、言葉は違っても言わんとうすることは変わらない。寧ろ、肝心な事はそれを信じるか否かという此方の在り方だと思うのです。

2367:昼夜変動

夜の帳につつまれて、静寂の中で昼とは全く違った世界が、心中で交互に繰り返されています。以前から自覚はしていたが夜は考えるには打って付けです、歳を取ってからは早寝の習慣が身について夜中に目を覚ます事が多くなった。
 夜はどうしても慎重になる。これがドンドン深みにはまっていくから始末が悪い。
 昼間、それがどうしたことか逆に積極且つ大胆になるのです。両方とも私自身なのでその時々の事をメモ書きするようにしている。
 後で読み返すとその違いは明らかだ。
 生理学的にその理由は説明できるのだろうか?ただ挟手傍観は許されず、決断をしなければならない。
 俄かに騒がれ始めたことで中国の大気汚染、偏西風にのって日本上空にも飛んでくるという。あれだけ広い国土の中国でも積もり積もれば社会問題にまで発展するわけだ。
 領土問題それと大気汚染、下と上から日本が攻められているように感じてしまう。それに対し、政府は対抗手段があるのだろうか?
 政権が変わってまだ2カ月目、株価や円安は確かに変化している。ただ、前政権から引き継いだ課題が山積している。
 そんな中で自民党の若手議員が福島原発の被災地を視察、総勢150名という。その中心が小泉氏、彼の言動には周りを引きつけるパワーを感じる。タイムリーというのか即戦力があってフットワークが軽い。
 昨日の今日だが国会の質問で被災地で聞いた話を必ずしますと明言、このタイプの議員は少なくなった。
 問題の先送りはするが、みずから骨身を削るような動きをしない輩ばっか。そんな議員の言い訳をどれほど聞いてきたことか。
 全てが全て夜型思考の議員になっている。
 誰しもが満足する政治など出来る筈はない。だからと言って何もせずにいられたら堪ったもんじゃありません。その見極めは国民誰しもがもっている。
 さて、私は今の政権に不安はある。外交や国民生活、これは待ったが効かない。卵が先か鶏が先かという観点ではなく、この国の容をどう描くかという根本的な問題だ。
 どうも訳が判らない事件が多い。インターネットを使った巧妙な犯罪、それに医療法人という御旗を掲げての資金集め、合法か否か、なんでもござれの様相である。
 犯人が逮捕され、その時にマスコミは挙って報道するが、その後どうなったかは構わない。そして、日本ほど平和で安全な国は無いとの決まり文句で一件落着。
 事件に巻き込まれ偉い被害を受けた人は運が悪かった?
 この種の出来事が増えていないでしょうか?昼夜変動なんて話とは次元を異にするが無視はできませんね。
 

2368:1歩また1歩

人間の歩みは遅々としています。自分の足で歩き、頭で考える。これを当たり前と思っている。
 だが、違いますね。皆さんが知らないだけですよ。知らない事が幸せか?そうとも言えません。何せ突然悲劇は前触れもなくやってくる。
 今年、障害者差別禁止法が国で制定されることになっていることをご存知でしょうか。2月23日につくば市イーアスにおいて茨城県におけるその条例化に向けての設立総会が開かれます。私も参加します。
 様々な障害者団体の総意によって設立への動きが加速しています。
 2006年にお隣の千葉県では全国に先駆けて「障害の有る人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が制定されました。障害者への具体的な差別をあげ、その解決を県民あげて取り組もうというものです。
 その後、北海道、岩手県、さいたま市、熊本県と国がつくる前に独自に条例会する動きが出ています。
 私は、以前より腑に落ちないことがあります。端的に言いましょう。障害者施設を新たにつくる時に何故、地元の同意を得無ければならないのでしょう?当然、1000u以上の土地を利用して行う場合は開発行為が必要となり、事前公示や地元説明会が必要なことは分かっています。
 問題は、障害者の施設は「迷惑施設」と考える人達です。全国的にマスコミが騒ぎたてる程の建設反対運動は減ってはいます。
「障害者差別禁止法」は国際社会の標準規格だと言われています。先進諸国の中でその制定が日本はもっとも遅れていた訳で、やっとそれが実現する方向になったのです。Nothing about us ,without us (私たち抜きに、私たちについての一切のことを決めないで!)という当事者主権と理解、その社会への大きな啓発効果があると思っています。
 そこで、万が一、障害者施設を建設しようとした時に、地元の反対が起こった場合にどうなりますか?
 本来の有るべき姿としては、反対する人達が障害者差別禁止法によって罰せられることになるのではないかと思うのです。
 極端な例を言いますと、地価が下がるとか環境が悪くなるということを堂々と訴える人が今もっているとか。
 ホンネとタテマエは違うからなと関係者ですら公言するものもいます。
 私の住む土浦市は「日本一住みやすい街の実現」を市長さんが公約しています。 ですから、そんな事は決して起こらないものと信じます。
 ただ、我々は高飛車な物言いは慎まなければなりませんね。地域に仲間入りをさせて頂く立場を弁え、日頃の実践の中でそれを一歩また一歩証明していくべきなんです。

2369:盤根錯節(ばんこんさくせつ)

何か事を為そうとする時に解決しなければならないことを諦めず根気よく立ち向かうか。これは能力というよりも努力でしょう。
 どうもこの”力”の弱まりを感じている。食べ物を考えれば直ぐに分かってもらえることで何せ24時間コンビニが開いているからちょっと足を伸ばせば誰もが食べ物に在り付ける。私などインスタントラーメンの時代に育ったものだから、乾麺をゆで上げ、それからうどんをつくるなんて手間暇はかけない。お湯を注いで3分。
 利便性の追求は、今後も続くだろう。ドンドン人間が怠け者に成り下がる。しかし、これが実に厄介になっている。単純化するかと思えば全くの逆現象、根が張り巡らされ、どこがどうなっているのか素人には判らない。
 一端トラブルが起こると元通りにするのに膨大な金と時間を覚悟しないとならなくなった。
 何かで知った事ですが、動画配信で収入を得るという新たな商売が出て来たと言う。アクセスが増えれば広告収入が入ってくる仕組みなそうで、うまく行けば高収入を得ることが可能だという。
 なんという時代になったものか。
 一昔前ならば、人材派遣業なんて商売は無かった。ハローワークという場所に求人と求職の接点があった。それが充分に機能し無くなり、民間会社でそれに替わる商売が急成長、これがご本人に渡る金にプラスされたものを事業所が負担し派遣してもらう。
 どうなんでしょうね。ハローワークは国の機関、相当な経費がかかっているはず、そこが時代のニーズに対応できなくなっているならば問題だ。
 これこそが無駄だと私は思う。
 さて、障害者を取り巻く様々な動きは正直一進一退と言えましょう。去年の10月1日に制定された。障害者虐待防止法、それに続く障害者差別禁止法、ここにきて足踏み(?)状態になったのか雲行きが怪しい。
 一言に障害者といっても実は様々な種別があり、何か決めごとをする時に簡単にはいきません。手続きが面倒なのと支援の内容に格差があって超え無ければならない壁が立ちはだかっているわけです。
 知的障害だけでも、障害程度の区分なんかがあるものだから、実にヤヤコシイ。
 我々事業所は、中身が枝分かれされていて、支援者の数や資格の有無など、以前とは比較にならない実態だ。

 相も変わらずに緊急性のあるケースが増えている。正規の手続きは後回しにして、取りあえず受けて欲しいというケースだ。 なるべく受けるようにしているが、定員の上限があって現実には難しい。だから、その為に少し余裕を持たせていなければ身動きが取れない。
 緊急受け入れの場合は、後後厄介な問題が起こることが多い。どこの市町村が窓口になるかということ。制度では決まっていても転々としている人はどうにもならない。結局事業所側が最終的に全ての責任をとるようになってしまう。
 私が師と仰ぐ先人達ならば、これぞ福祉の本丸ぞ!と言うに違いない。

2370:メリット

メリットとデメリットは、常に何か事を為そうとする時に、誰しもが先ず考えるものです。損得勘定というと何かそこに後ろめたさを感じてしまう。
 結果はどちらにしたって変わりはないものだが、心情的に気にしてしまうのです。
 これだって周りの評価を気にするからで、そんなものどうだって良いと思えば我が道を歩むで割り切れますがね。
 日曜日に家族会の研修で「虐待防止法」を実施する。
 この法律は平成24年10月1日からスタートしている。正式な法律名は『障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律』という。家庭、施設、職場内での身体的虐待・・・心理的虐待・・ネグレクト・・などがあった時に通報する義務を課したものである。市町村には障害者虐待防止センターを県には権利擁護センターを設置する。当然、内部通報者に不利益にならないような保護策もとられている。
 法律の目的は、障害者にとってのメリット(利益)を図るもの、この法律が施行された時、私は違和感を持った。それは医療や教育現場にはこの法律が適用していないからだ。正直、その時政治的圧力を疑った。でも、結果が良く変われば良いじゃないかと思うように今はなった。
 虐待が無くなることを反対する人はいない。「当事者主体」という考え方は今日的な福祉施策の動向に一致する。
 ただ、それだけではあるまい。当然の事として本人が生きる喜びを感じ、自己実現(自分らしさ)を発揮できるようにならないと元の木阿弥、その部分については予想通り法律での具体的な指針は見当たらない。
 施設や職場は、正直後手後手の対応を余儀なくされている。
 日本は経済的な豊かさを最大の国是に掲げている。世界での頂点を目指す企業、厳しい競争の中で生き残るのは並大抵のことではない。ベンチャー企業家とかいって持て囃される経営者、その裏で何倍もの企業が倒産している現実。
 社会保障は、豊かさより”安心”を目指すものだ。現状はどうなっているのか?制度や規制の中で蠢いている。
 またもや、長崎と新潟でグループホームでの火災事故が起こった。悲しい事に犠牲者が出た。翌日、国は文書で注意を喚起、消防は近く管轄内のGHなどを査察するという。
 現場にいる私には、根本的解決には程遠いと思える。
 何かが違う。一言で言って”安心感”ではないだろうか!
 安心を得るための施策を図るべきところ、そこに微妙なズレを見るのは私だけではあるまい。