源究136

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2231 ルール 9/10 2236 ロマン 9/15 2241 モチベーション 9/21 2246 平和ボケ 9/26
2232 闇の中 9/11 2237 再度のお誘い 9/17 2242 加藤寮長 9/22 2247 言葉の軽さ 9/27
2233 気分転換 9/12 2238 法事の後 9/18 2243 住職とは? 9/23 2248 9/29
2234 彼岸前 9/13 2239 どんでん返し 9/19 2244 職場説明会 9/24 2249 頑張ったね! 9/30
2235 乱立 9/14 2240 無いモノねだり 9/20 2245 旅仕度 9/25 2250 衣替え 10/1

2231:ルール

人間生きて行く上で最低限守るべきルールというものは有るのではないでしょうか?
 社会人としてモラル欠如の人を見過ごしてきた弊害が出ています。世話になった人に少なくとも挨拶位はすべきでしょう。それができない人間が果たしてこれから先どう生きていくというのでしょう。
 兎に角、残念というか正直腹立たしい気持ちです。
 自己中心の考えは必ず壁に突き当たる。その時、また避けようとするはずで同じ事は必ず繰り返されます。
 以前、某総理の秘書をやっていた方がある番組に出てこんなことを言っていました。
 日本は世界で一番安全な国、一番住みやすい国、それが今、総崩れする瀬戸際に来ていると。これは大阪発の維新の会に対して言った言葉。でも、別に政治の世界だけの話ではなく、一般社会にも同様のことが溢れている。
 今朝の新聞に現職国会議員7人が新党に加わるという記事があった、この動きに最早ルールなど微塵も感じない。
一宿一飯の恩義なんて言えば笑われるのが関の山、でも彼等は有権者の意志をどう考えているのか。
衆議院が解散し選挙があれば、相当数の票が新党に集まるのは確実だとみている。それに便乗しようとする目論見がミエミエ。
 でも、移る議員の顔ぶれを見て誰しもが不安を持つはずだ。彼らが万が一第1党となり政権を取る事になった時、今以上の素人集団となって混乱するのは必至だ。
 政治が軽くなっている。議員の言動に重みを感じない。公言したことをいとも簡単に撤回する。
 政治モラルの欠如は公人として致命的、政治家個人のバッジはどうでも良いのだが、”世界1安全で住みよい国ニッポン”が危機的状況に追いやられることは黙認できないでしょう。
 一時の流行り病の如く、新しいものに靡くのは常の如し。ここは一つ冷静な判断が国民一人一人に課せられるべきだ。
 政治が機能しなくなっても世の中は支障無く回っていくのだろうか? 某隣国ならば政治と軍部の綱引きがあり、緊張関係が常に存在する。日本にはそれが無い。政党間の緊張関係も曖昧模糊となり、何によってバランスを保つのかが難しい
 2大政党制をつくることに自らの政治生命をかけたという人も急に表に顔を出さなくなった。
 この昏迷は更に続く。何せ次々にリリーフ登板する者達が更に局面を悪くし不安定にするんだからどうしようもない。
 何か元気が出て心底笑えるような話題はないのだろうか。
  
 

2232:闇の中

昨日、突如流された現職松下金融担当大臣の死のニュース、この真相は良く判らない。野田総理や全閣僚向けの遺書が3通あったという。
 マスコミは挙って近く行われる民主と自民の代表選の報道を続けている。その最中でこのような事態が起こった。遺書の中身は公表されることはないかもしれない。真相は闇に葬られるのか。
  メデアの報道は怖い、多分、常の如く、色めきだって興味を煽るような記事が書かれるのだろう。今の政治は、尋常な状況にない。政局絡みの駆け引きが横行闊歩、彼等の頭にはどうすれば選挙に有利になるかだけしかない。報道陣を意識したパフォーマンスは実に見苦しい。ミツバチが蜜を求め、飛び回る光景にダブる。
 末法の世とはこの様か。方やその動きとは全く次元を異にした仄々としたニュースも有る事は有る。地元土浦からロンドンパラリンピックの自転車競技に参加した藤田選手は見事銅メダルを獲得した。彼は倉庫を自分のトレーニングルームとして仕事が終わってから黙々と一人で練習に励んだ。不慮の交通事故に遭遇し、両足切断、それにもめげず前向きな選手生活を建設メーカーに働きながらの続けて得た快挙。
 正直、一部の関係者以外にあまり騒がれなかった。
 今、元気や勇気を貰えるニュースを探すのは実に難しい。マスコミにも問題あり、片隅にちょこっと載せる程度では、大衆の眼に入らない。
 しかし、真相は違うかもしれない。ご本人達は別に取り上げてもらわなくても構わない。自分との闘いだから、世間の眼は関係ない。結果としてメダルを取った。各競技に決められたルールの中で競い合い、夢を現実のものとした事に価値があるとみる。
 だからこそ周囲の人々は心動かされるのだ。
 政治にはこのルールがない。ドンドン闇深くなって見えない部分が多過ぎる。本来有るべきルールさえも自分達に都合の良いように作り変えようとする連中だ。
 我々国民も目を覚まさねば。だってそうだろう。何でも有りの戦いで勝利を収めた人間を祭上げ一緒になってカチドキをあげてきた。これら全てが共同責任だ。
 だとすれば、我々に残された選択肢は何なんだ?一歩も二歩も引いて、自らの立つ位置を確認しながら自らの役目を果たす。これしか無いよね。
 そして、言う時は言う。やる時はやる。この両刀を決してはなさず、闇の一光を諦めずひたすら探し求めることだと思っている。出来ない事を良く言うよと諦めて後悔は絶対したくない。

2233:気分転換

働ける仕事があるという有り難さ、これは仕事が面白くて仕様が無い時には感じない。どんな時に感じるか?何らかの理由で仕事を辞めた時や就活が思うようにいかない時に思うもの。
 一番悔しいのは体調がすぐれず働けない時だ。また、仕事があっても現状に不満を持ち転職を常に考えているのだって気分爽快とはなるまい。今は転職をして、前より条件が良くなる事はあまりない。
 様々な就業形態があって期限付きの契約社員も実に多い。これは半年や1年後の保証が無く、取りあえず現金を得るために働いている。この状態を繰り返していると再就職で決してプラスには取られない。
 一方、正社員だって決して甘くは無い。基本給以外に様々な手当てや負担が雇用側にかかるから全体を低めの設定に成らざるを得ない。過去の栄光を夢見る事は自由だが、大企業と言えども大変厳しい時代となっている。シャープは人件費の削減を何百億円行うという。世界の亀山と言われたシャープの基幹工場もいま存続の危機に見舞われている。OKI電気の海外法人(スペイン)が粉飾決算で多大な損害をもたらし、現地採用の社長を告訴したとか?海外進出組も悪戦苦闘を余儀なくされている。
 これは大企業だけの問題ではない。事業拡大し、外見は良さそうに見えてもその財務実態は酷いということが結構ある。
その最たる商売は外食産業、何せ過当競争が激しく、弱肉強食で潰し合う。この流れは例外なくあらゆる業種に入り込む。それもあからさまに遠慮なく。教育・医療・福祉も規制緩和がすすみ過去の聖域感は無くなって、その数の多さは適正さを遥かに超えている。業界は既得権を死守しようと必死になるが、瓦解は最早時間の問題となっている。
 店・事業所の数が増えれば人の問題が当然起こる。良き人材の確保が難しい。そして、消費者からのクレームや規則の順守に事業所側は四苦八苦、社是や理念をそっちのけでただただ事業の存続を守るという。
 サービス業の宿命と言ってはみたものの、尻に火が付いては内心穏やかにはいられない。
 嘗ての花形職業、医師や弁護士、この数も増え過ぎて、経営に苦労する所が目白押し。何せ一人では何もできない職業だから、ここでも人材の確保で苦労する。
 いよいよ全てが収縮期に入ったようで、余程先見の眼がなければ事業継続の見通しは決して甘くは無くなった。
 既得権を守ろうとする業界ほど体質改善(改革)が遅れている。それは何かうま味があるからで、情報開示が義務化された今の時代、そのままの形で死守することなどできやしない。
 私は決して今を憂いているのではない。確実に時代が変わったということで、それにどう対処していけば良いのかを模索しているだけである。
 経営者の使命は、ここにある。
 気分を変えながら新たな発想を思い浮かべる。以前ならばここに喜びを感じたものだが、正直、そんな流暢な事は言っておれない。
 

2234:彼岸前

19日の彼岸入りから1週間が秋の彼岸となります。
 日中の最高気温は依然として30度を超える日が続き、草木も萎れているかと思いきや雨が2〜3日纏まって降ったものだから急に元気を取り戻しました。バロネスという実に便利な草刈り機があり、この時期私も使って草と悪戦苦闘します。
 足の膝が埋まる程の長さに伸びてしまった草はエンジン全開でも中々刈れません。高速運転できれば、あっという間に終わってしまう作業が2倍以上かかってどうにか終了。刈り終わった後を見て自己満足、作業中、気がついたのは、草の中から様々な虫やカエルが飛び出してきて、彼等からすれば偉い迷惑なことと思っているに違いない。
 メーテルリンクの「青い鳥」を2日で読み終え、彼の夢幻詩の世界にドップリ浸かってしまったからかもしれませんが、虫の気持ちが分かるような錯覚をおぼえます。
 普段、車で通り過ぎてしまっては、分からないことが私の周囲に沢山あることを感じながら外での作業は実に爽快です。
 その時、不図思ったことが、国民総出で大掃除をやる日を法律で決めたらどうだろうということ。
 無駄を省こうとか鳴りもの入りで始めた民主党の公開ヒアリング、もう忘れられてしまったようです。
 なんと、日本では毎日廃棄される食糧が想像を絶する量、賞味期限切れだけでなく、食べ残しや価格調整の為に出荷前に処分されるものをいれたら、もの凄い金額です。
 この無駄を反省もなく日々繰り返している。総出で掃除をすれば、普段気がつかない無駄が必ず見えてくるはずです。
 船中八朔も良いですよ。でもね、ちょっと現実離れが酷過ぎません?本当に実行できるのか疑わしい。
 それと、体質は簡単に変えられないね。長老政治や派閥の動きが自棄に活発になり、誰を代表に選出しようかと国会そっちのけでまた始まった。
 国会議員も長靴はいて軍手をはめ、掃除をやるんですよ。いかに、自分達がピンと外れの事をやっているか少しは分かるかもしれません。黒塗りの高級車をバロネスに替え、汗かけば良いんだよ。江戸時代屈指の名君と言われた上杉鷹山を見習えば・・・・・・。
 果たして、平成の名君と言われる人が今後出てくるのでしょうか?
 日本には徴兵制度がありません。ドイツや韓国には今もあり、一定の年齢になった若者は軍隊に入らなければなりません。
 その是非を問うのは別の機会にしてと徴兵でなく奉仕作業を義務付ける。長期で1週間、マイレージカードと同様に1年間で行った時間を加算するのです。
 個別の事業所では今も一斉作業として実施している所もあるようですがね。
 これは計り知れない効果があると思います。
  昔の人達は自らの足と手を使って生きてきた。だからその有り難さも解るんです。身体に不具を持つ身の気持ちが分かるのはその経験がなければできません。
 どうも国は社会保障の仕組みを考えあぐねているようだし、国民総奉仕作業制度を私は提案したいのであります。
 

2235:乱立

かつて自由と民主主義の世を求め、様々な抗争が繰り返されました。それから大分時代が変わって、その当時を語れる人の大半は黄泉の国に渡った。ですから、今の状況が当たり前となりその是非を検証をすることさえ出来ないのです。集団自衛権を認めるべきだと公言する政党が登場し、党の推薦を受ける条件に賛成することが付された。危険思想とは言わないまでも、最近の外交を見ていると危うさを誰しもが感じています。
 国連での総理の演説をみても、できもしない事を得意になって語る。いつのまにかご本人はその座を去り、蚊帳の外、時々、頼まれもしないのに顔を出し、直ぐに引っ込んでしまう。子供のかくれんぼじゃーあるまいし、いい加減にして欲しい。
 国会が閉会したのかどうかも知らないが、今や自民も民主も代表選一色ときた。それぞれ5人も立候補、なんでこのような国の大事に身内の親分選びに現を抜かすのか?どうせ、また足の引っ張り合いをするのでしょう。
 この無責任体質は致命傷ですね。ラジオで経団連の重鎮の話、怒りを通り越し、息切れしているように感じました。
ノウテンキ&スットンキョウ、これは個人ならば洒落になるが、公人ですからね、貴方達は自分の置かれた立場を見失ってしまった。
 乱立は自由社会の有るべき姿とばかりに、切磋琢磨と潰し合いを混同、なれの果てが分裂を繰り返す。
 いま、有権者の正直な気持ちはですね。選挙区に投票したい人間が誰もいないという事ですよ。これと永田町の動きのミスマッチ、応病与薬ならずとも、覚悟ある外科手術しか手が無いのではありませんか。
 高学歴で経歴も申し分ない人達を急造し、推薦候補にするのは仕方が無いとしてもです、最早、”青田刈り”状況。
 そんな愚痴をいくら零しても誰一人喜ぶ者は無し。
 世の常として、強きモノが残って弱きモノはさる運命か!
 格差社会を認めることは、本来の福祉には馴染まない。水と油は、同じ器の中ではどんな事をしても一緒になれぬ。
 何か中和する薬剤をと様々な仕組みや制度を考えてはみたものの、イマイチしっくりしないのは至極当然の結果である。
  要は薬剤では無いのです。思いやりや優しさと言えば、時代から取り残された変わり者と呼ばれ村八分になりかねない昨今、でも、本当にこれで良いのですか?と私は問い続けよう。
 時代が変わり、後20年後、この国はどうなっているか。
私は超高齢化年代に入れられて、エアコンのガンガン効いた部屋でママごと遊びをやっているかも知れぬ。拒否します!
 若者に邪魔にならぬよう、どこか、静かな所で自給自足の生活を・・・・・・・。そう考えると少しは心穏やかになるのです。
 

2236:ロマン

還暦を過ぎた者が”男のロマン”なんて格好付けても様になりません。最近撮られた自分の写真をみると、誰だこれ?と先ず思います。陽の光ならまだしも屋内の電気の明かりにさえ存在感を失った私の髪、それと目の淵に漂う老いの兆し。
 これら全てを有りの儘に受け入れよう。でも、この儘人生を閉じる訳には行きません。せめて夢や憧れを持ちつつ、そして適度な緊張感を味わいながら。。。。。これをロマンと言うには、正直恥ずかしいのですが、現在、そのような心境でおります。
 大分、分かりかけてきた事ですが、10年先、20年先を考えると最早、私の体は機能停止となって、焦燥感が増殖を始める。この目標設定を2〜3年先に短縮すると、不思議な事に思考停止状態からまた能が動き始めるのです。
 これも馬車馬のニンジンかもしれません、何かのエサが無いとモチベーションは上がらないのでしょう。
 懐かしのメロデイなるCDを聴いていると、先ず、歌詞よりメロデイが浮かぶ。それから時代が戻って、ドンドンと記憶が蘇る。誰だって思い出したくない事もあるでしょう。だからと言って無理に記憶の扉を閉めることはしない方が良い。
 今ならば受け入れられるから、そうじゃないでしょうか。
 誰だって望んでも出来なかった事があるものです。それは必ず頭の片隅に残っているものですよ。それを思い出し、今度は違った調味料で味付けすれば良い。年齢や経験にあったやり方で。
 誰にだって、肉体的な老いは起こりますから、それを悔んでも仕方がありません。寧ろ、精神面での老いは避けたいものです。
 どうすればそれが出来るかって?ハイ 結論!自分で考えるしかありません。これが貴方のスタートラインになるからですね。
 時には怒りもその原動力になるでしょうし、それに行動も必要だと思います。
  多分、そう考えると”今日 何をしてすごそうか?”という心配は自然と消えていくと思います。周囲を見回して御覧なさい、何か有る筈です。ほんのチッチャナ事でも良いじゃないですか。
 それをロマンと言いたい。ロマン探しの旅ならば、決して贅沢な旅はいりません。歩きが最高、。。。。
 その正反対の状況が今の日本に蔓延していると思っています。
 情報が氾濫し、日本人誰しもが評論家になっている。そんな事を言うなら、アンタがやったら!と言われて、初めて自分に考えが無い事が分かる。太宗の問い、創業か守成かいずれが難?を持ちだすまでも無く、
 今の日本は当に守成の難しさに直面しているのです。
 徳川家康は戦乱の世を終わらせ、太平の世の礎を築いた。家康は戦いに勝つことより、いかに負けないかの戦略に長けていた武士だと言われる。
 江戸時代の長さと比べ明治維新後の日本は、まだまだ安定期にあるとは言えまい。その意味からすると今の政治に一番欠けているのは負けない戦略かと思うのです。如何でしょう?
 

2237:再度のお誘い

『ACE地方会in茨城』の企画がほぼ固まりました。どうぞ、関心がある方は参加してみませんか?参加は無料で自由です。
 但し、会場の関係で事前の申し込みは必要になります。
 昨日BS放送で”岡崎嘉平太”氏の放送がありました。戦後、中国との友好関係づくりに命がけで尽力された方です。周恩来首相との信頼関係から、日中の懸け橋になるべく様々な活動をされました。岡崎基金を設け、中国からの学生の受け入れを積極的に行いました。
 「信は縦糸、愛は横糸 織り成せ人の世を美しく」を良く話されていたとか、中国と日本の関係は1000年以上になります。我が宗派の祖、空海は長安に渡り、恵果和尚より多くの教えを受け、日本の発展に多大な寄与をされています。
 その先人達は、いま起こっている反日運動をどう思っているでしょうか。”内省”と”感謝”の気持ち、いずれかが無くても相手に心から受け入れられることにはなりません。
 領土問題が急に脚光を浴びるようになっています。日本の言い分と相手国の言い分、過去に確たる結論が出ていたのか否か、正直、両国の若者には分からない事が多いと私は思います。私自身、教育でその事についてどのように教えられたか記憶がありません。
 岡崎氏は自ら100回も中国に渡って、実際に自らの眼で中国を見てもらいたいと多くの人達を連れていかれました。
 今、中国の台頭に成す術もなく立ち尽くすだけ、そう言いながら日本企業の中国進出は凄まじいものと聞きます。
 果たして、その姿を中国の人達がどう感じてきたか?その反省も必要ではないかと私は思うのです。
 国と国の紛争は、お互いの利害が深く関係しています。自分達の言い分が全て正しいと考える前に私達が出来る事があるのではないかと思います。
 日本の指導的立場にいる人達は、戦争を知らないで育った世代になっています。
  面子や己の利害の為に、軽はずみな言動は控えるべきです。
 確信の持てないことを、さも当然だと振る舞う事は、先人の地道な努力を蔑ろにするものだと思います。
 自分達が何を考えているかを発信することは必要でしょう。でも思い通りにいかないからと自棄になって無責任な行動をすることは控えるべきです。
 時機を得たというのでしょうか!ACEは、当にアジアの国々の友好を目指し、障害者の支援協力によって、信愛関係を築こうという目的で設立されました。決して政治的な背景はなく、人と人との交流から、良好な関係を築こうとする地道な活動です。
 今回、縁があって、ACE地方会をつくば市で行うことになり、最初は戸惑いがありました。果たして関心がある方がどれ位いるだろうという心配です。それでも徐々に協力の手を差し伸べてくれる人が出てきて、やっと実施案内(チラシ)を作る段階に至りました。
 これも一回きりの集いでは意味がありません。必ず次に繋がる活動にしなければなりません。行政からの助成金など当てにせず、手弁当で集まり地域から発信するという事です。
 まだ、正式には募集は行っていませんが、再々のお誘いをネットを通じて行うものです。『ACE地方会in茨城』はこちらから。

2238:法事の後

寺の本堂で法事がありました。幾分気温が下がったでしょうか開けた窓から時折入る風が心地よく感じます。3回忌法要ですから、2年が経ったわけです。この辺の時間差であれば断片的であっても思い出すことができます。故人は陸上自衛隊を定年まで勤め、その後、田舎に戻り家族と共に過ごされていました。全国の基地に赴任し、家庭を留守にすることも多かったようです。
 お孫さんが一人いまして小学生になるという彼女は御両親と最前列に座って大人しくしていました。
 法事の後、少し時間を頂きお話をさせていただきます。 
 今の中国で起こっている反日運動をお祖父ちゃんがいたらどう思ったでしょうか、日本の領土だから一歩も妥協せず対抗手段を取るべきだと言ったでしょうか?
 多分、お孫さんの事や家族を思い、二度と戦争は起こしてはならないと言うのではないでしょうか?そんな風に話しかけたら、皆さん頷いていました。
 最前線に立つ自衛隊員は、命令が下れば出動しなければなりません。多分、故人もそうしたに違いない。昭和7年生まれでしたから、自らは戦争に行っていない。でも多感な少年時代をあの非常事態の中で育った。その思いがあって自衛隊を選んだのか否かは知りません。真面目一本で厳しい人でしたと言うのは長年苦楽を共にした奥様の話。
 法事の後は、どうも坊さんの一方的な法話ではいけないと言うのが私の考えです。
 遺族が、いま大切な人がいなくなってどのように感じているのか。その事を語らずして、釈尊の教えをそのまま語っても耳に入らないと思うからです。結局は自分自身の事に全てが行きつくのです。
 誰しもが感じていることですが、反日運動がどこまでエスカレートするか予断を許さない事態にある中で、なんとまー民主も自民も自らの党の代表選びをやっているのです。このミスマッチは正直、呆れてモノが言えません。
 彼等は、不測の事態にどう対処するというのでしょう?いまこの時に至って地方遊説を行っている自民党も同罪です。彼等は政府を批判することはやりますが、国難を真剣に国会で議論することを、避けている。どのような言い訳をも現にそうしてきたではないか! 5人が全て、先の戦争に従軍していない、当にお坊ちゃま議員達である。ここに日本の政治家の劣化を感じる。明らかに高見の見物といった対応に、有権者の多くが貴方達を信じることはできないでしょう。
 震災の後、この国は変わったか!と言われます。被災地の皆さんに比べて、記憶さえ薄れてしまった人達が随分多いのではないだろうか!
 おおいに憂うべきだ。涙を流せ、悔しさを決して忘れるな、。。。。
 それも他人事ではなく、
 明日は彼岸の入りですね。
 

2239:どんでん返し

朝から雨です。やっと気温も下がり秋の彼岸らしくなってきました。今朝のラジオ深夜便で北海道の赤ひげ先生の話がありました。担当デレクターの佐野先輩の人柄を感じながら道下俊一先生の半生期にわたる僻地医療の実践に感銘を覚えました。
 「カルテの裏側」の話、高度医療が進み、専門性を重視する現代医療の中で患者さんと相対の付き合いができる医師が減少しています。でも、道下医師御夫妻の話を伺い、日本人も捨てたもんじゃー無いと確信しました。
 私は大いに反省しているのですが、いつもこのコーナーを書いていると政治の悪口を言う自分に気づきます。
政治家一人一人は決して万能ではないこと位知っていますが、それだけ政治に期待している自分もあります。この矛盾は、どうしようも無く、だからと言って自分が理想郷を描けているかといえばそれも無いというのが正直な処です。
 道下医師の話で心に深く残ったものがありました。それは道東の霧多布という辺境の地で2度の津波に襲われ、尚も住み続ける人達との交流で若者に何故、都会に出ないのかと先生が尋ねると、その若者は「故郷は捨てられない」と語ったエピソード。
 故郷は、自分が生まれた場所だけではなく、何かの縁で長く住むことになった土地であり自分を良く知っている人が多くいる土地だという。
 日本人はその故郷について今一度良く考えてみる必要を感じます。原発事故後、故郷を離れなければならなくなった福島の人達、それと尖閣問題です。全く違うと思います。
 先の大戦の置き土産と言ったら語弊があるかもしれませんが、戦後処理が未だ終わっていないと感じるのです。同じ敗戦国のドイツやイタリアには同様の問題が今もあるのでしょうか?
 島国故の宿命かどうかは知りませんが、問題の先送りをしてきたツケが一気に吹きだしたように思えます。
 果たして領土問題の解決は有り得るのでしょうか?どの時点にまで遡って所有権の根拠を明らかにできるか、それも双方の了解があってです。
 何かどんでん返しが起こるような気がしてなりません。中国の国内事情も複雑で、反日だけで運動をしている人達だけでは無いような気がするからです。次期首席になる方が突如、表舞台に出なくなった事に様々な憶測が飛び交う。
 一方、日本の現状は、危機意識欠如の指導者達が右往左往しているだけが目立ちます。
 当然と言えば当然で、これだけ頻繁にトップが変わってきたわけですから、外国から信用されないのも仕方がないでしょう。
 そして、次期の総理になるであろう代表者選びに夢中になっているのです。
 何か確たる信念を持って、自らの使命をやり遂げる気概ある人間が一番少なくなった国、ニッポン!
 カルテの裏側を知らずして、説得力のある交渉事はできない。これ世の中の常識であると私は思う。
 

2240:無いモノねだり

実現が難しいのを承知の上で求めることを”無いモノねだり”と言います。
 いま、そんなジレンマに駆られています。マネージメントの要は一体何でしょう?”気”だと思います。気概とかやる気の気です。相手に対し無い物強請りしているのであれば、少々問題ですが、出し惜しみしていると感じたらどうですか?
 否、知らぬ顔とでも言うのでしょうか、我関せずとばかりに、寡黙に徹し、反応を示さない。もし、そのような会議があったとしたら、これこそ時間の無駄というもの、それと、憎まれ役を巧妙に避ける人間っています。ご機嫌伺いは上手だが、肝心な時に口を窄めてしまう。このような人間がトップにたつと末路は決して良くならない。
 日本人はいつのころからでしょうね。皆で渡れば怖くない式の人間が多くなり過ぎた。つまり、一体何を考えているのか分からず、指示されるが如く動く、主体性の欠如人間。本当は違うと思う。そう信じたい。
自分で考える事が苦手、咄嗟の決断が出来ず、何のためにやっているのか分からずに一生懸命(?)動くタイプ。
 説得力のある話ができない人間は、言動に乖離がある。言っていることとやっている事が違う。これでは何をやってもダメ、
周りでその事を注意する人間もいない。こうなっては組織は死に体同然。
 それと更にダメなタイプ、出来ない言い訳を並べあげ、その原因を他のせいにする人間だ。
 これまた、非常に多くなってしまったように思う。何故か?
 豊かさ後遺症と言うのかどうか知らないが副作用の一種、利便性を求め過ぎると人間怠け者が増え、自ら汗をかくことを嫌うようになるものです。その端的な例は、畑や山林を見れば直ぐ判る。手を入れなければ当然荒れ地と化す。日本人が退化したと思うのは、草取りをしなくなったこと。面倒だとばかりに除草剤を際限無しに使う。一時的に草が生えなくなるが、必ずより強い抵抗力のある草が生えてくる。ただ、土壌は明らかに作物を作るには適さない状態になってしまう。
 忘れてしまったこと、肥料をわざわざ買わなくても抜いた草を腐らせればそれが土壌に優しい肥料になる。このサイクルを便利さで失った。
 土に触れることを忘れた人間は、思考力も退化する。これ間違いない。
 いま盛んに危機感を煽る人達、このままいくと日本はどうなっちゃうの?と。そんな事良いから、自分のやるべき事を考えな!
 それが実にできない時代になっている。
 学校のイジメの問題が昔と比べると陰湿化していると聞く。叱らない教師、叱れない教師。昔ならばイジメた人間が虐められた。教育現場は好き放題で暴れん坊には天国か!責任逃れと隠ぺい体質。子供達は良く見ている。・・・・・がそれを言わなくなってきた。これが問題だと私は思う。
 教育とは、教え育てること。前項のカルテの裏側の話とダブる、要は成績表の裏側をどれだけ書ける教師になれるかが今の教育に一番必要なことなのかもしれない。これは施設で働く支援者も全く同じ。
 孔子の言葉を出すまでもなく、自分がしてもらいたく無いことは相手にするな!ということ。
 私は、自分の非を率直に言ってもらいたいタイプ、それと、動いていないと嫌なタイプ。これでは周囲の者は堪ったもんじゃーあるめーか。

2241:モチベーション

有り余るほどの”やるべき事”があるはずなのに、モチベーションが上がらないという理屈は私には分からない。
 孔子の言う忠恕(ちゅうじょ)の教えは、まごころと思いやりである。相手の事を思い相手の立場になって考える。人と人の繋がりで最も大切なことと言えましょう。となれば日本が経済的な繁栄で勝ち取った豊かさと言われるものが、誰しもが納得する形での世の中として実感できただろうか?そんな疑問が残った。
 世に言う格差社会は、勝ち組と負け組の二分化、嘗て日本中を覆っていた中流意識は、脆くも崩れ、なんでもござれのルール無き争奪戦が起ころうとしている。
 福祉という言葉が、今ほど虚しく聞こえる時を経験しなかった。高々60年の人生でさも真理を会得したかのごとく言う事に多少の負い目を感じるが、多分、私の予想はそれ程の的外れではないと思っている。
 確かに全てが全てではない。ただ、日本人が自分の事に無我夢中になっている間に世界は大きく変わった。
何がどうなっている?どうして?と戸惑う暇もなく次々に押し寄せる波頭に身を任せるしかない。
 これを大変革できるのだろうか?
何を独り善がりしてと叱咤されるのを覚悟して、敢えて言わせてもらえば、本気になれ!と言いたいのだ。
いまもって、ハローワークを訪れる人は後を絶たない。尚恵学園という小さな職場でさえ、求人票を出すと問い合わせが何人からも来る。正規職員への魅力だと思うが、残念ながら、面接して感じるのは何故この職場を選んだかという誘因は、明確なものを感じない。
 転職を繰り返し、自分探しをしていると言えば聞こえは良いが、そうとだけは到底思えない。
 嘗て3Kという人気ランキングがあった。しかし、いまそんな職場は見つからない。
ならば自分で起業するかという気概も無く、保険加入ができて、キツイ仕事ではなく、自分の希望する勤務体系・・・・・・。今時、こんな条件を出せる事業所があるのだろうか?
 働き過ぎの日本人?
 溢れる情報に良いとこ取りをして、こんな風にできれば良いのになーと夢を描くのは自由だが、どうでしょう?
 今から札幌からの客人を迎えに行く。今時、こんな人がいるのだろうかと思う程、オーラを感じる珍しい人である。≪中断≫
 

2242:加藤寮長

別称”ミスターK”なる人物、その”K”は加藤のKではなく≪危険人物≫のKだと自認する。変わり者のKだと言ったら叱られるかな。70歳を過ぎて今も全国を飛び回る超過密スケジュール、その中を約束を守ってくれて茨城の片田舎までやってきてくれた。それも、前触れ無しに突然?。(否、事実は「行くかもしれない?無理かもしれない?」という電話はご本人より大分前に頂いた)
 前泊の宿に着いたのが夜の10時、車を運転してきた埼玉の”ミスターS”がどこでどう間違ったのか東北自動車道で北関東に入らずに仙台に向かったからなんと120キロオーバードライブ、私はホテルの前に2時間も待たされ、やっと到着した時はお二人とも腰砕け、疲労困憊。そこで明日職員に話をしてもらう事に決まった。原稿を渡されたのが夜の10時を過ぎ、翌朝急に集めた職員で10時から神宮寺本堂で講演していただいた。
 ”うまくいっている話には裏がある。””施設福祉や地域福祉じゃーねだろう。人間福祉だ””今の福祉は幸せを止めている福祉だ””うちにはマニュアルは無い。夫婦にマニュアルがあるか!親子にマニュアルがあるか!ねーだろう・・”
”彼等は何を一番欲しているか解るか?役割なんだよ!”なんで横文字が多いんだ。ヤクザの言葉と同じじゃーねーか。特殊な世界でしか通じない言葉をさも偉そうに使うんじゃーねーよ。普通の言葉で話すんだ・・”
俺は平成の屯田兵だと自負、13年間、自らの家族5人で10畳一間で過ごす。それも寮生と一緒にであった。そこから学んだことが原点にあるという。
 就職で住み込みが条件だというこの実寮、過去には集団脱走する職員もいたとか。。。それでも寮長について行くと残った職員が今も支える。これが私が初めて訪問した時の強烈な印象になった理由かもしれぬ。12月、茨城の施設長を連れて行くと約束し、札幌で役員会を開催することになると思う。果たしてこの企画にどれだけの賛同者が得られるか?なんと札幌は茨城空港のおかげで東京に出るより早く行ける時代となったのだ。
 さて、突然、講演会に呼び出された我が尚恵の職員諸君!加藤寮長の話をなんと聞いた?
 野武士?危険人物?
 私がお見受けした処、茫然自失、キツネにつままれた様に思ったか?
 我が法人に風が吹くか否か!先ずもって私の決断にかかったという事は否めない。
 私が思った事を端的に言えば、我々が常識と思っていた事が世の中から見れば非常識になっているという事。
  そこをどのように実践で結果を出していくか、最大の課題が茲に見えてきたという事である。
 還暦なんて飛んで行け!逝くときゃー逝くしかあんめーな。

2243:住職とは?

昨日は彼岸の中日でした。今年は檀家さんへの通知文でミスを犯し、その問い合わせが電話でいくつかありました。護持金の振り込み案内通知で年度を間違って送ってしまったものだから、疑問に思われた方も有ったのでしょう。最初にそれが分かったのが同級生からの電話、「住職よ。22年度になっているけど、おれんちでは払っていなかったのかな?」 瞬間、しまったと思ったが後の祭り。文章をパソコンのデーターに保管、それを差し出し年月日だけ変更して文章の中までは変えずに送ってしまった。
 護持金と言うのは、本山に毎年末寺から収める宗費にあてるもので以前は寺役員が一軒一軒回って集金してくれた。それが檀家数が増え、大変だという話になって郵便振り込みでお願いすることになった。
 それと面倒だろうということになり振込用紙に印字したものを同封する。口座番号の数字が5ケタ、この数字を振り込み金額と勘違いし何でこんなに高額?との問い合わせをされる方もいる。その都度説明させて頂いているが、毎年のように電話問い合わせがあるのも事実なり。振り込み詐欺など問題になっている昨今、寺からの恒例の案内も不安になるのだろう。
 何せ数も多い、以前はまんだら工房のメンバーに封筒入れを発注していたが、いま住職の仕事としてやっている。
合計で800通余り、この数は私の限界に達していることも事実で応援も頼んでいるのだが細かな確認は住職以外に誰もできない。
 住職が寺にいて、来客や電話への対応をすれば良いのだが、性分で動かずじっとしていることができない。
 自他共に認める住職失格なのだ。檀家の皆さんもその辺は実に寛大で”アレ珍しい、今日はいたのか!どこか体の具合が悪いのか?”と心配してくれる。
 彼岸が終われば暮れ、そして新年の行事とお決まりのコース、どうにかこなしてきたものの、物忘れが酷くなって閉口頓首の毎日である。片足突っ込んでいる福祉の世界では虐待防止法やら差別禁止法と騒いでいるが、住職だって同じです。
 住職には自由がないのか!時間外労働は認めないのか!
こんな事 誰にも言えず、ひたすら仏さんに訴える。  喝だ、この怠け者めが、顔を洗って出直して来い!
 もう何もかも嫌になると草取りを始める。草は黙って私に相手してくれる。黙って・・・・これが実に癒される。
 顔を見れば文句を言いたくなるのは解らない訳でもないのだが、。。。。。。。。針のムシロと言ったらどうなるか?
  人生いろいろだ。
 先日の加藤寮長の講演ではないが、職業と考えるから駄目なんで、自分の生き方とすれば良い。これ迷言(名言)ですね。
 

2244:職場説明会

毎年行われる職場説明会、これは県社協の人材センター主催で土浦での地方版、新卒者を対象に事業所がブースを置き、求職者へ説明する。今年は9名が説明を聴きに訪れたとか?会場全体で何名が来たのかは知らないが、果たしてこの中で実際に就職に至る学生が何人いるか。
 私の所では、実習を条件にする。口頭での説明だけでお互いに自信がもてないし、現場体験して初めて働けるか?働いてもらいたいか?が判って、就職に結び付く。
 いずれにしても人材確保は全国的に難しい時代、また、求職側も就職が難しいときているから変な時代である。
 良い話には裏がある。・・・・誰の話だったか、当に図星である。世の中に良い事ばかり有る筈ない。そこでどう自分を見出し、遣り甲斐を掴むか!結論からいえばそれだけの事。
 現在、尚恵学園には110名程のスタッフが24時間手分けして働いてくれている。これが多いのかどうか解らない。しかし、やればやる程、不足感が増えるんです。
 何しろ24時間365日の事業だから、スタッフも入れ変わり立ち替わりで一緒になる事も少ない。私が良く知っている理事長は全ての部署の責任者からメールを毎日送らせて状況把握、その数10数本、読むのも大変だろうが、私が偶に打ったメールなど見られた試しなし。結局電話で直に話すのが一番だ。
 ドンドン進化する通信手段、携帯で風呂入れ、ご飯炊き、ドアの開閉まで出来るようになり、どうなっちゃうの?と思う。
 そんなに便利にしなくても良いでしょうよ。
 別に周りが変わっても自分が使わねば良いだけですが、隣でチョコチョコやられると何か欲しくなる。
 さーてと、お彼岸も一段落、25日の彼岸明けを待たずして私は動き始めます。今日は水戸に行き、一つ会議を済ませてから営業活動、11月の研修のチラシを配ってこようと思っている。郵便で送ったより、直に伺って手渡ししたほうが良いと言われてしまったから仕方ない。
 これもコミュニケーションの一つ、手を抜くより自らの足で江戸時代の飛脚まではいかずとも、どうせ暇でブラブラしているのならと自分に言い聞かせた。
 
 

2245:旅仕度

黄泉の国への旅仕度と言えば縁起が悪いと言われましょう。でも、昨今はそれをお手伝いする新たな商売があると聞く。予め、こんな風にと希望を言ってそれへの準備をするそうだ。
 延命治療の是非はいろいろ語られる。知人の医師からデンマークやスウエーデンには胃ろうが無いと聞いた。
 日本の増え続ける医療費の問題を現場の医師も首を傾げている。
 国の支出で社会保障費の割合がドンドン大きくなる。この歯止めを効かせる妙案はないのだろうか?
 こんな話もあった。どこかの国では風邪で薬は出ないという。その代りコーラを飲むように指示されるとか。。。嘘かほんとか良く知らないが何らかの根拠があるはずだ。
 昔、街にTケ所か2ケ所あった薬局は姿を消し大規模チェーンによるドラッグストアーが乱立、いまではスーパーモドキの店となり食料品や衣料品まで売っている。
 また驚いた事に私が定期通院している某大学付属病院が診療報酬の不正請求が明るみにでて保険医療機関の停止処分を受けた。患者はどうすればよいのか?10年来、診て貰ってきただけに今更転院というのもどうしたものか!
 この処分は大規模病院では全国でも珍しいらしい。
 請求事務は我々の福祉事業所も同じ、ただ医療費ほど細分化されていないから、意図的か否かは直ぐに分かるはず、茨城県内に現在障害者のサービス事業所が1700カ所あると聞いた。大小織り交ぜての数になるが、果たしてそれが適正な数なのか否かは誰も解らない。
 一方政府は野田さんが代表選で勝利し、総理を継続する。外交日程が詰まっている中で代表選をやっているといいうのも変な話である。民主党は党三役を幹事長以外は変わった。福島の復旧に専念すると言った細野さんが政調会長、彼の後任に誰があたるのか知らないが、その人事を素直に受け取れない。
 世の中の変化が激しいのは解るのだが、大臣がコロコロ変わるのもどうかと思う。
 積み残された重要法案はどうした?何が決まって何が棚上げされたのか国民には判らない。官僚も大変だろうと同情する。
ああだこうだと騒いでいる中に、自らの旅仕度を忘れてしまうのも不味いと思う。政治主導とかなんとか言いませんでした????
 どうですか、ここは皆さん何事も冷静沈着で。
 
 

2246:平和ボケ

私は決して”憂う”ことを否定的に考えない。それは人の目線と思いを知るのに最も判りやすいからです。憂う事は思い通りに行かないとか不安と同義、今の日本でその状況が蔓延している。一時の雷雲の暗闇に陽の光が差し始め、荒れ狂った天気が瞬時に回復する。世の中はそう上手くは運ばない。でも諦めるな!小さな希望となって必ず何かを残すはず。
 ”平和ボケ”という言葉を良く耳にする。これだって決め付ける事はできない。ボケないで確実に生きている人達が沢山いる。平和=ボケではなくて平和+ボケ、こんな事を考えることが可笑しい。
 私はボケ=無感動と考える。心が動かされない状況とでも言うのだろうか。感じていても何も行動に移さない事も同じ。この種の例を挙げれば、際限無しに思い浮かぶ。
 昨日、ニュースで尖閣諸島の事が報道されていた。今度は台湾の漁船が60隻も領海に入って、この島は自分達のものだ!と。その時に取った対応が先の中国の場合と明らかに違った。日本の海自の船が漁船目がけて放水し、追いかける。
 この差は一体どこからきているのか?
 政府の見解は尖閣に領土問題は無いという。戦後生まれの閣僚が、果たして国民に納得できる説明ができるのか?
 私も同様だが学校教育の場でその辺の事情を教わったことがない。教科書に掲載することすら遠慮してきたはずだ。
 ここにきて突如、島を国有化するという行動に移ったから、隣国に火が点いた。双方の言い分から、どの時代にまで遡るかにより偉く違うことが分かる。
 竹島問題とは明らかに違う。竹島は韓国が軍隊を常駐させヘリポートまで作ってある、これを実効支配と言わずして何と言う。ずっと北上し、クナシリ・択捉も然り、ロシアとの交渉は一向に進展を見せない。
 日本の周囲を見渡せば、平和を享受するなどもっての他、ならば民間レベルの交流ならば別だろうと日本人なら考える。
 ご覧なさい。確かに一部の交流は続いているけれど、急激に冷え込んでいませんか?
 経済界はこれ以上の被害を出さないように必死に動いている。よく考えてみると、領海問題だって全く同じ、地下資源やら海洋資源が絡んでいるからでしょう。これは小学生にも判ること。
 利害が無関係など考えられません。
 そうそう、ボケ=決断欠如とも言えますね。無感動で決断ができない人達が海図を持たず広大な海原に船を漕ぎ出す。
 最早、自殺行為ではないのでしょうか!
 過去の栄光はNGOで手土産持参で交渉できたかも知れないが、底切れした金庫には、手形さえ残っていませんよ。
 これが私が”憂う”理由の一つ。
 ただ、全ての問題は繋がっているから、変えようとすれば相当の覚悟が必要になる。大田尭さんという93歳の教育者が映画を作った。将来を担う子供たちへのメッセージ。先生の言葉、「社会的・文化的胎盤」とは何か。教育は「共育」。なんでも学校に任せることは間違い。育ちの環境は、学校ではなく家庭にある。その事を若い親達に堂々と言える教育者が減った。
 我々が子供達に伝え残せるものは、何が有るのだろう。
 話が飛んで申し訳ない。先の戦争の検証もせず、曖昧なまま、日本企業は外貨を求め海外に進出、その地で行って来たことが数字に出ない所で相手国の人々の心を傷付けてきた事が無かったか?
 平和ボケというものは病名ではない。その人それぞれの生き方である。

2247:言葉の軽さ

武士に二言なしとは真義を重んじ、一度言った事はどんな事があっても言い訳などせず貫くことである。アイツが言った事だから何かやると思わせる人間がどれ程いるだろうか?
 言い訳の手引書が書店に並ぶ夢を見た。どうしてだろうと考えた。自分に思い当る節もあり、複雑な心境だ。
多国のことをどうのこうの言う前に日本の事を考えるべきでしょう。ミャンマーのスーチー女史がアメリカを訪問、クリントン女史と話をし、アメリカが制裁措置を緩める処まできたと記者会見、女性同士、住む場所も立場も違っているが女性同士、何か通じ合うところもあったのだろう。スーチーさんみたいな人が残念ながら日本の指導者に見当たらない。一貫した政治姿勢を貫き、幾多の圧力に抗して今に至る。彼女から私利私欲を感じない。言い訳をしない使命感の強さ。
 果たして、同じアジアの日本に斯様なリーダーが出現するか。
日本には様々な業界団体があって、国に圧力をかけ、自分達の利を得ようと画策する。最近は”自主規制”という言葉が聞かれなくなった。これは業界内のルールの信頼性の問題で、自分だけ約束を守って損をしたという経験を重ね他の為に汗をかくことがバカバカしいと思う。これが自分さえ良ければという最近の風潮に結び付く。
 しかし、それすら覚束ない状況に直面し、もがき始めたわけですね。
嘗ての英国社会を彷彿するような紳士淑女の交流の場、品位があって礼儀を重んじる、時間がゆっくりと流れるような場が無くなった。
今や高嶺の花と無視されて、精々あって賀詞交換、ああ・・・別世界で別次元。
 上を見るからそうなんだ!もっと足元を見てごらんよ。あるあるある。品格があるとはお世辞にも言えないけれど仄々とした暖かい触れ合い。
 そこには、出来もしない事など言う人はいない。もし居たとしても弾かれる。
 先日、大変お世話になった坊さんが亡くなった。享年87歳、奥様を早く亡くされ、時々寂しそうな表情を見せた方。お盆の暑い中を棚行で檀家回り、息子さんが話してくれたが自分の体力を過信したのか熱中症に罹って1週間後に亡くなった。故人は布教師会や研修には必ず参加され、後の懇親会にも欠かさず出られた。全く酒は飲まないが、最後まで我々と付き合ってくれた。ダジャレと言ったら叱られるが、意味不明のユーモアが有りました。
 80歳を過ぎてもお元気で我々若輩の者とも付き合った。
 棚行はお盆中に檀家を廻り先祖供養すること、老僧になれば出ない坊さんが多い中、東京の寺の手伝いまでやっていた。
 ある方が言っていた。自分の最後は”病死”か”戦死”か俺は戦死しか望まない・・・云々。生命を賭してまでやり抜く覚悟を言ったのだろうが、老師の死は、嫌みない戦死にあたるのではなかろうか。
 心よりご冥福を祈って。

2248:花

キバナアキギリ
いつも季節の花をメールで送って下さる友人がいます。花を詠ったものは数限りなくありますが、花自身は何も語りません。
 人間は、実際以上に綺麗に見せたり、自慢げに自らを何故に誇ろうとするのでしょうか?花からみれば実に愚かしいことでしょう。その事に気付くか気付かないか大したことではないのかも知れません。ただ、それをいつまでも続けていれば自分の醜さをいつか知らされることに必ずなります。
 私がお付き合いさせていただいている。多くの知的障がいのある方達、彼等は多くを語りません。でも、良く見ています。誰が信用できる人間かと。
 それは当に真剣勝負、損得の問題ではなく、人間対人間の付き合いです。
 制度云々とかいう人がいますが、私は関係ないと思っている。制度があっても出来ない事はできない。それは此方側だって全く同じ、思うどおりに物事は進まないからです。
 いま日本人が一番しなければならない事、一言で言って過去の反省でしょうね。先送りにした戦後処理は勿論、原発の取り扱い、それに医療制度を含めた社会保障全般への検証です。
 綺麗ごとをどれだけ並べても、社会の人々にはお見通し、そこを変わらないと取り返しのつかない事態になると思っています。
 平家物語の下りを出さずとも、常ならぬ事にしがみ付き、安心を得ようとしても、無駄な抵抗。
 ならばどうする?
 そのことが今問われているのでしょうよ。
 所詮、この世は独歩でしか生きられないのでしょう。孤軍奮闘と言えば格好は良いが、独りよがりの自己満足です。
  

2249:頑張ったね!

食欲が無く、嘔吐を繰り返す。前日にも通院したと報告を受けていたが余計酷くなっているようだと再通院、いつも世話になっている病院の医師の判断でレントゲン、原因が判った。腸閉そくを起こしている。それも相当進んだ状態で緊急の処置として口からチューブを挿入し、体内に貯まっているものを外に出すということになった。本人は何が何だかわからず、苦しそう。結局、チューブの挿入に要したスタッフが5人、そしてより大きな土浦K病院へ転院することとなる。万が一の場合に対応できる体制を組む為という医師の説明を聞き、両親とそこに立ち合った私はただお願いするしか術は無かった。
 しかし、常時付き添いが付くという条件。緊急にその勤務体制を組むように指示し、私は病院へ。・・・・・・・。
 最初、1週間位の入院かと思ったが、チューブを隙をみて抜かれてしまい、その為かどうか知らないが熱発、倍以上の入院となった。
それでも昨日、無事退院できた。Tさん!良くがんばったね。1週間学園に戻らず自宅で過ごしますという両親の申し出で彼は久しぶりに自宅に戻った。

 今の救急医療は凄い。それと現場の医師やスタッフに心から感謝したい。昔の事を思うと背筋が寒くなるが、今は違う。どんな患者でも受け入れてくれるのだ。それと我がスタッフへ感謝、最初に通院した病院でギャッジベットに寝かされたTさんを見た瞬間に私は覚悟した。
 何か今回も大いなるものが助けてくれた。そう思った。まだ、本当の原因は解らない。再度同じ状況になるかも知れぬ。
 昨日、宇都宮に泊った。北関東三県の代表者が集まった。様々な話が出て、どこでどうなったのか良く覚えていないのだが、住田を励ます会(?)という二次会になった。多分、私が今、大きなスランプに自分がいると吐露したからか?
 有りの儘に言ったまでで、普段から私が口に出していること。
 だってそうだろう。どうみても日本は今、大きな壁にぶち当たっている。そこをどう観るか、感性というんじゃない、自分に正直になればこうなっちゃうはず。
 そこでギブアップしてしまえば、それまでのこと、先人を思い私は決して諦めない。この忙しい時期に集まってだよ、通り一遍の話をしても意味が無い。話の切っ掛けになればという思いが私には最初からあった。
 話を戻そう。良く頑張ったTさんへ。我々との付き合いは大分長くなったね。家族の状況も変わったし、その中でも貴方が入院でき、まさか一人でベットにいられるとは、信じがたい。これこそ想定外の事だったよ。
 昨日、千葉から施設仲間が栗を土産にやってきた。「福祉さんよ。俺たちがやってきた事にもっと自信をもっていいんじゃないか!ケアーホームとか言ってもだよ。何かあった時に対応できるんかい。それに部屋が空いたって直ぐに入ってしまうしな。 そりゃー今が充分だとは誰だって思っていないし。国は一〜二年で仕組みを変えてるが、彼等が1〜2年でどうにかなるんかい」  彼も腸閉そくの病状があるようだ。
 当に同感。
 障害者虐待防止法が実は明日10月1日から施行される。同じく差別禁止法もそれに続く。私はそんな法律どうでも良いと思っている。だってそうじゃないか!当たり前のことだろう。虐待が良いはず無いじゃないか。法律作って変われば苦労は無い。
 今の日本の仕組みの未熟さは、書類や手続きを複雑にするだけ。実態は何も変わらない。何故だろう?
 福祉の世界も上手い話に群がる餓鬼世界となりにけり。シー!!!こう言っちゃーお終いよ。なっTさん。

2250:衣替え

衣替えの神無月(10月)です。台風17号が愛知県に上陸、そのまま本州を縦断、各地に被害をもたらして時速75キロという猛スピードで去っていきました。夜中、風の音に目を覚まし、起きだしてテレビをつけました。丁度群馬県に台風の中心があって東側が暴風になるという情報を見ながら戸締りはどうだったかガラスは割れないかと次々と気になり始めた。
 時計を見ると12時半を廻ったところ、今この時間に泊りのスタッフは8名、メンバー達に付き添って安全を確保しているのだ。この繰り返しを休みなく365日行っているのだから、大変な事に首を突っ込んでいると思った。
 ここから逃げるつもりなど毛頭ない。むしろ、私自身が現場に戻りたい。そこにこの仕事の醍醐味があると信じている。
 昨夜は通夜があった。6時頃から急に雨足が強まり、通夜を早く済ませたいという背後霊(?)を感じながらいつもより早く経を読んだ。案の定、終わる時分には強風も加わり、家路に急ぐ人も多かった。
 これが30年程前なら大変だ。その頃はまだ自宅葬もあって、長靴とカッパをつけた焼香者がいた、今では台風の影響など無関係にエアコンで快適な斎場で心配無く通夜ができる。
 便利になった反面、昔からの組合制度は形骸化、役目とは言いながら何することもなく受付周辺に屯する組内の人達。
 徐々に簡素化が進んできたが、長老がいる地区は、今もって伝統を重んじる。冠婚葬祭の形は大分様変わり、これも都市部から変化する。
 逆に地方から都市部が変わるものが有るだろうかと考えた。見つけるのに苦労する。
 所詮、島国の発想には限界がある。様々な業界で盛んに言われていることは、グローバル化の中でどう生き残るか!ということ。産業界は生産拠点を人件費の安い海外に移す。よく言われるのは日本人の技術に比べ質に見劣りがあるということだが、そんな事は無い。日本で使っている最新機械を持ちこんで技術指導すれば、大差のない製品が出来てくる。ここにきて反日ムードがエスカレートする中国に不安を感じた企業は第2の拠点を模索始めている。ミャンマーやインドへ拠点を移そうとする企業である。
 長く中国人の留学生を支援してきた人が今朝のラジオ番組で、留学生が最近の日中両国の険悪ムードを嘆きメールを送ってよこしたという。「愛国心は自分の国だけでなく、相手の国を愛することも大切です。」  
図星だ。
 尖閣問題が何故、先送りにされてきたかという意味を考えるべきだと私は思う。日本政府は一様に領土問題は無いという立場を堅持している。果たしてこれが日本国民の総意ならば良い。
 台湾は、正直に訴える。資源豊かな海域だから、漁獲権の相互協定をして分けあうことを提案している。
 領土問題は歴史を無視することはできない。それと地下資源を独占することが目的ならば、どうだろう、海の中に杭を打って入れないようにするか網を張って魚が逃げないようにするしか方法はない。
 生きるために必死なのは判るが、・・・・。これがドンドン進むと、空気でさえ独占しようとする事になるかも知れない。禅の話になるが、十牛図の例は、まさにそれを言わんとすることで中国人はその意味を解する民だと思うのです。
 衣替えは昆虫の脱皮に通じる。生きる為には必要なこと、それを理解するかどうかです。