源究12NO151- NO160)

151 違和感 10/25 156 アンケート 11/17
152 自己責任 10/30 157 関東地区代表者会議 11/19
153 グランドデザイン案 11/2 158 片側一方通行 11/24
154 筑波大VSグループ 11/7 159 人生の現実と真実 11/28
155 第4回障害者スポーツ 11/13 160 研修真っ盛り 12/2

No151:違和感

NHKラジオの午前4時からのこころの時代は良く聞いている。大体この時間帯に起き出しているのだから想像がつくでしょう。私は寝るのが早い。今朝の番組は『開かれた寺を目指して』というテーマで神奈川県座間市のお寺の住職が出ていた。正直私は途中でラジオを切った。何か、見栄見栄の話のような気がして仕様がなかった。テーマとの違和感を聞けば聞くほど感じてしまった。実際はそうではないのかも知れない。
しかし、聞いていて腹がたってきたのは事実、いかにも仏教の真意を説いて実践しているかのごとき住職の自慢げな話にはうんざりした。逆に何故このような人を番組に選んだのかというNHKに対して腹立たしくなった。自徳を讃じるような坊さんに良い人はいないと思っている。対峙する良寛が怒っている。つまり、寺を一般の人に開放しているという内容、先住の時代、多くの地域の子供たちが寺に来て食事を与えたという話、これはどこのお寺でも戦時中やっていたことで何も特別のことではない。現在は幼稚園を境内で経営しているそうだ。これだって仏教保育とか幼児教育といって全国津々浦々の寺で行われている。この寺ではなんとか会とか言って卒園生が毎月集まる塾があり、夏などに林間学校?みたいな行事を行っている。そのメンバーが丁度108名出来すぎた話だ。何故108名なのよ他の希望者は入れないの?本堂の1階に喫茶店を開き、ギャラリーとして地域の人に無料で開放して喜ばれているという話。有名な彫刻家に作ってもらった観音様の自慢話。多分由緒のある名刹なんだろうな。東京の新宿のもともとの語源がこの寺の開山に関係する方の名から来ているという。家康が1日馬で走った土地を寺に与えた・・・云々。土地持ちで趣味で社会事業を行っていると言ったら怒るだろうな。まー作ったような話は巷にはいくらでもあるから。心の時代は聞く人に新たな感動を与えるから聞く。今回は正直評価はできない。こう感じたのは果たして私だけだろうか!しかし敢えて弁護すれば、その日は番組として何を放送してもまずかったと思う。新潟中越地震関係の番組が夜中ずっと放送されていた。
 過去に例がないほどの地震で大変な事態になっている、被災地の寺のお墓が殆ど地震で倒れた。新潟では2ヶ月前に台風で川の堤防が決壊し、そこに建っていたお寺が全て流されたばかりだった。本来違うでしょう!何も自分の寺が栄えればそれでよいというものじゃない。また、公共の電波を使って開かれた寺を自慢するほどのことじゃない。いってみれば当然のことをやっているだけのこと。実際に地震の恐怖に慄いて夜をすごす新潟の人たちがこの坊さんの自慢話?を毛布をかぶって寒さに耐えながら聞いていて癒されるだろうか。取材に応じた住職の気持ちが分からない、開かれた寺どころか裕福な寺の現実離れ、余計仏教不信になる。パフォーマンスと見られても仕方がない。
 そんなこという前にやるべきことやれやー。それよりも黙っていろと言いたい。考えるだけで腹が立ってくる。
 もし、NHKが今朝の住職の話を本当に推薦すべき活動として編集された番組だったら、私はもう朝早く起きてこころの時代を聞くのはやめる。無理して新たな番組を増やすより、本当に良い内容の番組を何度でも再放送すべきだ。NHKもここまで落ちたかと思ってしまう。私の独り言がその寺の住職の耳には届かない。違和感だけが残った。

152:自己責任

私の考えに反対する方も多分いることだろう。今、私は県の地域生活移行推進委員会のメンバーとして意見を述べる機会を得ている。GH利用者:大学教授:親の会;施設関係者;行政などが構成メンバー。今、国の考えは地域福祉在宅福祉への流れ、住み慣れた場所で普通の暮らしをおし進めている。普通の暮らしとは一体どんなものかな?敢えて言うとすれば自分の意思で選べる生活かなと思う。今日は何を食べてみたいとか休みには買い物に○マーケットに誰々さんと行きたいなどなど。しかし、今の施設はこのような利用者の要求にできるだけ対応するようになってきている。施設の暮らしと地域の暮らしの大きな違いって何?。夜に点呼がないということだと思っている。尚恵学園では当直職員が7時ごろになると全員をデイルームに集めて名前を呼ぶ。どこかに行ってしまった人がいないかどうかをチェックする。これは開設以来行っているからもう47年目になる。時々いなくなっている方が分かって大騒ぎになる
GHにはこの点呼がない。帰宅時間がまちまちだからだ。風呂や食事は一応重ならないようになっているが基本的には時間の取り決めがない自由だ。だから、帰ってこない方がいても正直分からないこともある。
施設だと無外という話になって大騒ぎ。職員が呼び出されて大勢で捜す。このようなことは今では殆どなくなった。しかし、GHを利用する方が帰ってこないというのは逆に増えている。どうしてなのか?仲間と上手くいかないのかな?とかこちら側はあらゆる可能性を考える。しかし、大体において彼らの言い分はそれほど思いつめた事ではない。パチンコでお金をすってしまったから。一人になりたいから自分で仕事を見つけに行ったとか。仲間と酒を飲みたくなったからという理由だ。
へーと思われるかもしれない。でもこれって普通のことだよね!無断で帰ってこないから心配するという理屈は彼らには然程重要じゃないです。今の若者はアパート生活したら自分のアパートに戻ってこないなんていくらでもあるよね。私の息子も東京に下宿して3年になるけどいつ電話してもアパートに居たためしがない。
 こう考えるとどうも地域で生活するということは自己責任ということを学ぶ?ということなのかなー。これが守れなければ地域には出られないということになったら日本中の誰だって地域で生活なんかできやしない。我々の役目は止めさせることではなくて自分で選んでもし失敗したら、その問題を共有し一緒に考えることなんだと思う。こう考えないと地域生活なんかいつまでたってもできないよ。

153:グランドデザイン(案)

10月になり,厚生労働省からグランドデザイン案なるものが示された。これは省庁内部で専門家を交えて今後の障害者保健施策のあり方を検討してきたものをまとめたものである。昨日その内容が意見交換会の場で県から示され、事業所側の立場でどのように捉えるかという話し合いが持たれた。これはWAM NETなどで事前に情報を得ることができたし、それより早く全国通勤寮部会より原本が送られてきた。内容的には現行の課題として支援費制度の財源問題や三障害の総合化の問題などがあげられ、今後いかに改革していくかが案の中で説明されていた。
私は、どのような方向が示されても今までもそうであったように利用者にとって何が必要なのかという基本スタンスを守っていればどちらに転がっても良いと思っている。日々の施設運営の中でGD案に示された課題は全て感じていたことであり、そこをどうするかという問題だけだと思っていた。要は2年目を迎えたばかりの支援費が毎年相当の不足分(去年250億)が出てしまうことと、今まで以上にニーズ(特に在宅サービス)は高まるという現状をどう打開するか。また、国から県、市町村という権限委譲の中でどうすればスムーズな流れの仕組みが実現できるか!
 従来の行政主導で企画成案がなされた事業を末端の事業所が実施する流れとは全く逆の発想が必要になっている。末端ではなく最前線という捉え方が必要で個々のニーズに対応するべくサービスの中身と仕組みを現場から発信する。一概に障害者福祉といっても様々であり、正直人間の数だけサービスの数が必要だ。これではにっちもさっちも動きが取れないのでどの辺のバランスを確保するか。これを利用者とっサービス提供者が相互に確認し、了解をえることで、自分自身で出来ることはこれ、でもこのことは誰かの支援が必要だということに収める。この辺の調整役が介護保険制度におけるケアマネジャーの役割、この役割を創設する。社会福祉法の中で地域福祉の推進という目標が明文化され、実際に地域におけるネットワーキングが育ちつつある。どうも先進の地域を見てみると、その地域には核になる人がいる場合とそうでない場合がある。しかし、少なくとも茨城県の場合はモデル的実践の地域を先ず作り上げるのが一番良いと考える。茨城の県民性というかどうも行政も県民も様子伺い的な性分がある。だから一つモデルになる地域ができると右倣え式に広がる。滋賀や長野といった地域の実践は地形的条件が茨城とは異なっている。北海道に次ぐ耕地面積を有する平板で広大な茨城はどうも有る特定の地域が自然条件の中で特定されるという状況は生まれにくい。むしろ、そのことを特徴として考えていくべきで総力をあげて特区(?)地域を育成していくことこそ近道だと思う。
 

154:筑波大VSグループ

社会貢献支援財団より表彰

筑波大社会福祉研究会が創部以来30周年を迎えるという。ボランテア受け入れ先の施設長として原稿を依頼された。20周年の時の記念誌にも何か書いた記憶がある。もう30年目に入るんだという感慨にふける。創立時、私は25歳だったということになるな。若いな。まるで学生だ。当時の筑波大周辺は今の学生には想像もできないだろう。キャンパス以外に何もない。広大な敷地に立派な大学の建物や様々な研究機関の建物があるだけで、夜など行くものなら道に迷ってしまう。
 30年の歳月を重ねるとクラブで尚恵学園に来てくれた学生の数も相当なものだろうな。
 今我々は学生に多いに助けられている。通勤寮やGHの泊まり、レスパイト、クラブ活動など。彼らは理解も早く、何しろ真面目なのには敬服する。大学は3年生になると卒論や就職準備に入るようで実際の活動は1,2年生が主体、それでも先輩との結びつきは強く、何かがあると必ず先輩がカバーしている。彼らの出身地は全国にまたがる。卒業後、実家の近くに就職する人や全く地域には関係なく就職していく方もおるようで、彼らの実践の場は様々。
 サークル活動として尚恵学園を訪れてくれる。研究会のメンバーはVSの中で何かを感じていってくれているのか?ちょっと気になる。私どもの受け入れの基本的スタンスは学生の自主性に任せるということだ。これは30年間一貫して同じである。だから、学生の活動に口を挟むことはしない。
 多分、利用者たちとマラソンをしたり歌をうたっている姿をみると良い経験にはなっているのかな!
 利用者さんも慣れたものですぐに友達になって手を組んで楽しそうに話をする。この雰囲気はとても良い。
 30年前と施設の中身も大分変わってきた。しかし、人と人との触れ合いの喜びはいつまでも変わらないものだ。
 学生達に心から感謝している。
 このサークルの長年の取り組みが今回社会貢献支援財団(事務局:東京都、猪熊葉子会長)より第34回「社会貢献者表彰」を受賞することとなりました。櫻田千早会長おめでとうございました。東京全日空ホテルで表彰式。

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155:第4回障害者スポーツ大会(埼玉県)

平成16年度第4回障害者スポーツ大会は埼玉県熊谷市の総合運動公園をメイン会場に11月13日皇太子殿下をお招きして秋空の下盛大に開会式が挙行されました。茨城県からは総勢71名の選手団が参加(上は茨城県選手団行進スナップ)、私は副団長という大役を仰せつかり11日より埼玉に選手団と共に入りました。国体の後の行事で,新装なったスタジアムはとても立派でした。あいにく木枯らし一番の吹くとても風の強い土曜日でした。13日から15日まで県内各地の会場に分かれて競技が行われます。
[エピソード]
 同部屋のOさん、彼は今回の参加選手で最高齢だ、50歳。どうも他の選手には溶け込めない様子。皆さん養護学校の生徒だし、おしゃべり好きの彼には若すぎて他の仲間は相性が合わない。狭い宿舎のベットにて私は彼のツブヤキをずっと聞いていた。正直疲れました。毎日のトレーニングの話から始まり、これからマラソンの試合に参加する予定まで。ずーと話ぱなし。気分転換に銭湯に行こうかと私が誘うと喜んでついてきた。しかし、残念ながら5時からしか開いていない。それじゃということで喫茶店を捜したら宿舎のすぐ近くに小奇麗な喫茶店を見つけた。二人で入った。お客は我々だけ。彼はレモンテイ。体にいいという。彼の良いところは直ぐに分かった。『ごちそうさまー』と大きな声でお礼の挨拶。喫茶店のお上さんに『どこから来たの?』と尋ねられ『茨城県でーす』こりゃーまずい。早く帰ろう!彼の荷物の中身がまたすごい。プロテインという錠剤や雨よけスプレー、消炎剤スプレー、2万5千円のスパイク、肘までのびるサポーターなどなど。私は残念(?)なのと申し訳なかったが葬儀が入ってしまい。開会式を終えてから急いで土浦に戻り彼の勇姿を写真におさめるという約束は守れず。彼の800メートルの結果はいかに?

156:アンケート

11月になると毎年、職員へのアンケート調査をしている。来年度新採用の予定もあるので勤務継続の有無を確認するのが主な目的。それに併せて学園に対する意見も書いてもらう。80名の職員はそれぞれ違った内容のコメントを書いてくる。理事長として直ぐに返事を書いて渡すようにする、これが一苦労。以前は個人面接も行っていたが私の時間がうまく取れなくて全員ができない。それで今は希望者だけにしている。その代わりに私の考えを個人個人に書いて渡すのだ。紙の上の交換だから上手く通じないことや読む側の解釈の相違がどうしても出てくるようだ。これはいたし方ない。
 職員の立場は微妙だ。経営の事を考えると常に懐具合が気になるものだ。(本来、人間は自分中心の考え方をするものだ。)しかし、利用者の処遇のこととなるとお金の心配はあまり関係ないところで話が進む。このバランス調整が一つのマネージメントだということぐらいは理解している。様々な研修会に顔を出している。しかし、その多くは通り一遍の研修で実際に自分のところで活かすとなると簡単にはできない。人事考課の提案を去年職員に行った。実際には具体的に実施していない。なんだ口だけかという思いが職員にはあるかもしれない。
 私の頭の中にはその事がいつも入っている。導入と方法と時期を検討しているというのが正直なところである。
 さてと、今、制度が物凄い勢いで変わろうとしている。戦後58年で築いてきた福祉の仕組み改正である。これは簡単には説明できない。この流れをいかに職員や家族に知らせるか?勉強してもらわなければならない。人任せではいけないな。
日々の業務に流され気づいたら時代遅れということにはなりたくない。
 近い内に適当な講師を呼んで家族会と職員を合わせた勉強会をやるつもりだ。大きなお世話だが、私は毎日、Wam Netと厚生労働省のHPは開いてみている。

157:関東地区代表者会議(宇都宮)

18日、19日と宇都宮市のとちぎ福祉プラザにて関東地区知的障害者代表者会議が開催された。最近の障害福祉施策における様々な動きの中で参加者の関心事は支援費制度が今後どう変わっていくのかということであった。
 国から専門官の出席があって今回示されたグランドデザイン案についての説明を受けた。私は用事があり、その会合には出席できなかったが翌日友人から大まかな報告を受けた。
 また、栃木県が開催する関東地区施設職員研修会の概要が会長さんより説明があった。鬼怒川の温泉を会場にホテルで実施するとのこと、栃木県の実行委員会で検討された案は分科会を1〜4に縮小するというものであった。各県の会長にその内容で如何かという意見を聞かれ、大多数の県は会場の関係で縮小するというのでは筋が違うのではないかと反対の意見が出され、関東ブロックそのものをどのような形で今後続けるのかという根本的な問題を充分検討してもらいたい、その上での今回の企画であれば他の県がとやかく言うものではない。このような意見が出されもう一度実行委員会にて検討するということで落ち着く。
 今はインターネットの時代、様々な情報は簡単に得ることができ、中央では常に何らかの研修会が開催されているので興味があればいくらでも情報を得ることができる時代になった。当然、昔と同様の企画では研修の意味を成さない。この点では全員一致した意見であった。
 施設職員の研修の場という本来の目的を今回の栃木県の企画がどれだけ盛り込めるか前回開催県である我々としては無視できない。どうしても参加者総数ということが気になる。これを本当に無視した企画が栃木でできるか否かお手並み拝見である。
 さて、今回は石岡を廻って車で宇都宮に向かった。時間帯がちょうどラッシュであったことと工事中がやけに多くて、約80キロの距離なのだが5時間かかってしまった。隣の県なのにアクセスの便が悪いということを痛感した。今後尚恵学園としてもデイサービス事業を本格化させるつもりでいる。利用者の送迎などを考えると様々な問題がでてくるだろう。現在も併設型で実施していて様々な不満が職員から出ている。そのことは承知した上で法人の方針として打ち出している。在宅福祉と地域生活を推進する流れは変えようがない。しかし、実際に様々なハードルがあることには間違いない。各県での対応を伺い関東地区でもこれだけ違うのかと正直驚いた。その意味では今回かなり苦労して参加したのだが良かったと思っている。

158:片側一方通行

年末になると道路工事が多くなるのは相変わらず。
 さて、今私は職員からのアンケートへの回答を書くのに汗をかいている。実際は冷や汗、私が理事長になってからこれだけは続けている、回収率100%のアンケートだ。(NO156関連)。紙の上での意見交換は充分意を伝えることはできない。そのことは承知しているから、その後の動きを私は大切にしているのだ。そんなつもりで書いたんじゃないよという職員は後日話がありますということで意思表示があるからだ。そこが正直私の狙い。だが、最近はどうも雲行きが怪しい。つまり、悩みや不満それに要望が非常に多いからだ。その一つ一つが私には納得できちゃう、全く同じ意見だということが分かる。しかし、困るのはそのことをどうすればより良い方向に持っていけるかが分からないので困ってしまう。所謂、その場凌ぎの空手形すら発行できないのである。そこで私が職員(80名分)一人一人へ回答をどのように書いているかと言えば、夜中に書くのは止めにした。マイナス思考になり必要以上に深刻に考える癖があるのが分かったからだ。だから、水戸への出張の途中サービスエリアに車を止めて書いたり、デパートの駐車場、公園などでアンケートとの睨めっこをする。何か特別の仕事をしているという錯覚をもってしまうのを避けるため普段の生活の動きの中で考える。だから時間がかかる。親父が言った言葉を思い出す。《要求ではなく共闘だよ》という結論は持っている。「おれもそう思うんだよな。だから一緒に訴えていくべーや。それで勘弁してくれっか?・・・」
 全く関係ない話へ。先日、大正大学学長をお呼びして茨城県の同窓会総会をつくば市で行った。学長は宗教学が専門で、講演テーマは『宗教は戦争の原因となるか!』というタイムリーな話であった。お世辞抜きでとても面白かった。懇親会も良かった。お開きになったが、執行部の連中がその後直ぐには帰りたくない様子。事務局長はこれで帰るはずないよなー!とかいう無言の誘惑。8名が2次会に出かけた。それからの2時間あまりの狭い居酒屋、多いに盛り上がった。話題の中心が執行部ではない、どんなわけか一緒にくっついてきた中堅の坊さんだった。あれー彼はこんなに面白い人なんだっけ。とにかく発想が面白い。型にはまらない自由な言い合い。取っ組み合いになるのではと心配したが直ぐに和解し、後にどっと笑いが起こる。たわいも無い内容だ。下の話や宗教論、めちゃくちゃだ。
 帰りはどういうわけかくっ付いてきた坊さんの車に乗せられて帰ってきた。そこで思ったことがある。相手をこうだと決め付けてかかってはいけないということ。笑いを多いに振りまいてくれたSはとても控えめで大人しい坊さんというイメージが誰にもあった。それが全く違った一面を見てしまったから正直呆気に取られた。片側一方通行はこれから年度末まで多くなると思う、一方的に相手を決め付けないこちら側の余裕?が大切だと思った次第であります。

159:人生の現実と真実

今、朝方の5時を廻った。NHKラジオのこころの時代を聞いていた。今朝は茨城県カウンセリング協会理事長の大須賀先生の話であった。テーマは「人生の現実と真実」。県内で立て続けに子供が親を殺すという痛ましい事件が起こった。水戸と土浦である。いずれも長男の犯行であった。連鎖的な現象(チェーン現象)ではないのかと想像するが、内容は良くわからない。いずれ明らかにされるだろう。しかし、親子関係で世間的には立派な両親で通っている家庭で事件が起こっている。それも誰しも想像できないような残虐な方法であった。
 そのような時にNHKが大須賀先生の話を放送した。先生とはつくば市である団体の会合でご一緒したことがある。いつでも心穏やかに話される先生の姿は、そこにいる人達を自然と和ませてくれる雰囲気があった。親子関係や引きこもりのカウンセリング経験の豊富な先生のコメントは金光デレクターとの絶妙な対談から多くの気づきを聞く人に与えたに違いない。明日も続きがある。人生の現実は今の時代を反映している様々な出来事である。豊かさを追い求めた日本人誰もが今の日本に何か不安と疑問を感じながら生きている。否、考えても仕方がないという諦めにも似た思いで生きているのではないのか?そのような現代に於いて特に繊細で感受性豊な若者が所謂不登校や引きこもりという形になって現れているのではないだろうか?人生の真実は 人間の個性を大切にし、その人なりの価値観を誰しも認め合う中にこそ有って、自分の利が即、他人の利になるという仏教の基本的な教えにあると大須賀先生は言う。先生は仏教に造詣が深く、いつでも分かりやすく説いてくれる。親が躾けという大義によって子供の人生の方向付けをする。親の眼鏡に適った生き方をすることが子供の幸せにつながるという一方通行の理屈。番組の中で先生は親の型紙でいきることじゃなくて人夫々の型紙があって良いと気づいた若者の例を話された。日本人特に職場にあってひたすら真面目に働いた大人に良くあるタイプだが、人生の優越的価値を何か物質的に恵まれた生活を獲得できたことと見る人がいる。このようなタイプの家族にありがちなことで長男として暗黙の圧力を感じながら従順(?)に子供時代を過ごし、反発を感じながらも形に表すことができずにいる人達も一方ではかなりの数いる。そして社会との接点である学校や職場と何らかの関係を持つ時期に不登校や引きこもりという現象で自己表現する。このことは本人にとってぎりぎりの所での意思の表示である。それはまた、不幸なことに親にとって受け入れ難い全く逆の生き様なのである。このギャップは何らかのきっかけで突然変わることがあるという。しかし、現実には世間体やプライドが邪魔をする。変化の兆しに気づかずに悲惨な結果を生む例が後を絶たない。自ら生命をたつという年間3万人以上の自殺者の心理もこれに良く似たメカニズムがあるように思える。人生の現実と真理、このことは今の日本人が人生の価値をお互いに認め合う関係の中からゆっくりと臨界に至る。
 本来、宗教はその価値観を唱えるところにこそ存在意義がある。むしろ、戒名料やお布施の多少で人間の生きた証(価値観)を云々することなど全く仏罰の世でしかないのである。どうしてこのような時代になってしまったのか!
 仏教の教えの本義を僧侶は謙虚に学ぶ姿勢と実践が今一番大切なのである。

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160:研修真っ盛り

11月12月は研修会のオンパレード、なんだい毎日毎日研修ばかり、よくもこんなにあるものだ。IT化がすすむことでペーパーレスができると思えば実態はその逆!師走に入り皆が皆走りながら生きている。そんな風に思うのは私だけかな?良くないよ。人生そんなに急いだって良い事ないって!馬車の時代は今から50年ぐらい前かな、八郷町には今でも馬車道があるらしい。だからテレビの時代劇で良く撮影に使われる。それが今の日本では高速道路が常識になった。新潟に行った方が話していた。今、長岡のあたりは速度50キロ規制だそうだ。今でもデコボコでスピードを出すと危険だから。地震の爪あとかな!さて、研修が多いのは誰もが先行き不安だから、何か情報が欲しいんだよ。私はジムに通っている。気分転換が主な目的だ。そこには様々な人種?が来ている。黙々と汗を流す人もおれば、やたらと知り合いとおしゃべりする輩もいる。今日はある会社の社長とばったり顔を合わせた。「何か良い事ありませんかね?」「全くなにもないよ。」「どうしてこうなっちゃたんですかね?」「教育が悪い。教育が・・・・こころの教育がなっちょらんのよ」もう70歳半ばの社長は頚椎からの痺れがあって東京に毎週治療にいっている。
 心の教育って一体どんなものかなー?確かに私の友人にも多くの教員がいるがその点については固く口を閉ざす。一体教育現場で何が起こっているのだろうか?また、今日の参議院国会質問ではある県の警察署の偽造領収書の問題が出ていた。続いて厚生労働省での問題が取り沙汰されていた、大臣は膿を完全に出すまでやりますから時間をくださいと答弁している。国民的モラルがぐらついている日本、これが社長の心がなっちゃないという事なのかもしれない。これがだ。研修を受ければ身につくのであればいいのよ。でもな!参加される方が本当にそう思って参加しているかな?分からない。参加したということで安心する錯覚だな。
 スローライフというものがある。ゆっくり歩もう自分の人生!最近、学園の利用者とギャップを感じているのはスピードの違いからだろうな。彼らはマイペース、本当に世間の流れなんか関係ありませんね。どこかに行きたくなったらでかけてしまう。そして、どこかでひっかっかって連れ戻される。別に強制的に引き戻しているわけではない。私は決して無断で出かけてしまった利用者を叱ったりしない。彼らだって一人になりたいし、どこかにブラットでてきたいんだよな。良ーくその気持ちが分かるんだよな。俺だって正直そうだものな・・・・・・。今度誘ってもらおうかな。Nさん、Eさん、Sさんよ、いいだろう?