源究113

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1771 手探り 4/14 1776 一時の 4/19 1781 背と腹 4/24 1786 水戸〜神栖 4/29
1772 芽吹き 4/15 1777 独創性 4/20 1782 ゆっくり安心 4/25 1787 大型連休 4/30
1773 体調管理 4/16 1778 anti or with 4/21 1783 今だから 4/26 1788 記憶 5/1
1774 気がつき 4/17 1779 自粛か否か 4/22 1784 感情動物 4/27 1789 nokosu 5/2
1775 堅忍不抜 4/18 1780 生活の基盤 4/23 1785 身の丈 4/28 1790 有効活用 5/3

1771:手探り

確信に満ちた決定には程遠い状況がずっと続いている。手探りで疑心暗鬼、どこかでこの流れをストップしないと大変な事態になると誰しもが感じている。
 つい最近、国から障害者自立支援法のテーマ別課題研究の助成事業の知らせがきた。何んで???いまさら。という正直な思いがある。その場凌ぎの対応をまた考えているとしか思えない。改革推進会議で検討会がなんどもなされ、大筋の方向性が定まり、その下に専門部会が50数名の委員で組織され細部の検討がされている。どうして、この時期に斯様な研究助成を国は示してきたのだろうか? 憶測で言うのは憚りたいが、どうしても自信の無さとブレを感じてしまう。
 改革推進会議が発足した時に関係者の誰しもが違和感を感じたはず、それは、事業者を全て委員から外した構成にしたこと。委員には障害当事者を過半数入れ、それ以外は学識経験者など。私が議事録等から受けた印象は、長年努力してきた入所型施設への偏見と極端な反対意見、そこに正直、「やるなら好きにやってみな!」という不満の気持ちが湧いた。当然、誰しもが地域生活ができればそれに越した事は無いと思っている。40年入所施設をやってきた私自身もその事に異を唱えるつもりは全くない。しかし、現実を見なさい。彼らが本当に地域で有りの儘に生活できる状況が今の日本にありますか?
 それと障害種別に枝分かれした組織を一本化できますか?同じ障害者の中でさえ、意見の集約ができず、長年分裂を繰り返してきたではないか!
 識者の多くは、制度論から入る。彼らの弱点は押し並べて現場からの声が掴めないこと。北欧やヨーロッパの姿を理想とし、その実現を性急に取り込もうとしたと思う。だがどうだろう。日本は5%の消費税を上げることさえできないのに、30%に近い消費税にもっていけるのかどうか。結局、毎度のパターンで財源論議で結論持ち越し、理念だけが目立つ、実態は程遠い仕組みにならざるをえない。結論を出す事はまだ早いかもしれない。お手並みを拝見する時間は無期限ではないのだ。今回の調査研究が何の前触れも無く突然出てきたことに納得できる説明が無い。
 地域生活を保障するには、当然、今まで以上の経費が必要だ。これが学者には分からない。成功事例ばかり視察して、一体何ができますか?
 現場を預かる我々が一番心配していること、それは今回の巨大地震によって、また建築法の基準が変わり、期限内に建物改修をしなければならなくなる事態だ。スプリンクラー設置の時もそうだ。この国は杓子定規で行われるものが多過ぎる。尚恵学園が老朽改築をした当時(平成元年)は木造の寮舎は認められなかった。それが、いまどうなっているか。木造を推奨している。
 居室専有面積など変更が著しい。最低基準によって整備がされてきた時代から上限は取っ払った。その財源捻出をするため法人が一般経費の節減に走った。当然、人件費も含まれ、常勤見なし職員が急増、その結果は明らかに低賃金で細切れ勤務職員が常態化した。その影響が福祉職養成校に及び、日本国中の福祉系大学や専門校で定員減、毎年、多くの学部廃止が起こっている。これだって予測はできた。
 その代替案として外国からの労働者を可能にする仕組みは作ったものの、現実には言葉のハンデイとハードルが高く、殆ど伸びていない。
 様々な事業主体の参入を認めたのは良いが、既存の公益法人との線引きができず、現場では相当混乱している。保育・児童・介護全てが確たる未来像を持たず彷徨い続けている。これが偽らざる実態だ。
 地方の行政現場も大変な思いをしている。制度が変わる度に研修を繰り返し、複雑になり過ぎた仕組みを利用者に説明するのに四苦八苦。これも偽らざる実態である。
 そもそも何故このような議論がなされるに至ったかという原点がボヤけてしまって、後付け論議となっている。そして、今回の大災害は今まで積み上げてきた議論を足元から崩してしまう程の影響は必至なのだ。
(ボヤキは続きますよ)
 

1772:芽吹き

桜が満開となり、時より吹く風に花弁がゆっくりと落ちる。この季節の長閑なあいも変わらない風景がある。足元に目をやると名の知れる草の確かな営みを見、木々の芽吹きには自然の恵みを一杯に受けた力を感じる。
 この悠久の時の流れ、人々は自然に包まれ育まれて今日まで生を繋げてきた。その大切な大切な自然からの恩恵を蹂躙する原発事故、これは一企業とか一国の責任と言って片付けてしまう程、簡単な出来事ではない。
 人間は自分が置かれた状況に他との比較によって喜怒哀楽の感情を露わにする。日本人は特に侘びや寂を大切にしてきた。閑寂な風趣を愛し、自然と一体となって自らを見つめることができる。
 だが、姿が見えない放射能汚染には、なす術を知らず、憤りを何処にぶっつけて良いのかと煩悶している。
 福島で今、必死に復旧作業を行っている人々、強い余震に作業を中断し、線量計を見ながらまた作業を続けている。しかし、素人目にも事態が改善の方向に向かっているとはどうしても思えない。政府や東電は混乱をさけようと報道には相当注意している。しかし、レベル7という具体的な数値を示されると発表の信憑性をどうしても疑ってしまう。つい2日前、南相馬市から山梨に避難している人が寺に来られた。ワゴン車には荷物を一杯載せ、これからまた山梨に戻るという。原発から20キロ範囲内だから許可無しには自宅に戻れない。
 この状況は1年〜2年では変わらないと言っていた。その晩のニュースで総理が避難地域の人達は10年や20年は元に戻れないかもしれないと言ったとか言わないとか。多分、誰しもがそう思っているのだろうが、国のトップがそう言ってしまってはと問題になった。
 それと、なんだか知らないがまた総理の首の挿げ替えを叫び始まった。駄目なんだよ。こんな風だから。
与党から出ている参議院の議長が口軽く、そんな事をテレビの前で話している。「それじゃー誰がいるんですか?」と逆質問され「分からない。強いリーダーシップの有る人」これほど無責任な言葉はない。
 必死に現場で作業にあたっている人達がどう思うか!未だ行方不明の身内を固唾を飲みながら待っている被災者がどう感じるか。この感覚が全く薄い。この人が国政の片方の議長だ。
 政党に関係なく、いまこそこの一大事に団結しなければならないのに、彼らはそれが分からない。大バカ者だ。
 草木は芽吹きを始めている。政治は依然としてその芽を摘むようなことばかりしている。若い議員達よ。国会での発言の機会が無いと嘆くのであれば、今こそ現地に入り、貴方達も一緒に復旧支援を行って欲しい。

1773:体調管理

地震の発生後、多くの人が目まいや不眠を訴えています。症状が重くなると嘔吐してしまうという。確かに尚恵学園の利用者さんもそれぞれが何かを感じ、訴えることができる方は職員に身ぶりや言葉で伝えてきます。それが出来ない方は様々な形で出してきているようです。ここまで余震が頻回に起こるのは誰も経験したことがなく、いつまで続くのかいい加減、おさまって欲しいと願っているのです。
 昼夜に無関係に揺れるものだから、自律神経も狂ってしまいます。私も同じ症状で夢か現か分からないような夜を過ごしています。
 皆さんが本当に頑張っているのです。耐えているのです。そして、どうにか安心できる生活に戻りたいと祈っているのです。決して物が有り余るような贅沢は望んでなどいません。
 
 体調の管理は自分で注意するしかない。今はなるべく外で体を動かすのが良いと思います。でも、どうしても被災地の皆さんの事が気になります。親戚や知人の情報が人伝に知らされると涙が出そうになります。
 昨夜も久しぶりにドイツから電話がありました。原発事故のことを大変心配していました。確か福島の事故が起こった時に一先に反応したのがドイツだったような気がします。市民が広場に集まり、原発の反対を叫んだ。
 ヨーロッパは日本とは違って陸続き、事が起これば自国だけの問題ではなくなる。その事を話していました。 ドイツでは2020年までに原発を全面廃止するとか、それに替るエネルギーを真剣に考えているという話です。
 日本が明確な方針を示せない原因はどこにあるのでしょうか?改善の為に必要な痛みや不自由を誰しもが受ける覚悟はあると私は思います。これとて明確な将来のビジョンがあってのことですが。
 広島・長崎に原爆を落とされた日本、65年という時間がその時の不戦の誓いを少しづつ風化させているように思えます。そして、今回の原発事故、同じレベル7のチェルノブイリ事故とは違うと言ってはいますが、素人目ではもっと深刻ではないかと思ってしまいます。福島は原発4基が事故を起こしたわけです、その復旧には広範囲な対応が当然必要となります。しかし、聞こえてくる具体的な対処方法は、原始的な方法しかやっていない。これで本当に治まるのでしょうか。世界中の人々の関心が実はそこに集まっているのです。いざ、事故が起これば手探りで対処しなければならないという現実。これ以外に無かったのか!
 石原東京都知事がパチンコや自販機の業界に自粛を訴えた。都内でこの種の電力使用総量が福島原発4基分の発電量と同じだとか。業界はこれにどう答えますか?日本人が利便性を追い求めた結果、驚くような無駄を気がつかないで行って来た。毎日食べずに破棄される食料は世界の飢餓に苦しむ人々へ渡れば救える量だとも聞いた。何も夜中にまで自販機から飲み物を買う必要はないはずだ。そのことを国民一人一人が真剣に考え、運動として広がりを見せないと変わらない。無駄が私たちの身の周りにいくらでも探せる。公共交通でも全く客が載っていないバスが運行されている。原発に替るエネルギーをLPGで賄うとすれば、車の利用を減らし、公共交通だけを走らせる。減った燃料を発電に回す位の国の政策誘導が絶対に必要だ。今後、被災地は街づくりをゼロから行わなければならない。そこに明確な国の容が示され、一貫した方針で一歩一歩築いていかなければなるまい。それこそが新しいエコモデルとして世界に誇れる日本の再生だと思う。

1774:気がつき

私たちが一番大切にしなければならないことは何なんでしょうね。思いやりや優しさを形に表していくことなのでしょうか?最近のテレビCMでちょっと気になっていました。電車で妊婦さんに席を譲るとか階段を上るお年寄りに手を貸してあげるなど・・・・・・・。私はここに今の日本人の有り様が見えるような気になっています。
 それは何も公共の電波を通してまで言うべき事ではなかったはずで昔から日本人の常識として親やお年寄りから教わってきたことでは無かったのではないか。
 私たちの周辺に数え上げたら切りが無い程の事があります。まず、道ですれ違った時に挨拶を交わさなくなった。観音寺は私道が一般道と平行して通っています。そこを毎日犬を連れ散歩している方がいます。この方は前を真っ直ぐに向き私とすれ違っても言葉は交わしません。一度、私のほうから挨拶をしましたが、その時は頭を下げたように思った。私道を通っているにも関わらず、何の言葉もかけない。これは私の常識には無かったこと。
田舎では、こういった事では生活できないと一度言ってやろうかなと思っています。今のところ実行はしていません。
 最近、神立に引っ越してこられた方の話。引っ越しの挨拶に近所を廻った時に、喜んで貰ったと驚いていました。前に住んでいた所では、全くそのような事が無くなったということでした。
 ここなんですよ。もしも今回のような地震が都会で発生した場合、隣に誰が住んでいるか分からず、一体どうなるのかと思ってしまいます。
 人間が便利さに慣れてしまうと創意工夫ということが無くなります。権利の主張が義務を圧倒し、世の中に潤いが消えます。果たして今回の災害復興に復興税だか消費税だか分かりませんが導入に国民の同意が得られるでしょうか。多分、東電の責任に厳しい目が注がれるでしょう。電力事業は私企業で行うというよりも国の責任で行われるものでしょうね。しかし、そうなると官民癒着・慣れ合いという企業体質が生まれ易く、そこをどうチェックするかという問題が起こります。先ずは原発を安定させることが最優先、その後に企業存続を大いに議論を尽くして貰いたいものです。
 家庭内において、物が溢れていませんか?必要以上のものを買い集め、棚や部屋に目一杯並べて置いてある。これを豊かさと勘違いしています。それは単なる無駄使いの結果でしょう。
 昨日、建築関係の方と話をしていたら、日本の一般住宅の耐用年数は30年という設定のそうで、築25年経つと資産価値はゼロになるというのです。ヨーロッパでは民間の住宅でも100年〜200年もたせて利用しています。こまめに手を入れ、大切に使っていると聞きました。まず、この辺から見直し、新しい街づくりのモデルを考えていただきたい。そうしないと今後は資材の入手ができなくなりますね。
 今回の地震で分かったことですが、洋型墓地は殆ど被害にあっていません。単純な作りと背丈が低いからです。それと瓦屋根は見事に崩れました。いま至るところに屋根をシートで被せた家を見かけます。修理は4〜5年先だと言われています。
石屋さんも瓦屋さんも間に合わないというよりも材料が無いのです。この辺の生活上の工夫も検討されるべきだと私は思います。

1775:堅忍不抜

久しぶりに会った方と挨拶を交わす時に「御蔭様で元気です」と言うのを憚る。自分だけが被害に遭わなかったという申し訳ないような気持ちが働くからですね。堅忍不抜という言葉もありますが、耐えに耐えしのび頑張っている方達の事を思い浮かべると軽はずみに使えない。
 何か元気になるような事がないかと周りを見回しても結局、同じ思いになってしまう。日曜日は法事が重なり、ちょっと忙しかった。そこで出た話は全てが地震の話だった。墓参に行くと、いつもならいない石屋さんが修理を忙しそうに行っていた。声をかけると、まだまだ仕事が一杯残っているのに人手が無いと嘆いている。石は殆どが外国から持ってくるから間に合うそうだが、職人がいないと頭を抱えていた。
 御蔭様という言葉だが2つの意味があるという。神仏の加護と人から受けた恩恵を意味する。これを曲解し自分が不幸にあったのは神仏への信仰が薄いからと考える人が必ずいる。それを自分の商売に利用す不届き者も出てくる。仏教の長い歴史の中に寺院や僧侶の退廃を戒める文章が数多く残っている。僧侶自身が懺悔告白するものや不健全な気風への警鐘を鳴らすものもある。
 宗教の本質は、安心を得ることにその真価がある。今回のような前例をみない惨事において仏教の果たす役割が何か。殆どの僧侶はそう考えているはずである。私の属する豊山派でも被災地に行き、合同慰霊法要を行うと聞いた。政治の世界でも党派に関係なく復興対策を行う動きがあるように宗教界も全く同じだと思う。
 世界各国から日本への支援の動きが出ている。今まで日本は援助する側にいたのが常であったのに、今回の出来事でそれが逆転した。
 電力業界の雄であった東電が大きく揺れている。会長が責任を取り、辞めるとかとの話が洩れ聞こえてきた。いまこの時にそのような事は口が裂けても言うべきでない。最前線で復興作業を命がけで行っている人がこれをどう聞いたか?職を辞せば責任が免れるというようなことがあったとしたら、これは許されない。ここに日本の病的な体質を感じてしまう。戦国時代に城の最上階にはご座所があり、城の主は戦況を見究め最早これまでと腹を切ったという。それが今に引き継がれているかと言えば跡かたも無くなった。一国の総理が年変わりで代わる国も珍しい。責任を取ってバッジを外すと公言した方が、いま、居座って現在の執行部を批判している。どのような理屈があろうと私には許せない言動だ。トップとしての言葉が軽過ぎる。いつ頃からこうなってしまったのだろうか?菅さんを批判する人は多い。それじゃ誰か他にいるのかと聞けば、答えに詰まる。これじゃー無責任極まりない。
 復興は、これらを含め検証され本来の日本人が持っていた魂と徳を兼ね備えたリーダーを育ててもらわなければなるまい。他人事ではなしに我々としても自分達の事として。

1776:一時の

東京で関東地区の会長会議があった。浜松町や上野の駅でいつもと違うと感じたのが構内のエレベーターが使用中止になっていたことで節電の為という貼り紙があった。常磐線は以前としていわきから先の復旧がされていないが運行ダイヤは殆ど平常に戻っている。会議の中心話題は、東日本大震災における各県の対応であった。東京・神奈川は一先に現地に職員を派遣し、救援に取り組んでいるとの報告があった。各県マチマチだったが、それなりの対応をしていることが分かった。茨城は福祉協会として独自の活動はしていない。
 それは県を中心に対応しようと決めたからである。その後、県社協や経営協、福祉協会と様々な団体が独自に活動を開始、義捐金なども窓口が沢山できた。正直、今のところ混乱するまでには至ってはいない。各県の現地における活動では、一様に受け入れ側の体制が難しいという話があった。誰がコーヂネートするか、闇雲に応援するといっても逆に迷惑にならないとも限らない。茨城は今回被災地ということになっている。県内を見回しても被害の大きさには格差がある。被害が少なくて余力がある事業所は市町村の災害ボランテアなどを通して支援を行っている。せめて茨城は他県の迷惑にならないように自分達は自分達で行うと報告した。
 これがどう受け止められたかは知らない。東北三県の皆さんには大変申し訳ないのだが、茨城県内で依然としてライフラインが充分復旧していない地域もあり、自分の処で精いっぱいという事情もある。
 長期戦に向け、何か具体的な支援活動ができないか検討したい。
 今年の7月に山梨で行うはずの関東ブロック大会は中止、その為茨城は平成26年度開催に先延ばしになった。
 茨城開催の時の会場と考えていた県立文化センターは地震被害があって現在使用できない。取り壊すという噂も聞いたので良かったかもしれない。
 帰りの電車で疲れがドッと出てしまった。車窓から見える東京スカイツリーはもうすぐ完成するのだろうか?
 もし、今回と同規模の巨大地震が東京で起こったらと考えたら墓石が隣の墓石を倒したどころの話では無い。本当にあんな構造物が必要なのか?
 最近はどうしてもマイナス思考になってしまう。
 暫くは、自分に正直に思いを馳せたい。
 電車の中で友人にメールした。一時の安心とでも言うのだろうか電話で声を聞いただけで気持ちが休まる。 人間はそんなに大きな事や煌びやかなものは必要ない。一番大切なものは分かり合っているという安心だ。そう思う。
 福祉の業界がどうも変な方向に向かっているように感じているのは私だけだろうか。経営や管理に重点が置かれ、外面や評価に異常に敏感になりすぎていないか? 利用する当のご本人はそんな事はどうでも良いことで寧ろ分かり合える仲間や安心が欲しいだけ。支援現場はルーテインワークで日々が過ぎていき、目に見えて変化を感ぜられず、少しずつ消耗していないだろうか。
 それと目立ちがり屋勢力の台頭にも危機感を持つ。自分が主人公になってしまうタイプの人間だ。あくまでも福祉は影で支える立場に身を置くべきだ。これが自論である。
 ”一時の 安らぎは
      人 それぞれの 心の中に ”
 

1777:独創性

障害福祉の過去10年を振り返れば、平成5年〜6年にかけ、一つの転換期があった。措置から契約という変更で、これは言うまでもなく、高齢福祉の介護保険導入によってなされたと言っても良い。当時、様々な意見が出ていた。
 「レデイメイド」対「オーダーメイド」、「サービス主導支援」対「ニーズ主導支援」、「医療モデル」対「生活モデル」といった対立軸があり、従来の制度で雁字搦めだった施設を「定型的サービス」の代表格とみて、改革の狼煙があがった。
 地域福祉に関しても単なる場所を指すのでは無しに「閉じる」か「開くか」の違いだという議論があった。
 その後、支援費制度に移行し、全国で独創的な実践が緩やかになされてきた。そこにきて、また新たな制度改革の動きが出ているのは周知の如し。
 多様な事業主体の参加により、競争原理が導入され、全国一律では無いにしても様々な展開が繰り広げられてきた。
 しかし、その動きが加速されればされる程、既得権を死守しようとする巻き返しが起こる。ここ数年は、そう言った攻防があったと思っている。
 私は今1冊の本を読んでいる。『障害福祉の未来を』ぶどう社である。4名の方の語りがそのまま活字になったもので、其々が独創的な実践の先駆者だから、何気なく語られる言葉に重みを感じた。皆さんが私より10歳位若い連中だ。彼らに熱気を感じる。彼らの共通する立ち位置として、安定したポストに胡坐をかいていないということ。定型の仕組みの中で活動するという類では無く、自らが描くビジョンを持って創造する。長い歴史を振り返ると糸賀先生を旗頭に集まった先人達とどこか類似していると私は思った。彼らを仲間と感じるか敵と感じるかである。
 何も無い処から新たなものを作り上げるエネルギーと比べれば、既得権益を守る運動など屁の河童。要は財源をどう工面するかという問題だけ。しかし、これでは真の改革とはならない。時流を読むというのだろうか?世間様はそれを許してくれないだろう。関係者だけの自己満足の域を出られない。いかに事業を拡大してもだ。その価値観を根底から変えないと最後は裸の王様になる。
 今回、大地震で痛感したことがある。この大惨事にあっては障害の有無に全く関係なく元の生活に誰しもが戻りたいと願う。不自由を感じて、初めて分かることも多かった。ここが肝心。
 現状の施設に果たして不自由を感じるか否か。これを立場毎に良く検証する必要がある。残念ながら、その調査が未だ不十分、実態は様々な団体が自らの要求を声高に訴えるだけ、個人的な意見だが今回の復興支援に思うこと。業界が業界を支援するという動きがある。これって違うんじゃーないの!
 私は出来れば施設も地域の活動と一緒になって行うべきだと思う。市町村や社協の活動に協力する。このほうが自然である。業界として大弾幕を掲げ現地に行って果たして何ができるのか?状況を見てきてそれを報告することぐらいはできるでしょう。でも、それも違うな。仲間に入れてもらって一緒にやればいいんだよ。そう思った。
 そうしないと自らの功績を他に誇るような事になりかねない。
 仏教にこんな戒めの文言があります。
 ”利養を得んと欲し、自徳を讃じる・・・・・・・・”と。[密厳院発露懺悔ノ文]
 

1778:anti or  with

anti aging か with aging?? 還暦を迎え老いをどう受け止めてみたらよいのであろうか? 黒井千次という作家の話が面白かった。しかし、いくら老いに抵抗したところで確実に歳をとり今まで出来たことが簡単にできなくなる。これは宿命でしょう。
そこでwithという付き合い方が良いというのだが、70歳を越した男女が恋に陥るというテーマで書かれた小説が密かに人気を博しているとか。
 艶のある話がwithかもしれない。世の中の雰囲気が老いを”負担”と考えるようになった。由々しき事態だ。人生80年も決して夢ではない。ここ悔みが続いている。91歳・93歳とご高齢の方が亡くなった。遺族に悲しみをあまり感じない。それが式場全体に伝播し、導師の私にも伝わってくる。
 その方にとって90年という人生はどうだったのか?一人一人違うから一概にこうだったとは言えない。
親が子に我が家を託すというのが順当な流れ、しかし、今起こっている東北の惨状は全てをゼロにしてしまった。何を支えに立ち直れば良いのか。天災を避ける手立てがあるのだろうか?今回、復旧を送らせている大きな原因の一つに原発事故がある。今回、それが防げなかったのか?今後の検証を待つしかない。必死の復旧を現場で行っている作業員の方達は地元出身の方が多いという。自分の家族も被害にあっているにもかかわらず、復旧に専念されている姿はなんと言ってよいのか分からない。
 孫正義氏が反原発の団体を設立したとか聞いた。人命を尊ばない経済の発展は有り得ないというお考えだ。世界中に今回のフクシマ原発の事故が流れ、反原発の運動が加速している。
 日本は原発に30%依存している。もし、その代替エネルギーが開発されれば原発は廃炉しても問題は無い。それまでの間、原発とwithできるか否か?
 日本人が不自由さを受け入れる覚悟があれば、可能だ。リスクを選ぶか不自由を選ぶか。
 進展具合によってはanti色がもっと強まるはずだ。その可能性が強い。復興会議というものが設置された。安藤忠雄氏が述べていた。この惨事を忘れることなく、新たな創造へのエネルギーをどうやって導いていくか。当然、地震・津波・原発というものを念頭に置いた計画であるべきで、それには当然国民の了解を得ていくことが条件である・・・云々。
 どうも、今までの日本の動きは、共通のコンセプトがあってなされてきたとは言い難い。批判はするが其れに代わる妙案が出せない。首を据え変えることで批判の鉾先をかわしてきた。今回はそれは絶対に許されないだろう。
 国民全てが復興にかかる負担を担う覚悟があるか。このルール作りが実は一番難しいのかもしれない。

1779:自粛か否か

 げんきだせ 日本!復興への旗印。しかし、どうやって元気を出せば良いのか分からないのではないだろうか。 数々のイベントは中止となり、観光地は閑古鳥が啼いている。被災地の状況は日替わりで変わっている。原発被害の影響が一体どこまでいくのだろう?いつになったら終息できるのか、まったく先が読めない。
 気分的には自粛ムード一色で元気が出せないというのが実態でしょう。
 京都大学の原子力研究の準教授の話、今までは原発は必要だと思って推進派に自分がいたことを悔いていると。そして東京に原発を建てるべきと言った。その意味は、東京の有り様が異常だと、惜しげも無く電力を消費し、24時間休みなく動く大都会、これが繁栄の証だと言って誰もが疑いを持たずにきた。そして今回の計画停電騒ぎ、。。。しかし、どうでしょうか。フクシマの人々の犠牲から比べればどうのこうの言える立場ではない。リスクを避け、恩恵だけを受けてきた大都会、ならば、発電所を東京の中に作れという提案だ。今回の事故で安全神話が脆くも崩れた。時と共に人間は忘れることは明らかだ。身近に原発があれば、いざと言う時にその痛みを感じるはず。そして、その先生は日本の全ての原発を即廃止すべきだと訴えた。
 原子力村というものが有るのを初めて知った。(毎日新聞)そこには数千人が住んでいて、「学者集落」には200〜300人が暮らし、みんなが顔見知り、最先端の技術の粋とかいう言葉によそ者はたじろがされ・・・・・・・・
 この批判は痛烈だ。経済発展という傘の下でぬくぬくと膨張を続けたムラ社会。
 それと全く対照的なフクシマの人達、中には原発によって生活が成り立った人々もいるだろう。しかし、それは安全だという担保があったればこそ、いま、住人は強制的に住み慣れた土地からの退去を命じられている。
 最先端の技術の粋という割には、復旧の作業がなんとも原始的で歯がゆい。これは誰もが感じていることだ。敢えて言えないのは現場で必死にその作業を行っている人々を知っているからで、原子力村の住人は、安全な場所に自分は居て、外からどうのこうのコメントを繰り返すだけ。
 本当は、これこそが想定外と言うのだろう。フクシマの人々はいつになったら元の生活に戻れるのか不安で眠れないという。遠くの火事背中の炎という言葉もある。元気出せと掛け声をかけることはできます。それじゃーどうすれば良いの? 贅沢に慣れ便利さを追い求めてきた日本人全てに突き付けられた大問題。
 正直、茨城にも影響が無いとはいえない。必死に安全をPRしてはいるが、不安が増してしまうのはどうしようもない。
 果たして、本当に必要な電力量はどれ程なのだろう?その確たることは誰も分からない。LED電球に切り替えを決めた大手コンビニ、国が本当にエコエネルギーを推奨するのであれば、補助金を出すとかしてもっと安価に庶民が買えるようにしてはどうなのか。そして、その結果どれだけ節電ができ、原発を稼働しなくとも賄えるというデーターを示すべきではないか。
 東京に出ると当たり前と思う山手線の昼間の数、正直あれだけの本数が必要とは思えない。人の流れをスムーズにすることが、果たしてどこまで要求されるのだろう。
 ヨーロッパのエコ政策が進んだ都市では、自転車を利用する人が増えている。日本人はちょっと可笑しい。
 運動不足にジム通い、肥満防止のサプリメント需要が急上昇。これでエコかいなと疑問を持たない人種。
 その種の業界が大手を振ってテレビCMを独占している。ここにも何らかのムラ社会が築かれる。自粛か否か。これは余程、肝たまをいれないとできそうもない。私は早速自転車を買った。

1780:生活の基盤

ひろさちやさんが言っていた事で、「仏教は美味しい物を食べる教えでは無く、美味しく食べる教えです」と。他力の救いというテーマで話された中にあったものを勝手に拝借。ひろさんは多くの仏教書を出している。それも一般の方に分かり易く。大正大学でも教鞭をとっていた時期があった。どちらかと言えば浄土系の教えを得意としていたように思っている。
 これは今月15日、京都で講演された時の話。阿弥陀仏という仏さんの元々の意味は、アという否定の語(無)が頭にあってミターバという言葉の量るという意味を合わせたもの。漢訳した時に「無量寿」「無量光」という言葉をあてた。
 要するに量ることをしない仏さんという意味から無限の光を全ての人々にあてる仏さんという風になったという解説。
 東日本大震災の復興最中での話、当然そのことを念頭に置かれて話されている。
 他力の救いというテーマがその事を如実に示していた。
 壊滅的な被害にあった人達がこれからどうして良いか茫然自失の日々を過ごしておられる。「がんばれ!」という励ましが素直に受け入れられなくなるのも当然だ。そのイラダチが東電や政府に向けられる。一体何をやっているんだ。責任を取れ!と直訴。謝罪する側は、只管、申し訳ないと頭を下げる。
 頑張れば果たして元の状態に戻れるのか?誰もそうは思っていない。何代にも渡り田畑を耕し、農業を行ってきた人々の怒りは頂点に達している。放射能で汚染してしまった土地で作物が作れない。自力での復興は絶望的だと皆が感じている。漁業も酪農従事者も全く同じ気持ちでいる。
 震災に遭わなかった者がどのような言葉をかけても今は何か後ろめたい思いになる。もしひろさちやさんが京都ではなく、仙台や福島で講演されたとしたらまた別の話をされたと思う。
 美味しく食べると言っても食べる物が作れないと叱られたかもしれない。日本人は昔から自然と上手く共存してきた民族、だから天災には寛容である。その中で学んだ智恵をいかし、今に至った。
 今回の災害の復興にあたって一番厄介なものは、原発事故である。これは明らかに人為的な災害と思える。
 原発が絶対に安全だと言えなくなった状況が世界中に知れ渡った。誰が考えても絶対という事は有り得ない。
テロの標的にされるというリスクは常に存在したし、それに対する防御は天災以上には取られて来なかった。
 万が一、ミサイルが原子炉を攻撃したら、復旧する時間も無く、一瞬に放射能が散乱する。ミサイルを発しないという保証は全く無い時代に我々は生きている。
 広島・長崎への原爆投下、世界で唯一の被爆国日本、そこで起こった原発事故。なんとも皮肉なもので、ここで国としての姿勢と力が試される。
 生活の基盤というものは、生活を支えるよりどころという意味である。人・モノ・金・・・・全てを包括的に考える。
 戦後の復興を経験した日本が量ることが可能な事に血眼になって実績を重ね、成し遂げたということでホッとした瞬間、人間の幸せは量れないモノにこそ拠り所があることに気付いた。
 そう解釈すれば、美味しい物を食べる為に高級店で高額な料金を払うしかなかったことよりも家族団欒の中で安価なものでも楽しく食事することのほうが余程良いと感じ始めてきた矢先だった。
 これは、50年前に糸賀一雄先生が指摘した”社会の構造的な矛盾”にどう立ち向かうかということと全く同根である。

1781:背と腹

『心と裏腹な世辞を言い、顔色合わせの 浮世みち』  咄嗟に浮かんだ小句です。
 水に馴染んだ土地をそう簡単には離れられません。現実に起こっている事やこれから先その選択をせざるを得ないと思っている人達。どのような言葉をもってしても、心からの慰めにはならないでしょうね。
 背と腹・・・・裏表・・・・微妙な感情のズレが起こるとすれば、相手の真意を量りかねる時におこる。でもこれは避けられないと思います。相手の立場になると言う事ができない訳ですものね。
 福祉の現場で話題に良く出ることばに”自立”というものがあります。しかし、本当の所は良く分かっていないんじゃーないでしょうか。
 支援する側される側、双方が果たして自立しているかと言うとNOでしょう。自立=他の援助や支配を受けず自分の力で身を立てること。ひとりだちとも言いますよね。中には自分ではそう思い込んでいる方はおりますよ。
 そんな方は往往にして”孤立”に向かう。ダブル スタンダードとか言いますが、二つの物差しを用意して考えますと、両極端を掲げてどっちを選ぶかという手法が多いですね。懺悔の文の類は、殆どがそうです。価値判断とは頭でその物差しを出し考えることですよ。仏教で取り上げる”中道”も同じでしょうね。極端を嫌い、絶対という我を否定した。そこがスタートだったと思います。これって時代がいくら変わっても変わらない真理。しかし、掴みどころがないから肩すかしされたと思ってしまう。
 日本が今後、どのような道を選んでいくか。皆さんで決めることですね。二つの物差しに照らし合わせるとここ数十年は片方に偏り過ぎたかなと感じ始めた。でも、全ての人がそう感じている訳ではない。
 政治家の難しさは端的に言えばその一点だと思います。皆が皆一様な願いではないということ。必ず反対者や不満に感じている人がいるということです。それを承知で政治家になっているんだから外野で言うべきことではありませんが。
 日本の財政規律の維持を考えれば一目瞭然、心底から深刻には思っている人がいないと言う事。政治家個人を考えれば誰も有権者に嫌われる事はしたくない。これしか私には理由が浮かびません。
 しかし、今回の大震災で多くの人々が何かを感じたに違いありません。無駄という意味は必要以上の贅沢です。
 明らかなことは無尽蔵に有ると信じていた電力がそうじゃないんだと知った。そのカラクリも徐々に分かってきて、このまま進んでいったら大変な事になると感じた。それは予知できない天災と目に見えない放射能汚染という恐怖感が同時に襲ったからです。
 豊かさの権化見たいな東京が実のところ自立していなかった。自立は自らの責任で一人立ちすること。電力を東京自体で作ることができず、新潟や福島に依存していた。
 福祉論を突き詰めていくと矛盾にぶち当たります。それは豊かさの中に本来の福祉は有りえず、見かけの福祉は本来の幸せとは裏腹ということ。
 残念であるが福祉関係者にその事を求めても、足元のハエを追うのに精一杯で安心という究極の目標には到底達せない。
 ニヒリズムというのではありませんが、中国の老荘思想や仏教の空観に伺えるモノの考え方を既成の価値観に照らし合わせ再考する時期にきているのではと私は思っていますが、みなさん如何でしょうか?
 

1782:ゆっくり安心

ラジオ深夜便で天野祐吉氏の隠居大学という新番組が始まった。月1回ゲストを呼び対談する。今朝は小沢昭一氏だった。78歳と82歳だからお互い隠居さんとしては申し分ない。天野氏は多彩な方でコラムニストとしての認識はあったが、松山の子規記念館の名誉館長であることは知らなかった。小沢氏は独特のトークで「小沢昭一の昭一的こころ」というTBSラジオのレギュラー番組は面白い。
 今朝の深夜便を途中から聴いたから全体の内容は把握してはいない。しかし、昭和の良き時代、ゆっくりとした安心があったと懐かしむ二人の話から少しの間タイムスリップできた。
 小沢氏は演劇の世界で活躍、舞台で客と直に顔を合わせユーモアを放す。客の反応を肌で感じ、芸を磨いてきた人物だ。
 煌びやかさなど全くない風情から、時流を読む感性は彼の芸風というのか他の追随を許さない。
 昨日は親戚の娘さんの結婚式があった。大分披露宴の容も変わった。挨拶は少なく、出し物も減った。しかし、式場の配慮が随所に感じられ、メリハリのきいた素晴らしい演出で出席者の大半が満足気味だった。唯一元気が無かったのは娘を嫁がせる親達、内心は大喜びに違いない。最後の新婦からの両親へのお礼の言葉、今まで堪えていた母親は外聞など気にせず大泣き、一瞬、子育ての思い出が頭をよぎったのだろう。私もその事を良く知っているから貰い泣きしてしまった。
 来賓挨拶も良かったし、バッジをつけた人も全くいなかった。それがまた新鮮に映った。昨日は統一地方選挙の当日、
結婚式所の話では無かった。
 兎に角、昭和一ケタの人達は今回の地震騒ぎにも動ぜず、達観しているかの人が多いと感じる。
 良く考えてみたら、原発事故も人為的災害、それと先の戦争もそうだ。その体験があるという重みがある。そのお二人のトークショーで「ゆっくりした安心」の大切さが語られた意味は大きい。
 いま直ぐに復興を望むことも分かる。しかし、現実的には、原発事故の終息に先が読めない。
 世界が日本の選択を強い関心を持ってじっと見つめている。もう死語になったのかも知れないが「エコノミックアニマル」と外国から揶揄嘲弄され、それにもめげず頑張り続けた。その昭和1ケタの年代が大分少なくなった。その子どもが親となり、その子が結婚し家族を持つようになった。
 利便性を求め過ぎると気付かない内に人間がひ弱になる。耐性が無くなるとも言える。
政治のご隠居様はここのところ姿を消したようだが、ご隠居の話に耳を向けることも再生には必要だと思っている。

1783:今だから・・

地震発生後6週間が経ちました。あれだけ頻発した余震が少なくなってきたように思われます。でも油断はできません。昨夜夜中の1時半ごろでした。学園から電話が入りました。利用者さんが転んで頭に怪我をしたという内容でした。3人の夜勤者がいますが、男子職員が本人を連れて病院へ行ったという報告です。私は直ぐに学園に行きました。3つの寮にそれぞれ夜勤者がいますが、一人が病院ですから、男子寮の留守をすることになりました。
 職員の慌しい動きとは別世界、皆さん静かに寝ています。
 寮内を見まわしながら地震の時を思い出しました。あれは偶然にも昼間の出来事でした。もし、深夜に起こったら、どうなっていたか?電気が消え、真っ暗な中で一体どんな状況になっただろうか? 実際にあの場にいた者でなければ分からない、人命を預かる仕事の重さを痛感しました。
 一人で通院した職員の気概も大したものです。私だったら応援を頼んだとその時思いました。
 夜勤室に暫く座っていると、一人の利用者さんが起きだしてきました。トイレに一人で行ったようです。後から付いていくと彼は既に尿の失禁をしてしまいパジャマは濡れていました。シーツとパジャマを交換してあげると直ぐに横になり寝始めました。  昔を思い出した瞬間です。
 昼間、建築現場にいた監督よりこんな事を言われたことを思い出しました。「理事長は来るものは拒まないから利用者が増えちゃって大変だ・・・」と。そんな事は決して無いのですが、確かに基準が変わる度に建物を直しています。年中、何らかの工事は行っています。それでも実際は間に合わない。
 これをいつまで続けるのか?昔、当直勤務をやっていた時は、そんな事を考えることも無かった。どうすれば○○さんの失禁を防げるかと真剣に考えた。いま思えば楽しい一時だった。
 話は変わる。県内の障害者団体と県との震災後の情報交換の開催を提案した。この時期に是非開いてほしいという希望を添えて。
 何事も無かったから良かったというのは運を天に任せるやり方だ。現実にはちょっと歯車が狂えば大惨事になっていたはずだ。
 今回の大震災は有無を言わせず、私たちに突き付けられた。この時期被災者の皆さんの事を考えると言葉づかいに気を使う。
 この経験をどう活かすか! これがせめてもの生き残った我々ができる亡くなった人々への慰めのミチではないのか。
 それはそれは大変な道程です。昔昔・・・三蔵法師が天竺に経典を求めヒマラヤを歩いて超えた。その時に持ち帰った経典が漢訳され、日本に伝わったのが1300年以上前のこと。昨年は平城京遷都1300年の年、その1年後、日本を襲った1000年に一度と言われる大地震。
 この悠久の時間を私たちはどう受け止めていけば良いのでしょうか?避けられるのならば逃げ出したい気持ちの人が今多いと思います。方や必死に復興に向け動き始めた人達もいる。
 

1784:感情動物

切歯扼腕という言葉が今の自分にピッタシ。どうして感情を諸に出してしまうのか。反省しきり。今風に言えばプッツン。決めつけ、思い過ごし・・・・・。
 喝・・・カッカッカ。
 このままでは私の周囲から誰もいなくなる。  その瞬間に目を覚ました。ぐったり疲れてしまった。夢か現か。
 人間の感情は掴みどころがない。一陣の風で急転直下、どう変わるか分からない。最近の報道を見ていると震災直後と大分内容が変わった。平常の番組に戻り、一見落ち着いたかなと思うのだが、ニュース番組になると震災関係の報道が真っ先にくる。このギャップを受け入れるのは大変である。誰しもが心の動揺を感じ、いまこんな事をやっていて良いのかと自問する。昨日、新築中だった作業棟が漸く完成し、使用できるようになる。震災後、若干工事が遅れたが無事終わってホッとしている。今年工事をするとなると大変だと聞いた。資材の確保ができないという。
 やっと寺の灯篭の改修が始まった。大きく割れたものもあれば部分破損で済んだものもある。軒並み灯篭は倒れたのでそのままにしてあった。
 割れたものは接着剤で付けて新しいものにはしないことにした。後、100年後?いつの日か割れた灯篭をみて、その時の住職が説明している情景を思い浮かべる。2011・3・11Am2:46は決して忘れない。
 関東大震災は今から88年前に起こった。年寄りから何度かその時の揺れの凄さを聞いたことがあった。日本は地震国だと言われてきたが、今回の地震は決定的に全ての日本人の心にその事を刻み込んだ。
 復興支援をどうすればできるか。誰だって何かの容でやりたいと思っている。日本知的が全国の施設仲間に声をかけ、支援物資を取りまとめた。どれ程の数集まったのかは分からないが、このほど現地より物流が回復したので間に合いつつあるから中止の申し出があったという。
 それを知った何人かの仲間から、茨城でも何かすべきだという電話を貰った。
 災害ボランテアの登録をするように文章が届く。職員に希望を募ったところ、予想以上の数の職員が名乗りをあげた。
 すると、またこんな電話が入った。登録はしたけれどその後なんにも連絡がない。一体どういう事か。正直、私にそう言われてもどうしようもない。
 被災地の混乱を感じる。いま、自衛隊や消防・警察が必死の復旧作業と不明者の捜索を行っている。
それに福島で起こった原発騒ぎ。素人が現地に行って果たしてどんなお手伝いができるのか。義捐金を送ることはできる。いま自分達ができることで協力することが一番だ。
 復興には相当な時間が必要だ。いずれ必ず我々ができる協力の機会はあると思う。
 日本人の忍耐強さは凄いと思う。既に50日になろうとする。
 誠に残念なのは、ここにきてまた内紛と思しき政党内の足の引っ張り合いが再燃しつつあることだ。彼らに伺いたい。
 アンタ達の本当の狙いは何なんだ?と。そんな暇があるなら、国会議員のテントを張り、現地に張り付いていな。

1785:身の丈

自分の身の丈にあった服を着ないとどうも格好が悪い。私も以前はオーダーで背広を作ったこともあったが、今は量販店でいくらでも自分のサイズにあったものが探せ、少し手直しすればピッタリあったものが4〜5日で着れる。これが当たり前の時代になった。
 それに比べ、障害者施策の旗印は「当たり前の事が当たり前にできる社会」を掲げている。本当にこれで良いのかと思ってしまう。具体的にはどんな事が当たり前なんだい?
 ちょっと視点を変えてと。
 弘法大師の性霊集:巻第10にこんな風に書かれてあります。
「口に信修を唱うれど、心すなわち嫌退すれば、頭あって尾なし。いって行ぜざれば、信修するがごとくなれども信修となるに足らず。」と。要はいくら口では修行することの大切さを述べてみたところで、実際に自ら信修していなければ意味がないという事です。これがあらゆる施策の核心でしょう。
 どうも、何かが起こると直ぐに対応の動きは起こる。今回の震災復興に関して政府の中に複雑過ぎる位の委員会が存在することが分かりました。日本全体が同じような状況にあると思います。様々な審議会や専門委員会が存在します。立派な報告書も作られます。しかし、それが本当に実行に移され効力を発揮しているでしょうか? 
 また、こんな文章も興教大師のものにあります。「密厳院発露懺悔文」
・・・・「利養を得んと欲して自徳を讃ずる」・・・ことへの戒め。
 復興への協力でありますが、自分達はこんな事をやったと言いたがる人がいます。これは他の人に同調を促し、喚起することの力に果たしてなり得るでしょうか?
 私は、今回の復興にはもっと深いところの支援が大切かと思います。行政に任せていたら、いつになったら実行に移せるか分からないという意見も頷けます。茨城県心身協では、今回、様々な要請や調査に一先に回答してきました。実際には被災地の福祉施設から茨城に避難されてきたケースはあまり無いという事です。
 別に拒んでいるわけではないのです。他県の人々からみれば茨城も被災地になっています。このことを弁えないといけないと感じています。我々が出来る事は、自分達のことは自分達で守ろうということかと思っています。必要な支援は東北の被害が大きかったところにと最初に思いました。
 しかし、時間が経つにつれ、そうとばかり言ってはおれない状況が起こっています。風評被害というものです。原発事故の影響が様々なところに出ています。果たしてそれによって被った損害はどの位に上るのでしょうか?東電や国が充分な賠償を行ってくれるのでしょうか?
 日本中が今回の震災で我が事として深刻に考えるようになっています。
 ニュース報道と言うものが励みにもなり、その逆にもなることが昨日1日で私は体験しました。
 小沢さん絡みの裁判で水谷建設元社長の証言、それとライブドアの堀江氏の最高裁判決。
正直、ガッカリしたというよりも、今更なんだよという気持ちになりました。身の丈に応じた責任の取り方があると思うのですが・・・・・・。

1786:水戸〜神栖

水戸での会合が早く終わった。心身協の会員で現在もライフライン復旧(下水)ができていない事業所へ見舞いに行った。大変遅くなった事が申し訳なく、その事を伝えたいと思った。
 国道51号線は片側2車線で太平洋沿岸を水戸から南下、途中、片側を通行禁止にしている部分があった。海側が改修中、余程酷かったものと思えた。鉾田に入り、半分以上の家屋で屋根瓦が崩壊している。茨城でも何故か分からないが震度が高かった地域で土浦周辺と比べたら大分違っていた。昨日は南風が強く、応急処置のシートが飛びそうになっている家も多くあった。
 鹿嶋から神栖に向かう臨海コンビナート、コンテナが無造作に流されたままでいくつか放置されている。電柱は傾き、道路も一部うねっていて通行禁止。至るところで復旧工事がされていた。
 目的の事業所はナビで行ったが直ぐに見つからない。周りに住宅が増え、目印が見当たらないからだ。やっと着いて施設長と話した。上水の復旧はできたそうだが、下水が以前使えない。トイレは簡易トイレを数個設置して対応しているとのこと。
 浄化槽の工事中だった。役所勤めの経験がある施設長さんと話して思ったこと。
 東北の被害から比べたら自分達の施設の被害は大したことはない。補助金を貰うのがどうかと思っていますとおっしゃった。
 役所経験があるからかもしれない。どうしても施設関係者は自らの田に水を引く傾向が強い。本来は障害者という一部の方達に対する支援が我々の役目、一般市民が災害にあった今回は多少主張を弱めるとかして遠慮も必要かと。
 これは私も全くの同感である。
 早めに失礼した。帰り道はナビに任せて土浦に戻る事にする。するとどうも道案内がおかしい。立派な新道を避け、旧道を選ぶ。ひょっとしたら通行止め?御蔭様で何十年かぶりに潮来のホテル街を通ることになった。
 ホテルが大分古くなっているように思えた。シーズンオフなのか?観光客らしき人は全くいない。潮来(いたこ)は”あやめ”と水郷で有名だった。潮が来ると書く。昔は海だった所。今回の津波が鹿嶋港で高くなったと聞いた。この港は臨海コンビナートを誘致する時に浅瀬を掘って大型船が停泊できる港を作った。そこに津波が襲った。
 今日訪れた施設は海岸から然程離れていない。でも津波は来なかった。昔からの同じ海岸線は津波を大きくしなかった。
 日本中が自粛ムード、これをどうにかしないと思う。
壊れた屋根はいずれは直されるだろう。でも、土台が弱くなってしまった家を上だけ直しても長持ちはしない。
 日本がここ10年、ジリ貧で決定打が打てない。過度の経済自由主義は長期には有り得ない。人間本来の欲を助長こそするが、安住が無い。安心して住める住居は先ず土台がしっかりしないと駄目だ。

1787:大型連休

29日より大型連休に入りました。各高速道路の渋滞も始り、例年と変わりなく休みを故郷や旅先で過ごす人達が多いのでしょうか? 私は全く予定もありません。天気が良ければ庭の草取り、悪ければ部屋の片づけでもしようかと思っています。何しろ、今年は東日本大震災がありました。自粛ムードはそう簡単には変わらないと思います。
 東北新幹線が青森まで全線復旧しました。このスピード(50日)は大変なものだそうです。アメリカなら2年位かかるだろうという話を聞きました。そのアメリカでは竜巻被害が凄いようです。何しろ140もの竜巻が同時に襲ったという話です。どうしてアメリカには竜巻が多いのでしょう?
 ・・・たった今、地震の揺れを感じました。依然として余震があります。・・・・・pc。
 地球上の至るところで何らかの災害が起こっています。自然の猛威と言うにはどうかと思いますね。日本は自然の恵みを多く受けている国の一つです。もう桜は終わり、新芽がまばゆい季節になりました。
 この時期、混雑する場所にワザワザ行く気にはなりません。雑草と戯れ、好きなコーヒーを煎れ、ノンビリするのが至福の時間となりました。
 私は除草剤を使いません。手で抜くのです。場所によっては草刈り機は使います。そこで気がつきました。いま草と共に苔が凄く広がってきました。植えた杉苔などは駄目です。自然に生えてきた苔が実に良いですね。座ると絨毯のような感触、・・・・。除草剤を使えば苔もろとも枯らしてしまう。
 苔に目を近づけると実に面白い。1本1本が独立して生えているんですね。それが集まるとふっくらとした緑の絨毯です。
 自然に生える植物はそこの土や日当たりに適合しているんですね。だから毎年出てくる。これが自然との共生じゃーないだろうか?そんな事を独り思いながらやってます・・・・・・。
 京都の有名寺院などは庭園の管理に相当の経費をかけます。観光の目玉にしているわけですから仕様がないのかもしれません。
 こうやって草と戯れていると、大分昔山登りをした頃を思い出します。南アルプスの山が私は性にあっていましたね。深山幽谷というのでしょうね。実に山懐が深く木々が鬱蒼としています。沢の水も冷たくとても美味しかった。
 東北の山は良く知りませんが、朝日や飯豊、それと磐梯周辺は登りました。夏でも沢に雪が残り、伏流水となって豊かな水が里の田畑を潤しています。
 昨日、寺に南相馬市が郷里という方が見えました。いま、皆さん避難してしまい、誰もいませんと寂しそうに話して行かれたのが印象に残りました。
 そうだ。必ず日本は復興する。自然の恵みを沢山受け、四季を感じながら生活できる国を取り戻そう。
 多少の不便は甘んじて受けようじゃありませんか。やるぞー!草取りだ。

1788:記憶

記憶に留め置くことが果たして意識してできるものでしょうか?
 辺見庸という作家がいます。昨日何気なくテレビを見ていたら三チャンネルの番組に出ていた。『宗教の時間』という番組でした。≪瓦礫の中から言葉を≫。大袈裟では無く、画面にくぎ付けになった。直ぐに彼の作品を読んでみたくなった。
 一時間程の番組、彼はソファーに座って独りで喋る。原稿無し。帽子を深々とかぶり、目だけが鋭く光る、異様な感じをもった。時々口にするのはワインか何か、そこまでは分からない。3.11という言葉が何度も出てきた。
 強く印象に残ったところ。それはこのように彼が絞りだす声で力説した箇所だった。
・・・今回の大災害で様々な事が分かってきた。高齢でいつ死んでも良いような人を本当は救わないといけない。将来がある若者その理由から優先し、助けるということでは”絶対いけない”・・・・・・
 先ず驚いたのは、彼の話す内容がそのまま文章にできる伝道語り部のようだったこと。
 そして、彼の語調に迫力と凄身を感じた。時折画面に流れる被災地の映像、彼が作った詩が読まれ、より一層、強烈な言葉として訴えてくる。
 早速、彼のことを調べてみた。彼は宮城県石巻出身であることが分かった。大手通信社の外信部記者としての経歴を持ち、作家に転身した。
 辺見庸という名は、「つねに辺を見る」である。
*最初は作家名と思いましたが辺見は実名でした*
 恥ずかしいが、彼の事をこれ位の理解しかなかった自分、果たして今回の出来事をどこまで突き詰めて考えていただろう?彼の事を調べているうちに「震災緊急特別寄稿」というものを発見した。彼は今回の震災で恩師や友人の多くを失った。その中に
 ・・・・・それらの光景と音に、わたしは恐怖をさらにこえる「畏れ」を感じた。非情無比にして荘厳なもの、人智ではとうてい制しえない力が、なぜか満腔の怒気をおびてたちあがっていた。・・・・・・と書かれてある。
 
 日和見主義人間というものがいるとすれば、私は政治にあたる人にどうしてもそれを感じてしまう。
 連休を境に”菅おろし”を画策する仲間(?)達、立党時の記憶をどこかに葬っている。特に言いたいのは、代表を経験した二人、一体、この非常事態に何を考え、この国をどうしたいのか?騙されてはならない。はぐらかされても。私の性分は如何ともし難し。
 彼らの立点が明らかに見えてくる。大切な国会の審議時間をどれほど無駄に使ったのか。その責任は当事者に無いとは言わせない。
 辺見は今年受賞した中原中也賞の賞金を全て出身地の石巻市に寄付すると聞きました。
 その何百倍もの金を持ちながら、周囲の人にその責任を押し付け、自分は大義と知らなかったいう言葉を振りかざし、安穏として居座る。
 今回、出身の岩手に張り付くべき一番の人間ではなかったか。人間は神輿の上に載せられると何をもって価値判断するかが見えなくなる。高見の見物では、今回の津波の光景を禁断の宗教画としてさえ鑑賞することは許し得ない。

1789:nokosu

・・・・わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーションのもりあがり。たとえば全体主義。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている非常事態の名の下で見過ごされる不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。大地と海は、ときがくれば平かになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。・・・・・・・2011/3/16 北日本新聞掲載 辺見庸。
前項に続き、辺見が寄稿した文章の最後の部分を紹介しました。
 彼の言う【倫理の根源】とは一体どんなものなのか?わたしは斯様に推測する。子どもや年寄りにも分かる極常識的決まり事。前章で彼が本当はいつ死んでも構わないようなお年寄りを最初に救わなければならないと力説した真意がそこに伺える。
 将来国の為になるであろう若者たち、彼らは本当に人として生きる極常識的な規範を持ち得ているか!さらに言えば、国を動かすという人々に子どもや年寄りが理解できる人倫のみちを説く資格があるのか!
 悼みながらも廃墟に目を逸らさず歩め!そして各自が考えろ!と彼は震災後5日目に特別寄稿したのである。
 彼は長年の海外取材によって外から日本を見る目をもっている。昭和40年後半からの右肩上がりの成長に浮かれ、気付かない内に奢りをもってしまった日本人。それへの鉄杭を太平洋沿岸の東日本だけが受けるには不条理だ。
 俄かに東京直下型大地震への警鐘が打ちならされ始めた。
 被災地へ足を運び謝罪した東電の副社長が人災かと思うかと問われたのに対し、個人的にはそう思う事も有りますと答えた。
 異例の事とは言え、大型連休の最中に開かれている国会、野党よりも与党民主党の政府に対する質問に私は迫力を感じた。
 原発を推進してきた国の政治が電力供給の方法を転換するだけの力量を過去にもっていただろうか?曖昧にされ、寝た子を起こさないという手法に慣らされてしまった。その国民一人一人がここで考えないとならない。
 nokosuと敢えてローマ字を使った意味は、言葉の意味をまず考えることから始めないと駄目だと思ったからだ。今回の壮絶無尽な破壊から何を学び、後世にどう語り繋いでいくべきか。
 私個人としては、寺の住職と施設長という狭い世界でしか生きて来なかった。障害福祉に関わる一人として、この大惨事に本心から何を訴え、どのような理想の郷を築こうとするのか。一辺倒で狭い自己満足の域をでられずモガイテいる。
 突飛で豪奢すぎる建物などいらない。無理することはない。それは恰も嘗て日本が豊かさを得ようと遮二無二突き進んだ道と何も変わらない。
 その結果、日本人は平和で安心できる人生を勝ち得たであろうか。このことをかんがえなくてはならない。
昨日、突然、携帯で呼び出された。彼とは20年弱の付き合い、どこでウマが合ったのか分からない、いま彼は必死に病院で自らの病と闘っている。涙を浮かべ彼が語ったのは、「竹の子と高野豆腐の煮ものが食べたい」という言葉だった。
 

1790:有効活用

まとまった休日を有効に活用したいと誰しもが考えること。例年の事だが連休中の法事は殆どない。その代り、前後の土・日に法事が集中する。神立地区の農家はその大半が兼業、それも専業に大規模に農業をしている家に全て依頼し、田植えなどはその手伝いをする。
 しろかきから始って、大型トラクターでうなった後にこれまた大型の田植え機で一気に植えてしまう。見事な流れ作業。昔みられた田んぼの畦に座ってお茶を飲む風景は見られなくなった。
 この時期に合わせ、準備をしておくことは大変だと思う。農家の皆さんは、米の自由化など諸にその影響を受ける。今年はさらに放射能汚染という余計な心配が増えた。
 それでも福島の人達を思えば、土浦周辺の農家はまだ余裕を感じる。食材への関心は日本人の多くが強く持っている。日本料理はその極み、見ため・味付けそれに器への盛り付けまで実に凝っている。
 それに産地により価格の格差がここまである国は珍しい。
 今日は憲法記念日、1947年5月3日に現在の憲法が発布された日である。敗戦2年後である。関係者も殆ど知らない事かもしれない。障害者基本法改正案が3月11日の朝に推進本部で了承され、午後に閣議決定される手はずだったが大地震によって決定に至らなかった。実は改正案は法の一部の変更であるが、一つの法律を根本から変える事の難しさを暗に匂わせるものだった。結局、22日に一部改正案として閣議決定された。
 昨日、特別ニュースが流された。ビンラデンがアメリカ軍の特殊部隊によって殺されたという。10年前の2001・9:11にニューヨークで起こった同時多発テロの首謀者。その後、報復が繰り返され、今に至った。イラクへの侵攻やアフガニスタン紛争と中東を不安定にさせている一連の火種。この事によって終息が早まるのであろうか。
 北アフリカでの反政府運動が拡大の一途を辿り、リビアでの内紛はNATO軍の参入によって、またもや長期化する懸念をよぶ。
 いつものことだが子どもや老人が犠牲になる。食料も手に入らず、病気や飢えで亡くなる人の数は増える一方だ。
 これは、当に人為的な災害である。かたや今回東日本を襲った地震は明らかに天災である。津波への対策が十分か否か特に過去何度も津波の被害を受けた地域だけに今後様々な論議をよぶことは必至。そして、原発事故、この事は今後の日本のエネルギー政策に大きく影響する大問題である。
 原発事故対応の専門員(内閣参与)として急遽選ばれた放射能安全学の教授がその決定に対する抗議の辞任があった。放射線量の上限が子どもには緩すぎるという。国会でもその事が取り上げられ、一体どうなっているのかと不安を煽っている。なす術が無いというよりも様々な情報が錯綜している状況だ。危機管理機能は起こってしまってから実態が見えてくる。今回の放射能汚染は相手が目に見えないから余計厄介になっている。速やかな情報の開示が要求され、それも正確な情報ということ。これがお隣の中国だったら、多分、報道への規制を加え、政府が認める情報しか流さない。いまの日本は、まったくその逆、民間のメデアがそれぞれ好き勝手にコメントを出してくる。
 それに踊らされている。
 果たして、今回の出来事を今後にどう活かすか。本当に日本人が一つになって国の再建に立ち向かうことが出来るのだろうか?
 このように疑問符でいつも終わること自体、私自身が自分達のことと心底から思っていないことかも知れないのだ。