源究NO11  (NO141- )

No 内   容 月日 No 内   容 月日
141 福祉親睦ゴルフ 9/14 146 イチロー 10/3
142 求不得苦 9/17 147 常識&非常識 10/8
143 壮年期後半の憂鬱 9/22 148 どうして繰り返す? 10/12
144 種別間較差・・リスク編 9/26 149 追悼文 10/15
145 銀杏 10/1 150 特技&自信or評価 10/20

141:第2回福祉施設親睦ゴルフ大会

9月11日第2回の福祉施設親睦ゴルフ大会がサミットゴルフ(八郷町)にて開催された。今回が第2回目大会委員長は茨城県社会福祉協議会の関正夫会長、特別ゲストとして橋本知事が参加してくれた。総勢56名のコンペとなった。天気にも恵まれ楽しいひと時を過ごすことができた。ベスグロはグロス78で和知さん、ちなみに私は86で11位ということで当日賞を頂いた。この大会は県内の施設関係者が種別の垣根をはずしお互いが親睦を図るという趣旨で去年から始まった。私は煽てられて実行委員長ということになっている。老人;児童;保育所;障害;社協が趣味を通じてお互いを知ろうという関会長の奨励があって実施している。とにかく施設関係者は今様々、かなり多くの事業所があり、会合でお会いしても誰が誰だかわからないというのが正直なところ。今回は県の老人施設協議会の児玉会長もご自分はゴルフをしないが文庫本片手にコースを廻った。それから県福祉施設経営協議会の山中会長は大分からの出張の帰りにパーテイに駆けつけた。いよいよもって茨城の福祉連合の出番か!
 翌日の新聞に介護認定数は全国で一番びりという記事が出た。これからは茨城の時代なぜならばこれ以上下がる心配はない。次回は泊りがけでやろうなどという意見も出る始末。2次会3次会とお疲れのところ楽しいひと時であった。                        『人間は努力するかぎり、迷うものだ』 ゲーテ「ファウスト」

142:求不得苦

思うようにならないなー!と感じる。しかし、本当はそれが真理なんだと頭の中では分かっている。四苦八苦の7番目。求めても得ることができない苦しみ。日本語では「苦」を否定的にとる。本来の意味は違うらしい。「諦める」という意味により近いという。何を諦めるのか!つまりは求めてもそう簡単には得ることができませんよという真理を明らかにするということ。分かっちゃいるけどやめられないというのが凡夫たる所以。どうも理屈ではわかっているから始末が悪い。ありがとうだってそうだ。「有り難し」という本来の意味。日常的に有って簡単に手に入ればありがたいとは感じない。思いがけずに手に入ったりするときに人間は素直にありがたいと思う。
 今、私は一つの課題を自分に課している。それは社会福祉士の国家試験に受かること。正直自信はない。合計13科目、めがねの度が合わなくなってきたのかなー。めがねをかけても焦点があわない。教科書が細かい字だ。それに問題用紙の字も細かい。この試験の特徴だろうが、良く問題を読まないと引っ掛け問題が多い。どうしてもマークシートによる○×式の解答だからそうなるのかな。私は21歳の時に福祉の世界に入った。今から33年前、仏教の法儀によれば33回忌で一区切り、これだけ長く関わってきたという実感はない。福祉の世界は変化が激しい。最近は1年ごとに制度が変わる。だから、最新の情報を学ぶというのが今回自分に課した最大の理由。今までやってきたことの検証と更なるステップアップだ。ここで頭に浮かぶのが求めても得ることができない苦しみ(求不得苦)。
 記憶力は細胞の破壊により減退する。そして短期記憶というものは1〜2秒で忘れるという。
 一つのことを覚えると二つのことが忘れていくという実感。ここをどうするか?偉い問題だ。しかし、これをクリアーしないことには6割の正解を勝ち取ることができない
 今、模擬試験だと4割ぐらいの正解率だ。実に平均点という段階。これをどこまで持ち上げるか。
 教科書を車の中、寝床、園長室、かばんの中と至るところに置いてある。漫画をみるように教科書を見る。そして覚えようとはしない。頭の中がパニックになるからだ。淡々として読む。
 制度や人名、歴史に関しては記憶するより仕方がない。この分野についてはサイコロに頼ろうと決めた。丁半の原理だ。しかし、技術や方法論は33年間の実績がうまく活用できるのではないだろうかという微かな期待を持っている。平成18年の1月が試験、後残された時間は1年半。

143:壮年期後半の憂鬱

30代から50代前半を壮年期というらしい。となると私は現在54歳だから壮年期の後半にあたる。先日大学時代のサークル(ワンゲル)の仲間の集まりがあった。長年外国に住む先輩が一時帰国したこと。それに仲間の一人が亡くなったので歓迎会と偲ぶ会を合同で行った。実に妙な集まりだった。私は卒業後32年が経ち、卒業以来会っていなかった方が数人いた。全部で20名がちょっと狭い目白の中華屋さんの2階に集まった。4代にわたる連中の集まり、恒例の自己紹介を一人一人行った。私は今日の集まりの目的である二人とは親しかったので少し感傷的な挨拶になってしまった。ワザワザ大阪からきたYとは先日郡山でのAの葬儀に一緒だった。ここではそのことについては触れない。
 さて、50代半ばになると、共通する話は、いつ会社をやめさせられるか分からないとか老後どうするかな。或いは孫の話で盛り上がる?。今まで歩んできた人生で誰が一番良いか!という話題になった。私の脇に座った1年先輩、ゼネコンに勤めバブル最盛期にむちゃくちゃ良い思いをしたというNさん、「そりゃー住田だろう。坊さんがいい」
とかいい始めた。『住田な。おれ毎朝お経読んでいるだ。家が真宗なんだ」「俺の女房の実家は栃木のお寺だよ」とか何か私のことに話題が集中。こりゃまずい。
 『私は生臭ですから全くダメなんです。』と話題を変えようとした。すると、30年ぶりにあった、2年先輩のMさんが「土浦のどこよ?住田の家は。明日、おれ日立に行くんだけど」という話。大分前に仕事の関係で神立にも来たことがあるらしい。暫くMさんと話す。「住田のお寺には国宝あるのか?」「ありませんよ」「隠しているんじゃないの?」「隠してなんかいません」「それとも売っちゃたとか」。。。。。
 どうも話が私に振られる。400名を越すOBがいるサークルで多分坊さんやっているのは私ぐらいかもしれない。
 これからのOB会はどうも誰々が亡くなったとかという話が必ずでる。そうなると私が矢面?になるかもしれない。「住田を呼べ!」「お経となえさせろ!」
ま!いいか!南無大師遍照金剛。。。。。ナームナム。

このページのトップへ

144:種別間較差・・・・・リスク編・・・・

今の時代、福祉を取り巻く環境は大きく様変わり。規制緩和政策によって様々な事業主体が福祉事業を行えるようになってきた。今までの社会福祉法人の業務独占ではなくなっている。当然といえば当然、規制により守られている業界はどうしても官民の癒着や不祥事の温床となりかねない。更に第3者の眼が入りにくい体質があった。私はこの流れを決して否定はしていない、むしろ歓迎している。
 しかし、どうも矛盾を感じることがある。それは種別間の格差である。つまり、経営面を考える時、老人対象の施設、特に特別養護老人ホーム(今は介護老人福祉施設という)が一人勝ちという状況がある。つまり、運営収支が黒になる、それもかなりの金額の黒である。一方、幼児を対象にした保育所は地域差はあるが、少子化の上に幼稚園との競合があって経営自体が苦戦を余儀なくされている。いち早く利用する仕組みを契約制度に変えたこの二つの福祉施設は経営の面で全く違った状況が起こっている。企業努力以前の問題である。
 私の言いたいことは実はこのことではない。
 知人が保育所を行っている。父親が始めた保育所をその人の代になり建物を綺麗にして規模も大きくした。
 全てが順調に進んだ。しかし、一人の園児が園庭で遊具を使って遊んでいる時に事故が起きた。結果は後遺症が残る怪我で示談に至るまでに数年を要した。保育所で全員にかけていた保険が一人に付き最高で5000万、この額では家族と折り合いができない。結局7000万のお金をプラスして合計で1億2千万で示談がすんだ。このお金は理事長が銀行から借金をしたりして用意したという。一方、老人施設での事故はどのような扱いになっているのか?
残念ながら良くは知らない。マスコミも取り上げないし、家族もあまり騒がない。一体これはどういうことなのか。
だれもが想像できること、今まで生きてきた人生と残された人生の差し引き計算の問題。幼児はこれからの長い夢多き未来がある。故に遺失利益も大きくなる。至極当然のことだ。施設側の過失責任の負担較差の矛盾。
 しかし、まだまだ私の言いたい事は違う。障害者施設の場合はどうか?尚恵学園でも利用者全員に保険に加入している。当然在宅者で登録により私どもを利用している方やその手助けをしてくれているVSなどにも保険には加入している。
 現行の保険の補償では障害者が不幸にして事故に遭遇したときに補償額に較差がある。正直低く見積もられているのだ。これは憲法の理念と矛盾する。平等ではないからだ。
 種別間較差は経営を考えると今の時代老人向けの施設に事業を始めたい希望者が殺到する。一方、運営面では事故が起こったときの補償の問題にはむしろ経営が厳しい施設への負担が大きいという矛盾がある。個の尊厳とか自己実現という歌い文句はどうなっているのか!この辺になると墨絵の世界、霧がかかる。
 小規模で多くの機能を持った施設が脚光を浴び始めている。利用者の年齢や障害種別の垣根を取り外したものなのか。2000年代になり、ソーシャルインクルージョンという考え方が出てきた。社会で包み込んでいこうというもの。
 ここ10年の目まぐるしい変化は我々現場の者にとってはついて行くのに精一杯。
理事長としてせめて5年先を見つめながら経営を考えて行こうと努力しているが、空振りに終わるリスクも多いにある。

145:銀杏

秋になると周りの木々が色づきはじめる。学園にはイチョウの木が3本ある。最初は3Mぐらいの高さの木であった。今では10Mを越すほどに成長した。以前建物を新しく建てるときにイチョウの根が傷ついたのか枯れかかった。しかし、植物の生命力は計り知れない。いつの間にか生気を取り戻し、今では10M、太さも直径40センチぐらいになっている。しかし、この木は秋になると悩みの種。銀杏の実をつける。これが半端な数ではないのだ。実が熟して落ちたものは利用者さんが踏んづける。物凄い臭い。銀杏は焼いて食べると非常に美味しい。茶碗蒸しには定番の食べ物。しかし、食べるまでには大変な作業があるのだ。例年だと新人の職員が落ちた実を拾って綺麗にしてバザーなどで売る。しかし、今年は誰もやりそうもない。そこで私がしゃしゃり出た。インターネットで「銀杏の実」という検索をすると案の定、作り方が出ていた。@水に5日ぐらいつける。水はこまめに取り替えるA袋に入れて足で実と皮を分けるB実だけをとる。このとき手袋(かぶれ防止)とマスク(臭い防止)C天日に2日ぐらい干す・・・・・できあがり
 実は毎年コツコツ銀杏の実と格闘をしているSさんがいる。彼女は箱を用意してドーンと座りこんで手袋をはめて一つ一つ皮むきをしていた。なんて能率が上がらないのだろうと私は正直思っていた。私がシンシン(近所の店)で買ってきた籠と大きめなバケツで銀杏集めを始めると彼女は2階からじっと見ている。『ふふん。園長が何か始まったわい。今に飽きるからみてろ。』という感じでニヤニヤしている。
手伝ってくれたっていいだろうと思う。しかし、今年は遠まわしで見ているだけ。私をチェックしいるようだ。
こうなると私の性格、そっちがその気なら見てろよと力が入った。それが昨日の今日だ。何か小指の周りが痒い。

146:イチロー

イチローが大リーグで年間最多安打258本を記録大きな騒ぎとなっている。かなり多くの野球ファンはイチローをなんて無口な選手なんだろう?どうしてあんな体で打てるのか?という印象を抱いていたに違いない。それがあれよあれよという間に84年前にシスラーという大リーグの選手が達成した記録を破った。マスコミなどの報道を見ているとシスラーとイチローの共通点などが分かる。シスラーという人は大記録を達成したにも関わらず話題性が大きくなかったようだ。当時はむしろベーブルースという野球のヒーローの影に甘んじていた。それがイチローの登場で一躍脚光を浴びる。258本の新記録を作った時に球場に招待されていたシスラーの家族にイチローが話しかける場面があった。私はその場面が一番感動した。そして、アメリカ人の文化を感じた。イチローの話題が毎日何らかの形で語られる。確かに日本のプロ野球で7年間首位打者を獲ったということも前人未踏、アメリカに渡って4年間全て200本安打を記録したこともこれまたすごい。彼は中学時代から野球をやっていた。毎日バッテングセンターでボールを打った。そこの主人が話していたが年間200万円ぐらいバッテングセンターにかけたらしい。スピード130キロの打席で前に立って打ったというから私も中学時代野球をやっていたから少しはわかるのだが信じられない。ボールをあてる技術はひょっとしたら彼の持つ天性もあるだろうがこの頃の彼の猛練習で体で覚えたものが大きいのだろう。
 彼は寡黙である。それが誤解を生むこともあった。しかし、彼の言動は今の日本人が学ぶべき大切な見本だ。周りをとやかく言う前に自らを律し、形に表す。ややもするとできない事を他人のせいにする輩は捨てるほどいる。この生き様がアメリカ人の心にピッタリ一致した。アメリカンドリームを当に体現したイチロー。彼の試合後のコメントで珍しい一面を覗かせた。目頭を赤くして語った激アツという彼の表現に全てが凝縮されている。
 一歩足元に眼を転じると、地方新聞(常陽新聞)には市町村合併の記事、これだって議員の先生たちの自己保身の最たる現象。合併したら俺の議員席が危うくなる。これだもの。ドイツから3年ぶりに帰国した先輩と最近そのことで話す。ドイツの市町村の議員の皆さんは自らの仕事を持ち、仕事が終えてから議員としての仕事をするという。本会議も夜行うこともあるようだ。議員は報酬も少なく、決して名誉職ではないという。このギャップはいかんともしがたい。福祉に眼を転じる。介護保険制度はドイツから日本は学んだ。昔からそうだ、社会保障関係の仕組みはドイツを手本としているものが多い。これがだ、立法府の先生方の根本のところで大きく違っている。議員年金しかり、無給で働く先生方が考えるドイツと自分の懐を常に意識するどこかの国の先生が考える制度はどこかで無理がくる。イチローが首相になれば日本は変わるかな?俺も学ばなくちゃ・・・・・。努力し続ける人は評価される(イチロー語録)

このページのトップへ

147:常識&非常識

まず、銀杏との悪戦苦闘の結果、見事にかぶれました。皮膚科に通院し、どうにか痒みがおさまりつつありますことを先ずもってご報告。
 次に、昨日私はかぶれて痒いのを我慢して、虎ノ門まで行きました。以前申し込んでおいた研修が灘尾ホールであったものですから。やめようかなと正直迷ったのですが、講演内容が良かったものですから行きました。皮膚科に行ってから特急で向かいました。11時54分の電車ですから1時には間に合わない。朝から何も食べずに会場に滑り込んだ次第です。全国から250名の参加者があり、会場の椅子はあいていません。やっとのことで見つけて座りました。経済財政諮問会議の委員の先生の講義、これが実は私が今回聞きたかったものでした。大阪大学の教授です。
さすがですね、資料など何も持たずに1時間20分話続けるのです。小泉政権になってからの構造改革さらに財政状況と社会保障などタイムリーな内容でした。ところが非常識という輩は何処にもいるものですね。私の後ろからプピポープとかいう音が聞こえ始めたのです。なにやら後ろの席に座った60半ばの紳士?が携帯でメールを打っている。
それがなかなか終わらない。終わらないどころか相手と通信している様子。私の脇に座った人も時々後ろをみて迷惑そう、でも何も言わず知らん顔、多分私は腹が減っていたこと、銀杏のことでいらついていたのだと思います。
誰も言わないことにもいらつき、私はヤオラその紳士に迷惑だからやめて欲しいといいました。不満そうな顔を一瞬しました。胸にはどこのライオンズクラブかしらないが金色のバッチがつけてありましたね。あんな会議にバッチをつけて得意になっている馬鹿ですね。やっとその音がしなくなり前後3列ぐらいの参加者は何もなかったかのように講義に集中しています。皆さんこの光景を思い浮かべてください。問題先送り、嫌な事には関わらないという日本人の常識人の姿です。
 どうして脇に座っている人が注意できないのか!!どうも常識のない人が福祉の世界にも多いということだ。
 昨夜から喉が痛かったのが気になっていたが、寒気がしてきた。3講目の途中で残念だが帰ることに決めた。
『註』ライオンズクラブが悪いとは決して言ってはおりませんよ。

148:どうして繰り返す?

今、障害者福祉の流れは地域生活を目指すということで一色になっている。これは入所施設に長い間生活している人たちを地域に移そうという考え方から来ている。ややこしく言えば地域生活移行推進事業ということになる。しかしだ、そんな簡単なものではない。つまり、地域生活にはそのルールがある。つまり、周囲の人たちとの良い関係を重要視する。酒を飲むのが大好きなNさん、一寸羽目をはずしてしまうMさん、仕事を自分勝手に休んでしまうKさん、みんな社会ルールには違反してしまう。しかし、彼らが望んでいるのは好きなことが自分で選んでできる社会なんだ、お酒飲むのもそうでしょう、真っ赤な顔して酔っ払っているお父さん達、分かるでしょう!
 だがここで問題になるのがいつも施設で生活してきた人たちなんだな、「地域で生活するのは無理なんじゃないの!迷惑かけちゃうよ!何かしでかしたら誰が責任持つのよ!」という反対勢力。実は彼らだって悪いことは悪いと知っているんですね。それが、施設という特殊な生活空間では許されるというか大目に見られ誰かにカバーしてもらっちゃう。だから、殆どの利用者さんが警察に厄介になった経験がないんです。多分彼らの警察イメージはテレビに出てくる格好いい刑事さんたちなんだよきっと。社会防衛的実践はいくら努力しても本人にとっては安住の地にはなりえない。
 今、尚恵学園では地域生活への大いなる挑戦を利用者さんと共に実践しています。だから、ショッチュウなんですよ、警察にお世話になっているのが。ある時はおまわりさんから『どうして見ていられないんですか!貴方たちの仕事でしょうに』とか叱られる。眼を離すなということのようだ。しかし、職員はめげない。「すみません、今後気をつけますから、本人にも良く伝えますから」と謝る。でも彼らは一向に懲りない。『へへへー』直ぐに繰り返す。困ったものだ。
 支援費制度になってから利用契約を本人と施設が取り交わした。この契約には何か問題を起こした時のことは触れていない。「貴事業所に迷惑をお掛けしたときは私の責任であり、自らが責任をとります」とか。どちらかというと事業所(施設)側が不利になっているようにしか私には思えない。以前としてテレビには不祥事を起こした会社の幹部が深々と頭を下げる場面がでる。私も実はいつそのような状況になるのか覚悟はしているんです。
 でも本音の部分でちょっと一言、ここの問題を明確にしないと知的に障害をもつ人たちの地域生活は進まないと感じているんです。つまり、地域に移して何か不都合が起こったときに誰が責任を持つのか?よく話題になる責任能力という問題ですね。現行の法律では14歳未満の者は刑事訴訟を受けない制度になっている。また、当事者の責任能力という判断は何を根拠に決めているのか曖昧模糊。私は本人だと思うんです。このことが本当に認知されないことには障害を持つ人たちの完全参加と平等&自己実現ということはありえない。 これ民主主義の基本でしょう。

149:山口さん(追悼文)

山口さん

昨日、舟木さんからの携帯で山口さんが亡くなったということを知りました。以前より体調がすぐれず、治療に専念していたことは知っています。また、お孫さんが生まれたその日にお亡くなりになったということも本人はどのように思っていたのでしょうね。せめてお孫さんの元気な顔を見せてやりたかったというご家族の思いがあったろうと推察いたします。私は、施設長になり、泊りがけの出張では何度も山口さんと部屋で話したことを思い出します。いつもの口癖でしたね。「俺は、福祉さんよりあんたのおやじさんに世話になっただ。それに中村先生にはいろいろ勉強になったなー・・・・」この話が必ず出ました。そして、今の施設への不満、これじゃダメになる。俺は職員にも厳しいが自分がやっていないことは要求しない・・・・云々。

 そうでした。いつも話し始めると時間がたつのを忘れてしまいました。眠いから寝ますよ。というとウン俺もねるよ。

 それから、加藤先生が水戸にくると山口さんの家に泊まることを知りました。誘っていただき何度かご一緒する機会が持てました。庭でのお決まりのバーベキュー。自然に宴が盛り上がっていく。いつの間にか誰かが来ては帰っていく。

そのようなとても暖かい雰囲気の触れ合いの時間を経験できました。山口さんの奥さんは私の姉と保専の同期生、長野から出てきてからの苦労話、良く伺いました。それから、俺は職員の研修には金をかけるだと話していましたね。実は私の親父も同じようなことを言っていました。施設は職員があって成り立つものですものね。今、私はそのことを痛感しています。

 あゆみ園、育心園は一時期経営の難しい時代がありました。養護学校に子供がみんな行ってしまい利用者が激減した時代ですね。それから、施設長として山口さんのアイデアと行動力が発揮されたと思っています。就学前の子供の受け入れ、県内では先駆的なレスパイトを水戸市に条例化してもらったこと、その甲斐あって利用者が増え続け今の盛況なあゆみ園になりました。園庭の花壇にはいつも時の花が見事に咲いています。これだって山口さんの残した大切なものですね。

 私は、父の後を継ぐ決心をした時に食わず嫌いにだけはならないと誓いました。やってみてダメだったらその時に考えれば良い、やる前から腰が引けているならば福祉の仕事はやるべきじゃないと思っています。

 時代がものすごい勢いで変化しています。第一線を退いた山口さんともっともっと話がしたかったという気持ちで一杯です。 俺はやるだけのことはやったよ。という声が聞こえます。わたしも何処までやれるかは分かりません。いずれ私もそちらに逝くことになりますから、その時までにたくさんの思い出を作っていきたいと思います。本当にお疲れ様でした。       合掌

150:特技&自信or評価

秋晴れの下、今年の運動会は1発で実施できた。今回の開会宣言は成人寮のJさんだった。彼に将棋が勝てる職員はいないと寮長から教わった。宣言が上手にでき、その後の理事長挨拶の時に皆さんにそのことを報告した。本人の顔を覗いてみた。一瞬ニヤーとした。彼はまだ利用期間が短い、多分他の施設には名前も知られていないかもしれない。今回、その点では将棋のJということで知れ渡った。テントの中で親の会長とそのことで話が盛り上がった。
 特技が伸ばせないか!という話になった。折りしも現在ベルギーで絵の個展を開いているSさんが運動会に参加していた。これまた親たちにとっては驚き。その時だった。私たちの正面テントの前を退院したばかりのIさんがお父さんに手を引かれて通り過ぎた。『良かったですね。退院できて』ポーとしていたお父さんが私に気づき『はい、良かったです。・・・・・』彼は今年入退院を繰り返していた。テントの後ろで何やら私を呼ぶ声がした。振り向くと結婚したEさんが旦那さんと一緒に来ていた。彼女との付き合いは彼女が聾学校に通っているときからだ。もう20年になる。上手くやっているのかな?「だんなが仕事しないプン」と膨れ面、相変わらずだ!今年は開会式の行進はやめたという。理由は歩けない利用者が増えたから。車椅子利用の方が急に増えたような気がした。今、2名の方が病院に入院している。一人の方は『今日運動会だよ』というとベッドの中で涙を流したという。楽しみにしていた行事なのだろう。
 学園は人生の縮図、1日のうちに様々なことが起こっている。
 今の福祉の考え方はソーシャルインクルージュンという。ノーマライゼーションの理念によって施設の役割が大きく様変わり。昔風に言う隔離収容というイメージはない。社会全体で包括的に見ていこうとする考え方が主流(メイーンストリーミング)。そこでサービスの提供者と利用者の関係も変わった。
 特技ということは以前では余り評価されていなかった。なぜか!自立という目標にはあまり関係しないという見方があったからである。特技を伸ばすことより日常生活のノウハウを身につけてもらうことに主眼が置かれた。
結果として毎日同じ日課を繰り返すことになっていた。その中には喜びとかその人だけが得意とする事などは二の次だった。それが今大きく変わった。特技(オリジナリテイ)を伸ばすことで自信を持ってもらおうという。長年施設を利用されている方にはホスピタリズム(施設病)という問題があった。個を伸ばすということではなく、集団の中で個を出さないことが良かれと思われた時代があった。そこで非常に微妙な問題が起こっている。無断で外出してしまうことをどう考えるか! 現在GHの利用者が一人帰ってこない。また定期的に外出してしまうNさんもいる。本人が選んだことには間違いがない。利用施設となってこの問いかけは日々繰り返される。